1 :
選曲してください :
2012/07/27(金) 02:57:22.57 ID:PnuCiiU1 ド音痴とまではいかないものの、決して上手いとは言えない微妙な人達が歌をうpするスレです。
※上手い歌厳禁! そんな人へのレスは「(・∀・)カエレ!!」の一言のみ
※本格的ド音痴の方は音痴スレへどうぞ
※携帯音源は携帯スレへどうぞ
※感想コメ推奨、微妙な人はコメに飢えています
※うpのみは叩かれる・荒れる傾向があります。初うpでも挨拶代わりに感想コメしましょう
※微妙な人達でマターリしましょう
※ニコニコ動画は禁止です
※mp3推奨。重いファイルは聞く人の負担になります
※言い訳禁止。言い訳しなくて済む音源をうpしましょう
※(・∀・)カエレ!!について
このスレでの(・∀・)カエレ!!は褒め言葉です
ですが、明らかにレベルが高い方の(・∀・)カエレ!!目的でのうpはお控えください
評価の基準等は人それぞれなので、(・∀・)カエル!!かどうかはご本人の判断でお願い致します
また、(・∀・)カエレ!!な方はコメ側に回られるとみなさん喜ばれますし、コメをされながらのうpも歓迎されやすいようです
このスレで(・∀・)カエレ!!をもらった人は、このスレにも挑戦してみてください
普通〜上手な人達のためのうp&感想スレ その10
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/karaok/1330745718/l50
2 :
選曲してください :2012/07/27(金) 15:47:32.28 ID:PpUegT4R
次スレ早すぎだろw
3 :
選曲してください :2012/07/28(土) 00:11:27.30 ID:8cFAytzv
まあ、早いことでは有名なスレだしな。
4 :
選曲してください :2012/07/29(日) 00:31:10.82 ID:HO6YRH5/
ho
5 :
選曲してください :2012/08/03(金) 03:55:18.23 ID:LwBQttW9
またレス遅れちゃいました・・・申し訳ありませんm(_ _)m あ、その間に教祖スレ覘いてました。教典すごいですね。 今読んでる最中です。 発声法の研究って、感覚論の集約からスタートしたもんだから、 それが連綿と受け継がれて今に至るのは、当然っちゃ当然ですよね。 例えば音響学的な切り口で発声方法を解明するにあたっては、帰納法的に導き出すでしょうし、 そこには推察の材料として感覚(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。 ある意味、感覚論からスタートして、通底する生理現象へ進むのは自然な流れだと思います。 まずは未熟でもなんでもいいから、色々喋ることって大切ですよ! そうやってアウトプットすると、自分の中でわかってると思ってたことが、 実は単なる思い過ごしで、全然整理できてないのがわかったり・・・ 書いた後で恥ずかしくなっちゃうことも多々あります^^; 私なんざ凡庸な一般ピープルなんで、156さんの熱意が続く限り、差は縮まる一方だと思いますw というか、生理学的・解剖学的な境地があるとしたら、それはたぶん極限的なものなんですよね。 lim[t→∞](t)とlim[t→∞](t+α)のように、最初の差=αが結局関係なくなるのと同じく、 私と156さんの差なんて、結局は取るに足らない誤差と同じです。 なんで、焦燥感は向上心にだけ連結させればいいわけです。 なんか説教臭くなって申し訳ありません^^; 日本と欧州における歌の進化の違い 建築 硬いものほどよく響くのは知っているだろうか 手回し式のオルゴールをやわらかい物と硬い物の上でならしてみるとよくわかる それを踏まえて 日本の家屋=主に木 欧州の家屋=主に石 木と石ではどちらが硬いかはご存知の通り
6 :
選曲してください :2012/08/03(金) 03:56:04.79 ID:LwBQttW9
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175 だと思うんですよね。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・? う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
なんか今日は感覚論をたくさんしゃべっちゃいましたね。 数学でも帰納法好きだったし、感覚論が好きなのかもしれませんw
私もまだまだ未熟で、すべての感覚論を論理的に置き換えるに至っていません。
いつかそれができれば、完全な発声モデルが頭の中に完成するはず。 その時まで頑張ります^^
なるほどなるほど、また少し分かりました。
ですが僕とサブさんの間に色々なレベルの差がありすぎて、サブさんがこちらに歩み寄ってくれていなければ
今頃は会話さえ成り立っているかどうか怪しいところですな…… 毎度優しく噛み砕いていただき、本当に感謝しています。
声楽というのは自分がやっている限り、とんでもない感覚論の集合体だと思うんですね。
だから僕は「○×な感じ」とか「△□のように」としか言えないんです。
それを科学的にどうこうするにはまず自分がその歌い方をある程度体得し、その上で医学や音響学を勉強し、その声を出しているときに
体がどのような動きをしているのか等を然るべき研究機関において調べる必要があると思いますし、私もそういうことをしたいと思っています。
ですがそれにはとんでもない時間がかかってしまうと思います。
そして僕がある程度の成果を出したときにサブさんがどこにいらっしゃるかも分からないのは残念なんですね。
その焦りからこんな未熟なうちに色々喋ってしまっているのですが……
それは結構邪魔なことだと私は思うので、しばらくは邪魔をしないようにしようと思います。
今の僕には応援しかできませんが、頑張ってください。
7 :
選曲してください :2012/08/03(金) 03:56:49.91 ID:LwBQttW9
3声区論と2声区論の違いは、西洋と日本の違いともいえます。
2つは感覚論から生まれたものなので、とどのつまり同じ生理学的見解に行き着くわけですが、
重要かつ面白いのは、それらが洋の東西の感覚の違いを表しているところです。
もしパヴァロッティのインタビューを私たち日本人が2声区論的感覚のまま受け取れば、
たぶんそれは伝えたかったことの真意から逸脱します。
彼は彼の感覚を端的に述べているわけで、その感覚はラテン系西洋人のそれ、
もっといえば彼しかわからないかもしれない感覚なんです。
もしそんな感覚から理論を抽出しようとすれば、1つは生理学的に運動を解明すること。
そしてもう1つ、西洋人の3声区論的感覚の共有を試みる必要があります。
あえて2つの手段を用いるのは、感覚的に納得することと、理論的に納得することが違うからです。
ご紹介頂いたインタビュー本も、感覚論の違いを踏まえれば、また違った見解が浮かんでくるかもしれません。
ソプラクートのような技術にも同じことが言えます。
たとえそれが難しく、感覚的に納得できないものであっても、運動方法を解明することはできるはずです。
そうすれば頭の中に作った発声モデルでデモンストレートできます。
デモンストレーションができれば、理論上それが成立する、すなわち理論的には納得できます。
これから発声を科学的に解明なさるおつもりでしたら、まずは徹底的に新式ベルカントを読み解いてください。
その理論の指すところが明確に分かれば、それが以降の考察の柱になります。
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175 だと思うんですよね。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・?
う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
8 :
選曲してください :2012/08/03(金) 03:57:30.49 ID:LwBQttW9
発言者が完全無欠を謳うのは当然なんです。
この理論じゃ部分的に説明つきません・・・なんて言えるわけないですからね。
だからこそ、もし自分の中で腑に落ちない部分があったら、とことん突き合わせる必要があります。
発声を科学的に解き明かしたいなら、“らしい”で片付けてはいけませんよ!
経験上、どんな理論も嘘八百だったり完全に破綻してたことはありません。
だいたいは自分の読み違い、言葉の範疇の履き違いで、伝えたい真意を曲げてしまっています。
しかも
>>144 @を意識しないまま、
「これとこれは言ってることが違うから、どっちかが間違いだ‥」
なんて、とんでもない見当違いをしてしまうことだってあります。
ひろしの言葉を借りるなら、「正義の反対はまた別の正義なんだよ。」ってやつです。
今回話題に挙げている新式ベルカントだって、伝えたい真意を酌めさえすれば大いに納得できます。
でも、普通の人がそれを読んで、「裏声を使わない」って言われたらどう取りますか?
たぶん世間一般の人なら、地声だけを使って歌うやり方なんだって思うはずです。
普通の日本人なら、地声・裏声の2声区論で声をカテゴライズしてますからね。
そんでもって、パッサージョより上、アクートが、ソプラクートが、、とか言われて、
あれ?地声とも裏声とも違う何かがあんの??って、またチンプンカンプンになるんです。
このように、言っていることが正しくても、読み手次第でどれだけでも歪曲されます。
一文はおろか、たった一語で恐ろしい読み違いをしてしまう危険性があるんです。
読み違える要因を潰すために、まずは意味するところを的確に捉える必要があって、
その作業は裏声だけじゃなくて、出てくる用語全てで検証する必要があります。
そうすることで理論はより堅固になり、他の理論とリンクさせることもできるようになります。
重ねて言いますが、私は新式ベルカントを否定する気なんて毛頭ありませんよ!
>>172 では、あくまで“私の中で”説得力がないと言っただけです。
もし私の中で説得力をもたせるならば、もし完全に包括させるならば、どうしたらよいのか・・・
そこで私なりに出した答え、補完する方法が、「用語の指す範疇が違う」なわけです。
9 :
選曲してください :2012/08/03(金) 03:58:11.08 ID:LwBQttW9
キング・オブ(ryはパヴァロッティのことですね? 先に言ってしまえば、包括できるらしいですw
パヴァロッティ以外にもhiCやその上をその出し方で出すテナーは結構いますね。
少しだけ例を挙げると、Franco CrelliやMario del Monaco、最近だとJuan Diego Florezなど。
リードのベルカントでとりあげられていた「Enrico Caruso」は、むしろ新式を独学で開発した人間です。
この技術はめちゃくちゃ難しいので、こればかりは自分が習得しないと納得できないのではないでしょうか。
あ、一応言っておきますが、僕は全然習得してないんですけどね!!
個人差はありますが、テノールはhiCあたりまでは表声で、それ以降の音は裏声を混ぜた「ソプラクート」というものを使うらしいです。
ここまで来てまだ「表声裏声」や専門用語を出すのは心苦しいのですが、本人たちがその言葉を使っているので仕方ないですね……
日本には僕の言う「新式ベルカント」に関する情報はだいぶ少ないようです。
発声後進国のようで、新式ベルカントどころかもっと色々なものが遅れていますね。
ということで、ここで書籍の紹介。
「Great singers on great singing」という本があって、これは偉大なオペラ歌手たちにインタビューしたもののようです。
その中にパヴァロッティの記述もありますが、パッサージョ(またしても専門用語ですので、てきとーに読み飛ばしていただきたい)では
「苦しい、窒息しそうだ」というようなコメントを残しているそうです。
参考:
ttp://ameblo.jp/molto-piu-acute/entry-10795328090.html これはリードらのベルカントには無いことだと思われます。
未熟さゆえにサブさんの方向に反した言い方しかできず申し訳ないです。
なんだかんだで僕自身、まだ科学が入りきっていない声楽についてもっと感覚を除外して、
起こっていることのみに目を向けて科学的に色々解明したいとは思っているのですが……
10 :
選曲してください :2012/08/03(金) 03:58:56.54 ID:LwBQttW9
さて、そのような障壁を乗り越え、言葉のしがらみから脱した時、知識が新たな局面を迎えるんです。
>>58 で書いたように、情報が言葉の殻を破って、それぞれ融合・結合し始めます。
う〜ん、、どう言い表せばいいのか、、概念化するとでもいうんでしょうか?
悪く言えば抽象化なんですが、自分の中で消化されている証拠ともとれます。
こうなると、もう言葉のつくる区分が意味のない邪魔なものなってしまいます。
頭の中はどんどん体系化され、代わりに言葉による個々の再定義・アウトプットがしづらくなります。
今の私の現状が上記の段階なんで、この先がどうなっていくのかわかりません。
それが良いことなのか悪いことなのか、合っているのか間違っているのか。。
少なくとも、そうやって知識が構築されたとしても、独りよがりに信じるんじゃなくて、
自分の知識・考察に対しても疑念を持って対したいと、自戒も込めて思っています。
なんかどんどん脱線して宗教の話みたいになっちゃいましたね・・・スミマセン^^;
話を元に戻しましょう。
あ、ホントに若い人は、自分が若いなんて言わないとおもいますよ^^;
年取ったときに初めて「あの頃は若かったなぁ〜」なんて思うもんですw かくいう私もまだ若いです!
>スレが浮上してる間は雲隠れするのが定例になってるもんでして^^; なんとなく予想はついていましたw
確かに勉強というのは自分の頭の中に他者の概念をコピーすることですからね。
サブさんはその勉強したものを自分の中で色々組み合わせて「研究」なさってる段階のようで。
僕からはとても遠い存在ですなぁ……orz
キング・オブ(ryはパヴァロッティのことですね?
先に言ってしまえば、包括できるらしいですw
11 :
選曲してください :2012/08/03(金) 03:59:37.30 ID:LwBQttW9
これって50%位は誘ってもいいって意味かな? 余談だけど、やっぱりモノマネはウケはいいけど歌唱力としては評価されないと思う モノマネだといくら上手くても相手に気持ちまでは伝わらないし 声質似てるのはマーおkだけどね 最終的にはいくら声似てても顔も似てないとガッカリみたいなw あ、俺の言ってることはもちろんそっちだよ。 新しい機種が出ることによってもっと音源を良くしてほしいと思ってる なるべく原曲に近い再現で作ってほしい、音質ももっと上げて欲しい。 本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。 でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。 機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。 匠的な有能な音源技師や職人を沢山雇って良いカラオケ音源を沢山入れてほしいと思うわー。 あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが) そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ あからさまに音が悪いの多すぎる。 ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。 2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。 再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。 良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい 新しくしてやってくれって感じだ。 古い曲で糞音源なのは捨てて、新しく音を綺麗に作り直したのを入れて欲しい。
12 :
選曲してください :2012/08/03(金) 04:00:54.95 ID:LwBQttW9
今日初めて1人でカラボに行ってみた。 駐車場にすごい数の車が駐まっていて嫌な予感がした。 店に入ると受付の前のソファに人がたくさん座ってざわざわしており、 受付には列ができていた。 勇気を振り絞って列に並ぶ。 後ろに人が並ぶのが嫌で何度か最後尾に並び直したが、 明らかに挙動不審なので、途中で覚悟を決めてそのまま進んだ。 順番が進むとともに次々と人がやって来てぼくの後ろに並ぶ。 やがてぼくの番になった。 「1人なんですが…」 と小さい声で言ったら、騒がしくてよく聞こえなかったようで 店員さんに聞き返されたので、少し大きな声でもう一度 「1人なんですが!」 と言うと、急にざわざわが静かになった。 店員さんの 「あいにく本日は《おひとり》のお客様はご遠慮いただいてます」 という声が響き渡ると、 「ちょwww」 「ひ、ひとりぃー!1人でカラオケェー!!」 という声、また声がわきあがり、ぼくは逃げるように店を出たが、 何百の視線に射抜かれたような気がした。 やっぱり1人でカラオケができるなんて、 そんなうまい話あるわけないんだよな。 ヒトカラが終わって会計で並んでいたら後ろに男女5人のグループが来た。 何がそんなに面白いのかバカ騒ぎしながらやってきたが、 後ろに来ると急に静かになった。 バカ男A 「オイ、アイツ○○○(よく聴こえなかった)じゃね?」 バカ男BC「ウッハwww」(パチパチと手を叩き爆笑) 「キャッハ ねーーーwww」(手を叩き爆笑) バカ男A 「今日土曜日だよな?wwww」 「ヒャーーーッwwwマジウケるwwwww」 俺がネタにされ笑われているのはすぐに理解した。 だが下等生物どもにいちいち反応したら負けだと思い、大人として無視した。 俺の会計になり、クーポン券を出したら、またも後ろから
13 :
選曲してください :2012/08/03(金) 05:46:38.94 ID:LwBQttW9
同級生に見つかったときの例
「おい見ろよアイツ
>>520 じゃないか?」 「あっ!ホントだ!
>>520 だ!」
「
>>520 ってカラオケなんかやるんだ?全然そういうイメージ無かったな。」
「だよな。いつもマンガが好きだって事は知ってるけど、音楽なんてまるっきり興味ないみたいな感じだもんな。」
「でも、誰と来てるんだろう?
>>520 っていつも1人だよね?
>>520 と仲良い奴っているのかな?」
「1人みたいだぜ!」 「まじかよ!カラボって1人でも入れるんだ。知らなかったわw」
「2chで話題になってるじゃん。1人でカラボに行くのが流行ってるとか。」
「あ〜そういえば俺も見たことある。ヒトカラってやつでしょ?でもそれってネタだと思ってた。リアルで見たの初めてだし。」
「ヒトカラはどう考えても2chのネタでしょ?
>>520 はリアルでもヒトカラが流行ってると勘違いしてるんだろうなw」
「どういう歌を歌うのかな?最近の歌謡曲とか全然知らなさそうだけど…。」 「あっ!曲が始まったみたい。なんか昔聴いたことあるような…。」
「これ、クレシンのアクション仮面の歌だよ。小生の頃よく聞いてたよ。」 「なるほど、マンガオタクだからマンガの歌を歌うのねw」
「ちょww技の名前連呼しながらポーズ取ってるよwキモッ!」 「完全にアクション仮面になりきってるなw」
「歌が終わったみたいだ。あっ!ヤバイ!部屋を出るみたいだ!隠れろw」
「トイレかな?」 「俺もトイレ行きたくなっちゃったw鉢合わせしたらどんな顔するかな?」
「ちょww」 「どうした、そんなに慌てて?」
「トイレ行ったら、
>>520 が便所の水がぶ飲みしてた。。ビックリして用も足さずに戻ってきたよ。」
「2chで見たことあるけど、リアルでヒトカラをやる奴にとっては便所の水を飲むのが常識らしい。」
「わぁ〜!キモイな、ヒトカラーって」
今日初めて1人でカラボに行ってみた。 駐車場にすごい数の車が駐まっていて嫌な予感がした。
店に入ると受付の前のソファに人がたくさん座ってざわざわしており、 受付には列ができていた。
勇気を振り絞って列に並ぶ。 後ろに人が並ぶのが嫌で何度か最後尾に並び直したが、
14 :
選曲してください :2012/08/03(金) 05:48:17.93 ID:LwBQttW9
>>164 >>170 いえいえ、こちらこそサイトや本教えて頂きありがとうございます!
紹介した本のほとんどは図書館に所蔵されてるはずなんで、暇なときにでも足を運んでみてください。
最近の図書館は取り寄せができたりするんで、買わなくてもどんどん読めちゃいます。
私もほとんど図書館で借りて読んで、その中でこれは!ってやつだけ買うくらいですから^^;
昔それを耳にしたとき、やはり私も支持するところが多かったです。
まずなんといっても、カウンターテナーやソプラニスタを除いた男性歌手はほとんど地声に聞こえること。
このことは、地声のみで発声しているという推察と容易に結びつきます。
と同時に、なぜA4(hiA)を超えるような高音域において、あれほどの声量で発声できるのかという疑問が生じます。
この疑問の解法として、「全身の筋力でバランスをとりうんぬん」なのかな?と思います。
では、それをもってすればキング・オブ・ハイCをも説得力をもって包括できるのか?
それとも彼は極稀な例外、特異因子として除外されるのか?
彼に限らず、他のテノールの出す高音を包括するほどの説得力を有するには、私の中では至りませんでした。
そこで考えたのが、前提となっている「地声に聞こえるから地声で発声している」に疑問を持つこと。
>>151 第4段でも書いたように、“音響=発声の結果”からの考察は最大限慎重にすべきです。
単純に「地声に聞こえる」と「地声で発声している」を結びつけるのは、短絡的すぎるのではないか?
また同時に、地声(表声)や裏声などの言葉の定義についても疑問をもって調べ直しました。
結論からいえば
>>162 になるわけですが、そこに至るまでの過程には紆余曲折がありました。
まず何より大きな障壁になったのが、頻出する専門用語。
「裏声」という言葉1つをとっても、発言者によって少しずつニュアンスが違っています。
そのニュアンスの違いをひも解き、はき違えないよう1つずつ整理する作業は何とも面倒です。
私みたいな理論先行の頭でっかちならクロスワード感覚の遊び気分でできますが、
歌の上達を第一目標にしている人にとっては、無駄に時間をロスさせる要因にもなります。(
>>145 B)
15 :
選曲してください :2012/08/03(金) 05:48:58.43 ID:LwBQttW9
楽しく読ませていただきました、非常におもしろかったです。
俺はそんなに年食ってるように感じますかね……?こんなに若いのに。
もしこのスレが容量落ちしたら、また別のスレを乗っ取って続けてくださると嬉しいです。
絶対に見つけ出しますんで!!
あと重ねて言いますが、コーネリウス・L・リード系の「ベルカント」についてかなりお調べになっているようなので、
お返事遅れてすみません。
スレが浮上してる間は雲隠れするのが定例になってるもんでして^^;
>>166 その内の1冊くらいは読んだ記憶が、、でも内容をほとんど思い出せない(´・ω・)・・・
コンテンポラリーシンガーという銘にひかれて読んだ気がするんですが、 その記載があまり無かったために忘却の彼方へ吹き飛んじゃったのかな?
たしかボイトレ本の類だった気がするんですが、、記憶違いですかね?
今の自分の発声スタイルを理解した上で英語の発声法との差異を考えたり、 それを歌う際に取り入れたりするための練習本としてはいいと思います。
ただ、やっぱり英語発声とかを練習したいなら、日本語発声も記載してほしいところ。
今の自分がどれだけ日本語発声に特化し、英語発声から乖離しているかも知らないといけないと思うんです。
万人が読んで試して出来ましたってわけにいかないのは、 そういった未記載の部分でふるいに掛けられてるせいだと思います。
あ、全部読んだわけじゃないんで、話半分で聞いてもらえれば幸いです。
>>167-169 本来、感情表現と歌唱技術(
>>106 )は対立させて語るもんじゃないと思うんです。
たとえば頭の中で、こう歌いたい!ってイメージしたとしますよね?
それこそが感情表現の素であって、自分が表現したい形なんです。
でも、それをアウトプットするには歌唱技術が必要で、 技量が足りなければ差引された分しか歌に乗せることができません。
同じように、歌唱技術があっても、自分の表現を伴わず、 ただ譜面どおりに歌うだけでは、アカデミックで面白みのないものになってしまいます。
車の両輪のごとく、どちらも伴ってこそ歌をより高みへ昇華させることができる。そう思います。
16 :
選曲してください :2012/08/03(金) 05:49:35.77 ID:LwBQttW9
楽しく読ませていただきました、非常におもしろかったです。
俺はそんなに年食ってるように感じますかね……?こんなに若いのに。
もしこのスレが容量落ちしたら、また別のスレを乗っ取って続けてくださると嬉しいです。
絶対に見つけ出しますんで!!
あと重ねて言いますが、コーネリウス・L・リード系の「ベルカント」についてかなりお調べになっているようなので、
お返事遅れてすみません。
スレが浮上してる間は雲隠れするのが定例になってるもんでして^^;
>>166 その内の1冊くらいは読んだ記憶が、、でも内容をほとんど思い出せない(´・ω・)・・・
コンテンポラリーシンガーという銘にひかれて読んだ気がするんですが、 その記載があまり無かったために忘却の彼方へ吹き飛んじゃったのかな?
たしかボイトレ本の類だった気がするんですが、、記憶違いですかね?
今の自分の発声スタイルを理解した上で英語の発声法との差異を考えたり、 それを歌う際に取り入れたりするための練習本としてはいいと思います。
ただ、やっぱり英語発声とかを練習したいなら、日本語発声も記載してほしいところ。
今の自分がどれだけ日本語発声に特化し、英語発声から乖離しているかも知らないといけないと思うんです。
万人が読んで試して出来ましたってわけにいかないのは、 そういった未記載の部分でふるいに掛けられてるせいだと思います。
あ、全部読んだわけじゃないんで、話半分で聞いてもらえれば幸いです。
>>167-169 本来、感情表現と歌唱技術(
>>106 )は対立させて語るもんじゃないと思うんです。
たとえば頭の中で、こう歌いたい!ってイメージしたとしますよね?
それこそが感情表現の素であって、自分が表現したい形なんです。
でも、それをアウトプットするには歌唱技術が必要で、 技量が足りなければ差引された分しか歌に乗せることができません。
同じように、歌唱技術があっても、自分の表現を伴わず、 ただ譜面どおりに歌うだけでは、アカデミックで面白みのないものになってしまいます。
車の両輪のごとく、どちらも伴ってこそ歌をより高みへ昇華させることができる。そう思います。
17 :
選曲してください :2012/08/03(金) 05:50:10.58 ID:LwBQttW9
基本的なことを守らずに、あまりにも感情で表現しようとすると 感情表現にばかりこだわり、大事なリズム音程などが正確に 表現されにくい状況に陥る傾向もあります。 これは、声の大きさばかり終始して、大事な楽譜の記号表現が おろそかになるのと似ているように思います。 まずは、楽譜と通りに正確に歌うことを心がけましょう。 次に、詩を何回も読み返し、その歌詞(フレーズ)のイメージ を思い浮かべましょう。 歌は一つの物語りなんですからね。 そして心で歌をうとすれば、こころで表現しようとする内容を すべて、音符のなかにすべて納めて歌いましょう。 こころで歌うには、かなりの練習を積み、自然に表現されるべきだと 思います。 意図的に悲しい顔をしたり、身体を動かすのではなく すべて歌のなかに納めて表現すべきものだと思います。 練習を積み、上手くなれば、 感情の変化は音色の変化と変わり 「表現力」として 素晴らしくなり「歌は心だ」と聴衆から 思われるようになるでしょう。 ふぅ、今日1日でこのスレ読破。 つっても腹の底に落ちきっていない箇所もあるから何回も読み直さなきゃいけないと思うが。 自分は読書を滅多にしない人間なので、だいぶ気合いを入れてかからないとこういった長文が読めないんですね。 そのせいで最初にレスしてからちゃんとスレ全部読むまでこんなに時間がかかってしまって申し訳ないです。 なんとなくサブさんが研究なさっていることの一部がぼんやり見えてきました。 楽しく読ませていただきました、非常におもしろかったです。 俺はそんなに年食ってるように感じますかね……?こんなに若いのに。 もしこのスレが容量落ちしたら、また別のスレを乗っ取って続けてくださると嬉しいです。 絶対に見つけ出しますんで!!
18 :
選曲してください :2012/08/03(金) 05:51:10.66 ID:LwBQttW9
ちなみにこれほど博識なサブさんならもうご存知かもしれませんが、僕からも声楽の発声についてWebサイトを挙げておきます。
表声・裏声などという感覚的な言葉を切り捨て、より実際に起こっている現象にスポットを当てていらっしゃるサブさんには申し訳ありませんが、
「男性が裏声を使うと声帯には悪い、喉頭は下がったまま表声を全身の筋力でバランスをとりうんぬん」という発声を提唱している方のサイトです。
残念ながら裏声を使った男性オペラ歌手は現在、一部のカウンターテナーやソプラニスタを除きほとんどいません。
その発声により声帯を壊さず死ぬまで歌い続けた歌手が何人もいたり、裏声を使ったカウンターテナーの歌手としての寿命が短いことから、今のところ私はその発声を信じています。
男性視点のみで語ってしまいますが、ここで敢えて「ベルカント」という言葉を使うなら、裏声を使った古い「ベルカント」は声帯に悪く体に優しい。
表声を使った新しい「ベルカント」は声帯に優しく体に悪いです。
「ベルカント」なんて言葉は非常に曖昧なものなのに、日本人が横文字として輸入した瞬間絶対的な定義を無理矢理つけてしまったようなので、この言葉を使うのは僕も好きではありませんが。
ttp://www2.odn.ne.jp/~cco47400/hassei.htm ttp://ameblo.jp/molto-piu-acute/ ttp://ameblo.jp/ken-baryton/ ここで腹話術やってるってききました すごいっす、参考させていただきやす!
ちょっ素人目で気が引けるんスけど 高校生のほうからの加齢臭が どうしても漂ってくんのが気になります 改良の余地あるおもいます!
初心者から上級者まで コンテンポラリーシンガーのため?のヴォーカルワークアウト
コンテンポラリーシンガーのため?の ヴォイストレーニングとアメリカ?英語の歌い方
ザ・コンテンポラリーシンガー CD付 ヴォーカルテクニック&パフォー?マンスのための
あなたを表現するために シングユアストーリー この辺の本ってどうなの?
19 :
選曲してください :2012/08/03(金) 05:51:44.94 ID:LwBQttW9
さて、ご質問の「声楽の発声が弓場さんのような裏声を用いたものか?」ですが、
私の中では表声とか裏声とかはバズワードとして切り捨てた言葉なんで、答えづらいというのが正直なところです^^;
たしかに弓場先生は声楽畑の人だし、先生の歌声は声楽に基礎をもつ発声スタンスです。(cf.
>>144 )
その点から逆説的に、声楽の発声は弓場先生のような裏声を用いたものと言えるでしょう。
しかしここで留意してもらいたいのが、どんな声でも声帯という1つの器官から発生しているということです。
>>65 に書いた喉の筋肉が総合的に働き、しかもそれに関連した呼吸筋や身体全体の筋肉が連携して発声します。
裏声、表声、ミドル、ヘッド、etcだからといって、なにか別の器官が働くということはありません。(cf.
>>113 )
強いて言えば、裏声は声帯を進展させ声唇を薄くし、声帯縁辺のみを振動させる発声方法である・・・
これでもいささか誇張的と言わざるをえません。
表声(地声)やミドルとよばれる代物にも、声帯の進展はあってしかるべきだし、
声唇の厚さは個体差もありますが、その調節によって全ての声域で大きな役割を果たします。
これらの説明が難しいから、声種や声区のようなカテゴライズをし、理解の糸口を与えたんだと思います。
本来、真に発声運動を理解しようとするならば、そのような言葉は真理に向かうための導入にすぎません。
それに雁字搦めになって、その先にある統合的な発声運動を理解しえないことは残念なことです。
サブさん、とりあえずありがとうございます。
私のような若造のために音楽以外のことまで、役に立ちそうだけど難しいことを噛み砕いて説明していただいたこと、非常にありがたいです。
涙が出そうなほど感動しました。
あなたは私が目指すものに一番近いし、そんな方は初めてお目にかかりました。
私には今、金がありません。
親のすねをかじって生活している無能な高校生です。
なので自分の力で金を稼ぐようになったら、何年かかるかは分かりませんが、サブさんに挙げていただいた書籍をすべて吸収させていただこうと思います。
それまではこのスレを熟読し、教えていただいたWebサイトを閲覧することにします。
20 :
選曲してください :2012/08/03(金) 05:52:42.74 ID:LwBQttW9
・『声と日本人』【米山文明(著)、平凡社】 ・『声の呼吸法 - 美しい響きをつくる』【米山文明(著)、平凡社】 ・『声の不思議 - 診察室からのアプローチ』【一色信彦(著)、中山書店】 ・『上手に歌うためのQ&A - 歌い手と教師のための手引書』【リチャード・ミラー(著)、岸本宏子(訳)、長岡英(訳)、音楽之友社】 ・『西欧音楽教育史』【供田武嘉津(著)、音楽之友社】 ・『声楽の知識とテクニック』【エルンスト・ヘフリガー(著)、小椋和子(訳)、シンフォニア】 ・『西洋音楽史 - 「クラシック」の黄昏』【岡田暁生(著)、中央公論新社】 ・『誰にでもできる発声法(ボイストレーニング)』【熊谷卓(著)、日本実業出版社】 ・『日本人の声』【鈴木松美(著)、洋泉社】 ・『倍音 - 音・ことば・身体の文化誌』【中村明一(著)、春秋社】 ・『はじめての発声法』【ジャン=クロード・マリオン(著)、美山節子(訳)、音楽之友社 】 ・『発声の科学と技法』【Risa Roma(著)、鈴木佐太郎(訳)、音楽之友社】 ・『発声の技巧とその活用法』【酒井弘(著)、音楽之友社】 ・『発声の達人 - 日本人には日本人の歌声がある』【海沼実(著)、ノースランド出版】 ・『表現と理解のことば学』【宍戸通庸(著)、西川盛雄(著)、平賀正子(著)、菅原勉(著)、ミネルヴァ書房】 ・『プリマドンナの声帯 - 音楽裏方医者のカルテから』【米山文明(著)、朝日新聞社】 ・『ベル・カント唱法 - その原理と実践』【コーネリウス・L.リード(著)、渡部東吾(訳)、音楽之友社】 ・『ベル・カントの継承 - 装飾の施された歌唱に関する実践的省察』【Giambattista Mancini(著)、渡辺東吾(訳)、アルカディア書店】 ・『ベル・カントへの視座 - 昔時及び当節の歌い手に対する見解と装飾の施された歌唱への所見』【Pier Francesco(著)、渡辺東吾(訳)、アルカディア書店】 上のリストに新書シリーズが何冊か紛れ込んでると思います。 いきなり難しい専門書にアタックするのもいいですが、未開拓の分野に手を出すときの入門書としてもってこい。 本自体も薄いし、それを手始めに新規開拓してみると捗ります。 ただし、その性質ゆえ内容が所々間違ってることがあるので、すべて真に受けて読むのではなく、 少々懐疑的に、次の知識への懸け橋と思って読むくらいがちょうどいいかも。
21 :
選曲してください :2012/08/04(土) 00:05:32.69 ID:HvEcMj25
タケヨシキ、ニコ生で説教されてガチビビリで過呼吸の巻
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18436761 凸者A「あのー君みたいのは2ちゃんじゃ珍しくないんで」
ハゲキ「そーです」
凸A「あのー別に僕は馴れ合いとか嫌いじゃないんだけども、あのー馴れ合いは馴れ合いのちゃんと用の場所があるんで
多分、そこに行った方がみんなと仲良くできるんじゃないかなと思いましてな、うん」
ハ「はい」
凸B「結局、その板ごとにどういうことするかっていうの2ちゃん決まってるから成立するんでしょ?」
ハ「・・・え、どういうことですか?」
凸A「いやだからカテゴリーが分かれてるじゃん」 「ソウデスソウデス・・・」
凸B「まあ、そのPCやら何やらカテゴリーが有って、その中で自作やらハードやらなんやらかんやらで別れてて
結局その板ごとに相応しいことやってるから、ちゃんと10年以上2ちゃん荒らし多いとか
いろいろ荒れてるとか言われてるけど成立してるんでしょ」
(中略)
凸B「・・・ν速時代からそういう、オッサンなんだが、とか、ポケモンがどうとか
そういう荒らし行為?ね、もう2009年から、2010年だっけ?もう2年3年やってるでしょ。そういうこと。
もう異常だなあと思って。確信的に荒らしやってるのかなって思って、
Twitterやらニコ生やら見てきたら、なんか『さみしい』やら『死にたい』やらなんやら。
え?この人なに、寂しくてやってんの?メンヘラなの?って思ってさあ」
ハ「ウン・・・ウン・・・」
凸B「ね、もうちょっとこう、荒らし、荒らしたいんだったらさぁ、」
(ここでハゲキ耐え切れずSkypeを切断)
ハ「はぁっ・・・はぁーーーっ。あ〜ダメだ!!ダメだダメだ!」
言語と脳
欧州の人たちと日本の人たちの脳ではある面白い違いがある
それは音の感じ方
(ここから先は欧州の人たちを(欧)、日本の人たちを(日)とする)
22 :
選曲してください :2012/08/04(土) 00:07:48.69 ID:HvEcMj25
響かない日本の家屋でも楽器は発展していった 尺八・琵琶などの現在では伝統楽器といわれる類の楽器である この楽器を(欧)に聞かせると(欧)の脳は音楽として処理する しかし(日)に聞かせると(日)の脳は言語として処理するのである 日本の伝統楽器は響かない環境で伝えるためにより「声に近づける」という選択をした 欧州の楽器とは根本的にここが違っていた 欧州の楽器は(欧)にとっても(日)にとっても楽器だが 日本の伝統楽器はそうではないのだ ほかにも(日)は小川のせせらぎや小鳥のさえずり、木々のざわめき等の環境音も言語として処理をする 当然(欧)は音として処理する これらは日本語の母音を主にした言語に関係しているといわれている 母音のような音には特別な感情のようなものを(日)は受け取るのである 夏の風物詩の風鈴は(日)にとっては風流でも(欧)にとっては雑音でしかないのだ 悲しい話である このように(日)にとって音は言葉でもあるのだ 逆に(欧)にとっては音は音、言葉は言葉といったしっかりとした区分けがある (欧)の歌は言葉よりも音の意味合いが強い (欧)は声を楽器にすることを選択した よく響きより響き、音としての質の高さを目指した 周りの硬い物が響きを助けてくれたのでその方向性にもうなずける (日)の歌は言葉であった 楽器ですら声言葉に近づけようとするのだから (日)にとっての音のメッセージ性は相当なものである
23 :
選曲してください :2012/08/04(土) 00:10:03.94 ID:HvEcMj25
欧州の歌・日本の歌 これらのような環境と言語の違いにより 欧州と日本の歌の進む道は大きく変わってしまった 日本は人々の心に訴えかける感情と言葉を重視した歌 欧州はより響かせるためにテクニックや技術を開発し楽器としての音を重視した歌 ただ日本の歌に技術がないわけではない 人の心を掴むための技術が感覚で伝承されていったのだ それゆえ感情論や根性論が蔓延りやすい事態にもなるのだが・・・ しかし色々と混ざってしまった現在ではテクニックとして感情表現もある この辺は進歩と言ってはいいのではないか ただその反面 日本人は音に感情を感じにくくなっているようだ 技術により感性が縮んでいくのは避けられないことなのだろうか まあとりあえず、根っこにはこのような違いがある 音としての歌が好きか言葉としての歌が好きか そんなことは目玉焼きにソースをかけるか醤油をかけるかくらいに些細なことなのだ 欧州にしろ日本にしろ音は楽しむものに変わりはない 自分が好きな歌手の歌を聞き、自分が好きな歌い方を目指す 思うが侭に楽しむ 好きな食べ方をすればいい これこそが誰にとっても正しい歌であり音なのだ 書きたいのに書けないこともあって少し説得力にかけるけど こういうのもあるのか と思ってくれたら嬉しいかな 信用できなかったら忘れてください
24 :
選曲してください :2012/08/04(土) 00:12:26.73 ID:HvEcMj25
25 :
選曲してください :2012/08/04(土) 00:14:55.85 ID:HvEcMj25
まず第1に、
>>113 で書いた「言語差=言語発声の差=発声器官の使い方の差」があります。
これは言語を、「頭の中で文章を構築する=内言語」と、「それを声に出す=外言語」に分けたうちの、
外言語に相当する部分に着目したものです。
そして「発声器官のある1つの言語発声への特化」とは、この外言語の1言語(母語)への偏重によって、
共鳴腔(声道)が変形してしまうことを意味します。(cf.
>>73 )
共鳴腔の変形がピンとこなければ、ペンダコを例に考えてみてください。
ペンダコとは、長年同じペンの持ち方をしたために指の一部が変形したものです。
これができるとペンがズレることがなくなって、より持ちやすくなります。
逆に、ペンを持っていない方の手の中指には全くできません。当然です。
ちなみに、私はペンの持ち方が変(↓の画像みたい)なので、右手薬指にできています。
ttp://blog-imgs-18.fc2.com/s/o/o/soogatch/20060713.jpg ペンの持ち方の違いで、違った位置にペンダコができるわけです。
共鳴腔も同じで、ずっと日本語を話していると、
日本語の5母音を発声しやすいように、共鳴腔の形状そのものが変形していくんです。
それが言語間の差となって母語以外の言語を発声するときも現れ、
あるが果てに歌うときにまで顔をのぞかせます。(cf.
>>112-114 >>133-140 )
第2に『歌声における言語発声と歌唱発声の相関関係』(
>>133-140 ) のジレンマ解消法で書いたこと。
これは米山文明先生の著書『声と日本人』にも書かれていたことです。
共鳴腔(声道)は各母音のフォルマント形成に多大なる役割を果たします。
また、共鳴腔は広がることで声量確保、高次フォルマントの集約等にも貢献します。
歌う時には、この2つの動作を同時に行わなければなりません。
しかしながら、この2つはトレードオフの関係で、完璧に両立させることは不可能です。
同じく、歌うときは話すときより格段の声帯調節が行われ、それが共鳴腔の形状にも制約をつけます。
すなわち、母音を明瞭に発声するための共鳴腔の形状にはなりにくい場合が多々あるわけです。
以上のように、歌うことは母音フォルマント形成の阻害要因を多く含みます。
26 :
選曲してください :2012/08/04(土) 00:16:07.87 ID:HvEcMj25
歌う際に言葉の明瞭度よりも音高や音色にウェイトをおくならば、フォルマントは多少変移させて対応すべきでしょう。
下の図を見てください。
http://www.oki.com/jp/rd/ss/img/speech_fig_position.gif 各母音の範囲(破線内部)ならば、縁にいけば明瞭度は下がるものの、その母音に聞こえるはずです。
注目してもらいたいのは、「/e/と/u/」、「/a/と/o/」が重なっていることです。
この重複する範囲では、どちらの母音にもとれる音が出ています。
声を言葉として捉えた際、これでは明瞭度もクソもなくてよろしくない発声でしょうが、
しかしながら歌う際にはこういった縁までレンジをもつ意識をしてもよいと思います。
実際、発声練習の中には、「ア」のような「オ」、「オ」のような「ウ」、「エ」のような「イ」みたいに、
母音を崩してでも響きや音色を保持させるものもあるくらいです。
感想レスで、「何言ってるかわかんない」とか「言葉が聞き取れない」と書かれることがありますよね?
これは自分ではオッケーかなぁと思いながら歌ったものが、人によっては許容範囲を超えていた例です。
もし自分でいいと思うなら直す必要はないし、より言葉としてのウェイトを重んじるなら修正すべきでしょう。
いずれにせよ、判断は自分に委ねられているわけですから、それぞれの度合いを考えることは大切です。
長くなりましたが、以上で説明を終わります。
余談ですが、サザンの桑田佳祐はわざと日本語の発声を崩して歌っているそうです。
度数の高い酒を飲んで大音量のスピーカーの前で歌って喉を潰したって逸話もあるくらいですから、
音としての声、発声に対しては並々ならぬ思いがあるのかもしれません。
また、小室哲哉は作詞の時点から日本語の音節や文法を崩して音に対応させています。
人によっては2人のやり方は日本語を蔑にしていると言いますが、私は面白い試みだと思います。
逆に、山崎まさよしは日本語の発声を綺麗に残したまま歌っていると思います。
彼のようにはっきりと聞き取りやすい発声で歌うのは難しいです。
全く違うスタイルが全く違った良さを出す・・・これは非常に興味深い点です。
歌う時も聴く時も、はたまた見る時までも、そういった違いを感じることができたら、きっと楽しさが増します。
27 :
選曲してください :2012/08/04(土) 00:17:22.77 ID:HvEcMj25
>>189 う〜ん、、『ボイトレで注意・危惧すべき点』(
>>144-146 ) にも書きましたが、人それぞれ合ったものが違うし、
目指す発声像も違うので、簡単に善し悪しってわけにはいかないんですよね・・・
ただ、いろいろ読んで思うのは、やっぱりプロローグ V(
>>55 )に書いたことでしょうか。
初歩的なところだと思って軽く流しちゃってたり、あるいは書いてなかったり。。
本のターゲットがズブの素人なのに、初歩を飛ばすとはこれ何ぞや?って本が多いです。
あと、正直どの本にも突けそうな点はあります。
たとえば亀渕友香のある本には、図がとんでもないのがありましたね^^;
でも、それをもって「この本は駄目だ」って決めつけちゃったらもったいない。
一葉目を蔽えば泰山を見ず、、ではないですが、どの本にも良いところ悪いところはあります。
そんななんで、私がお勧めするのは、ボイストレーニングでも、スピーチ(話し声)の方の本です。
まずはサラッとでもそういった本を読んで、発声の下地を固める。
そうすることで、話声位(歌うときより声帯調節が少なくて済む)から発声を慣らせます。
歌の発声にとっかかるのはその後にした方が、より安全着実に上達すると思います。
あと、ボイトレ本ではありませんが『声と日本人』(米山文明、平凡社)もかなりお薦めです。
ってか、これが一番薦めたい本ですねw
自分が日本語を話すものとして置かれている状況を把握しておくことに損はありません。
一読の価値ありです。
>>190-194 既出もなにも、これから書きたかったことてんこ盛り、大変ありがたいお話です!!
私には十分信用足るものですよ!
【 建築 】
まさしく仰る通りだと思います。
建築材料の違いは、普段からの発声法の違いにつながっただろうし、宗教音楽の発展にも影響しました。
それが芸術音楽や大衆音楽にも影響して、18世紀ごろまでは独自の発達を遂げたんだと考えてます。
あ、18世紀ってのは私個人の感覚です。日本でいえば江戸時代ごろまで。
たぶんその頃までは、今みたいな世界間の大々的な文化交流はなかったはずです。
他文化の大きな流入がなかったからこそ、混血ではないその土地だけの純粋な継承・発展があったと考えています。
28 :
選曲してください :2012/08/04(土) 00:18:53.77 ID:HvEcMj25
言語処理の違いによる音楽の発展の違いは、伝承にも違いを成したと考えられます。
西洋では中世以前から採譜によって音楽が保存され、それを広める役割を果たしました。
現在記譜法として世界中で用いられている五線譜もヨーロッパ発祥です。
もちろん感情やその表現法まで記載するには限界があったでしょうが、
普遍的な音としての側面を記録し、それを再現する方法が確立されたのです。
いっぽう日本では、記譜法はあったものの、やはり口頭伝承(口承)が重んじられました。
いや、口承はおろか、教わるのではなく盗めと言われるように、
師弟関係の中にあっても直接教えを乞うより、師匠の技を観て感じて自分でつかむことが多かったはずです。
こうすることで譜面には書き表せないメッセージ性=感情表現が伝承されました。
「感覚で伝承されていった」とは、つまりこういうことですよね?
口承は日本の伝統音楽の保存・継承には不可欠ですが、 それがゆえに廃絶してしまったものも多かったようです。
>>205 簡単に要約するのが一番難しいんです・・・ かといって私の言おうとしてることが難しいかというと、、
「彼らはつまらないことをわずかしか考えていないのに、
はるかに深遠なことをはるかに多量に思索したかのように見せようとして懸命である。
したがって彼らはその主張を表現しようとして、不自然、難解な言い回しや新造語を、
だらだらとした文章、堂々巡りを重ねた挙げ句、何を考えているのかを不明にする複雑な複合文章を使う。
つまり彼らは自分たちの考えている同じ一つの思想を伝達しようとする努力と、
隠蔽しようとする努力との間をさまよっているのである。 」
― Arthur Schopenhauer ―
まぁ耳が痛い('A`)
なるべく順序立てて書いてきたつもりなんで、 わからなければ遡って読んでいただければ幸いです。
29 :
選曲してください :2012/08/04(土) 01:57:40.59 ID:HvEcMj25
久しぶりに筋トレしたら肩が急性滑液包炎になりました。 なかなか痛みが引きません('A`)
今更ですが、直近のやつはトピックにまとめた方が良かったんでしょうか・・・
とりあえず小休止だけでも置いておこうかな。 個人的にはすごく好きな分野だったりします。
―――◇ 小休止.\ ◇―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Paco de Lucia y Camaron de la Isla - Bulerias
http://www.youtube.com/watch?v=gm8FYF96BXE Duquende - Bulerias
http://www.youtube.com/watch?v=6N4PMnAAoX8 上:フラメンコ、すごく好きなのに あんま知りません(´・ω・)
そんな無知な私の中ではカンタオール=カマロン。夭折してしまったのが惜しいです。
下:初めて聴いたとき、カマロンそっくりだ!!って衝撃でした。
この声はもはや天性です。憧憬はとっくに捨て去りました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
女っぽい声を出すには:お手軽編
例1・素人 (ニコニコですまないが)男が女声を出す方法・声真似のやり方
http://www.nicovideo.jp/watch/nm4444778 まあこのレベルまでいければ女声出せるって言ってもいいのかもしれない
正直録音すると「ああ」レベルだが同じ空間で喋られると「おお」となるだろう
30 :
選曲してください :2012/08/04(土) 02:00:44.34 ID:HvEcMj25
○地声は高い方が望ましい
声帯が短めの方が当然いいし最低でも中音域は欲しい 低音域の人は諦めましょう
あと裏声の女声は倍音が少なくなってどうやってもそれっぽくはならないのでその方向も諦めましょう
○喉仏を上げる
これによって低周波の音が比較的カットができる
○鼻にかける
上のはきれいな鼻腔共鳴というには程遠いが仕方がない 現実の女でこのくらい露骨に鼻にかけるぶりっ子はざらにいる
同じ空間だと大して気にならないが録音するとドン引きレベルなので注意 萌え系の声を出すときには必須
○息を漏らす
息を吐くと高音域の周波数を多く含んだ音が出る これを女の声の高さの再現に利用していると思われる
とりあえずこのくらい あとは練習つつ探ってみよう カラオケ時のネタレベルにはぜんぜんなると思う
女っぽい声を出すには:本格編
例2・声優
(ニコn(ry)1人7役
http://www.nicovideo.jp/watch/sm662421 さすがのプロ 笑ってしまうくらい次元が違う
ここでもっとも重要な事
彼は地声は高いが女声を出すときに別に高い音を出しているわけではないということ なのになぜそれっぽく聞こえるか
それはお手軽編で述べた事を理屈は分からずとも高レベルでやれてしまっているから
これは声優としての発声の良さがすべての底上げをしてくれているからで一般人にはかなり難しい
さらに役者としての女性の喋りのニュアンスの表現力がいっそう違和感のないものにしている
紹介しといてなんだが参考にするのはやめた方がいい
基礎がない素人が真似したところでひどいものが出来上がるのは目に見えている
ただよく聞いているとやはりどうしても男性特有の音域が出てしまっている
おそらく低い音に移動するときの喉のポジションのずれが起こっているのだろう
しかし録音してこの違和感のなさは本当に脅威である
このレベルでも女っぽくは出せるが女と同じ声は出ない
元々女性の声帯をもって生まれた男性以外女声は男性には出せない これはよく頭に入れておいた方がいいだろう
31 :
選曲してください :2012/08/04(土) 02:03:26.16 ID:HvEcMj25
なるべく原曲に近い再現で作ってほしい、音質ももっと上げて欲しい。 本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。 でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。 機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。 匠的な有能な音源技師や職人を沢山雇って良いカラオケ音源を沢山入れてほしいと思うわー。 あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが) そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ あからさまに音が悪いの多すぎる。 ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。 2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。 再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。 良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい 今回は言語発声の差の要因になる生活環境の違いとかについて、あえて書きませんでした。 それはあくまで原因。説明したかったのはその結果生まれた差だからです。 あとは長くなりすぎて切らざるを得なかったから^ ^; 参照できるようにそれに関するサイトを探してみたんですが・・・ 見つからなかった orz 少なくとも以下の本では紹介されてたはずなんで、興味のある方は読んでみて下さい。 『声と日本人』(著:米山文明 出版社:平凡社) 『美しい日本語を歌う - 心を伝える日本語唱法』(著:大賀寛 出版社:カワイ出版) 『「医師」と「声楽家」が解き明かす発声のメカニズム - いまの発声法であなたののどは大丈夫ですか』 (著:萩野仁志、後野仁彦 出版社:音楽之友社)
32 :
選曲してください :2012/08/04(土) 02:05:12.93 ID:HvEcMj25
先日、城崎温泉に行ってきました。
最近体調悪かったし疲れてたし、まさしく湯治気分w おかげで少し良くなった気がします^ ^
にしても城崎温泉、町ぐるみで温泉街を盛り上げてますね。
浴衣で下駄履いて出歩いて外湯を廻り、柳のライトアップに見とれつつ夕涼み、、もう最高でした。
かなり若者も多かったし、ホントに年齢問わず楽しめる感じがしました。(私も若いけどね!)
あ、前もってちゃんと『城の崎にて』も読んだし、宿も見せてもらってきましたよ。
思う存分城崎を堪能して大満足です!
今
>>91 に書いた『日本語発声の微妙なラインと、日本語歌詞との関連性』について書いている途中なんですが、、
如何せんまだ体調悪くて気力出ない上にアウトプットも作文も不得手なんで、まとまる気配がありません orz
一応書きたいことを箇条書きにすると、、
@ 歌(声)に対する上手下手・好き嫌いについて。
A 『歌声と話し声の違い』(
>>69-73 )に書いた‘歌声’を‘歌唱発声’、‘話し声’を‘言語発声’として、
言語発声のさらなる特徴と、ポップミュージックに使われる歌声について言及する。
B ボイトレで注意・危惧すべき点。
ってな感じで、順不同になるかもしれませんが繋がっていきます。
AとBはフリーさんの前スレで書いたことに加筆する感じで、
まずは平原綾香はじめとする、私の好き嫌いを引き合いに出して@を書いていくつもりです。
あ、そうだ、、もしお暇があればセシル・コルベルが日本語で歌っている時の声と、平原綾香の声を聞き比べてみて下さい。
私の中では結構共通点が多いと思うんですが…
汲み取ってもらいたいことは、ずばりセシル・コルベルの日本語発声時の違和感です。
たぶん、外国人が日本語歌詞の曲歌ってるな〜 と感じるはずです。
ここんとこが平原綾香が歌う日本語歌詞に対する違和感にも繋がっていくわけでして、、
ただしこれは
>>96 の@に直結するので、あくまで私の主観的なもので万人共通ではありません。
33 :
選曲してください :2012/08/04(土) 02:07:38.88 ID:HvEcMj25
先に言っちゃうと、私が平原綾香大嫌いなのは曲に対して声⇒発声・発音が全く合ってないと感じるからです。
あとは大好きだった惑星の木星に歌詞付けるばかりか、その声で歌われたことが許せなかったからです。
もし歌うにしても、クラシック曲という先入観、曲の雄大さに合致するように歌ってもらいたかった・・・
できればドラマティコ、あるいはリリコのように。
逆に今回の発見から、その声に合う曲なら、あるいは私の嫌悪感をも払拭するほど素敵な声なのかとも思います。
>>23 感想をつけるってのがこのスレで重要部だからな 前レスから持ってこんと書けん
んでうpばかりするから 微妙スレが1000いくなんて稀 700代までいったの久しぶりに見た
>>406 じゃがりきんと一緒にされると俺はともかく向こうが困るだろう 氏は「問題に触れず黙々とうpする」という選択肢を選んだ
最終的に、それが正常運行への近道だと判断したんだろう 俺はそれでいいと思う
俺個人がその結果の善悪をどう考えているかと言えばまた別の問題になるが
ただ、そう考えてそう行動するのなら、そう評価するだけだろうな 何も言いたくないなら行動だけすればいい
それ自体が、ひとつの意思表示になる それは千の言葉よりも万の理屈よりも強いはずだ
他人の名を騙って貶めることに恥ずかしさを感じないというのは、羨ましいな
まあそれでスレが埋まる手伝いになるのなら良いだろうが 念のため、最終的な方向性を提示しておく
まずはここのスレを埋める。これは前々から言っていることだから敢えて言うことでもないな
その上で、立ってしまった56スレに移動する 向こうの55の住民も、使い切ればあちらへ移動するだろう
もし、まだ向こう側のスレが埋まっていない場合は向こうに移動し、使い切ってから56へ移動だ
56へ移動した段階でテンプレは正常なものを使用しているわけだから問題もないだろう
34 :
選曲してください :2012/08/04(土) 02:10:50.91 ID:HvEcMj25
そのような意図しない言語発声の影響=歌唱への混入は、様々な場面で表面化してきます。
例えば日本語の「い段」なんて、私たち日本人が歌うときの障壁になっている顕著な例です。(cf.
>>73 )
普段私たちが話すときのイ段の発声は、舌がせり上がり口腔を狭め、
ほぼ引き上げ筋一辺倒で、声帯は大雑把な閉鎖のままです。(cf.
>>69 >>72 )
これでは歌唱発声に限らず、種々の歌声に必要な共鳴効果、および共鳴に適した声帯原音(喉頭原音)は確保できません。
もしこの状態のまま歌声に使おうとすると、、声帯はその大雑把さを引きずったまま不均一で過度な緊張をし、
口腔をはじめとする共鳴腔は狭いまま、それを補うようにさらに声帯に負担をかける、負のスパイラルに陥ります。
ではそれの解消のため、発声器官をフル活用した発声法=歌唱発声でイ段を発声しようとすると・・・
声帯および周辺の筋肉は適度に弛緩した上で協調して閉鎖に参加し、共鳴腔確保のため舌根は下げ喉頭位置を低くしなければなりません。
その結果、日本語母音特有のフォルマント形成は阻害され、言語としては不明瞭で不自然に聞こえます。
意図しない言語発声の混入・・・しかもそれを取り除こうとすると言語として不自然になる・・・
「言語発声と歌唱発声は対立するもの」(
>>73 )を如実にあらわすジレンマですよね。
このジレンマから、重要なポイントがわかってきます!!
まず、なぜジレンマが発生するのか考えてみると・・・ 「音声を言語・言葉として認識するのか、楽器のような音と認識するのか」
という2つの処理の、どちらを優先するかの葛藤が起こっているためではないでしょうか?
