最近はすっかりラジオ派です 特に金曜夜の(以前は日曜夜)粋な夜電波
あれのおかげでヲタソン数万曲入るHDDの中にジャズが増えてまいりました
そのおかげか否か、不満で不安だったリズム感の悪さが少し解消されたようにも感じます
ビブラートは徐々に理想的な波に 歌うときの意識の持ち方で左右されるものだなと痛感してます
ラジオも音楽情報源としてイイですね。
昔はちょこちょこ聞いてたのに、いつの間にやら全く聞かなくなっちゃいました…
ジャズを有線みたいにダラダラ流してくれるラジオとかあったら絶対かけちゃいますw
ジャズはどっちかというと、私の中ではインテンポよりグルーヴィーな感じですね。
伴奏自体がうねってる感じもするんですが、それと歌声の兼ね合い、 ちょっとしたズレとかを意識して聴いたりすると、より細かなリズムの動き・連動がわかるかもしれません。
ヴィブラートの種類もテンポに合わせるのか、逆にずらしてかけるのか。 私には高度すぎて想像でしか描けない世界ですが、そういった細かさって、
他の要素といろいろ絡み合って、最終的な歌声としての表現につながるんだと思います。
もちろんそこに気分など気の持ち方が影響してくるのは言わずもがなですね。
昨日書いた後で、私は何でこんなにA○Bが苦手なのかが頭の隅っこに引っかかってて、
歌声としてキンキンした黄色い声と、民謡などの歌声は似ているのか否かを考えてました。
正直なところ答えはまだ出てないわけですが…^^;
少なくとも、ユニゾンみたいに全員が同じ音階で歌う場合、低次倍音が少なく偏在している声では、
綺麗な重なりにするには相当精巧な歌声の操作が必要になることは確かです。
簡単に言っちゃえば、石造りの教会とかで声がボワッとぼやけた感じになるように、
声の輪郭がぼやけていると、斉唱でもある程度綺麗に1つの歌声の集合みたいに聞こえちゃうわけです。
これに対して黄色い声のままでは輪郭がはっきりしすぎてて、重ねても輪郭同士が喧嘩しちゃうんです。
輪郭を合わせるのは至難の技だろうし、それぞれが主張しすぎてて、協調性に欠けるんですね。
由紀さおり&ピンク・マルティーニのコラボレーション・アルバム『1969』がヒットしていると耳にはさみました。
しかも日本だけじゃなく海外でも受けているとか…
由紀さんといえば、お姉さんと一緒に童謡コンサートやってる人ですよね!?
あの人の声って前に私が注目した童謡・唱歌の歌唱法を踏襲しているんですよ!
その歌唱法、、説明が難しいんで割愛しますが、由紀さんの声の中に含まれているのは間違いありません。
どっかの番組で、音楽ディレクターが何故売れているのか質問されて、
「あのオリエンタルな歌声っていうのかなぁ、 まるで二胡を聴いている様な… 」
って言ってくれていたのも、私の考えを後押ししてくれています。
あの歌い方こそ、日本人が日本語を話す要領を捨てないまま歌った末に、辿り着くであろう歌唱法なんです。
日本語を忘れろとか、声は下に引っ込めろとか、そんな西洋かぶれをしなくてもいけます。
まぁ正直あのレベルは才能ですが、ある程度までなら童謡・唱歌の分野では歌えるやり方だと思います。
今まで散々日本人の声や喉の変形について論じてきましたが、それを捨てずとも歌うやり方があるんです。
いつかこの話は詳しくやりたいですねぇ。
逆にいえば、もし由紀さんが西洋人ぽい歌い方とか声質とかだったら、ヒットはしてないでしょう。
あの独特な東洋の香りこそ、西洋人が心惹かれた理由でしょうから。
この両者の違いが感じれれば、また現代のポップスで多用される西洋型にも参照できるはず。
乱暴な言い方ですが、逆の道を行けばいいわけですから。 あぁ、この違いが説明できたらなぁ…
それにしてもなんですね、、最近ではA○B推しって言うんですか?
チャンネル変えても変えてもA○B…あれのせいで私の年末年始はテレビフリーになりそうです。
正直あのキンキン声は聞いていると頭が痛くなります。
そんな声が何十人とユニゾンしてるんだから、わめき声聞いてるようなもんです。
まさに阿鼻叫喚地獄ですよ^^;
前にフリーさんと言ってた日本語発声の悪い面ばかりを凝縮したような…
無駄に黄色い声を前面に出した、なんとも心地の悪い声です。
最近はすっかりラジオ派です 特に金曜夜の(以前は日曜夜)粋な夜電波
あれのおかげでヲタソン数万曲入るHDDの中にジャズが増えてまいりました
そのおかげか否か、不満で不安だったリズム感の悪さが少し解消されたようにも感じます
ビブラートは徐々に理想的な波に 歌うときの意識の持ち方で左右されるものだなと痛感してます
ラジオも音楽情報源としてイイですね。
昔はちょこちょこ聞いてたのに、いつの間にやら全く聞かなくなっちゃいました…
ジャズを有線みたいにダラダラ流してくれるラジオとかあったら絶対かけちゃいますw
ジャズはどっちかというと、私の中ではインテンポよりグルーヴィーな感じですね。
伴奏自体がうねってる感じもするんですが、それと歌声の兼ね合い、 ちょっとしたズレとかを意識して聴いたりすると、より細かなリズムの動き・連動がわかるかもしれません。
ヴィブラートの種類もテンポに合わせるのか、逆にずらしてかけるのか。 私には高度すぎて想像でしか描けない世界ですが、そういった細かさって、
他の要素といろいろ絡み合って、最終的な歌声としての表現につながるんだと思います。
もちろんそこに気分など気の持ち方が影響してくるのは言わずもがなですね。
昨日書いた後で、私は何でこんなにA○Bが苦手なのかが頭の隅っこに引っかかってて、
歌声としてキンキンした黄色い声と、民謡などの歌声は似ているのか否かを考えてました。
正直なところ答えはまだ出てないわけですが…^^;
少なくとも、ユニゾンみたいに全員が同じ音階で歌う場合、低次倍音が少なく偏在している声では、
綺麗な重なりにするには相当精巧な歌声の操作が必要になることは確かです。
簡単に言っちゃえば、石造りの教会とかで声がボワッとぼやけた感じになるように、
声の輪郭がぼやけていると、斉唱でもある程度綺麗に1つの歌声の集合みたいに聞こえちゃうわけです。
これに対して黄色い声のままでは輪郭がはっきりしすぎてて、重ねても輪郭同士が喧嘩しちゃうんです。
輪郭を合わせるのは至難の技だろうし、それぞれが主張しすぎてて、協調性に欠けるんですね。
まえどっかで私が書いたみたいに、まずは型をなぞるように正確さを求め、 そのあと我流を求めないと八方破れにしかならないということです。
「上手いんだけどつまらない」、その人しかない“もの”ってのが感じられない。
そう思われたなら、もう十分我流に突入していい次元だと思います。
>>40 お読み頂きありがとうございます!
文意が伝わっていれば嬉しいです。 私もフリーさんスレちょっとずつ読むようにしてます^^
やっぱり鯖落ちでしたか・・・私の体調と一緒で不安定なのかな?w
体はかなり元通りで、時々ふらつきがあるくらいなんですが、やはり頭ですね。。
集中直がガタ落ちしたし、思考力というか、やはり回転がどうにもならない気分です。
そのせいか、気分がものすごく落ち込む時があるので、精神ケアも並行しています。
これから脳波とかいろいろ検査が待っているので、精査していきたいと思います。
文殊菩薩様、どうか脳に障害(後遺症)がありませんように…
考えれば、まだ事故から2カ月経ってない段階ですし、焦りは禁物ですね。 お言葉に甘えて、無理せずゆっくり行きたいと思いますm(_ _)m
>>31 レコーディング風景とかがドキュメンタリーで放映されることがありますが、
あのとき何度も録り直してはつぎはぎを繰り返し、歌手や編曲家などの製作者全体で詰めていきます。
あれから考えるに、最初は歌手の思ったように歌わせてみる。
すなわち、かなりの部分を独自の感性と表現で歌うことにまかせてみてますよね。
その後に「ここはこうやった方がしっくりくる」 「ここはこっちのほうがカッコイイ」…とか言いながら、
歌手に意識的に歌い方を変えさせたりして、微調整を繰り返していくんです。 この録り直しの時点から、かなり意識し始めるんじゃないでしょうか?
自分色という名の“癖”っていうのかな、、その癖という名の感性から無意識に出ちゃう表現技法があって、
それをベースに、意識的な変化を織り交ぜていく作業がレコーディングだと思います。
3声区論と2声区論の違いは、西洋と日本の違いともいえます。
2つは感覚論から生まれたものなので、とどのつまり同じ生理学的見解に行き着くわけですが、
重要かつ面白いのは、それらが洋の東西の感覚の違いを表しているところです。
もしパヴァロッティのインタビューを私たち日本人が2声区論的感覚のまま受け取れば、
たぶんそれは伝えたかったことの真意から逸脱します。
彼は彼の感覚を端的に述べているわけで、その感覚はラテン系西洋人のそれ、
もっといえば彼しかわからないかもしれない感覚なんです。
もしそんな感覚から理論を抽出しようとすれば、1つは生理学的に運動を解明すること。
そしてもう1つ、西洋人の3声区論的感覚の共有を試みる必要があります。
あえて2つの手段を用いるのは、感覚的に納得することと、理論的に納得することが違うからです。
ご紹介頂いたインタビュー本も、感覚論の違いを踏まえれば、また違った見解が浮かんでくるかもしれません。
ソプラクートのような技術にも同じことが言えます。
たとえそれが難しく、感覚的に納得できないものであっても、運動方法を解明することはできるはずです。
そうすれば頭の中に作った発声モデルでデモンストレートできます。
デモンストレーションができれば、理論上それが成立する、すなわち理論的には納得できます。
これから発声を科学的に解明なさるおつもりでしたら、まずは徹底的に新式ベルカントを読み解いてください。
その理論の指すところが明確に分かれば、それが以降の考察の柱になります。
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175だと思うんですよね。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・?
