普通未満〜下手な人のための微妙うpスレ57微妙目

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59選曲してください
きれいな正弦波の咽頭原音と2つの共鳴音の差音として生じた音は振動数は同じでも波形は違う筈です。
ただ客観的な手法にこだわってスペクトル分析にかけても波形の違いは読み取れないですよね。
音として聴き分けるのは主観性が入るので証拠としてはちょっと弱くなってしまうんだろうか。
少なくとも自分は聴き分ける自信がないorz
(ちなみに私は音楽的素養全くなしにいい大人になりましたので音感とか聴きとりとか駄目駄目です。
歌の単純なハモリパートひとつ聞き分けるのも必死、というかそれすら危うい感じでww
ZUNさんの耳がうらやましい)

それから、これも状況証拠になりますが、高次の倍音を含む色んな歌声を集めて
それらの歌声に高次倍音の差音として構成可能な低次の倍音が含まれている事を確かめる、
というのもありそうです。

それで、この2点目の状況証拠に関してですが、差音に注目すると疑問が一つ解けるのですよ。
以前私が取りあげた
http://archive.mag2.com/0000225345/20070319135000000.html
ボイストレーニングの嘘真うそまこと「イイ声はどんな声か4」で
1.「透明感と艶のある声」のスペクトルが紹介されているんですが、
どうして強い倍音が「きっちり等間隔」に並ばなくてはならないのか疑問だったのです。
等間隔にどういう特別な意味があるのかと。

差音を考えるとこれが等間隔でなければならない理由が出てきます。
等間隔でなかったら強い倍音は様々な組み合わせで新たな差音を生じてエネルギーを分散してしまいます。
結果として強い倍音がいくつも並ぶという特異なスペクトルは維持できず、差音として生じた低次倍音が
強い倍音のエネルギーを奪って鋭いピークがない凡庸なスペクトルになってしまうのではないでしょうか。
逆に倍音が等間隔なら、どんな組み合わせで差音を作っても、もとからあったのと同じ音しかできません。
そういう場合にだけ、細く鋭く強烈に強い倍音のピークをいくつも持ったスペクトルが許されるのではないでしょうか。
そして、そういう細くて鋭い倍音のピークをいくつも持つ声が透明で艶があるように感じられると。
60選曲してください:2012/08/04(土) 19:21:11.61 ID:gvg5dcHa
ちょっといなかった間にえらいことになっていますね。
ZUNさん、スレ立てありがとうございます。
怖いもの見たさにちょっとあちらを覗いてみましたが、たいへんなことになっていますね。
自分もうかうかと長レスして餌を与えてしまったのではないかと反省してます。
サブさんがバズワードを毛嫌いされる理由が分かった気がします。

>>524
ZUNさん、ありがとうございます。ひょっとしてこれ大発見かもしれません。
いや、知ってる人は知ってるのかもしれませんが…。というのは

差音についてもうちょっと調べてみようと
http://blogs.yahoo.co.jp/jack_violin1945/1143951.html
というブログを見てみると
バイオリン奏者は差音を聴いて弦のポジションを確認するというような話があり、
実測された差音のスペクトルは下図のようになってます。
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/ca/a8/jack_violin1945/folder/252735/img_252735_1143951_0?1238527497
バイオリンの用語で書いてあってよくわからないのですが
hiDとhiF#がもとになっている音で赤の×印の付いたものが差音のmid1Dです。
hiDとhiF#のそれぞれの倍音の組み合わせから生じる差音までしっかり現れている点にご注意ください。

これを以前私が例にとった1000Hzと1100Hzのbeep音の差音のスペクトル
http://www38.tok2.com/home/shigaarch/OldBBS/0c02wt4AECM-1.jpg
と比べてみると差音の強度が全然違うんです。
バイオリンの方が断然強い。その理由は…そう、やはり共鳴胴の存在ではないかと。

つまり共鳴胴が存在するシステムでは差音が共鳴によって増幅される可能性があるんですね。
当然考えてしかるべきところだったんですが、人間は自分の目に見えるものの範囲で推論をしてしまうというありがちな罠。
人の発声器官は共鳴腔が多数あるわけですから、beep音の差音ではなくバイオリンの差音のイメージで考えるべきですね。
というわけで人の声の場合、高次倍音の差音が低次の倍音を作ることは十分にありそうです。
まずはバイオリンで実測されたこのスペクトルが状況証拠のひとつです。
61選曲してください:2012/08/04(土) 20:00:17.12 ID:gvg5dcHa
しばらく書き込みできなくなる見込みなので、ちょっと疑問点だけ投下しておきます。

前にも紹介した
http://archive.mag2.com/0000225345/20070319135000000.html
ボイストレーニングの嘘真うそまこと の「イイ声はどんな声か4」
というタイトルの回で声の特徴と倍音分布との関係が示されています。

寡聞にして声質と倍音の関係についてはこれ以外にあまり知らないんですけど
これ以外にも声質と倍音について言及した資料はありますでしょうか?

ここに書いてあることが正しいとすると、どの辺の振動数を強めたいか、ということで
狙いたい声質に対応した共鳴腔さらにはその共鳴を強めるためのアンザッツなんていうのが
都合よくマッピングできそうな気もするんですが、それは甘いのかな?

それから別のどこかで非整数倍音というちょっと不思議な言葉を見かけてこれも気になってます。
本来の倍音は整数倍ですから、非整数倍音というのは一種のノイズですね。
ハスキーな声は非整数倍音と関係してる、というような記述があった気がするんですが、
おそらく非整数倍音というのは伝統的な西洋的発声法では全く無視されているんじゃないかと。
でもハスキーな声にあこがれる人は案外多いのでもっときちんと調べられてもいい気がします。

例によってあまりよく調べもしないで色々垂れ流して申し訳ないですけれど
サブさんはじめ、皆さんのご意見・ご考察は大変参考になり楽しませて頂いております。
私が不在の間に色々ご意見いただけると幸いです。

500 :選曲してください:2012/03/10(土) 20:24:34.85 ID:rs0tuCDC
俺もどういった発声で声質が向上するのかは凄く興味がある。
ミックス理論はある程度落ち着いたが、それが出来てれば必ずしも良い声になるとは限らないようなので。
どうも倍音も出ればいいって物ではないようだし。
しかし倍音絡みの話は最近になって増えてきたと思ったが、このサイトの記事は随分古いものなんだな。
62選曲してください:2012/08/04(土) 20:42:06.09 ID:gvg5dcHa
>>478
差音という現象を初めて知りました。世の中知らないことだらけですね。
いろいろ調べてみると差音を計測した例として例えば

http://www38.tok2.com/home/shigaarch/OldBBS/0c02wt4AECM-1.jpg

のような図がありますね。
1000Hzと1100Hzを同時に鳴らした時のスペクトルだそうです。
中央やや右寄りのダブルピークが1000Hzと1100Hz。
左から1/4位のところにある小さなピークが100Hz。
(より詳しい説明は
http://www38.tok2.com/home/shigaarch/OldBBS/106beat-diftone.html
の下から1/3あたりに)

この図をみると振動数の大きい2音から発生した差音はもとの2音に比べると
ピークが低くかなりエネルギーが小さいように見えます。

一方、人の声は多くの場合2倍3倍などの低次倍音が強く
高次の倍音が強い人でも相対的にはやはり低次倍音の方が強いようです。
そういう意味では低次倍音の多くが高次倍音の差音から作られているような声は考えにくい気がします。

さらに言うと人の声はもともと声帯で発生した基音がもとですから
基本振動から一気に高次の振動だけにエネルギーが移ってしまうというのも不自然な気もします。
事実、声道の共鳴振動数は440Hz位からあるわけなので
この辺りの振動数をすっ飛ばしていきなり高次の振動だけが強まるということは起きにくいのでは。
63選曲してください:2012/08/04(土) 21:06:04.43 ID:gvg5dcHa
>>470-475
女声、男声、倍音とかのキーワードで検索していたときに面白い音源を見つけました。
博識なサブさんのことですから、すでにご存じかも知れませんが

http://www.youtube.com/watch?v=gdqjcW8u7Lw&feature=related
The MAGIC Of Bulgarian Voices & Music - Malka Moma / Little girl - LIVE ブルガリアンボイス

サブさんがこのスレで以前に紹介されている姫神の「神々の詩」にも影響を与えているようですね。
伝統的なクラシックの女声合唱とは違って地声のように倍音が多い歌声とか、
不協和音に特徴があるみたいです。
個人的には平原綾香より好きな声ですが、この彼女が日本語を歌ったらやっぱり駄目なんでしょうか?

黒海を挟んだ対面のグルジアにも同様な多声音楽があってこちらは存続の危機にあるとか。
多種類の文化の交わる地域には興味深いものがありますね。

>>480
起こっていないかもしれない、という可能性も考えたからこそ論拠を探したのです。
体感的には多くの人が胸部が響く事を体験しているわけですし、
これ以上のことを議論するならそれこそTitze(1983)の論文あたり詳しく吟味するしかないのでは?

