何を書いても構いませんので@生活全般板554

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137おさかなくわえた名無しさん
フロイト的な原因論を否定し、トラウマの影響を否定し
自分の行動を目的論の立場でとらえなおすことは、かなり厳しい作業だと思います。
極端な話、原因論に立てば「いまの自分がこうなのは、親のせいだ」とか
「生まれ育った環境のせいだ」と、責任転嫁することができます。
一方、アドラー的な目的論は、責任転嫁を許しません。
「こんな自分」を選んだのは他ならぬ自分であり、なんらかの目的――
たとえば努力をしたくないとか、失敗して恥をかきたくないとか
「やればできる」という可能性を残しておきたいとか――をかなえるために
「こんな自分」であり続けている、と考えるのが目的論だからです。
正面から受け止めるには、かなりの時間と勇気とを必要とする議論でしょう。

しかし、こう考えてください。アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても
今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」といっているのです。
過去など存在しないし、トラウマも存在しない。あなたは「いま」、ここで自分の人生を選ぶことができるのだと。
われわれはタイムマシンで過去にさかのぼることなどできません。
原因論の立場に立って「あんな家庭に生まれ育ったから」とか「あんな大学しか出てないから」と考えていたら
物事は一歩も前に進まないはずです。
原因論を切り捨て、目的論を受け入れる勇気を持ちえたときにこそ、はじめて自分を変えるチャンスが出てくるのです。
138おさかなくわえた名無しさん:2014/03/10(月) 04:46:59.50 ID:3IC1JWKG
たしかにフロイト的なトラウマの議論は、興味深いものでしょう。
心に負った傷(トラウマ)が、現在の不幸を引き起こしていると考える。
人生を大きな「物語」としてとらえたとき、その因果律のわかりやすさ
ドラマチックな展開には心をとらえて放さない魅力があります。
しかし、アドラーはトラウマの議論を否定するなかで、こう語っています。
「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。
われわれは自分の経験によるショック――いわゆるトラウマ――に苦しむのではなく
経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく
経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。

アドラーが「経験それ自体」ではなく、
「経験に与える意味」によって自らを決定する、と語っているところに注目してください。
たとえば大きな災害に見舞われたとか、幼いころに虐待を受けたといった出来事が
人格形成に及ぼす影響がゼロだとはいいません。影響は強くあります。
しかし大切なのは、それによってなにかが決定されるわけではない、ということです。
われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。
人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。
トラウマなどない。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって
自らの生を決定している。それがアドラーの主張であり、目的論です。