40 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/04(金) 06:51:40.00 ID:lrUdskrF
50代だけど、そろそろ自分がじいさんになりそうです。
ちなみに自分のじいさんは山口県出身でばあさんが会津出身で
結婚するとき賊軍と結婚するとは何事だとひいじいさんに勘当されたっていってた。
じいちゃんがばあちゃんを嫁にする際、ばあちゃんの実家から
ずっとおんぶして家に迎え入れたそうだ
30キロはあるし、山を越えなきゃならないから相当きつかったはずだ
『フジ』と言うばあちゃんの名前にちなんでうちに昔からある
大木の近くに藤の花を植えたじいちゃん
今は二人ともいないけど藤の花が大木にグルグル巻き付いて
季節になると花を咲かせてとても綺麗だ
こんな人達の孫で良かったなーと思う
田舎から出て来て偉い政治家の使いっ走りをしていたじいちゃんが、
住んでた下宿の大家だった子持ち未亡人とできちゃった。それがばあちゃん。
で、戦争行ってシベリアからやっと帰ってきたら、はっちゃけて外に女こしらえて
子ができた。
だから私の父には、種違いの兄姉、同父母の兄、腹違いの弟がいる。
43 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/05(土) 04:34:54.02 ID:Qs1jJnXH
戦時の話とかどうでもいいから
今どうしてるのか日常生活の話してくれ
>>24 家の爺さんも身長足らずで、兵隊に行って無いよ。
貧乏暮らしだったから、兵隊に行ったら少しは食えるし、戦争行って帰って来たら、年金も増えるってんで申し立てたけど、身長足らずで後回しにされて、ずっと後回し後回しで、結局終戦を迎えて兵隊に行けず終い。
その後の爺さんは、大雨で増水した川に落ちたり、路面電車に牽かれたり、割れたチェーンソーが体にぶっ飛んで来たり、癌の手術をしたり、年寄りの肺炎になったりしたけど、最後は老衰で100歳迄生き抜いた。
ちょっと切なくなるような良いスレかな、と思ったのに
>>43(=
>>1?)のレスで興ざめした
10年以上前に死んだ婆ちゃん、一生通して超田舎暮らしの超田舎者だったんだが
心が純粋な人だったらしく不思議体験話をよく話してくれた。
方言がキツかったが、トツトツと子供時代や娘だった頃の話を飾らずに話す。
婆ちゃんが10歳位の時の話。
婆ちゃんの住む山里の村に、今まで見たことない綺麗な着物を着た若い娘が
いつの頃からか出没するようになった。
村の人達は「町から来たオシ(喋られない人)か、ちょっと頭のオカシイ人」と言って
噂はしても無視していた。どうせそのうち何処かに行くんだろうから構うなと。
でも、初めて‘口紅塗った女の人’を見た婆ちゃんは「うわーなんて美すい女の人だべ!
ちょこっとでいいからもっと近くで見てみたいなあ」と思って少し憧れていたそうだ。
そして、何度か見掛けたこの美しい娘さんの後を、ある日の午後こっそり付いていった。
赤い花柄の手ぬぐいを姐っこ被りして、しゃなりしゃなりと田舎道を行く娘さん
少女だった婆ちゃんはワクワクして一人で尾行した。
田んぼ道から山道に入るあたりに差し掛かった所で、娘さんの綺麗な着物の下から稲?毛?
