2 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/01(金) 13:30:13 ID:w7htbcFS
乙 そして初めての2ゲッツ
1乙 &超4ピル
998
前スレと誤爆www
7 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/01(金) 16:15:21 ID:bv1tO9Dk
otu
乙ガンダム
9 :
鈴:2006/09/01(金) 17:27:13 ID:s5SUipH2
1さん乙です。
私が小3の一学期の時の話です。(前に書いた、水銀飲んじゃった話より昔)
私と家族は、私が二年生の終わると同時に、それまで住んでいた川口から草加
へ引っ越しました。理由は母方の祖父母と暮らすためです。引越し先は二世帯
のための、大きな家でした。
家の近くには小さな空き地があり、夏休み前になるとトンボがたくさん飛んで
いた。これは是非とも捕まえなくては!と思った私は、虫取り網と虫かごを取
りに一度家へ。しかし玄関前に網はあったが籠が見つからない。家の中にある
のかと思い、玄関の扉へ。開かない。インターホンを押すと、祖母が出てきた
。「おかえり」と声をかける祖母。「ママは?」と聞く私。もう一度「おかえ
り」と言う祖母。私は不思議に思いながらも、もう一度聞いた。「ママは?」
途端怒り出す祖母。ビビる私。「あたしよりもお母さんの方がいいのか!くぁ
wせdfrtgひゅじこlp;」
騒ぎを聞きつけた母が、二階からとんでくる。そして祖母と言い合いに。そし
て夜になると大人たちだけで一階で話し合い、というより口喧嘩。
これがきっかけとなり、私達家族は家を出ました。妹はいまだに、何故草加の
家を離れることになったのか分かっていません。少し申し訳ない。
今ではお盆に、田舎へ引っ込んだ祖父母のもとへ帰ります。でも、私は祖母が
トラウマです。
意味がわかりません。
:::::::::::::::::::.___γ___::::::::::: __:::::::::::::::::::::::::::::::::: ___:::::::::::::::.___:::::::::::::::___:::::::::::::
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''''"~""~"~"~"~"''"~"''''"~""~"~"~"~"''"~"''''"~""~"~"~"~"''"~"''''"
;;;;;;;...,;;;,,,;;;;; ;;...,,;;;,,,,;;;;;;; wwv;; ;;; (~) ;;;;;;.,,,.,;;,,,.. ;...,;;,
wvv;;; ※ ;;;;;;;;;.....''''':::;;;; wwv (ヽ||/) ;;;;.,.,..,;;;;:;;
新しい季節はなぜか切ない日々で河原の道を自転車で走る君を追いかけてた
思い出のレコードと大げさなエピソードを疲れた肩にぶら下げてしかめ面 まぶしそうに
同じセリフ 同じ時口にするようなありふれたこの魔法で創り上げたよ
誰も触れない二人だけの国 君の手を離さぬように
大きな力で空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る
ロビンソン/スピッツ
12 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/01(金) 18:20:44 ID:bv1tO9Dk
「ただいま」さえ言っていれば・・・
13 :
1:2006/09/01(金) 18:22:26 ID:mSRda9tW
スレ立てついでにちょっと失礼しますよ。
3年位前、結婚して子供も産まれて、俺は家族を幸せにしようと、良い夫良い父親に
なろうと日夜仕事に明け暮れ、たまの休日には育児にいそしみ、決して家族には疲れた
顔を見せないように頑張っていた。
ストレスなど感じる暇も無かった。
だが、ある日突然激しい動悸、めまいに襲われた。会社に行っても仕事にならず
人との会話さえ上手く出来なくなってしまった。
何でも完璧にこなそうと思っていたが、所詮俺には無理だったようだ。
鬱病だった。知らず知らずのうちに全てを抱え込み、溜め込んでいた。
子供がまだ小さく、育児も大変な時期だったので共倒れにならないように
妻子は実家へ避難させた。
俺はしばらく自宅で療養することになった。
14 :
1:2006/09/01(金) 18:40:42 ID:mSRda9tW
しばらくして、少し良くなってきた頃に突然俺の家族(父・母・姉)が
家に押しかけて来た。
病気になってから顔を合わすのはそれが初めてだった。
俺の家族は、病気の事には一切触れずに他愛の無い話をして
夕飯はみんなで焼肉をして食べた。
そして、何事も無かったように帰って行った。
一旦、家族が帰る車のエンジン音がした後、何故か親父が戻ってきた。
そして俺に言った。
「焦るな。ゆっくり治せ。俺もお前も社会に出て家族を持った。」
「親子でもあり、戦友でもある。俺にはお前の気持ちが分かる。」
今までに見たことも無い優しい目で俺に言った。
自然に振舞って帰って行った家族の気持ち。
親父の一言。
車のエンジンが遠のいて行くにつれ、泣けてきた。
正直、親父がカッコ良く、とてつもなく大きく見えた。
今の俺の目標は親父の様になることだ。
そうすれば家族を幸せにできると思う。
俺が親父の息子で幸せだと、今思えるからだ。
思い出す度、あの時が親父を一人の男として初めて見た瞬間だった気がする。
長文スマソ。
16 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/01(金) 18:53:22 ID:38YPoe6j
14
超絶いい話や!
>>13 軽欝で今も薬を飲んでる夫を持つ身の私。
1さんのカキコに泣けた。
奥さんを実家に避難させたって言うんだから
あんたいい夫でいいお父さんだよ。
18 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/02(土) 00:52:22 ID:bKdOhDzY
この父親、うつ病についての知識相当あるんでは?
いいお父さんだね。なんか泣けた。
21 :
1:2006/09/02(土) 02:22:38 ID:YYKNZtpW
日付変わってID変わった1ですが・・・。
レスくれた皆さんありがとうございます。
今はまだ薬を飲んでいますが、社会復帰はしております。
>>17 そんなたいそうな物ではないですよ。
自分の病気で自分の家族を壊すのが怖かっただけです。
>>18 自分が鬱病になったと実家に伝えてから、親父は姉のPCを借りて、
夜な夜なネットで病気の事を調べていたそうです。
後日母親から聞きました・・・。
22 :
1:2006/09/02(土) 02:42:45 ID:YYKNZtpW
で、最近妻にこんな事を言われました。
「あの頃、あなたが無理をしすぎていたことに気が付かなくってごめん」
そんな事もあってカキコした次第。
鬱病は身内も含めてなかなか理解してくれないと、メンヘル板などでも
言われてるけど、俺は人に恵まれて本当に良かった。
いまは、マッタリめの仕事に変えて、収入も前よりかなり減ったけど、
「贅沢はできなくなったけど、今のほうが幸せよ。」
ともいわれました。
家計を助けるために働きに出だした妻に。・゚・(ノД`)・゚・。
病気になって、いろんなことを知ったなぁ・・・。
私がまだ小学5年生のときに、父は癌で死んでしまった。
父はとにかく短気で偏屈な人だったと思う。
そんな父が癌だと分かったのは、父が死ぬ2ヶ月前。
手術をしたけど既に全身に転移してて、手の施しようがなかったらしい。
お見舞いに行くたびに腫れていく父の顔を私は正視することができなかった。
父もまた、変ってしまった自分の顔を見せたくなかったみたいで
私と兄が病室に行くたび、「銀チョコ買ってきてくれ」と小銭を手渡しては
売店に行かせ、病室に長時間いさせてくれなかった。(銀チョコとは菓子パンの名前)
入院から1ヵ月後、父は家に帰ってくることになった。
いつも父が寝ていた部屋を掃除して布団を敷き、その枕元にはお小遣いで買った
銀チョコを2個置いて父が帰ってくるのを待っていた。
本当はその日は学校のお別れ遠足で、兄にとっては小学校最後の遠足だったけど
二人でずる休みをして、父を待っていた。
私も兄も母から、お父さん大分元気になったから、家に帰れると聞いていたので
本当に嬉しくて堪らなかった。
玄関の鍵を回す音に、私と兄は大急ぎで玄関に向かいドアを開け
「おかえりなさい」をありったけの笑顔で言った。父と母は一瞬びっくりしたみたいだけど
「あんた達学校はどうしたんね?」と母が聞いた瞬間、兄の顔が消えた。
父が「学校さぼってなにしよるんじゃー」と兄を殴ったから。
兄は殴られた頬に手をやり「だってせっかくお父さんが帰ってくるのに」と
声を詰まらせ泣き出した。私も、なんで怒るん?と思いながら泣いていた。
それから父は何も言わず家に入ると、布団の敷かれた部屋の襖を閉め切って
部屋から出てこなかった。母は私と兄に「お父さん本当は嬉しかったけど、○○(兄)の
最後の遠足をサボって欲しくなかったんよ。今日の遠足はもう二度とないけんね」と言ってから
父の部屋に行った。父の部屋から
「この部屋も布団もあの子達がお父さんの為に綺麗にしたんよ」と話す母の声が聞こえてきた。
襖の向こうから父が「二人ともちょっとこっちこい」と言った。
私は怒られるのかも。と思いつつ、兄の後ろから父のいる部屋に入った。
すると父は、入院鞄から消しゴムと折り紙を出して「ズル休みを許すのは今日だけだぞ」と
言って、兄には消しゴム、私には折り紙をくれた。それから「銀チョコ旨かった」と言って
私と兄に向かって、早く出てけみたいに手をしっしと振った。
それから1週間後、父は容態が悪くなり、再び入院した。
最後の方は首に転移した癌が大きくなり破裂しかけて、言葉も話せなくなり筆談だけになった。
死ぬ3日前、兄とお見舞いに行ったら、父から「明日、泊まってもいいぞ」と書いた紙を渡された。
私も兄も嬉しくて、その日の夜は二人で、明日いるものリストとか作って
パンツ1枚、寝巻き1枚、とか紙に書いて準備した。翌日は二人で物凄い大荷物を背負って病院に行った。
父の部屋に行くと、いつものより大きい長椅子が2個持ち込まれていた。
私達は、これで寝るん?とはしゃぎながら、父の両脇にベットを並べて遊んでいた。
夜になって、母がお風呂に入りに一度家に帰るから、と病室を出てからは
DQN丸出しで、病室だというのにはしゃぎまくった。はしゃぎすぎたせいか夜中、なんとなく兄も私も
お腹が減って、寝ている父に「お腹空いたよー」と言うと、父はベット横の棚?から
銀チョコを2個出して、私達にくれた。私達はそれを食べてから、狭い父のベット脇に入り込み
久々に父と一緒に眠った。
次の日の昼過ぎ、父が唸り声を上げて、私と兄に「出て行け!」と言わんばかりの
怖い顔をして、手でしっし!と追っ払うような仕草をした。
私達はなんとなく、その父の鬼気迫る雰囲気が怖くて、病室を出た。
それから代わる代わる、先生やら看護婦さんやらが入っては出て
物凄くごっつい機械とかも病室に入れられていくのを見ていた。
しばらくして、看護婦さんから「お兄ちゃんと妹ちゃん、お父さん呼んでるよ」と
呼ばれ、恐る恐る病室に入った。
ベットの周りに先生とか看護婦さんがいっぱいいて、父の手を握る母の横に
私達は近づいた。すると母が父に「お父さん、子供達きたよ」と眠っているみたいな
父に話しかけた。閉じていた瞼を薄っすら開いて、父の口が小さく動いていた。
「ん?なーに?」とか母が言っている。物凄く掠れてくぐもった小さな声で父が
「母さん頼むな」と兄に言ったあと、父は私を見てベット横の棚?を指差した。
その棚をあけようと思ったけど、母が前にいて、私と兄と看護婦さんがいて
狭くてあけられないよー。ともじもじしていると、父の呼吸がどんどん間隔が長くなってきて
それどころではなくなっていた。
あのあとすぐ、父は死んでしまった。
父の体を綺麗にしてもらい、遺体を霊安室に移したあと
私達は父と一緒に家に帰った。私は父が指差した棚のことを覚えていたけど
なんか慌しいというか、自分が何をすればいいのかわからなくて
結局あけることなく家に帰ってきていた。
母が「お父さん、やっと家に帰ってこれたよ」と、家の布団に寝かされる父に
話しかけていた。兄はいつまでも泣いていた。私は泣けずぼーっとしていた。
すると母が、父の鞄をあけ笑い始めた。鞄の中には10個くらい銀チョコが入っていて
「お父さん、再入院してからは何も食べられなかったんよ」と泣き笑いしながら
「○ちゃん(私)が幼稚園くらいの頃熱出して、お父さんがお土産に銀チョコ買ってきたことがあってね
そのとき今まで何も食べんかった○ちゃんが、銀チョコおいしいねーって1個ペロっと食べてから
お父さんは、いっつもお土産に銀チョコ買ってくるようになって」と少し硬くなった銀チョコを
母と、私と、兄と分けて食べた。なんか一気に泣けてきて、オイオイ言いながら銀チョコ食べた。
それから、葬式が終わって、親戚もみんな帰ってから母は
一時退院して帰ってきたときの、消しゴムと折り紙も、売店で買える私達が喜びそうなものを
選ぶのに、父は1時間掛かったとか、私達に買いに行かせた銀チョコ食べるのに
1日掛かってたとか、私達が自分の病気のせいで淋しい思いしてるのを凄く気にしてたとか
母が父の入院生活にこととか色々話して聞かせてくれた。
今年の盆に実家に帰ったとき、父の仏壇に銀チョコが供えてあって思い出した。
今でも、銀チョコ見ると、父を思い出して切なくなる。
ものすっげー長文スマソ
27 :
茶:2006/09/02(土) 05:29:58 ID:nirB1XF0
感動しました
自分わ父わとても優しく話のわかる父でした。
ただほんと馬鹿みたいな事で喧嘩して自分わ家をとびだしたのね。
それで、友達の家に泊めてもらったりしてたわけ。
一週間ぐらいしてから友達の家に母から電話がきで、「父さんが入院した」って言われたの。
たいした事ないだろーとか思いながら家に帰って病院に行った。
haとwaの区別ぐらいしてから書いてくれ。
つか日本語でおk
29 :
茶:2006/09/02(土) 05:57:47 ID:nirB1XF0
病院行ったらいつもどうりの父がいた。
家出の事なんか一切言わずに普通に話してくれてた。その日わすぐ帰って遊びにいって、父が入院した事を友達に笑い話にして言ってた。
母から手術をした事を聞かされて「ヤバイかもしんないな」とか思いながらも遊びに行った。
何故か自転車で海に行こうって(海わものスゴい遠い)話になり、全財産を持ち出発した。
公園で野宿しながら、海についた。はしゃいだ。父の事なんか忘れてはしゃいだ。
死にそうになりながらも家について玄関開けたら母が走ってきて殴られた。
「馬鹿!父さん死んぢゃったんだよ!馬鹿!」
いつもの優しい母でわなかった。自分も泣いた。泣きながら話をした。父わ自分が海に行っている時も俺の話をずっとしていたって。
退院したら家族で海いってバーベキューしようって。
父さん最後まで俺の話してたんだね。父さんの最後に立ち合えなくてごめんね。
丁度この季節の自分が中学生の時の話です。
小学生の作文かとオモタ
生き長らえたい者が死に
死にたい者が生き長らえる
そんな人間共に関係なく迎える夜明けを見るとを切ない
32 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/02(土) 12:00:47 ID:bKdOhDzY
本当に小学生の作文だわ。一番の供養は、色んな本を読んで文章力を身に付けることだな。
学生の頃、所属していた学科は超少人数で、
互いのアパートでいつも飲み会をしたり、食料の買出しも一緒に行ったりするほど仲が良かった。
誰かの誕生日が近付いてくると、
その子にだけは秘密という形でこっそり準備をし(大概バレてるけど本人も知らないふり)、
サプライズパーティーみたいな飲み会を開いて、手作りケーキや手作りカードでお祝いしていた。
だけど、学科内で私だけが誕生祝いをしてもらえなかった。
恋愛のことや家族のことを教え合ったり、進路の悩みもお互いにしていたから、
特に嫌われていた訳でもないと思う。
主導権を握ってサプライズの企画・準備をしていたリーダー格の子が突然帰省していなくなってしまい、
学科内でも「そろそろあいつの誕生日だよね」と言い出す人がいないまま、
皆が私の誕生日に気付かないふりをして、当日も普通にそのまま流してしまうことになったようだ。
「誕生日おめでとう」と言ってくれる人すらいなかった。
皆、知ってはいるけど敢えて口に出さないようにしている感じ。
別にケーキやカードが絶対に欲しかった訳ではないのだけど、
自分の存在感が小さかったのだろうなと思って、今でも切なくなる。
後日、リーダー格の子が帰省から戻り、誕生日を無視して悪かったと思ったようで、みかんを1つくれた。
皮にマジックで顔の絵が描かれたみかん。
それでまたちょっと辛くなって、「(嬉しくて)なかなか食べられないなあ」と言ったものの家で即食べた。
俺が鬱になったとき
死にたくて家を出てさまよっていたとき
たまたま知り合いが見つけて
家に連れ戻された
そのとき母親が(父と俺は折り合いが悪くて口も聞かない状態が長く続いていたのだが)
夜、玄関に鍵をかけようとしたら
あいつが帰ってこれないから鍵はかけるなといわれて
鍵はそれ以来かけてないといわれた
長く父親と話しもしてないと聞いた俺の知り合い(飲み屋で仲良くなった人達)は
皆仕事が終わったあと俺のうちに集まりみんなで酒盛りをしてくれて
俺と父親と一緒に飲む機会を取り持ってくれた
その後俺は長く入院した
今では直って普通に暮らしているのだが
それ以来父親とは話してない・・・
話せよ
37 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/03(日) 04:13:25 ID:QIqgTo2V
思い出してもというか、今現在のことなんだけど
数日前、従姉妹の叔父が倒れて大きい病院へ運ばれて緊急手術→ICUへ。
従姉妹は結婚していて2人の子持ちだけど、旦那がリストラされて
求職中で子供も中学生と小学生の息子2人でちょうどお金のかかる時期。
野球もやっていて結構地元では強豪チームで
夏休みの合宿から帰ってきた矢先の出来事だった・・・
そんな中叔父が倒れてしまったんだけど、病院から
ICUに入ったためにすぐに手付金(?)がいるらしく、
親から聞いた話、それが10万だか20万だかを払わないといけないらしい。
それで従姉からすると叔母であるうちの母に
「急にどうしよう」と電話が入った。
病気で倒れてやむをえずICUに入ったのにお金のことで悩むなんて
なんだか切なくなってしまった・・・
叔父さんが早く良くなりますように。
「従姉妹の叔父」?
貯金もせずに子供に野球やらせてるのか。
いや、まあそれもアリなのか・・・?
10万程度の急用の度に人生のピンチになってちゃ、
この先どうするんだか。
39はリア厨
まあお金だけじゃなくて、色々とどうしようって
電話だったと思うよ
とりあえず10万だけど、貯金してあっても
入院して、これからいくらかかるか分からないし
保険で返ってくるけど、それは手続きした後のことだし
これからの生活も変わってくるだろうし
(つきそいとか、退院した後とかね)
助け合ってうまくやっていってほしいよ
姉夫婦が離婚する事になった。
原因は旦那の駄目っぷり。姉の出産の日に仕事を辞めてきたり
コンビニでバイトを始めたがそんな給料でやっていけるはずもなく
結局私と母が暮らす実家(といっても3DKのアパート)に転がり込んできた。
そのくせ「プレステやらせろ」「通勤用にMP3が欲しい」「夕飯は肉がいい。
和食嫌い」と、ワガママ三昧。
ある日、「こんな生活嫌だ、もっと自由にやりたい」と言って帰ってこなくなった。
そして姉は離婚を決意。弁護士とかからめていろいろやっていたみたいだけど
旦那は呼び出しても逃げて姿を見せなかった。
そこで旦那の母親を呼び話を進めたようだった。
結局旦那は両親にこっぴどく叱られ、慰謝料教育費をきちんと支払う事で
解決した。
そしてある夜、旦那の母親がうちに謝りにきた。母(私の母)は「今夜は
泊まっていって下さい」と強く勧めた。
まだよちよち歩きの姉の子と旦那母を二人にして部屋を離れた私と私母。
私母は小さな声で「あの二人が会う事は、多分もうない。あの人(旦那母)は
あの子が生まれた時本当に嬉しそうだったとA子(姉)は言っていた。自分が
悪い訳じゃないのにもう会えないなんて悲しすぎるじゃない。だから今夜は
一緒にいさせたくて」と言った。
私は別に会わせたっていいじゃん、と言ったら「子供が混乱するでしょう。
あの人は誰?ってなった時教えていいものか分からないし、旦那母だって
言いたくても言えない辛い状態になる」と。確かに…。私は黙ってしまった。
それに旦那母は九州在住、ウチは千葉。会いたくったって容易に来れる距離じゃない。
無邪気に笑う甥っ子とそれを見て「よく笑うようになったね。前回会ったときは
全然笑わないから心配だったのよ。安心した」と涙をこらえて言った旦那母。
なんだかたまらない気持ちになった。
あれから2年たって甥っ子はよく喋りよく走る元気ながきんちょになりました。
きっと旦那母の事は憶えてないんだろな。
と思うとまたたまらない気持ちになる。
43 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/03(日) 15:16:02 ID:kzky6cqY
去年の暮れから入院してた祖父が
先月に退院して医者からも外出許可が下りたので
ヤフードームへ野球を観戦に連れて行った
王監督の大ファンの祖父
でも王監督も今は球場には姿が無い
そのことを言わないとと思い祖父に話し掛けた瞬間
元気じゃね〜王ちゃんも
昔に比べて少し黒くなっとるな〜
祖父よ その人はズレーターなんだが
色々な意味で切ない観戦日だった
4ヶ月ぐらい前にさ、俺が家に帰ろうと歩いてたら
杖を地面に右、左って当てながら歩いてる女の人が俺の前にいたんだよ。
でも俺は「目が悪いのかな?大変そうだなー」と思っただけで特には気にしなかった。
そのまま歩いてるとその女の人の前の方に歩道にはみ出してる車があって
「どうするべきだ?声かけてあげるべきかな?いや、こんな所で声あげるなんて恥ずかしい」
なんてことを思った俺はそのまま声をかけずにその人を見てた。
女の人がどんどん歩いていく、近づいていく車、
俺さ、頑張って声かけようとしたけど声が出なくて
女の人はその車に大きな音をたててぶつかっちゃったんだ。
後日、夕方のニュース番組で目が不自由な小学生の女の子の特集がやってて
やっぱりその女の子も杖を地面に当てながら歩いてるんだよ。
家から学校に行く道のりを初めて一人で歩く事になってたみたいで
こっそり陰からお母さんが見守ってた。
その子が学校に行く途中でフェンスがずらーって並んでいて
たった一カ所だけ通り道になっていてそこを通らなくちゃ学校にいけないんだよ。
女の子がそのフェンスの所を歩いていくんだけど
通り道の所が分からなくなっちゃってその通り道の前を行ったり来たりしながら
独り言で「分からないよ」、「いつもはここにあるはずなのに」っていうんだ。
何分も頑張るんだけどとうとう泣き出しちゃうんだ。
それ見てて凄く辛くなっちゃってさ、俺は本当に駄目な事をしたんだって改めて思ったんだ。
でもその事も今日まですっかり忘れてた。
今日、「目が不自由な人の気持ちを体験しよう!」って
目をつぶりながら風呂に入ったんだ。その女の人や頑張ってた小学生の子の事なんか忘れて・・・
手探りでシャワーを取って体を濡らそうとお湯を出したら
すっげぇ冷たくて、温度調節も頑張ってしてみたんだけどやっぱ冷たくてさ
ここで挫折かよ、って思ったけどガスの電源付けるの忘れてたのに気づいて無事に体を暖められた。
次はシャンプーだ、シャンプーは鏡の右側の棚にあったんだけど
ポンプの上に違いがあるのは知ってたけど
どっちがシャンプーでリンスかまでは知らなかった。
で、適当にポンプを押すんだけど出てきた液体がなんなのか分からない。
手で触って匂いを嗅いで初めてリンスだって分かった。
俺は仕方なくもう一つのポンプを押すんだけどそれは空で別の所に新しいシャンプーが置いてあった。
その事を思い出して無事にシャンプーを終えて、次はリンスだ!って思った時に
上からさっきの空シャンプーの容器が落下。
それにビックリして俺、泣いちゃったんだ。
そこであの女の人や女の子の事思い出して、きっとこんな思いだったんだろうな、
こんなに苦しかったんだろうなって。
目を瞑り、湯船に浸って五官を確かめながら
俺はこんなに満ち足りてるんだ、これで満足しないなんて人間はなんて欲深い生き物なんだって思った。
そして自分がもの凄く恥ずかしい人間だと思えた。
長文、乱文ごめん。
誰かに伝えたくて仕方なかったんだ。
おまえはイイヤツだ
俺が認める
ダイアログ・イン・ザ・ダークみてー
48 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/06(水) 09:35:07 ID:Naixizv+
私には、兄がいました。
3つ年上の兄は、妹想いの優しい兄でした。
ドラクエ3を兄と一緒にやってました。(見てました。)
勇者が兄で、僧侶が私。遊び人はペットの猫の名前にしました。
バランスの悪い3人パーティ。兄はとっても強かった。
苦労しながらコツコツすすめた、ドラクエ3。おもしろかった。
たしか、砂漠でピラミッドがあった場所だったと思います。
とても、強かったので、大苦戦してました。
ある日、兄が友人と野球にいくときに、私にいいました。
「レベ上げだけやってていいよ。でも先には進めるなよ。」
私は、いっつもみてるだけで、よくわからなかったけど、
なんだか、とてもうれしかったのを覚えてます。
そして、その言葉が、兄の最後の言葉になりました。
葬式の日、父は、兄の大事にしてたものを棺おけにいれようとしたのを覚えてます。
お気に入りの服。グローブ。セイントクロス。そして、ドラクエ3。
でも、私は、ドラクエ3をいれないでって、もらいました。
だって、兄から、レベ上げを頼まれてたから。
私は、くる日もくる日も時間を見つけては、砂漠でレベ上げをしてました。
ドラクエ3の中には、兄が生きてたからです。
そして、なんとなく、強くなったら、ひょっこり兄が戻ってくると思ってたかもしれません。
兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
それから、しばらくして、ドラクエ3の冒険の書が消えてしまいました。
その時、初めて私は、泣きました。 ずっとずっと、母の近くで泣きました。
お兄ちゃんが死んじゃった。やっと、実感できました。
今では、前へ進むきっかけをくれた、冒険の書が消えたことを、感謝しています。
49 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/06(水) 09:57:10 ID:11BtpMkF
中学生の頃不登校になった
2年くらい家に引きこもってた
家のなかで2年間ずーっと布団かぶってた
親が仕事で居なくなるのみてから風呂とかはいったりご飯食べてた
家に居る間はすごく怖かった
学費を無駄にしてごめんなさいとか学校辞めさせられたらどうしようとか
いつ死ねばいいかとかずっと考えてた今思い出しても怖い
学校行きたくないといっても卒業するには図書館登校しなくちゃいけなくて
むりやり制服着せられて通ってた
先生は
「大丈夫か?外出れるのか?」とか聞いてきたけど愛想笑いしかできなくてつらかった
卒業式も行かなかった なんとか卒業できた
そしたら母親が卒業証書渡すときに
「単位がぜんぜん足りないのに担任の先生が頭下げてくれたから
卒業できたんだよ?」って聞かされた
その先生は普段無愛想で生徒にも人気無かったけど、
私の描いた絵を何時もほめてくれる先生だった
その後先生にお礼の手紙を書いた何年ぶりか分からない手紙
先生がほめてくれた絵も描いて送った
感謝してます。
長文失礼しました
私の父は長男が私のお腹にいるとき亡くなりました。
上に女の子2人がいるのですが、3人目が男の子だとわかった、と
いうことを、私の口から伝えられずに亡くなりました。
あとで母に聞いた時に男の子だって、って言うと父は「うんうん」と頷いていたって。
そして長男が生まれて2才の冬。
母が亡くなりました。
父が亡くなったあと一人で暮らしていた母にはちょくちょく電話していたのですが、
たまたまバタバタして電話できなかった日が続きました。
近所の人が最近見かけない、と言って電話をくれました。
部屋には一人で淋しく冷たくなっていた母がいました。
当時2才だった長男は母の葬儀に駆けつけてくれた叔母を葬儀の間中、
ずっと「ばあちゃん」と呼んでいました。
母とおばさんはよく似ているのですがもちろん間違えるほどは似てません。
まだカタコトしかしゃべれず「ばあちゃん」と呼ぶ長男に叔母は
ずっとばあちゃんの振りをしていてくれました。
長男は今年5才になります。
もちろん父のことも母のことも覚えてません。
母は本当に長男をかわいがってくれていました。
父も本当に生まれてくるのを楽しみにいていました。
長文失礼しました。
初めてこのスレ見たけど、泣きそう。
「切ねーwww」ってスレだと思ったのに…
同じく。切なすぎる。
53 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/06(水) 12:54:25 ID:11BtpMkF
幼少の頃。
親が共働きで家に居ても誰も居ないのでよく近所の本屋さんとか駄菓子やに
通ってた
本屋さんも駄菓子屋さんもおばあさんが経営しててよく暇なときかまってもらった
でもある日 本屋のおばあさんが
「今度息子の家に引っ越すんだよ、(私の名前)ちゃん、元気でね」
と言って五日後ぐらいたつと、本屋がなくなってた
それから一年後、今度は駄菓子屋のおばあさんがなんにも言わないで
お店を閉めてしまった
小さかった私は引越しの事も、お店もしめたこともよく意味が分からなくて
学校が終わると本屋と駄菓子屋をみてた
くるわけも無いのにウロチョロウロチョロ店の前をうろついてたなー
小学4年になって本屋がつぶれて駄菓子屋は小物やさんになってた
お店の人に「前ここに居たおばあさんしりませんか?」と聞いたけど
知らないなーって言われた。
なんだか切なかったよ・・・今急に思い出した
連続投下すいません。
>53
息子と一緒に暮らせて,ばあちゃんは幸せ
っていういい話だよ
日本の田舎町。市内に小さな法律事務所が開設されていた。
田舎者の町弁が小さな相談室に客をとってきた。その客はなんともはぶりがいい。
それを見た都会者の旅行者は、
「すばらしい客だね。どれくらいの時間、相談にのっていたの」 と尋ねた。 すると町弁は
「そんなに長い時間じゃないよ」 と答えた。
旅行者が
「もっと相談に応じていたら、もっと客がきたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、町弁は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。
「それじゃあ、余った時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、町弁は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから相談に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシエスタして。夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって… ああ、これでもう一日終わりだね」
すると旅行者はまじめな顔で町弁に向かってこう言った。
「ハーバード・ロー・スクールでLLMを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、相談に応じるべきだ。それで集まった紛争は提訴する。着手金が貯まったら大きな事務所を借りる。そうすると売上高は上がり、儲けも増える。
その儲けでイソ弁を2人、3人と増やしていくんだ。やがて大規模法律事務所ができるまでね。そうしたら同業者に客を譲るのはやめだ。自前の専門事務員を雇って、そこに破産事件をやらせる。
その頃にはきみはこのちっぽけな田舎を出て東京に引っ越し、大阪、名古屋と進出していくだろう。きみは丸の内のオフィスビルから弁護士法人の指揮をとるんだ」
町弁は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は事務所を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、田舎の小さな市街地に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」
>>55 わからん
とりあえずニートはダメだよってことか
>>55 15点/100点満点
カリブ海の漁師の方が気持ちよさそう。
>>48 コピペなのはわかるんだが…
>兄は、とっても強くなりました。とっても強い魔法で、全部倒してしまうのです。
あの辺に出てくるカニは、いくら強い魔法でも倒せないような希ガス。
魔法使いがいれば話は違うんだが、勇者と僧侶と遊び人じゃ…。
>>55 オチが改造されてないじゃん。
あとLLMってなに?
61 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/07(木) 06:49:08 ID:6ud0h4C9
昔初めて田舎に言ったときの事
一応都会に住んでた私は田舎に行くことにあまり乗り気じゃなかった
でも田舎にいったら母の幼馴染や従兄弟がたくさんいていろいろ構ってくれて
すごく楽しかった
はじめて海にも入ったはじめてカブトムシも捕まえた
姉が嬉しそうにカブトムシを手のひらに乗せて遊んでいたのを今でも覚えてる
で、田舎から帰るときカブトムシを逃がしてあげることになった
都会に持ち帰ってもかわいそうだと思ったから
泣く泣く外に逃がしてやると元気よくカブトムシは飛んでいった
でも家に帰るとき船の近くに黒っぽい何かが落ちててなにかな?と思うと
逃がしたカブトムシそっくりな虫がつぶれて死んでた
船の近くで小さかった私と姉は泣いた
山の中で逃がしてあげればよかったなあって
それ以来虫取りはしていない。長文スマン
前スレの糞継母の子です。
小学3年くらいのとき、産みの母と逢う機会がありました。
祖母がセッティングしてくれて2人でこっそりと逢いました。食事して少し買い物して別れました。産みの母は天使の様に優しかった。
当時俺はSDガンダムってプラモが好きでちょこちょこ集めてました。祖母から聞いていたのか、産みの母がそれを買ってくれたんです。
産みの母に買ってもらったって事で、それは特別なガンダムになるはずでした。
母と別れて家に帰って来て、早速プラモを組み立てはじめました。確か隠密ガンダムみたいなやつだったと思います。
ほとんど組み上がったのですが、どう見ても足首から下のパーツが破損しているのです。そのせいでうまく立ちません。
悔しかったのでお店に行ったのですが、「うちではどうしようもないからバンダイに問い合わせてみてね」って言われました。
今でこそパーツ請求すればいいと分かるのですが、当時は分かりませんでした。親に聞こうにも糞親なので怒られるのがオチです。
仕方ないので足がないまま飾ってました。
今度はいつ逢えるかもわからない産みの母に買ってもらった唯一のガンダムで不良品を引いてしまう自分と、そんな時に不良品混ぜるなよ!ってバンダイを少し恨みました。
当時はホントに切なかった・・・。
天使のように優しくても、62を捨ててるんじゃん・・・
捨てたんじゃあ無い。
複雑な事情を知らないのにその軽々しい発言は少し腹が立つよ。
65 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/07(木) 10:47:43 ID:6ud0h4C9
いや、でも前スレだのの話を引っ張って何回も書くと、
色々アラというか引っかかりを感じてきて、
だんだん叩かれる様にはなると思うよ。
にちゃんで連投する人で、良くあるパターンじゃん。
一気に書くか、別の話として書いた方がいいと思う。
色々エピありそうだから、もっと読みたいけど、
時間あけて書くなら、ブログとかでやった方がいいかもよ。
申し訳ない。もう消えます
68 :
63:2006/09/07(木) 12:38:00 ID:XIwpqBvu
>>64 軽々しい気持ちで言ったんじゃないけど、ちょっと心配になったんだよ。
そりゃ、複雑な事情があるとは思うよ。弟の頭割った人だよね?
