>>254 1980年代のレーガン大統領の時代に、アメリカはドル高による
貿易赤字に苦しんでいた。で、1970年代に起こったドルショックの
再発を防ぐために、先進5カ国が集まってドル安、特に円高ドル安に
金融市場を導くことで合意した。この会談が行われたのがプラザホテル
だからプラザ合意。
で、ドル安への誘導は成功したんだけど、日本では円高による不況が
懸念されたので、日銀は不況を避けるために低金利策を実施した。
で、金利が安いので、企業は金をじゃんじゃん借りて不動産や株式への
投資を積極的に行うようになった。そのため、国内の不動産、株式市場が
異常なほどに活性化して、いわゆるバブル経済が起きた。
「物を作って売る」という実体の伴う経済活動に対して、不動産などを
担保に金を借り、その金でまた不動産を買い、その不動産を担保にさらに
多額の金を借り、また不動産を・・・というように実体のある「物」(この
場合は不動産)を元手にどんどんどんどん、泡が膨らむように金融経済の
規模が大きくなっていくことがバブル経済で、とうぜんいつか破裂する。
これが破裂したのが1980年代の最後の方で、バブル崩壊と言われる。そのために
1990年代の日本は最悪の経済状態となった。
>>255 追加。
バブル真っ盛りの日本はまさに狂乱の時代で、特にドル安のために
米国のあらゆる不動産を買いまくった。金余りと言われ、金の余った
企業や経営者は世界中の名画を買い漁ったりして、カミカゼオークション
などと揶揄された。当時、「ジャパンアズナンバーワン」という、日本が
世界一だと持ち上げる本まで(アメリカで)発売された。
バブルが弾けたのは、都内の一戸建てが1億などという、狂乱の地価に
なったため、不動産取引の規制に乗り出したのが失敗したから。失敗というのは、
膨れあがったバブルを徐々に実体経済の規模に近づけることをせず、一気に破裂
させてしまったということ。
40〜50歳代の人に聞くと当時の狂乱ぶりがいろいろ聞けて楽しいよ。