何かがチロチロと動くのが目についた。帯でも外れたのか?と、思ったとたん
娘さんはキャャ――ンと一声あげて両手を地面につけた。
驚いた婆ちゃん思わず「姐さまは狐かやっ?!」と、叫んでしまった。
これまた婆ちゃんの叫び声に驚いた娘さんは、
四つん這いのまま一瞬ピョーンと高く飛び上がって
姐っこ被りの手ぬぐいの端を真っ赤な口で噛んだ綺麗な顔で振り返り
婆ちゃんをひと睨みしてから山へ走っていった。
はだけた着物とフサフサの尻尾を揺らし山中へ逃げる「狐」を見て、
婆ちゃんは腰抜かす程ビックリ&怒りを覚えたそうだ。
オレの憧れていた女の人が、とんでもねえや!狐だったなんて・・・
ケモノのくせに人間を馬鹿にして、このやろう!だったらしい。
家に帰って母親に話したら「おめえ山学校して(学校サボる事)居眠りしてたんだべ!」と
誤解されて怒られたとの事。これもかなり悔しかったらしい。
この話は本当か嘘かは定かでないけどwいつも真顔で話していた。
婆ちゃんは、かなり巧い語り部だったと思う。
3行で頼む
それも携帯での3行
49 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/06(日) 13:34:33.66 ID:I329PVTB
じいさんの名前は玉五郎ですガチで。
>>46のはまるで民話だな。いいなあ、そういうの。
自分のじいちゃんは、澤次郎。
玉五郎に比べたら、インパクトないなあ。
爺さんは子供の頃養子にもらわれてきたそうで、
こっそり柱の影でないていたりしたそうな。
ちょっと怖い爺さんだったので、実感沸かないんだよねぇ。
51 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/10(木) 08:58:36.83 ID:ZbHev6q6
じいちゃんは、もう85くらいになるけど、職人でせんべい(クッキーみたい?)作ってる。
見た目も若くて70か65位に見える。身長も高いし(180くらい?)お洒落だし、
頑固だったりするけど、自慢のじいちゃん。みんなうちのせんべい買ってくれ
52 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/10(木) 10:55:43.57 ID:dqM8YSdr
うちのばあちゃんは末端だけど某財閥の出です
ちなみに金持ちではない
53 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/11(金) 19:45:55.37 ID:OnK5iQIU
うちは農村の出です
ちなみに金持ち。
54 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/11(金) 20:06:32.08 ID:k81okv5N
うちの爺ちゃんも 身長足らずで 戦争行けなかったらしい。 飛行機つくったりしてたみたい。
55 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/11(金) 23:52:54.88 ID:douos43C
ウチの爺ちゃんは17で海軍に志願して南方で10年。
その後は東京湾上で通信兵をしていた。
しかし、結核を発症して上官に退役を命じられた。
「まだまだ国のために尽くしたい!」という爺ちゃんに、上官は
「貴様は10年お国を守った。次は家族を守る番だ」と言われ、泣く泣く退役。
体調が回復した後に故郷に戻ったが、失意の日々を過ごしていた。
朝、公園のベンチに座り、そのままぼーっと夕方まで過ごす毎日。
それを近所の病院の看護婦が見ていたことに爺ちゃんは気づいていなかった。
看護婦は通勤のために朝と夕方に公園を通っていたが、
いつも退役軍人がぼーっと座ってるのが気になっていたらしい。
そしてある日、俯いて自分の靴の先しか映ってなかった爺ちゃんの視界に、
白い足袋と草履をはいた女の足が現れた。
視線を上げると、白衣を着た物凄くキツそうな美人が爺ちゃんを見下ろしてた。
「ちょっと兵隊さん!毎日毎日、朝から晩までいったい何やってるのよ!?」
「え、あ…?」
これが爺ちゃんと婆ちゃんの出会い。
これ聞いた時は、ちょっと婆ちゃんに萌えた。
56 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/12(土) 00:22:21.71 ID:LFaRlfbJ
うちのおばあちゃんは城主の家のお嬢様だったらしい。
ただし連れ子。
最初の夫に先立たれたひいおばあさまが健気に子供二人を育ているのが立派だと
新聞に載り(何故??)、それを見た城主(先妻死亡)のお母様に是非後妻にと望まれて
子連れ再婚。
赤子だったおばあちゃんはお嬢様として育った。(下に妹二人、弟一人誕生)
戦争になって城主(ひいおばあさまの夫)は空襲で亡くなり、財産はどさくさで親戚に奪われ、ひいおばあさまはほとんど何も相続できなかった。
(奪った親戚は大きな病院を建てたらしい)
おばあちゃんは農家に嫁に出された。(食べられるから)
「出征前にせめて嫁を」的な結婚だったらしく新婚早々、夫は戦死。