う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
>>190-194 既出もなにも、これから書きたかったことてんこ盛り、大変ありがたいお話です!!
私には十分信用足るものですよ!
【 建築 】
まさしく仰る通りだと思います。
建築材料の違いは、普段からの発声法の違いにつながっただろうし、宗教音楽の発展にも影響しました。
それが芸術音楽や大衆音楽にも影響して、18世紀ごろまでは独自の発達を遂げたんだと考えてます。
あ、18世紀ってのは私個人の感覚です。日本でいえば江戸時代ごろまで。
たぶんその頃までは、今みたいな世界間の大々的な文化交流はなかったはずです。
他文化の大きな流入がなかったからこそ、混血ではないその土地だけの純粋な継承・発展があったと考えています。
少し逸れますが、
>>175で少し触れたように、洋の東西を問わず宗教音楽が影響していることはとても興味深いです。
グレゴリオ聖歌が演奏された教会(大聖堂)では残響時間が3秒とか4秒、あるいはそれ以上と、
これは現代のコンサートホールとは比べ物にならないくらい長いです。
そんな残響時間の長いところで非整数倍音を多く伴った声で歌っては、
ホワイトノイズの反響まで入り混じって音が濁ってしまいます。
そのために整数倍音が多く、非整数倍音の少ない発声法が重宝され、響きの増大につながりました。
宮廷や音楽堂も残響時間が2秒以上あって、歌声・楽器はそれに合った発展をしました。
対して、聲明は木造の金堂で行われていました。
金堂は民家より残響時間が長いとはいえ、たぶん1.5秒にも満たない、1秒前後くらいだと思います。
雅楽や能の類の演奏も屋外の舞台などで、それらは共に反響の少ない、あるいは無いような場所です。
そのような場所では、聴衆に直接音を届けるために、音をはっきり強く出す必要があります。
発声においては明瞭度が重んじられたのは言わずもがなですね。
これら宗教音楽が大衆文化に伝播し、民謡等の発展に影響したはずです。
そして「多様性」という言葉に注目すると何か一つパズルのピースがはまるような気もするのです。
アンザッツ2(今これが「気管支〜肺腔」の共鳴を強めるのでは、と考えています)が男声らしい声を作る
というのは体感的にもありますし、両生類関係のスレでも議論されています。
それで実際に男声と女声の違いを倍音の分布で見ると男声の方が多種多様な気がするんですね。
まあ、これは私もあまり知識がないのでUTAUというフリーの歌声合成ソフトのために
色んな方が作られている歌声音源から歌声を合成して音階君で見たっていう、ぶっちゃけそれだけなんですが。
UTAU音源から和音マコさんとか波音リツさんとか女声音源を引っ張ってくると大抵
基音・2倍音・3倍音の強さが揃っていてそれ以外の倍音はあまり強くありません。
(重音テトさんは中の人の作り声なので純粋な女声からは除外したほうがいいかも。上の説明とちょっと違います。)
某ボイトレサイトにも女声の特徴としてそのような事が挙げられていました。
これに対して同じUTAU音源から男声音源の赤羽カラスさんを持ってくると2倍音がとんでもなく強い。
これ音源サンプル中の最高音はmid2Cなんですが、2倍音が常軌を逸して強いのでhiCに聞こえます。
とにかく強烈に通る声で誰の声と合わせても赤羽カラス声になってしまうので合唱が出来ません。
一方、同じUTAUの男声音源で戯歌ラカンさんをみると倍音の博物館で
あらゆる倍音が同じくらいの強さで揃っています。
残念ながら強烈に強い倍音がないので、立派な声なのに埋もれやすいんですよね。
で、何が言いたいかというと「気管支〜肺腔」の共鳴を使う(?)男声の方が共鳴のメカニズムの多様性に
したがって多様な倍音分布のバリエーションを得ているのではないかと。
ちょっと暴走気味の仮説です。スマソ。
私も素人ながらバンドやってた時、何度も音合わせで手を焼いた覚えがあります。
1人で弾いてる時、いわば無意識に独自の感性と表現にまかせっきりになってるときとは全然違うんですよ。
音量も自分の理想とは違う、テンポだって周りに気を配りまくり…正直まわりの音に神経尖らせてました^^;
ド下手だったからそんな次元ですが、上手けりゃまた別の壁があるんでしょう。
>>283 自分の中で奏でたものは、まさしく“心”と名付けるにふさわしいでしょうね…
それを表に出すとき、すなわち他者に伝えようとするとき、心では伝わりません。
>歌唱力、歌唱技術はその心を表現するための道具。
同意します。この世にテレパシーで想いを伝えられる人は、、たぶんいませんからね^^;
何か意思を伝えようとすれば、言葉で言ったりボディランゲージしたりします。
あれと一緒で、歌うことも自分の中で奏でたもの、あるいはこう奏でたいと思った形を、
歌唱技法という表現技術を使って他者に伝える行為なんです。
言葉に稚拙?雄弁、文章に拙文?名分があるように、歌唱技術にもよく優劣が付けられます。
その技を磨いていけば、いつかは“巧い”といわれるようになるかもしれません。
同時に、巧いが上手いに昇華するためには心の披瀝だって必要です。
言葉や文章と同じように考えれば、自分の心を表に出す、相手に伝えることだって技術如何でどうにかなるじゃないでしょうか?
最後に、心の伸び白が無くなるか否かについて…
技術は年と共に衰える部分があるかもしれませんが、心は年をとれば渋さが増したり、
魅力的になっていく部分があって、伸び白が無くなることはまずないと思います。 人は初老を経て円熟を増すと言われるほどですから、
歌だってその時その時で伝えきれないほどの心の叫びが込められていると信じています^^
253 :
選曲してください:2012/08/07(火) 12:31:25.37 ID:KCw47Y4B
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175だと思うんですよね。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・? う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
なんか今日は感覚論をたくさんしゃべっちゃいましたね。 数学でも帰納法好きだったし、感覚論が好きなのかもしれませんw
私もまだまだ未熟で、すべての感覚論を論理的に置き換えるに至っていません。
いつかそれができれば、完全な発声モデルが頭の中に完成するはず。 その時まで頑張ります^^
なるほどなるほど、また少し分かりました。
ですが僕とサブさんの間に色々なレベルの差がありすぎて、サブさんがこちらに歩み寄ってくれていなければ
今頃は会話さえ成り立っているかどうか怪しいところですな…… 毎度優しく噛み砕いていただき、本当に感謝しています。
声楽というのは自分がやっている限り、とんでもない感覚論の集合体だと思うんですね。
だから僕は「○×な感じ」とか「△□のように」としか言えないんです。
それを科学的にどうこうするにはまず自分がその歌い方をある程度体得し、その上で医学や音響学を勉強し、その声を出しているときに
体がどのような動きをしているのか等を然るべき研究機関において調べる必要があると思いますし、私もそういうことをしたいと思っています。
ですがそれにはとんでもない時間がかかってしまうと思います。
そして僕がある程度の成果を出したときにサブさんがどこにいらっしゃるかも分からないのは残念なんですね。
その焦りからこんな未熟なうちに色々喋ってしまっているのですが……
それは結構邪魔なことだと私は思うので、しばらくは邪魔をしないようにしようと思います。
今の僕には応援しかできませんが、頑張ってください。
3声区論と2声区論の違いは、西洋と日本の違いともいえます。
2つは感覚論から生まれたものなので、とどのつまり同じ生理学的見解に行き着くわけですが、
重要かつ面白いのは、それらが洋の東西の感覚の違いを表しているところです。
もしパヴァロッティのインタビューを私たち日本人が2声区論的感覚のまま受け取れば、
たぶんそれは伝えたかったことの真意から逸脱します。
彼は彼の感覚を端的に述べているわけで、その感覚はラテン系西洋人のそれ、
もっといえば彼しかわからないかもしれない感覚なんです。
もしそんな感覚から理論を抽出しようとすれば、1つは生理学的に運動を解明すること。
そしてもう1つ、西洋人の3声区論的感覚の共有を試みる必要があります。
あえて2つの手段を用いるのは、感覚的に納得することと、理論的に納得することが違うからです。
ご紹介頂いたインタビュー本も、感覚論の違いを踏まえれば、また違った見解が浮かんでくるかもしれません。
ソプラクートのような技術にも同じことが言えます。
たとえそれが難しく、感覚的に納得できないものであっても、運動方法を解明することはできるはずです。
そうすれば頭の中に作った発声モデルでデモンストレートできます。
デモンストレーションができれば、理論上それが成立する、すなわち理論的には納得できます。
これから発声を科学的に解明なさるおつもりでしたら、まずは徹底的に新式ベルカントを読み解いてください。
その理論の指すところが明確に分かれば、それが以降の考察の柱になります。
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175だと思うんですよね。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・?
う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
発言者が完全無欠を謳うのは当然なんです。
この理論じゃ部分的に説明つきません・・・なんて言えるわけないですからね。
だからこそ、もし自分の中で腑に落ちない部分があったら、とことん突き合わせる必要があります。
発声を科学的に解き明かしたいなら、“らしい”で片付けてはいけませんよ!
経験上、どんな理論も嘘八百だったり完全に破綻してたことはありません。
だいたいは自分の読み違い、言葉の範疇の履き違いで、伝えたい真意を曲げてしまっています。
しかも
>>144@を意識しないまま、
「これとこれは言ってることが違うから、どっちかが間違いだ‥」
なんて、とんでもない見当違いをしてしまうことだってあります。
ひろしの言葉を借りるなら、「正義の反対はまた別の正義なんだよ。」ってやつです。
今回話題に挙げている新式ベルカントだって、伝えたい真意を酌めさえすれば大いに納得できます。
でも、普通の人がそれを読んで、「裏声を使わない」って言われたらどう取りますか?
