夏バテ診断とは・・ガチでやられてますね・・^^ まだまだ残暑は続く見たいなので気をつけてください!
昨日は、配属先の店舗でエアコン故障が続いて、午前中で下着まで汗まみれでしたw
水分補給はおわすれなく!
レンタルCD屋通いは僕もやりましたよー!w 必死に歌詞カードコピーしてカセットテープに録音、オリジナルアルバムとか言ってw
アニソンは嫌いじゃないんですよ( ^ ^)
それこそ、前によくあげてた自分の曲は、全部アニメかラジオドラマみたいなものと一緒に出来ないかなー・・と当初は野望がありましたしw
・・もう10年も前の事ですが、知り合いとシナリオ作りに挑戦したりもしてました^^
平原綾香の声は、確かに自分自身のレスの流れで行くと、倍音が多くて日本語らしくない声なんですよね。
話し声もかなり息っぽくて籠っている感じです。・・でもそういう喉だからこそのあの安定したビブラートだとも思います。
大好きだった曲に手をつけられる・・というのは痛手でしたねw^^;
僕の現在の主観の場合、ビブラートに注目するようになっている毎日ですので(w)、それほど嫌いでは無い感じです。「すごいなー」・・と。
ただ、「自分も練習すればこの声のまま簡単にビブラートできる」と思い込んでいた昔だったら、
「彼女の日本語っぽくない声ってなんだかなー」と思っていたはずです。
まぁ、もう一つは、震災の復興の手助けになった・・というところですかね^^;
僕の姉がボランティアでずっと神戸の震災の機関紙に関わっている・・ってのが心情の原因っすw 歌とはあんま関係無いかなw
@ A B は、まさに沢山の人が無意識にスルーしてしまいがちな重要な要素・・な見出しですね!!
このあたりにまずきちんと言及されるところがサブさんの真骨頂の一旦に思えます!
僕のスレの事は、どう料理しても構いませんので、時には反論も含め、楽しみにしてます( ^ ^)/
表題、、内容が連想しにくい上に小難しいなぁ・・・
まぁ言いたいことも雲をつかむような話なんで、ある意味的を射てる? ^ ^;
一応今回は『言語発声の特徴と言語差』(
>>112-114)の続きという形で書いていくので、引き続き
>>111の言葉を使います。
あ、それと、これまでは歌唱発声=オペラ・クラシック発声についてしか歌声の考察をしていませんでしたが、
今回はちょっと一般的な現代の大衆音楽の歌声についての導入くらいは書けたらと思います。
話を蒸し返しますが、また言語差のはなしから^ ^;
>>113に書いたとおり、普通の人は「ある1つの言語発声への発声器官の特化」が起こっていて、
他言語を話そうとしても母語の言語発声のまま発語してしまう傾向があります。
これは同一言語内の方言にもあてはまって、共通語を話しているのに何か訛ってる・・・ってのは方言特有の言語発声のせいです。
私見ではありますが、発音=子音調音より、母音の発声の方が、その傾向が大きい気がします。
そういえば、昔どこかで「言語の箱」だか「母音の箱」みたいなたとえ話を読んだことがあって、
「 人間の頭の中には、母語の母音の数だけ箱が作られる。
人は外国語を学ぶときにも無意識にその言語の母音を自分の中の箱に振り分けようとし、
母語にはない母音をどこに入れようか迷い、ついには間違った箱に入れてしまう。 」
みたいなことが書いてありました。これには感銘を受けましたね。
私が『言語発声の特徴と言語差』で書いたことを端的に表していると思います。
女っぽい声を出すには:お手軽編
例1・素人 (ニコニコですまないが)男が女声を出す方法・声真似のやり方
http://www.nicovideo.jp/watch/nm4444778 まあこのレベルまでいければ女声出せるって言ってもいいのかもしれない
正直録音すると「ああ」レベルだが同じ空間で喋られると「おお」となるだろう
○地声は高い方が望ましい
声帯が短めの方が当然いいし最低でも中音域は欲しい 低音域の人は諦めましょう
あと裏声の女声は倍音が少なくなってどうやってもそれっぽくはならないのでその方向も諦めましょう
○喉仏を上げる
これによって低周波の音が比較的カットができる
○鼻にかける
上のはきれいな鼻腔共鳴というには程遠いが仕方がない 現実の女でこのくらい露骨に鼻にかけるぶりっ子はざらにいる
同じ空間だと大して気にならないが録音するとドン引きレベルなので注意 萌え系の声を出すときには必須
○息を漏らす
息を吐くと高音域の周波数を多く含んだ音が出る これを女の声の高さの再現に利用していると思われる
とりあえずこのくらい あとは練習つつ探ってみよう カラオケ時のネタレベルにはぜんぜんなると思う
女っぽい声を出すには:本格編
例2・声優 (ニコn(ry)1人7役
http://www.nicovideo.jp/watch/sm662421 さすがのプロ 笑ってしまうくらい次元が違う ここでもっとも重要な事
彼は地声は高いが女声を出すときに別に高い音を出しているわけではないということ なのになぜそれっぽく聞こえるか
それはお手軽編で述べた事を理屈は分からずとも高レベルでやれてしまっているから
これは声優としての発声の良さがすべての底上げをしてくれているからで一般人にはかなり難しい
さらに役者としての女性の喋りのニュアンスの表現力がいっそう違和感のないものにしている
紹介しといてなんだが参考にするのはやめた方がいい
基礎がない素人が真似したところでひどいものが出来上がるのは目に見えている
新しい機種が出ることによってもっと音源を良くしてほしいと思ってる
なるべく原曲に近い再現で作ってほしい、音質ももっと上げて欲しい。
本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。
でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。
機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。
匠的な有能な音源技師や職人を沢山雇って良いカラオケ音源を沢山入れてほしいと思うわー。
あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか
ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが)
そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ
ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。
2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。
再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。
良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい
古い曲で糞音源なのは捨てて、新しく音を綺麗に作り直したのを入れて欲しい。
今回は言語発声の差の要因になる生活環境の違いとかについて、あえて書きませんでした。
それはあくまで原因。説明したかったのはその結果生まれた差だからです。 あとは長くなりすぎて切らざるを得なかったから^ ^;
参照できるようにそれに関するサイトを探してみたんですが・・・ 見つからなかった orz
少なくとも以下の本では紹介されてたはずなんで、興味のある方は読んでみて下さい。
『声と日本人』(著:米山文明 出版社:平凡社)
『美しい日本語を歌う - 心を伝える日本語唱法』(著:大賀寛 出版社:カワイ出版)
『「医師」と「声楽家」が解き明かす発声のメカニズム - いまの発声法であなたののどは大丈夫ですか』
(著:萩野仁志、後野仁彦 出版社:音楽之友社)
今
>>91に書いた『日本語発声の微妙なラインと、日本語歌詞との関連性』について書いている途中なんですが、、
如何せんまだ体調悪くて気力出ない上にアウトプットも作文も不得手なんで、まとまる気配がありません orz
一応書きたいことを箇条書きにすると、、
@ 歌(声)に対する上手下手・好き嫌いについて。
A 『歌声と話し声の違い』(
>>69-73)に書いた‘歌声’を‘歌唱発声’、‘話し声’を‘言語発声’として、
言語発声のさらなる特徴と、ポップミュージックに使われる歌声について言及する。
B ボイトレで注意・危惧すべき点。
ってな感じで、順不同になるかもしれませんが繋がっていきます。
AとBはフリーさんの前スレで書いたことに加筆する感じで、
まずは平原綾香はじめとする、私の好き嫌いを引き合いに出して@を書いていくつもりです。
あ、そうだ、、もしお暇があればセシル・コルベルが日本語で歌っている時の声と、平原綾香の声を聞き比べてみて下さい。
私の中では結構共通点が多いと思うんですが…
汲み取ってもらいたいことは、ずばりセシル・コルベルの日本語発声時の違和感です。
たぶん、外国人が日本語歌詞の曲歌ってるな〜 と感じるはずです。
ここんとこが平原綾香が歌う日本語歌詞に対する違和感にも繋がっていくわけでして、、
ただしこれは
>>96の@に直結するので、あくまで私の主観的なもので万人共通ではありません。
先に言っちゃうと、私が平原綾香大嫌いなのは曲に対して声⇒発声・発音が全く合ってないと感じるからです。
あとは大好きだった惑星の木星に歌詞付けるばかりか、その声で歌われたことが許せなかったからです。
もし歌うにしても、クラシック曲という先入観、曲の雄大さに合致するように歌ってもらいたかった・・・
できればドラマティコ、あるいはリリコのように。
逆に今回の発見から、その声に合う曲なら、あるいは私の嫌悪感をも払拭するほど素敵な声なのかとも思います。
感想をつけるってのがこのスレで重要部だからな 前レスから持ってこんと書けん
んでうpばかりするから 微妙スレが1000いくなんて稀 700代までいったの久しぶりに見た
>>68 他人の名を騙って貶めることに恥ずかしさを感じないというのは、羨ましいな
まあそれでスレが埋まる手伝いになるのなら良いだろうが
念のため、最終的な方向性を提示しておく
まずはここのスレを埋める。これは前々から言っていることだから敢えて言うことでもないな
その上で、立ってしまった56スレに移動する 向こうの55の住民も、使い切ればあちらへ移動するだろう
もし、まだ向こう側のスレが埋まっていない場合は向こうに移動し、使い切ってから56へ移動だ
56へ移動した段階でテンプレは正常なものを使用しているわけだから問題もないだろう
そのような意図しない言語発声の影響=歌唱への混入は、様々な場面で表面化してきます。
例えば日本語の「い段」なんて、私たち日本人が歌うときの障壁になっている顕著な例です。(cf.
>>73)
普段私たちが話すときのイ段の発声は、舌がせり上がり口腔を狭め、
ほぼ引き上げ筋一辺倒で、声帯は大雑把な閉鎖のままです。(cf.
>>42>>80)
これでは歌唱発声に限らず、種々の歌声に必要な共鳴効果、および共鳴に適した声帯原音(喉頭原音)は確保できません。
もしこの状態のまま歌声に使おうとすると、、声帯はその大雑把さを引きずったまま不均一で過度な緊張をし、
口腔をはじめとする共鳴腔は狭いまま、それを補うようにさらに声帯に負担をかける、負のスパイラルに陥ります。
ではそれの解消のため、発声器官をフル活用した発声法=歌唱発声でイ段を発声しようとすると・・・
声帯および周辺の筋肉は適度に弛緩した上で協調して閉鎖に参加し、共鳴腔確保のため舌根は下げ喉頭位置を低くしなければなりません。
その結果、日本語母音特有のフォルマント形成は阻害され、言語としては不明瞭で不自然に聞こえます。
意図しない言語発声の混入・・・しかもそれを取り除こうとすると言語として不自然になる・・・
「言語発声と歌唱発声は対立するもの」(
>>73)を如実にあらわすジレンマですよね。
このジレンマから、重要なポイントがわかってきます!!
まず、なぜジレンマが発生するのか考えてみると・・・ 「音声を言語・言葉として認識するのか、楽器のような音と認識するのか」
という2つの処理の、どちらを優先するかの葛藤が起こっているためではないでしょうか?
発声法の研究って、感覚論の集約からスタートしたもんだから、
そこには推察の材料として感覚(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。
ある意味、感覚論から通底する生理現象へ進むのは自然な流れだと思います。
まずは未熟でもなんでもいいから、色々喋ることって大切ですよ!
