1 :
便器爆撃:
ない
乙
4 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/28 20:51 ID:/47EyXUA
アル中だった祖父は、戦艦陸奥艦上で、訓練終了後、酒を探したが工業用アルコールさえ
見つからず、1升ビンに入っていた灯油を飲んだら、即座に胃がひっくり返って吐いたそう。
6 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/28 21:11 ID:OixZlHaA
戦艦陸奥ですか。
謎と言われる爆沈も、実は工業用アルコールへの引火といいますね。
あ!
9 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/29 23:41 ID:CK6twNkQ
戦時中とにかく喰うものがなくて
当時親父の近所に住んでたオジサンが畑から西瓜を盗んだそうな。
オジサンが警察に連れていかれるのを見た、という記憶を
「悲しい思い出だ」と、遠い眼をして親父は話す。
どうって事のない話ではあるが、聞いておかなきゃという気になるのが不思議。
いきなりスレ違いですまん。
10 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/30 00:48 ID:3AccClnG
10
11 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/30 01:10 ID:3AccClnG
10
12 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/30 01:58 ID:g7ULnkOF
うちの祖母が畑を耕していると鬼畜米の戦闘機B29がやってくるではないか!
祖母はとっさに鍬を投げ捨て、畑に身を伏せた。
しかし、鬼畜米機はどんどん畑の祖母めがけて高度を下げ、
祖母に向かって突進。
機体は祖母の背中をかすったかと思うとそのまま上昇し、そのまま消えた。
き、消えた??!!
B29ってかなりでかいぞ。そんなのが一瞬にしてパッと消えたなんて、
神風でも吹いたんか?!
親父の婆様から聞いた話
グラマンが来たら絶対に竹林には行くな
機銃掃射で撃たれた弾が竹で跳ね返って何処に飛んでくるか解らん。
だそうな。
他にも色々聞かされた。
>>12 グラマンか何かの間違いじゃないのか?B-29は戦闘機じゃないぞ。
16 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/30 05:07 ID:fDGsBk3q
まあB29が突っ込んできた方がインパクトがあるのは確かだがw
((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
19 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/02 18:59 ID:Vle2XsTE
ageとこうよ。
20 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/02 20:55 ID:3ePPaeVF
家のじいさまは本土決戦要因として石川で徴兵されて赤坂で働いてたそうなんだが、
負けが込んでくると人心の乱れも酷かったようで、
空襲の時に将校が死ぬといろんなとこから人が集まってきて身包みはがされるだの
未成年だったけどやさしい下士官がタバコくれただのと教えてくれた。
それと、どういう経緯かはしらないけど、潜水艦乗ったそうです。
丸ゆ艇って言うのかな?特にコネがあったわけでもないのに不思議だ
>>20 >丸ゆ艇
陸軍の潜水艦でしたっけ?物資の輸送に使われたそうです。
22 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/02 22:45 ID:xztOLQhD
>>20.21
陸軍輸送潜水艦○ゆ艇 米24t 兵員40名輸送可能。
知り合いのじいさんの話
イナゴを取りに朝出発して延々歩いて昼前に現場到着、夕方までイナゴとってバスに乗って帰る
飛行場が近くにあって水上機が行ったり来たりしてるのがよく見えたらしい
戦後トラックの荷物の積み下ろしが大変で
とある港でアメリカのパワーゲート付きの輸送トラックを何十台も見て
こんな国と戦争していたのかと驚いたとか
ごめん、全然面白くないや
他には食べ物に関する話ばかりだった
24 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/05 16:16 ID:82tCCuG2
ageちゃう♥
25 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/05 19:17 ID:GkAmLN+3
うちのじいさんと親父が鉄工所やってて軍の下請やってたんだ。戦時中なんで物資は当然統制されてる。
仕事も軍が材料を支給するんだが、これがなかなかざるだったそうだ。もちろん鉄材とかはすごく厳密に
管理されてて、必要量きっちりした支給されないが、ドリルの潤滑用のオイルは請求したらそのとおり認め
られた。もちろん鉱物油は大事だから、代用品なんだが、これがなぜか大豆油。実際にはうちの工場では
年に18リットルの缶を開ける程度だが、請求したらいくらでも通るのでその結果、終戦のころには倉庫に
20缶ぐらいたまってた。
戦後、闇市でコメと交換して助かったそうだ。
うちのじいちゃんの話。
小学校に御真影があって、祭られていた。
直に見ると目が潰れると言われていて、その前を通る時は皆、下を向いて目をつぶっていたらしい。
空襲があったら6年生の委員長が御真影を持って逃げることになっていたんだが、
どうやって御真影を見ずに持って避難するか真面目に考えてたらしい。
御真影・・・
って何ですか・・・すいません
ごしんえい【御真影】
(1)高貴な人の肖像画・写真などを敬っていう語。
(2)戦前、宮内省から各学校に貸与された、天皇・皇后の写真。
御真影って、天皇の写真を絵に描いたものだっけ。
しかも、その絵を布か何かで覆って教室の前に飾るとか。
中学のとき社会の先生が言ってた。
写真そのものでしょ。
奉安殿にかざってたはず。
普通は御真影は児童なんかに持たせるんじゃなくて、
学校長(でなければ他の教職員)が責任もって持ち出すように思う。
戦時中じゃないかもしれないが、火事で御真影を焼失した学校長が
割腹した事件があったと聞いた。
>>31 作家久米正雄の父親だね。明治時代だよ。
その後も火事の学校内に入って亡くなったりすることがあり、
校舎の外の奉安殿で管理するようになったという。
へー、戦時中に小学校があったんだ。
アメリカの話?
35 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/07 11:11 ID:IvbJTXl/
>戦時中に小学校があったんだ。
今度これ書いた奴がいたら皆で袋叩きにしようぜ
36 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/07 11:38 ID:3YJUQLun
>>34-35 戦時中は旧尋常小学校のことを国民学校と呼んでいたのでは?
>>36 うん、だからその話題自体が超ガイシュツなわけで。
前回は意味が通じればいいで一応決着みてるし。
>>36 お前の書いてることは33の書いてることと同じだろ!
39 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/07 11:56 ID:3YJUQLun
40 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/07 12:19 ID:eJ2CwokM
うちの母親の話
戦争が終わって間もないとき、家の裏山に米軍機が墜落して、
現場を調べるために、GIと将校が来た。
皆が、復讐されるんじゃないかと震えている中、日本語通訳の
米兵が「湯を沸かせ。急げ」と言い放った。
仰天した家の人間が、ありったけの薪を使って湯を沸かすと、
次に「湯を冷ませ。急げ」という命令がでた。
家中の扇、扇子を使って必死になって湯を冷ました後、
「出来ました」と言うと、先任の将校が、持ってきたコップに
水を汲んで美味そうに飲んだそうだ。
戦後の話なのでさげ。
>>37 前スレではたしか意味が通じればいいという奴の方が
バカでアホであるという結論だとおもったが。
43 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/07 17:10 ID:IvbJTXl/
33 :おさかなくわえた名無しさん :04/05/07 10:21 ID:vN7S+0bM
42 :おさかなくわえた名無しさん :04/05/07 15:33 ID:vN7S+0bM
確信犯かよ、ちいせえなお前(プ)
45 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/07 17:29 ID:XZG5dO0Z
米軍がジープに乗ってやって来たら、家の前で寝転びながら
手を出すと、ガムやチョコ、クッキーもらったってさ。
婆ちゃん談
46 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/07 17:32 ID:TKViHvBq
〜祖父の徴兵検査〜
結構な身体能力のある祖父は、地元では出世頭だろうと期待されていた。
案の定、大抵の検査を優秀な成績でパス。
しかし聴力検査の際、初めて行う検査のやり方がよくわからず、
例のヘッドフォンもどきの逆側を、無理やり耳に突っ込んで臨んでしまった。
検査員もそれに気づかぬまま検査開始。
試験後の試験管「折角の優秀な成績なのに、耳が聞こえないのか…残念だが…」
そういうわけで、祖父は偵察隊に。
比較的危険の少ないところが多かったようで、無事生きて帰ってこれました♪
終戦の2か月前に召集されたうちの祖父。
年齢は30代だったのに、頭は立派にツルっ禿げだった。
「あんなじいさんが召集されるようじゃ、日本は負けるんじゃないか」
と見送りの中から声がした時、祖母は恥ずかしくて仕方がなかったとのこと。
50 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/07 20:38 ID:VGM4Z5qJ
51 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/07 20:59 ID:qjSizmnK
私の恩師の田舎では、各ご家庭に天皇陛下の写真(28さんいうところのご真影)
があったそうです
普通は飾ってあるのですが
ある家庭では大事に布でくるんで押し入れに保存していたらしいんです
学校の参観日に先生がその家の子供に
「天皇陛下はどこにおられますか?」と質問
正解は ”東京”なのですが
その子は元気よく「押し入れに居られます!」
と答えてしまったそうです。
笑い話で済んだそうです(ひとつ間違えば不敬罪でした)
>>46 いいですねぇ。
第2話も面白くなりそうだ
53 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/08 07:35 ID:IbGgWE/x
祖母から聞いた話。
戦時中、色んな物を供出させられた。
田舎の農家だから何年分もの梅干しを漬けてあったが、兵隊さんの為だ、
と全部供出。しかし、まもなく妊娠発覚、つわり真っ盛りなのに酸っぱいもの
が家にない・・・近所の家にもやはりない。結局その頃まだ家にいた祖父さん
があちこち探して、干からびかけたような小さな梅干し一瓶を買ってきた。
たった一瓶とっとけばよかったのに・・・梅干し買ったなんて後にも先にもこの
時だけだ、といっておりました。こんな話でいいのかな。
54 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/08 08:30 ID:XFWntw2T
知り合いの話
滅茶苦茶ドン臭い叔父さんが徴兵されたのだが、
あまりにもドン臭い故に、前線や重要な場所に派遣されず、
戦争とはまったく無縁に思われるような島に飛ばされたらしい。
(通信回路さえ守れればよいような島で、会社でいう備品倉庫みたいなもの)
ある日、偶然原住民と遭遇して、
「戦争あってるのか?」(原住民ジェスチャー)
「そうだよ。戦争中」(叔父さんジェスチャー)
「そうか、沢山知らない人来て、なんかしてったけど、それか」(ジェスチャー)
等、ぎこちないジェスチャーでなぜか意気投合。
数年間戦闘とは無縁で、たまに釣りや狩りをやって過ごし、最後のお別れは、
「カエルノネ〜」(日本語覚えた原住民)
「うん。かえる」
「サヨナラネ〜」
なんかわけのわからんお土産までもらって送り出されたらしい。
中国とか朝鮮とかの兵士とはえらい違いだと思った。
55 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/08 08:41 ID:WqdYTW0u
じいさんの話
じいさんは終戦前に予科練にいたらしい。
飛行機乗りは敵と味方の軍艦が区別できないといけないから
軍艦のシルエットを覚えさせられる授業があったそうな。
そかし、教官は日本軍の軍艦は覚えなくても言いという。
当時、すでに戦える軍艦は残っていなかったのだ。
>54
なんか水木しげるの原住民との交流の話を思い出した。
ところで、なんで唐突に「中国とか朝鮮とかの兵士」が引き合いに出されるんだ?
水木しげるはあまりにも原住民の皆さんと仲良くなったおかげで、定住一歩手前まで
行ったんですよね。
<ところで、なんで唐突に「中国とか朝鮮とかの兵士」が引き合いに出されるんだ?
