そういや、このスレ書き始めたきっかけというか、モチベーションの1つに、
私のもっている限りのヴィブラートの知識を書き綴りたいって衝動みたいなもんがあるんです。
勝手な自己満足でフリーさんのスレ汚しちゃうといけないんで、ここで書こうと思ったわけです。
下手に順序立てて書こうとするあまり、いつになるか怪しいんですが、
フリーさんには筆舌尽くしがたいほど感謝しているので、いつかは必ず書きます。
それに先だって、2つ紹介しておきます。
・Soft Ballat - White Shaman
http://www.youtube.com/watch?v=WtzUpoW5NJQ ・氷川きよし - 津軽平野
http://www.youtube.com/watch?v=hcNfJVQfklc 私の中の勝手な定義・・・
「演歌型ヴィブラート=喉仏がグワングワン上下する=喉頭自体を揺らしている。」
前にTVに出演されていたとき、DAISAKUさんも喉頭を揺らしていた記憶があります。
このタイプのヴィブラートは、喉頭を揺らすために共鳴腔の変化が著しく、
ロングトーンの母音のフォルマントがヴィブラートと同周期で変化します。
おおげさに言えば、「あ〜〜〜」じゃなく「あぇあぇあぇあぇ〜」みたいに聞こえるはずです。
母音の維持には向かないタイプのヴィブラートですが、喉頭自体を揺らすために、
声帯(声唇)が少々厚くなろうとも揺らすことができます。
そのために、日本語発声のままヴィブラートできる=演歌などの分野で活きることになったのでは?
と思っています。
まず第1に、
>>113で書いた「言語差=言語発声の差=発声器官の使い方の差」があります。
これは言語を、「頭の中で文章を構築する=内言語」と、「それを声に出す=外言語」に分けたうちの、
外言語に相当する部分に着目したものです。
そして「発声器官のある1つの言語発声への特化」とは、この外言語の1言語(母語)への偏重によって、
共鳴腔(声道)が変形してしまうことを意味します。(cf.
>>73)
共鳴腔の変形がピンとこなければ、ペンダコを例に考えてみてください。
ペンダコとは、長年同じペンの持ち方をしたために指の一部が変形したものです。
これができるとペンがズレることがなくなって、より持ちやすくなります。
右利きの人なら右手に、左利きの人なら左手に、普通なら中指にできますね。
逆に、ペンを持っていない方の手の中指には全くできません。当然です。
ちなみに、私はペンの持ち方が変(↓の画像みたい)なので、右手薬指にできています。
ttp://blog-imgs-18.fc2.com/s/o/o/soogatch/20060713.jpg ペンの持ち方の違いで、違った位置にペンダコができるわけです。
共鳴腔も同じで、ずっと日本語を話していると、
日本語の5母音を発声しやすいように、共鳴腔の形状そのものが変形していくんです。
それが言語間の差となって母語以外の言語を発声するときも現れ、
あるが果てに歌うときにまで顔をのぞかせます。(cf.
>>112-114 >>133-140)
第2に『歌声における言語発声と歌唱発声の相関関係』(
>>133-140) のジレンマ解消法で書いたこと。
これは米山文明先生の著書『声と日本人』にも書かれていたことです。
共鳴腔(声道)は各母音のフォルマント形成に多大なる役割を果たします。
また、共鳴腔は広がることで声量確保、高次フォルマントの集約等にも貢献します。
歌う時には、この2つの動作を同時に行わなければなりません。
しかしながら、この2つはトレードオフの関係で、完璧に両立させることは不可能です。
同じく、歌うときは話すときより格段の声帯調節が行われ、それが共鳴腔の形状にも制約をつけます。
すなわち、母音を明瞭に発声するための共鳴腔の形状にはなりにくい場合が多々あるわけです。
以上のように、歌うことは母音フォルマント形成の阻害要因を多く含みます。
歌う際に言葉の明瞭度よりも音高や音色にウェイトをおくならば、フォルマントは多少変移させて対応すべきでしょう。
下の図を見てください。
http://www.oki.com/jp/rd/ss/img/speech_fig_position.gif 各母音の範囲(破線内部)ならば、縁にいけば明瞭度は下がるものの、その母音に聞こえるはずです。
注目してもらいたいのは、「/e/と/u/」、「/a/と/o/」が重なっていることです。
この重複する範囲では、どちらの母音にもとれる音が出ています。
声を言葉として捉えた際、これでは明瞭度もクソもなくてよろしくない発声でしょうが、
しかしながら歌う際にはこういった縁までレンジをもつ意識をしてもよいと思います。
実際、発声練習の中には、「ア」のような「オ」、「オ」のような「ウ」、「エ」のような「イ」みたいに、
母音を崩してでも響きや音色を保持させるものもあるくらいです。
>>190-194 既出もなにも、これから書きたかったことてんこ盛り、大変ありがたいお話です!!
私には十分信用足るものですよ!
【 建築 】
まさしく仰る通りだと思います。
建築材料の違いは、普段からの発声法の違いにつながっただろうし、宗教音楽の発展にも影響しました。
それが芸術音楽や大衆音楽にも影響して、18世紀ごろまでは独自の発達を遂げたんだと考えてます。
あ、18世紀ってのは私個人の感覚です。日本でいえば江戸時代ごろまで。
たぶんその頃までは、今みたいな世界間の大々的な文化交流はなかったはずです。
他文化の大きな流入がなかったからこそ、混血ではないその土地だけの純粋な継承・発展があったと考えています。
少し逸れますが、
>>175で少し触れたように、洋の東西を問わず宗教音楽が影響していることはとても興味深いです。
グレゴリオ聖歌が演奏された教会(大聖堂)では残響時間が3秒とか4秒、あるいはそれ以上と、
これは現代のコンサートホールとは比べ物にならないくらい長いです。
そんな残響時間の長いところで非整数倍音を多く伴った声で歌っては、
ホワイトノイズの反響まで入り混じって音が濁ってしまいます。
そのために整数倍音が多く、非整数倍音の少ない発声法が重宝され、響きの増大につながりました。
宮廷や音楽堂も残響時間が2秒以上あって、歌声・楽器はそれに合った発展をしました。
対して、聲明は木造の金堂で行われていました。
金堂は民家より残響時間が長いとはいえ、たぶん1.5秒にも満たない、1秒前後くらいだと思います。
雅楽や能の類の演奏も屋外の舞台などで、それらは共に反響の少ない、あるいは無いような場所です。
そのような場所では、聴衆に直接音を届けるために、音をはっきり強く出す必要があります。
発声においては明瞭度が重んじられたのは言わずもがなですね。
これら宗教音楽が大衆文化に伝播し、民謡等の発展に影響したはずです。
>>339 >>160-161は図書館で借りた本ばかりなので、どうぞ1度図書館へ足を運んでみてください。
最近の図書館は他館から取り寄せができるし、大概の本が読めるようになって便利です^^
実践的で練習を伴う考察ならば、ボイトレ本の類の方が良いかもしれませんね。
個人的には、私がお勧めしたバイブルも、歌声の科学とかフースラーとかに準ずる知識型の本で、
ボイトレではないので、あくまで知識の形成、理論構築に役立つ本です。
あんまり難しい内容で手をこまねいて、練習が疎かになるのは本末転倒ですからね。
あ、ぶっちゃけ読んだことない本のが圧倒的に多いんで、立派なことは何1つ言える身分じゃないんですが^^;
個人的にうまい具合で優しい理論書だなぁと思ったのは『歌手ならだれでも知っておきたい〜』系です。
『音楽家なら〜』の方しか読んだことないんですが、あれは図解もあったり内容が実践者向けだった記憶があります。
同系統っぽいし、より詳しそうなので、私も読んでみたいですねぇ。
『あっというまに歌がうまくなる!?〜』は、特別この本だけの情報ってのもなかった記憶があるし、
正直、ボイトレ系の本はネットが発達した現代では、ググれば手に入る情報が99%です。
目にしたり耳にした情報(ボイトレ法)ばかりで、何か突飛な練習法を探す方が難しい時代になりつつあると思います。
特に昔から懐疑的に思っているのが、「あっという間に」や「たった3日で」とか「2週間で完成」みたいな、短期間で習得を謳っている本です。
発声って、いわばその人の癖のかたまりであって、本で単純一義的にまとめて上達を指導できるほど簡単なもんじゃないんです。
そういった本は大風呂敷を広げたことで、内容が大雑把になっていることが多いです。
まぁそれでも手に取って読んでしまうのは、私自身が発声嗜好症なんでしょうね^^;
長々と書いちゃいましたが、ご自身が練習と理論(知識)をどのウェイトで取り組むのかで、本もいろいろ変わってきます。
実践から頑張ってらっしゃるなら、やはりVT系本をいくらか読み潰して練習方法を増やしたりするのがイイですかね。
そうするうちに嫌でも知識なんてついてくると思います^^
>>228 簡単に説明すると、引き上げ筋の効果は、宙ぶらりんな喉頭を固定することです。(詳しくは
>>69)
そうすることで体が声を出す状態にしてやります。
また、話し声のときはそれ主体で発声に関わります。
ただ、このままだと
>>69に書いたように、喉の位置が高くなっちゃって、とても上手くは歌えないので、
引き下げ筋によって喉頭を下に引っ張り、位置を下げてやるんです。
フースラーの『歌うこと』の言葉を借りるなら、引き上げ筋、引き下げ筋、ともに“喉頭に支持を与える”ことを引き受けます。
すなわち私が言うところの「喉頭の固定」です。
フースラーいわく、両者が綱引きのように喉頭を引っ張り合い、喉頭が平衡状態になると、声帯の中にある筋肉の緊張が解けるらしいです。
ただ、あくまでその状態がリラックスベースになるということで、そこにある筋肉、例えば声帯筋とかの閉鎖筋群はちゃんと活動するはずです。
じゃないと声帯伸展と声帯閉鎖が同時に行えない大変な状態に陥っちゃいますからね^^;
これらの結果から、どのような効果があるのか?という質問に対してですが、
正直はっきりした効果はありません^^;
「喉頭を固定して声を出す状態にしてやる」その効果が「声を出す」ことですから…
逆に言えば、引き上げ筋だけ使って歌おうとしても、喉の筋肉が緊張を誘発されて上手く使いきれません。
それを解決するため、引き上げ筋は歌う時には引き下げ筋のサポート役になって緊張を解くと思って下さい。
メインじゃなくサブとして、引き下げ筋に対応する存在として存在しているのです。
だから、それ単体で目立った効果ってのはないんです。
また暇があれば『歌声と話し声の違い』(
>>69-73)を読み返してみてくださいm(_ _)m
>>231 喉をガッチガチに緊張させて、無理に声帯を振動させたら、喉を傷める確率は増すでしょうね…
>>232さんがおっしゃる呼気圧迫が増すことにもつながりますし。
喉頭の位置は二次的な要素として、これまた声帯圧迫とか喉絞めにつながりますが、
まぁ極度に上がってなけりゃ許容範囲というか、深く考える必要はないと思います。
逆に考えれば、そうしないことが喉を傷めにくい発声ということになるでしょう。
声帯の閉鎖に絞って考えてみると、
>>65の閉鎖筋群のうち側筋と横筋にまかせた閉鎖だと、声帯は大雑把にしか閉じません。
そんな状態だと、声帯は一様な振動をせずに、いびつに開閉運動をする羽目になりますよね?
