横からだけど、絡んでいいかな?
>>271の疑問に対しての答えとして、イルカや牛を殺して食用にしたりしていい理由は「その家族や仲間に復讐されないから」。
一方「人間を殺してはいけない理由」は「その家族や仲間に復讐(再びされない為の自衛)をされるから」だよ。
そしてそれは「仇討ち」だったり、時に「正当防衛」だったり、「村の掟破りへの罰」として「してもいい殺人(復讐・罰)」となる。
そしてこの「復讐(無論殺人に関してだけじゃないけど)」を個人に代行して「ムラ」などで行うようになったのが社会、ひいては法治国家の始まり。お陰で曲がりなりにも安心して暮らせるでしょ?
このあたりの事は→
http://blogs.yahoo.co.jp/toripan1111/18271477.htmlに詳しく書きました。
これ実は基本国家間の戦争も同じ。今の世界で、他国の人間を「食用・革製品の材料にしたいから」「ハンティングしたいから」「単純にその国の資源・領土を奪いたいから」といって始める戦争は無い。それじゃ国際社会が許さない。
全て「我が国にテロを仕掛けたから(その脅威を排除する)」「その国が隣国を侵略してるから(集団的自衛権の行使)」などと報復若しくは自衛という「名目」を立ててやるから戦争行為そのものは国際法上違法とされていない、というだけの事。
だから「戦争でなら人を殺してもいい」のは理屈として至極当然なの。だって、自分が被害者で正当防衛・自衛の為に相手を「仕方なく殺してる」って構図なんだから。
今ですらこうなんだから、国際社会なんて概念が無かった昔に他国を侵略して殺しまくってたのは不思議でもなんでもないよね。
ちょっとねェ、一昨日から規制かかってて今代行カキコなのよ。もっと詳しく書きたいんだけど・・・
ID:iN0ea1uW=
>>271の疑問ってわりと反捕鯨ちゃんが口にしがちなんだけど、どれだけ頭が良くてもイルカや鯨を殺しても良くて、
人間殺しちゃいけない(食用だろうがなんだろうが)のは先に書いたように「イルカには出来ない復讐が人間には出来るから」。つまり、人間が共に社会を形成できる相手が人間だけだから、という事。
実はこの辺の話は1990年代後半にサカキバラ事件が起こった後、多分朝生かなんかだと思うんだけどTVの生放送討論番組で、一人の高校生か大学生が発した
「(罰を受ける覚悟があるならば)人を殺してはいけない理由は何か?」という問いに知識人も哲学・思想家の誰一人答えられなかった事実で既に決着が付いてたんだよね。
つまり「人を殺してはいけないという本質的倫理的な理由は無い」という事。
人間が社会を形成する上で最低限安心して暮らせるのは「お互いに殺しあったり傷付けたりしないで協力しあう」という最低条件が前提なんで、人間として人間社会に暮らしている以上ただ単に
「罰を受けたくなかったらやらない方がいいよ?」という殺人禁忌の社会契約を結んでいる、というだけの事。
この辺の議論が既に90年代に済んでしまってるという事は「なぜ人を殺してはいけないのか?」永井均×小泉義之(河出書房新社刊)なんて1998年の書籍に詳しい。(但し、対談モノとしては完全に失敗しててつまらない)