毎日毎日生きるか死ぬかの最前線にいた兵隊さんたちってニュアンスを伝えたかったと思われ。
>>57 あ、そっか。中国や朝鮮あたりに行ってた兵隊さんってことか。
59 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/08 16:56 ID:88tYLWQY
戦中生まれの母の名は勝子
彼女の小学校には当時、クラスに勝子が4人いたらしい
>>54 なんか「カエルノネ〜」「サヨナラネ〜」と言うのが異様にかわいい…
戦中生れは勝利(かつとし)もやたら多い。
ずっと万里雄(まりお)だと思っていた父の知人が
本当は「稀夫(まれお)」だった時の驚きは忘れない。
マレー半島攻略を記念しての名前だそうだ。(S16年生まれ)
こんなところにも歴史が!と本気でびっくりした。
うちの父親は戦中生まれなので「勝」
母親は戦後直後の生まれなので「和子」です。(←平和の和ね)
64 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/08 20:52 ID:f69DTPjs
先日退職したオヤジが「満洲男」に「東洋雄」だった。(ますお、とよお)
やっぱり時節にちなんだ名前だったよう。
うちのじいちゃんは戦時中フィリピンにいたんだが、
フィリピンはバナナの宝庫で、というか美味いのはバナナくらいしかなくて
どうにかしてこのバナナの他の食い方はないものかと仲間たちと思案したあげくに
あろうことか味噌汁の中に入れて煮て食ったそうな。
じいちゃん曰く、「あの味噌汁のまずさで敵を殺せたかもしれん」と。
バナナを味噌汁に入れてはいけない、というのがじいちゃんの戦争体験談による
教訓だった。
あと、現地で手のひらサイズの子猿を捕まえたので、いつもふところに入れて
連れて歩いてらしいが、この子猿がいつまでたっても「シッコしたい」を覚えず
毎回じいちゃんのふところに漏らしてたそうだ。
「この猿は頭が悪い。何度教えようも漏らしよる」と仲間に愚痴ったら
「フィリピンの猿に日本語が通じるか」と言われて納得したらしい。
まあ無事に帰ってきてくれたから、今の自分がいるわけだけどね。
(*´д`)アメデオ・・・
>>65 ポケットに小猿を入れた日本兵かぁ・・・
なんかかわいいなぁ
笑える話でないんですまないが、上の名前の話題で思い出したので
うちのじいちゃんは召集されちゃ負傷して戻るを繰り返して、とうとう3度目に怪我が元で腎結核にかかって
終戦後間もなく亡くなった。
とにかく勇敢な人だったらしく今でも勲章やなんか残ってるけど、そんなものじゃ命は買えないよなとよく父親がぼやいている
まあ父も後にいい義父に恵まれて経済的にも家庭的にもそんな苦労はしなかったらしいが
そんな祖父の名は「忠誠」文字通りお国のために務めを果たして逝ってしまいました。
つー訳で自分の周辺で笑える戦時中の話はないんだ。
出来る事なら祖父からいろんな話を聞いてみたかったなぁ
70 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/09 12:15 ID:4A/OzDjY
戦争体験者(兵隊としてね)には2種類あるようだ。
戦時中の話を色々してくれる人たち。
それと、頑なに口を閉ざす人。
戦争の話題に全く触れず、聞いても答えてくれない人たちは、
どんな体験をしたのだろうと、疑問に感じた。
>70
近所のじいちゃんは絶対に話してくれない。
親父に聞いた話では、シベリア抑留されてたそうだ。
話さない人には無理に聞かないほうがいいね。
おそらく言いたくないような事を目の当たりにしたか
経験したのだから。
今の風潮のせいもあるっぽ。
74 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/12 18:38 ID:wOU+jraV
ageてもいいですか?
戦時中じゃなく、戦後すぐのことだけど、当時電車のつり革は本革だった。
んで、ベルトにしようとみんながしょっちゅう盗んでたらしい。
76 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/13 15:36 ID:CSQYETr9
ウチのオジイは戦艦の炊所勤務だったけど、
戦闘中になると作業指示の名目で妙に将校(ほとんどが別部署勤務)がやってきて、
メシ炊いてるじいさん達を眺めてたそうな。
ていうのも、戦艦の炊所て言うのは艦橋の真下に位置してて、
飛来する砲弾や爆弾等から一番安全な場所だったそうです。
あと、海軍は麦飯食だけど炊き方によって麦の部分と米の部分とかに分かれるから、
士官とか下士官には、米の部分を盛って表面だけど麦の部分を被せないと、後でいじめられたそうです。
77 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/13 15:59 ID:gNGoNQB+
>>75 当時の電車の座席の布(モケットというらしい)も靴を磨くのに
いいということで、剥がされまくってしまいには板張りになってしまった。
遠藤周作って犯罪人なんですね
あー、飯炊きといえばか…実家にまだ本あるかな…海軍、陸軍…
>>79のメル欄へレスです
えっと詳細は忘れちゃったけど、自分の体験談としては軽いエッセイにあった気がする。
慶応の構内で学生相手に靴磨きしてたって。
小説の中では、「私が・棄てた・女」に主人公が戦後まもなく糊口を凌ぐためにやってたような記憶があるけど、
非常に曖昧です。間違ってたらごめんなさい。
>>82 ありがとう。
遠藤周作は彼女に一式(w もらって読んではいるのだけど。
出てくるのを楽しみに読みすすめてみます。
お亡くなりになったあとに出た本は自分で買ったのですけどね。
まだ読んでいません。
84 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/14 19:50 ID:pSEU20I6
俺の爺様は戦時中に反戦を唱えて牢屋にブチ込まれた。
根性あるね。
よく殺されなかったね…
私の母は長女で、その後2番目も3番目も女の子。
時まさに戦争真っ只中、
お国のためにもなんとか男の子を、というご時世。
そんな中でばあちゃん4人目の子供を出産。
産婆さん「女の子ですよ!」
ばあちゃん、そのまま気を失ったそうです。
普通に男の子欲しかったろうしね。
>>87 その女の子(というかあなたの叔母さん?)が可愛がられて育ったのかが心配だ・・・。
妻の父上の話。南方で軍艦に乗っていたのだが、あるイギリスの基地を占領したとき、
敵は物資を置き去りにして退却した。乗り込んでみると、ジョニーウォーカーが山ほど
残されていたそうです。
>>90 いわゆる「チャーチル給与」というやつですね。
92 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/17 19:48 ID:DJKMYtbp
ウルトラマンレオでレオ(主人公)が
ジープに乗ったダン(セブン)に追い回される特訓シーンが有るのだが
そのシーンを見てた曾爺ちゃん曰く
「この隊員はどんな悪さをしたんだ?」
「オレが軍隊に居たときは馬で追い回され、しかも後ろから石が飛んで来たんだ」
(死んだ)曾爺ちゃん、あんた何を悪さしたんだ?
93 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/17 20:58 ID:7DNLxs0+
弟が新しいガンダムを見ていたとき、敵のロボットの攻撃で子供が吹っ飛んだで
弟がなんて悪い奴だと憤慨していた時に、少し離れた所にいた祖父は
「戦争だから仕方が無いんだ、いや、仕方が・・中尉殿が・・あれは(以後聞き取れず)」
とぶつぶつ言っていた。
あんなにガタガタ震えて、脂汗を流す祖父をはじめて見たから驚いたよ
すごく・・・・・笑えません・・・・。
確かに・・・・・笑えん・・・・・。
96 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/17 22:41 ID:rhKj7xlx
これは有名な話でいまさら書くものでもないのかもしれないが。
亡くなった実家の父はどうやら裏活動系のお仕事してたらしい。
任務は暗殺だったが実行前に戦争は終わったといってました。
で、軍部を通して広島に新型の爆弾が落されたらしいと聞いたときには
とっくの昔に人のうわさは届いていて
人の力に感動していた。
97 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/17 22:47 ID:EjJL/brB
先日、お袋が戦争のときB29が銀紙の玉を落としていったんだけど
あれはなんだったのかね?と聞いてきたので、それはチャフというものが
広がらないでそのまま落ちてきたのでしょうと説明してあげました。
母方の古いアルバムを見ていると、軍服姿の祖父の写真が出てきたんだが
気持ち悪いぐらい俺にそっくりだった。
まるで軍服コスプレをした俺そのもの…。
サザエさんの長谷川町子の本で読んだんだけど
長谷川家のある一帯が間引きで取り壊される事に決まった。
取り壊しの日の前日、隣のおじさんは悔しさと怒りで自ら自分の家の座
敷をオノでズタズタに。
次の日,戦争はおわりますた。
>>97 帝国陸海軍はB29をレーダーホーミングのミサイルで迎撃してたのか。
101 :
おさかなくわえた名無しさん :04/05/18 00:20 ID:A97ioYd6
>>100 レーダーホーミングは無かったろうけど
レーダーをかく乱する為に撒いてたらしい。
アメリカだけでなく日本軍も爆撃機から撒いた記録がある。
102 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/18 00:52 ID:xe31hbpf
笑えるかわかりませんが・・
戦時中、八王子の軍需(?)工場で働いていた祖父の話。お使いで行った先で、工場長
に届けてくれとオニギリを一杯預かったそうです。
しかし帰り道の川原で、血迷ってそれを平らげてしまった。
工場に帰れずモジモジと夕暮れまですごし、観念し意を決して帰ると、なんと工場の
付近一帯壊滅状態。誰にも謝らずに済んだとのこと。
離れてたとはいえ、爆撃に気づかなかったドン臭い祖父は、今でもドン臭いです。
逆に、優秀なので地元でも評判だった祖父の兄は、意気込んで前線を希望し出征。
戦地に向かう途中の船内で、安全装置を外して銃を掃除していた人に、こめかみを
打ち抜かれました。
なんでだか、その弾が今でも家に家宝のように保管されています。
103 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/18 01:16 ID:+wh6CmBg
祖父の兄?だったか?の話なんですが
和歌山で米戦闘機がやって来ました。
回りの人々を防空壕に誘導したのですが
男気の強い人で、皆が「危ないから早く入れ!」と言うなかで
米機に睨みを利かせ、怒鳴ってたらしいです。
しかし米機の機銃掃射で生命の危機を感じ防空壕内へダイブ!
防空壕内で骨折者が3名出て大顰蹙だったらしいです。
104 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/18 01:51 ID:xe31hbpf
モッシュage
106 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/18 09:12 ID:/yDMnXvk
>59
うちの母もそれでそういう名前付けられたらしい。
しかし母が生まれて4ヶ月後戦争は終わり
日本はまけすた・・・_Ι ̄Ι○
_Ι ̄Ι○
骨っぽいな。
108 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/18 10:40 ID:5BBwN6b4
うちのじいちゃんは、終戦間際の召集だったそうな。
で、鹿児島で南方に向けて船で出たはいいものの、
出向して数日で魚雷を食らって船が沈み、助けられ
て次の船を待っているうちに終戦。
魚雷を受けたことを、「ぼかちん食らった」と表現する
のを子供の頃から何度も聞かされているので、俺っち
も映画で魚雷のシーンがあると「ぼかちん」という言葉
を思い出します。
じいちゃんは今でも元気で畑を耕してます。
>108
おじいさんが元気で何よりです。
ざっと見た限りだと運良く戦闘することがなかった人しか
生き残れなかった感じだね・・・・
>>110 個人的な意見だが、うちの祖父の口から「何人殺した」とかそういう話は聞きたくない。
みんな戦闘に巻き込まれつつも、そのことについては口を閉ざしているのではないかなあ。
笑えない話ですまないが
祖父の顔にはでっかい赤紫色の痣があった。
小さい頃、一部だけ色の違うそれが気になって触ると
「昔じいちゃん満州に行ってな。これは忘れんための罰なんだ」
と哀しそうに言っていた。
戦争のことは訊いたらいけないんだと、子供心に思った。
数年後、生まれた妹の足に、同じ形の痣があって
じいちゃん泣いてた。
確かに祖父と妹の痣は、地図で見た満州の形に近かったんだが
祖父の痣も生まれつきのものだったと、後でばあちゃんに聞いた。
祖父は他界してしまったし、誰にも向こうでのことは話さなかったから
実際、何があったのかはわからない
だけど、満州行く前からあった痣を、罰だと思うほどのことが
向こうであったんだなと思った
なんか全然笑えん話が続いてるが…。
ココ読むと、しみじみ戦争なんかしちゃいかんと思うね。
うちの祖父からはこういう話聞けなかったから、
こういう生々しい話はすごく貴重。
母方の祖母から、母がしつこく聞かされた話らしい(原文ソノマンマ)
満州から逃げる時、外人に見つかったんやけどお父ちゃん
こんな事いいはってんで
「コイツ等差し出すから、俺だけは生かしてくれ!いろいろ報告せなあかんねん!!」
普段ギャグなんか言わなかった祖母だったが、こんな状況で助かるモンなの…?