実家に戻った後に広島で被爆。この時か空襲の時に、家宝の備前長船の名刀もひしゃげたとかなんとか。
ひいおばあさまはわずかに手元に残った高価な着物やら調度品やらを
栄養価の高い食べ物と交換する為に手放し必死で看病したとの事。
毎日どくだみを塗ったり飲ませたりした甲斐があってか
おばあちゃんも回復し、数年後におじいちゃんと再婚。
後年おじいちゃんが亡くなった時、落ち着くまで預かるわと言う異父妹を100%信じて
生命保険金を預けたら全額持ち逃げされ、以後息子(父)が成人するまで地道に働きながら貧乏生活に耐える。
この時代の苦労のせいか皮肉屋な所もあり、カープが好きで巨人が大嫌いな普通の
おばあちゃんだっったけど、お嬢様育ちの名残も少しあって
部屋で好きなクラシックのテープを聴きながら編物とかして
3時と10時は紅茶とお菓子の時間で、女学校時代のお友達と
電話で話す時は驚くほど綺麗な言葉で話していた。(皇族みたいな話し方)
でも火曜サスペンス劇場をこよなく愛していたw
最期は被爆が遠因のガンで亡くなった。
なので個人的には、今福島で子育てをしていて不安な人には
毎日どくだみ茶を飲む(飲ませる)事をお勧めしたい。
状況が違うから気休めかもしれないけど、とりあえずおばあちゃんは
60まで生きたし。
58 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/12(土) 02:02:29.76 ID:pM47uHV2
35年位前に父方の祖母が幼少期に妹が養女として親戚に連れられブラジルで生活していたのを数十年ぶりの再会ということでワイドショーに出演して妹がブラジルから日本に呼ばれ、祖母と対面をしたこと。
いつも「くそじじい」「くそばばあ」と言い合っている祖父母の話。
この間、いつまでたっても私に恋人ができないという話をしている流れで、私と母の顔がそっくりだという話になった。
するとばあちゃんが「母さんもあんたもじいちゃん似だからね〜」と言い出す。
なんの話かなーと思って聞いていたら「じいちゃん昔はすごくハンサムだったんだよ」と言い出した。
それを聞いたじいちゃんが「ばあちゃんだって昔はかわいかったんだぞ」と言い出した。
たぶん、だから私の顔もかわいいから大丈夫と身内贔屓のようなかんじで励まそうとしてくれたんだと思うが、私はじいちゃんばあちゃんのデレを初めて目の当たりにしてにやにやしてしまった。
いつも憎まれ口をたたき合っているけど、かわいいじいちゃんばあちゃんだ。些細なことだけどキュンと来た。
>>58 数年前にNHKで似たような話がドラマになってたけど、
まさかその姉妹がお婆様?
>>59 なんという典型的なツンデレw
61 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/13(日) 12:46:32.68 ID:RqpkSQqI
ばーちゃんは78歳になるけど
散歩行くときはいつもじーちゃんと一緒で
しかも手を繋いで散歩に行きます。
>>26 やっぱアレそう思ってる人もいたんだw
鬼畜米英とか天皇は現人神とか神の国日本とかにもpgrしてた人いたのかな
死んだじいさんの家の裏庭は私が物心つく前は森みたいで、ある日母さん達が遊びに来てたときに青大将が出た。
私の上の兄弟が小さかったからさばいてころしたらしいけど、もし兄弟が良い歳なら放置してたのかな。
蛇所かちょっと大きい虫でも私は叫ぶから、青大将がいたら腰抜かすん。
65 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/11/18(金) 14:34:13.88 ID:0/YBpB4w
やだ、このスレ自作自演臭が酷い…
ばあさん小学生の時学校で空襲にあった、実際同級生何人かは亡くなったみたい
空襲始まって「そら逃げろ!!」となった時にばあさんともう一人友達は何故かみんなと違う方向に逃げた為に
グラマン(ばあさん曰く)に追いかけられたらしい
ばあさんとその友人は何とか逃げ切って今でも「よう!戦友!」と呼び合っている、あんた女だろ、、、w
祖母。
金持ちで、何不自由なく満州で生活。戦時中も白米しか食べたことがなく、
引き揚後暫くは食が合わず下痢続きだったと。
大きな屋敷に住み、日本から反物を取り寄せて着物を仕立てたり、
自分のとこの牛でしぐれ煮を作って食べたり…と戦時中とは思えない生活だった。
とても良い家族だったらしく、小作人とも仲良くしていて楽しかったらしい。実際戦後に無事か手紙がきていた。が、字が読めない…と残念がっていた。
敗戦後に満州脱出。
リュック1つしか持ってこれず、沢山財産を捨ててきた。
日本に来てからは信じられないほど貧乏生活で辛かったようだが、生きる幸せを感じて前向きに生活。
お嬢様だったので農業するのも慣れるまで大変だった模様。
祖父と見合い結婚。引き揚げてきた時の金目の物は義家族に盗まれたのが悔しい…とだけいってる。
未だに引き揚げ後の家に住んでいる。今の姿を見て思うのは育ちの良さはどんな暮らしをしていても残るんだなぁということ。
ちなみに祖母は大東亜戦争と言って話すがみんなのとこもそう?