たぶん世間一般の人なら、地声だけを使って歌うやり方なんだって思うはずです。
普通の日本人なら、地声・裏声の2声区論で声をカテゴライズしてますからね。
そんでもって、パッサージョより上、アクートが、ソプラクートが、、とか言われて、
あれ?地声とも裏声とも違う何かがあんの??って、またチンプンカンプンになるんです。
このように、言っていることが正しくても、読み手次第でどれだけでも歪曲されます。
一文はおろか、たった一語で恐ろしい読み違いをしてしまう危険性があるんです。
読み違える要因を潰すために、まずは意味するところを的確に捉える必要があって、
その作業は裏声だけじゃなくて、出てくる用語全てで検証する必要があります。
そうすることで理論はより堅固になり、他の理論とリンクさせることもできるようになります。
重ねて言いますが、私は新式ベルカントを否定する気なんて毛頭ありませんよ!
>>172では、あくまで“私の中で”説得力がないと言っただけです。
もし私の中で説得力をもたせるならば、もし完全に包括させるならば、どうしたらよいのか・・・
そこで私なりに出した答え、補完する方法が、「用語の指す範疇が違う」なわけです。
さて、そのような障壁を乗り越え、言葉のしがらみから脱した時、知識が新たな局面を迎えるんです。
>>58で書いたように、情報が言葉の殻を破って、それぞれ融合・結合し始めます。
う〜ん、、どう言い表せばいいのか、、概念化するとでもいうんでしょうか?
悪く言えば抽象化なんですが、自分の中で消化されている証拠ともとれます。
こうなると、もう言葉のつくる区分が意味のない邪魔なものなってしまいます。
頭の中はどんどん体系化され、代わりに言葉による個々の再定義・アウトプットがしづらくなります。
今の私の現状が上記の段階なんで、この先がどうなっていくのかわかりません。
こころで歌うには、かなりの練習を積み、自然に表現されるべきだと 思います。
意図的に悲しい顔をしたり、身体を動かすのではなく すべて歌のなかに納めて表現すべきものだと思います。
練習を積み、上手くなれば、 感情の変化は音色の変化と変わり
「表現力」として 素晴らしくなり「歌は心だ」と聴衆から 思われるようになるでしょう。
それが良いことなのか悪いことなのか、合っているのか間違っているのか。。
少なくとも、そうやって知識が構築されたとしても、独りよがりに信じるんじゃなくて、
自分の知識・考察に対しても疑念を持って対したいと、自戒も込めて思っています。
なんかどんどん脱線して宗教の話みたいになっちゃいましたね・・・スミマセン^^;
話を元に戻しましょう。
あ、ホントに若い人は、自分が若いなんて言わないとおもいますよ^^;
年取ったときに初めて「あの頃は若かったなぁ〜」なんて思うもんですw かくいう私もまだ若いです!
>スレが浮上してる間は雲隠れするのが定例になってるもんでして^^; なんとなく予想はついていましたw
確かに勉強というのは自分の頭の中に他者の概念をコピーすることですからね。
サブさんはその勉強したものを自分の中で色々組み合わせて「研究」なさってる段階のようで。
僕からはとても遠い存在ですなぁ……orz
キング・オブ(ryはパヴァロッティのことですね?
先に言ってしまえば、包括できるらしいですw
同級生に見つかったときの例
「おい見ろよアイツ
>>520 じゃないか?」 「あっ!ホントだ!
>>520 だ!」
「
>>520 ってカラオケなんかやるんだ?全然そういうイメージ無かったな。」
「だよな。いつもマンガが好きだって事は知ってるけど、音楽なんてまるっきり興味ないみたいな感じだもんな。」
「でも、誰と来てるんだろう?
>>520 っていつも1人だよね?
>>520 と仲良い奴っているのかな?」
「1人みたいだぜ!」 「まじかよ!カラボって1人でも入れるんだ。知らなかったわw」
「2chで話題になってるじゃん。1人でカラボに行くのが流行ってるとか。」
「あ〜そういえば俺も見たことある。ヒトカラってやつでしょ?でもそれってネタだと思ってた。リアルで見たの初めてだし。」
「ヒトカラはどう考えても2chのネタでしょ?
>>520 はリアルでもヒトカラが流行ってると勘違いしてるんだろうなw」
「どういう歌を歌うのかな?最近の歌謡曲とか全然知らなさそうだけど…。」 「あっ!曲が始まったみたい。なんか昔聴いたことあるような…。」
「これ、クレシンのアクション仮面の歌だよ。小生の頃よく聞いてたよ。」 「なるほど、マンガオタクだからマンガの歌を歌うのねw」
「ちょww技の名前連呼しながらポーズ取ってるよwキモッ!」 「完全にアクション仮面になりきってるなw」
「歌が終わったみたいだ。あっ!ヤバイ!部屋を出るみたいだ!隠れろw」
「トイレかな?」 「俺もトイレ行きたくなっちゃったw鉢合わせしたらどんな顔するかな?」
「ちょww」 「どうした、そんなに慌てて?」
「トイレ行ったら、
>>520 が便所の水がぶ飲みしてた。。ビックリして用も足さずに戻ってきたよ。」
「2chで見たことあるけど、リアルでヒトカラをやる奴にとっては便所の水を飲むのが常識らしい。」
「わぁ〜!キモイな、ヒトカラーって」
今日初めて1人でカラボに行ってみた。 駐車場にすごい数の車が駐まっていて嫌な予感がした。
店に入ると受付の前のソファに人がたくさん座ってざわざわしており、 受付には列ができていた。
勇気を振り絞って列に並ぶ。 後ろに人が並ぶのが嫌で何度か最後尾に並び直したが、
>>164>>170 いえいえ、こちらこそサイトや本教えて頂きありがとうございます!
紹介した本のほとんどは図書館に所蔵されてるはずなんで、暇なときにでも足を運んでみてください。
最近の図書館は取り寄せができたりするんで、買わなくてもどんどん読めちゃいます。
私もほとんど図書館で借りて読んで、その中でこれは!ってやつだけ買うくらいですから^^;
昔それを耳にしたとき、やはり私も支持するところが多かったです。
まずなんといっても、カウンターテナーやソプラニスタを除いた男性歌手はほとんど地声に聞こえること。
このことは、地声のみで発声しているという推察と容易に結びつきます。
と同時に、なぜA4(hiA)を超えるような高音域において、あれほどの声量で発声できるのかという疑問が生じます。
この疑問の解法として、「全身の筋力でバランスをとりうんぬん」なのかな?と思います。
では、それをもってすればキング・オブ・ハイCをも説得力をもって包括できるのか?
それとも彼は極稀な例外、特異因子として除外されるのか?
彼に限らず、他のテノールの出す高音を包括するほどの説得力を有するには、私の中では至りませんでした。
そこで考えたのが、前提となっている「地声に聞こえるから地声で発声している」に疑問を持つこと。
>>151第4段でも書いたように、“音響=発声の結果”からの考察は最大限慎重にすべきです。
単純に「地声に聞こえる」と「地声で発声している」を結びつけるのは、短絡的すぎるのではないか?
また同時に、地声(表声)や裏声などの言葉の定義についても疑問をもって調べ直しました。
結論からいえば
>>162になるわけですが、そこに至るまでの過程には紆余曲折がありました。
まず何より大きな障壁になったのが、頻出する専門用語。
「裏声」という言葉1つをとっても、発言者によって少しずつニュアンスが違っています。
そのニュアンスの違いをひも解き、はき違えないよう1つずつ整理する作業は何とも面倒です。
私みたいな理論先行の頭でっかちならクロスワード感覚の遊び気分でできますが、
歌の上達を第一目標にしている人にとっては、無駄に時間をロスさせる要因にもなります。(
>>145B)
楽しく読ませていただきました、非常におもしろかったです。
俺はそんなに年食ってるように感じますかね……?こんなに若いのに。
もしこのスレが容量落ちしたら、また別のスレを乗っ取って続けてくださると嬉しいです。
絶対に見つけ出しますんで!!
あと重ねて言いますが、コーネリウス・L・リード系の「ベルカント」についてかなりお調べになっているようなので、
お返事遅れてすみません。
スレが浮上してる間は雲隠れするのが定例になってるもんでして^^;
>>166 その内の1冊くらいは読んだ記憶が、、でも内容をほとんど思い出せない(´・ω・)・・・
コンテンポラリーシンガーという銘にひかれて読んだ気がするんですが、 その記載があまり無かったために忘却の彼方へ吹き飛んじゃったのかな?
たしかボイトレ本の類だった気がするんですが、、記憶違いですかね?
今の自分の発声スタイルを理解した上で英語の発声法との差異を考えたり、 それを歌う際に取り入れたりするための練習本としてはいいと思います。
ただ、やっぱり英語発声とかを練習したいなら、日本語発声も記載してほしいところ。
今の自分がどれだけ日本語発声に特化し、英語発声から乖離しているかも知らないといけないと思うんです。
万人が読んで試して出来ましたってわけにいかないのは、 そういった未記載の部分でふるいに掛けられてるせいだと思います。
あ、全部読んだわけじゃないんで、話半分で聞いてもらえれば幸いです。
>>167-169 本来、感情表現と歌唱技術(
>>106)は対立させて語るもんじゃないと思うんです。
たとえば頭の中で、こう歌いたい!ってイメージしたとしますよね?
それこそが感情表現の素であって、自分が表現したい形なんです。
でも、それをアウトプットするには歌唱技術が必要で、 技量が足りなければ差引された分しか歌に乗せることができません。
同じように、歌唱技術があっても、自分の表現を伴わず、 ただ譜面どおりに歌うだけでは、アカデミックで面白みのないものになってしまいます。
車の両輪のごとく、どちらも伴ってこそ歌をより高みへ昇華させることができる。そう思います。
由紀さおり&ピンク・マルティーニのコラボレーション・アルバム『1969』がヒットしていると耳にはさみました。
しかも日本だけじゃなく海外でも受けているとか…
由紀さんといえば、お姉さんと一緒に童謡コンサートやってる人ですよね!?