なるほどなるほど、また少し分かりました。
ですが僕とサブさんの間に色々なレベルの差がありすぎて、サブさんがこちらに歩み寄ってくれていなければ
今頃は会話さえ成り立っているかどうか怪しいところですな…… 毎度優しく噛み砕いていただき、本当に感謝しています。
声楽というのは自分がやっている限り、とんでもない感覚論の集合体だと思うんですね。
だから僕は「○×な感じ」とか「△□のように」としか言えないんです。
それを科学的にどうこうするにはまず自分がその歌い方をある程度体得し、その上で医学や音響学を勉強し、その声を出しているときに
35 :
選曲してください :2012/08/04(土) 04:46:33.74 ID:6kc7jOsv
おっ コピペ荒らしがいるということはここが正規のスレか
36 :
選曲してください :2012/08/04(土) 06:10:23.74 ID:wV/2ThJT
そのようですね
なんだかんだいいながら荒らしさんも
ここが正規のスレと認識しているようです
前スレ
>>390 ふわふわしてていい感じですね〜
裏成分が強め?ですね
37 :
選曲してください :2012/08/04(土) 06:16:33.45 ID:gvg5dcHa
今日は書き溜めてたもの、新たに書き加えたものを一気に投下しました。
こんだけやっちゃうと訂正とかに追われる羽目になりかねませんが…
まぁこれはレスほったらかしてた贖罪ということで m(_ _)m
さて、ここいらで小休止いれますか。
って、それは自分の勝手か^^;
―――◇ 小休止.]T ◇―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Adiemus - Adiemus
http://www.youtube.com/watch?v=B7zJ0yVSSvE Enigma - Return to Innocence
http://www.youtube.com/watch?v=Rk_sAHh9s08&ob=av2e 梶浦由記 - Historia:opening theme
http://www.youtube.com/watch?v=vsh1h-pbTrU 上:以前、NHKスペシャル『世紀を超えて』で知ったアーティストで、ベスト盤CD買って聴いてみたら知ってる曲もあって。
その中で一番有名なんじゃないかなぁ?ということで紹介してみます^^
中:別に民族音楽が好きでもなかった頃、なぜかこの曲の「アーイアーイアー ォアイアイアー」って部分だけが耳に残って。
もしかしたら私のアンテナが民族音楽に反応した一番初期の曲なんじゃないか?なんて思ってます。
下:実際歌ってるのはVocal&Chorus:WAKANA・貝田由里子でして、梶浦由記さんが作曲されてます。
私、実はKalafinaの『oblivious』が好きでして、まさかこんなところで交わるとは思いもよりませんでした!
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――‐
38 :
選曲してください :2012/08/04(土) 06:17:40.70 ID:gvg5dcHa
ってのは冗談で^^;
私もまだ考えがまとまってない…
というか、もうちょっと状況証拠がほしいんで、いろんな映像をボーッと眺めて下あごあたりを観察してます。
あと、どの本の出典だったか忘れたんですが、
@ 下アゴが硬い。(口で喋る・ハッキリ前で喋る、と他教えられた人に多い)
A 口を開けすぎて、結果、下アゴが硬い。(日本の声優さんに意外と多い)
B 舌根が硬い。(クラシックを歌うということを誤解している人に多い)
とか書かれてたり、最近読んだ広瀬香美の本にも、
「日本語は下あごを使って発声する言語。ですから普通に日本語を話し、
その延長線上で歌えば、喉に負担をかけて歌うことになります。 」
とか書かれてたんで、やっぱり私の推察は何かに繋がってるのか?と思ってます。
全くアテにならないとは思うんですが、私が動画観てて「あぁ膨らんでんじゃね?」って思ったやつを…
Jason Mraz - I'm Yours (live) ⇒
http://www.youtube.com/watch?v=LYhrYHmUPn0 いちおうキャプって目印を付けてみました。
平常時⇒
http://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/315573 発声時⇒
http://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/315576 、、わかりにくいかなぁ…
超高音てわけじゃないんですが、さすがにサビ辺りは高いと思うんです。
そこで首筋〜下あご周辺に筋が浮くほど硬直させて歌う人いますよね?
その対極いってるなぁと思いながら観てました。
歌い方が柔らかいからか?とか、そんな他の要因も含めてまだ自分の中で結論が出ません^^;
39 :
選曲してください :2012/08/04(土) 06:20:10.18 ID:gvg5dcHa
40 :
選曲してください :2012/08/04(土) 06:21:03.36 ID:gvg5dcHa
医学方面の知識が皆無なのでアレですが、体腔が低次倍音の共鳴に有効なのは
体腔が気柱の共鳴を起こす際の固有振動数が低次倍音の振動数に近い場合と考えると…
気柱が閉管か開管かで変わりますが
閉管の場合で体腔の長さは最低限波長の1/4の長さ
開管の場合で体腔の長さは最低限波長の1/2の長さ
が必要です。
波長×振動数=音速(340m/s)
ですから今かりにmid2A(=220Hz)の倍音(=440Hz)を考えると
波長/4で19.3cm、波長/2で38.6cm
となります。
実際に体腔で起きる共鳴が単純に気柱の振動のアナロジーで考えていいのかどうか
確証はありませんが、参考程度にはなるとすれば低次の倍音を増幅する体腔は
結構長い、または広いものでなければいけないと思うのですが、どうなんでしょう。
音階 hiA hiC hihiA hihiC hihihiA hihihiC hihihihiA
振動数(Hz) 440 523 880 1047 1661 2093 3520
波長/4(cm) 19.3 16.3 9.7 8.1 5.1 4.1 2.4
波長/2(cm) 38.6 32.5 19.3 16.2 10.2 8.1 4.8
よく見たら
http://basil.is.konan-u.ac.jp/pub/asj200503.pdf の資料にも450Hzの共鳴が声道の1/4共鳴に対応していると書いてありますね。
とすれば体腔の特徴的な長さから共鳴に有効な振動数を推定するのは
あながち間違いでもないように思えます。
41 :
選曲してください :2012/08/04(土) 07:32:22.93 ID:gvg5dcHa
>>459-463 >ここんとこ調子が悪くて… 帰っては即寝でネットやってませんでした。
サブ様。
ちょっと前にこのスレを見つけて以来、たいへん興味深く拝見させて頂いております。
レスなどはゆっくりで構いませんから、どうぞご自愛ください。
>声帯より下の気管支〜肺腔もモデル化して…簡単なモデリングでは済まないのが難点です。
実は私、流体ではないのですが、似たような数値シミュレーションを専門にしていた時期があります。
周りには流体のシミュレーションを専門にしている人もいてよく議論もしました。
その時の経験からすると、コンピュータシミュレーションと言っても
巷の人たちが何かありがたい御神託のように大層に考えるのとは裏腹に
結局モデル化の時点で発生が予測された事象のどれかが起きるに過ぎません。
モデル化の時点で考慮されてないこと、つまり人間に分かってないことはコンピュータを使おうが
何を使おうが所詮分かりません。
そういう意味ではモデルがすべてですが、生きている人間の発声器官のモデルは難しいですね。
声道や気管支〜肺腔は剛体で近似するとしても、発声時の声帯の厚さ、密度、応力の分布なんて
どうやったら分かるんでしょう!
ただ、モデルが確定しなくても先ほどの「起きる可能性のあることだけが起きる」という事実から
分かることも少なくありません。
まず、気管支〜肺腔ですが、声帯から微量ずつ息が漏れるという状態から
片閉管、両閉管両方の特性がありうるのではないかと思われます。
まあ、本来でしたら両閉管の気柱の振動なんて考えないところでしょうが、
片方の端である声帯が気柱の振動を励起しているので声帯と同じ振動数の振動モードに対しては
声帯側が振動の腹、肺のどん詰まりが振動の節の片閉管として振る舞うでしょう。
その他の高次の振動モードに対してはさまざまな振る舞いが予想されますが、
特に高い振動数に対しては声帯の振動は止まっている、すなわち振動の節と見えるので
声帯側が振動の節、肺のどん詰まりも振動の節の両閉管として振る舞うのではないでしょうか。
42 :
選曲してください :2012/08/04(土) 07:37:02.59 ID:gvg5dcHa
だんだん物理屋の言葉になってるような気がw 暴走してるようなら止めて下さい。 で、起こりそうなことの2点目として外界への音の出口ですね。これは3通り位ありそうです。 @喉や胸の振動があることから、喉・胸の体表経路で声帯や声道を経由せず直接に外界へ伝わる A声帯から洩れる息、というより正確には声帯の隙間から空気の振動を介して 声道その他共鳴腔を経て加工されて外界へ伝わる B声帯そのものも振動体であることから気管支〜肺腔で増幅された倍音が 声帯そのものを単純な基音だけでなく倍音を含んだ多様なモードで振動させ、 それが声道その他共鳴腔を経て加工されて外界へ伝わる 今ここに挙げたような現象が実際どのような割合で起きているか、 それこそコンピュータシミュレーションでもしてみなければ分からないかもしれません。 一つ確実なのは「気管支〜肺腔」系を考慮すると発声のメカニズムは一気に多様化するということですね。 アンザッツ2(今これが「気管支〜肺腔」の共鳴を強めるのでは、と考えています)が男声らしい声を作る というのは体感的にもありますし、両生類関係のスレでも議論されています。 それで実際に男声と女声の違いを倍音の分布で見ると男声の方が多種多様な気がするんですね。 まあ、これは私もあまり知識がないのでUTAUというフリーの歌声合成ソフトのために 色んな方が作られている歌声音源から歌声を合成して音階君で見たっていう、ぶっちゃけそれだけなんですが。 UTAU音源から和音マコさんとか波音リツさんとか女声音源を引っ張ってくると大抵 基音・2倍音・3倍音の強さが揃っていてそれ以外の倍音はあまり強くありません。 (重音テトさんは中の人の作り声なので純粋な女声からは除外したほうがいいかも。上の説明とちょっと違います。) 某ボイトレサイトにも女声の特徴としてそのような事が挙げられていました。 これに対して同じUTAU音源から男声音源の赤羽カラスさんを持ってくると2倍音がとんでもなく強い。 これ音源サンプル中の最高音はmid2Cなんですが、2倍音が常軌を逸して強いのでhiCに聞こえます。 とにかく強烈に通る声で誰の声と合わせても赤羽カラス声になってしまうので合唱が出来ません。
43 :
選曲してください :2012/08/04(土) 09:44:37.40 ID:gvg5dcHa
ちょっと前にこのスレを見つけて以来、たいへん興味深く拝見させて頂いております。 レスなどはゆっくりで構いませんから、どうぞご自愛ください。 >声帯より下の気管支〜肺腔もモデル化して…簡単なモデリングでは済まないのが難点です。 実は私、流体ではないのですが、似たような数値シミュレーションを専門にしていた時期があります。 周りには流体のシミュレーションを専門にしている人もいてよく議論もしました。 その時の経験からすると、コンピュータシミュレーションと言っても 巷の人たちが何かありがたい御神託のように大層に考えるのとは裏腹に 結局モデル化の時点で発生が予測された事象のどれかが起きるに過ぎません。 モデル化の時点で考慮されてないこと、つまり人間に分かってないことはコンピュータを使おうが 何を使おうが所詮分かりません。 そういう意味ではモデルがすべてですが、生きている人間の発声器官のモデルは難しいですね。 声道や気管支〜肺腔は剛体で近似するとしても、発声時の声帯の厚さ、密度、応力の分布なんて どうやったら分かるんでしょう! ただ、モデルが確定しなくても先ほどの「起きる可能性のあることだけが起きる」という事実から 分かることも少なくありません。 まず、気管支〜肺腔ですが、声帯から微量ずつ息が漏れるという状態から 片閉管、両閉管両方の特性がありうるのではないかと思われます。 まあ、本来でしたら両閉管の気柱の振動なんて考えないところでしょうが、 片方の端である声帯が気柱の振動を励起しているので声帯と同じ振動数の振動モードに対しては 声帯側が振動の腹、肺のどん詰まりが振動の節の片閉管として振る舞うでしょう。 その他の高次の振動モードに対してはさまざまな振る舞いが予想されますが、 特に高い振動数に対しては声帯の振動は止まっている、すなわち振動の節と見えるので 声帯側が振動の節、肺のどん詰まりも振動の節の両閉管として振る舞うのではないでしょうか。
44 :
選曲してください :2012/08/04(土) 12:09:00.48 ID:sxmH9tWr
45 :
選曲してください :2012/08/04(土) 14:03:32.45 ID:J4AZgx7T
46 :
選曲してください :2012/08/04(土) 14:29:35.41 ID:81XFRNjM
47 :
選曲してください :2012/08/04(土) 15:56:21.12 ID:+GTg9ru7
48 :
選曲してください :2012/08/04(土) 16:44:17.70 ID:gvg5dcHa
そして「多様性」という言葉に注目すると何か一つパズルのピースがはまるような気もするのです。 アンザッツ2(今これが「気管支〜肺腔」の共鳴を強めるのでは、と考えています)が男声らしい声を作る というのは体感的にもありますし、両生類関係のスレでも議論されています。 それで実際に男声と女声の違いを倍音の分布で見ると男声の方が多種多様な気がするんですね。 まあ、これは私もあまり知識がないのでUTAUというフリーの歌声合成ソフトのために 色んな方が作られている歌声音源から歌声を合成して音階君で見たっていう、ぶっちゃけそれだけなんですが。 UTAU音源から和音マコさんとか波音リツさんとか女声音源を引っ張ってくると大抵 基音・2倍音・3倍音の強さが揃っていてそれ以外の倍音はあまり強くありません。 (重音テトさんは中の人の作り声なので純粋な女声からは除外したほうがいいかも。上の説明とちょっと違います。) 某ボイトレサイトにも女声の特徴としてそのような事が挙げられていました。 これに対して同じUTAU音源から男声音源の赤羽カラスさんを持ってくると2倍音がとんでもなく強い。 これ音源サンプル中の最高音はmid2Cなんですが、2倍音が常軌を逸して強いのでhiCに聞こえます。 とにかく強烈に通る声で誰の声と合わせても赤羽カラス声になってしまうので合唱が出来ません。 一方、同じUTAUの男声音源で戯歌ラカンさんをみると倍音の博物館で あらゆる倍音が同じくらいの強さで揃っています。 残念ながら強烈に強い倍音がないので、立派な声なのに埋もれやすいんですよね。 で、何が言いたいかというと「気管支〜肺腔」の共鳴を使う(?)男声の方が共鳴のメカニズムの多様性に したがって多様な倍音分布のバリエーションを得ているのではないかと。 ちょっと暴走気味の仮説です。スマソ。
49 :
選曲してください :2012/08/04(土) 16:44:30.13 ID:JXoSQnqS
>>45 音程が狂っている所も目立たないし、カラオケ行っても下手だと思われないレベルだと思います
けど、ひたすら半端に叫び続けているような歌い方は少し聞き苦しいかも?
シャウトする所、しないでまったり歌うところを分けられれば上手い人に分類されていくのでは
>>47 『イイ声』を意識し過ぎて音程もテンポもどっかいっちゃってます
声自体はとても良いので、指でテンポをとりながら原曲にあわせて歌ってみるなどの練習を重ねてみてはどうでしょう
サンホラは曲自体が音程とりにくいと思いますので、何回も聴く事も大事です
50 :
選曲してください :2012/08/04(土) 16:45:17.11 ID:gvg5dcHa
51 :
選曲してください :2012/08/04(土) 16:46:11.71 ID:gvg5dcHa
そして決定的な証拠がZUNさんが
>>524 で書いておられる差音として生じた1倍音の存在ですね。
きれいな正弦波の咽頭原音と2つの共鳴音の差音として生じた音は振動数は同じでも波形は違う筈です。
ただ客観的な手法にこだわってスペクトル分析にかけても波形の違いは読み取れないですよね。
音として聴き分けるのは主観性が入るので証拠としてはちょっと弱くなってしまうんだろうか。
少なくとも自分は聴き分ける自信がないorz
(ちなみに私は音楽的素養全くなしにいい大人になりましたので音感とか聴きとりとか駄目駄目です。
歌の単純なハモリパートひとつ聞き分けるのも必死、というかそれすら危うい感じでww
ZUNさんの耳がうらやましい)
それから、これも状況証拠になりますが、高次の倍音を含む色んな歌声を集めて
それらの歌声に高次倍音の差音として構成可能な低次の倍音が含まれている事を確かめる、
というのもありそうです。
それで、この2点目の状況証拠に関してですが、差音に注目すると疑問が一つ解けるのですよ。
以前私が取りあげた
http://archive.mag2.com/0000225345/20070319135000000.html ボイストレーニングの嘘真うそまこと「イイ声はどんな声か4」で
1.「透明感と艶のある声」のスペクトルが紹介されているんですが、
どうして強い倍音が「きっちり等間隔」に並ばなくてはならないのか疑問だったのです。
等間隔にどういう特別な意味があるのかと。
差音を考えるとこれが等間隔でなければならない理由が出てきます。
等間隔でなかったら強い倍音は様々な組み合わせで新たな差音を生じてエネルギーを分散してしまいます。
結果として強い倍音がいくつも並ぶという特異なスペクトルは維持できず、差音として生じた低次倍音が
強い倍音のエネルギーを奪って鋭いピークがない凡庸なスペクトルになってしまうのではないでしょうか。
逆に倍音が等間隔なら、どんな組み合わせで差音を作っても、もとからあったのと同じ音しかできません。
そういう場合にだけ、細く鋭く強烈に強い倍音のピークをいくつも持ったスペクトルが許されるのではないでしょうか。
そして、そういう細くて鋭い倍音のピークをいくつも持つ声が透明で艶があるように感じられると。
52 :
選曲してください :2012/08/04(土) 16:47:32.68 ID:gvg5dcHa
>>ZUN
とまぁ自分の妄想的類推を書いてみたものの、やっぱり
>>492 や
>>525 の方が論理的ですねw
まさかうなりの延長が差音だとまでは妄想しませんでしたがw
あと、
>>492 で紹介されたサイトに出てきた“ミッシング・ファンディメンタルズ”は、
『音のイリュージョン - 知覚を生み出す脳の戦略』(柏野牧夫著、岩波書店)で語られていたのを覚えています。
参考にその本で紹介されているサイトを載せておきます。
⇒
ttp://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/ (錯聴のところ参照)
ついでなんで
>>492 のサイトを辿って拾ってきた1000Hz+1100Hzの、
音源のスペクトログラムとスペクトラムアナライザも…
⇒
ttp://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/328671 (DL Pass:1111)
『音のイリュージョン〜』の記述を思い起こしてみると、
「ミッシング・ファンダメンタルズは観測者の知覚によって生じる」とのことでした。
ということは、それは体内で生成されるのではなく、音声として体の外に出てから生じるということです。
そしてPCで純音を合成しただけの状態でスペクトログラムをみると、上の画像みたいに観測されないことと相まって、
私の中では体外で起こる事象として無視していた感があります。差音も同様に思ってましたw
最初に書いたとおり、低次倍音や、あるいは基音の増幅にどれほど影響しているのかは不明ですが、
もしそれが体内ですでに生じているのなら、かなり面白いことになります!
53 :
選曲してください :2012/08/04(土) 16:48:34.84 ID:gvg5dcHa
レスが遅くなりすみません また、もったいないお言葉の数々、ありがとうございます <(_ _)> ところでアンザッツについてですが、自分は声楽についてそれほど造詣が深い訳ではありません すべて自分の経験に基く妄想ですので、サブさんがそこから何らかのヒントを得てくだされば幸いですが、もし頓珍漢なレスでしたらごめんなさい よくアンザッツは気のせいであり、幻想に過ぎないという人を見かけます 確かに、もしアンザッツが全く何らの身体的変化、物理的変化も起こさず、精神的な何かのみの影響によって 声質が変化すると主張するものであるならば、それはもはや超能力の世界であり、幻想であると言われても仕方がありません またそういった人たちの主張の根源は、共鳴は気道で起こるものであって、頭や胸などでは起こらず、それらは振動するだけで 共鳴している訳ではない、というのが主流のようです ですがここで自分が一言申し上げたいのは、アンザッツによって実際に物理的身体的変化は起こっている、だからこそアンザッツは有用なのだ、ということです 前回自分は、アンザッツによる倍音構成の変化の実例を身をもって示しましたが、その時に実感したのは、 「低い倍音ほど声を前に発した方が出し易く、声を当てる方向を上に持って行くにつれて倍音の音程も上がっていった」ということです そしてここで最も重要なのは、声を当てる方向によって【自動的に】共鳴腔の形が微妙に変化しているのを実感したことです つまり何が言いたいかというと、 「アンザッツとは、声を当てる方向を変化させることによって、出したい声にとって理想的な形に【共鳴腔を自動的に変形させる】こと」 なのではないかということです
54 :
選曲してください :2012/08/04(土) 16:49:35.91 ID:gvg5dcHa
“歌唱技術における感覚論へのアンチテーゼ”として始まり、
感覚的表現が“万人共通かのごとく書かれることに否定的”なはずが結局は感覚論へ回帰してしまっているような・・・。
フースラーの『うたうこと』はあたかも歌唱理論の代表的な本のように一般には捉えられがちですが、
「声楽器官を運転させるための第1の最も重要な原動力は、心の中の表象(考え方)なのであって、
発声のやり方は結局のところ、常にこの表象の産物なのである。」
と書いてあるようにその本質は普遍的な感覚論の本です。
また、感覚論の代表として挙げられることもあるリリー・レーマンの知覚図
http://www.gutenberg.org/files/19116/19116-h/images/i018.jpg もいまだに価値が減っていないと思います。
生理学・解剖学・運動学・音声科学等の知識をいくら集めたとしても歌はうまくならないでしょうし、
歌唱はスポーツのようなもので歌がうまくなるために必要なのはスポーツ科学に類するものです。
『音声生成の科学』の著者である Ingo R. Titze はその知見と技能が両立している稀な例と言えそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=UQw03TXZsHA たとえば速く走るためにより速いランナーのスタイルを模倣しようとするのは当然でしょうが、
そのスタイルを模倣すること自体が目的となってしまっては本末転倒です。
発声配置が批判されるのはこういう点についてではないかと思います。
歌唱という運動は直接的に目で見ることができませんし、自分の声を自分で即時的に客観的に聴くことはできませんから、
必然として感覚やイメージの比重が大きくなります。
この感覚やイメージを否定することは上達への道を自ら閉ざすに等しいことかと思います。
これまでも歌唱はおもに模倣によりその技術が受け継がれてきましたが、
これは教える者と教わる者との間に普遍的な感覚の共有があるからこそ可能だったのだと思います。
もちろん発達の度合いによって感覚やイメージは変化していきますのでこの点については考慮が必要です。
科学への期待を抱くのはよいとしても現時点では残念ながら歌唱は科学主義には向いていないと思います。
当然もうすでに気づいていることかとは思いますが・・・。
55 :
選曲してください :2012/08/04(土) 17:20:01.96 ID:gvg5dcHa
“歌唱技術における感覚論へのアンチテーゼ”として始まり、
感覚的表現が“万人共通かのごとく書かれることに否定的”なはずが結局は感覚論へ回帰してしまっているような・・・。
フースラーの『うたうこと』はあたかも歌唱理論の代表的な本のように一般には捉えられがちですが、
「声楽器官を運転させるための第1の最も重要な原動力は、心の中の表象(考え方)なのであって、
発声のやり方は結局のところ、常にこの表象の産物なのである。」
と書いてあるようにその本質は普遍的な感覚論の本です。
また、感覚論の代表として挙げられることもあるリリー・レーマンの知覚図
http://www.gutenberg.org/files/19116/19116-h/images/i018.jpg もいまだに価値が減っていないと思います。
生理学・解剖学・運動学・音声科学等の知識をいくら集めたとしても歌はうまくならないでしょうし、
歌唱はスポーツのようなもので歌がうまくなるために必要なのはスポーツ科学に類するものです。
『音声生成の科学』の著者である Ingo R. Titze はその知見と技能が両立している稀な例と言えそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=UQw03TXZsHA たとえば速く走るためにより速いランナーのスタイルを模倣しようとするのは当然でしょうが、
そのスタイルを模倣すること自体が目的となってしまっては本末転倒です。
発声配置が批判されるのはこういう点についてではないかと思います。
歌唱という運動は直接的に目で見ることができませんし、自分の声を自分で即時的に客観的に聴くことはできませんから、
必然として感覚やイメージの比重が大きくなります。
この感覚やイメージを否定することは上達への道を自ら閉ざすに等しいことかと思います。
これまでも歌唱はおもに模倣によりその技術が受け継がれてきましたが、
これは教える者と教わる者との間に普遍的な感覚の共有があるからこそ可能だったのだと思います。
もちろん発達の度合いによって感覚やイメージは変化していきますのでこの点については考慮が必要です。
科学への期待を抱くのはよいとしても現時点では残念ながら歌唱は科学主義には向いていないと思います。
当然もうすでに気づいていることかとは思いますが・・・。
56 :
選曲してください :2012/08/04(土) 18:11:22.45 ID:gvg5dcHa
差音についても考えたり調べたり。
なんて言うか簡単な物理の筈なのに、何でこんなに感覚論や都市伝説みたいになってるんだと。
で例によって面白いサイト見つけました。(ほんと紙の本読んでないな)
http://members2.jcom.home.ne.jp/alba2010/differnce%20tone.htm サイトの主はちゃんと物理の分かる人で和声について調べているようですね。
見て頂くと分かりますが、盛りだくさんで全部見るのはけっこう大変。
詳細はやっぱり読んで頂かないと仕方ないんですが、重要と思われるところを独断と偏見でピックアップ。
@「差音」が存在することは音楽やってる人にはわりとあたり前
A差音が「主観的な音」とする説は御大ヘルムホルツ先生が定着させた。
(科学は権威主義を打破して進むべきなんだけど御大の権威はそれほどまでに強大なんですね。)
B周波数の異なる二つの波を重ね合わせると、両者の平均周波数で振動する波が生じる。
で、その波の振幅は二つの振動数の差に当たる振動数で極大・極小を繰り返す、つまり振動する。
(三角関数の和を積に直す話を思い出しましょう。幸いにして?全部高校の数学と物理で収まってる。)
この振幅の振動(ややこしいな)が「うねり」であり、「差音」。両者は同じ物理現象。
で、このサイトの作者は振幅の振動は音ではあるが厳密には波といえないので
「音波」ではなく「音粒」という表現を使ってます。
ところで、私たちは共鳴体の存在するシステムでは差音も増幅されると考えました。
音粒は実際に「差音」の振動数を持って共鳴体を叩くわけですから、当然共鳴が起こります。
そして共鳴体が実際の共鳴を起こしてしまえば「差音」はもはや「音粒」ではなく
ちゃんとした音波になります。
私的にはかくして「差音」は感覚論とか都市伝説ではなく確たる理論的地位を築いたと考えるんですが
みなさんはいかがでしょうか?
57 :
選曲してください :2012/08/04(土) 18:17:28.57 ID:gvg5dcHa
“歌唱技術における感覚論へのアンチテーゼ”として始まり、
感覚的表現が“万人共通かのごとく書かれることに否定的”なはずが結局は感覚論へ回帰してしまっているような・・・。
フースラーの『うたうこと』はあたかも歌唱理論の代表的な本のように一般には捉えられがちですが、
「声楽器官を運転させるための第1の最も重要な原動力は、心の中の表象(考え方)なのであって、
発声のやり方は結局のところ、常にこの表象の産物なのである。」
と書いてあるようにその本質は普遍的な感覚論の本です。
また、感覚論の代表として挙げられることもあるリリー・レーマンの知覚図
http://www.gutenberg.org/files/19116/19116-h/images/i018.jpg もいまだに価値が減っていないと思います。
生理学・解剖学・運動学・音声科学等の知識をいくら集めたとしても歌はうまくならないでしょうし、
歌唱はスポーツのようなもので歌がうまくなるために必要なのはスポーツ科学に類するものです。
『音声生成の科学』の著者である Ingo R. Titze はその知見と技能が両立している稀な例と言えそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=UQw03TXZsHA たとえば速く走るためにより速いランナーのスタイルを模倣しようとするのは当然でしょうが、
そのスタイルを模倣すること自体が目的となってしまっては本末転倒です。
発声配置が批判されるのはこういう点についてではないかと思います。
歌唱という運動は直接的に目で見ることができませんし、自分の声を自分で即時的に客観的に聴くことはできませんから、
必然として感覚やイメージの比重が大きくなります。
この感覚やイメージを否定することは上達への道を自ら閉ざすに等しいことかと思います。
これまでも歌唱はおもに模倣によりその技術が受け継がれてきましたが、
これは教える者と教わる者との間に普遍的な感覚の共有があるからこそ可能だったのだと思います。
もちろん発達の度合いによって感覚やイメージは変化していきますのでこの点については考慮が必要です。
科学への期待を抱くのはよいとしても現時点では残念ながら歌唱は科学主義には向いていないと思います。
58 :
選曲してください :2012/08/04(土) 19:04:25.86 ID:6kc7jOsv
>>49 ageて書かないと感想かコピペか区別つかんなw
59 :
選曲してください :2012/08/04(土) 19:11:59.18 ID:gvg5dcHa
きれいな正弦波の咽頭原音と2つの共鳴音の差音として生じた音は振動数は同じでも波形は違う筈です。
ただ客観的な手法にこだわってスペクトル分析にかけても波形の違いは読み取れないですよね。
音として聴き分けるのは主観性が入るので証拠としてはちょっと弱くなってしまうんだろうか。
少なくとも自分は聴き分ける自信がないorz
(ちなみに私は音楽的素養全くなしにいい大人になりましたので音感とか聴きとりとか駄目駄目です。
歌の単純なハモリパートひとつ聞き分けるのも必死、というかそれすら危うい感じでww
ZUNさんの耳がうらやましい)
それから、これも状況証拠になりますが、高次の倍音を含む色んな歌声を集めて
それらの歌声に高次倍音の差音として構成可能な低次の倍音が含まれている事を確かめる、
というのもありそうです。
それで、この2点目の状況証拠に関してですが、差音に注目すると疑問が一つ解けるのですよ。
以前私が取りあげた
http://archive.mag2.com/0000225345/20070319135000000.html ボイストレーニングの嘘真うそまこと「イイ声はどんな声か4」で
1.「透明感と艶のある声」のスペクトルが紹介されているんですが、
どうして強い倍音が「きっちり等間隔」に並ばなくてはならないのか疑問だったのです。
等間隔にどういう特別な意味があるのかと。
差音を考えるとこれが等間隔でなければならない理由が出てきます。
等間隔でなかったら強い倍音は様々な組み合わせで新たな差音を生じてエネルギーを分散してしまいます。
結果として強い倍音がいくつも並ぶという特異なスペクトルは維持できず、差音として生じた低次倍音が
強い倍音のエネルギーを奪って鋭いピークがない凡庸なスペクトルになってしまうのではないでしょうか。
逆に倍音が等間隔なら、どんな組み合わせで差音を作っても、もとからあったのと同じ音しかできません。
そういう場合にだけ、細く鋭く強烈に強い倍音のピークをいくつも持ったスペクトルが許されるのではないでしょうか。
そして、そういう細くて鋭い倍音のピークをいくつも持つ声が透明で艶があるように感じられると。
60 :
選曲してください :2012/08/04(土) 19:21:11.61 ID:gvg5dcHa
61 :
選曲してください :2012/08/04(土) 20:00:17.12 ID:gvg5dcHa
しばらく書き込みできなくなる見込みなので、ちょっと疑問点だけ投下しておきます。
前にも紹介した
http://archive.mag2.com/0000225345/20070319135000000.html ボイストレーニングの嘘真うそまこと の「イイ声はどんな声か4」
というタイトルの回で声の特徴と倍音分布との関係が示されています。
寡聞にして声質と倍音の関係についてはこれ以外にあまり知らないんですけど
これ以外にも声質と倍音について言及した資料はありますでしょうか?
ここに書いてあることが正しいとすると、どの辺の振動数を強めたいか、ということで
狙いたい声質に対応した共鳴腔さらにはその共鳴を強めるためのアンザッツなんていうのが
都合よくマッピングできそうな気もするんですが、それは甘いのかな?
それから別のどこかで非整数倍音というちょっと不思議な言葉を見かけてこれも気になってます。
本来の倍音は整数倍ですから、非整数倍音というのは一種のノイズですね。
ハスキーな声は非整数倍音と関係してる、というような記述があった気がするんですが、
おそらく非整数倍音というのは伝統的な西洋的発声法では全く無視されているんじゃないかと。
でもハスキーな声にあこがれる人は案外多いのでもっときちんと調べられてもいい気がします。
例によってあまりよく調べもしないで色々垂れ流して申し訳ないですけれど
サブさんはじめ、皆さんのご意見・ご考察は大変参考になり楽しませて頂いております。
私が不在の間に色々ご意見いただけると幸いです。
500 :選曲してください:2012/03/10(土) 20:24:34.85 ID:rs0tuCDC
俺もどういった発声で声質が向上するのかは凄く興味がある。
ミックス理論はある程度落ち着いたが、それが出来てれば必ずしも良い声になるとは限らないようなので。
どうも倍音も出ればいいって物ではないようだし。
しかし倍音絡みの話は最近になって増えてきたと思ったが、このサイトの記事は随分古いものなんだな。
62 :
選曲してください :2012/08/04(土) 20:42:06.09 ID:gvg5dcHa
63 :
選曲してください :2012/08/04(土) 21:06:04.43 ID:gvg5dcHa
>>470-475 女声、男声、倍音とかのキーワードで検索していたときに面白い音源を見つけました。
博識なサブさんのことですから、すでにご存じかも知れませんが
http://www.youtube.com/watch?v=gdqjcW8u7Lw&feature=related The MAGIC Of Bulgarian Voices & Music - Malka Moma / Little girl - LIVE ブルガリアンボイス
サブさんがこのスレで以前に紹介されている姫神の「神々の詩」にも影響を与えているようですね。
伝統的なクラシックの女声合唱とは違って地声のように倍音が多い歌声とか、
不協和音に特徴があるみたいです。
個人的には平原綾香より好きな声ですが、この彼女が日本語を歌ったらやっぱり駄目なんでしょうか?
黒海を挟んだ対面のグルジアにも同様な多声音楽があってこちらは存続の危機にあるとか。
多種類の文化の交わる地域には興味深いものがありますね。
>>480 起こっていないかもしれない、という可能性も考えたからこそ論拠を探したのです。
体感的には多くの人が胸部が響く事を体験しているわけですし、
これ以上のことを議論するならそれこそTitze(1983)の論文あたり詳しく吟味するしかないのでは?
482 :選曲してください:2012/03/08(木) 02:26:53.77 ID:2xANLLvF
ちょっといいですか?
声が出る仕組みは肺から送られた空気が声帯に届き、
ベルヌーイ効果によって開閉されて声に変換されるわけですよね。
http://structure.nuae.nagoya-u.ac.jp/old/research/bio/bio_simu-j.htm だとしたら声帯から生まれた音波は喉から上の共鳴腔で共鳴されるのだと思うのですが。
また、胸や頭に感じる「振動」と、気体の伝播「共鳴」をごっちゃにされてはいませんか?
ふと思ったので書きこんでみました。
64 :
選曲してください :2012/08/04(土) 21:31:06.51 ID:gvg5dcHa
おじゃまします 倍音が豊富な歌声を聴くと、基音のオクターブ上とその完全5度上の倍音(つまり第2、第3倍音)と、 あとはかなり上の方の超音波に近いような倍音の二通りの音域で特に強く鳴っているのが感じられる事が多いと思います そこで低次倍音についての全く新しい考察なんですが、低次倍音(第2、第3倍音あたり)とは、もしかすると高次倍音の【差音】の影響を 色濃く受けているために特に強く鳴っているように聴こえるとは考えられないでしょうか? 差音はご存じの通り、高さが近く大きさも同じくらいの二つの音があった場合、その周波数の差に相当する高さの音が人間の耳には幻聴として聴こえる というものですが、最近の研究では差音をセンサーが感知したという話もあり、必ずしも幻聴とは言えないようです そして差音は倍音同士でも起こることが判っています ただしそれは二つの音源から発された倍音の場合であって、一つの音源が発する異なる周波数の倍音同士の間でも差音現象が起こるのかは不明です もしそれが起こるのであれば、低次倍音が豊かに聴こえる声は実は高次倍音が豊かでそのために起こる差音現象によって 低次倍音が増幅されているのではないかという仮説は成り立ちませんでしょうか? 倍音はすべて基音の周波数の整数倍ですから、第n倍音と第n+1倍音の差音は基音に等しく、第n倍音と第n+2倍音の差音は第2倍音、 第n倍音と第n+3倍音の差音は第3倍音に等しい訳です 二つの音の高さがあまり違い過ぎると差音現象は起こりませんので、想定できるのはこの辺りまでかもしれません つまり低次倍音の豊かな歌声は、低次倍音そのものがダイレクトに豊かな場合と、差音現象が起こりやすいような音量バランスのとれた高次倍音が豊かな歌声 の二通りがあり得るのでは?ということですが如何でしょうか?
65 :
選曲してください :2012/08/04(土) 21:45:49.74 ID:gvg5dcHa
こんばんは。いつもいつも丁寧にレスをして頂いてありがとうございます。 >いやはや季節の変わり目は体調崩しやすい…やっぱり風邪ひいちゃいました^^; そろそろ花粉の舞う時期になってきて憂鬱です。 私、後鼻漏という鼻水が喉に落ちて痰になる不愉快な病気が治らないのでこの時期が特に嫌です。 ボイトレできない。 >専門の方とはつゆ知らず… 出しゃばった真似をしてしまいました^^; 理論物理なんてヤクザなものに時間を浪費して食いっぱぐれた口です。 落ちこぼれなので専門家じゃありません。 学問なんて結構いい加減なもんだなあと実感できたことが最大の財産だと思ってます。 音や発声と直接には関係ないし、全然専門じゃありませんよ。 むしろ学生時代に音響工学をかじられたサブさんの方が専門に近いのでは…。 学生時代に私がかじったものなんていったら、うーん何だろ。弾性波動論とか少しは関係あるかな。 いや結局P波やらS波やら地震でおなじみのが出てきて終わるんですけどね。あと流体力学かな。 かじったと言えば古生物学なんかもかじりました。 古生物学はあの当時ノート提出だけで単位もらえたんですよ。牧歌的な時代だった。 >学生のときモデリング実験をしたことがありまして、 >その時に発生予測と結果との照合や想定外の結果でてんやわんやした記憶がありますw そう、実験が扱うのは現実。現実はいつも複雑でしょっちゅう想定外。 シミュレーションではモデルに想定されてないことは起こらないんですよね。 逆にモデルやデータがまずいと全く非現実的な現象が発生したりもする。 だから世間の人がこれはコンピュータシミュレーションだから間違いないんだ、みたいな論調に はめられていると全力で反論したくなるw ちょっと話がそれました。
66 :
選曲してください :2012/08/05(日) 00:09:29.88 ID:AZaZqHLL
気付けば半月以上放置!! そろそろ書かないと始める前から飽きたと思われてそう^^; ぶっちゃけ未だに何から書くか迷ってますが・・・ さすがにこれ以上放置はまずいんで、導入部だけは済ませます。 52 :サブ:2010/04/02(金) 01:09:35 ID:a+zm02fD 遅くなりましたが、改めまして乗っ取らせて頂きます!感謝感謝m( _ _ )m そしていきなり始める前から何ですが、正直なところ独り言のように発声の技術論を書き綴りたいだけだったり・・・w そんな身勝手な願望ゆえ思案していたところ、大変助かります。 過疎&隔離スレ化は願ったり叶ったり、他に迷惑がかからないよう日陰でコッソリsage進行でやっていきます。 さて、これから書いていきたい内容は、、、 ━━━━━【 たぶんこんなこと書きます 】━━━━━━ 1.なるべく感覚的表現を排除した理詰めの発声分析 2.日本語発声の特徴と、それが歌唱に及ぼす影響 3.必要に応じて用語の“自己解釈”による解説 4.雑記・その他 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ とまぁこんな感じです。 小難しく感じられるかもしれませんが、これから書くことはもっとしっちゃかめっちゃかです(;゚д゚) 歌の上達を半ば諦め、代わりに発声の考察へ走り始めた人間の妄言駄文だと思っていただければ幸いです。
67 :
選曲してください :2012/08/05(日) 00:10:04.33 ID:AZaZqHLL
◆ プロローグ U ◆ 《 疑 問 @ 》 まず最初に、どうにも腑に落ちないのが、「声楽の曖昧さ加減」です。 ボイトレ本でも声楽本でも、あるいはそれらに関するサイトでも、読んだことある人だったらわかると思いますが、 発声練習って相当なウェイトで感覚に頼った書き方されてますよね? 例えば、「腹から声を出す」 「声を支える」 「額に声を当てる」・・・他にも数え切れないくらいあると思います。 これらの感覚論が万人共通だと思いますか?まさか、そんなこと有り得ませんよね。 人の感覚なんて千差万別、そんな書き方されても頭に疑問符浮かべる人も多いはずです。 《 疑 問 A 》 次に、「声楽が西洋に端を発し、多くの練習法もそれに付随している」ことです。 近代以降に開発されたボイトレ法だって、根本で繋がってる場合が多いように見受けます。 皆さんはどこかで、「日本人の発声では歌に不向き」ってのを聞いたor見たことないでしょうか? 発声の特徴は言語によってかなり異なります。 悲しいかな、日本人の発声=日本語発声が歌に向いていないのは事実です。 にもかかわらず自分の中の日本語発声ベースを無視して、西洋発信の練習法をそのまま使うことが可能だと思いますか? 歌には適さないといわれる日本語発声のまま練習してしまう危険性はないと言い切れますか? 自分は大丈夫・・・そんなふうに考えていた時期が 俺にもありました (AA略
68 :
選曲してください :2012/08/05(日) 00:17:14.62 ID:Z0LkxdOY
言語と脳 欧州の人たちと日本の人たちの脳ではある面白い違いがある それは音の感じ方 (ここから先は欧州の人たちを(欧)、日本の人たちを(日)とする) 響かない日本の家屋でも楽器は発展していった 尺八・琵琶などの現在では伝統楽器といわれる類の楽器である この楽器を(欧)に聞かせると(欧)の脳は音楽として処理する しかし(日)に聞かせると(日)の脳は言語として処理するのである 日本の伝統楽器は響かない環境で伝えるためにより「声に近づける」という選択をした 欧州の楽器とは根本的にここが違っていた 欧州の楽器は(欧)にとっても(日)にとっても楽器だが 日本の伝統楽器はそうではないのだ ほかにも(日)は小川のせせらぎや小鳥のさえずり、木々のざわめき等の環境音も言語として処理をする 当然(欧)は音として処理する これらは日本語の母音を主にした言語に関係しているといわれている 母音のような音には特別な感情のようなものを(日)は受け取るのである 夏の風物詩の風鈴は(日)にとっては風流でも(欧)にとっては雑音でしかないのだ 悲しい話である このように(日)にとって音は言葉でもあるのだ 逆に(欧)にとっては音は音、言葉は言葉といったしっかりとした区分けがある (欧)の歌は言葉よりも音の意味合いが強い (欧)は声を楽器にすることを選択した よく響きより響き、音としての質の高さを目指した 周りの硬い物が響きを助けてくれたのでその方向性にもうなずける (日)の歌は言葉であった 楽器ですら声言葉に近づけようとするのだから (日)にとっての音のメッセージ性は相当なものである
69 :
選曲してください :2012/08/05(日) 00:19:42.89 ID:Z0LkxdOY
欧州の歌・日本の歌 これらのような環境と言語の違いにより 欧州と日本の歌の進む道は大きく変わってしまった 日本は人々の心に訴えかける感情と言葉を重視した歌 欧州はより響かせるためにテクニックや技術を開発し楽器としての音を重視した歌 ただ日本の歌に技術がないわけではない 人の心を掴むための技術が感覚で伝承されていったのだ それゆえ感情論や根性論が蔓延りやすい事態にもなるのだが・・・ しかし色々と混ざってしまった現在ではテクニックとして感情表現もある この辺は進歩と言ってはいいのではないか ただその反面 日本人は音に感情を感じにくくなっているようだ 技術により感性が縮んでいくのは避けられないことなのだろうか まあとりあえず、根っこにはこのような違いがある 音としての歌が好きか言葉としての歌が好きか そんなことは目玉焼きにソースをかけるか醤油をかけるかくらいに些細なことなのだ 欧州にしろ日本にしろ音は楽しむものに変わりはない 自分が好きな歌手の歌を聞き、自分が好きな歌い方を目指す 思うが侭に楽しむ 好きな食べ方をすればいい これこそが誰にとっても正しい歌であり音なのだ 書きたいのに書けないこともあって少し説得力にかけるけど こういうのもあるのか と思ってくれたら嬉しいかな 信用できなかったら忘れてください
70 :
選曲してください :2012/08/05(日) 00:22:13.14 ID:Z0LkxdOY
71 :
選曲してください :2012/08/05(日) 00:23:29.68 ID:Z0LkxdOY
共鳴腔も同じで、ずっと日本語を話していると、
日本語の5母音を発声しやすいように、共鳴腔の形状そのものが変形していくんです。
それが言語間の差となって母語以外の言語を発声するときも現れ、
あるが果てに歌うときにまで顔をのぞかせます。(cf.
>>112-114 >>133-140 )
第2に『歌声における言語発声と歌唱発声の相関関係』(
>>133-140 ) のジレンマ解消法で書いたこと。
これは米山文明先生の著書『声と日本人』にも書かれていたことです。
共鳴腔(声道)は各母音のフォルマント形成に多大なる役割を果たします。
また、共鳴腔は広がることで声量確保、高次フォルマントの集約等にも貢献します。
歌う時には、この2つの動作を同時に行わなければなりません。
しかしながら、この2つはトレードオフの関係で、完璧に両立させることは不可能です。
同じく、歌うときは話すときより格段の声帯調節が行われ、それが共鳴腔の形状にも制約をつけます。
すなわち、母音を明瞭に発声するための共鳴腔の形状にはなりにくい場合が多々あるわけです。
以上のように、歌うことは母音フォルマント形成の阻害要因を多く含みます。
歌う際に言葉の明瞭度よりも音高や音色にウェイトをおくならば、フォルマントは多少変移させて対応すべきでしょう。
下の図を見てください。
http://www.oki.com/jp/rd/ss/img/speech_fig_position.gif 各母音の範囲(破線内部)ならば、縁にいけば明瞭度は下がるものの、その母音に聞こえるはずです。
注目してもらいたいのは、「/e/と/u/」、「/a/と/o/」が重なっていることです。
この重複する範囲では、どちらの母音にもとれる音が出ています。
声を言葉として捉えた際、これでは明瞭度もクソもなくてよろしくない発声でしょうが、
しかしながら歌う際にはこういった縁までレンジをもつ意識をしてもよいと思います。
実際、発声練習の中には、「ア」のような「オ」、「オ」のような「ウ」、「エ」のような「イ」みたいに、
母音を崩してでも響きや音色を保持させるものもあるくらいです。
72 :
選曲してください :2012/08/05(日) 00:24:57.11 ID:Z0LkxdOY
感想レスで、「何言ってるかわかんない」とか「言葉が聞き取れない」と書かれることがありますよね?
これは自分ではオッケーかなぁと思いながら歌ったものが、人によっては許容範囲を超えていた例です。
もし自分でいいと思うなら直す必要はないし、より言葉としてのウェイトを重んじるなら修正すべきでしょう。
いずれにせよ、判断は自分に委ねられているわけですから、それぞれの度合いを考えることは大切です。
長くなりましたが、以上で説明を終わります。
余談ですが、サザンの桑田佳祐はわざと日本語の発声を崩して歌っているそうです。
度数の高い酒を飲んで大音量のスピーカーの前で歌って喉を潰したって逸話もあるくらいですから、
音としての声、発声に対しては並々ならぬ思いがあるのかもしれません。
また、小室哲哉は作詞の時点から日本語の音節や文法を崩して音に対応させています。
人によっては2人のやり方は日本語を蔑にしていると言いますが、私は面白い試みだと思います。
逆に、山崎まさよしは日本語の発声を綺麗に残したまま歌っていると思います。
彼のようにはっきりと聞き取りやすい発声で歌うのは難しいです。
全く違うスタイルが全く違った良さを出す・・・これは非常に興味深い点です。
歌う時も聴く時も、はたまた見る時までも、そういった違いを感じることができたら、きっと楽しさが増します。
>>18 う〜ん、、『ボイトレで注意・危惧すべき点』(
>>144-146 ) にも書きましたが、人それぞれ合ったものが違うし、
目指す発声像も違うので、簡単に善し悪しってわけにはいかないんですよね・・・
ただ、いろいろ読んで思うのは、やっぱりプロローグ V(
>>55 )に書いたことでしょうか。
初歩的なところだと思って軽く流しちゃってたり、あるいは書いてなかったり。。
本のターゲットがズブの素人なのに、初歩を飛ばすとはこれ何ぞや?って本が多いです。
あと、正直どの本にも突けそうな点はあります。 たとえば亀渕友香のある本には、図がとんでもないのがありましたね^^;
でも、それをもって「この本は駄目だ」って決めつけちゃったらもったいない。
一葉目を蔽えば泰山を見ず、、ではないですが、どの本にも良いところ悪いところはあります。
73 :
選曲してください :2012/08/05(日) 00:26:32.27 ID:Z0LkxdOY
言語処理の違いによる音楽の発展の違いは、伝承にも違いを成したと考えられます。
西洋では中世以前から採譜によって音楽が保存され、それを広める役割を果たしました。
現在記譜法として世界中で用いられている五線譜もヨーロッパ発祥です。
もちろん感情やその表現法まで記載するには限界があったでしょうが、
普遍的な音としての側面を記録し、それを再現する方法が確立されたのです。
いっぽう日本では、記譜法はあったものの、やはり口頭伝承(口承)が重んじられました。
いや、口承はおろか、教わるのではなく盗めと言われるように、
師弟関係の中にあっても直接教えを乞うより、師匠の技を観て感じて自分でつかむことが多かったはずです。
こうすることで譜面には書き表せないメッセージ性=感情表現が伝承されました。
「感覚で伝承されていった」とは、つまりこういうことですよね?
口承は日本の伝統音楽の保存・継承には不可欠ですが、 それがゆえに廃絶してしまったものも多かったようです。
>>20 簡単に要約するのが一番難しいんです・・・ かといって私の言おうとしてることが難しいかというと、、
「彼らはつまらないことをわずかしか考えていないのに、
はるかに深遠なことをはるかに多量に思索したかのように見せようとして懸命である。
したがって彼らはその主張を表現しようとして、不自然、難解な言い回しや新造語を、
だらだらとした文章、堂々巡りを重ねた挙げ句、何を考えているのかを不明にする複雑な複合文章を使う。
つまり彼らは自分たちの考えている同じ一つの思想を伝達しようとする努力と、
隠蔽しようとする努力との間をさまよっているのである。 」
― Arthur Schopenhauer ―
まぁ耳が痛い('A`)
なるべく順序立てて書いてきたつもりなんで、 わからなければ遡って読んでいただければ幸いです。
74 :
選曲してください :2012/08/05(日) 00:29:23.16 ID:Z0LkxdOY
>>21 いろいろ思うところがあって、
>>185 へのレスが後回しになってしまいましたm(_ _)m
ySSaUgidさんが書いてくれたこと(
>>190-194 )、それに対する私のレス(
>>201-204 )は、
ややこじつけがましいですが、科学が持ち込まれていないように錯覚する理由の1つでもあります。
つまり、音楽を考えだすと分野が際限なく広がっちゃって、それぞれに科学的見解が編み出されても、
総合すると情報が膨大になりすぎて説明つかなくなっちゃうんです。
実は1つ1つの分野では結構研究が進んでて、ある種の答えが出ていることだって多いです。
自分の出したい答えがどの分野の切り口で導出されるのか、その合目的性も大切になってきます。
ただ、もっと統合的な、音楽はこれだ!って解を求めたくなるのは人間の性(さが)なのかもしれません^^;
また、音楽には芸術性があることも、ことをややこしくする要因でしょうね。
よく桶板では「張り上げはダメ」とか「喉絞めはダメ」とか言いますけども、それは効率論なだけであって、
別にそれで歌えるし、曲によってはその歌い方だから良さが出るものもあるかもしれません。
単純一義的な効率化で済まされないところに、音楽の面白さがあると思うんです。
あぁ、何か今回も収拾つかなくなりそうなんで、この辺で切り上げます^^; さて、また自然沈潜を待ちますw
久しぶりに筋トレしたら肩が急性滑液包炎になりました。 なかなか痛みが引きません('A`)
今更ですが、直近のやつはトピックにまとめた方が良かったんでしょうか・・・
とりあえず小休止だけでも置いておこうかな。 個人的にはすごく好きな分野だったりします。
Paco de Lucia y Camaron de la Isla - Bulerias
http://www.youtube.com/watch?v=gm8FYF96BXE Duquende - Bulerias
http://www.youtube.com/watch?v=6N4PMnAAoX8 上:フラメンコ、すごく好きなのに あんま知りません(´・ω・)
そんな無知な私の中ではカンタオール=カマロン。夭折してしまったのが惜しいです。
下:初めて聴いたとき、カマロンそっくりだ!!って衝撃でした。
この声はもはや天性です。憧憬はとっくに捨て去りました。
75 :
選曲してください :2012/08/05(日) 00:33:01.76 ID:Z0LkxdOY
女っぽい声を出すには:お手軽編
例1・素人 (ニコニコですまないが)男が女声を出す方法・声真似のやり方
http://www.nicovideo.jp/watch/nm4444778 まあこのレベルまでいければ女声出せるって言ってもいいのかもしれない
正直録音すると「ああ」レベルだが同じ空間で喋られると「おお」となるだろう
○地声は高い方が望ましい
声帯が短めの方が当然いいし最低でも中音域は欲しい 低音域の人は諦めましょう
あと裏声の女声は倍音が少なくなってどうやってもそれっぽくはならないのでその方向も諦めましょう
○喉仏を上げる
これによって低周波の音が比較的カットができる
○鼻にかける
上のはきれいな鼻腔共鳴というには程遠いが仕方がない 現実の女でこのくらい露骨に鼻にかけるぶりっ子はざらにいる
同じ空間だと大して気にならないが録音するとドン引きレベルなので注意 萌え系の声を出すときには必須
○息を漏らす
息を吐くと高音域の周波数を多く含んだ音が出る これを女の声の高さの再現に利用していると思われる
とりあえずこのくらい あとは練習つつ探ってみよう カラオケ時のネタレベルにはぜんぜんなると思う
女っぽい声を出すには:本格編
例2・声優 (ニコn(ry)1人7役
http://www.nicovideo.jp/watch/sm662421 さすがのプロ 笑ってしまうくらい次元が違う ここでもっとも重要な事
彼は地声は高いが女声を出すときに別に高い音を出しているわけではないということ なのになぜそれっぽく聞こえるか
それはお手軽編で述べた事を理屈は分からずとも高レベルでやれてしまっているから
これは声優としての発声の良さがすべての底上げをしてくれているからで一般人にはかなり難しい
さらに役者としての女性の喋りのニュアンスの表現力がいっそう違和感のないものにしている
紹介しといてなんだが参考にするのはやめた方がいい
基礎がない素人が真似したところでひどいものが出来上がるのは目に見えている
76 :
選曲してください :2012/08/05(日) 02:17:21.02 ID:Z0LkxdOY
新しい機種が出ることによってもっと音源を良くしてほしいと思ってる なるべく原曲に近い再現で作ってほしい、音質ももっと上げて欲しい。 本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。 でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。 機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。 匠的な有能な音源技師や職人を沢山雇って良いカラオケ音源を沢山入れてほしいと思うわー。 あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが) そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。 2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。 再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。 良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい 古い曲で糞音源なのは捨てて、新しく音を綺麗に作り直したのを入れて欲しい。 今回は言語発声の差の要因になる生活環境の違いとかについて、あえて書きませんでした。 それはあくまで原因。説明したかったのはその結果生まれた差だからです。 あとは長くなりすぎて切らざるを得なかったから^ ^; 参照できるようにそれに関するサイトを探してみたんですが・・・ 見つからなかった orz 少なくとも以下の本では紹介されてたはずなんで、興味のある方は読んでみて下さい。 『声と日本人』(著:米山文明 出版社:平凡社) 『美しい日本語を歌う - 心を伝える日本語唱法』(著:大賀寛 出版社:カワイ出版) 『「医師」と「声楽家」が解き明かす発声のメカニズム - いまの発声法であなたののどは大丈夫ですか』 (著:萩野仁志、後野仁彦 出版社:音楽之友社)
77 :
選曲してください :2012/08/05(日) 02:18:47.22 ID:Z0LkxdOY
今
>>91 に書いた『日本語発声の微妙なラインと、日本語歌詞との関連性』について書いている途中なんですが、、
如何せんまだ体調悪くて気力出ない上にアウトプットも作文も不得手なんで、まとまる気配がありません orz
一応書きたいことを箇条書きにすると、、
@ 歌(声)に対する上手下手・好き嫌いについて。
A 『歌声と話し声の違い』(
>>69-73 )に書いた‘歌声’を‘歌唱発声’、‘話し声’を‘言語発声’として、
言語発声のさらなる特徴と、ポップミュージックに使われる歌声について言及する。
B ボイトレで注意・危惧すべき点。
ってな感じで、順不同になるかもしれませんが繋がっていきます。
AとBはフリーさんの前スレで書いたことに加筆する感じで、
まずは平原綾香はじめとする、私の好き嫌いを引き合いに出して@を書いていくつもりです。
あ、そうだ、、もしお暇があればセシル・コルベルが日本語で歌っている時の声と、平原綾香の声を聞き比べてみて下さい。
私の中では結構共通点が多いと思うんですが…
汲み取ってもらいたいことは、ずばりセシル・コルベルの日本語発声時の違和感です。
たぶん、外国人が日本語歌詞の曲歌ってるな〜 と感じるはずです。
ここんとこが平原綾香が歌う日本語歌詞に対する違和感にも繋がっていくわけでして、、
ただしこれは
>>96 の@に直結するので、あくまで私の主観的なもので万人共通ではありません。
先に言っちゃうと、私が平原綾香大嫌いなのは曲に対して声⇒発声・発音が全く合ってないと感じるからです。
あとは大好きだった惑星の木星に歌詞付けるばかりか、その声で歌われたことが許せなかったからです。
もし歌うにしても、クラシック曲という先入観、曲の雄大さに合致するように歌ってもらいたかった・・・
できればドラマティコ、あるいはリリコのように。
逆に今回の発見から、その声に合う曲なら、あるいは私の嫌悪感をも払拭するほど素敵な声なのかとも思います。
感想をつけるってのがこのスレで重要部だからな 前レスから持ってこんと書けん
んでうpばかりするから 微妙スレが1000いくなんて稀 700代までいったの久しぶりに見た
78 :
選曲してください :2012/08/05(日) 02:21:00.82 ID:Z0LkxdOY
>>68 他人の名を騙って貶めることに恥ずかしさを感じないというのは、羨ましいな
まあそれでスレが埋まる手伝いになるのなら良いだろうが
念のため、最終的な方向性を提示しておく
まずはここのスレを埋める。これは前々から言っていることだから敢えて言うことでもないな
その上で、立ってしまった56スレに移動する 向こうの55の住民も、使い切ればあちらへ移動するだろう
もし、まだ向こう側のスレが埋まっていない場合は向こうに移動し、使い切ってから56へ移動だ
56へ移動した段階でテンプレは正常なものを使用しているわけだから問題もないだろう
そのような意図しない言語発声の影響=歌唱への混入は、様々な場面で表面化してきます。
例えば日本語の「い段」なんて、私たち日本人が歌うときの障壁になっている顕著な例です。(cf.