でも、継母がほんとに酷い人だっただけに実母は天使みたいに見えたんだろうけど、
64と弟(結構小さい頃だったよね?)を子供に関心のない父親の元に置いて出たんだって事は、
一応、頭に置いておかないといけないんじゃないかとちょこっと思ったんだよ。
余計な事だったかも。ごめんね。
何をどうすればいいのか完全な判断できる人なんていない。
お母さんだって、子どもがそんな目に遭うなんて予測できなかったでしょう。
母が父に捨てられたのだ。糞継母と浮気してな。
兄弟1人づつ引き取る話になったようだが、兄弟一緒の方が助け合って生きていけると判断し経済力の無い自分は泣く泣く身を引いたそうだ。
もちろん糞継母があそこまで外道とは誰一人知らなかったから、祖母から継母の話を少し聞いて死ぬほど後悔したそうだ。
成人してから産みの母と逢うようになったが、母が「きっと直接話すと泣いてしまうから」と言って持たせてくれた手紙にはこうあった。
「貴方のお父さんと別れてから数年は、貴方達の事を思うだけでお乳が出てきた。気持ちが立ち直ってからは正直、何人かとお付き合いした。
子供を作ろうと言ってくれた人もいたが、自分の子供は貴方達2人だけだと説明して断ってきた。貴方達だけしかいらなかった。
自分の罪と貴方達とのつながりを忘れない為に今もお父さんの性を名乗っている。つらい思いをさせてごめんなさい」
打ちながら涙が出てきたし、あまり詳しく書かない方がいいとも思うが、産みの母の名誉の為に書いた。
こういう風に荒れてしまうから止めたほうがいいんだね。
>63 頭にきてしまい、熱くなってしまって申し訳ない。
>>70 おまえは何も悪くない。
おまえからにじみ出るやさしさはいつかおまえに戻ってくる。
>70
昔一人暮らしの女の人の所にホームステイしてた時の事思い出した。
独立した息子が3人いて皆とってもいい人。
ある日荷物の整理を手伝ってたらアルバムが出てきて
まだちっちゃい3人兄弟が写ってる写真があった。
「かわいい」って言って笑ったら「でしょ?」って嬉しそうだった。
その後ちょっとだけ昔を思い出すような顔になって
「離婚してしまったし、幸せな時もあったけどそうでない時もあった。
だけど、もしもこうなってしまう事が結婚する前に分かってたとしても
私は絶対にあの人以外と結婚は出来ない。
だって他の人と結婚してたらこの私の息子達は生まれなかったんだから」
って。
すごく感動して思わず泣いてしまった。
ちょっとホームシックになってた時だったから余計に。
そしたら彼女も泣きだして、二人で泣いた。
お母さんってすごいよね。
少年野球をやってた頃、三打席連続デッドボールを食らった。
最期のデッドボールはサヨナラ押し出しデッドボール。
チームメイトは大爆笑。父兄は苦笑い。
今でもプロ野球とかでデッドボールで悶絶している選手を見ると思い出して切なくなる。
去年の冬頃。
朝の通勤電車内、通路を挟んで隣の座席に座っている20くらいの男の子が携帯で話し出した。
「最近の若い者は・・・」と苦々しく思っていると、突然彼が「え・・・死んだ・・・?」
ラッシュは過ぎて立っている人が少ない車内、決して大きくない彼の声が予想以上に響いた。
「うん・・・。うん。わかった。すぐ帰る・・・。」とボソボソ話していました。
顔と声はすごく落ち着いているのに、彼の目からドラマでしか見たことのないような、大粒の涙がポロポロと
零れていました。
電話を切り、呆然としている彼に、隣に座っていたおじさんが「君・・・大丈夫かい?」とハンカチを差し出した。
「あ・・・。すいません、ありが・・・とぅ・・うぅ、う、あぁぁあぁあぁ・・・」
そこで初めて自分が涙を流していたことに気づいた彼は、そのまま顔を大きく歪めて泣き崩れてしまった。
「親父が・・・死んだんです・・さっき。まだ、まだ何もしてやってねーのに・・!迷惑しかかけてなくて、親父のお陰で、
お陰で、俺も、やっと立ち直れたのに・・なんだよ、一緒に屋久杉、見に行くっつったじゃねーかよ・・・」
車内からは「元気だして」「しっかりな」などの励ましの声が彼にかけられた。
程なく次の駅に着き、彼は膝につくくらい頭を下げて降りていった。
その日は帰って実家に電話をした。親孝行は、できるうちにしておかないと。
76 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/08(金) 04:00:17 ID:7laRyWIZ
うちの家は両親共働き
最近仕事が忙しくて夕飯はいつもコンビニのおにぎりとかスナック菓子
そんなんが最近続いて母に
「もっと、ちゃんとしたご飯が食べたいよあったかいご飯が食べたい」
と言ってしまった 母は困った顔してた
そんな事いった次の日母はハンバーグ作ってくれた
私の好きなにんじんとコーンを甘くにたやつをつけて。
今思い出しても切なくなる 母の困った顔思い出すと
77 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/08(金) 05:12:36 ID:RFVn6gg5
なんぼなんでもスナック菓子をご飯がわりに与えちゃ駄目だよー
>>76 おまいさん、これほど文章が打てるんなら、
そろそろ、飯、作れるんじゃないか?
それこそ、おっかさんにあったかいご飯、食わしてやれ。
オレも中学にあがる前から夕飯のおさんどん、やってたよ。
男でも女でも、包丁持てると幸せだよ。
79 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/08(金) 09:55:20 ID:7laRyWIZ
>>78 一応家事を手伝ってる
昨日はお風呂沸かして皿洗ってゴミ出した
誰かにお礼言われると嬉しいよな
この前はどうしても母が作った飯が食いたくなって言ってしまったんだ・・・
素直にそういいなさいな。
母としては嬉しかろうよ。母の作ったご飯が一番好きと言うことなんだkら。
昨年のクリスマスの日、仕事の帰りに家の近所のコンビニ行った。
コンビニでヨーグルトに手を伸ばしたら、同じタイミングでOLっぽい感じの人が
同じヨーグルト取ろうとして軽く手が触れた。お互いさっと手を引いて、その種類の
ヨーグルトがそれしかなかったから、俺はどうぞって感じのジェスチャーして弁当だけ買った。
近くの公園でベンチで弁当喰ってたら、さっきのOLが声かけてきて
「半分どうぞ。」ってヨーグルト(2つくっついてるタイプだったから)くれた。
俺は素直にありがとうって貰って、何となく二人でベンチに座ってヨーグルトのフタ剥がして
喰う感じになったんだけど、スプーンが一つしかなくて、お互いそれに気付いてちょっと変な空気が
出来たんだけど、俺箸で喰うから平気だからって箸で喰いだしたらその子笑って「何かごめんね。」
って。ヨーグルト喰いながらこの辺に住んでるとか仕事の話しとか軽く世間話した。
その子最近この辺に引っ越してきたばっかで、1人でつまんないみたいな事言っててさ。
俺も最近この辺に引っ越して来たばっかでこの辺の事よく分からないから、今度一緒に散歩
でもしますかみたいな事を冗談っぽい感じで言ったんだ。断られてへこむのやだしさ。
そしたらその子「本当に?いいよ、散歩しようよ。」って。よく見ると小柄で結構可愛い系で
今までそんな可愛い子と縁なんかなかったからすげー嬉しかった。最終的に隣に寝てる嫁がその子です
的な展開になる事を期待してクリスマスはコンビニにヨーグルト買いに行く予定。
隣に嫁が寝てるのに亭主は2chレスに夢中なら、もう一年後の将来は確定しているな。
と思いつつクリスマスにヨーグルトを買いに行く予定をいれた俺。
83 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/08(金) 11:29:30 ID:7laRyWIZ
さっき仕事行く前の母に
「この前はゴメンね、母の作ったご飯が食べたかったんだよ」
といったらお昼用にお味噌汁作ってくれました
かなり久しぶりの母の味噌汁が飲めました(´;ω;`)レスくれた人
ありがとう
>>81 クリスマス頃の仕事帰り時刻に外でヨーグルトは寒くなかろうか。
そしてコンビニにヨーグルトが嫌がらせのようにずら〜っと並んでたらどうするんだろうか。
今から毎日ヨーグルト買って、クリスマスまでに捕まえといた方が確実じゃないだろうか。
>>84 「少し寒いね」
「うん...」
「手つなごっか。」
「うん。」
でおk。
86 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/08(金) 19:34:01 ID:EeQMiQ3x
むかし温泉ホテルでポリネシアンショーをやらされている
フィリピーナ達を見たときは子供心に切ない気分になったな…
>>86 あぁ…いろいろ勘ぐって盛り上がれないよな
どんな弱み握られてこんなひなびた温泉に連れてこられたのかと…
88 :
84:2006/09/08(金) 21:29:59 ID:7ttCq0Db
>>85 理解した。
クリスマスは私もヨーグルト買いに走る。
89 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 01:14:48 ID:dKQhcb1Y
みんなでヨーグルト買いに行けば、ココの住人同士で
なんかなるかもしれないね
90 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 01:41:37 ID:aULx4maI
酒飲み過ぎで役立たずな愚息を見た漏れ
切ないなあ…
思い出って言うか、現在進行形なんだけど…。
今日(日付変わってもう昨日か…)、祖母と同居してる伯父から電話があり、
ここの所体調を崩し気味だった祖母について、
医師から「来年の夏を越えるのは難しいだろう」と言われたと連絡がありました。
医師曰く、「今夏の猛暑を乗り切れたのが不思議な位」と。
祖母は、交通が不便な田舎住まいなのもあって、
農作業しながらかなりピンピンしてた90歳なので、
余命宣告が未だに信じられない。
車で2時間の所に住んでいながら、
小5から始めた吹奏楽部の練習や、進学就職による上京を言い訳にして、
もう16年も婆ちゃんに会ってないや。
婆ちゃんにひ孫の顔を見せてあげたいと思ったけど…無理そうだよ。
何一つ孝行してやれなくて、本当にごめん。
>>91 どうしようもなくなってから後悔したくなかったら、さっさと行って来いっ!
95 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 12:48:39 ID:nKiBZt1P
>>91 なんだかわかんね流れだけど、とりあえず逝け!!
98 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 13:14:12 ID:nKiBZt1P
大往生ですね。
画してヨーグルト屋の陰謀は潰えたのであった。
101 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 14:23:49 ID:nKiBZt1P
ヨーグルトなんか大っ嫌いだ
だれとも手が触れなかったぞ。
>>101 あせるな。まだ9月だ。12月まで待て。
103 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 18:01:39 ID:nKiBZt1P
買い物行って来たんだけど
同年代ぐらいのカップルが二人で一緒にケーキ買ってた。
私も同じのかごに入れた
一人で食べるには多いくらいのロールケーキ。
切なくて堪らない・・・
>>103 元気出しな。
二人で分けるより、一人で大量に食べられる幸せと思えば
大した事じゃない。
105 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 18:33:56 ID:ZuWlNzAQ
>>104ちょwwwwお前いい奴なのに、それフォローになってねぇよwwww
106 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 19:09:48 ID:nKiBZt1P
そして増える体重・・・(´;ω;`)
遠のく恋愛
>>106 まあこれでも食べて元気出せよ。
(゚Д゚)っ【ピザ】
>>106 (゚Д゚)っ【マックセット ポテトL】
109 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 19:41:29 ID:nKiBZt1P
そこまでデブじゃない!!!!!
110 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 19:49:19 ID:HWD9jobo
私が小学生のころ飼ってた犬をお婆ちゃんの家に連れて行っておいてきた犬が帰って来た事があった。
すごいボロボロになって。どうやって帰って来たのか分からないけど…
111 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 20:21:08 ID:n1HR+W2R
↑その犬は左足にアレじゃないだろーな
至急 知らせてくれ
どてっ腹に4WDって書いてないだろうな
>>112 そんなこと書いてやるなよ、頼むからorz
114 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 22:05:07 ID:J2oMbxDZ
>>103 ちょWWW
すまんWWWW噴いたWWWWWW
115 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/09(土) 22:11:52 ID:dKQhcb1Y
小学校時代、隣に座ってた女の子が残した名作
「もう、」という言葉で短文を作りなさい
牛がもう、と鳴いた
その子が好きだった俺は泣いた
117 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/10(日) 10:27:13 ID:t5OSgpSn
どんよりという言葉を使って一言↓
119 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/10(日) 11:27:29 ID:eiZr1amS
どんぐり
うどんより蕎麦が好きです。
丼より重が好きです
122 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/10(日) 11:39:08 ID:rMTyRaAi
婆ちゃんは向かいの吉どんより、じいちゃんの方が好きだった。
「あたかも」という言葉をつかって文章を作りなさい
冷蔵庫にご飯があったかもしれない
映画館を英語で言うとシアターかもしれない
>125
座布団1枚!ウマイw
あたかも「あ、鷹もいる」と思わせる
頭に何かあたる。
「アタ、鴨!!」。
また何かあたる。
「あ、鷹も!!!」。
オイ誰かこのつまらん流れをどうにかしろ
131 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/10(日) 18:34:36 ID:t5OSgpSn
じゃあ投下
昨日の夜久しぶりに母親と夕飯を食べた。
母も働いているので夕飯はマクドナルドだった
母が帰ってきてたとき私は寝てたんだけど「せっかくだから一緒に食べよう」って
んでねぼけながらも一緒に食べてたんだけどそのときの母の顔がなんだか寂しそうな顔しそうだった
なんでかわからないけど切なくなった・・・
なんでだろ
駄文すまん
なんか切ないな…
133 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/10(日) 18:51:10 ID:t5OSgpSn
しかも何でか会話の内容が私が小さかった頃の話ばっかり
「あの時は泣いててぜんぜん走れなかったねー」とか
保育園の頃の話
マクド食べながらしんみりした会話・・・
多分最近両親ずっと忙しくて帰ってくる頃には私が寝ててろくに喋ってなかったからだと思う
カーチャン・・・(´;ω;`)
私の誕生日に姉から「お母さんはもう半年もたない」と連絡があった。
数日後、姉と母が私の家に遊びに来て誕生日プレゼントをくれた。
母は自分の余命を知らずに過ごし、本当に半年で逝ってしまった。
自分の誕生日とプレゼントにもらった猫のブローチを見るたびに切なくなる。
私が23歳くらいの時。
母とはいつも喧嘩が絶えなくて家にいるのが苦痛だった。
ある日母がこたつで昼寝してるの見て違和感を覚えた。
あれ?カーチャンこんなに小さかったっけ?
私と同じくらいの体格だと思ってたのに
寝てるカーチャンは妙に小さく見えた。
なんか悲しくなって別の部屋で泣いた。
136 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/12(火) 12:06:37 ID:8LbQ37TU
小さい頃お昼を一人で食べようとしてカップメンを食べようとしたら
スープを胸に思いっきりこぼした。
熱くて痛くて服は汚れるわでなくなく家の電話から店の母に
「ごめんなさいごめんなさい」って誤りながらカップメンこぼした事いったらすぐに
母が車とばして飛んできた。
泣きながら服汚してごめんなさいと誤ってたら
「馬鹿!!ごめんねー」と母に謝られた
「女の子なのに痕になったらどうしよう」と半泣きで言われた
よく見たら服の下の皮がべろんとめくれてた。
服も着替えずに慌てて皮膚科連れて行かれた
今思い出しても切ない・・・半泣きの母の顔
長文スマン。
おととい庭でバーベキューしてたら隣の
犬がジーっと見てた。
いっつもつながれていて散歩行ってるところも
見たことないしガリガリだからバーベキューの
余りものをあげた。
その犬が昨日痙攣起こして死んだらしい。
死因はタマネギ中毒…
138 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/12(火) 20:43:03 ID:wt/Gh6fv
犬に玉葱与えてんなやボケっ
犬はタマネギダメなのか。
猫はなんだっけ。
っていうかペットフードを人間が食っても平気だけど
人間が食う者をペットにあげちゃ駄目
と聞いた
142 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/12(火) 21:00:49 ID:wt/Gh6fv
チョコも駄目でしょ。確か
タマネギだけでなく葱系は動物にとって
毒だと聞いた。だから葱が入った
ハンバーグや臭み消しに葱を使った煮魚、
すき焼きも駄目だったはず。多分。
>>142>>143 その通りです、結構な量を食べなければ致死量には至らないけど
(特にチョコは)煮汁、鍋の残り等もあげちゃダメ
>>144 特にチョコはヤバイのか
特にチョコは少量なら大丈夫なのか
わかりにくい文章だ。
こういう文意を取りにくい文章を目にする度に切なくなる…
ごめん、確かに解りにくかった
>結構な量を食べなければ致死量には至らないけど
(特にチョコは、大型犬で板チョコ丸ごと1枚以上食べない限り致死量ではない)
という意味だったんだ
>>146 Σ(・Д・ノ)ノ アウッ
板チョコまるまる上げちゃった…
子供の頃近所の家で飼ってたでかい奴が欲しがるままに。
でもそのあと一ヶ月くらい生きてたし、大丈夫だったよ。
実際はもっと生きられるはずだったに100000チョコ
与えたチョコが引き金になって1ヵ月で死んだとは考えらんねーの?
一ヶ月経ったら死んでんじゃねーかよ
150 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/14(木) 13:00:50 ID:31+ZlDas
ブリーダーの子供やってる私が通りますよ
チョコは致死量に関係なしに犬にとっては中毒の元だから×
あとニンニク類もあげちゃ駄目
葱とかは犬猫絶対あげては駄目
朝保育園に行ったら、メチャ可愛いお母さんと玄関で一緒になった。
保育園は顔知らなくても挨拶するのが礼儀だから
「おはようございます、寒いですね」って言った。
そしたら「○○くん?○○クンでしょ!(←俺の名前)なつかしー覚えてる?」
厨房ん時の同級生だった。しかも当時家近くて、多分お互い好きで、
手とかつないで帰ったりした子。
ここは数百キロ離れた街だし、ものすごい偶然にロマンスを感じた。
俺「可愛い子だね」
彼女「ありがと…」
(間)
彼女「今帰り?」
俺「ん…まあ」
(長い間)
俺が「結婚…してたんだ」って切なげに言うと、雰囲気を察した彼女も
うつむいて「○○クンも…(間)」
朝からドキドキ。
彼女「友だちいなそうだったからよく遊んだげたけど、ちゃんと結婚できたんだね!」
半ヒキオタ独身、
この園で皿洗いのバイトをしてることは伏せておいた。
セツナス(´・ω・`)
>>148 可愛い犬だったし、いつも私のおやつ欲しがるし、すごく喜ぶし、
しょーがないなーよしよしって感じで
ねだられたらねだられただけ上げちゃってたんだよ。
そんなんチョコが毒だなんて子供の頃は誰も言ってなかったし。
今更そんなこと言われてもどうしようもないよ。
もっと犬にあげちゃ駄目なものとか、大々的に発表してろよ!!
154 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/14(木) 15:13:12 ID:31+ZlDas
>>152 幼稚園で皿洗いのバイトなんかあるわけないでしょ。
そもそも昼食後に必要な皿洗い要員がなんで朝からいるんだよ。
そうか、うちのゴン太もチョコ食べなけりゃ、もっと長生き出来たのかも。
16歳の秋にパルボで芯じゃったけど ・゜゜・o(iДi)o・゜゜・。
>>154 悪くないね。ならその時の私に「チョコは毒だからやるな」っておまえ言いにいけよ。
行けないだろうが。
それと同じくらい理不尽だよ。今の私を上段から責め立てるのは。
あーあ、何がブリーダーだか。
おまえのがよっぽど犬にひどいことしてるじゃねーか。
158 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/14(木) 15:30:25 ID:xrwyN92h
正当化しようとしてるクズ発見
160 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/14(木) 15:48:02 ID:sDzb1tzR
15年前 通勤電車のギュウギュウ詰めの中で
僕の前に若い女の子が立っていた その子のおしりが
ちょうど僕のナニを圧迫 当然反応してしまい
揺れのどさくさでつい押し付けてしまった♪
でもその子は無視してくれた 優しい子だと思った
今じゃ即 痴漢〜〜〜〜〜だからなw
両親が離婚して次の日引っ越し、という日の夜
飼っていた犬が布団の上で待っていた事。
それまで、いつも居間で寝ていて一緒に寝ようとする
事なんかなかった。自分の部屋に入ろうともした事
なかったそいつがそんな行動に出たのはその日が最後
だと気づいていたんだろうな。
もう20年前の話だ。あいつ、もう生きてないんだろうな。
あの時の事、忘れられない、まだ憶えているぞ。
163 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/14(木) 16:40:14 ID:31+ZlDas
>でもそのあと一ケ月くらい生きてたし、大丈夫だったよ
これが
「あれから1ヵ月ちょいで死んじゃった…
チョコあげたのが悪かったのかな。
犬ゴメンね…」
てな感じだったらこんなに叩かないよ。
「板チョコまるまるあげたけど大丈夫だったよ
死んだのは私のせいじゃないもんねー」
って臭いがするんだよなぁ
>>153 いや、でも普通犬にチョコはあげちゃダメって知らないよね
自分も飼うようになって初めて知った。
それに犬は雑食だから何でも食べちゃうし
自分で飼ってた訳でもないんだから知らなくて当然だと思うよ。
飼ってた家族がケアしてあげるべきこと。
167 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/14(木) 17:14:37 ID:31+ZlDas
犬についての無知がどうのこうのじゃなくて反省の色がまるで無い上に
責任転移するところがなあ・・・・。
168 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/14(木) 17:22:46 ID:Pa3QYAyq
無知は罪
以前付き合ってた女の子、確かに楽しい時間は過ごせたが×イチ子持ちだったので
長くは続かなかった。その子が元ダンナと家庭を築いてた頃は、女の子と接する機会もなく
バイトは配送とか地味なやつばっかで、外に出ると言えばせいぜい好きなバンドのライブを見たり、
バイクで独りツーリングくらい。その頃にもっと外に出てればあの子と出会ってたかも知れない。
俺のほうが幸せに出来たかも知れない。元ダンナはね、俺の同級生だし・・。
そりゃただの愚痴やろ
誰もいない教室で居残りのプリントをやってたら
部活が終わった同じクラスの当時好きだった人が手伝ってくれた。
出来たときに「やればできんじゃん」と頭を撫でてくれた。
「ここしかない!ここしかないー!」とその場で告白したら少し悩んで
「じゃあ次のテストで俺とお前が50番内入ったら付き合おう」っていわれて必死で
勉強した。
彼:32番
私:96番
自己嫌悪に陥ったけどその場でOKしてくれなかったのも意味わからんしまぁ良かったのだろうと
勝手に思ってたけどなんか切ないなぁ・・・彼氏いない歴もっと短くなってたかもしれないのになぁ
犬にチョコあげちゃいけないのか・・・
そんなん、今知ったぞ。数十年前、俺が子供のころには、
そんな事誰も言わなかった。思いっきりあげてた。
ねぎもダメだなんてマジ知らんかった。
昔飼ってた犬は、すき焼きの残り汁をご飯にかけたのを
すげーうまそうに喰ってたな。懐かしい。
柴犬で12年も生きれば、早死にではいよね?
普通に犬猫にチョコを食わせると言う感覚が分からん。
ID:AzkVGgQUがなんでこんなに叩かれてんだ?
と思ったら粘着してるのが約一名いるのね。
>>174 その境界線はどの辺にあるの?
犬にチョコあげちゃいけないのか。
知らなかった。
反省している。
かぼちゃの炊いたヤツかけご飯を旨そうに食っていた友人宅の犬。
小学生当時はそれを見て「犬に野菜?!」って切なくなった。
自分の飼ってる生き物にあげちゃダメな物も知らんという奴が多すぎるな・・・。
飼われてる生き物カワイソス。
俺は小学1・2年だった10数年前も、自分で図鑑で調べたり獣医に聞いたり程度はしていたぞ。
そういう責任感じない奴が飼ってる生き物あっさり捨てちゃったりするんだろうな・・・。
知ってると思うがいちお言っておくが、犬には鳥の骨もあげちゃダメだからな。他の骨と違い、縦に鋭く裂けるから危険なんだ。
じゃあ、これからは飼ってる生き物に少しでいいから責任感じて飼育してくれ。
スレ違いと偉そうな物言いすまぬ。
( ´_!_` )
>>178 飼ってる犬にチョコやったという話はまだ出てきてないと思うが。
近所の犬に食わせた話ばかりじゃないか。飼ってもいない動物に
いちいち責任感じろと言われてもなぁ。
>>177 犬には野菜も健康にいいし(トマト、カボチャとか)喜んで食べるよ。
野菜だけじゃなく肉も必要だけど。
>>178 せめてレスをちゃんと読んでから書き込めよ。
犬猫飼ったことなきゃ知らないと思う。 以上。
中学生の頃
親父の部屋からエロゲが出てきて、俺はすぐに高校生の兄貴に報告した
「あんちゃん、みてー、おとーさんこんなの持っとる!」
「おまえ・・・・・・・・・・そういうのやめろ」
このときの兄貴の顔を想い出すといまも甘酸っぱくなる
ひどい嫌韓の友人がいて、
何か事件があると「チョソの仕業だ!」とか「在日は国に帰れ!」と言いたい放題
そんなある日、恐いほど落ち込んでる友人がいた
どうしたのか尋ねてみると、「オレ、3世だってよ・・・」とポツリ
「またまたぁw 冗談でしょ?」と笑い飛ばすと、ポロポロ涙を流して
「オレ、死のうかなぁ あんなサイテーな国の人間なんて、生きてる価値ないよなぁ・・」と大泣き
なだめはしたが、かける言葉が見つからなかったヨ
>>185 アイデンティティーをそこに求めて、真っ当な反日チョソに生まれ変わったかも。
血の問題も在るが、育ちも問題なんだけどねぇ。
ネタくさ
たしかにネタっぽいね
中学生のとき、なんかの拍子に友人に「日本人ぶってるよね」と言われた。
そんな私は日本生まれ日本育ちの日本国籍のハーフ。
笑って流したが、家に帰ってから泣いた。
10年以上前に飼っていたハスキー犬。
事情により家では飼えなくなり、祖母の家で飼ってもらう事に。たまに行った時には、尻尾がちぎれると言わんばかりに喜んでくれた。
だがお盆に行った時には尻尾は下がり、目の焦点は合ってなく、耳も遠く、手をだしたら噛もうとした…
老いた姿と、ボケなのか牙を剥いた事にせつなくなってしまった。
駄文すまん。
うちの親は子供に金持たせると金の価値がわからなくなるが口癖で
小遣いは親の感覚で必要最小限、同級生の半分以下しかもらえず
お年玉も親戚に根回しされてたらしく一度ももらったことがなかった。
同級生と金銭感覚に関する話題が出たり毎年恒例のお年玉自慢のときには親を憎んだ。
高校卒業してバイトすることになり給料振込に銀行口座が必要ということで
手続き方法がわからなかったので親に聞くとこの番号を書けと通帳を渡された。
中身を見るとかなりの金額。18年分のお年玉がそこに入っていた。
金があることを知った俺はゲームやフィギュアなどを大量に買い漁り
1年もたたないうちに残高ゼロになった。
>193
せつなす。
馬鹿す。
195 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/17(日) 02:49:14 ID:yB7RiuG/
小さい頃 父と母が仕事休みの日に車を洗うのが好きだった
姉がスポンジでこする役 私が洗剤を塗る役
父が最後にホースで流す役 母が最後皆ではいるお風呂沸かす役だった
両親は自営業やってて、いつも火曜日になると仕事は休みだったから火曜日は特別な日だった
すごく楽しかった。
でも思い出すと切ない。
今は父と話しもろくにしないもう2週間は会ってない、
姉はバイトで最近喋ってない。
母は仕事が忙しいからあまり喋らない
家丸ごと洗いてー
長文スマン。
小学生の頃、父がすずめのヒナを拾って帰ってきた。
家族一丸となってそのすずめを育てることに成功。
ちなみにすずめの名前はすーちゃんだった。
すーちゃんは猛烈に家族に懐いていて、いつも家族の誰かの
肩や頭の上にとまっているか、傍を飛び回るかしていた。
多分、土曜日だったと思う。当時はまだ週休2日制ではなかったので
いつものように学校に行って、帰ってきたら母が
「すーちゃんのお母さんが迎えに来て、すーちゃんお空に帰っちゃった」
とすすり泣いていた。私は暫くの間、空を飛び交う小鳥を見ては
すーちゃん・・・と涙していたが、父の
「○(私)も、お母さんと一緒にいられないと淋しいだろう」
という言葉に、努めて明るく過ごすようにしていた。
あれから15年くらい経ったある正月。酔っ払った母が
「すーちゃんは本当に可愛かった。鳥があんなに可愛いものだとは知らなかった」
と懐かしい話しをはじめた。私も「本当だよね」と相槌を打っていたが
「洗濯物干してたら、ピピッ!とすーちゃんの声がして、足元見たらすーちゃんってば
くちばしの端から血を流して死んでるじゃないの!お母さんびっくりしたわ〜」
と・・・。
女子高に通ってたんだがそのときの話。
視聴覚室で授業があった日、手帳を机の中に忘れてきたことを思い出した。
すぐ戻ったがすでに手帳はなかった。(いかん!)と思い必死こいて探したが、どこにもない。
2週間して、職員室に呼び出された。
部活の顧問が私の手帳を持って、「この日にパーティーって書いてあるけどこれは何?」ときた。
他校との合コンではないのか?酒飲んでるのか?散々根掘り葉掘り聞かれ絞られた。
おそるおそる、どこにあったのか?名前も書いてたのにどうして知らせてくれなかったのか?と聞いた。
言ってることも二転三転し、歯切れの悪い返答だったので問い詰めたら、白状した。
職員室内で回覧して会議にかけ、内容を検討してたという。
最初は謝っていたが、私がだんだん激昂してくると「忘れるほうが悪いのよ」と逆切れした。
卒業して1年くらいか、高1の子が交換日記を職員室中にまわし読みされて、自殺したという話を聞いた。
ああ、あいつら相変わらず屑だ、と思い、死んだその子のことを考えて切なくなった。
マジでくずだな。その教師。
マスコミにちょちょっと告げ口してみ
教師を社会的に殺せるよ
ってか、校名と凶死の氏名を晒せや。
>>196 すーちゃんも196もカワイソス…
と言いながらも、佐々木倫子の漫画でハムスターを飼いたいとせがむ娘に親が
「お母さん、小鳥踏み潰しちゃってから小さい生き物はちょっと…」
と答える場面を思い出して、ちょと吹いたスマソwほんとにあるんだなー
202 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/18(月) 08:37:19 ID:D3XxviUp
何年か前、友人の紹介である男の人と知り合った。
女子校育ちだった私は最初あまり喋れなくてどきどきしてた
(男性恐怖症の気もあったので)
でもしだいにメールしたりして仲良くなってなんか会う度ドキドキしてた
男性になれてない私にも気さくにしてくれた
ああ、これがスキってやつなのかもとか思ってた
でも告白するにもこれがただ慣れていないからドキドキするのか
本当にすきなのか分からなくて悩んでるうちに紹介してくれた友人も
その男子がスキと発覚。もう頭真っ白
友人とるか初恋とるかで今度は板ばさみ
結局告白できなかった・・・馬鹿
203 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/18(月) 09:40:42 ID:T2/l7rkh
職場のゴタゴタで人間不信になってる時、婚約していた彼に振られた。
何もかもが嫌になって、死んでしまおうと思い、駅のホームに身を乗り出した瞬間、
誰かに腕を掴まれた。振り向くと高校生の男の子だった。
男の子は「これ、落ちましたよ」って、ハンカチを差し出してきた。
「私のじゃないから。離してくれる?」
そう言うと
「嫌です」って、掴んだまま離してくれなかった。
「痛いから、離してよ!」って大声で言ったら、ホームの内側まで
引っ張られた。私は尻餅をついて、しばらくして大声で泣き出した。
私が泣いてる間、男の子はずっと傍にいてくれた。恥かしかっただろうなあ・・・
一通り泣いたら死ぬのが馬鹿らしくなって、「もう平気だから」って男の子に告げて
家に帰りました。
今は転職して、新しい彼も出来ました。もしあの時男の子が腕を掴んでくれなかったら、
私はここにいないと思う。せめて学校と名前だけでも聞いておけば良かった・・・
私の命を救ってくれた男の子、本当にありがとう。
いろいろあって、今隣に寝てる彼がその時の高校生です。
てなオチかと思った。2chに毒され杉だな俺。
しかしその高校生はスゲーな。漢だよ
205 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/18(月) 10:36:28 ID:AC2VAflX
高2のバレンタインデー。クラスの女の子からチョコを貰った。
親友が夏に告白し、失敗したまさにその子だった。帰る方向が同じだった為
その子はある場所で先に待ってて、名前を呼ばれた。僕は自転車を止めて、その子に近づいた。
殆ど話した事もなく(当時は女の子と話すのも緊張してできなかった)
まして親友が振られた子とあって複雑な心境で受け取った。
その気がないのに「ありがとう。凄く嬉しいよ。ちゃんとお返しするから。」
と思わせぶりな事を言ってしまった。
ホワイトデーにお返しをした。チョコを貰った同じ場所で渡した。意識はしたけど
その気は無く、純粋にお返しの意味で。それでおしまいだと自分で決めていた。
後日、帰り道にその子はその場所で待っていた。「○○くん」とその子は
僕の名前を呼んだ。でも止まらず、そのまま自転車で走り過ぎた。
後ろの方から「○○くん」ともう一度聞こえたけれども、自転車を止めなかった。
もの凄く悪い事をした。
卒業後、進学の為に故郷を出て今に至る。結婚し、夏に娘が生まれた。
随分時間が経った。
帰省し、あの場所を通る度にその時のことを思い出す。いつか娘に
このことが話せたらと思う。
>>205 YESもNOも言ってなくても「嬉しい」なんて言われると
OKなんだと普通は思っちゃうからなー。おまいさんも
辛かったろうが相手の子はもっと辛かったんじゃないか。
何でOKしてくれたのに無視するの?って思っただろうな。
もしその彼女と会ったら話しておくべきだ。相手はその事、
絶対憶えてるだろうし。
>>205 「僕はいま童貞です。
あの時OKしていれば...」
っていうオチを期待してたんだが。
女の子にあやまれ!
