【見解・予想etc】 そんなんなら地方競馬 〜3〜
栗東トレセン見学記( 2004年12月22日 第49回有馬記念公開調教 )〜PART8
ゲストの佐藤哲三騎手が去ったのが 8時10分頃でした。
坂路を軽くやってから、コース追い との談 By 佐藤哲三 の通り、
タップダンスシチー がCWに現れたのが、 8時20分頃、
インタビューの語りようでは、佐藤哲三が騎乗してのコース追い かと思いましたが、
騎乗者は調教助手( 乗者の帽子の色から )でした。
その走りッぷりですが、非常にストライドが伸びて、凱旋門賞での大敗の後遺症は全く感じられず、
1975年 第20回有馬記念 で 海外遠征帰り( ワシントンDC国際 )だったツキサムホマレ の激走( 13頭立て12番人気で 3着 )が
非常に印象深く残っているので、
「 こりゃ、無視はできんゾ 」と感じた次第です。
そうして調教見学も終わりに近付いてきた 8時35分頃、
有馬記念用の特殊ゼッケンを着けた馬がEコースに登場しました。
高田潤騎乗のアドマイヤドン でした。
今日は本追いの予定ではない とのコトでしたが、15−15という感じではなく、
始終 高田はもっていかれ気味で、「 大一番を前にして あれでは・・・ 」という印象を持ちました。
そうこうしている内に 8時45分を過ぎ、一応 調教公開のスケジュールは終了。
至れり尽くせり って訳じゃないですが、最後にJRAから提供の各種のグッズの抽選会が有りました。
モノはピンキリですが、約25〜30人の参加者に10品ほどが提供されましたから、
競争率はまずまずでしょうか...( 抽選はジャンケンです )
栗東トレセン見学記( 2004年12月22日 第49回有馬記念公開調教 )〜PART9
調教見学が終了し、これにて帰る方もおられたようです。
小生はそのまま居残り、施設見学−坂路&プール に参加しました。
参加者は 最初に坂路 最初にプール の二組に分かれ、小生は前者でした。
約10分程待機した後、バスに乗り込み、坂路 へ。
途中 トンネル( 調教コースの下を通る )をくぐり、坂路の駐車場でバスを下車しました。
約20台程の車が駐車していました。
軽自動車あり ベンツあり 各種取りそろえております状況でしたが、
中でも小生 目敏く目についたのが ジープ系の岐阜ナンバーの車( モチロン 3ナンバー )、
免許はモチロン所持していますが、車には全く疎いので、車種は判りませんが、
滋賀ナンバーが並ぶ駐車場での岐阜の3ナンバー もうあの方しかないですね。
( 流石に車の写真は撮りませんでした。撮っていたら、ナンバーから... )
駐車場の横の坂を上がったところが 馬の準備運動場所( 大きさとしては70m×50m程度か? )
そこに 一頭有馬記念用の特殊ゼッケンを着けた馬が。 ヒシミラクル でした。
上がりで息を整えている という場所ではない という処なので、
これから追い切る であろうとの添乗のJRA職員の解説。
準備運動場所からさらに坂を上がって、辿り着いたのが 坂路塔
エレベーター付きの4階建て?( ゴメン ここ曖昧 )
エレベーターの収容人数が少ない らしく二回に分けて最上階へ。
そこは記者室 競馬ブックの海士部記者がいました。他は判らず。
記者諸氏は 皆ノートを広げ、ゼッケン番号と動きとを書き込んでいる模様でした。
栗東トレセン見学記( 2004年12月22日 第49回有馬記念公開調教 )〜PART10
モニターテレビは数台有り( 数は数えなかった )、
うち二台は坂路を駆け上がった馬の ゼッケン 馬名 タイム( 新聞に載っているモノ )を順々に表示していました。
記者席から見ることのできる実像は、グリーンCH等で視るモノと殆んど同じ、ラスト 300m強です。
つまり前半の 500m部分はモニターテレビになるのですが、
モニターテレビも一頭一頭追うわけでなく、ポイントポイントの固定映像、
××は前半ガーッといってしまった なんてのは坂路を上がってきてゼッケンを確認してからの話です。
これは個人的にJRAの職員から訊いたコトですが、
グリーンCHで視る映像( その下の階で撮っている )については、カメラを三台スタンバイさせて、
準備運動場所から坂路スタート地点に下りていく道で撮影対象の有力馬がいるコトを確認、
モニターテレビでポイントポイントを駆け上がっていくのを確認して、撮影に入る とのコトです。
ただ実際 記者室から見る実像と カメラを通してみる映像とは、角度が違うコトもあって、
何となく違うンですよ。これは表現が難しいですが、実際に行ってみると分かります。
そんなこんなでしている間に ヒシミラクル の本追い
フォームはきれいな感じではないですが、非常に力感が有り、
天皇賞(秋)16着 JC 9着の不振を跳ね返すのではないか と感じられました。
( 天皇賞(春)→宝塚記念連勝 はその前年 )
約30分程の坂路の施設見学が終わり、塔を階段で下りると、
先程の運動場所にハーツクライ がいました。
参加者が「 ハーツクライだ! 」と声を挙げ、カメラ撮影のため近付いていこうとしたら、
JRAの職員から、ここでの撮影は止めて下さい と制止。
どうもその辺りでは見学者の撮影は駄目 との厩舎サイドからの要望が有るらしい です。
プール見学を先に終えたグループと入れ違いにバスへ乗り込み、坂路を後にしました。