祖父は戦争のことは全く話さず。ただ背中に傷があり、撃たれたか切られたかしたようだ。
俺のばあちゃんは子供のころ南の島(サイパンあたり)に住んでた。
ある日(戦時中)島に軍が攻め込んできたかなんかで船に乗って島を脱出したけど途中で船沈没。
そこを通りかかった潜水艦に救助されて生き延びたらしい。
ガキのころ始めてこの話聞いたときスゲェと思った。
逸話と言えるか分からないけど。
曾祖母は気の強い人で、98歳になった今でも「人に世話かけたくない」とほとんどのことを一人でやっている。
数年前に他界した曽祖父は、いつも椅子に座ってニコニコしている人だったが若いときは豪快で、色んな人の世話をしていたらしい。
曽祖父は昔、野菜を育てたり家畜の肉を捌く仕事をしていたのだが、ある日品物を売った帰りにきれいな櫛を見つけて買って帰った。
いつも苦労をかけている曾祖母のためにお土産として。
しかし、「あんたはもう!こんな高いもの買ってきて!」と怒られてしまい喧嘩になった。
今もその櫛で毎朝髪をといている曾祖母ツンデレ。
ずいぶん前に死んじゃったばーちゃん。
孫娘(母の姉の子)が、田舎から都会の大学に進学して初帰省した時の話。
どうやら大学で変な宗教に引っかかったらしく、常に「ナントカ様が」とブツブツブツブツ呟いてて、
目が完全にイッちゃってたそうだ。
「こりゃいかん」と思ったばーちゃんが台所からフライパンとおたまを持ってきて
ガンガンガンガン打ち鳴らし、「目を覚ませ〜!」って叫んだら
「ハッ!」って言って彼女は正気に返ったんだって。
ホントかよと思うが
「ホントなのよ!ホントに『ハッ!』って言って、虚ろな目がシャキッとしたのよ!」と一部始終を見ていた母は真顔で語る。
フライパンでガンガンアタマ叩いたのかと思った…
うちの婆さんが話していたのだが、爺さん家に嫁いだ頃、爺さん家の母屋が
小さいくせに6人住まいで婆さんの居場所がなくほとんど玄関先で生活していた
らしい。食事も、食卓が狭かったから一人玄関先だったとか。
俺からしたら大婆さんである所の姑が亡くなってやっと部屋での生活が確保出来た
と笑いながら言ってた。
あと、夜の営みは、やってたらバレるから離れの納屋で
農作業道具の影に隠れてやっていたと、これまた笑いながら言ってた。
うちの婆さんはまだまだ元気だ。
古い家って母屋とか離れが普通にあったよなぁ
うちのじっちゃんの家も離れがある。
立派な建物じゃなくて土蔵の脇に
掘っ立て小屋みたいなのが経ってる。
今はボロボロでばーちゃんの農作業道具置き場になって
カオスな状態になってるけど
よく見ると、水道トイレもちゃんとあるし
昔は客人とか泊めるのに使ってたんだろう。
大声出しただけで崩壊しそうなくらいボロいよ。
75 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/12(月) 02:11:13.05 ID:9+7S8952
母方の祖父は「通過儀礼」の訳本出して、
国から賞与をもらい、小泉元首相と花見した
(招待客の一人として)。
76 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/24(土) 12:56:28.41 ID:ClZEXh5w
俺が幼いころ、じーちゃんばーちゃんのとこに遊びに行くと、決まってじーちゃんが
「おい、俺アイス買いに行こうか。ばーさん俺とアイス買いに行ってくる。」
って言ってアイスを買いに連れて行ってくれた・・・っが行くのは毎回酒屋。
じーちゃんは酒屋の奥で酒を飲み、俺はアイスを選んで入口のベンチで食べる。
ただの酒飲みの口実に使われてるだけだったが、じーちゃんが大好きだったから
今でもいい思い出。
ちなみに俺って兄弟3人だがほかの兄弟もみんな同じ口実でアイス買いに連れて行って
もらってる。
後何十年先か分からんが、そっちに行ったらまたアイス買いに連れて行ってほしいな。
嫁の事や子供の事、話したいことがたくさんあるからさ。
77 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/24(土) 13:06:48.52 ID:cn2tUEHs