女にあやまるくらいなら相手殺したほうがいい、って男の人多いよね。
>>203 だーかーらーーーーー
コピペ貼るんなら、ヘッダ付けろってんだよ!
>211
いつ言ったの?ww
213 :
205:2006/09/18(月) 20:50:54 ID:AC2VAflX
もし会えば絶対あやまるだろうなあ。相手も覚えているだろうしね。
あの時はまさか自分にチョコなんて・・・と思う気が強くて
純粋に貰えた事実に「嬉しい」てな言葉が出てしまったんだ。
3年になりクラス替えがあったけども その子とはまた同じクラスだった。
気まずかったなあ。
もう結婚してるだろうけどな、あっちも。
してないよ
そして禁じられた愛へ
215 :
205:2006/09/18(月) 21:27:21 ID:AC2VAflX
もう15年もまえのことだしな。
あのとき あんなこと言われたのにー ってこと何回もあるなあ。
自分でチャンスを潰していたきがする。
217 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/18(月) 22:17:43 ID:RfEiDrtR
20歳の時かなり貧乏で風呂なし4畳半の部屋に今の嫁と住んでたんだけど
俺だけの給料じゃ生活するのがやっとでほしいものもろくに買えなかった。
ある日嫁が自分もバイトするって言い出してバイトはじめて最初の給料で
酒を買ってくれた。でもその家急な坂道の下にあって自転車で機嫌よく帰ってきた
嫁がその坂道で転んで酒瓶はみごとに割れてしまった。嫁が1ヶ月必死に働いて
ようやく買ったのに家の目の前で割ってしまったのがひどく切なかった。
今でこそ普通に買えるけどその当時にしたらかなりの高級品だったのでなおさら・・・。
もう30年前の出来事です。
>>217 「その思い出は貴重だぞ」とか説教垂れようと思ったら、
我輩よりはるかに人生の先輩なのであった。
50歳になっても2chする人いるんだな
ネットする人なら2chくらい見るでしょ。
だいたい、50代板だってあるし。老人だっているよ。
18の頃、めちゃくちゃ好みの可愛い男の子がバイト先のお得意さんだった。
当時付き合っていた彼氏が、たまたまバイト先に迎えに来る日に
その男の子がやってきて「今日、バイト終わったら話したいことがあるから」と
胸がドキドキするようなことを言って、こちらの返事も聞かずに去っていった。
当時は携帯も普及しておらず、バイト先を出たところで彼氏が走り寄ってきて
「今日友達からイボ付きゴムもらっちゃったよ!朝までガンガンがんばっちゃうぞー」みたいな
やる気マンマンハッスル宣言をされた。当然その後ろには例の可愛い子チャンが・・・
後にも先にも、あそこまで自分好みの男子に出会ったことはない。
>219
嫁が怪我したら、>217が遊んで酒が呑めないものな
私と下の弟はものすごく仲が悪かった、5つ違いだが、上の弟は優等生で
優しく、我侭で乱暴者タイプの弟は小さい時から手がかかるので、嫌い。
自分の物をよく壊されたり、暴れたり、でも両親には甘やかされてるし。
小学生の頃はよくぶったりしてた。その後も親がしょっちゅう学校に呼び出されたり
我が家のガンだな、、あまり関わりたくないな、は〜ぐらいの感情しかなく下の弟
は嫌いって何処でも公言してた。喧嘩も絶えなかった。。
弟が大学入ったぐらい、普段、ほとんど口きいてなかったんだけど、ある時ふと
「俺が子供の頃のアルバムみたけど、、、お姉ちゃんは俺の事が好きだったぽい感じだったよ」
と突然言われた・・・・・
突然だったけど、一瞬でどの写真みたのかすぐ判った。ふっくらでまるまるしてた0歳の弟と
それを重そうにいっぱいいっぱいに抱きかかえ、ものすごくご満悦の幼稚園生の私だ。
間髪あかずに「うん、そうだよ、当たり前ジャン」、て答えてた。
突如それまで20年以上も忘れてた記憶が甦って自分がどんだけ弟の事が好きだったか
説明しちゃったよ。年の近い上の弟より下の弟の方が物心ついてたから記憶があるんだよね。
赤ちゃんがいる事を教えられてから毎日母親に「名前をつけさせて」とせがんでた事
母親は適当に「うんうん」と答えてたから大喜びで名前を考えて親戚じゅうに手紙で送っちゃった事
(その後両親が勝手に名づけたので、私は親戚や幼稚園で立場が無かった)
ミルクやりやお風呂やもっと色々世話したいのに、全然やらせてくれなくて、オムツを捨てに行く係に
されて毎日憤りを感じていたこと、ほんと急にその時思い出したんだよね
それまでの関係で当たり前なんだが、弟が「好きだったぽい感じ?」なんて、愛されて無いみたいな
口調で話すので自分もむきになって弟をかわいがったエピソードを語っちゃったよ。。
その後は逆に突然仲良くなった。ホントは小学生のときに一緒に遊びたかった、プールや映画、ラーメン食べ行ったり
お互い、いい年で彼氏彼女いるっつーのに、子供の頃可愛がってやれなかった負い目というかついご飯作ったり、
大人になってから甘やかしちゃったよ。。。両親や上の弟と一緒に海水浴やスキーも行った、皆働いてて忙しかったけど
私が家出る前に、どうしてもって思って無理やり企画した。
周りには昔から家族仲良かったみたいに思われてるけど、奴のあの一言が無かったら今みたいにはなってないな
私の結婚式ではお色直し2回で弟達にエスコートしてもらった。こないだ奴の結納に花贈ったら電話かけてきたので、
妊娠報告したら「お姉ちゃんがねぇ〜〜」と感慨深そう。「俺の名前つけてもいいよ」って、つけねーっての
私姉が一人居て2つしか離れてないから友達みたいな感じで小さい頃あんまり仲良くなかった
「私の事お姉ちゃんってよばないで!」とか言われてたからなおさら
で、中学生になって姉と同じ中学に入学したんだけど
もう絶句。女子校だったんだけど結構陰湿ないじめにあったおかげで不登校になった。
不登校の間はなす相手もろくに居なかったんだけどそのときまで中悪かった姉に相談、というか愚痴こぼしたら
「はあ!?なんであんた黙ってるんよ!そんなやつら殴ってやれ!」
とか言われて目からうろこ よく姉の部屋に遊びに言った
姉も姉で結構いやがらせされてたりしたから愚痴も聞いたりしてた
んで無事におたがい卒業した。
いまでは体引っ付けあったり一緒に買い物行ったりしてる。
切ない中学時代だけどそれで逆に親密になれてよかった
駄文スマン。
>>228 いい話や、ホロリときた
自分も7つ下の弟いるから余計
昔っからねーちゃんとは仲良いから、仲が悪い兄弟が信じられん
234 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/24(日) 19:38:59 ID:lWNUP2a/
15年ほど前の話。
ファースト○ッチンでバイトしてたんだが、俺を含め近所の高校生が店を「ファーキチ」とか
「ファッキン」とか呼ぶようになった。で次第に音の感じのいい「ファッキン」に定着していった。
田舎だったからか「ファッキン」の意味を誰も知らなかった。店長がなんか燃えてて
「あなたの街の陽気なファッキン」だの「ファッキンに集まろう友だちの輪!○(←手で輪を作るマーク)」
だのチラシに書いて新聞に折り込んだ。俺も誇らしい気持ちで配ってた。
今思うと外人+日本人カップルがブボッてなってたっけ。
大学に入って好きになったコに
「ファッキンのバイト最高だヨ?」とか「ファッキンは肉の味がいいゼ?」とか
氷室京介っぽく言ってたの思い出すと死にたくなる。
235 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/24(日) 21:32:08 ID:NVnTXscO
いや本物の氷室なら許されそうだ
234はホンモノじゃないから許されないってことだね
何年も前だけど、上野で歩いてたら、女子高生の三人組が
「今日どうする〜?」「ファッキン行こうぜ〜!!」とかいって
大声で歩いていたのを思い出したww
周りにいたリーマンOL、学生がぎょっとした顔でみんな振り返っていたw
>>234 15年前なら、テレフォンショッキングで友達の輪やってたかw
>>234とは逆だが。
洋画ヲタで英語のスラングに詳しかったせいで「ファッキン」と略すのに抵抗があり
他の皆が「ファッキン」と言ってるのに一人だけ略さず「ファーストキッチン」と言ってた。
わざわざ長いまま言って変な奴と思われてただろうな。
別になんとも
小学校の時、学校が終わって、
一緒に帰った友達と後で遊ぶ約束をした
家に帰ったら母親が
「今日は近くの店のお菓子を買いに行こうよ!!!」
と目を輝かせながら言った。
多分、その数日前に自分が食べたいと言ったせいだと思う
言い辛かったけど「友達と遊ぶから…」と言ったら
あ、そうなの…と寂しそうな顔になった
その後友達と遊んだけど、あの顔を思い出して
なんとなく哀しかった
そんな母は今…
さっき起き出して来てトイレに入った後、
自分の部屋の前で立ち止まり
「め○らになるからパソコンをやめろ!!!」
と叫んでまた寝てしまいました
例のお菓子も自分が食べたかったらしく、
次の日に家に帰ると買ってありましたとさ
父が再婚後にできた妹が死んだ。
もともと体が弱くて長くはないかもしれないと言われてたんだけど
それでも8歳までがんばって生きた。
病室のベッドで横たわる妹に泣きついていた義母が
鬼の形相で私に殴りかかり、
「お前が死ねばよかったんだ!」
って言われたよ…
「○○子(私の実母、死別)がねたんだんだ、私の子を連れて行ってしまった、
どうして私の子なの、自分の子を連れて行けばいいでしょう!
なんて女だなんて女だ……」
そう言いながら羽交い絞めされつつも、転んでる私を必死に蹴ってきた。
当時私は14歳だったけど、妹は本当の妹だと思ってたし、
喧嘩もしたけど、大好きだった。
義母も優しく厳しく、本当に信頼してたし愛してた。
なんと言っても3歳から一緒にいて、実母の顔もあんまり覚えてないから。
その後私は義母と暮らす事が嫌でそのまま母の実家に転がり込んだ。
そのまま逃げ続けて15年、結婚したんだけど何も言ってないや…
父が悪いわけじゃないし、今では義母も反省してるらしい。
子供を亡くした瞬間の親に理性を求めてもしょうがないのもわかる。
でもどうしても説明しにくいけどとにかくダメだ……
イ`
244 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/26(火) 20:58:16 ID:PikryBjE
いやその義母は異常、それが本心だったんだろうね
2重人格
246 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/26(火) 21:27:41 ID:uKZ5o0MY
>>242 許してあげなよ
娘亡くした母親の気持ち、今ならわかるんだろ
継母叩きイクナイ
本人が許す気になるまで
別に許さなくてもいいと思う。
継母だから忌避しているわけじゃないし。
なんとも言えないな…
妹が一番寂しがっていそう(⊃д`)ツライ…
249 :
242:2006/09/26(火) 22:51:40 ID:exLVM9N3
許せないわけじゃないんだよね、わかってるから。
妹だってだけでもあんなに悲しかったのに
生まれてからずっと苦しんでいた娘を見てた義母はもっと苦しかったとも思う。
義母を叩くとかいうつもりもなくて
ただひたすら切ないだけ。
正直怒ってもいない。
ただそういう風に思ってたのかと思うだけで辛い。
一瞬とはいえ完全に憎悪の対象になった事が悲しかったのよ。
お父さんとも会ってないの?
>>249 納得が行くまでじっくり考えて、焦らない方がいいと思うよ。
まぁ色々あるさ。
それまではちゃんとよくしてくれてたっていうし、
どうしようもないことも人生にはあるということで。
>>249 > 一瞬とはいえ完全に憎悪の対象になった事が悲しかったのよ。
わかる。よくわかる。
私の場合は・・・とか言う気は全く無いけど、本当によくわかる。
近くにいれば、いつかその思いも新しい思い出に消えていくかもしれないけど
時間だけでは解決できない切なさだね。
いつかその切なさから解放されるよう祈ってる。
>>242 いくら、取り乱してたからって、吐く言葉じゃないと思う。
再婚する際、
>>242を娘と思って育てる覚悟をして夫婦になって
ないから、そんな思いを抱いてしまったんだろうな。
ってか、「実母が連れていったんだ」とか、もともと感情的で
理性的に考えることができない人のようだから、そういう人に
ちゃんとした母親を期待するのは無理があるのかもしれんが。
父親とも連絡をとってないのであれば、関係修復は難しそう。。
まあ、機会があれば、焦らずに。
255 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/27(水) 07:45:33 ID:t9NuCf8F
>>242 逆に考えるんだ。
一瞬で良かったと考えるんだ。
それを10年以上やられると人は狂うよ。
>>255 ジャースター卿の御言葉です。心して置くように。
ジャースター?w
なんか急に間抜けになったなw
258 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/27(水) 09:28:07 ID:10N4oww8
義母の錯乱時、父親がどういう態度だったのかが気になる。
無理にやり直そうとかしなくていいと思う。
いくらなんでも、一生心の傷になる言動をされたんだし…。
義母さんも反省はしていても、もうどうしていいかわからないだろうね。
なまじそれまでに二人の間に絆があっただけに、かなりきつかっただろうね。
>>254 女性に「理性」を求めるか。
木に依りて魚を求むるが如し。
自分なら人間不信でスーパーDQNになってただろうな。
これからそいつも歳とって
>>242に縋ってくるだろうけど、俺なら
貴女に「お前が死ねばよかったんだ!」と言われた時から居ない者
として今まで生きてきました、今更何ですか?って相手にしない。
242の理性的な語りが切ない。
多感な時期にそんな思いをしたのに歪まずに来れて偉いと思う。
世の中駄目なもんは駄目ってことあるよな…
娘は母親を二度なくし、
母親は娘を二人なくした…
哀しすぎるよ〜
>254
「覚悟」とか「理性的に」なんて端から言える話じゃないと思うがね。
「覚悟」できていたと思っていても、いざその場になったときにどう
振る舞ってしまうかなんて、誰にもわからない。
「日暮れを見たことのない者には、必ず暗闇を歩いてみせるとは誓わ
せぬが良い」お話の中の言葉だが、真理だと思うよ。
時には実母ですら、「あんたが死ねば」と言うことすらあるんだし。
>242さんもそれはわかっているわけだしね。「頭でわかっている」の
と、感情でどうかというのは、全く違う話。私も>259氏の
>無理にやり直そうとかしなくていいと思う。
に同感だな…。
>>266 >「覚悟」できていたと思っていても、いざその場になったときにどう
>振る舞ってしまうかなんて、誰にもわからない。
取り乱したとしても、あの言葉はないだろう。
子どもを前妻に連れて行かれたとカルトめいたことを
言っているのも、まともなモノを考えられる人間とは言えまい。
>無理にやり直そうとかしなくていいと思う。
同意。
268 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/28(木) 01:02:17 ID:XFJNtSYf
小学校時代 修学旅行の写真を注文するとき 当時好きだった女の子がとても可愛く撮れている写真があったのでコッソリ注文したのだが。
そのことが本人含める女の子グループにバレて、好きだった女の子に泣きながら返せと言われた
ちなみにその女の子は好きな男の子の写真を買っていたらしい。
自分はいいのかよ・・・・・
ホモが自分の写真持ってると考えたら身震いするだろ?
でも、俺は黒木瞳のポスターを部屋中に貼っている
そういうこと
こんな自分でも産んでくれたカーチャンに感謝
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/baby/1158417796/11 母のお弁当
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華や
かとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。友達に見られるのが恥ずかしくて、
毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大
好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそ
り中身を確認した。すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪い
し、とても食べられなかった。家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこ
く尋ねてきた。私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜って
いたので「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく
言ってしまった。母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らな
くなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日
記が出てきた。中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。
「今日は〇〇の好きな海老を入れた。相変わらず体が思うように動かなくてぐちゃぐちゃ
になったけど…喜んでくれると良いな」
何で『…しょい!…っしょい!』食べて『わっしょい!わっしょい!』」 あげなかったんだろう…
『わっしょい!わっしょい!おらぁっしょおーい!』どーん。
棺の中から御輿が顔を出していた。
よく見ると御輿の上で軍配?を振り回していたのは 三角布を付けた母だった。
軍配には『どっきり大成功』と書かれていたらしいが見えなかった。
盛大な葬儀には700万円かかったらしいが香典は全部返せと言われて持って帰られた。
今でも後悔と情けなさで涙が止まらない。
>>267 覚悟とか関係なく、子供が死んだら親は狂うよ。
実の子供にだって「あんたが見てなかったから妹(弟など)が死んだんだ!」と言う
親もいるしねぇ
まああんまり賢い親ばかりじゃねぇってことよ。
いくら辛い目に遭おうが言っていいこと、悪いことってのはある。
禁句を言っちまうような親は、親になる覚悟が「らくがん」より甘ぇのよ。
そこを子供の前で「だけ」は耐えて見せるのが本来じゃないかねぇ。
>>271 久しぶりに見ました。
実の親でもそんな事言われたらしこりが残りそう。
恨むって言うより、兄弟の死がショックならショックな分だけ、
親は自分をそんなひどい罪を犯す極悪人だと思えるんだと怖くなりそう。
ネットを始めて間もない頃、ドキドキしながらメル友を募集してみた。
「元売り子の21才です(^-^*) 一緒に球場行ける友達欲しいな★」
ナンパ目的の野郎からしかメールが来ない。売り子=女と思ってるようだ。
謝れ。売り子野郎達のスネ毛に謝れ。もう一度チャレンジ。
「元売り子の21才男です(^-^*) 一緒に球場行ける友達欲しいな★」
アッー!からメールが来た。何だユニズリって。淫乱種付けビール満タンって。
観戦友達が欲しいだけだったのに・・・
276 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/28(木) 16:49:36 ID:qI5H7xZV
書き込み方が悪いんじゃね
「元売り子野郎の21才です(▽-▽) 一緒に球場行って殴り合い出来る友達欲しいな。Д。」
278 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/28(木) 18:57:39 ID:U44dF/eD
ブスな私はこの夏の休暇で帰省して、母親に、
ついに処女を失ったと打ち明けた。
「まぁ……。どうして、そんなことになったの?」
ショックを受けた母が尋ねた。
「大変だったわ」と私は答えた。
「仲良しの友達が三人がかりで彼を押さえつけてくれたの」
279 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/29(金) 14:19:02 ID:RNgAjwKa
好きな子にコクってふられた腹いせに
近所の空地(←周りから見えにくい。ストレスたまって
ちょっと危ないことしたくなるとオナニーとかしてた)で
チン毛を毟ってたら
厨房どもに取り囲まれてカツアゲされた。
周りから見えないのをいいことにああゆうおはどうだうろ
280 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/29(金) 14:24:56 ID:RNgAjwKa
ああゆいうのはどうだろう
間違えた
281 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/29(金) 14:26:07 ID:RNgAjwKa
あ
282 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/29(金) 14:26:53 ID:RNgAjwKa
ゴメ途中送信
ああいうのはどうだうろ
切ないスレで、他人の腹を痛くさせるのは、どうだうろ?
ちゃんとした日本語を使えないから
フラれたんだと思う。
285 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/29(金) 14:49:15 ID:NHaVVwyE
昔,療養施設で働いていた時,難病になった資産家の奥さんが入院してきた。
でっかいルビーの指輪してて,「息子が3人いて,上の子は東大出て○○省で仕事しているの。
2番目はアメリカの大学院を出て…」ってな調子で自慢していた。
でも誰の面会もなかった。
あるとき,その人のところに息子と思しき男性と数人の面会者が訪れた。
「あぁ,息子さんが来たんだ。よかったねー」と思っていたら,
その人がしていたルビーの指輪を鑑定し始めて,無理やり金の指輪に交換してさっさと持って帰ってしまった。
ベッドに横になったまま,替えられた金の指輪を眺めてたその人の横顔が寂しそうだった。
他人がとやかく言うことではないけど,なんか悲しくて切ない場面でした。
自慢話って自分を守るためにするものなのかも
しなきゃ自分のプライドが保てない
しなきゃ自分が壊れちゃう
長文だから面倒な人はスルーして下さい。
私は子供の頃から6歳上の姉が嫌いだった。
我が儘、強引、意地悪、頭悪い、最悪な姉。
姉も私が嫌いだとよく言っていた。
だから私が中学の頃に姉が家を出ていって、せいせいした。
なのに頻繁に電話してきては長電話に付き合わされるし、しつこく
私の近況を聞いてくるし・・うざい事この上なかった。
けれど、高校受験等の愚痴のはけ口くらいにはなるから電話に
出てあげてる、という感覚だった。
時間は過ぎて大学受験の時、私は初めて壁にぶちあたった。
私はずっと優等生だったから、家族はみんな優等生の私に期待してる。
でも私は応え切れない、辛くても甘えだと言われてしまう。
どうしたもんだろうかと悩んでいた。
そんな時に姉から電話がきて正直ウザーと思った。
でも姉の声を聞いた途端、私は泣いてしまった。
自分でも驚いた、泣く程辛かったつもりはなかったのに。
姉は訳も聞かずちょっと待っててと言って電話を切った。
もう夜だったのに2時間もかけて実家に来て、話を聞いて一緒に泣いてくれた。
そんなに無理しなくていいんだよって。
そして父、祖父母と喧嘩してまで話をしてくれて私は行きたい
大学に行ける事になった。
姉はその足で帰り、翌日はおそらく寝不足で仕事を熟したんだろうな。
私は姉の行動に驚いていたけど、母は当たり前のようにお姉ちゃんはあんたが困るといつでも来てくれるねと言った。
昔からそうだった、相手が誰であっても私を守ろうとしてた、でも私が姉より友達と遊ぶようになった頃から姉はいわゆるツンデレのようになった、寂しかったんだねぇきっと、なんて言われて切なくなった。
なんで解ろうともしなかったんだろう、私の方が頭悪いじゃん。
一緒に暮らせた僅かな時間だったのに勿体ない事しちゃったな。
いいお姉さんだなぁ。うらやましい。
289 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/29(金) 23:07:39 ID:Q71RHihO
279ー282 落ち着け
>>286 >自慢話って自分を守るためにするものなのかも
盲点だけど、これはほんとそうだよな。
おれは、昔は自慢ばかりしてたけど、今は自慢話をしなくなった。
特に何かに優れてるわけじゃないけど、いつのころか、人は人と考えられるようになった。
つまり、おれは成長したってこと。大人なおれは、かっこいい。最強。
まだ自慢してるじゃんw
292 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/30(土) 02:02:52 ID:FyaeImHE
293 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/30(土) 02:51:21 ID:ckPR9mEe
うちのすぐ近所に住むおばちゃん。
私が小学校に上がったばかりだった頃、妹(幼稚園)が
習い事をしていて母が付いて行ってたので学校から帰ると
おばちゃんちに預けられていた。
何もすることがなく退屈そうな私におばちゃんは
私が絵を描くのが好きだからとペンのセットを出してくれて
「好きなだけ描いていいよ〜」と。
大きくなって本格的に画材買うようになってからあの時のペンのセットは
イラストレーターの人が使うような高価な物だと知った。
中学生の時、おばちゃんが「○○ちゃん(私)と××ちゃん(妹)ロマンスカーで小田原に行かない?」
と誘ってくれて最初は「うん!おばちゃんと行く!」と返事をした。
だけど思春期だった私は当日になり
「やっぱり近所のおばさんなんかとお城見に行ったりするのダサい、格好悪い」
と思い「やっぱり私行くのやめる〜」と言っておばちゃんは妹と2人だけで行った。
そしたらおみやげをたくさん買ってきてくれた。
あれから15年、今年に入っておばちゃんが倒れて
寝たきりになり自分では食事もトイレも介助してもらわないといけない状態に・・・
もうおばちゃんとは遠出できない・・・
あの時一緒に行っていればよかった・・・
せめてもの償いに、私がどこか出かけたら、自由に出かけられない
おばちゃんのために写真やビデオを見せてあげようと思っている。
高校入って最初の友達が多分創価だった。
「創○大学行く」「うち仏教だから」と言ってたから。
別に創価だからって何も特別なことは無かったけど、性格がひんまがってたのがなあ。
295 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/30(土) 11:42:09 ID:7jTgaF1Y
↑どこがせつないの?
294の頭の悪さ。バカさ加減がせつない。
子供のころから行っている近所の駄菓子やさん
今日ガムを買いに行ったら「どちらに行くんですか」って敬語で言われた
いつも行ってたから、駄菓子やさんは私のことをもちろん知っている
だから一人の客として扱われて、あぁ大人になったんだなぁって思った
同時に、私の中で子供っていう期間が終ったのを感じてちょっと切なくなった
100円もらってドキドキしながら買い物した頃に戻れないのと
これから、うまい棒とかが懐かしく感じる年になっていくのかと思うと
やっぱりちょっとさみしい
駄菓子やのおばさんの一言でこんなこと考えてる自分は何だか笑ってしまう
私には9歳上の姉が居る。
小6の時ちょいと不登校になりかけた私を心配したのか、それまで喧嘩ばかりしていた姉は映画を観に行こう、遊園地行こう、パフェ食べに行こうと誘ってくれた。
その辺から仲良くなったかな。
私は今30で姉は39。
この前ふと昔を思いだし、久し振りに姉を食事に誘った。
もちろん奢るつもりで誘ったんだけど、『いいの』ってお財布出すのを拒む姉。
私は小さい時、大人〓お金を持っていると思ってたから、姉が何か買ってくれたりご馳走してくれるのは当たり前と漠然と思ってた。
でも今考えたら姉は当時大学生で、アルバイトも週2、3程度だし、たぶん彼氏も居ただろうし、あんまりお金無いはずなのに私にかなりお金使ってたはず。
帰宅して『あの時(不登校のころ)いっぱい奢ってもらってごめんね。今日はその時のお礼がしたくて誘ったんだ』とメールしたら、『あの時は私も楽しかったから。○○(私)がジェットコースターで得意げな顔してるのは今でも良い思い出(^-^)』と返事が返ってきた。
大人になって兄弟の有り難みが分かったよ。姉ちゃんありがとう、ダメな妹でごめんね。
携帯から長文&見づらかったらスマソ。
>>298 ええ話や
お姉ちゃんといつまでも仲良くな。
300
302 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/30(土) 17:16:51 ID:p2J8VOKj
姉いいなぁ〜
兄じゃ何の役にもたたねぇよ
304 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/09/30(土) 22:02:34 ID:0Y3Kp/0R
保育園年長組の時、私の上履きがなくなった。
組のみんなと先生で教室の中探してて、何となくゴミ箱の蓋を開けたら、そこにあったので先生に「見付かったよー」と言った。
先生はみんな(7人くらい)を椅子に座らせ、私を前に出させその側で上履きをもって怖い顔で「これを捨てた人、誰?」と言った。
結局誰も名乗り出なかった。
保育園生がそんな典型的ないじめをするのか、嫌なことあったら面と向かって言うんじゃないかとは思うけど多分あれはいじめだったんだろうな。
だが当時の私は「上履きを誰かが間違って捨てたんだ」と思い、
誰も名乗りでないのは私が怒ってると思ってるからなんだろうな、
名乗り出たら怒ってないよ気にしないでって言うのになとも思っていた。
なんか当時の人を疑わない心と自分のアホさ加減と保育園で既にいじめかよと言う気持が…切ない。
俺なんか、いじめをしてた側なのに、その自覚がなかった
そんなアホな自分にあぁ〜
>>304 保育園年長くらいで、そんな露骨な苛めを思い付く子供のほうが恐ろしいわ。
子供は純なほうが可愛いよ。
アホではなくて、ちょっとポーっとしてる子だったんだと思われ。
307 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/01(日) 13:14:13 ID:JqM6u4Gu
今ではすっかり心はもろもろの理由で汚れてしまいました
308 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/01(日) 13:16:57 ID:q3DzyO6R
>>304 私も全く同じ経験あり!筆箱だったけど…
あの頃は憎しみという感情を持っていなかったような気がするw
兄が、小学校低学年の頃の「じぶんのゆめ」というテーマの作文に、
「パイの実をひとはこぜんぶたべたいです」と書いた。母はそれを見て笑った。
弟が、小学校高学年の頃、家庭科のテストの「洗濯はいつやるでしょう?」という問題に、
「夕方」と書いてバツをもらった。母はそれを見て笑った。
わたしが赤ちゃんの頃、年子だった兄はわたしの哺乳瓶をとりあげて、
自分で飲んでしまっていたそうだ。わたしはそのたびに大泣きしたらしい。
そう云って母は笑った。
笑う母が今でも嫌いだ。
310 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/01(日) 13:46:27 ID:JqM6u4Gu
う〜む
愛を感じてないようですね
311 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/01(日) 13:51:35 ID:625nDsOe
>>310 どこに愛があるのか教えてほしい。
>>311 貧乏で子ども一人ひとりに個別のお菓子を買ってやれなかったのも、
洗濯を夕方にしていたのも、
命綱の哺乳瓶をとりあげられて子どもが泣いていたのも、
すべて自分の責任を覚えず、関係なさそうに笑う母は無神経なんだと思います。
傷つくというより、不信感の方が強かったですね。
313 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/01(日) 14:09:40 ID:625nDsOe
315 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/01(日) 16:03:00 ID:wEp2Qjlo
>>309 >「洗濯はいつやるでしょう」
ごめん。正解がわからん。
316 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/01(日) 16:17:57 ID:JQu2FhtW
>>315 朝、で日中干して夕方取り込む ではないかと。
317 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/01(日) 16:22:37 ID:ZLCQBUpF
自分は
>>309を読んで充分母ちゃんの愛を感じたがな〜
ま、そのうち自分が子供持つようになったらわかるよ。
夢にまで見た憧れの女のマンコの匂いが
俺の包茎チンポの皮を剥いた匂いと同じだった思い出。
320 :
315:2006/10/01(日) 16:31:08 ID:wEp2Qjlo
321 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/01(日) 16:35:34 ID:Aa6tXLVY
>>316 そういう意味じゃないだろ。時間帯を問われてるんじゃないと思うぞ。
俺は「衣類が汚れたら」が正解だと思う。
保育園年長の思い出。
同じ組にとても仲の良い男の子がいた。
彼は色白でかっこ良くて優しかったが、なんとなく影の薄い子だった。
いつも私の方が早くお迎えが来るのだったが、卒園間近に彼のお祖父さん
がお迎えにやってきて一緒に遊んでいる私に「いつも○○と遊んでくれて
有り難う」と丁寧に言い「○○は、1年遅れて小学校に行くことになった
から××ちゃんが2年生になっていても仲良くしてね」と言われ、きっと
仲良くすると約束をした。
彼は私が2年になっても3年になっても小学校に入学してこなかった。
難病で、卒園後まもなく亡くなっていたらしい。中学校に入ってから当時
彼と家が近くでお葬式に行ったと言う同級生に会うまで知らなかった。
私はずっと、どんなに学年が違っても仲良くしようと彼を待っていたのに
と、今でも悲しいような悔しいような気持ちになる。
323 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/01(日) 18:07:18 ID:JD3rRTWM
>>318 笑うという行動だけ見れば、色んな受けとめ方はできるけど
根底に愛があればそう感じるはず。この場合当事者の心境が一番正しいはず。
一人暮らし始めて三年くらい経って初めて帰省したらオカンが抱き付いてきた。ちょっと泣いてた。
それまで自分に関心ないと思ってたけど実は寂しかったみたい。
晩飯は好物ばっかだった。
その日からまた四年くらい帰ってないけど。
>>324 すぐ帰れ。
>>309の洗濯の問題が難解過ぎる件。
そんな各家庭の生活状況に依存する問題出すな。
汚れたって洗濯してもらえない子もいるのにな。
父親(母親)参観くらい配慮が足りん問題だな。
しかし309の母は別に取り立ててヒドイとも思わんなぁ。
繊細というよりは「自分カワイソス」が強いように思ってしまう・・・。
うん。お母さんが洗濯する時間が夕方で何が悪いんだか。
それをバツにされて309はどうしてほしかったの?
「ごめんね、お母さんがこんなんであんたに迷惑かけてー」
って泣いてほしかったのかな?
たいした事じゃないじゃん。
知人ににてるわ、自分カワイソス。
夜遊び禁止されて電車で3駅離れた姉の家に家出、
そこから高校に通いつつも当然家に居たときと同じような食生活は出来ない。
それを「すっごく寂しいの」とか
「夜中帰ってきて冷蔵庫の中のお姉の残したもの食べてたらすごい切なくなって」
とか言いながらボロボロ泣いてたな。
だったら家帰れよ。
親の愛情と家庭的な物と心配とを捨てて、
男と朝まで遊んで歩くために家出したんだろ、と。
何でこの人こんなに自分に甘いんだろうと驚いたよ。
327 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/02(月) 11:45:23 ID:9REpCJ62
>>309はそういう話なのか?
欠落してんじゃね?
328 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/02(月) 11:56:17 ID:kGatd7+C
とても貧乏だったので、電気を止められた時とか辛かった
親は帰るのが遅くて暗い部屋で窓から外見て帰ってくるの待ってた
>>328 貧乏だったかも知れんが、おまいさんには
「窓から外見て帰ってくるの待ってた」程の親御さんがいるじゃまいか。
心に親がいる人ってのは、いない人から見ると羨ましいぞ。
それをバネに貧乏だった事なんて吹き飛ばすくらいガンガッテくれ!
いや、328が暗いおうちで親御さんをさびしく待っていたのではないかな?
いや・・・だから、
帰ってくるのが待ち遠しい程の親がいるんでしょ?