助かってなきゃ、母も私も存在しないはずなんだけど。
>>100 とりあえず日本にもレーダーはありました。
性能悪くて、使い物にはなっていませんでしたが。
ドイツのウルツブルグを国産化している最中に終戦になりましたけど。
117 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/20 09:52 ID:2ByA5Ovt
笑える話ではないが・・・
じいちゃんが東京へ行くときに電車で座席が近くかったおばさんと話をしてたらしい
おばさんは東京にいる息子に食べ物を届けてあげるためその電車に乗ってたらしく
息子さんに会えることをとても楽しみにしていたそうだ
ところがそんな話をしている時に闇米とかそういうのの検査ですよ
見つかると下ろされるんだっけ?そんなわけでおろおろするおばさんに
うちのじいちゃんが「ちょっと貸しなさい」と言って
座席の下に米を敷いてそのうえにどっかりと座り
調べに来る人とは「学生さんですか〜?」「ええ」「大変ですね〜」
といった会話で無事やり過ごしたらしい
やり過ごした後おばさんは、いたくじいちゃんに感謝したらしく、
その場でおにぎりをくれたらしい
あれは旨かったなぁ〜と目を線にしながら語るじいちゃんがなんだか印象的ですた
>117
ほのぼのした(´∀`)
じいちゃん、それは座高が高くなったんではなかろうか、と想像したらワロタよ
満州軍人だった祖父の二度目の奥さんは、花柳界の出身だったそうな。
そんで満州に家族で住んでる時に、自分の娘のバイオリン教師だったロシア(?)人と
突然かけおちしてしまいますた。
親戚の婆ちゃんが「美人だったけど、結婚しても男好きが直らんかっただよ!あの女は!」
と鼻息あらく話してくれた。
でも祖父はそういうタイプの女性が好みだったからか、あまり怒ったりせず、
また美人で我がままな性格の後妻をもらって暮らしてたらしい。
戦争が起きてても、男女のアクシデントは変わらないなぁと思った。
ここは近年稀にみる良スレかも。
大事にしよう。
祖母が話してくれるのは戦後の苦労が多いんだけど、
(祖父が病気だったので女手ひとつで大変だったらしい)
戦中の話だとお墓の門が鉄製だったから徴収されたってやつだな。
「罰当たりだけど仕方なかったんだよ」
という祖母の苦笑したような表情が印象的だった。
そのまま門を直さず今に至ってるのは感傷じゃなく、
単に面倒だからなんだろうけどね……。
別に笑う話ではないけども。
先日、祖父(90歳)とでかけました。
いつも彼は山高帽みたいな帽子をかぶっているのですが、
「おじいさんはこうやって帽子をまっすぐかぶる。軍隊ではそうやったからな。
まっすぐかぶって耳の上指二本分あけるんや」
とのことでした。
別に今軍隊じゃないんだから、はすにかぶったってよさそうなもんなのに、軍隊生活が
染み付いてるんだなあと思います。
ベルトのバックルとシャツのボタンとズボンのチャックも一直線にしてるでしょ。
124 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/21 23:13 ID:prDJ/1B7
御殿場線の線路を半分ひっぺ返さないかんようじゃ戦争には負ける罠
125 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/21 23:16 ID:ZL5QIigq
友達の爺ちゃんは、
弾がビュンビュン飛んでいる戦場で
あまりの怖さに眠ってしまったそうだ。
起きたら誰もいなくなっていたって。
中国でのお話です。
126 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/21 23:27 ID:ZL5QIigq
奥さんの陰毛をお守りとして戦地に持っていく。
>125
怖いと眠くなるタイプなのでわからんでもないが、豪快なじいちゃんだ
そのお陰で助かったんだろうか
タマ袋を弾丸が貫通したがタマは助かったという剛胆噺は読んだことがある。
(怖いと袋が縮むからやられるが、だら〜んとしてたから袋貫通ですんだ)
>>126 今でもギャンブルに行く人はよくやってる。奥さんじゃない人ののほうがよく効く。
129 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/22 10:54 ID:PUJLMYDm
奥さんじゃない人・・。
A 実の娘
B 不倫相手
C 実の孫
D その辺の女子高生
いずれにしてもヤバいなw
お母さん という選択はないのか
ガンブルの験担ぎは「処女の毛」だったと思う
うちのおっかー処女だけど
じゃあお母さんでもいいんじゃないのか
もらって競馬でも逝って来い
133はナザレの大工
137 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/24 00:36 ID:Nn1roYMX
祖母の妹婿が中国に行ってた。
黄河か揚子江の側の宿営地だかなんだかでいたらしい。
そのとき、川にイルカがいるのを見かけ、大勢の仲間と捕まえて
市場に売りに行ったが、買い取ってもらえなくて仲間で食べることに。
そのおじさん曰く。
「イルカは脂ば〜っかりで、美味なかったな」
刺身で食べたらしい。
「良く中たらなかったですねぇ」
って聞いたら、笑いながら、
「いや、イルカは生はあかんな。きつい」
とか。
食べたほぼ全員が、2〜3日トイレの住人になったそうで。
138 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/24 01:20 ID:Jc0/L89j
>124
ご近所らしき人ハケーン
>>137 いまや絶滅危惧種になってるカワイルカを食べられたなんて貴重な体験だねw
>>139 イルカ肉なら、スーパーでも時々売ってますが。
俺は和歌山の山奥でみかけた。
ネタ面白いのに台所が汚い。惜しい。
144 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/27 10:59 ID:G2GWrR5z
ageru
145 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/27 12:03 ID:NT6C1fpm
ばあちゃんの出身は鳥取のドイナカ。農家の娘。
戦後、大阪でじいさんと知り合い都会暮らし。
私があやしい系の本で「インコの餌の麻の実から大麻を作る方法」を読み
冷蔵庫で発芽させて育てようとしたら、ばあちゃんが「それ何?」と聞くので
そのまま説明して「マリファナを作るんだ」と言うと
「何で?大麻やら、そのへんに生えとろうが、取ってきて吸えばいいやん」
ビックリしたのは私。
「いや、戦後、GHQが大麻を禁止したから、もう生えてないよ」と言うと
ばあちゃんはたいそう驚いていますた。
「昔はみんな吸いよったもんやけどね〜、禁止になったんや〜」
ああ、昔の日本人はのどかだね〜とオモタさ。
通報しm(略
高校時代の友人のじいさんの話。満州かどこか中国に出征したとき、ある寒い日に、戦車のタイヤ?についていたつららがどうしてもなめたくなって、
なめたら舌がはなれなくなり、無理やりはがしたらそれが元で病気になり、日本に帰ってきたということ。そのまま終戦を迎えて死ななくてすんだらしい。
その友達もおもしろかったが、それはじいさん譲りかもしれないと思った。
祖父は海軍にいたのだが人間魚雷搭乗者適合検査みたいなんのときに
風邪をひいていたとかで検査に落ちて生き残った。
その話をするといつも「受験シーズンが真冬だというのはおかしい!
風邪で一生を決められてしまうかもしれないじゃないか!秋口にするべきだ」
と息巻きます。
風邪で運命を決められた人の言葉には説得力があります。
>>149 死んだ仲間に申し訳がたたないとかの自責の気持ちがあるのでは。
151 :
148:04/05/27 15:22 ID:kVHRFVci
いや祖父は別に死にたがっていたわけではないですw
ただ今の受験システムに憤ってるらしく。
まあ色んなことに憤る性格なのでそれがボケ防止にも役立ってると思うとほほえましい。
因みに祖父の親友だった人は血判で「私を人間魚雷に乗せてくれ」という志願書を
上官に提出したそうです。
それを見た上官は、祖父がその人と親友だと知っていたので、志願書を祖父に見せ、
「こんなことを書いてきたが、お前はどう思うか」と聞いたそうです。
祖父は、「ここまでやるんだったら、本人の思うとおりにさせてやるのが本当じゃないでしょうか」と言い、
翌日親友は散華。凄い時代です。
152 :
おさかなくわえた名無しさん:04/05/27 15:36 ID:b/QA8Ip4
>>145 大麻なんて、普通に自生してたんだよね。
地名に「麻」がつくところは、たいてい大麻の量産地だったと聞くよ。
宗教的儀式にも不可欠だったらしいし、政府(朝廷)が生産地を決めてたみたい。
今でも探せば自生してる所はあるよ。
>>153 近所の日本たばこ産業の社宅の跡地に、
なぜかそれっぽい花がたくさん咲いていたのは皮肉な話だ。
いつの間にやら根こそぎ刈られてたけど。
そういえば今日学校で地図帳めくってたら「大麻」て名前の町があったぞ
江別市大麻
もちろん元自生地でした。
麻布も、昔は自生地だったのだろうか…
>>157 ご名答!!
『麻布』は『麻生』から転じた地名。
他にも『多摩』は『多麻』とか。
大麻は生活に根付いたものだったのさ。
川崎市は麻生区とか多摩区とかもろそのものずばり。
ここはトリビアな良スレですね
戦前、伊勢神宮の神札を神宮大麻と読んでいたのは何故なんですかね?
>>161 伊勢神宮でも大麻作ってたから。
近所の麻生さんちの庭にも大麻が生えてる。
クラスメイトの麻子も大麻作ってる。
大麻なんてのは、トランス状態に陥る為に必須ともいえるからなぁ
密教で祈祷の時に焚く護摩なんて、その最たるものだし
吉田兼好の徒然草(つれづれぐさ)も
徒然草(とぜんそう)=乾燥大麻やりながら書いたって
珍説もあったりする。
だれか戦時中の笑える話キボン
大麻の実の料理屋は六本木だかにあるんだっけ?