実は単なる思い過ごしで、全然整理できてないのがわかったり・・・
あ、俺の言ってることはもちろんそっちだよ。例えば音響学的な切り口で発声方法を解明するにあたっては、帰納法的に導き出すでしょうし、
そこには推察の(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。
新しい機種が出ることによってもっと音源を良くしてほしいと思ってる
なるべく原曲に近い音質ももっと上げて欲しい。
本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。
でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。
機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。
あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか
ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが)
そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ
あからさまに音が悪いの多すぎる。
ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。
2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。
再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。
良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい
新しくしてやってくれって感じだ。 古い曲で糞音源なのは捨てて、新しく音を綺麗に作り直したのを入れて欲しい。
さて、そのような障壁を乗り越え、言葉のしがらみから脱した時、知識が新たな局面を迎えるんです。
もっとわかりやすく直感的に理解するために、↓の動画をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=Je_Z63BZcXM @0:00〜1:05 日本人がしゃべっているような英語発声。(少々誇張気味です^^;)
A1:07〜1:31 本人の自然な英語。(ネイティブだと思います。)
B1:33〜2:07 母語が英語の人が話す日本語。(日本語発声かなり上手い。)
どうですか?この人の自然な英語と日本人を真似した英語では、誇張気味とはいえかなりの差がありますよね?
日本人を真似した英語では、まさしく日本人がやらかしそうなカタカナ英語になってるのがわかると思います。
同時に、上手いとはいえ日本語を話している時は、外国人が日本語しゃべってるな〜 とハッキリ感じるはずです。
なぜ日本人が英語を話すと動画のようなカタカナ英語になっちゃうのか??
また、なぜ外国人が日本語を話しているとわかってしまうのか??
解説はしませんが、その理由を考えるとまさしく
>>113につながります。
さて最後になりますが、上の動画の題名「japanese accent」の「accent」、、「強勢、強調」という意味だけではありません。
もう1つ大切な和訳、、「訛り」、、そう! 訛り!! ずっと昔から感じ取られ、単語にまでなっているんです。
上記の言語発声の特徴・言語差は方言の訛りにだって適用できるし、それは厳密になれば個人レベルの差まで確認することができます。
いろんな声に耳を傾けて下さい。そうしたらきっと発声・発音の差が聞き取れるはずです。
サブさん、とりあえずありがとうございます。
私のような若造のために音楽以外のことまで、役に立ちそうだけど難しいことを噛み砕いて説明していただいたこと、非常にありがたいです。
涙が出そうなほど感動しました。
あなたは私が目指すものに一番近いし、そんな方は初めてお目にかかりました。
私には今、金がありません。
親のすねをかじって生活している無能な高校生です。
なので自分の力で金を稼ぐようになったら、何年かかるかは分かりませんが、サブさんに挙げていただいた書籍をすべて吸収させていただこうと思います。
それまではこのスレを熟読し、教えていただいたWebサイトを閲覧することにします。
本当にありがとうございます。
ちなみにこれほど博識なサブさんならもうご存知かもしれませんが、僕からも声楽の発声についてWebサイトを挙げておきます。
表声・裏声などという感覚的な言葉を切り捨て、より実際に起こっている現象にスポットを当てていらっしゃるサブさんには申し訳ありませんが、
「男性が裏声を使うと声帯には悪い、喉頭は下がったまま表声を全身の筋力でバランスをとりうんぬん」という発声を提唱している方のサイトです。
残念ながら裏声を使った男性オペラ歌手は現在、一部のカウンターテナーやソプラニスタを除きほとんどいません。
その発声により声帯を壊さず死ぬまで歌い続けた歌手が何人もいたり、裏声を使ったカウンターテナーの歌手としての寿命が短いことから、今のところ私はその発声を信じています。
男性視点のみで語ってしまいますが、ここで敢えて「ベルカント」という言葉を使うなら、裏声を使った古い「ベルカント」は声帯に悪く体に優しい。
表声を使った新しい「ベルカント」は声帯に優しく体に悪いです。
「ベルカント」なんて言葉は非常に曖昧なものなのに、日本人が横文字として輸入した瞬間絶対的な定義を無理矢理つけてしまったようなので、この言葉を使うのは僕も好きではありませんが。
ttp://www2.odn.ne.jp/~cco47400/hassei.htm ttp://ameblo.jp/molto-piu-acute/ ttp://ameblo.jp/ken-baryton/
やはり釈然としない、、
今回の『音楽に対する好き嫌い・上手下手』(
>>101-108)の注釈と、
>>96のABにつながることを先走って少しだけ・・・
>>108でマスケラやらアンザッツTって書きましたが、あまり聞きなれない言葉だと思います。
これは声楽分野の練習方法で、声を前にもってくるとか、歯に当てるとか、鼻腔共鳴を促す感じだと思って下さい。
これで声をより開放的にして、明るさを持たせます。
ただ、やりすぎると平べったくて金属的で倍音の少ない声になっちゃいます。
この平べったくて〜 な声が日本語発声の大きい要素でもありまして、これから言及したい
>>96Aにも関わるトピックです。
そしてもう1つ、私がこの先一番書きたいことで、これまで書いてきたこと全てに関わることなんですが、
「ロック歌いたいのに声楽を勉強しても意味がない!」とか、「ボイトレの模範発声が自分の理想とは違うから止め!」とか、
私からすれば実にもったいないことです。
これまでさんざん書いてきたように、声は1対の声帯から発生して、それはどんな声でも絶対不変のものです。
その声帯を動かす筋肉を少しずつ変え、はては体全体の運動によって様々な歌声を作り出します。
>>70に書いたように、そして今回の発声技術で言及したように、それぞれの発声法の中に共通点・相違点を見つけ出せれば、
それを使って自分の発声練習へフィードバックできます。どんな練習方法だって自分の糧となるんです。
投下した後でgdgd愚痴っちゃってホントごめんなさいm(_ _)m
今日はこれで寝ます。お休みなさい。
よかった、、書き込めた。。。初めて連投規制引っかかったよ('A`)
いつものことながら、投下した後で後悔に苛まれています・・・ 当たり前のことをよくもまぁこんなに長々と書けたもんだと・・・
しかも何を伝えたかったのか、それさえあやふやで、何より独善的で救いようがない orz
やっぱ書き上げる気力萎えてんのかなぁ、、もっと冷静に推敲して書きなおすべきだったなぁ〜
ちなみに今回の迷走の一因は、
>>96@〜Bと話が続いているせいでもあります。
3つのうちどれか1つだけ書いて読んでも、パズルのピースを眺めるがごとく、全体の絵が見えないわけです。
葉を見て木を見ず、木を見て森を見ず。全部書き終えて初めて大観できる・・のか??