482 :選曲してください:2012/03/08(木) 02:26:53.77 ID:2xANLLvF
ちょっといいですか?
声が出る仕組みは肺から送られた空気が声帯に届き、
ベルヌーイ効果によって開閉されて声に変換されるわけですよね。
http://structure.nuae.nagoya-u.ac.jp/old/research/bio/bio_simu-j.htm

だとしたら声帯から生まれた音波は喉から上の共鳴腔で共鳴されるのだと思うのですが。
また、胸や頭に感じる「振動」と、気体の伝播「共鳴」をごっちゃにされてはいませんか?
ふと思ったので書きこんでみました。
64選曲してください:2012/08/04(土) 21:31:06.51 ID:gvg5dcHa
おじゃまします
倍音が豊富な歌声を聴くと、基音のオクターブ上とその完全5度上の倍音(つまり第2、第3倍音)と、
あとはかなり上の方の超音波に近いような倍音の二通りの音域で特に強く鳴っているのが感じられる事が多いと思います
そこで低次倍音についての全く新しい考察なんですが、低次倍音(第2、第3倍音あたり)とは、もしかすると高次倍音の【差音】の影響を
色濃く受けているために特に強く鳴っているように聴こえるとは考えられないでしょうか?
差音はご存じの通り、高さが近く大きさも同じくらいの二つの音があった場合、その周波数の差に相当する高さの音が人間の耳には幻聴として聴こえる
というものですが、最近の研究では差音をセンサーが感知したという話もあり、必ずしも幻聴とは言えないようです
そして差音は倍音同士でも起こることが判っています
ただしそれは二つの音源から発された倍音の場合であって、一つの音源が発する異なる周波数の倍音同士の間でも差音現象が起こるのかは不明です
もしそれが起こるのであれば、低次倍音が豊かに聴こえる声は実は高次倍音が豊かでそのために起こる差音現象によって
低次倍音が増幅されているのではないかという仮説は成り立ちませんでしょうか?
倍音はすべて基音の周波数の整数倍ですから、第n倍音と第n+1倍音の差音は基音に等しく、第n倍音と第n+2倍音の差音は第2倍音、
第n倍音と第n+3倍音の差音は第3倍音に等しい訳です
二つの音の高さがあまり違い過ぎると差音現象は起こりませんので、想定できるのはこの辺りまでかもしれません
つまり低次倍音の豊かな歌声は、低次倍音そのものがダイレクトに豊かな場合と、差音現象が起こりやすいような音量バランスのとれた高次倍音が豊かな歌声
の二通りがあり得るのでは?ということですが如何でしょうか?
65選曲してください:2012/08/04(土) 21:45:49.74 ID:gvg5dcHa
こんばんは。いつもいつも丁寧にレスをして頂いてありがとうございます。

>いやはや季節の変わり目は体調崩しやすい…やっぱり風邪ひいちゃいました^^;
そろそろ花粉の舞う時期になってきて憂鬱です。
私、後鼻漏という鼻水が喉に落ちて痰になる不愉快な病気が治らないのでこの時期が特に嫌です。
ボイトレできない。

>専門の方とはつゆ知らず… 出しゃばった真似をしてしまいました^^;
理論物理なんてヤクザなものに時間を浪費して食いっぱぐれた口です。
落ちこぼれなので専門家じゃありません。
学問なんて結構いい加減なもんだなあと実感できたことが最大の財産だと思ってます。
音や発声と直接には関係ないし、全然専門じゃありませんよ。
むしろ学生時代に音響工学をかじられたサブさんの方が専門に近いのでは…。
学生時代に私がかじったものなんていったら、うーん何だろ。弾性波動論とか少しは関係あるかな。
いや結局P波やらS波やら地震でおなじみのが出てきて終わるんですけどね。あと流体力学かな。
かじったと言えば古生物学なんかもかじりました。
古生物学はあの当時ノート提出だけで単位もらえたんですよ。牧歌的な時代だった。

>学生のときモデリング実験をしたことがありまして、
>その時に発生予測と結果との照合や想定外の結果でてんやわんやした記憶がありますw
そう、実験が扱うのは現実。現実はいつも複雑でしょっちゅう想定外。
シミュレーションではモデルに想定されてないことは起こらないんですよね。
逆にモデルやデータがまずいと全く非現実的な現象が発生したりもする。
だから世間の人がこれはコンピュータシミュレーションだから間違いないんだ、みたいな論調に
はめられていると全力で反論したくなるw

ちょっと話がそれました。
66選曲してください:2012/08/05(日) 00:09:29.88 ID:AZaZqHLL
気付けば半月以上放置!!
そろそろ書かないと始める前から飽きたと思われてそう^^;
ぶっちゃけ未だに何から書くか迷ってますが・・・
さすがにこれ以上放置はまずいんで、導入部だけは済ませます。

52 :サブ:2010/04/02(金) 01:09:35 ID:a+zm02fD
遅くなりましたが、改めまして乗っ取らせて頂きます!感謝感謝m( _ _ )m
そしていきなり始める前から何ですが、正直なところ独り言のように発声の技術論を書き綴りたいだけだったり・・・w
そんな身勝手な願望ゆえ思案していたところ、大変助かります。
過疎&隔離スレ化は願ったり叶ったり、他に迷惑がかからないよう日陰でコッソリsage進行でやっていきます。
さて、これから書いていきたい内容は、、、

━━━━━【 たぶんこんなこと書きます 】━━━━━━
 1.なるべく感覚的表現を排除した理詰めの発声分析
 2.日本語発声の特徴と、それが歌唱に及ぼす影響
 3.必要に応じて用語の“自己解釈”による解説
 4.雑記・その他
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

とまぁこんな感じです。
小難しく感じられるかもしれませんが、これから書くことはもっとしっちゃかめっちゃかです(;゚д゚)
歌の上達を半ば諦め、代わりに発声の考察へ走り始めた人間の妄言駄文だと思っていただければ幸いです。
67選曲してください:2012/08/05(日) 00:10:04.33 ID:AZaZqHLL
◆ プロローグ U ◆

《 疑 問 @ 》
まず最初に、どうにも腑に落ちないのが、「声楽の曖昧さ加減」です。
ボイトレ本でも声楽本でも、あるいはそれらに関するサイトでも、読んだことある人だったらわかると思いますが、
発声練習って相当なウェイトで感覚に頼った書き方されてますよね?
例えば、「腹から声を出す」 「声を支える」 「額に声を当てる」・・・他にも数え切れないくらいあると思います。
これらの感覚論が万人共通だと思いますか?まさか、そんなこと有り得ませんよね。
人の感覚なんて千差万別、そんな書き方されても頭に疑問符浮かべる人も多いはずです。


《 疑 問 A 》
次に、「声楽が西洋に端を発し、多くの練習法もそれに付随している」ことです。
近代以降に開発されたボイトレ法だって、根本で繋がってる場合が多いように見受けます。
皆さんはどこかで、「日本人の発声では歌に不向き」ってのを聞いたor見たことないでしょうか?
発声の特徴は言語によってかなり異なります。
悲しいかな、日本人の発声=日本語発声が歌に向いていないのは事実です。
にもかかわらず自分の中の日本語発声ベースを無視して、西洋発信の練習法をそのまま使うことが可能だと思いますか?
歌には適さないといわれる日本語発声のまま練習してしまう危険性はないと言い切れますか?
自分は大丈夫・・・そんなふうに考えていた時期が 俺にもありました (AA略
68選曲してください:2012/08/05(日) 00:17:14.62 ID:Z0LkxdOY
言語と脳

欧州の人たちと日本の人たちの脳ではある面白い違いがある
それは音の感じ方 (ここから先は欧州の人たちを(欧)、日本の人たちを(日)とする)

響かない日本の家屋でも楽器は発展していった 尺八・琵琶などの現在では伝統楽器といわれる類の楽器である
この楽器を(欧)に聞かせると(欧)の脳は音楽として処理する しかし(日)に聞かせると(日)の脳は言語として処理するのである
日本の伝統楽器は響かない環境で伝えるためにより「声に近づける」という選択をした 欧州の楽器とは根本的にここが違っていた
欧州の楽器は(欧)にとっても(日)にとっても楽器だが 日本の伝統楽器はそうではないのだ

ほかにも(日)は小川のせせらぎや小鳥のさえずり、木々のざわめき等の環境音も言語として処理をする 当然(欧)は音として処理する

これらは日本語の母音を主にした言語に関係しているといわれている
母音のような音には特別な感情のようなものを(日)は受け取るのである 夏の風物詩の風鈴は(日)にとっては風流でも(欧)にとっては雑音でしかないのだ 悲しい話である

このように(日)にとって音は言葉でもあるのだ
逆に(欧)にとっては音は音、言葉は言葉といったしっかりとした区分けがある
(欧)の歌は言葉よりも音の意味合いが強い (欧)は声を楽器にすることを選択した
よく響きより響き、音としての質の高さを目指した 周りの硬い物が響きを助けてくれたのでその方向性にもうなずける
(日)の歌は言葉であった 楽器ですら声言葉に近づけようとするのだから (日)にとっての音のメッセージ性は相当なものである
69選曲してください:2012/08/05(日) 00:19:42.89 ID:Z0LkxdOY
欧州の歌・日本の歌

これらのような環境と言語の違いにより 欧州と日本の歌の進む道は大きく変わってしまった
日本は人々の心に訴えかける感情と言葉を重視した歌 欧州はより響かせるためにテクニックや技術を開発し楽器としての音を重視した歌
ただ日本の歌に技術がないわけではない 人の心を掴むための技術が感覚で伝承されていったのだ