>>73 )
普段私たちが話すときのイ段の発声は、舌がせり上がり口腔を狭め、
ほぼ引き上げ筋一辺倒で、声帯は大雑把な閉鎖のままです。(cf.
>>42 >>80 )
これでは歌唱発声に限らず、種々の歌声に必要な共鳴効果、および共鳴に適した声帯原音(喉頭原音)は確保できません。
もしこの状態のまま歌声に使おうとすると、、声帯はその大雑把さを引きずったまま不均一で過度な緊張をし、
口腔をはじめとする共鳴腔は狭いまま、それを補うようにさらに声帯に負担をかける、負のスパイラルに陥ります。
ではそれの解消のため、発声器官をフル活用した発声法=歌唱発声でイ段を発声しようとすると・・・
声帯および周辺の筋肉は適度に弛緩した上で協調して閉鎖に参加し、共鳴腔確保のため舌根は下げ喉頭位置を低くしなければなりません。
その結果、日本語母音特有のフォルマント形成は阻害され、言語としては不明瞭で不自然に聞こえます。
意図しない言語発声の混入・・・しかもそれを取り除こうとすると言語として不自然になる・・・
「言語発声と歌唱発声は対立するもの」(
>>73 )を如実にあらわすジレンマですよね。
このジレンマから、重要なポイントがわかってきます!!
まず、なぜジレンマが発生するのか考えてみると・・・ 「音声を言語・言葉として認識するのか、楽器のような音と認識するのか」
という2つの処理の、どちらを優先するかの葛藤が起こっているためではないでしょうか?
79 :
選曲してください :2012/08/05(日) 02:25:24.68 ID:Z0LkxdOY
発声法の研究って、感覚論の集約からスタートしたもんだから、 そこには推察の材料として感覚(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。 ある意味、感覚論から通底する生理現象へ進むのは自然な流れだと思います。 まずは未熟でもなんでもいいから、色々喋ることって大切ですよ! 実は単なる思い過ごしで、全然整理できてないのがわかったり・・・ あ、俺の言ってることはもちろんそっちだよ。例えば音響学的な切り口で発声方法を解明するにあたっては、帰納法的に導き出すでしょうし、 そこには推察の(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。 新しい機種が出ることによってもっと音源を良くしてほしいと思ってる なるべく原曲に近い音質ももっと上げて欲しい。 本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。 でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。 機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。 あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが) そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ あからさまに音が悪いの多すぎる。 ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。 2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。 再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。 良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい 新しくしてやってくれって感じだ。 古い曲で糞音源なのは捨てて、新しく音を綺麗に作り直したのを入れて欲しい。 さて、そのような障壁を乗り越え、言葉のしがらみから脱した時、知識が新たな局面を迎えるんです。
80 :
選曲してください :2012/08/05(日) 02:27:46.11 ID:Z0LkxdOY
歌う練習というのは、理論も大事だけど 一番大事なのは、声をセーブ、コントロールして 自由自在に操る事にある。 ノドがどうたらこうたら言っても、 歌ってる時は、その音楽性に没頭するのだから いちいち声帯の操作を考える人はいないし、 プロでもいない。 理論を整理する知的な興味もわかるけど、 枝葉末節に拘泥するヒマがあったら、 小さい声でハミング的に、声の根源を探る努力を 重ねた方が時間を有効に使えるよ。 シンプルイズベスト。 こねくりまわした声は、ダメというより こねくりまわす必要がない、身体に眠ってる ミクロコスモスを解放する事が発声の究極の奥義。 さすれば、自分の音楽性は、泉のように 歌声となって湧き出るでしょう。 またスレ 増えました ね もう意味わかんないよね きよそさん久しぶりです!もちろん本人ですよ! 酉は昔別スレで遊びで付けてたやつです。 なんかこれを機に換えちゃおうと思いまして。 まだ療養中で、普段の生活を滞りなくこなせる様に訓練しています。 そうそう。全然話がブッ飛ぶんですけど、スマホって設定難しいですね。 前のが事故で不具合起こったんで、交換してもらって自分で設定しなおしたんですが、 四苦八苦しながら何とかやっと使えるようになりました。 PCも色々困りながらこうやって打ったりしてつかっていることでリハビリになると前向きに考えてますw いやはや、ご高齢の方や電子機器音痴の方の気持ちが初めてわかりました^^;
81 :
選曲してください :2012/08/05(日) 02:29:38.26 ID:Z0LkxdOY
事故前にフリーさんが復活されて、嬉々として該当スレを拝読させてもらってました。 残念ながら今はそれを続ける余裕も音源を聴いたりできません。 これは本当に心残りでなりません。 ただの自己満足ではありましたが、きよそ君に何の力添えもできなくなったのも口惜しいです。 後ろ向きな発言はこの辺にして、、 また元通りになれるよう焦らず根気強く桶板眺めます! その声でそつなく歌うのはできてると思われます あとは適度に作り声(キモ成分?)を入れてってキーをあげるとちょうどよいかと 別スレの隔離コテですが、ここにはお世話になっているので、レス残させてくださいm( _ _ )m 僕は両方あると思います! まったくおっしゃる通り、「精神の表れとしての声」 (「歌」じゃなく「声」) と考える一面がある僕としては、 細かいフレーズに潜んでるそういうものの顕れが、聴いている人にメチャクチャ大きな力を持つ事は考えられると思います。 ただし、とっても心が澄んでいて気持ちの良い人が、すごく歌が下手だったりするし、逆に、歌が下手だから心が汚いのか、でもないし、 振付を守らなくちゃいけない細かいダンスを踊りながら歌う歌手の人が、100%心を入れながら歌っているとは思えない時もあるし、 さっきまで離婚会見をしてた歌手の人が、夜の歌番組で、夫婦の絆を笑顔ですごく上手に歌っているのもビックリしたし‥ また、ヒトツヒトツのフレーズをどう歌うか、細かく考えながら歌うことも、リスナーの人への配慮だと思います。 そこには、「精神の発露」と違った、「技術」的なものが絶対にあると思います。 ただし、そういった技術を、精神と結びつけるくらいのレベルは全然ありうると思います。俳優や女優のように、 演技の場になれば、その人格になりきる能力、そういったものでしょうか。 ただ、 >間違いなくうまいんだけど全く伝わってこない人っている。←確かに僕も感じる事はあります^^
82 :
選曲してください :2012/08/05(日) 02:32:10.84 ID:Z0LkxdOY
で、若くして歌が上手く歌える人は、やはり、もともと歌を歌うためのスキルや技術が、 何かしらのアドバンテージで見についている人だと思います。 突っ込んで言えば、そのアドバンテージに頼って歌いすぎていると、感情が伝わらなかったりするんだったり‥? 逆に言えば、感情表現を旨として歌っている僕らパンピーにはチャンスだったり?? 上記のような上手いスキルの人と自分が、どういう技術的な差があるのか観察して考えて少しずつクリアして行く事で、 サブさんがまとめてらっしゃる内容は、そういった人達にとても有意義なものだと思っています。 僕の考察も少しだけでもお役に立ててるようでしたら、本当に幸いです( ^ ^) みなさんのお心遣いに感謝いたしますm(_ _)m 今は退院もうして自宅で療養を送りながら、日々いろんなところに出かけるよう心がけております。 じゃないとふさぎがちになって精神的なストレスで死にそうになるんで…w 昨日は近くのお寺に参って、以前のように脳が働くように文殊菩薩様に手を合わせてきました。 今度の受診で脳機能障害の検査があるのでgkbrです^^; 歌が心か技術かのお話は、前にも書いたので割愛させてもらうとして、 今の私が思うに、それらは大袈裟にいえば比翼の鳥・連理の枝のようなものなんじゃないかと思います。 どちらかが掛けていると成り立たないわけじゃないんだけど、どこか物足りなさというか、 不自然さ(違和感)とかにつながるんじゃないかと思うんです。 竹中直人が笑顔で怒った声を出すって芸は、それが意外性があって受けるんだと思うんです。わかりにくい? 迫真とか、伝わりやすさの対極だからこそ、逆に面白いと感じるんです。 う〜ん、、頭が回らないなぁ、、閃きが無いし繋がらない。。 私は以前技術にばかり傾倒して、好みは?と言われれば、「ハスキーっぽい声なら何でもおk」って感じでした。 そんな時よく聴いていたのがTrijntje Oosterhuis(Traincha)でした。 彼女の声はやや擦れていて、それでいてすごく丁寧な歌い方をするんです。 自分の個性・色を前面に出してアレンジメントしようとはせず、譜面に合うように桶と調和するように歌うんです。 それがたまらなく心地よくて、一時期聴きまくってました。
83 :
選曲してください :2012/08/05(日) 02:34:31.91 ID:Z0LkxdOY
今ももちろん好きなんですが、ある時を境にふと“心”って何ぞやと思うようになって、ちょっと聞く回数が減り始めたんです。
心…言い換えれば個性なのかもしれません。
丁寧に丁寧に歌ってるのは伝わったから、貴女の個性も聴かせてよ!って思ったわけです。
>>250 さんが仰るように、伝える技術というものはあるはずだし、 それが技術全体の中の一部を形作っていることは間違いありません。
丁寧に歌唱技術優先で歌うことによって、感情表現が抑えられることもあるでしょう。
同じく、技術を落とすことによって心を披瀝することだって可能なんじゃないか?そう思います。
フリーさんが「ピエロ声」とおっしゃるのも、それだからこそ伝わりやすい相手がいるわけで。
まだ技術と感情表現の直接的なつながりは解明されていませんが、それが無意識にできる人は‘伝わる人’、
それが不得手だけど歌唱技術がある人は‘丁寧な歌い手’みたいな評価になるんだと思います。
ごめんなさい、、全然まとまった意見にならなかった。。 もっと訓練しますm(_ _)m
せっかくなんで、Trijntje Oosterhuisと同時期に聴きまくっていたアーティストをもう1人紹介しておきます。
これぞ個性なんじゃね!?ってくらい歌い方から声から独特で、聞く人を選ぶかもしれません。
Mario Biondi / Close to You
http://www.youtube.com/watch?v=KcXAbs3EXDs 人間って、同じことを繰り返すと癖になる。 技術を何度もつかうことで、心の奥にと蓄積されていってるんだ。
そのうち無意識でその技術を使い出すようになる。より深い心へと蓄積されて行くんだ。
その深いところから出てきてしまうのが癖という奴だが。 癖を直そうとすると、それが容易でないことはわかる。
技術偏重で覚えた癖は、その最初に覚えた段階まで戻らないと修正が効かない。だから下手なことは教えられないんだ。
基礎を早い時期にうまく固めた人が伸びるのは、技術ばかりか癖をひとつの技として使いこなせるる。
言い換えれば、蓄積される器が大きいということ。
84 :
選曲してください :2012/08/05(日) 04:28:41.01 ID:Z0LkxdOY
ここって微妙スレだよな、なんでこんな誰得長文垂れ流してるんだ? アンカからして別スレから引っ張ってきたのかしらんが邪魔だし、 無転だったらそっちにも迷惑かかるんだから止めろよ。 確かに、、初めて来たんだがカオスなスレだな ここ埋めるより諸悪の根源上位スレ埋めようぜ! ちょっと言ってることがよく分からんかもだけど、 おいら地声の音域が狭いんだがキャラクターが明るくてなんかどんな曲もしっくりこないんだけど同じような人はいるのかえ? ピッチは割とましだと思うんだけど録音聞いてもパッとしないんだよなぁ 音源聞いてみないとなんとも言えないが、低くて狭いのか、高くて狭いのか にもよるんじゃないか? 後者なら選曲によっては歌いやすいのも見つけやすい気がする。 本来、うpスレだから若干スレチだと思うけど上手く機能してない みたいだから大目に見てくれ。 具体的にはオク下でしかほとんどのアニソンやらポップス歌えないんだけど 倍音とかの関係でキャラクター的には明るいと友人からいわれるんです。 タイトルsaekiになってるけど間違いです><
85 :
選曲してください :2012/08/05(日) 04:31:02.74 ID:Z0LkxdOY
>>20-25 を読んでいて、ふと前に読んだ漫画のことを思い出しました。
バガボンドで武蔵が子供の頃に自由に剣を振れていたときの回顧と、今の自分にまとわりついたもの。
「あのころはもっと自由だった…」と、それらをぬぐい去るためまた瞑想する。。。
あのシーンが歌にも重なった記憶が甦りました。
ピアノの森で選考に落ちたアダムスキと雨宮がトイレで話すところもそう。 「ピアノは子供でも音が出る。表現するのは君自身だ。」
アダムスキの言葉は、技術が表現の手助けにならんことを示唆しているように聞こえました。
まだ私自身も確たる表現はおろか、頭の中をグルグル形を成しえないまま浮遊するだけですが、
何かその一片でも伝われば幸いです。
体は元通りになりつつあるんだけど、頭の感覚というんですかね…あれがどうにも。。
もし後遺症とかあったら事故前には決して戻れないってことだし。
って、それを防ぐためにリハビリやってんだから、前向きな思考でやらないと^^;
ベスさんには行く行く詐欺みたいにしていつまでもオフできず申し訳ないm(_ _)m
でもベスさんの生歌を間近で聞きたいと思う心は本当なんですよ。 これだけは信じて下さい!
きよそ君のスレちらっとのぞいたら、かなり面白い所まで思考が踏み込んでますね。
アンザッツとかはまだ導入的であって、普段の歌唱はそれらが複合的に作用していると感じるようになるはずです。
練習の際はわざと1つを切り離すように誇張させて練習していると考えてもイイです。 その調子です。
伝わりにくいので感覚的表現が嫌いなんですが、あえて1つ書き残しておこうかな…
喉仏付近のある高さに地面と平行な面が境界のようにあって、それより上だとファルセット、
教会に近いと喉締めみたいな声、下に行けばヘッドってな感じで、私の中では結構明確に分けられてるんです。
人の声を聴いていて、何か声が上過ぎて腹と繋がってないなぁとか思うのは、
やっぱり喉の中の筋肉の使い方が、腹の方の筋肉まで連携しているせいなのかと思います。
ここいらへんの体の相関図さえ頭に描けていれば、、バラバラになっちゃいました…
86 :
選曲してください :2012/08/05(日) 04:33:09.72 ID:Z0LkxdOY
歌の心とはなんでしょうか。 詩には心が込められています。 メロディにも意味があります。詩を引き立てるんです。 歌に心があるかどうかは、込められた詩を生かすか殺すかに尽きます。 必ずしも音程の正確さじゃありません。 必ずしも発声の技術じゃありません。 究極、歌が生きているか死んでいるかしかないのです。 生きている歌は、良い歌です。 死んでいる歌は 悪い歌です。 私も歌自体に心があると思います。 そしてそれを生かすための表現力≒歌唱技術なんだと思います。 もっと正確に言い表せば、表現力は歌唱技術の一部です。 だからこそ“必ずしも”音程や発声技術が必要ないこともあれば、必要な場合だってあるんです。 個人的には、それらがあった方が歌が生きることが多いと思います。 ただしそれはあくまでさじ加減のお話で、 正確過ぎても逆に不正確過ぎてもうまく伝わらない。 表現が難しいのか、歌自体が難しいのか。。 まるでラビリンスを旅してるみたいですね^^; さじ加減を、自分で考えてばかりいるからラビリンスになるんじゃないか? チャーハンつくるときに、塩加減はどう考える? こってりがいい?あっさりがいい? さて、どっちが上手い? そんなの、その日の気温や食う人間の体調次第ってこった。 塩の振り方が技術であって、塩の量が技術なんじゃないよな。 こういうときこう振れば、このくらいの味になる。としか覚えられんぞ。 それとも塩の分量に計算式があって秤で計るか?ちがうよな。 だから、さじ加減は、聞く人にお任せすればいい。 失敗したら、次やり直せばいい。早い話経験をつめということ。 客の顔色でさじ加減決めてきゃいい。
87 :
選曲してください :2012/08/05(日) 04:34:59.12 ID:Z0LkxdOY
さじ加減は、聞く人にお任せすればいい。
失敗したら、次やり直せばいい。早い話経験をつめということ。 客の顔色でさじ加減決めてきゃいい。
歌を歌うということは、アルバムを作ることじゃなくて、チャーハンを作ることから始まるんだよ。
すいません、昨日はかなり気分がズーンとしてて…かける状態じゃありませんでした。
ラビリンスは言いすぎたかな、、けっこうアバウトに、確かにそんな感じです。
自分で食べるチャーハンにまで厳密な匙加減は求めませんからね。 大体このくらいって感じの目分量でいっちゃいます。
その目分量に至ったとき、技術として使いこなせつように慣れたと言うんでしょうね。
歌も同じように、技術はあれど、使いこなせるかどうかの慣れの問題はあると思います。
同じく、自分以外に聴く人がいる場合、自分の好みとは別に考える必要があるでしょう。
自分はこうだけど、聴く人ならこっちの方が好みだろうな…とかね。
主観性と客観性が自分の中に存在して、両者の妥協点を見つけなければなりません。
まぁ、そこまで行き着くには、相当な技量を兼ね備えた人じゃないと無理なんですが^^;
チャーハンの塩の振り方だって、パラパラっと振るか、ダマをゴロって入れちゃうか、
それだけでも味の偏りとかで差が出ちゃうと思うんです。
細かいことですが、入門の先にはそのような無限階段が待っているんだと思います。
チャーハンを作れるようになったら、次は美味いチャーハンを目指すみたいに。
また話が袋小路に入りそうなんで、ここらで切り上げますが、
歌・歌い手・聴き手の間には緻密で繊細で、それでいて膨大な糸でつながっていると思います。
>>27-29 お気遣いありがとうございますm(_ _)m 大体ほとんどの人が気分で歌っちゃう派だと思います。
わざと不正確に歌うなんて、相当な手練れじゃないと踏み切れませんもん^^;
逆に、不正確に歌うってことをまた技術と考えるならどんなものか? ちょっと考えると…
グルーヴ感や走り・溜めといったテンポ操作や、フォール・しゃくりなどの語頭・語尾の装飾、
セント単位で上ずったり下回ったりetc このようなものがあてはまるでしょう。
すなわち、不正確に歌うもこれ技術。
88 :
選曲してください :2012/08/05(日) 04:36:55.43 ID:Z0LkxdOY
まえどっかで私が書いたみたいに、まずは型をなぞるように正確さを求め、 そのあと我流を求めないと八方破れにしかならないということです。
「上手いんだけどつまらない」、その人しかない“もの”ってのが感じられない。
そう思われたなら、もう十分我流に突入していい次元だと思います。
>>40 お読み頂きありがとうございます!
文意が伝わっていれば嬉しいです。 私もフリーさんスレちょっとずつ読むようにしてます^^
やっぱり鯖落ちでしたか・・・私の体調と一緒で不安定なのかな?w
体はかなり元通りで、時々ふらつきがあるくらいなんですが、やはり頭ですね。。
集中直がガタ落ちしたし、思考力というか、やはり回転がどうにもならない気分です。
そのせいか、気分がものすごく落ち込む時があるので、精神ケアも並行しています。
これから脳波とかいろいろ検査が待っているので、精査していきたいと思います。
文殊菩薩様、どうか脳に障害(後遺症)がありませんように…
考えれば、まだ事故から2カ月経ってない段階ですし、焦りは禁物ですね。 お言葉に甘えて、無理せずゆっくり行きたいと思いますm(_ _)m
>>31 レコーディング風景とかがドキュメンタリーで放映されることがありますが、
あのとき何度も録り直してはつぎはぎを繰り返し、歌手や編曲家などの製作者全体で詰めていきます。
あれから考えるに、最初は歌手の思ったように歌わせてみる。
すなわち、かなりの部分を独自の感性と表現で歌うことにまかせてみてますよね。
その後に「ここはこうやった方がしっくりくる」 「ここはこっちのほうがカッコイイ」…とか言いながら、
歌手に意識的に歌い方を変えさせたりして、微調整を繰り返していくんです。 この録り直しの時点から、かなり意識し始めるんじゃないでしょうか?
自分色という名の“癖”っていうのかな、、その癖という名の感性から無意識に出ちゃう表現技法があって、
それをベースに、意識的な変化を織り交ぜていく作業がレコーディングだと思います。
89 :
選曲してください :2012/08/05(日) 04:39:37.68 ID:Z0LkxdOY
私も素人ながらバンドやってた時、何度も音合わせで手を焼いた覚えがあります。
1人で弾いてる時、いわば無意識に独自の感性と表現にまかせっきりになってるときとは全然違うんですよ。
音量も自分の理想とは違う、テンポだって周りに気を配りまくり…正直まわりの音に神経尖らせてました^^;
ド下手だったからそんな次元ですが、上手けりゃまた別の壁があるんでしょう。
>>283 自分の中で奏でたものは、まさしく“心”と名付けるにふさわしいでしょうね…
それを表に出すとき、すなわち他者に伝えようとするとき、心では伝わりません。
>歌唱力、歌唱技術はその心を表現するための道具。
同意します。この世にテレパシーで想いを伝えられる人は、、たぶんいませんからね^^;
何か意思を伝えようとすれば、言葉で言ったりボディランゲージしたりします。
あれと一緒で、歌うことも自分の中で奏でたもの、あるいはこう奏でたいと思った形を、
歌唱技法という表現技術を使って他者に伝える行為なんです。
言葉に稚拙?雄弁、文章に拙文?名分があるように、歌唱技術にもよく優劣が付けられます。
その技を磨いていけば、いつかは“巧い”といわれるようになるかもしれません。
同時に、巧いが上手いに昇華するためには心の披瀝だって必要です。
言葉や文章と同じように考えれば、自分の心を表に出す、相手に伝えることだって技術如何でどうにかなるじゃないでしょうか?
最後に、心の伸び白が無くなるか否かについて…
技術は年と共に衰える部分があるかもしれませんが、心は年をとれば渋さが増したり、
魅力的になっていく部分があって、伸び白が無くなることはまずないと思います。 人は初老を経て円熟を増すと言われるほどですから、
歌だってその時その時で伝えきれないほどの心の叫びが込められていると信じています^^
90 :
選曲してください :2012/08/05(日) 04:41:13.06 ID:Z0LkxdOY
由紀さおり&ピンク・マルティーニのコラボレーション・アルバム『1969』がヒットしていると耳にはさみました。 しかも日本だけじゃなく海外でも受けているとか… 由紀さんといえば、お姉さんと一緒に童謡コンサートやってる人ですよね!? あの人の声って前に私が注目した童謡・唱歌の歌唱法を踏襲しているんですよ! その歌唱法、、説明が難しいんで割愛しますが、由紀さんの声の中に含まれているのは間違いありません。 どっかの番組で、音楽ディレクターが何故売れているのか質問されて、 「あのオリエンタルな歌声っていうのかなぁ、 まるで二胡を聴いている様な… 」 って言ってくれていたのも、私の考えを後押ししてくれています。 あの歌い方こそ、日本人が日本語を話す要領を捨てないまま歌った末に、辿り着くであろう歌唱法なんです。 日本語を忘れろとか、声は下に引っ込めろとか、そんな西洋かぶれをしなくてもいけます。 まぁ正直あのレベルは才能ですが、ある程度までなら童謡・唱歌の分野では歌えるやり方だと思います。 今まで散々日本人の声や喉の変形について論じてきましたが、それを捨てずとも歌うやり方があるんです。 いつかこの話は詳しくやりたいですねぇ。 逆にいえば、もし由紀さんが西洋人ぽい歌い方とか声質とかだったら、ヒットはしてないでしょう。 あの独特な東洋の香りこそ、西洋人が心惹かれた理由でしょうから。 この両者の違いが感じれれば、また現代のポップスで多用される西洋型にも参照できるはず。 乱暴な言い方ですが、逆の道を行けばいいわけですから。 あぁ、この違いが説明できたらなぁ… それにしてもなんですね、、最近ではA○B推しって言うんですか? チャンネル変えても変えてもA○B…あれのせいで私の年末年始はテレビフリーになりそうです。 正直あのキンキン声は聞いていると頭が痛くなります。 そんな声が何十人とユニゾンしてるんだから、わめき声聞いてるようなもんです。 まさに阿鼻叫喚地獄ですよ^^; 前にフリーさんと言ってた日本語発声の悪い面ばかりを凝縮したような… 無駄に黄色い声を前面に出した、なんとも心地の悪い声です。
91 :
選曲してください :2012/08/05(日) 04:44:44.80 ID:Z0LkxdOY
最近はすっかりラジオ派です 特に金曜夜の(以前は日曜夜)粋な夜電波 あれのおかげでヲタソン数万曲入るHDDの中にジャズが増えてまいりました そのおかげか否か、不満で不安だったリズム感の悪さが少し解消されたようにも感じます ビブラートは徐々に理想的な波に 歌うときの意識の持ち方で左右されるものだなと痛感してます ラジオも音楽情報源としてイイですね。 昔はちょこちょこ聞いてたのに、いつの間にやら全く聞かなくなっちゃいました… ジャズを有線みたいにダラダラ流してくれるラジオとかあったら絶対かけちゃいますw ジャズはどっちかというと、私の中ではインテンポよりグルーヴィーな感じですね。 伴奏自体がうねってる感じもするんですが、それと歌声の兼ね合い、 ちょっとしたズレとかを意識して聴いたりすると、より細かなリズムの動き・連動がわかるかもしれません。 ヴィブラートの種類もテンポに合わせるのか、逆にずらしてかけるのか。 私には高度すぎて想像でしか描けない世界ですが、そういった細かさって、 他の要素といろいろ絡み合って、最終的な歌声としての表現につながるんだと思います。 もちろんそこに気分など気の持ち方が影響してくるのは言わずもがなですね。 昨日書いた後で、私は何でこんなにA○Bが苦手なのかが頭の隅っこに引っかかってて、 歌声としてキンキンした黄色い声と、民謡などの歌声は似ているのか否かを考えてました。 正直なところ答えはまだ出てないわけですが…^^; 少なくとも、ユニゾンみたいに全員が同じ音階で歌う場合、低次倍音が少なく偏在している声では、 綺麗な重なりにするには相当精巧な歌声の操作が必要になることは確かです。 簡単に言っちゃえば、石造りの教会とかで声がボワッとぼやけた感じになるように、 声の輪郭がぼやけていると、斉唱でもある程度綺麗に1つの歌声の集合みたいに聞こえちゃうわけです。 これに対して黄色い声のままでは輪郭がはっきりしすぎてて、重ねても輪郭同士が喧嘩しちゃうんです。 輪郭を合わせるのは至難の技だろうし、それぞれが主張しすぎてて、協調性に欠けるんですね。
92 :
選曲してください :2012/08/05(日) 04:56:56.23 ID:AZaZqHLL
文章を書き慣れてないせいで、たった数行書くだけでも疲れます・・・
しかも推敲に時間がかかってちっとも先に進まない・・・忌々しき問題です('A`)
実は上で書いたプロローグも推敲・校正をかけまくったものだったり・・・
でも今読み直してみたら、やけに「そんな、そして」が多い気が、、、縦読みしたら「そそ・・そそそ・・・」みたいになってる orz
もっと文章書くの上手くなりたいです(´;ω;`)
愚痴ばっかじゃ何なんで、とりあえず書いてる途中に聴いてた音楽でも貼っ付けときます。
桶板住人なのに、インストゥルメンタルやワールドミュージックが好き・・・あとジャズも・・・歌えねぇ・・・w
―◇ 小休止.T◇――――――――――――――――――――――――――――――――――――
木村大 - ムーンタン
ttp://www.youtube.com/watch?v=kcR5e1t04DQ Paco de Lucia - la Barrosa
ttp://www.youtube.com/watch?v=q9vNSA0WNlw 上:本人演奏のフルバージョンがなかったorz
この曲が入っているアルバム『THE CADENZA 17』は傑作だと思います。もちろん他のアルバムもイイですよ^^
下:言わずと知れたパコ・デ・ルシア!フラメンコ最高。
もう何も言うことない・・・とにかく最高・・・
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
93 :
選曲してください :2012/08/05(日) 04:58:27.79 ID:AZaZqHLL
Aの共鳴腔は喉頭・咽頭・口腔・鼻腔の声道と、肺や副鼻腔です。
これらで声帯原音が共鳴することによって音が増幅され、声の素ともいえる音へと変化するわけです。
そしてもう1つ、共鳴腔の中でも喉頭・咽頭・口腔は、次のBと綿密に連動し合いながらその形を変えるので、
強調される倍音の周波数帯が変化し、各母音特有のフォルマント形成に多大に影響します。
Bの調音(構音)は簡単に言っちゃえば、声帯から出て共鳴させた音を言葉として加工することです。
Aで“声の素”と書いたように、共鳴させただけではまだ最終的な「言葉としての声」としては成立してません。
唇・舌・歯、さらには共鳴腔がトータルに働いて母音や子音が調音(構音)され、やっと言葉としての声が出来上がります。
さて、声の成立の説明はこれにて終了です。
上で書いたのは有声音についてで、無声音は@とAの一部がない場合と思ってください。
簡単に書いたんでアラもありますが、そこは大目にみてご勘弁をm( _ _ )m
最初に書いたとおり、この発声の仕組みは「言葉を発する」全般の話で、話し声も歌声も“原理的”には同じです。
もちろん、女性でも男性でも、日本人でも欧米人でも、どんな人でも同じ原理です。
これを念頭に、歌声と話し声との違い、体の他の部位の働き、性差、言語差などを説明していきます。
もしわからない単語等があったら・・・ggrks、、もとい、聞いてもらっても構いません。
でも即レスは全く保障しませんので悪しからずm( _ _ )m
もっと詳しく知りたい方は、↓のサイトで上手く説明されているのでどうぞ^^
つ
ttp://www.oki.com/jp/rd/ss/speech.html
94 :
選曲してください :2012/08/05(日) 05:00:02.78 ID:AZaZqHLL
95 :
選曲してください :2012/08/05(日) 05:01:49.71 ID:AZaZqHLL
発声概論(
>>59-60 )で述べたとおり、話し声と歌声の‘原理’は同じです。
でも聞こえる声は全然違う・・・いったい何が違うのか?今回はそれについてです。
感覚的な話は一切割愛します。理詰めというからには、
>>65 の筋肉を引用しながら説明しましょう。
まず「話し声」、この声の状態では引き下げ筋の作用がほとんどなく、
宙ぶらりんの甲状軟骨を固定するために、引き上げ筋の一部(甲状舌骨筋)が主だった役割を果たします。
この引き上げ筋により甲状軟骨は舌骨に固定されるわけですが、実は舌骨も固定されているわけではありません。
甲状軟骨も舌骨も宙ぶらりんな骨なんですね。
そこで、舌骨より上の筋肉、すなわち舌骨上筋群によって舌骨を下顎骨やらに固定します。
でもでも、実は実は・・・舌骨を固定するはずの下顎骨も宙ぶらりん!
なので下顎骨を固定する為に・・・と、まぁこれ以上は話を小難しくするだけなんで止めておきます^^;
簡単に言っちゃえば、喉頭を固定する為に、それより上の筋肉群を働かせているわけです。
俗に「喉の位置が高い」といわれるのはこの状態です。
固定の際に引き上げ筋主体なので、引き下げ筋による声帯伸展はほとんど伴わず、声帯はたわんだような状態で全体が振動します。
閉鎖も大雑把で、とりあえず声が出るように声門が閉まればいい程度にしか働いていません。
このように、話し声というのは閉鎖筋と喉頭周辺の筋肉の一部を使うだけで、しかも働きは大雑把です。
その訳は、話し声にとって一番大切なのは言葉の弁別だからです。
別に大きい声が必要なわけでも、広い音域が必要なわけでもありません。
気息声だからダメとか、実声に聞こえないといけないみたいな制約もありません。
とにかく話し声に必要なのは“言葉を聞き分けられる状態にして相手に伝えること”なのです。
※弁別とは言葉の意味の区別(=使い分ける・聞き分ける)という意味で、発声概論のBの働きによります。
96 :
選曲してください :2012/08/05(日) 05:07:26.33 ID:AZaZqHLL
さて、前振りはこの辺にして、ぶっちゃけ上で説明した歌声というのは、
話し声では使わなかった筋肉や、大雑把にしか働かなかった筋肉を使うってことでして・・・
要は
>>65 の各種筋肉を効率よく役割分担させながら使っているわけなんです。
でも、なんせ普段使わなかったりする筋肉も活用するわけですから、それが難しいわけですね^^;
まず引き上げ筋と引き下げ筋の作用について。
>>69 で書いたとおり、話し声の場合はほとんど引き上げ筋に頼った甲状軟骨の固定をしています。
それ対して歌声の場合は引き下げ筋も加わって、甲状軟骨を上下から引っ張り合う形にします。
甲状軟骨を挟んで、引き上げ筋・引き下げ筋が拮抗した綱引きのような状況だと思ってください。
こうすることでも甲状軟骨は一定の場所に留まる=固定されますよね。
で、本題はこれによって何が起こるのかなわけで・・・
簡単に言ってしまえば、喉頭内にある筋肉(より狭義では声帯にある筋肉)の緊張が解けるのです。
緊張が解ければ声帯の自由度は増し、歌に必要な敏捷性等を獲得します。
また、引き下げ筋が加わることで声帯の伸展を伴った発声になり、音高調節を閉鎖筋に依存する必要もなくなります。
ちょっと話をそらしますが、「喉が高い」といわれる状況が何故いけないのか?その理由も上記によって説明がつきます。
話し声のレベルでも音高調節はある程度利きますが、地声音域を越えられるものではありません。
また、閉鎖筋群に頼った音高調節・発声では上記の自由度・敏捷性は阻害され、
速いフレージング・パッセージ、アジリタのような装飾技巧、フェイクも不可能です。
話し声のまま歌っているなんて言われ方も、引き上げ筋・引き下げ筋のアンバランスさが一因な気がします。
72 :サブ:2010/05/23(日) 21:25:08 ID:yhxM2ayr
話を元に戻して、次に閉鎖筋の運動について。話し声では大雑把と書きました。
97 :
選曲してください :2012/08/05(日) 05:09:04.25 ID:AZaZqHLL
では逆に、借用している部分、話し声と歌声がイコールの部分において、
話し声が歌声に勝るものは何なのかを考えると、それは最初の方でも書いた“言葉の弁別”になります。
歌には歌詞を含まないものもある!ってツッコミは置いといて、
実はこの“言葉”こそ、私たちが持って生まれてきた歌声の能力、発声器官を弱めてしまうものなんです。
は?と思われるかもしれないので、少し例を挙げて考えてみましょう。
ただ大きな声で叫んだり、あるいは何か動物の鳴き真似をしたりするとき、
「ウォォォ!!」とか「アーーー!!」ってな感じの声出しますよね?
決して「イーーー!」とか「エーーー!」って言いませんよね??
これって無意識に、より大きな声・より響く声・より通る声を出すために、声帯や共鳴腔を操っているんです。
でもこれに言葉を乗せようとすると・・・同じ声のレベルでは出せなくなります。
あ、そうだ、桶板で時々みる「高音のイ段がムズイ・・・」とかもこれに含まれますね。
言葉を発するということは、発声概論B(
>>60 )でも説明したとおり、
共鳴腔を変形させフォルマントを形成し、唇・舌・歯などを使って調音を行うことです。
その作業は良い歌声を形成する際の喉・共鳴腔・その他の条件とは対立するものなのです。
私たちはこんなことを、言葉を習得した後ずっと続けています。日々の生活で歌うことはなくても、日常会話はしますからね。
発声器官の一部分だけを使用し、あとはずっと休止状態・・・それを何年、何十年と続けたら・・・
必然的に喉の筋肉は衰退し、共鳴腔は変形し、歌うための器官は荒廃します。
赤ちゃんのとき出せた大きな泣き声、そのときあった発声器官本来の機能は、
実は文明の利器ともいえる言葉によって衰えてゆくのです。
98 :
選曲してください :2012/08/05(日) 05:31:23.75 ID:ASysIZEU
>>45 のどぶっ壊しそうですね
そうゆう元歌だったら(・∀・)カエレ!!ですね
>>46 消えてますね
>>47 ちょっと声質が迷走してますね〜
台詞がつぶやく感じでいい声になってるので
歌声もそれに合わせてみるといいかもです
99 :
選曲してください :2012/08/05(日) 07:27:18.80 ID:AZaZqHLL
では逆に、借用している部分、話し声と歌声がイコールの部分において、
話し声が歌声に勝るものは何なのかを考えると、それは最初の方でも書いた“言葉の弁別”になります。
歌には歌詞を含まないものもある!ってツッコミは置いといて、
実はこの“言葉”こそ、私たちが持って生まれてきた歌声の能力、発声器官を弱めてしまうものなんです。
は?と思われるかもしれないので、少し例を挙げて考えてみましょう。
ただ大きな声で叫んだり、あるいは何か動物の鳴き真似をしたりするとき、
「ウォォォ!!」とか「アーーー!!」ってな感じの声出しますよね?
決して「イーーー!」とか「エーーー!」って言いませんよね??
これって無意識に、より大きな声・より響く声・より通る声を出すために、声帯や共鳴腔を操っているんです。
でもこれに言葉を乗せようとすると・・・同じ声のレベルでは出せなくなります。
あ、そうだ、桶板で時々みる「高音のイ段がムズイ・・・」とかもこれに含まれますね。
言葉を発するということは、発声概論B(
>>60 )でも説明したとおり、
共鳴腔を変形させフォルマントを形成し、唇・舌・歯などを使って調音を行うことです。
その作業は良い歌声を形成する際の喉・共鳴腔・その他の条件とは対立するものなのです。
私たちはこんなことを、言葉を習得した後ずっと続けています。日々の生活で歌うことはなくても、日常会話はしますからね。
発声器官の一部分だけを使用し、あとはずっと休止状態・・・それを何年、何十年と続けたら・・・
必然的に喉の筋肉は衰退し、共鳴腔は変形し、歌うための器官は荒廃します。
赤ちゃんのとき出せた大きな泣き声、そのときあった発声器官本来の機能は、
実は文明の利器ともいえる言葉によって衰えてゆくのです。
夏バテ診断とは・・ガチでやられてますね・・^^ まだまだ残暑は続く見たいなので気をつけてください! 昨日は、配属先の店舗でエアコン故障が続いて、午前中で下着まで汗まみれでしたw 水分補給はおわすれなく! レンタルCD屋通いは僕もやりましたよー!w 必死に歌詞カードコピーしてカセットテープに録音、オリジナルアルバムとか言ってw アニソンは嫌いじゃないんですよ( ^ ^) それこそ、前によくあげてた自分の曲は、全部アニメかラジオドラマみたいなものと一緒に出来ないかなー・・と当初は野望がありましたしw ・・もう10年も前の事ですが、知り合いとシナリオ作りに挑戦したりもしてました^^ 平原綾香の声は、確かに自分自身のレスの流れで行くと、倍音が多くて日本語らしくない声なんですよね。 話し声もかなり息っぽくて籠っている感じです。・・でもそういう喉だからこそのあの安定したビブラートだとも思います。 大好きだった曲に手をつけられる・・というのは痛手でしたねw^^; 僕の現在の主観の場合、ビブラートに注目するようになっている毎日ですので(w)、それほど嫌いでは無い感じです。「すごいなー」・・と。 ただ、「自分も練習すればこの声のまま簡単にビブラートできる」と思い込んでいた昔だったら、 「彼女の日本語っぽくない声ってなんだかなー」と思っていたはずです。 まぁ、もう一つは、震災の復興の手助けになった・・というところですかね^^; 僕の姉がボランティアでずっと神戸の震災の機関紙に関わっている・・ってのが心情の原因っすw 歌とはあんま関係無いかなw @ A B は、まさに沢山の人が無意識にスルーしてしまいがちな重要な要素・・な見出しですね!! このあたりにまずきちんと言及されるところがサブさんの真骨頂の一旦に思えます! 僕のスレの事は、どう料理しても構いませんので、時には反論も含め、楽しみにしてます( ^ ^)/
:サブ:2010/08/23(月) 23:36:59 ID:r+SIseOc
要は、人それぞれに好き嫌いが介在した上手下手の判断基準ができちゃってて、そのズレが原因でいろいろ齟齬が生じるんです。
また、多くの人はそのことに気付かなかったり、あるいは好き嫌いを排することが疎かになってしまっているのではないかと思います。
ただ単に音楽を聴くだけならそれでも問題ないんですが、歌の上達を試み、練習をする際には大なり小なり問題アリです。
詳しくは後述するとして、歌が上手くなりたい! 上手に歌いたい! と思って練習しているのに、
お手本にするアーティストや曲が自分の好きなものだけだった場合、必然的に発声に偏りがでて、偏食気味になっちゃうんです。
もしそれで練習を続けて上手くなれたら御の字ですが、、それは運が良かったというべきで、
王道的な発声練習・歌唱練習をする場合において、自分の好き嫌いは一時期でもいいから排して我慢すべきものです。
その過程で取捨選択をして、最終的に自分好みの発声へと舵を取れれば上達への道は切り開かれます。
ある意味、急がば回れです^^
@ 『音楽に対する好き嫌い』
上でも書いたとおり、好き嫌いは千差万別・十人十色だし、その要因もごまんとあるし、漠然としてつかみにくいものです。
まずは「内因=自分の中の好み」となるものを挙げると、「ジャンルが好きor嫌い」 「歌詞が好きor嫌い」
「声質が好きor嫌い」 「曲調が好きor嫌い」 「アーティストが好きor嫌い」 etc、、数えあげたらキリがないです^^;
あ、そうだ、生理的に受け付けないってのも内因の1つです。
理由なんてなく、もうどうしようもなく嫌いってのもあるはずですから、そんな時にだけ使います。
そしてその内因が構築される過程も、成長過程での生活環境(親の影響)とか、情緒多感な時期に流行っていた音楽ジャンルとか、
友達に勧められて聴くうちにとか、、これも色々あります。
(
>>103 に続く)
よかった、、書き込めた。。。初めて連投規制引っかかったよ('A`)
いつものことながら、投下した後で後悔に苛まれています・・・ 当たり前のことをよくもまぁこんなに長々と書けたもんだと・・・
しかも何を伝えたかったのか、それさえあやふやで、何より独善的で救いようがない orz
やっぱ書き上げる気力萎えてんのかなぁ、、もっと冷静に推敲して書きなおすべきだったなぁ〜
ちなみに今回の迷走の一因は、
>>96 @〜Bと話が続いているせいでもあります。
3つのうちどれか1つだけ書いて読んでも、パズルのピースを眺めるがごとく、全体の絵が見えないわけです。
葉を見て木を見ず、木を見て森を見ず。全部書き終えて初めて大観できる・・のか??
―――◇ 小休止.X ◇―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Lunasa - Morning Nightcap
http://www.youtube.com/watch?v=PnYG5bBeq7E Loreena McKennitt- The Mystic's Dream
http://www.youtube.com/watch?v=Vt2r2rUHc7Q 上:アイリッシュやケルトで一番有名どころといえば・・・そこで私はこの人たちを推します!
フィドルが踊る!リードが駆け回る!聴いていてウキウキがとまりませんw
下:あまり歌声の入っているケルト系は聴かなかったんですが、これがきっかけで好きになりました。
上とは違って何というか、ちょっと湿っぽさがあって、これもまた雰囲気が出てるなぁと思います。
104 :
選曲してください :2012/08/05(日) 07:45:28.53 ID:9ZIvaRCN
やはり釈然としない、、
今回の『音楽に対する好き嫌い・上手下手』(
>>101-108 )の注釈と、
>>96 のABにつながることを先走って少しだけ・・・
>>108 でマスケラやらアンザッツTって書きましたが、あまり聞きなれない言葉だと思います。
これは声楽分野の練習方法で、声を前にもってくるとか、歯に当てるとか、鼻腔共鳴を促す感じだと思って下さい。
これで声をより開放的にして、明るさを持たせます。
ただ、やりすぎると平べったくて金属的で倍音の少ない声になっちゃいます。
この平べったくて〜 な声が日本語発声の大きい要素でもありまして、これから言及したい
>>96 Aにも関わるトピックです。
そしてもう1つ、私がこの先一番書きたいことで、これまで書いてきたこと全てに関わることなんですが、
「ロック歌いたいのに声楽を勉強しても意味がない!」とか、「ボイトレの模範発声が自分の理想とは違うから止め!」とか、
私からすれば実にもったいないことです。
これまでさんざん書いてきたように、声は1対の声帯から発生して、それはどんな声でも絶対不変のものです。
その声帯を動かす筋肉を少しずつ変え、はては体全体の運動によって様々な歌声を作り出します。
>>70 に書いたように、そして今回の発声技術で言及したように、それぞれの発声法の中に共通点・相違点を見つけ出せれば、
それを使って自分の発声練習へフィードバックできます。どんな練習方法だって自分の糧となるんです。
投下した後でgdgd愚痴っちゃってホントごめんなさいm(_ _)m
今日はこれで寝ます。お休みなさい。
『歌声と話し声の違い』(
>>69-73 )では、超簡単ではありますが両者の違いを筋運動をもとに解説しました。
今回はその発展ともいうべき内容で、話し声=言語発声をさらに掘り下げ、前回は触れなかった「言語差」について言及したいと思います。
ちなみに! このトピックは歌から逸脱しっぱなしで終わります!! 最後まで歌の話題ありません!!!
まずは↓のページの右上の図を見て下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E9%9F%B3 この中で日本語の母音「あ、い、う、え、お」は「a、i、?、e、o」になります。(多少のズレはあるけど、まぁ大まかに^ ^;)
試しに「い → あ」「い → う」「い → お」と発音してみると、図の位置関係が分かると思います。
われわれ日本人は、小学校教育の頃から母音は「あ、い、う、え、お」の5つですよ〜 と教わってきました。
半母音やら長母音やら方言などは無視して、とにかく母音は5つなんだと、まるで刷り込みのように教わったはずです。
まぁそれを良いとするか悪いとするかは別として、これは50音表に代表されるような日本語の規格化なんだと思います。
でも図には5つどころか、倍以上の母音が記載されてますよね?
そう、世界中には私たち日本人が使わない母音がたくさんあるんです。
私たちが5つの母音を無意識・自由に使い分けるように、世界中の人たちはそれぞれの母語の母音を無意識・自由に使い分けています。
子音も同じように、日本語にはないものが世界中で使われています。(子音は説明割愛)
※念のため断っておきますが、母音・子音の数が多いから優れているとか、少ないから劣っているなんてことはありません。
ではここで『発声概論』(
>>59-60 )を思い出してください。
どの言語発声も発声原理は共通で、声帯で音の素を作って、調音して言葉にしています。
コーカソイドはモンゴロイドにはない発声器官がある、、なんてことはあり得ません。
人類みな共通の発声器官を持ち合わせています。
じゃあ私たち日本人も、出そうと思えば日本語母音5つ以外の母音を出せるはずですよね?
でも試してみると・・・ それは無意識には出せないものだし、ものによってはかなり意識して作らない限りは出ません。
子音も同じ。例えば私たち日本人はlとrの使い分けが無く、普通は意識しない限りできません。
これこそ「言語差=言語発声の差」=「発声器官の使い方の差」なんです!!
何を今さら、そんなの当たり前だろが! と思わず聞いて下さい!!
これは全ての人が感じ取っているのに、あまり考えずスルーしちゃうことなんです!
>>69 や
>>73 にも書いたように、普段私たちが話すときは言葉の弁別に重点を置いて発声・発音します。
日本語なら日本語を、英語なら英語を、相手に伝わりやすいよう発語しています。
それは言語ごとに特徴のある言語発声方法をとっているということです。
ここで重要なのが、ある言語の言語発声を使い続けると、その言語発声は自動化し、無意識下に潜んでゆくということ!
この自動化・無意識化は、その言語を発声・発音するためには非常に便利なことです。
しかしその結果、発声器官はその言語1つに特化するようになります。
そんな状態で他言語を話そうとすると、母語の言語発声に影響を受け、その言語発声に引きずられちゃいます。
>>73 の結びで書いた発声器官の退化は、歌声に関してだけではなく言語発声に関してもいえることで、
言葉を換えれば「発声器官のある1つの言語発声への特化」ということになります。
もっとわかりやすく直感的に理解するために、↓の動画をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=Je_Z63BZcXM @0:00〜1:05 日本人がしゃべっているような英語発声。(少々誇張気味です^^;)
A1:07〜1:31 本人の自然な英語。(ネイティブだと思います。)
B1:33〜2:07 母語が英語の人が話す日本語。(日本語発声かなり上手い。)
どうですか?この人の自然な英語と日本人を真似した英語では、誇張気味とはいえかなりの差がありますよね?
日本人を真似した英語では、まさしく日本人がやらかしそうなカタカナ英語になってるのがわかると思います。
同時に、上手いとはいえ日本語を話している時は、外国人が日本語しゃべってるな〜 とハッキリ感じるはずです。
なぜ日本人が英語を話すと動画のようなカタカナ英語になっちゃうのか??
また、なぜ外国人が日本語を話しているとわかってしまうのか??
解説はしませんが、その理由を考えるとまさしく
>>113 につながります。
さて最後になりますが、上の動画の題名「japanese accent」の「accent」、、「強勢、強調」という意味だけではありません。
もう1つ大切な和訳、、「訛り」、、そう! 訛り!! ずっと昔から感じ取られ、単語にまでなっているんです。
上記の言語発声の特徴・言語差は方言の訛りにだって適用できるし、それは厳密になれば個人レベルの差まで確認することができます。
いろんな声に耳を傾けて下さい。そうしたらきっと発声・発音の差が聞き取れるはずです。
109 :
選曲してください :2012/08/05(日) 08:36:26.35 ID:mobDki3u
110 :
選曲してください :2012/08/05(日) 09:12:53.21 ID:AZaZqHLL
先日、城崎温泉に行ってきました。
最近体調悪かったし疲れてたし、まさしく湯治気分w
おかげで少し良くなった気がします^ ^
にしても城崎温泉、町ぐるみで温泉街を盛り上げてますね。
浴衣で下駄履いて出歩いて外湯を廻り、柳のライトアップに見とれつつ夕涼み、、もう最高でした。
かなり若者も多かったし、ホントに年齢問わず楽しめる感じがしました。(私も若いけどね!)
あ、前もってちゃんと『城の崎にて』も読んだし、宿も見せてもらってきましたよ。
思う存分城崎を堪能して大満足です!
―――◇ 小休止.Y ◇―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
上々颱風 - 八十日間亜洲一周
http://www.youtube.com/watch?v=BvVF2wd7LJI SOUL FLOWER UNION - 海行かば山行かば踊るかばね
http://www.youtube.com/watch?v=EDUoMkEtQEc 上:日本のしかも温泉なんて話題振ったんだから、上々颱風のある曲を探したんですが・・・なかった orz
ということで別の曲、単なる私の好みです。しかも有名曲は外す天の邪鬼!
下:上々颱風に連想されて・・・ この人も沖縄色がありつつ日本の祭り情緒が出てて好きです。
そういえば今まで外国かぶれのような選曲ばかりでしたが、日本の伝統音楽、民謡や演歌も大好きです^ ^
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――‐
@
http://www.youtube.com/watch?v=jVmiOqk4560 A
http://www.youtube.com/watch?v=3wmIrAFKLs0 これだ!って音源が見つからなかった・・・お許しを。
まずは上の2つの音源を、純粋に“言葉”を発しているものとして聴き比べてみて下さい。
どちらがより話し言葉に近く聞こえますか? 大多数の人はAを選ぶと思います。
@みたいにしゃべる人はいないですよね。そんな人いたら、たぶん舞台俳優ってあだ名付けられます。
では次に、どちらの音源の方が歌唱発声=オペラ・クラシック発声に近いでしょうか?
これは誰しも@を選ぶでしょう。これまで書いてきたことを如実に表していますよね?
歌声としても言語としても、どちらも成立しているのに、その内容たるや歴然とした違いがあります。
発声器官を効率的に働かせ発声したとき、声帯は引き上げ・引き下げ筋によって伸展し、
閉鎖筋による必要最小限の閉鎖によって厚ぼったくならずに振動効率を高めます。
また、共鳴腔は広がり、高次フォルマント(約3000Hz周辺)に集約するように働きます。
これに対し、言語発声を優先=発語器官としての側面を強調した場合、
それぞれの役割は委縮・減退し、発声効率は低下します。
その代わり、言語としての声の特徴(母音特有のフォルマント形成・音色etc)は増幅され、
言葉としては自然に聞こえるようになります。
A母語の言語発声の混入
何より大きい問題、これこそ私が一番声を大にして注意喚起したいこと。
ほぼ全てのボイトレで、これまで嫌というほど書いてきた言語発声の混入について、言及・記載が無いことです。
普通は誰でも自然と歌声に言語発声が混入してるんです。(
>>113 、
>>134 )
しかも同じ言語圏の人でも個々で混入比率が違って、まさしく千差万別です。
で、場合によってそれを取り除いたり混入比率を下げたり、あるいは他言語の発声を意識しないといけないのに、
どのボイトレも暗黙の了解、知ってて当然・出来て当然のように、それをスキップして練習に入ります。
そんなんじゃ出発点から間違う可能性だってあります・・・
ロジャー本なんてそれの最たる例じゃないでしょうか?
発声に加わる言語発声エッセンスがとても大切なファクターであることは、
>>112-114 、
>>133-135 で説明しましたね。
母国語が英語の人と我々日本人ではその言語発声が全く違うのに、それを一切無視して練習に入ってます。
だから「ヘッドってどうやって出すんだ?」みたいに記載の無い所でつまづき、ついには難しすぎると挫折するんです。
ウォームアップでも、高音では喉を開放しないといけないのに、日本語発声のままどんどん喉を締め付けて間違います。
B用語の氾濫
同じ意味なのに声楽やボイトレの流派によって異なる言葉が多数あり、またそれぞれ微妙にニュアンスが違ったりもします。
にもかかわらず、情報の発信者はそんなこと一切お構いなく、ただ自分たちの用語が唯一のごとく伝えます。
それら同義語・類義語の整理だけでもかなり手間がかかり、発声練習にさえ入れず時間を浪費します。
もし用語の理解で苦しんでいる人がいたら、悪い言葉遊びだと思って切り捨てるのも手です。
C練習法の真意 世の中に出回っている練習法で発声を突き詰めたらどのような声になるか、、考えたことがありますか? 勘のイイ人ならもう気付いてくれていると思います。 これまで口を酸っぱくして言ってきたように、発声効率を突き詰めると歌唱発声になるはずです。 そして、数ある練習法も、その大多数が発声効率を高めるやり方についてです。 では、そんな練習法がなぜ現代音楽の発声練習に用いられているのか・・・ スミマセン、まだ現代音楽の歌声について書いていないのでわかりづらいですが、、 全ての歌声は程度の差こそあれ、話し声よりは発声効率を高めた結果だからです。 これは例え話で説明した方がわかりやすいでしょうか・・・ 例えばあなたが喉風邪にかかったとしましょう。 ただ風邪といっても、鼻水、喉の痛み、頭痛、発熱、症状は色々あります。 鼻水が出てるのに頭痛薬を服用する人はいませんよね? 薬は症状に合ったものが一番効果があるんです。(総合感冒薬は禁じ手で^ ^;) また、過剰な服用は危険ですから、用法・用量を守らないといけません。 数ある発声練習も、それぞれに異なった効果がある薬だと思って下さい。 的外れな練習は何の効果ももたらさないし、 1つの練習への偏重や過度の練習は、薬の過剰摂取と同じで逆効果になる危険さえあります。 自分の目指す理想の発声像に近づくためには、どの練習をどれだけすればいいのか? それを見極めるのはとても難しいですが、しかしながらこれが練習の際には大変重要なことです。 その難しい作業の手助けをしてくれるのが、本来のボイストレーナーのあるべき姿なんですが・・・ まぁ@・A等々、ボイストレーナーさんもいろいろ事情がおありでしょうから、これ以上は言いません。 以上、ボイトレに限らす歌の練習をしている人に考えて(気付いて)もらいたい大まかな4点です。 あともう1つ、耳は大切です!一杯音楽聴いたり、意識して聴覚を鋭敏化して下さい。
フリーさん、部長さん、みなさんに読んで頂いて感謝感激です!! 数字一派の嫌われ者ゆえ、出向いてレスするのはご迷惑お掛けするところ、、 この場を借りて厚く御礼申し上げますm(_ _)m スレの雰囲気が重いというご意見がおありのようですが、何卒そのようなことはお気になさらないで下さい。 私の知識なんざまだまだ月並みに毛が生えた程度。 (それなのによくもまぁこうも衒学的に書けるもんだと、、ちょっと自嘲気味^ ^;) だからこそ、みなさんのご意見は大切にします。 フリーさん居なくなっちゃうんでしょうかねぇ・・・寂しい限りです。 前はかなり入り浸って知識ひけらかすような真似しちゃったんで、 ここんとこは自重してROM専しております。(レスしたくてムズムズしてるけどw) 音源全部拝聴させて頂いてますし、可能な限り保存もしてます。(水槽画像も^^) 引っかかったり裏返ったりする部分、たとえばトイレの神様の「それは〜あ゙」とか、 Driver's Highの出だしとか、それが声帯が分厚くなったせいなのかとか、 あるいは伸展が不十分なのかとか、フリーさんは感覚的に分かってらっしゃるので、 私があえてアドバイスまがいのことしなくても大丈夫だと信じてます。 もし疑問に思うことや分からないことがあったらいつでも聞いて下さい。 微力ですが可能な限り努力します! それともう1つ、フリーさんはスレ主として即レス義務みたいなので頑張りすぎです。 Wisely, and slow; they stumble that run fast. どんだけ亀レスでもイイじゃないですか。待てない人はそれまでってことで。 もっとのんびりやりましょう^^ チャットじゃないんだから、書いたこと消えやしません。 まずは自分の生活が第一。2chは余裕があるときで十分です。 ここだったらどれだけ書き捨てでも大丈夫ですから、いつでも来て下さい!(他の人もね!) ただし、私が超遅レスなんで、即答は致しかねます。予めご了承をばm(_ _)m
116 :
選曲してください :2012/08/05(日) 12:32:03.84 ID:1aaVdV/y
そういや、このスレ書き始めたきっかけというか、モチベーションの1つに、
私のもっている限りのヴィブラートの知識を書き綴りたいって衝動みたいなもんがあるんです。
勝手な自己満足でフリーさんのスレ汚しちゃうといけないんで、ここで書こうと思ったわけです。
下手に順序立てて書こうとするあまり、いつになるか怪しいんですが、
フリーさんには筆舌尽くしがたいほど感謝しているので、いつかは必ず書きます。
それに先だって、2つ紹介しておきます。
・Soft Ballat - White Shaman
http://www.youtube.com/watch?v=WtzUpoW5NJQ ・氷川きよし - 津軽平野
http://www.youtube.com/watch?v=hcNfJVQfklc 私の中の勝手な定義・・・
「演歌型ヴィブラート=喉仏がグワングワン上下する=喉頭自体を揺らしている。」
前にTVに出演されていたとき、DAISAKUさんも喉頭を揺らしていた記憶があります。
このタイプのヴィブラートは、喉頭を揺らすために共鳴腔の変化が著しく、
ロングトーンの母音のフォルマントがヴィブラートと同周期で変化します。
おおげさに言えば、「あ〜〜〜」じゃなく「あぇあぇあぇあぇ〜」みたいに聞こえるはずです。
母音の維持には向かないタイプのヴィブラートですが、喉頭自体を揺らすために、
声帯(声唇)が少々厚くなろうとも揺らすことができます。
そのために、日本語発声のままヴィブラートできる=演歌などの分野で活きることになったのでは?