―――◇ 小休止.X ◇―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Lunasa - Morning Nightcap
http://www.youtube.com/watch?v=PnYG5bBeq7E Loreena McKennitt- The Mystic's Dream
http://www.youtube.com/watch?v=Vt2r2rUHc7Q 上:アイリッシュやケルトで一番有名どころといえば・・・そこで私はこの人たちを推します!
フィドルが踊る!リードが駆け回る!聴いていてウキウキがとまりませんw
下:あまり歌声の入っているケルト系は聴かなかったんですが、これがきっかけで好きになりました。
上とは違って何というか、ちょっと湿っぽさがあって、これもまた雰囲気が出てるなぁと思います。
:サブ:2010/08/23(月) 23:36:59 ID:r+SIseOc
要は、人それぞれに好き嫌いが介在した上手下手の判断基準ができちゃってて、そのズレが原因でいろいろ齟齬が生じるんです。
また、多くの人はそのことに気付かなかったり、あるいは好き嫌いを排することが疎かになってしまっているのではないかと思います。
ただ単に音楽を聴くだけならそれでも問題ないんですが、歌の上達を試み、練習をする際には大なり小なり問題アリです。
詳しくは後述するとして、歌が上手くなりたい! 上手に歌いたい! と思って練習しているのに、
お手本にするアーティストや曲が自分の好きなものだけだった場合、必然的に発声に偏りがでて、偏食気味になっちゃうんです。
もしそれで練習を続けて上手くなれたら御の字ですが、、それは運が良かったというべきで、
王道的な発声練習・歌唱練習をする場合において、自分の好き嫌いは一時期でもいいから排して我慢すべきものです。
その過程で取捨選択をして、最終的に自分好みの発声へと舵を取れれば上達への道は切り開かれます。
ある意味、急がば回れです^^
@ 『音楽に対する好き嫌い』
上でも書いたとおり、好き嫌いは千差万別・十人十色だし、その要因もごまんとあるし、漠然としてつかみにくいものです。
まずは「内因=自分の中の好み」となるものを挙げると、「ジャンルが好きor嫌い」 「歌詞が好きor嫌い」
「声質が好きor嫌い」 「曲調が好きor嫌い」 「アーティストが好きor嫌い」 etc、、数えあげたらキリがないです^^;
あ、そうだ、生理的に受け付けないってのも内因の1つです。
理由なんてなく、もうどうしようもなく嫌いってのもあるはずですから、そんな時にだけ使います。
そしてその内因が構築される過程も、成長過程での生活環境(親の影響)とか、情緒多感な時期に流行っていた音楽ジャンルとか、
友達に勧められて聴くうちにとか、、これも色々あります。
(
>>103に続く)
夏バテ診断とは・・ガチでやられてますね・・^^ まだまだ残暑は続く見たいなので気をつけてください!
昨日は、配属先の店舗でエアコン故障が続いて、午前中で下着まで汗まみれでしたw
水分補給はおわすれなく!
レンタルCD屋通いは僕もやりましたよー!w 必死に歌詞カードコピーしてカセットテープに録音、オリジナルアルバムとか言ってw
アニソンは嫌いじゃないんですよ( ^ ^)
それこそ、前によくあげてた自分の曲は、全部アニメかラジオドラマみたいなものと一緒に出来ないかなー・・と当初は野望がありましたしw
・・もう10年も前の事ですが、知り合いとシナリオ作りに挑戦したりもしてました^^
平原綾香の声は、確かに自分自身のレスの流れで行くと、倍音が多くて日本語らしくない声なんですよね。
話し声もかなり息っぽくて籠っている感じです。・・でもそういう喉だからこそのあの安定したビブラートだとも思います。
大好きだった曲に手をつけられる・・というのは痛手でしたねw^^;
僕の現在の主観の場合、ビブラートに注目するようになっている毎日ですので(w)、それほど嫌いでは無い感じです。「すごいなー」・・と。
ただ、「自分も練習すればこの声のまま簡単にビブラートできる」と思い込んでいた昔だったら、
「彼女の日本語っぽくない声ってなんだかなー」と思っていたはずです。
まぁ、もう一つは、震災の復興の手助けになった・・というところですかね^^;
僕の姉がボランティアでずっと神戸の震災の機関紙に関わっている・・ってのが心情の原因っすw 歌とはあんま関係無いかなw
@ A B は、まさに沢山の人が無意識にスルーしてしまいがちな重要な要素・・な見出しですね!!
このあたりにまずきちんと言及されるところがサブさんの真骨頂の一旦に思えます!