あの人の声って前に私が注目した童謡・唱歌の歌唱法を踏襲しているんですよ!
その歌唱法、、説明が難しいんで割愛しますが、由紀さんの声の中に含まれているのは間違いありません。
どっかの番組で、音楽ディレクターが何故売れているのか質問されて、
「あのオリエンタルな歌声っていうのかなぁ、 まるで二胡を聴いている様な… 」
って言ってくれていたのも、私の考えを後押ししてくれています。
あの歌い方こそ、日本人が日本語を話す要領を捨てないまま歌った末に、辿り着くであろう歌唱法なんです。
日本語を忘れろとか、声は下に引っ込めろとか、そんな西洋かぶれをしなくてもいけます。
まぁ正直あのレベルは才能ですが、ある程度までなら童謡・唱歌の分野では歌えるやり方だと思います。
今まで散々日本人の声や喉の変形について論じてきましたが、それを捨てずとも歌うやり方があるんです。
いつかこの話は詳しくやりたいですねぇ。
逆にいえば、もし由紀さんが西洋人ぽい歌い方とか声質とかだったら、ヒットはしてないでしょう。
あの独特な東洋の香りこそ、西洋人が心惹かれた理由でしょうから。
この両者の違いが感じれれば、また現代のポップスで多用される西洋型にも参照できるはず。
乱暴な言い方ですが、逆の道を行けばいいわけですから。 あぁ、この違いが説明できたらなぁ…
それにしてもなんですね、、最近ではA○B推しって言うんですか?
チャンネル変えても変えてもA○B…あれのせいで私の年末年始はテレビフリーになりそうです。
正直あのキンキン声は聞いていると頭が痛くなります。
そんな声が何十人とユニゾンしてるんだから、わめき声聞いてるようなもんです。
まさに阿鼻叫喚地獄ですよ^^;
前にフリーさんと言ってた日本語発声の悪い面ばかりを凝縮したような…
無駄に黄色い声を前面に出した、なんとも心地の悪い声です。
差音についても考えたり調べたり。
なんて言うか簡単な物理の筈なのに、何でこんなに感覚論や都市伝説みたいになってるんだと。
で例によって面白いサイト見つけました。(ほんと紙の本読んでないな)
http://members2.jcom.home.ne.jp/alba2010/differnce%20tone.htm サイトの主はちゃんと物理の分かる人で和声について調べているようですね。
見て頂くと分かりますが、盛りだくさんで全部見るのはけっこう大変。
詳細はやっぱり読んで頂かないと仕方ないんですが、重要と思われるところを独断と偏見でピックアップ。
@「差音」が存在することは音楽やってる人にはわりとあたり前
A差音が「主観的な音」とする説は御大ヘルムホルツ先生が定着させた。
(科学は権威主義を打破して進むべきなんだけど御大の権威はそれほどまでに強大なんですね。)
B周波数の異なる二つの波を重ね合わせると、両者の平均周波数で振動する波が生じる。
で、その波の振幅は二つの振動数の差に当たる振動数で極大・極小を繰り返す、つまり振動する。
(三角関数の和を積に直す話を思い出しましょう。幸いにして?全部高校の数学と物理で収まってる。)
この振幅の振動(ややこしいな)が「うねり」であり、「差音」。両者は同じ物理現象。
で、このサイトの作者は振幅の振動は音ではあるが厳密には波といえないので
「音波」ではなく「音粒」という表現を使ってます。
ところで、私たちは共鳴体の存在するシステムでは差音も増幅されると考えました。
音粒は実際に「差音」の振動数を持って共鳴体を叩くわけですから、当然共鳴が起こります。
そして共鳴体が実際の共鳴を起こしてしまえば「差音」はもはや「音粒」ではなく
ちゃんとした音波になります。
私的にはかくして「差音」は感覚論とか都市伝説ではなく確たる理論的地位を築いたと考えるんですが
みなさんはいかがでしょうか?
>>540 キンキン声スレは議論の前提になっている古い音源が軒並み消えていて議論の前提が分からなかったり、
前半コテなしのレスが多くて議論の流れが?だったり、今は見れない?別のスレと微妙に関連してたりで
実はちゃんと読み切れてません。
で、私が非整数倍音の話を見たのは「倍音 音・ことば・身体の文化誌」という本の書評です。
例によってきちんと読んだわけではありません。
本てせっかく買っても、読んでみると内容的に何か残念なことが多くて最近買わないんです。
借りればいいんですが、便利なところに図書館ないんですよね。閑話休題。
「倍音 音・ことば・身体の文化誌」は尺八奏者の中村明一さんという人が書いてます。
整数倍音は美しく通る声でカリスマ性を作る。
非整数倍音の声は親しみやすさを感じさせる。
という話だとか、虫の雑音を声と聞く東洋の耳、対する西洋の耳といった
まあ良くある文明論まで展開している本です。
内容的に?と思うようなところもあるようで買って読もうという気にはなりませんでした。高いし。
個人的な考えですが、西洋の、特に古典音楽が非整数倍音とか、場合によっては高次倍音さえ嫌うのは
ハーモニーフェチだからでしょうね。
歌声合成ソフトというので遊んでみて思ったのですが、ソロで存在感のあるボーカルって
ホントにハーモニーの破壊者です。お前のパートしか聞こえてこないよ、どうしてくれんだよ、みたいな。
多分古典音楽でなくてもハーモニーを前提とするなら、基音・2倍音・3倍音位で収まるおとなしい声が
望ましいんでしょうね。
存在感のあるボーカルと言えば、クリキン田中さんとか小野正利さんとか
フランジリンボイス(でいいんでしょうか?実は調べてもよくわからない)の使い手がいます。
クリスタルキングはフランジリンボイスの使い手は田中さんだけで
こちらは声を重ねても田中さんメインと思えば問題ないんですが、
小野正利さんは多重録音で自身の声を重ねていて、これは正直くどいと思ってます。
A母語の言語発声の混入
何より大きい問題、これこそ私が一番声を大にして注意喚起したいこと。
ほぼ全てのボイトレで、これまで嫌というほど書いてきた言語発声の混入について、言及・記載が無いことです。
普通は誰でも自然と歌声に言語発声が混入してるんです。(
>>113、
>>134)
しかも同じ言語圏の人でも個々で混入比率が違って、まさしく千差万別です。
で、場合によってそれを取り除いたり混入比率を下げたり、あるいは他言語の発声を意識しないといけないのに、
どのボイトレも暗黙の了解、知ってて当然・出来て当然のように、それをスキップして練習に入ります。
そんなんじゃ出発点から間違う可能性だってあります・・・
ロジャー本なんてそれの最たる例じゃないでしょうか?
発声に加わる言語発声エッセンスがとても大切なファクターであることは、
>>112-114、
>>133-135で説明しましたね。
母国語が英語の人と我々日本人ではその言語発声が全く違うのに、それを一切無視して練習に入ってます。
だから「ヘッドってどうやって出すんだ?」みたいに記載の無い所でつまづき、ついには難しすぎると挫折するんです。
ウォームアップでも、高音では喉を開放しないといけないのに、日本語発声のままどんどん喉を締め付けて間違います。
B用語の氾濫
同じ意味なのに声楽やボイトレの流派によって異なる言葉が多数あり、またそれぞれ微妙にニュアンスが違ったりもします。
にもかかわらず、情報の発信者はそんなこと一切お構いなく、ただ自分たちの用語が唯一のごとく伝えます。
それら同義語・類義語の整理だけでもかなり手間がかかり、発声練習にさえ入れず時間を浪費します。
もし用語の理解で苦しんでいる人がいたら、悪い言葉遊びだと思って切り捨てるのも手です。
C練習法の真意
世の中に出回っている練習法で発声を突き詰めたらどのような声になるか、、考えたことがありますか?
勘のイイ人ならもう気付いてくれていると思います。
これまで口を酸っぱくして言ってきたように、発声効率を突き詰めると歌唱発声になるはずです。
そして、数ある練習法も、その大多数が発声効率を高めるやり方についてです。
では、そんな練習法がなぜ現代音楽の発声練習に用いられているのか・・・
スミマセン、まだ現代音楽の歌声について書いていないのでわかりづらいですが、、
全ての歌声は程度の差こそあれ、話し声よりは発声効率を高めた結果だからです。
これは例え話で説明した方がわかりやすいでしょうか・・・
例えばあなたが喉風邪にかかったとしましょう。
ただ風邪といっても、鼻水、喉の痛み、頭痛、発熱、症状は色々あります。
鼻水が出てるのに頭痛薬を服用する人はいませんよね?
薬は症状に合ったものが一番効果があるんです。(総合感冒薬は禁じ手で^ ^;)
また、過剰な服用は危険ですから、用法・用量を守らないといけません。
数ある発声練習も、それぞれに異なった効果がある薬だと思って下さい。
的外れな練習は何の効果ももたらさないし、
1つの練習への偏重や過度の練習は、薬の過剰摂取と同じで逆効果になる危険さえあります。
自分の目指す理想の発声像に近づくためには、どの練習をどれだけすればいいのか?
それを見極めるのはとても難しいですが、しかしながらこれが練習の際には大変重要なことです。
その難しい作業の手助けをしてくれるのが、本来のボイストレーナーのあるべき姿なんですが・・・
まぁ@・A等々、ボイストレーナーさんもいろいろ事情がおありでしょうから、これ以上は言いません。
以上、ボイトレに限らす歌の練習をしている人に考えて(気付いて)もらいたい大まかな4点です。
あともう1つ、耳は大切です!一杯音楽聴いたり、意識して聴覚を鋭敏化して下さい。
あぁ!二ヶ所「現代音楽」のままだった!!全部直したと思ったのにorz
>>146 l.6、l.7を「現代曲」か「現代の大衆音楽」に直して下さい。。何かやりきれない・・・
今回は得盛り小休止!今回はTVとかに関連した作品。私、、ミーハーです (/ω\)
フリーさん、部長さん、みなさんに読んで頂いて感謝感激です!!