パン漫画にあったが。
転載な上に微妙にスレ違いですが、最近ネタ不足気味なので。
ちなみに旧軍=旧日本軍です。
407 名前:名無し迷彩 投稿日:04/05/31 19:07
ややスレ違いですが最近教わった遊びを披露させて下さい。
用意する物
1.10分程燃焼できる分の焚き木
2.旧軍が破棄した砲弾
遊び方
1.広い場所で火をおこす
2.火中に砲弾を投入します
3.10分程すると爆発します
戦後間もない時期だと旧軍基地の周辺では
結構メジャーな遊びだったらしいです。
167 :
おさかなくわえた名無しさん:04/06/01 13:13 ID:GqQr/C7N
>>165 その店かどうかはわからないけど下北沢に麻料理の店あるよ。
>>166 命がけの遊びだね・・・
戦前の南海ホークス設立時に入団し、戦後はビデオをもしていた佐野誠三は、「野球が上手い」という理由で、危険な輸送船の部隊にまわされなかったらしい。
でも有名投手で戦地で亡くなった人いたよね。
誰だっけ。名前忘れちゃった。
171 :
コピペ:04/06/06 20:16 ID:MzkhV+Og
昭和20年5月11日朝、南九州鹿屋。ようやく明るくなってきた野里小学校の校庭に、この日出撃する数十名の特攻隊員が整列した。
岡村司令の訓示がすむと同時に、隊列から飛行服に身を固めた二人の青年が駆け出してきてキャッチボールを始めた。
一人はプロ野球名古屋軍の投手だった石丸進一、受け手は法政大学の一塁手だった本田耕一、二人は共に予備学生十四期のパイロットで、
海軍特別攻撃隊筑波隊の隊員だった。
二人が投げ合う風景になじんでいた報道班員山岡壮八は、それが石丸の最後の投球練習になることを覚って、声も泣く見守った。
二人はやがて10本のストライクを通すと、ミットとグローブを勢い良く投げ出し、山岡に「これで思い残すことはありません。報道班員さようならっ」と挨拶し
飛行場に向かうトラックに乗りこんだ。
石丸少尉が500キロ爆弾を抱いたゼロ戦で鹿屋基地を発進したのは午前六時五十五分と記録されている。
離陸寸前に石丸は愛機の風防を開け、しめていた鉢巻きを地上に投げつけた。鉢巻きには「われ人生に二十四歳にして尽きる。忠孝の二字」とあった。
それは最後の投球に使ったボール、グローブ、グラブと共に、今も佐賀の石丸家に保存されている。
172 :
コピペ:04/06/06 20:17 ID:MzkhV+Og
太平洋戦争では名選手が戦陣に散っていった。
不世出の名投手沢村栄治三度目の召集でフィリピンに向かう途中で死んだ。学徒動員令の直後に挙行された最後の早慶戦ナインのうち、
慶応側は全員生還したが、早大チームの三番近藤清は特攻隊に入って沖縄へ突入し、五番吉江、九番永谷も共に戦没した。
その他有名無名の甲子園・神宮出身の戦死者は数え切れないほどだが、プロ野球選手で特攻隊に入って戦死したのは石丸進一だけであろう。
その野球選手生活はあまりに短いため、プロ選手としての評価を定めるのは困難だが、先輩同僚に残した印象は鮮烈だった。
何よりも彼らの胸を打ったのは、石丸の野球に対する傾倒振りだった。それを証するエピソードは少なくない。
実兄の藤吉氏は「根性もあったが、とにかく野球が好きで好きで仕方がなかったのです」と語る。投手になってからもシートノックには欠かさず出たし、
投げない日は野手で出場させてくれ、と監督に頼み込んだ。
名古屋軍の監督だった三宅大輔は「彼は世界中の何ものよりも野球を愛していた」と書き、その一例として、遠征中の合宿で石丸がいつも早起きして、
近所の子供達と軟式野球に熱中したエピソードをあげている。
公式試合が終わってからも、学校が終わって帰ってくる子供達ともう一度お相手をしていたようで、普通なら「やめろ」と命ずるところだが、
石丸の楽しそうな顔を見ると言いそびれたそうである。
いよいよ九州前進の命が下った時、残留する浅野文祥少尉はアルバムを差し出して絶筆を求めた。石丸は本籍と氏名を書いた後、
「葉隠武士・・・日本野球ハ」と無言で万年筆を走らせた時、集合を告げるサイレンが鳴った。この期に及んでまだ「日本野球ハ」と書くので、
多少イライラした浅野は思わず、「貴様はまだ野球が忘れられんのか」と怒鳴ってしまった。すると石丸は一瞬浅野を見据えて、
「野球じゃ、野球じゃ、オレは野球じゃ」と叫びながら駆け出していった。
死の出撃を寸前に控えた最後のキャッチボールほど、野球一筋に生きた二十四歳のエース投手にふさわしい幕切れはなかったであろう。
藁えね〜だろが、ゴルァ。
親父が招集されて、最初に赴任した先が姫路。
着いたその日に空襲で部隊が離散。
殆ど歩いて新潟まで逃げ帰ってきた、なんてホラ話をしてました。
オレが中学の修学旅行で姫路城に行ったときに
「戦後の再建城登ってなにがうれしい。」なんて言ってました。
実際は港を焼き払われただけで城は無事だったらしい。
顔、真っ赤にしていかに禿しい空襲だったかを力説してました。
禿しいのか。いやな空襲だな
175 :
おさかなくわえた名無しさん:04/06/10 16:02 ID:t78ANWFP
ホシュ
戦争の話とは違うんだけど、死んだじいちゃんが昔よく話してくれたのは
『わしが兵隊だった頃は、体を鍛えてたから富士山の
頂上から飛び降りて空中で1回転して着地できた』
何回も聞かされたなー幼心にじいちゃんスゲーって思ってた
でもよく考えたら、3000mもの高さから飛び降りて
1回転しかできないってかなりヘボイような‥
>>176 いや、突っ込み所はそこじゃないぞ普通。
富士山の頂上から飛び降りて、いわゆる地表面に着地すると思っているのが・・・
前方向には1〜2mくらいしか跳べないから、
とびおりた高さもせいぜい数mくらいだろう。
1回転でもなかなかのものじゃ?
ハッ、もしかして
>>176の最後の2行は釣り?
そこでクボヅカですよ
29mの高さから飛び降りて10mくらい先まで行くんだから、
3776mの富士山の頂上から飛べば1kmくらい行ける。
俺のじいちゃんは、富士山の頂上から2時間で駆け下りてきたという話をしてたなあ。
頂上からどこまでだか思い出せないんだが
下山は普通に降りてもそんなに時間掛からんではなかったっけ?
自分が行ったときは海兵隊のアメちゃん達がダッシュで上ってたな。
5合目ついたときにアメちゃんが上り始めたのを目撃してて、
1時間後くらいに自分らが上り始める時、もう下りてきた。
まさに エエェェ(´д`)ェェエエ て感じだったよ。
まぁ先に上ってた人なんだろうけど。
>>182 富士山のルートで「須走」ってのがあるんですが、その下山ルートの途中が
『砂走り』っていって砂利(みたいなの)が敷き詰めてあるんです。
そこだと 駆け下りる というのがピッタリなイメージで下山できる。
>>184 通ったことあるが、大きめの粒の砂みたいなのが敷き詰めてあって
固めのクッションの上を走っているようで妙な感じだった。
ただ、高さの低い靴を履いていったんで、粒がしょっちゅう靴の中に
入ってしまって痛かった。
186 :
おさかなくわえた名無しさん:04/06/14 17:50 ID:TlUXyFHV
富士山登山駅伝って自衛隊がむちゃくちゃ強くなかったけ?
187 :
おさかなくわえた名無しさん:04/06/17 13:39 ID:/zB9wgm3
止まっとるたい。
うちのじーさんの兄は結核(肺炎だったかも)だったため徴兵されずに済んで、
終戦後あっさり治ってまだ元気に生きているという運の強い人です。
あと終戦直後だけど、徴兵された父方のじーさんの話。
赴任先(国内)で「終戦のため現地解散」(要約)ということになった。
じーさん達したっぱは「やれやれ、やっと帰れる。」と帰るために手際よく船やら米やら調達していたけど
職業軍人の上官達は上も下も無くなったために何も出来ずにおろおろしていたそうです。
じーさん達は「しょーがねーな」という感じで一緒に船にのせてやって米持たせて帰したそうです。
やっぱり職業軍人だとこういうときはは何もできなくなっちゃうのか。
「パソコン使えない上司」みたいだな
退位させられたラストエンペラー
ヤツは靴紐すら結べなかったよ。
191 :
おさかなくわえた名無しさん:04/06/17 20:53 ID:xNxUKXl4
>>188 を読んでると戦時中に部下を殴り倒して
威張ってた上官は、軍が解体された時にどうなった
のだろうか?
に興味が湧くなあ
今このスレもネタ切れで停滞気味だから、その方面で
もりあがらないか?
結構ネタは膨かもなあ。
>>191 遠藤周作の短編小説にあったような。
戦時中、上官から殴られ続け、
殴られた後には「ありがとうございました!!」と叫ばされ、屈辱を味わい続けてた男性。
終戦を迎え、隊は解散し、上官の行方ももうわからないが、
男性は、いつか上官に出会ったらあんなことやこんなことで戦時中の意趣返しをしてやると
心の中で常にシミュレーションしていた。
だがある日、とうとうその元上官に出会ったのだった・・・
って話がありました。タイトル忘れたけど。
つか、ゆきゆきて神軍も、仲間を食った上官を尋ねて思い切り問い詰めたりしてた気が。
殴られるのと食われちゃうのは違うけど。
196 :
おさかなくわえた名無しさん:04/06/18 22:37 ID:RsFfEEWp
神軍の話は止めへん?気分悪なるし。
松谷みよ子の「現代民話考」2巻に軍隊の話が載ってる。
面白いものから泣けるものまでさまざまで読み応えがあるよ。
嫌な上官を復員中の船から突き落とした話とか。
出版はちくま文庫。
自分は聞いたことがないからサゲ
>>192,194
そういう話じゃないが、なんだか古処誠二の「ルール」を思い出した
199 :
おさかなくわえた名無しさん:04/06/23 13:45 ID:Lc29X71V
上げます。
じいちゃん、戦争前から陸軍士官で、順調に出世してたのに、
開戦直前に除隊。上海に移り住み、3つほど会社を興すも失敗して終戦後内地へ。
というのが私がこないだまで信じていたじいちゃんのプロフィールでしたが、
実際はダミー会社を運営しながら諜報活動していたらしい。
遺品を整理してたらそんな日記が出てきてビクーリ。
それにしてもじいちゃん、インク会社・製紙会社・出版社ってチョイスが、
妙に自分(同人オタク)のルーツを感じて苦笑いしてしまったよ…。
>>200 (・∀・)カックイイ!
実は溥儀とか李香蘭にも会った事あったりして。
202 :
おさかなくわえた名無しさん:04/06/23 21:28 ID:5nGeRe0C
沖縄で亡くなった住民の方々や兵隊さんに黙とう。
203 :
おさかなくわえた名無しさん:04/06/23 21:34 ID:x6XCuLG9
うちのじいちゃんは戦争に行ったときまだ結婚3年目ぐらいで
娘が生まれたばかりだった。
戦地からの手紙は悪口や地名を書かないようにチェックされていましたが
じいちゃんは縦読みならぬ「横読み」(縦の文章の頭を左から読むと文章になる)
を駆使してばあちゃんに想いを綴っていました。
今でもその手紙は残っているのです
しかし、ロマンチストとはほど遠く、横読みの内容は
「暇なとき白い飯が食いたくなる」とか
「メンソレータム送ってくれ」とかでした
204 :
おさかなくわえた名無しさん:04/06/23 22:17 ID:5qX/dAwA
> 「暇なとき白い飯が食いたくなる」とか
> 「メンソレータム送ってくれ」とかでした
横読みじいちゃん最高!