僕のスレの事は、どう料理しても構いませんので、時には反論も含め、楽しみにしてます( ^ ^)/
最近はすっかりラジオ派です 特に金曜夜の(以前は日曜夜)粋な夜電波
あれのおかげでヲタソン数万曲入るHDDの中にジャズが増えてまいりました
そのおかげか否か、不満で不安だったリズム感の悪さが少し解消されたようにも感じます
ビブラートは徐々に理想的な波に 歌うときの意識の持ち方で左右されるものだなと痛感してます
ラジオも音楽情報源としてイイですね。
昔はちょこちょこ聞いてたのに、いつの間にやら全く聞かなくなっちゃいました…
ジャズを有線みたいにダラダラ流してくれるラジオとかあったら絶対かけちゃいますw
ジャズはどっちかというと、私の中ではインテンポよりグルーヴィーな感じですね。
伴奏自体がうねってる感じもするんですが、それと歌声の兼ね合い、 ちょっとしたズレとかを意識して聴いたりすると、より細かなリズムの動き・連動がわかるかもしれません。
ヴィブラートの種類もテンポに合わせるのか、逆にずらしてかけるのか。 私には高度すぎて想像でしか描けない世界ですが、そういった細かさって、
他の要素といろいろ絡み合って、最終的な歌声としての表現につながるんだと思います。
もちろんそこに気分など気の持ち方が影響してくるのは言わずもがなですね。
昨日書いた後で、私は何でこんなにA○Bが苦手なのかが頭の隅っこに引っかかってて、
歌声としてキンキンした黄色い声と、民謡などの歌声は似ているのか否かを考えてました。
正直なところ答えはまだ出てないわけですが…^^;
少なくとも、ユニゾンみたいに全員が同じ音階で歌う場合、低次倍音が少なく偏在している声では、
綺麗な重なりにするには相当精巧な歌声の操作が必要になることは確かです。
簡単に言っちゃえば、石造りの教会とかで声がボワッとぼやけた感じになるように、
声の輪郭がぼやけていると、斉唱でもある程度綺麗に1つの歌声の集合みたいに聞こえちゃうわけです。
これに対して黄色い声のままでは輪郭がはっきりしすぎてて、重ねても輪郭同士が喧嘩しちゃうんです。
輪郭を合わせるのは至難の技だろうし、それぞれが主張しすぎてて、協調性に欠けるんですね。
今ももちろん好きなんですが、ある時を境にふと“心”って何ぞやと思うようになって、ちょっと聞く回数が減り始めたんです。
心…言い換えれば個性なのかもしれません。
丁寧に丁寧に歌ってるのは伝わったから、貴女の個性も聴かせてよ!って思ったわけです。
>>250さんが仰るように、伝える技術というものはあるはずだし、 それが技術全体の中の一部を形作っていることは間違いありません。
丁寧に歌唱技術優先で歌うことによって、感情表現が抑えられることもあるでしょう。
同じく、技術を落とすことによって心を披瀝することだって可能なんじゃないか?そう思います。
フリーさんが「ピエロ声」とおっしゃるのも、それだからこそ伝わりやすい相手がいるわけで。
まだ技術と感情表現の直接的なつながりは解明されていませんが、それが無意識にできる人は‘伝わる人’、
それが不得手だけど歌唱技術がある人は‘丁寧な歌い手’みたいな評価になるんだと思います。
ごめんなさい、、全然まとまった意見にならなかった。。 もっと訓練しますm(_ _)m
せっかくなんで、Trijntje Oosterhuisと同時期に聴きまくっていたアーティストをもう1人紹介しておきます。
これぞ個性なんじゃね!?ってくらい歌い方から声から独特で、聞く人を選ぶかもしれません。
Mario Biondi / Close to You
http://www.youtube.com/watch?v=KcXAbs3EXDs 人間って、同じことを繰り返すと癖になる。 技術を何度もつかうことで、心の奥にと蓄積されていってるんだ。
そのうち無意識でその技術を使い出すようになる。より深い心へと蓄積されて行くんだ。
その深いところから出てきてしまうのが癖という奴だが。 癖を直そうとすると、それが容易でないことはわかる。
技術偏重で覚えた癖は、その最初に覚えた段階まで戻らないと修正が効かない。だから下手なことは教えられないんだ。
基礎を早い時期にうまく固めた人が伸びるのは、技術ばかりか癖をひとつの技として使いこなせるる。
言い換えれば、蓄積される器が大きいということ。
由紀さおり&ピンク・マルティーニのコラボレーション・アルバム『1969』がヒットしていると耳にはさみました。
しかも日本だけじゃなく海外でも受けているとか…
由紀さんといえば、お姉さんと一緒に童謡コンサートやってる人ですよね!?
あの人の声って前に私が注目した童謡・唱歌の歌唱法を踏襲しているんですよ!
その歌唱法、、説明が難しいんで割愛しますが、由紀さんの声の中に含まれているのは間違いありません。
どっかの番組で、音楽ディレクターが何故売れているのか質問されて、
「あのオリエンタルな歌声っていうのかなぁ、 まるで二胡を聴いている様な… 」
って言ってくれていたのも、私の考えを後押ししてくれています。
あの歌い方こそ、日本人が日本語を話す要領を捨てないまま歌った末に、辿り着くであろう歌唱法なんです。
日本語を忘れろとか、声は下に引っ込めろとか、そんな西洋かぶれをしなくてもいけます。
まぁ正直あのレベルは才能ですが、ある程度までなら童謡・唱歌の分野では歌えるやり方だと思います。
今まで散々日本人の声や喉の変形について論じてきましたが、それを捨てずとも歌うやり方があるんです。
いつかこの話は詳しくやりたいですねぇ。
逆にいえば、もし由紀さんが西洋人ぽい歌い方とか声質とかだったら、ヒットはしてないでしょう。
あの独特な東洋の香りこそ、西洋人が心惹かれた理由でしょうから。
この両者の違いが感じれれば、また現代のポップスで多用される西洋型にも参照できるはず。
乱暴な言い方ですが、逆の道を行けばいいわけですから。 あぁ、この違いが説明できたらなぁ…
それにしてもなんですね、、最近ではA○B推しって言うんですか?
