高山四代目は、山口組本部長だった小田秀臣氏と兄弟分でした。
会津小鉄会がまだ中島連合会だった頃、たしか柳川組の谷川康太郎氏
と兄弟分だったと思います。
図越総裁は6人の親分衆といっせいに兄弟盃をかわしたことがあります。
松葉会の藤田卯一郎会長、二代目本多会の平田勝一会長、お名前は失念
しましたが中泉一家(静岡県)の親分、稲葉地一家の親分、藤原組(大阪)の
親分、三代目直嶋の山田祐作親分。
この七人兄弟盃は当時、警察やマスコミに「反山口組共同戦線」などと
目されました。中島連合会と名乗っていた時代の話です。