振動にむらが起こると、何事でもそうですが、しわ寄せがどっかに来て、その状態を保つのが苦しくなります。
それを解決するために、声帯筋や外甲状披裂筋による閉鎖も加わってきれいな閉鎖・振動を起こします。
ただし、もし声帯筋や外甲状披裂筋が過度に働いても声帯圧迫につながるわけで… 何事も加減が大切です^^;
あと、いつかどこかで「裏声は喉を傷めやすい」とか聞いたことがあるんですが…
今ちょっと調べてみましたが、やっぱり“なぜ傷めやすいのか?”の答えが見つかりません。
もし理由を探すなら、その振動数の高さから、声帯靭帯に及ぼす負担が大きいのでしょうか?
それか、声帯靭帯縁辺のみの、これもある意味で“いびつな”振動が、声帯に悪影響を及ぼすのか…
そうじゃなきゃ閉鎖筋群が弱いか働いていない、声帯間隙が広めの状態なんで、声帯どうしが圧迫されてるとは考えにくいんです。
喉を傷めやすいという意見そのものにも賛否両論あるし、ここはまだ私も合点がいきません。
あと最後に、、発声が上手いといわれるヴォーカルでも、喉を傷めることはままあります。
どんな発声法だって、声を出す時点でリスクは負うんです。
そのことを理解した上で、負担の少ない喉を傷めにくい発声というのを考え、あるいは実践してみてください。
順不同になってる…ゴメンナサイm(_ _)m
>>221 (
>>222 >>224)
地声と裏声をどう思っているか…そして女声について。
まずは地声と裏声からいきましょうか。
無理にカテゴライズするならば、地声は声帯全体を振動させたもの。それに対して裏声は
>>162記載の感じです。
あ、もう1つ付け加えるならば、裏声は声門閉鎖が伴わないか、あっても極わずかなものです。
ただ、これらは極端にカテゴライズしてその作用を明確化させたものであって、個性と同じく人それぞれ個人差があるのは当然です。
このことも
>>162とかに書いたとおりです。
私なりに両者は
>>65の筋肉それぞれの関わる比率が違うだけで、声帯から発生している同じものと考えています。
裏声とか地声とか、ミックスとかミドルとか、そういったものを全部バズワードとして切り離して、
声が出る原理を生理的(科学的)に考えた時に、間違いなく言えることはただそれだけです。
あと1つ、往々にして言えることですが、バズワードを生半可なまま使い聞こえてきた声から発声法を推察すると、
生兵法は何とやらで、間違った結論を導いてしまうことになりかねません。
例えば、気息音が多いから裏声に分類しますか?
何やら「声に芯がある」とかいう判断でもって、実声だって分類しますか?
そんなんじゃ本当にどうやって発声しているのかの真理・原理に辿り着けないままになっちゃいますよ!
>>151>>173に書いたとおり、“音響=発声の結果”からの考察は最大限慎重にすべきです。
こんな感じで考えていたら、私の頭は
>>174になりました。
まぁそれも今じゃ事故ってカオス状態になっちゃってますが…^^;
少なくとも今の私が言葉に表せるものは
>>150の目次に書き連ねたことくらいのもんです…お役に立てず
あと、どの本の出典だったか忘れたんですが、
@ 下アゴが硬い。(口で喋る・ハッキリ前で喋る、と他教えられた人に多い)
A 口を開けすぎて、結果、下アゴが硬い。(日本の声優さんに意外と多い)
B 舌根が硬い。(クラシックを歌うということを誤解している人に多い)
とか書かれてたり、最近読んだ広瀬香美の本にも、
「日本語は下あごを使って発声する言語。ですから普通に日本語を話し、
その延長線上で歌えば、喉に負担をかけて歌うことになります。 」
とか書かれてたんで、やっぱり私の推察は何かに繋がってるのか?と思ってます。
全くアテにならないとは思うんですが、私が動画観てて「あぁ膨らんでんじゃね?」って思ったやつを…
Jason Mraz - I'm Yours (live) ⇒
http://www.youtube.com/watch?v=LYhrYHmUPn0 いちおうキャプって目印を付けてみました。
平常時⇒
http://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/315573 発声時⇒
http://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/315576 、、わかりにくいかなぁ…
超高音てわけじゃないんですが、さすがにサビ辺りは高いと思うんです。
そこで首筋〜下あご周辺に筋が浮くほど硬直させて歌う人いますよね?
その対極いってるなぁと思いながら観てました。
歌い方が柔らかいからか?とか、そんな他の要因も含めてまだ自分の中で結論が出ません^^;
>>459-463 >ここんとこ調子が悪くて… 帰っては即寝でネットやってませんでした。
サブ様。
ちょっと前にこのスレを見つけて以来、たいへん興味深く拝見させて頂いております。
レスなどはゆっくりで構いませんから、どうぞご自愛ください。
>声帯より下の気管支〜肺腔もモデル化して…簡単なモデリングでは済まないのが難点です。
実は私、流体ではないのですが、似たような数値シミュレーションを専門にしていた時期があります。
周りには流体のシミュレーションを専門にしている人もいてよく議論もしました。
その時の経験からすると、コンピュータシミュレーションと言っても
巷の人たちが何かありがたい御神託のように大層に考えるのとは裏腹に
結局モデル化の時点で発生が予測された事象のどれかが起きるに過ぎません。
モデル化の時点で考慮されてないこと、つまり人間に分かってないことはコンピュータを使おうが
何を使おうが所詮分かりません。
そういう意味ではモデルがすべてですが、生きている人間の発声器官のモデルは難しいですね。
声道や気管支〜肺腔は剛体で近似するとしても、発声時の声帯の厚さ、密度、応力の分布なんて
どうやったら分かるんでしょう!
ただ、モデルが確定しなくても先ほどの「起きる可能性のあることだけが起きる」という事実から
分かることも少なくありません。
まず、気管支〜肺腔ですが、声帯から微量ずつ息が漏れるという状態から
片閉管、両閉管両方の特性がありうるのではないかと思われます。
まあ、本来でしたら両閉管の気柱の振動なんて考えないところでしょうが、
片方の端である声帯が気柱の振動を励起しているので声帯と同じ振動数の振動モードに対しては
声帯側が振動の腹、肺のどん詰まりが振動の節の片閉管として振る舞うでしょう。
その他の高次の振動モードに対してはさまざまな振る舞いが予想されますが、
特に高い振動数に対しては声帯の振動は止まっている、すなわち振動の節と見えるので
声帯側が振動の節、肺のどん詰まりも振動の節の両閉管として振る舞うのではないでしょうか。
おじゃまします
倍音が豊富な歌声を聴くと、基音のオクターブ上とその完全5度上の倍音(つまり第2、第3倍音)と、
あとはかなり上の方の超音波に近いような倍音の二通りの音域で特に強く鳴っているのが感じられる事が多いと思います
そこで低次倍音についての全く新しい考察なんですが、低次倍音(第2、第3倍音あたり)とは、もしかすると高次倍音の【差音】の影響を
色濃く受けているために特に強く鳴っているように聴こえるとは考えられないでしょうか?
差音はご存じの通り、高さが近く大きさも同じくらいの二つの音があった場合、その周波数の差に相当する高さの音が人間の耳には幻聴として聴こえる
というものですが、最近の研究では差音をセンサーが感知したという話もあり、必ずしも幻聴とは言えないようです
そして差音は倍音同士でも起こることが判っています
ただしそれは二つの音源から発された倍音の場合であって、一つの音源が発する異なる周波数の倍音同士の間でも差音現象が起こるのかは不明です
もしそれが起こるのであれば、低次倍音が豊かに聴こえる声は実は高次倍音が豊かでそのために起こる差音現象によって
低次倍音が増幅されているのではないかという仮説は成り立ちませんでしょうか?
倍音はすべて基音の周波数の整数倍ですから、第n倍音と第n+1倍音の差音は基音に等しく、第n倍音と第n+2倍音の差音は第2倍音、
第n倍音と第n+3倍音の差音は第3倍音に等しい訳です
二つの音の高さがあまり違い過ぎると差音現象は起こりませんので、想定できるのはこの辺りまでかもしれません
つまり低次倍音の豊かな歌声は、低次倍音そのものがダイレクトに豊かな場合と、差音現象が起こりやすいような音量バランスのとれた高次倍音が豊かな歌声
の二通りがあり得るのでは?ということですが如何でしょうか?
>>470-475 女声、男声、倍音とかのキーワードで検索していたときに面白い音源を見つけました。
博識なサブさんのことですから、すでにご存じかも知れませんが
http://www.youtube.com/watch?v=gdqjcW8u7Lw&feature=related The MAGIC Of Bulgarian Voices & Music - Malka Moma / Little girl - LIVE ブルガリアンボイス
サブさんがこのスレで以前に紹介されている姫神の「神々の詩」にも影響を与えているようですね。
伝統的なクラシックの女声合唱とは違って地声のように倍音が多い歌声とか、
不協和音に特徴があるみたいです。
個人的には平原綾香より好きな声ですが、この彼女が日本語を歌ったらやっぱり駄目なんでしょうか?
黒海を挟んだ対面のグルジアにも同様な多声音楽があってこちらは存続の危機にあるとか。
多種類の文化の交わる地域には興味深いものがありますね。
>>480 起こっていないかもしれない、という可能性も考えたからこそ論拠を探したのです。
体感的には多くの人が胸部が響く事を体験しているわけですし、
これ以上のことを議論するならそれこそTitze(1983)の論文あたり詳しく吟味するしかないのでは?