それゆえ感情論や根性論が蔓延りやすい事態にもなるのだが・・・
しかし色々と混ざってしまった現在ではテクニックとして感情表現もある この辺は進歩と言ってはいいのではないか
ただその反面 日本人は音に感情を感じにくくなっているようだ 技術により感性が縮んでいくのは避けられないことなのだろうか

まあとりあえず、根っこにはこのような違いがある 音としての歌が好きか言葉としての歌が好きか
そんなことは目玉焼きにソースをかけるか醤油をかけるかくらいに些細なことなのだ
欧州にしろ日本にしろ音は楽しむものに変わりはない
自分が好きな歌手の歌を聞き、自分が好きな歌い方を目指す 思うが侭に楽しむ 好きな食べ方をすればいい
これこそが誰にとっても正しい歌であり音なのだ 書きたいのに書けないこともあって少し説得力にかけるけど
こういうのもあるのか と思ってくれたら嬉しいかな 信用できなかったら忘れてください
70選曲してください:2012/08/05(日) 00:22:13.14 ID:Z0LkxdOY
ほぼ快復。ずいぶんかかりました・・・トホホ 過疎ですかね、、前より下がる速度が遅く感じます。
こんなんじゃ奥底まで下降するのに幾許かかるものやら。。 あ、そんなことより、遅ればせながらレスさせて頂きます。


>>18
話の前に、今まで書いてきた中で、フォルマントに関連するものは下記3つです。
・『発声概論』(>>59-60)
・『言語発声の特徴と言語差』(>>112-114)
・『歌声における言語発声と歌唱発声の相関関係』(>>133-140)

また、フォルマントの説明と、それと切り離せない母音の解説です。
http://www.oki.com/jp/rd/ss/speech.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%88
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E9%9F%B3

書き忘れていましたが、フォルマントは共鳴腔(声道)の操作によって形成され、
逆に声帯原音はそれほど大差ないので、声帯の使い方はあまり関係ないと考えられます。
さて、私がフォルマントをどう考えているかについて。 フォルマントやその形成過程等の説明は上記参照サイトにまかせるとして、
私はフォルマントそのものより、それによって生じる事象に着目しています。 大きく分けて2つ、順を追って説明していきましょう。

まず第1に、>>113で書いた「言語差=言語発声の差=発声器官の使い方の差」があります。
これは言語を、「頭の中で文章を構築する=内言語」と、「それを声に出す=外言語」に分けたうちの、
外言語に相当する部分に着目したものです。
そして「発声器官のある1つの言語発声への特化」とは、この外言語の1言語(母語)への偏重によって、
共鳴腔(声道)が変形してしまうことを意味します。(cf. >>73
71選曲してください:2012/08/05(日) 00:23:29.68 ID:Z0LkxdOY
共鳴腔も同じで、ずっと日本語を話していると、
日本語の5母音を発声しやすいように、共鳴腔の形状そのものが変形していくんです。
それが言語間の差となって母語以外の言語を発声するときも現れ、
あるが果てに歌うときにまで顔をのぞかせます。(cf.>>112-114 >>133-140)

第2に『歌声における言語発声と歌唱発声の相関関係』(>>133-140) のジレンマ解消法で書いたこと。
これは米山文明先生の著書『声と日本人』にも書かれていたことです。

共鳴腔(声道)は各母音のフォルマント形成に多大なる役割を果たします。
また、共鳴腔は広がることで声量確保、高次フォルマントの集約等にも貢献します。
歌う時には、この2つの動作を同時に行わなければなりません。
しかしながら、この2つはトレードオフの関係で、完璧に両立させることは不可能です。
同じく、歌うときは話すときより格段の声帯調節が行われ、それが共鳴腔の形状にも制約をつけます。
すなわち、母音を明瞭に発声するための共鳴腔の形状にはなりにくい場合が多々あるわけです。
以上のように、歌うことは母音フォルマント形成の阻害要因を多く含みます。

歌う際に言葉の明瞭度よりも音高や音色にウェイトをおくならば、フォルマントは多少変移させて対応すべきでしょう。
下の図を見てください。
http://www.oki.com/jp/rd/ss/img/speech_fig_position.gif
各母音の範囲(破線内部)ならば、縁にいけば明瞭度は下がるものの、その母音に聞こえるはずです。
注目してもらいたいのは、「/e/と/u/」、「/a/と/o/」が重なっていることです。
この重複する範囲では、どちらの母音にもとれる音が出ています。
声を言葉として捉えた際、これでは明瞭度もクソもなくてよろしくない発声でしょうが、
しかしながら歌う際にはこういった縁までレンジをもつ意識をしてもよいと思います。
実際、発声練習の中には、「ア」のような「オ」、「オ」のような「ウ」、「エ」のような「イ」みたいに、
母音を崩してでも響きや音色を保持させるものもあるくらいです。
72選曲してください:2012/08/05(日) 00:24:57.11 ID:Z0LkxdOY
感想レスで、「何言ってるかわかんない」とか「言葉が聞き取れない」と書かれることがありますよね?
これは自分ではオッケーかなぁと思いながら歌ったものが、人によっては許容範囲を超えていた例です。
もし自分でいいと思うなら直す必要はないし、より言葉としてのウェイトを重んじるなら修正すべきでしょう。
いずれにせよ、判断は自分に委ねられているわけですから、それぞれの度合いを考えることは大切です。
長くなりましたが、以上で説明を終わります。

余談ですが、サザンの桑田佳祐はわざと日本語の発声を崩して歌っているそうです。
度数の高い酒を飲んで大音量のスピーカーの前で歌って喉を潰したって逸話もあるくらいですから、
音としての声、発声に対しては並々ならぬ思いがあるのかもしれません。
また、小室哲哉は作詞の時点から日本語の音節や文法を崩して音に対応させています。
人によっては2人のやり方は日本語を蔑にしていると言いますが、私は面白い試みだと思います。
逆に、山崎まさよしは日本語の発声を綺麗に残したまま歌っていると思います。
彼のようにはっきりと聞き取りやすい発声で歌うのは難しいです。

全く違うスタイルが全く違った良さを出す・・・これは非常に興味深い点です。
歌う時も聴く時も、はたまた見る時までも、そういった違いを感じることができたら、きっと楽しさが増します。

>>18
う〜ん、、『ボイトレで注意・危惧すべき点』(>>144-146) にも書きましたが、人それぞれ合ったものが違うし、
目指す発声像も違うので、簡単に善し悪しってわけにはいかないんですよね・・・
ただ、いろいろ読んで思うのは、やっぱりプロローグ V(>>55)に書いたことでしょうか。
初歩的なところだと思って軽く流しちゃってたり、あるいは書いてなかったり。。
本のターゲットがズブの素人なのに、初歩を飛ばすとはこれ何ぞや?って本が多いです。
あと、正直どの本にも突けそうな点はあります。 たとえば亀渕友香のある本には、図がとんでもないのがありましたね^^;
でも、それをもって「この本は駄目だ」って決めつけちゃったらもったいない。
一葉目を蔽えば泰山を見ず、、ではないですが、どの本にも良いところ悪いところはあります。
73選曲してください:2012/08/05(日) 00:26:32.27 ID:Z0LkxdOY
言語処理の違いによる音楽の発展の違いは、伝承にも違いを成したと考えられます。

西洋では中世以前から採譜によって音楽が保存され、それを広める役割を果たしました。
現在記譜法として世界中で用いられている五線譜もヨーロッパ発祥です。
もちろん感情やその表現法まで記載するには限界があったでしょうが、
普遍的な音としての側面を記録し、それを再現する方法が確立されたのです。

いっぽう日本では、記譜法はあったものの、やはり口頭伝承(口承)が重んじられました。
いや、口承はおろか、教わるのではなく盗めと言われるように、
師弟関係の中にあっても直接教えを乞うより、師匠の技を観て感じて自分でつかむことが多かったはずです。
こうすることで譜面には書き表せないメッセージ性=感情表現が伝承されました。
「感覚で伝承されていった」とは、つまりこういうことですよね?
口承は日本の伝統音楽の保存・継承には不可欠ですが、 それがゆえに廃絶してしまったものも多かったようです。

>>20
簡単に要約するのが一番難しいんです・・・ かといって私の言おうとしてることが難しいかというと、、
「彼らはつまらないことをわずかしか考えていないのに、
 はるかに深遠なことをはるかに多量に思索したかのように見せようとして懸命である。
 したがって彼らはその主張を表現しようとして、不自然、難解な言い回しや新造語を、
 だらだらとした文章、堂々巡りを重ねた挙げ句、何を考えているのかを不明にする複雑な複合文章を使う。
 つまり彼らは自分たちの考えている同じ一つの思想を伝達しようとする努力と、
 隠蔽しようとする努力との間をさまよっているのである。 」
                                              ― Arthur Schopenhauer ―
まぁ耳が痛い('A`)
なるべく順序立てて書いてきたつもりなんで、 わからなければ遡って読んでいただければ幸いです。
74選曲してください:2012/08/05(日) 00:29:23.16 ID:Z0LkxdOY
>>21
いろいろ思うところがあって、>>185へのレスが後回しになってしまいましたm(_ _)m
ySSaUgidさんが書いてくれたこと(>>190-194)、それに対する私のレス(>>201-204)は、
ややこじつけがましいですが、科学が持ち込まれていないように錯覚する理由の1つでもあります。
つまり、音楽を考えだすと分野が際限なく広がっちゃって、それぞれに科学的見解が編み出されても、
総合すると情報が膨大になりすぎて説明つかなくなっちゃうんです。