>>203 2ちゃんやらせたら、凄腕の縦読み師になりそうな予感w
「メンタム送ってくれ」は別に書いてもあぼーんされないだろうに
わざわざ横読み仕込むとは。
大日本帝国陸海軍の兵士には畏れ多くも大元帥陛下の
思し召しにより、必要にして十分な物品が給与されているので
ありますから、不足しているものがあるかのような記載は厳禁
なのであります。
・・・てなことだと思う。
うちの祖父は戦後50年になるまで、戦争の話を全くしなかった。
で、96年になったら、急に色々話してくれるようになった。
なぜ話さなかったかといえば、祖父は憲兵隊の工作員だったから。
(半世紀というのが祖父なりのけじめだったらしい)
色々な話をしてくれたけれど、笑えるエピソードはほとんどない。
けっこう軽めの話としては、
中国で銀行を接収して憲兵隊が使っていて、金庫を留置所にしていたのだが、
ある日、誤って金庫の扉を閉めてしまった。
このままでは中に留置している人間が全員死亡するというので大騒ぎしていたら、
掃除夫のオッサンが簡単に鍵を開けてしまった。
みんなが驚いていたら、なんと、そのオッサンも実は憲兵隊の工作員だったのだそうだ。
祖父いわく「憲兵ってのは、すごい秘密主義でな。内部にいても何も知らされないんだよ」。
ちなみに祖父は、終戦間際に書類を内地に届ける任務についていたので無事だったが、
同じ憲兵隊の人間のほとんどは中国政府に逮捕され殺されてしまったそうな。
>198
ここで古処誠二の名前を見るとは!
思えばルールを読んでから戦争ものに
興味を持つようになったなあ。
ダメだ、長文がカキコされてるとおもわず縦読みしてしまうw
>>198 >>209 仲間ハケーン
あの本読んでると、水と塩だけは、何があっても手放しちゃなんねえと思う
新聞に載ってた話ですまん。ちょっと記憶とずれてるかも。
終戦直後の、まだまだ物資の少なかった頃。
少年が山道を歩いていると、人だかりができていた。
その中から、争うような声が聞こえた。
「なんだろう」と足を止めて首をのばすと
中心にいたのは、警察と大荷物の若い女性だった。
荷物は明らかに中身が米と分かるくらい大きなもので
「寄越せ」と言う警察ともめていた。
それでも女性は手を離さない。
少年も眺めていると、いきなりその女性は米を地面にぶちまけた。
警察は呆気にとられ、女性はにやりと笑う。
人だかりの中、誰からともなく拍手が起こった。
うちのばあちゃんは戦時中女学校の生徒だった。
で、修学旅行は戦時中だからって、中止になりかけたとき、全員で抗議したらしい。
で、当時は米を持って旅館で炊いてもらってたそうですが、裕福な農家の娘
が多かったので、戦時中でもよいお米を持たされたとか。で、旅館の主は修学旅行
生にこんないい米を使うなんてもったいないと、外米を出したらしい(いいお米は
お得意様に出すつもりだったとか)けれど、ばあちゃんたちはもってきた米じゃ
ないと全員で抗議。こんなまずい米は食わない、もってきた米を出せ、と。
旅館の主は陳謝。
戦時中でも、女学生は逞しかったんだと、妙に感心してしまった……。、
逞しいというより当然の抗議じゃないの。
ひどい話だ。女学生と思ってなめきってるね。その旅館主がやった事は詐欺行為だよ。
袋叩きにしてやったら良かったのに。
>>211 それ、俺も読んだ。
肝の据わった女だと思った
麻は被服の素材だよ
大麻もそうかもしれんが、メインは被服でしょ
218 :
おさかなくわえた名無しさん:04/06/30 22:35 ID:630H52Ni
じいさん、外地に送られる寸前のところで終戦になったが、すぐには解散にならず、
1ヶ月くらいは基地周辺で作業をしていたらしい。
隊列を組んで「皇軍は負けることがない」といった意味の軍歌を歌いながら
行進していると、子供が「アホ」と言っていったと聞いた。
じいちゃんに戦争行ったときの話を聞いてみようとしたが
なかなか渋って話してくれなかった。
大人になった今なら察して深くは問い詰めないだろうが
当時まだクソガキだった自分は、しつこいほど教えて、とせがんだ。
ようやく口を開いたじいちゃんだが、
「・・・・・・・・・・・・・・・・トーチカにな・・・・・・・・」
と言ったっきり、また黙り込んでしまった。
あのときはなんで教えてくれないんだろうと不思議に思っていたが・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・じいちゃん、ごめん。
そーやって戦争のつらさを>219の心に刻んだんだからじいちゃんGJ
「心に刻んだ」って嫌がらせっぽいな・・・。
「感じ取らせた」くらいの表現でパッチあててください。
>>221 いや、「心に刻んだ」でいいんじゃないかと思う。
戦争なんか悲惨極まりない。やらずに越したことはないもの。
ただ、いざというときに戦争を出来る準備をしていないのは、
より悲惨だとは思うけどね。
>>219 絶対に人に話したく無い思い出ってのもあるんだろうな。
歴史を語り継ぐって意味からみれば「話すべきだ、辛い事を語り継いでいっての平和だ」と思うけど
爺さんの辛い経験は爺さんのものだからなぁ。
219さんが、子や孫にその辛そうな爺さんの様子を伝えてあげればいいんだろうな。
俺も爺さんから戦争の体験談を聞かなかったの思い出したよ。
224 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/03 02:26 ID:YeYDYfXt
俺の爺さんは職業軍人(海軍)で
戦争に関することは一切喋らなかったなぁ。
剣道を警察で教えていて葬式には
警官がいぱーい来てた記憶があるだけ
うちの死んだじいちゃんは戦争で南方に行っていた。
戦争のことは一切話してくれなかったな。こっちから聞いた事もなかったけど。
負傷兵で弾丸喰らった手首にしょっちゅう水がたまって
定期的に病院にいってたね。
寝言で「中隊長!」っていってたのが印象的だった。
戦争終わったあとでも戦いは終わってなかったのかも。
うちの死んだ祖父ちゃんは海軍の技術将校だか士官だったらしいんだけど、
戦争時代のこと聞くと「楽しかったなぁ」と言っていた。
よく聞かされたのが、飯をよそうときに自分の分だけぎゅうぎゅうに押し詰める。
しかしたまに、食べる直前に横のやつが茶碗をすり替える。
すると今度は隣のやつの飯を詰めてよそい、自分の茶碗はふわふわに軽くのせて、多めに見えるようにする。
すると、隣のやつが勝手に取り替えて損をする。
何か懐かしそうに話してた。辛い時代に生きても青春はあるのかなと思った。
うん?待てよ・・・。
今思ったんだが、何で階級の高いはずの祖父ちゃんが飯の支給なんかしてるんだ?
ホラ話だったのか???????
まあいいや、戦争体験して生活も悲惨だったろうに、それを顔に出さずに笑って話してくれた
祖父ちゃんを誇りに思おう。
家の父も(終戦時12才)満州から引き揚げてきて、結構苦労したんだろうに、
小さい頃話してくれたその頃の話は面白おかしい事ばっかりだった。
すごく寒くて、夜は濡らした手拭とかがカチカチに凍るから、それで弟とチャンバラやって叱られたとか。
けど、一度だけ「父ちゃんの故郷はもう地球のどこにも無いんだよなあ」と中国の番組を見ながら
呟いていたのを覚えている。
土地は依然そこにあってももう違う国の違う名前の場所だからね…
うちのじい様はイルクーツクで捕虜になってたらしい。
小さい頃良く戦争の話しを聞かされた。
戦闘中に、相手の弾が味方のヘルメットを斜め(円周上に沿った形で)に貫通し、
そのままヘルメットの中をぐるぐる回り、髪が焼けてハゲになったそうだ。
命は無事だったらしい。
小さいながらにホントかいなと思ったが、今でもその話は覚えてるな。
ロシア兵は捕虜の日本兵の中にパンを投げ込み、
奪い合う姿を見て笑ってたとか。。
>>228 うちの父と同じだ。
亡くなる少し前に故郷を訪ねる旅をした。寂しい気持ちも、色んな感慨も
あったに違いない。
でも、とても嬉しそうだったな。旧満州・現:中国東北部の地図帳を広げて
何度も見てたっけ。
231 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/03 16:29 ID:3G0dzp1u
俺の祖父は職業軍人で、終戦後肩身の狭い思いをしたようだが
その後自衛隊からお声がかかり、お偉いポジションについていたそうだ。
葬式の時は、自衛隊関係の人間がわんさか来たのを
幼いながらに覚えている。(俺が4歳の時に他界した)
普段からとっても厳しい人だったことくらいしか
祖父については覚えてないのだが。
父方の祖父が職業軍人だった。
終戦後も恩給?軍人年金?だかで結構いい暮らししてた。
父によれば、若い頃は「俺は偉いんだぞ!」ていう態度で怖い人だったって。
私ら孫には「唾を手の甲に吐いてこすると鶯のウンコの臭いがすんぞ!」とか
くっだらない事しか言わなかったけど。
梅干のタネの中には神様がいるとかも言ってたなあ。
義父が子供の頃は終戦間際だったみたいで、家の近くに飛行場があったらしい。
B29が飛んでくると、飛行機好きだったから、走って外に出ていって空見上げてて、
母親にあわてて連れ戻されてた、って言ってた。
今でもその手のビデオとか見てるなー。
233 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/03 19:56 ID:94wlNlLd
>>229 或るご老人に聞いた話ですが
日露戦争の当時、ロシア兵たちは
隊長クラスをやっつけてしまうと、命令文書を読める者がいなくなり
指揮系統が麻痺してしまう程、文盲率が高かったそうです。
ホントかなあ・・・どうやって知ったんだろう?