そして決定的な証拠がZUNさんが
>>524で書いておられる差音として生じた1倍音の存在ですね。
きれいな正弦波の咽頭原音と2つの共鳴音の差音として生じた音は振動数は同じでも波形は違う筈です。
ただ客観的な手法にこだわってスペクトル分析にかけても波形の違いは読み取れないですよね。
音として聴き分けるのは主観性が入るので証拠としてはちょっと弱くなってしまうんだろうか。
少なくとも自分は聴き分ける自信がないorz
(ちなみに私は音楽的素養全くなしにいい大人になりましたので音感とか聴きとりとか駄目駄目です。
歌の単純なハモリパートひとつ聞き分けるのも必死、というかそれすら危うい感じでww
ZUNさんの耳がうらやましい)
それから、これも状況証拠になりますが、高次の倍音を含む色んな歌声を集めて
それらの歌声に高次倍音の差音として構成可能な低次の倍音が含まれている事を確かめる、
というのもありそうです。
それで、この2点目の状況証拠に関してですが、差音に注目すると疑問が一つ解けるのですよ。
以前私が取りあげた
http://archive.mag2.com/0000225345/20070319135000000.html ボイストレーニングの嘘真うそまこと「イイ声はどんな声か4」で
1.「透明感と艶のある声」のスペクトルが紹介されているんですが、
どうして強い倍音が「きっちり等間隔」に並ばなくてはならないのか疑問だったのです。
等間隔にどういう特別な意味があるのかと。
差音を考えるとこれが等間隔でなければならない理由が出てきます。
等間隔でなかったら強い倍音は様々な組み合わせで新たな差音を生じてエネルギーを分散してしまいます。
結果として強い倍音がいくつも並ぶという特異なスペクトルは維持できず、差音として生じた低次倍音が
強い倍音のエネルギーを奪って鋭いピークがない凡庸なスペクトルになってしまうのではないでしょうか。
逆に倍音が等間隔なら、どんな組み合わせで差音を作っても、もとからあったのと同じ音しかできません。
そういう場合にだけ、細く鋭く強烈に強い倍音のピークをいくつも持ったスペクトルが許されるのではないでしょうか。
そして、そういう細くて鋭い倍音のピークをいくつも持つ声が透明で艶があるように感じられると。
133 :
選曲してください:2012/08/05(日) 19:09:38.56 ID:RLq+Sr+i
少しだけ加勢
>>320さん、前奏がゲームの曲か!?と思ってしまいました。
発声が少し雑になってるのかなぁという感じがしました。
勢いはあるかと思うのですが、その勢いがしっかり声に乗って無い感じで、無駄にしてしまってる部分が結構あるんじゃないかなぁと、
思いました。無駄に力が入っている部分があるので、途中でスタミナが切れてしまっているのかなぁという気もするので、
呼気を抑え目にしてしっかり声を出すというのを意識してみると良いのかなぁと思いました。
腹式呼吸やリップロール、タングドリル、エッジなんかをこなす内に喉の負担やスタミナ切れも無くなる気がしました。
>>323さん、あれ?音程合ってるのかな?という感じが・・・
発声が良いのに音程で???となってしまってなんか不思議な感じが・・・
なんだろう?語尾処理の子音の強調だったりが上手く行ってないのか、ガクンガクンガクンという感じで
スムーズに音が繋がって行ってないのかなぁとも思うので、もう少し力抜いても良いんじゃないかなぁとか思いました。
雰囲気作るのはとても難しそうな曲だなぁと思いました。
>>324さん、それって・・・歌っても大丈夫なのでしょうか? とりあえず無理をなさらずにお体を大事に。
蓄膿症に関しては鼻炎という認識で良いのでしょうか? 発声の問題なのですが、YUBAさん曰く鼻腔なんか関係ないらしいです。
以前、どこかのスレで鼻を摘んだYUBAさんが良い声で歌っていたというのを聞いた事があるのですが、
呼気のコントロールと音の響かせ方でしょうか、それがしっかり出来ていると鼻腔を使わなくてもしっかりとした発声になる、
らしいです。ただ、重度のと付いてしまうと体質的な物がどうしても出てきてしまうので絶対にとは言い切れ無さそうですが・・・
歌、声帯結節に関して知識が無いのでなんとも言えないので、発声に関してどうなのか解らないのですが、
音がしっかり取れてるのかなぁという気がしました。聞く限りでは口だけで歌っていて音がしっかりあっていないんじゃないかなぁ、
という気もするので、リップの練習と合わせて音階練習とかもしてみると良いのかなぁと思いました。
134 :
選曲してください:2012/08/05(日) 19:10:44.87 ID:RLq+Sr+i
>>327さん、以前聞いたときよりも安定していて、音の取り方がしっかりしてる気がしました
間違いなく上手くなってますよね。
少し、音の強弱のつけ方が少し雑になってるのかなぁという気がしたのですが、それが無くなれば、
(・∀・)カエレ!!じゃないかなぁと思いました。
>>328さん、Mr.childrenってどんな曲歌っても難しいですよね。独特の節回し、リズムの取り方、音の取り方と。
私もhanabiを練習し始めてそろそろ半年近くになるのですが、全然納得いく感じにならないで苦労してます。
もう少し、メリハリの付け方と、音の伸ばす部分伸ばさない部分を意識してみると良いのかなぁと思いました。
少し棒読みの部分が多い感じがするので、語尾の子音で音の強弱や上げ下げなんかを気にしてみると、
もっとしっかりとしたメリハリがついてMr.childrenらしい曲になるんじゃ無いかなと思いました。
音を強める部分で力で張り上げてるのかなぁという所が何箇所かあるので、極力、力を抜きながら音を届かせられると
良いのかなぁと思いました。
>>330さん、初めからジャガリキッテル。笑いが止まらなかったです。ありがとうございました。
>>331さん、自分で歌いやすいアーティストっていますよね。歌い方が合うのか、音域があうのかで歌っててしっくり来るというか。
歌は、探り探り歌ってる感じが結構あった気が・・・そのせいか部分部分で音がずれてるのか発声が弱くなってるのか、
という感じがしますが、とりあえず(・∀・)カエレ!!
135 :
選曲してください:2012/08/05(日) 19:11:37.30 ID:RLq+Sr+i
>>334さん、上、この曲でネタに感じないのは凄いですね。
少し発声が不安定になってるのかなぁという気がしました。抑揚なのかなぁという気もしたのですが、
抑揚という感じじゃなくて、不自然に急に弱くなっていたりしたので、発声の仕方は統一した方が良いんじゃないかなぁという、
気がしました。多分意識して変えて癖を付けてるんじゃないかなぁと思ったのですが、癖を付けてる部分の発声が、
不自然になってるんじゃないかなぁという気がしたので、そこまで癖をつけようとしなくてもしっかりと強弱付くんじゃないかなぁと思いました。
>>337さん、原曲知らないので感想だけと思ったのですが、何度か聞いていて、気になって原曲も聞きに行ったのですが、とりあえず凄かったです。
少し力強さが足りないのかなぁという気もしたのですが、ござるさんの味がでていてこれはこれで良いんじゃないかなぁと思いました。
>>339さん、歌い方なんかも椎名林檎を意識してるのかなぁというのが感じました。
前回の曲とは全然違う感じがして、歌い方や声の出し方を変えられるというのは凄いですね。
ただ、少しだけ意識しすぎになっていて、歌い方が雑になってる部分もあるのかなぁという気もしました。
前回のと今回ので二曲しか聴いてないのですが、歌手の特徴を掴んで歌うのが上手い方なのかなぁと思ったので、
特徴を掴むのを意識するだけじゃなく、丁寧に一曲を歌うのにも気をつけてみると、もっと良くなるんじゃないかなと思いました。
とりあえず、(・∀・)カエレ!!かな。
>>340さん、曲聞いててネタに走る人だと紅茶吹いてから思い出しました・・・orz
相変らず完成度が高いですね。若干音程がずれてるかなぁ?という部分があった気がしましたが、
楽しく聞かせて頂きました。ありがとうございました。
>>341さん、これはカッコいいですね。やっぱり安定感が上がってますよね。
全体的に安心して楽しく聞けました。後半でちょっと笑ってしまいました。なんで銀狼?しかも上手いし。
ありがとうございました。
すいません、とりあえずここまでで。なんか皆さん上手くなっていてスレの平均が上がってる気がしてならない・・・
>>544 本は読むんですがサイト巡りはあまりしないものでして、、知りませんでした!
ご紹介ありがとうございますm(_ _)m
読んでみていささか疑問に思うところもありますが、辛辣な書きっぷりもあって総論としては面白いです。
特に「アンザッツの発声配置図が類化的幻想である」という記述は面白いですね。
アンザッツの本義が共鳴腔操作だけでなく、声帯操作まで意味をもった練習法だと記載しています。
なんか最近は共鳴腔操作ばかり話題に上がって声帯操作は無いように書いてきちゃいましたが、
私個人の見解も、アンザッツは臨機応変に然るべき声帯の状態・共鳴腔の状態を作る練習だと思っています。
そして、声帯操作と共鳴腔操作は相互作用があって、完全独立の状態にはなりえないと思います。
(たぶん今まで書いてきた中で薄々言及しているはずなんですが、、いっぱい書きすぎて忘れましたw)
“原始本然”とか“ピュシスの再活性化”と小難しく書かれているところも、
ようは言語獲得以来の発声で荒廃した機能の回復ですね。(cf.
>>73>>113ともに最下段)
発声練習は今の状態に加算されるものではなく、マイナス→ゼロへの回帰です。
私が今まで何度も書いたのも、その意識改革が重要なターニングポイントになるからです。
も1つ面白いのが、
「アンザッツ1の軽視、引き下げ重視と引き上げ軽視、アジア・アフリカ段階の美の破壊の再現思考」ですね。
これは文化人類学的な考え、多文化主義の欠如、1つの文化への傾倒の表れでもあると思います。
これまで口を酸っぱくして言ってきた言語と発声との関連性、そしてそこから生まれる声色の文化的嗜好性…
それを端的に言い表わしていると思います。
、、実はちょこっとアンザッツ1に触れて伏線を用意したんですが…誰も気づいてくれないw
まだ伏線回収できる気配さえありませんしイイんですがw
“歌唱技術における感覚論へのアンチテーゼ”として始まり、
感覚的表現が“万人共通かのごとく書かれることに否定的”なはずが結局は感覚論へ回帰してしまっているような・・・。
フースラーの『うたうこと』はあたかも歌唱理論の代表的な本のように一般には捉えられがちですが、
「声楽器官を運転させるための第1の最も重要な原動力は、心の中の表象(考え方)なのであって、
発声のやり方は結局のところ、常にこの表象の産物なのである。」
と書いてあるようにその本質は普遍的な感覚論の本です。
また、感覚論の代表として挙げられることもあるリリー・レーマンの知覚図
http://www.gutenberg.org/files/19116/19116-h/images/i018.jpg もいまだに価値が減っていないと思います。
生理学・解剖学・運動学・音声科学等の知識をいくら集めたとしても歌はうまくならないでしょうし、
歌唱はスポーツのようなもので歌がうまくなるために必要なのはスポーツ科学に類するものです。
『音声生成の科学』の著者である Ingo R. Titze はその知見と技能が両立している稀な例と言えそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=UQw03TXZsHA たとえば速く走るためにより速いランナーのスタイルを模倣しようとするのは当然でしょうが、
そのスタイルを模倣すること自体が目的となってしまっては本末転倒です。
発声配置が批判されるのはこういう点についてではないかと思います。
歌唱という運動は直接的に目で見ることができませんし、自分の声を自分で即時的に客観的に聴くことはできませんから、
必然として感覚やイメージの比重が大きくなります。
この感覚やイメージを否定することは上達への道を自ら閉ざすに等しいことかと思います。
これまでも歌唱はおもに模倣によりその技術が受け継がれてきましたが、
これは教える者と教わる者との間に普遍的な感覚の共有があるからこそ可能だったのだと思います。
もちろん発達の度合いによって感覚やイメージは変化していきますのでこの点については考慮が必要です。
科学への期待を抱くのはよいとしても現時点では残念ながら歌唱は科学主義には向いていないと思います。
当然もうすでに気づいていることかとは思いますが・・・。
戻って参りました。って実はちょっと前から帰宅しているんですが、
いつもながら内容が濃いので、いろいろ考えたり調べたりですぐにレスできませんでした。
>>531 502の音源聴かせて頂きました。大変参考になります。
なんだかんだいってアンザッツもまだまだ分かりかけのレベルですから貴重なお手本です。
声も耳も頭も鍛えるところはまだまだたくさんありますね。
KOKIAの「大人のオオカミ」もそうですが、これが倍音だ!
