競輪の成長、発展を願う前に八百長を解決しろ

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70名無しさん@お腹いっぱい。
山本、中井、松本、石田、笹…その他、昭和30年代の競輪は関西の独占状態。
徹底先行の高原をスターにするため、更に誘導を上げ、
先行選手でないと勝てないようにした。神奈川から吉川、伊藤と若手先行も次々と記念、特別で活躍する。
その後は福島、阿部道、田中の活躍で関西一辺倒は完全に消し去られた。
先行選手の踏み出しに併せバックから捲るスタイルで阿部良、菅田、中野ら世界選手権組が活躍し、
1980昭和55年には中野が獲得賞金1億円を超え、78年以降は中野時代に。
今度はレベル分けをしたS級創設、踏み出しで捲る戦法が有利にならないよう、
捲りの中野潰しに誘導ペースを上げた。そこで登場したのが滝沢であり清嶋であった。
誘導が上がりそこから先行する彼らにさすがに中野も苦戦し、85〜88年は見事に滝沢が賞金王を獲得した。
しかし今度は東日本でロングラインの犠牲先行が横行したため、誘導を下げた。
そこで登場したのが坂本勉である。中途半端で誘導の後ろが詰まるのを避けるべく、
早めに誘導を交わし、ホームでややスローから一気に踏んで、先行させない、捲らせない戦法で一躍頂点へ。
しかし自らの不調で91年後半は捲り、追込型の鈴木誠に賞金王を取られてしまった。
翌年から、カマシに近いロング捲りで200m10秒台、300m16秒前半を連発。
展開無用の桁違いの脚で何年にも渡り圧倒的な勝ち方で頂点に。
2年近く遅れて剣道神山も台頭し、これにより東西でスター選手を抱える事に成功した。
しかし96年に1000mで現れたレスリング十文字が後半に活躍。
神山と連携して、600m手前で超スロー、そこから得意のゼロ発進を決めて別線を千切った。
しかし、あまりにも千切ってしまうので、十文字潰しの為に600m手前まで故意に誘導を外してはいけないという
ルール改正を行なった。またその替わり幾分誘導ペースを上げた。これにより台頭して来たのが太田であった。
翌年はペースを落とした為に捲りや縦の追込が有利に。内林、金子、金古、児玉、山田。
2002年からは大幅改正が為され、B級廃止、記念前後期1開催、そして誘導が速まり山田、村上が活躍。