実は1つ1つの分野では結構研究が進んでて、ある種の答えが出ていることだって多いです。
自分の出したい答えがどの分野の切り口で導出されるのか、その合目的性も大切になってきます。
ただ、もっと統合的な、音楽はこれだ!って解を求めたくなるのは人間の性(さが)なのかもしれません^^;

また、音楽には芸術性があることも、ことをややこしくする要因でしょうね。
よく桶板では「張り上げはダメ」とか「喉絞めはダメ」とか言いますけども、それは効率論なだけであって、
別にそれで歌えるし、曲によってはその歌い方だから良さが出るものもあるかもしれません。
単純一義的な効率化で済まされないところに、音楽の面白さがあると思うんです。
あぁ、何か今回も収拾つかなくなりそうなんで、この辺で切り上げます^^; さて、また自然沈潜を待ちますw

久しぶりに筋トレしたら肩が急性滑液包炎になりました。 なかなか痛みが引きません('A`)
今更ですが、直近のやつはトピックにまとめた方が良かったんでしょうか・・・
とりあえず小休止だけでも置いておこうかな。 個人的にはすごく好きな分野だったりします。

Paco de Lucia y Camaron de la Isla - Bulerias
http://www.youtube.com/watch?v=gm8FYF96BXE

Duquende - Bulerias
http://www.youtube.com/watch?v=6N4PMnAAoX8

上:フラメンコ、すごく好きなのに あんま知りません(´・ω・)
  そんな無知な私の中ではカンタオール=カマロン。夭折してしまったのが惜しいです。
下:初めて聴いたとき、カマロンそっくりだ!!って衝撃でした。
  この声はもはや天性です。憧憬はとっくに捨て去りました。
75選曲してください:2012/08/05(日) 00:33:01.76 ID:Z0LkxdOY
女っぽい声を出すには:お手軽編
例1・素人 (ニコニコですまないが)男が女声を出す方法・声真似のやり方
http://www.nicovideo.jp/watch/nm4444778

まあこのレベルまでいければ女声出せるって言ってもいいのかもしれない
正直録音すると「ああ」レベルだが同じ空間で喋られると「おお」となるだろう

○地声は高い方が望ましい
声帯が短めの方が当然いいし最低でも中音域は欲しい 低音域の人は諦めましょう
あと裏声の女声は倍音が少なくなってどうやってもそれっぽくはならないのでその方向も諦めましょう
○喉仏を上げる
これによって低周波の音が比較的カットができる
○鼻にかける
上のはきれいな鼻腔共鳴というには程遠いが仕方がない 現実の女でこのくらい露骨に鼻にかけるぶりっ子はざらにいる
同じ空間だと大して気にならないが録音するとドン引きレベルなので注意 萌え系の声を出すときには必須
○息を漏らす
息を吐くと高音域の周波数を多く含んだ音が出る これを女の声の高さの再現に利用していると思われる
とりあえずこのくらい あとは練習つつ探ってみよう カラオケ時のネタレベルにはぜんぜんなると思う

女っぽい声を出すには:本格編
例2・声優 (ニコn(ry)1人7役
http://www.nicovideo.jp/watch/sm662421
さすがのプロ 笑ってしまうくらい次元が違う ここでもっとも重要な事
彼は地声は高いが女声を出すときに別に高い音を出しているわけではないということ なのになぜそれっぽく聞こえるか
それはお手軽編で述べた事を理屈は分からずとも高レベルでやれてしまっているから
これは声優としての発声の良さがすべての底上げをしてくれているからで一般人にはかなり難しい
さらに役者としての女性の喋りのニュアンスの表現力がいっそう違和感のないものにしている
紹介しといてなんだが参考にするのはやめた方がいい
基礎がない素人が真似したところでひどいものが出来上がるのは目に見えている
76選曲してください:2012/08/05(日) 02:17:21.02 ID:Z0LkxdOY
新しい機種が出ることによってもっと音源を良くしてほしいと思ってる
なるべく原曲に近い再現で作ってほしい、音質ももっと上げて欲しい。
本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。
でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。
機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。
匠的な有能な音源技師や職人を沢山雇って良いカラオケ音源を沢山入れてほしいと思うわー。
あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか
ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが)
そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ
ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。
2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。
再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。
良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい
古い曲で糞音源なのは捨てて、新しく音を綺麗に作り直したのを入れて欲しい。
今回は言語発声の差の要因になる生活環境の違いとかについて、あえて書きませんでした。
それはあくまで原因。説明したかったのはその結果生まれた差だからです。 あとは長くなりすぎて切らざるを得なかったから^ ^;
参照できるようにそれに関するサイトを探してみたんですが・・・ 見つからなかった orz
少なくとも以下の本では紹介されてたはずなんで、興味のある方は読んでみて下さい。
『声と日本人』(著:米山文明  出版社:平凡社)
『美しい日本語を歌う - 心を伝える日本語唱法』(著:大賀寛  出版社:カワイ出版)
『「医師」と「声楽家」が解き明かす発声のメカニズム - いまの発声法であなたののどは大丈夫ですか』
(著:萩野仁志、後野仁彦  出版社:音楽之友社)
77選曲してください:2012/08/05(日) 02:18:47.22 ID:Z0LkxdOY
>>91に書いた『日本語発声の微妙なラインと、日本語歌詞との関連性』について書いている途中なんですが、、
如何せんまだ体調悪くて気力出ない上にアウトプットも作文も不得手なんで、まとまる気配がありません orz
一応書きたいことを箇条書きにすると、、

@ 歌(声)に対する上手下手・好き嫌いについて。
A 『歌声と話し声の違い』(>>69-73)に書いた‘歌声’を‘歌唱発声’、‘話し声’を‘言語発声’として、
  言語発声のさらなる特徴と、ポップミュージックに使われる歌声について言及する。
B ボイトレで注意・危惧すべき点。

ってな感じで、順不同になるかもしれませんが繋がっていきます。
AとBはフリーさんの前スレで書いたことに加筆する感じで、
まずは平原綾香はじめとする、私の好き嫌いを引き合いに出して@を書いていくつもりです。

あ、そうだ、、もしお暇があればセシル・コルベルが日本語で歌っている時の声と、平原綾香の声を聞き比べてみて下さい。
私の中では結構共通点が多いと思うんですが…
汲み取ってもらいたいことは、ずばりセシル・コルベルの日本語発声時の違和感です。
たぶん、外国人が日本語歌詞の曲歌ってるな〜 と感じるはずです。
ここんとこが平原綾香が歌う日本語歌詞に対する違和感にも繋がっていくわけでして、、
ただしこれは>>96の@に直結するので、あくまで私の主観的なもので万人共通ではありません。

先に言っちゃうと、私が平原綾香大嫌いなのは曲に対して声⇒発声・発音が全く合ってないと感じるからです。
あとは大好きだった惑星の木星に歌詞付けるばかりか、その声で歌われたことが許せなかったからです。
もし歌うにしても、クラシック曲という先入観、曲の雄大さに合致するように歌ってもらいたかった・・・
できればドラマティコ、あるいはリリコのように。
逆に今回の発見から、その声に合う曲なら、あるいは私の嫌悪感をも払拭するほど素敵な声なのかとも思います。

感想をつけるってのがこのスレで重要部だからな 前レスから持ってこんと書けん
んでうpばかりするから 微妙スレが1000いくなんて稀 700代までいったの久しぶりに見た
78選曲してください:2012/08/05(日) 02:21:00.82 ID:Z0LkxdOY
>>68
他人の名を騙って貶めることに恥ずかしさを感じないというのは、羨ましいな
まあそれでスレが埋まる手伝いになるのなら良いだろうが
念のため、最終的な方向性を提示しておく
まずはここのスレを埋める。これは前々から言っていることだから敢えて言うことでもないな
その上で、立ってしまった56スレに移動する 向こうの55の住民も、使い切ればあちらへ移動するだろう
もし、まだ向こう側のスレが埋まっていない場合は向こうに移動し、使い切ってから56へ移動だ
56へ移動した段階でテンプレは正常なものを使用しているわけだから問題もないだろう

そのような意図しない言語発声の影響=歌唱への混入は、様々な場面で表面化してきます。
例えば日本語の「い段」なんて、私たち日本人が歌うときの障壁になっている顕著な例です。(cf. >>73)
普段私たちが話すときのイ段の発声は、舌がせり上がり口腔を狭め、
ほぼ引き上げ筋一辺倒で、声帯は大雑把な閉鎖のままです。(cf. >>42>>80)
これでは歌唱発声に限らず、種々の歌声に必要な共鳴効果、および共鳴に適した声帯原音(喉頭原音)は確保できません。
もしこの状態のまま歌声に使おうとすると、、声帯はその大雑把さを引きずったまま不均一で過度な緊張をし、
口腔をはじめとする共鳴腔は狭いまま、それを補うようにさらに声帯に負担をかける、負のスパイラルに陥ります。