という音源をいろいろ提示して頂いたおかげで、これからはもっと音色や倍音にも
注目して音を聴いてみようという気になりました。
とはいうもののダメ耳で聴くだけでは話が全然進まないので文明の利器でも調べてみました。
気のせいかもしれないんですが、面白いことに気付きましたよ。
ZUNさんの音源の各倍音のピークの中で基音のピークだけがかなり広がっているんですね。
大分前に録音して凹んだ自分の倍音なし音源と比べても基音の山がかなり幅広です。
これはバイオリンの差音
http://blogs.yahoo.co.jp/jack_violin1945/1143951.html のスペクトルにも見られた傾向で
差音として生じた音はスペクトルのピークが鋭くなくてのぺっと拡がる傾向があることと符合します。
やはり倍音が豊富な声では複数の差音が生じて特に低次の倍音の波形を広げるのかもしれません。
そう思ってみると心なしかZUNさんの2倍音も少し幅広になっているようです。
整数倍音の山が幅広になると実質的に非整数倍音が成分として含まれます。
>>536でサブさんのおっしゃる通り、差音が非整数倍音の起源になりうるかもしれません。
差音についても考えたり調べたり。
なんて言うか簡単な物理の筈なのに、何でこんなに感覚論や都市伝説みたいになってるんだと。
で例によって面白いサイト見つけました。(ほんと紙の本読んでないな)
http://members2.jcom.home.ne.jp/alba2010/differnce%20tone.htm サイトの主はちゃんと物理の分かる人で和声について調べているようですね。
見て頂くと分かりますが、盛りだくさんで全部見るのはけっこう大変。
詳細はやっぱり読んで頂かないと仕方ないんですが、重要と思われるところを独断と偏見でピックアップ。
@「差音」が存在することは音楽やってる人にはわりとあたり前
A差音が「主観的な音」とする説は御大ヘルムホルツ先生が定着させた。
(科学は権威主義を打破して進むべきなんだけど御大の権威はそれほどまでに強大なんですね。)
B周波数の異なる二つの波を重ね合わせると、両者の平均周波数で振動する波が生じる。
で、その波の振幅は二つの振動数の差に当たる振動数で極大・極小を繰り返す、つまり振動する。
(三角関数の和を積に直す話を思い出しましょう。幸いにして?全部高校の数学と物理で収まってる。)
この振幅の振動(ややこしいな)が「うねり」であり、「差音」。両者は同じ物理現象。
で、このサイトの作者は振幅の振動は音ではあるが厳密には波といえないので
「音波」ではなく「音粒」という表現を使ってます。
ところで、私たちは共鳴体の存在するシステムでは差音も増幅されると考えました。
音粒は実際に「差音」の振動数を持って共鳴体を叩くわけですから、当然共鳴が起こります。
そして共鳴体が実際の共鳴を起こしてしまえば「差音」はもはや「音粒」ではなく
ちゃんとした音波になります。
私的にはかくして「差音」は感覚論とか都市伝説ではなく確たる理論的地位を築いたと考えるんですが
みなさんはいかがでしょうか?
>>540 キンキン声スレは議論の前提になっている古い音源が軒並み消えていて議論の前提が分からなかったり、
前半コテなしのレスが多くて議論の流れが?だったり、今は見れない?別のスレと微妙に関連してたりで
実はちゃんと読み切れてません。
で、私が非整数倍音の話を見たのは「倍音 音・ことば・身体の文化誌」という本の書評です。
例によってきちんと読んだわけではありません。
本てせっかく買っても、読んでみると内容的に何か残念なことが多くて最近買わないんです。
借りればいいんですが、便利なところに図書館ないんですよね。閑話休題。
「倍音 音・ことば・身体の文化誌」は尺八奏者の中村明一さんという人が書いてます。
整数倍音は美しく通る声でカリスマ性を作る。
非整数倍音の声は親しみやすさを感じさせる。
という話だとか、虫の雑音を声と聞く東洋の耳、対する西洋の耳といった
まあ良くある文明論まで展開している本です。
内容的に?と思うようなところもあるようで買って読もうという気にはなりませんでした。高いし。
個人的な考えですが、西洋の、特に古典音楽が非整数倍音とか、場合によっては高次倍音さえ嫌うのは
ハーモニーフェチだからでしょうね。
歌声合成ソフトというので遊んでみて思ったのですが、ソロで存在感のあるボーカルって
ホントにハーモニーの破壊者です。お前のパートしか聞こえてこないよ、どうしてくれんだよ、みたいな。
多分古典音楽でなくてもハーモニーを前提とするなら、基音・2倍音・3倍音位で収まるおとなしい声が
望ましいんでしょうね。
存在感のあるボーカルと言えば、クリキン田中さんとか小野正利さんとか
フランジリンボイス(でいいんでしょうか?実は調べてもよくわからない)の使い手がいます。
クリスタルキングはフランジリンボイスの使い手は田中さんだけで
こちらは声を重ねても田中さんメインと思えば問題ないんですが、
小野正利さんは多重録音で自身の声を重ねていて、これは正直くどいと思ってます。
141 :
選曲してください:2012/08/06(月) 00:08:27.90 ID:nGw9e9Ul
最初に書いた「腹による支え」ってのは、「腹式呼吸」って捉えることだってできます。
ただ、あくまで私個人の考えは
>>380下部に書いたように「呼吸法を誘発するための発声法」であって、
呼吸法で発声がガラッと変わるほどの、大きな影響力は持ってないと考えてます。
またレス遅れちゃいました・・・申し訳ありませんm(_ _)m
あ、その間に教祖スレ覘いてました。教典すごいですね。 今読んでる最中です。
発声法の研究って、感覚論の集約からスタートしたもんだから、 それが連綿と受け継がれて今に至るのは、当然っちゃ当然ですよね。
例えば音響学的な切り口で発声方法を解明するにあたっては、帰納法的に導き出すでしょうし、
そこには推察の材料として感覚(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。
ある意味、感覚論からスタートして、通底する生理現象へ進むのは自然な流れだと思います。
まずは未熟でもなんでもいいから、色々喋ることって大切ですよ!
そうやってアウトプットすると、自分の中でわかってると思ってたことが、
実は単なる思い過ごしで、全然整理できてないのがわかったり・・・ 書いた後で恥ずかしくなっちゃうことも多々あります^^;
私なんざ凡庸な一般ピープルなんで、156さんの熱意が続く限り、差は縮まる一方だと思いますw
というか、生理学的・解剖学的な境地があるとしたら、それはたぶん極限的なものなんですよね。
lim[t→∞](t)とlim[t→∞](t+α)のように、最初の差=αが結局関係なくなるのと同じく、
私と156さんの差なんて、結局は取るに足らない誤差と同じです。
なんで、焦燥感は向上心にだけ連結させればいいわけです。 なんか説教臭くなって申し訳ありません^^;
日本と欧州における歌の進化の違い 建築 硬いものほどよく響くのは知っているだろうか
手回し式のオルゴールをやわらかい物と硬い物の上でならしてみるとよくわかる
それを踏まえて 日本の家屋=主に木 欧州の家屋=主に石 木と石ではどちらが硬いかはご存知の通り
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175だと思うんですよね。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・? う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
なんか今日は感覚論をたくさんしゃべっちゃいましたね。 数学でも帰納法好きだったし、感覚論が好きなのかもしれませんw
私もまだまだ未熟で、すべての感覚論を論理的に置き換えるに至っていません。
いつかそれができれば、完全な発声モデルが頭の中に完成するはず。 その時まで頑張ります^^
なるほどなるほど、また少し分かりました。
ですが僕とサブさんの間に色々なレベルの差がありすぎて、サブさんがこちらに歩み寄ってくれていなければ
今頃は会話さえ成り立っているかどうか怪しいところですな…… 毎度優しく噛み砕いていただき、本当に感謝しています。
声楽というのは自分がやっている限り、とんでもない感覚論の集合体だと思うんですね。
だから僕は「○×な感じ」とか「△□のように」としか言えないんです。
それを科学的にどうこうするにはまず自分がその歌い方をある程度体得し、その上で医学や音響学を勉強し、その声を出しているときに
体がどのような動きをしているのか等を然るべき研究機関において調べる必要があると思いますし、私もそういうことをしたいと思っています。
ですがそれにはとんでもない時間がかかってしまうと思います。
そして僕がある程度の成果を出したときにサブさんがどこにいらっしゃるかも分からないのは残念なんですね。
その焦りからこんな未熟なうちに色々喋ってしまっているのですが……
それは結構邪魔なことだと私は思うので、しばらくは邪魔をしないようにしようと思います。
今の僕には応援しかできませんが、頑張ってください。
143 :
選曲してください:2012/08/06(月) 00:11:23.63 ID:nGw9e9Ul
3声区論と2声区論の違いは、西洋と日本の違いともいえます。
2つは感覚論から生まれたものなので、とどのつまり同じ生理学的見解に行き着くわけですが、
重要かつ面白いのは、それらが洋の東西の感覚の違いを表しているところです。
もしパヴァロッティのインタビューを私たち日本人が2声区論的感覚のまま受け取れば、
たぶんそれは伝えたかったことの真意から逸脱します。
彼は彼の感覚を端的に述べているわけで、その感覚はラテン系西洋人のそれ、
もっといえば彼しかわからないかもしれない感覚なんです。
もしそんな感覚から理論を抽出しようとすれば、1つは生理学的に運動を解明すること。
そしてもう1つ、西洋人の3声区論的感覚の共有を試みる必要があります。
あえて2つの手段を用いるのは、感覚的に納得することと、理論的に納得することが違うからです。
ご紹介頂いたインタビュー本も、感覚論の違いを踏まえれば、また違った見解が浮かんでくるかもしれません。
ソプラクートのような技術にも同じことが言えます。
たとえそれが難しく、感覚的に納得できないものであっても、運動方法を解明することはできるはずです。
そうすれば頭の中に作った発声モデルでデモンストレートできます。
デモンストレーションができれば、理論上それが成立する、すなわち理論的には納得できます。
これから発声を科学的に解明なさるおつもりでしたら、まずは徹底的に新式ベルカントを読み解いてください。
その理論の指すところが明確に分かれば、それが以降の考察の柱になります。
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175だと思うんですよね。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・?