わざわざ引用部分に「」まで付けてんのに
人それぞれなのに、いちいち突っ込むな。
人それぞれで済んだら、コミュニケーションの6割は不要になるような気がする。
>>334 それを言い始めると、みんな同じだったら、コミュニケーションの10割は
不要になるような気がする。人それぞれだからコミュニケーションが必要。
一卵性双生児でも別の人格に育つんだよ
誰かがATフォールドとか言い出す前にやめような
みんな大好き。
>>335 いや、そうじゃなくて、「人それぞれ」って結論が出たところで思考停止して済ませるんだったら
コミュニケーションはいらないよね、ってこと。
「済んだら」をスルーしないでくれ。
違う違う、人それぞれつーのは、人それぞれ切ないことの尺度やら
感性が違うんだから、いちいち「自分の方が不幸だ」とか「そんなの別に・・・」等と
突っ込むなってことよ
そんなことを言い始めたらきりがないし、難民に比べればとか
極論になっちまうから
ヘノレスの事。
この流れ自体が切ない
小学4年生の時、弟が電車の中で吐いてしまって、
乗ってたおばさんが親切でとりあえずゲロを始末してくれて、お礼も満足に言えず電車から降りて
電話をかけようと改札口に言ったら電話が改札口の外で、「一回出るとまたお金取られるよ」と駅員に言われて
それでも電話を掛けに行って、ゲロまみれの服をプンプンさせながら待ってたホームに迎えに来た母親が無責任に笑ってて、
トトロのメイを観ると一連の流れを思い出して切なくなる。
メイじゃなかったサツキだ。もうどっちでもいいや。
348 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/05(木) 00:39:49 ID:bJilu6wz
とある時計メーカーで技術職をやっていた親父。
仕事が好きで頭も良く、会社でも信頼され技術面ではかなり貢献していたらしい。
とにかく酒が好きでタバコも1日2箱。普通ならいつ死んでもおかしくないような生
活だったのに健康診断でも何も見つからずに安心していたらクモ膜下出血で会社で
倒れた。
1命は取りとめたものの、全身動かず、しゃべることもできない。そんな状態
が1年近くも続いたが、お袋は定年間近だった会社も辞め、親戚の結婚式以外、
1日も休まずに病院へ通った。俺もたまに見舞いに行ったが、回復の兆しもなく
、寝たきりの親父を見て可愛そうと感じる事しかできなかった。
俺は3人兄弟。姉と弟は頭も良く優等生。だけど俺は勉強が嫌いで高校も地域で
底辺の位置にある学校へ進学。ろくに学校にも通わずに遊びまわり親ともよく
衝突していた。「お前ら上と下だけ良けりゃ俺なんかどうでもいいんだろ」みた
いな事を言って兄弟で一人だけグレていた。そんな俺でも一応人並みに就職して
別に親とも普通に接し、落ち着き始めた頃の事だった。
そんなある日、誰にも看取られることなく病院のミスで親父が死んだ。親父の
亡骸にすがり付いて泣くお袋を見て泣いたが、純粋に親父が死んだ事が実感でき
ずにただ「長男の俺がしっかりしないと」と考えるだけで、親父が死んだ事に
対しては比較的落ち着いていたと思う。
日程が悪く、葬儀まで3日程、家で待つことに。いろんな人が尋ねてくる中で、
学生時代からの親父の親友が見てられない位の憔悴ぶりで親父の事を俺に話し
始めた。
祖父の葬式の時の話。
住職の読経中、ふと殺気を感じ後ろを振り向くと
そこには頭髪がエマージェンシーな親類男性一同。
また殺気を感じ祭壇を見れば同じくエマージェンシーな
遺影のなかの祖父の頭髪。
将来の自分を想像して切なくなった。
351 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/05(木) 08:30:21 ID:o/TuNEO7
初カキコ。携帯&駄文スマソ。
昨日嫁が教え子の結婚式から帰って来るなり号泣。訳を聞いた所、私も号泣してしまった。長くなるけど良かったら読んでくれ。
私の嫁は小学校の担任をしており、小学校5年生のクラスを受け持ってた時の話。
私が実家の近くの小学校に就職して3年たち、初めて5年生、高学年の生徒を受け持つ事になった。
5年生のクラスは二つあり、1組と2組に分かれていて、私は2組を受け持っていた。
2組の生徒の中にちょっと変わった生徒がいた。
髪の色がちょっと茶色がかっており、授業中も授業もまったき聞かず、一人で別の事をしていた。
何度か呼び出して注意と話を聞こうとしたが、何も答えてくれなかった。
はっきりいって私はこの子が嫌いだった。
新しいクラスにも大分慣れた6月の半ば頃、その子が問題を起こした。
同じ学校の6年生がその子(以後翔太)にイチャモンをつけたことからはじまり、喧嘩になって6年生に怪我を負わせたのだ。続きは夕方・・・
うんち
なんだ、続きは夕方かよ。
嫁と>351が共に小学校の先生でなおかつ、学校は違う?が同じ5年生の担任をしていたってこと?
翔太と、嫁が担任していたクラスの児童が何らかの形で繋がっていたと予想。
翔太と6年生との喧嘩の理由が、嫁の教え子の結婚式で判明したと推測。
俺が幼稚園の頃、いつも仲良くしてた近所のYちゃんって子がいた。
幼稚園の行きも帰りもいつも一緒。
週末も時々家族同士でキャンプに行ったりもした。
そんなある日、幼稚園で楽しく遊んでたら、Yちゃんのお母さんがひどく怯えたような顔をして
Yちゃんを迎えに来た。
続きはまた来週。
引っ張りブーム到来
357 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/05(木) 12:28:54 ID:pjzSh5Jd
長文投下するならまとめて投下して下さいな
こういうことしたがる男性脳ってあるんだろうな
360 :
351:2006/10/05(木) 17:54:22 ID:o/TuNEO7
>>351の続き。
この事件の事で私は校長に呼ばれた。
校長の話では子供の素行が悪くなるのには何かしら原因があるらしく、私は翔太君が嫌いでしたが、何故か気になって翔太君の事をちょっと調べてみる事にしました。翔太君の1年生〜4年生までの記録(教師用)を見てみると
1年生⇒成績優秀で明るく活発。クラスのリーダー的存在。
2年生⇒母親が倒れる、忘れ物が目立つ
3年生⇒母親の病状が悪化、遅刻、欠席が目立つ様になる
4年生⇒母親が他界。父親との父子家庭になり。父親は母が死んで酒癖が悪くなり翔太に暴力を振るう事がある
と綴ってありました。
私はこれをみて涙が止まらなくなり、なんとかして翔太君の力になりたいと思い、翔太君に『先生毎日お仕事で遅くまで教室でお仕事してるから勉強の事とか友達の事、何でもいいから相談しにおいで』と伝えました。
普段仕事が残ってる時は職員室でやりのですが、誰もいない教室の方が翔太君が気軽に来れると思い、毎日教室で待ってました。しかし1週間たっても翔太君は来ませんでした。
ここまでの要約。
初めて高学年の担任となった5年生のクラスに、問題児がいた。私はその子が嫌いだった。
ある日その問題児童が問題を起こし、校長から原因を調べるよう叱責された。
調べてみると、低学年のころは成績優秀で明るく活発だったが、
母親が病気で倒れてから問題が目立つようになり、
父子家庭となってからは更に状況が悪化しているようだった。
嫌っていたことを反省し、力になろうと決意して、本人に声をかけてみたものの、
1週間たってもリアクションはなかった。
363 :
351:2006/10/05(木) 19:05:52 ID:o/TuNEO7
続き
1週間たっても翔太君は来ませんでした。それでも私は毎日教室で待ち続けました。
すると私が教室に残る様になって3週間程経ったある日ひょこっと翔太君が現れたのです。
私の顔を見るなり翔太君は
『先生ホントに毎日教室に残ってたね』
『先生、勉強教えて』
と言ってくれたのです。ホントにうれしくて涙が止まりませんでした。
その日から二人でほぼ毎日学校に残り、勉強を教えたり、死んだお母さんの事、最近見てるテレビの話など遅くまで残りました。
成績も凄い勢いで上がっていき、生徒達も翔太君とまた遊ぶ様になりました。
それから月が変わって12月のクリスマス。
その日は2学期の終業式で生徒は学校は午前中で終わり。放課後、翔太君が私の所にやってきて、『先生!今日クリスマスやろ!これプレゼント!』と小さな箱を手渡されました。私にプレゼントを渡すと翔太君は待たせてあった友達と仲良く帰っていきました。
箱を開けると香水が入ってました。なぜかちょっと減ってるけど、とても香りの良い香水。普段はあまり香水とかしない私でしたがあまりの嬉しさに身体にふりかけました。
その日の夕方、翔太君にお返しのプレゼントを買って翔太君の家に行きました。
364 :
351:2006/10/05(木) 19:11:56 ID:o/TuNEO7
>>361まとめてくれてありがとうございます。文才なくて読みにくてスマソ。
ご飯食べて続き書きます。次で最後です。
豚切りです。
小2の時の話なんだけど、ウチは母子家庭で母はスナックのママをやっていた。
ある夜中、目が覚めてなんでだか寂しくなった私はタクシーを捕まえて
隣駅のスナックにいる母に会いに行った。
でも着いたらシャッターが降りた。
お金は母に払ってもらうつもりだったからどうしようかと悩んで、
近くに母の恋人の住んでいるアパートがあるのを思い出し、そこに行ってもらった。
その恋人は小銭貯金をしていて、それを使おうと思ったのだ。(今考えると窃盗)
お金を見つけて運転手さんに見せると、「これじゃ足りないねえ」とのこと。
確かに一円玉ばっかりだったから運転手さんも困ったと思う。
しょうがないから家に戻ってもらったんだけど、やはり母はいなかった。
運転手さんは名刺を出して、「あとでここに連絡して払ってくれればいいから」
と言ってくれた。
このことは母にも言えず、お金は払えずじまい。
さっき思い出した出来事なんだけど、運転手さんにはお金はもちろんのこと、
後味悪い思いをさせて正直すまんかったと思っている。
運転手さんのみが一方的に切ない思いをしたんだと
俺が書類やら投げっぱなしの服やらで汚い部屋で三日は入れずじまいだった風呂に
心地よく浸かりながら苦い錠剤ガリガリして眼を閉じてた時。
そう。お前だよお前、いつも傍迷惑なぐらい隣の部屋で大音響奏でてるお前。
Bzの曲流してたろ。まったく音楽には興味なかったんだけどな、
稲葉が煩いぐらいに『生きろ』って唱えてた。ああシツコイぐらいに叫んでた。
それが何かの三流ドラマみたいに陳腐なタイミングで俺の心臓を殴った。
二分ぐらい聞いた所で気づいたら風呂の中で号泣してた。
すげぇ死にたくない死にたくない死にたくないって思って怖くて怖くて
口に指突っ込んで泣きながら必死にゲロ吐いた。またそのゲロが締め切った
風呂場に充満してありえないぐらい臭くて、腹とか胸に散ってて
悲壮チックなゲロ塗れの間抜けな姿を浴室内の洗面鏡でみたらなんか
笑いがすげー止まらなくなった。もう泣き笑い。
死ぬぐらいだったら何でもできるな、本当。
翌日辞表を郵送し部屋のゴミと一緒にスーツを捨てた。
今暮らしてる部屋のお隣さんはとても静かな方だけど
今でもたまに道路を騒音を鳴らしながら通る迷惑なスポーツカーや
駐車場に止まってる車からBzが聞こえたりなんかすると
その日のことを思い出したりなんかする。
ありがとな。
370 :
351:2006/10/05(木) 22:32:36 ID:o/TuNEO7
プレゼントはゲームボーイを渡しました。
翔太はもの凄く喜んでくれました。
帰り間際、翔太が私に近寄ってきて、
『先生お母さんの匂いがする』
と言い出しました。私は一瞬、『ん?』と思いましたがすぐにピンと来ました。あの香水は亡くなった母親のものだったのです。それを悟った私は思わず翔太を抱きしめました。私が抱きしめながら泣いていると、
『先生なんで泣いてるの?泣き虫なのもお母さんと一緒だね』と。
私はただただ泣きました。翔太は泣いてる私をなでなでしてくれていました。
それから月日が経ち、翔太も小学校を卒業しました。卒業式の日、翔太は私に一通の手紙をくれました。とても短くぶっきらぼうな手紙でしたが、私には何よりも大切な手紙になりました。
『先生、ありがとう。僕にはお母さんはいないけど、学校には先生というお母さんがいたから寂しくはなかったよ。また遊びにきます。』
と書いてありました。
そうやって彼は飛び立って行きました。
しかしそれから彼は私の前に姿を表す事はありませんでした。
しかし先日実家の方に手紙が届きました。翔太から結婚式の案内でした。
続きます
372 :
351:2006/10/05(木) 23:08:23 ID:o/TuNEO7
招待状を手にした私は、その日の予定も確かめずに出席に丸をつけ、その日に投函しました。
結婚式当日、会場に付き、自分の席を探すもなかなか見つかりません。
知り合いの先生や教え子達の席は見つけましたが、私の席がやっぱり見当たりません。もう一度確かめると、ステージの1番前の席に私の名前がありました。
しかしそこは親族の席。席についてもおどおどしていると、突然肩を叩かれ、振り返るとそこには見違える程大きく、そして立派になった翔太君の姿がありました。
『先生、来てくれてありがとう。先生は僕のお母さんだから、1番前で僕の晴れ舞台みててね。』
『今日もやっぱりお母さんの匂いだ。本当にありがとう』
と言い残し、控え室に戻っていきました。
結婚式も無事に終わり、最後に一目会いたくて翔太を探しましたが見つける事は出来ませんでした。でもまた会えるハズです。私と翔太は親子なのだから・・・
以上です。という話を嫁から聞かされ、目を真っ赤にしながら書き込みました。
長文、駄文ごめんなさい。読んでくれた方ありがとうございます。
文才のある方まとめてくれると嬉しいです。
>>351 落ちがいまいちだと感じました><
結婚式が終わった後、新郎と会うことができなかったことが
納得がいかないな〜。。
感動的な話なんだろうけど、
>>351の書き込みからは
臨場感が伝わってこないのが残念。
374 :
351:2006/10/06(金) 00:09:15 ID:t8sf/ev1
>>373臨場感なくてスマソ。文才があればもっとイイ話に聞こえたカモですね。
落ちはネタじゃないのでどうしようもないです。つい先日の実話ですから・・・。
誰かまとめてくれー
うん、なんで見つけることができなかったのか?
>>373 そうか?スゲー感動したけどな。
おまいにもっと想像力があれば良かったのにな
こんな先生がたくさんいたら少年犯罪も減るんだろうな。
351の奥さんのおかげで翔太は間違った道を歩まなくて済んだ。
奥さんGJ!
377 :
351:2006/10/06(金) 00:20:50 ID:t8sf/ev1
会場内をくまなく探したけれど見つけられなかったそうだ。
まぁ招待状の封筒に翔太君の住所書いてあるらしいんでいつか嫁と訪ねてみるよ。
自分のレス見てみると誤字ありすぎですね。携帯は不慣れなもので・・
早くPc直さねば。
378 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/06(金) 00:37:04 ID:AmVjn1Dk
>>351の奥さんの話ね。何か
>>351が体験した話になってるし
ちょっと「?」と思った。
でも良い話だね。
379 :
351:2006/10/06(金) 00:52:21 ID:t8sf/ev1
>>378妻になりきって書きました。やっぱり文才ないと辛いですな。
みなさん読んでくれてサンクス。
親族の席って一番後ろがデフォだし
奥様が出たのはケコーン式ではなく披露宴です…。
ちなみに披露宴の前に新郎が披露宴会場に入って来るってのも、なんか…その…
(ぬっちゃけ、ありえない展開です)
披露宴お開きの際、新郎新婦は一番目立つ場所(会場前の金屏風)にて参加者に挨拶してたりするので
会えない筈はないし…
大丈夫ですか?奥様が出たのは、本当にケコーン披露宴なんでしょうか?
浮気してホテルで遊んでたとかの裏オチはないですか?
色々なスタイルの披露宴やケコーン式が流行している昨今とはいえ、突っ込みポイントありすぎ。
382 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/06(金) 01:46:02 ID:SOfnd5ab
相手しちゃいけないんだろうけど
非常にウザイから逝け
そんなん式の進行によって違うと思うがね。
最近はステレオタイプな披露宴は敬遠されがちだし、だいたいそのへんは話のキモではないだろう・・・
俺がこの前友人のケコーン式に出た時は親族は端の方だったが最前列にいたぞ?
それにカキコミからすると結構な年配と見受けられるようだが、その奥さんが浮気ってか?
まあ実際の年齢は想像するしかないわけだが、お前みのもんたのTV見過ぎじゃないのか?w
わたしもなんか
>>351さんの話嘘くさいと思う。
せりふがいちいち芝居がかっているし。
一杯のかけそばみたい。
385 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/06(金) 01:59:41 ID:T7FTAexD
そもそも破綻してるよな。
なんで書き出しは「自分の妻が」な立場で
途中から「私が」になってるんだか。
「妻になりきって書くの難しい」って
なんでなりきる必要があるんだか。
おそらくあちこちでウザイ長文垂れ流しては
「自分語りウザイ」とか「鬼女らしい自己満な文章」とか
叩かれまくってきていて
そうか「自分」じゃなきゃいいのか、とか
女だから叩かれるのね、とか勘違いした構ってチャンが
「妻の話を書く夫」のスタイルで垂れ流しを始めたはいいが
早々に破綻した、と私は見ている。
なんにせよウザイ。ブログででも存分に自分語っとれ。
>>351 >プレゼントはゲームボーイを渡しました。
ありえねー。教師が書いた文章というより、リア厨が書いた文章だなw
>>383=
>>351乙
>>376 >おまいにもっと想像力があれば良かったのにな
想像力ないのは、おまえさんw
どうして、こういう単細胞ができるかね。
>>386 ちょっと長文で解説してみてよ。できないんだろ?w
>>387 はい。そんなうざいこと自分は出来ませんー。
>>388、389
きみらもだまされたくち?馬鹿がやっぱり反応してるしww
普通親兄弟親族の席は一番後ろだよ。
一番前って、…もしかして披露宴に出たこともないリア?
それにしても感動させたいのだろうが文章へただね。
小説家になろうなんて思うなよ。無理だから。
392 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/06(金) 09:40:50 ID:bSk5MS04
ちんぽっぽー
まだ幼稚園に通うか通わないかの頃
「○○ちゃん(←自分)スカート似合わないね」
厨房の頃、たまたま帰りが一緒になって、話していた時
(好みじゃない・不細工な子に告白されて最悪と言う話題の時)
「あんたの方がまだマシだよ(はき捨てるように)」
両方とも、近所の一才下の野郎(幼馴染か?)の台詞だけれど
未だに凄く覚えている。
まったく好みでもタイプでもない、そもそもそういう対象でもない奴の
台詞なのに、なんでずーっと心に引っかかってんのかねぇ・・・?
>>394 いやいや、マジにタイプじゃないよ。
はっきり言って遠慮願いたいタイプ。
その程度でしかない、と自分で判断した相手に
その程度でしかない、と判断されたことがむかつくんでしょ?
傍から見たらどっちもどっちなんだろうけど。
>>396 ムカつくつーより、ただただへこむって感じだったけど
まぁ、そういう事でしょうね。
スレ読んで気づきましたが、なんか場違いな書き込みでスマンカッタ
北海道みたいに発起人を立てて行う披露宴(祝賀会?)だと親族が最前列だったりするけど
うん、親族が前の方の地方もある。
400 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/06(金) 14:26:40 ID:eiJlmH2N
前に付き合っていた彼には4歳下の弟がいた。子供の頃は仲が良かったらしいが
彼が大学で地元を離れ弟が高校に入ったあたりからは昔のようにはいかなくなったらしい。
母子家庭で親は借金もあり、欲しい物もろくに買えないだろうと、帰省する度に
弟にお土産を買ったり、いくらかのお小遣いもあげていた。
でも弟はそっけなくて、彼が帰省している間もどこか別の場所に出かけたりして
ほとんど話をすることもなかったらしい。彼は寂しそうに私にその話をしていた。
彼と別れてから彼の弟と大学時代に友達だったという人と知り合いになった。
その人によると弟は兄である彼の話をよくしていたらしい。しかもとても自慢していたらしく、
「兄ちゃんは頭も良いしいつも俺のことを気遣ってくれる。帰る日に忘れ物をしたから
駅まで持ってきてくれと言うから、それを持っていったらそれは口実で小遣いを渡してくれた。どうだ、かっこいいだろう。」
というようなことを話していたらしい。
弟には彼の気持ちがちゃんと伝わっていたんだなあ、と嬉しく思う反面、
もう彼にそのことを教えてあげられないんだと思うと、凄く切なくなった。
>>400 俺、こういう「仲悪いと思っていた兄弟姉妹が実は自慢してた」系の話に弱いな。
自分もそうだったから。
三歳離れた兄がいて昔は本気で仲悪かったんだ、うぜぇうるせえっていつも思ってて。
多分向こうもそうだったはず。だけど俺が高1の夏、おふくろが脳梗塞(だったはず)
で死んでから遠回しに気を使いはじめた。よく夕飯に俺の好物作ってくれたし、
風邪で倒れたときは飛んで帰ってきたり。
そして俺が高3のとき、親父も病気で倒れた。肺がんだった。兄とお見舞いに行った帰り、
バスの中で「お前、大学行きたいんだろ」と言ってきた。そんときは
何を突然、って思ってああ、まあね。って適当な返事をした。実際、当時大学に行く為
必死こいて勉強していた。
しばらくして兄は大学を辞め、働き始めた。
直接聞いてないから分からないけど、俺を進学させる為と、生活の為だろう。
すっごいありがたかったし、申し訳ないような何ともいえない気持ちになった。
でも言えないんだよな、ありがとうって。照れくさいし恥ずかしいし。
だから本人のいない所で感謝の気持ちをドバドバ出してる。
俺の兄貴は凄いぞかっこいいぞ人間の鏡だぞ、ぐらいの事言って自慢しまくって
風の噂で俺が自慢してる事が兄の耳に入ればいいなあ、なんて思ってる。
本当は直接言いたいんだけどな。やっぱ俺ってヘタレだな。
402 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/06(金) 18:01:28 ID:EXy37WZD
以前、卵から育てたメダカの入った水槽を掃除してたら誤って殺してしまった・・・切ない・・・
俺も牛乳瓶で育ててたシーモンキーを誤って排水溝に流した事がある
小学生の頃、俺の誕生日に弟が熱を出した。
高熱だったらしく幼い弟は急遽入院、病院に行く両親を見送り、俺は一人でテレビを見ていた。
ケーキもプレゼントもない、両親もいない誕生日だけどさほど悲しくはなかった。
一人、テレビを見つつ両親が帰宅するのを待っていた。
ふいにピンポーンとドアホンがなり、帰って来たのかな?とドアを開けると、両親の職場のおばちゃんだった。
「誕生日なのにたっくん一人ぼっちで可哀想だから…って、さっきお母さんから電話があってね。これ、おばちゃんからプレゼント☆」
と、その月のコミックボンボンを渡された。
ほんとは一人で心細かった。寂しかった。怖かった。来てくれて嬉しかった。
いろんな感情が溢れておばちゃんの前で泣いてしまった。
その後、おばちゃんは両親が帰って俺が落ち着くまで一緒にいてくれた。
生涯で一番暖かい誕生日だったよ、と俺は今でもおばちゃんに会う度にお礼をいう。
12月が俺の誕生日。寒くなるにつれあの日のことを思い出す。
405 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/06(金) 18:21:40 ID:RKHfEJu4
初めて付き合った子がメンヘラだったという事実
日に日に強烈になっていくあり得ない日常
思い出すと胸がクンッ!(゚∀゚)ってなる
皆さんほど対したことないんですが、思い出したので書き込みを。
去年、大学の後輩Aから電話で病院に呼ばれて個室部屋に行くと
しばらく会ってない後輩Bがベットで寝てた。
話を聞くと両方とも催眠術研究室の子で担当教授(その道のエキスパート)から
「これは危ないから人に使っちゃいけないよ」と言われていたらしい技を完全に
習得も学習もしていない段階で教授が海外に飛んだ隙に後輩Aと後輩B実行したらしく。
その結果、後輩が 一 ヶ 月 眠り続けているという。
教授の帰還は 半 年 後 。 定時連絡もなし。 携帯は繋がらない。
家族は泣き崩れ病院はお手上げ…の中一回大学卒業して精神科と福祉系お仕事の経験があった
俺にヘルプが回って来た。二日ほど手刀や療法や教授の声真似など手を尽くしたが無理。
ああ無理。
だあああ無理。
だが途方に暮れながら二日目の昼にマックで照り焼きバーガーとウーロン頼んで
椅子に座るとトレイの横っちょに、しなびたポテトが一本落ちてた。
それ見て俺は即、夏休み中じゃが芋研究でモロッコに行った薬学の教授に電話して
教授のアップ写真を送りトーゴ(アフリカ僻地)に行った教授に3万円で「指名手配」をかけた。
ビラ貼って一時間で掴まった。
それが何で切ないかっていうと失ったものが二つあるんだ。
虎の子の3万と、ビラ見た現地警察に誤って捕まりかけた教授に
帰ってきた時に殴られて飛んだ前歯一本。今考えても理不尽。
いいことしたと思ったんだが、鏡を見ると今でもちょっと切ない。
>>406 すみません。
何度読み返してもわかりません。
禁断の呪文を使って眠りから覚めない後輩のために、
別の教授に写真を送り、費用として3万円支払ってアフリカ
僻地に滞在している教授の指名手配を頼んだ
なのに殴られて歯が飛んだ
>>406 どうやって目覚めさせたのか書いてくれないと…
ほんとに催眠術ってかかるものなんだ。
>>406 ハチクロの、真山による森田召喚のパクリみたいな話だな。
>409
右斜め45度からのパンチ
で、その先生そんなアフリカの僻地でそんなに長く何やってたの?
ていうか研究の専門分野ってなに?心理学?文化人類学?
知ってどうするんだと
呪術じゃない?
このカシオミニを賭けてもいい
漆原教授かよw
418 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/07(土) 21:10:16 ID:m8fEO8K8
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。
泣ける2chで読んだ
420 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/07(土) 22:16:13 ID:tZKwU+A8
俺も読んだ
422 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/07(土) 22:44:28 ID:m8fEO8K8
同僚の美人OLが二日続けて同じ服を着てきた時、
周りから「昨日は誰と朝帰り?」と冷やかされていた。
私が同じ服を着て出社した時は、「服ぐらい着替えて来いよ」と言われた。
.先日、メガネを作りに行った際、
「無色ですか」と店員にレンズの色を聞かれた。
「はい、フリーターです」と言ってしまった自分が悲しい。
陳腐なネタ合戦が始まってるようですね
>404
亀だけどいいおばちゃんがいて良かったね。
自分も小学校低学年の時、私の誕生日に母はパート、兄はリトルリーグに行き
1人だった事がある。
その時は春休み中。一番仲のいい友達からはプレゼントは学校が始まったら
渡すね〜と言われ、「誕生日の昼間に1人は寂しいな」と普段遊ばない近所の
子達と遊んでいた。
午後春にしてはあまりに冷え込んできて、遊んでいた子達は止めるのも聞かず
帰ってしまった。
どんよりとした曇り空の中、誰の気配もしない家に帰り再放送の鬼太郎だか
ルパンだかを見ていたけど急に切なくなって。
「何で私の誕生日なのにこんなに寂しい一日なんだろう」
夜になればプレゼントもケーキもごちそうも…って判っていても泣けてきた。
母のパート先に電話して「私の…ヒック誕生日なのに…誰もいないよぉ〜うあ〜ん!!」
と泣きながら訴える。母はすっとんで帰ってきてくれた。両手には山ほどの買い物袋を抱えて。
兄もほどなく帰ってきて、私は恥ずかしいやら嬉しいやら顔中くしゃくしゃにして
寝る時も幸せを感じたよ。
母には仕事途中で帰らせてしまい申し訳なかったけれど、春になる度思い出す。
>404
私もコレ泣けた・・・
一人でもさほど悲しくもなかったという404だけど
お母さんはちゃんとわかってたんだねぇ
家庭内暴力と、殴られ役を私にだけ押し付ける家族から逃げるように大学進学。一人暮らしを始めた。
(学歴を重視してる母だったので大学には通わせて貰った)
すぐにバイトを見つけ、「バイトが忙しいので盆暮れに帰省し辛い」という大義名分を作った。
バイト先の店長は気分屋でよく叱られたが、辞めるわけにはいかないので我慢して働いた。
成人式の日、私は地元へ戻らずに朝からバイトだった。
昼過ぎ、5軒隣の雑貨屋の娘さんが振袖で商店街の人たちに挨拶して回ってた。
その晴れやかな笑顔ときれいな振袖を見て、あまりに羨ましくなり涙がこぼれた。
皆から祝福されてる雑貨屋の娘さんと、惨めな自分との落差をまざまざと感じた。
家に帰り、地元の友人からのメールに添付してあった皆の晴れ着を見てまた悲しくなった。
安いスーツでも買って実家へ寄らずに式典だけ参加すればよかったとか。
バイトがつらいならさっさと辞めて他の働き口を見つけられたのにとか。
今なら解決策はすぐに思いつくが、田舎者で世間知らずの当時の自分は本当にバカだった。
「なんとしてもここでバイト代を稼いでやっていかなきゃ」という決意が悪い方向に作用してたんだと今は思う。
>427
元気だせ。メールをくれる友達がいるじゃないよ、だから当時バカではない。
ただコドモだっただけだ。
429 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/08(日) 01:19:56 ID:ibvcuFqk
祖母が亡くなり部屋で寝かされてた日
死んだ事が理解出来ない孫の3歳が
祖母を軽バットで叩いてる光景が切ない思い出
430 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/08(日) 01:33:33 ID:aGwN2GGb
思い出っつーか、今日の出来事なんだが
今日、会社の先輩の送別会で 二次会で行った
キャバクラに、好きだった営業先の受付のコが・・・・・・
まじシャレにならん・・
キャバ嬢になってやがった。俺の幻想が一気に崩れ去った・・・OTZ
この連休はかなりの鬱状態だろうな
431 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/08(日) 02:01:57 ID:X7lXfmzT
このウンコたれ蔵め
受付やってキャバやって頑張ってるんじゃないか(´・ω・`)
勝手に妄想押し付けるなっつーの。
>>429 それは切ないというより「誰か止めなさ〜い」
>>430 キャバくらいなんだよ。
レンタルルーム使った偽装デリヘルでばったりなんて日には。。。
435 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/08(日) 17:44:42 ID:TobIwECX
俺もキャバくらいどうもないけど
凹むんだったら最初からいくなよ
遊びにいっといてなにボケてんだよ
436 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/08(日) 18:13:26 ID:dm/3B6k5
自分は付き合いの名目でキャバ行くくせに
そこで働いてる女は見下すのか
最悪だな
>>430は
430の人気に嫉妬
438 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/08(日) 23:09:07 ID:NGJaEm0+
私は昔、母親にいろいろされました。
叩かれるなんて日常茶飯事で、幼稚園の頃には、私のせいで父親と喧嘩したときに
「あんたなんて死ねばいい」と叫ばれました。
せっかく買ってあげたプレゼントを床に叩きつけられたり、暴言を吐かれたり、
持ち物を探ったり……
でも、今考えると、嫁姑のストレスや、育児ストレスがあったのかと思います。
今は私も親元を離れ、母親も自分で仕事をはじめ、本当に私のことを可愛がってくれます。
周囲と比べても、本当に仲の良い家族で、今は何の不満もありません。
しかし、昔母親にされたことは絶対に忘れられません。
子どもができたら、私もあんな風に接してしまうのかもしれない、という不安は常にあります。
不安やトラウマを、母親のせいにしていても、前には何も進みません。
自分自身の人生を大切にして、これからのことを考えて生きることが大切ではないでしょうか。
来年から、私は教師になります。私と同じように不安を抱えている子のために働きたいとは思いませんが。
え・・・・最後の行、書き間違いじゃないよね・・・??
てか最後の段落を読むとモヤモヤとした不安感が残る
私が10才の時に両親は離婚。その一年前にはもう二人の関係はかなり悪かった。
母親が出ていく数カ月前、両親の喧嘩を見たくない私と妹は早々に部屋に引き上げていた。夜12時近くになって父が私たちの部屋にやってきた。酔ってたのかもしれないけど、おもむろに土下座を始めた。
「お母さんのこといじめてしまった。ごめん」
私は父親に土下座されたことと、ませた子供だったから離婚するにちがいないと勝手に動転して泣き出した。妹はきょとんとしている。父も泣いていた。
しばらくして、父は泣いている私を慰めることもなくさっさと出て行った。あれ以来、男というものはプライドばかりで鼻持ちならないと思うようになった。
442 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/09(月) 11:40:12 ID:JPKnfPNp
>>440 自分のオヤジ見ただけで全ての男に偏見持つバカ。やっぱりこのオヤジの娘だけのことはあるw
440の父親も440みたく
「女なんてものはな〜」とか言ってたんだろうなw
男と女だけで世界を見ないと、頭の容量が追いつかないんだろうな
馬鹿だから
まぁ一部分を抽出しただけの文章からじゃ判断できかねるけどな
親父さんも辛かったんだろ・・・ちゃんと子供に向き合って謝れるってのは大したもんだと思うぞ
>>442 まだ10歳の時だったんだから、相当なトラウマになってるんだと思うよ。
その言い方はちょいと酷いんじゃないか。
いい歳こいたらもうキャラは自分の責任だよ。
いつまでも親のせいでも無い。
んだんだ
449 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/09(月) 18:14:07 ID:vElmUfoY
とある友人(Aとします)に恋愛相談を持ち掛けられたが、その友人の意中の相手(Bとします)に好きな人がいるのを知った。言うべきか言わぬべきか迷い、事情を知っている別の友人に相談した所、こじれまくってAからの突然の絶交宣言。
Aはその後Bとは全く関係のない彼氏を作り、あんなに二人で話してた夢もさっさと見限って新しい彼氏に夢中。私との関係も改善なし。世の中こんなものかぁ…
>>449 を謂わばパシリみたいに使っておきながら、事が上手く行かぬとなれば、絶縁して他の男に転進。
関係とか、改善したいんですか?
第三者に勝手に相談するのってまずいんじゃね?
