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おさかなくわえた名無しさん:
とことん改造して本当の世界観に描きき直したのが「14才の母」なのかもしれない。しかし「コドモ
のコドモ」は現実は父ヒロユキが10歳と精通年齢は10か月前に戻すと9歳という無理な設定や非常に危険なお産を子供達の手でやり遂げている無理
がある。マイナス10度Cという極寒の能代市の冬の出産や子育ハ絶対に子供たちだけではできない。春菜も生まれた赤ちゃんも、すんなりと受け入れら
れ皆に祝福される、という大きな無理な設定がある。レアケースでも世界でこのようなケースはない「14才の母」は中2の出産はレアケースだが起こ
る、起こった場合の親や教師や周りや世間の様子もよく分析されているが「コドモのコドモ」は、ただ受ける漫画で描かれている「14才の母」でさえ
普通の世界と500年前の次元の違うドラマなのだが「コドモのコドモ」は普通の世界と昆虫の世界との違いがある映画となってしまう。このような形
では「命の尊さ」や「感動」は起こらず。一番危険なことは来年からテレビのお笑い、バラエティーや情報番組で小学生の妊娠や出産がブームになり。
さらに週刊誌まで「14才の母」の時のように取り上げられると小学生まで性の対象年齢を下され小学生の性が今度は中学生に変わりターゲットにされ
る多くの作品が出てくることを恐れている。また「14才の母」と違い好きな男の子供を身ごもったわけではなく何としても産みたいということは原作
漫画の春菜からは伝わってこない。子供を産むことがゲーム感覚のようなのだ。またインコの死も描かれている。しかし「動物の死との対比では命の尊
さ」等は伝わらない。漫画道理映画化されると何の障害もなく、ただ単純なドラマで子供達だけの出産、三女共同参画の女性条例男女DV禁止条例を晒す
ような大人の男のストーカー問題や恋愛問題、八木先生の問題はフェミニスト的で小学生には見せられないシーンが多い。春菜の出産は、おじいちゃん
や、おばあちゃんから両親まで祝福され、すんなりとハピーエンドへ向かう。新聞記者は出現するが「14才の母」の波多野卓のような現実性のない。
卑怯なひ弱い新聞記者でありララスが一揆に12年間もジャンプしてお笑いのような終わり方だ。また大人に5年生の子供が集団で立ち向かうのは筋力
が違い過ぎて30対1でも鍬の棒を本気で振り回す大人のほうが有利だ。