チャンネル変えても変えてもA○B…あれのせいで私の年末年始はテレビフリーになりそうです。
正直あのキンキン声は聞いていると頭が痛くなります。
そんな声が何十人とユニゾンしてるんだから、わめき声聞いてるようなもんです。
まさに阿鼻叫喚地獄ですよ^^;
前にフリーさんと言ってた日本語発声の悪い面ばかりを凝縮したような…
無駄に黄色い声を前面に出した、なんとも心地の悪い声です。
“歌唱技術における感覚論へのアンチテーゼ”として始まり、
感覚的表現が“万人共通かのごとく書かれることに否定的”なはずが結局は感覚論へ回帰してしまっているような・・・。
フースラーの『うたうこと』はあたかも歌唱理論の代表的な本のように一般には捉えられがちですが、
「声楽器官を運転させるための第1の最も重要な原動力は、心の中の表象(考え方)なのであって、
発声のやり方は結局のところ、常にこの表象の産物なのである。」
と書いてあるようにその本質は普遍的な感覚論の本です。
また、感覚論の代表として挙げられることもあるリリー・レーマンの知覚図
http://www.gutenberg.org/files/19116/19116-h/images/i018.jpg もいまだに価値が減っていないと思います。
生理学・解剖学・運動学・音声科学等の知識をいくら集めたとしても歌はうまくならないでしょうし、
歌唱はスポーツのようなもので歌がうまくなるために必要なのはスポーツ科学に類するものです。
『音声生成の科学』の著者である Ingo R. Titze はその知見と技能が両立している稀な例と言えそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=UQw03TXZsHA たとえば速く走るためにより速いランナーのスタイルを模倣しようとするのは当然でしょうが、
そのスタイルを模倣すること自体が目的となってしまっては本末転倒です。
発声配置が批判されるのはこういう点についてではないかと思います。
歌唱という運動は直接的に目で見ることができませんし、自分の声を自分で即時的に客観的に聴くことはできませんから、
必然として感覚やイメージの比重が大きくなります。
この感覚やイメージを否定することは上達への道を自ら閉ざすに等しいことかと思います。
これまでも歌唱はおもに模倣によりその技術が受け継がれてきましたが、
これは教える者と教わる者との間に普遍的な感覚の共有があるからこそ可能だったのだと思います。
もちろん発達の度合いによって感覚やイメージは変化していきますのでこの点については考慮が必要です。
科学への期待を抱くのはよいとしても現時点では残念ながら歌唱は科学主義には向いていないと思います。
当然もうすでに気づいていることかとは思いますが・・・。
“歌唱技術における感覚論へのアンチテーゼ”として始まり、
感覚的表現が“万人共通かのごとく書かれることに否定的”なはずが結局は感覚論へ回帰してしまっているような・・・。
フースラーの『うたうこと』はあたかも歌唱理論の代表的な本のように一般には捉えられがちですが、
「声楽器官を運転させるための第1の最も重要な原動力は、心の中の表象(考え方)なのであって、
発声のやり方は結局のところ、常にこの表象の産物なのである。」
と書いてあるようにその本質は普遍的な感覚論の本です。
また、感覚論の代表として挙げられることもあるリリー・レーマンの知覚図
http://www.gutenberg.org/files/19116/19116-h/images/i018.jpg もいまだに価値が減っていないと思います。
生理学・解剖学・運動学・音声科学等の知識をいくら集めたとしても歌はうまくならないでしょうし、
歌唱はスポーツのようなもので歌がうまくなるために必要なのはスポーツ科学に類するものです。
『音声生成の科学』の著者である Ingo R. Titze はその知見と技能が両立している稀な例と言えそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=UQw03TXZsHA たとえば速く走るためにより速いランナーのスタイルを模倣しようとするのは当然でしょうが、
そのスタイルを模倣すること自体が目的となってしまっては本末転倒です。
発声配置が批判されるのはこういう点についてではないかと思います。
歌唱という運動は直接的に目で見ることができませんし、自分の声を自分で即時的に客観的に聴くことはできませんから、
必然として感覚やイメージの比重が大きくなります。
この感覚やイメージを否定することは上達への道を自ら閉ざすに等しいことかと思います。
これまでも歌唱はおもに模倣によりその技術が受け継がれてきましたが、
これは教える者と教わる者との間に普遍的な感覚の共有があるからこそ可能だったのだと思います。
もちろん発達の度合いによって感覚やイメージは変化していきますのでこの点については考慮が必要です。
科学への期待を抱くのはよいとしても現時点では残念ながら歌唱は科学主義には向いていないと思います。
当然もうすでに気づいていることかとは思いますが・・・。
>>30さん、前奏がゲームの曲か!?と思ってしまいました。
発声が少し雑になってるのかなぁという感じがしました。
勢いはあるかと思うのですが、その勢いがしっかり声に乗って無い感じで、無駄にしてしまってる部分が結構あるんじゃないかなぁと、
思いました。無駄に力が入っている部分があるので、途中でスタミナが切れてしまっているのかなぁという気もするので、
呼気を抑え目にしてしっかり声を出すというのを意識してみると良いのかなぁと思いました。
腹式呼吸やリップロール、タングドリル、エッジなんかをこなす内に喉の負担やスタミナ切れも無くなる気がしました。
>>32さん、あれ?音程合ってるのかな?という感じが・・・
発声が良いのに音程で???となってしまってなんか不思議な感じが・・・
なんだろう?語尾処理の子音の強調だったりが上手く行ってないのか、ガクンガクンガクンという感じで
スムーズに音が繋がって行ってないのかなぁとも思うので、もう少し力抜いても良いんじゃないかなぁとか思いました。
