俺が育ったところは田舎の小さな町で、ご近所ネットワークが発達しているところ。
今はじいさんばあさんばっかりだけど、昔から付き合いが濃くて、あれこれやったりもらったり
いざというときは助け合ったりするのがデフォな地域。
「Nのおばちゃん」もその一員だった。
Nは名字。血縁関係はないが近所の人間や俺ら子供はみんなそう呼んでいた。
N夫妻は子供がなくて二人とも遠くの出身。でももう50年以上この土地に住んですっかり馴染んでいた。
子供が好きで、俺のことも「俺ちゃん、俺ちゃん」と可愛がってくれて、死ぬほど甘い卵焼きをよく焼いてくれた。
成人してからも、帰省すると挨拶に行って、翌日にはNのおばちゃんが卵焼きを焼いて持ってくるのがいつものことだった。
正直、大人になった俺の舌には甘すぎるんだけど、いつもやっぱり懐かしい味がした。
818 :
おさかなくわえた名無しさん:2009/08/09(日) 14:06:08 ID:YP7pWt76
ハンサムで頑固だったNのおじちゃんが亡くなった後、Nのおばちゃんはずっと一人暮らしだった。
といっても、ご近所ネットワークのみんなでなんやかやと世話を焼いたり焼かれたりしていたわけだが。
それに同じ敷地内にはAさん一家が住んでいた。というか、Aさんが昔住んでいた家にNのおばちゃんが暮らしていた。
土地に新しく入ってきた人は、最初はAさんをNのおばちゃんの息子夫婦か娘夫婦だと思って「親だけ古い離れに住まわせるなんてどうしてだ」と言い、
ご近所に、Aさん夫妻はNのおばちゃんの血縁じゃありませんよ、と訂正されて「他人なのに敷地内同居なんてどうしてだ」と言うのがよくあるパターンだった。
Aさん夫妻はN夫妻に若い頃世話になったとかで、雀の涙みたいな家賃で家を貸していたんだそうだ。たまに買い物や病院の送り迎えなんかもしていた。
でもある日、Nのおばちゃんは転倒して足の骨を折ってしまった。家は古くてまた転倒の危険がある。Aさんの奥さんも身体が弱いので、さすがに介護はできない。
病院からAさんに連絡が行き、AさんはNのおばちゃんの妹に連絡した。Nのおばちゃんの妹さんは、一年か二年に一回、Nのおばちゃんに会いに来ていたが
いろいろあって引き取るのは無理だということで、事は他人のAさんにゆだねられた。
そこでご近所ネットワークが作動して、つかコネだわ、Nのおばちゃんは無事に病院付属のケアハウスに入ることができた。手続きはおもにAさん夫妻が担当して、
入院までのいろいろは俺の両親はじめご近所の面々も交代でなんやらしばらくバタバタしていた。費用はNのおばちゃんの貯金と年金で賄えたと聞いている。
2ch的には実はA夫妻が着服していたり保険かけてたりするところだが、そもそもA夫妻はそれなりに裕福なんで、普通にそんなことはなかった。
ageちまった
知ってる人はわかると思うけど、足腰を痛めた年寄りは弱い。Nのおばちゃんは寝付いてしまって、しかも悪性腫瘍があり、一部転移していることがわかった。
病院とAさんで相談して、年齢的に手術はできない、だから宣告はしない、痛みを緩和させるような治療に専念しようということになった。
この方針はご近所にもすぐに広まって徹底した箝口令が敷かれ、お見舞いのときなど気をつけるようにとのことだった。Nのおばちゃんの妹さんにも連絡が行った。
ご近所の面々はもちろん、帰省した俺も入院中のNのおばちゃんに何度か会いに行った。びっくりするほどちいちゃく白くなったNのおばちゃんの枕元には
小さい帳面があって、いつ誰が来たか、なにを置いていったか、それから一言、がびっしり書いてあった。Aさんもおれの親も近所の人の名前も何度も出てきた。
俺はNのおばちゃんが飼っていた猫の写真を持って行った。猫は今、Aさんちに引き取られて元気だよ、というとおばちゃんはちょっと唇を動かして嬉しそうに笑った。
この日、俺の幼なじみでもあるAさんの娘さんが、嫁ぎ先の遠方から赤ちゃんを連れて見舞いに来ていたんだけど、帰りのエレベーターの中でボロボロ泣き出して、
情けないが俺もちょっと泣きそうになってしまった。「でも今日おばちゃんに会えて良かった」と娘さんが言っていて、その言葉を聞いて、ああ、幼なじみのこの子も
おばちゃんが今年いっぱい保たないことを知らされたんだな、とわかった。これが9月のことだった。
だが俺がまた地元を離れてすぐ、ご近所ネットワークは大騒ぎになった。
Nのおばちゃんの妹さんが、突然おばちゃんを転院させたのだ。
最期を看取るつもりだったご近所の面々は動揺し、一部の人はかなり怒りもしたが
血縁者の決定にはそうそう逆らえない。
転院先は県境を3つ越えたところで、中途はんぱに開けた場所柄、
車を運転しない人が多いご近所から気軽に見舞いに行けるような距離ではない。
一度だけ、車を運転するAさん夫妻がお見舞いにいって、いい病院、設備のしっかりした病院だったという
報告を聞いて、なんとか気持ちを落ち着かせていた。
俺ちゃんにマイクロバスを運転させてみんなで見舞いに行くか?という
オイコラ先に俺に言えw な企画も出て、俺もまあいいかとそのつもりでいたその矢先、
Nのおばちゃんが12月のはじめにすでに亡くなっているという知らせが入った。
知らせは、たまたま転院先の病院に勤務していた、
ご近所連中の親戚(姪の娘だったか)から入ったもので、
しばらく前、おそらくもう納骨も済んでいるだろうとのこと。
Nのおばちゃんの妹さんからは、Aさん夫妻はじめ誰にも連絡はなかった。
電話一本、葉書一枚もなかったそうだ。
Aさん夫妻はさすがにショックを隠しきれず、俺の親は気の毒で直視できなかったみたい。
30年以上も親戚同様の付き合いをしてきたのにあんまりだ、とカーチャンは泣いた。
しばらくしてからAさん夫妻の家にお邪魔したら、仏壇の隣のスペースにNのおばちゃんの写真があって、
それを見てまた泣いたらしい。
それからまた少し後、Nのおばちゃんが住んでいた家の老朽化が激しくなり、とうとう解体することになった。
業者が作業を進める中、Aさん夫妻も俺の両親も、ご近所ネットワークの面々は泣いていた。
これが近所の人々にとってのNのおばちゃんの葬儀になった。
たまに帰省して、今はきれいに花の植えられたAさんの庭を見ると、
妹以外知り合いのいない土地でのNのおばちゃんの葬儀は寂しかっただろうなといつも思う。
肉親の気持ちもわかるような気がするし、
かといってご近所連の気持ちも痛いほどわかるし、
なによりNのおばちゃんの最期と葬式を思うと悲しい。
でも妹さんも何か思うところあったのかもしれないし、
もうそれはわからない。だが思い出すと苦い気持ちになる。
長文失礼。前半改行減らしすぎて読みにくかったな。ごめん。