834です。
皆さん早くもたくさんレスをくださってありがとうございます。
こんなに反響があったとは意外です。
実は、自分前スレでヒグマの話を書いた者ですが、
そんなヒグマと未だに共生しているような田舎なので、
大人になってから冷や汗をかいたって言う感じの昔話です。
これから文章をまとめて書き込みますが、
期待はずれな話だったらごめんなさい。
私がまだ中学生くらいだった頃の話です。
近所の海は遠浅で、子供の格好の遊び場でした。
近くで鏃や土器の発掘をしたり、豆鉄砲を自作したり、
遊び道具は各自で現地調達制なので、子供はまず家にはいませんでした。
その日は、たぶん嵐か何かで2.3日しけていたのだと思います。
ちょっとまだ空気の重たいしめった感じの
秋の初めだったのを覚えています。
部活を終えて家に帰ってきたら、
弟とその友人が外で私の帰りを待ちかまえていました。
すごいものを見つけて二人で抱えて帰ってきたというのです。
「ばくだんひろった」
この台詞、しっかり覚えています。
それは2枚重ねの座布団の上にありました。
大きさはたぶん50センチくらい。子供が二人で抱える重さ。
とりあえずそのままさわるなと言い置いて、母を探しに行きました。
母は居間にてそれを見つけるなり110番です。
続きます。
とりあえず駐在さんがパトカーでやってきました。
四つんばいになってぐるっと座布団の周りを眺め渡し、
信管が抜けているのを発見しました。
記憶が曖昧なのですが、大人の人がたくさん来たのは覚えています。
でも、自衛隊の方はおられなかったような………。
記憶に残らなかったのかな?
でも、本署の大きなパトカーが来て、
家の周りに近所の人が集まったのは覚えています。
2.3人の男の人がそうっと大事に持ち去った記憶があります。
何日かして警察の方が、それは第二次世界大戦の時の
アメリカの信号弾だったと電話をかけてきてくれました。
もすこし続きます。
正座で待ってますw
鮮烈な記憶はそれらのことよりも実は弟たちの反応です。
親からも警官からも学校の先生からももちろんこっぴどく怒られました。
しかし、彼らはこういったものを見つけたら
さわってはいけないという教育を受けていなかったのです。
不発弾が流れ着くというのは滅多にないことだし。
空襲とは縁のなかった土地柄だし。(当時彼らは小学生低学年)
それどころか、仮面ライダーやウルトラマンに心酔しきっていたせいで、
・ 自分たちは危険な爆弾を爆発する前に発見した。
・ そのことによって、村を危機から救った。
この2点においてヒーロー扱いを確信していたので、
叱られることなど予想もしていなかったし、
当然私からもほめられる、警察からもほめられる、
学校でも時の人、ひょっとしたら新聞とかテレビに出るかも!
などと脳天気な妄想を明るく語っていたらしいということです。
今考えると全く恐ろしい話です。
無知は罪、の具体例というところでしょうか。
ご心配してくださった方々ありがとうございます。
おかげさまで無事だったのは幸運でした。
以上スレ汚し失礼いたしました。