と思っています。
まず第1に、
>>113 で書いた「言語差=言語発声の差=発声器官の使い方の差」があります。
これは言語を、「頭の中で文章を構築する=内言語」と、「それを声に出す=外言語」に分けたうちの、
外言語に相当する部分に着目したものです。
そして「発声器官のある1つの言語発声への特化」とは、この外言語の1言語(母語)への偏重によって、
共鳴腔(声道)が変形してしまうことを意味します。(cf.
>>73 )
共鳴腔の変形がピンとこなければ、ペンダコを例に考えてみてください。
ペンダコとは、長年同じペンの持ち方をしたために指の一部が変形したものです。
これができるとペンがズレることがなくなって、より持ちやすくなります。
右利きの人なら右手に、左利きの人なら左手に、普通なら中指にできますね。
逆に、ペンを持っていない方の手の中指には全くできません。当然です。
ちなみに、私はペンの持ち方が変(↓の画像みたい)なので、右手薬指にできています。
ttp://blog-imgs-18.fc2.com/s/o/o/soogatch/20060713.jpg ペンの持ち方の違いで、違った位置にペンダコができるわけです。
共鳴腔も同じで、ずっと日本語を話していると、
日本語の5母音を発声しやすいように、共鳴腔の形状そのものが変形していくんです。
それが言語間の差となって母語以外の言語を発声するときも現れ、
あるが果てに歌うときにまで顔をのぞかせます。(cf.
>>112-114 >>133-140 )
第2に『歌声における言語発声と歌唱発声の相関関係』(
>>133-140 ) のジレンマ解消法で書いたこと。
これは米山文明先生の著書『声と日本人』にも書かれていたことです。
共鳴腔(声道)は各母音のフォルマント形成に多大なる役割を果たします。
また、共鳴腔は広がることで声量確保、高次フォルマントの集約等にも貢献します。
歌う時には、この2つの動作を同時に行わなければなりません。
しかしながら、この2つはトレードオフの関係で、完璧に両立させることは不可能です。
同じく、歌うときは話すときより格段の声帯調節が行われ、それが共鳴腔の形状にも制約をつけます。
すなわち、母音を明瞭に発声するための共鳴腔の形状にはなりにくい場合が多々あるわけです。
以上のように、歌うことは母音フォルマント形成の阻害要因を多く含みます。
歌う際に言葉の明瞭度よりも音高や音色にウェイトをおくならば、フォルマントは多少変移させて対応すべきでしょう。
下の図を見てください。
http://www.oki.com/jp/rd/ss/img/speech_fig_position.gif 各母音の範囲(破線内部)ならば、縁にいけば明瞭度は下がるものの、その母音に聞こえるはずです。
注目してもらいたいのは、「/e/と/u/」、「/a/と/o/」が重なっていることです。
この重複する範囲では、どちらの母音にもとれる音が出ています。
声を言葉として捉えた際、これでは明瞭度もクソもなくてよろしくない発声でしょうが、
しかしながら歌う際にはこういった縁までレンジをもつ意識をしてもよいと思います。
実際、発声練習の中には、「ア」のような「オ」、「オ」のような「ウ」、「エ」のような「イ」みたいに、
母音を崩してでも響きや音色を保持させるものもあるくらいです。
>>190-194 既出もなにも、これから書きたかったことてんこ盛り、大変ありがたいお話です!!
私には十分信用足るものですよ!
【 建築 】
まさしく仰る通りだと思います。
建築材料の違いは、普段からの発声法の違いにつながっただろうし、宗教音楽の発展にも影響しました。
それが芸術音楽や大衆音楽にも影響して、18世紀ごろまでは独自の発達を遂げたんだと考えてます。
あ、18世紀ってのは私個人の感覚です。日本でいえば江戸時代ごろまで。
たぶんその頃までは、今みたいな世界間の大々的な文化交流はなかったはずです。
他文化の大きな流入がなかったからこそ、混血ではないその土地だけの純粋な継承・発展があったと考えています。
少し逸れますが、
>>175 で少し触れたように、洋の東西を問わず宗教音楽が影響していることはとても興味深いです。
グレゴリオ聖歌が演奏された教会(大聖堂)では残響時間が3秒とか4秒、あるいはそれ以上と、
これは現代のコンサートホールとは比べ物にならないくらい長いです。
そんな残響時間の長いところで非整数倍音を多く伴った声で歌っては、
ホワイトノイズの反響まで入り混じって音が濁ってしまいます。
そのために整数倍音が多く、非整数倍音の少ない発声法が重宝され、響きの増大につながりました。
宮廷や音楽堂も残響時間が2秒以上あって、歌声・楽器はそれに合った発展をしました。
対して、聲明は木造の金堂で行われていました。
金堂は民家より残響時間が長いとはいえ、たぶん1.5秒にも満たない、1秒前後くらいだと思います。
雅楽や能の類の演奏も屋外の舞台などで、それらは共に反響の少ない、あるいは無いような場所です。
そのような場所では、聴衆に直接音を届けるために、音をはっきり強く出す必要があります。
発声においては明瞭度が重んじられたのは言わずもがなですね。
これら宗教音楽が大衆文化に伝播し、民謡等の発展に影響したはずです。
>>339 >>160-161 は図書館で借りた本ばかりなので、どうぞ1度図書館へ足を運んでみてください。
最近の図書館は他館から取り寄せができるし、大概の本が読めるようになって便利です^^
実践的で練習を伴う考察ならば、ボイトレ本の類の方が良いかもしれませんね。
個人的には、私がお勧めしたバイブルも、歌声の科学とかフースラーとかに準ずる知識型の本で、
ボイトレではないので、あくまで知識の形成、理論構築に役立つ本です。
あんまり難しい内容で手をこまねいて、練習が疎かになるのは本末転倒ですからね。
あ、ぶっちゃけ読んだことない本のが圧倒的に多いんで、立派なことは何1つ言える身分じゃないんですが^^;
個人的にうまい具合で優しい理論書だなぁと思ったのは『歌手ならだれでも知っておきたい〜』系です。
『音楽家なら〜』の方しか読んだことないんですが、あれは図解もあったり内容が実践者向けだった記憶があります。
同系統っぽいし、より詳しそうなので、私も読んでみたいですねぇ。
『あっというまに歌がうまくなる!?〜』は、特別この本だけの情報ってのもなかった記憶があるし、
正直、ボイトレ系の本はネットが発達した現代では、ググれば手に入る情報が99%です。
目にしたり耳にした情報(ボイトレ法)ばかりで、何か突飛な練習法を探す方が難しい時代になりつつあると思います。
特に昔から懐疑的に思っているのが、「あっという間に」や「たった3日で」とか「2週間で完成」みたいな、短期間で習得を謳っている本です。
発声って、いわばその人の癖のかたまりであって、本で単純一義的にまとめて上達を指導できるほど簡単なもんじゃないんです。
そういった本は大風呂敷を広げたことで、内容が大雑把になっていることが多いです。
まぁそれでも手に取って読んでしまうのは、私自身が発声嗜好症なんでしょうね^^;
長々と書いちゃいましたが、ご自身が練習と理論(知識)をどのウェイトで取り組むのかで、本もいろいろ変わってきます。
実践から頑張ってらっしゃるなら、やはりVT系本をいくらか読み潰して練習方法を増やしたりするのがイイですかね。
そうするうちに嫌でも知識なんてついてくると思います^^
>>228 簡単に説明すると、引き上げ筋の効果は、宙ぶらりんな喉頭を固定することです。(詳しくは
>>69 )
そうすることで体が声を出す状態にしてやります。
また、話し声のときはそれ主体で発声に関わります。
ただ、このままだと
>>69 に書いたように、喉の位置が高くなっちゃって、とても上手くは歌えないので、
引き下げ筋によって喉頭を下に引っ張り、位置を下げてやるんです。
フースラーの『歌うこと』の言葉を借りるなら、引き上げ筋、引き下げ筋、ともに“喉頭に支持を与える”ことを引き受けます。
すなわち私が言うところの「喉頭の固定」です。
フースラーいわく、両者が綱引きのように喉頭を引っ張り合い、喉頭が平衡状態になると、声帯の中にある筋肉の緊張が解けるらしいです。
ただ、あくまでその状態がリラックスベースになるということで、そこにある筋肉、例えば声帯筋とかの閉鎖筋群はちゃんと活動するはずです。
じゃないと声帯伸展と声帯閉鎖が同時に行えない大変な状態に陥っちゃいますからね^^;
これらの結果から、どのような効果があるのか?という質問に対してですが、
正直はっきりした効果はありません^^;
「喉頭を固定して声を出す状態にしてやる」その効果が「声を出す」ことですから…
逆に言えば、引き上げ筋だけ使って歌おうとしても、喉の筋肉が緊張を誘発されて上手く使いきれません。
それを解決するため、引き上げ筋は歌う時には引き下げ筋のサポート役になって緊張を解くと思って下さい。
メインじゃなくサブとして、引き下げ筋に対応する存在として存在しているのです。
だから、それ単体で目立った効果ってのはないんです。
また暇があれば『歌声と話し声の違い』(
>>69-73 )を読み返してみてくださいm(_ _)m
>>231 喉をガッチガチに緊張させて、無理に声帯を振動させたら、喉を傷める確率は増すでしょうね…
>>232 さんがおっしゃる呼気圧迫が増すことにもつながりますし。
喉頭の位置は二次的な要素として、これまた声帯圧迫とか喉絞めにつながりますが、
まぁ極度に上がってなけりゃ許容範囲というか、深く考える必要はないと思います。
逆に考えれば、そうしないことが喉を傷めにくい発声ということになるでしょう。
声帯の閉鎖に絞って考えてみると、
>>65 の閉鎖筋群のうち側筋と横筋にまかせた閉鎖だと、声帯は大雑把にしか閉じません。
そんな状態だと、声帯は一様な振動をせずに、いびつに開閉運動をする羽目になりますよね?
振動にむらが起こると、何事でもそうですが、しわ寄せがどっかに来て、その状態を保つのが苦しくなります。
それを解決するために、声帯筋や外甲状披裂筋による閉鎖も加わってきれいな閉鎖・振動を起こします。
ただし、もし声帯筋や外甲状披裂筋が過度に働いても声帯圧迫につながるわけで… 何事も加減が大切です^^;
あと、いつかどこかで「裏声は喉を傷めやすい」とか聞いたことがあるんですが…
今ちょっと調べてみましたが、やっぱり“なぜ傷めやすいのか?”の答えが見つかりません。
もし理由を探すなら、その振動数の高さから、声帯靭帯に及ぼす負担が大きいのでしょうか?
それか、声帯靭帯縁辺のみの、これもある意味で“いびつな”振動が、声帯に悪影響を及ぼすのか…
そうじゃなきゃ閉鎖筋群が弱いか働いていない、声帯間隙が広めの状態なんで、声帯どうしが圧迫されてるとは考えにくいんです。
喉を傷めやすいという意見そのものにも賛否両論あるし、ここはまだ私も合点がいきません。
あと最後に、、発声が上手いといわれるヴォーカルでも、喉を傷めることはままあります。
どんな発声法だって、声を出す時点でリスクは負うんです。
そのことを理解した上で、負担の少ない喉を傷めにくい発声というのを考え、あるいは実践してみてください。
順不同になってる…ゴメンナサイm(_ _)m
>>221 (
>>222 >>224 )
地声と裏声をどう思っているか…そして女声について。
まずは地声と裏声からいきましょうか。
無理にカテゴライズするならば、地声は声帯全体を振動させたもの。それに対して裏声は
>>162 記載の感じです。
あ、もう1つ付け加えるならば、裏声は声門閉鎖が伴わないか、あっても極わずかなものです。
ただ、これらは極端にカテゴライズしてその作用を明確化させたものであって、個性と同じく人それぞれ個人差があるのは当然です。
このことも
>>162 とかに書いたとおりです。
私なりに両者は
>>65 の筋肉それぞれの関わる比率が違うだけで、声帯から発生している同じものと考えています。
裏声とか地声とか、ミックスとかミドルとか、そういったものを全部バズワードとして切り離して、
声が出る原理を生理的(科学的)に考えた時に、間違いなく言えることはただそれだけです。
あと1つ、往々にして言えることですが、バズワードを生半可なまま使い聞こえてきた声から発声法を推察すると、
生兵法は何とやらで、間違った結論を導いてしまうことになりかねません。
例えば、気息音が多いから裏声に分類しますか?
何やら「声に芯がある」とかいう判断でもって、実声だって分類しますか?
そんなんじゃ本当にどうやって発声しているのかの真理・原理に辿り着けないままになっちゃいますよ!
>>151 >>173 に書いたとおり、“音響=発声の結果”からの考察は最大限慎重にすべきです。
こんな感じで考えていたら、私の頭は
>>174 になりました。
まぁそれも今じゃ事故ってカオス状態になっちゃってますが…^^;
少なくとも今の私が言葉に表せるものは
>>150 の目次に書き連ねたことくらいのもんです…お役に立てず
あと、どの本の出典だったか忘れたんですが、
@ 下アゴが硬い。(口で喋る・ハッキリ前で喋る、と他教えられた人に多い)
A 口を開けすぎて、結果、下アゴが硬い。(日本の声優さんに意外と多い)
B 舌根が硬い。(クラシックを歌うということを誤解している人に多い)
とか書かれてたり、最近読んだ広瀬香美の本にも、
「日本語は下あごを使って発声する言語。ですから普通に日本語を話し、
その延長線上で歌えば、喉に負担をかけて歌うことになります。 」
とか書かれてたんで、やっぱり私の推察は何かに繋がってるのか?と思ってます。
全くアテにならないとは思うんですが、私が動画観てて「あぁ膨らんでんじゃね?」って思ったやつを…
Jason Mraz - I'm Yours (live) ⇒
http://www.youtube.com/watch?v=LYhrYHmUPn0 いちおうキャプって目印を付けてみました。
平常時⇒
http://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/315573 発声時⇒
http://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/315576 、、わかりにくいかなぁ…
超高音てわけじゃないんですが、さすがにサビ辺りは高いと思うんです。
そこで首筋〜下あご周辺に筋が浮くほど硬直させて歌う人いますよね?
その対極いってるなぁと思いながら観てました。
歌い方が柔らかいからか?とか、そんな他の要因も含めてまだ自分の中で結論が出ません^^;
>>459-463 >ここんとこ調子が悪くて… 帰っては即寝でネットやってませんでした。
サブ様。
ちょっと前にこのスレを見つけて以来、たいへん興味深く拝見させて頂いております。
レスなどはゆっくりで構いませんから、どうぞご自愛ください。
>声帯より下の気管支〜肺腔もモデル化して…簡単なモデリングでは済まないのが難点です。
実は私、流体ではないのですが、似たような数値シミュレーションを専門にしていた時期があります。
周りには流体のシミュレーションを専門にしている人もいてよく議論もしました。
その時の経験からすると、コンピュータシミュレーションと言っても
巷の人たちが何かありがたい御神託のように大層に考えるのとは裏腹に
結局モデル化の時点で発生が予測された事象のどれかが起きるに過ぎません。
モデル化の時点で考慮されてないこと、つまり人間に分かってないことはコンピュータを使おうが
何を使おうが所詮分かりません。
そういう意味ではモデルがすべてですが、生きている人間の発声器官のモデルは難しいですね。
声道や気管支〜肺腔は剛体で近似するとしても、発声時の声帯の厚さ、密度、応力の分布なんて
どうやったら分かるんでしょう!
ただ、モデルが確定しなくても先ほどの「起きる可能性のあることだけが起きる」という事実から
分かることも少なくありません。
まず、気管支〜肺腔ですが、声帯から微量ずつ息が漏れるという状態から
片閉管、両閉管両方の特性がありうるのではないかと思われます。
まあ、本来でしたら両閉管の気柱の振動なんて考えないところでしょうが、
片方の端である声帯が気柱の振動を励起しているので声帯と同じ振動数の振動モードに対しては
声帯側が振動の腹、肺のどん詰まりが振動の節の片閉管として振る舞うでしょう。
その他の高次の振動モードに対してはさまざまな振る舞いが予想されますが、
特に高い振動数に対しては声帯の振動は止まっている、すなわち振動の節と見えるので
声帯側が振動の節、肺のどん詰まりも振動の節の両閉管として振る舞うのではないでしょうか。
おじゃまします 倍音が豊富な歌声を聴くと、基音のオクターブ上とその完全5度上の倍音(つまり第2、第3倍音)と、 あとはかなり上の方の超音波に近いような倍音の二通りの音域で特に強く鳴っているのが感じられる事が多いと思います そこで低次倍音についての全く新しい考察なんですが、低次倍音(第2、第3倍音あたり)とは、もしかすると高次倍音の【差音】の影響を 色濃く受けているために特に強く鳴っているように聴こえるとは考えられないでしょうか? 差音はご存じの通り、高さが近く大きさも同じくらいの二つの音があった場合、その周波数の差に相当する高さの音が人間の耳には幻聴として聴こえる というものですが、最近の研究では差音をセンサーが感知したという話もあり、必ずしも幻聴とは言えないようです そして差音は倍音同士でも起こることが判っています ただしそれは二つの音源から発された倍音の場合であって、一つの音源が発する異なる周波数の倍音同士の間でも差音現象が起こるのかは不明です もしそれが起こるのであれば、低次倍音が豊かに聴こえる声は実は高次倍音が豊かでそのために起こる差音現象によって 低次倍音が増幅されているのではないかという仮説は成り立ちませんでしょうか? 倍音はすべて基音の周波数の整数倍ですから、第n倍音と第n+1倍音の差音は基音に等しく、第n倍音と第n+2倍音の差音は第2倍音、 第n倍音と第n+3倍音の差音は第3倍音に等しい訳です 二つの音の高さがあまり違い過ぎると差音現象は起こりませんので、想定できるのはこの辺りまでかもしれません つまり低次倍音の豊かな歌声は、低次倍音そのものがダイレクトに豊かな場合と、差音現象が起こりやすいような音量バランスのとれた高次倍音が豊かな歌声 の二通りがあり得るのでは?ということですが如何でしょうか?
>>470-475 女声、男声、倍音とかのキーワードで検索していたときに面白い音源を見つけました。
博識なサブさんのことですから、すでにご存じかも知れませんが
http://www.youtube.com/watch?v=gdqjcW8u7Lw&feature=related The MAGIC Of Bulgarian Voices & Music - Malka Moma / Little girl - LIVE ブルガリアンボイス
サブさんがこのスレで以前に紹介されている姫神の「神々の詩」にも影響を与えているようですね。
伝統的なクラシックの女声合唱とは違って地声のように倍音が多い歌声とか、
不協和音に特徴があるみたいです。
個人的には平原綾香より好きな声ですが、この彼女が日本語を歌ったらやっぱり駄目なんでしょうか?
黒海を挟んだ対面のグルジアにも同様な多声音楽があってこちらは存続の危機にあるとか。
多種類の文化の交わる地域には興味深いものがありますね。
>>480 起こっていないかもしれない、という可能性も考えたからこそ論拠を探したのです。
体感的には多くの人が胸部が響く事を体験しているわけですし、
これ以上のことを議論するならそれこそTitze(1983)の論文あたり詳しく吟味するしかないのでは?
そして決定的な証拠がZUNさんが
>>524 で書いておられる差音として生じた1倍音の存在ですね。
きれいな正弦波の咽頭原音と2つの共鳴音の差音として生じた音は振動数は同じでも波形は違う筈です。
ただ客観的な手法にこだわってスペクトル分析にかけても波形の違いは読み取れないですよね。
音として聴き分けるのは主観性が入るので証拠としてはちょっと弱くなってしまうんだろうか。
少なくとも自分は聴き分ける自信がないorz
(ちなみに私は音楽的素養全くなしにいい大人になりましたので音感とか聴きとりとか駄目駄目です。
歌の単純なハモリパートひとつ聞き分けるのも必死、というかそれすら危うい感じでww
ZUNさんの耳がうらやましい)
それから、これも状況証拠になりますが、高次の倍音を含む色んな歌声を集めて
それらの歌声に高次倍音の差音として構成可能な低次の倍音が含まれている事を確かめる、
というのもありそうです。
それで、この2点目の状況証拠に関してですが、差音に注目すると疑問が一つ解けるのですよ。
以前私が取りあげた
http://archive.mag2.com/0000225345/20070319135000000.html ボイストレーニングの嘘真うそまこと「イイ声はどんな声か4」で
1.「透明感と艶のある声」のスペクトルが紹介されているんですが、
どうして強い倍音が「きっちり等間隔」に並ばなくてはならないのか疑問だったのです。
等間隔にどういう特別な意味があるのかと。
差音を考えるとこれが等間隔でなければならない理由が出てきます。
等間隔でなかったら強い倍音は様々な組み合わせで新たな差音を生じてエネルギーを分散してしまいます。
結果として強い倍音がいくつも並ぶという特異なスペクトルは維持できず、差音として生じた低次倍音が
強い倍音のエネルギーを奪って鋭いピークがない凡庸なスペクトルになってしまうのではないでしょうか。
逆に倍音が等間隔なら、どんな組み合わせで差音を作っても、もとからあったのと同じ音しかできません。
そういう場合にだけ、細く鋭く強烈に強い倍音のピークをいくつも持ったスペクトルが許されるのではないでしょうか。
そして、そういう細くて鋭い倍音のピークをいくつも持つ声が透明で艶があるように感じられると。
133 :
選曲してください :2012/08/05(日) 19:09:38.56 ID:RLq+Sr+i
少しだけ加勢
>>320 さん、前奏がゲームの曲か!?と思ってしまいました。
発声が少し雑になってるのかなぁという感じがしました。
勢いはあるかと思うのですが、その勢いがしっかり声に乗って無い感じで、無駄にしてしまってる部分が結構あるんじゃないかなぁと、
思いました。無駄に力が入っている部分があるので、途中でスタミナが切れてしまっているのかなぁという気もするので、
呼気を抑え目にしてしっかり声を出すというのを意識してみると良いのかなぁと思いました。
腹式呼吸やリップロール、タングドリル、エッジなんかをこなす内に喉の負担やスタミナ切れも無くなる気がしました。
>>323 さん、あれ?音程合ってるのかな?という感じが・・・
発声が良いのに音程で???となってしまってなんか不思議な感じが・・・
なんだろう?語尾処理の子音の強調だったりが上手く行ってないのか、ガクンガクンガクンという感じで
スムーズに音が繋がって行ってないのかなぁとも思うので、もう少し力抜いても良いんじゃないかなぁとか思いました。
雰囲気作るのはとても難しそうな曲だなぁと思いました。
>>324 さん、それって・・・歌っても大丈夫なのでしょうか? とりあえず無理をなさらずにお体を大事に。
蓄膿症に関しては鼻炎という認識で良いのでしょうか? 発声の問題なのですが、YUBAさん曰く鼻腔なんか関係ないらしいです。
以前、どこかのスレで鼻を摘んだYUBAさんが良い声で歌っていたというのを聞いた事があるのですが、
呼気のコントロールと音の響かせ方でしょうか、それがしっかり出来ていると鼻腔を使わなくてもしっかりとした発声になる、
らしいです。ただ、重度のと付いてしまうと体質的な物がどうしても出てきてしまうので絶対にとは言い切れ無さそうですが・・・
歌、声帯結節に関して知識が無いのでなんとも言えないので、発声に関してどうなのか解らないのですが、
音がしっかり取れてるのかなぁという気がしました。聞く限りでは口だけで歌っていて音がしっかりあっていないんじゃないかなぁ、
という気もするので、リップの練習と合わせて音階練習とかもしてみると良いのかなぁと思いました。
134 :
選曲してください :2012/08/05(日) 19:10:44.87 ID:RLq+Sr+i
>>327 さん、以前聞いたときよりも安定していて、音の取り方がしっかりしてる気がしました
間違いなく上手くなってますよね。
少し、音の強弱のつけ方が少し雑になってるのかなぁという気がしたのですが、それが無くなれば、
(・∀・)カエレ!!じゃないかなぁと思いました。
>>328 さん、Mr.childrenってどんな曲歌っても難しいですよね。独特の節回し、リズムの取り方、音の取り方と。
私もhanabiを練習し始めてそろそろ半年近くになるのですが、全然納得いく感じにならないで苦労してます。
もう少し、メリハリの付け方と、音の伸ばす部分伸ばさない部分を意識してみると良いのかなぁと思いました。
少し棒読みの部分が多い感じがするので、語尾の子音で音の強弱や上げ下げなんかを気にしてみると、
もっとしっかりとしたメリハリがついてMr.childrenらしい曲になるんじゃ無いかなと思いました。
音を強める部分で力で張り上げてるのかなぁという所が何箇所かあるので、極力、力を抜きながら音を届かせられると
良いのかなぁと思いました。
>>330 さん、初めからジャガリキッテル。笑いが止まらなかったです。ありがとうございました。
>>331 さん、自分で歌いやすいアーティストっていますよね。歌い方が合うのか、音域があうのかで歌っててしっくり来るというか。
歌は、探り探り歌ってる感じが結構あった気が・・・そのせいか部分部分で音がずれてるのか発声が弱くなってるのか、
という感じがしますが、とりあえず(・∀・)カエレ!!
135 :
選曲してください :2012/08/05(日) 19:11:37.30 ID:RLq+Sr+i
>>334 さん、上、この曲でネタに感じないのは凄いですね。
少し発声が不安定になってるのかなぁという気がしました。抑揚なのかなぁという気もしたのですが、
抑揚という感じじゃなくて、不自然に急に弱くなっていたりしたので、発声の仕方は統一した方が良いんじゃないかなぁという、
気がしました。多分意識して変えて癖を付けてるんじゃないかなぁと思ったのですが、癖を付けてる部分の発声が、
不自然になってるんじゃないかなぁという気がしたので、そこまで癖をつけようとしなくてもしっかりと強弱付くんじゃないかなぁと思いました。
>>337 さん、原曲知らないので感想だけと思ったのですが、何度か聞いていて、気になって原曲も聞きに行ったのですが、とりあえず凄かったです。
少し力強さが足りないのかなぁという気もしたのですが、ござるさんの味がでていてこれはこれで良いんじゃないかなぁと思いました。
>>339 さん、歌い方なんかも椎名林檎を意識してるのかなぁというのが感じました。
前回の曲とは全然違う感じがして、歌い方や声の出し方を変えられるというのは凄いですね。
ただ、少しだけ意識しすぎになっていて、歌い方が雑になってる部分もあるのかなぁという気もしました。
前回のと今回ので二曲しか聴いてないのですが、歌手の特徴を掴んで歌うのが上手い方なのかなぁと思ったので、
特徴を掴むのを意識するだけじゃなく、丁寧に一曲を歌うのにも気をつけてみると、もっと良くなるんじゃないかなと思いました。
とりあえず、(・∀・)カエレ!!かな。
>>340 さん、曲聞いててネタに走る人だと紅茶吹いてから思い出しました・・・orz
相変らず完成度が高いですね。若干音程がずれてるかなぁ?という部分があった気がしましたが、
楽しく聞かせて頂きました。ありがとうございました。
>>341 さん、これはカッコいいですね。やっぱり安定感が上がってますよね。
全体的に安心して楽しく聞けました。後半でちょっと笑ってしまいました。なんで銀狼?しかも上手いし。
ありがとうございました。
すいません、とりあえずここまでで。なんか皆さん上手くなっていてスレの平均が上がってる気がしてならない・・・
>>544 本は読むんですがサイト巡りはあまりしないものでして、、知りませんでした!
ご紹介ありがとうございますm(_ _)m
読んでみていささか疑問に思うところもありますが、辛辣な書きっぷりもあって総論としては面白いです。
特に「アンザッツの発声配置図が類化的幻想である」という記述は面白いですね。
アンザッツの本義が共鳴腔操作だけでなく、声帯操作まで意味をもった練習法だと記載しています。
なんか最近は共鳴腔操作ばかり話題に上がって声帯操作は無いように書いてきちゃいましたが、
私個人の見解も、アンザッツは臨機応変に然るべき声帯の状態・共鳴腔の状態を作る練習だと思っています。
そして、声帯操作と共鳴腔操作は相互作用があって、完全独立の状態にはなりえないと思います。
(たぶん今まで書いてきた中で薄々言及しているはずなんですが、、いっぱい書きすぎて忘れましたw)
“原始本然”とか“ピュシスの再活性化”と小難しく書かれているところも、
ようは言語獲得以来の発声で荒廃した機能の回復ですね。(cf.
>>73 >>113 ともに最下段)
発声練習は今の状態に加算されるものではなく、マイナス→ゼロへの回帰です。
私が今まで何度も書いたのも、その意識改革が重要なターニングポイントになるからです。
も1つ面白いのが、
「アンザッツ1の軽視、引き下げ重視と引き上げ軽視、アジア・アフリカ段階の美の破壊の再現思考」ですね。
これは文化人類学的な考え、多文化主義の欠如、1つの文化への傾倒の表れでもあると思います。
これまで口を酸っぱくして言ってきた言語と発声との関連性、そしてそこから生まれる声色の文化的嗜好性…
それを端的に言い表わしていると思います。
、、実はちょこっとアンザッツ1に触れて伏線を用意したんですが…誰も気づいてくれないw
まだ伏線回収できる気配さえありませんしイイんですがw
“歌唱技術における感覚論へのアンチテーゼ”として始まり、
感覚的表現が“万人共通かのごとく書かれることに否定的”なはずが結局は感覚論へ回帰してしまっているような・・・。
フースラーの『うたうこと』はあたかも歌唱理論の代表的な本のように一般には捉えられがちですが、
「声楽器官を運転させるための第1の最も重要な原動力は、心の中の表象(考え方)なのであって、
発声のやり方は結局のところ、常にこの表象の産物なのである。」
と書いてあるようにその本質は普遍的な感覚論の本です。
また、感覚論の代表として挙げられることもあるリリー・レーマンの知覚図
http://www.gutenberg.org/files/19116/19116-h/images/i018.jpg もいまだに価値が減っていないと思います。
生理学・解剖学・運動学・音声科学等の知識をいくら集めたとしても歌はうまくならないでしょうし、
歌唱はスポーツのようなもので歌がうまくなるために必要なのはスポーツ科学に類するものです。
『音声生成の科学』の著者である Ingo R. Titze はその知見と技能が両立している稀な例と言えそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=UQw03TXZsHA たとえば速く走るためにより速いランナーのスタイルを模倣しようとするのは当然でしょうが、
そのスタイルを模倣すること自体が目的となってしまっては本末転倒です。
発声配置が批判されるのはこういう点についてではないかと思います。
歌唱という運動は直接的に目で見ることができませんし、自分の声を自分で即時的に客観的に聴くことはできませんから、
必然として感覚やイメージの比重が大きくなります。
この感覚やイメージを否定することは上達への道を自ら閉ざすに等しいことかと思います。
これまでも歌唱はおもに模倣によりその技術が受け継がれてきましたが、
これは教える者と教わる者との間に普遍的な感覚の共有があるからこそ可能だったのだと思います。
もちろん発達の度合いによって感覚やイメージは変化していきますのでこの点については考慮が必要です。
科学への期待を抱くのはよいとしても現時点では残念ながら歌唱は科学主義には向いていないと思います。
当然もうすでに気づいていることかとは思いますが・・・。
戻って参りました。って実はちょっと前から帰宅しているんですが、
いつもながら内容が濃いので、いろいろ考えたり調べたりですぐにレスできませんでした。
>>531 502の音源聴かせて頂きました。大変参考になります。
なんだかんだいってアンザッツもまだまだ分かりかけのレベルですから貴重なお手本です。
声も耳も頭も鍛えるところはまだまだたくさんありますね。
KOKIAの「大人のオオカミ」もそうですが、これが倍音だ!
という音源をいろいろ提示して頂いたおかげで、これからはもっと音色や倍音にも
注目して音を聴いてみようという気になりました。
とはいうもののダメ耳で聴くだけでは話が全然進まないので文明の利器でも調べてみました。
気のせいかもしれないんですが、面白いことに気付きましたよ。
ZUNさんの音源の各倍音のピークの中で基音のピークだけがかなり広がっているんですね。
大分前に録音して凹んだ自分の倍音なし音源と比べても基音の山がかなり幅広です。
これはバイオリンの差音
http://blogs.yahoo.co.jp/jack_violin1945/1143951.html のスペクトルにも見られた傾向で
差音として生じた音はスペクトルのピークが鋭くなくてのぺっと拡がる傾向があることと符合します。
やはり倍音が豊富な声では複数の差音が生じて特に低次の倍音の波形を広げるのかもしれません。
そう思ってみると心なしかZUNさんの2倍音も少し幅広になっているようです。
整数倍音の山が幅広になると実質的に非整数倍音が成分として含まれます。
>>536 でサブさんのおっしゃる通り、差音が非整数倍音の起源になりうるかもしれません。
差音についても考えたり調べたり。
なんて言うか簡単な物理の筈なのに、何でこんなに感覚論や都市伝説みたいになってるんだと。
で例によって面白いサイト見つけました。(ほんと紙の本読んでないな)
http://members2.jcom.home.ne.jp/alba2010/differnce%20tone.htm サイトの主はちゃんと物理の分かる人で和声について調べているようですね。
見て頂くと分かりますが、盛りだくさんで全部見るのはけっこう大変。
詳細はやっぱり読んで頂かないと仕方ないんですが、重要と思われるところを独断と偏見でピックアップ。
@「差音」が存在することは音楽やってる人にはわりとあたり前
A差音が「主観的な音」とする説は御大ヘルムホルツ先生が定着させた。
(科学は権威主義を打破して進むべきなんだけど御大の権威はそれほどまでに強大なんですね。)
B周波数の異なる二つの波を重ね合わせると、両者の平均周波数で振動する波が生じる。
で、その波の振幅は二つの振動数の差に当たる振動数で極大・極小を繰り返す、つまり振動する。
(三角関数の和を積に直す話を思い出しましょう。幸いにして?全部高校の数学と物理で収まってる。)
この振幅の振動(ややこしいな)が「うねり」であり、「差音」。両者は同じ物理現象。
で、このサイトの作者は振幅の振動は音ではあるが厳密には波といえないので
「音波」ではなく「音粒」という表現を使ってます。
ところで、私たちは共鳴体の存在するシステムでは差音も増幅されると考えました。
音粒は実際に「差音」の振動数を持って共鳴体を叩くわけですから、当然共鳴が起こります。
そして共鳴体が実際の共鳴を起こしてしまえば「差音」はもはや「音粒」ではなく
ちゃんとした音波になります。
私的にはかくして「差音」は感覚論とか都市伝説ではなく確たる理論的地位を築いたと考えるんですが
みなさんはいかがでしょうか?
>>540 キンキン声スレは議論の前提になっている古い音源が軒並み消えていて議論の前提が分からなかったり、
前半コテなしのレスが多くて議論の流れが?だったり、今は見れない?別のスレと微妙に関連してたりで
実はちゃんと読み切れてません。
で、私が非整数倍音の話を見たのは「倍音 音・ことば・身体の文化誌」という本の書評です。
例によってきちんと読んだわけではありません。
本てせっかく買っても、読んでみると内容的に何か残念なことが多くて最近買わないんです。
借りればいいんですが、便利なところに図書館ないんですよね。閑話休題。
「倍音 音・ことば・身体の文化誌」は尺八奏者の中村明一さんという人が書いてます。
整数倍音は美しく通る声でカリスマ性を作る。
非整数倍音の声は親しみやすさを感じさせる。
という話だとか、虫の雑音を声と聞く東洋の耳、対する西洋の耳といった
まあ良くある文明論まで展開している本です。
内容的に?と思うようなところもあるようで買って読もうという気にはなりませんでした。高いし。
個人的な考えですが、西洋の、特に古典音楽が非整数倍音とか、場合によっては高次倍音さえ嫌うのは
ハーモニーフェチだからでしょうね。
歌声合成ソフトというので遊んでみて思ったのですが、ソロで存在感のあるボーカルって
ホントにハーモニーの破壊者です。お前のパートしか聞こえてこないよ、どうしてくれんだよ、みたいな。
多分古典音楽でなくてもハーモニーを前提とするなら、基音・2倍音・3倍音位で収まるおとなしい声が
望ましいんでしょうね。
存在感のあるボーカルと言えば、クリキン田中さんとか小野正利さんとか
フランジリンボイス(でいいんでしょうか?実は調べてもよくわからない)の使い手がいます。
クリスタルキングはフランジリンボイスの使い手は田中さんだけで
こちらは声を重ねても田中さんメインと思えば問題ないんですが、
小野正利さんは多重録音で自身の声を重ねていて、これは正直くどいと思ってます。
141 :
選曲してください :2012/08/06(月) 00:08:27.90 ID:nGw9e9Ul
最初に書いた「腹による支え」ってのは、「腹式呼吸」って捉えることだってできます。
ただ、あくまで私個人の考えは
>>380 下部に書いたように「呼吸法を誘発するための発声法」であって、
呼吸法で発声がガラッと変わるほどの、大きな影響力は持ってないと考えてます。
またレス遅れちゃいました・・・申し訳ありませんm(_ _)m
あ、その間に教祖スレ覘いてました。教典すごいですね。 今読んでる最中です。
発声法の研究って、感覚論の集約からスタートしたもんだから、 それが連綿と受け継がれて今に至るのは、当然っちゃ当然ですよね。
例えば音響学的な切り口で発声方法を解明するにあたっては、帰納法的に導き出すでしょうし、
そこには推察の材料として感覚(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。
ある意味、感覚論からスタートして、通底する生理現象へ進むのは自然な流れだと思います。
まずは未熟でもなんでもいいから、色々喋ることって大切ですよ!
そうやってアウトプットすると、自分の中でわかってると思ってたことが、
実は単なる思い過ごしで、全然整理できてないのがわかったり・・・ 書いた後で恥ずかしくなっちゃうことも多々あります^^;
私なんざ凡庸な一般ピープルなんで、156さんの熱意が続く限り、差は縮まる一方だと思いますw
というか、生理学的・解剖学的な境地があるとしたら、それはたぶん極限的なものなんですよね。
lim[t→∞](t)とlim[t→∞](t+α)のように、最初の差=αが結局関係なくなるのと同じく、
私と156さんの差なんて、結局は取るに足らない誤差と同じです。
なんで、焦燥感は向上心にだけ連結させればいいわけです。 なんか説教臭くなって申し訳ありません^^;
日本と欧州における歌の進化の違い 建築 硬いものほどよく響くのは知っているだろうか
手回し式のオルゴールをやわらかい物と硬い物の上でならしてみるとよくわかる
それを踏まえて 日本の家屋=主に木 欧州の家屋=主に石 木と石ではどちらが硬いかはご存知の通り
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175 だと思うんですよね。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・? う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
なんか今日は感覚論をたくさんしゃべっちゃいましたね。 数学でも帰納法好きだったし、感覚論が好きなのかもしれませんw
私もまだまだ未熟で、すべての感覚論を論理的に置き換えるに至っていません。
いつかそれができれば、完全な発声モデルが頭の中に完成するはず。 その時まで頑張ります^^
なるほどなるほど、また少し分かりました。
ですが僕とサブさんの間に色々なレベルの差がありすぎて、サブさんがこちらに歩み寄ってくれていなければ
今頃は会話さえ成り立っているかどうか怪しいところですな…… 毎度優しく噛み砕いていただき、本当に感謝しています。
声楽というのは自分がやっている限り、とんでもない感覚論の集合体だと思うんですね。
だから僕は「○×な感じ」とか「△□のように」としか言えないんです。
それを科学的にどうこうするにはまず自分がその歌い方をある程度体得し、その上で医学や音響学を勉強し、その声を出しているときに
体がどのような動きをしているのか等を然るべき研究機関において調べる必要があると思いますし、私もそういうことをしたいと思っています。
ですがそれにはとんでもない時間がかかってしまうと思います。
そして僕がある程度の成果を出したときにサブさんがどこにいらっしゃるかも分からないのは残念なんですね。
その焦りからこんな未熟なうちに色々喋ってしまっているのですが……
それは結構邪魔なことだと私は思うので、しばらくは邪魔をしないようにしようと思います。
今の僕には応援しかできませんが、頑張ってください。
143 :
選曲してください :2012/08/06(月) 00:11:23.63 ID:nGw9e9Ul
3声区論と2声区論の違いは、西洋と日本の違いともいえます。
2つは感覚論から生まれたものなので、とどのつまり同じ生理学的見解に行き着くわけですが、
重要かつ面白いのは、それらが洋の東西の感覚の違いを表しているところです。
もしパヴァロッティのインタビューを私たち日本人が2声区論的感覚のまま受け取れば、
たぶんそれは伝えたかったことの真意から逸脱します。
彼は彼の感覚を端的に述べているわけで、その感覚はラテン系西洋人のそれ、
もっといえば彼しかわからないかもしれない感覚なんです。
もしそんな感覚から理論を抽出しようとすれば、1つは生理学的に運動を解明すること。
そしてもう1つ、西洋人の3声区論的感覚の共有を試みる必要があります。
あえて2つの手段を用いるのは、感覚的に納得することと、理論的に納得することが違うからです。
ご紹介頂いたインタビュー本も、感覚論の違いを踏まえれば、また違った見解が浮かんでくるかもしれません。
ソプラクートのような技術にも同じことが言えます。
たとえそれが難しく、感覚的に納得できないものであっても、運動方法を解明することはできるはずです。
そうすれば頭の中に作った発声モデルでデモンストレートできます。
デモンストレーションができれば、理論上それが成立する、すなわち理論的には納得できます。
これから発声を科学的に解明なさるおつもりでしたら、まずは徹底的に新式ベルカントを読み解いてください。
その理論の指すところが明確に分かれば、それが以降の考察の柱になります。
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175 だと思うんですよね。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・?
う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
3声区論と2声区論の違いは、西洋と日本の違いともいえます。
2つは感覚論から生まれたものなので、とどのつまり同じ生理学的見解に行き着くわけですが、
重要かつ面白いのは、それらが洋の東西の感覚の違いを表しているところです。
もしパヴァロッティのインタビューを私たち日本人が2声区論的感覚のまま受け取れば、
たぶんそれは伝えたかったことの真意から逸脱します。
彼は彼の感覚を端的に述べているわけで、その感覚はラテン系西洋人のそれ、
もっといえば彼しかわからないかもしれない感覚なんです。
もしそんな感覚から理論を抽出しようとすれば、1つは生理学的に運動を解明すること。
そしてもう1つ、西洋人の3声区論的感覚の共有を試みる必要があります。
あえて2つの手段を用いるのは、感覚的に納得することと、理論的に納得することが違うからです。
ご紹介頂いたインタビュー本も、感覚論の違いを踏まえれば、また違った見解が浮かんでくるかもしれません。
ソプラクートのような技術にも同じことが言えます。
たとえそれが難しく、感覚的に納得できないものであっても、運動方法を解明することはできるはずです。
そうすれば頭の中に作った発声モデルでデモンストレートできます。
デモンストレーションができれば、理論上それが成立する、すなわち理論的には納得できます。
これから発声を科学的に解明なさるおつもりでしたら、まずは徹底的に新式ベルカントを読み解いてください。
その理論の指すところが明確に分かれば、それが以降の考察の柱になります。
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175 だと思うんですよね。
例えば音響学的な切り口で発声方法を解明するにあたっては、帰納法的に導き出すでしょうし、
そこには推察の材料として感覚(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・?
う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
145 :
選曲してください :2012/08/06(月) 00:15:13.92 ID:nGw9e9Ul
発言者が完全無欠を謳うのは当然なんです。
この理論じゃ部分的に説明つきません・・・なんて言えるわけないですからね。
だからこそ、もし自分の中で腑に落ちない部分があったら、とことん突き合わせる必要があります。
発声を科学的に解き明かしたいなら、“らしい”で片付けてはいけませんよ!
経験上、どんな理論も嘘八百だったり完全に破綻してたことはありません。
ひろしの言葉を借りるなら、「正義の反対はまた別の正義なんだよ。」ってやつです。
今回話題に挙げている新式ベルカントだって、伝えたい真意を酌めさえすれば大いに納得できます。
でも、普通の人がそれを読んで、「裏声を使わない」って言われたらどう取りますか?
たぶん世間一般の人なら、地声だけを使って歌うやり方なんだって思うはずです。
普通の日本人なら、地声・裏声の2声区論で声をカテゴライズしてますからね。
そんでもって、パッサージョより上、アクートが、ソプラクートが、、とか言われて、
あれ?地声とも裏声とも違う何かがあんの??って、またチンプンカンプンになるんです。
このように、言っていることが正しくても、読み手次第でどれだけでも歪曲されます。
一文はおろか、たった一語で恐ろしい読み違いをしてしまう危険性があるんです。
発声器官を効率的に働かせ発声したとき、声帯は引き上げ・引き下げ筋によって伸展し、
閉鎖筋による必要最小限の閉鎖によって厚ぼったくならずに振動効率を高めます。
また、共鳴腔は広がり、高次フォルマント(約3000Hz周辺)に集約するように働きます。
読み違える要因を潰すために、まずは意味するところを的確に捉える必要があって、
その作業は裏声だけじゃなくて、出てくる用語全てで検証する必要があります。
そうすることで理論はより堅固になり、他の理論とリンクさせることもできるようになります。
重ねて言いますが、私は新式ベルカントを否定する気なんて毛頭ありませんよ!
>>172 では、あくまで“私の中で”説得力がないと言っただけです。
もし私の中で説得力をもたせるならば、もし完全に包括させるならば、どうしたらよいのか・・・
そこで私なりに出した答え、補完する方法が、「用語の指す範疇が違う」なわけです。
キング・オブ(ryはパヴァロッティのことですね? 先に言ってしまえば、包括できるらしいですw
パヴァロッティ以外にもhiCやその上をその出し方で出すテナーは結構いますね。
少しだけ例を挙げると、Franco CrelliやMario del Monaco、最近だとJuan Diego Florezなど。
リードのベルカントでとりあげられていた「Enrico Caruso」は、むしろ新式を独学で開発した人間です。
この技術はめちゃくちゃ難しいので、こればかりは自分が習得しないと納得できないのではないでしょうか。
あ、一応言っておきますが、僕は全然習得してないんですけどね!!
個人差はありますが、テノールはhiCあたりまでは表声で、それ以降の音は裏声を混ぜた「ソプラクート」というものを使うらしいです。
ここまで来てまだ「表声裏声」や専門用語を出すのは心苦しいのですが、本人たちがその言葉を使っているので仕方ないですね……
日本には僕の言う「新式ベルカント」に関する情報はだいぶ少ないようです。
発声後進国のようで、新式ベルカントどころかもっと色々なものが遅れていますね。
ということで、ここで書籍の紹介。
「Great singers on great singing」という本があって、これは偉大なオペラ歌手たちにインタビューしたもののようです。
その中にパヴァロッティの記述もありますが、パッサージョ(またしても専門用語ですので、てきとーに読み飛ばしていただきたい)では
「苦しい、窒息しそうだ」というようなコメントを残しているそうです。
参考:
ttp://ameblo.jp/molto-piu-acute/entry-10795328090.html これはリードらのベルカントには無いことだと思われます。
未熟さゆえにサブさんの方向に反した言い方しかできず申し訳ないです。
なんだかんだで僕自身、まだ科学が入りきっていない声楽についてもっと感覚を除外して、
起こっていることのみに目を向けて科学的に色々解明したいとは思っているのですが……
147 :
選曲してください :2012/08/06(月) 00:17:08.55 ID:nGw9e9Ul
さて、そのような障壁を乗り越え、言葉のしがらみから脱した時、知識が新たな局面を迎えるんです。
>>58 で書いたように、情報が言葉の殻を破って、それぞれ融合・結合し始めます。
う〜ん、、どう言い表せばいいのか、、概念化するとでもいうんでしょうか?
悪く言えば抽象化なんですが、自分の中で消化されている証拠ともとれます。
こうなると、もう言葉のつくる区分が意味のない邪魔なものなってしまいます。
頭の中はどんどん体系化され、代わりに言葉による個々の再定義・アウトプットがしづらくなります。
今の私の現状が上記の段階なんで、この先がどうなっていくのかわかりません。
それが良いことなのか悪いことなのか、合っているのか間違っているのか。。
少なくとも、そうやって知識が構築されたとしても、独りよがりに信じるんじゃなくて、
自分の知識・考察に対しても疑念を持って対したいと、自戒も込めて思っています。
なんかどんどん脱線して宗教の話みたいになっちゃいましたね・・・スミマセン^^;
話を元に戻しましょう。
あ、ホントに若い人は、自分が若いなんて言わないとおもいますよ^^;
年取ったときに初めて「あの頃は若かったなぁ〜」なんて思うもんですw かくいう私もまだ若いです!
>スレが浮上してる間は雲隠れするのが定例になってるもんでして^^; なんとなく予想はついていましたw
確かに勉強というのは自分の頭の中に他者の概念をコピーすることですからね。
サブさんはその勉強したものを自分の中で色々組み合わせて「研究」なさってる段階のようで。
僕からはとても遠い存在ですなぁ……orz
キング・オブ(ryはパヴァロッティのことですね?
先に言ってしまえば、包括できるらしいですw
これって50%位は誘ってもいいって意味かな? 余談だけど、やっぱりモノマネはウケはいいけど歌唱力としては評価されないと思う モノマネだといくら上手くても相手に気持ちまでは伝わらないし 声質似てるのはマーおkだけどね 最終的にはいくら声似てても顔も似てないとガッカリみたいなw あ、俺の言ってることはもちろんそっちだよ。 新しい機種が出ることによってもっと音源を良くしてほしいと思ってる なるべく原曲に近い再現で作ってほしい、音質ももっと上げて欲しい。 本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。 でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。 機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。 匠的な有能な音源技師や職人を沢山雇って良いカラオケ音源を沢山入れてほしいと思うわー。 あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが) そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ あからさまに音が悪いの多すぎる。 ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。 2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。 再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。 良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい 新しくしてやってくれって感じだ。 古い曲で糞音源なのは捨てて、新しく音を綺麗に作り直したのを入れて欲しい。
>>553 キンキン声スレは感覚論を紹介するつもりで乗っ取ったので、当初コテ出すつもりがありませんでした。
かなりカオスな流れになっちゃってるのは、このスレの下書きも兼ねているからです。
なので、あまり通して読む価値はありません^^;
「倍音 音・ことば・身体の文化誌」でしたか!
都はるみの「アンコ〜♪」のところを例にとって、響きに違いがある!とか言ってた本ですよね?
カラー図とかは面白かったんですが、私も内容的に?と思うとことがあり、途中で読むの止めちゃいました。
もう一回読むために図書館で借りようにも、誰かが借りパクしてるみたいで出来ません^^;
西洋古典音楽は、グレゴリオ聖歌の合唱に端を発したものですから、確かにハーモニーフェチですねw
私も勉強し始めたころはソロと合唱の違いが全然見えなかったのが、いつしか体感的にも違いが見えてきてきました。
ホントにソロは、そのきらびやかさゆえに調和せず、混声を破壊すると思いますw
クラシックやオペラにおける存在感と、現代の大衆音楽におけるそれとはいささか違うので断言できませんが、
少なくとも古典音楽における存在感とは、低次倍音よりも3000Hz付近の強さでは?と思っています。
色々な本に「通る声は3000Hz(2000〜4000Hz)」とか書かれていたり、
あるいは自分で計測した場合に基音や低次倍音が強いわけではない事がその理由になります。
裏を返せば、基音・2倍音・3倍音位で収まるおとなしい声というのは、ソロではなく合唱向きなのかもしれません。
フランジリンボイスは頭声の一種みたいなもんで、これまた私はバズワード的に切り捨てていますw
どうにも声種とか声区というものが誤解の原因になることが多い気がして… しかもかなりヤバめの誤解に…
そうならないためにも、「声は声帯から出ている!これだけがまがうことなき真実!」というスタンスですw
もし強調周波数帯の解明とかできたら、別解釈の存在感の提示になると思います。
>>579 毎回レス遅れてしまってスミマセンm(_ _)m
最近自転車に凝りだしまして、週末はおろか平日もゴソゴソやってますw
概要はその通りです!
わざわざまとめさせてしまって申し訳ありません^^;
というか、ものすごく私の書いてきたことを記憶して下さってますね!
本当に助かりますし、ありがたい限りですm(_ _)m
■@
フリーさんのスレですばらしい動画が紹介されていました!
http://www.musicasenlinea.com/videos/-;lrgvJaXLs4o.html こんな感じのことを心掛けながら普段の会話をしています。
エッジ音だけじゃなく、息の詰まりが少なくなるように仮声帯間隙を広げ、喉頭室を広めにとる感覚でやっています。
(ただし、あまり鼻につかないよう、自分なりに加減はします。)
あと共鳴に関しましては、俗に言う“鼻にかける”というのを極力避けて、
私も鎖骨〜胸骨あたりに響きを持っていけるように喋ります。
そうすると自然に声が低くなるし、息の詰まりを少なくする副産物でやや気息的になることで、
威圧感もある程度は抑えられているはずです。
筋肉の分類 : 大まかに下記@〜Dに分類します。
@【閉鎖筋】…声門間隙を狭めたり、声帯を緊張させたりする働きのある筋肉の総称。
・側筋…外側輪状披裂筋。披裂軟骨を回転させて声門間隙を狭める。声門は後方(背面側)に隙間を残す。
・横筋…横披裂筋=披裂間筋。収縮することで披裂軟骨をくっつけ、側筋では閉じきらなかった声門を閉じる。
・声帯筋…上記2つでは閉じきらない声帯中央部分を閉鎖する。内甲状披裂筋、交差(交錯)筋ともよばれる。
・外甲状披裂筋…声帯の外側を並走し、声帯を短縮・弛緩させる。単に甲状披裂筋ともよばれる。
※声帯筋と外甲状披裂筋を合わせて甲状披裂筋と記載される場合もある。
A【引き下げ筋】…喉頭を引き下げて声帯を伸展させる。
・輪状甲状筋…甲状軟骨を引き下げ、声帯を伸展させる。
・胸骨甲状筋…甲状軟骨と胸骨を結び、輪状甲状筋と同じ働きをする。
・輪状咽頭筋…収縮によって喉頭を後ろ下方に引き下げる。
B【引き上げ筋】・・・喉頭を引き上げる。引き下げ筋に対抗して、綱引きのように喉頭を引っ張り合う。
・甲状舌骨筋…甲状軟骨と舌骨を前部で結ぶ。
・口蓋喉頭筋…喉頭〜口蓋にあり、喉頭を引き上げる。
・茎突咽頭筋…フースラーの茎状咽頭筋にあたる。喉頭を上に引き、咽頭を広げる。
C【後筋】・・・後輪状披裂筋、開大筋。下の2つの役割を果たす。
1. 吸気の際に声門を広げる働きをする。
2. 声帯を伸展させる補助をしたり、または拮抗させる。
D【その他筋肉】・・・上記以外に関連してくる筋群。詳しい説明は割愛^^;
・肩胛舌骨筋…肩胛骨(肩甲骨)と舌骨を結ぶ。
・胸骨舌骨筋…胸骨と舌骨を結ぶ。
・舌骨上筋群…舌骨から上に伸びる筋群。詳しくは→
ttp://dental.dreamblog.jp/blog/6.html
今日初めて1人でカラボに行ってみた。 駐車場にすごい数の車が駐まっていて嫌な予感がした。 店に入ると受付の前のソファに人がたくさん座ってざわざわしており、 受付には列ができていた。 勇気を振り絞って列に並ぶ。 後ろに人が並ぶのが嫌で何度か最後尾に並び直したが、 明らかに挙動不審なので、途中で覚悟を決めてそのまま進んだ。 順番が進むとともに次々と人がやって来てぼくの後ろに並ぶ。 やがてぼくの番になった。 「1人なんですが…」 と小さい声で言ったら、騒がしくてよく聞こえなかったようで 店員さんに聞き返されたので、少し大きな声でもう一度 「1人なんですが!」 と言うと、急にざわざわが静かになった。 店員さんの 「あいにく本日は《おひとり》のお客様はご遠慮いただいてます」 という声が響き渡ると、 「ちょwww」 「ひ、ひとりぃー!1人でカラオケェー!!」 という声、また声がわきあがり、ぼくは逃げるように店を出たが、 何百の視線に射抜かれたような気がした。 やっぱり1人でカラオケができるなんて、 そんなうまい話あるわけないんだよな。 ヒトカラが終わって会計で並んでいたら後ろに男女5人のグループが来た。 何がそんなに面白いのかバカ騒ぎしながらやってきたが、 後ろに来ると急に静かになった。 バカ男A 「オイ、アイツ○○○(よく聴こえなかった)じゃね?」 バカ男BC「ウッハwww」(パチパチと手を叩き爆笑) 「キャッハ ねーーーwww」(手を叩き爆笑) バカ男A 「今日土曜日だよな?wwww」 「ヒャーーーッwwwマジウケるwwwww」 俺がネタにされ笑われているのはすぐに理解した。 だが下等生物どもにいちいち反応したら負けだと思い、大人として無視した。 俺の会計になり、クーポン券を出したら、またも後ろから
同級生に見つかったときの例
「おい見ろよアイツ
>>520 じゃないか?」 「あっ!ホントだ!
