>>336 ごく簡単にいうとアメフト。
ダウン、点差、残り時間、残りヤード、地点、などの恒常的に設置されている状況の数値によって
採れる選択肢が限られる事が結構ある。
なぜこの選択肢なのか、というのを、直後に上記のルール面から説明可能。
つまりコレを以て「ルールとセオリー」が近い。
サッカーの場合はルールが自由、より具体的には、ボールも選手も止まった状態からプレイし得ないので
セオリーは常にポテンシャル的な存在で、開始時と終了時が分からない。
したがってセオリーの実証が難しい。(もちろんセオリーが無いわけではない)
さらに言うと、得点どころかヤードゲイン、ポゼッション時間などの副次的な数値も取らない
(あんまり表示しない)ので、セオリーの選択どころか、その成果自体も確認が難しい。
ここらへんも、ルールとセオリーの距離感に拍車をかけるといえるだろう。
>>338 それって、やっぱり
>>55とほとんど同じことを言っているような気がするんだけど。
サカの悪口だけのときのほうが面白かったなぁ。
>>338 しつこいですね。
その55は「(ルールを規定することで)プレイのバリエーションを減らし」ってのが間違ってます。
例えば縛りがキツイと「ボールの軌道」の種類は減るけど、まさかそれだけで奥が浅いルールと?
具象レベルではバリエーション減としても、より抽象レベル(簡単にいうと数値ですよ)では
有効なバリエーション数が増えているわけですから。
将棋は囲碁に比べてルール規制やコマの数が少ないですが、
棋譜バリエーションが観戦するのに有意なレベルで少ないと?
プロの本分たる「観戦に耐える棋譜づくり」とは直接関係ないのでは?
チェス王者がコンピュータに負けたからといって、チェスの価値が下がると考える人もいるようですが。
×ルール規制やコマの数が少ない
○ルール規制やコマの動きの限定はキツい
それと戦術がポテンシャル的である、ということは存在の実証が難しいということであり、
戦術ジャンルの確立性としてサッカーは不利ということにはかわりなく、
ましてや知性の必要性まで繋げることは無理、と
55とは違う結論だと読んで欲しいんですが、無理ですかね。
>>341 >>その55は「(ルールを規定することで)プレイのバリエーションを減らし」ってのが間違ってます。
>>338には
>>ダウン、点差、残り時間、残りヤード、地点、などの恒常的に設置されている状況の数値によって
>>採れる選択肢が限られる事が結構ある。
>>なぜこの選択肢なのか、というのを、直後に上記のルール面から説明可能。
はっきり選択肢が限られると書いてありますが・・・。
つまりプレイのバリエーションが限られるってことでしょ。