数字一派の嫌われ者ゆえ、出向いてレスするのはご迷惑お掛けするところ、、
この場を借りて厚く御礼申し上げますm(_ _)m
スレの雰囲気が重いというご意見がおありのようですが、何卒そのようなことはお気になさらないで下さい。
私の知識なんざまだまだ月並みに毛が生えた程度。
(それなのによくもまぁこうも衒学的に書けるもんだと、、ちょっと自嘲気味^ ^;)
だからこそ、みなさんのご意見は大切にします。
フリーさん居なくなっちゃうんでしょうかねぇ・・・寂しい限りです。
前はかなり入り浸って知識ひけらかすような真似しちゃったんで、
ここんとこは自重してROM専しております。(レスしたくてムズムズしてるけどw)
音源全部拝聴させて頂いてますし、可能な限り保存もしてます。(水槽画像も^^)
引っかかったり裏返ったりする部分、たとえばトイレの神様の「それは〜あ゙」とか、
Driver's Highの出だしとか、それが声帯が分厚くなったせいなのかとか、
あるいは伸展が不十分なのかとか、フリーさんは感覚的に分かってらっしゃるので、
私があえてアドバイスまがいのことしなくても大丈夫だと信じてます。
もし疑問に思うことや分からないことがあったらいつでも聞いて下さい。
微力ですが可能な限り努力します!
それともう1つ、フリーさんはスレ主として即レス義務みたいなので頑張りすぎです。
Wisely, and slow; they stumble that run fast.
どんだけ亀レスでもイイじゃないですか。待てない人はそれまでってことで。
もっとのんびりやりましょう^^ チャットじゃないんだから、書いたこと消えやしません。
まずは自分の生活が第一。2chは余裕があるときで十分です。
ここだったらどれだけ書き捨てでも大丈夫ですから、いつでも来て下さい!(他の人もね!)
ただし、私が超遅レスなんで、即答は致しかねます。予めご了承をばm(_ _)m
書き忘れていましたが、フォルマントは共鳴腔(声道)の操作によって形成され、
逆に声帯原音はそれほど大差ないので、声帯の使い方はあまり関係ないと考えられます。
さて、私がフォルマントをどう考えているかについて。
フォルマントやその形成過程等の説明は上記参照サイトにまかせるとして、
私はフォルマントそのものより、それによって生じる事象に着目しています。
大きく分けて2つ、順を追って説明していきましょう。
まず第1に、
>>113で書いた「言語差=言語発声の差=発声器官の使い方の差」があります。
これは言語を、「頭の中で文章を構築する=内言語」と、「それを声に出す=外言語」に分けたうちの、
外言語に相当する部分に着目したものです。
そして「発声器官のある1つの言語発声への特化」とは、この外言語の1言語(母語)への偏重によって、
共鳴腔(声道)が変形してしまうことを意味します。(cf.
>>73)
共鳴腔の変形がピンとこなければ、ペンダコを例に考えてみてください。
ペンダコとは、長年同じペンの持ち方をしたために指の一部が変形したものです。
これができるとペンがズレることがなくなって、より持ちやすくなります。
右利きの人なら右手に、左利きの人なら左手に、普通なら中指にできますね。
逆に、ペンを持っていない方の手の中指には全くできません。当然です。
ちなみに、私はペンの持ち方が変(↓の画像みたい)なので、右手薬指にできています。
ttp://blog-imgs-18.fc2.com/s/o/o/soogatch/20060713.jpg ペンの持ち方の違いで、違った位置にペンダコができるわけです。
共鳴腔も同じで、ずっと日本語を話していると、
日本語の5母音を発声しやすいように、共鳴腔の形状そのものが変形していくんです。
それが言語間の差となって母語以外の言語を発声するときも現れ、
あるが果てに歌うときにまで顔をのぞかせます。(cf.
>>112-114 >>133-140)
>>339 >>160-161は図書館で借りた本ばかりなので、どうぞ1度図書館へ足を運んでみてください。
最近の図書館は他館から取り寄せができるし、大概の本が読めるようになって便利です^^
実践的で練習を伴う考察ならば、ボイトレ本の類の方が良いかもしれませんね。
個人的には、私がお勧めしたバイブルも、歌声の科学とかフースラーとかに準ずる知識型の本で、
ボイトレではないので、あくまで知識の形成、理論構築に役立つ本です。
あんまり難しい内容で手をこまねいて、練習が疎かになるのは本末転倒ですからね。
あ、ぶっちゃけ読んだことない本のが圧倒的に多いんで、立派なことは何1つ言える身分じゃないんですが^^;
個人的にうまい具合で優しい理論書だなぁと思ったのは『歌手ならだれでも知っておきたい〜』系です。
『音楽家なら〜』の方しか読んだことないんですが、あれは図解もあったり内容が実践者向けだった記憶があります。
同系統っぽいし、より詳しそうなので、私も読んでみたいですねぇ。
『あっというまに歌がうまくなる!?〜』は、特別この本だけの情報ってのもなかった記憶があるし、
正直、ボイトレ系の本はネットが発達した現代では、ググれば手に入る情報が99%です。
目にしたり耳にした情報(ボイトレ法)ばかりで、何か突飛な練習法を探す方が難しい時代になりつつあると思います。
特に昔から懐疑的に思っているのが、「あっという間に」や「たった3日で」とか「2週間で完成」みたいな、短期間で習得を謳っている本です。
発声って、いわばその人の癖のかたまりであって、本で単純一義的にまとめて上達を指導できるほど簡単なもんじゃないんです。
そういった本は大風呂敷を広げたことで、内容が大雑把になっていることが多いです。
まぁそれでも手に取って読んでしまうのは、私自身が発声嗜好症なんでしょうね^^;
長々と書いちゃいましたが、ご自身が練習と理論(知識)をどのウェイトで取り組むのかで、本もいろいろ変わってきます。
実践から頑張ってらっしゃるなら、やはりVT系本をいくらか読み潰して練習方法を増やしたりするのがイイですかね。
そうするうちに嫌でも知識なんてついてくると思います^^
>>228 簡単に説明すると、引き上げ筋の効果は、宙ぶらりんな喉頭を固定することです。(詳しくは
>>69)
そうすることで体が声を出す状態にしてやります。
また、話し声のときはそれ主体で発声に関わります。
ただ、このままだと
>>69に書いたように、喉の位置が高くなっちゃって、とても上手くは歌えないので、
引き下げ筋によって喉頭を下に引っ張り、位置を下げてやるんです。
フースラーの『歌うこと』の言葉を借りるなら、引き上げ筋、引き下げ筋、ともに“喉頭に支持を与える”ことを引き受けます。
すなわち私が言うところの「喉頭の固定」です。
フースラーいわく、両者が綱引きのように喉頭を引っ張り合い、喉頭が平衡状態になると、声帯の中にある筋肉の緊張が解けるらしいです。
ただ、あくまでその状態がリラックスベースになるということで、そこにある筋肉、例えば声帯筋とかの閉鎖筋群はちゃんと活動するはずです。
じゃないと声帯伸展と声帯閉鎖が同時に行えない大変な状態に陥っちゃいますからね^^;
これらの結果から、どのような効果があるのか?という質問に対してですが、
正直はっきりした効果はありません^^;
「喉頭を固定して声を出す状態にしてやる」その効果が「声を出す」ことですから…
逆に言えば、引き上げ筋だけ使って歌おうとしても、喉の筋肉が緊張を誘発されて上手く使いきれません。
それを解決するため、引き上げ筋は歌う時には引き下げ筋のサポート役になって緊張を解くと思って下さい。
メインじゃなくサブとして、引き下げ筋に対応する存在として存在しているのです。
だから、それ単体で目立った効果ってのはないんです。
また暇があれば『歌声と話し声の違い』(
>>69-73)を読み返してみてくださいm(_ _)m
>>231 喉をガッチガチに緊張させて、無理に声帯を振動させたら、喉を傷める確率は増すでしょうね…
>>232さんがおっしゃる呼気圧迫が増すことにもつながりますし。
喉頭の位置は二次的な要素として、これまた声帯圧迫とか喉絞めにつながりますが、
まぁ極度に上がってなけりゃ許容範囲というか、深く考える必要はないと思います。
逆に考えれば、そうしないことが喉を傷めにくい発声ということになるでしょう。
声帯の閉鎖に絞って考えてみると、
>>65の閉鎖筋群のうち側筋と横筋にまかせた閉鎖だと、声帯は大雑把にしか閉じません。
そんな状態だと、声帯は一様な振動をせずに、いびつに開閉運動をする羽目になりますよね?
振動にむらが起こると、何事でもそうですが、しわ寄せがどっかに来て、その状態を保つのが苦しくなります。
それを解決するために、声帯筋や外甲状披裂筋による閉鎖も加わってきれいな閉鎖・振動を起こします。
ただし、もし声帯筋や外甲状披裂筋が過度に働いても声帯圧迫につながるわけで… 何事も加減が大切です^^;
あと、いつかどこかで「裏声は喉を傷めやすい」とか聞いたことがあるんですが…
今ちょっと調べてみましたが、やっぱり“なぜ傷めやすいのか?”の答えが見つかりません。
もし理由を探すなら、その振動数の高さから、声帯靭帯に及ぼす負担が大きいのでしょうか?