234 :
229:04/07/03 21:07 ID:D7f28k4m
ロシア兵と書きましたが、二次大戦末期に介入してきたソ連兵を書いたつもりでした。誤解を与えてしまったらスマソ。 大して文盲率はかわらないかもね。
235 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/03 22:47 ID:FMnsx25s
>>229 ヘルメットぐるぐるの話は自分も爺ちゃんの知り合いの話として聞いたよ。
良くあったのか都市(軍隊か?)伝説かな・・・^^;
あと遠藤周作の軍人云々の話は怪奇小説集のどれかに載っていたけどそれ
かな?主人公の元上官がいじめてた元部下に毒蜘蛛を放たれて身動きでき
なくなり・・・と言う話。
女の人はアメリカ人のイケメン兄さんに、
アソコに一升瓶を突っ込まれて骨盤割られたそうです。
>>236 スレタイ読んでくれ〜;´Д`)
中国に行っていた爺ちゃんの話。物売りの中国人相手に売り物(野菜とか卵)を数
えさせ、その隙に何個かちょろまかして「数が間違ってるじゃないか!」と言うのを
何回かやった後、「もういい!帰れ!」といって食べ物を何回も只で手に入れてた
とか。日本兵は現地で極悪非道な行いをしていたと聞いていたのでごまかし方が
かわいいので何回かせびって聞いた。
239 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/04 11:47 ID:A1LYuqOr
よくある話かもしれないが、
父の弟(叔父)が軍事工場?みたいな所で働いていた。
空爆警報が出て、指示通りの避難場所へ行くと必ずそこに
爆弾?が落ちたそうで、叔父は指示された場所とは
反対の方向へ逃げて逃れたそう。
やはり、スパイがいたようで。
父は機関士だったので戦地へ行かずに済んだようだ。
でも、最後とうとう赤紙が来て8月の末頃だったそうだが、
終戦で行かずにすんだ。良かった。
おまけ:同じ機関士だった後輩はそこでは落ちこぼれで途中逃げてしまったらしい。
戦後、解雇されてしまった父は友達と食べる物もなく、食い逃げしようとしたらつかまった。
そこの食堂はパチンコ屋(ヤクザと一緒)がやっていて事務所に連れて行かれたそうな。
で、殺されるかもと覚悟していたそうだが、中国語なまりの日本語を喋るその社長を見たら
落ちこぼれで逃げた後輩だったそうな。
中国人に化けて経営していて(もちろん、本来は生粋の日本人)
無傷はもちろん、当面の生活費までもらって帰ったんだって。
240 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/04 13:15 ID:ReN5SbsU
落ちこぼれニセ中国人
グッジョブ
グッジョブ b b グッジョブ
d_○ / )/_○ b
/ ヽ /ヽノ
/| /> ノ>
祖父は当時まだ10代で、血気盛んだったので自ら志願して入隊したんだけど、
戦地に行くやいなや病気になって入院、そのまま終戦を迎えたそうな。
それからロシア軍の捕虜になって8年くらいか?シベリア抑留。
収容所では、みんなで夜中に食料庫を襲撃してパンを盗むなんてことをやっていたらしい。
でも祖父は生きて帰ってこられたからいいけど、亡くなった人も多くて
もう瀕死の状態の部下が(祖父はほとんど戦ったことないのになぜか小隊長になってた)
りんごが食べたい、と言うので、泥を丸めてりんごぐらいの大きさにしたのを
「ほら、りんごだ」と言って持たせてやると、嬉しそうにしながら死んでいったという話を
聞いたときは泣いた。
しかしシベリアから生還したときは、長く抑留されていたせいでアカの思想に染まってたり、
頭がおかしくなってるんじゃないかと親族が懸念して、縄をもって待ち構えられていたとか…。
あれ、よく考えたら戦時中の話じゃないし笑えないな…スレ違いでゴメソ
後半二行を想像すると、ちょっと笑える
うん、気の毒な話なんだけど、なんかシュールだ。
悲劇と喜劇が紙一重ってこういうことなんだな。
>>239 その叔父さんがスパイだったんじゃないかと思ってしまった。
北杜夫が、戦時中の探検をトボけた味にして書いてるね。
>長く抑留されていたせいでアカの思想に染まってたり
一瞬アカ=垢かと思ったよ。
何で縄もって待ち構えるんじゃい。。
戦時中米兵の間で
「日本人の女のオマOコは横についている」
↑つまり (脚)‖(脚) じゃなくて (脚)=(脚)という風になっている
という都市伝説?が流行り
終戦後、パンパン抱いてがっかりした米兵がたくさんいた
っていう話を阿刀田さんのエッセイの中で見たような気がする
オイラのお袋の戦時中の話だが、お袋が朝鮮系のキムさんを含む友達数人と遊んでた時
落とし穴を作った。たまたまキムさんが嵌った。そして夕飯時になりおひらきになったんだが、
キムさんが苛められたと勘違いした彼女のお母さんが怒鳴り込んできて言ったらしい。
「朝鮮、朝鮮どこ悪い!同じ米くてどこ違う!!」と。誤解は解けたみたいだが...............。
250 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/06 11:24 ID:KOwtdvX5
最近のレスは笑えないんですけど。
251 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/06 12:19 ID:XK8jJ6N8
>249
子供の頃、うちの近所に在日韓国人のおじさんが住んでいた。
母の話によると、その人は終戦後に帰国しようと、一度は引き上げ船に
乗ったのだけど、やはりどうしても帰りたくなくて、船から海に飛び込んで、
岸まで泳いで戻ってきたそうです。
おじさんはもう亡くなりましたが・・・
戦争の話じゃなくてすまそ。
252 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/06 12:20 ID:fh6SUE9T
>>241とは又違いますが、私の叔父はロシアの捕虜になりましたが、
運良くパンを焼いたりする所で働かされたそうで、今でもたまに「ロスケに習った
うまいパンを食わしてやる」とおいしい全粒紛のパンを焼いてくれます。
当時、無事日本に帰ってきた時は他の捕虜になっていた人達に比べると
丸々と太っており、母親は他の人達に申し訳なく恥に思い、叔父さんが
痩せるまでしばらく外出させなかったそうです。
健康によろしいですなあ>全粒粉パン
254 :
おさかなくわえた名無しさん :04/07/06 16:46 ID:ouIGwsYt
是非食べてみたい>全粒粉パン
なんかほのぼのしてていいよね。このスレタイにぴったし。
255 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/06 17:52 ID:HeR+X7mV
戦中、うちの祖父は雑草をブレンドしてタバコを作ることに挑戦した。
なかなか手に入らないタバコを吸いたい一心だったと思うが、
当然、周りの人からは無理に決まってると、さんざんバカにされたらしい。
ところがなんと、しばらくしてなんとか吸えるレベルのものを作ることに成功。
製法を教えてくれと頼まれたそうだが、頑として教えなかったそうだ。
256 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/06 17:55 ID:66I0Iwz9
暗号が米軍に全部解読されてもうどうしようもなくなって一か八か青森弁と鹿児島弁で
電話回線を使って連絡したら米軍はわからなかったtってのは既出?
一度きりならまずバレないだろうな・・・。
>>255 うちの死んだ爺はトウキビのヒゲを塩漬けにして発酵させて乾かせて
煙草の代用品を作ったって自慢してた。
爺が言うには「進駐軍の缶に入ってるキャメルよりは旨い」らしい。
>>256 山崎豊子の「二つの祖国」で、そういうエピソードあったなぁ。
ただし、主人公の日系二世の語学将校が、少年の頃鹿児島で勉強していたために、
その鹿児島弁の暗号を解読してしまい、後々もずっと煩悶し続ける・・・って話だったけど。
実際は解読されなかったの?
終戦直後の話。祖母の嫁入り道具を買いにいった曽祖父。
店の人に「現金はすぐに農協でおろせないが、その分の米で払うが」と
申し出たらしい。
店の人は「それじゃあ、現金半分、米半分で」と言った。
で、実際に米で払ったときに、店の人は「全部米でもらえばよかった」と
少し後悔したとか。食糧難の時代だったし。
祖母の嫁入り道具だった箪笥を見るたびに笑ってしまう。
どれだけの米だったのだろう……。
昔先生から聞いたんだけど、ケツの穴に弾丸を隠してた兵士がいたそうな。
んで、ちゃっかりアメちゃんを一人バラしたんだと。勿論、そのアナルファック弾で。
>>261 やらないかの人にもモデルが・・・((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
わからなくていいとおもいます
266 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/09 19:15 ID:mf1samKO
「やらないか」でググってみたらどうだろう。
と、敢えてマヂレスしてみるw
母の話。
戦争も終盤にさしかかった頃、小学校に軍事教官(って言うのか?)が
竹槍訓練の指導に来た。落下傘降下して来る敵兵を下から突き殺す練習を
するという。そこで母が
「降りてくる敵兵からダダダダッと撃たれたら、お終いじゃん」
と言ってしまったそうな。何とも怖ろしい話だが幸いにも洒落のわかる
教官だったようで「それもそうだ」と教練取りやめ。端で見ていただろう
学校関係者はガクブルものだったろうなー。
コレ系の人じゃなくてよかったね・・・・。
/ノ 0ヽ
_|___|_ わたしが訓練教官のハートマン先任軍曹である
ヽ( # ゚Д゚)ノ 話しかけられたとき以外は口を開くな
| 个 | 口でクソたれる前と後に“サー”と言え!
ノ| ̄ ̄ ヽ
∪⌒ ∪
↑こういう話も歴史の教科書に載ってほしいとふとオモタ。
↑
このスレで書いてはいけないことをあなたは書いてしまいました。
あなたのカキコでこれからこのスレは大混乱に陥ります。
269は>267ね
なんか妙な偶然がw
274 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/10 08:59 ID:OTxAY4pv
>>261の状況がよくわかんないな。
捕虜になっててもケツに弾丸を隠し持ってて、
機会を見てアメリカ兵を撃ち殺したということかな。
オナラで殺すなんて、忍者みたい!
278 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/10 11:37 ID:+g5Nsfnr
戦死したじいちゃん。何でも身長188センチで足のサイズが
28センチだったそうだ。当時としてはかなりの巨人。
軍服も靴?もサイズがなく、服は間にあったものの
出征する時の靴は取り合えず自前の長靴だったらしい。
わらじとじか足袋と長靴で悩んだらしい。
ウチの祖父の葬式で聞いた話。
祖父は職業軍人で大陸から日本の祖母に給料
(戦地加算があったので結構な額だったらしい)を
送っていた。
終戦になって、帰国する時には
「結構な額が貯まっているから、失業したけどまあ、しばらくは安心」
と思い帰ってみたら…
当時若かったウチの祖母は「貯金」という概念が薄かったらしく
蓄えという物が無かったらしい。
もしかしたら国債を買わされたのかもしれない。
と言うのは、我が家の家訓が
「国債を買うべからず」
なので。
>>267よ。おまえの書き込みから一日猶予をやる。
http://home4.highway.ne.jp/deadsoul/ka/guntaitanuki.html 【軍隊狸】
○戦場に赴き、日本軍を影で支えた狸たちのこと。
○当時の日本軍、道理で強いわけです。なんというか、メンタル面で。
事例1 愛媛県周桑郡壬生川町 松谷みよ子氏の話
伊予の喜左衛門狸は日露戦争に出征した。小豆に化けて大陸を渡り、上陸するとすぐ豆をまくようにパラパラと
全軍に散り、赤い服を着て戦った。敵将クロパトキンの手記には「日本軍の中にはときどき赤い服を着た兵隊が現
れて、この兵隊はいくら射撃してもいっこう平気で進んでくる。
この兵隊を撃つと目がくらむという。赤い服には、○に喜の字のしるしがついていた」と書かれている。
事例2 香川県高松市 室津源太郎氏の話
日露戦争の時、高松のじょうがん寺の狸の総指揮の元、狸たちが出征した。兵隊に化けて山を作り、ロシア兵が
登るなり山をひっくり返したりした。凱旋の時には狸までが提灯行列をしたという。
事例3 中国上海中支派遣軍八一〇一部隊 松谷みよ子氏の話
昭和十五年冬。柳橋という場所で友軍の一個小隊が敵軍に包囲されて全滅に瀕しているという報告が入り、K氏
所属の一個小隊は待機を命じられた。その後Kさんと戦友三名が偵察の命を受けた。小高い丘で動き回っている敵軍
を発見し、報告に引き返そうとした途端に銃撃を受け、気がついた時には大陸の広野の果てしない暗闇の中に震え
ていた。その時、一人の戦友が「あっ提灯」と叫んだ。Kさんが振り向くと、目の前には懐かしい大三島神社の定紋
入りの提灯の明かりがあった。「五六だぬきや、五六さんが氏神さんの提灯持って迎えにきてくれたか」そういって
提灯の後をついて走り、無事に帰りつくことができた。
○いずれも『現代民話考(松谷みよ子 立風書房)』より
○どれも大好きな話です。『平成狸合戦ぽんぽこ』も形無しですね。
283 :
首里☆満 ◆E1LuvLAutU :04/07/10 18:21 ID:clyNOVw6
良スレキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!!
うちの祖父は戦時中ブーゲンビル島という太平洋の島にいたらしいんですが
食料がないため、友人と一緒にオオシャコガイを捕まえて食べていたらしい
です。
>>267 戦時中に小学校があったの?国民学校でしょ。
たぶんあなたの母親はもうボケているから
たぶんその話も作り話でしょう。
>284
また来たか
287 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 10:55 ID:D7nn4WtC
なんだかめんどくさい人がいますね
うちの婆ちゃんは戦時中、青年学校教員養成所出身の国民学校の家庭科教師だったが
竹槍訓練をさせられるたびに、友人の教員と「そんなん艦砲射撃でバーッと撃たれたら終わりだろうにw」
と影で笑っていたと
海軍航空隊で有名な土地だけに、そういうことに対しては妙にクールだったらしい
290 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/14 10:56 ID:kGhypEyI
age
291 :
ねこ:04/07/14 11:00 ID:1mcsMBIk
292 :
sage:04/07/14 11:14 ID:qGjvoSIc
親父が小学生だったころ、川原で石ころの遠投訓練があったという。
目的は・・・・アメリカの飛行機の撃墜だそうだ。
俺的には激しく眉唾なのだが、誰かそんな話聞いたことある人いる?