>>520 だ!」
「
>>520 ってカラオケなんかやるんだ?全然そういうイメージ無かったな。」
「だよな。いつもマンガが好きだって事は知ってるけど、音楽なんてまるっきり興味ないみたいな感じだもんな。」
「でも、誰と来てるんだろう?
>>520 っていつも1人だよね?
>>520 と仲良い奴っているのかな?」
「1人みたいだぜ!」 「まじかよ!カラボって1人でも入れるんだ。知らなかったわw」
「2chで話題になってるじゃん。1人でカラボに行くのが流行ってるとか。」
「あ〜そういえば俺も見たことある。ヒトカラってやつでしょ?でもそれってネタだと思ってた。リアルで見たの初めてだし。」
「ヒトカラはどう考えても2chのネタでしょ?
>>520 はリアルでもヒトカラが流行ってると勘違いしてるんだろうなw」
「どういう歌を歌うのかな?最近の歌謡曲とか全然知らなさそうだけど…。」 「あっ!曲が始まったみたい。なんか昔聴いたことあるような…。」
「これ、クレシンのアクション仮面の歌だよ。小生の頃よく聞いてたよ。」 「なるほど、マンガオタクだからマンガの歌を歌うのねw」
「ちょww技の名前連呼しながらポーズ取ってるよwキモッ!」 「完全にアクション仮面になりきってるなw」
「歌が終わったみたいだ。あっ!ヤバイ!部屋を出るみたいだ!隠れろw」
「トイレかな?」 「俺もトイレ行きたくなっちゃったw鉢合わせしたらどんな顔するかな?」
「ちょww」 「どうした、そんなに慌てて?」
「トイレ行ったら、
>>520 が便所の水がぶ飲みしてた。。ビックリして用も足さずに戻ってきたよ。」
「2chで見たことあるけど、リアルでヒトカラをやる奴にとっては便所の水を飲むのが常識らしい。」
「わぁ〜!キモイな、ヒトカラーって」
今日初めて1人でカラボに行ってみた。 駐車場にすごい数の車が駐まっていて嫌な予感がした。
店に入ると受付の前のソファに人がたくさん座ってざわざわしており、 受付には列ができていた。
勇気を振り絞って列に並ぶ。 後ろに人が並ぶのが嫌で何度か最後尾に並び直したが、
>>164 >>170 いえいえ、こちらこそサイトや本教えて頂きありがとうございます!
紹介した本のほとんどは図書館に所蔵されてるはずなんで、暇なときにでも足を運んでみてください。
最近の図書館は取り寄せができたりするんで、買わなくてもどんどん読めちゃいます。
私もほとんど図書館で借りて読んで、その中でこれは!ってやつだけ買うくらいですから^^;
昔それを耳にしたとき、やはり私も支持するところが多かったです。
まずなんといっても、カウンターテナーやソプラニスタを除いた男性歌手はほとんど地声に聞こえること。
このことは、地声のみで発声しているという推察と容易に結びつきます。
と同時に、なぜA4(hiA)を超えるような高音域において、あれほどの声量で発声できるのかという疑問が生じます。
この疑問の解法として、「全身の筋力でバランスをとりうんぬん」なのかな?と思います。
では、それをもってすればキング・オブ・ハイCをも説得力をもって包括できるのか?
それとも彼は極稀な例外、特異因子として除外されるのか?
彼に限らず、他のテノールの出す高音を包括するほどの説得力を有するには、私の中では至りませんでした。
そこで考えたのが、前提となっている「地声に聞こえるから地声で発声している」に疑問を持つこと。
>>151 第4段でも書いたように、“音響=発声の結果”からの考察は最大限慎重にすべきです。
単純に「地声に聞こえる」と「地声で発声している」を結びつけるのは、短絡的すぎるのではないか?
また同時に、地声(表声)や裏声などの言葉の定義についても疑問をもって調べ直しました。
結論からいえば
>>162 になるわけですが、そこに至るまでの過程には紆余曲折がありました。
まず何より大きな障壁になったのが、頻出する専門用語。
「裏声」という言葉1つをとっても、発言者によって少しずつニュアンスが違っています。
そのニュアンスの違いをひも解き、はき違えないよう1つずつ整理する作業は何とも面倒です。
私みたいな理論先行の頭でっかちならクロスワード感覚の遊び気分でできますが、
歌の上達を第一目標にしている人にとっては、無駄に時間をロスさせる要因にもなります。(
>>145 B)
楽しく読ませていただきました、非常におもしろかったです。
俺はそんなに年食ってるように感じますかね……?こんなに若いのに。
もしこのスレが容量落ちしたら、また別のスレを乗っ取って続けてくださると嬉しいです。
絶対に見つけ出しますんで!!
あと重ねて言いますが、コーネリウス・L・リード系の「ベルカント」についてかなりお調べになっているようなので、
お返事遅れてすみません。
スレが浮上してる間は雲隠れするのが定例になってるもんでして^^;
>>166 その内の1冊くらいは読んだ記憶が、、でも内容をほとんど思い出せない(´・ω・)・・・
コンテンポラリーシンガーという銘にひかれて読んだ気がするんですが、 その記載があまり無かったために忘却の彼方へ吹き飛んじゃったのかな?
たしかボイトレ本の類だった気がするんですが、、記憶違いですかね?
今の自分の発声スタイルを理解した上で英語の発声法との差異を考えたり、 それを歌う際に取り入れたりするための練習本としてはいいと思います。
ただ、やっぱり英語発声とかを練習したいなら、日本語発声も記載してほしいところ。
今の自分がどれだけ日本語発声に特化し、英語発声から乖離しているかも知らないといけないと思うんです。
万人が読んで試して出来ましたってわけにいかないのは、 そういった未記載の部分でふるいに掛けられてるせいだと思います。
あ、全部読んだわけじゃないんで、話半分で聞いてもらえれば幸いです。
>>167-169 本来、感情表現と歌唱技術(
>>106 )は対立させて語るもんじゃないと思うんです。
たとえば頭の中で、こう歌いたい!ってイメージしたとしますよね?
それこそが感情表現の素であって、自分が表現したい形なんです。
でも、それをアウトプットするには歌唱技術が必要で、 技量が足りなければ差引された分しか歌に乗せることができません。
同じように、歌唱技術があっても、自分の表現を伴わず、 ただ譜面どおりに歌うだけでは、アカデミックで面白みのないものになってしまいます。
車の両輪のごとく、どちらも伴ってこそ歌をより高みへ昇華させることができる。そう思います。
毎回レス遅れてしまってスミマセンm(_ _)m
最近自転車に凝りだしまして、週末はおろか平日もゴソゴソやってますw
ボイトレ本でも声楽本でも、あるいはそれらに関するサイトでも、読んだことある人だったらわかると思いますが、
発声練習って相当なウェイトで感覚に頼った書き方されてますよね?
概要はその通りです!
わざわざまとめさせてしまって申し訳ありません^^; というか、ものすごく私の書いてきたことを記憶して下さってますね!
本当に助かりますし、ありがたい限りですm(_ _)m
■@
フリーさんのスレですばらしい動画が紹介されていました!
http://www.musicasenlinea.com/videos/-;lrgvJaXLs4o.html こんな感じのことを心掛けながら普段の会話をしています。
エッジ音だけじゃなく、息の詰まりが少なくなるように仮声帯間隙を広げ、喉頭室を広めにとる感覚でやっています。
(ただし、あまり鼻につかないよう、自分なりに加減はします。)
あと共鳴に関しましては、俗に言う“鼻にかける”というのを極力避けて、
私も鎖骨〜胸骨あたりに響きを持っていけるように喋ります。後者なら選曲によっては歌いやすいのも見つけやすい気がする。
本来、うpスレだから若干スレチだと思うけど上手く機能してない みたいだから大目に見てくれ。
そうすると自然に声が低くなるし、息の詰まりを少なくする副産物でやや気息的になることで、
威圧感もある程度は抑えられているはずです。
基本的なことを守らずに、あまりにも感情で表現しようとすると 感情表現にばかりこだわり、大事なリズム音程などが正確に 表現されにくい状況に陥る傾向もあります。 これは、声の大きさばかり終始して、大事な楽譜の記号表現が おろそかになるのと似ているように思います。 まずは、楽譜と通りに正確に歌うことを心がけましょう。 次に、詩を何回も読み返し、その歌詞(フレーズ)のイメージ を思い浮かべましょう。 歌は一つの物語りなんですからね。 そして心で歌をうとすれば、こころで表現しようとする内容を すべて、音符のなかにすべて納めて歌いましょう。 こころで歌うには、かなりの練習を積み、自然に表現されるべきだと 思います。 意図的に悲しい顔をしたり、身体を動かすのではなく すべて歌のなかに納めて表現すべきものだと思います。 練習を積み、上手くなれば、 感情の変化は音色の変化と変わり 「表現力」として 素晴らしくなり「歌は心だ」と聴衆から 思われるようになるでしょう。 ふぅ、今日1日でこのスレ読破。 つっても腹の底に落ちきっていない箇所もあるから何回も読み直さなきゃいけないと思うが。 自分は読書を滅多にしない人間なので、だいぶ気合いを入れてかからないとこういった長文が読めないんですね。 そのせいで最初にレスしてからちゃんとスレ全部読むまでこんなに時間がかかってしまって申し訳ないです。 なんとなくサブさんが研究なさっていることの一部がぼんやり見えてきました。 楽しく読ませていただきました、非常におもしろかったです。 俺はそんなに年食ってるように感じますかね……?こんなに若いのに。 もしこのスレが容量落ちしたら、また別のスレを乗っ取って続けてくださると嬉しいです。 絶対に見つけ出しますんで!!
ちなみにこれほど博識なサブさんならもうご存知かもしれませんが、僕からも声楽の発声についてWebサイトを挙げておきます。
表声・裏声などという感覚的な言葉を切り捨て、より実際に起こっている現象にスポットを当てていらっしゃるサブさんには申し訳ありませんが、
「男性が裏声を使うと声帯には悪い、喉頭は下がったまま表声を全身の筋力でバランスをとりうんぬん」という発声を提唱している方のサイトです。
残念ながら裏声を使った男性オペラ歌手は現在、一部のカウンターテナーやソプラニスタを除きほとんどいません。
その発声により声帯を壊さず死ぬまで歌い続けた歌手が何人もいたり、裏声を使ったカウンターテナーの歌手としての寿命が短いことから、今のところ私はその発声を信じています。
男性視点のみで語ってしまいますが、ここで敢えて「ベルカント」という言葉を使うなら、裏声を使った古い「ベルカント」は声帯に悪く体に優しい。
表声を使った新しい「ベルカント」は声帯に優しく体に悪いです。
「ベルカント」なんて言葉は非常に曖昧なものなのに、日本人が横文字として輸入した瞬間絶対的な定義を無理矢理つけてしまったようなので、この言葉を使うのは僕も好きではありませんが。
ttp://www2.odn.ne.jp/~cco47400/hassei.htm ttp://ameblo.jp/molto-piu-acute/ ttp://ameblo.jp/ken-baryton/ ここで腹話術やってるってききました すごいっす、参考させていただきやす!
ちょっ素人目で気が引けるんスけど 高校生のほうからの加齢臭が どうしても漂ってくんのが気になります 改良の余地あるおもいます!
初心者から上級者まで コンテンポラリーシンガーのため?のヴォーカルワークアウト
コンテンポラリーシンガーのため?の ヴォイストレーニングとアメリカ?英語の歌い方
ザ・コンテンポラリーシンガー CD付 ヴォーカルテクニック&パフォー?マンスのための
あなたを表現するために シングユアストーリー この辺の本ってどうなの?
さて、ご質問の「声楽の発声が弓場さんのような裏声を用いたものか?」ですが、
私の中では表声とか裏声とかはバズワードとして切り捨てた言葉なんで、答えづらいというのが正直なところです^^;
たしかに弓場先生は声楽畑の人だし、先生の歌声は声楽に基礎をもつ発声スタンスです。(cf.
>>144 )
その点から逆説的に、声楽の発声は弓場先生のような裏声を用いたものと言えるでしょう。
しかしここで留意してもらいたいのが、どんな声でも声帯という1つの器官から発生しているということです。
>>65 に書いた喉の筋肉が総合的に働き、しかもそれに関連した呼吸筋や身体全体の筋肉が連携して発声します。
裏声、表声、ミドル、ヘッド、etcだからといって、なにか別の器官が働くということはありません。(cf.
>>113 )
強いて言えば、裏声は声帯を進展させ声唇を薄くし、声帯縁辺のみを振動させる発声方法である・・・
これでもいささか誇張的と言わざるをえません。
表声(地声)やミドルとよばれる代物にも、声帯の進展はあってしかるべきだし、
声唇の厚さは個体差もありますが、その調節によって全ての声域で大きな役割を果たします。
これらの説明が難しいから、声種や声区のようなカテゴライズをし、理解の糸口を与えたんだと思います。
本来、真に発声運動を理解しようとするならば、そのような言葉は真理に向かうための導入にすぎません。
それに雁字搦めになって、その先にある統合的な発声運動を理解しえないことは残念なことです。
サブさん、とりあえずありがとうございます。
私のような若造のために音楽以外のことまで、役に立ちそうだけど難しいことを噛み砕いて説明していただいたこと、非常にありがたいです。
涙が出そうなほど感動しました。
あなたは私が目指すものに一番近いし、そんな方は初めてお目にかかりました。
私には今、金がありません。
親のすねをかじって生活している無能な高校生です。
なので自分の力で金を稼ぐようになったら、何年かかるかは分かりませんが、サブさんに挙げていただいた書籍をすべて吸収させていただこうと思います。
それまではこのスレを熟読し、教えていただいたWebサイトを閲覧することにします。
・『声と日本人』【米山文明(著)、平凡社】 ・『声の呼吸法 - 美しい響きをつくる』【米山文明(著)、平凡社】 ・『声の不思議 - 診察室からのアプローチ』【一色信彦(著)、中山書店】 ・『上手に歌うためのQ&A - 歌い手と教師のための手引書』【リチャード・ミラー(著)、岸本宏子(訳)、長岡英(訳)、音楽之友社】 ・『西欧音楽教育史』【供田武嘉津(著)、音楽之友社】 ・『声楽の知識とテクニック』【エルンスト・ヘフリガー(著)、小椋和子(訳)、シンフォニア】 ・『西洋音楽史 - 「クラシック」の黄昏』【岡田暁生(著)、中央公論新社】 ・『誰にでもできる発声法(ボイストレーニング)』【熊谷卓(著)、日本実業出版社】 ・『日本人の声』【鈴木松美(著)、洋泉社】 ・『倍音 - 音・ことば・身体の文化誌』【中村明一(著)、春秋社】 ・『はじめての発声法』【ジャン=クロード・マリオン(著)、美山節子(訳)、音楽之友社 】 ・『発声の科学と技法』【Risa Roma(著)、鈴木佐太郎(訳)、音楽之友社】 ・『発声の技巧とその活用法』【酒井弘(著)、音楽之友社】 ・『発声の達人 - 日本人には日本人の歌声がある』【海沼実(著)、ノースランド出版】 ・『表現と理解のことば学』【宍戸通庸(著)、西川盛雄(著)、平賀正子(著)、菅原勉(著)、ミネルヴァ書房】 ・『プリマドンナの声帯 - 音楽裏方医者のカルテから』【米山文明(著)、朝日新聞社】 ・『ベル・カント唱法 - その原理と実践』【コーネリウス・L.リード(著)、渡部東吾(訳)、音楽之友社】 ・『ベル・カントの継承 - 装飾の施された歌唱に関する実践的省察』【Giambattista Mancini(著)、渡辺東吾(訳)、アルカディア書店】 ・『ベル・カントへの視座 - 昔時及び当節の歌い手に対する見解と装飾の施された歌唱への所見』【Pier Francesco(著)、渡辺東吾(訳)、アルカディア書店】 上のリストに新書シリーズが何冊か紛れ込んでると思います。 いきなり難しい専門書にアタックするのもいいですが、未開拓の分野に手を出すときの入門書としてもってこい。 本自体も薄いし、それを手始めに新規開拓してみると捗ります。 ただし、その性質ゆえ内容が所々間違ってることがあるので、すべて真に受けて読むのではなく、 少々懐疑的に、次の知識への懸け橋と思って読むくらいがちょうどいいかも。
タケヨシキ、ニコ生で説教されてガチビビリで過呼吸の巻
http://www.nicovideo.jp/watch/sm18436761 凸者A「あのー君みたいのは2ちゃんじゃ珍しくないんで」
ハゲキ「そーです」
凸A「あのー別に僕は馴れ合いとか嫌いじゃないんだけども、あのー馴れ合いは馴れ合いのちゃんと用の場所があるんで
多分、そこに行った方がみんなと仲良くできるんじゃないかなと思いましてな、うん」
ハ「はい」
凸B「結局、その板ごとにどういうことするかっていうの2ちゃん決まってるから成立するんでしょ?」
ハ「・・・え、どういうことですか?」
凸A「いやだからカテゴリーが分かれてるじゃん」 「ソウデスソウデス・・・」
凸B「まあ、そのPCやら何やらカテゴリーが有って、その中で自作やらハードやらなんやらかんやらで別れてて
結局その板ごとに相応しいことやってるから、ちゃんと10年以上2ちゃん荒らし多いとか
いろいろ荒れてるとか言われてるけど成立してるんでしょ」
それぞれの役割は委縮・減退し、発声効率は低下します。
その代わり、言語としての声の特徴(母音特有のフォルマント形成・音色etc)は増幅され、)
凸B「・・・ν速時代からそういう、オッサンなんだが、とか、ポケモンがどうとか
そういう荒らし行為?ね、もう2009年から、2010年だっけ?もう2年3年やってるでしょ。そういうこと。
もう異常だなあと思って。確信的に荒らしやってるのかなって思って、
Twitterやらニコ生やら見てきたら、なんか『さみしい』やら『死にたい』やらなんやら。
え?この人なに、寂しくてやってんの?メンヘラなの?って思ってさあ」
ハ「ウン・・・ウン・・・」
凸B「ね、もうちょっとこう、荒らし、荒らしたいんだったらさぁ、」
(ここでハゲキ耐え切れずSkypeを切断)
ハ「はぁっ・・・はぁーーーっ。あ〜ダメだ!!ダメだダメだ!」
言語と脳
欧州の人たちと日本の人たちの脳ではある面白い違いがある それは音の感じ方
(ここから先は欧州の人たちを(欧)、日本の人たちを(日)とする)
響かない日本の家屋でも楽器は発展していった 尺八・琵琶などの現在では伝統楽器といわれる類の楽器である この楽器を(欧)に聞かせると(欧)の脳は音楽として処理する しかし(日)に聞かせると(日)の脳は言語として処理するのである 日本の伝統楽器は響かない環境で伝えるためにより「声に近づける」という選択をした 欧州の楽器とは根本的にここが違っていた 欧州の楽器は(欧)にとっても(日)にとっても楽器だが 日本の伝統楽器はそうではないのだ 音粒は実際に「差音」の振動数を持って共鳴体を叩くわけですから、当然共鳴が起こります。 そして共鳴体が実際の共鳴を起こしてしまえば「差音」はもはや「音粒」ではなく ちゃんとした音波になります。 ほかにも(日)は小川のせせらぎや小鳥のさえずり、木々のざわめき等の環境音も言語として処理をする 当然(欧)は音として処理する これらは日本語の母音を主にした言語に関係しているといわれている 母音のような音には特別な感情のようなものを(日)は受け取るのである 夏の風物詩の風鈴は(日)にとっては風流でも(欧)にとっては雑音でしかないのだ 悲しい話である このように(日)にとって音は言葉でもあるのだ 逆に(欧)にとっては音は音、言葉は言葉といったしっかりとした区分けがある (欧)の歌は言葉よりも音の意味合いが強い (欧)は声を楽器にすることを選択した よく響きより響き、音としての質の高さを目指した 周りの硬い物が響きを助けてくれたのでその方向性にもうなずける (日)の歌は言葉であった 楽器ですら声言葉に近づけようとするのだから (日)にとっての音のメッセージ性は相当なものである
欧州の歌・日本の歌 これらのような環境と言語の違いにより 欧州と日本の歌の進む道は大きく変わってしまった 日本は人々の心に訴えかける感情と言葉を重視した歌 欧州はより響かせるためにテクニックや技術を開発し楽器としての音を重視した歌 ただ日本の歌に技術がないわけではない 人の心を掴むための技術が感覚で伝承されていったのだ それゆえ感情論や根性論が蔓延りやすい事態にもなるのだが・・・ しかし色々と混ざってしまった現在ではテクニックとして感情表現もある この辺は進歩と言ってはいいのではないか ただその反面 日本人は音に感情を感じにくくなっているようだ 技術により感性が縮んでいくのは避けられないことなのだろうか まあとりあえず、根っこにはこのような違いがある 音としての歌が好きか言葉としての歌が好きか そんなことは目玉焼きにソースをかけるか醤油をかけるかくらいに些細なことなのだ 欧州にしろ日本にしろ音は楽しむものに変わりはない 自分が好きな歌手の歌を聞き、自分が好きな歌い方を目指す 思うが侭に楽しむ 好きな食べ方をすればいい これこそが誰にとっても正しい歌であり音なのだ 当然考えてしかるべきところだったんですが、人間は自分の目に見えるものの範囲で推論をしてしまうというありがちな罠。 人の発声器官は共鳴腔が多数あるわけですから、beep音の差音ではなくバイオリンの差音のイメージで考えるべきですね。 書きたいのに書けないこともあって少し説得力にかけるけど こういうのもあるのか と思ってくれたら嬉しいかな 信用できなかったら忘れてください
まず第1に、
>>113 で書いた「言語差=言語発声の差=発声器官の使い方の差」があります。
これは言語を、「頭の中で文章を構築する=内言語」と、「それを声に出す=外言語」に分けたうちの、
外言語に相当する部分に着目したものです。
そして「発声器官のある1つの言語発声への特化」とは、この外言語の1言語(母語)への偏重によって、
共鳴腔(声道)が変形してしまうことを意味します。(cf.
>>73 )
共鳴腔の変形がピンとこなければ、ペンダコを例に考えてみてください。
ペンダコとは、長年同じペンの持ち方をしたために指の一部が変形したものです。
これができるとペンがズレることがなくなって、より持ちやすくなります。
逆に、ペンを持っていない方の手の中指には全くできません。当然です。
ちなみに、私はペンの持ち方が変(↓の画像みたい)なので、右手薬指にできています。
ttp://blog-imgs-18.fc2.com/s/o/o/soogatch/20060713.jpg ペンの持ち方の違いで、違った位置にペンダコができるわけです。
共鳴腔も同じで、ずっと日本語を話していると、
日本語の5母音を発声しやすいように、共鳴腔の形状そのものが変形していくんです。
それが言語間の差となって母語以外の言語を発声するときも現れ、
あるが果てに歌うときにまで顔をのぞかせます。(cf.
>>112-114 >>133-140 )
第2に『歌声における言語発声と歌唱発声の相関関係』(
>>133-140 ) のジレンマ解消法で書いたこと。
これは米山文明先生の著書『声と日本人』にも書かれていたことです。
共鳴腔(声道)は各母音のフォルマント形成に多大なる役割を果たします。
また、共鳴腔は広がることで声量確保、高次フォルマントの集約等にも貢献します。
歌う時には、この2つの動作を同時に行わなければなりません。
しかしながら、この2つはトレードオフの関係で、完璧に両立させることは不可能です。
同じく、歌うときは話すときより格段の声帯調節が行われ、それが共鳴腔の形状にも制約をつけます。
すなわち、母音を明瞭に発声するための共鳴腔の形状にはなりにくい場合が多々あるわけです。
以上のように、歌うことは母音フォルマント形成の阻害要因を多く含みます。
歌う際に言葉の明瞭度よりも音高や音色にウェイトをおくならば、フォルマントは多少変移させて対応すべきでしょう。
下の図を見てください。
http://www.oki.com/jp/rd/ss/img/speech_fig_position.gif 各母音の範囲(破線内部)ならば、縁にいけば明瞭度は下がるものの、その母音に聞こえるはずです。
注目してもらいたいのは、「/e/と/u/」、「/a/と/o/」が重なっていることです。
この重複する範囲では、どちらの母音にもとれる音が出ています。
声を言葉として捉えた際、これでは明瞭度もクソもなくてよろしくない発声でしょうが、
しかしながら歌う際にはこういった縁までレンジをもつ意識をしてもよいと思います。
実際、発声練習の中には、「ア」のような「オ」、「オ」のような「ウ」、「エ」のような「イ」みたいに、
母音を崩してでも響きや音色を保持させるものもあるくらいです。
感想レスで、「何言ってるかわかんない」とか「言葉が聞き取れない」と書かれることがありますよね?
これは自分ではオッケーかなぁと思いながら歌ったものが、人によっては許容範囲を超えていた例です。
もし自分でいいと思うなら直す必要はないし、より言葉としてのウェイトを重んじるなら修正すべきでしょう。
いずれにせよ、判断は自分に委ねられているわけですから、それぞれの度合いを考えることは大切です。
長くなりましたが、以上で説明を終わります。
余談ですが、サザンの桑田佳祐はわざと日本語の発声を崩して歌っているそうです。
度数の高い酒を飲んで大音量のスピーカーの前で歌って喉を潰したって逸話もあるくらいですから、
音としての声、発声に対しては並々ならぬ思いがあるのかもしれません。
また、小室哲哉は作詞の時点から日本語の音節や文法を崩して音に対応させています。
人によっては2人のやり方は日本語を蔑にしていると言いますが、私は面白い試みだと思います。
逆に、山崎まさよしは日本語の発声を綺麗に残したまま歌っていると思います。
彼のようにはっきりと聞き取りやすい発声で歌うのは難しいです。
全く違うスタイルが全く違った良さを出す・・・これは非常に興味深い点です。
歌う時も聴く時も、はたまた見る時までも、そういった違いを感じることができたら、きっと楽しさが増します。
>>47 う〜ん、、『ボイトレで注意・危惧すべき点』(
>>144-146 ) にも書きましたが、人それぞれ合ったものが違うし、
目指す発声像も違うので、簡単に善し悪しってわけにはいかないんですよね・・・
ただ、いろいろ読んで思うのは、やっぱりプロローグ V(
>>55 )に書いたことでしょうか。
初歩的なところだと思って軽く流しちゃってたり、あるいは書いてなかったり。。
本のターゲットがズブの素人なのに、初歩を飛ばすとはこれ何ぞや?って本が多いです。
あと、正直どの本にも突けそうな点はあります。
たとえば亀渕友香のある本には、図がとんでもないのがありましたね^^;
でも、それをもって「この本は駄目だ」って決めつけちゃったらもったいない。
一葉目を蔽えば泰山を見ず、、ではないですが、どの本にも良いところ悪いところはあります。
そんななんで、私がお勧めするのは、ボイストレーニングでも、スピーチ(話し声)の方の本です。
まずはサラッとでもそういった本を読んで、発声の下地を固める。
そうすることで、話声位(歌うときより声帯調節が少なくて済む)から発声を慣らせます。
歌の発声にとっかかるのはその後にした方が、より安全着実に上達すると思います。
あと、ボイトレ本ではありませんが『声と日本人』(米山文明、平凡社)もかなりお薦めです。
ってか、これが一番薦めたい本ですねw
自分が日本語を話すものとして置かれている状況を把握しておくことに損はありません。
一読の価値ありです。
>>190-194 既出もなにも、これから書きたかったことてんこ盛り、大変ありがたいお話です!!
私には十分信用足るものですよ!
【 建築 】
まさしく仰る通りだと思います。
建築材料の違いは、普段からの発声法の違いにつながっただろうし、宗教音楽の発展にも影響しました。
それが芸術音楽や大衆音楽にも影響して、18世紀ごろまでは独自の発達を遂げたんだと考えてます。
あ、18世紀ってのは私個人の感覚です。日本でいえば江戸時代ごろまで。
たぶんその頃までは、今みたいな世界間の大々的な文化交流はなかったはずです。
他文化の大きな流入がなかったからこそ、混血ではないその土地だけの純粋な継承・発展があったと考えています。
168 :
選曲してください :2012/08/06(月) 05:28:45.61 ID:R7NF4/Xw
>>104 音質がすごいですね〜
ただバリバリしてるのは音質のせいだけではないと思われます
無駄な響きが出ないように歌うとよいかと
発声概論(
>>59-60 )で述べたとおり、話し声と歌声の‘原理’は同じです。
でも聞こえる声は全然違う・・・いったい何が違うのか?今回はそれについてです。
感覚的な話は一切割愛します。理詰めというからには、
>>65 の筋肉を引用しながら説明しましょう。
まず「話し声」、この声の状態では引き下げ筋の作用がほとんどなく、
宙ぶらりんの甲状軟骨を固定するために、引き上げ筋の一部(甲状舌骨筋)が主だった役割を果たします。
この引き上げ筋により甲状軟骨は舌骨に固定されるわけですが、実は舌骨も固定されているわけではありません。
甲状軟骨も舌骨も宙ぶらりんな骨なんですね。
そこで、舌骨より上の筋肉、すなわち舌骨上筋群によって舌骨を下顎骨やらに固定します。
でもでも、実は実は・・・舌骨を固定するはずの下顎骨も宙ぶらりん!
なので下顎骨を固定する為に・・・と、まぁこれ以上は話を小難しくするだけなんで止めておきます^^;
簡単に言っちゃえば、喉頭を固定する為に、それより上の筋肉群を働かせているわけです。
俗に「喉の位置が高い」といわれるのはこの状態です。
固定の際に引き上げ筋主体なので、引き下げ筋による声帯伸展はほとんど伴わず、声帯はたわんだような状態で全体が振動します。
閉鎖も大雑把で、とりあえず声が出るように声門が閉まればいい程度にしか働いていません。
このように、話し声というのは閉鎖筋と喉頭周辺の筋肉の一部を使うだけで、しかも働きは大雑把です。
その訳は、話し声にとって一番大切なのは言葉の弁別だからです。
別に大きい声が必要なわけでも、広い音域が必要なわけでもありません。
気息声だからダメとか、実声に聞こえないといけないみたいな制約もありません。
とにかく話し声に必要なのは“言葉を聞き分けられる状態にして相手に伝えること”なのです。
※弁別とは言葉の意味の区別(=使い分ける・聞き分ける)という意味で、発声概論のBの働きによります。
さて、前振りはこの辺にして、ぶっちゃけ上で説明した歌声というのは、
話し声では使わなかった筋肉や、大雑把にしか働かなかった筋肉を使うってことでして・・・
要は
>>65 の各種筋肉を効率よく役割分担させながら使っているわけなんです。
でも、なんせ普段使わなかったりする筋肉も活用するわけですから、それが難しいわけですね^^;
まず引き上げ筋と引き下げ筋の作用について。
>>69 で書いたとおり、話し声の場合はほとんど引き上げ筋に頼った甲状軟骨の固定をしています。
それ対して歌声の場合は引き下げ筋も加わって、甲状軟骨を上下から引っ張り合う形にします。
甲状軟骨を挟んで、引き上げ筋・引き下げ筋が拮抗した綱引きのような状況だと思ってください。
こうすることでも甲状軟骨は一定の場所に留まる=固定されますよね。
で、本題はこれによって何が起こるのかなわけで・・・
簡単に言ってしまえば、喉頭内にある筋肉(より狭義では声帯にある筋肉)の緊張が解けるのです。
緊張が解ければ声帯の自由度は増し、歌に必要な敏捷性等を獲得します。
また、引き下げ筋が加わることで声帯の伸展を伴った発声になり、音高調節を閉鎖筋に依存する必要もなくなります。
ちょっと話をそらしますが、「喉が高い」といわれる状況が何故いけないのか?その理由も上記によって説明がつきます。
話し声のレベルでも音高調節はある程度利きますが、地声音域を越えられるものではありません。
また、閉鎖筋群に頼った音高調節・発声では上記の自由度・敏捷性は阻害され、
速いフレージング・パッセージ、アジリタのような装飾技巧、フェイクも不可能です。
話し声のまま歌っているなんて言われ方も、引き上げ筋・引き下げ筋のアンバランスさが一因な気がします。
話を元に戻して、次に閉鎖筋の運動について。話し声では大雑把と書きました。
この大雑把の意味は、横筋と側筋で適当に閉鎖してるって事になります。
あ、もちろん普段から閉鎖筋をバランスよく使ってる人もいますよ!でもあえてここはそうじゃない人基準でm( _ _ )m
話し声のときに「息漏れが・・・」とか気にする人あんまいないでしょ?だから大体の閉鎖でオケーなんです。
対して歌声、このときは息漏れを気にしたり実声の響きにこだわったり・・・明らかに話し声にはなかった声質への意識になります。
このとき話し声の大雑把さを引きずってしまうと、横筋と側筋に過度の働きを強いる結果になります。
また、引き上げ筋主体の発声だと閉鎖筋の緊張も解けないままなので、思い通りに使うことも出来ません。
本来なら
>>65 の閉鎖筋群を使い分けたり、あるいは一緒に使うことで声門間隙を狭め・閉じる必要があるのにです。
上記に加え、歌声のときは声量確保のために咽頭・口腔・鼻腔などの共鳴腔を広げようともします。
さらに、呼吸に関る筋肉(内外肋間筋・胸横筋・腹筋群etc)やら何やらも総動員します。
まさに全身運動といっても過言ではない!・・・いや、ちょっと言い過ぎかな^^;
喉頭原音からスタートした小さな音を、体中の筋肉を連携させることで歌声に発展させているわけです。
超簡単にまとめちゃいましたが、以上のように歌声は発声器官の機能をフル活用する必要があるわけで、
これは話し声のときにはなかった筋活動を多分に含みます。
筋活動からみれば、「話し声 ⊂ 歌声」(話し声は歌声の一部分)の構図になりますね。
言葉をかえれば、話し声は発声器官の一部分を借用しているに過ぎないということです。
壊れる原因はいっぱいありますからね…私みたいな初心者はハード壊れたらお手上げです。
ウィルスやらシステムファイルの破損やらドライバの不具合やらのソフト面なら何とかなるんですが、
マザボやストレージやらの物理的な故障は、自分で直せないなら修理費高いんで買い替えも選択肢になります。
家電量販店やPCショップに持ち込むと、たとえ故障個所の診断(修理見積もり)だけでも金取られますから、
不具合が起こって自分で直せないときは、まず近くのPC詳しい人に相談するのが一番です^^
あ、メーカー保証期間内や延長保証があったらガンガン問い合わせて聞いてみてもイイですね。
何にせよ、バックアップさえしておけば最悪の事態だけは免れます!
実は私も全然声優に詳しくありませんw 数人しか知らない、その中の1人です^^;
↓の男の声の声優が大塚明夫です。
http://www.youtube.com/watch?v=oBVr_7I4FtE 0:23〜「いつまでいてもいいんだぞ…」の声の人です。
私は機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORYのアナベル・ガトーで知ってからファンなんですが(そんなこたぁどーでもいいんですが)、
この人の低音はすごく気息的に聞こえるんです。
個人的な経験上、声のピッチを下げていくとき、「エッジヴォイスになっていく声」と「ため息の低いヴァージョン」の2通りがあると思うんです。
どちらが正しいのか、はたまた両方正しいのか悩んでたときに、大塚明夫の声に注目して真似てみたりしました。
まだ解答は見つかってませんが、もしかすると63さんが言ってた通り、大塚明夫の声ってミックスなのかもしれません。
お互い電子機器が壊れてしょんぼりですね…w
でもここはめげずに踏ん張りましょう!自分の体さえあれば何とかなります!
guardare nel futuro e sorridere 〜 ♪
<a.歌唱技術について>
譜面を正確になぞるスキルとは、ピッチ・リズム・テンポの正確さ、また、他の譜面に記された記号の体現能力です。
この基準では声質は問いません。どんな声でもいいので、まずは譜面をどれだけ起こすことができているか、その1点のみを考えます。
それは話し声(
>>69 )でもある程度可能ですし、慣れない発声方法では再現しにくいものでもあります。
「ピッチが正確だね」や「リズム感あるね」ってのは、この基準から判断されるものです。
余談ですが、この基準は芸道や武道の型に通ずるものがあると思うんです。
まずは型を正確にできるかを問われ、型を崩すのはそれができた後でないと、ただの下手くそになってしまう・・・
音楽においても同じで、リズム・テンポをタメたり走らせたり、ピッチをずらしたりするのは、
まずはそれが正確にできる人じゃない限り、ただ下手くそに聞こえてしまいます。
もし仮に上手く聞こえたとしても、それはたまたま偶然で、自分の真の実力ではありません。
あ、でも、癖でタメたりフラットする人がいたとして、それが個性でイイと言われるのもまた現代音楽の多様性でもありますし・・・難しいですね^^;
<b.発声技術について>
普通の人なら「自分の好きなアーティストの歌声を基準・目標にすればイイじゃん!」って思うはずです。
たしかにそれでも上手くいくかもしれません・・・ しかしです!
>>102 でも書いたように、それじゃ偏食気味になっちゃう。。
しかも、それではボイトレの発声が今の自分の発声と理想の発声との直線上にないと意味がなくなってしまいませんか?
猪突猛進に目標へ突っ走っていって成功を収められる人は少数です。
その少数に夢を見たけれど結局挫折するなんて、目も当てられない惨状です・・・
そんなことのないよう、発声はなるべく客観視できた方が何かと安全で、しかも合理的なんです。
(
>>107 へ続く)
やはり釈然としない、、
今回の『音楽に対する好き嫌い・上手下手』(
>>101-108 )の注釈と、
>>96 のABにつながることを先走って少しだけ・・・
>>108 でマスケラやらアンザッツTって書きましたが、あまり聞きなれない言葉だと思います。
これは声楽分野の練習方法で、声を前にもってくるとか、歯に当てるとか、鼻腔共鳴を促す感じだと思って下さい。
これで声をより開放的にして、明るさを持たせます。
ただ、やりすぎると平べったくて金属的で倍音の少ない声になっちゃいます。
この平べったくて〜 な声が日本語発声の大きい要素でもありまして、これから言及したい
>>96 Aにも関わるトピックです。
そしてもう1つ、私がこの先一番書きたいことで、これまで書いてきたこと全てに関わることなんですが、
「ロック歌いたいのに声楽を勉強しても意味がない!」とか、「ボイトレの模範発声が自分の理想とは違うから止め!」とか、
私からすれば実にもったいないことです。
これまでさんざん書いてきたように、声は1対の声帯から発生して、それはどんな声でも絶対不変のものです。
その声帯を動かす筋肉を少しずつ変え、はては体全体の運動によって様々な歌声を作り出します。
>>70 に書いたように、そして今回の発声技術で言及したように、それぞれの発声法の中に共通点・相違点を見つけ出せれば、
それを使って自分の発声練習へフィードバックできます。どんな練習方法だって自分の糧となるんです。
投下した後でgdgd愚痴っちゃってホントごめんなさいm(_ _)m
今日はこれで寝ます。お休みなさい。
今から投下するトピックを書いている最中、言葉の定義付けの説明をするか、かなり迷いました。。。
ホントだったら言葉を押し付けたり用語の氾濫につながることはしたくないんですが、
曖昧模糊に言葉を使うと余計な混乱を招きかねないので、始める前に書いておきます。
あくまで私の中の解釈なんで拡大解釈や歪曲が多少入ってますが、このトピック読むときだけ勘弁をばm(_ _)m
「発声」・・・・ 『発声概論』(
>>59-60 )の@A。狭義では母音形成の声帯操作・共鳴腔操作を指す。
「発音」・・・・ 『発声概論』(
>>59-60 )のB。狭義では調音における子音形成を指す。
「発語」・・・・ 言葉を発すること。発声と発音を総称したもの。
「言語発声」・・・・ 話し声を発する場合の発声方法。広義では発音方法も含み、発語方法を指す場合もある。
歌唱発声の対義的なものとして扱い、「日本語の発声方法⇒日本語発声」のように使う。
正直、『発声概論』と表題を付けてしまって、悔恨の情にかられました・・・
厳密には発声・発音概論か発語概論にしておくべきだったと。。
あ、あともう1つ、、
>>96 Aに沿って書いていたら長くなりすぎたんで、
『言語発声の特徴と言語差』と『歌声における言語発声と歌唱発声の相関関係』の2つに別けることにしました。
しかも1つずつが長いです。いつものことながら要約できませんでした^ ^;
『歌声と話し声の違い』(
>>69-73 )では、超簡単ではありますが両者の違いを筋運動をもとに解説しました。
今回はその発展ともいうべき内容で、話し声=言語発声をさらに掘り下げ、前回は触れなかった「言語差」について言及したいと思います。
ちなみに! このトピックは歌から逸脱しっぱなしで終わります!! 最後まで歌の話題ありません!!!
まずは↓のページの右上の図を見て下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E9%9F%B3 この中で日本語の母音「あ、い、う、え、お」は「a、i、?、e、o」になります。(多少のズレはあるけど、まぁ大まかに^ ^;)
試しに「い → あ」「い → う」「い → お」と発音してみると、図の位置関係が分かると思います。
われわれ日本人は、小学校教育の頃から母音は「あ、い、う、え、お」の5つですよ〜 と教わってきました。
半母音やら長母音やら方言などは無視して、とにかく母音は5つなんだと、まるで刷り込みのように教わったはずです。
まぁそれを良いとするか悪いとするかは別として、これは50音表に代表されるような日本語の規格化なんだと思います。
でも図には5つどころか、倍以上の母音が記載されてますよね?
そう、世界中には私たち日本人が使わない母音がたくさんあるんです。
私たちが5つの母音を無意識・自由に使い分けるように、世界中の人たちはそれぞれの母語の母音を無意識・自由に使い分けています。
子音も同じように、日本語にはないものが世界中で使われています。(子音は説明割愛)
※念のため断っておきますが、母音・子音の数が多いから優れているとか、少ないから劣っているなんてことはありません。
@
http://www.youtube.com/watch?v=jVmiOqk4560 A
http://www.youtube.com/watch?v=3wmIrAFKLs0 これだ!って音源が見つからなかった・・・お許しを。
まずは上の2つの音源を、純粋に“言葉”を発しているものとして聴き比べてみて下さい。
どちらがより話し言葉に近く聞こえますか? 大多数の人はAを選ぶと思います。
@みたいにしゃべる人はいないですよね。そんな人いたら、たぶん舞台俳優ってあだ名付けられます。
では次に、どちらの音源の方が歌唱発声=オペラ・クラシック発声に近いでしょうか?
これは誰しも@を選ぶでしょう。これまで書いてきたことを如実に表していますよね?
歌声としても言語としても、どちらも成立しているのに、その内容たるや歴然とした違いがあります。
発声器官を効率的に働かせ発声したとき、声帯は引き上げ・引き下げ筋によって伸展し、
閉鎖筋による必要最小限の閉鎖によって厚ぼったくならずに振動効率を高めます。
また、共鳴腔は広がり、高次フォルマント(約3000Hz周辺)に集約するように働きます。
これに対し、言語発声を優先=発語器官としての側面を強調した場合、
それぞれの役割は委縮・減退し、発声効率は低下します。
その代わり、言語としての声の特徴(母音特有のフォルマント形成・音色etc)は増幅され、
言葉としては自然に聞こえるようになります。
では、一番違和感の少ないポイントはどこなのか?
前出の音源でも、どちらが好きかで意見が分かれるでしょうし、各人に違ったポイントがあります。
歌唱発声と言語発声の簡単な対立軸なら、2点間の内分点で済みますが、ことはそれほど簡単ではありません。
・・・それは各人の好き嫌い(
>>102-103 )、音声解析の2側面(
>>136 )のウェイト、また、
生来の言語発声の混入、歌唱発声からフィードバックした発声効率の増幅、それに伴う発語機能の減退、
歌詞に使われる言語の影響、曲調、ジャンル、etc、、それら全てが影響してきます。
そう、この複雑な要因に対する結果が、現代の大衆音楽の多種多様な歌声なわけです!
ほんでもって、このしっちゃかめっちゃかになった要因を解析するすべが、
これまで何度も言及してきたプロット作業(
>>106-107 )なんです。
スミマセンが、現代の大衆音楽の歌声に関してはまた今度・・・
あ、その話題に先だって1つ。現代の大衆音楽の歌声は必ずといっていいほどマイクロフォンを通します。
このマイクってのがものすごい効果でして、たとえささやくような小声でもホールに響くほどの音量にしちゃうんです。
そのおかげで、現代の音楽の歌声は声量(≒音量)確保のための共鳴腔操作は必須ではなくなりました。
どちらかといえば、共鳴腔操作は音色の変化に重きをおくようになったといえます。
しかもその音色でさえ、イコライザーやらコンプやらのエフェクターによって変化させることができます。
現代音楽の多様な歌声ができたのは、マイクができたからといっても過言ではないでしょう。
では、一番違和感の少ないポイントはどこなのか?
前出の音源でも、どちらが好きかで意見が分かれるでしょうし、各人に違ったポイントがあります。
歌唱発声と言語発声の簡単な対立軸なら、2点間の内分点で済みますが、ことはそれほど簡単ではありません。
・・・それは各人の好き嫌い(
>>102-103 )、音声解析の2側面(
>>136 )のウェイト、また、
生来の言語発声の混入、歌唱発声からフィードバックした発声効率の増幅、それに伴う発語機能の減退、
歌詞に使われる言語の影響、曲調、ジャンル、etc、、それら全てが影響してきます。
そう、この複雑な要因に対する結果が、現代の大衆音楽の多種多様な歌声なわけです!
ほんでもって、このしっちゃかめっちゃかになった要因を解析するすべが、
これまで何度も言及してきたプロット作業(
>>106-107 )なんです。
スミマセンが、現代の大衆音楽の歌声に関してはまた今度・・・
あ、その話題に先だって1つ。現代の大衆音楽の歌声は必ずといっていいほどマイクロフォンを通します。
このマイクってのがものすごい効果でして、たとえささやくような小声でもホールに響くほどの音量にしちゃうんです。
そのおかげで、現代の音楽の歌声は声量(≒音量)確保のための共鳴腔操作は必須ではなくなりました。
どちらかといえば、共鳴腔操作は音色の変化に重きをおくようになったといえます。
しかもその音色でさえ、イコライザーやらコンプやらのエフェクターによって変化させることができます。
現代音楽の多様な歌声ができたのは、マイクができたからといっても過言ではないでしょう。
も1つワケワカメなこと書くと、
「蝶を捕らえ標本にし、翅(羽)の構造や解剖学的組織、全体的なメカニズムを研究することはできるが、
依然として蝶であるということがどういうことなのかを知るには至らない」 (A.Allerton)
ってな言葉があるんです。
どれだけ音声生理学・解剖学を勉強しようとも、普通は自分自身の発声運動には直結しません。
生理学・解剖学の知識=理論と、発声=実践を結びつけるには、まだパズルのピースが必要です。
そう、そのピースの1つが感覚的手法(
>>54 疑問@のような表現)なわけです。
これまで感覚的表現を否定してきたのに今さら何なのよ?と思われるかもしれません。
しかし、私は今まで一度たりとも感覚的表現のそれ自体をダメだと書いた覚えはありません。
それらが万人共通かのごとく書かれることに否定的なだけです。(えらく言い訳がましいですが^ ^;)
感覚的表現は、全ての発声に通底する理論と、個々の発声とを結ぶ重要なピースです。
しかしながら、万人共通ではないがために、間違ったピースを選ぶと理論と自分とを繋げられません。
また、理論がわからなければピースは勘で選ぶほかありません。
もしそれで間違ったピースを選んじゃったら・・・ 骨折り損のくたびれ儲け、上達できないとほぼ同義です。
だからこそ、うやむやに感覚的表現を受け入れるのではなく、理論を知り、
理論と自分との間を見極める=どの感覚的表現が自分に合っているのかを考えることが重要だと考えます。
上記より、さしずめ自分の発声器官はラボラトリーって感じ。超ショボイけど・・・w
感覚的表現が発声のどんな生理に結びつくのか、あるいは理論と個々とを直結することは可能なのか?
それを考え試すだけでも楽しいです。そのせいで歌うことから甚だ逸脱しちゃっている今日この頃ではあります^ ^;
182 :
選曲してください :2012/08/06(月) 12:09:07.36 ID:sGj00/WN
183 :
選曲してください :2012/08/06(月) 12:33:42.01 ID:56eGN2IN
22 :選曲してください:2012/06/22(金) 23:34:59.23 ID:ZH9CWx6X
うpもつけないと新参にもバレバレですよ使者様
29 :選曲してください:2012/06/23(土) 13:55:27.27 ID:Kti2pDpJ
テンプレがどうしても普通スレじゃ嫌なのはここの使者様って荒らしみたいだね
74 :選曲してください:2012/06/27(水) 04:30:35.82 ID:1h3EucHZ
ここは過去にしがらみがない真摯な1さんが頑張るスレって設定なんだから
某コテが… とか 普通スレが… みたいなレスしちゃダメだろw
89 :選曲してください:2012/06/28(木) 04:31:28.24 ID:291ydknF
>>84 だめですよー本性だしちゃー
280 :選曲してください:2012/07/16(月) 05:16:37.75 ID:wWB5cGXE
>>276 だんだんボロが出てきてますよ!あっちでも
445 :選曲してください:2012/08/01(水) 17:47:32.75 ID:6Hj/y1I0
使者様知らない人多いんだな
532 :選曲してください:2012/08/06(月) 09:15:56.02 ID:u7NqtRcI
使者様チラ裏が最近面白くないんでここらで渾身のレスをお願いします
483 :選曲してください:2012/08/03(金) 18:18:09.26 ID:KLIGVMSE
>>478 使者様を知らない人かもしれないため攻撃はおやめください
以前フリーさんのスレに書かせて頂いたものに加筆したものです。
順序立てて書こうと思ったらこんなに遅くなっちゃいました。(最近は順序もクソもなくなってきてますが・・・)
一応これまで書いてきたことを念頭に置きながら読んでもらえると、さらにわかりやすくなるはずです。
実は一番最初のプロローグの疑念で書きたかったくらい、私の中では声高に警鐘を鳴らしたいことです。
瞥見でもいいので是非お読みくださいm(_ _)m
@スタンスの違い
ボイトレ教室に通ったりボイトレ本や声楽本で練習するとき、それぞれの練習法のスタンスを考えたことありますか?
例えば、YUBA本だったら「著者がクラシック出身の人だから、教えている発声もそれに近いだろう・・・」とか、
ロジャー本だったら「指導者(著者)が米国人だから、英語発声のエッセンスが強い発声法を教えているんだろうな・・・」とかです。
ボイトレ教室も各々にスタンスがあって、教える発声はそのスタンスに準ずるものになるはずです。
ちょっと極論的な例えですが、オペラを歌いたいと思っている人がいるとしましょう。
その人が演歌を教えている先生に師事するなんてことあると思いますか? まぁ考えにくいですよね。
自分のスタンスとの共通点・相違点を把握しないと、目標と練習成果に思わぬギャップが生まれます。
あるいは教えられる発声とは違った発声で練習した結果、努力が徒労に終わるかも・・・
前にどこかで「YUBAの声なんて全然歌に使えねぇじゃん。」ってレスを見かけたことがあります。
そりゃそうですよ。クラシカル発声が元なんだから、それをそのままポピュラーソングで使ったら違和感あるはずです。
でも、練習した声をいかに現代曲用に変形させるか、言語発声のエッセンスを加えるかは、本には書かれていません。
YUAメソッドはあくまで純粋な歌唱発声(
>>71-72 )の練習であって、それ以外のアレンジメントは除外してあるんです。
あ、でも表声は日本語発声入ってるようにも聞こえますが・・・
いずれにせよ、練習で出せるようになった声を自分好みの声に変えていく作業は個々の判断に委ねられてます。
A母語の言語発声の混入
何より大きい問題、これこそ私が一番声を大にして注意喚起したいこと。
ほぼ全てのボイトレで、これまで嫌というほど書いてきた言語発声の混入について、言及・記載が無いことです。
普通は誰でも自然と歌声に言語発声が混入してるんです。(
>>113 、
>>134 )
しかも同じ言語圏の人でも個々で混入比率が違って、まさしく千差万別です。
で、場合によってそれを取り除いたり混入比率を下げたり、あるいは他言語の発声を意識しないといけないのに、
どのボイトレも暗黙の了解、知ってて当然・出来て当然のように、それをスキップして練習に入ります。
そんなんじゃ出発点から間違う可能性だってあります・・・
ロジャー本なんてそれの最たる例じゃないでしょうか?
発声に加わる言語発声エッセンスがとても大切なファクターであることは、
>>112-114 、
>>133-135 で説明しましたね。
母国語が英語の人と我々日本人ではその言語発声が全く違うのに、それを一切無視して練習に入ってます。
だから「ヘッドってどうやって出すんだ?」みたいに記載の無い所でつまづき、ついには難しすぎると挫折するんです。
ウォームアップでも、高音では喉を開放しないといけないのに、日本語発声のままどんどん喉を締め付けて間違います。
B用語の氾濫
同じ意味なのに声楽やボイトレの流派によって異なる言葉が多数あり、またそれぞれ微妙にニュアンスが違ったりもします。
にもかかわらず、情報の発信者はそんなこと一切お構いなく、ただ自分たちの用語が唯一のごとく伝えます。
それら同義語・類義語の整理だけでもかなり手間がかかり、発声練習にさえ入れず時間を浪費します。
もし用語の理解で苦しんでいる人がいたら、悪い言葉遊びだと思って切り捨てるのも手です。
C練習法の真意 世の中に出回っている練習法で発声を突き詰めたらどのような声になるか、、考えたことがありますか? 勘のイイ人ならもう気付いてくれていると思います。 これまで口を酸っぱくして言ってきたように、発声効率を突き詰めると歌唱発声になるはずです。 そして、数ある練習法も、その大多数が発声効率を高めるやり方についてです。 では、そんな練習法がなぜ現代音楽の発声練習に用いられているのか・・・ スミマセン、まだ現代音楽の歌声について書いていないのでわかりづらいですが、、 全ての歌声は程度の差こそあれ、話し声よりは発声効率を高めた結果だからです。 これは例え話で説明した方がわかりやすいでしょうか・・・ 例えばあなたが喉風邪にかかったとしましょう。 ただ風邪といっても、鼻水、喉の痛み、頭痛、発熱、症状は色々あります。 鼻水が出てるのに頭痛薬を服用する人はいませんよね? 薬は症状に合ったものが一番効果があるんです。(総合感冒薬は禁じ手で^ ^;) また、過剰な服用は危険ですから、用法・用量を守らないといけません。 数ある発声練習も、それぞれに異なった効果がある薬だと思って下さい。 的外れな練習は何の効果ももたらさないし、 1つの練習への偏重や過度の練習は、薬の過剰摂取と同じで逆効果になる危険さえあります。 自分の目指す理想の発声像に近づくためには、どの練習をどれだけすればいいのか? それを見極めるのはとても難しいですが、しかしながらこれが練習の際には大変重要なことです。 その難しい作業の手助けをしてくれるのが、本来のボイストレーナーのあるべき姿なんですが・・・ まぁ@・A等々、ボイストレーナーさんもいろいろ事情がおありでしょうから、これ以上は言いません。 以上、ボイトレに限らす歌の練習をしている人に考えて(気付いて)もらいたい大まかな4点です。 あともう1つ、耳は大切です!一杯音楽聴いたり、意識して聴覚を鋭敏化して下さい。
サブさん、とりあえずありがとうございます。
私のような若造のために音楽以外のことまで、役に立ちそうだけど難しいことを噛み砕いて説明していただいたこと、非常にありがたいです。
涙が出そうなほど感動しました。
あなたは私が目指すものに一番近いし、そんな方は初めてお目にかかりました。
私には今、金がありません。
親のすねをかじって生活している無能な高校生です。
なので自分の力で金を稼ぐようになったら、何年かかるかは分かりませんが、サブさんに挙げていただいた書籍をすべて吸収させていただこうと思います。
それまではこのスレを熟読し、教えていただいたWebサイトを閲覧することにします。
本当にありがとうございます。
ちなみにこれほど博識なサブさんならもうご存知かもしれませんが、僕からも声楽の発声についてWebサイトを挙げておきます。
表声・裏声などという感覚的な言葉を切り捨て、より実際に起こっている現象にスポットを当てていらっしゃるサブさんには申し訳ありませんが、
「男性が裏声を使うと声帯には悪い、喉頭は下がったまま表声を全身の筋力でバランスをとりうんぬん」という発声を提唱している方のサイトです。
残念ながら裏声を使った男性オペラ歌手は現在、一部のカウンターテナーやソプラニスタを除きほとんどいません。
その発声により声帯を壊さず死ぬまで歌い続けた歌手が何人もいたり、裏声を使ったカウンターテナーの歌手としての寿命が短いことから、今のところ私はその発声を信じています。
男性視点のみで語ってしまいますが、ここで敢えて「ベルカント」という言葉を使うなら、裏声を使った古い「ベルカント」は声帯に悪く体に優しい。
表声を使った新しい「ベルカント」は声帯に優しく体に悪いです。
「ベルカント」なんて言葉は非常に曖昧なものなのに、日本人が横文字として輸入した瞬間絶対的な定義を無理矢理つけてしまったようなので、この言葉を使うのは僕も好きではありませんが。
ttp://www2.odn.ne.jp/~cco47400/hassei.htm ttp://ameblo.jp/molto-piu-acute/ ttp://ameblo.jp/ken-baryton/
>>339 >>160-161 は図書館で借りた本ばかりなので、どうぞ1度図書館へ足を運んでみてください。
最近の図書館は他館から取り寄せができるし、大概の本が読めるようになって便利です^^
実践的で練習を伴う考察ならば、ボイトレ本の類の方が良いかもしれませんね。
個人的には、私がお勧めしたバイブルも、歌声の科学とかフースラーとかに準ずる知識型の本で、
ボイトレではないので、あくまで知識の形成、理論構築に役立つ本です。
あんまり難しい内容で手をこまねいて、練習が疎かになるのは本末転倒ですからね。
あ、ぶっちゃけ読んだことない本のが圧倒的に多いんで、立派なことは何1つ言える身分じゃないんですが^^;
個人的にうまい具合で優しい理論書だなぁと思ったのは『歌手ならだれでも知っておきたい〜』系です。
『音楽家なら〜』の方しか読んだことないんですが、あれは図解もあったり内容が実践者向けだった記憶があります。
同系統っぽいし、より詳しそうなので、私も読んでみたいですねぇ。
『あっというまに歌がうまくなる!?〜』は、特別この本だけの情報ってのもなかった記憶があるし、
正直、ボイトレ系の本はネットが発達した現代では、ググれば手に入る情報が99%です。
目にしたり耳にした情報(ボイトレ法)ばかりで、何か突飛な練習法を探す方が難しい時代になりつつあると思います。
特に昔から懐疑的に思っているのが、「あっという間に」や「たった3日で」とか「2週間で完成」みたいな、短期間で習得を謳っている本です。
発声って、いわばその人の癖のかたまりであって、本で単純一義的にまとめて上達を指導できるほど簡単なもんじゃないんです。
そういった本は大風呂敷を広げたことで、内容が大雑把になっていることが多いです。
まぁそれでも手に取って読んでしまうのは、私自身が発声嗜好症なんでしょうね^^;
長々と書いちゃいましたが、ご自身が練習と理論(知識)をどのウェイトで取り組むのかで、本もいろいろ変わってきます。
実践から頑張ってらっしゃるなら、やはりVT系本をいくらか読み潰して練習方法を増やしたりするのがイイですかね。
そうするうちに嫌でも知識なんてついてくると思います^^
>>231 喉をガッチガチに緊張させて、無理に声帯を振動させたら、喉を傷める確率は増すでしょうね…
>>232 さんがおっしゃる呼気圧迫が増すことにもつながりますし。
喉頭の位置は二次的な要素として、これまた声帯圧迫とか喉絞めにつながりますが、
まぁ極度に上がってなけりゃ許容範囲というか、深く考える必要はないと思います。
逆に考えれば、そうしないことが喉を傷めにくい発声ということになるでしょう。
声帯の閉鎖に絞って考えてみると、
>>65 の閉鎖筋群のうち側筋と横筋にまかせた閉鎖だと、声帯は大雑把にしか閉じません。
そんな状態だと、声帯は一様な振動をせずに、いびつに開閉運動をする羽目になりますよね?