自分がされたらやっぱり、コイツ信用できねーってがっかりするし。
うん。 人に話しちゃいけないことだよね。
>事情を知っている別の友人に相談した
これだけで絶交っていわれてもおかしくないね。切ないも何も
あんたのせいだよ。Aは悪くない。
Aとしては、「なんで、勝手に私のことで、事情を知っている別の友人と
噂してるの!?」ってなったのかな。
455 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/10(火) 01:44:19 ID:HHydSDtg
亀ですまんが
>180
もっとだめじゃ〜ん。
自分の飼い犬に勝手にチョコやられてたら怒りくるうっつの
456 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/10(火) 03:18:44 ID:WFszsypB
↑すまんと言うんだったら最初から書くなよな
>>455 だからな、犬がそんな目に遭わないようにする責任は、
チョコレートをやってしまう無知な近所のガキではなく、
飼い主が負わなければならない、そこまで責任負えないというなら
動物なんか飼うな。
という話だ。
小6のとき、卒業式の練習中
大好きだった男の子がオモラシしてしまった。
すごく勉強ができてかっこいい子だったのに
あんな姿見たくなかった。。。
人前で「おしっこ行きたい」と言う恥ずかしさに耐えられないプライド
のせいで、漏らすまで我慢してしまうんですよ、と経験者は語っとくorz
どうして漏らすんだろ?と書こうとしたが、
>>459に書いてあった。
プライド・・・そういうことか。
自分は、漏らしては元も子もないと思って、
トイレに行きたいと言うタイプだから、マジで意味がわからなかった。
おもらしで思い出したさ…。
幼稚園の時、昼の弁当の時間にある男の子が
「先生〜、おしっこ!」と言った。
先生は「食事の時にそんなこと言ったらだめ!」と怒りながらも男の子をトイレに行かせた。
数日後の弁当の時間、私がトイレに行きたくなったが
以前男の子が怒られてるのを覚えてたので
トイレに行きたいと言えず、弁当が終わるまで我慢しようとした。
でも我慢できなくて、椅子にじっと座ったままもらした。
あの時の私に、「皆に聞こえないように先生にこっそり言えばいいんだよ」って教えてやりたい
>>457 勝手に知らないところで与えられたんじゃ、責任も何もないだろーよ。
「知らなかった」で済むなら何でも有りになっちゃうじゃん。
百歩譲って知らないのが仕方がなかったとしても、
後で事実を知ったならやはり反省すべきでしょ。
つーか、何で 飼い犬 なのに他人が勝手に餌を与えるわけ?
その点からして意味不明。
動物虐待を正当化するなバカ。
>>462 犬飼ったことないから詳しいことは知らないけど、
外に繋いでおくような番犬とかは他人から何か貰っても食べないように
飼い主がちゃんと躾けとかなきゃいけないんじゃない?
泥棒が番犬を手なづけたり変質者が毒を食べさせたりなんてよくある話だよ?
外にいるんだからどんな危険があってもおかしくないじゃん。飼い主にも責任ありまくりだよ。
無知な子供も反省すべきだけど、
危険に対してきちんと躾けてやらなかった飼い主はもっともっと反省すべきと思うよ。
>>462 結論でてるのを今さら何言ってんの、
馬鹿はお前だから。
>>463 飼った事無いからかもしれんが、いくら躾けても食い物には弱いぞ。
本能だからね。所詮は動物なんだよ。
被害者より加害者が悪いに決まってるでしょうよ。
言いたい事はわかるがね。
オナニーがやめられません。どうしたらいいですか?
母親や妹を思い浮かべてすると後味が悪くてやめられるよ
ありがとうございます 早速試してみます
母親で4回
妹で6回いけました
死む…
どこで晒されたのかワカランが、最近このスレ馬鹿ばっかだな
>>467 それはカーチャンと妹がよっぽど美人なんじゃね?
つ[柔ちゃんのグラビア写真集]
つ[細木和子のヌード写真集]
とかならどうだ?
470 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/10(火) 23:20:26 ID:jvZfvKXn
471 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/11(水) 01:17:59 ID:8rvdKoxi
>457
放し飼いにしてるわけでもなく、庭に繋いで適切な餌もあげていた。
でも仕事に行っている間などに他人が玉ねぎ入りのハンバーグをやって、犬の具合が悪くなった。
これも飼い主の責任?
472 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/11(水) 01:24:07 ID:8rvdKoxi
更新してなかった。
そんなしつけが当たり前で、それができなきゃ飼い主の責任を果たしていない
というなら世の中の飼い主みんなトレーナーで、犬は盲導犬になれるよ。
強姦された女に「そんな薄着で外出歩いてるからだ」と言っているようなもん。
ま、薄着はなんとかしようとすれば、すぐなんとかなるが。
473 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/11(水) 03:15:42 ID:ojBplHqF
あのラブホの部屋とあそこらへんの道は通りたくないね……
475 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/11(水) 03:41:26 ID:8rvdKoxi
>474
薄着との関係→加害者ではなく被害者を叩いている
476 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/11(水) 03:49:25 ID:fviKY0du
勝手に犬に玉葱とか与える奴が悪いのに飼い主に「犬の躾をしろ」って
無茶苦茶だな。
どっちも悪いとは思わないのかよ
478 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/11(水) 03:58:43 ID:8rvdKoxi
五分五分ではないでしょ
そりゃそうだけど、誰がそんなこといったんだよ
480 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/11(水) 04:10:06 ID:8rvdKoxi
まあそうだ。とりあえず飼い主の非はほとんどないっていうことが言いたかった。
まだやってんのか
他人の犬だけど可愛いから勝手に触っちゃう。欲しがったら何でもあげちゃう。
犬だってきっと喜んでるから構わないでしょ、別に。
でも自分の犬じゃないから躾の事は知らないよ。
私の好きなときに触ったり、毒物あげたりしちゃうかもしれないけど、
責任は全部飼い主にあるから、何かあっても私のせいにしないでね。
>>474はこう言っているようにしか見えない。
勿論、飼い主側にも注意しなければならない責任はあるけれど、
だからといって、飼い犬を勝手に触ったり食べ物をあげたりしていいことにはならない。
他人が入ってこれないような対策を取るとか
近所のガキをきちんと教育するとか
そういうこともできないんだったら
動物なんか飼うんじゃねーと、思うんだがどうよ。
鎖でつないでるだけでも虐待くさいのに
その犬を飼い主が守れなくてどうすんだよ。
挙げ句の果てには、他人が勝手に食わせただぁ?
だから飼い主には責任がないだぁ?被害者だぁ?
被害者はやられた犬だろ。飼い主じゃねーだろ、ボケ。
484 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/11(水) 05:15:36 ID:8rvdKoxi
一応法律的には被害者は飼い主だろうw
485 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/11(水) 05:18:34 ID:dZ4mCbmU
私の祖父はアメリカ人です。
祖父は五人兄弟の二番目。
一番上の兄は朝鮮戦争で戦死しました。
祖父の母はとても長男を可愛がっており、次男である祖父に
「お前が代わりに死ねば良かったのに!」といい続けていたそうです。
もう祖父は召されましたが、私が祖父に付き添ってカウンセリングにいった時、
「母さんは私が死ねば良かったと…」
と、もう十分老人である祖父が涙を流していたのが今でも切ないです。
486 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/11(水) 05:25:05 ID:8rvdKoxi
>483
そんな対策到底無理だわ。
例えばクレヨンしんちゃんの庭の構図だと、
普通お客さんや宅急便以外は入らないだろうが、DQNや子供なら入るだろう。
それか垣根の上か下から食べ物を投げ入れることも可能だろう。
それを対策するのは無理だ。
近所の子供を教育するなんてことも現実離れしている。
まあもし自分が犬を飼うことがあれば室内飼いにするがね。
>483みたいな基地外がいるとたまらんから。
>>483ってホント基地だなぁ。
鎖でつないでるのが虐待って、だったら鎖なしで、もし近所の子供噛んだらどうするの?
そこは躾を(ry って馬鹿の一つ覚えみたいにまた繰り返すんだろうけどさ、
犬に何を求めてるの?
所詮は畜生(あえてこの言葉を使うけど)なんだよ?
なんかもの凄い歪んだ動物愛護の精神の人だね。リア?
>>485 切ないなぁ、それは。
でも祖父がアメリカ人かどうかは関係なくね?
躾けられてない
>>483に何を言っても無駄さ。
そいつの飼い主に言いなw
>>483と
>>463はキチガイ。
自分を見ればわかるだろう。
一生懸命躾けても生来のバカまでは治せないのによw
>>483はぶっとんでるけど
>>463は別に普通なこと言ってると思う。
日本人はそもそも犬のしつけが下手くそ過ぎるんだよな
>>485 朝鮮戦争従軍の兄を持つおじいさんのお孫さんだとすると、
ずいぶん、しっかりした方だね、貴方。
父が二次大戦の従軍経験者なものでね。
大人になれば親の言葉なぞ無関係とかいうのは愚の骨頂だよね
492 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/11(水) 11:25:15 ID:nHJR/i0V
食ったら体に悪いもんを勝手にあげても、それを食うような犬を育てた飼い主が悪いて アメリカの裁判か
おまえら見てたら切なくなる
300レス近くも前の話に花が咲く事もあるのか・・・
あぁ…また切ない流れに…
(ノ∀`)アチャー
まぁみんな犬が好きなんだろうなと思う
つい最近の話なんですが、
深夜、コンビニに飲み物を買いに行ったところ
異臭を放つ浮浪者のおじさんが、カップラーメンを買っていました
1円や5円をカウンターにたくさん並べて会計していたんです
おじさんは会計を終えると、お湯を入れ、店を出ようと
片手で扉を押し開けたその時だった!!
(その店は自動ドアではなく観音式)
中途半端に開けた扉は、勢いよく戻ってきて
おじさんの胸元にある大切なカップラーメンにヒット!
銭湯のかかり湯のごとく、
まだ3分も経っていない固めの麺と、熱いスープを全身で浴びていました
おじさんは波平(CV:永井一郎)そっくりな声で
「あついっ! あついよ、チクショー!!」と叫んでいました
ちなみに私は調理法通りにつくったカップラーメンが好きです
あっ
誤爆しちゃった
でも、少しセツナイよね
コンビニでカップラーメンなんて買うなよ…高いのに
でもお湯があるのはコンビニくらいだぞ
-- コンビニみたいな華々しい所でカップラーメンを買う --
と言うステイタスを夢見ていたのかも知れない。
切ない。
俺ならその浮浪者にカレーチーズヌードルを買ってあげて二重に切なくなってただろうな…
504 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/11(水) 21:58:46 ID:t4FPpTcE
高校三年生になってすぐに父が私と約束をした。
約束の実行日はゴールデンウィークだった。
私はワクワクしながらその日を待っていたけど父が不治の病を患ったことがわかり実現しなかった。
けれど私は病が治ると信じ、近い将来約束を果たしてもらえると思っていた。
けど、そんな日はこなくて約束してから五度目のゴールデンウィークがこようとしていた時、父が死んでしまった。
果たされなかった約束とともに父は目の前から消えてしまった。
今もあの約束を叶えたいけど父がいないと出来ないことだから身動きができないでいる。
仕事で疲れて帰宅している途中はいつも父との約束を思い出して切なくなる。
>>504 もし君に子供ができたら、約束を守ってあげるようにしよう。
君のお父さんが叶えられなかった約束を、君の子供に叶えてあげよう。
大学のとき、東京の、大好きな洋服のブランドの会社をだめもとで受けた。
専攻は行政法、ボタンつけすら四苦八苦する自分。アパレル知識なんて皆無。
けどそのブランドへの愛を切々と語ったら内定をもらった。
でも悩んだ。彼氏に「遠距離は自信ない。東京行かないで欲しい」って
言われてた。私は彼氏を選んで、その会社の内定を辞退した。
なのに半年後くらいに、その彼とどうにもならないほどこじれて別れてしまった。
もう何年もたつけど、今でもそこのショップに行くと切ない気持ちになる。
もし男か仕事で悩んでる人がいたら、仕事とれって言いたい。
男と女なんてその時は永遠とか思っても、どうなるかわからないから。
なんでそこで男をとるのか、全然わからない。
始まってもいない遠距離を理由に、好きな相手が望んでいる仕事を
諦めさせて引き止めるような相手の想いなんて、男女問わず大した
愛情じゃないに決まっている。
>>507 今思えば全然たいした男じゃなかった。
けどその頃は、この人はすごく頼りないから私がついててあげなくちゃ!
みたいに思ってた。99%結婚するだろうとまで思ってた。
そのブランドに対する愛も
あんまりたいしたことなかったってことだな
>>508 男を見る目がなかったってことだな
見た目で選んじゃいかんよ。
男が仕事より女を取ったら最低と言われるわけだが・・・
仕事か女の二元論とか、バカの論理だよね
まー両方、若かったんだよね>506
苦い思い出として、せつねーなーと思うよ。
まぁ、そんな苦じょっぱい恋愛経験の一つや二つや三つや四つをこなして
今がある訳だよ、みんな。
甘酸っぱくないのが余計、辛いね。
携帯から長文すまそ。
通勤途中通る道に畳店があって、そこにいつも2匹の犬がいた。
すごく可愛くて、店の前を通る度になごんでたのね。
で、ある時、片方の犬がいつからか毛布の上で寝たきりになってる事に気付いた。
相方が心配そうに見守ってる姿を見る度、なんだか切なくて、病気なら直るといいなーって思ってたんだけど、長くは持たなそうなのは明らかだった。
数日後、会社帰りにまたいつもの様に店の前を通った時。
犬は一匹しかいなくて、店の中に花と弱ってた犬の写真が飾ってあったのを見つけた。
ついに、その日が来てしまった様だった。
引っ越してきてから4年間、いつも2匹で戯れてる姿を見てきたから結構ショックで、帰りながらちょっと泣いてしまった。
今でも店の前を通る時、飾られた犬の写真をみる度切なくなる。
ペットは先に逝っちまうからなぁ・・・
うちのじいちゃんの飼ってたいんこ、
じいちゃんが二十歳くらいのとき買い始めたらしいが
まだ生きてる。
じいちゃん12年前に死んだ。
つまり逆算していんこ現在80歳くらい?
剥製みたいにじっと立っててそれでも生きてる。怖いよ。マジで。
オウムの類いは鳥の中でも長寿だよ。
親父が留学先から連れてきて、今は息子(大人)が飼っている
というご家庭を知っているが・・・孫までいくのか?w
マジで怖いんだよ。
家族もそのインコ、じっといつも監視されてるみたいで怖いっつってるし。
じいちゃんが乗り移ってるかも。
あそこまで長生きだと逆にものすごく恐ろしいよ。
100年以上生きるのも珍しくないらしいな。
たまに出して遊んでやるとかしないの
うちもハムスター飼うか、インコ飼うか悩んだときに、
寿命を聞いたらインコの方は15年くらいらしいので、
そちらにした。
そんなにしょっちゅうペットに死なれると悲しくてたまらん。
うちは大小4羽のインコ飼ってるが毎日が癒されまくり。噛まれて生傷も耐えないが。
ここまでウチでインコフィーバーになったきっかけの、初代ボタンインコが脱走したあの事件は
今思い出してみても切なくなる。
初詣目的で渋滞してるたくさんの車がいる横で
メガネが破損してリアル「メガネドコー?」をしたのを思い出すと切ない
俺も、バスケットしてるときあったわ・・・
529 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/13(金) 10:33:56 ID:psJfcRHD
小さいころ、昼寝している父の服に何故か洗濯バサミをつけた私。
数時間後、知らないうちに散歩に出かけていた父が帰宅したのを
玄関で出迎えてびっくり!まだ服に洗濯バサミがついていたんです。
知らないでそのままで近所を歩いていた父にただただ申し訳なくて、
今思い出しても切なくなります。
とーちゃん、ごめんなさい。
530 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/13(金) 10:44:30 ID:4rZ3uCUT
>>521何十年も籠に入れっぱなしとかしてないよな?
インコを子どもの頃2羽買ってもらった。
一羽ずつ別の鳥かごに入れて、嬉しくて触って遊んでた。
一羽はすぐ亡くなり、一羽は気がついたら足が曲がってた。
それからカゴの口を空けても外に出てこなくなった。
いつもTVに合わせるようにブツブツブツブツ言ってたけど、言葉が言えるわけでもなく。
ある日帰ったらカゴが無かったので母に聞くと、入り込んだ野良猫に襲われたと。
ひどい散らかり方だったと言ってた。ずっと世話をしてたのは母だった。
傷ついて外に出なくなった気持ちが今はよくわかるし、
それだから襲われて食われてしまった結果もよくわかる。
インコにほんとに申し訳なかったと思っている。
>>531 私もインコ飼ってた。インコって顔は不細工だけどなぜか可愛いんだよね。
子供の頃、兄が雨の日にインコを拾ってきたんだ。公園に落ちてたらしい。
それを飼う事になって家族皆が可愛がっていた。
ツガイがいいだろうと思ってオスインコも飼ったらオスがメスをいじめるんだ。
ムカついたら私はメスを庇うようにオスインコをつついたりしてた。
でも夏にクーラーをつけてたらインコ達は病気になってしまった。
毎日薬を飲ませたりして看病してた。
ある日、学校から帰るとカゴにはオスしかいない。
半泣きになっていると親から電話がかかってきて
「あの子、病気で死んじゃったんだ。最期はお母さんの手の中で
眠るように亡くなったよ」と言われた。
母もメスインコを心配して手の中で撫でていたらしい。
急いで母のいるところに自転車で向かったが着く頃には涙でボロボロになってた。
母の顔を見て余計に泣きまくった。
もう死なせるのは嫌だからオスはペットショップに貰ってもらう事にした。
手乗りインコだったからめちゃくちゃ可愛かったな。
外で飼えたら良かったんだが隣の家が猫飼ってて狙われてたから室内で飼ってたんだ。
20年経った今でもたまにメスインコを思い出す。
533 :
532:2006/10/13(金) 11:51:46 ID:8N7XrvIP
誤字があった
×ムカついたら
○ムカついたから
小学生の頃、最初はたった二羽のインコだった。
可愛くて、毎日カゴの掃除も欠かさず嬉々として世話した。
その甲斐あってか、ある日卵が生まれ、雛が孵った。本当に嬉しかった。
カゴも徐々に大きく、数も増やし、いつしか20羽以上の大所帯に…
綺麗だった原色の羽は度重なる近親交配のせいか、次第にくすみ、次第に心は離れていった…
ある日、強力な台風が近付き、ベランダに吊しっ放しだったカゴは全て落ち、インコ達は嵐の中、四散してしまった。
歳老いた初めの二羽だけがどこにも行けず残っていた。
みんな、ゴメン!
インコスレはここですか
| |
| / ̄ ̄ ヽ, |
| / ', |
| {0} /¨`ヽ {0}, | そろそろいいよね?
|.l ヽ._.ノ ', |
リ `ー'′ ',|
| |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
両親は、仲が悪いのだと思っていた。
冷たく見えるぐらい素っ気なかったから。
両親の兄弟姉妹などから、幼なじみで大恋愛だったとか、周りの反対を押しきって結婚したんだとか聞かされても、到底信じられなかった。
母が子宮癌で手術を受けた。
手術の終わる時刻を見計らって病院へ行くと、父が母のベッドの傍に座り、好きな歴史小説を読んでいた。
麻酔から覚醒したのか、母が痛い痛いと呻きだした。
父は即座に小説を閉じ、母の右手を両手で包み込んだ。
『ユミ、大丈夫だよユミ…』
まだ意識が戻りきっていないながらも、父の声に母が反応して答えた。
「タカちゃん…痛いよ…タカちゃん…」
父と母が名前で呼び合うのを聞いたのは、それが初めてで、最後だった。
母の通夜の後、棺の中の母の頬を何度も何度も父は撫でていた。
黙って撫でていた。
ユミ、ユミ…って母に呼びかける父の声が聞こえてくるようで、切なかった。
こ れ は 切 な い ・ ・ ・ !
泣いた
泣いた(´;ω;`)ブワワッ
目から汗が大量にでた
愛し合って結婚するのが一番だな…
そんな二人の間で育つのが一番だな…
ウウゥッ(´;ω;`)ブワワッ
父親母親である以前に彼氏彼女だったんだもんな
当たり前だけど実感湧かないよ・・・
。・゚・(ノД`)・゚・。
おい俺ここ何年も泣いてないのに
いま目玉の前に水の膜が
普段より少し多いぞ
スマンダメだ、感情に任せてちょっと書かせてくれ。
棺の中が真っ白で可哀想だったからスイトピーを一束入れてやった。
夜、皆が寝静まってからこっそり棺の隣で寝た。
真っ暗な中、棺の中に手を入れたら冷たい物にさわった。
スイトピーだと思ったら唇だった。
思い出しちまった。
>>526 亀だが。
祖母宅でセキセイ飼ってて、俺も物凄くインコ欲しくなって、バイト代貯めて買ったのよ。
親父に「セキセイじゃありふれてるから」とボタンを薦められたんだが、正直ボタンインコなんてこの時まで
知らなかったし、見慣れないしで何か違和感あったんだが。
そんなの2日で消えたね。大きい目と嘴、無表情の中にある表情、もう本当に可愛くてしょうがなかった。
俺の襟の内側に潜り込んで寝てしまうくらいなついてた。
飼ってちょうど1年と5日、鳥が籠から出てる時、誤って母親がドア開けたのよ。洗濯物干そうと。
んで血相変えて俺の部屋に言いに来て、俺も最初は頭真っ白で何が何やら状態。
急いで追いかけ、近くのアパートのベランダに止まってるのを見つけて、俺は必死で名前呼んで戻そうと思ったんだが
インコは一声、高く鳴き上げて飛び去ってしまった。屋根に隠れてしまい、追跡不可能。
帰って1週間は欝だった。籠抱えて泣いて、インコが帰ってきた夢を見ては泣きながら起きての繰り返し。
見つけた時、確かにこっちを向いて、俺を認識していた。それでも飛び去ったのは、やはり自由に焦がれてたのかな。
もう3年前の話だが、毎年、脱走した日には外にインコが入っていた籠を出して、餌と水を入れて待ってる。
帰ってこないとわかってるけど、俺なりの供養のつもり。
長文な上にありきたりな文章でスマソ。
>>547 547のインコも、そんなに思ってもらえれば本望でしょう。
でも、どっかで元気かもしれないよ。インコのやることは意表を突いている(・∀・)w
昔の話だけど、うちで何度か迷子インコを面倒みてたなぁ。
ほかにも鳥いっぱい飼ってたから、寂しくなった迷子鳥が寄ってくるみたい。
だいぶたってから飼い主がわかって迎えに来てもらったりしてた。
547のインコもよそんちで大飯くらって今も幸せかもしれないし。
3年前って、当時いくつだったのかな。
中学生のときおこづかい貯めて母の日にカーネーションの鉢を買いました。
自転車の前かごにいれてウキウキしながら帰ってたら、
歩道と車道の段差に平行に走り、タイヤをとられ転倒。
後ろから来た車に花は踏み潰されちゃった。
一週間ショックで無口になりました
( ´・ω・`)セツナス…
小学生の頃 進研ゼミの付録が欲しくて1日中イジけてゴネて親を困らせ、結局入会させた。二万〜三万也。
額で言えばそれ自体はそこまで言うほどじゃないのかも知れないけど、
思い出すと「悪いガキだったなぁ 困ったろうなあ 悪いことしたなぁ」とちょと切なくなります。
こんなことでも社会に出たら孝行しようと毎回思わさせれる。
552 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/15(日) 07:15:30 ID:ySUuofM1
小学5年の林間学校。
恒例の夜の肝試し。
ウチの学校は、男2人女2人の4人組で長いルートを回り
印を持って帰るんだったのだが、一緒に組んだ女の子のひとりが、
もうギャンギャン叫んでしがみ付いたまんまで大変で、
俺も恐いながらも何かいい匂いとかするしやわらかいしで
内心大喜びで歩いたのだった。
やがてルートが終りみんなの待つ広場へ帰ってくると、
照れ隠しに俺は、
「こいつもうギャーギャーってしがみつかれてさー」
とクラス全員に言いふらして、そのうちその娘をはやし立てる雰囲気が
出来てしまった。
案の定その娘は泣いちゃって、そして走って寄宿所に帰っちゃって、
その後は女子全員の俺に対する罵り大会。
それで終わったならただの思い出だけど、
その後俺はその子のことが好きになっちゃったんだよ。
当然振り向いてなんてもらえるわけも無く、
またそのことを一度も誤る事も出来ずに俺の恋は終わった。
だいぶ長くなってしまった上に対して面白くないなこれ。すまん。
>>552 そういう現象って何て言うんだっけ?
その時の状況で好きになってしまう現象
>>552 うむ、なかなかせつない。5段階評価で、4せつなー。
小中学生の男女にとって、肝試しは、距離が縮まる遊びだよね。
彼女にはトラウマだろうなあ。
今からでもとりあえず誤っとけ
同窓会で謝ればいいんだよ
将来の嫁さんかもしれないぞ
彼女に謝るか、道を誤るかの二者選択だ
>>553 危機的状況で結ばれた愛は長続きしないぞ現象
謝ったって俺が得するわけじゃねえもん、がデフォルトだろうな
高校・大学だったら文化祭カップルになるんかな
コンビニでバイトしているけど、50〜60代のおじさんが
カップ麺だけ買ってお湯入れて出て行く後姿は切ない。
うちはポットの横にテープ常設してないので、フタ閉じ用に使ってくださいと差し出すと
めちゃめちゃ恐縮されて更に切ない。
こちら側の勝手な思い込みの可能性もあるんだけどな
公園でひとりベンチに座ってハトにエサやってるおじさんは孤独に見えたり
実際は満ち足りた人生なのかも知れないし だが切ない図だ
566 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/19(木) 01:35:06 ID:0wSBaQ/z
満ち足りた人生だろうが
せつないのはせつない
俺の財布にお札が一枚も入ってない…。
>567
不信心な奴だな
>>567 オレはおでこに常に一枚、貼ってあるぞ !
>569
中華ゾンビ乙
てんてんちゃん元気かなぁ
私は姉と弟の三人兄弟。
5歳になった頃、当時8歳だった姉が入院した。
入院というものがよく分からなかった当時、見舞いに行っても全く普段と変わらない様子の
姉が何故家に帰れないのかが分からずに不思議だった。
そして見舞いに行くたびに枕元に増えていく、両親が姉のために買って来るおもちゃがうらやましくて仕方なかった。
ある日いつものようにお見舞いに行くと、姉が私におもちゃを差し出して言った。
「○○(私の名前)、これあげる。」
私は嬉しくて仕方なくて、喜んでそのおもちゃを受け取った。
「○○にね、全部上げる。お姉ちゃんのもの全部上げるよ」
いつもと変わらない様子で、にこにこ笑ってそういった。
それから数週間後、姉は亡くなった。生きていた姉に会えたのは、これが最後だった。
それから十数年たって、姉がかかった「白血病」がどんな病気なのかを知った。
それが切っ掛けで私は看護師をしている。
一生続けられる仕事をくれたのは姉だと思っている。
>>572 。・゚・(ノД`)・゚・。コピペならブチコロス
574 :
572:2006/10/19(木) 19:23:53 ID:/0Z5dSrn
蛇足ながら、コピペではありません。
実体験です。
その後、骨髄移植という手段が出来、骨髄バンクが出来、白血病が不治の病でなくなった時
「これで姉と同じ病気の子が助かるようになる」
と喜んだ半面
「もう少し早く出来ていれば、ひょっとしたら姉は助かったかもしれない」
と泣けてきました。
今同じ様な境遇の子供たちを見るたびに姉を思い出しつつ、看護師として毎日を送っています。
姉が私にくれたものは、目に見えるだけのものではなかったと今にして思います。
長々と失礼しました。
私の姑の顔には大きなケロイドがあり、
片目の視力がとても弱い。
これはアル中でDVだった元夫からつけられたもの。
片目は殴られて視力が落ちたらしい。
浮気借金生活費はギャンブルに、と本当に酷い男だったという。
夫が小2のときに蒸発したがたまに戻ってきては金をせびり、
姑をソープで働かせようとした事も。
その人がアルコールで肝臓を壊して亡くなり、葬式を出した。
出棺の時、姑が「ありがとう…」と呟いた。
夫と義兄は「母さん何言ってるんだ!こんな奴に礼なんて!
どれだけ苦労させられてきたと思ってるんだ、母さんはバカだよ!」
と姑をなじった。
すると静かに姑が言った。
「私は結果が分かっててもこの人以外とは結婚しないよ。
他の人と結婚したら、あんた達は生まれてこれなかった。
あんた達が生まれなかったらこの子達(孫)も生まれなかった。
あんた達は私の誇りだよ」
みんな泣いた、もう号泣。
弔問客なんて一人も居ない寂しい葬式だったけど、
あの時だけはいい式だったな。
流した涙は亡くなった人に向けられたものではなかったけど。
その後亡くなった姑の墓参りのたび、
子供の成長を感じた時、
「ありがとう」って言ってる。
今なら助かっていたかも・・・ってのが切ないな
仕方のない事とはいえ
小学校の時の話なんだけど、俺の小学校の給食はそれぞれ班ごと
席をくっつけて食べる形式だったんだ。それで当時俺が淡い片思いをしている女の子と
同じ班になったことがあったわけよ。で、若かった俺は彼女を楽しませようと
そりゃもう持てる身を尽くす勢いで面白い話をしてあげた。
班のみんなもゲラゲラ笑っててその子も頑張って大笑いを耐えながらピクピクしてた。
当時限度を知らない俺は更に調子に乗り、彼女が牛乳を飲んでいるにも関わらず
郷ひろみのギャランドゥを誇張しながらノリノリ振りつきでシャウトした。
次の瞬間、彼女は耐え切れずに「オブゥエアバッシャ!!!!」みたいな奇声とも爆笑とも
取れる声と共に噴水のごとく牛乳を噴出した。降り注ぐ牛乳は班の全員の給食に降り注ぎ
彼女は笑いが止まらず鼻から牛乳出しながらエッヒャヒャヒャアヒャヒャ!!!!って笑いまくっていた。
彼女の笑いだけが響き凍りついた教室。一番凍っていたのは俺だ。
やがて彼女が落ち着いて沈黙が流れた。誰が悪いともいえない微妙な空気…
もはや手をつけられない給食…
彼女は半分泣きながら鼻牛乳を拭っていた…
その後、恋心も吹っ飛び、ただ次の席替えまで気まずい給食タイムだけが残った。
今思い出しても切ない。というか死にたい。
お前…重くていい話二連のあとにそんな話を…
切なさに貴賎は無い!
と思いたい今日この頃(W
郷ひろみのギャランドゥ だけ読んだ
小2の頃、クラスで月1「お茶会」なるものが開かれていた。
それぞれの班で各自お菓子を持ちより
お菓子交換しながら談笑するという行事(?)。
あるお茶会の時、いつもどおり同じ班の子達で
お菓子交換をすることに。
自分はチョコパイを皆に配って、他の子はポテチやら
チョコやら洒落たお菓子を皆の皿にのせていった。
でもある男の子(A君)だけなかなかお菓子を配ろうとしない。
「お菓子忘れたの?」と自分が聞くと、A君は恥ずかしそうな
申し訳なさそうななんとも言えない顔をしてタッパを机の上においた。
それから静かにタッパの蓋をあけると、そこには
明らかに手作りな「ぼたもち」が班の人数分(6個)ラップに包まれて入っていた。
一瞬固まる班のメンバー。
「母ちゃんがさ・・・もってけって・・・」と言って申し訳なさそうに笑うA君。
すかさず班長が「でも俺ぼたもち好きだぜ!」とフォロー。
後に続いて皆も「私も!」「僕も!」と。
うれしそうに皆の皿にぼたもちを乗せていくA君。
でも今思えば100%嬉しそうな顔じゃなくて
皆がフォローしてるのわかった上で無理矢理笑顔作ってた気がする。
それにお茶会の為にわざわざA君のおかんがぼたもちを
作った光景を浮かべるとなんとも言えない気分になる。
いまだにぼたもち見るとA君の顔思い出して切なくなるよ。
>>582 いいクラスメートじゃないか!
いまのイジメをやるやつにつめの垢を煎じて飲ませたい。
みんないい子だったんだな。>582
しかし、手作りぼた餅はうまいがな。ずっと食ってないなー。
昼休みにコンビニでカップラーメンを買い、
店でお湯入れて学校までこぼさないように気使いながら移動してたんだが、
気使いすぎて車に轢かれた。切ない。
>>585 もちろん、どんぶり頭にかぶって
麺がぶら下がってたよな?
コンビニでカップラーメン買ってすぐ食おうとしたのに、ポットのお湯が
全部なくなってるときが切ない。
>>589 半分しか入れられなかった時は
多分、泣いちゃうな
ポットはゲボゲボガホッ!ゴフッ!とかいうしω・`)
>>582 目から汗が…
クラスメートのためにぼたもちを作ったA君のおかあさんの気持ち
そのおかあさんの気持ちを思って「おしゃれはお菓子がいい」と
言わずにぼたもちを持っていったA君の気持ち
A君の気持ちを思って楽しくぼたもちを食べた班長の気持ち
582さんたちクラスメートの気持ち
切なくて暖かいですね。
(おかんのぼたもち、食べたいなー)
車には轢かれはしなかったけども・・・
俺も
>>585と同じように手にカップラーメン持って横断歩道渡ってたら
後ろで鳴ったクラクションに必要以上に「ビクゥゥッ!」っとしてしまい
その拍子に持ってる指にお湯がかかり「アッツァァ!」となってしまい
とっさに逆の手に持ち替えたら その拍子にまた持ち替えた手にお湯がかかって「アッtry」
で結局横断歩道に落してしまった。切ない。
594 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/20(金) 22:03:05 ID:ZSwkMm4q
>>594 うちの子も小二だけど、この程度の会話なら友達としてるぞ。
596 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/20(金) 23:00:09 ID:ZSwkMm4q
>>595 色付けしてることも気付かないんだ・・・
俺だったらチョコパイより手作りぼたもちのほうがいい
>>582です。レスありがとうございます。
>>592 まさにソレです。
10年ちょっとたった今ではA君のその時の気持ちとか
A君のお母さんの気持ちとか色々考えてしまって
ぼたもち見るたびに切なくなります。
>>594 すみません、ネタじゃないんです。色づけもしてません。
文の書き方が気に障ったならすみませんでした。
小2ともなると、子供同士の会話って割と大人びてるよ?