293 :
292:04/07/14 11:18 ID:qGjvoSIc
だめだよなぁ、名前欄に「sage」入れたって・・・orz
↑たぶん嘘だよ。
戦争中に小学校はないからね。
もうお父さんはボケているから、おしめ替えの練習はじめたほうがいいです。
つまんない人が来てますね
>292
眉唾だねぇ
手榴弾の投擲訓練の間違いとちゃうか
古池や 蛙飛びこむ どうでもよい。
夏草や 兵どもも どうでもよい。
評…ちょっとハイネ入ってたかにゃ―――わしにとっていかに
>>294がどうでもよかったかが、如実に表されていれば幸いです。
298 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/14 20:04 ID:JsR03hnb
>>297 いいじゃない、そんなゴミでも同じ地球の酸素吸ってる
仲間だから大目に見てやりなよ。
それに流れが滞ってる時には暇つぶしにもなるしねえ
全く意味が無い訳でもないからね。
国民学校と言っても分からないから小学校と言っただけでは?
つまらない突っ込みいれるなよ。
石ころだか何だか忘れたが、敵の戦車に投げる練習をしたという話は
小説で読んだことがある。作家は忘れた。
300 :
292:04/07/15 00:04 ID:sCZWO0BJ
う〜むやはり眉唾か…。
))294さん、国民学校といったか、小学校といったかはよく覚えてないよ。
もう、20年も前に聞いた話だからね。
ついでに聞くけど、戦時中に10歳前後のお子様は、
「小学生」と呼ばれてたの?それとも「国民学生」?
))294さんに指摘されてすっごく気になる。
誰かエロい人、教えてください。
>>256 その話地元紙で読んだ事があります。最初の何回かは見事に成功だったらしい。
そりゃそうだろう、コアな鹿児島弁なんて他県の日本人にもさっぱりなのにw。
ただ、
>>259 にもあるように鹿児島弁の解る日系アメリカ人によってすぐに解読
されたらしい。
その話を知った時余計な事すんなよ日系人と思いましたが、石川 好著「ストロベリー
・ロード」にあるように彼らにも彼らの物語があるようで・・・。おっとこれ以上はスレ違い
のようで。
>>301 まぁアメリカ人になったのだから、アメリカに忠誠を尽くすことは正しい。
それが「国籍を変える」と言う事。
303 :
294:04/07/15 01:38 ID:Xygbpfrv
いちおう十歳あたりの男はだいたい「小学生」って呼ばれてたよ。
それでも国民学校は国民学校。
つまらないつっこみと思うならば、別に戦争のことなんか知らなくても
いいと思うけど。
>>299 泥の塊を投げ付けて、戦車の覗き穴を見えなくする、っていうのは実際に訓練されていたそうだ。
まあ有効つったら有効なんだけど…ねぇw
>>303 あのね、294のつっこみは前スレからさんざんあったから
今更そんなつっこみいらないんだよって感じなんですよ。
戦争体験者は「国民学校」って今の子供に言ってもわかんないだろうから
わざわざ「小学校」って言い換えてたかもしれんし、
話を聞いた子供が自分で理解しやすいように脳内変換して記憶したのかもしれんし。
>>300 >「小学生」と呼ばれてたの?それとも「国民学生」?
小国民
>>302 それを「はくしんくん」に言ってやりたい。
凄く言いたい。ただ参政権や被選挙権の爲だけじゃないんだよね、国籍を変えるってことは。
>>302 「日系アメリカ人」ってのは「国籍を変えた」わけじゃなくて、
「アメリカに生まれたアメリカ人」なんだと思う。
>>308 その頃の日系アメリカ人は、国籍を選ばなきゃいけなかったんだって。
強制収容所内で忠誠テストを受け、忠誠を誓った人々はアメリカに残り、
忠誠を誓わなかった(誓えなかった)人々は日本へ帰国したそうだよ。
その際にはアメリカで築き上げた財産は二束三文で処分せざるを得なかったらしいけど。
吉田満氏の「戦艦大和」の中で、慶応大学留学中に日米開戦
在米の兄弟はアメリカ兵として欧州戦線へ
留学中の本人は学徒出陣で海軍予備少尉となり、戦艦大和艦上で戦死
っていうのがあったな
>>309 それは日本から移民したいわゆる「1世」じゃないだろうか。
>>311 確かアメリカで生まれた2世も忠誠テスト受けさせられたという記憶があるんだけど。
教えてエロイ人!
って凄くすれ違ってないだろうか・・・
じゃあ、來たる本土決戦の爲に、隣組や町内会単位で竹やりを準備していたらしいけど、
竹やりだけじゃなくて、封筒に汲み取り式便所の内容物を充填して
敵兵に投げる練習をしていたらしい・・・というのは本当ですか?
>>312 糞尿は意外と武器になる。
ベトナム戦争の時も、落とし穴に糞尿塗れの竹槍をセットした罠がよく使われたそうだ。
落ちて刺さった香具師は傷口から雑菌が入って破傷風やら何やらになるとか。
まあ要するに、本当か否かは解らないってことだ。
沖縄戦では武器もなくなり、実際に中学生が米軍の戦車に石を投げて、殲滅されたのだな。
>>313 なるほど、こうやって伝説は作られていくんだね!
ありがトン。
糞尿を武器に使うのは中世まではデフォルトだからな。
ほぼ確実に相手の戦意を喪失させてくれる。
ちょっと話は外れるけど、柔道の上四方固めってかけたほうの
股間がかけられたほうの顔に当たるんだけど、それを嫌だなと話してたら、
相手の戦意を喪失させる意味合いもあると教えられた。
勝負の世界は厳しいと思ったよ。
友達の爺さんの話なんだが、
当時大砲等を輸送している部隊にいたらしい。
で、後ろの方の奴が間違えて大砲をぶっ放してしまい、
その爺さんの頭を弾が掠めていった。
そしてたまたま近くを飛んでいた敵機に当たり、撃墜してしまった。
なんともまぁ、怪しい話だが。
輸送中に「ぶっぱなせる状態」にしてるのって・・・・
ま、輸送中ではなかったんだろう。
>>318 とりあえず「いつ戦闘状態になってもおかしくない」ってな状況だったら
弾を込めて輸送してしまうかもしれないな。
アメリカのビスケットとかジュースとか飲んで、
「こんなうまいものを食ってるところと戦争して勝つはずがネェ!」
と思ったってのはよく聞く話だよな。
>>321 イ タ リ ア は ど う な る ?
「こんなうまいものを作ってるやつらが真面目に戦争するはずがネェ!」
>323
イタリアだっけ?
アフリカ戦線で調理用(パスタを茹でるため?)に
水を使い過ぎて補給が追い付かなくなったのは。
>>324 そう
アフリカ戦線でパスタを茹でるために大量の水を無計画に使いまくり
結局勝手に水不足に陥って降伏
イタリアの逸話って色々聞くけど、何処までが本当なんだろうなぁ。
大部分。
アフリカの朝は、いつものように英軍の砲撃ではじまる。
伊軍将校:「ひいいマリア様あ」
ロンメル元帥@視察中:(お,おまえら……)
イタリアは第一次大戦で死傷者4万、捕虜28万、脱走兵32万
という冗談のような敗戦を経験している。
オタ臭くて読むきにならなかった ごめん
>>316 その技の威力を最大限に発揮するため、
選手は、試合の数日前から股間を洗わず、
その香りを温存すると聞いたが・・・
いいなあ、イタリア人。
そんなイタリア人と、イラクでつかまって殺されたイタリア人が同じ国の人間とは思えない。
>332
そりゃ、陽気でお調子者で女好きというのが定番のイタリア人だけど、
同時にマフィアの国の人でもあるからね。
>>332 イタリア人は強いけどイタリア軍は弱いんだよ。
イタリア人は11人以下なら強い。
>>333 マジレスするとマフィアの本場・シチリアはイタリア本土と気質がほんのり違ったりする。
337 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/19 20:29 ID:KSN+2mkw
>>333 金と女が絡んだ瞬間に世界最強の人種に変貌する
司令官をキレイな女性にすれば、世界最強の軍隊になるんじゃないか?
美人司令官…ハァハァ
オマイラ、スレの方向性が若干ズレてますよ
イタリア人どもの戦時中の「 逸 話 」はワラエスギルからね。
苦戦中の味方のために援軍に派遣された部隊が、途中でバカンスのために避暑地に寄り、
到着したときには遅くて、そんまま丸ごと投降したり・・・・・・
世界の人みんながイタリア人だったら世界は平和なのにね...
女の取り合いで都市単位の戦争が始まります
美女ヘレネを奪って戦争起こしたトロイ人が、
敗走した先でつくったのがローマだし。
日露戦争中の話 当時は「休戦」なるものが存在していた
日露両軍、戦線こう着状態のままにらみ合いつつドンパチ
時折痺れを切らした兵隊が突撃していき、撃たれて戦死
んで、たまに戦死者収容のため休戦となる
休戦している最中はお互い一発も撃たず、黙々と戦死者を片付ける
そうこうするうちに打ち解ける者もでてきて、敵と身振り手振りで談笑
酒や煙草、菓子などを両軍同士で交換し合い、挙句の果てには仲良く並んで記念写真
そして時間が来たら双方の陣地に戻り、また際限なくドンパチ
>>347 近くて永久に遠いお隣とそのお隣の国も、今は休戦中なんでしょ?
そのうち、38度線を跨いでまたドンパチ始めるのかな?やっぱり。
>>348 やらない。というかできない。
北のほうの国は後ろ盾を失っている。
南北双方の後ろ盾どうしが今ドンパチやる意味がないばかりか、
お互いに致命傷を負いかねないから。
そういや、第一次大戦のクリスマス休戦の話は既出だったかな?
いや、出てないかも。
クリスマスなので休戦してお祝いしました、以上になにかエピソードあるなら是非。
伯父が復員して来た時、浮浪児が「センチメンタル・ジャーニー」を歌っているのを見て、
「これはエライ事になった」と思った。
日本人は英語を喋らなくてはならなくなったと思ったらしい。
>352
松本伊代?
354 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/21 23:26 ID:wznSbB8a
>>353は"Choo Choo Train"と聞いてすかさず「ZOO?」と聞き返すタイプ。
>>300 国民学校生徒
まぁ、
>>306の言い方もあるけど、ちょっとニュアンスが違うと思う。
「小国民(少国民)」は「まだ小さいけれども国民の一員」であるという気概を表すため語では?
