シンボリルドルフ越えサラブレッドはいつ誕生?8

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87健常者達の正論
ルドルフ時代というのは競走馬の絶対数が少ない時代でした。いまでこそ西高東低と
言われていますが当時は関西馬が弱かった時代だったのです。ルドルフが勝った
Gレースの出走頭数を幾つか並べて見ますと、

セントライト記念(3才)10頭
有馬記念(3才)11頭
日経賞(4才)8頭
宝塚記念(4才)10頭(ルドルフは回避)
有馬記念(4才)10頭

当時はいまと違ってマイル以下のレースも少なく(天皇賞の距離短縮2年目)
外国産の輸入も制限され関西のトレーニングコースも整備されてなく阪神コースにも
坂がない時代でした。つまりルドルフの強さは別にして本質的に競走馬の層が薄い時代の
さらに世代的にレベルの低かった時代だったのです。だから初芝の地方馬が何回も中央の
重賞で好勝負してしまったりするのです。私はルドルフのファンでしたが歴史が経つと
ともにルドルフがいかに恵まれてたかを感じます。少なくとも90年代の名馬(タマモ
クロス〜)達とは馬の質の違いを感じますし強い外国産馬(エルコンドル・グラス・
クロフネ)と走ってたらきっと大敗してたでしょう。しかしそれは時代の流れと言うもの
であり我々が受け入れなければならない事実です。ディープインパクトと比較するのは
勘弁して欲しいくらい馬が違います。しかし無敗の3冠馬でありG17勝馬として
シンザンとともに永遠に語り継ぐ名馬であって欲しいものです。
(54歳:会社役員)