601 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/20(金) 23:24:55 ID:Idy1MDAD
小学校に通えなかった子なんだろ
>601
せつねぇなぁ
小学校低学年の頃、前の席の奴の背中にふざけてハナクソくっつけたんだ。
そんで、
「おい、ハナクソくっついてるぞ!」
と、自分としては100%ジョークでからかったら、そいつは泣きだしてしまった。
一部始終を見ていたらしい他の奴が、
「こいつがつけたんたぜ」
と説明。
クラス中から非難されたよ……
「うわwwなにすんだよーww」
くらいの反応で済むと思ったんだが……
全く切なくねぇー
606 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/21(土) 14:44:09 ID:zYupagNy
一律に小二の会話はと決めつけてる阿保が多いな。
607 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/21(土) 14:51:35 ID:zYupagNy
ぼた餅目の前にしたら大概の子は素直に喜んで食うよ。それを「フォローした」だの色々脚色しているから反って不自然さを拭えない。
みっともない
小学5年になって、クラス替えがあった2〜3日後かな
後ろの席のA君と仲良くなって、放課後A君の家に遊びに行くことになった
ファミコンの話で盛り上がりながら家路についていると、
何台もの消防車やパトカーが脇を過ぎていく
目線を上げると真っ黒い煙と火柱が見える、結構近い
当然「見に行こう!」となって、初めて近場で見る火事にワクワクしながら走ったんだ
でも、現場が近づくにつれA君の顔色は血の気を失せていく
半泣きで無言の猛ダッシュが、事態の重大性を物語っていた
最初、「なになに?オマエんちだったりしてw」と茶化してたオレももう、何も言えない
現場は騒然、怒号の嵐
一向に弱まらない火柱を眺めながら、ポツンと立ち尽くすA君
かける言葉が見つからないオレは、警察官の袖を引いて
A君がいる事を伝えるのが精一杯だった
幸い怪我人は出なかったが、A君はその日から学校に来る事はなく
一週間後に田舎の兵庫県に引越してしまった
サイレンを聴くたびよみがえる、秋の思い出
あー秋じゃないや、春の思い出でした
あー兵庫県じゃないや、佐賀県でした
あートラじゃないや、シカでした
脚色したとかつまらないことをいう馬鹿が多いな。
市販のおやつを持ってくるのが普通の集まりで手作りのものを目の前にしたら大概の子は素直に喜ばず引いちゃうよ。それを「脚色した」とか色々勘ぐっているからひどい不可解さを拭えない。
615 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/21(土) 20:10:37 ID:MbD2oIR+
>>614 喜ばずに退いたというのはお前の想像だろう。
どうして他のみんなが退いたと決め付けるの?
根拠もなしに想像でストーリーを仕上げてるんだから脚色には
違いないだろう。
「喜んで食う」っつーことこそ
>>607の勝手な想像であり決めつけだろうがwwww
皆が皆そうなのか?www
事実はもう別にどうでもいいがアホさ加減に気付けよww
>>615 ちょっと、落ち着けよ。
脚色したってのも貴様の想像にすぎないだろうが。
618 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/21(土) 21:10:52 ID:V0MtsKfp
高校生になったら、彼氏つくって、帰り道一緒に帰って、友達とプリとって〜・・・
と厳しい中学で育った私はものすごく期待をしつつ、高校に入った。
でも、格好いい人はいるがタイプじゃない、友達とノリがあわなくてつまんない、勉強進むのが早い・・・と
一年の夏には既にやる気がなくなっていた。
そんな中、文化祭の準備で私と同じグループになった男の子が、
一人でぼーっとしている私に話しかけてくれたり、準備手伝ってくれたり、色々気にかけてくれた。
当時の私は自分のことで精一杯で、友達が
「あの子アンタに気があるんじゃないの?」と言っていたのも軽くスルーし、
あれだけ準備を頑張ってた文化祭も当日にサボった。
冬ごろになり、勉強のストレスから鬱になり一日中家に引きこもってばかりいた。
そのとき頭の中にあったのは、その男子のことだけだった。
ああ私はあの人が好きなんだなぁとようやく気づきはじめていた。
それから二年生になり、その子ともクラスが離れ、また一人ぼっちの生活が続いた。
でもあの人がいるから頑張れる、学校にもこれるんだと思いながら毎日通っていた。
そのうちにクラスにも打ち解け、友達もいっぱいできた。
片思いして二年が過ぎ、三年生になった。
その男の子が最近女子の間で人気だと知り、「これはヤバイ」と思ってあわてて告白した。人生ではじめての告白だった。
結果、振られた。その日は一晩中泣いてた。
ただお互いが好きになるだけなのに、どうしてこんなに難しいんだろうと思った。
でも、告白して後悔はしていない。
今でも廊下ですれ違うし、たまに目があったりもするけど
彼のおかげで三年間、学校に通えた。友達もできた。
泣きそうな夜の救い舟になった。ありがとう。
私この学校に入学できて本当に良かった。
619 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/21(土) 21:41:49 ID:zYupagNy
>>617 脚色したと思うのも自由だろ。何か問題ある?
620 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/21(土) 22:28:34 ID:MbD2oIR+
だから事実と信じようが、ネタと受け止めようがそれは自由ってこと。
俺は事実だと思う、ネタとか脚色しているとか言う奴はいけないなどというのは
傲慢以外の何物でもない。
もうほっとけよ
書いた本人がホントの話だって言ってんのに聞かないバカに何言っても
「自分は正しい」って言うだけだ
622 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/21(土) 22:58:57 ID:mwNQJpBC
>>619 他人の意見は否定
自分の場合は自由
リア消乙
>618
何かすごいうらやましいなー
もし自分もそんな青春送っていたら、
今の人生はもっと違っていたのかもしれない
ちなみに自分の高校生活は4行目で止まって
そのまま三年過ぎて終わったorz
>>618 お前カコ(・∀・)イイ!!
よかったな、最高の高校生活だったジャマイカ
625 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/21(土) 23:13:01 ID:zYupagNy
本人が事実だと言えば、それは事実なんだw
626 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/21(土) 23:18:06 ID:K4q0TKHa
2ちゃんで事実を求めるなよ
なんかさ、
>>582のボタ餅ガキの家がものすごく貧乏だと思ってないか?
カーチャン「ほら!お彼岸だからボタ餅作ったで!はよ食べ!」
ガキ「わ〜い!ボタ餅!ボタ餅!あ、カーチャン!明日茶話会やで?おやつ買うから小遣い!」
カーチャン「は?このボタ餅持ってき!こんなにあるんやから!」
ガキ「え!?でも、カーチャン…みんなチョコとかもってくんねんで?」
カーチャン「何言うてんねんな!こんなにあるんやから持っていき!みんなにカーチャンが作ったって言ったらええやろ!」
ガキ「でも…」
カーチャン「ほら、タッパに入れといたからな!明日忘れんように持っていくんやで!」
ガキ「カーチャン…(´・ω・`)」
あ、オレだけか…orz
629 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/21(土) 23:31:33 ID:T+fyJtvI
>>625 どこをどう読んだらそうなるのか
救いようの無いバカだな
>618
まさに青春じゃ!これぞ青春じゃ
若返りの薬おいしゅうございましたわい。
>>618 甘酸っぱ〜い
なんかキュンッ!ってなった
玉袋が
633 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/22(日) 03:27:39 ID:iKnVtPgH
家庭事情から中卒で働いた仲の良かった友人が
お金ほしさにフツーの会社→スナック→クラブと流れて行き
最終的に惚れたチンピラに風呂に沈められた時。
私はまだ大学入ったばかりだったし、彼女のグチを聞くよりなすすべがなかった。
中学時代の担任には打ち明けて助けてもらったけどさ。
先生にもごめんなさいが言いたい。
>633
まさに売春じゃ!これぞ売春じゃ
若返りの薬おいしゅうございましたわい。
636 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/22(日) 06:08:40 ID:nqElztc3
>>630みたいな書きこみが間に入るとスレの雰囲気が壊れるな。
637 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/22(日) 07:35:59 ID:heW1kugE
大学の時、田舎から出てきて一人心細くてなかなか大学にも馴染めなかった私に家族ぐるみで親切にしてくれた友達がいた。
その子は親御さんが会社を経営したり不動産収入があったりお金持ちだったけど、気取らず真面目でいい子で金銭感覚もしっかりしてて、親御さんも気さくで、彼女にはまだ8歳の弟がいたんだけど私をお姉ちゃんと慕ってくれて、私は彼女も彼女のご両親、弟も大好きだった。
でも、大学四年も終わりの時に彼女のご両親が事故で亡くなった。
会社は彼女のお兄さんがすでに社長に就いていたので、特に何か問題があるというのは無かったけど、、、。
私はお世話になりっぱなしだったのと、本当の親のように接してくれたご両親が急に亡くなって、とにかくショックだった。
もちろん彼女が一番辛かったはずなのに、気丈に振る舞い、ご両親の死を受けとめられない弟さんを慰め、泣いてばかりの私にまで色々気遣いをしてくれた。
でも、遺産相続の件で彼女はお兄さんの奥さんにとにかくひどい事を言われ続けて、小さな弟さんを連れて家を出た。
なんでも、不動産収入で親御さんが遺してくれたお金を、彼女と弟さんに全て与えるとの遺言があったから。
彼女のお兄さんに与えられたのは、会社と家土地だけだったのが気に入らなかったらしい。
638 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/22(日) 07:52:15 ID:heW1kugE
>>637続きます。
別に自分でマンションを買った兄夫婦は、彼女達のことも考えずにお金にばかり目がいって家土地を売却してしまった。
彼女はアパートを借りて弟さんを学校に通わせて面倒を見ていた。
彼女は兄夫婦よりお金を持っていたから生活は不自由ではなかったけど、とにかく莫大な金額を相続したのが兄夫婦には気に入らなかったらしくて、弟さんまで嫌がらせを受けてたらしい。
今、弟さんは中学生。彼女は普通に会社で働いているけど、実の兄弟でも、お金でそんなに人が変わるのを見て、腹ただしい気持ちと、切なくて悲しい気持ちでいっぱい。
>>637 お金は人を変えるからね...。
でもその友達と弟さんが、まっとうに育ってれば良いじゃない。
どうしてもうるさいのなら、兄妹の縁を切るのも手だよ。
>>639そーだねー。
俺も醜い遺産相続のやりとりを目の当たりにした事あるけどホント嫌になる。
>>637は句読点の使い方を(ry
親からしてみたら、成人して家庭もあり、会社を継いでいる兄には
会社と家を、まだ学生&幼い子供の妹弟には大人になるまで学校行って
生きていけるように十分なお金を、っていうとこで十分平等な配分だったんだ
ろうな。そして間違ってないはずなのにな。
目先のお金だけにつられちゃうのって切ない。
兄嫁が癌だな
643 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/22(日) 19:34:06 ID:WOgolu6c
兄も会社を相続してるんだろうに、それ以上に兄弟の財産まで目が及ぶんだね。
それと、遺産相続ってけっこう揉めるのは、直接は関係の無い配偶者とかが
口を挟むことで問題が大きくなることが多いみたい。
でも、莫大な現金貰ってるのに、
「彼女達のことも考えずに家土地を売却」って不服そうなのはちょっとそっちもずうずうしくない?
要するに、会社と家と土地だけで現金がなかったから、
相続税払うために家や土地を売るとかその為に出て行けとかって揉めたんじゃない?
相続税ってマジでこんなに取るの!?ってくらい持ってかれるもん。
645 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/23(月) 04:30:40 ID:v/9KQXGV
ここは雰囲気壊すようなこと書くと煩いよ。
>>644みたいなのが兄嫁なんだなあと思う。
自分では正当なこと言ってるつもり満々。
実家が無くなったら悲しいよね。
優しい両親と一緒に過ごした思い出いっぱいの家だもんね…
うん。家には想い出があるよ。
売る前に妹や弟の意思は全く確認しなかったのかな。
まあ兄嫁が意地汚いんだろうな。兄はヘタレ。会社が潰れたりうまくいかなくなったら
早速弟妹の遺産金にちょっかいかけてくるに100000ひろゆき。
うわ価値ねーw
651 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/23(月) 15:11:12 ID:IhC/96HD
自分は今50代前半だから、約30年前の話。
仕事から帰って部屋に入ったとき、机の上に皿にのったバナナ1本とリンゴ1個
があった。一体これは何だろうとしばらく考えたが、その日は自分の誕生日だった。
そうすると、これは母が誕生日のプレゼントのつもりで置いたんだ、と思ったら急に
切なさがこみあげた。
今はきれいにラッピングして洒落たプレゼントを贈ったりするが、当時は
貧しかったし、母親にはそんな才覚もなく、あれが精一杯のプレゼントだった。
亡き母を思い出すたび、このことが忘れられない。
>>651 精一杯のことをしてくれる、いいカーチャンだったじゃないか。
30年前といったら
バナナは高級品じゃないか
オレは甘いもんが苦手だったから
誕生日はいつもカレーかハンバーグだったな
それがすごいうれしかったんだが、友達にその事を話すと
「え〜ケーキないのぉー カワイソー」と言われて(´・ω・`)
654 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/23(月) 18:49:23 ID:UR7U7pqf
品物の価値じゃないよな。
真心がこもっていればどんな品でも嬉しい。
自分を祝ってくれるその気持ちが嬉しい。
そういう人が身近にいる人は幸せだな。
おれも好きな子からヴァレンタインチョコレイトをもらったときはうれしかったな。
おれの友達と一緒に、それもチロルチョコだったけど
おれのだけチョコが砕けていて、わざわざ食べやすいようにと
気遣ってくれたそのやさしさに、また改めて惚れ直したものだ。
そして告白したのだが、あなたにはもっと良い人がいる、と断られ
そんな謙虚さに惚れ直し再度告白。シャイな彼女は恥ずかしがって幾度もの告白に
とうとう応じてくれないまま卒業式を迎えた。
おれはもっと情熱的にアッピールしたらよかったな。
あまりに若すぎた二人だったのだろう。
まさに"今思い出しても切なくなる思い出"といえよう。f(^o^;)
>>655 言いたいことはよくわかった。
とりあえず事故にあえ。
やんわり断わってもわからない人っているんですね
砕け散ったチロルチョコだっていいじゃないか、貰えるだけ
イキロ(´・ω・)ノ(;ω;`)
切ない思い出すらない切なすぎる人生…
>>663 ダイジョブ、これから充分イタくなれるから。
666 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/25(水) 00:11:04 ID:bmi+9ywp
義理チョコ上げただけでここまで思い込む男って怖いだろうな。
チロルチョコって簡単に砕けるか?
砕いて食べやすいようにってチロルチョコは一口サイズだよね…?
文がお菓子い
>>655 ワロチwwチョコレイトアッピールww
「ア、アナタにはコレでじゅーぶんなんだからねっ」
ってチロル1個だけならアリ
過去中2のとき、チロル一箱(45個入り)をバレンタインでもらった事ならある
義理か本命か判断がビミョーだったが、
「お返事ください。」ってメッセージが添えられてたので、
「おいしかったです。 いま4個目。」って手紙に書いた
あの娘とはそれっきりだなぁ
ビミョー!!www
>>671 アァァァァ、乙女心を台無しにするやつだ...!
でもそんなオマイが好きだw
675 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/25(水) 23:58:22 ID:bmi+9ywp
俺が大きなハート型のチョコ貰った時、チョコに白く「心変わりしないでね」と描いてあった。少し恐かった。
チョコなんて貰ったこと無いぜ。
クッキーならあるけど。明らかに砂糖の量が少なかったけど、美味しかった。
>>676 なんでCookieに砂糖が出てくるの?
678 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/26(木) 02:28:40 ID:K8SGr2qE
おでん屋に入って卵を注文
噛んでたら、なんか「こりっ」て奥歯に当たった
出して見たら小さな口ばしだった
「お兄さんそれ当たりだわ、1個おまけするよ」
いらねーよ・・・
>677
なんか気の効いた事を言ってるつもりで大失敗
>678
切ないってより微笑ましいんだが
ヒヨコになっちゃってたの!?(iДi)
>>678 鶏の卵じゃなかったと思うけど、
中華圏では羽化直前の卵を食べるんだよね。
確かアヒルの卵だったかな?
ごめん。
孵化でした。
もうすぐ移転することが決まっている大学のキャンパス
そこに、みんなが可愛がっていて、足を怪我している一匹の老犬が住み着いている
その子の未来を想像すると切なくなる
>>685 自分の学校(大学じゃなく高校だけど)が移転したときは
住みついてる老野良猫を連れていったよ。
引っ越し大作戦は有志数人が始めたんたけど
気付いたら学校全体の大プロジェクトになってたw
学校には内緒(あくまで建前。こっそり猫缶差し入れる先生もいた)。
その猫は自分が卒業した数年後に亡くなったらしいけど、
その子孫はまだ学校に住みついてるそうだ。
連れて行くのが犬にとって幸せなのか
老犬にとっては身体的に大変じゃないかとか
誰かに飼ってもらえばいいかとか
そしたらあんまり会えなくなるからさびしくなるなとか
そういうの総合して切ないのです
689 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/27(金) 18:40:26 ID:L//+4GmL
老犬なんだろ?
簡単ジャン。
首に紐かけて絞めれば二三分で死ぬよ。
それで生ゴミの日にでも出せば済むし。
690 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/27(金) 18:45:16 ID:OaUqhQdH
>>689 そういう風なことをさらりと言ってのけて
「俺ってばニヒルでかっこいい」って悦ってるんだろうね。
だっさーwww
693 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/27(金) 19:57:20 ID:GbqdlBRg
去年の今頃、かーちゃんの実家の隣に住んでた
一人暮らしのお爺さんが亡くなった
うちのじーちゃんといつも喧嘩して、悪態ついてたらしいんだけど
通夜の時、うちのじーちゃんはうな垂れて
棺の前から動こうとしなかった。
生まれてから、ずっと一緒で戦争も同じ戦線に行った仲らしい
身寄りが無かったので、じーちゃんが葬式代全部出した。
694 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/27(金) 20:15:08 ID:RcmulF9d
>>689だろ?
簡単ジャン。
ケツの穴に爆竹詰め込んで着火すれば一瞬で死ぬよ。
それでカラスにでも喰わせれば生ゴミも荒れないし。
>693
じいちゃん…(´;ω;`)
いつもけんかしてても、お互いに人生の一部分みたいな感じだったんだろうか。
696 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/27(金) 20:24:27 ID:jSHwB7gC
生まれた時から22年間同居してたおじいちゃん。去年亡くなった。
人は好いがかなりぬけてたおじいちゃん。
自分大学に2時間以上かけて通ってたんだけど理系で実験とかテストとか
立て込んでた時期に2ヵ月だけレオパレス借りて一人暮らししたことがあった。
そっちに移る時におじいちゃんはお餞別にキュウリのキューちゃん(のみ)5袋くれようとしたの。
2ヵ月で5袋…消費できるわけない…(しかも重い)
だからいいからいいからと言って2袋しか受け取らなかった。
でも、自宅にキューちゃん5袋もあるわけない。
きっとスーパーで5袋自分で買ってきたんだろう。
一人で暮らす私のことを考えて。
今思えばおじいちゃんのそのこころを汲んで5袋全部もらってあげればよかった。
思い出すと切なくなる。
697 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/27(金) 20:28:17 ID:L//+4GmL
簡単じゃん。
「あいよっ」って胡瓜5袋全部貰って、途中のコンビにのゴミ箱にでも
叩き込めば済むよ。
小学生のとき、近所に変わり者のおじさんがいて
親からは「近寄ったらダメよ!」って言われてたんだけど
話が面白くて、公園に遊びに行ってはおじさんと遊んでた
こめかみのところがすごいへっこんでて
「ここどうしたの?」ってきいたら
「取り出して味噌汁にして食っちまったんだよ〜
晩飯に脳みそみたいなの入った味噌汁出るだろ、
あれみんなおっさんみたいな奴の脳みそだぞ〜ウヘヘヘ」って言われて
まじにたちの入った味噌汁は脳みそ味噌汁なんだと信じてた
699 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/27(金) 20:36:31 ID:sqLnlhR4
今日の話なんだがウチの高校も世界史未履修・・・切ない。
あるひいつものようにおっさんと遊んでて、
さあ帰ろうと思ったらチャリの鍵なくしたことに気づいて俺は泣き出した
するとおっさんが今まで見たことないような真面目な顔になり
「ちょっと待ってろ」と言って
家から千枚通しを持ってきてあっという間に泥棒がやるみたいに鍵を開けてしまった
唖然とする俺におっさんは
「なくしたら願っても二度と手に入らないモノもあるんだからな、今持ってるモノは大切にしとけ」と呟いた
そこに帰りが遅くて心配した母さんが公園に来て
おっさんと一緒にいる俺を見て慌てて自転車と俺を引っ張って公園から出ていった
おっさんは俺の背中に向かって「じゃあなー、今まで楽しかったー、学校でまともな友達見つけなー、
おっさんみたいなのじゃないなー」と叫んでた
おっさんの顔は見えなかった
それいらいおっさんには会っていない
>>700 確かに、暮らしぶりはまともじゃなかったのかも知れないが…
言ってること、そこらの大人なんかよりずーーーっとまともだよ、おっちゃん…
702 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/27(金) 21:02:49 ID:6HxxEhTX
>>701 複雑な人生経験があってこそ重みのある一言がでるのさ。
703 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/27(金) 21:04:41 ID:6Cg7+Pyn
そのおっさん今は某企業のアメリカ支社長になってますよ
704 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/27(金) 21:14:11 ID:6HxxEhTX
某企業 → カギの110番
705 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/27(金) 21:20:27 ID:G087RX+i
>697
読んだ瞬間、バカ笑いしてしまった自分がなさけない。
706 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/27(金) 21:28:45 ID:6HxxEhTX
>>705 お前って思いやりの欠片もない薄情な奴だな。
>>706 自分で気がつけるだけマシだと思う
あんなこと書いて喜んでるヤツが一番ダメダメ
>>702 だな。
おれも、もう戻らないものがいっぱいあるなあ (´・ω・`)
髪の毛とかな
それは切ない(´・ω・`)
切れない、の方が近くないか?
切れなくて切ない(´・ω・`)
ない髪は切れぬ
ガンガレ!!
715 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/29(日) 11:53:20 ID:kd253/7G
毛のない所に毛ムリは生えない
無くして後悔
by元童貞
_,,_ パーン
(‘д‘)
⊂彡☆))Д´)
>>716
今年の夏、喘息で入院してた時の話。
循環器病棟に入院する事になって、周りはお年寄りばっかりだった。
最初、私はICUみたいな名前の所にいて、普通の病室に移されてからもトイレ以外の歩行許可?が出なかった。
入院して5日程して、病棟内なら歩いていいって言われたけど遊び場所がある訳でもなく、ナースステーション前の談話所みたいな所で時間潰してた。
窓際のソファーにおばあさんがいた。
おばあさんはずーっと空を見てたけど私に気付いて振り向き、にっこり会釈をしてまた空を見た。
近くのソファーに座ったら、「今日もお空が青いねぇ」ってニコニコしてた。
次の日も、また次の日もいつもおばあさんはそこにいて、一日のほとんどそこで空を見てた。
そしていつも、「今日もお空が青いねぇ」ってニコニコしてた。
続きます。
続き
おばあさんは高齢で、ちょっと転んだらすぐ骨が折れてしまいそうなぐらい小柄な人だった。
循環器病棟だったから、多分心臓か何処かが悪かったんだと思う。
いつもの挨拶も2週間程続いた。
でもある日、雨が降った。
「雨は悲しいねぇ・・・」私は「明日はまた晴れてお空がキレイだといいですね」って答えた。
その日、朝食が済んで談話所に行くと、おばあさんはいなかった。
昼食が済んでも夕食が済んでもおばあさんは来なかった。
曇り空が嫌いで病室にいるのかと思ってた。
次の日は見事晴れてた。
今日はおばあさんとどんな会話をしようかとウキウキしながら談話所に行ったけど、おばあさんの姿はなかった。
心配になったけど名前も病室も分からない。
検温に来た看護婦さんに聞いてみたけど、『今日は会ってない』ってただそれだけだった。
朝食が済んでも昼食が済んでもやっぱりおばあさんが来ないので、また看護婦さんに聞いた。
そしたら、『昨日の夜に亡くなりました』って教えてくれた。言っちゃいけないから教えられなかったって。
おばあさんが最後に見たのは雨だった。
せっかく今日は晴れたのにってやるせなかった。
今、おばあさんは青い空にいるんだろうと思います。
720 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/30(月) 18:17:31 ID:cz3/ZV1F
おばあさんが天国に行ったからお空が泣いたのさ。
雲の上はいつも晴れてるから、きっとおばあちゃんはきれいな星を見て
天に昇っていったとオモ。
虹を渡るおばあちゃんの夢を見ちゃったじゃねーか
高校のとき付き合ったけどすぐに別れた。
「友達として仲良くしていこう」と約束したけど、
あっちに新しい彼氏が出来てなんかやるせなくて、廊下で会っても無視とかしちゃった。
相手も始めは何が何だかわからないという顔をしてたけど、
じきに顔を伏せて足早に横を通り過ぎるようになってた。
先日同窓会があって知ったが、彼女は遠くの大学へ進学しご両親も引越てしまったそうだ。
もう同窓会のためだけにこんなとこまで来ることはないだろう。
あのときのことを謝ろうと決心してセリフとかも考えて来たが無駄になった。
帰りになんとなく車で彼女が住んでた家の前に来た。明かりがついてるが中には別の家族がいるんだろうな。
そのあと車の中で少し昔を思い出して一人泣いた。
甘酸っぺー!!w
小学生の頃、ピアノの発表会のため新しい服を買ってもらうことになった。
いつも姉のお古ばかりで滅多に新品を買ってもらえなかったから嬉しくて、買ってもらえる
何日も前からいろいろな店で下見して、やっと服を決めた。
服を買う当日、店に行く途中に急に姉が自分も服が欲しいと言い出した。
姉が買いたい服のある店は、私の目的の店より近かったため母は姉の服を先に買った。
嫌な予感がしていたけど、その後私の欲しい服を母に見せた。
母は、さっきお姉ちゃんの服を買ってしまったから高い服は買えないと言って、
私の欲しい服を棚に戻した。
そして、少し似た形のもっとずっと安い服にするよう勧めてきた。
姉が買った服は一万円以上したのに、私の発表会用の服はその半額以下なのかと思うと
母の愛の差がその金額にあらわれているようでその場で泣いてしまった。
母は結局欲しかった服を買ってくれたけど、母にとって大事なのは姉なんだとわかったから
それ以来母に甘えることはなくなった。
姉の成人式のとき、母は古着っぽい振袖を姉に着せた。
私の成人式のときは、安いものだけど新品の振袖を買ってくれた。
はじめて姉より優遇してもらえた気がして嬉しかった。
何年かして姉が結婚し、里帰りで女の子を産んだ。
赤ちゃんをかこんで皆で話していた時、母が姉に言った。
「おばあちゃんが縫って私が着て、娘のあなた(姉)が着た振袖をこの子も着ることに
なるのね、あの着物をしっかりと伝えてあげてね」
姉の古着のような振袖は、祖母が手縫いして作った母のものだった。
私だけが、知らされていなかった。振袖の存在すらも。
それからしばらくして私は家を出て一人暮らしをはじめた。
転勤願いを出して遠方に引越し、もう5年も家に帰っていない。
母から思い出したように電話がくるが、内容は姉と姪のことだけ。
私には、近況も聞かない。
>>728 元気にやってる?栄養のあるもの食べて体壊すなよ。
>>728 良い旦那捕まえて、新しい、温かい家庭をつくる。
で、良いでは無いか。
明日はあるんだし。
がんばれ。煮たようなヤツはここにもいる。
まぁ正直な話子供が二人いればどっちかの方がかわいいとかって話になるわな
俺は次男だが、兄貴とは露骨に差を付けられたなぁ
俺はその分弟達をかわいがったつもりだ。
オニイチャンだからね。
>>726 切ないな。
早く甘えられる相手を捜してくれ。
血が繋がってないほうが清々するね
せつねぇ
ウチの親はむしろ昔から兄貴に対してだけ冷たいフシがある。
でも兄貴はそのことに一度も触れたことはない。
きっと心の奥底ではそんな不満があって、でも・・・信じたくなくて目を背けてるんじゃないかと思う。
俺がそれは冷たいんじゃねーのって思う時の兄貴の姿がたまに
「嫌わないでくれ」「もっと愛してくれよ」って訴えてるように見えて、すごく切なくて、その時だけは両親が憎憎しく見える。
737 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/10/31(火) 18:34:15 ID:XeIfy0/Z
男の子三人産んだ母親が
「なぜか真ん中の子だけ可愛く思えて仕方ない。
三人平等にって心では思うのだけど・・・」
といっていた。
私はずっと父子家庭の農家で育った。
物心ついた時から、仕事と家事を手伝っていた。
姉がいたが、姉は喘息もあったし、働いてなかった。
毎日必死で働いた。父に嫌われたくなくて。好かれたくて。
私は母に似てたから、いつも疎外されてたから。
高校生の時、父が女の人を連れて来た。
前妻に似てる私を継母は嫌った。
家族皆、私に冷たくなった。
がんばったのに、好かれない・・・その悲しさから、15で家を出た。
・・・今、結婚して幸せだが、夫にひたすら愛情を求めて甘えてしまうのはそのせいかもしれない。
>>738 いい旦那に巡り会えたんだな。よかったな。
いっぱい甘えろ。
740 :
1/2:2006/11/01(水) 02:43:49 ID:/Rycia+d
小学校高学年の時に好きな男の子がいた。
A君は物腰の柔らかな優しい男の子で、色白で線が細く、
女の子と言ってもいいような感じの男の子だった。
A君の事がずっと好きだったんだが、ある日突然教室で声をかけられた。
「小鳥いる?」
喜んだ私は、小鳥には興味がなかったが、
A君が言ってくれたのが嬉しくて、家に帰って母の承諾を貰うと、
次の日、小鳥を貰いたい旨伝えた。
貰ったのは二羽のセキセイインコで、すっかり大人になっていたのと、
私が小鳥の扱いがわからなかったので、懐かなかったが、
好きな人から貰った小鳥だと思うと、見る度にとても嬉しかった。
バレンタインには始めてのチョコも渡した。
A君からは一ヵ月後、ホワイトデーにお菓子を貰った。
何のお菓子だったかは覚えていないが、
それ以上仲良くする事もなく、ただホワホワと日が過ぎて言った。
六年生になって私は転校した。
転校する前にA君から初めて電話を貰った。
少し話した後、その後の約束をするでもなく、転校した。
741 :
2/2:2006/11/01(水) 02:44:27 ID:/Rycia+d
続きです。
時は流れて、バブル真っ只中の頃、私はある人と婚約してた。
その人はいわゆる金持ちで、当時流行の青年実業家という奴。
ある日、彼が行きつけの小料理屋に行った。
カウンターの中には年配の板前さんと、弟子と思われる若い男性がいた。
席に座った私は驚いた。
なんとあのA君ではないですか。
彼はほとんど変わっていなかった。
節目がちで色白、線が細く、特徴のあるほくろ。
A君は私に気がついていたのかいなかったのか、確認することも出来ず。
いわゆるバブリーな男と一緒にいるのがなんだかすごく恥ずかしく、
彼の素朴な雰囲気は、私を一気に純粋な頃に引き戻した。
後に、そのいわゆる青年実業家とは別れたが、
A君に再会したことが、その人との別れを決める出発点になった事は否めない。
>>741 さて、その続きはいつ頃UPの予定なのかな?
今はA君を追ってるのか?てかA君じゃなかったらどうするんだ・・
744 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/01(水) 18:40:30 ID:6+FYGqn2
その後、純情だったあの頃を何度か夢想したが、A君に会える機会はなかった。
実業家の青年と知り合ったのに自分から離れて、恐らく神様も私を見限ったのだろう、
その後はいい男性とめぐり合うことも無かった。
親戚の執拗な紹介に負けて、平凡な男性とお見合いをした。
可も無く不可もない男性だ。
学歴も普通、真面目な公務員。
両親はお見合い話の男性がたいそう気に入っている。
自分の一生を決める縁談だというのに、でも私の心は少しもときめかなかった。
自分の年齢を考えると、もう土俵際に来ている。
話を断る理由・・・・心にぴんとこない・・・・そんな理由が通るわけが無い。
周囲は私が敢えて拒否しないのをいいことに縁談話を進めていった。
ある日、お見合いの彼と町に出たとき、A君の小料理屋を思い出した。
「最後に、最後に、もう一度だけ、彼の顔を見ておきたい」
私の純情だったあの日に最後の別れを告げたかった。
こんな馬鹿女に「可もなく不可もない人」と評価されている旦那が不敏でならない。
金目当てで近付き、昔の男が忘れられず捨てて、「まわりがうるさいから」と
見合い結婚? さいてーだな
まだ結婚したと決まったわけじゃない
まぁ言いたい事はわかるけどな・・・
そのまま一生独りでいればいいのに
748 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/01(水) 21:16:31 ID:2rxgRb6L
A君以外人物像に学歴と年収しか書かないのな。
>いわゆるバブリーな男と一緒にいるのがなんだかすごく恥ずかしく、
婚約しててこれはねーよ。
見合いの相手にも失礼だし。突拍子もなくガキの頃の恋愛にすがって。
いい歳しておまえが一番恥ずかしいっての。
まだ続きがあるっぽいんで静観しようよ
ってこれじゃもう書かないかな
752 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/01(水) 21:44:41 ID:6+FYGqn2
可もなく不可もなく。
結局、私の人生に連れそう夫は平凡極まりない男性なのだろうか。
両親は冒険より確実性を好む。
子供の伴侶となる相手にそれを望むのは当然かもしれない。
高学歴で公務員。
私はこのレールに乗りさえすれば、あとは人生の終着駅までグリーンシートに座っていけるかもしれない。
でも子供の頃の、あの「どんな電車に乗るのかな」と胸をときめかせた自分にまた会いたかった。
自分の真の姿の面影をA君の姿をみることで確認してみたかっただけなのかもしれない。
私はお見合い相手の男性をその小料理屋に誘った。
こういう機会でもなければこのお店に入ることは出来ない。
しかし、お店にはA君はいなかった。
休みなのかな?
トイレに行ったときに、レジの女性にさりげなくA君の名前を出して聞いてみた。
「ああ、あの方でしたらだいぶ前に辞めましたよ」
「他の店にでも?」
「ええ、小岩の花膳だったかしらね」
A君辞めたんだ・・・
小岩か・・・
その日は婚約者との食事も会話が弾まなかった。
今度は小岩に行って見よう。今度は1人で。
まだ続くの?チラシの裏でやったらよくね?
濡れ場まであと何話?
みんなで小説を作るスレはここですか?
>「ええ、小岩の花膳だったかしらね」
rpgktkr!
愛のシルエットの真似でもしようってのか?
