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名無しさん@実況で競馬板アウト:
やあ、1だ。 なんで俺がこのスレを立てたのかを聞いてくれ。
昔、サッカーボーイという馬がいた。その馬には内山正博という、少々馬の能力とアンバランスなパートナーがいた。
サッカーボーイは阪神三歳Sを圧勝後、弥生賞に出走するが、3着に敗れた。そこでオーナーサイドと調教師は乗り替わりを決断、河内洋に依頼した。
河内は、内山のサッカーボーイに対する愛情を知っていたから、調教師小野幸治に自分が断ったら内田が乗るのか、と尋ねた。答えはNOだった。
その答えをうけ、河内は依頼を承諾、内山に全力を尽くすことを約束した。
サッカーボーイは順調には使われなかったが、函館記念で日本レコードを出し、マイルCSでは4馬身差の圧勝も見せた。
そして、グランプリ有馬記念、河内のもう一頭のお手馬オグリキャップも参戦した。
しかし、河内は盾2着JC3着のオグリではなく、サッカーボーイを選んだ。それは、内山との約束があったからだ。
先に依頼されて乗り始めたのはオグリだった以上、(88年3月6日)オグリを選ぶことにも正当性はあったのにだ。
そして、その当時河内の弟弟子として武田作十郎厩舎に所属していたのが武豊、通称「強奪」だ。
武豊は河内のその姿勢に何を学んだのか。
読んでくれてありがとう。