ではそれの解消のため、発声器官をフル活用した発声法=歌唱発声でイ段を発声しようとすると・・・
声帯および周辺の筋肉は適度に弛緩した上で協調して閉鎖に参加し、共鳴腔確保のため舌根は下げ喉頭位置を低くしなければなりません。
その結果、日本語母音特有のフォルマント形成は阻害され、言語としては不明瞭で不自然に聞こえます。
意図しない言語発声の混入・・・しかもそれを取り除こうとすると言語として不自然になる・・・
「言語発声と歌唱発声は対立するもの」(>>73)を如実にあらわすジレンマですよね。
このジレンマから、重要なポイントがわかってきます!!
まず、なぜジレンマが発生するのか考えてみると・・・ 「音声を言語・言葉として認識するのか、楽器のような音と認識するのか」
という2つの処理の、どちらを優先するかの葛藤が起こっているためではないでしょうか?
79選曲してください:2012/08/05(日) 02:25:24.68 ID:Z0LkxdOY
発声法の研究って、感覚論の集約からスタートしたもんだから、
そこには推察の材料として感覚(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。
ある意味、感覚論から通底する生理現象へ進むのは自然な流れだと思います。

まずは未熟でもなんでもいいから、色々喋ることって大切ですよ!
実は単なる思い過ごしで、全然整理できてないのがわかったり・・・
あ、俺の言ってることはもちろんそっちだよ。例えば音響学的な切り口で発声方法を解明するにあたっては、帰納法的に導き出すでしょうし、
そこには推察の(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。
新しい機種が出ることによってもっと音源を良くしてほしいと思ってる
なるべく原曲に近い音質ももっと上げて欲しい。
本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。
でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。
機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。
あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか
ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが)
そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ
あからさまに音が悪いの多すぎる。

ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。
2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。
再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。
良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい
新しくしてやってくれって感じだ。 古い曲で糞音源なのは捨てて、新しく音を綺麗に作り直したのを入れて欲しい。
さて、そのような障壁を乗り越え、言葉のしがらみから脱した時、知識が新たな局面を迎えるんです。
80選曲してください:2012/08/05(日) 02:27:46.11 ID:Z0LkxdOY
歌う練習というのは、理論も大事だけど
一番大事なのは、声をセーブ、コントロールして 自由自在に操る事にある。
ノドがどうたらこうたら言っても、 歌ってる時は、その音楽性に没頭するのだから
いちいち声帯の操作を考える人はいないし、 プロでもいない。
理論を整理する知的な興味もわかるけど、 枝葉末節に拘泥するヒマがあったら、
小さい声でハミング的に、声の根源を探る努力を 重ねた方が時間を有効に使えるよ。

シンプルイズベスト。
こねくりまわした声は、ダメというより こねくりまわす必要がない、身体に眠ってる ミクロコスモスを解放する事が発声の究極の奥義。

さすれば、自分の音楽性は、泉のように 歌声となって湧き出るでしょう。
またスレ 増えました ね もう意味わかんないよね
きよそさん久しぶりです!もちろん本人ですよ! 酉は昔別スレで遊びで付けてたやつです。
なんかこれを機に換えちゃおうと思いまして。 まだ療養中で、普段の生活を滞りなくこなせる様に訓練しています。

そうそう。全然話がブッ飛ぶんですけど、スマホって設定難しいですね。
前のが事故で不具合起こったんで、交換してもらって自分で設定しなおしたんですが、
四苦八苦しながら何とかやっと使えるようになりました。
PCも色々困りながらこうやって打ったりしてつかっていることでリハビリになると前向きに考えてますw
いやはや、ご高齢の方や電子機器音痴の方の気持ちが初めてわかりました^^;
81選曲してください:2012/08/05(日) 02:29:38.26 ID:Z0LkxdOY
事故前にフリーさんが復活されて、嬉々として該当スレを拝読させてもらってました。
残念ながら今はそれを続ける余裕も音源を聴いたりできません。 これは本当に心残りでなりません。
ただの自己満足ではありましたが、きよそ君に何の力添えもできなくなったのも口惜しいです。

後ろ向きな発言はこの辺にして、、 また元通りになれるよう焦らず根気強く桶板眺めます!
その声でそつなく歌うのはできてると思われます あとは適度に作り声(キモ成分?)を入れてってキーをあげるとちょうどよいかと
別スレの隔離コテですが、ここにはお世話になっているので、レス残させてくださいm( _ _ )m 僕は両方あると思います!
まったくおっしゃる通り、「精神の表れとしての声」 (「歌」じゃなく「声」) と考える一面がある僕としては、
細かいフレーズに潜んでるそういうものの顕れが、聴いている人にメチャクチャ大きな力を持つ事は考えられると思います。

ただし、とっても心が澄んでいて気持ちの良い人が、すごく歌が下手だったりするし、逆に、歌が下手だから心が汚いのか、でもないし、
振付を守らなくちゃいけない細かいダンスを踊りながら歌う歌手の人が、100%心を入れながら歌っているとは思えない時もあるし、
さっきまで離婚会見をしてた歌手の人が、夜の歌番組で、夫婦の絆を笑顔ですごく上手に歌っているのもビックリしたし‥
また、ヒトツヒトツのフレーズをどう歌うか、細かく考えながら歌うことも、リスナーの人への配慮だと思います。
そこには、「精神の発露」と違った、「技術」的なものが絶対にあると思います。

ただし、そういった技術を、精神と結びつけるくらいのレベルは全然ありうると思います。俳優や女優のように、
演技の場になれば、その人格になりきる能力、そういったものでしょうか。 ただ、
>間違いなくうまいんだけど全く伝わってこない人っている。←確かに僕も感じる事はあります^^
82選曲してください:2012/08/05(日) 02:32:10.84 ID:Z0LkxdOY
で、若くして歌が上手く歌える人は、やはり、もともと歌を歌うためのスキルや技術が、
何かしらのアドバンテージで見についている人だと思います。
突っ込んで言えば、そのアドバンテージに頼って歌いすぎていると、感情が伝わらなかったりするんだったり‥?
逆に言えば、感情表現を旨として歌っている僕らパンピーにはチャンスだったり??
上記のような上手いスキルの人と自分が、どういう技術的な差があるのか観察して考えて少しずつクリアして行く事で、

サブさんがまとめてらっしゃる内容は、そういった人達にとても有意義なものだと思っています。
僕の考察も少しだけでもお役に立ててるようでしたら、本当に幸いです( ^ ^)

みなさんのお心遣いに感謝いたしますm(_ _)m
今は退院もうして自宅で療養を送りながら、日々いろんなところに出かけるよう心がけております。
じゃないとふさぎがちになって精神的なストレスで死にそうになるんで…w
昨日は近くのお寺に参って、以前のように脳が働くように文殊菩薩様に手を合わせてきました。
今度の受診で脳機能障害の検査があるのでgkbrです^^;

歌が心か技術かのお話は、前にも書いたので割愛させてもらうとして、
今の私が思うに、それらは大袈裟にいえば比翼の鳥・連理の枝のようなものなんじゃないかと思います。
どちらかが掛けていると成り立たないわけじゃないんだけど、どこか物足りなさというか、
不自然さ(違和感)とかにつながるんじゃないかと思うんです。
竹中直人が笑顔で怒った声を出すって芸は、それが意外性があって受けるんだと思うんです。わかりにくい?
迫真とか、伝わりやすさの対極だからこそ、逆に面白いと感じるんです。 う〜ん、、頭が回らないなぁ、、閃きが無いし繋がらない。。

私は以前技術にばかり傾倒して、好みは?と言われれば、「ハスキーっぽい声なら何でもおk」って感じでした。
そんな時よく聴いていたのがTrijntje Oosterhuis(Traincha)でした。 彼女の声はやや擦れていて、それでいてすごく丁寧な歌い方をするんです。
自分の個性・色を前面に出してアレンジメントしようとはせず、譜面に合うように桶と調和するように歌うんです。
それがたまらなく心地よくて、一時期聴きまくってました。
83選曲してください:2012/08/05(日) 02:34:31.91 ID:Z0LkxdOY
今ももちろん好きなんですが、ある時を境にふと“心”って何ぞやと思うようになって、ちょっと聞く回数が減り始めたんです。
心…言い換えれば個性なのかもしれません。
丁寧に丁寧に歌ってるのは伝わったから、貴女の個性も聴かせてよ!って思ったわけです。
>>250さんが仰るように、伝える技術というものはあるはずだし、 それが技術全体の中の一部を形作っていることは間違いありません。
丁寧に歌唱技術優先で歌うことによって、感情表現が抑えられることもあるでしょう。
同じく、技術を落とすことによって心を披瀝することだって可能なんじゃないか?そう思います。
フリーさんが「ピエロ声」とおっしゃるのも、それだからこそ伝わりやすい相手がいるわけで。
まだ技術と感情表現の直接的なつながりは解明されていませんが、それが無意識にできる人は‘伝わる人’、
それが不得手だけど歌唱技術がある人は‘丁寧な歌い手’みたいな評価になるんだと思います。

ごめんなさい、、全然まとまった意見にならなかった。。 もっと訓練しますm(_ _)m
せっかくなんで、Trijntje Oosterhuisと同時期に聴きまくっていたアーティストをもう1人紹介しておきます。
これぞ個性なんじゃね!?ってくらい歌い方から声から独特で、聞く人を選ぶかもしれません。