それか、声帯靭帯縁辺のみの、これもある意味で“いびつな”振動が、声帯に悪影響を及ぼすのか…
そうじゃなきゃ閉鎖筋群が弱いか働いていない、声帯間隙が広めの状態なんで、声帯どうしが圧迫されてるとは考えにくいんです。
喉を傷めやすいという意見そのものにも賛否両論あるし、ここはまだ私も合点がいきません。
あと最後に、、発声が上手いといわれるヴォーカルでも、喉を傷めることはままあります。
どんな発声法だって、声を出す時点でリスクは負うんです。
そのことを理解した上で、負担の少ない喉を傷めにくい発声というのを考え、あるいは実践してみてください。
271 :
選曲してください:2012/08/07(火) 15:29:43.68 ID:u1gjHG5U
>>544 共鳴は声道のみで起きると決めつけていたり、どうかなと思う点もあるんですが
フースラーの本についていた音源の話が面白いですね。
フースラーの考察のもとになったのは当時の凡夫極まりない歌い手だとか。
どんな天才もその時々の時代的、社会的、技術的制約を超えた発想はできないものです。
フースラーのアンザッツだって何も完成した無欠の議論ではなくて
これから検証したり補ったりする部分があるかもしれません。
差音が主観の産物だと判断したヘルムホルツ大先生も
当時の不便な実験装置ではなく
振動数を連続的に変化させて重ねることが可能な現代の実験装置があれば
別の判断を下したかもしれない、という話もありますしね。(552で紹介した例のサイト↓です)
http://members2.jcom.home.ne.jp/alba2010/differnce%20tone.htm 相対性理論にしても、当時相対論が登場すべき前提というか材料はすべて揃っていて
アインシュタインがいなかったとしても別の才能が相対論をまとめただろう、という話もあります。
才能だけが理論を作るわけじゃないと。
才能や権威を盲信してはいけない、ということですね。
順不同になってる…ゴメンナサイm(_ _)m
>>221 (
>>222 >>224)
地声と裏声をどう思っているか…そして女声について。
まずは地声と裏声からいきましょうか。
無理にカテゴライズするならば、地声は声帯全体を振動させたもの。それに対して裏声は
>>162記載の感じです。
あ、もう1つ付け加えるならば、裏声は声門閉鎖が伴わないか、あっても極わずかなものです。
ただ、これらは極端にカテゴライズしてその作用を明確化させたものであって、個性と同じく人それぞれ個人差があるのは当然です。
このことも
>>162とかに書いたとおりです。
私なりに両者は
>>65の筋肉それぞれの関わる比率が違うだけで、声帯から発生している同じものと考えています。
裏声とか地声とか、ミックスとかミドルとか、そういったものを全部バズワードとして切り離して、
声が出る原理を生理的(科学的)に考えた時に、間違いなく言えることはただそれだけです。
あと1つ、往々にして言えることですが、バズワードを生半可なまま使い聞こえてきた声から発声法を推察すると、
生兵法は何とやらで、間違った結論を導いてしまうことになりかねません。
例えば、気息音が多いから裏声に分類しますか?
何やら「声に芯がある」とかいう判断でもって、実声だって分類しますか?
そんなんじゃ本当にどうやって発声しているのかの真理・原理に辿り着けないままになっちゃいますよ!
>>151>>173に書いたとおり、“音響=発声の結果”からの考察は最大限慎重にすべきです。
こんな感じで考えていたら、私の頭は
>>174になりました。
まぁそれも今じゃ事故ってカオス状態になっちゃってますが…^^;
少なくとも今の私が言葉に表せるものは
>>150の目次に書き連ねたことくらいのもんです…お役に立てず
基本的なことを守らずに、あまりにも感情で表現しようとすると
感情表現にばかりこだわり、大事なリズム音程などが正確に 表現されにくい状況に陥る傾向もあります。
これは、声の大きさばかり終始して、大事な楽譜の記号表現が おろそかになるのと似ているように思います。
まずは、楽譜と通りに正確に歌うことを心がけましょう。
次に、詩を何回も読み返し、その歌詞(フレーズ)のイメージ を思い浮かべましょう。 歌は一つの物語りなんですからね。
そして心で歌をうとすれば、こころで表現しようとする内容を すべて、音符のなかにすべて納めて歌いましょう。
こころで歌うには、かなりの練習を積み、自然に表現されるべきだと 思います。
意図的に悲しい顔をしたり、身体を動かすのではなく すべて歌のなかに納めて表現すべきものだと思います。
練習を積み、上手くなれば、 感情の変化は音色の変化と変わり
「表現力」として 素晴らしくなり「歌は心だ」と聴衆から 思われるようになるでしょう。
ふぅ、今日1日でこのスレ読破。
つっても腹の底に落ちきっていない箇所もあるから何回も読み直さなきゃいけないと思うが。
自分は読書を滅多にしない人間なので、だいぶ気合いを入れてかからないとこういった長文が読めないんですね。
そのせいで最初にレスしてからちゃんとスレ全部読むまでこんなに時間がかかってしまって申し訳ないです。
なんとなくサブさんが研究なさっていることの一部がぼんやり見えてきました。
楽しく読ませていただきました、非常におもしろかったです。
俺はそんなに年食ってるように感じますかね……?こんなに若いのに。
もしこのスレが容量落ちしたら、また別のスレを乗っ取って続けてくださると嬉しいです。
絶対に見つけ出しますんで!!
ちなみにこれほど博識なサブさんならもうご存知かもしれませんが、僕からも声楽の発声についてWebサイトを挙げておきます。
表声・裏声などという感覚的な言葉を切り捨て、より実際に起こっている現象にスポットを当てていらっしゃるサブさんには申し訳ありませんが、
「男性が裏声を使うと声帯には悪い、喉頭は下がったまま表声を全身の筋力でバランスをとりうんぬん」という発声を提唱している方のサイトです。
残念ながら裏声を使った男性オペラ歌手は現在、一部のカウンターテナーやソプラニスタを除きほとんどいません。
その発声により声帯を壊さず死ぬまで歌い続けた歌手が何人もいたり、裏声を使ったカウンターテナーの歌手としての寿命が短いことから、今のところ私はその発声を信じています。
男性視点のみで語ってしまいますが、ここで敢えて「ベルカント」という言葉を使うなら、裏声を使った古い「ベルカント」は声帯に悪く体に優しい。
表声を使った新しい「ベルカント」は声帯に優しく体に悪いです。
「ベルカント」なんて言葉は非常に曖昧なものなのに、日本人が横文字として輸入した瞬間絶対的な定義を無理矢理つけてしまったようなので、この言葉を使うのは僕も好きではありませんが。
ttp://www2.odn.ne.jp/~cco47400/hassei.htm ttp://ameblo.jp/molto-piu-acute/ ttp://ameblo.jp/ken-baryton/ ここで腹話術やってるってききました すごいっす、参考させていただきやす!
ちょっ素人目で気が引けるんスけど 高校生のほうからの加齢臭が どうしても漂ってくんのが気になります 改良の余地あるおもいます!
初心者から上級者まで コンテンポラリーシンガーのため?のヴォーカルワークアウト
コンテンポラリーシンガーのため?の ヴォイストレーニングとアメリカ?英語の歌い方
ザ・コンテンポラリーシンガー CD付 ヴォーカルテクニック&パフォー?マンスのための
あなたを表現するために シングユアストーリー この辺の本ってどうなの?
さて、ご質問の「声楽の発声が弓場さんのような裏声を用いたものか?」ですが、
私の中では表声とか裏声とかはバズワードとして切り捨てた言葉なんで、答えづらいというのが正直なところです^^;
たしかに弓場先生は声楽畑の人だし、先生の歌声は声楽に基礎をもつ発声スタンスです。(cf.
>>144)
その点から逆説的に、声楽の発声は弓場先生のような裏声を用いたものと言えるでしょう。
しかしここで留意してもらいたいのが、どんな声でも声帯という1つの器官から発生しているということです。
>>65に書いた喉の筋肉が総合的に働き、しかもそれに関連した呼吸筋や身体全体の筋肉が連携して発声します。
裏声、表声、ミドル、ヘッド、etcだからといって、なにか別の器官が働くということはありません。(cf.
