サイレンススズカvsミホノブルボン

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546名無しさん@お馬で人生アウト
>>545
ブルボンの年は武は春は乗ってない。

今から思うと考えられないが、この時期、武は干されていた。
オグリ、クリークの引退から、ベガ、タイシンでクラシックを3勝して
力を認めさせるまでの間は、マスコミの注目を一身に集めたジェラシー
があって、相当ひどいこともされたらしい。

その間、唯一圧倒的な力を見せることが出来たのがマック。
徹底的にマークされても圧勝できたマックを、武は深く信頼していた。
今、当時のフィルムを見ると、相当マークはきついよ。
内に入れたら最後、蓋をされるから、ロスを承知で常に外に出している。
ダイユウサクに負けたのなんかは、インで我慢してイン差しを決めた熊沢
とのロスの分の差だろう。
エリザベスのホクトベガとノースフライトみたいなもの。
547名無しさん@お馬で人生アウト:2001/08/19(日) 20:53 ID:???
>>546
マックイーンで降着になって、騎乗停止明け後も暫く勝てなかった時は、
態度を露骨に変えてきた人間が多くいた、と言っていたような気がする。

ダイユウサクに負けた有馬は・・・岡部は著書の中で、マックイーンは
相当あやふやな競馬をしていたが、あれで2着を確保したのだから地力
は相当なものだと言っていた。天皇賞をピークに調子は下降線だったの
だろう。
548名無しさん@お馬で人生アウト:2001/08/19(日) 21:17 ID:???
>>547
そうそう、その通り。
その時期の武はいろいろな意味で苦悩していたんだろうね。

ちなみに、ブルボンの年は菊をバンブーゲネシスで15着。
逆にテイオーの年はシンホリスキーで皐月賞15着、ダービー19着。
菊は乗ってない。
確かにこの時期は騎乗馬に恵まれてないね。
マックの降着事件で一気にジェラシーが噴出したというのはありえるが、
その年の初めから、すでに干されていた部分はあるよ。

まあ今にして思えば、この時期が武を天狗にせずに大成させた、と言えるかも。