う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
3声区論と2声区論の違いは、西洋と日本の違いともいえます。
2つは感覚論から生まれたものなので、とどのつまり同じ生理学的見解に行き着くわけですが、
重要かつ面白いのは、それらが洋の東西の感覚の違いを表しているところです。
もしパヴァロッティのインタビューを私たち日本人が2声区論的感覚のまま受け取れば、
たぶんそれは伝えたかったことの真意から逸脱します。
彼は彼の感覚を端的に述べているわけで、その感覚はラテン系西洋人のそれ、
もっといえば彼しかわからないかもしれない感覚なんです。
もしそんな感覚から理論を抽出しようとすれば、1つは生理学的に運動を解明すること。
そしてもう1つ、西洋人の3声区論的感覚の共有を試みる必要があります。
あえて2つの手段を用いるのは、感覚的に納得することと、理論的に納得することが違うからです。
ご紹介頂いたインタビュー本も、感覚論の違いを踏まえれば、また違った見解が浮かんでくるかもしれません。
ソプラクートのような技術にも同じことが言えます。
たとえそれが難しく、感覚的に納得できないものであっても、運動方法を解明することはできるはずです。
そうすれば頭の中に作った発声モデルでデモンストレートできます。
デモンストレーションができれば、理論上それが成立する、すなわち理論的には納得できます。
これから発声を科学的に解明なさるおつもりでしたら、まずは徹底的に新式ベルカントを読み解いてください。
その理論の指すところが明確に分かれば、それが以降の考察の柱になります。
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175だと思うんですよね。
例えば音響学的な切り口で発声方法を解明するにあたっては、帰納法的に導き出すでしょうし、
そこには推察の材料として感覚(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・?
う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
145 :
選曲してください:2012/08/06(月) 00:15:13.92 ID:nGw9e9Ul
発言者が完全無欠を謳うのは当然なんです。
この理論じゃ部分的に説明つきません・・・なんて言えるわけないですからね。
だからこそ、もし自分の中で腑に落ちない部分があったら、とことん突き合わせる必要があります。
発声を科学的に解き明かしたいなら、“らしい”で片付けてはいけませんよ!
経験上、どんな理論も嘘八百だったり完全に破綻してたことはありません。
ひろしの言葉を借りるなら、「正義の反対はまた別の正義なんだよ。」ってやつです。
今回話題に挙げている新式ベルカントだって、伝えたい真意を酌めさえすれば大いに納得できます。
でも、普通の人がそれを読んで、「裏声を使わない」って言われたらどう取りますか?
たぶん世間一般の人なら、地声だけを使って歌うやり方なんだって思うはずです。
普通の日本人なら、地声・裏声の2声区論で声をカテゴライズしてますからね。
そんでもって、パッサージョより上、アクートが、ソプラクートが、、とか言われて、
あれ?地声とも裏声とも違う何かがあんの??って、またチンプンカンプンになるんです。
このように、言っていることが正しくても、読み手次第でどれだけでも歪曲されます。
一文はおろか、たった一語で恐ろしい読み違いをしてしまう危険性があるんです。
発声器官を効率的に働かせ発声したとき、声帯は引き上げ・引き下げ筋によって伸展し、
閉鎖筋による必要最小限の閉鎖によって厚ぼったくならずに振動効率を高めます。
また、共鳴腔は広がり、高次フォルマント(約3000Hz周辺)に集約するように働きます。
読み違える要因を潰すために、まずは意味するところを的確に捉える必要があって、
その作業は裏声だけじゃなくて、出てくる用語全てで検証する必要があります。
そうすることで理論はより堅固になり、他の理論とリンクさせることもできるようになります。
重ねて言いますが、私は新式ベルカントを否定する気なんて毛頭ありませんよ!
>>172では、あくまで“私の中で”説得力がないと言っただけです。
もし私の中で説得力をもたせるならば、もし完全に包括させるならば、どうしたらよいのか・・・
そこで私なりに出した答え、補完する方法が、「用語の指す範疇が違う」なわけです。
キング・オブ(ryはパヴァロッティのことですね? 先に言ってしまえば、包括できるらしいですw
パヴァロッティ以外にもhiCやその上をその出し方で出すテナーは結構いますね。
少しだけ例を挙げると、Franco CrelliやMario del Monaco、最近だとJuan Diego Florezなど。
リードのベルカントでとりあげられていた「Enrico Caruso」は、むしろ新式を独学で開発した人間です。
この技術はめちゃくちゃ難しいので、こればかりは自分が習得しないと納得できないのではないでしょうか。
あ、一応言っておきますが、僕は全然習得してないんですけどね!!
個人差はありますが、テノールはhiCあたりまでは表声で、それ以降の音は裏声を混ぜた「ソプラクート」というものを使うらしいです。
ここまで来てまだ「表声裏声」や専門用語を出すのは心苦しいのですが、本人たちがその言葉を使っているので仕方ないですね……
日本には僕の言う「新式ベルカント」に関する情報はだいぶ少ないようです。
発声後進国のようで、新式ベルカントどころかもっと色々なものが遅れていますね。
ということで、ここで書籍の紹介。
「Great singers on great singing」という本があって、これは偉大なオペラ歌手たちにインタビューしたもののようです。
その中にパヴァロッティの記述もありますが、パッサージョ(またしても専門用語ですので、てきとーに読み飛ばしていただきたい)では
「苦しい、窒息しそうだ」というようなコメントを残しているそうです。
参考:
ttp://ameblo.jp/molto-piu-acute/entry-10795328090.html これはリードらのベルカントには無いことだと思われます。
未熟さゆえにサブさんの方向に反した言い方しかできず申し訳ないです。
なんだかんだで僕自身、まだ科学が入りきっていない声楽についてもっと感覚を除外して、
起こっていることのみに目を向けて科学的に色々解明したいとは思っているのですが……
147 :
選曲してください:2012/08/06(月) 00:17:08.55 ID:nGw9e9Ul
さて、そのような障壁を乗り越え、言葉のしがらみから脱した時、知識が新たな局面を迎えるんです。
>>58で書いたように、情報が言葉の殻を破って、それぞれ融合・結合し始めます。
う〜ん、、どう言い表せばいいのか、、概念化するとでもいうんでしょうか?
悪く言えば抽象化なんですが、自分の中で消化されている証拠ともとれます。
こうなると、もう言葉のつくる区分が意味のない邪魔なものなってしまいます。
頭の中はどんどん体系化され、代わりに言葉による個々の再定義・アウトプットがしづらくなります。
今の私の現状が上記の段階なんで、この先がどうなっていくのかわかりません。
それが良いことなのか悪いことなのか、合っているのか間違っているのか。。
少なくとも、そうやって知識が構築されたとしても、独りよがりに信じるんじゃなくて、
自分の知識・考察に対しても疑念を持って対したいと、自戒も込めて思っています。
なんかどんどん脱線して宗教の話みたいになっちゃいましたね・・・スミマセン^^;
話を元に戻しましょう。
あ、ホントに若い人は、自分が若いなんて言わないとおもいますよ^^;
年取ったときに初めて「あの頃は若かったなぁ〜」なんて思うもんですw かくいう私もまだ若いです!
>スレが浮上してる間は雲隠れするのが定例になってるもんでして^^; なんとなく予想はついていましたw
確かに勉強というのは自分の頭の中に他者の概念をコピーすることですからね。
サブさんはその勉強したものを自分の中で色々組み合わせて「研究」なさってる段階のようで。
僕からはとても遠い存在ですなぁ……orz
キング・オブ(ryはパヴァロッティのことですね?
先に言ってしまえば、包括できるらしいですw
これって50%位は誘ってもいいって意味かな?
余談だけど、やっぱりモノマネはウケはいいけど歌唱力としては評価されないと思う
モノマネだといくら上手くても相手に気持ちまでは伝わらないし
声質似てるのはマーおkだけどね 最終的にはいくら声似てても顔も似てないとガッカリみたいなw
あ、俺の言ってることはもちろんそっちだよ。
新しい機種が出ることによってもっと音源を良くしてほしいと思ってる なるべく原曲に近い再現で作ってほしい、音質ももっと上げて欲しい。
本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。
でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。
機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。
匠的な有能な音源技師や職人を沢山雇って良いカラオケ音源を沢山入れてほしいと思うわー。
あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか
ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが)
そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ
あからさまに音が悪いの多すぎる。
ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。
2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。
再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。
良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい
新しくしてやってくれって感じだ。
古い曲で糞音源なのは捨てて、新しく音を綺麗に作り直したのを入れて欲しい。
>>553 キンキン声スレは感覚論を紹介するつもりで乗っ取ったので、当初コテ出すつもりがありませんでした。
かなりカオスな流れになっちゃってるのは、このスレの下書きも兼ねているからです。
なので、あまり通して読む価値はありません^^;
「倍音 音・ことば・身体の文化誌」でしたか!
都はるみの「アンコ〜♪」のところを例にとって、響きに違いがある!とか言ってた本ですよね?
カラー図とかは面白かったんですが、私も内容的に?と思うとことがあり、途中で読むの止めちゃいました。
もう一回読むために図書館で借りようにも、誰かが借りパクしてるみたいで出来ません^^;
西洋古典音楽は、グレゴリオ聖歌の合唱に端を発したものですから、確かにハーモニーフェチですねw
私も勉強し始めたころはソロと合唱の違いが全然見えなかったのが、いつしか体感的にも違いが見えてきてきました。
ホントにソロは、そのきらびやかさゆえに調和せず、混声を破壊すると思いますw
クラシックやオペラにおける存在感と、現代の大衆音楽におけるそれとはいささか違うので断言できませんが、
少なくとも古典音楽における存在感とは、低次倍音よりも3000Hz付近の強さでは?と思っています。
色々な本に「通る声は3000Hz(2000〜4000Hz)」とか書かれていたり、
あるいは自分で計測した場合に基音や低次倍音が強いわけではない事がその理由になります。
裏を返せば、基音・2倍音・3倍音位で収まるおとなしい声というのは、ソロではなく合唱向きなのかもしれません。
フランジリンボイスは頭声の一種みたいなもんで、これまた私はバズワード的に切り捨てていますw
どうにも声種とか声区というものが誤解の原因になることが多い気がして… しかもかなりヤバめの誤解に…
そうならないためにも、「声は声帯から出ている!これだけがまがうことなき真実!」というスタンスですw
もし強調周波数帯の解明とかできたら、別解釈の存在感の提示になると思います。
>>579 毎回レス遅れてしまってスミマセンm(_ _)m
最近自転車に凝りだしまして、週末はおろか平日もゴソゴソやってますw
概要はその通りです!
わざわざまとめさせてしまって申し訳ありません^^;
というか、ものすごく私の書いてきたことを記憶して下さってますね!