病院で死ぬ間際の爺ちゃんが最後の力を振り絞って婆ちゃんを抱きしめて息絶えたことかな。
爺ちゃんの腕が婆ちゃんの肩から落ちていっても婆ちゃんは爺ちゃんを抱きしめてた。
>>77 そういう話って爺さんがいいひとで家族のために身を粉にして
働いて家族にも尊敬されてたとかいうんならわかるけど、たまに
浪花節か演歌の歌詞みたいに、呑む・打つ・買うすべてやりまくっても
絶対離れない女房ってだけの婆さんだった・・・ってだけの落ちだと
なえるわ。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。
同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
自分が海軍にいた事。
孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで
今の海上勤務の方達には苦労を掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが
段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。
挨拶が終わり高砂の席の一人が
「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で
「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような
勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
懐かしコピペですなあ・・・
81 :
おさかなくわえた名無しさん:2011/12/25(日) 14:07:15.00 ID:zyK0u0pE
父方の祖父が「回天」に乗る数日前に、
終戦を迎えた。
その後、祖父は高島屋の電気技師に
なったとさ。
めでたし、めでたし。
すっごくいいスレだなぁ
ウチのジイサンは戦時中に武器工場の社長をやってたらしい。
生産が間に合わず、国に売った武器はほとんど不良品で、
武器を売った金で毎晩料亭で豪遊していた、らしい。
うちのじいちゃん(父方)は、満州鉄道に勤めてて、敗戦で帰国、国鉄に勤めてたらしい。
国鉄勤務時代に、臨時のバイトに来てた男の子がいたそうな。
男の子のバイト期間が終わって、その子はすぐバイト代がもらえると思ってたらしいが、
バイト代が出るのは来月だった。
男の子は、家族が多くて生活費がかかってて困ってたらしい。
そこで、じいちゃんは、自腹でバイト代を立て替えて先払いしてあげたそうな。
その男の子は母のお兄ちゃん。
母が結婚することになり、家族が面会して、
双方びっくりだったそうだ。
じいちゃんは私が物心付く前に天国にいってしまったが、
この話は、叔父がしてくれた。
じいちゃん、エエ漢やったんやと思う。
九州のばぁちゃんは子供7人産み、末っ子の父以外は九州にいる。
85を過ぎ、ボケ始めた、と同居の叔父からの電話で聞いてた。
ある日、俺が生まれて以来20年ぶりに、突然、何の連絡もなく、一人で東京の我が家に現れた。
自分で切符買って船と電車乗り継いで来た、と。それ以来、2ケ月、ウチで生活。止めても1日タバコ20本は吸うし、肉が大好物。
暇だからと、荒れてた庭を耕し、小さな家庭菜園を作り始めた。出来上がって、一緒に種まきさせられた。
3日後、突然、帰ると言い出し、学生の俺が付き添いで九州の叔父宅へ。叔父によると、ばあちゃんがボケて『死んだじぃさんが○○(俺の父)を見て来てくれと言っとる』って言い出してた、と。
その3ケ月後、寝てる間に亡くなったと連絡が入った。
8年経ったが、庭で採れる野菜は近所でも喜ばれてる。
うちのおばあちゃんは足が早くて、高崎空襲の時に、真上から爆弾落とされた時も、風向きを読んで走って逃げ切ったそうだ。
86のばあちゃん、すげえ、って思ってたら
87のばあちゃん、もっとすげえ。
頑固で堅実だと思ってた祖父、昔好きだった女性の名前を母に付けたらしい。