振動にむらが起こると、何事でもそうですが、しわ寄せがどっかに来て、その状態を保つのが苦しくなります。
それを解決するために、声帯筋や外甲状披裂筋による閉鎖も加わってきれいな閉鎖・振動を起こします。
ただし、もし声帯筋や外甲状披裂筋が過度に働いても声帯圧迫につながるわけで… 何事も加減が大切です^^;
あと、いつかどこかで「裏声は喉を傷めやすい」とか聞いたことがあるんですが…
今ちょっと調べてみましたが、やっぱり“なぜ傷めやすいのか?”の答えが見つかりません。
もし理由を探すなら、その振動数の高さから、声帯靭帯に及ぼす負担が大きいのでしょうか?
それか、声帯靭帯縁辺のみの、これもある意味で“いびつな”振動が、声帯に悪影響を及ぼすのか…
そうじゃなきゃ閉鎖筋群が弱いか働いていない、声帯間隙が広めの状態なんで、声帯どうしが圧迫されてるとは考えにくいんです。
喉を傷めやすいという意見そのものにも賛否両論あるし、ここはまだ私も合点がいきません。
あと最後に、、発声が上手いといわれるヴォーカルでも、喉を傷めることはままあります。
どんな発声法だって、声を出す時点でリスクは負うんです。
そのことを理解した上で、負担の少ない喉を傷めにくい発声というのを考え、あるいは実践してみてください。
そして決定的な証拠がZUNさんが
>>524 で書いておられる差音として生じた1倍音の存在ですね。
きれいな正弦波の咽頭原音と2つの共鳴音の差音として生じた音は振動数は同じでも波形は違う筈です。
ただ客観的な手法にこだわってスペクトル分析にかけても波形の違いは読み取れないですよね。
音として聴き分けるのは主観性が入るので証拠としてはちょっと弱くなってしまうんだろうか。
少なくとも自分は聴き分ける自信がないorz
(ちなみに私は音楽的素養全くなしにいい大人になりましたので音感とか聴きとりとか駄目駄目です。
歌の単純なハモリパートひとつ聞き分けるのも必死、というかそれすら危うい感じでww
ZUNさんの耳がうらやましい)
それから、これも状況証拠になりますが、高次の倍音を含む色んな歌声を集めて
それらの歌声に高次倍音の差音として構成可能な低次の倍音が含まれている事を確かめる、
というのもありそうです。
それで、この2点目の状況証拠に関してですが、差音に注目すると疑問が一つ解けるのですよ。
以前私が取りあげた
http://archive.mag2.com/0000225345/20070319135000000.html ボイストレーニングの嘘真うそまこと「イイ声はどんな声か4」で
1.「透明感と艶のある声」のスペクトルが紹介されているんですが、
どうして強い倍音が「きっちり等間隔」に並ばなくてはならないのか疑問だったのです。
等間隔にどういう特別な意味があるのかと。
差音を考えるとこれが等間隔でなければならない理由が出てきます。
等間隔でなかったら強い倍音は様々な組み合わせで新たな差音を生じてエネルギーを分散してしまいます。
結果として強い倍音がいくつも並ぶという特異なスペクトルは維持できず、差音として生じた低次倍音が
強い倍音のエネルギーを奪って鋭いピークがない凡庸なスペクトルになってしまうのではないでしょうか。
逆に倍音が等間隔なら、どんな組み合わせで差音を作っても、もとからあったのと同じ音しかできません。
そういう場合にだけ、細く鋭く強烈に強い倍音のピークをいくつも持ったスペクトルが許されるのではないでしょうか。
そして、そういう細くて鋭い倍音のピークをいくつも持つ声が透明で艶があるように感じられると。
ではここで『発声概論』(
>>59-60 )を思い出してください。
どの言語発声も発声原理は共通で、声帯で音の素を作って、調音して言葉にしています。
コーカソイドはモンゴロイドにはない発声器官がある、、なんてことはあり得ません。
人類みな共通の発声器官を持ち合わせています。
じゃあ私たち日本人も、出そうと思えば日本語母音5つ以外の母音を出せるはずですよね?
でも試してみると・・・ それは無意識には出せないものだし、ものによってはかなり意識して作らない限りは出ません。
子音も同じ。例えば私たち日本人はlとrの使い分けが無く、普通は意識しない限りできません。
これこそ「言語差=言語発声の差」=「発声器官の使い方の差」なんです!!
何を今さら、そんなの当たり前だろが! と思わず聞いて下さい!!
これは全ての人が感じ取っているのに、あまり考えずスルーしちゃうことなんです!
>>69 や
>>73 にも書いたように、普段私たちが話すときは言葉の弁別に重点を置いて発声・発音します。
日本語なら日本語を、英語なら英語を、相手に伝わりやすいよう発語しています。
それは言語ごとに特徴のある言語発声方法をとっているということです。
ここで重要なのが、ある言語の言語発声を使い続けると、その言語発声は自動化し、無意識下に潜んでゆくということ!
この自動化・無意識化は、その言語を発声・発音するためには非常に便利なことです。
しかしその結果、発声器官はその言語1つに特化するようになります。
そんな状態で他言語を話そうとすると、母語の言語発声に影響を受け、その言語発声に引きずられちゃいます。
>>73 の結びで書いた発声器官の退化は、歌声に関してだけではなく言語発声に関してもいえることで、
言葉を換えれば「発声器官のある1つの言語発声への特化」ということになります。
発声概論(
>>59-60 )で述べたとおり、話し声と歌声の‘原理’は同じです。
でも聞こえる声は全然違う・・・いったい何が違うのか?今回はそれについてです。
感覚的な話は一切割愛します。理詰めというからには、
>>65 の筋肉を引用しながら説明しましょう。
まず「話し声」、この声の状態では引き下げ筋の作用がほとんどなく、
宙ぶらりんの甲状軟骨を固定するために、引き上げ筋の一部(甲状舌骨筋)が主だった役割を果たします。
この引き上げ筋により甲状軟骨は舌骨に固定されるわけですが、実は舌骨も固定されているわけではありません。
甲状軟骨も舌骨も宙ぶらりんな骨なんですね。
そこで、舌骨より上の筋肉、すなわち舌骨上筋群によって舌骨を下顎骨やらに固定します。
でもでも、実は実は・・・舌骨を固定するはずの下顎骨も宙ぶらりん!
なので下顎骨を固定する為に・・・と、まぁこれ以上は話を小難しくするだけなんで止めておきます^^;
簡単に言っちゃえば、喉頭を固定する為に、それより上の筋肉群を働かせているわけです。
俗に「喉の位置が高い」といわれるのはこの状態です。
固定の際に引き上げ筋主体なので、引き下げ筋による声帯伸展はほとんど伴わず、声帯はたわんだような状態で全体が振動します。
閉鎖も大雑把で、とりあえず声が出るように声門が閉まればいい程度にしか働いていません。
このように、話し声というのは閉鎖筋と喉頭周辺の筋肉の一部を使うだけで、しかも働きは大雑把です。
その訳は、話し声にとって一番大切なのは言葉の弁別だからです。
別に大きい声が必要なわけでも、広い音域が必要なわけでもありません。
気息声だからダメとか、実声に聞こえないといけないみたいな制約もありません。
とにかく話し声に必要なのは“言葉を聞き分けられる状態にして相手に伝えること”なのです。
※弁別とは言葉の意味の区別(=使い分ける・聞き分ける)という意味で、発声概論のBの働きによります。
先日、城崎温泉に行ってきました。
最近体調悪かったし疲れてたし、まさしく湯治気分w おかげで少し良くなった気がします^ ^
にしても城崎温泉、町ぐるみで温泉街を盛り上げてますね。
浴衣で下駄履いて出歩いて外湯を廻り、柳のライトアップに見とれつつ夕涼み、、もう最高でした。
かなり若者も多かったし、ホントに年齢問わず楽しめる感じがしました。(私も若いけどね!)
あ、前もってちゃんと『城の崎にて』も読んだし、宿も見せてもらってきましたよ。
思う存分城崎を堪能して大満足です!
今
>>91 に書いた『日本語発声の微妙なラインと、日本語歌詞との関連性』について書いている途中なんですが、、
如何せんまだ体調悪くて気力出ない上にアウトプットも作文も不得手なんで、まとまる気配がありません orz
一応書きたいことを箇条書きにすると、、
@ 歌(声)に対する上手下手・好き嫌いについて。
A 『歌声と話し声の違い』(
>>69-73 )に書いた‘歌声’を‘歌唱発声’、‘話し声’を‘言語発声’として、
言語発声のさらなる特徴と、ポップミュージックに使われる歌声について言及する。
B ボイトレで注意・危惧すべき点。
ってな感じで、順不同になるかもしれませんが繋がっていきます。
AとBはフリーさんの前スレで書いたことに加筆する感じで、
まずは平原綾香はじめとする、私の好き嫌いを引き合いに出して@を書いていくつもりです。
あ、そうだ、、もしお暇があればセシル・コルベルが日本語で歌っている時の声と、平原綾香の声を聞き比べてみて下さい。
私の中では結構共通点が多いと思うんですが…
汲み取ってもらいたいことは、ずばりセシル・コルベルの日本語発声時の違和感です。
たぶん、外国人が日本語歌詞の曲歌ってるな〜 と感じるはずです。
ここんとこが平原綾香が歌う日本語歌詞に対する違和感にも繋がっていくわけでして、、
ただしこれは
>>96 の@に直結するので、あくまで私の主観的なもので万人共通ではありません。
歌う際に言葉の明瞭度よりも音高や音色にウェイトをおくならば、フォルマントは多少変移させて対応すべきでしょう。
下の図を見てください。
http://www.oki.com/jp/rd/ss/img/speech_fig_position.gif 各母音の範囲(破線内部)ならば、縁にいけば明瞭度は下がるものの、その母音に聞こえるはずです。
注目してもらいたいのは、「/e/と/u/」、「/a/と/o/」が重なっていることです。
この重複する範囲では、どちらの母音にもとれる音が出ています。
声を言葉として捉えた際、これでは明瞭度もクソもなくてよろしくない発声でしょうが、
しかしながら歌う際にはこういった縁までレンジをもつ意識をしてもよいと思います。
実際、発声練習の中には、「ア」のような「オ」、「オ」のような「ウ」、「エ」のような「イ」みたいに、
母音を崩してでも響きや音色を保持させるものもあるくらいです。
感想レスで、「何言ってるかわかんない」とか「言葉が聞き取れない」と書かれることがありますよね?
これは自分ではオッケーかなぁと思いながら歌ったものが、人によっては許容範囲を超えていた例です。
もし自分でいいと思うなら直す必要はないし、より言葉としてのウェイトを重んじるなら修正すべきでしょう。
いずれにせよ、判断は自分に委ねられているわけですから、それぞれの度合いを考えることは大切です。
長くなりましたが、以上で説明を終わります。
余談ですが、サザンの桑田佳祐はわざと日本語の発声を崩して歌っているそうです。
度数の高い酒を飲んで大音量のスピーカーの前で歌って喉を潰したって逸話もあるくらいですから、
音としての声、発声に対しては並々ならぬ思いがあるのかもしれません。
また、小室哲哉は作詞の時点から日本語の音節や文法を崩して音に対応させています。
人によっては2人のやり方は日本語を蔑にしていると言いますが、私は面白い試みだと思います。
逆に、山崎まさよしは日本語の発声を綺麗に残したまま歌っていると思います。
彼のようにはっきりと聞き取りやすい発声で歌うのは難しいです。
全く違うスタイルが全く違った良さを出す・・・これは非常に興味深い点です。
歌う時も聴く時も、はたまた見る時までも、そういった違いを感じることができたら、きっと楽しさが増します。
そして決定的な証拠がZUNさんが
>>524 で書いておられる差音として生じた1倍音の存在ですね。
きれいな正弦波の咽頭原音と2つの共鳴音の差音として生じた音は振動数は同じでも波形は違う筈です。
ただ客観的な手法にこだわってスペクトル分析にかけても波形の違いは読み取れないですよね。
音として聴き分けるのは主観性が入るので証拠としてはちょっと弱くなってしまうんだろうか。
少なくとも自分は聴き分ける自信がないorz
(ちなみに私は音楽的素養全くなしにいい大人になりましたので音感とか聴きとりとか駄目駄目です。
歌の単純なハモリパートひとつ聞き分けるのも必死、というかそれすら危うい感じでww
ZUNさんの耳がうらやましい)
それから、これも状況証拠になりますが、高次の倍音を含む色んな歌声を集めて
それらの歌声に高次倍音の差音として構成可能な低次の倍音が含まれている事を確かめる、
というのもありそうです。
それで、この2点目の状況証拠に関してですが、差音に注目すると疑問が一つ解けるのですよ。
以前私が取りあげた
http://archive.mag2.com/0000225345/20070319135000000.html ボイストレーニングの嘘真うそまこと「イイ声はどんな声か4」で
1.「透明感と艶のある声」のスペクトルが紹介されているんですが、
どうして強い倍音が「きっちり等間隔」に並ばなくてはならないのか疑問だったのです。
等間隔にどういう特別な意味があるのかと。
差音を考えるとこれが等間隔でなければならない理由が出てきます。
等間隔でなかったら強い倍音は様々な組み合わせで新たな差音を生じてエネルギーを分散してしまいます。
結果として強い倍音がいくつも並ぶという特異なスペクトルは維持できず、差音として生じた低次倍音が
強い倍音のエネルギーを奪って鋭いピークがない凡庸なスペクトルになってしまうのではないでしょうか。
逆に倍音が等間隔なら、どんな組み合わせで差音を作っても、もとからあったのと同じ音しかできません。
そういう場合にだけ、細く鋭く強烈に強い倍音のピークをいくつも持ったスペクトルが許されるのではないでしょうか。
そして、そういう細くて鋭い倍音のピークをいくつも持つ声が透明で艶があるように感じられると。
発声概論(
>>59-60 )で述べたとおり、話し声と歌声の‘原理’は同じです。
でも聞こえる声は全然違う・・・いったい何が違うのか?今回はそれについてです。
感覚的な話は一切割愛します。理詰めというからには、
>>65 の筋肉を引用しながら説明しましょう。
まず「話し声」、この声の状態では引き下げ筋の作用がほとんどなく、
宙ぶらりんの甲状軟骨を固定するために、引き上げ筋の一部(甲状舌骨筋)が主だった役割を果たします。
この引き上げ筋により甲状軟骨は舌骨に固定されるわけですが、実は舌骨も固定されているわけではありません。
甲状軟骨も舌骨も宙ぶらりんな骨なんですね。
そこで、舌骨より上の筋肉、すなわち舌骨上筋群によって舌骨を下顎骨やらに固定します。
でもでも、実は実は・・・舌骨を固定するはずの下顎骨も宙ぶらりん!
なので下顎骨を固定する為に・・・と、まぁこれ以上は話を小難しくするだけなんで止めておきます^^;
簡単に言っちゃえば、喉頭を固定する為に、それより上の筋肉群を働かせているわけです。
俗に「喉の位置が高い」といわれるのはこの状態です。
固定の際に引き上げ筋主体なので、引き下げ筋による声帯伸展はほとんど伴わず、声帯はたわんだような状態で全体が振動します。
閉鎖も大雑把で、とりあえず声が出るように声門が閉まればいい程度にしか働いていません。
このように、話し声というのは閉鎖筋と喉頭周辺の筋肉の一部を使うだけで、しかも働きは大雑把です。
その訳は、話し声にとって一番大切なのは言葉の弁別だからです。
別に大きい声が必要なわけでも、広い音域が必要なわけでもありません。
気息声だからダメとか、実声に聞こえないといけないみたいな制約もありません。
とにかく話し声に必要なのは“言葉を聞き分けられる状態にして相手に伝えること”なのです。
※弁別とは言葉の意味の区別(=使い分ける・聞き分ける)という意味で、発声概論のBの働きによります。
そのような意図しない言語発声の影響=歌唱への混入は、様々な場面で表面化してきます。
例えば日本語の「い段」なんて、私たち日本人が歌うときの障壁になっている顕著な例です。(cf.
>>73 )
普段私たちが話すときのイ段の発声は、舌がせり上がり口腔を狭め、
ほぼ引き上げ筋一辺倒で、声帯は大雑把な閉鎖のままです。(cf.
>>69 >>72 )
これでは歌唱発声に限らず、種々の歌声に必要な共鳴効果、および共鳴に適した声帯原音(喉頭原音)は確保できません。
もしこの状態のまま歌声に使おうとすると、、声帯はその大雑把さを引きずったまま不均一で過度な緊張をし、
口腔をはじめとする共鳴腔は狭いまま、それを補うようにさらに声帯に負担をかける、負のスパイラルに陥ります。
ではそれの解消のため、発声器官をフル活用した発声法=歌唱発声でイ段を発声しようとすると・・・
声帯および周辺の筋肉は適度に弛緩した上で協調して閉鎖に参加し、共鳴腔確保のため舌根は下げ喉頭位置を低くしなければなりません。
その結果、日本語母音特有のフォルマント形成は阻害され、言語としては不明瞭で不自然に聞こえます。
意図しない言語発声の混入・・・しかもそれを取り除こうとすると言語として不自然になる・・・
「言語発声と歌唱発声は対立するもの」(
>>73 )を如実にあらわすジレンマですよね。
このジレンマから、重要なポイントがわかってきます!!
まず、なぜジレンマが発生するのか考えてみると・・・ 「音声を言語・言葉として認識するのか、楽器のような音と認識するのか」
という2つの処理の、どちらを優先するかの葛藤が起こっているためではないでしょうか?
なるほどなるほど、また少し分かりました。
ですが僕とサブさんの間に色々なレベルの差がありすぎて、サブさんがこちらに歩み寄ってくれていなければ
今頃は会話さえ成り立っているかどうか怪しいところですな…… 毎度優しく噛み砕いていただき、本当に感謝しています。
声楽というのは自分がやっている限り、とんでもない感覚論の集合体だと思うんですね。
だから僕は「○×な感じ」とか「△□のように」としか言えないんです。
それを科学的にどうこうするにはまず自分がその歌い方をある程度体得し、その上で医学や音響学を勉強し、その声を出しているときに
“歌唱技術における感覚論へのアンチテーゼ”として始まり、
感覚的表現が“万人共通かのごとく書かれることに否定的”なはずが結局は感覚論へ回帰してしまっているような・・・。
フースラーの『うたうこと』はあたかも歌唱理論の代表的な本のように一般には捉えられがちですが、
「声楽器官を運転させるための第1の最も重要な原動力は、心の中の表象(考え方)なのであって、
発声のやり方は結局のところ、常にこの表象の産物なのである。」
と書いてあるようにその本質は普遍的な感覚論の本です。
また、感覚論の代表として挙げられることもあるリリー・レーマンの知覚図
http://www.gutenberg.org/files/19116/19116-h/images/i018.jpg もいまだに価値が減っていないと思います。
生理学・解剖学・運動学・音声科学等の知識をいくら集めたとしても歌はうまくならないでしょうし、
歌唱はスポーツのようなもので歌がうまくなるために必要なのはスポーツ科学に類するものです。
『音声生成の科学』の著者である Ingo R. Titze はその知見と技能が両立している稀な例と言えそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=UQw03TXZsHA たとえば速く走るためにより速いランナーのスタイルを模倣しようとするのは当然でしょうが、
そのスタイルを模倣すること自体が目的となってしまっては本末転倒です。
発声配置が批判されるのはこういう点についてではないかと思います。
歌唱という運動は直接的に目で見ることができませんし、自分の声を自分で即時的に客観的に聴くことはできませんから、
必然として感覚やイメージの比重が大きくなります。
この感覚やイメージを否定することは上達への道を自ら閉ざすに等しいことかと思います。
これまでも歌唱はおもに模倣によりその技術が受け継がれてきましたが、
これは教える者と教わる者との間に普遍的な感覚の共有があるからこそ可能だったのだと思います。
もちろん発達の度合いによって感覚やイメージは変化していきますのでこの点については考慮が必要です。
科学への期待を抱くのはよいとしても現時点では残念ながら歌唱は科学主義には向いていないと思います。
当然もうすでに気づいていることかとは思いますが・・・。
発声法の研究って、感覚論の集約からスタートしたもんだから、 そこには推察の材料として感覚(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。 ある意味、感覚論から通底する生理現象へ進むのは自然な流れだと思います。 まずは未熟でもなんでもいいから、色々喋ることって大切ですよ! 実は単なる思い過ごしで、全然整理できてないのがわかったり・・・ あ、俺の言ってることはもちろんそっちだよ。例えば音響学的な切り口で発声方法を解明するにあたっては、帰納法的に導き出すでしょうし、 そこには推察の(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。 新しい機種が出ることによってもっと音源を良くしてほしいと思ってる なるべく原曲に近い音質ももっと上げて欲しい。 本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。 でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。 機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。 あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが) そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ あからさまに音が悪いの多すぎる。 ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。 2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。 再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。 良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい 新しくしてやってくれって感じだ。 古い曲で糞音源なのは捨てて、新しく音を綺麗に作り直したのを入れて欲しい。 さて、そのような障壁を乗り越え、言葉のしがらみから脱した時、知識が新たな局面を迎えるんです。
先に言っちゃうと、私が平原綾香大嫌いなのは曲に対して声⇒発声・発音が全く合ってないと感じるからです。
あとは大好きだった惑星の木星に歌詞付けるばかりか、その声で歌われたことが許せなかったからです。
もし歌うにしても、クラシック曲という先入観、曲の雄大さに合致するように歌ってもらいたかった・・・
できればドラマティコ、あるいはリリコのように。
逆に今回の発見から、その声に合う曲なら、あるいは私の嫌悪感をも払拭するほど素敵な声なのかとも思います。
>>23 感想をつけるってのがこのスレで重要部だからな 前レスから持ってこんと書けん
んでうpばかりするから 微妙スレが1000いくなんて稀 700代までいったの久しぶりに見た
>>406 じゃがりきんと一緒にされると俺はともかく向こうが困るだろう 氏は「問題に触れず黙々とうpする」という選択肢を選んだ
最終的に、それが正常運行への近道だと判断したんだろう 俺はそれでいいと思う
俺個人がその結果の善悪をどう考えているかと言えばまた別の問題になるが
ただ、そう考えてそう行動するのなら、そう評価するだけだろうな 何も言いたくないなら行動だけすればいい
それ自体が、ひとつの意思表示になる それは千の言葉よりも万の理屈よりも強いはずだ
他人の名を騙って貶めることに恥ずかしさを感じないというのは、羨ましいな
まあそれでスレが埋まる手伝いになるのなら良いだろうが 念のため、最終的な方向性を提示しておく
まずはここのスレを埋める。これは前々から言っていることだから敢えて言うことでもないな
その上で、立ってしまった56スレに移動する 向こうの55の住民も、使い切ればあちらへ移動するだろう
もし、まだ向こう側のスレが埋まっていない場合は向こうに移動し、使い切ってから56へ移動だ
56へ移動した段階でテンプレは正常なものを使用しているわけだから問題もないだろう
さて、前振りはこの辺にして、ぶっちゃけ上で説明した歌声というのは、
話し声では使わなかった筋肉や、大雑把にしか働かなかった筋肉を使うってことでして・・・
要は
>>65 の各種筋肉を効率よく役割分担させながら使っているわけなんです。
でも、なんせ普段使わなかったりする筋肉も活用するわけですから、それが難しいわけですね^^;
まず引き上げ筋と引き下げ筋の作用について。
>>69 で書いたとおり、話し声の場合はほとんど引き上げ筋に頼った甲状軟骨の固定をしています。
それ対して歌声の場合は引き下げ筋も加わって、甲状軟骨を上下から引っ張り合う形にします。
甲状軟骨を挟んで、引き上げ筋・引き下げ筋が拮抗した綱引きのような状況だと思ってください。
こうすることでも甲状軟骨は一定の場所に留まる=固定されますよね。
で、本題はこれによって何が起こるのかなわけで・・・
簡単に言ってしまえば、喉頭内にある筋肉(より狭義では声帯にある筋肉)の緊張が解けるのです。
緊張が解ければ声帯の自由度は増し、歌に必要な敏捷性等を獲得します。
また、引き下げ筋が加わることで声帯の伸展を伴った発声になり、音高調節を閉鎖筋に依存する必要もなくなります。
ちょっと話をそらしますが、「喉が高い」といわれる状況が何故いけないのか?その理由も上記によって説明がつきます。
話し声のレベルでも音高調節はある程度利きますが、地声音域を越えられるものではありません。
また、閉鎖筋群に頼った音高調節・発声では上記の自由度・敏捷性は阻害され、
速いフレージング・パッセージ、アジリタのような装飾技巧、フェイクも不可能です。
話し声のまま歌っているなんて言われ方も、引き上げ筋・引き下げ筋のアンバランスさが一因な気がします。
夏バテ診断とは・・ガチでやられてますね・・^^ まだまだ残暑は続く見たいなので気をつけてください! 昨日は、配属先の店舗でエアコン故障が続いて、午前中で下着まで汗まみれでしたw 水分補給はおわすれなく! レンタルCD屋通いは僕もやりましたよー!w 必死に歌詞カードコピーしてカセットテープに録音、オリジナルアルバムとか言ってw アニソンは嫌いじゃないんですよ( ^ ^) それこそ、前によくあげてた自分の曲は、全部アニメかラジオドラマみたいなものと一緒に出来ないかなー・・と当初は野望がありましたしw ・・もう10年も前の事ですが、知り合いとシナリオ作りに挑戦したりもしてました^^ 平原綾香の声は、確かに自分自身のレスの流れで行くと、倍音が多くて日本語らしくない声なんですよね。 話し声もかなり息っぽくて籠っている感じです。・・でもそういう喉だからこそのあの安定したビブラートだとも思います。 大好きだった曲に手をつけられる・・というのは痛手でしたねw^^; 僕の現在の主観の場合、ビブラートに注目するようになっている毎日ですので(w)、それほど嫌いでは無い感じです。「すごいなー」・・と。 ただ、「自分も練習すればこの声のまま簡単にビブラートできる」と思い込んでいた昔だったら、 「彼女の日本語っぽくない声ってなんだかなー」と思っていたはずです。 まぁ、もう一つは、震災の復興の手助けになった・・というところですかね^^; 僕の姉がボランティアでずっと神戸の震災の機関紙に関わっている・・ってのが心情の原因っすw 歌とはあんま関係無いかなw @ A B は、まさに沢山の人が無意識にスルーしてしまいがちな重要な要素・・な見出しですね!! このあたりにまずきちんと言及されるところがサブさんの真骨頂の一旦に思えます! 僕のスレの事は、どう料理しても構いませんので、時には反論も含め、楽しみにしてます( ^ ^)/
表題、、内容が連想しにくい上に小難しいなぁ・・・
まぁ言いたいことも雲をつかむような話なんで、ある意味的を射てる? ^ ^;
一応今回は『言語発声の特徴と言語差』(
>>112-114 )の続きという形で書いていくので、引き続き
>>111 の言葉を使います。
あ、それと、これまでは歌唱発声=オペラ・クラシック発声についてしか歌声の考察をしていませんでしたが、
今回はちょっと一般的な現代の大衆音楽の歌声についての導入くらいは書けたらと思います。
話を蒸し返しますが、また言語差のはなしから^ ^;
>>113 に書いたとおり、普通の人は「ある1つの言語発声への発声器官の特化」が起こっていて、
他言語を話そうとしても母語の言語発声のまま発語してしまう傾向があります。
これは同一言語内の方言にもあてはまって、共通語を話しているのに何か訛ってる・・・ってのは方言特有の言語発声のせいです。
私見ではありますが、発音=子音調音より、母音の発声の方が、その傾向が大きい気がします。
そういえば、昔どこかで「言語の箱」だか「母音の箱」みたいなたとえ話を読んだことがあって、
「 人間の頭の中には、母語の母音の数だけ箱が作られる。
人は外国語を学ぶときにも無意識にその言語の母音を自分の中の箱に振り分けようとし、
母語にはない母音をどこに入れようか迷い、ついには間違った箱に入れてしまう。 」
みたいなことが書いてありました。これには感銘を受けましたね。
私が『言語発声の特徴と言語差』で書いたことを端的に表していると思います。
女っぽい声を出すには:お手軽編
例1・素人 (ニコニコですまないが)男が女声を出す方法・声真似のやり方
http://www.nicovideo.jp/watch/nm4444778 まあこのレベルまでいければ女声出せるって言ってもいいのかもしれない
正直録音すると「ああ」レベルだが同じ空間で喋られると「おお」となるだろう
○地声は高い方が望ましい
声帯が短めの方が当然いいし最低でも中音域は欲しい 低音域の人は諦めましょう
あと裏声の女声は倍音が少なくなってどうやってもそれっぽくはならないのでその方向も諦めましょう
○喉仏を上げる
これによって低周波の音が比較的カットができる
○鼻にかける
上のはきれいな鼻腔共鳴というには程遠いが仕方がない 現実の女でこのくらい露骨に鼻にかけるぶりっ子はざらにいる
同じ空間だと大して気にならないが録音するとドン引きレベルなので注意 萌え系の声を出すときには必須
○息を漏らす
息を吐くと高音域の周波数を多く含んだ音が出る これを女の声の高さの再現に利用していると思われる
とりあえずこのくらい あとは練習つつ探ってみよう カラオケ時のネタレベルにはぜんぜんなると思う
女っぽい声を出すには:本格編
例2・声優 (ニコn(ry)1人7役
http://www.nicovideo.jp/watch/sm662421 さすがのプロ 笑ってしまうくらい次元が違う ここでもっとも重要な事
彼は地声は高いが女声を出すときに別に高い音を出しているわけではないということ なのになぜそれっぽく聞こえるか
それはお手軽編で述べた事を理屈は分からずとも高レベルでやれてしまっているから
これは声優としての発声の良さがすべての底上げをしてくれているからで一般人にはかなり難しい
さらに役者としての女性の喋りのニュアンスの表現力がいっそう違和感のないものにしている
紹介しといてなんだが参考にするのはやめた方がいい
基礎がない素人が真似したところでひどいものが出来上がるのは目に見えている
新しい機種が出ることによってもっと音源を良くしてほしいと思ってる なるべく原曲に近い再現で作ってほしい、音質ももっと上げて欲しい。 本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。 でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。 機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。 匠的な有能な音源技師や職人を沢山雇って良いカラオケ音源を沢山入れてほしいと思うわー。 あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが) そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。 2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。 再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。 良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい 古い曲で糞音源なのは捨てて、新しく音を綺麗に作り直したのを入れて欲しい。 今回は言語発声の差の要因になる生活環境の違いとかについて、あえて書きませんでした。 それはあくまで原因。説明したかったのはその結果生まれた差だからです。 あとは長くなりすぎて切らざるを得なかったから^ ^; 参照できるようにそれに関するサイトを探してみたんですが・・・ 見つからなかった orz 少なくとも以下の本では紹介されてたはずなんで、興味のある方は読んでみて下さい。 『声と日本人』(著:米山文明 出版社:平凡社) 『美しい日本語を歌う - 心を伝える日本語唱法』(著:大賀寛 出版社:カワイ出版) 『「医師」と「声楽家」が解き明かす発声のメカニズム - いまの発声法であなたののどは大丈夫ですか』 (著:萩野仁志、後野仁彦 出版社:音楽之友社)
今
>>91 に書いた『日本語発声の微妙なラインと、日本語歌詞との関連性』について書いている途中なんですが、、
如何せんまだ体調悪くて気力出ない上にアウトプットも作文も不得手なんで、まとまる気配がありません orz
一応書きたいことを箇条書きにすると、、
@ 歌(声)に対する上手下手・好き嫌いについて。
A 『歌声と話し声の違い』(
>>69-73 )に書いた‘歌声’を‘歌唱発声’、‘話し声’を‘言語発声’として、
言語発声のさらなる特徴と、ポップミュージックに使われる歌声について言及する。
B ボイトレで注意・危惧すべき点。
ってな感じで、順不同になるかもしれませんが繋がっていきます。
AとBはフリーさんの前スレで書いたことに加筆する感じで、
まずは平原綾香はじめとする、私の好き嫌いを引き合いに出して@を書いていくつもりです。
あ、そうだ、、もしお暇があればセシル・コルベルが日本語で歌っている時の声と、平原綾香の声を聞き比べてみて下さい。
私の中では結構共通点が多いと思うんですが…
汲み取ってもらいたいことは、ずばりセシル・コルベルの日本語発声時の違和感です。
たぶん、外国人が日本語歌詞の曲歌ってるな〜 と感じるはずです。
ここんとこが平原綾香が歌う日本語歌詞に対する違和感にも繋がっていくわけでして、、
ただしこれは
>>96 の@に直結するので、あくまで私の主観的なもので万人共通ではありません。
先に言っちゃうと、私が平原綾香大嫌いなのは曲に対して声⇒発声・発音が全く合ってないと感じるからです。
あとは大好きだった惑星の木星に歌詞付けるばかりか、その声で歌われたことが許せなかったからです。
もし歌うにしても、クラシック曲という先入観、曲の雄大さに合致するように歌ってもらいたかった・・・
できればドラマティコ、あるいはリリコのように。
逆に今回の発見から、その声に合う曲なら、あるいは私の嫌悪感をも払拭するほど素敵な声なのかとも思います。
感想をつけるってのがこのスレで重要部だからな 前レスから持ってこんと書けん
んでうpばかりするから 微妙スレが1000いくなんて稀 700代までいったの久しぶりに見た
>>68 他人の名を騙って貶めることに恥ずかしさを感じないというのは、羨ましいな
まあそれでスレが埋まる手伝いになるのなら良いだろうが
念のため、最終的な方向性を提示しておく
まずはここのスレを埋める。これは前々から言っていることだから敢えて言うことでもないな
その上で、立ってしまった56スレに移動する 向こうの55の住民も、使い切ればあちらへ移動するだろう
もし、まだ向こう側のスレが埋まっていない場合は向こうに移動し、使い切ってから56へ移動だ
56へ移動した段階でテンプレは正常なものを使用しているわけだから問題もないだろう
そのような意図しない言語発声の影響=歌唱への混入は、様々な場面で表面化してきます。
例えば日本語の「い段」なんて、私たち日本人が歌うときの障壁になっている顕著な例です。(cf.
>>73 )
普段私たちが話すときのイ段の発声は、舌がせり上がり口腔を狭め、
ほぼ引き上げ筋一辺倒で、声帯は大雑把な閉鎖のままです。(cf.
>>42 >>80 )
これでは歌唱発声に限らず、種々の歌声に必要な共鳴効果、および共鳴に適した声帯原音(喉頭原音)は確保できません。
もしこの状態のまま歌声に使おうとすると、、声帯はその大雑把さを引きずったまま不均一で過度な緊張をし、
口腔をはじめとする共鳴腔は狭いまま、それを補うようにさらに声帯に負担をかける、負のスパイラルに陥ります。
ではそれの解消のため、発声器官をフル活用した発声法=歌唱発声でイ段を発声しようとすると・・・
声帯および周辺の筋肉は適度に弛緩した上で協調して閉鎖に参加し、共鳴腔確保のため舌根は下げ喉頭位置を低くしなければなりません。
その結果、日本語母音特有のフォルマント形成は阻害され、言語としては不明瞭で不自然に聞こえます。
意図しない言語発声の混入・・・しかもそれを取り除こうとすると言語として不自然になる・・・
「言語発声と歌唱発声は対立するもの」(
>>73 )を如実にあらわすジレンマですよね。
このジレンマから、重要なポイントがわかってきます!!
まず、なぜジレンマが発生するのか考えてみると・・・ 「音声を言語・言葉として認識するのか、楽器のような音と認識するのか」
という2つの処理の、どちらを優先するかの葛藤が起こっているためではないでしょうか?
発声法の研究って、感覚論の集約からスタートしたもんだから、 そこには推察の材料として感覚(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。 ある意味、感覚論から通底する生理現象へ進むのは自然な流れだと思います。 まずは未熟でもなんでもいいから、色々喋ることって大切ですよ! 実は単なる思い過ごしで、全然整理できてないのがわかったり・・・ あ、俺の言ってることはもちろんそっちだよ。例えば音響学的な切り口で発声方法を解明するにあたっては、帰納法的に導き出すでしょうし、 そこには推察の(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。 新しい機種が出ることによってもっと音源を良くしてほしいと思ってる なるべく原曲に近い音質ももっと上げて欲しい。 本当CDに入ってるミュージシャンの曲とほぼ同じものがカラオケでも流れるようになったら理想なんだけどな。 でも現実は上手く再現されてなかったり、音が変だったり、迫力がなくショボかったり、各楽器のバランスが悪かったり。 機種っていうより音源作ってる職人さん?企業が雇ってる音源作ってる職人さんの質を高くしてほしい。 あと、2000年代初期とか昔に入った当時のマイナーな曲とか、マイナーなアーティストの昔に入った曲とか ものすげー音がショボイのあったりするから(何もマイナーな歌手に限った事ではないが) そういう昔に入れてもう音がショボ過ぎる音源は新しく作り直して入れな直して欲しいわ あからさまに音が悪いの多すぎる。 ラルクとか90年代に全盛期だったアーティストとかの曲は過剰な程に丁寧に作られてるのにさ、音源。 2000年初頭あたりの音楽のジャンルが多様化してきた辺りの曲で マイナーなアーティストの曲が入ってると大抵マジで音が糞。 再現率低い、以上に音が小さく感じるくらいに迫力がない、音が原曲通りじゃない等ひどい音源多すぎる。 良い音源はそのまま残して、古いカラオケ音源は新しく今の最新技術で作り直して入れ直してやって欲しい 新しくしてやってくれって感じだ。 古い曲で糞音源なのは捨てて、新しく音を綺麗に作り直したのを入れて欲しい。 さて、そのような障壁を乗り越え、言葉のしがらみから脱した時、知識が新たな局面を迎えるんです。
もっとわかりやすく直感的に理解するために、↓の動画をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=Je_Z63BZcXM @0:00〜1:05 日本人がしゃべっているような英語発声。(少々誇張気味です^^;)
A1:07〜1:31 本人の自然な英語。(ネイティブだと思います。)
B1:33〜2:07 母語が英語の人が話す日本語。(日本語発声かなり上手い。)
どうですか?この人の自然な英語と日本人を真似した英語では、誇張気味とはいえかなりの差がありますよね?
日本人を真似した英語では、まさしく日本人がやらかしそうなカタカナ英語になってるのがわかると思います。
同時に、上手いとはいえ日本語を話している時は、外国人が日本語しゃべってるな〜 とハッキリ感じるはずです。
なぜ日本人が英語を話すと動画のようなカタカナ英語になっちゃうのか??
また、なぜ外国人が日本語を話しているとわかってしまうのか??
解説はしませんが、その理由を考えるとまさしく
>>113 につながります。
さて最後になりますが、上の動画の題名「japanese accent」の「accent」、、「強勢、強調」という意味だけではありません。
もう1つ大切な和訳、、「訛り」、、そう! 訛り!! ずっと昔から感じ取られ、単語にまでなっているんです。
上記の言語発声の特徴・言語差は方言の訛りにだって適用できるし、それは厳密になれば個人レベルの差まで確認することができます。
いろんな声に耳を傾けて下さい。そうしたらきっと発声・発音の差が聞き取れるはずです。
サブさん、とりあえずありがとうございます。
私のような若造のために音楽以外のことまで、役に立ちそうだけど難しいことを噛み砕いて説明していただいたこと、非常にありがたいです。
涙が出そうなほど感動しました。
あなたは私が目指すものに一番近いし、そんな方は初めてお目にかかりました。
私には今、金がありません。
親のすねをかじって生活している無能な高校生です。
なので自分の力で金を稼ぐようになったら、何年かかるかは分かりませんが、サブさんに挙げていただいた書籍をすべて吸収させていただこうと思います。
それまではこのスレを熟読し、教えていただいたWebサイトを閲覧することにします。
本当にありがとうございます。
ちなみにこれほど博識なサブさんならもうご存知かもしれませんが、僕からも声楽の発声についてWebサイトを挙げておきます。
表声・裏声などという感覚的な言葉を切り捨て、より実際に起こっている現象にスポットを当てていらっしゃるサブさんには申し訳ありませんが、
「男性が裏声を使うと声帯には悪い、喉頭は下がったまま表声を全身の筋力でバランスをとりうんぬん」という発声を提唱している方のサイトです。
残念ながら裏声を使った男性オペラ歌手は現在、一部のカウンターテナーやソプラニスタを除きほとんどいません。
その発声により声帯を壊さず死ぬまで歌い続けた歌手が何人もいたり、裏声を使ったカウンターテナーの歌手としての寿命が短いことから、今のところ私はその発声を信じています。
男性視点のみで語ってしまいますが、ここで敢えて「ベルカント」という言葉を使うなら、裏声を使った古い「ベルカント」は声帯に悪く体に優しい。
表声を使った新しい「ベルカント」は声帯に優しく体に悪いです。
「ベルカント」なんて言葉は非常に曖昧なものなのに、日本人が横文字として輸入した瞬間絶対的な定義を無理矢理つけてしまったようなので、この言葉を使うのは僕も好きではありませんが。
ttp://www2.odn.ne.jp/~cco47400/hassei.htm ttp://ameblo.jp/molto-piu-acute/ ttp://ameblo.jp/ken-baryton/
やはり釈然としない、、
今回の『音楽に対する好き嫌い・上手下手』(
>>101-108 )の注釈と、
>>96 のABにつながることを先走って少しだけ・・・
>>108 でマスケラやらアンザッツTって書きましたが、あまり聞きなれない言葉だと思います。
これは声楽分野の練習方法で、声を前にもってくるとか、歯に当てるとか、鼻腔共鳴を促す感じだと思って下さい。
これで声をより開放的にして、明るさを持たせます。
ただ、やりすぎると平べったくて金属的で倍音の少ない声になっちゃいます。
この平べったくて〜 な声が日本語発声の大きい要素でもありまして、これから言及したい
>>96 Aにも関わるトピックです。
そしてもう1つ、私がこの先一番書きたいことで、これまで書いてきたこと全てに関わることなんですが、
「ロック歌いたいのに声楽を勉強しても意味がない!」とか、「ボイトレの模範発声が自分の理想とは違うから止め!」とか、
私からすれば実にもったいないことです。
これまでさんざん書いてきたように、声は1対の声帯から発生して、それはどんな声でも絶対不変のものです。
その声帯を動かす筋肉を少しずつ変え、はては体全体の運動によって様々な歌声を作り出します。
>>70 に書いたように、そして今回の発声技術で言及したように、それぞれの発声法の中に共通点・相違点を見つけ出せれば、
それを使って自分の発声練習へフィードバックできます。どんな練習方法だって自分の糧となるんです。
投下した後でgdgd愚痴っちゃってホントごめんなさいm(_ _)m
今日はこれで寝ます。お休みなさい。
よかった、、書き込めた。。。初めて連投規制引っかかったよ('A`)
いつものことながら、投下した後で後悔に苛まれています・・・ 当たり前のことをよくもまぁこんなに長々と書けたもんだと・・・
しかも何を伝えたかったのか、それさえあやふやで、何より独善的で救いようがない orz
やっぱ書き上げる気力萎えてんのかなぁ、、もっと冷静に推敲して書きなおすべきだったなぁ〜
ちなみに今回の迷走の一因は、
>>96 @〜Bと話が続いているせいでもあります。
3つのうちどれか1つだけ書いて読んでも、パズルのピースを眺めるがごとく、全体の絵が見えないわけです。
葉を見て木を見ず、木を見て森を見ず。全部書き終えて初めて大観できる・・のか??
―――◇ 小休止.X ◇―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
Lunasa - Morning Nightcap
http://www.youtube.com/watch?v=PnYG5bBeq7E Loreena McKennitt- The Mystic's Dream
http://www.youtube.com/watch?v=Vt2r2rUHc7Q 上:アイリッシュやケルトで一番有名どころといえば・・・そこで私はこの人たちを推します!
フィドルが踊る!リードが駆け回る!聴いていてウキウキがとまりませんw
下:あまり歌声の入っているケルト系は聴かなかったんですが、これがきっかけで好きになりました。
上とは違って何というか、ちょっと湿っぽさがあって、これもまた雰囲気が出てるなぁと思います。
:サブ:2010/08/23(月) 23:36:59 ID:r+SIseOc
要は、人それぞれに好き嫌いが介在した上手下手の判断基準ができちゃってて、そのズレが原因でいろいろ齟齬が生じるんです。
また、多くの人はそのことに気付かなかったり、あるいは好き嫌いを排することが疎かになってしまっているのではないかと思います。
ただ単に音楽を聴くだけならそれでも問題ないんですが、歌の上達を試み、練習をする際には大なり小なり問題アリです。
詳しくは後述するとして、歌が上手くなりたい! 上手に歌いたい! と思って練習しているのに、
お手本にするアーティストや曲が自分の好きなものだけだった場合、必然的に発声に偏りがでて、偏食気味になっちゃうんです。
もしそれで練習を続けて上手くなれたら御の字ですが、、それは運が良かったというべきで、
王道的な発声練習・歌唱練習をする場合において、自分の好き嫌いは一時期でもいいから排して我慢すべきものです。
その過程で取捨選択をして、最終的に自分好みの発声へと舵を取れれば上達への道は切り開かれます。
ある意味、急がば回れです^^
@ 『音楽に対する好き嫌い』
上でも書いたとおり、好き嫌いは千差万別・十人十色だし、その要因もごまんとあるし、漠然としてつかみにくいものです。
まずは「内因=自分の中の好み」となるものを挙げると、「ジャンルが好きor嫌い」 「歌詞が好きor嫌い」
「声質が好きor嫌い」 「曲調が好きor嫌い」 「アーティストが好きor嫌い」 etc、、数えあげたらキリがないです^^;
あ、そうだ、生理的に受け付けないってのも内因の1つです。
理由なんてなく、もうどうしようもなく嫌いってのもあるはずですから、そんな時にだけ使います。
そしてその内因が構築される過程も、成長過程での生活環境(親の影響)とか、情緒多感な時期に流行っていた音楽ジャンルとか、
友達に勧められて聴くうちにとか、、これも色々あります。
(
>>103 に続く)
夏バテ診断とは・・ガチでやられてますね・・^^ まだまだ残暑は続く見たいなので気をつけてください! 昨日は、配属先の店舗でエアコン故障が続いて、午前中で下着まで汗まみれでしたw 水分補給はおわすれなく! レンタルCD屋通いは僕もやりましたよー!w 必死に歌詞カードコピーしてカセットテープに録音、オリジナルアルバムとか言ってw アニソンは嫌いじゃないんですよ( ^ ^) それこそ、前によくあげてた自分の曲は、全部アニメかラジオドラマみたいなものと一緒に出来ないかなー・・と当初は野望がありましたしw ・・もう10年も前の事ですが、知り合いとシナリオ作りに挑戦したりもしてました^^ 平原綾香の声は、確かに自分自身のレスの流れで行くと、倍音が多くて日本語らしくない声なんですよね。 話し声もかなり息っぽくて籠っている感じです。・・でもそういう喉だからこそのあの安定したビブラートだとも思います。 大好きだった曲に手をつけられる・・というのは痛手でしたねw^^; 僕の現在の主観の場合、ビブラートに注目するようになっている毎日ですので(w)、それほど嫌いでは無い感じです。「すごいなー」・・と。 ただ、「自分も練習すればこの声のまま簡単にビブラートできる」と思い込んでいた昔だったら、 「彼女の日本語っぽくない声ってなんだかなー」と思っていたはずです。 まぁ、もう一つは、震災の復興の手助けになった・・というところですかね^^; 僕の姉がボランティアでずっと神戸の震災の機関紙に関わっている・・ってのが心情の原因っすw 歌とはあんま関係無いかなw @ A B は、まさに沢山の人が無意識にスルーしてしまいがちな重要な要素・・な見出しですね!! このあたりにまずきちんと言及されるところがサブさんの真骨頂の一旦に思えます! 僕のスレの事は、どう料理しても構いませんので、時には反論も含め、楽しみにしてます( ^ ^)/
最近はすっかりラジオ派です 特に金曜夜の(以前は日曜夜)粋な夜電波 あれのおかげでヲタソン数万曲入るHDDの中にジャズが増えてまいりました そのおかげか否か、不満で不安だったリズム感の悪さが少し解消されたようにも感じます ビブラートは徐々に理想的な波に 歌うときの意識の持ち方で左右されるものだなと痛感してます ラジオも音楽情報源としてイイですね。 昔はちょこちょこ聞いてたのに、いつの間にやら全く聞かなくなっちゃいました… ジャズを有線みたいにダラダラ流してくれるラジオとかあったら絶対かけちゃいますw ジャズはどっちかというと、私の中ではインテンポよりグルーヴィーな感じですね。 伴奏自体がうねってる感じもするんですが、それと歌声の兼ね合い、 ちょっとしたズレとかを意識して聴いたりすると、より細かなリズムの動き・連動がわかるかもしれません。 ヴィブラートの種類もテンポに合わせるのか、逆にずらしてかけるのか。 私には高度すぎて想像でしか描けない世界ですが、そういった細かさって、 他の要素といろいろ絡み合って、最終的な歌声としての表現につながるんだと思います。 もちろんそこに気分など気の持ち方が影響してくるのは言わずもがなですね。 昨日書いた後で、私は何でこんなにA○Bが苦手なのかが頭の隅っこに引っかかってて、 歌声としてキンキンした黄色い声と、民謡などの歌声は似ているのか否かを考えてました。 正直なところ答えはまだ出てないわけですが…^^; 少なくとも、ユニゾンみたいに全員が同じ音階で歌う場合、低次倍音が少なく偏在している声では、 綺麗な重なりにするには相当精巧な歌声の操作が必要になることは確かです。 簡単に言っちゃえば、石造りの教会とかで声がボワッとぼやけた感じになるように、 声の輪郭がぼやけていると、斉唱でもある程度綺麗に1つの歌声の集合みたいに聞こえちゃうわけです。 これに対して黄色い声のままでは輪郭がはっきりしすぎてて、重ねても輪郭同士が喧嘩しちゃうんです。 輪郭を合わせるのは至難の技だろうし、それぞれが主張しすぎてて、協調性に欠けるんですね。
今ももちろん好きなんですが、ある時を境にふと“心”って何ぞやと思うようになって、ちょっと聞く回数が減り始めたんです。
心…言い換えれば個性なのかもしれません。
丁寧に丁寧に歌ってるのは伝わったから、貴女の個性も聴かせてよ!って思ったわけです。
>>250 さんが仰るように、伝える技術というものはあるはずだし、 それが技術全体の中の一部を形作っていることは間違いありません。
丁寧に歌唱技術優先で歌うことによって、感情表現が抑えられることもあるでしょう。
同じく、技術を落とすことによって心を披瀝することだって可能なんじゃないか?そう思います。
フリーさんが「ピエロ声」とおっしゃるのも、それだからこそ伝わりやすい相手がいるわけで。
まだ技術と感情表現の直接的なつながりは解明されていませんが、それが無意識にできる人は‘伝わる人’、
それが不得手だけど歌唱技術がある人は‘丁寧な歌い手’みたいな評価になるんだと思います。
ごめんなさい、、全然まとまった意見にならなかった。。 もっと訓練しますm(_ _)m
せっかくなんで、Trijntje Oosterhuisと同時期に聴きまくっていたアーティストをもう1人紹介しておきます。
これぞ個性なんじゃね!?ってくらい歌い方から声から独特で、聞く人を選ぶかもしれません。
Mario Biondi / Close to You
http://www.youtube.com/watch?v=KcXAbs3EXDs 人間って、同じことを繰り返すと癖になる。 技術を何度もつかうことで、心の奥にと蓄積されていってるんだ。
そのうち無意識でその技術を使い出すようになる。より深い心へと蓄積されて行くんだ。
その深いところから出てきてしまうのが癖という奴だが。 癖を直そうとすると、それが容易でないことはわかる。
技術偏重で覚えた癖は、その最初に覚えた段階まで戻らないと修正が効かない。だから下手なことは教えられないんだ。
基礎を早い時期にうまく固めた人が伸びるのは、技術ばかりか癖をひとつの技として使いこなせるる。
言い換えれば、蓄積される器が大きいということ。
由紀さおり&ピンク・マルティーニのコラボレーション・アルバム『1969』がヒットしていると耳にはさみました。 しかも日本だけじゃなく海外でも受けているとか… 由紀さんといえば、お姉さんと一緒に童謡コンサートやってる人ですよね!? あの人の声って前に私が注目した童謡・唱歌の歌唱法を踏襲しているんですよ! その歌唱法、、説明が難しいんで割愛しますが、由紀さんの声の中に含まれているのは間違いありません。 どっかの番組で、音楽ディレクターが何故売れているのか質問されて、 「あのオリエンタルな歌声っていうのかなぁ、 まるで二胡を聴いている様な… 」 って言ってくれていたのも、私の考えを後押ししてくれています。 あの歌い方こそ、日本人が日本語を話す要領を捨てないまま歌った末に、辿り着くであろう歌唱法なんです。 日本語を忘れろとか、声は下に引っ込めろとか、そんな西洋かぶれをしなくてもいけます。 まぁ正直あのレベルは才能ですが、ある程度までなら童謡・唱歌の分野では歌えるやり方だと思います。 今まで散々日本人の声や喉の変形について論じてきましたが、それを捨てずとも歌うやり方があるんです。 いつかこの話は詳しくやりたいですねぇ。 逆にいえば、もし由紀さんが西洋人ぽい歌い方とか声質とかだったら、ヒットはしてないでしょう。 あの独特な東洋の香りこそ、西洋人が心惹かれた理由でしょうから。 この両者の違いが感じれれば、また現代のポップスで多用される西洋型にも参照できるはず。 乱暴な言い方ですが、逆の道を行けばいいわけですから。 あぁ、この違いが説明できたらなぁ… それにしてもなんですね、、最近ではA○B推しって言うんですか? チャンネル変えても変えてもA○B…あれのせいで私の年末年始はテレビフリーになりそうです。 正直あのキンキン声は聞いていると頭が痛くなります。 そんな声が何十人とユニゾンしてるんだから、わめき声聞いてるようなもんです。 まさに阿鼻叫喚地獄ですよ^^; 前にフリーさんと言ってた日本語発声の悪い面ばかりを凝縮したような… 無駄に黄色い声を前面に出した、なんとも心地の悪い声です。
“歌唱技術における感覚論へのアンチテーゼ”として始まり、
感覚的表現が“万人共通かのごとく書かれることに否定的”なはずが結局は感覚論へ回帰してしまっているような・・・。
フースラーの『うたうこと』はあたかも歌唱理論の代表的な本のように一般には捉えられがちですが、
「声楽器官を運転させるための第1の最も重要な原動力は、心の中の表象(考え方)なのであって、
発声のやり方は結局のところ、常にこの表象の産物なのである。」
と書いてあるようにその本質は普遍的な感覚論の本です。
また、感覚論の代表として挙げられることもあるリリー・レーマンの知覚図
http://www.gutenberg.org/files/19116/19116-h/images/i018.jpg もいまだに価値が減っていないと思います。
生理学・解剖学・運動学・音声科学等の知識をいくら集めたとしても歌はうまくならないでしょうし、
歌唱はスポーツのようなもので歌がうまくなるために必要なのはスポーツ科学に類するものです。
『音声生成の科学』の著者である Ingo R. Titze はその知見と技能が両立している稀な例と言えそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=UQw03TXZsHA たとえば速く走るためにより速いランナーのスタイルを模倣しようとするのは当然でしょうが、
そのスタイルを模倣すること自体が目的となってしまっては本末転倒です。
発声配置が批判されるのはこういう点についてではないかと思います。
歌唱という運動は直接的に目で見ることができませんし、自分の声を自分で即時的に客観的に聴くことはできませんから、
必然として感覚やイメージの比重が大きくなります。
この感覚やイメージを否定することは上達への道を自ら閉ざすに等しいことかと思います。
これまでも歌唱はおもに模倣によりその技術が受け継がれてきましたが、
これは教える者と教わる者との間に普遍的な感覚の共有があるからこそ可能だったのだと思います。
もちろん発達の度合いによって感覚やイメージは変化していきますのでこの点については考慮が必要です。
科学への期待を抱くのはよいとしても現時点では残念ながら歌唱は科学主義には向いていないと思います。
当然もうすでに気づいていることかとは思いますが・・・。
“歌唱技術における感覚論へのアンチテーゼ”として始まり、
感覚的表現が“万人共通かのごとく書かれることに否定的”なはずが結局は感覚論へ回帰してしまっているような・・・。
フースラーの『うたうこと』はあたかも歌唱理論の代表的な本のように一般には捉えられがちですが、
「声楽器官を運転させるための第1の最も重要な原動力は、心の中の表象(考え方)なのであって、
発声のやり方は結局のところ、常にこの表象の産物なのである。」
と書いてあるようにその本質は普遍的な感覚論の本です。
また、感覚論の代表として挙げられることもあるリリー・レーマンの知覚図
http://www.gutenberg.org/files/19116/19116-h/images/i018.jpg もいまだに価値が減っていないと思います。
生理学・解剖学・運動学・音声科学等の知識をいくら集めたとしても歌はうまくならないでしょうし、
歌唱はスポーツのようなもので歌がうまくなるために必要なのはスポーツ科学に類するものです。
『音声生成の科学』の著者である Ingo R. Titze はその知見と技能が両立している稀な例と言えそうです。
http://www.youtube.com/watch?v=UQw03TXZsHA たとえば速く走るためにより速いランナーのスタイルを模倣しようとするのは当然でしょうが、
そのスタイルを模倣すること自体が目的となってしまっては本末転倒です。
発声配置が批判されるのはこういう点についてではないかと思います。
歌唱という運動は直接的に目で見ることができませんし、自分の声を自分で即時的に客観的に聴くことはできませんから、
必然として感覚やイメージの比重が大きくなります。
この感覚やイメージを否定することは上達への道を自ら閉ざすに等しいことかと思います。
これまでも歌唱はおもに模倣によりその技術が受け継がれてきましたが、
これは教える者と教わる者との間に普遍的な感覚の共有があるからこそ可能だったのだと思います。
もちろん発達の度合いによって感覚やイメージは変化していきますのでこの点については考慮が必要です。
科学への期待を抱くのはよいとしても現時点では残念ながら歌唱は科学主義には向いていないと思います。
当然もうすでに気づいていることかとは思いますが・・・。
>>30 さん、前奏がゲームの曲か!?と思ってしまいました。
発声が少し雑になってるのかなぁという感じがしました。
勢いはあるかと思うのですが、その勢いがしっかり声に乗って無い感じで、無駄にしてしまってる部分が結構あるんじゃないかなぁと、
思いました。無駄に力が入っている部分があるので、途中でスタミナが切れてしまっているのかなぁという気もするので、
呼気を抑え目にしてしっかり声を出すというのを意識してみると良いのかなぁと思いました。
腹式呼吸やリップロール、タングドリル、エッジなんかをこなす内に喉の負担やスタミナ切れも無くなる気がしました。
>>32 さん、あれ?音程合ってるのかな?という感じが・・・
発声が良いのに音程で???となってしまってなんか不思議な感じが・・・
なんだろう?語尾処理の子音の強調だったりが上手く行ってないのか、ガクンガクンガクンという感じで
スムーズに音が繋がって行ってないのかなぁとも思うので、もう少し力抜いても良いんじゃないかなぁとか思いました。
雰囲気作るのはとても難しそうな曲だなぁと思いました。
>>34 さん、それって・・・歌っても大丈夫なのでしょうか? とりあえず無理をなさらずにお体を大事に。
蓄膿症に関しては鼻炎という認識で良いのでしょうか? 発声の問題なのですが、YUBAさん曰く鼻腔なんか関係ないらしいです。
以前、どこかのスレで鼻を摘んだYUBAさんが良い声で歌っていたというのを聞いた事があるのですが、
呼気のコントロールと音の響かせ方でしょうか、それがしっかり出来ていると鼻腔を使わなくてもしっかりとした発声になる、
らしいです。ただ、重度のと付いてしまうと体質的な物がどうしても出てきてしまうので絶対にとは言い切れ無さそうですが・・・
ハスキーな声は非整数倍音と関係してる、というような記述があった気がするんですが、
歌、声帯結節に関して知識が無いのでなんとも言えないので、発声に関してどうなのか解らないのですが、
音がしっかり取れてるのかなぁという気がしました。聞く限りでは口だけで歌っていて音がしっかりあっていないんじゃないかなぁ、
という気もするので、リップの練習と合わせて音階練習とかもしてみると良いのかなぁと思いました。
>>327 さん、以前聞いたときよりも安定していて、音の取り方がしっかりしてる気がしました
間違いなく上手くなってますよね。
少し、音の強弱のつけ方が少し雑になってるのかなぁという気がしたのですが、それが無くなれば、
(・∀・)カエレ!!じゃないかなぁと思いました。
>>328 さん、Mr.childrenってどんな曲歌っても難しいですよね。独特の節回し、リズムの取り方、音の取り方と。
私もhanabiを練習し始めてそろそろ半年近くになるのですが、全然納得いく感じにならないで苦労してます。
もう少し、メリハリの付け方と、音の伸ばす部分伸ばさない部分を意識してみると良いのかなぁと思いました。
少し棒読みの部分が多い感じがするので、語尾の子音で音の強弱や上げ下げなんかを気にしてみると、
もっとしっかりとしたメリハリがついてMr.childrenらしい曲になるんじゃ無いかなと思いました。
音を強める部分で力で張り上げてるのかなぁという所が何箇所かあるので、極力、力を抜きながら音を届かせられると
良いのかなぁと思いました。
>>330 さん、初めからジャガリキッテル。笑いが止まらなかったです。ありがとうございました。
確かに、もしアンザッツが全く何らの身体的変化、物理的変化も起こさず、精神的な何かのみの影響によって
声質が変化すると主張するものであるならば、それはもはや超能力の世界であり、幻想であると言われても仕方がありません
またそういった人たちの主張の根源は、共鳴は気道で起こるものであって、頭や胸などでは起こらず、それらは振動するだけで
共鳴している訳ではない、というのが主流のようです
>>331 さん、自分で歌いやすいアーティストっていますよね。歌い方が合うのか、音域があうのかで歌っててしっくり来るというか。
歌は、探り探り歌ってる感じが結構あった気が・・・そのせいか部分部分で音がずれてるのか発声が弱くなってるのか、
という感じがしますが、とりあえず(・∀・)カエレ!!