本当に助かりますし、ありがたい限りですm(_ _)m
■@
フリーさんのスレですばらしい動画が紹介されていました!
http://www.musicasenlinea.com/videos/-;lrgvJaXLs4o.html こんな感じのことを心掛けながら普段の会話をしています。
エッジ音だけじゃなく、息の詰まりが少なくなるように仮声帯間隙を広げ、喉頭室を広めにとる感覚でやっています。
(ただし、あまり鼻につかないよう、自分なりに加減はします。)
あと共鳴に関しましては、俗に言う“鼻にかける”というのを極力避けて、
私も鎖骨〜胸骨あたりに響きを持っていけるように喋ります。
そうすると自然に声が低くなるし、息の詰まりを少なくする副産物でやや気息的になることで、
威圧感もある程度は抑えられているはずです。
筋肉の分類 : 大まかに下記@〜Dに分類します。
@【閉鎖筋】…声門間隙を狭めたり、声帯を緊張させたりする働きのある筋肉の総称。
・側筋…外側輪状披裂筋。披裂軟骨を回転させて声門間隙を狭める。声門は後方(背面側)に隙間を残す。
・横筋…横披裂筋=披裂間筋。収縮することで披裂軟骨をくっつけ、側筋では閉じきらなかった声門を閉じる。
・声帯筋…上記2つでは閉じきらない声帯中央部分を閉鎖する。内甲状披裂筋、交差(交錯)筋ともよばれる。
・外甲状披裂筋…声帯の外側を並走し、声帯を短縮・弛緩させる。単に甲状披裂筋ともよばれる。
※声帯筋と外甲状披裂筋を合わせて甲状披裂筋と記載される場合もある。
A【引き下げ筋】…喉頭を引き下げて声帯を伸展させる。
・輪状甲状筋…甲状軟骨を引き下げ、声帯を伸展させる。
・胸骨甲状筋…甲状軟骨と胸骨を結び、輪状甲状筋と同じ働きをする。
・輪状咽頭筋…収縮によって喉頭を後ろ下方に引き下げる。
B【引き上げ筋】・・・喉頭を引き上げる。引き下げ筋に対抗して、綱引きのように喉頭を引っ張り合う。
・甲状舌骨筋…甲状軟骨と舌骨を前部で結ぶ。
・口蓋喉頭筋…喉頭〜口蓋にあり、喉頭を引き上げる。
・茎突咽頭筋…フースラーの茎状咽頭筋にあたる。喉頭を上に引き、咽頭を広げる。
C【後筋】・・・後輪状披裂筋、開大筋。下の2つの役割を果たす。
1. 吸気の際に声門を広げる働きをする。
2. 声帯を伸展させる補助をしたり、または拮抗させる。
D【その他筋肉】・・・上記以外に関連してくる筋群。詳しい説明は割愛^^;
・肩胛舌骨筋…肩胛骨(肩甲骨)と舌骨を結ぶ。
・胸骨舌骨筋…胸骨と舌骨を結ぶ。
・舌骨上筋群…舌骨から上に伸びる筋群。詳しくは→
ttp://dental.dreamblog.jp/blog/6.html
今日初めて1人でカラボに行ってみた。
駐車場にすごい数の車が駐まっていて嫌な予感がした。 店に入ると受付の前のソファに人がたくさん座ってざわざわしており、
受付には列ができていた。 勇気を振り絞って列に並ぶ。
後ろに人が並ぶのが嫌で何度か最後尾に並び直したが、 明らかに挙動不審なので、途中で覚悟を決めてそのまま進んだ。
順番が進むとともに次々と人がやって来てぼくの後ろに並ぶ。 やがてぼくの番になった。
「1人なんですが…」 と小さい声で言ったら、騒がしくてよく聞こえなかったようで
店員さんに聞き返されたので、少し大きな声でもう一度 「1人なんですが!」 と言うと、急にざわざわが静かになった。
店員さんの
「あいにく本日は《おひとり》のお客様はご遠慮いただいてます」 という声が響き渡ると、
「ちょwww」 「ひ、ひとりぃー!1人でカラオケェー!!」
という声、また声がわきあがり、ぼくは逃げるように店を出たが、 何百の視線に射抜かれたような気がした。
やっぱり1人でカラオケができるなんて、 そんなうまい話あるわけないんだよな。
ヒトカラが終わって会計で並んでいたら後ろに男女5人のグループが来た。
何がそんなに面白いのかバカ騒ぎしながらやってきたが、 後ろに来ると急に静かになった。
バカ男A 「オイ、アイツ○○○(よく聴こえなかった)じゃね?」
バカ男BC「ウッハwww」(パチパチと手を叩き爆笑) 「キャッハ ねーーーwww」(手を叩き爆笑)
バカ男A 「今日土曜日だよな?wwww」 「ヒャーーーッwwwマジウケるwwwww」
俺がネタにされ笑われているのはすぐに理解した。
だが下等生物どもにいちいち反応したら負けだと思い、大人として無視した。
俺の会計になり、クーポン券を出したら、またも後ろから
同級生に見つかったときの例
「おい見ろよアイツ
>>520 じゃないか?」 「あっ!ホントだ!
>>520 だ!」
「
>>520 ってカラオケなんかやるんだ?全然そういうイメージ無かったな。」
「だよな。いつもマンガが好きだって事は知ってるけど、音楽なんてまるっきり興味ないみたいな感じだもんな。」
「でも、誰と来てるんだろう?
>>520 っていつも1人だよね?
>>520 と仲良い奴っているのかな?」
「1人みたいだぜ!」 「まじかよ!カラボって1人でも入れるんだ。知らなかったわw」
「2chで話題になってるじゃん。1人でカラボに行くのが流行ってるとか。」
「あ〜そういえば俺も見たことある。ヒトカラってやつでしょ?でもそれってネタだと思ってた。リアルで見たの初めてだし。」
「ヒトカラはどう考えても2chのネタでしょ?
>>520 はリアルでもヒトカラが流行ってると勘違いしてるんだろうなw」
「どういう歌を歌うのかな?最近の歌謡曲とか全然知らなさそうだけど…。」 「あっ!曲が始まったみたい。なんか昔聴いたことあるような…。」
「これ、クレシンのアクション仮面の歌だよ。小生の頃よく聞いてたよ。」 「なるほど、マンガオタクだからマンガの歌を歌うのねw」
「ちょww技の名前連呼しながらポーズ取ってるよwキモッ!」 「完全にアクション仮面になりきってるなw」
「歌が終わったみたいだ。あっ!ヤバイ!部屋を出るみたいだ!隠れろw」
「トイレかな?」 「俺もトイレ行きたくなっちゃったw鉢合わせしたらどんな顔するかな?」
「ちょww」 「どうした、そんなに慌てて?」
「トイレ行ったら、
>>520 が便所の水がぶ飲みしてた。。ビックリして用も足さずに戻ってきたよ。」
「2chで見たことあるけど、リアルでヒトカラをやる奴にとっては便所の水を飲むのが常識らしい。」
「わぁ〜!キモイな、ヒトカラーって」
今日初めて1人でカラボに行ってみた。 駐車場にすごい数の車が駐まっていて嫌な予感がした。
店に入ると受付の前のソファに人がたくさん座ってざわざわしており、 受付には列ができていた。
勇気を振り絞って列に並ぶ。 後ろに人が並ぶのが嫌で何度か最後尾に並び直したが、
>>164>>170 いえいえ、こちらこそサイトや本教えて頂きありがとうございます!
紹介した本のほとんどは図書館に所蔵されてるはずなんで、暇なときにでも足を運んでみてください。
最近の図書館は取り寄せができたりするんで、買わなくてもどんどん読めちゃいます。
私もほとんど図書館で借りて読んで、その中でこれは!ってやつだけ買うくらいですから^^;
昔それを耳にしたとき、やはり私も支持するところが多かったです。
まずなんといっても、カウンターテナーやソプラニスタを除いた男性歌手はほとんど地声に聞こえること。
このことは、地声のみで発声しているという推察と容易に結びつきます。
と同時に、なぜA4(hiA)を超えるような高音域において、あれほどの声量で発声できるのかという疑問が生じます。
この疑問の解法として、「全身の筋力でバランスをとりうんぬん」なのかな?と思います。
では、それをもってすればキング・オブ・ハイCをも説得力をもって包括できるのか?
それとも彼は極稀な例外、特異因子として除外されるのか?
彼に限らず、他のテノールの出す高音を包括するほどの説得力を有するには、私の中では至りませんでした。
そこで考えたのが、前提となっている「地声に聞こえるから地声で発声している」に疑問を持つこと。
>>151第4段でも書いたように、“音響=発声の結果”からの考察は最大限慎重にすべきです。
単純に「地声に聞こえる」と「地声で発声している」を結びつけるのは、短絡的すぎるのではないか?
また同時に、地声(表声)や裏声などの言葉の定義についても疑問をもって調べ直しました。
結論からいえば
>>162になるわけですが、そこに至るまでの過程には紆余曲折がありました。
まず何より大きな障壁になったのが、頻出する専門用語。
「裏声」という言葉1つをとっても、発言者によって少しずつニュアンスが違っています。
そのニュアンスの違いをひも解き、はき違えないよう1つずつ整理する作業は何とも面倒です。
私みたいな理論先行の頭でっかちならクロスワード感覚の遊び気分でできますが、
歌の上達を第一目標にしている人にとっては、無駄に時間をロスさせる要因にもなります。(
>>145B)
楽しく読ませていただきました、非常におもしろかったです。
俺はそんなに年食ってるように感じますかね……?こんなに若いのに。
もしこのスレが容量落ちしたら、また別のスレを乗っ取って続けてくださると嬉しいです。
絶対に見つけ出しますんで!!
あと重ねて言いますが、コーネリウス・L・リード系の「ベルカント」についてかなりお調べになっているようなので、
お返事遅れてすみません。
スレが浮上してる間は雲隠れするのが定例になってるもんでして^^;
>>166 その内の1冊くらいは読んだ記憶が、、でも内容をほとんど思い出せない(´・ω・)・・・
コンテンポラリーシンガーという銘にひかれて読んだ気がするんですが、 その記載があまり無かったために忘却の彼方へ吹き飛んじゃったのかな?
たしかボイトレ本の類だった気がするんですが、、記憶違いですかね?
今の自分の発声スタイルを理解した上で英語の発声法との差異を考えたり、 それを歌う際に取り入れたりするための練習本としてはいいと思います。
ただ、やっぱり英語発声とかを練習したいなら、日本語発声も記載してほしいところ。
今の自分がどれだけ日本語発声に特化し、英語発声から乖離しているかも知らないといけないと思うんです。
万人が読んで試して出来ましたってわけにいかないのは、 そういった未記載の部分でふるいに掛けられてるせいだと思います。
あ、全部読んだわけじゃないんで、話半分で聞いてもらえれば幸いです。
>>167-169 本来、感情表現と歌唱技術(
>>106)は対立させて語るもんじゃないと思うんです。
たとえば頭の中で、こう歌いたい!ってイメージしたとしますよね?
それこそが感情表現の素であって、自分が表現したい形なんです。
でも、それをアウトプットするには歌唱技術が必要で、 技量が足りなければ差引された分しか歌に乗せることができません。
同じように、歌唱技術があっても、自分の表現を伴わず、 ただ譜面どおりに歌うだけでは、アカデミックで面白みのないものになってしまいます。
車の両輪のごとく、どちらも伴ってこそ歌をより高みへ昇華させることができる。そう思います。
毎回レス遅れてしまってスミマセンm(_ _)m
最近自転車に凝りだしまして、週末はおろか平日もゴソゴソやってますw
ボイトレ本でも声楽本でも、あるいはそれらに関するサイトでも、読んだことある人だったらわかると思いますが、
発声練習って相当なウェイトで感覚に頼った書き方されてますよね?
