ばあちゃん・・・

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なんかこのスレみてたらばあちゃんのこと思い出した。
長文スマソ。

3年前の正月が過ぎた頃でしょうか。
婆ちゃんが交通事故で急逝したのは。
交差点でトラックに撥ねられました。
仕事中、オヤジから連絡があり、目の前が真っ暗になったのを覚えています。
あまりにも急でした。

正月、仕事の関係で帰れなかった私は婆ちゃんの顔をしばらく見ていませんでした。
ばあちゃんも「(漏れ)は正月に帰ってこないのかねぇ」と寂しがっていたそうです。
お休みを使って実家に帰ろうとしていた矢先の事でした。

信号のある横断歩道で、青信号で手を挙げて渡っていたのにも関わらずの事故でした。
横断歩道を渡り終えようとしたところ、無理な右折をしたトラックが突っ込んできたそうです。
加害者は運送会社の若造。まだ19歳。
こんな若造に婆ちゃんが殺されたかと思うと悔しくてたまりません。
八十四歳なのにまだボケもせず元気にしていたのに。
人生まだまだ楽しんで欲しかったです。
お友達と温泉に行ったり、俳句を楽しんだり、集まりに顔を出したり、もっともっと楽しんで欲しかった。
九十になるまでには嫁さんと曾孫の顔を見せてあげたかったです。
まだ何にもしてあげられてなかったのに。

2001年1月16日、病院に着いた時にはもう意識不明。
呼吸器を付け、包帯だらけの婆ちゃん。
全身に点滴などの管が伸びていました。
母や伯母さんから事情を聞くと、助かる見込みはゼロに等しい。
頭蓋骨骨折及び脳挫傷・全身打撲、骨折十数カ所・内臓破裂。
脳外科のお医者さんは匙を投げてしまいました。
正月に帰ってやれなかったので、せめて日が昇るまではそばにいようと思い、夜を徹して婆ちゃんが目を覚ますのを祈っていました。
522/2:04/06/16 09:46 ID:Bq7p0RKZ
…でも、朝6時35分。婆ちゃんは逝きました。

葬式の席で、参列に来た加害者に、親兄弟や親戚の制止を振り切って殴りかかったのを覚えています。
「婆ちゃん殺したのはてめぇか!婆ちゃんを返しやがれ!」って。
そんなことしても婆ちゃん喜ばないのにね。

婆ちゃんへ。
あなたの孫は毎日元気に暮らしています。
周りの人に迷惑や心配をかけながらも、一生懸命生きています。
これからも頑張って生きますので、あんまり心配しないで。
今年の夏休み、また会いに帰ります。
おそらく将来を共に歩んでいける人を連れて挨拶に行きます。
できればもっと早く連れて行きたかったけど…

藻前ら、ちゃんとばあちゃんに孝行してやれよ。
あと、車の運転気をつけれ。