>>113)
強いて言えば、裏声は声帯を進展させ声唇を薄くし、声帯縁辺のみを振動させる発声方法である・・・
これでもいささか誇張的と言わざるをえません。
表声(地声)やミドルとよばれる代物にも、声帯の進展はあってしかるべきだし、
声唇の厚さは個体差もありますが、その調節によって全ての声域で大きな役割を果たします。
これらの説明が難しいから、声種や声区のようなカテゴライズをし、理解の糸口を与えたんだと思います。
本来、真に発声運動を理解しようとするならば、そのような言葉は真理に向かうための導入にすぎません。
それに雁字搦めになって、その先にある統合的な発声運動を理解しえないことは残念なことです。
サブさん、とりあえずありがとうございます。
私のような若造のために音楽以外のことまで、役に立ちそうだけど難しいことを噛み砕いて説明していただいたこと、非常にありがたいです。
涙が出そうなほど感動しました。
あなたは私が目指すものに一番近いし、そんな方は初めてお目にかかりました。
私には今、金がありません。
親のすねをかじって生活している無能な高校生です。
なので自分の力で金を稼ぐようになったら、何年かかるかは分かりませんが、サブさんに挙げていただいた書籍をすべて吸収させていただこうと思います。
それまではこのスレを熟読し、教えていただいたWebサイトを閲覧することにします。
・『声と日本人』【米山文明(著)、平凡社】
・『声の呼吸法 - 美しい響きをつくる』【米山文明(著)、平凡社】
・『声の不思議 - 診察室からのアプローチ』【一色信彦(著)、中山書店】
・『上手に歌うためのQ&A - 歌い手と教師のための手引書』【リチャード・ミラー(著)、岸本宏子(訳)、長岡英(訳)、音楽之友社】
・『西欧音楽教育史』【供田武嘉津(著)、音楽之友社】
・『声楽の知識とテクニック』【エルンスト・ヘフリガー(著)、小椋和子(訳)、シンフォニア】
・『西洋音楽史 - 「クラシック」の黄昏』【岡田暁生(著)、中央公論新社】
・『誰にでもできる発声法(ボイストレーニング)』【熊谷卓(著)、日本実業出版社】
・『日本人の声』【鈴木松美(著)、洋泉社】
・『倍音 - 音・ことば・身体の文化誌』【中村明一(著)、春秋社】
・『はじめての発声法』【ジャン=クロード・マリオン(著)、美山節子(訳)、音楽之友社 】
・『発声の科学と技法』【Risa Roma(著)、鈴木佐太郎(訳)、音楽之友社】
・『発声の技巧とその活用法』【酒井弘(著)、音楽之友社】
・『発声の達人 - 日本人には日本人の歌声がある』【海沼実(著)、ノースランド出版】
・『表現と理解のことば学』【宍戸通庸(著)、西川盛雄(著)、平賀正子(著)、菅原勉(著)、ミネルヴァ書房】
・『プリマドンナの声帯 - 音楽裏方医者のカルテから』【米山文明(著)、朝日新聞社】
・『ベル・カント唱法 - その原理と実践』【コーネリウス・L.リード(著)、渡部東吾(訳)、音楽之友社】
・『ベル・カントの継承 - 装飾の施された歌唱に関する実践的省察』【Giambattista Mancini(著)、渡辺東吾(訳)、アルカディア書店】
・『ベル・カントへの視座 - 昔時及び当節の歌い手に対する見解と装飾の施された歌唱への所見』【Pier Francesco(著)、渡辺東吾(訳)、アルカディア書店】
上のリストに新書シリーズが何冊か紛れ込んでると思います。
いきなり難しい専門書にアタックするのもいいですが、未開拓の分野に手を出すときの入門書としてもってこい。
本自体も薄いし、それを手始めに新規開拓してみると捗ります。
ただし、その性質ゆえ内容が所々間違ってることがあるので、すべて真に受けて読むのではなく、
少々懐疑的に、次の知識への懸け橋と思って読むくらいがちょうどいいかも。
響かない日本の家屋でも楽器は発展していった
尺八・琵琶などの現在では伝統楽器といわれる類の楽器である
この楽器を(欧)に聞かせると(欧)の脳は音楽として処理する しかし(日)に聞かせると(日)の脳は言語として処理するのである
日本の伝統楽器は響かない環境で伝えるためにより「声に近づける」という選択をした 欧州の楽器とは根本的にここが違っていた
欧州の楽器は(欧)にとっても(日)にとっても楽器だが 日本の伝統楽器はそうではないのだ
ほかにも(日)は小川のせせらぎや小鳥のさえずり、木々のざわめき等の環境音も言語として処理をする 当然(欧)は音として処理する
これらは日本語の母音を主にした言語に関係しているといわれている 母音のような音には特別な感情のようなものを(日)は受け取るのである
夏の風物詩の風鈴は(日)にとっては風流でも(欧)にとっては雑音でしかないのだ 悲しい話である
このように(日)にとって音は言葉でもあるのだ
逆に(欧)にとっては音は音、言葉は言葉といったしっかりとした区分けがある
(欧)の歌は言葉よりも音の意味合いが強い (欧)は声を楽器にすることを選択した
よく響きより響き、音としての質の高さを目指した 周りの硬い物が響きを助けてくれたのでその方向性にもうなずける
(日)の歌は言葉であった
楽器ですら声言葉に近づけようとするのだから
(日)にとっての音のメッセージ性は相当なものである
欧州の歌・日本の歌
これらのような環境と言語の違いにより 欧州と日本の歌の進む道は大きく変わってしまった
日本は人々の心に訴えかける感情と言葉を重視した歌
欧州はより響かせるためにテクニックや技術を開発し楽器としての音を重視した歌
ただ日本の歌に技術がないわけではない 人の心を掴むための技術が感覚で伝承されていったのだ
それゆえ感情論や根性論が蔓延りやすい事態にもなるのだが・・・
しかし色々と混ざってしまった現在ではテクニックとして感情表現もある この辺は進歩と言ってはいいのではないか
ただその反面 日本人は音に感情を感じにくくなっているようだ 技術により感性が縮んでいくのは避けられないことなのだろうか
まあとりあえず、根っこにはこのような違いがある 音としての歌が好きか言葉としての歌が好きか
そんなことは目玉焼きにソースをかけるか醤油をかけるかくらいに些細なことなのだ
欧州にしろ日本にしろ音は楽しむものに変わりはない
自分が好きな歌手の歌を聞き、自分が好きな歌い方を目指す 思うが侭に楽しむ
好きな食べ方をすればいい これこそが誰にとっても正しい歌であり音なのだ
書きたいのに書けないこともあって少し説得力にかけるけど
こういうのもあるのか と思ってくれたら嬉しいかな 信用できなかったら忘れてください
まず第1に、
>>113で書いた「言語差=言語発声の差=発声器官の使い方の差」があります。
これは言語を、「頭の中で文章を構築する=内言語」と、「それを声に出す=外言語」に分けたうちの、
外言語に相当する部分に着目したものです。
そして「発声器官のある1つの言語発声への特化」とは、この外言語の1言語(母語)への偏重によって、
共鳴腔(声道)が変形してしまうことを意味します。(cf.
>>73)
共鳴腔の変形がピンとこなければ、ペンダコを例に考えてみてください。
ペンダコとは、長年同じペンの持ち方をしたために指の一部が変形したものです。
これができるとペンがズレることがなくなって、より持ちやすくなります。
逆に、ペンを持っていない方の手の中指には全くできません。当然です。
ちなみに、私はペンの持ち方が変(↓の画像みたい)なので、右手薬指にできています。
ttp://blog-imgs-18.fc2.com/s/o/o/soogatch/20060713.jpg ペンの持ち方の違いで、違った位置にペンダコができるわけです。
共鳴腔も同じで、ずっと日本語を話していると、
日本語の5母音を発声しやすいように、共鳴腔の形状そのものが変形していくんです。
それが言語間の差となって母語以外の言語を発声するときも現れ、
あるが果てに歌うときにまで顔をのぞかせます。(cf.
>>112-114 >>133-140)
第2に『歌声における言語発声と歌唱発声の相関関係』(
>>133-140) のジレンマ解消法で書いたこと。
これは米山文明先生の著書『声と日本人』にも書かれていたことです。
共鳴腔(声道)は各母音のフォルマント形成に多大なる役割を果たします。
また、共鳴腔は広がることで声量確保、高次フォルマントの集約等にも貢献します。
歌う時には、この2つの動作を同時に行わなければなりません。
しかしながら、この2つはトレードオフの関係で、完璧に両立させることは不可能です。
同じく、歌うときは話すときより格段の声帯調節が行われ、それが共鳴腔の形状にも制約をつけます。
すなわち、母音を明瞭に発声するための共鳴腔の形状にはなりにくい場合が多々あるわけです。
以上のように、歌うことは母音フォルマント形成の阻害要因を多く含みます。
以下は歌声に限らず日常会話やその他諸々の、とにかく「言葉を発する」全般での話です。
発声は体全体、トータルで考えろ!って人もいますが、いきなりそれすると風呂敷広げすぎて収拾つかなくなるので、
今回は喉から上にフォーカスを当てて書きます。(それ以外の要素についてはまた後日。)
どうしてもこれから説明しておかないと、後々の説明でいちいち補足しないといけないので・・・お許しをばm( _ _ )m
発声の仕組みといっても、簡単に言っちゃえば、
@ 声帯で喉頭原音(声帯原音)を発生させる
A 共鳴腔でその原音を共鳴・増幅させる
B 調音(構音)により最終的に言葉としての声を形成する
みたいな感じ? 省きすぎかな・・・
@では呼気が声帯振動によって音へと変わります。
ここでどうしても留意してほしいのが、声帯で音が発生する原理です。
もしかしたら一部の人は、「声帯の振動=左右の声帯が擦れ合って音が発生している」と思ってはいないでしょうか?
これ大きな間違いです!声帯はスズ虫の羽根みたいに擦れ合って音を出してるわけじゃありません!!
そもそも振動とか震動とか、言葉がはっきり決まってないのももどかしいですね。
音が発生する正体は、声帯が断続的に開け閉めを繰り返して作る気流音です。
その証拠に、話声位くらいの声帯原音を聞いてみると、「ブーーー」みたいなノイズで、声とは似つかない音です。
これが後の共鳴空間で増幅され、倍音を得ながら声として形成されていくんです。
Aの共鳴腔は喉頭・咽頭・口腔・鼻腔の声道と、肺や副鼻腔です。
これらで声帯原音が共鳴することによって音が増幅され、声の素ともいえる音へと変化するわけです。
そしてもう1つ、共鳴腔の中でも喉頭・咽頭・口腔は、次のBと綿密に連動し合いながらその形を変えるので、
強調される倍音の周波数帯が変化し、各母音特有のフォルマント形成に多大に影響します。
Bの調音(構音)は簡単に言っちゃえば、声帯から出て共鳴させた音を言葉として加工することです。
Aで“声の素”と書いたように、共鳴させただけではまだ最終的な「言葉としての声」としては成立してません。
唇・舌・歯、さらには共鳴腔がトータルに働いて母音や子音が調音(構音)され、やっと言葉としての声が出来上がります。
さて、声の成立の説明はこれにて終了です。
上で書いたのは有声音についてで、無声音は@とAの一部がない場合と思ってください。
簡単に書いたんでアラもありますが、そこは大目にみてご勘弁をm( _ _ )m
最初に書いたとおり、この発声の仕組みは「言葉を発する」全般の話で、話し声も歌声も“原理的”には同じです。
もちろん、女性でも男性でも、日本人でも欧米人でも、どんな人でも同じ原理です。
これを念頭に、歌声と話し声との違い、体の他の部位の働き、性差、言語差などを説明していきます。
もしわからない単語等があったら・・・ggrks、、もとい、聞いてもらっても構いません。
でも即レスは全く保障しませんので悪しからずm( _ _ )m
もっと詳しく知りたい方は、↓のサイトで上手く説明されているのでどうぞ^^
つ
ttp://www.oki.com/jp/rd/ss/speech.html
精通君とか発声マニアって頭デッカチで板に害な気がしてきた
>>62 お久しぶりです(・∀・)ノシ
最近はフリーさんの所に引き篭もってますw
出来る限りチャプターごとに書いていくので、気になる題名があったら読んでやってくだせぇm( _ _ )m
音源紹介ありがとうございます^^ ラテンいいですよね〜 エスパニョーラ!って感じ好きですw
あ、また余談ですが、私がここで書こうと思った理由、実は
>>58以外にもあります。
>>53に書いた絶望の果て、再び上達を目指したとき、今の自分の発声を捨てる決心がつきました。
そして再度上達のためフローチャートを作ることにしました。その結果できたのが↓
@今の自分の発声を崩壊させ、癖をなくし、ゼロの状態に戻す。(禁カラ、むやみなボイトレ禁止)
A知識を整理し、頭の中に出来うる限り詳細な発声理論を構築する。
Bその理論に “自分の理想の声・喉” と “今の自分の声・喉” を照らし合わせる。
C精密にあぶり出された不足部分を、必要なトレーニングによって補完する。
@〜Bはいつか終わるにせよ、Cに終わりなし!まさに生涯学習!だから焦らず気長にのんびりやるよ!!