概要はその通りです!
わざわざまとめさせてしまって申し訳ありません^^; というか、ものすごく私の書いてきたことを記憶して下さってますね!
本当に助かりますし、ありがたい限りですm(_ _)m
■@
フリーさんのスレですばらしい動画が紹介されていました!
http://www.musicasenlinea.com/videos/-;lrgvJaXLs4o.html こんな感じのことを心掛けながら普段の会話をしています。
エッジ音だけじゃなく、息の詰まりが少なくなるように仮声帯間隙を広げ、喉頭室を広めにとる感覚でやっています。
(ただし、あまり鼻につかないよう、自分なりに加減はします。)
あと共鳴に関しましては、俗に言う“鼻にかける”というのを極力避けて、
私も鎖骨〜胸骨あたりに響きを持っていけるように喋ります。後者なら選曲によっては歌いやすいのも見つけやすい気がする。
本来、うpスレだから若干スレチだと思うけど上手く機能してない みたいだから大目に見てくれ。
そうすると自然に声が低くなるし、息の詰まりを少なくする副産物でやや気息的になることで、
威圧感もある程度は抑えられているはずです。
基本的なことを守らずに、あまりにも感情で表現しようとすると
感情表現にばかりこだわり、大事なリズム音程などが正確に 表現されにくい状況に陥る傾向もあります。
これは、声の大きさばかり終始して、大事な楽譜の記号表現が おろそかになるのと似ているように思います。
まずは、楽譜と通りに正確に歌うことを心がけましょう。
次に、詩を何回も読み返し、その歌詞(フレーズ)のイメージ を思い浮かべましょう。 歌は一つの物語りなんですからね。
そして心で歌をうとすれば、こころで表現しようとする内容を すべて、音符のなかにすべて納めて歌いましょう。
こころで歌うには、かなりの練習を積み、自然に表現されるべきだと 思います。
意図的に悲しい顔をしたり、身体を動かすのではなく すべて歌のなかに納めて表現すべきものだと思います。
練習を積み、上手くなれば、 感情の変化は音色の変化と変わり
「表現力」として 素晴らしくなり「歌は心だ」と聴衆から 思われるようになるでしょう。
ふぅ、今日1日でこのスレ読破。
つっても腹の底に落ちきっていない箇所もあるから何回も読み直さなきゃいけないと思うが。
自分は読書を滅多にしない人間なので、だいぶ気合いを入れてかからないとこういった長文が読めないんですね。
そのせいで最初にレスしてからちゃんとスレ全部読むまでこんなに時間がかかってしまって申し訳ないです。
なんとなくサブさんが研究なさっていることの一部がぼんやり見えてきました。
楽しく読ませていただきました、非常におもしろかったです。
俺はそんなに年食ってるように感じますかね……?こんなに若いのに。
もしこのスレが容量落ちしたら、また別のスレを乗っ取って続けてくださると嬉しいです。
絶対に見つけ出しますんで!!
ちなみにこれほど博識なサブさんならもうご存知かもしれませんが、僕からも声楽の発声についてWebサイトを挙げておきます。
表声・裏声などという感覚的な言葉を切り捨て、より実際に起こっている現象にスポットを当てていらっしゃるサブさんには申し訳ありませんが、
「男性が裏声を使うと声帯には悪い、喉頭は下がったまま表声を全身の筋力でバランスをとりうんぬん」という発声を提唱している方のサイトです。
残念ながら裏声を使った男性オペラ歌手は現在、一部のカウンターテナーやソプラニスタを除きほとんどいません。
その発声により声帯を壊さず死ぬまで歌い続けた歌手が何人もいたり、裏声を使ったカウンターテナーの歌手としての寿命が短いことから、今のところ私はその発声を信じています。
男性視点のみで語ってしまいますが、ここで敢えて「ベルカント」という言葉を使うなら、裏声を使った古い「ベルカント」は声帯に悪く体に優しい。
表声を使った新しい「ベルカント」は声帯に優しく体に悪いです。
「ベルカント」なんて言葉は非常に曖昧なものなのに、日本人が横文字として輸入した瞬間絶対的な定義を無理矢理つけてしまったようなので、この言葉を使うのは僕も好きではありませんが。
ttp://www2.odn.ne.jp/~cco47400/hassei.htm ttp://ameblo.jp/molto-piu-acute/ ttp://ameblo.jp/ken-baryton/ ここで腹話術やってるってききました すごいっす、参考させていただきやす!
ちょっ素人目で気が引けるんスけど 高校生のほうからの加齢臭が どうしても漂ってくんのが気になります 改良の余地あるおもいます!
初心者から上級者まで コンテンポラリーシンガーのため?のヴォーカルワークアウト
コンテンポラリーシンガーのため?の ヴォイストレーニングとアメリカ?英語の歌い方
ザ・コンテンポラリーシンガー CD付 ヴォーカルテクニック&パフォー?マンスのための
あなたを表現するために シングユアストーリー この辺の本ってどうなの?
さて、ご質問の「声楽の発声が弓場さんのような裏声を用いたものか?」ですが、
私の中では表声とか裏声とかはバズワードとして切り捨てた言葉なんで、答えづらいというのが正直なところです^^;
たしかに弓場先生は声楽畑の人だし、先生の歌声は声楽に基礎をもつ発声スタンスです。(cf.
>>144)
その点から逆説的に、声楽の発声は弓場先生のような裏声を用いたものと言えるでしょう。
しかしここで留意してもらいたいのが、どんな声でも声帯という1つの器官から発生しているということです。
>>65に書いた喉の筋肉が総合的に働き、しかもそれに関連した呼吸筋や身体全体の筋肉が連携して発声します。
裏声、表声、ミドル、ヘッド、etcだからといって、なにか別の器官が働くということはありません。(cf.
>>113)
強いて言えば、裏声は声帯を進展させ声唇を薄くし、声帯縁辺のみを振動させる発声方法である・・・
これでもいささか誇張的と言わざるをえません。
表声(地声)やミドルとよばれる代物にも、声帯の進展はあってしかるべきだし、
声唇の厚さは個体差もありますが、その調節によって全ての声域で大きな役割を果たします。
これらの説明が難しいから、声種や声区のようなカテゴライズをし、理解の糸口を与えたんだと思います。
本来、真に発声運動を理解しようとするならば、そのような言葉は真理に向かうための導入にすぎません。
それに雁字搦めになって、その先にある統合的な発声運動を理解しえないことは残念なことです。
サブさん、とりあえずありがとうございます。
私のような若造のために音楽以外のことまで、役に立ちそうだけど難しいことを噛み砕いて説明していただいたこと、非常にありがたいです。
涙が出そうなほど感動しました。
あなたは私が目指すものに一番近いし、そんな方は初めてお目にかかりました。
私には今、金がありません。
親のすねをかじって生活している無能な高校生です。
なので自分の力で金を稼ぐようになったら、何年かかるかは分かりませんが、サブさんに挙げていただいた書籍をすべて吸収させていただこうと思います。
それまではこのスレを熟読し、教えていただいたWebサイトを閲覧することにします。
・『声と日本人』【米山文明(著)、平凡社】
・『声の呼吸法 - 美しい響きをつくる』【米山文明(著)、平凡社】
・『声の不思議 - 診察室からのアプローチ』【一色信彦(著)、中山書店】
・『上手に歌うためのQ&A - 歌い手と教師のための手引書』【リチャード・ミラー(著)、岸本宏子(訳)、長岡英(訳)、音楽之友社】
・『西欧音楽教育史』【供田武嘉津(著)、音楽之友社】
・『声楽の知識とテクニック』【エルンスト・ヘフリガー(著)、小椋和子(訳)、シンフォニア】
・『西洋音楽史 - 「クラシック」の黄昏』【岡田暁生(著)、中央公論新社】
・『誰にでもできる発声法(ボイストレーニング)』【熊谷卓(著)、日本実業出版社】
・『日本人の声』【鈴木松美(著)、洋泉社】
・『倍音 - 音・ことば・身体の文化誌』【中村明一(著)、春秋社】
・『はじめての発声法』【ジャン=クロード・マリオン(著)、美山節子(訳)、音楽之友社 】
・『発声の科学と技法』【Risa Roma(著)、鈴木佐太郎(訳)、音楽之友社】
・『発声の技巧とその活用法』【酒井弘(著)、音楽之友社】
・『発声の達人 - 日本人には日本人の歌声がある』【海沼実(著)、ノースランド出版】
・『表現と理解のことば学』【宍戸通庸(著)、西川盛雄(著)、平賀正子(著)、菅原勉(著)、ミネルヴァ書房】
・『プリマドンナの声帯 - 音楽裏方医者のカルテから』【米山文明(著)、朝日新聞社】
・『ベル・カント唱法 - その原理と実践』【コーネリウス・L.リード(著)、渡部東吾(訳)、音楽之友社】
・『ベル・カントの継承 - 装飾の施された歌唱に関する実践的省察』【Giambattista Mancini(著)、渡辺東吾(訳)、アルカディア書店】
・『ベル・カントへの視座 - 昔時及び当節の歌い手に対する見解と装飾の施された歌唱への所見』【Pier Francesco(著)、渡辺東吾(訳)、アルカディア書店】
上のリストに新書シリーズが何冊か紛れ込んでると思います。
いきなり難しい専門書にアタックするのもいいですが、未開拓の分野に手を出すときの入門書としてもってこい。
本自体も薄いし、それを手始めに新規開拓してみると捗ります。
ただし、その性質ゆえ内容が所々間違ってることがあるので、すべて真に受けて読むのではなく、
少々懐疑的に、次の知識への懸け橋と思って読むくらいがちょうどいいかも。
タケヨシキ、ニコ生で説教されてガチビビリで過呼吸の巻
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18436761 凸者A「あのー君みたいのは2ちゃんじゃ珍しくないんで」
ハゲキ「そーです」
凸A「あのー別に僕は馴れ合いとか嫌いじゃないんだけども、あのー馴れ合いは馴れ合いのちゃんと用の場所があるんで
多分、そこに行った方がみんなと仲良くできるんじゃないかなと思いましてな、うん」
ハ「はい」
凸B「結局、その板ごとにどういうことするかっていうの2ちゃん決まってるから成立するんでしょ?」
ハ「・・・え、どういうことですか?」
凸A「いやだからカテゴリーが分かれてるじゃん」 「ソウデスソウデス・・・」
凸B「まあ、そのPCやら何やらカテゴリーが有って、その中で自作やらハードやらなんやらかんやらで別れてて
結局その板ごとに相応しいことやってるから、ちゃんと10年以上2ちゃん荒らし多いとか
いろいろ荒れてるとか言われてるけど成立してるんでしょ」
それぞれの役割は委縮・減退し、発声効率は低下します。
その代わり、言語としての声の特徴(母音特有のフォルマント形成・音色etc)は増幅され、)