758 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/01(水) 23:11:22 ID:aLZNZloe
面白くもなんともない。
759 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/01(水) 23:18:59 ID:aLZNZloe
誰か新ネタ急募。
私に成りすましてるのは誰だ〜w
>>760 なりすましかwID変わってるから変だと思った。
中3のとき、オーストラリアにホームステイに行った。
私のホストファミリーは、父・母・長女・次女・長男・三女という家族構成だった。
現地の学校についてホストファミリーに会ったのは良かったが、その初日にちょうど長女と
次女がダンスコンクール?の練習に出なくてはならず、私は家に連れて行ってもらえなかった。
夜まで体育館で練習が終わるのを待たされた。
父がマクドナルドでビックマックとポテトを買ってきてくれて薄暗い給湯室のような所でそれを食べた。
すでに冷めたハンバーガーと油っぽいポテトをもそもそ食べていたら
すごく切なくなって涙が出そうだった。
10時過ぎてやっと家に連れて行ってもらえて、日本の母に電話したら新橋のすし屋(親戚がやってる)
で叔父たちと飲んでいたらしく、すごく楽しそうで余計切なかった。
ホストファミリーにはその後とても良くしてもらったので今ではいい思い出ですが^^
小学校のころ、全然モテナイ俺のことが好きだという女の子が二人居た
不慣れな俺は二人とも気の聞かない一言で泣かせてしまった
同窓会でも会えなかった
別に会いたいってわけじゃないけど、少し切ない
763 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/02(木) 06:15:03 ID:i9aKE8fF
>>761 ただの食い意地の張ったガキの我がままにしか見えない。
764 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/02(木) 07:08:06 ID:klplWoSL
ただのホームシック話しだろ。わざわざ日本から来たのに、何?この扱いってこと
766 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/02(木) 07:46:24 ID:X5sQblHA
小学校の頃の好きはせいぜい気に入った程度だからな。
モテルというほどのものでは。
小学校の時に好きになった女なんか、今の目で見ると
「なんであんな女を?」という程度に過ぎない。
同窓会で会わないほうが良かったかも。
まあ向こうもそうおもっているんだろうな。
はじめまして。
切ない、で浮かぶのは、祖母の事です。
祖母は腕の痛みを訴え、私が病院に行く事をすすめ、付き添いました。
健康が自慢の祖母でしたが、腕の診察結果は、癌でした。
85歳。どんな病気になってもおかしくはありませんが、まさか、腕の痛みで整形外科に行き、そんな宣告受けるだなんて、混乱しました。
私は結婚をして実家を離れ、腕が痛いと訴えた日はたまたま実家に遊びに行っていたんです。
専業なので時間に余裕もあるし、腕の通院ぐらい付き添える・はじめはそう思ってました。
それが、初日の診察にして癌宣告…
転移らしく、どこから転移したのか詳しく調べる為に総合病院で、全身の検査の日々が続きました。
病院へ行く途中、車の助手席で祖母は言いました。空が綺麗だね…
眩しそうに見上げる祖母の横顔を、信号待ちの時に見たら、少し、涙を浮かべていました。
全身の検査が終了し、結果は肺ガン。そこから脳に至るまで転移していたのです。
長くて2年。そう言われた日から2ヶ月もたたずに、祖母は静かに眠るように亡くなりました。
出来る限りの治療と、介護をしました。
家族皆、自分の生活や自由を後回しにして、祖母を守りました。
いつかは皆、亡くなる事なんて分かってる
だけど、哀しすぎた
あの空を見上げ涙を流す祖母を知っているのは、孫の私だけ。
気丈に振る舞う祖母の弱さをみてきた私には、切なさが込み上げてくる
命は、尊くて、儚くて、切ないなと思いました。
長々とすみません
心の中を書き込んで、いくらかスッと落ち着きました。ありがとうございます
>768
あなたのおばあさんは幸せですね。
こんなに思ってくれるお孫さんがいるなんて。
おばあさんはあなたと見上げた綺麗な空に帰っていかれたんですね。
きっと今もあなたの優しさをありがたく思っておいでだと思います。
私もばぁちゃん孝行しなくちゃ…。
770 :
768:2006/11/02(木) 12:42:55 ID:6TZRgo5d
>>769 お言葉ありがとうございます。
どうしよう 涙が止まりません
今日の空も青が綺麗で、季節はあの日とは違うけれど、気持ちが安らぎます。
書き込んでよかったです。ずっと泣くのを我慢していたんです。見ず知らずのあなたに心から御礼します。ありがとう
職場の偉い人が癌だと診断された
病院へは一度お見舞いに行ったきり、何となく行き辛くてそのままにしていた。
ある日その人の夢を見た。どこかの屋上で二人で話をしてる、ただそれだけの夢。
起きて、今日は仕事終わったら絶対お見舞いに行こうと思った。
会社についてすぐ、彼が今朝亡くなったことを知らされた。
彼の夢を見たのはその一回きり。お別れの挨拶をしにきてくれたのだと信じている。
( ・∀・)
⊂彡 一=二三●
773 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/03(金) 15:28:08 ID:cheRMQlS
死んだばあちゃんに今でも逢えるから寂しくない。
夜、時々逢いに来てくれるので夜中に起きることがある。
>>773 それってあんたのばあちゃんじゃなくて、ただの浮遊霊じゃねーの?
親しい人が会いに来てくれたと思えば、
たとえそれがゾンビでもうれしいもんだよね。
うちにも来ないかな。ずっと待ってるんだけどな。
ツンデレだった夫は夢にもなかなか出てきてくれない。
776 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/03(金) 23:04:33 ID:EIN2hdyz
>>775 夫はしばらく出張だと思えばいい。
何十年か先にあなたが死んだ時にまた逢えるって。
>>775 ご主人の愛かも知れないよ
あなたの性格をしっていて思い出させてまた
悲しませるのが辛いんだよ
778 :
1:2006/11/04(土) 16:48:55 ID:rqN+Ue7J
切ないと言うか、自分の立ち回りの悪さに悲しくなった話。
長くなりそうなのでウザかったらスルーしてください。
職場の取引先にとても優しくて気さくなオジチャンが居た。
ある日、いつもの様に取引を終えたオジチャンと話した内容は、
「最近風邪っぽいんだが、なかなか病院に行く気になれなくて」
と言うもの。
「心臓も弱いから行かなきゃとは思ってるんだけど」
とも言っていた。私は
「もう○さんも年なんだから…明日は無理しないで店閉めてさ、
病院行ってみたらどうですか?」
と言った。オジチャンは
「そうだなあ、●ちゃん(私)が言うなら明日にでも行ってみるか」
と帰って行った。
…オジチャンはその日の夜に心筋梗塞で亡くなった。
今からでも病院行っておいでよと言っていたらオジチャンは
助かったのかもしれない。今でも後悔している。
779 :
2:2006/11/04(土) 16:54:32 ID:rqN+Ue7J
もう一つ。
とても仲の良い友人としばらく連絡を取っていなかった。
理由は妊娠中に持病が悪化し、心身共にブルーになっていたから。
子供が無事産まれる保証も無く毎日泣いていた。正直そんな所は、
友人とは言え見られたくなかった。きっと相手にも
不快な思いをさせてしまうとか思い込んでいた。
どうにか体調が落ち着き安定期に入った頃、どちらともなく
(覚えてない)連絡を取り合った。
自分がブルーだった頃彼女(未婚)も妊娠していたらしい。
相手の親族や自分の家族から毎日の様に責められ嘆かれ、
挙句彼氏は親のいいなり。心身共に打ちのめされた彼女は、
本人の産みたいと言う希望叶わず数日前に手術をしていた。
直後彼氏とは別れたらしい。
結果は変らなかったかもしれないけれど、もう一週間前に連絡を
取っていれば、妊娠時期が一月しか違わずやはり状況が悪かった
自分は孤立無援だった彼女を少しでも支えられたかもしれない。
彼女は追い詰められた挙句子供を失わずに済んだかもしれない。
>>779 DQNとの子供なんか作らなくてすんでよかったジャン
とは思えないかな
781 :
3:2006/11/04(土) 17:06:32 ID:rqN+Ue7J
その後無事出産した自分を親族の様に喜んでくれた彼女。
しばらくして歩ける様になった子供と散歩中、偶然会った
彼女の両親と挨拶した去り際、ふと振り返った時に見てしまった
子供の後ろ姿を見る寂しそうな表情。
とても切なかった。
もちろん二つの話両方共に、自分が絶対に状況を変えられたとは
思わないけれど、少しの可能性は残っていた訳で…
今だ何とも言えない罪悪感の様なものに悩まされる事がある。
長々書き込んでスマソ。初めて表に出して少し楽になった。
楽になったか
それが本当なら2chにも意味があるってことだな
783 :
779:2006/11/04(土) 17:21:25 ID:rqN+Ue7J
>>780 うん、この話の主人公が友人じゃなかったら多分自分も
そう思ったと思う。
でも彼女はその彼氏の事があの事が起きるまで本当に
好きだったみたいだし、本当に産みたかったからか
法律上可能な時期ギリギリまで手術しなかったらしいから…。
それ以前に彼女達は何年か同棲していたから、正直こんな事になる
とは思わなかったよ。(子供が出来たら即結婚しそうな感じだった)
あんまり書くのもアレなので詳細はこの辺で。
784 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/04(土) 18:14:21 ID:Sdqm4InP
出来ちゃった婚しようとして作戦失敗しただけの話を、よくここまで
切ない思い出話に作れるなと思う。
785 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/04(土) 23:40:30 ID:xD8LsEHn
一方的に男だけDQNにされちゃうんだ。人民裁判みたいだな。
786 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/04(土) 23:44:54 ID:xD8LsEHn
無責任男だったにせよ、その男を選んで妊娠した責任は一切問われないわけね。女性は常に弱者だから。
>785.6
もちつけ。
話し手が都合よくはなすのは男女関係無いだろ。個人の性格。
女の人は結婚前はしっかり避妊を主張しないとダメだ
て、もちろん女の人だけじゃなくて
男も避妊をきちんと考えてするべきだけどさ
790 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/05(日) 09:23:09 ID:pM0sRQcx
妊娠した後まで男を信じていたくらいだから、この場合は女の方がバカ。人まで殺してるんだし。
たいした話じゃないんだけどね。
昔の彼氏は、家の都合でかなり貧乏になってしまった。
バイトを掛け持ちしても貧乏で、たまのデートにはお弁当を持って公園に行ったり、それでも楽しく過ごしていた。
私の誕生日、彼が「少し余裕が出来たよ」と言ってくれて、水族館に行く途中で飛び出して来た自転車の爺さんと接触事故。
デート代は自転車代になった。二人で泣いた。
数ヵ月後のクリスマス、「久しぶりに外食しよう」とラーメン屋へ。
数口食べた所で大きな蝿を発見。無言で見詰める私に彼は「こっちも美味しいよ!」とわざと明るく言い、半分くれた。
帰り道、「せっかくおごってくれたのに全部食べられなくてごめんね。」と大泣きした。
792 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/05(日) 10:02:28 ID:r1iFlBhS
↑悪いけど笑った
>>791 金がないなら車手放せよ田舎もんが。
とおもた。
>>793 どこに車がでてくるんだ?ちゃんと読めよ文盲が。
とおもた。
795 :
791:2006/11/05(日) 11:46:45 ID:Bc10CpYy
爺さんと事故ったのは車でです。言葉足らずでごめんね。
とおもた。
田舎だからこそ車がなきゃどうしようもないんだぜと思った
田舎だと車がないと生活不能になるところがあるんじゃね?
これだけでは何なので、自分のちょっとせつなかった話。
子供の頃、料理上手だった母の切った「キャベツの千切り」は
それこそ糸のように細くそろっていた。
だが七十すぎたあたりから、目も手も衰えていき、先日見た千切りは
幅が3mmもあるようなものになっていて、初めて母の「老い」がずしんと響いた。
お母さん、ふだんあまり大事にしてあげてなくてごめん。
私が持っていくおかずを「腕をあげたねえ」と目を細めながら食べてくれるけど
まだまだお母さんの御飯の方が美味しいよ。長生きしてね。
798 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/05(日) 15:00:49 ID:ua6ok86I
自分がまだ幼稚園の年長だった頃…。
その日は代休で朝から遊びに行っていたんだが、昼過ぎに遊びから帰ると家には誰も居なかった。
その後父親から電話があり
「お母さんが倒れた。○○病院にいる。今大変な状態だからすぐに来い!」
と慌てた様子だった。
俺はビビってすぐに急いで自転車に乗って病院まで走った。病院までは10分もあれば着くハズだった。
だけどあまりに慌てていた俺は、交差点の信号が待てずに青になる直前に走り出した。
すると後ろにいた酔っ払いじいさんに荷台を掴まれて
「あぶねぇだろうが!何してやがる!!」と物凄い剣幕で怒鳴られた。やたら大声で怒鳴るじじいに、俺は泣きそうなのを堪えて
「お母さんが…」と言うと
「お母さんが言ったって、信号は守らなくちゃ駄目だろうがよ!いいかぁ、ボウズ…。」
と勘違いな解釈と偉そうな説教を始められた。
何を言っても途中で勝手な解釈で話を遮り、多分5分は説教された頃ようやく泣きながら母親が倒れた事を言えたんだが
「な、何だと!何でそれを早く言わねぇんだ!」と何故かゲンコツ喰らって釈放された。
やっとの思いで病院に着いたら、母親はたった今他の病院に搬送されたと言われた。
俺は結局母親の死に際に会えなかった。
あの時飛び出した俺も悪いが、車はいないし絶対安全だったのにわざわざ荷台を掴んでまで説教たれたじじいを心底恨んでいる。
>>790 確かにその女は考えが甘かったかもしれないけど
だからって男のやったことを正当化はできないと思うが
どっちも悪いってなんで思えないんだ
馬鹿だねえ
801 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/05(日) 16:22:16 ID:pM0sRQcx
>>799 どこの誰が男を正当化してる?男はもちろん殺人の共犯だよ。
前に大学時代の同級生数人で集まったとき、一人が子どもを連れてきた。
4歳の男の子だったんだけど、すごく大人しいというか表情がないというか…
でもしばらくしたら、私にぴとっとくっついて離れなくなって、もじもじ
した感じだけど笑ったりしてきて、なんか可愛いなぁと思って遊んでいた。
その子の父親(友達)と母親は、もともと仲が良くなかった。
父親のほうはできちゃったから仕方なく結婚したといい、浮気していた。
この時点でかなりその友達は周りから非難されたんだけど、どうもその夫婦は
子どもの見ている前で何回も大喧嘩をして、「子どもさえできなければ」
「子どもは要らない、お前が引き取れ」「私だって!」みたいないい合いを
してきたらしい。
結局その夫婦は泥沼で別れて、子どもは施設にいってしまった。
友達(父親のほう)は、周りの友達からの信用もなくして、今は何をしているか
わからないけど、その子のことは何年経っても気になって仕方ない。
最後までまとわり付いてはなれずに、別れ際に「またね。遊ぼうね」と
泣いていたんだよね。
可愛かったのに。なんで要らないなんて言えるんだろう。
803 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/05(日) 16:40:52 ID:kxsAuio5
俺のチンチン…
>>797 お母さん大事にしてやれよ。
親の老化は本当せつなくなるね。
>>802 >可愛かったのに。なんで要らないなんて言えるんだろう。
これは、その男の子とたかだか数時間しか一緒にいなかった、
責任がないあなただから言えるんだよね。
そんなに好きでもない人とデキ婚してみれば分かるんじゃない?
まぁ1番悪いのはその子の両親なんだけど。
えー、普通子どもにそんな事言える?
自分の子を見てると、そんなに出来のいい子じゃなくても、夫と
不仲になっても、とてもそんなことを言う気になれないよ。
要らないなら、最初から作らなければいいのに。
>>791 蝿が入ってましたって言えばよかっただけの話なのに・・・
>>802 もともと仲がよくないのになんで子供作ったんだろう?
若さは性欲には勝てないんだよ
子どもに罪はないのに
この言葉が一番切ない
運が悪かった
悪く言えば、運が悪いことが罪
罰を受けてるんだから罪は無くなったとも言えるけど
812 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/05(日) 23:03:54 ID:nWAT8oiP
>>798 いるよな、人の話なんて聞かずに正しいことをしてる自分に酔ってるような(実際酔ってたようだがw)輩が。
謝るどころか一発かますなんて、じじい逝ってよし!
815 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/06(月) 15:37:41 ID:G8+3fAQX
>798
まだ幼稚園児の時にもう自転車乗ってて
休みの日は一人で朝から昼過ぎまで遊びにいったの?
しかも病院まで自転車で何分でとか信号無視しても
ギリギリセーフとか判断できてたの?
職場の隣が幼稚園だけどなんかありえないと思った。
>>815 うちの子年中で自転車マスターしましたが。
てか、揚げ足取りもほどほどでやめとけ。
817 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/06(月) 16:05:03 ID:ZRMRQHGF
出たwww
「うちの子」
818 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/06(月) 16:08:09 ID:qfvxk79O
うちの子はね、うちの子はね、うちの子はね
819 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/06(月) 16:09:07 ID:ZRMRQHGF
「うちの子」
「しましたが」
「てか」
「やめとけ」
DQN臭いなw
いい年して2チャンかよw
820 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/06(月) 16:19:52 ID:cQHvFxka
この場合のうちの子は叩くとこじゃないじゃん。
819のが余程うっとーしい
嬉々としてDQN認定されてもねぇ…
頭悪く見える書き込みは控えた方がいいよ819
不妊に悩む女性にはキツイのよ。
「うちの子」って言葉が・・・
そんなこたぁないww
824 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/06(月) 19:19:05 ID:XBhFlgBI
>815
幼稚園の頃には殆んどみんな補助輪無しで乗っていたよ。
あと俺らの世代はまだ今よりも平和な頃で平気で一人で出かけれたし、
鍵っ子が堂々と首から鍵の付いた紐をぶら下げていたくらいだった。
時間は病院の近くに友達の家があって、そこまでいつも10分はかかっていたから、単純にその計算だった。
なんだかネタだと思われたみたいだな。
いいじゃないか。ここはネタだ実話だと検証する場じゃないだろ?
俺は幼稚園入る前から一人で自転車(補助輪付)乗ってあちこち遊び回っていたがなぁ。
行動半径は2~300mくらいか。
年長で補助輪外れたな。
826 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/06(月) 22:20:10 ID:qfvxk79O
お前が年長で補助輪が外れたことを実証できるのか?
本当は二年生まで補助輪つけてたくせに。
827 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/07(火) 04:01:56 ID:PxfZh0Xz
いや確か3年だったぞ?
切ないというか、妹謝りたい。
うちのかぁちゃんは、兄と私を連れて再婚したんだけど、再婚相手との間に年の離れた妹が出来た。
再婚した当初は、義父も私や兄ちゃんに優しく、ほんとの父さんみたいだった。
でも妹が出来てから、妹を優先する様になり、上二人は邪魔物扱いされ、一緒にご飯食べる事も許してもらえなかった。
言葉の暴力がひどく、私が中三の時鬱になり、もう親父と一緒に居るのは我慢できなくて、母に離婚してください。と泣いて何回も土下座した。
その後色々借金の事や、親権なんかでモメたけど、上二人は母、妹は父に引き取られた。
離婚当時妹は当時三歳。
家裁では月に一度妹をお泊まりさせる約束だったので、泊まりに来てまた父が迎えに来る頃に大泣きしまくってた。
もちろん三歳の小さな子に、今の現状が理解出来る訳もなくて、おかあさんがいい、おかあさんがいいって、泣いて縋ってた。
それを見続けて、妹が四歳になり、五歳になり、父が迎えに来るその度に泣いたらだめって涙をこらえる姿が可哀想で仕方なかった。
あの時、あの状態が辛くて、離婚してと頼んだ結果、全く同じ思いを妹が今味わってる。
今では妹とは全く会わせてもらえない。
そのうち私の事や母の事も忘れるかもしれない。
もしかしたら憎んでるかもしれない。
それでも謝りたい。
あの泣くまいと、しかめっ面しながら母にしがみついてる妹を思い出す度に胸がしめつけられる。
長文失礼しました
書いて少しスッキリした
>>829 わるいのはあんたじゃないよ。
義父だとおもうよ。
1番つらいのはその子供とお母さん。
特にお母さんの気持ち考えたら切ない…
父親が引き取ったのは単なるエゴだよね。
どうせ自分で世話するわけじゃなかろうに。
母親に引き取らせて、養育費を送るのが男ってもんだ。
よっぽどアレな母親でない限り。
833 :
828:2006/11/07(火) 14:45:10 ID:twdPlwh+
妹は義父の初めての子で可愛いのはあると思う。
でも一番気がかりなのが、離婚した直後、つき合ってた女とすぐ結婚したんだよね
で、今では妹の下に腹違いの妹二人いる
私がされたように、継母にいけずされてやしないかと心配で、悲しくなる
>>833 悲しいが必ず嫌な思いはするだろうな。
どうやら本能レベルでの命令があるらしいよ。連れ子イジメは。
自分だけの子を残す為の名残だろうね・・・。
子守要員確保してなきゃ、生んだ女のとこに置いてくだろ普通。
836 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/07(火) 21:34:53 ID:s1dZeqQV
私の家は4人兄弟の6人家族。
私一人だけ、他の三人とは年の離れた母の連れ子。
5歳の時に母が離婚して、今の旦那さんと再婚した。
一番上のお兄さんは、年が離れすぎてて仲良くなれなくて、
長女のお姉さんは、母を嫌っていてなんか近づきがたかった。
母は新しい旦那さんに夢中になって、私のことなんて相手してくれなかった。
子供だった私は寂しくて、優しく接してくれる次男のお兄ちゃんに付きまとっていた。
その真ん中のお兄ちゃんは当時高校生。
幼い私を凄くかわいがってくれて、私のくだらない話を真剣に聞いてくれた。
絵を描くのが上手で、お話を作るのが上手で、家にいるときはいつも一緒だった。
お兄ちゃんには、とってもかわいい彼女がいて、
私はデートについて行って、いつも邪魔ばかりしていた。
だけど、お兄ちゃんも彼女さんも、嫌な顔を一つもせずにいてくれた。
だから、お父さんがいなくてもお母さんが相手してくれなくても、寂しいとは思わなかった。
それから数年して、お兄ちゃんが彼女さんと結婚することになった。
私は悲しくて、泣き喚いて阻止しようとした。
デートについて行っては、彼女さんを困らせて「嫌いだ」と口走り。
いよいよ結婚する段になったら、お兄ちゃんにも「嫌いだ」と言い、
話しかけられても無視して、「お兄ちゃん」とも呼ばなくなった。
結婚式の時、直前になって指輪を運ぶ役を嫌がって止めてしまい、
披露宴でお兄ちゃんに読む手紙も、不貞腐れて結局読まなかった。
母や母の旦那さんが私を叱る中、お兄ちゃんと彼女さんは私を気遣って庇ってくれた。
それから半年ぐらい後の日曜日の真昼間。
お兄ちゃんと彼女さんは、居眠り運転のトラックに突っ込まれて即死した。
結婚式から一度も「お兄ちゃん」と呼ばず、なんとなく気恥ずかしくて気まずくて、
昔みたいに接しないまま、真ん中のお兄ちゃんは死んでしまった。
後悔と言うか、何がなんだか分からなくて泣きもしなかった。
お葬式が終わって、二人の新婚生活の始末をした時に、
5日後に迫った私の誕生日プレゼントが、押入れの中にしまってあったと、母から渡された。
「誕生日おめでとう。また一緒に遊ぼうね。」と、お兄ちゃんと彼女さんの連名で、大きな熊のぬいぐるみ。
人が死ぬということを理解したわけではないけれど、もう二度と会えないことだけはよく分かった。その時初めて涙が出て、それからずっと泣き続けた。
今、高校生になってあの時のことを思い出すと、申し訳ない気持ちで一杯になる。
もし同じ立場になった時、今の私にお兄ちゃんや彼女さんと同じような態度が取れただろうか。
つまらない子供の話を、飽きもせずに聞いてあげられるだろうか。
いつもいつも付きまとう子供を、優しく抱きしめてあげられるだろうか。
二人きりでいたいはずなのに、お邪魔する子供を喜んであげられるだろうか。
アルバムの中のお兄ちゃんと私は、いつも凄く楽しそうに笑ってるのに、
私が鮮明に思い出せるのは、「嫌いだ」と言われたときのお兄ちゃんの寂しそうな顔でしかない。
うわぁ…どっちもせつない
しかし、離婚するのはよーく分かるんだが
何でまた結婚した時以上にテキトーに再婚するんだろう
子供を一人の人間ではなく自分の所有物くらいにしか思ってない親は
死ねばいいと思うてゆうか死ね
840 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/08(水) 00:12:59 ID:G9MQnipv
ないた
>>839 結婚には生活とか老後の保障とかいろいろかかってるんだよ。
純粋に愛だけでどうこうっていうのは、余裕のある人の考え方。
なんか話が劇的でちょと作り話じみてるように感じる俺は2ch脳
>>841 正論だし、文句つけようも無いんだが、
>>839の言うことも分かる。
こういうのは結論が出ない議論になっちまうな。
>>843 結婚してないし、予定もないし、そもそも彼女のいないおれは関係ない ('A`)
845 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/08(水) 07:32:55 ID:Kasg28aK
昭和30年代、中学生の時の話。
当時はまだ給食制度はなかったので、皆弁当持参。でも一人の男子だけいつも
弁当持ってこないで、じっと席に座っている。
毎日のように担任の先生がパンを買って食べさせていた。申し訳なさそうに
食べる彼。なんか切なかったなあ。
その先生も偉かったけど、それだけ当時は貧しかったんだよ。
だから、今給食の食べ残しが多いと聞くと、なんと贅沢な事よ、と思う。
昭和30年代に中学生とは今おいくつですか?
847 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/08(水) 09:27:55 ID:a+ek+LaU
>>845 食べ残し=贅沢ではない。
頭を冷やせ。
>>847 その理屈も判るが、
「思っちゃったんだもん、しょうがないじゃん。」
849 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/08(水) 13:23:30 ID:czTjZhOP
昼寝から覚めて読んだら、寝ぼけてるせいか
先生があげたパンが食べ残しなのかと思った。
>849
先生曰く
「貧乏人にもなれない貧乏人め」
ってコトデスネ
少なくとも、食べ残せる「余裕」はあるわけんだから。
有無を言わずに食うしかない状況に比べれば、そりゃ贅沢とも言えるさね。
弁当、中学のときの先生にもらったことがあるw
お弁当忘れたら、「なんだ〜!じゃあ先生のを半分やろう!先生最近
太っちゃってさ。」といそいそ半分こしてくれた先生。
クラスの男の子で、ちょっとぐれていた子が、いつもパンを買ってるのを
見て、何回か「いいなぁ。そのパンおいしそうだな!!先生のと
とっかえてくれよ〜〜〜」と、自分のお弁当と取替えてもらっていた。
その男の子は恥ずかしそうにしてたけど、「先生のお弁当美味いね」と
いつも完食。先生はとても嬉しそうだった。
先生の奥さんも、たまに大量におかずを持たせていたらしいが、ぐれた
男の子のことを気にしていたようだった。
男の子の親はお母さんだけで、その母親もたまにしか家に帰らずに
男のところに入り浸っていて、帰ると息子に5千円か1万円くらいを
渡してまたいなくなる、という家庭環境(近所では有名だった)で、
手作りのおかずは身近なものではなかったんだと思う。
「先生、奥さんのご飯美味いじゃん。いつも食えていいね。」
と言ってたその男の子、卒業式で先生と一緒に大泣きしていた。
伏工の泣き虫先生と同じでいい話だ
854 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/08(水) 21:57:40 ID:C5+YgnuA
その泣きは「二度と美味い弁当が食えない」という泣き。
お前またコンビニのおにぎり?
って言われた過去を思い出した
あの素晴らしい弁当を二度三度。
そんな先生ばかりならな〜
俺も生涯で唯一人だけだな。
まともな先生ってのに出会ったのは。
他のはひどかったなぁ・・・。援交教師とかさ・・・orz
俺「好きです」
彼女「そう言えって言われたの?」
誰にだよッ!?
人間不信にも程があr
。・゚・(ノД`)・゚・。
861 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/09(木) 19:06:28 ID:CMcC5f04
親父との思い出が切ないなぁ
三年前に死んだんだが、最後にした会話が
親父「映画でも見に行くか?」
俺「いいやぁ、今面白そうなのないもん」
この会話の二時間後、基地外暴走車に撥ねられ死んだ。
俺が誘いに乗ってれば死ぬこともなかったんだなぁ
って、ふとした瞬間思っちゃうんだよね。
この間総武線に乗ってたら、隣に座ってた男が
イヤホンで音楽聴きながらすげー体揺らして
ノリまくってたんだ。
音がでかいからすぐわかったんだが、
カツーンの
「わっつごーいの♪」っていう曲だったんだ。
なんだか切なくなった。
私が14歳の時、父親が失踪した。突然なのとあまりのショックに涙も出なかった。
その2年後から、生活費と学費が振り込まれるようになった。
20歳の時、父から連絡があり、ひとりで会いに行った。
6年ぶりに見た父は、少し小さくなってて、(後で考えたら自分の背が伸びたからなんだけど)
お互いなんだかぎこちなくて、でもやっぱり自分の父親で、半日一緒に過ごしたあと、
ひとりで帰る電車の中で、ぽろぽろ涙が出てきた。
父親は6年前見知らぬ土地に住み始めて、それからずっとひとりで生活して稼いで仕送りしてくれて、
とか考えて、ぽつぽつ会話した中でも言い訳とか愚痴とか一切言わないで穏やかな父で、
しかもそれが無理した感じじゃなくて一緒に暮らしてた頃と同じ感じの父で、
私が幼い頃にタイムスリップしたみたいな気もしたりして、いろんな感情がごちゃまぜになって泣いた。
>>863 なんで父は失踪しなきゃいけなかったんだ...
>>861 運命は始めから決まってたんだよ。
もしあなたが誘いに乗ってれば、
あなたの目の前で亡くなったかもしれない。
それとももしかするとお父さんでなく、あなただったかもしれない。
そんな事になる位なら、子供が死ぬより親が死んだ方が1000倍ましだ。
お父さんは幸せだよ。
子供より先に死ねて。
私が幼稚園児だった頃、両親が離婚して母が家を出て行った。
それからしばらく(多分1年くらい)経った頃のこと。
小学生になった自分は毎週ピアノの先生の所に歩いて通っていて途中で小さな雑木林を
通っていたんだけど、ある日、木の陰に隠れるようにして母が私を見つめているのを見つけた。
だけど私は咄嗟に怖くなって走って逃げてしまった。
今考えると何て酷いことをしたんだろうと思う。でもあの時は母はもういない人みたいに自分で
思っていたので、幽霊を見た感じに近くて(もちろん生きていて、幽霊でも何でもなかったのだけど)
怖くてしょうがなかった。家に帰ってからも誰にも話せなかった。
その後、高校生になった頃に母方の祖母から連絡が来て、母や祖父母に会った。
母は家を出てから精神的に完全に参ってしまい、しばらく病院に入院していたのだそう。
祖母の話から推測すると、母が私に会いに来たのは退院してようやく生活ができるようになった
頃だったらしい。それなのに私の冷たい態度が母を更に傷つけてしまったんじゃないかと思うと、
今でも思い出す度にやり切れない気持ちになります。
その時お母さんと呼んで抱きついていれば、そもそも父と母が口論をしている時、自分が
割って入って止めるなり、場を和ませるなりできたらもっと違った今があったのかもしれないと
思うと、ほんとにやり切れない。
阪神大震災後のはなし
当時オレはあるファミレスの店員をしていて、
震災後、ボランティアでバイキングのみのメニューを無料で提供する事になった
開店と同時に満席になって席待ちの列、繁忙期以上の忙しさだった
お客さんの中には着の身着のままで来る人がいて、
他のお客さんが「自分は家が残っているし、帰れば着る物がある」と言って
上着を差し出す光景を時折目にして、目頭が熱くなったのを覚えている
昼を過ぎた頃、待ち列の中にやたら身奇麗でアクセをジャラジャラ付けた若い男女二組がいた
彼等は使い捨てカメラで撮影してはギャーギャー騒いでいた
さらに彼等は皆が我慢して並んでいる中、「はやく席に案内してよ」と文句を言うばかりか、
「席に着いたら、即ビール4つね」「わたしパフェたべたーいw」とワガママ放題
見るに見かねてケンカ覚悟で退店願おうとしたその時、
一人の御老人が「あんたら、観光に来たのなら、頼むから帰ってくれないか!」
と涙ながらに訴えた
すると彼等は「カンケーないよw」「ナニか言ってるーw」とケラケラ笑って茶化すだけ
さすがに頭に来たオレが「申し訳ないですが、出て行ってもらえますか?」
と啖呵をきった瞬間、オレの肩をポンと叩いて前に割って入る男性がいた
男性は腕まくりをして見事な刺青を見せ付け、傍若無人な若者たちの前に立つと
「オイ、にいちゃんら はよおうちに帰って、テレビでも見とかんかい!」と一喝
彼等は黙ってスゴスゴと、埃一つ付いてない国産高級車で帰っていった
その後、ヤのつくヒトであろう男性は帰り際、
「店員さんはケンカしちゃいかんよ、そういうのはワシらの仕事やからw」
「食事ありがとう、おいしかったよ」と言って店を後にした
その時の男性の埃まみれのパンチパーマにヒビの入ったサングラス、
少し足を引きずって歩いて帰っていく姿が印象的だった
870 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/10(金) 16:33:59 ID:/EoG/heR
枯れた神経と貧しい心しか持っていないこのカップルが、ある意味一番可哀想だな。
うちのばーちゃん
優しくて、綺麗好きで、山中にある小さなパーマ屋さん
(美容院といえるほどのものでもないw)で働いていた働き者のばーちゃん
兄妹で遊びにいくと『ひろ君(仮)とゆきちゃん(仮)が来たからビフテキにしようね』
と必ずでっかいステーキを焼いてくれた。
私の幼稚園の迎えにいつもいつも来てくれていた。
私の好物だった牡丹餅をいつも作ってくれた。
私の名前の漢字(小学生には小難しい)を教えてくれた。
米の研ぎ方やだご汁の作り方を教えてくれた。
優しくって、でも毛の長い絨毯のとこでお菓子を食べると怒るんだw
そんなばーちゃんがちょっとおかしくなってきたのが私が中一の頃だ。
同じ話を何度も繰り返し、いま自分が何処にいるかわからなくなり、私たち兄妹にお小遣をやった事を忘れて繰り返し渡す。
これが呆けってやつ?と思いつつも、なんかまだよく理解できていなかった私は
家にばーちゃんが来る度に「ここは何処だったかねぇ」「家に帰らんと…」
と繰り返されるのがうんざりで、半ば恐怖でもあった。
それからばーちゃんの認知症は進んで、ついにはドアの開け方も、靴の履き方も、ボタンの掛け方も解らなくなってしまった。
それで、介護…というか祖父の手伝いをしに、よくばーちゃんの家に行くようになった。
でもそん時まだ高校一年生だった自分はそれが嫌で嫌で仕方なかった。
同級生にばーちゃんの介護してる奴なんかいなかったし、
何より、支離滅裂な話を繰り返されるのに嫌気がさしていた。
で、ある日。いつもみたいにばーちゃんのトイレの世話をしてた時だ。
はいはい終わったらティッシュで拭いてね、で、立って、ズボン履くよ、ってばーちゃんの背中を支えた
そしたらさ、ばーちゃんがちっさい声で言うんだ。
「ごめんねぇ、もうばーちゃんわけが解らんようになってねぇ…」
小さい、泣きそうな震える声で言うんだ。ごめんねぇって何回も。
全部ばーちゃんが悪いんだねぇ、ごめんねぇ。お小遣もやれなくなったねぇ。ごめんねぇ。ありがとねぇ
ってさ。もうね、心臓わしづかみにされたみたいに苦しくなった。
違うよ、ばーちゃん。私嫌々やってたんだよ。めんどくさいって嫌な顔して車に乗ってきたんだよ
内心、ばーちゃんなんか早くいなくなればいいのにって考えたことあるんだよ
謝んないでよばーちゃん。ばーちゃんが悪いんじゃないんだよ。
謝んないでよばーちゃん。本当は本当に大好きなんだよばーちゃん。
ばーちゃん。ばーちゃん。大好きだから。大好きだからやってるんだよ。
ばーちゃんのズボン掴んだまんま泣きじゃくった。
>>871-873 。・゚・(ノД`)・゚・。
ばーちゃんは、自分が情けなくって悲しかったと同時に孫達が側にいてくれ嬉しかったと思うよ。
>>871-873 たとえあなたが嫌々やっていた手伝いだったとしても、ばーちゃんは幸せだったと思う。
下の世話までしてくれる孫なんて、そうそういやしないんだよ。
自分の親の世話ですら、汚いからってやらない人がいるんだよ。
認知症になって「どうせ分からないんだから!」って見捨てられてしまうお年寄りだっている。
時々、あなたのばーちゃんのように、一瞬正気に戻ったりするんだよね。
ばーちゃんの繰り返した「ごめんねぇ」の陰にはきっと「ありがとねぇ」が隠れてる。
ばーちゃんのズボンから財布をまんま抜きじゃくった。
877 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/11(土) 13:14:37 ID:uY6tK8ab
>>873 おばあちゃんは優しいあなたの傍にずっといるよ。あなたの写真を見れば判る。あなたの両肩にいつもおばあちゃんの両手が乗っているから。
879 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/11(土) 14:34:49 ID:mB9U2aTk
ふと妹のブログを見つけてしまって、
恋とか進路の悩みが赤裸々と書かれていたんだけど、その中に一言・・・
「姉ちゃんはデブ」
とあったのが、忘れられなく、深く心に刺さりました
880 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/11(土) 16:10:31 ID:V3cDjPpi
姉ちゃんはデブでブス。
あんな姿態じゃあ男は一生寄り付いてこないだろう。
マンコは死ぬまで使わずじまい。
姉ちゃんは何のために生まれてきたの?