雰囲気作るのはとても難しそうな曲だなぁと思いました。
>>34さん、それって・・・歌っても大丈夫なのでしょうか? とりあえず無理をなさらずにお体を大事に。
蓄膿症に関しては鼻炎という認識で良いのでしょうか? 発声の問題なのですが、YUBAさん曰く鼻腔なんか関係ないらしいです。
以前、どこかのスレで鼻を摘んだYUBAさんが良い声で歌っていたというのを聞いた事があるのですが、
呼気のコントロールと音の響かせ方でしょうか、それがしっかり出来ていると鼻腔を使わなくてもしっかりとした発声になる、
らしいです。ただ、重度のと付いてしまうと体質的な物がどうしても出てきてしまうので絶対にとは言い切れ無さそうですが・・・
ハスキーな声は非整数倍音と関係してる、というような記述があった気がするんですが、
歌、声帯結節に関して知識が無いのでなんとも言えないので、発声に関してどうなのか解らないのですが、
音がしっかり取れてるのかなぁという気がしました。聞く限りでは口だけで歌っていて音がしっかりあっていないんじゃないかなぁ、
という気もするので、リップの練習と合わせて音階練習とかもしてみると良いのかなぁと思いました。
>>327さん、以前聞いたときよりも安定していて、音の取り方がしっかりしてる気がしました
間違いなく上手くなってますよね。
少し、音の強弱のつけ方が少し雑になってるのかなぁという気がしたのですが、それが無くなれば、
(・∀・)カエレ!!じゃないかなぁと思いました。
>>328さん、Mr.childrenってどんな曲歌っても難しいですよね。独特の節回し、リズムの取り方、音の取り方と。
私もhanabiを練習し始めてそろそろ半年近くになるのですが、全然納得いく感じにならないで苦労してます。
もう少し、メリハリの付け方と、音の伸ばす部分伸ばさない部分を意識してみると良いのかなぁと思いました。
少し棒読みの部分が多い感じがするので、語尾の子音で音の強弱や上げ下げなんかを気にしてみると、
もっとしっかりとしたメリハリがついてMr.childrenらしい曲になるんじゃ無いかなと思いました。
音を強める部分で力で張り上げてるのかなぁという所が何箇所かあるので、極力、力を抜きながら音を届かせられると
良いのかなぁと思いました。
>>330さん、初めからジャガリキッテル。笑いが止まらなかったです。ありがとうございました。
確かに、もしアンザッツが全く何らの身体的変化、物理的変化も起こさず、精神的な何かのみの影響によって
声質が変化すると主張するものであるならば、それはもはや超能力の世界であり、幻想であると言われても仕方がありません
またそういった人たちの主張の根源は、共鳴は気道で起こるものであって、頭や胸などでは起こらず、それらは振動するだけで
共鳴している訳ではない、というのが主流のようです
>>331さん、自分で歌いやすいアーティストっていますよね。歌い方が合うのか、音域があうのかで歌っててしっくり来るというか。
歌は、探り探り歌ってる感じが結構あった気が・・・そのせいか部分部分で音がずれてるのか発声が弱くなってるのか、
という感じがしますが、とりあえず(・∀・)カエレ!!
>>334さん、上、この曲でネタに感じないのは凄いですね。
少し発声が不安定になってるのかなぁという気がしました。抑揚なのかなぁという気もしたのですが、
抑揚という感じじゃなくて、不自然に急に弱くなっていたりしたので、発声の仕方は統一した方が良いんじゃないかなぁという、
気がしました。多分意識して変えて癖を付けてるんじゃないかなぁと思ったのですが、癖を付けてる部分の発声が、
不自然になってるんじゃないかなぁという気がしたので、そこまで癖をつけようとしなくてもしっかりと強弱付くんじゃないかなぁと思いました。
>>337さん、原曲知らないので感想だけと思ったのですが、何度か聞いていて、気になって原曲も聞きに行ったのですが、とりあえず凄かったです。
少し力強さが足りないのかなぁという気もしたのですが、ござるさんの味がでていてこれはこれで良いんじゃないかなぁと思いました。
>>36さん、歌い方なんかも椎名林檎を意識してるのかなぁというのが感じました。
前回の曲とは全然違う感じがして、歌い方や声の出し方を変えられるというのは凄いですね。
ただ、少しだけ意識しすぎになっていて、歌い方が雑になってる部分もあるのかなぁという気もしました。
前回のと今回ので二曲しか聴いてないのですが、歌手の特徴を掴んで歌うのが上手い方なのかなぁと思ったので、
特徴を掴むのを意識するだけじゃなく、丁寧に一曲を歌うのにも気をつけてみると、もっと良くなるんじゃないかなと思いました。
とりあえず、(・∀・)カエレ!!かな。
>>37さん、曲聞いててネタに走る人だと紅茶吹いてから思い出しました・・・orz
相変らず完成度が高いですね。若干音程がずれてるかなぁ?という部分があった気がしましたが、
楽しく聞かせて頂きました。ありがとうございました。
>>39さん、これはカッコいいですね。やっぱり安定感が上がってますよね。
全体的に安心して楽しく聞けました。後半でちょっと笑ってしまいました。なんで銀狼?しかも上手いし。
ありがとうございました。
すいません、とりあえずここまでで。なんか皆さん上手くなっていてスレの平均が上がってる気がしてならない・・・
A母語の言語発声の混入
何より大きい問題、これこそ私が一番声を大にして注意喚起したいこと。
ほぼ全てのボイトレで、これまで嫌というほど書いてきた言語発声の混入について、言及・記載が無いことです。
普通は誰でも自然と歌声に言語発声が混入してるんです。(
>>113、
>>134)
しかも同じ言語圏の人でも個々で混入比率が違って、まさしく千差万別です。
で、場合によってそれを取り除いたり混入比率を下げたり、あるいは他言語の発声を意識しないといけないのに、
どのボイトレも暗黙の了解、知ってて当然・出来て当然のように、それをスキップして練習に入ります。
そんなんじゃ出発点から間違う可能性だってあります・・・
ロジャー本なんてそれの最たる例じゃないでしょうか?