Mario Biondi / Close to You
http://www.youtube.com/watch?v=KcXAbs3EXDs

人間って、同じことを繰り返すと癖になる。 技術を何度もつかうことで、心の奥にと蓄積されていってるんだ。
そのうち無意識でその技術を使い出すようになる。より深い心へと蓄積されて行くんだ。

その深いところから出てきてしまうのが癖という奴だが。 癖を直そうとすると、それが容易でないことはわかる。
技術偏重で覚えた癖は、その最初に覚えた段階まで戻らないと修正が効かない。だから下手なことは教えられないんだ。
基礎を早い時期にうまく固めた人が伸びるのは、技術ばかりか癖をひとつの技として使いこなせるる。
言い換えれば、蓄積される器が大きいということ。
84選曲してください:2012/08/05(日) 04:28:41.01 ID:Z0LkxdOY
ここって微妙スレだよな、なんでこんな誰得長文垂れ流してるんだ?
アンカからして別スレから引っ張ってきたのかしらんが邪魔だし、 無転だったらそっちにも迷惑かかるんだから止めろよ。

確かに、、初めて来たんだがカオスなスレだな ここ埋めるより諸悪の根源上位スレ埋めようぜ! ちょっと言ってることがよく分からんかもだけど、
おいら地声の音域が狭いんだがキャラクターが明るくてなんかどんな曲もしっくりこないんだけど同じような人はいるのかえ?
ピッチは割とましだと思うんだけど録音聞いてもパッとしないんだよなぁ

音源聞いてみないとなんとも言えないが、低くて狭いのか、高くて狭いのか にもよるんじゃないか?
後者なら選曲によっては歌いやすいのも見つけやすい気がする。
本来、うpスレだから若干スレチだと思うけど上手く機能してない みたいだから大目に見てくれ。
具体的にはオク下でしかほとんどのアニソンやらポップス歌えないんだけど
倍音とかの関係でキャラクター的には明るいと友人からいわれるんです。 タイトルsaekiになってるけど間違いです><
85選曲してください:2012/08/05(日) 04:31:02.74 ID:Z0LkxdOY
>>20-25を読んでいて、ふと前に読んだ漫画のことを思い出しました。
バガボンドで武蔵が子供の頃に自由に剣を振れていたときの回顧と、今の自分にまとわりついたもの。
「あのころはもっと自由だった…」と、それらをぬぐい去るためまた瞑想する。。。
あのシーンが歌にも重なった記憶が甦りました。

ピアノの森で選考に落ちたアダムスキと雨宮がトイレで話すところもそう。 「ピアノは子供でも音が出る。表現するのは君自身だ。」
アダムスキの言葉は、技術が表現の手助けにならんことを示唆しているように聞こえました。

まだ私自身も確たる表現はおろか、頭の中をグルグル形を成しえないまま浮遊するだけですが、
何かその一片でも伝われば幸いです。
体は元通りになりつつあるんだけど、頭の感覚というんですかね…あれがどうにも。。
もし後遺症とかあったら事故前には決して戻れないってことだし。
って、それを防ぐためにリハビリやってんだから、前向きな思考でやらないと^^;

ベスさんには行く行く詐欺みたいにしていつまでもオフできず申し訳ないm(_ _)m
でもベスさんの生歌を間近で聞きたいと思う心は本当なんですよ。 これだけは信じて下さい!
きよそ君のスレちらっとのぞいたら、かなり面白い所まで思考が踏み込んでますね。
アンザッツとかはまだ導入的であって、普段の歌唱はそれらが複合的に作用していると感じるようになるはずです。
練習の際はわざと1つを切り離すように誇張させて練習していると考えてもイイです。 その調子です。

伝わりにくいので感覚的表現が嫌いなんですが、あえて1つ書き残しておこうかな…
喉仏付近のある高さに地面と平行な面が境界のようにあって、それより上だとファルセット、
教会に近いと喉締めみたいな声、下に行けばヘッドってな感じで、私の中では結構明確に分けられてるんです。

人の声を聴いていて、何か声が上過ぎて腹と繋がってないなぁとか思うのは、
やっぱり喉の中の筋肉の使い方が、腹の方の筋肉まで連携しているせいなのかと思います。
ここいらへんの体の相関図さえ頭に描けていれば、、バラバラになっちゃいました…
86選曲してください:2012/08/05(日) 04:33:09.72 ID:Z0LkxdOY
歌の心とはなんでしょうか。

詩には心が込められています。 メロディにも意味があります。詩を引き立てるんです。
歌に心があるかどうかは、込められた詩を生かすか殺すかに尽きます。
必ずしも音程の正確さじゃありません。 必ずしも発声の技術じゃありません。
究極、歌が生きているか死んでいるかしかないのです。
生きている歌は、良い歌です。 死んでいる歌は 悪い歌です。

私も歌自体に心があると思います。
そしてそれを生かすための表現力≒歌唱技術なんだと思います。 もっと正確に言い表せば、表現力は歌唱技術の一部です。
だからこそ“必ずしも”音程や発声技術が必要ないこともあれば、必要な場合だってあるんです。
個人的には、それらがあった方が歌が生きることが多いと思います。
ただしそれはあくまでさじ加減のお話で、 正確過ぎても逆に不正確過ぎてもうまく伝わらない。
表現が難しいのか、歌自体が難しいのか。。 まるでラビリンスを旅してるみたいですね^^;

さじ加減を、自分で考えてばかりいるからラビリンスになるんじゃないか?
チャーハンつくるときに、塩加減はどう考える? こってりがいい?あっさりがいい?
さて、どっちが上手い? 
そんなの、その日の気温や食う人間の体調次第ってこった。 塩の振り方が技術であって、塩の量が技術なんじゃないよな。
こういうときこう振れば、このくらいの味になる。としか覚えられんぞ。 それとも塩の分量に計算式があって秤で計るか?ちがうよな。

だから、さじ加減は、聞く人にお任せすればいい。
失敗したら、次やり直せばいい。早い話経験をつめということ。 客の顔色でさじ加減決めてきゃいい。
87選曲してください:2012/08/05(日) 04:34:59.12 ID:Z0LkxdOY
さじ加減は、聞く人にお任せすればいい。
失敗したら、次やり直せばいい。早い話経験をつめということ。 客の顔色でさじ加減決めてきゃいい。
歌を歌うということは、アルバムを作ることじゃなくて、チャーハンを作ることから始まるんだよ。
すいません、昨日はかなり気分がズーンとしてて…かける状態じゃありませんでした。
ラビリンスは言いすぎたかな、、けっこうアバウトに、確かにそんな感じです。
自分で食べるチャーハンにまで厳密な匙加減は求めませんからね。 大体このくらいって感じの目分量でいっちゃいます。
その目分量に至ったとき、技術として使いこなせつように慣れたと言うんでしょうね。
歌も同じように、技術はあれど、使いこなせるかどうかの慣れの問題はあると思います。

同じく、自分以外に聴く人がいる場合、自分の好みとは別に考える必要があるでしょう。
自分はこうだけど、聴く人ならこっちの方が好みだろうな…とかね。
主観性と客観性が自分の中に存在して、両者の妥協点を見つけなければなりません。
まぁ、そこまで行き着くには、相当な技量を兼ね備えた人じゃないと無理なんですが^^;
チャーハンの塩の振り方だって、パラパラっと振るか、ダマをゴロって入れちゃうか、
それだけでも味の偏りとかで差が出ちゃうと思うんです。
細かいことですが、入門の先にはそのような無限階段が待っているんだと思います。
チャーハンを作れるようになったら、次は美味いチャーハンを目指すみたいに。
また話が袋小路に入りそうなんで、ここらで切り上げますが、
歌・歌い手・聴き手の間には緻密で繊細で、それでいて膨大な糸でつながっていると思います。

>>27-29
お気遣いありがとうございますm(_ _)m 大体ほとんどの人が気分で歌っちゃう派だと思います。
わざと不正確に歌うなんて、相当な手練れじゃないと踏み切れませんもん^^;
逆に、不正確に歌うってことをまた技術と考えるならどんなものか? ちょっと考えると…
グルーヴ感や走り・溜めといったテンポ操作や、フォール・しゃくりなどの語頭・語尾の装飾、
セント単位で上ずったり下回ったりetc このようなものがあてはまるでしょう。
すなわち、不正確に歌うもこれ技術。
88選曲してください:2012/08/05(日) 04:36:55.43 ID:Z0LkxdOY
まえどっかで私が書いたみたいに、まずは型をなぞるように正確さを求め、 そのあと我流を求めないと八方破れにしかならないということです。
「上手いんだけどつまらない」、その人しかない“もの”ってのが感じられない。
そう思われたなら、もう十分我流に突入していい次元だと思います。

>>40
お読み頂きありがとうございます!
文意が伝わっていれば嬉しいです。 私もフリーさんスレちょっとずつ読むようにしてます^^
やっぱり鯖落ちでしたか・・・私の体調と一緒で不安定なのかな?w
体はかなり元通りで、時々ふらつきがあるくらいなんですが、やはり頭ですね。。
集中直がガタ落ちしたし、思考力というか、やはり回転がどうにもならない気分です。
そのせいか、気分がものすごく落ち込む時があるので、精神ケアも並行しています。
これから脳波とかいろいろ検査が待っているので、精査していきたいと思います。
文殊菩薩様、どうか脳に障害(後遺症)がありませんように…
考えれば、まだ事故から2カ月経ってない段階ですし、焦りは禁物ですね。 お言葉に甘えて、無理せずゆっくり行きたいと思いますm(_ _)m