ただ食べて寝るためだけに生まれてきたの?
80歳まで生きるとして、8万回の食事がオネエチャンのこの世に残した
生きた証?
と追い討ちを掛けてみる。
>>868を読んで自分と似た状況だと思ったので
わたしも小学校一年の頃、両親が離婚して母親が家を出て行った
祖母がわたしと兄の面倒を見る為に家に来てくれた
家の中では母親の話は禁句になっていて、特に父親の前で母親の話は決して
してはいけない雰囲気になっていた
でも、学校から帰ってきて祖母と二人の時に祖母はよく母親の悪口をわたし
によく聞かせていた
わたしが少しでも反抗すると祖母はよく「あの人(母親)にそっくりになっ
てきた!あの人の所に行け!」と怒られた
祖母から母親の悪い話を洗脳されていたので、そう言われることは屈辱でし
かなく、家を出て行けと言われるのが嫌でよく泣いた
ある時から無言電話がよくかかってくるようになった
祖母は「誰だろうねー」と言っていたが、おそらく母親であろうことはわた
しも祖母もわかっていた
ある日、わたしがたまたま電話に出たら母方の祖母が「おばあちゃんよ」と
言って「おかあさんに代わるね」と言った
その時、わたしはパニックになって「いやだ!代わらないで!」と言って電
話を祖母に渡して自分の部屋に逃げた
その時は自分の中で、母親は祖母から聞かされていた悪い母親のイメージし
かなく、そんな悪い母親と話をして、祖母や父から嫌われるのが怖かったの
だと思う
それ以来、無言電話や母親からの連絡は一切なくなった
母親を傷つけてしまったと思った
あれから約20年経ち、兄は母親に会いに行ったが、精神病を患っていてロ
クに話もできなかったそうだ
自分のあの時の母親を拒絶したせいもあるのかもしれない…
そう考えるとたまらない気持ちになってしまう
でもあの時はどうしようもなかった…
>>881 気持ちの整理がが少しでもついたら
行けるうちに行ってきなよ。
お母さんだって若くないんだし…さ。
子供に取っちゃ育ての親は絶対的な存在だからなぁ
そんなある意味支配下にあったんじゃ仕方ないさ
884 :
871:2006/11/11(土) 21:37:36 ID:W0vhXo7g
あれ?なんかばーちゃん死んだことになってる?(´・ω・`)
まだ生きてるよwボケは進みまくって少女になってるけどw
今看護学校に通っててばーちゃんに会いにいけないけど
夏冬春休みはほとんどばーちゃんのところにいってる。
もう私のこともほとんど解らないみたいだけど、
ばーちゃんには人一倍お世話になったし、なにより大好きだから(゚ε゚)キニシナイ!!
少女になっちゃったかw
私は介護施設で働いてるんだけれど、みんな帰って行く年齢が違うんだよね。
一番楽しかった頃の年齢に帰るんだろうな。
家の近所のバス停にいたセーラー服姿のおじいちゃんはどこに帰ったんだろうか・・・
>>881 868です。凄く似てますね。
>家の中では母親の話は禁句になっていて、特に父親の前で母親の話は決して
>してはいけない雰囲気になっていた
この辺も全く同じです。母なんて元からいなかったかのように振舞う大人達に
圧倒されて、私は何も聞けませんでした。
あと、離婚前に父と母が喧嘩していた時に、父が母を縁側から突き落としたのを
見ていたので、母は何か悪いことをしたんじゃないかとか、母の肩を持つと自分も
同じ目に遭うんじゃないかなどと漠然と考えていたのかもしれません。
(離婚の大元の原因は父の浮気だったと後で知りましたが…)
正直高校生になって連絡をもらった時も、最初は会うのが何となく嫌でした。
ちなみに母はその頃にはすっかり回復してバリバリ働いていました。
その後時々会うようになり、私が子供を産んだ今では良く孫と遊びに来てくれます。
でも一度、「私がこの子くらいの時、どんなことして遊んでた?」と聞いたら、一瞬
真顔になって「ごめんね、その頃のことはあまり覚えてないのよ」と言われました。
忘れないときっとやって行けなかったんでしょうね。
888 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/13(月) 23:34:09 ID:Rp3lX20H
>>881 >>887 すみませんちょっと聞きたいんだけど
やっぱ1人で会える年頃になったら別れた
親と会って見たいものですか?
>>888 881でも887でもないですが…
幼い頃は会いたいと思っていました(私も祖母から母の悪口を聞かされた人ですが)
でも「相手によりけり」ですよ、ホント。
相手が「本当にどうしようもないヤツ」だった場合、そこですっかり諦めます。
諦めるというか呆れます。
救いようのないアフォだった場合「いっそ氏んでくれてれば良かったのに」と思う。
ホント、氏んでくれてた方が良かったよ…。
>>888 881です
>887さんと同じようにわたしの家も周りが母が元からいなかったかのように
振舞っていたし、自分が母と別れたのが6,7歳の頃で、母はいないものと
して育ったのであまり会いたいとは思わなかったですね
ただ、今何をしてるんだろう?と気にはなってたかもしれませんが
成長してから、父が会いたければ会いに行ってもいいんだよ、と言ってくれ
ましたが、今更会って自分の生活というか感情を乱されたくないしなぁ、と
思ったりしました
わたしと違って兄は、母と別れた事がトラウマ(母に捨てられたという風に
思っていたらしい)のようになっていたので、大人になって結婚する時に会
いに行きましたが、話しができる状態ではなかったとの事でした
兄は一応会ったということで気持ちの整理がついたとは言ってましたが
わたしはそこまで母に対して、会いたいとかそんな気持ちがなかったのは自
分でも不思議に思いますね
ただ、
>>881に書いた電話を拒絶した時の事はすごく後悔しています
'98年頃の話。
俺はその当時短くてカッコいい髪型にしてもらおうと思い
美容院に出かけたんだ。
今でなら一言でいえるんだが、まぁベッカムみたいな髪型。
でもその当時はそんな髪型はこの世に存在せず、俺は必死にアメリカの軍人みたいな
ショートヘアーで前髪を切り込んだ髪型と言ったんだが
悲しいことに全く伝わらなかったんだ。でまぁ、結局スポーツ刈りの前髪ショート
みたいな髪型でお茶を濁され、俺もこれ以上逝ってもダメだなってことで
帽子大好きで帽子ばかり被ってた俺は
街中のオサーレな美容院で切ってもらうなんてかい性もなく
こりゃダメだって事で断念。
この髪型の事もすっかりと忘れ、月日は流れること'02年ワールドカップ。
ベッカム登場。
俺はベッカムの髪型を見、これだ!!あの当時俺が目指していたあれだよ、あれ!!
と興奮し、美容院に出かけベッカムの髪型にして下さい!って言おうと思ったんだが
その時、俺の頭は既に禿げていた... orz
4年で禿げるのね。
うちの旦那も外出するときは帽子かぶるし仕事でも帽子かぶってる。
禿げるのかな…。
うちも前に母方のばあちゃんを最後、家族で介護していた。
ガキだった俺は可哀想でやさしくしなければならないとは認知していたものの、
やはり日常の動作が不自由で痴呆も進んだばあちゃんを、ずっと相手にしているとだんだん荒んできた。
ばあちゃんは主に和室にいて、ちゃぶ台にいつも水が入った水差しが置いてあった。
今でも忘れられない、「お水を一杯ちょうだい」と笑顔で頼んでくるばあちゃんを。最初は言うことを聞いていたが
だんだん面倒くさくなり、「水差しの中にあるでしょ」と突き放してしまった。
ばあちゃんは「なぜくれないの」と不思議がっていた。「冷たい水が飲みたいのに」、と・・・。
世話をする側の気遣い・苦労と言うものは、おそらく体験した者でないと想像すらできまい。
毎日毎日長時間顔を合わせていると、本当に嫌気が差してくるんだ。どうせ治らないと思ってしまっていることもあるしな。
それでも、それでもあの時に水をあげられることは出来なかっただろうか。
一分にも満たない時間を、ばあちゃんに割いてあげることを俺は惜しんだのか。
痴呆といえど孫にそのような顔を見せられ、そのような態度を取られたばあちゃんは、果たしてどう思ったことだろう。
墓参りに行くたびに、そのことを詫びている。
>>893 ん、婆ちゃんはいい孫もって幸せだと今頃自慢してるよ
>>891 今なら坊主頭いっぱいいるから坊主にすればいいよ。
ベッカムも一時期坊主頭にしてたし、それでベッカムに近づくw
こんなスレあったのか・・・ふと思い出したので
書き捨てますね
自分、中学の時に原因不明の病気になったんだけど(今も
継続中、ただ病名はわかってる)当時はとにかく病院を
たらい回しで母親と紹介状持って行って診察受けてた
で、ある時母親が一言ぽつり。
泣きながら「そんな風に産んでごめんね」って(´・ω・`)
多分医師が病名もあやふやな癖して「先天性のものですね」
って無責任に言ってたからだろうな
「お前なんか産まれてこなきゃ良かった」って
言われるより切なかったよ・°・(ノД`)°・°・
ごめんねまだ治んなくてごめんね
幸い特に今すぐ命に関わるような病気じゃないけど
今も毎日薬飲んでる。ステロイドだから顔がむくんでるしorz
別の意味でそれも切ない('A`)モウナレタケドネ…
そんなこんなでもう10年以上経ってるけど親孝行は
できているのかいないのか・・・せめて長生きして下さい
親より先に死なないってのが一番の親孝行なんだぜ?
いいこと言うぜ
899 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/20(月) 05:56:18 ID:Zq0kMRNL
こういう場合は親より先に死んでくれた方がありがたいのでは。
うせろカス
,r-─────、
,f _____,、ー-、
,ノ r' t ヽ
f / '''''' ''''''::\ .l
| |(●), .、(●)、:::| ノ
(⌒' .,,ノ(、_, )ヽ、,, .:::::;⌒)
. t_t `-=ニ゚=- ' .:::::::;tノ
\ `ニニ´ .:::::/
,,.....イ `ー-.ニ−― ノ゙-、..
: ┃ ◆・◆ ┃ i
┃ .┃ |
寝たきりで無駄に金ばかりかかって生かせておくなら、いっそ死んで保険金でも貰った方がマシだ。
と言って脊椎損傷で半身不随になった上から2番目の兄貴は、入院中に病院の屋上から飛び降りたよ。
他人の話になると何も感じないけど
俺の姉貴に置き換えてみると、どんなに金がかかってもいいから生きて欲しいと思うな
自分に置き換えてみると、やっぱり自殺するかな
それとも、必死でもがくのか、わかんね
脊椎損傷で車椅子の知り合いが複数居るけど、
だれでも一度は悩むみたいね。
その壁越えてきた人達はめちゃくちゃ前向きだし、エネルギッシュだけど。
オレは越えられるかどうか、自信ない。
オトタケって自殺しようと思わなかったのかな。
凄いよ。
足動かないならまだいいけど腕動かなくなったら自殺するな
>>902 半身不随でどうやって屋上から飛べるんだ?誰かがサポートしないと無理だろ。
909 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/20(月) 19:43:31 ID:fIHbRICa
そりゃ家族の誰かがサポートしてくれるに決まってるよ。
やっかいもの払いが出来るんだから。
911 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/20(月) 19:52:59 ID:5Oqj1sDL
父方のおばあちゃんが癌になって余命1ヵ月を宣告された。
それから私は毎日病院に通って、千羽鶴を織った。
そしたら、まさかの母方のおばあちゃんが急死。
その丁度1週間後に父方のおばあちゃんも亡くなった。
1週間で二人のおばあちゃんを亡くした私って……
私って・・・・・・かわいそう?
>>908 死のうと思えばどんなやり方でも死ねる
ベッドにシーツ縛ってだって逝けるんだぞ
>>910 半身不随までなったら高次障害で満額に近い保険が出る
家族もうその時点で満足だろ
車イスで屋上手前まで直行→上半身というか腕だけで這って階段上って屋上へ
屋上は施錠されておらず、患者の気晴らしにと緑を植えられて解放されていた。
んでフェンスを気合でよじ登ってダイヴ。
単に生きることに絶望したんじゃなく、今後家族を含めて誰かの負担や重荷になって生きるのは嫌だったらしい。
誰かの手を自分のことで煩わせるのがものスゴク嫌いな人だったので。
「先立つ不幸は勘弁して下さい。しかし俺は、誰かに迷惑をかけられるのが嫌いという性分なため、
逆に誰かに迷惑をかけながら生きていかねばならないような事はどうしても受け入れられない。」
という遺書が懐に入ってた。
保険は、何か一定期間以上の加入だか何だかの条件に達していればお金下りるみたいだった。
915 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/20(月) 21:09:24 ID:fIHbRICa
医療費の高騰、大病院の混雑、ベッドの満床などの原因の一つは、
難治療養、高齢寝たきり老人にあることをお忘れなく。
>>915 確かに過酷なまでの延命治療ってあるしね。
先日、十歳以上うえの知り合いの家に寄っていたときに
その人のお姉さんもいて、その兄弟のお母さんが大腸癌の疑いがあるらしく、
どうするかで話し合いをし始めた。
私はその人たちとは懇意で家族のような付き合いをしているので聞かしても良いと思ったのだろう。
お母さんはまだ疑いの状態なので、お姉さんは知り合いで同じように大腸癌だった知り合いの話をしだして
その知り合いは80歳で大腸癌だと診断され医者から「最近の80歳は若いから手術して頑張ろう」と言われ
家族も同意して手術して人工肛門をつけたらしい。
そしてある日、誰もいない家でお婆さんは目が悪いのに人工肛門から糞尿を取りだそうとして接合に失敗して
家中を糞まみれ状態にしたらしい。
そこに帰ってきたお嫁さんが半狂乱の声を上げて、その声が元でお婆さん自体の頭の中の何かが切れて
それ以来寝たきりになり数ヵ月後にはお亡くなりになったとか・・・
生きる意味、生きる意思のない延命治療ってなんだろうね。
917 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/21(火) 06:53:26 ID:2swn4VQ9
延命治療するほうが苦しみは多い。
>>918 ヲイヲイ、そっちかよ(w)。
生かすのは氏なれる方のエゴ、氏ぬのは氏ぬ方のエゴ。
おなじエゴなら踊らにゃソンソン
いはゆる不治の病の「延命」ってのは、はたして治療と呼べるものなのかと。
救命でもなきゃ治療でもなく、まして癒しなどではなく
ただただ命を延ばすだけですから。ごまかしのない言葉だ。
まあその延命期間に、患者がどう生きるかじゃないのかな。
余命1週間ってわかってても、その1週間にできることがちょっとでもある、と思ってる人にとっては、
その1週間を延命するための処置はものすごく意味のあることだろうし、
どうせあと1週間しかないから今死んでも同じ、と思う人にとっては延命は無意味だろうし。
もう大分前、曾祖母が死んだときのこと
曾祖母の遺体を布団に安置しておいたら、
有ろう事か、ぬこが曾祖母の上で寝ようとした。
「おばあちゃんが温まっちゃうから駄目」と親戚に慌てて退かされたが、
昼間は膝の上で、夜は布団の中で、いつも一緒だった曾祖母が突然
逝ってしまったのがわからなかったであろう年寄りぬこの
「何で布団に乗っちゃいけないんだ」とも言いたげな顔を思い出すと、
今でもちょっと切なくなる。
ねこ:ばあちゃん、なんで死んでしまうん?
せつこぉ・・・
スポーツクラブに通っているのですが、70歳くらいのおばあちゃんがスタジオレッスン中に
倒れ、意識不明になった。スタッフが応急処置をしてるが意識は戻らない。
救急車で病院に運ばれていった。
おばあちゃんのその後が気になったけど、スタッフは「個人のことだから」ということで
一切教えてくれなかった。
一週間くらいたったある日、そのおばあちゃんとスポクラで友達になったという女性と話す
機会があり、どうなったか聞いてみたところ、まだ意識不明が続いているとのこと。
そのおばあちゃんは家族がおらず、一人暮らしだったそうだ。
特に積極的な治療や延命はしておらず、ただ自然に任せていて、今すぐというわけでは
ないが、亡くなっても不思議ではない状態らしい。
スポクラにはその人の自転車がまだ置きっぱなしになっている。
どういういきさつかは知らないが、家族がいないっていうのはホント切ない・・・・
>>911 10年近く入院していた父方の祖母が亡くなった後、足を患っていて入退院を繰り返していた父方の祖父が、
ちょうど二週間後の同じ曜日に亡くなった。
祖母は痴呆が進んで自分の子供の事もわからない程だったけど、祖父は一生懸命会話をしてた。
お葬式の時に入院していて出席出来なかったおじいちゃんは、寂しくておばあちゃんに
会いたかったんだろうねって言った母の言葉が忘れてられない。
自分で書いてて切なくなってしまったが、1番切ないのは父だったろうな。
929 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/23(木) 12:34:26 ID:GPjrBrmh
一度に二人とも片付いて、お母さんの肩の荷が降りたって言うほのぼのした話ですね?
子供の頃からずっと部屋においてあった学習デスクを処分する為に、
長い間開けていなかった引き出しを開けたら
誕生日に家族から貰った手紙がいっぱい入った袋が見つかった。
文面を読むと7歳から12歳まで小学生時代全部の誕生日の手紙だった。
俺には4つ年上の兄が居た。
兄が交通事故で死んだのは俺が11歳になる前の事。兄は中3だった。
当然兄からの手紙は俺の10歳の誕生日で途切れている。
最後の手紙はどんな事書いてくれてたのかな〜と沢山の手紙の中から探した
「○○へ
もう10歳とはおどろきだね!!
すぐすねて怒るのはやめましょう
俺より身長高くなったらだめです
△(妹)だけじゃなく俺とももう少し話してください
お兄ちゃんが言いたい事はそれだけです。
これからも家族皆で仲良くしようね。
今年のプレゼントは○○が欲しがってた石だよ〜ん お兄ちゃんより」
その当時思春期だった兄が少し怖くて
俺は妹ばかりと遊んでいたんだが今思えば凄く優しかった。
プレゼントの石というのは近所のちょっと危険な川原に落ちている
凄く平ペったい石でわざわざ拾ってきてくれた。
今もまだ生きてたらどんな兄になってたんだろうとか
色々思うと泣けてきて一人で大号泣した。
俺昔、自分の夢のために、遠くの大学に行くことにしたんだ。
入学は四月なので、それまでずっとカノジョの家にいた。
三月も半ば頃、仕事中のカノジョが外回り行くからご飯たべようと、
食べながら自分は夢について語った。大学行くのが楽しみだった。
その最中にカノジョが口をパクパクさせていた。
声には出さない。
「いかないで」といっていた。
今思うと切ないな〜
932 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/24(金) 02:23:53 ID:LWb5AUpr
で、彼女とはどうなった?
まさかとは思うけど
結局、そのまま大学行って一年後別れたけどね
おれ、口パクの意味わかったんだけど
「えっ。何?」って聞き返すのが精一杯だったよ
つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
935 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/24(金) 02:36:37 ID:LWb5AUpr
なんで別れたの
やっぱ遠距離だとダメなのかな
937 :
931:2006/11/24(金) 08:27:58 ID:kPa1ir2k
寂しくて耐えられないとのことですた
いかないで
せめて口パク
彼との別れ
939 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/24(金) 15:19:22 ID:GkHTWQWN
食べ物が歯に挟まったので舌で奥歯を探っただけなのに、
彼ったら勝手に想像しちゃってさあ。
940 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/24(金) 17:17:51 ID:w0KvGihM
口をモグモグさせただけで心を読み取る男。
941 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/24(金) 18:35:13 ID:HmJ0Tolv
遠くの大学に行くことで、年上の女と手が切れることを喜んだ話ですよね。
もぐもぐ女と言えば…
もっとしんみりしてるかと思って、時間空けてみてみたらこれかよ
笑っちまった
945 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/25(土) 23:36:18 ID:JAgKJFld
フジの土曜プレミアム
今、余韻にひたってます
946 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/26(日) 14:37:28 ID:gLzAdsW/
親の弁当系に弱い・・・
947 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/26(日) 17:45:56 ID:+g5zXd4d
948 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/26(日) 21:16:35 ID:gLzAdsW/
>>947 オムライス、おいしかったんだろうな
・゚・(ノД`)・゚・
949 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/26(日) 21:37:48 ID:IX8ZKEO9
料理が下手だといつまでも根にもたれるという話ですね。
951 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/27(月) 03:06:40 ID:mOri9cVr
ひどい風邪で寝込んでて、思い出した。
6歳下の妹が病弱でさ、母は妹にいつもかかりっきりで(うちは母子家庭)
身体の丈夫な私が風邪をひいても、深刻度がまるで違う。
私は自分の苦しみしか体験できないから、当然すごく辛いんだけど
「たかが風邪ね、すぐ治るでしょ」みたいな対応されて悲しくて
「もっと心配してほしい、悪化すればいいんだ!」って
わざわざ寒い中ベランダに出て、頑張って悪化させようとしてた。
でも当然、入退院を繰り返してた妹に張り合うことはできない。
今じゃ妹もすっかり普通に元気になってるが、
私は今でも風邪引いたとき、心配してくれる夫に素直に甘えられないんだよなあ。
親戚の家に遊びに行くとき、必ず立ち寄るレストランがあった。
蟹の絵が三つ建物に描かれてて、当時四歳の私は「かにのレストラン」と呼んでいた。お気に入りの場所だった。
ある日、蟹のレストランは無くなった。
シャッターが閉まってて、電気もついてない。
私は「かにのレストラン今日休みかな?」と思っていたが、蟹のレストランは潰れてしまった。
もう取り壊されてしまったが、跡地の前を通る度に
「かにのレストランで食べる!」
と涙も涎も巻き散らして我儘を言った当時の思い出が蘇って切なくなる。
両親はなだめるの大変だったろうな。何にも言わないけど。
953 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/27(月) 06:16:16 ID:egOUWniA
我がままなガキを持つと親も苦労する。
1/3
小1の時、クラスでイニシアチブを取っていたsのグループがiという女子を虐めていた。
その日の掃除の時間(おれのいた小学校では、給食の後に掃除の時間がある)も、
sとその取り巻きがまだ給食を食べていたiを取り囲んで吊し上げていた。
おれも、iは個人的に好きではなかった。でもiを虐めることを快く思ってはいなかったし、
なによりもs達がiに拘っている事で掃除が進まないことが不満だった。
事実、おれ一人が教室を掃除していたのにおれは憤慨してsに抗議した。
さっさと教室を掃除しろ。こんなやつ放っときゃいい。
それからs達とおれのけんかになった。
けんかといっても、罵倒し合う程度のものだけど。
他のクラスメートも教室に戻ってきたが、彼らはsの側についた。
気がついたらおれは独りでクラス全体とやりあっていた。
2/3
クラスにはgという女子がいた。
gは内臓に重大な疾患があって、無理矢理学校に通っているような女の子だった。
おれはgの腹に見たこともないようなオレンジ色の巨大な絆創膏が貼ってあるのを知っていた。
多分手術跡を保護するものだったんだと思う。
gがおれに近づいて、何かを言った。おれを諫めようとしたのかもしれない。
お前には関係ない。頭に血が上っていたおれはgを突き飛ばした。
絆創膏の貼ってあるgの腹を突いて。
gはショックで火が付いたように泣いた。おれはクラス全体の敵になった。
そのときiが何をしていたかは憶えていない。
3/3
そのうちに教師がやってきて、おれとsを職員室に連れて行った。
大人の第三者がいない所で起こったので、
教師達は興奮した七歳児二人を前にして状況を正確に把握できなかった。
結局、誰が悪いのかということは明示されないまま、
クラスの和を乱すなと言われ、五時間目の頭に二人は返された。
残りのクラスは教室で「走れメロス」のアニメを見せられていた。
その日の帰りの会で、おれは「sくん達の悪口を言った」、「gさんを叩いた」事を責められた。
おれはクラス全員にあやまった。
それからs達はiを虐めなくなった。gは小3の時に病気が悪化して学校に来なくなった。
そして小6の秋頃に死んだ。gだけには心の底から謝りたかった。もうそれはできない。
長文スマソ
957 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/27(月) 10:45:06 ID:IIbjxoKS
たまには墓参り位はしてるのか?
1/2
先日、母の遺品を整理していたら、
メモや広告の裏に、おもちゃや漫画の題名等が書かれた紙が数枚出てきた。
どうやら小さい頃に私が書いたものらしい。 だが、思い出せない。
するとその中に、「おかあさんのびょうきがよくなりますように。」と書かれた折鶴が出てきた。
「あっ!」 私の記憶がいっきに駆け戻る。
昔の私は遠慮がちの子供だった。
体の弱い妹の看病に付きっきりだった両親に、気を使っていたのかもしれない。
欲しい物があっても、口に出す事はなかった。 そんな気がしていた。
そんな私はいつの頃か、願い事を押入れ上の天井裏に忍ばせるようになったのだ。
私の部屋の押入れから上がれる天井裏は、秘密の場所だった。
よく宝物を隠したものだ。
この願い事を書いた紙切れも、いつか叶うのではないかと隠しておいたものだ。
いや、思い起こせばその願いのほとんどは叶っていたのではないか?
2/2
そうだ、事の始まりはこの折鶴だ。
幼い頃、母が一度だけ入院した事があった。
その時私が折鶴に願いを託し、天井裏に置いたのだ。 間もなく母は退院した。
偶然なのだろう。 でも私にはドラえもんのポッケのような空間だった。
誕生日やクリスマス前に願い事を天井裏に置いておくと、プレゼントは希望のものだった。
今考えるとカラクリは単純だ、赤面モノである。
両親からの愛情が決して不平等ではなかったのだと、改めて感謝する。
ふと、あの天井裏が懐かしくなった。 30年ぶりだろうか、懐中電灯を片手に昇ってみた。
もう、そこには何も無い、深い埃だけが時の経過を教えてくれた。
しばらく思いに耽り、降りようとしたとき、それは視界に入った。
やや新しいお菓子の空き箱が梁の上に置いてある。
私はそれを手に取り下に降りた。
蓋を開けると、十数羽の折鶴が収められていた。 そこには、
「○○(私)の怪我が早く良くなりますように。」
「○○が希望大学に無事合格出来ますように。」
「○○の希望通りの仕事に就けますように。」
「○美(妹)の手術が無事済みますように。 助けて下さい。」
「○美の赤ちゃんが無事生まれますように。」
母の願いは全て叶ったようだ。
960 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/27(月) 16:12:18 ID:jzIEk9iP
。・゚・(ノд`)・゚・。
何年も前。
かあちゃんが近所のごく普通のスーパーで\9000のダウンジャケットを買ったとニコニコしながら言ってきた。
俺は「たか!なんでそんなとこで買うの!?もったいね!アホか!」と思わず言ってしまった。
くだらんことだが、その時のショボンとしたかあちゃんを思い出す度に「あんな言い方なかったよな・・・」と胸がキュンと痛くなる。
でもまあ、「スーパーで買った」というのは十中八九衝動買いだろうからな・・・
あんなところで服を吟味して買う人見たこと無い。
963 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/27(月) 19:07:38 ID:Je62ZoZA
ダイエー、ヨーカドーもスーパージャン。
964 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/27(月) 19:10:05 ID:QXHChL5E
☆☆☆☆☆☆告られレス★★超LUCKY☆☆☆☆☆☆
今月の間に超LOVEAになれるよо(^−^)о
自分が『好きだ』って思っている人から告られたり、
大切な人とずっと一緒にいられるよ♪∞
でも、まず最初にこの『告られレス』を
7つのスレに貼ってね。
そうすればLUCKYをゲットできるよ♪♪♪
(ただし7つのスレに貼ったらだよ)
信じるか信じないかはあなた次第!!
でも、このレスは本当にとっても効き目があるよ♪
このレスは絶対効きます。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
962読んで思い出した。
裕福とは程遠いけど、かなりの田舎ではあるがそれなりに生活をし、私が一人前の大人になった頃、
両親が初めての海外旅行に行った。
無事に帰国して私に持って来たお土産が、ヴィトンのバッグ。
『どうしてこんなの買って来たのよ!自分の好きな物買えばいいじゃない!』
ありがとうを言う前に言っちゃった。
だって私が渡したお小遣いよりはるかに高いし、もう私も大人なんだから、これからは自分のために
楽しんで欲しかった。
私の為に見たこともない高級店に入り、選んでくれたのかと思うと…あの時の私大バカ者。
966 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/27(月) 22:40:03 ID:Je62ZoZA
そのビトンはコピー。
屋台で山積で売っていたのを買った。
家族に対してありがとう。と素直に言えた事がない…
恥ずかしくて改めてありがとうなんて言えないよ。
じーちゃんばーちゃんとーさんかーさん、妹、ひねくれ物でゴメンよ。
私が産まれて数年後、父の兄の借金のせいで、我が家は大変な事になった。
毎日借金取りが来て、私の泣き声が聞こえるとまずいから、と私の口を手で塞ぐ母。
その後産まれた妹は、当然新しい服もおもちゃも、クリスマスも無かった。
欲しい、と妹が言っても買ってあげられなかった。
苦しい家計の中、母が妹を産んだのは
「お姉ちゃん一人じゃ寂しいだろうし、お姉ちゃん一人じゃこの先生きていけないから、助けあえるように」
妹が産まれた時病院で色々あって、入院費も何もかもただになったけど。
現在、妹は15歳。私は25歳。
私が妹の高校進学費用を出すと言ったら家族全員に大泣きされた。
妹は「お姉ちゃんの人生を狂わせてしまった」と言うし、両親は「借金で苦労させたのに、本来親が出さないといけないのに」と泣く。
何か色々切なくなった。
仕事の他に色々してるから、家族に苦労させないくらいお金はあるんだけどな…
>>968 同人大手さんだったりして
税金払えよ!
これ以上の自分語りを誘うような煽りはやめれ
つか、想い出を語るスレで自分語りを咎めたら何が残るんだ?
小学生の頃、近所で大きな建物が建築中だった。
一つ下の弟と「何ができるんやろね」とワクワク。
二人して自転車で見に行ったりしてた。
かなり敷地も広かったので、映画館かな?デパートかな?本屋かな?
完成したらみんなで遊びに来ようね。
子供心に期待でいっぱいだった。
が、それからしばらくして両親が離婚する事になり、
母は私と弟を連れその土地を離れた。
私達があの建物の完成を見る事は無かった。
月日が立ち、すっかりそんな事も記憶から忘却していたある日、
その近くをたまたま通る所用があった。
すっかり変わった景色を眺めながら歩いていたら
ふいによみがえるセピアな記憶。
懐かしいなぁ、結局あの建物は何だったの?と思って足を伸ばす事に。
重厚で立派な建物がそこにはあった。
円形の緑の屋根。
広々とした駐車場。
入り口には警備員のような男性。
立派な表札がかかっていた。
「創価学会○○文化会館」
美しいままでしまっておいた方がいい思い出って、あるよね。
創価学会に入会していたら感動的な話だったんだろうな
975 :
おさかなくわえた名無しさん:2006/11/29(水) 10:55:11 ID:GSq76zes
創価学会はいつでもどこでも人の思い出を作ってくれるという、
ほのぼのした話ですよね。
いや、勘当的な話になる