>>334 さん、上、この曲でネタに感じないのは凄いですね。
少し発声が不安定になってるのかなぁという気がしました。抑揚なのかなぁという気もしたのですが、
抑揚という感じじゃなくて、不自然に急に弱くなっていたりしたので、発声の仕方は統一した方が良いんじゃないかなぁという、
気がしました。多分意識して変えて癖を付けてるんじゃないかなぁと思ったのですが、癖を付けてる部分の発声が、
不自然になってるんじゃないかなぁという気がしたので、そこまで癖をつけようとしなくてもしっかりと強弱付くんじゃないかなぁと思いました。
>>337 さん、原曲知らないので感想だけと思ったのですが、何度か聞いていて、気になって原曲も聞きに行ったのですが、とりあえず凄かったです。
少し力強さが足りないのかなぁという気もしたのですが、ござるさんの味がでていてこれはこれで良いんじゃないかなぁと思いました。
>>36 さん、歌い方なんかも椎名林檎を意識してるのかなぁというのが感じました。
前回の曲とは全然違う感じがして、歌い方や声の出し方を変えられるというのは凄いですね。
ただ、少しだけ意識しすぎになっていて、歌い方が雑になってる部分もあるのかなぁという気もしました。
前回のと今回ので二曲しか聴いてないのですが、歌手の特徴を掴んで歌うのが上手い方なのかなぁと思ったので、
特徴を掴むのを意識するだけじゃなく、丁寧に一曲を歌うのにも気をつけてみると、もっと良くなるんじゃないかなと思いました。
とりあえず、(・∀・)カエレ!!かな。
>>37 さん、曲聞いててネタに走る人だと紅茶吹いてから思い出しました・・・orz
相変らず完成度が高いですね。若干音程がずれてるかなぁ?という部分があった気がしましたが、
楽しく聞かせて頂きました。ありがとうございました。
>>39 さん、これはカッコいいですね。やっぱり安定感が上がってますよね。
全体的に安心して楽しく聞けました。後半でちょっと笑ってしまいました。なんで銀狼?しかも上手いし。
ありがとうございました。
すいません、とりあえずここまでで。なんか皆さん上手くなっていてスレの平均が上がってる気がしてならない・・・
A母語の言語発声の混入
何より大きい問題、これこそ私が一番声を大にして注意喚起したいこと。
ほぼ全てのボイトレで、これまで嫌というほど書いてきた言語発声の混入について、言及・記載が無いことです。
普通は誰でも自然と歌声に言語発声が混入してるんです。(
>>113 、
>>134 )
しかも同じ言語圏の人でも個々で混入比率が違って、まさしく千差万別です。
で、場合によってそれを取り除いたり混入比率を下げたり、あるいは他言語の発声を意識しないといけないのに、
どのボイトレも暗黙の了解、知ってて当然・出来て当然のように、それをスキップして練習に入ります。
そんなんじゃ出発点から間違う可能性だってあります・・・
ロジャー本なんてそれの最たる例じゃないでしょうか?
発声に加わる言語発声エッセンスがとても大切なファクターであることは、
>>112-114 、
>>133-135 で説明しましたね。
母国語が英語の人と我々日本人ではその言語発声が全く違うのに、それを一切無視して練習に入ってます。
だから「ヘッドってどうやって出すんだ?」みたいに記載の無い所でつまづき、ついには難しすぎると挫折するんです。
ウォームアップでも、高音では喉を開放しないといけないのに、日本語発声のままどんどん喉を締め付けて間違います。
B用語の氾濫
同じ意味なのに声楽やボイトレの流派によって異なる言葉が多数あり、またそれぞれ微妙にニュアンスが違ったりもします。
にもかかわらず、情報の発信者はそんなこと一切お構いなく、ただ自分たちの用語が唯一のごとく伝えます。
それら同義語・類義語の整理だけでもかなり手間がかかり、発声練習にさえ入れず時間を浪費します。
もし用語の理解で苦しんでいる人がいたら、悪い言葉遊びだと思って切り捨てるのも手です。
これは文化人類学的な考え、多文化主義の欠如、1つの文化への傾倒の表れでもあると思います。
これまで口を酸っぱくして言ってきた言語と発声との関連性、そしてそこから生まれる声色の文化的嗜好性…
差音についても考えたり調べたり。
なんて言うか簡単な物理の筈なのに、何でこんなに感覚論や都市伝説みたいになってるんだと。
で例によって面白いサイト見つけました。(ほんと紙の本読んでないな)
http://members2.jcom.home.ne.jp/alba2010/differnce%20tone.htm サイトの主はちゃんと物理の分かる人で和声について調べているようですね。
見て頂くと分かりますが、盛りだくさんで全部見るのはけっこう大変。
詳細はやっぱり読んで頂かないと仕方ないんですが、重要と思われるところを独断と偏見でピックアップ。
@「差音」が存在することは音楽やってる人にはわりとあたり前
A差音が「主観的な音」とする説は御大ヘルムホルツ先生が定着させた。
(科学は権威主義を打破して進むべきなんだけど御大の権威はそれほどまでに強大なんですね。)
B周波数の異なる二つの波を重ね合わせると、両者の平均周波数で振動する波が生じる。
で、その波の振幅は二つの振動数の差に当たる振動数で極大・極小を繰り返す、つまり振動する。
(三角関数の和を積に直す話を思い出しましょう。幸いにして?全部高校の数学と物理で収まってる。)
この振幅の振動(ややこしいな)が「うねり」であり、「差音」。両者は同じ物理現象。
怖いもの見たさにちょっとあちらを覗いてみましたが、たいへんなことになっていますね。
自分もうかうかと長レスして餌を与えてしまったのではないかと反省してます。
で、このサイトの作者は振幅の振動は音ではあるが厳密には波といえないので
「音波」ではなく「音粒」という表現を使ってます。
ところで、私たちは共鳴体の存在するシステムでは差音も増幅されると考えました。
音粒は実際に「差音」の振動数を持って共鳴体を叩くわけですから、当然共鳴が起こります。
そして共鳴体が実際の共鳴を起こしてしまえば「差音」はもはや「音粒」ではなく
ちゃんとした音波になります。
私的にはかくして「差音」は感覚論とか都市伝説ではなく確たる理論的地位を築いたと考えるんですが
みなさんはいかがでしょうか?
最初に書いた「腹による支え」ってのは、「腹式呼吸」って捉えることだってできます。
ただ、あくまで私個人の考えは
>>380 下部に書いたように「呼吸法を誘発するための発声法」であって、
呼吸法で発声がガラッと変わるほどの、大きな影響力は持ってないと考えてます。
またレス遅れちゃいました・・・申し訳ありませんm(_ _)m
あ、その間に教祖スレ覘いてました。教典すごいですね。 今読んでる最中です。
発声法の研究って、感覚論の集約からスタートしたもんだから、 それが連綿と受け継がれて今に至るのは、当然っちゃ当然ですよね。
例えば音響学的な切り口で発声方法を解明するにあたっては、帰納法的に導き出すでしょうし、
そこには推察の材料として感覚(感覚論)が横たわっているのは言わずもがなです。
ある意味、感覚論からスタートして、通底する生理現象へ進むのは自然な流れだと思います。
まずは未熟でもなんでもいいから、色々喋ることって大切ですよ!
そうやってアウトプットすると、自分の中でわかってると思ってたことが、
実は単なる思い過ごしで、全然整理できてないのがわかったり・・・ 書いた後で恥ずかしくなっちゃうことも多々あります^^;
私なんざ凡庸な一般ピープルなんで、156さんの熱意が続く限り、差は縮まる一方だと思いますw
というか、生理学的・解剖学的な境地があるとしたら、それはたぶん極限的なものなんですよね。
しかしながら、この2つはトレードオフの関係で、完璧に両立させることは不可能です。
同じく、歌うときは話すときより格段の声帯調節が行われ、それが共鳴腔の形状にも制約をつけます。
lim[t→∞](t)とlim[t→∞](t+α)のように、最初の差=αが結局関係なくなるのと同じく、
私と156さんの差なんて、結局は取るに足らない誤差と同じです。
なんで、焦燥感は向上心にだけ連結させればいいわけです。 なんか説教臭くなって申し訳ありません^^;
日本と欧州における歌の進化の違い 建築 硬いものほどよく響くのは知っているだろうか
手回し式のオルゴールをやわらかい物と硬い物の上でならしてみるとよくわかる
それを踏まえて 日本の家屋=主に木 欧州の家屋=主に石 木と石ではどちらが硬いかはご存知の通り
@
http://www.youtube.com/watch?v=jVmiOqk4560 A
http://www.youtube.com/watch?v=3wmIrAFKLs0 これだ!って音源が見つからなかった・・・お許しを。
まずは上の2つの音源を、純粋に“言葉”を発しているものとして聴き比べてみて下さい。
どちらがより話し言葉に近く聞こえますか? 大多数の人はAを選ぶと思います。
@みたいにしゃべる人はいないですよね。そんな人いたら、たぶん舞台俳優ってあだ名付けられます。
では次に、どちらの音源の方が歌唱発声=オペラ・クラシック発声に近いでしょうか?
これは誰しも@を選ぶでしょう。これまで書いてきたことを如実に表していますよね?
歌声としても言語としても、どちらも成立しているのに、その内容たるや歴然とした違いがあります。
発声器官を効率的に働かせ発声したとき、声帯は引き上げ・引き下げ筋によって伸展し、
閉鎖筋による必要最小限の閉鎖によって厚ぼったくならずに振動効率を高めます。
また、共鳴腔は広がり、高次フォルマント(約3000Hz周辺)に集約するように働きます。
これに対し、言語発声を優先=発語器官としての側面を強調した場合、
それぞれの役割は委縮・減退し、発声効率は低下します。
その代わり、言語としての声の特徴(母音特有のフォルマント形成・音色etc)は増幅され、
言葉としては自然に聞こえるようになります。
232 :
選曲してください :2012/08/07(火) 05:34:40.09 ID:T2Nb7xbM
サブさん、とりあえずありがとうございます。
私のような若造のために音楽以外のことまで、役に立ちそうだけど難しいことを噛み砕いて説明していただいたこと、非常にありがたいです。
涙が出そうなほど感動しました。
あなたは私が目指すものに一番近いし、そんな方は初めてお目にかかりました。
私には今、金がありません。
親のすねをかじって生活している無能な高校生です。
なので自分の力で金を稼ぐようになったら、何年かかるかは分かりませんが、サブさんに挙げていただいた書籍をすべて吸収させていただこうと思います。
それまではこのスレを熟読し、教えていただいたWebサイトを閲覧することにします。
本当にありがとうございます。
ちなみにこれほど博識なサブさんならもうご存知かもしれませんが、僕からも声楽の発声についてWebサイトを挙げておきます。
表声・裏声などという感覚的な言葉を切り捨て、より実際に起こっている現象にスポットを当てていらっしゃるサブさんには申し訳ありませんが、
「男性が裏声を使うと声帯には悪い、喉頭は下がったまま表声を全身の筋力でバランスをとりうんぬん」という発声を提唱している方のサイトです。
残念ながら裏声を使った男性オペラ歌手は現在、一部のカウンターテナーやソプラニスタを除きほとんどいません。
その発声により声帯を壊さず死ぬまで歌い続けた歌手が何人もいたり、裏声を使ったカウンターテナーの歌手としての寿命が短いことから、今のところ私はその発声を信じています。
男性視点のみで語ってしまいますが、ここで敢えて「ベルカント」という言葉を使うなら、裏声を使った古い「ベルカント」は声帯に悪く体に優しい。
表声を使った新しい「ベルカント」は声帯に優しく体に悪いです。
「ベルカント」なんて言葉は非常に曖昧なものなのに、日本人が横文字として輸入した瞬間絶対的な定義を無理矢理つけてしまったようなので、この言葉を使うのは僕も好きではありませんが。
ttp://www2.odn.ne.jp/~cco47400/hassei.htm ttp://ameblo.jp/molto-piu-acute/ ttp://ameblo.jp/ken-baryton/
第2に『歌声における言語発声と歌唱発声の相関関係』(
>>133-140 ) のジレンマ解消法で書いたこと。
これは米山文明先生の著書『声と日本人』にも書かれていたことです。
共鳴腔(声道)は各母音のフォルマント形成に多大なる役割を果たします。
また、共鳴腔は広がることで声量確保、高次フォルマントの集約等にも貢献します。
歌う時には、この2つの動作を同時に行わなければなりません。
しかしながら、この2つはトレードオフの関係で、完璧に両立させることは不可能です。
同じく、歌うときは話すときより格段の声帯調節が行われ、それが共鳴腔の形状にも制約をつけます。
すなわち、母音を明瞭に発声するための共鳴腔の形状にはなりにくい場合が多々あるわけです。
以上のように、歌うことは母音フォルマント形成の阻害要因を多く含みます。
歌う際に言葉の明瞭度よりも音高や音色にウェイトをおくならば、フォルマントは多少変移させて対応すべきでしょう。
下の図を見てください。
http://www.oki.com/jp/rd/ss/img/speech_fig_position.gif 各母音の範囲(破線内部)ならば、縁にいけば明瞭度は下がるものの、その母音に聞こえるはずです。
注目してもらいたいのは、「/e/と/u/」、「/a/と/o/」が重なっていることです。
この重複する範囲では、どちらの母音にもとれる音が出ています。
声を言葉として捉えた際、これでは明瞭度もクソもなくてよろしくない発声でしょうが、
しかしながら歌う際にはこういった縁までレンジをもつ意識をしてもよいと思います。
実際、発声練習の中には、「ア」のような「オ」、「オ」のような「ウ」、「エ」のような「イ」みたいに、
母音を崩してでも響きや音色を保持させるものもあるくらいです。
>>190-194 既出もなにも、これから書きたかったことてんこ盛り、大変ありがたいお話です!!
私には十分信用足るものですよ!
【 建築 】
まさしく仰る通りだと思います。
建築材料の違いは、普段からの発声法の違いにつながっただろうし、宗教音楽の発展にも影響しました。
それが芸術音楽や大衆音楽にも影響して、18世紀ごろまでは独自の発達を遂げたんだと考えてます。
あ、18世紀ってのは私個人の感覚です。日本でいえば江戸時代ごろまで。
たぶんその頃までは、今みたいな世界間の大々的な文化交流はなかったはずです。
他文化の大きな流入がなかったからこそ、混血ではないその土地だけの純粋な継承・発展があったと考えています。
少し逸れますが、
>>175 で少し触れたように、洋の東西を問わず宗教音楽が影響していることはとても興味深いです。
グレゴリオ聖歌が演奏された教会(大聖堂)では残響時間が3秒とか4秒、あるいはそれ以上と、
これは現代のコンサートホールとは比べ物にならないくらい長いです。
そんな残響時間の長いところで非整数倍音を多く伴った声で歌っては、
ホワイトノイズの反響まで入り混じって音が濁ってしまいます。
そのために整数倍音が多く、非整数倍音の少ない発声法が重宝され、響きの増大につながりました。
宮廷や音楽堂も残響時間が2秒以上あって、歌声・楽器はそれに合った発展をしました。
対して、聲明は木造の金堂で行われていました。
金堂は民家より残響時間が長いとはいえ、たぶん1.5秒にも満たない、1秒前後くらいだと思います。
雅楽や能の類の演奏も屋外の舞台などで、それらは共に反響の少ない、あるいは無いような場所です。
そのような場所では、聴衆に直接音を届けるために、音をはっきり強く出す必要があります。
発声においては明瞭度が重んじられたのは言わずもがなですね。
これら宗教音楽が大衆文化に伝播し、民謡等の発展に影響したはずです。
>>228 簡単に説明すると、引き上げ筋の効果は、宙ぶらりんな喉頭を固定することです。(詳しくは
>>69 )
そうすることで体が声を出す状態にしてやります。
また、話し声のときはそれ主体で発声に関わります。
ただ、このままだと
>>69 に書いたように、喉の位置が高くなっちゃって、とても上手くは歌えないので、
引き下げ筋によって喉頭を下に引っ張り、位置を下げてやるんです。
フースラーの『歌うこと』の言葉を借りるなら、引き上げ筋、引き下げ筋、ともに“喉頭に支持を与える”ことを引き受けます。
すなわち私が言うところの「喉頭の固定」です。
フースラーいわく、両者が綱引きのように喉頭を引っ張り合い、喉頭が平衡状態になると、声帯の中にある筋肉の緊張が解けるらしいです。
ただ、あくまでその状態がリラックスベースになるということで、そこにある筋肉、例えば声帯筋とかの閉鎖筋群はちゃんと活動するはずです。
じゃないと声帯伸展と声帯閉鎖が同時に行えない大変な状態に陥っちゃいますからね^^;
これらの結果から、どのような効果があるのか?という質問に対してですが、
正直はっきりした効果はありません^^;
「喉頭を固定して声を出す状態にしてやる」その効果が「声を出す」ことですから…
逆に言えば、引き上げ筋だけ使って歌おうとしても、喉の筋肉が緊張を誘発されて上手く使いきれません。
それを解決するため、引き上げ筋は歌う時には引き下げ筋のサポート役になって緊張を解くと思って下さい。
メインじゃなくサブとして、引き下げ筋に対応する存在として存在しているのです。
だから、それ単体で目立った効果ってのはないんです。
また暇があれば『歌声と話し声の違い』(
>>69-73 )を読み返してみてくださいm(_ _)m
夏バテ診断とは・・ガチでやられてますね・・^^ まだまだ残暑は続く見たいなので気をつけてください! 昨日は、配属先の店舗でエアコン故障が続いて、午前中で下着まで汗まみれでしたw 水分補給はおわすれなく! レンタルCD屋通いは僕もやりましたよー!w 必死に歌詞カードコピーしてカセットテープに録音、オリジナルアルバムとか言ってw アニソンは嫌いじゃないんですよ( ^ ^) それこそ、前によくあげてた自分の曲は、全部アニメかラジオドラマみたいなものと一緒に出来ないかなー・・と当初は野望がありましたしw ・・もう10年も前の事ですが、知り合いとシナリオ作りに挑戦したりもしてました^^ 平原綾香の声は、確かに自分自身のレスの流れで行くと、倍音が多くて日本語らしくない声なんですよね。 話し声もかなり息っぽくて籠っている感じです。・・でもそういう喉だからこそのあの安定したビブラートだとも思います。 大好きだった曲に手をつけられる・・というのは痛手でしたねw^^; 僕の現在の主観の場合、ビブラートに注目するようになっている毎日ですので(w)、それほど嫌いでは無い感じです。「すごいなー」・・と。 ただ、「自分も練習すればこの声のまま簡単にビブラートできる」と思い込んでいた昔だったら、 「彼女の日本語っぽくない声ってなんだかなー」と思っていたはずです。 まぁ、もう一つは、震災の復興の手助けになった・・というところですかね^^; 僕の姉がボランティアでずっと神戸の震災の機関紙に関わっている・・ってのが心情の原因っすw 歌とはあんま関係無いかなw @ A B は、まさに沢山の人が無意識にスルーしてしまいがちな重要な要素・・な見出しですね!! このあたりにまずきちんと言及されるところがサブさんの真骨頂の一旦に思えます! 僕のスレの事は、どう料理しても構いませんので、時には反論も含め、楽しみにしてます( ^ ^)/
:サブ:2010/08/23(月) 23:36:59 ID:r+SIseOc
要は、人それぞれに好き嫌いが介在した上手下手の判断基準ができちゃってて、そのズレが原因でいろいろ齟齬が生じるんです。
また、多くの人はそのことに気付かなかったり、あるいは好き嫌いを排することが疎かになってしまっているのではないかと思います。
ただ単に音楽を聴くだけならそれでも問題ないんですが、歌の上達を試み、練習をする際には大なり小なり問題アリです。
詳しくは後述するとして、歌が上手くなりたい! 上手に歌いたい! と思って練習しているのに、
お手本にするアーティストや曲が自分の好きなものだけだった場合、必然的に発声に偏りがでて、偏食気味になっちゃうんです。
もしそれで練習を続けて上手くなれたら御の字ですが、、それは運が良かったというべきで、
王道的な発声練習・歌唱練習をする場合において、自分の好き嫌いは一時期でもいいから排して我慢すべきものです。
その過程で取捨選択をして、最終的に自分好みの発声へと舵を取れれば上達への道は切り開かれます。
ある意味、急がば回れです^^
@ 『音楽に対する好き嫌い』
上でも書いたとおり、好き嫌いは千差万別・十人十色だし、その要因もごまんとあるし、漠然としてつかみにくいものです。
まずは「内因=自分の中の好み」となるものを挙げると、「ジャンルが好きor嫌い」 「歌詞が好きor嫌い」
「声質が好きor嫌い」 「曲調が好きor嫌い」 「アーティストが好きor嫌い」 etc、、数えあげたらキリがないです^^;
あ、そうだ、生理的に受け付けないってのも内因の1つです。
理由なんてなく、もうどうしようもなく嫌いってのもあるはずですから、そんな時にだけ使います。
そしてその内因が構築される過程も、成長過程での生活環境(親の影響)とか、情緒多感な時期に流行っていた音楽ジャンルとか、
友達に勧められて聴くうちにとか、、これも色々あります。
(
>>103 に続く)
夏バテ診断とは・・ガチでやられてますね・・^^ まだまだ残暑は続く見たいなので気をつけてください! 昨日は、配属先の店舗でエアコン故障が続いて、午前中で下着まで汗まみれでしたw 水分補給はおわすれなく! レンタルCD屋通いは僕もやりましたよー!w 必死に歌詞カードコピーしてカセットテープに録音、オリジナルアルバムとか言ってw アニソンは嫌いじゃないんですよ( ^ ^) それこそ、前によくあげてた自分の曲は、全部アニメかラジオドラマみたいなものと一緒に出来ないかなー・・と当初は野望がありましたしw ・・もう10年も前の事ですが、知り合いとシナリオ作りに挑戦したりもしてました^^ 平原綾香の声は、確かに自分自身のレスの流れで行くと、倍音が多くて日本語らしくない声なんですよね。 話し声もかなり息っぽくて籠っている感じです。・・でもそういう喉だからこそのあの安定したビブラートだとも思います。 大好きだった曲に手をつけられる・・というのは痛手でしたねw^^; 僕の現在の主観の場合、ビブラートに注目するようになっている毎日ですので(w)、それほど嫌いでは無い感じです。「すごいなー」・・と。 ただ、「自分も練習すればこの声のまま簡単にビブラートできる」と思い込んでいた昔だったら、 「彼女の日本語っぽくない声ってなんだかなー」と思っていたはずです。 まぁ、もう一つは、震災の復興の手助けになった・・というところですかね^^; 僕の姉がボランティアでずっと神戸の震災の機関紙に関わっている・・ってのが心情の原因っすw 歌とはあんま関係無いかなw @ A B は、まさに沢山の人が無意識にスルーしてしまいがちな重要な要素・・な見出しですね!! このあたりにまずきちんと言及されるところがサブさんの真骨頂の一旦に思えます! 僕のスレの事は、どう料理しても構いませんので、時には反論も含め、楽しみにしてます( ^ ^)/
>>206 いろいろ思うところがあって、
>>185 へのレスが後回しになってしまいましたm(_ _)m
ySSaUgidさんが書いてくれたこと(
>>190-194 )、それに対する私のレス(
>>201-204 )は、
ややこじつけがましいですが、科学が持ち込まれていないように錯覚する理由の1つでもあります。
つまり、音楽を考えだすと分野が際限なく広がっちゃって、それぞれに科学的見解が編み出されても、
総合すると情報が膨大になりすぎて説明つかなくなっちゃうんです。
実は1つ1つの分野では結構研究が進んでて、ある種の答えが出ていることだって多いです。
自分の出したい答えがどの分野の切り口で導出されるのか、その合目的性も大切になってきます。
ただ、もっと統合的な、音楽はこれだ!って解を求めたくなるのは人間の性(さが)なのかもしれません^^;
また、音楽には芸術性があることも、ことをややこしくする要因でしょうね。
よく桶板では「張り上げはダメ」とか「喉絞めはダメ」とか言いますけども、それは効率論なだけであって、
別にそれで歌えるし、曲によってはその歌い方だから良さが出るものもあるかもしれません。
単純一義的な効率化で済まされないところに、音楽の面白さがあると思うんです。
あぁ、何か今回も収拾つかなくなりそうなんで、この辺で切り上げます^^;
さて、また自然沈潜を待ちますw
>>339 >>160-161 は図書館で借りた本ばかりなので、どうぞ1度図書館へ足を運んでみてください。
最近の図書館は他館から取り寄せができるし、大概の本が読めるようになって便利です^^
実践的で練習を伴う考察ならば、ボイトレ本の類の方が良いかもしれませんね。
個人的には、私がお勧めしたバイブルも、歌声の科学とかフースラーとかに準ずる知識型の本で、
ボイトレではないので、あくまで知識の形成、理論構築に役立つ本です。
あんまり難しい内容で手をこまねいて、練習が疎かになるのは本末転倒ですからね。
あ、ぶっちゃけ読んだことない本のが圧倒的に多いんで、立派なことは何1つ言える身分じゃないんですが^^;
個人的にうまい具合で優しい理論書だなぁと思ったのは『歌手ならだれでも知っておきたい〜』系です。
『音楽家なら〜』の方しか読んだことないんですが、あれは図解もあったり内容が実践者向けだった記憶があります。
同系統っぽいし、より詳しそうなので、私も読んでみたいですねぇ。
『あっというまに歌がうまくなる!?〜』は、特別この本だけの情報ってのもなかった記憶があるし、
正直、ボイトレ系の本はネットが発達した現代では、ググれば手に入る情報が99%です。
目にしたり耳にした情報(ボイトレ法)ばかりで、何か突飛な練習法を探す方が難しい時代になりつつあると思います。
特に昔から懐疑的に思っているのが、「あっという間に」や「たった3日で」とか「2週間で完成」みたいな、短期間で習得を謳っている本です。
発声って、いわばその人の癖のかたまりであって、本で単純一義的にまとめて上達を指導できるほど簡単なもんじゃないんです。
そういった本は大風呂敷を広げたことで、内容が大雑把になっていることが多いです。
まぁそれでも手に取って読んでしまうのは、私自身が発声嗜好症なんでしょうね^^;
長々と書いちゃいましたが、ご自身が練習と理論(知識)をどのウェイトで取り組むのかで、本もいろいろ変わってきます。
実践から頑張ってらっしゃるなら、やはりVT系本をいくらか読み潰して練習方法を増やしたりするのがイイですかね。
そうするうちに嫌でも知識なんてついてくると思います^^
順不同になってる…ゴメンナサイm(_ _)m
>>221 (
>>222 >>224 )
地声と裏声をどう思っているか…そして女声について。
まずは地声と裏声からいきましょうか。
無理にカテゴライズするならば、地声は声帯全体を振動させたもの。それに対して裏声は
>>162 記載の感じです。
あ、もう1つ付け加えるならば、裏声は声門閉鎖が伴わないか、あっても極わずかなものです。
ただ、これらは極端にカテゴライズしてその作用を明確化させたものであって、個性と同じく人それぞれ個人差があるのは当然です。
このことも
>>162 とかに書いたとおりです。
私なりに両者は
>>65 の筋肉それぞれの関わる比率が違うだけで、声帯から発生している同じものと考えています。
裏声とか地声とか、ミックスとかミドルとか、そういったものを全部バズワードとして切り離して、
声が出る原理を生理的(科学的)に考えた時に、間違いなく言えることはただそれだけです。
あと1つ、往々にして言えることですが、バズワードを生半可なまま使い聞こえてきた声から発声法を推察すると、
生兵法は何とやらで、間違った結論を導いてしまうことになりかねません。
例えば、気息音が多いから裏声に分類しますか?
何やら「声に芯がある」とかいう判断でもって、実声だって分類しますか?
そんなんじゃ本当にどうやって発声しているのかの真理・原理に辿り着けないままになっちゃいますよ!
>>151 >>173 に書いたとおり、“音響=発声の結果”からの考察は最大限慎重にすべきです。
こんな感じで考えていたら、私の頭は
>>174 になりました。
まぁそれも今じゃ事故ってカオス状態になっちゃってますが…^^;
少なくとも今の私が言葉に表せるものは
>>150 の目次に書き連ねたことくらいのもんです…お役に立てずスミマセン。
>>459-463 >ここんとこ調子が悪くて… 帰っては即寝でネットやってませんでした。
サブ様。
ちょっと前にこのスレを見つけて以来、たいへん興味深く拝見させて頂いております。
レスなどはゆっくりで構いませんから、どうぞご自愛ください。
>声帯より下の気管支〜肺腔もモデル化して…簡単なモデリングでは済まないのが難点です。
実は私、流体ではないのですが、似たような数値シミュレーションを専門にしていた時期があります。
周りには流体のシミュレーションを専門にしている人もいてよく議論もしました。
その時の経験からすると、コンピュータシミュレーションと言っても
巷の人たちが何かありがたい御神託のように大層に考えるのとは裏腹に
結局モデル化の時点で発生が予測された事象のどれかが起きるに過ぎません。
モデル化の時点で考慮されてないこと、つまり人間に分かってないことはコンピュータを使おうが
何を使おうが所詮分かりません。
そういう意味ではモデルがすべてですが、生きている人間の発声器官のモデルは難しいですね。
声道や気管支〜肺腔は剛体で近似するとしても、発声時の声帯の厚さ、密度、応力の分布なんて
どうやったら分かるんでしょう!
ただ、モデルが確定しなくても先ほどの「起きる可能性のあることだけが起きる」という事実から
分かることも少なくありません。
まず、気管支〜肺腔ですが、声帯から微量ずつ息が漏れるという状態から
片閉管、両閉管両方の特性がありうるのではないかと思われます。
まあ、本来でしたら両閉管の気柱の振動なんて考えないところでしょうが、
片方の端である声帯が気柱の振動を励起しているので声帯と同じ振動数の振動モードに対しては
声帯側が振動の腹、肺のどん詰まりが振動の節の片閉管として振る舞うでしょう。
その他の高次の振動モードに対してはさまざまな振る舞いが予想されますが、
特に高い振動数に対しては声帯の振動は止まっている、すなわち振動の節と見えるので
声帯側が振動の節、肺のどん詰まりも振動の節の両閉管として振る舞うのではないでしょうか。
最近はすっかりラジオ派です 特に金曜夜の(以前は日曜夜)粋な夜電波 あれのおかげでヲタソン数万曲入るHDDの中にジャズが増えてまいりました そのおかげか否か、不満で不安だったリズム感の悪さが少し解消されたようにも感じます ビブラートは徐々に理想的な波に 歌うときの意識の持ち方で左右されるものだなと痛感してます ラジオも音楽情報源としてイイですね。 昔はちょこちょこ聞いてたのに、いつの間にやら全く聞かなくなっちゃいました… ジャズを有線みたいにダラダラ流してくれるラジオとかあったら絶対かけちゃいますw ジャズはどっちかというと、私の中ではインテンポよりグルーヴィーな感じですね。 伴奏自体がうねってる感じもするんですが、それと歌声の兼ね合い、 ちょっとしたズレとかを意識して聴いたりすると、より細かなリズムの動き・連動がわかるかもしれません。 ヴィブラートの種類もテンポに合わせるのか、逆にずらしてかけるのか。 私には高度すぎて想像でしか描けない世界ですが、そういった細かさって、 他の要素といろいろ絡み合って、最終的な歌声としての表現につながるんだと思います。 もちろんそこに気分など気の持ち方が影響してくるのは言わずもがなですね。 昨日書いた後で、私は何でこんなにA○Bが苦手なのかが頭の隅っこに引っかかってて、 歌声としてキンキンした黄色い声と、民謡などの歌声は似ているのか否かを考えてました。 正直なところ答えはまだ出てないわけですが…^^; 少なくとも、ユニゾンみたいに全員が同じ音階で歌う場合、低次倍音が少なく偏在している声では、 綺麗な重なりにするには相当精巧な歌声の操作が必要になることは確かです。 簡単に言っちゃえば、石造りの教会とかで声がボワッとぼやけた感じになるように、 声の輪郭がぼやけていると、斉唱でもある程度綺麗に1つの歌声の集合みたいに聞こえちゃうわけです。 これに対して黄色い声のままでは輪郭がはっきりしすぎてて、重ねても輪郭同士が喧嘩しちゃうんです。 輪郭を合わせるのは至難の技だろうし、それぞれが主張しすぎてて、協調性に欠けるんですね。
由紀さおり&ピンク・マルティーニのコラボレーション・アルバム『1969』がヒットしていると耳にはさみました。 しかも日本だけじゃなく海外でも受けているとか… 由紀さんといえば、お姉さんと一緒に童謡コンサートやってる人ですよね!? あの人の声って前に私が注目した童謡・唱歌の歌唱法を踏襲しているんですよ! その歌唱法、、説明が難しいんで割愛しますが、由紀さんの声の中に含まれているのは間違いありません。 どっかの番組で、音楽ディレクターが何故売れているのか質問されて、 「あのオリエンタルな歌声っていうのかなぁ、 まるで二胡を聴いている様な… 」 って言ってくれていたのも、私の考えを後押ししてくれています。 あの歌い方こそ、日本人が日本語を話す要領を捨てないまま歌った末に、辿り着くであろう歌唱法なんです。 日本語を忘れろとか、声は下に引っ込めろとか、そんな西洋かぶれをしなくてもいけます。 まぁ正直あのレベルは才能ですが、ある程度までなら童謡・唱歌の分野では歌えるやり方だと思います。 今まで散々日本人の声や喉の変形について論じてきましたが、それを捨てずとも歌うやり方があるんです。 いつかこの話は詳しくやりたいですねぇ。 逆にいえば、もし由紀さんが西洋人ぽい歌い方とか声質とかだったら、ヒットはしてないでしょう。 あの独特な東洋の香りこそ、西洋人が心惹かれた理由でしょうから。 この両者の違いが感じれれば、また現代のポップスで多用される西洋型にも参照できるはず。 乱暴な言い方ですが、逆の道を行けばいいわけですから。 あぁ、この違いが説明できたらなぁ… それにしてもなんですね、、最近ではA○B推しって言うんですか? チャンネル変えても変えてもA○B…あれのせいで私の年末年始はテレビフリーになりそうです。 正直あのキンキン声は聞いていると頭が痛くなります。 そんな声が何十人とユニゾンしてるんだから、わめき声聞いてるようなもんです。 まさに阿鼻叫喚地獄ですよ^^; 前にフリーさんと言ってた日本語発声の悪い面ばかりを凝縮したような… 無駄に黄色い声を前面に出した、なんとも心地の悪い声です。
最近はすっかりラジオ派です 特に金曜夜の(以前は日曜夜)粋な夜電波 あれのおかげでヲタソン数万曲入るHDDの中にジャズが増えてまいりました そのおかげか否か、不満で不安だったリズム感の悪さが少し解消されたようにも感じます ビブラートは徐々に理想的な波に 歌うときの意識の持ち方で左右されるものだなと痛感してます ラジオも音楽情報源としてイイですね。 昔はちょこちょこ聞いてたのに、いつの間にやら全く聞かなくなっちゃいました… ジャズを有線みたいにダラダラ流してくれるラジオとかあったら絶対かけちゃいますw ジャズはどっちかというと、私の中ではインテンポよりグルーヴィーな感じですね。 伴奏自体がうねってる感じもするんですが、それと歌声の兼ね合い、 ちょっとしたズレとかを意識して聴いたりすると、より細かなリズムの動き・連動がわかるかもしれません。 ヴィブラートの種類もテンポに合わせるのか、逆にずらしてかけるのか。 私には高度すぎて想像でしか描けない世界ですが、そういった細かさって、 他の要素といろいろ絡み合って、最終的な歌声としての表現につながるんだと思います。 もちろんそこに気分など気の持ち方が影響してくるのは言わずもがなですね。 昨日書いた後で、私は何でこんなにA○Bが苦手なのかが頭の隅っこに引っかかってて、 歌声としてキンキンした黄色い声と、民謡などの歌声は似ているのか否かを考えてました。 正直なところ答えはまだ出てないわけですが…^^; 少なくとも、ユニゾンみたいに全員が同じ音階で歌う場合、低次倍音が少なく偏在している声では、 綺麗な重なりにするには相当精巧な歌声の操作が必要になることは確かです。 簡単に言っちゃえば、石造りの教会とかで声がボワッとぼやけた感じになるように、 声の輪郭がぼやけていると、斉唱でもある程度綺麗に1つの歌声の集合みたいに聞こえちゃうわけです。 これに対して黄色い声のままでは輪郭がはっきりしすぎてて、重ねても輪郭同士が喧嘩しちゃうんです。 輪郭を合わせるのは至難の技だろうし、それぞれが主張しすぎてて、協調性に欠けるんですね。
まえどっかで私が書いたみたいに、まずは型をなぞるように正確さを求め、 そのあと我流を求めないと八方破れにしかならないということです。
「上手いんだけどつまらない」、その人しかない“もの”ってのが感じられない。
そう思われたなら、もう十分我流に突入していい次元だと思います。
>>40 お読み頂きありがとうございます!
文意が伝わっていれば嬉しいです。 私もフリーさんスレちょっとずつ読むようにしてます^^
やっぱり鯖落ちでしたか・・・私の体調と一緒で不安定なのかな?w
体はかなり元通りで、時々ふらつきがあるくらいなんですが、やはり頭ですね。。
集中直がガタ落ちしたし、思考力というか、やはり回転がどうにもならない気分です。
そのせいか、気分がものすごく落ち込む時があるので、精神ケアも並行しています。
これから脳波とかいろいろ検査が待っているので、精査していきたいと思います。
文殊菩薩様、どうか脳に障害(後遺症)がありませんように…
考えれば、まだ事故から2カ月経ってない段階ですし、焦りは禁物ですね。 お言葉に甘えて、無理せずゆっくり行きたいと思いますm(_ _)m
>>31 レコーディング風景とかがドキュメンタリーで放映されることがありますが、
あのとき何度も録り直してはつぎはぎを繰り返し、歌手や編曲家などの製作者全体で詰めていきます。
あれから考えるに、最初は歌手の思ったように歌わせてみる。
すなわち、かなりの部分を独自の感性と表現で歌うことにまかせてみてますよね。
その後に「ここはこうやった方がしっくりくる」 「ここはこっちのほうがカッコイイ」…とか言いながら、
歌手に意識的に歌い方を変えさせたりして、微調整を繰り返していくんです。 この録り直しの時点から、かなり意識し始めるんじゃないでしょうか?
自分色という名の“癖”っていうのかな、、その癖という名の感性から無意識に出ちゃう表現技法があって、
それをベースに、意識的な変化を織り交ぜていく作業がレコーディングだと思います。
3声区論と2声区論の違いは、西洋と日本の違いともいえます。
2つは感覚論から生まれたものなので、とどのつまり同じ生理学的見解に行き着くわけですが、
重要かつ面白いのは、それらが洋の東西の感覚の違いを表しているところです。
もしパヴァロッティのインタビューを私たち日本人が2声区論的感覚のまま受け取れば、
たぶんそれは伝えたかったことの真意から逸脱します。
彼は彼の感覚を端的に述べているわけで、その感覚はラテン系西洋人のそれ、
もっといえば彼しかわからないかもしれない感覚なんです。
もしそんな感覚から理論を抽出しようとすれば、1つは生理学的に運動を解明すること。
そしてもう1つ、西洋人の3声区論的感覚の共有を試みる必要があります。
あえて2つの手段を用いるのは、感覚的に納得することと、理論的に納得することが違うからです。
ご紹介頂いたインタビュー本も、感覚論の違いを踏まえれば、また違った見解が浮かんでくるかもしれません。
ソプラクートのような技術にも同じことが言えます。
たとえそれが難しく、感覚的に納得できないものであっても、運動方法を解明することはできるはずです。
そうすれば頭の中に作った発声モデルでデモンストレートできます。
デモンストレーションができれば、理論上それが成立する、すなわち理論的には納得できます。
これから発声を科学的に解明なさるおつもりでしたら、まずは徹底的に新式ベルカントを読み解いてください。
その理論の指すところが明確に分かれば、それが以降の考察の柱になります。
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175 だと思うんですよね。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・?
う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
>>190-194 既出もなにも、これから書きたかったことてんこ盛り、大変ありがたいお話です!!
私には十分信用足るものですよ!
【 建築 】
まさしく仰る通りだと思います。
建築材料の違いは、普段からの発声法の違いにつながっただろうし、宗教音楽の発展にも影響しました。
それが芸術音楽や大衆音楽にも影響して、18世紀ごろまでは独自の発達を遂げたんだと考えてます。
あ、18世紀ってのは私個人の感覚です。日本でいえば江戸時代ごろまで。
たぶんその頃までは、今みたいな世界間の大々的な文化交流はなかったはずです。
他文化の大きな流入がなかったからこそ、混血ではないその土地だけの純粋な継承・発展があったと考えています。
少し逸れますが、
>>175 で少し触れたように、洋の東西を問わず宗教音楽が影響していることはとても興味深いです。
グレゴリオ聖歌が演奏された教会(大聖堂)では残響時間が3秒とか4秒、あるいはそれ以上と、
これは現代のコンサートホールとは比べ物にならないくらい長いです。
そんな残響時間の長いところで非整数倍音を多く伴った声で歌っては、
ホワイトノイズの反響まで入り混じって音が濁ってしまいます。
そのために整数倍音が多く、非整数倍音の少ない発声法が重宝され、響きの増大につながりました。
宮廷や音楽堂も残響時間が2秒以上あって、歌声・楽器はそれに合った発展をしました。
対して、聲明は木造の金堂で行われていました。
金堂は民家より残響時間が長いとはいえ、たぶん1.5秒にも満たない、1秒前後くらいだと思います。
雅楽や能の類の演奏も屋外の舞台などで、それらは共に反響の少ない、あるいは無いような場所です。
そのような場所では、聴衆に直接音を届けるために、音をはっきり強く出す必要があります。
発声においては明瞭度が重んじられたのは言わずもがなですね。
これら宗教音楽が大衆文化に伝播し、民謡等の発展に影響したはずです。
そして「多様性」という言葉に注目すると何か一つパズルのピースがはまるような気もするのです。 アンザッツ2(今これが「気管支〜肺腔」の共鳴を強めるのでは、と考えています)が男声らしい声を作る というのは体感的にもありますし、両生類関係のスレでも議論されています。 それで実際に男声と女声の違いを倍音の分布で見ると男声の方が多種多様な気がするんですね。 まあ、これは私もあまり知識がないのでUTAUというフリーの歌声合成ソフトのために 色んな方が作られている歌声音源から歌声を合成して音階君で見たっていう、ぶっちゃけそれだけなんですが。 UTAU音源から和音マコさんとか波音リツさんとか女声音源を引っ張ってくると大抵 基音・2倍音・3倍音の強さが揃っていてそれ以外の倍音はあまり強くありません。 (重音テトさんは中の人の作り声なので純粋な女声からは除外したほうがいいかも。上の説明とちょっと違います。) 某ボイトレサイトにも女声の特徴としてそのような事が挙げられていました。 これに対して同じUTAU音源から男声音源の赤羽カラスさんを持ってくると2倍音がとんでもなく強い。 これ音源サンプル中の最高音はmid2Cなんですが、2倍音が常軌を逸して強いのでhiCに聞こえます。 とにかく強烈に通る声で誰の声と合わせても赤羽カラス声になってしまうので合唱が出来ません。 一方、同じUTAUの男声音源で戯歌ラカンさんをみると倍音の博物館で あらゆる倍音が同じくらいの強さで揃っています。 残念ながら強烈に強い倍音がないので、立派な声なのに埋もれやすいんですよね。 で、何が言いたいかというと「気管支〜肺腔」の共鳴を使う(?)男声の方が共鳴のメカニズムの多様性に したがって多様な倍音分布のバリエーションを得ているのではないかと。 ちょっと暴走気味の仮説です。スマソ。
私も素人ながらバンドやってた時、何度も音合わせで手を焼いた覚えがあります。
1人で弾いてる時、いわば無意識に独自の感性と表現にまかせっきりになってるときとは全然違うんですよ。
音量も自分の理想とは違う、テンポだって周りに気を配りまくり…正直まわりの音に神経尖らせてました^^;
ド下手だったからそんな次元ですが、上手けりゃまた別の壁があるんでしょう。
>>283 自分の中で奏でたものは、まさしく“心”と名付けるにふさわしいでしょうね…
それを表に出すとき、すなわち他者に伝えようとするとき、心では伝わりません。
>歌唱力、歌唱技術はその心を表現するための道具。
同意します。この世にテレパシーで想いを伝えられる人は、、たぶんいませんからね^^;
何か意思を伝えようとすれば、言葉で言ったりボディランゲージしたりします。
あれと一緒で、歌うことも自分の中で奏でたもの、あるいはこう奏でたいと思った形を、
歌唱技法という表現技術を使って他者に伝える行為なんです。
言葉に稚拙?雄弁、文章に拙文?名分があるように、歌唱技術にもよく優劣が付けられます。
その技を磨いていけば、いつかは“巧い”といわれるようになるかもしれません。
同時に、巧いが上手いに昇華するためには心の披瀝だって必要です。
言葉や文章と同じように考えれば、自分の心を表に出す、相手に伝えることだって技術如何でどうにかなるじゃないでしょうか?
最後に、心の伸び白が無くなるか否かについて…
技術は年と共に衰える部分があるかもしれませんが、心は年をとれば渋さが増したり、
魅力的になっていく部分があって、伸び白が無くなることはまずないと思います。 人は初老を経て円熟を増すと言われるほどですから、
歌だってその時その時で伝えきれないほどの心の叫びが込められていると信じています^^
253 :
選曲してください :2012/08/07(火) 12:31:25.37 ID:KCw47Y4B
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175 だと思うんですよね。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・? う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
なんか今日は感覚論をたくさんしゃべっちゃいましたね。 数学でも帰納法好きだったし、感覚論が好きなのかもしれませんw
私もまだまだ未熟で、すべての感覚論を論理的に置き換えるに至っていません。
いつかそれができれば、完全な発声モデルが頭の中に完成するはず。 その時まで頑張ります^^
なるほどなるほど、また少し分かりました。
ですが僕とサブさんの間に色々なレベルの差がありすぎて、サブさんがこちらに歩み寄ってくれていなければ
今頃は会話さえ成り立っているかどうか怪しいところですな…… 毎度優しく噛み砕いていただき、本当に感謝しています。
声楽というのは自分がやっている限り、とんでもない感覚論の集合体だと思うんですね。
だから僕は「○×な感じ」とか「△□のように」としか言えないんです。
それを科学的にどうこうするにはまず自分がその歌い方をある程度体得し、その上で医学や音響学を勉強し、その声を出しているときに
体がどのような動きをしているのか等を然るべき研究機関において調べる必要があると思いますし、私もそういうことをしたいと思っています。
ですがそれにはとんでもない時間がかかってしまうと思います。
そして僕がある程度の成果を出したときにサブさんがどこにいらっしゃるかも分からないのは残念なんですね。
その焦りからこんな未熟なうちに色々喋ってしまっているのですが……
それは結構邪魔なことだと私は思うので、しばらくは邪魔をしないようにしようと思います。
今の僕には応援しかできませんが、頑張ってください。
3声区論と2声区論の違いは、西洋と日本の違いともいえます。
2つは感覚論から生まれたものなので、とどのつまり同じ生理学的見解に行き着くわけですが、
重要かつ面白いのは、それらが洋の東西の感覚の違いを表しているところです。
もしパヴァロッティのインタビューを私たち日本人が2声区論的感覚のまま受け取れば、
たぶんそれは伝えたかったことの真意から逸脱します。
彼は彼の感覚を端的に述べているわけで、その感覚はラテン系西洋人のそれ、
もっといえば彼しかわからないかもしれない感覚なんです。
もしそんな感覚から理論を抽出しようとすれば、1つは生理学的に運動を解明すること。
そしてもう1つ、西洋人の3声区論的感覚の共有を試みる必要があります。
あえて2つの手段を用いるのは、感覚的に納得することと、理論的に納得することが違うからです。
ご紹介頂いたインタビュー本も、感覚論の違いを踏まえれば、また違った見解が浮かんでくるかもしれません。
ソプラクートのような技術にも同じことが言えます。
たとえそれが難しく、感覚的に納得できないものであっても、運動方法を解明することはできるはずです。
そうすれば頭の中に作った発声モデルでデモンストレートできます。
デモンストレーションができれば、理論上それが成立する、すなわち理論的には納得できます。
これから発声を科学的に解明なさるおつもりでしたら、まずは徹底的に新式ベルカントを読み解いてください。
その理論の指すところが明確に分かれば、それが以降の考察の柱になります。
新式が開発された理由・・・ やっぱり私は
>>175 だと思うんですよね。
たしかオーケストラの編成や楽器の発展は新旧ベルカントの境界で大差ないし、
コンサートホールとかの建設された年代とかも、境界線とは合致しないんです。
あ、もしかしたら舞台の下で演奏していたのが変わったとか・・・?
う〜ん、そこらへんは知識が乏しすぎて何とも言えません^^;
発言者が完全無欠を謳うのは当然なんです。
この理論じゃ部分的に説明つきません・・・なんて言えるわけないですからね。
だからこそ、もし自分の中で腑に落ちない部分があったら、とことん突き合わせる必要があります。
発声を科学的に解き明かしたいなら、“らしい”で片付けてはいけませんよ!
経験上、どんな理論も嘘八百だったり完全に破綻してたことはありません。
だいたいは自分の読み違い、言葉の範疇の履き違いで、伝えたい真意を曲げてしまっています。
しかも
>>144 @を意識しないまま、
「これとこれは言ってることが違うから、どっちかが間違いだ‥」
なんて、とんでもない見当違いをしてしまうことだってあります。
ひろしの言葉を借りるなら、「正義の反対はまた別の正義なんだよ。」ってやつです。
今回話題に挙げている新式ベルカントだって、伝えたい真意を酌めさえすれば大いに納得できます。
でも、普通の人がそれを読んで、「裏声を使わない」って言われたらどう取りますか?