>>31
レコーディング風景とかがドキュメンタリーで放映されることがありますが、
あのとき何度も録り直してはつぎはぎを繰り返し、歌手や編曲家などの製作者全体で詰めていきます。
あれから考えるに、最初は歌手の思ったように歌わせてみる。
すなわち、かなりの部分を独自の感性と表現で歌うことにまかせてみてますよね。
その後に「ここはこうやった方がしっくりくる」 「ここはこっちのほうがカッコイイ」…とか言いながら、
歌手に意識的に歌い方を変えさせたりして、微調整を繰り返していくんです。 この録り直しの時点から、かなり意識し始めるんじゃないでしょうか?
自分色という名の“癖”っていうのかな、、その癖という名の感性から無意識に出ちゃう表現技法があって、
それをベースに、意識的な変化を織り交ぜていく作業がレコーディングだと思います。
89選曲してください:2012/08/05(日) 04:39:37.68 ID:Z0LkxdOY
私も素人ながらバンドやってた時、何度も音合わせで手を焼いた覚えがあります。
1人で弾いてる時、いわば無意識に独自の感性と表現にまかせっきりになってるときとは全然違うんですよ。
音量も自分の理想とは違う、テンポだって周りに気を配りまくり…正直まわりの音に神経尖らせてました^^;
ド下手だったからそんな次元ですが、上手けりゃまた別の壁があるんでしょう。

>>283
自分の中で奏でたものは、まさしく“心”と名付けるにふさわしいでしょうね…
それを表に出すとき、すなわち他者に伝えようとするとき、心では伝わりません。
 >歌唱力、歌唱技術はその心を表現するための道具。
同意します。この世にテレパシーで想いを伝えられる人は、、たぶんいませんからね^^;
何か意思を伝えようとすれば、言葉で言ったりボディランゲージしたりします。
あれと一緒で、歌うことも自分の中で奏でたもの、あるいはこう奏でたいと思った形を、
歌唱技法という表現技術を使って他者に伝える行為なんです。

言葉に稚拙?雄弁、文章に拙文?名分があるように、歌唱技術にもよく優劣が付けられます。
その技を磨いていけば、いつかは“巧い”といわれるようになるかもしれません。
同時に、巧いが上手いに昇華するためには心の披瀝だって必要です。
言葉や文章と同じように考えれば、自分の心を表に出す、相手に伝えることだって技術如何でどうにかなるじゃないでしょうか?

最後に、心の伸び白が無くなるか否かについて…
技術は年と共に衰える部分があるかもしれませんが、心は年をとれば渋さが増したり、
魅力的になっていく部分があって、伸び白が無くなることはまずないと思います。 人は初老を経て円熟を増すと言われるほどですから、
歌だってその時その時で伝えきれないほどの心の叫びが込められていると信じています^^
90選曲してください:2012/08/05(日) 04:41:13.06 ID:Z0LkxdOY
由紀さおり&ピンク・マルティーニのコラボレーション・アルバム『1969』がヒットしていると耳にはさみました。
しかも日本だけじゃなく海外でも受けているとか…

由紀さんといえば、お姉さんと一緒に童謡コンサートやってる人ですよね!?
あの人の声って前に私が注目した童謡・唱歌の歌唱法を踏襲しているんですよ!
その歌唱法、、説明が難しいんで割愛しますが、由紀さんの声の中に含まれているのは間違いありません。
どっかの番組で、音楽ディレクターが何故売れているのか質問されて、
「あのオリエンタルな歌声っていうのかなぁ、 まるで二胡を聴いている様な… 」
って言ってくれていたのも、私の考えを後押ししてくれています。

あの歌い方こそ、日本人が日本語を話す要領を捨てないまま歌った末に、辿り着くであろう歌唱法なんです。
日本語を忘れろとか、声は下に引っ込めろとか、そんな西洋かぶれをしなくてもいけます。
まぁ正直あのレベルは才能ですが、ある程度までなら童謡・唱歌の分野では歌えるやり方だと思います。
今まで散々日本人の声や喉の変形について論じてきましたが、それを捨てずとも歌うやり方があるんです。
いつかこの話は詳しくやりたいですねぇ。
逆にいえば、もし由紀さんが西洋人ぽい歌い方とか声質とかだったら、ヒットはしてないでしょう。
あの独特な東洋の香りこそ、西洋人が心惹かれた理由でしょうから。
この両者の違いが感じれれば、また現代のポップスで多用される西洋型にも参照できるはず。
乱暴な言い方ですが、逆の道を行けばいいわけですから。 あぁ、この違いが説明できたらなぁ…

それにしてもなんですね、、最近ではA○B推しって言うんですか?
チャンネル変えても変えてもA○B…あれのせいで私の年末年始はテレビフリーになりそうです。

正直あのキンキン声は聞いていると頭が痛くなります。
そんな声が何十人とユニゾンしてるんだから、わめき声聞いてるようなもんです。
まさに阿鼻叫喚地獄ですよ^^;
前にフリーさんと言ってた日本語発声の悪い面ばかりを凝縮したような…
無駄に黄色い声を前面に出した、なんとも心地の悪い声です。
91選曲してください:2012/08/05(日) 04:44:44.80 ID:Z0LkxdOY
最近はすっかりラジオ派です 特に金曜夜の(以前は日曜夜)粋な夜電波
あれのおかげでヲタソン数万曲入るHDDの中にジャズが増えてまいりました
そのおかげか否か、不満で不安だったリズム感の悪さが少し解消されたようにも感じます
ビブラートは徐々に理想的な波に 歌うときの意識の持ち方で左右されるものだなと痛感してます

ラジオも音楽情報源としてイイですね。
昔はちょこちょこ聞いてたのに、いつの間にやら全く聞かなくなっちゃいました…
ジャズを有線みたいにダラダラ流してくれるラジオとかあったら絶対かけちゃいますw

ジャズはどっちかというと、私の中ではインテンポよりグルーヴィーな感じですね。
伴奏自体がうねってる感じもするんですが、それと歌声の兼ね合い、 ちょっとしたズレとかを意識して聴いたりすると、より細かなリズムの動き・連動がわかるかもしれません。
ヴィブラートの種類もテンポに合わせるのか、逆にずらしてかけるのか。 私には高度すぎて想像でしか描けない世界ですが、そういった細かさって、
他の要素といろいろ絡み合って、最終的な歌声としての表現につながるんだと思います。
もちろんそこに気分など気の持ち方が影響してくるのは言わずもがなですね。

昨日書いた後で、私は何でこんなにA○Bが苦手なのかが頭の隅っこに引っかかってて、
歌声としてキンキンした黄色い声と、民謡などの歌声は似ているのか否かを考えてました。
正直なところ答えはまだ出てないわけですが…^^;

少なくとも、ユニゾンみたいに全員が同じ音階で歌う場合、低次倍音が少なく偏在している声では、
綺麗な重なりにするには相当精巧な歌声の操作が必要になることは確かです。
簡単に言っちゃえば、石造りの教会とかで声がボワッとぼやけた感じになるように、
声の輪郭がぼやけていると、斉唱でもある程度綺麗に1つの歌声の集合みたいに聞こえちゃうわけです。
これに対して黄色い声のままでは輪郭がはっきりしすぎてて、重ねても輪郭同士が喧嘩しちゃうんです。
輪郭を合わせるのは至難の技だろうし、それぞれが主張しすぎてて、協調性に欠けるんですね。
92選曲してください:2012/08/05(日) 04:56:56.23 ID:AZaZqHLL
文章を書き慣れてないせいで、たった数行書くだけでも疲れます・・・
しかも推敲に時間がかかってちっとも先に進まない・・・忌々しき問題です('A`)
実は上で書いたプロローグも推敲・校正をかけまくったものだったり・・・
でも今読み直してみたら、やけに「そんな、そして」が多い気が、、、縦読みしたら「そそ・・そそそ・・・」みたいになってる orz
もっと文章書くの上手くなりたいです(´;ω;`)

愚痴ばっかじゃ何なんで、とりあえず書いてる途中に聴いてた音楽でも貼っ付けときます。
桶板住人なのに、インストゥルメンタルやワールドミュージックが好き・・・あとジャズも・・・歌えねぇ・・・w

―◇ 小休止.T◇――――――――――――――――――――――――――――――――――――

木村大 - ムーンタン
ttp://www.youtube.com/watch?v=kcR5e1t04DQ

Paco de Lucia - la Barrosa
ttp://www.youtube.com/watch?v=q9vNSA0WNlw


上:本人演奏のフルバージョンがなかったorz
   この曲が入っているアルバム『THE CADENZA 17』は傑作だと思います。もちろん他のアルバムもイイですよ^^
下:言わずと知れたパコ・デ・ルシア!フラメンコ最高。
   もう何も言うことない・・・とにかく最高・・・
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93選曲してください:2012/08/05(日) 04:58:27.79 ID:AZaZqHLL
Aの共鳴腔は喉頭・咽頭・口腔・鼻腔の声道と、肺や副鼻腔です。
これらで声帯原音が共鳴することによって音が増幅され、声の素ともいえる音へと変化するわけです。
そしてもう1つ、共鳴腔の中でも喉頭・咽頭・口腔は、次のBと綿密に連動し合いながらその形を変えるので、
強調される倍音の周波数帯が変化し、各母音特有のフォルマント形成に多大に影響します。