発声に加わる言語発声エッセンスがとても大切なファクターであることは、
>>112-114、
>>133-135で説明しましたね。
母国語が英語の人と我々日本人ではその言語発声が全く違うのに、それを一切無視して練習に入ってます。
だから「ヘッドってどうやって出すんだ?」みたいに記載の無い所でつまづき、ついには難しすぎると挫折するんです。
ウォームアップでも、高音では喉を開放しないといけないのに、日本語発声のままどんどん喉を締め付けて間違います。
B用語の氾濫
同じ意味なのに声楽やボイトレの流派によって異なる言葉が多数あり、またそれぞれ微妙にニュアンスが違ったりもします。
にもかかわらず、情報の発信者はそんなこと一切お構いなく、ただ自分たちの用語が唯一のごとく伝えます。
それら同義語・類義語の整理だけでもかなり手間がかかり、発声練習にさえ入れず時間を浪費します。
もし用語の理解で苦しんでいる人がいたら、悪い言葉遊びだと思って切り捨てるのも手です。
これは文化人類学的な考え、多文化主義の欠如、1つの文化への傾倒の表れでもあると思います。
これまで口を酸っぱくして言ってきた言語と発声との関連性、そしてそこから生まれる声色の文化的嗜好性…
差音についても考えたり調べたり。
なんて言うか簡単な物理の筈なのに、何でこんなに感覚論や都市伝説みたいになってるんだと。
で例によって面白いサイト見つけました。(ほんと紙の本読んでないな)
http://members2.jcom.home.ne.jp/alba2010/differnce%20tone.htm サイトの主はちゃんと物理の分かる人で和声について調べているようですね。
見て頂くと分かりますが、盛りだくさんで全部見るのはけっこう大変。
詳細はやっぱり読んで頂かないと仕方ないんですが、重要と思われるところを独断と偏見でピックアップ。
@「差音」が存在することは音楽やってる人にはわりとあたり前
A差音が「主観的な音」とする説は御大ヘルムホルツ先生が定着させた。
(科学は権威主義を打破して進むべきなんだけど御大の権威はそれほどまでに強大なんですね。)
B周波数の異なる二つの波を重ね合わせると、両者の平均周波数で振動する波が生じる。
で、その波の振幅は二つの振動数の差に当たる振動数で極大・極小を繰り返す、つまり振動する。
(三角関数の和を積に直す話を思い出しましょう。幸いにして?全部高校の数学と物理で収まってる。)
この振幅の振動(ややこしいな)が「うねり」であり、「差音」。両者は同じ物理現象。
怖いもの見たさにちょっとあちらを覗いてみましたが、たいへんなことになっていますね。
自分もうかうかと長レスして餌を与えてしまったのではないかと反省してます。
で、このサイトの作者は振幅の振動は音ではあるが厳密には波といえないので
「音波」ではなく「音粒」という表現を使ってます。
ところで、私たちは共鳴体の存在するシステムでは差音も増幅されると考えました。
音粒は実際に「差音」の振動数を持って共鳴体を叩くわけですから、当然共鳴が起こります。
そして共鳴体が実際の共鳴を起こしてしまえば「差音」はもはや「音粒」ではなく
ちゃんとした音波になります。
私的にはかくして「差音」は感覚論とか都市伝説ではなく確たる理論的地位を築いたと考えるんですが
みなさんはいかがでしょうか?
最初に書いた「腹による支え」ってのは、「腹式呼吸」って捉えることだってできます。
ただ、あくまで私個人の考えは
>>380下部に書いたように「呼吸法を誘発するための発声法」であって、
呼吸法で発声がガラッと変わるほどの、大きな影響力は持ってないと考えてます。
またレス遅れちゃいました・・・申し訳ありませんm(_ _)m
あ、その間に教祖スレ覘いてました。教典すごいですね。 今読んでる最中です。
発声法の研究って、感覚論の集約からスタートしたもんだから、 それが連綿と受け継がれて今に至るのは、当然っちゃ当然ですよね。
例えば音響学的な切り口で発声方法を解明するにあたっては、帰納法的に導き出すでしょうし、
そこには推察の材料として感覚(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。
ある意味、感覚論からスタートして、通底する生理現象へ進むのは自然な流れだと思います。
まずは未熟でもなんでもいいから、色々喋ることって大切ですよ!
そうやってアウトプットすると、自分の中でわかってると思ってたことが、
実は単なる思い過ごしで、全然整理できてないのがわかったり・・・ 書いた後で恥ずかしくなっちゃうことも多々あります^^;
私なんざ凡庸な一般ピープルなんで、156さんの熱意が続く限り、差は縮まる一方だと思いますw
というか、生理学的・解剖学的な境地があるとしたら、それはたぶん極限的なものなんですよね。
しかしながら、この2つはトレードオフの関係で、完璧に両立させることは不可能です。
同じく、歌うときは話すときより格段の声帯調節が行われ、それが共鳴腔の形状にも制約をつけます。
lim[t→∞](t)とlim[t→∞](t+α)のように、最初の差=αが結局関係なくなるのと同じく、
私と156さんの差なんて、結局は取るに足らない誤差と同じです。
なんで、焦燥感は向上心にだけ連結させればいいわけです。 なんか説教臭くなって申し訳ありません^^;
日本と欧州における歌の進化の違い 建築 硬いものほどよく響くのは知っているだろうか
手回し式のオルゴールをやわらかい物と硬い物の上でならしてみるとよくわかる
それを踏まえて 日本の家屋=主に木 欧州の家屋=主に石 木と石ではどちらが硬いかはご存知の通り
@
http://www.youtube.com/watch?v=jVmiOqk4560 A
http://www.youtube.com/watch?v=3wmIrAFKLs0 これだ!って音源が見つからなかった・・・お許しを。
まずは上の2つの音源を、純粋に“言葉”を発しているものとして聴き比べてみて下さい。
どちらがより話し言葉に近く聞こえますか? 大多数の人はAを選ぶと思います。
@みたいにしゃべる人はいないですよね。そんな人いたら、たぶん舞台俳優ってあだ名付けられます。
では次に、どちらの音源の方が歌唱発声=オペラ・クラシック発声に近いでしょうか?
これは誰しも@を選ぶでしょう。これまで書いてきたことを如実に表していますよね?
歌声としても言語としても、どちらも成立しているのに、その内容たるや歴然とした違いがあります。
発声器官を効率的に働かせ発声したとき、声帯は引き上げ・引き下げ筋によって伸展し、
閉鎖筋による必要最小限の閉鎖によって厚ぼったくならずに振動効率を高めます。
また、共鳴腔は広がり、高次フォルマント(約3000Hz周辺)に集約するように働きます。
これに対し、言語発声を優先=発語器官としての側面を強調した場合、
それぞれの役割は委縮・減退し、発声効率は低下します。
その代わり、言語としての声の特徴(母音特有のフォルマント形成・音色etc)は増幅され、
言葉としては自然に聞こえるようになります。