たぶん世間一般の人なら、地声だけを使って歌うやり方なんだって思うはずです。
普通の日本人なら、地声・裏声の2声区論で声をカテゴライズしてますからね。
そんでもって、パッサージョより上、アクートが、ソプラクートが、、とか言われて、
あれ?地声とも裏声とも違う何かがあんの??って、またチンプンカンプンになるんです。
このように、言っていることが正しくても、読み手次第でどれだけでも歪曲されます。
一文はおろか、たった一語で恐ろしい読み違いをしてしまう危険性があるんです。
読み違える要因を潰すために、まずは意味するところを的確に捉える必要があって、
その作業は裏声だけじゃなくて、出てくる用語全てで検証する必要があります。
そうすることで理論はより堅固になり、他の理論とリンクさせることもできるようになります。
重ねて言いますが、私は新式ベルカントを否定する気なんて毛頭ありませんよ!
>>172 では、あくまで“私の中で”説得力がないと言っただけです。
もし私の中で説得力をもたせるならば、もし完全に包括させるならば、どうしたらよいのか・・・
そこで私なりに出した答え、補完する方法が、「用語の指す範疇が違う」なわけです。
さて、そのような障壁を乗り越え、言葉のしがらみから脱した時、知識が新たな局面を迎えるんです。
>>58 で書いたように、情報が言葉の殻を破って、それぞれ融合・結合し始めます。
う〜ん、、どう言い表せばいいのか、、概念化するとでもいうんでしょうか?
悪く言えば抽象化なんですが、自分の中で消化されている証拠ともとれます。
こうなると、もう言葉のつくる区分が意味のない邪魔なものなってしまいます。
頭の中はどんどん体系化され、代わりに言葉による個々の再定義・アウトプットがしづらくなります。
今の私の現状が上記の段階なんで、この先がどうなっていくのかわかりません。
こころで歌うには、かなりの練習を積み、自然に表現されるべきだと 思います。
意図的に悲しい顔をしたり、身体を動かすのではなく すべて歌のなかに納めて表現すべきものだと思います。
練習を積み、上手くなれば、 感情の変化は音色の変化と変わり
「表現力」として 素晴らしくなり「歌は心だ」と聴衆から 思われるようになるでしょう。
それが良いことなのか悪いことなのか、合っているのか間違っているのか。。
少なくとも、そうやって知識が構築されたとしても、独りよがりに信じるんじゃなくて、
自分の知識・考察に対しても疑念を持って対したいと、自戒も込めて思っています。
なんかどんどん脱線して宗教の話みたいになっちゃいましたね・・・スミマセン^^;
話を元に戻しましょう。
あ、ホントに若い人は、自分が若いなんて言わないとおもいますよ^^;
年取ったときに初めて「あの頃は若かったなぁ〜」なんて思うもんですw かくいう私もまだ若いです!
>スレが浮上してる間は雲隠れするのが定例になってるもんでして^^; なんとなく予想はついていましたw
確かに勉強というのは自分の頭の中に他者の概念をコピーすることですからね。
サブさんはその勉強したものを自分の中で色々組み合わせて「研究」なさってる段階のようで。
僕からはとても遠い存在ですなぁ……orz
キング・オブ(ryはパヴァロッティのことですね?
先に言ってしまえば、包括できるらしいですw
同級生に見つかったときの例
「おい見ろよアイツ
>>520 じゃないか?」 「あっ!ホントだ!
>>520 だ!」
「
>>520 ってカラオケなんかやるんだ?全然そういうイメージ無かったな。」
「だよな。いつもマンガが好きだって事は知ってるけど、音楽なんてまるっきり興味ないみたいな感じだもんな。」
「でも、誰と来てるんだろう?
>>520 っていつも1人だよね?
>>520 と仲良い奴っているのかな?」
「1人みたいだぜ!」 「まじかよ!カラボって1人でも入れるんだ。知らなかったわw」
「2chで話題になってるじゃん。1人でカラボに行くのが流行ってるとか。」
「あ〜そういえば俺も見たことある。ヒトカラってやつでしょ?でもそれってネタだと思ってた。リアルで見たの初めてだし。」
「ヒトカラはどう考えても2chのネタでしょ?
>>520 はリアルでもヒトカラが流行ってると勘違いしてるんだろうなw」
「どういう歌を歌うのかな?最近の歌謡曲とか全然知らなさそうだけど…。」 「あっ!曲が始まったみたい。なんか昔聴いたことあるような…。」
「これ、クレシンのアクション仮面の歌だよ。小生の頃よく聞いてたよ。」 「なるほど、マンガオタクだからマンガの歌を歌うのねw」
「ちょww技の名前連呼しながらポーズ取ってるよwキモッ!」 「完全にアクション仮面になりきってるなw」
「歌が終わったみたいだ。あっ!ヤバイ!部屋を出るみたいだ!隠れろw」
「トイレかな?」 「俺もトイレ行きたくなっちゃったw鉢合わせしたらどんな顔するかな?」
「ちょww」 「どうした、そんなに慌てて?」
「トイレ行ったら、
>>520 が便所の水がぶ飲みしてた。。ビックリして用も足さずに戻ってきたよ。」
「2chで見たことあるけど、リアルでヒトカラをやる奴にとっては便所の水を飲むのが常識らしい。」
「わぁ〜!キモイな、ヒトカラーって」
今日初めて1人でカラボに行ってみた。 駐車場にすごい数の車が駐まっていて嫌な予感がした。
店に入ると受付の前のソファに人がたくさん座ってざわざわしており、 受付には列ができていた。
勇気を振り絞って列に並ぶ。 後ろに人が並ぶのが嫌で何度か最後尾に並び直したが、
>>164 >>170 いえいえ、こちらこそサイトや本教えて頂きありがとうございます!
紹介した本のほとんどは図書館に所蔵されてるはずなんで、暇なときにでも足を運んでみてください。
最近の図書館は取り寄せができたりするんで、買わなくてもどんどん読めちゃいます。
私もほとんど図書館で借りて読んで、その中でこれは!ってやつだけ買うくらいですから^^;
昔それを耳にしたとき、やはり私も支持するところが多かったです。
まずなんといっても、カウンターテナーやソプラニスタを除いた男性歌手はほとんど地声に聞こえること。
このことは、地声のみで発声しているという推察と容易に結びつきます。
と同時に、なぜA4(hiA)を超えるような高音域において、あれほどの声量で発声できるのかという疑問が生じます。
この疑問の解法として、「全身の筋力でバランスをとりうんぬん」なのかな?と思います。
では、それをもってすればキング・オブ・ハイCをも説得力をもって包括できるのか?
それとも彼は極稀な例外、特異因子として除外されるのか?
彼に限らず、他のテノールの出す高音を包括するほどの説得力を有するには、私の中では至りませんでした。
そこで考えたのが、前提となっている「地声に聞こえるから地声で発声している」に疑問を持つこと。
>>151 第4段でも書いたように、“音響=発声の結果”からの考察は最大限慎重にすべきです。
単純に「地声に聞こえる」と「地声で発声している」を結びつけるのは、短絡的すぎるのではないか?
また同時に、地声(表声)や裏声などの言葉の定義についても疑問をもって調べ直しました。
結論からいえば
>>162 になるわけですが、そこに至るまでの過程には紆余曲折がありました。
まず何より大きな障壁になったのが、頻出する専門用語。
「裏声」という言葉1つをとっても、発言者によって少しずつニュアンスが違っています。
そのニュアンスの違いをひも解き、はき違えないよう1つずつ整理する作業は何とも面倒です。
私みたいな理論先行の頭でっかちならクロスワード感覚の遊び気分でできますが、
歌の上達を第一目標にしている人にとっては、無駄に時間をロスさせる要因にもなります。(
>>145 B)
楽しく読ませていただきました、非常におもしろかったです。
俺はそんなに年食ってるように感じますかね……?こんなに若いのに。
もしこのスレが容量落ちしたら、また別のスレを乗っ取って続けてくださると嬉しいです。
絶対に見つけ出しますんで!!
あと重ねて言いますが、コーネリウス・L・リード系の「ベルカント」についてかなりお調べになっているようなので、
お返事遅れてすみません。
スレが浮上してる間は雲隠れするのが定例になってるもんでして^^;
>>166 その内の1冊くらいは読んだ記憶が、、でも内容をほとんど思い出せない(´・ω・)・・・
コンテンポラリーシンガーという銘にひかれて読んだ気がするんですが、 その記載があまり無かったために忘却の彼方へ吹き飛んじゃったのかな?
たしかボイトレ本の類だった気がするんですが、、記憶違いですかね?
今の自分の発声スタイルを理解した上で英語の発声法との差異を考えたり、 それを歌う際に取り入れたりするための練習本としてはいいと思います。
ただ、やっぱり英語発声とかを練習したいなら、日本語発声も記載してほしいところ。
今の自分がどれだけ日本語発声に特化し、英語発声から乖離しているかも知らないといけないと思うんです。
万人が読んで試して出来ましたってわけにいかないのは、 そういった未記載の部分でふるいに掛けられてるせいだと思います。
あ、全部読んだわけじゃないんで、話半分で聞いてもらえれば幸いです。
>>167-169 本来、感情表現と歌唱技術(
>>106 )は対立させて語るもんじゃないと思うんです。
たとえば頭の中で、こう歌いたい!ってイメージしたとしますよね?
それこそが感情表現の素であって、自分が表現したい形なんです。
でも、それをアウトプットするには歌唱技術が必要で、 技量が足りなければ差引された分しか歌に乗せることができません。
同じように、歌唱技術があっても、自分の表現を伴わず、 ただ譜面どおりに歌うだけでは、アカデミックで面白みのないものになってしまいます。
車の両輪のごとく、どちらも伴ってこそ歌をより高みへ昇華させることができる。そう思います。
由紀さおり&ピンク・マルティーニのコラボレーション・アルバム『1969』がヒットしていると耳にはさみました。 しかも日本だけじゃなく海外でも受けているとか… 由紀さんといえば、お姉さんと一緒に童謡コンサートやってる人ですよね!? あの人の声って前に私が注目した童謡・唱歌の歌唱法を踏襲しているんですよ! その歌唱法、、説明が難しいんで割愛しますが、由紀さんの声の中に含まれているのは間違いありません。 どっかの番組で、音楽ディレクターが何故売れているのか質問されて、 「あのオリエンタルな歌声っていうのかなぁ、 まるで二胡を聴いている様な… 」 って言ってくれていたのも、私の考えを後押ししてくれています。 あの歌い方こそ、日本人が日本語を話す要領を捨てないまま歌った末に、辿り着くであろう歌唱法なんです。 日本語を忘れろとか、声は下に引っ込めろとか、そんな西洋かぶれをしなくてもいけます。 まぁ正直あのレベルは才能ですが、ある程度までなら童謡・唱歌の分野では歌えるやり方だと思います。 今まで散々日本人の声や喉の変形について論じてきましたが、それを捨てずとも歌うやり方があるんです。 いつかこの話は詳しくやりたいですねぇ。 逆にいえば、もし由紀さんが西洋人ぽい歌い方とか声質とかだったら、ヒットはしてないでしょう。 あの独特な東洋の香りこそ、西洋人が心惹かれた理由でしょうから。 この両者の違いが感じれれば、また現代のポップスで多用される西洋型にも参照できるはず。 乱暴な言い方ですが、逆の道を行けばいいわけですから。 あぁ、この違いが説明できたらなぁ… それにしてもなんですね、、最近ではA○B推しって言うんですか? チャンネル変えても変えてもA○B…あれのせいで私の年末年始はテレビフリーになりそうです。 正直あのキンキン声は聞いていると頭が痛くなります。 そんな声が何十人とユニゾンしてるんだから、わめき声聞いてるようなもんです。 まさに阿鼻叫喚地獄ですよ^^; 前にフリーさんと言ってた日本語発声の悪い面ばかりを凝縮したような… 無駄に黄色い声を前面に出した、なんとも心地の悪い声です。
差音についても考えたり調べたり。
なんて言うか簡単な物理の筈なのに、何でこんなに感覚論や都市伝説みたいになってるんだと。
で例によって面白いサイト見つけました。(ほんと紙の本読んでないな)
http://members2.jcom.home.ne.jp/alba2010/differnce%20tone.htm サイトの主はちゃんと物理の分かる人で和声について調べているようですね。
見て頂くと分かりますが、盛りだくさんで全部見るのはけっこう大変。
詳細はやっぱり読んで頂かないと仕方ないんですが、重要と思われるところを独断と偏見でピックアップ。
@「差音」が存在することは音楽やってる人にはわりとあたり前
A差音が「主観的な音」とする説は御大ヘルムホルツ先生が定着させた。
(科学は権威主義を打破して進むべきなんだけど御大の権威はそれほどまでに強大なんですね。)
B周波数の異なる二つの波を重ね合わせると、両者の平均周波数で振動する波が生じる。
で、その波の振幅は二つの振動数の差に当たる振動数で極大・極小を繰り返す、つまり振動する。
(三角関数の和を積に直す話を思い出しましょう。幸いにして?全部高校の数学と物理で収まってる。)
この振幅の振動(ややこしいな)が「うねり」であり、「差音」。両者は同じ物理現象。
で、このサイトの作者は振幅の振動は音ではあるが厳密には波といえないので
「音波」ではなく「音粒」という表現を使ってます。
ところで、私たちは共鳴体の存在するシステムでは差音も増幅されると考えました。
音粒は実際に「差音」の振動数を持って共鳴体を叩くわけですから、当然共鳴が起こります。
そして共鳴体が実際の共鳴を起こしてしまえば「差音」はもはや「音粒」ではなく
ちゃんとした音波になります。
私的にはかくして「差音」は感覚論とか都市伝説ではなく確たる理論的地位を築いたと考えるんですが
みなさんはいかがでしょうか?
>>540 キンキン声スレは議論の前提になっている古い音源が軒並み消えていて議論の前提が分からなかったり、
前半コテなしのレスが多くて議論の流れが?だったり、今は見れない?別のスレと微妙に関連してたりで
実はちゃんと読み切れてません。
で、私が非整数倍音の話を見たのは「倍音 音・ことば・身体の文化誌」という本の書評です。
例によってきちんと読んだわけではありません。
本てせっかく買っても、読んでみると内容的に何か残念なことが多くて最近買わないんです。
借りればいいんですが、便利なところに図書館ないんですよね。閑話休題。
「倍音 音・ことば・身体の文化誌」は尺八奏者の中村明一さんという人が書いてます。
整数倍音は美しく通る声でカリスマ性を作る。
非整数倍音の声は親しみやすさを感じさせる。
という話だとか、虫の雑音を声と聞く東洋の耳、対する西洋の耳といった
まあ良くある文明論まで展開している本です。
内容的に?と思うようなところもあるようで買って読もうという気にはなりませんでした。高いし。
個人的な考えですが、西洋の、特に古典音楽が非整数倍音とか、場合によっては高次倍音さえ嫌うのは
ハーモニーフェチだからでしょうね。
歌声合成ソフトというので遊んでみて思ったのですが、ソロで存在感のあるボーカルって
ホントにハーモニーの破壊者です。お前のパートしか聞こえてこないよ、どうしてくれんだよ、みたいな。
多分古典音楽でなくてもハーモニーを前提とするなら、基音・2倍音・3倍音位で収まるおとなしい声が
望ましいんでしょうね。
存在感のあるボーカルと言えば、クリキン田中さんとか小野正利さんとか
フランジリンボイス(でいいんでしょうか?実は調べてもよくわからない)の使い手がいます。
クリスタルキングはフランジリンボイスの使い手は田中さんだけで
こちらは声を重ねても田中さんメインと思えば問題ないんですが、
小野正利さんは多重録音で自身の声を重ねていて、これは正直くどいと思ってます。
A母語の言語発声の混入
何より大きい問題、これこそ私が一番声を大にして注意喚起したいこと。
ほぼ全てのボイトレで、これまで嫌というほど書いてきた言語発声の混入について、言及・記載が無いことです。
普通は誰でも自然と歌声に言語発声が混入してるんです。(
>>113 、
>>134 )
しかも同じ言語圏の人でも個々で混入比率が違って、まさしく千差万別です。
で、場合によってそれを取り除いたり混入比率を下げたり、あるいは他言語の発声を意識しないといけないのに、
どのボイトレも暗黙の了解、知ってて当然・出来て当然のように、それをスキップして練習に入ります。
そんなんじゃ出発点から間違う可能性だってあります・・・
ロジャー本なんてそれの最たる例じゃないでしょうか?
発声に加わる言語発声エッセンスがとても大切なファクターであることは、
>>112-114 、
>>133-135 で説明しましたね。
母国語が英語の人と我々日本人ではその言語発声が全く違うのに、それを一切無視して練習に入ってます。
だから「ヘッドってどうやって出すんだ?」みたいに記載の無い所でつまづき、ついには難しすぎると挫折するんです。
ウォームアップでも、高音では喉を開放しないといけないのに、日本語発声のままどんどん喉を締め付けて間違います。
B用語の氾濫
同じ意味なのに声楽やボイトレの流派によって異なる言葉が多数あり、またそれぞれ微妙にニュアンスが違ったりもします。
にもかかわらず、情報の発信者はそんなこと一切お構いなく、ただ自分たちの用語が唯一のごとく伝えます。
それら同義語・類義語の整理だけでもかなり手間がかかり、発声練習にさえ入れず時間を浪費します。
もし用語の理解で苦しんでいる人がいたら、悪い言葉遊びだと思って切り捨てるのも手です。
C練習法の真意 世の中に出回っている練習法で発声を突き詰めたらどのような声になるか、、考えたことがありますか? 勘のイイ人ならもう気付いてくれていると思います。 これまで口を酸っぱくして言ってきたように、発声効率を突き詰めると歌唱発声になるはずです。 そして、数ある練習法も、その大多数が発声効率を高めるやり方についてです。 では、そんな練習法がなぜ現代音楽の発声練習に用いられているのか・・・ スミマセン、まだ現代音楽の歌声について書いていないのでわかりづらいですが、、 全ての歌声は程度の差こそあれ、話し声よりは発声効率を高めた結果だからです。 これは例え話で説明した方がわかりやすいでしょうか・・・ 例えばあなたが喉風邪にかかったとしましょう。 ただ風邪といっても、鼻水、喉の痛み、頭痛、発熱、症状は色々あります。 鼻水が出てるのに頭痛薬を服用する人はいませんよね? 薬は症状に合ったものが一番効果があるんです。(総合感冒薬は禁じ手で^ ^;) また、過剰な服用は危険ですから、用法・用量を守らないといけません。 数ある発声練習も、それぞれに異なった効果がある薬だと思って下さい。 的外れな練習は何の効果ももたらさないし、 1つの練習への偏重や過度の練習は、薬の過剰摂取と同じで逆効果になる危険さえあります。 自分の目指す理想の発声像に近づくためには、どの練習をどれだけすればいいのか? それを見極めるのはとても難しいですが、しかしながらこれが練習の際には大変重要なことです。 その難しい作業の手助けをしてくれるのが、本来のボイストレーナーのあるべき姿なんですが・・・ まぁ@・A等々、ボイストレーナーさんもいろいろ事情がおありでしょうから、これ以上は言いません。 以上、ボイトレに限らす歌の練習をしている人に考えて(気付いて)もらいたい大まかな4点です。 あともう1つ、耳は大切です!一杯音楽聴いたり、意識して聴覚を鋭敏化して下さい。
あぁ!二ヶ所「現代音楽」のままだった!!全部直したと思ったのにorz
>>146 l.6、l.7を「現代曲」か「現代の大衆音楽」に直して下さい。。何かやりきれない・・・
今回は得盛り小休止!今回はTVとかに関連した作品。私、、ミーハーです (/ω\)
フリーさん、部長さん、みなさんに読んで頂いて感謝感激です!!
数字一派の嫌われ者ゆえ、出向いてレスするのはご迷惑お掛けするところ、、
この場を借りて厚く御礼申し上げますm(_ _)m
スレの雰囲気が重いというご意見がおありのようですが、何卒そのようなことはお気になさらないで下さい。
私の知識なんざまだまだ月並みに毛が生えた程度。
(それなのによくもまぁこうも衒学的に書けるもんだと、、ちょっと自嘲気味^ ^;)
だからこそ、みなさんのご意見は大切にします。
フリーさん居なくなっちゃうんでしょうかねぇ・・・寂しい限りです。
前はかなり入り浸って知識ひけらかすような真似しちゃったんで、
ここんとこは自重してROM専しております。(レスしたくてムズムズしてるけどw)
音源全部拝聴させて頂いてますし、可能な限り保存もしてます。(水槽画像も^^)
引っかかったり裏返ったりする部分、たとえばトイレの神様の「それは〜あ゙」とか、
Driver's Highの出だしとか、それが声帯が分厚くなったせいなのかとか、
あるいは伸展が不十分なのかとか、フリーさんは感覚的に分かってらっしゃるので、
私があえてアドバイスまがいのことしなくても大丈夫だと信じてます。
もし疑問に思うことや分からないことがあったらいつでも聞いて下さい。
微力ですが可能な限り努力します!
それともう1つ、フリーさんはスレ主として即レス義務みたいなので頑張りすぎです。
Wisely, and slow; they stumble that run fast.
どんだけ亀レスでもイイじゃないですか。待てない人はそれまでってことで。
もっとのんびりやりましょう^^ チャットじゃないんだから、書いたこと消えやしません。
まずは自分の生活が第一。2chは余裕があるときで十分です。
ここだったらどれだけ書き捨てでも大丈夫ですから、いつでも来て下さい!(他の人もね!)
ただし、私が超遅レスなんで、即答は致しかねます。予めご了承をばm(_ _)m
書き忘れていましたが、フォルマントは共鳴腔(声道)の操作によって形成され、
逆に声帯原音はそれほど大差ないので、声帯の使い方はあまり関係ないと考えられます。
さて、私がフォルマントをどう考えているかについて。
フォルマントやその形成過程等の説明は上記参照サイトにまかせるとして、
私はフォルマントそのものより、それによって生じる事象に着目しています。
大きく分けて2つ、順を追って説明していきましょう。
まず第1に、
>>113 で書いた「言語差=言語発声の差=発声器官の使い方の差」があります。
これは言語を、「頭の中で文章を構築する=内言語」と、「それを声に出す=外言語」に分けたうちの、
外言語に相当する部分に着目したものです。
そして「発声器官のある1つの言語発声への特化」とは、この外言語の1言語(母語)への偏重によって、
共鳴腔(声道)が変形してしまうことを意味します。(cf.
>>73 )
共鳴腔の変形がピンとこなければ、ペンダコを例に考えてみてください。
ペンダコとは、長年同じペンの持ち方をしたために指の一部が変形したものです。
これができるとペンがズレることがなくなって、より持ちやすくなります。
右利きの人なら右手に、左利きの人なら左手に、普通なら中指にできますね。
逆に、ペンを持っていない方の手の中指には全くできません。当然です。
ちなみに、私はペンの持ち方が変(↓の画像みたい)なので、右手薬指にできています。
ttp://blog-imgs-18.fc2.com/s/o/o/soogatch/20060713.jpg ペンの持ち方の違いで、違った位置にペンダコができるわけです。
共鳴腔も同じで、ずっと日本語を話していると、
日本語の5母音を発声しやすいように、共鳴腔の形状そのものが変形していくんです。
それが言語間の差となって母語以外の言語を発声するときも現れ、
あるが果てに歌うときにまで顔をのぞかせます。(cf.
>>112-114 >>133-140 )
>>339 >>160-161 は図書館で借りた本ばかりなので、どうぞ1度図書館へ足を運んでみてください。
最近の図書館は他館から取り寄せができるし、大概の本が読めるようになって便利です^^
実践的で練習を伴う考察ならば、ボイトレ本の類の方が良いかもしれませんね。
個人的には、私がお勧めしたバイブルも、歌声の科学とかフースラーとかに準ずる知識型の本で、
ボイトレではないので、あくまで知識の形成、理論構築に役立つ本です。
あんまり難しい内容で手をこまねいて、練習が疎かになるのは本末転倒ですからね。
あ、ぶっちゃけ読んだことない本のが圧倒的に多いんで、立派なことは何1つ言える身分じゃないんですが^^;
個人的にうまい具合で優しい理論書だなぁと思ったのは『歌手ならだれでも知っておきたい〜』系です。
『音楽家なら〜』の方しか読んだことないんですが、あれは図解もあったり内容が実践者向けだった記憶があります。
同系統っぽいし、より詳しそうなので、私も読んでみたいですねぇ。
『あっというまに歌がうまくなる!?〜』は、特別この本だけの情報ってのもなかった記憶があるし、
正直、ボイトレ系の本はネットが発達した現代では、ググれば手に入る情報が99%です。
目にしたり耳にした情報(ボイトレ法)ばかりで、何か突飛な練習法を探す方が難しい時代になりつつあると思います。
特に昔から懐疑的に思っているのが、「あっという間に」や「たった3日で」とか「2週間で完成」みたいな、短期間で習得を謳っている本です。
発声って、いわばその人の癖のかたまりであって、本で単純一義的にまとめて上達を指導できるほど簡単なもんじゃないんです。
そういった本は大風呂敷を広げたことで、内容が大雑把になっていることが多いです。
まぁそれでも手に取って読んでしまうのは、私自身が発声嗜好症なんでしょうね^^;
長々と書いちゃいましたが、ご自身が練習と理論(知識)をどのウェイトで取り組むのかで、本もいろいろ変わってきます。
実践から頑張ってらっしゃるなら、やはりVT系本をいくらか読み潰して練習方法を増やしたりするのがイイですかね。
そうするうちに嫌でも知識なんてついてくると思います^^
>>228 簡単に説明すると、引き上げ筋の効果は、宙ぶらりんな喉頭を固定することです。(詳しくは
>>69 )
そうすることで体が声を出す状態にしてやります。
また、話し声のときはそれ主体で発声に関わります。
ただ、このままだと
>>69 に書いたように、喉の位置が高くなっちゃって、とても上手くは歌えないので、
引き下げ筋によって喉頭を下に引っ張り、位置を下げてやるんです。
フースラーの『歌うこと』の言葉を借りるなら、引き上げ筋、引き下げ筋、ともに“喉頭に支持を与える”ことを引き受けます。
すなわち私が言うところの「喉頭の固定」です。
フースラーいわく、両者が綱引きのように喉頭を引っ張り合い、喉頭が平衡状態になると、声帯の中にある筋肉の緊張が解けるらしいです。
ただ、あくまでその状態がリラックスベースになるということで、そこにある筋肉、例えば声帯筋とかの閉鎖筋群はちゃんと活動するはずです。
じゃないと声帯伸展と声帯閉鎖が同時に行えない大変な状態に陥っちゃいますからね^^;
これらの結果から、どのような効果があるのか?という質問に対してですが、
正直はっきりした効果はありません^^;
「喉頭を固定して声を出す状態にしてやる」その効果が「声を出す」ことですから…
逆に言えば、引き上げ筋だけ使って歌おうとしても、喉の筋肉が緊張を誘発されて上手く使いきれません。
それを解決するため、引き上げ筋は歌う時には引き下げ筋のサポート役になって緊張を解くと思って下さい。
メインじゃなくサブとして、引き下げ筋に対応する存在として存在しているのです。
だから、それ単体で目立った効果ってのはないんです。
また暇があれば『歌声と話し声の違い』(
>>69-73 )を読み返してみてくださいm(_ _)m
>>231 喉をガッチガチに緊張させて、無理に声帯を振動させたら、喉を傷める確率は増すでしょうね…
>>232 さんがおっしゃる呼気圧迫が増すことにもつながりますし。
喉頭の位置は二次的な要素として、これまた声帯圧迫とか喉絞めにつながりますが、
まぁ極度に上がってなけりゃ許容範囲というか、深く考える必要はないと思います。
逆に考えれば、そうしないことが喉を傷めにくい発声ということになるでしょう。
声帯の閉鎖に絞って考えてみると、
>>65 の閉鎖筋群のうち側筋と横筋にまかせた閉鎖だと、声帯は大雑把にしか閉じません。
そんな状態だと、声帯は一様な振動をせずに、いびつに開閉運動をする羽目になりますよね?
振動にむらが起こると、何事でもそうですが、しわ寄せがどっかに来て、その状態を保つのが苦しくなります。
それを解決するために、声帯筋や外甲状披裂筋による閉鎖も加わってきれいな閉鎖・振動を起こします。
ただし、もし声帯筋や外甲状披裂筋が過度に働いても声帯圧迫につながるわけで… 何事も加減が大切です^^;
あと、いつかどこかで「裏声は喉を傷めやすい」とか聞いたことがあるんですが…
今ちょっと調べてみましたが、やっぱり“なぜ傷めやすいのか?”の答えが見つかりません。
もし理由を探すなら、その振動数の高さから、声帯靭帯に及ぼす負担が大きいのでしょうか?
それか、声帯靭帯縁辺のみの、これもある意味で“いびつな”振動が、声帯に悪影響を及ぼすのか…
そうじゃなきゃ閉鎖筋群が弱いか働いていない、声帯間隙が広めの状態なんで、声帯どうしが圧迫されてるとは考えにくいんです。
喉を傷めやすいという意見そのものにも賛否両論あるし、ここはまだ私も合点がいきません。
あと最後に、、発声が上手いといわれるヴォーカルでも、喉を傷めることはままあります。
どんな発声法だって、声を出す時点でリスクは負うんです。
そのことを理解した上で、負担の少ない喉を傷めにくい発声というのを考え、あるいは実践してみてください。
271 :
選曲してください :2012/08/07(火) 15:29:43.68 ID:u1gjHG5U
>>544 共鳴は声道のみで起きると決めつけていたり、どうかなと思う点もあるんですが
フースラーの本についていた音源の話が面白いですね。
フースラーの考察のもとになったのは当時の凡夫極まりない歌い手だとか。
どんな天才もその時々の時代的、社会的、技術的制約を超えた発想はできないものです。
フースラーのアンザッツだって何も完成した無欠の議論ではなくて
これから検証したり補ったりする部分があるかもしれません。
差音が主観の産物だと判断したヘルムホルツ大先生も
当時の不便な実験装置ではなく
振動数を連続的に変化させて重ねることが可能な現代の実験装置があれば
別の判断を下したかもしれない、という話もありますしね。(552で紹介した例のサイト↓です)
http://members2.jcom.home.ne.jp/alba2010/differnce%20tone.htm 相対性理論にしても、当時相対論が登場すべき前提というか材料はすべて揃っていて
アインシュタインがいなかったとしても別の才能が相対論をまとめただろう、という話もあります。
才能だけが理論を作るわけじゃないと。
才能や権威を盲信してはいけない、ということですね。
順不同になってる…ゴメンナサイm(_ _)m
>>221 (
>>222 >>224 )
地声と裏声をどう思っているか…そして女声について。
まずは地声と裏声からいきましょうか。
無理にカテゴライズするならば、地声は声帯全体を振動させたもの。それに対して裏声は
>>162 記載の感じです。
あ、もう1つ付け加えるならば、裏声は声門閉鎖が伴わないか、あっても極わずかなものです。
ただ、これらは極端にカテゴライズしてその作用を明確化させたものであって、個性と同じく人それぞれ個人差があるのは当然です。
このことも
>>162 とかに書いたとおりです。
私なりに両者は
>>65 の筋肉それぞれの関わる比率が違うだけで、声帯から発生している同じものと考えています。
裏声とか地声とか、ミックスとかミドルとか、そういったものを全部バズワードとして切り離して、
声が出る原理を生理的(科学的)に考えた時に、間違いなく言えることはただそれだけです。
あと1つ、往々にして言えることですが、バズワードを生半可なまま使い聞こえてきた声から発声法を推察すると、
生兵法は何とやらで、間違った結論を導いてしまうことになりかねません。
例えば、気息音が多いから裏声に分類しますか?
何やら「声に芯がある」とかいう判断でもって、実声だって分類しますか?
そんなんじゃ本当にどうやって発声しているのかの真理・原理に辿り着けないままになっちゃいますよ!
>>151 >>173 に書いたとおり、“音響=発声の結果”からの考察は最大限慎重にすべきです。
こんな感じで考えていたら、私の頭は
>>174 になりました。
まぁそれも今じゃ事故ってカオス状態になっちゃってますが…^^;
少なくとも今の私が言葉に表せるものは
>>150 の目次に書き連ねたことくらいのもんです…お役に立てず
基本的なことを守らずに、あまりにも感情で表現しようとすると 感情表現にばかりこだわり、大事なリズム音程などが正確に 表現されにくい状況に陥る傾向もあります。 これは、声の大きさばかり終始して、大事な楽譜の記号表現が おろそかになるのと似ているように思います。 まずは、楽譜と通りに正確に歌うことを心がけましょう。 次に、詩を何回も読み返し、その歌詞(フレーズ)のイメージ を思い浮かべましょう。 歌は一つの物語りなんですからね。 そして心で歌をうとすれば、こころで表現しようとする内容を すべて、音符のなかにすべて納めて歌いましょう。 こころで歌うには、かなりの練習を積み、自然に表現されるべきだと 思います。 意図的に悲しい顔をしたり、身体を動かすのではなく すべて歌のなかに納めて表現すべきものだと思います。 練習を積み、上手くなれば、 感情の変化は音色の変化と変わり 「表現力」として 素晴らしくなり「歌は心だ」と聴衆から 思われるようになるでしょう。 ふぅ、今日1日でこのスレ読破。 つっても腹の底に落ちきっていない箇所もあるから何回も読み直さなきゃいけないと思うが。 自分は読書を滅多にしない人間なので、だいぶ気合いを入れてかからないとこういった長文が読めないんですね。 そのせいで最初にレスしてからちゃんとスレ全部読むまでこんなに時間がかかってしまって申し訳ないです。 なんとなくサブさんが研究なさっていることの一部がぼんやり見えてきました。 楽しく読ませていただきました、非常におもしろかったです。 俺はそんなに年食ってるように感じますかね……?こんなに若いのに。 もしこのスレが容量落ちしたら、また別のスレを乗っ取って続けてくださると嬉しいです。 絶対に見つけ出しますんで!!
ちなみにこれほど博識なサブさんならもうご存知かもしれませんが、僕からも声楽の発声についてWebサイトを挙げておきます。
表声・裏声などという感覚的な言葉を切り捨て、より実際に起こっている現象にスポットを当てていらっしゃるサブさんには申し訳ありませんが、
「男性が裏声を使うと声帯には悪い、喉頭は下がったまま表声を全身の筋力でバランスをとりうんぬん」という発声を提唱している方のサイトです。
残念ながら裏声を使った男性オペラ歌手は現在、一部のカウンターテナーやソプラニスタを除きほとんどいません。
その発声により声帯を壊さず死ぬまで歌い続けた歌手が何人もいたり、裏声を使ったカウンターテナーの歌手としての寿命が短いことから、今のところ私はその発声を信じています。
男性視点のみで語ってしまいますが、ここで敢えて「ベルカント」という言葉を使うなら、裏声を使った古い「ベルカント」は声帯に悪く体に優しい。
表声を使った新しい「ベルカント」は声帯に優しく体に悪いです。
「ベルカント」なんて言葉は非常に曖昧なものなのに、日本人が横文字として輸入した瞬間絶対的な定義を無理矢理つけてしまったようなので、この言葉を使うのは僕も好きではありませんが。
ttp://www2.odn.ne.jp/~cco47400/hassei.htm ttp://ameblo.jp/molto-piu-acute/ ttp://ameblo.jp/ken-baryton/ ここで腹話術やってるってききました すごいっす、参考させていただきやす!
ちょっ素人目で気が引けるんスけど 高校生のほうからの加齢臭が どうしても漂ってくんのが気になります 改良の余地あるおもいます!
初心者から上級者まで コンテンポラリーシンガーのため?のヴォーカルワークアウト
コンテンポラリーシンガーのため?の ヴォイストレーニングとアメリカ?英語の歌い方
ザ・コンテンポラリーシンガー CD付 ヴォーカルテクニック&パフォー?マンスのための
あなたを表現するために シングユアストーリー この辺の本ってどうなの?
さて、ご質問の「声楽の発声が弓場さんのような裏声を用いたものか?」ですが、
私の中では表声とか裏声とかはバズワードとして切り捨てた言葉なんで、答えづらいというのが正直なところです^^;
たしかに弓場先生は声楽畑の人だし、先生の歌声は声楽に基礎をもつ発声スタンスです。(cf.
>>144 )
その点から逆説的に、声楽の発声は弓場先生のような裏声を用いたものと言えるでしょう。
しかしここで留意してもらいたいのが、どんな声でも声帯という1つの器官から発生しているということです。
>>65 に書いた喉の筋肉が総合的に働き、しかもそれに関連した呼吸筋や身体全体の筋肉が連携して発声します。
裏声、表声、ミドル、ヘッド、etcだからといって、なにか別の器官が働くということはありません。(cf.
>>113 )
強いて言えば、裏声は声帯を進展させ声唇を薄くし、声帯縁辺のみを振動させる発声方法である・・・
これでもいささか誇張的と言わざるをえません。
表声(地声)やミドルとよばれる代物にも、声帯の進展はあってしかるべきだし、
声唇の厚さは個体差もありますが、その調節によって全ての声域で大きな役割を果たします。
これらの説明が難しいから、声種や声区のようなカテゴライズをし、理解の糸口を与えたんだと思います。
本来、真に発声運動を理解しようとするならば、そのような言葉は真理に向かうための導入にすぎません。
それに雁字搦めになって、その先にある統合的な発声運動を理解しえないことは残念なことです。
サブさん、とりあえずありがとうございます。
私のような若造のために音楽以外のことまで、役に立ちそうだけど難しいことを噛み砕いて説明していただいたこと、非常にありがたいです。
涙が出そうなほど感動しました。
あなたは私が目指すものに一番近いし、そんな方は初めてお目にかかりました。
私には今、金がありません。
親のすねをかじって生活している無能な高校生です。
なので自分の力で金を稼ぐようになったら、何年かかるかは分かりませんが、サブさんに挙げていただいた書籍をすべて吸収させていただこうと思います。
それまではこのスレを熟読し、教えていただいたWebサイトを閲覧することにします。
・『声と日本人』【米山文明(著)、平凡社】 ・『声の呼吸法 - 美しい響きをつくる』【米山文明(著)、平凡社】 ・『声の不思議 - 診察室からのアプローチ』【一色信彦(著)、中山書店】 ・『上手に歌うためのQ&A - 歌い手と教師のための手引書』【リチャード・ミラー(著)、岸本宏子(訳)、長岡英(訳)、音楽之友社】 ・『西欧音楽教育史』【供田武嘉津(著)、音楽之友社】 ・『声楽の知識とテクニック』【エルンスト・ヘフリガー(著)、小椋和子(訳)、シンフォニア】 ・『西洋音楽史 - 「クラシック」の黄昏』【岡田暁生(著)、中央公論新社】 ・『誰にでもできる発声法(ボイストレーニング)』【熊谷卓(著)、日本実業出版社】 ・『日本人の声』【鈴木松美(著)、洋泉社】 ・『倍音 - 音・ことば・身体の文化誌』【中村明一(著)、春秋社】 ・『はじめての発声法』【ジャン=クロード・マリオン(著)、美山節子(訳)、音楽之友社 】 ・『発声の科学と技法』【Risa Roma(著)、鈴木佐太郎(訳)、音楽之友社】 ・『発声の技巧とその活用法』【酒井弘(著)、音楽之友社】 ・『発声の達人 - 日本人には日本人の歌声がある』【海沼実(著)、ノースランド出版】 ・『表現と理解のことば学』【宍戸通庸(著)、西川盛雄(著)、平賀正子(著)、菅原勉(著)、ミネルヴァ書房】 ・『プリマドンナの声帯 - 音楽裏方医者のカルテから』【米山文明(著)、朝日新聞社】 ・『ベル・カント唱法 - その原理と実践』【コーネリウス・L.リード(著)、渡部東吾(訳)、音楽之友社】 ・『ベル・カントの継承 - 装飾の施された歌唱に関する実践的省察』【Giambattista Mancini(著)、渡辺東吾(訳)、アルカディア書店】 ・『ベル・カントへの視座 - 昔時及び当節の歌い手に対する見解と装飾の施された歌唱への所見』【Pier Francesco(著)、渡辺東吾(訳)、アルカディア書店】 上のリストに新書シリーズが何冊か紛れ込んでると思います。 いきなり難しい専門書にアタックするのもいいですが、未開拓の分野に手を出すときの入門書としてもってこい。 本自体も薄いし、それを手始めに新規開拓してみると捗ります。 ただし、その性質ゆえ内容が所々間違ってることがあるので、すべて真に受けて読むのではなく、 少々懐疑的に、次の知識への懸け橋と思って読むくらいがちょうどいいかも。
響かない日本の家屋でも楽器は発展していった 尺八・琵琶などの現在では伝統楽器といわれる類の楽器である この楽器を(欧)に聞かせると(欧)の脳は音楽として処理する しかし(日)に聞かせると(日)の脳は言語として処理するのである 日本の伝統楽器は響かない環境で伝えるためにより「声に近づける」という選択をした 欧州の楽器とは根本的にここが違っていた 欧州の楽器は(欧)にとっても(日)にとっても楽器だが 日本の伝統楽器はそうではないのだ ほかにも(日)は小川のせせらぎや小鳥のさえずり、木々のざわめき等の環境音も言語として処理をする 当然(欧)は音として処理する これらは日本語の母音を主にした言語に関係しているといわれている 母音のような音には特別な感情のようなものを(日)は受け取るのである 夏の風物詩の風鈴は(日)にとっては風流でも(欧)にとっては雑音でしかないのだ 悲しい話である このように(日)にとって音は言葉でもあるのだ 逆に(欧)にとっては音は音、言葉は言葉といったしっかりとした区分けがある (欧)の歌は言葉よりも音の意味合いが強い (欧)は声を楽器にすることを選択した よく響きより響き、音としての質の高さを目指した 周りの硬い物が響きを助けてくれたのでその方向性にもうなずける (日)の歌は言葉であった 楽器ですら声言葉に近づけようとするのだから (日)にとっての音のメッセージ性は相当なものである
欧州の歌・日本の歌 これらのような環境と言語の違いにより 欧州と日本の歌の進む道は大きく変わってしまった 日本は人々の心に訴えかける感情と言葉を重視した歌 欧州はより響かせるためにテクニックや技術を開発し楽器としての音を重視した歌 ただ日本の歌に技術がないわけではない 人の心を掴むための技術が感覚で伝承されていったのだ それゆえ感情論や根性論が蔓延りやすい事態にもなるのだが・・・ しかし色々と混ざってしまった現在ではテクニックとして感情表現もある この辺は進歩と言ってはいいのではないか ただその反面 日本人は音に感情を感じにくくなっているようだ 技術により感性が縮んでいくのは避けられないことなのだろうか まあとりあえず、根っこにはこのような違いがある 音としての歌が好きか言葉としての歌が好きか そんなことは目玉焼きにソースをかけるか醤油をかけるかくらいに些細なことなのだ 欧州にしろ日本にしろ音は楽しむものに変わりはない 自分が好きな歌手の歌を聞き、自分が好きな歌い方を目指す 思うが侭に楽しむ 好きな食べ方をすればいい これこそが誰にとっても正しい歌であり音なのだ 書きたいのに書けないこともあって少し説得力にかけるけど こういうのもあるのか と思ってくれたら嬉しいかな 信用できなかったら忘れてください
まず第1に、
>>113 で書いた「言語差=言語発声の差=発声器官の使い方の差」があります。
これは言語を、「頭の中で文章を構築する=内言語」と、「それを声に出す=外言語」に分けたうちの、
外言語に相当する部分に着目したものです。
そして「発声器官のある1つの言語発声への特化」とは、この外言語の1言語(母語)への偏重によって、
共鳴腔(声道)が変形してしまうことを意味します。(cf.
>>73 )
共鳴腔の変形がピンとこなければ、ペンダコを例に考えてみてください。
ペンダコとは、長年同じペンの持ち方をしたために指の一部が変形したものです。
これができるとペンがズレることがなくなって、より持ちやすくなります。
逆に、ペンを持っていない方の手の中指には全くできません。当然です。
ちなみに、私はペンの持ち方が変(↓の画像みたい)なので、右手薬指にできています。
ttp://blog-imgs-18.fc2.com/s/o/o/soogatch/20060713.jpg ペンの持ち方の違いで、違った位置にペンダコができるわけです。
共鳴腔も同じで、ずっと日本語を話していると、
日本語の5母音を発声しやすいように、共鳴腔の形状そのものが変形していくんです。
それが言語間の差となって母語以外の言語を発声するときも現れ、
あるが果てに歌うときにまで顔をのぞかせます。(cf.
>>112-114 >>133-140 )
第2に『歌声における言語発声と歌唱発声の相関関係』(
>>133-140 ) のジレンマ解消法で書いたこと。
これは米山文明先生の著書『声と日本人』にも書かれていたことです。
共鳴腔(声道)は各母音のフォルマント形成に多大なる役割を果たします。
また、共鳴腔は広がることで声量確保、高次フォルマントの集約等にも貢献します。
歌う時には、この2つの動作を同時に行わなければなりません。
しかしながら、この2つはトレードオフの関係で、完璧に両立させることは不可能です。
同じく、歌うときは話すときより格段の声帯調節が行われ、それが共鳴腔の形状にも制約をつけます。
すなわち、母音を明瞭に発声するための共鳴腔の形状にはなりにくい場合が多々あるわけです。
以上のように、歌うことは母音フォルマント形成の阻害要因を多く含みます。
以下は歌声に限らず日常会話やその他諸々の、とにかく「言葉を発する」全般での話です。 発声は体全体、トータルで考えろ!って人もいますが、いきなりそれすると風呂敷広げすぎて収拾つかなくなるので、 今回は喉から上にフォーカスを当てて書きます。(それ以外の要素についてはまた後日。) どうしてもこれから説明しておかないと、後々の説明でいちいち補足しないといけないので・・・お許しをばm( _ _ )m 発声の仕組みといっても、簡単に言っちゃえば、 @ 声帯で喉頭原音(声帯原音)を発生させる A 共鳴腔でその原音を共鳴・増幅させる B 調音(構音)により最終的に言葉としての声を形成する みたいな感じ? 省きすぎかな・・・ @では呼気が声帯振動によって音へと変わります。 ここでどうしても留意してほしいのが、声帯で音が発生する原理です。 もしかしたら一部の人は、「声帯の振動=左右の声帯が擦れ合って音が発生している」と思ってはいないでしょうか? これ大きな間違いです!声帯はスズ虫の羽根みたいに擦れ合って音を出してるわけじゃありません!! そもそも振動とか震動とか、言葉がはっきり決まってないのももどかしいですね。 音が発生する正体は、声帯が断続的に開け閉めを繰り返して作る気流音です。 その証拠に、話声位くらいの声帯原音を聞いてみると、「ブーーー」みたいなノイズで、声とは似つかない音です。 これが後の共鳴空間で増幅され、倍音を得ながら声として形成されていくんです。
Aの共鳴腔は喉頭・咽頭・口腔・鼻腔の声道と、肺や副鼻腔です。
これらで声帯原音が共鳴することによって音が増幅され、声の素ともいえる音へと変化するわけです。
そしてもう1つ、共鳴腔の中でも喉頭・咽頭・口腔は、次のBと綿密に連動し合いながらその形を変えるので、
強調される倍音の周波数帯が変化し、各母音特有のフォルマント形成に多大に影響します。
Bの調音(構音)は簡単に言っちゃえば、声帯から出て共鳴させた音を言葉として加工することです。
Aで“声の素”と書いたように、共鳴させただけではまだ最終的な「言葉としての声」としては成立してません。
唇・舌・歯、さらには共鳴腔がトータルに働いて母音や子音が調音(構音)され、やっと言葉としての声が出来上がります。
さて、声の成立の説明はこれにて終了です。
上で書いたのは有声音についてで、無声音は@とAの一部がない場合と思ってください。
簡単に書いたんでアラもありますが、そこは大目にみてご勘弁をm( _ _ )m
最初に書いたとおり、この発声の仕組みは「言葉を発する」全般の話で、話し声も歌声も“原理的”には同じです。
もちろん、女性でも男性でも、日本人でも欧米人でも、どんな人でも同じ原理です。
これを念頭に、歌声と話し声との違い、体の他の部位の働き、性差、言語差などを説明していきます。
もしわからない単語等があったら・・・ggrks、、もとい、聞いてもらっても構いません。
でも即レスは全く保障しませんので悪しからずm( _ _ )m
もっと詳しく知りたい方は、↓のサイトで上手く説明されているのでどうぞ^^
つ
ttp://www.oki.com/jp/rd/ss/speech.html
精通君とか発声マニアって頭デッカチで板に害な気がしてきた
>>62 お久しぶりです(・∀・)ノシ
最近はフリーさんの所に引き篭もってますw
出来る限りチャプターごとに書いていくので、気になる題名があったら読んでやってくだせぇm( _ _ )m
音源紹介ありがとうございます^^ ラテンいいですよね〜 エスパニョーラ!って感じ好きですw
あ、また余談ですが、私がここで書こうと思った理由、実は
>>58 以外にもあります。
>>53 に書いた絶望の果て、再び上達を目指したとき、今の自分の発声を捨てる決心がつきました。
そして再度上達のためフローチャートを作ることにしました。その結果できたのが↓
@今の自分の発声を崩壊させ、癖をなくし、ゼロの状態に戻す。(禁カラ、むやみなボイトレ禁止)
A知識を整理し、頭の中に出来うる限り詳細な発声理論を構築する。
Bその理論に “自分の理想の声・喉” と “今の自分の声・喉” を照らし合わせる。
C精密にあぶり出された不足部分を、必要なトレーニングによって補完する。
@〜Bはいつか終わるにせよ、Cに終わりなし!まさに生涯学習!だから焦らず気長にのんびりやるよ!!
オッサンになったとき、上手いなぁ〜なんて言われたい・・・(/ω\)
あ、ちなみに、桶板にうpしなくなったのは@のせいです。たぶんあと半年は辛抱しなくちゃ^^;
またいつか梁山泊お邪魔しますm( _ _ )m
286 :
選曲してください :2012/08/08(水) 05:30:34.95 ID:8+3pJf8E
>>190-194 既出もなにも、これから書きたかったことてんこ盛り、大変ありがたいお話です!!
私には十分信用足るものですよ!
【 建築 】
まさしく仰る通りだと思います。
建築材料の違いは、普段からの発声法の違いにつながっただろうし、宗教音楽の発展にも影響しました。
それが芸術音楽や大衆音楽にも影響して、18世紀ごろまでは独自の発達を遂げたんだと考えてます。
あ、18世紀ってのは私個人の感覚です。日本でいえば江戸時代ごろまで。
たぶんその頃までは、今みたいな世界間の大々的な文化交流はなかったはずです。
他文化の大きな流入がなかったからこそ、混血ではないその土地だけの純粋な継承・発展があったと考えています。
少し逸れますが、
>>175 で少し触れたように、洋の東西を問わず宗教音楽が影響していることはとても興味深いです。
グレゴリオ聖歌が演奏された教会(大聖堂)では残響時間が3秒とか4秒、あるいはそれ以上と、
これは現代のコンサートホールとは比べ物にならないくらい長いです。
そんな残響時間の長いところで非整数倍音を多く伴った声で歌っては、
ホワイトノイズの反響まで入り混じって音が濁ってしまいます。
そのために整数倍音が多く、非整数倍音の少ない発声法が重宝され、響きの増大につながりました。
宮廷や音楽堂も残響時間が2秒以上あって、歌声・楽器はそれに合った発展をしました。
対して、聲明は木造の金堂で行われていました。
金堂は民家より残響時間が長いとはいえ、たぶん1.5秒にも満たない、1秒前後くらいだと思います。
雅楽や能の類の演奏も屋外の舞台などで、それらは共に反響の少ない、あるいは無いような場所です。
そのような場所では、聴衆に直接音を届けるために、音をはっきり強く出す必要があります。
発声においては明瞭度が重んじられたのは言わずもがなですね。
これら宗教音楽が大衆文化に伝播し、民謡等の発展に影響したはずです。
みなさんのお心遣いに感謝いたしますm(_ _)m
今は退院もうして自宅で療養を送りながら、日々いろんなところに出かけるよう心がけております。
じゃないとふさぎがちになって精神的なストレスで死にそうになるんで…w
昨日は近くのお寺に参って、以前のように脳が働くように文殊菩薩様に手を合わせてきました。
今度の受診で脳機能障害の検査があるのでgkbrです^^;
歌が心か技術かのお話は、前にも書いたので割愛させてもらうとして、
今の私が思うに、それらは大袈裟にいえば比翼の鳥・連理の枝のようなものなんじゃないかと思います。
どちらかが掛けていると成り立たないわけじゃないんだけど、どこか物足りなさというか、
不自然さ(違和感)とかにつながるんじゃないかと思うんです。
竹中直人が笑顔で怒った声を出すって芸は、それが意外性があって受けるんだと思うんです。わかりにくい?
迫真とか、伝わりやすさの対極だからこそ、逆に面白いと感じるんです。
う〜ん、、頭が回らないなぁ、、閃きが無いし繋がらない。。
私は以前技術にばかり傾倒して、好みは?と言われれば、「ハスキーっぽい声なら何でもおk」って感じでした。
そんな時よく聴いていたのがTrijntje Oosterhuis(Traincha)でした。
彼女の声はやや擦れていて、それでいてすごく丁寧な歌い方をするんです。
自分の個性・色を前面に出してアレンジメントしようとはせず、譜面に合うように桶と調和するように歌うんです。
それがたまらなく心地よくて、一時期聴きまくってました。
Trijntje Oosterhuis(Traincha) / Close To You
http://www.youtube.com/watch?v=8UrPap9vP9Q
>>339 >>160-161 は図書館で借りた本ばかりなので、どうぞ1度図書館へ足を運んでみてください。
最近の図書館は他館から取り寄せができるし、大概の本が読めるようになって便利です^^
実践的で練習を伴う考察ならば、ボイトレ本の類の方が良いかもしれませんね。
個人的には、私がお勧めしたバイブルも、歌声の科学とかフースラーとかに準ずる知識型の本で、
ボイトレではないので、あくまで知識の形成、理論構築に役立つ本です。
あんまり難しい内容で手をこまねいて、練習が疎かになるのは本末転倒ですからね。
あ、ぶっちゃけ読んだことない本のが圧倒的に多いんで、立派なことは何1つ言える身分じゃないんですが^^;
個人的にうまい具合で優しい理論書だなぁと思ったのは『歌手ならだれでも知っておきたい〜』系です。
『音楽家なら〜』の方しか読んだことないんですが、あれは図解もあったり内容が実践者向けだった記憶があります。
同系統っぽいし、より詳しそうなので、私も読んでみたいですねぇ。
『あっというまに歌がうまくなる!?〜』は、特別この本だけの情報ってのもなかった記憶があるし、
正直、ボイトレ系の本はネットが発達した現代では、ググれば手に入る情報が99%です。
目にしたり耳にした情報(ボイトレ法)ばかりで、何か突飛な練習法を探す方が難しい時代になりつつあると思います。
特に昔から懐疑的に思っているのが、「あっという間に」や「たった3日で」とか「2週間で完成」みたいな、短期間で習得を謳っている本です。
発声って、いわばその人の癖のかたまりであって、本で単純一義的にまとめて上達を指導できるほど簡単なもんじゃないんです。
そういった本は大風呂敷を広げたことで、内容が大雑把になっていることが多いです。
まぁそれでも手に取って読んでしまうのは、私自身が発声嗜好症なんでしょうね^^;
長々と書いちゃいましたが、ご自身が練習と理論(知識)をどのウェイトで取り組むのかで、本もいろいろ変わってきます。
実践から頑張ってらっしゃるなら、やはりVT系本をいくらか読み潰して練習方法を増やしたりするのがイイですかね。
そうするうちに嫌でも知識なんてついてくると思います^^
まず声の支えを調べた時、いの一番に出てくる言葉が「腹による支え」です。
これは私が解説するよりも、下のサイトを読んで頂く方がわかりやすいと思います。
・『発声法(と言うより「呼吸法」)』⇒
http://classic.music.coocan.jp/vocal/hasseihou.htm これが発声に組み込まれているか? ちゃんと働いてくれているのか?
それが第一の「支え」の有無につながります。
更に、ここからもう少し話を発展させてみると…
横隔膜や呼吸器系の筋群などがそのような状態になると、本来は発声器官ではないところまで声を伝搬しやすい状態になってくれます。
もっと突っ込んだ話をすると、体壁振動などで体中に音が伝搬し、体の共鳴器官となり得る所で反響を繰り返し、
基本的に考えられている発声器官による声〈cf. 『発声概論』(
>>59-60 ) 〉に追加されるんです。
喉から上だけで発声し反射し、増幅させている状態。 俗に言う「喉声」から変化させてくれるわけでして…
何か話が難しくて伝わらないと思うんですが、要は身体の一部分だけで声を出す状態から、
身体全体を増幅器のように扱って、より声に肉付けを施すわけです。
これに関する記載は、『声と日本人』(著:米山文明、平凡社)等の本とか、ウェブサイトにもちらほら見られるので、
あながち私だけの突飛な推量ではないと思われます。
380 :サブ ◆44176./44g :2012/01/19(木) 00:00:27.59 ID:11NqQZY/
ボイトレ本の記載で、「足は肩幅に開いて…」「背筋は伸ばして…」「顔はちょっと上を向く感じ…」とかありますよね?
これらは全部、上記の“体中で起こす声の反響・伝搬”を誘引させるものなんです。
誰もはっきりしっかり歌おうとして、縮こまった姿勢では歌いませんよね?つまりそういうことです。
これが私独自に考える第二の「支え」になります。
さて、このような「声の支え」ができると、声にどのような変化が起こるのか?
これまた言葉にするのが難しいものでして…
ちょっと禁じ手ですが感覚的表現を使わせてくださいm(_ _)m
喉声が平坦で膨らみのない声だとすると、支えのある声ってのは立体的で広がりのある声になります。
ここんとこは幾分脱線になりますが、私の別スレ記載にも通じるところです。
292 :
選曲してください :2012/08/08(水) 12:04:58.26 ID:Mbz7tKcU
終わり
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