Bの調音(構音)は簡単に言っちゃえば、声帯から出て共鳴させた音を言葉として加工することです。
Aで“声の素”と書いたように、共鳴させただけではまだ最終的な「言葉としての声」としては成立してません。
唇・舌・歯、さらには共鳴腔がトータルに働いて母音や子音が調音(構音)され、やっと言葉としての声が出来上がります。



さて、声の成立の説明はこれにて終了です。
上で書いたのは有声音についてで、無声音は@とAの一部がない場合と思ってください。
簡単に書いたんでアラもありますが、そこは大目にみてご勘弁をm( _ _ )m
最初に書いたとおり、この発声の仕組みは「言葉を発する」全般の話で、話し声も歌声も“原理的”には同じです。
もちろん、女性でも男性でも、日本人でも欧米人でも、どんな人でも同じ原理です。
これを念頭に、歌声と話し声との違い、体の他の部位の働き、性差、言語差などを説明していきます。

もしわからない単語等があったら・・・ggrks、、もとい、聞いてもらっても構いません。
でも即レスは全く保障しませんので悪しからずm( _ _ )m
もっと詳しく知りたい方は、↓のサイトで上手く説明されているのでどうぞ^^
ttp://www.oki.com/jp/rd/ss/speech.html
94選曲してください:2012/08/05(日) 05:00:02.78 ID:AZaZqHLL
やっぱり言葉だけではちんぷんかんぷん^^;
引き上げ筋・引き下げ筋を↓の画像の番号と対応させました。
ttp://www.kcc.zaq.ne.jp/ono/voicetraining/voice105.gif
  1.甲状舌骨筋   2.口蓋喉頭筋   3.茎突咽頭筋
  4a.輪状甲状筋  4b.胸骨甲状筋  5.輪状咽頭筋
  α.なんじゃこりゃ?場所的に後筋だと思われます。
これら筋肉によって、喉頭が支持され、声帯が伸展します。
詳しくは◆ 歌声と話し声の違い ◆で説明予定です。


また、以下の2つのサイトでは声帯閉鎖に係る筋肉の連携を模式的に示しています。

・図IIIC-204・IIIC-205・IIIC-206で模式的な声帯の開閉がわかります。
ttp://edu.icc.u-tokai.ac.jp/cos/3year/system/histology/anatomy/head_and_neck/3C22.html

・「側筋」「横筋」「声帯交錯筋」の項で模式的な声帯閉鎖がわかります。
ttp://www.kcc.zaq.ne.jp/ono/voicetraining/voicetra102.html

2つ目のサイトでは声唇=外甲状披裂筋のようですが、個人的には声帯筋=声唇と認識しています。
@の※でも書いたとおり、甲状披裂筋を細分して声帯筋とか声唇とか交差筋とか言ってるだけなんで、
悪い言葉遊びと思って軽く流しちゃってください・・・w

以上で筋肉の簡単な解説終わりです。
その他の喉頭部分・咽頭・口蓋などは省略させてくださいm( _ _ )m
95選曲してください:2012/08/05(日) 05:01:49.71 ID:AZaZqHLL
発声概論(>>59-60)で述べたとおり、話し声と歌声の‘原理’は同じです。
でも聞こえる声は全然違う・・・いったい何が違うのか?今回はそれについてです。
感覚的な話は一切割愛します。理詰めというからには、>>65の筋肉を引用しながら説明しましょう。


まず「話し声」、この声の状態では引き下げ筋の作用がほとんどなく、
宙ぶらりんの甲状軟骨を固定するために、引き上げ筋の一部(甲状舌骨筋)が主だった役割を果たします。
この引き上げ筋により甲状軟骨は舌骨に固定されるわけですが、実は舌骨も固定されているわけではありません。
甲状軟骨も舌骨も宙ぶらりんな骨なんですね。
そこで、舌骨より上の筋肉、すなわち舌骨上筋群によって舌骨を下顎骨やらに固定します。
でもでも、実は実は・・・舌骨を固定するはずの下顎骨も宙ぶらりん!
なので下顎骨を固定する為に・・・と、まぁこれ以上は話を小難しくするだけなんで止めておきます^^;
簡単に言っちゃえば、喉頭を固定する為に、それより上の筋肉群を働かせているわけです。
俗に「喉の位置が高い」といわれるのはこの状態です。
固定の際に引き上げ筋主体なので、引き下げ筋による声帯伸展はほとんど伴わず、声帯はたわんだような状態で全体が振動します。
閉鎖も大雑把で、とりあえず声が出るように声門が閉まればいい程度にしか働いていません。

このように、話し声というのは閉鎖筋と喉頭周辺の筋肉の一部を使うだけで、しかも働きは大雑把です。
その訳は、話し声にとって一番大切なのは言葉の弁別だからです。
別に大きい声が必要なわけでも、広い音域が必要なわけでもありません。
気息声だからダメとか、実声に聞こえないといけないみたいな制約もありません。
とにかく話し声に必要なのは“言葉を聞き分けられる状態にして相手に伝えること”なのです。
 ※弁別とは言葉の意味の区別(=使い分ける・聞き分ける)という意味で、発声概論のBの働きによります。
96選曲してください:2012/08/05(日) 05:07:26.33 ID:AZaZqHLL
さて、前振りはこの辺にして、ぶっちゃけ上で説明した歌声というのは、
話し声では使わなかった筋肉や、大雑把にしか働かなかった筋肉を使うってことでして・・・
要は>>65の各種筋肉を効率よく役割分担させながら使っているわけなんです。
でも、なんせ普段使わなかったりする筋肉も活用するわけですから、それが難しいわけですね^^;

まず引き上げ筋と引き下げ筋の作用について。
>>69で書いたとおり、話し声の場合はほとんど引き上げ筋に頼った甲状軟骨の固定をしています。
それ対して歌声の場合は引き下げ筋も加わって、甲状軟骨を上下から引っ張り合う形にします。
甲状軟骨を挟んで、引き上げ筋・引き下げ筋が拮抗した綱引きのような状況だと思ってください。
こうすることでも甲状軟骨は一定の場所に留まる=固定されますよね。
で、本題はこれによって何が起こるのかなわけで・・・
簡単に言ってしまえば、喉頭内にある筋肉(より狭義では声帯にある筋肉)の緊張が解けるのです。
緊張が解ければ声帯の自由度は増し、歌に必要な敏捷性等を獲得します。
また、引き下げ筋が加わることで声帯の伸展を伴った発声になり、音高調節を閉鎖筋に依存する必要もなくなります。

ちょっと話をそらしますが、「喉が高い」といわれる状況が何故いけないのか?その理由も上記によって説明がつきます。
話し声のレベルでも音高調節はある程度利きますが、地声音域を越えられるものではありません。
また、閉鎖筋群に頼った音高調節・発声では上記の自由度・敏捷性は阻害され、
速いフレージング・パッセージ、アジリタのような装飾技巧、フェイクも不可能です。
話し声のまま歌っているなんて言われ方も、引き上げ筋・引き下げ筋のアンバランスさが一因な気がします。

72 :サブ:2010/05/23(日) 21:25:08 ID:yhxM2ayr
話を元に戻して、次に閉鎖筋の運動について。話し声では大雑把と書きました。
97選曲してください:2012/08/05(日) 05:09:04.25 ID:AZaZqHLL
では逆に、借用している部分、話し声と歌声がイコールの部分において、
話し声が歌声に勝るものは何なのかを考えると、それは最初の方でも書いた“言葉の弁別”になります。
歌には歌詞を含まないものもある!ってツッコミは置いといて、
実はこの“言葉”こそ、私たちが持って生まれてきた歌声の能力、発声器官を弱めてしまうものなんです。
は?と思われるかもしれないので、少し例を挙げて考えてみましょう。

ただ大きな声で叫んだり、あるいは何か動物の鳴き真似をしたりするとき、
「ウォォォ!!」とか「アーーー!!」ってな感じの声出しますよね?
決して「イーーー!」とか「エーーー!」って言いませんよね??
これって無意識に、より大きな声・より響く声・より通る声を出すために、声帯や共鳴腔を操っているんです。
でもこれに言葉を乗せようとすると・・・同じ声のレベルでは出せなくなります。
あ、そうだ、桶板で時々みる「高音のイ段がムズイ・・・」とかもこれに含まれますね。
言葉を発するということは、発声概論B(>>60)でも説明したとおり、
共鳴腔を変形させフォルマントを形成し、唇・舌・歯などを使って調音を行うことです。
その作業は良い歌声を形成する際の喉・共鳴腔・その他の条件とは対立するものなのです。

私たちはこんなことを、言葉を習得した後ずっと続けています。日々の生活で歌うことはなくても、日常会話はしますからね。
発声器官の一部分だけを使用し、あとはずっと休止状態・・・それを何年、何十年と続けたら・・・
必然的に喉の筋肉は衰退し、共鳴腔は変形し、歌うための器官は荒廃します。
赤ちゃんのとき出せた大きな泣き声、そのときあった発声器官本来の機能は、
実は文明の利器ともいえる言葉によって衰えてゆくのです。