オッサンになったとき、上手いなぁ〜なんて言われたい・・・(/ω\)
あ、ちなみに、桶板にうpしなくなったのは@のせいです。たぶんあと半年は辛抱しなくちゃ^^;
またいつか梁山泊お邪魔しますm( _ _ )m
286 :
選曲してください:2012/08/08(水) 05:30:34.95 ID:8+3pJf8E
>>190-194 既出もなにも、これから書きたかったことてんこ盛り、大変ありがたいお話です!!
私には十分信用足るものですよ!
【 建築 】
まさしく仰る通りだと思います。
建築材料の違いは、普段からの発声法の違いにつながっただろうし、宗教音楽の発展にも影響しました。
それが芸術音楽や大衆音楽にも影響して、18世紀ごろまでは独自の発達を遂げたんだと考えてます。
あ、18世紀ってのは私個人の感覚です。日本でいえば江戸時代ごろまで。
たぶんその頃までは、今みたいな世界間の大々的な文化交流はなかったはずです。
他文化の大きな流入がなかったからこそ、混血ではないその土地だけの純粋な継承・発展があったと考えています。
少し逸れますが、
>>175で少し触れたように、洋の東西を問わず宗教音楽が影響していることはとても興味深いです。
グレゴリオ聖歌が演奏された教会(大聖堂)では残響時間が3秒とか4秒、あるいはそれ以上と、
これは現代のコンサートホールとは比べ物にならないくらい長いです。
そんな残響時間の長いところで非整数倍音を多く伴った声で歌っては、
ホワイトノイズの反響まで入り混じって音が濁ってしまいます。
そのために整数倍音が多く、非整数倍音の少ない発声法が重宝され、響きの増大につながりました。
宮廷や音楽堂も残響時間が2秒以上あって、歌声・楽器はそれに合った発展をしました。
対して、聲明は木造の金堂で行われていました。
金堂は民家より残響時間が長いとはいえ、たぶん1.5秒にも満たない、1秒前後くらいだと思います。
雅楽や能の類の演奏も屋外の舞台などで、それらは共に反響の少ない、あるいは無いような場所です。
そのような場所では、聴衆に直接音を届けるために、音をはっきり強く出す必要があります。
発声においては明瞭度が重んじられたのは言わずもがなですね。
これら宗教音楽が大衆文化に伝播し、民謡等の発展に影響したはずです。
みなさんのお心遣いに感謝いたしますm(_ _)m
今は退院もうして自宅で療養を送りながら、日々いろんなところに出かけるよう心がけております。
じゃないとふさぎがちになって精神的なストレスで死にそうになるんで…w
昨日は近くのお寺に参って、以前のように脳が働くように文殊菩薩様に手を合わせてきました。
今度の受診で脳機能障害の検査があるのでgkbrです^^;
歌が心か技術かのお話は、前にも書いたので割愛させてもらうとして、
今の私が思うに、それらは大袈裟にいえば比翼の鳥・連理の枝のようなものなんじゃないかと思います。
どちらかが掛けていると成り立たないわけじゃないんだけど、どこか物足りなさというか、
不自然さ(違和感)とかにつながるんじゃないかと思うんです。
竹中直人が笑顔で怒った声を出すって芸は、それが意外性があって受けるんだと思うんです。わかりにくい?
迫真とか、伝わりやすさの対極だからこそ、逆に面白いと感じるんです。
う〜ん、、頭が回らないなぁ、、閃きが無いし繋がらない。。
私は以前技術にばかり傾倒して、好みは?と言われれば、「ハスキーっぽい声なら何でもおk」って感じでした。
そんな時よく聴いていたのがTrijntje Oosterhuis(Traincha)でした。
彼女の声はやや擦れていて、それでいてすごく丁寧な歌い方をするんです。
自分の個性・色を前面に出してアレンジメントしようとはせず、譜面に合うように桶と調和するように歌うんです。
それがたまらなく心地よくて、一時期聴きまくってました。
Trijntje Oosterhuis(Traincha) / Close To You
http://www.youtube.com/watch?v=8UrPap9vP9Q
>>339 >>160-161は図書館で借りた本ばかりなので、どうぞ1度図書館へ足を運んでみてください。
最近の図書館は他館から取り寄せができるし、大概の本が読めるようになって便利です^^
実践的で練習を伴う考察ならば、ボイトレ本の類の方が良いかもしれませんね。
個人的には、私がお勧めしたバイブルも、歌声の科学とかフースラーとかに準ずる知識型の本で、
ボイトレではないので、あくまで知識の形成、理論構築に役立つ本です。
あんまり難しい内容で手をこまねいて、練習が疎かになるのは本末転倒ですからね。
あ、ぶっちゃけ読んだことない本のが圧倒的に多いんで、立派なことは何1つ言える身分じゃないんですが^^;
個人的にうまい具合で優しい理論書だなぁと思ったのは『歌手ならだれでも知っておきたい〜』系です。
『音楽家なら〜』の方しか読んだことないんですが、あれは図解もあったり内容が実践者向けだった記憶があります。
同系統っぽいし、より詳しそうなので、私も読んでみたいですねぇ。
『あっというまに歌がうまくなる!?〜』は、特別この本だけの情報ってのもなかった記憶があるし、
正直、ボイトレ系の本はネットが発達した現代では、ググれば手に入る情報が99%です。
目にしたり耳にした情報(ボイトレ法)ばかりで、何か突飛な練習法を探す方が難しい時代になりつつあると思います。
特に昔から懐疑的に思っているのが、「あっという間に」や「たった3日で」とか「2週間で完成」みたいな、短期間で習得を謳っている本です。
発声って、いわばその人の癖のかたまりであって、本で単純一義的にまとめて上達を指導できるほど簡単なもんじゃないんです。
そういった本は大風呂敷を広げたことで、内容が大雑把になっていることが多いです。
まぁそれでも手に取って読んでしまうのは、私自身が発声嗜好症なんでしょうね^^;
長々と書いちゃいましたが、ご自身が練習と理論(知識)をどのウェイトで取り組むのかで、本もいろいろ変わってきます。
実践から頑張ってらっしゃるなら、やはりVT系本をいくらか読み潰して練習方法を増やしたりするのがイイですかね。
そうするうちに嫌でも知識なんてついてくると思います^^
まず声の支えを調べた時、いの一番に出てくる言葉が「腹による支え」です。
これは私が解説するよりも、下のサイトを読んで頂く方がわかりやすいと思います。
・『発声法(と言うより「呼吸法」)』⇒
http://classic.music.coocan.jp/vocal/hasseihou.htm これが発声に組み込まれているか? ちゃんと働いてくれているのか?
それが第一の「支え」の有無につながります。
更に、ここからもう少し話を発展させてみると…
横隔膜や呼吸器系の筋群などがそのような状態になると、本来は発声器官ではないところまで声を伝搬しやすい状態になってくれます。
もっと突っ込んだ話をすると、体壁振動などで体中に音が伝搬し、体の共鳴器官となり得る所で反響を繰り返し、
基本的に考えられている発声器官による声〈cf. 『発声概論』(
>>59-60) 〉に追加されるんです。
喉から上だけで発声し反射し、増幅させている状態。 俗に言う「喉声」から変化させてくれるわけでして…
何か話が難しくて伝わらないと思うんですが、要は身体の一部分だけで声を出す状態から、
身体全体を増幅器のように扱って、より声に肉付けを施すわけです。
これに関する記載は、『声と日本人』(著:米山文明、平凡社)等の本とか、ウェブサイトにもちらほら見られるので、
あながち私だけの突飛な推量ではないと思われます。
380 :サブ ◆44176./44g :2012/01/19(木) 00:00:27.59 ID:11NqQZY/
ボイトレ本の記載で、「足は肩幅に開いて…」「背筋は伸ばして…」「顔はちょっと上を向く感じ…」とかありますよね?
これらは全部、上記の“体中で起こす声の反響・伝搬”を誘引させるものなんです。
誰もはっきりしっかり歌おうとして、縮こまった姿勢では歌いませんよね?つまりそういうことです。
これが私独自に考える第二の「支え」になります。
さて、このような「声の支え」ができると、声にどのような変化が起こるのか?
これまた言葉にするのが難しいものでして…
ちょっと禁じ手ですが感覚的表現を使わせてくださいm(_ _)m
喉声が平坦で膨らみのない声だとすると、支えのある声ってのは立体的で広がりのある声になります。
ここんとこは幾分脱線になりますが、私の別スレ記載にも通じるところです。
292 :
選曲してください:2012/08/08(水) 12:04:58.26 ID:Mbz7tKcU
終わり
終わり