凸B「・・・ν速時代からそういう、オッサンなんだが、とか、ポケモンがどうとか
そういう荒らし行為?ね、もう2009年から、2010年だっけ?もう2年3年やってるでしょ。そういうこと。
もう異常だなあと思って。確信的に荒らしやってるのかなって思って、
Twitterやらニコ生やら見てきたら、なんか『さみしい』やら『死にたい』やらなんやら。
え?この人なに、寂しくてやってんの?メンヘラなの?って思ってさあ」
ハ「ウン・・・ウン・・・」
凸B「ね、もうちょっとこう、荒らし、荒らしたいんだったらさぁ、」
(ここでハゲキ耐え切れずSkypeを切断)
ハ「はぁっ・・・はぁーーーっ。あ〜ダメだ!!ダメだダメだ!」
言語と脳
欧州の人たちと日本の人たちの脳ではある面白い違いがある それは音の感じ方
(ここから先は欧州の人たちを(欧)、日本の人たちを(日)とする)
響かない日本の家屋でも楽器は発展していった
尺八・琵琶などの現在では伝統楽器といわれる類の楽器である
この楽器を(欧)に聞かせると(欧)の脳は音楽として処理する しかし(日)に聞かせると(日)の脳は言語として処理するのである
日本の伝統楽器は響かない環境で伝えるためにより「声に近づける」という選択をした 欧州の楽器とは根本的にここが違っていた
欧州の楽器は(欧)にとっても(日)にとっても楽器だが 日本の伝統楽器はそうではないのだ
音粒は実際に「差音」の振動数を持って共鳴体を叩くわけですから、当然共鳴が起こります。
そして共鳴体が実際の共鳴を起こしてしまえば「差音」はもはや「音粒」ではなく
ちゃんとした音波になります。
ほかにも(日)は小川のせせらぎや小鳥のさえずり、木々のざわめき等の環境音も言語として処理をする 当然(欧)は音として処理する
これらは日本語の母音を主にした言語に関係しているといわれている 母音のような音には特別な感情のようなものを(日)は受け取るのである
夏の風物詩の風鈴は(日)にとっては風流でも(欧)にとっては雑音でしかないのだ 悲しい話である
このように(日)にとって音は言葉でもあるのだ
逆に(欧)にとっては音は音、言葉は言葉といったしっかりとした区分けがある
(欧)の歌は言葉よりも音の意味合いが強い (欧)は声を楽器にすることを選択した
よく響きより響き、音としての質の高さを目指した 周りの硬い物が響きを助けてくれたのでその方向性にもうなずける
(日)の歌は言葉であった 楽器ですら声言葉に近づけようとするのだから
(日)にとっての音のメッセージ性は相当なものである
欧州の歌・日本の歌
これらのような環境と言語の違いにより 欧州と日本の歌の進む道は大きく変わってしまった
日本は人々の心に訴えかける感情と言葉を重視した歌
欧州はより響かせるためにテクニックや技術を開発し楽器としての音を重視した歌
ただ日本の歌に技術がないわけではない 人の心を掴むための技術が感覚で伝承されていったのだ
それゆえ感情論や根性論が蔓延りやすい事態にもなるのだが・・・
しかし色々と混ざってしまった現在ではテクニックとして感情表現もある この辺は進歩と言ってはいいのではないか
ただその反面 日本人は音に感情を感じにくくなっているようだ 技術により感性が縮んでいくのは避けられないことなのだろうか
まあとりあえず、根っこにはこのような違いがある 音としての歌が好きか言葉としての歌が好きか
そんなことは目玉焼きにソースをかけるか醤油をかけるかくらいに些細なことなのだ
欧州にしろ日本にしろ音は楽しむものに変わりはない
自分が好きな歌手の歌を聞き、自分が好きな歌い方を目指す 思うが侭に楽しむ
好きな食べ方をすればいい これこそが誰にとっても正しい歌であり音なのだ
当然考えてしかるべきところだったんですが、人間は自分の目に見えるものの範囲で推論をしてしまうというありがちな罠。
人の発声器官は共鳴腔が多数あるわけですから、beep音の差音ではなくバイオリンの差音のイメージで考えるべきですね。
書きたいのに書けないこともあって少し説得力にかけるけど
こういうのもあるのか と思ってくれたら嬉しいかな 信用できなかったら忘れてください
まず第1に、
>>113で書いた「言語差=言語発声の差=発声器官の使い方の差」があります。
これは言語を、「頭の中で文章を構築する=内言語」と、「それを声に出す=外言語」に分けたうちの、
外言語に相当する部分に着目したものです。
そして「発声器官のある1つの言語発声への特化」とは、この外言語の1言語(母語)への偏重によって、
共鳴腔(声道)が変形してしまうことを意味します。(cf.
>>73)
共鳴腔の変形がピンとこなければ、ペンダコを例に考えてみてください。
ペンダコとは、長年同じペンの持ち方をしたために指の一部が変形したものです。
これができるとペンがズレることがなくなって、より持ちやすくなります。
逆に、ペンを持っていない方の手の中指には全くできません。当然です。
ちなみに、私はペンの持ち方が変(↓の画像みたい)なので、右手薬指にできています。
ttp://blog-imgs-18.fc2.com/s/o/o/soogatch/20060713.jpg ペンの持ち方の違いで、違った位置にペンダコができるわけです。
共鳴腔も同じで、ずっと日本語を話していると、
日本語の5母音を発声しやすいように、共鳴腔の形状そのものが変形していくんです。
それが言語間の差となって母語以外の言語を発声するときも現れ、
あるが果てに歌うときにまで顔をのぞかせます。(cf.
>>112-114 >>133-140)
第2に『歌声における言語発声と歌唱発声の相関関係』(
>>133-140) のジレンマ解消法で書いたこと。
これは米山文明先生の著書『声と日本人』にも書かれていたことです。
共鳴腔(声道)は各母音のフォルマント形成に多大なる役割を果たします。
また、共鳴腔は広がることで声量確保、高次フォルマントの集約等にも貢献します。
歌う時には、この2つの動作を同時に行わなければなりません。
しかしながら、この2つはトレードオフの関係で、完璧に両立させることは不可能です。
同じく、歌うときは話すときより格段の声帯調節が行われ、それが共鳴腔の形状にも制約をつけます。
すなわち、母音を明瞭に発声するための共鳴腔の形状にはなりにくい場合が多々あるわけです。
以上のように、歌うことは母音フォルマント形成の阻害要因を多く含みます。
歌う際に言葉の明瞭度よりも音高や音色にウェイトをおくならば、フォルマントは多少変移させて対応すべきでしょう。
下の図を見てください。
http://www.oki.com/jp/rd/ss/img/speech_fig_position.gif 各母音の範囲(破線内部)ならば、縁にいけば明瞭度は下がるものの、その母音に聞こえるはずです。
注目してもらいたいのは、「/e/と/u/」、「/a/と/o/」が重なっていることです。
この重複する範囲では、どちらの母音にもとれる音が出ています。
声を言葉として捉えた際、これでは明瞭度もクソもなくてよろしくない発声でしょうが、
しかしながら歌う際にはこういった縁までレンジをもつ意識をしてもよいと思います。
実際、発声練習の中には、「ア」のような「オ」、「オ」のような「ウ」、「エ」のような「イ」みたいに、
母音を崩してでも響きや音色を保持させるものもあるくらいです。
感想レスで、「何言ってるかわかんない」とか「言葉が聞き取れない」と書かれることがありますよね?
これは自分ではオッケーかなぁと思いながら歌ったものが、人によっては許容範囲を超えていた例です。
もし自分でいいと思うなら直す必要はないし、より言葉としてのウェイトを重んじるなら修正すべきでしょう。
いずれにせよ、判断は自分に委ねられているわけですから、それぞれの度合いを考えることは大切です。
長くなりましたが、以上で説明を終わります。
余談ですが、サザンの桑田佳祐はわざと日本語の発声を崩して歌っているそうです。
度数の高い酒を飲んで大音量のスピーカーの前で歌って喉を潰したって逸話もあるくらいですから、
音としての声、発声に対しては並々ならぬ思いがあるのかもしれません。
また、小室哲哉は作詞の時点から日本語の音節や文法を崩して音に対応させています。
人によっては2人のやり方は日本語を蔑にしていると言いますが、私は面白い試みだと思います。
逆に、山崎まさよしは日本語の発声を綺麗に残したまま歌っていると思います。
彼のようにはっきりと聞き取りやすい発声で歌うのは難しいです。
全く違うスタイルが全く違った良さを出す・・・これは非常に興味深い点です。
歌う時も聴く時も、はたまた見る時までも、そういった違いを感じることができたら、きっと楽しさが増します。
>>47 う〜ん、、『ボイトレで注意・危惧すべき点』(
>>144-146) にも書きましたが、人それぞれ合ったものが違うし、
目指す発声像も違うので、簡単に善し悪しってわけにはいかないんですよね・・・
ただ、いろいろ読んで思うのは、やっぱりプロローグ V(
>>55)に書いたことでしょうか。
初歩的なところだと思って軽く流しちゃってたり、あるいは書いてなかったり。。
本のターゲットがズブの素人なのに、初歩を飛ばすとはこれ何ぞや?って本が多いです。
あと、正直どの本にも突けそうな点はあります。
たとえば亀渕友香のある本には、図がとんでもないのがありましたね^^;
でも、それをもって「この本は駄目だ」って決めつけちゃったらもったいない。
一葉目を蔽えば泰山を見ず、、ではないですが、どの本にも良いところ悪いところはあります。
そんななんで、私がお勧めするのは、ボイストレーニングでも、スピーチ(話し声)の方の本です。
まずはサラッとでもそういった本を読んで、発声の下地を固める。
そうすることで、話声位(歌うときより声帯調節が少なくて済む)から発声を慣らせます。
歌の発声にとっかかるのはその後にした方が、より安全着実に上達すると思います。
あと、ボイトレ本ではありませんが『声と日本人』(米山文明、平凡社)もかなりお薦めです。
ってか、これが一番薦めたい本ですねw
自分が日本語を話すものとして置かれている状況を把握しておくことに損はありません。
一読の価値ありです。
>>190-194 既出もなにも、これから書きたかったことてんこ盛り、大変ありがたいお話です!!
私には十分信用足るものですよ!
【 建築 】
まさしく仰る通りだと思います。
建築材料の違いは、普段からの発声法の違いにつながっただろうし、宗教音楽の発展にも影響しました。
それが芸術音楽や大衆音楽にも影響して、18世紀ごろまでは独自の発達を遂げたんだと考えてます。
あ、18世紀ってのは私個人の感覚です。日本でいえば江戸時代ごろまで。
たぶんその頃までは、今みたいな世界間の大々的な文化交流はなかったはずです。
他文化の大きな流入がなかったからこそ、混血ではないその土地だけの純粋な継承・発展があったと考えています。