このスレ初めて読んだけど面白いなあ…
戦後食糧難の時代。
夕飯の時間になっても息子(私の父)の姿が見えない。
母(私の祖母)が大声で、ごはんよー!と呼んだらすっ飛んで戻ってきた。
ところが、夕飯の席で父大泣き。
ごはんよー!と呼ばれたのに食卓にあるのはいつもの蒸かし芋だったとさ…
婆ちゃんは大笑いで、父は鬱全開で別々にその話をしてくれた。
満州に遠征していた近所のじいちゃんは、
肝試しに、朝鮮人の墓を暴いていたそうだ。
「真っ暗闇で、早く目が慣れて行動が取れるように訓練しとったんじゃ!」とも言っていた。
竹槍で飛行機を落とすつもりだったらしいw
たしかどっかの地方ラジオ局だと記憶するが
日米開戦記念に、威勢のいい音楽をラジオで流せと言われて
あろうことか「星 条 旗 よ 永 遠 な れ」を流して始末書書いたアホがいた
はあちゃんがイタリア人なんだが、結婚したいきさつがわからん。
終戦直後に結婚したらしいが、出会う状況すら分からん。
冗談っぽく聞いてみたら
「あのひとはげしかったから…」
とかいってぼかされた。
しかもレジスタンスだったらしい。
生でムッソリーニの死体を見たらしい。
わけわかんね。
360 :
359:04/07/22 17:48 ID:hXz4lx86
誤爆スマソ
>>358 広島原爆慰霊コンサートかなんかで同じ事したバンドがいた
>>358 今のNHK鹿児島局がやらかしたホームラン級の大ポカですな。有名な話。
うちの爺様は性格は大人しかったが酒豪。
南方で付いた部隊長は酒好きだったが、あいにく直属の士官連に酒飲みがいなかった。
飲める上等兵の祖父に白羽が立ち、隊長の従兵に抜擢。
温情家の隊長の下で仕事は軽く、夜になると好きな酒のお相手。肴付きで飲み放題。
サンゴ礁の島には米軍も来なくて「楽しかったぞ」、ってそんなんでええんか。
島には大した食い物もなかったが、マンゴーは死ぬほど成っていた。
調子に乗ってマンゴーぱくぱく食っていたせいで下痢が止まらなくなり、野戦病院送り。
検査した軍医に「おまい肺やられとるぞ」と唐突に言われる。
「病院船の氷川丸がこっちの泊地に回ってくる。それに乗って内地へ帰れ。
病状はうんと悪いことにしておいてやる」と、話のわかる(?)軍医もいたもので。
祖父の帰国直後に米軍の攻撃が激しくなり、平和だった島でも多くの戦死者が出たそうな。
内地の陸軍病院で療養してから招集を解かれたのもつかの間、
昭和20年8月に再招集を受けた。
覚悟を決めて兵営の前へ行ったが、同時に招集を受けたはずの連中が一人も見えない。
日暮れまで突っ立っていたら「お昼で戦争が終わりましたよ」と通行人に教えられた。
すごすご帰宅して数日後、「用事があるから」と親戚に連れられて隣村の家に行ったら
行き遅れた三十女が白無垢着て待っていて、いつの間にか婿にやられていたという。
戦中といい戦後といい呑気もいいところだが、この祖父は未だに元気でいる。
オモロカタ。
ほのぼのとしたじいさんぽいなw
>362を読んで、柳に枝折れなし、という諺が浮かんだ
>「お昼で戦争が終わりましたよ」
ワロタ
終戦直後って、皆がラジオの前で泣いてるイメージあるけど、こういう人も居たんだなあとおもうと安心する。
いや、意外とこういう人が多かったんじゃないかという気もする。
玉音放送聞いててもワケワカメな人とかもいそう。
言葉が難しすぎるし。
>「お昼で戦争が終わりましたよ」
>いつの間にか婿にやられていた
ワロタ〜 涙出たYO!
>>368 言葉以前にノイズが多くて聞き取りにくかったという人も多い
ただ「負けたな終わりだな」ということはだいたい察しがついたようで
もっと戦争をやれと言っているという説と、戦争をやめろと言っていろという
説と二つに分かれたと聞いた。
いつの頃からか、俺は2chで見つけたおもしろ文章を保存している。
>>362 ご苦労様。
>359
誤爆なんだろうけど、おまえすごいな。
うちの先祖話
明治37年日露戦争勃発当時、うちに赤紙が届いた
ところが届いたあて先は、なんと「佐藤千代」 つまり曾祖母
「女まで召集するたァ、こりゃ余程苦戦なんだろうか」と近所中の評判になった
どういうことかと役場に出向いて調べてみると、戸籍取り扱いの混乱で兄と妹が入れ替わっていたと
本来は兄の「佐藤秀」に届くはずだった物 字を見ても、男か女か判断がつきにくかったらしい
ましてや寒村の小役場 親父が間違えたんだか役人が間違えたんだか・・・
その後改めて「佐藤秀」に赤紙が届き出征し
奉天大会戦でロシア兵にサーベルで斬られて重傷を負うも何とか生還
勲章も貰ったとか
375 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/25 10:17 ID:vyq5HyEi
>>374 そのまま招集先に行けばもっと面白かったのに
376 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/25 10:42 ID:NEjRM4ts
俺のじいちゃんの話・・・
じいちゃんは元満州鉄道の運転手?(かどうか知らないけど乗務員)でカニを捕ってきて汽車のカマで焼いて喰ってたりしてたらしい
本人曰く結構食べ物もあって楽しかったらしいw
377 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/25 10:51 ID:NEjRM4ts
今度は母方のばあちゃんの話
戦時中かどうか知らないけど満州にいた頃は地面に水を撒いとけば次の日には凍ってて
そこでスケートをやってたらしい(ばぁちゃんは結構良い家のお嬢様だったらしいw)
そんなばぁちゃんと昨日中華料理屋でご飯を喰ってきましたが、
四川風なんちゃらスープ(名前忘れたけど辛いヤツ)を食べながら
「満州人はこがんとばよぉ喰いよらしたたい。」
らしいです。ちなみに熊本弁で「満州人はよくこんな感じのを食べてた」って感じです
378 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/25 10:58 ID:me25WUXT
うちの母親は いわゆる疎開先に住んでいたが 学校の授業の一環で、空襲警報が鳴った時の訓練で 防空壕に入ったり 竹ヤリ持って エイヤー! とやっていたが 一度も本番にはならなかったらしい
当たり前か!
379 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/25 11:05 ID:WoFDPz8/
うちの祖父も満州に行ってて、石造りの洋風アパートメントに住み、
そこではゴミは各階のダストシュートに捨てるようになってたり…
満州生まれの父は日本に引き揚げてきた時に、住環境の違いに
びっくりしたらしい。
超ド級の田舎の農家だったじいちゃんは、そのころではめずらしい
シェパードを飼っていた(雑種かもしれないけど、じいちゃんは
シェパードだったと言ってた)
クマという名前だったのだけど、ものすごく賢くて、食事もじいちゃんが
よし!というまでは絶対に口を付けず、ある朝ばあちゃんがえさをやり、
じいちゃんも「よし!」と言うのを忘れて農作業に行ってしまい、日が
暮れて田んぼから帰ってくると、クマは一口も食べてないえさ箱の前で
じっと待ってたそうだ。
賢さは田舎でも評判で、じいちゃんちから10里くらい離れたところにあった
軍の施設から、軍用犬として徴集するといって持っていかれた。(30キロ
くらいかなぁ、10里って)
クマは、わりときちんと「軍人」っぽく扱われてたらしく、日曜日には
お休みをもらってたそうで、毎週日曜の午前中に歩いて家に戻り、夕方
になると、自分で軍の施設に歩いて帰ってたらしい。
ただ、終戦になっても戻ってこなかったのが残念だったとのこと。どこか
で作戦に参加して亡くなったんだろうね。
クマたん(;_;)
うちの爺さんは趣味で陶芸やってたんだけど
戦時中、僅かな薪や紙で調理が出来る小型の窯を作って
疎開してきた東京の人たちのリンゴや味噌と交換したらしい。
・・・ん、何で爺さん徴兵されなかったのかな?
脱穀機で指二本なくしたのと、馬に蹴られて腰悪くしたのは
戦争前だったか後だったか。
もういっちょ。
朝鮮人は、畑の脇に生えている唐辛子をもいで
そのままおぶってる子どもに食べさせてたらしい。
そんなにあっちの人って辛さに強いのか?
父は真似してえらいことになったそうだが。
>>380 クマー.....つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
笑える話を....
>>382 右手の示指(人差し指)がないと徴兵されない。
そうか、銃撃てないもんな。
>>379 南満州鉄道が採算度外視で沿線主要都市の住宅環境整備を行ったのだ。
ガスや水道、道路整備など、多くが満鉄の手になるもの。
388 :
元九州人:04/07/26 01:02 ID:B1HMhabs
>「満州人はこがんとばよぉ喰いよらしたたい。」
>らしいです。ちなみに熊本弁で「満州人はよくこんな感じのを食べてた」って感じです
正確に言うと、「満州人はこういうのをよく食べてらしたよ」かな。
九州人は人の事を話す時は敬語を使うんだよ。やんわりしてエエ感じや。
スレ違いスマソ。。
漏れの祖父さんは自動車の整備工場を営んでて、
戦後まもなく進駐軍が「ガソリンいるならやるぞ」って
突然言ってきたらしい。
年頃の娘をたくさん持つ身であった祖父さんは、
「うかつにもらえばヤバイかもしれん」と思って断ったそうな。
その後しばらくしてアメリカ軍は戦車の修理を頼みに
来るようになり、ある時
「余ってたからガソリンあげようと思ったのに、あなたは無欲デスネー」
と言い、それを聞いた祖父さんは内心しまったと思ったとか。
別に笑える話じゃないね、スマソ。
390 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/26 21:08 ID:vc6MSj9W
>>389 祖父様の判断は的確だったな
当時どれだけ貴重か計り知れないガソリンと
娘の幸せを量りにかけたら
どう考えても娘に決まっとる!
>389
いい人だよね。
もしおじいさんがガソリンをホイホイもらっていて、
アメリカ兵に下心があったとしたら、
>>389さんはハーフだったかもしれんなw
393 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/27 17:40 ID:G9JvZWcg
>>385 徴兵逃れに※※切り落としたが次の日終戦。
って話があったな
394 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/27 17:50 ID:R5ctG/3E
>>380 ぺリリュー島の戦闘で、シェパード犬が活躍する話があるね
米軍が上陸してきて、離れたところにある砲兵陣地に連絡を取ろうとしたが
上陸前の猛烈な艦砲射撃のせいで通信線はズタズタ
無線機は原型無く吹き飛ばされ、軍鳩は鳩舎ごと全部戦死
そんな中で、最後の手段として2匹だけ生き残った軍用犬の首に通信筒をつけ送り出した
一匹目は見てる前で砲撃によりバラバラになり
既に負傷していた二匹目が激しい砲撃を掻い潜り、包帯に血を滲ませながら到達成功
砲兵たちはその姿を見て全員号泣した
間もなく陣地から一斉砲撃が行われ、その激しさに米軍は大混乱に陥り一時退却したと
ロシアではトラクター犬が一部で活躍したらしい。
トラクター犬ってのは爆弾背負って、戦車や軍用車両の下に入り込み
自らも爆死する哀れな軍用犬。
トラクター犬を育てる時、エンジンをかけた車両の下でエサを与える。
犬はエンジンをかけた車両の下に行けば
エサがもらえると思い込む(パブロフの犬ですね)
勿論実戦ではトラクター犬使用時には、味方の車両のエンジンは切ってある。
おーい、全然笑えないってー
ホントの軍事ヲタさんならスレタイ通りの愉快な話いっぱい知ってそうだな。
中途半端な知ったかが一番いけない。
>>395 俺が聞いた話は少し違うな。
第二次大戦中、ソ連では爆弾犬を訓練していた。
>>395にもある通り、敵の戦車の下に潜り込んで自爆させるというもの。
で、実戦に出してみたところ、訓練に使ったのがソ連の戦車だったため
犬は全て味方の戦車の下で自爆したとか。
犬好きにとっちゃ笑えないよなぁ…
>>395 北朝鮮ではつい最近もやってたべ?
よくテレビで「北朝鮮の実態」みたいな特集が組まれたとき見たよ。
400 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/28 12:38 ID:pTMUn7V7
熊本県鹿本郡田原坂近くの横平山 西南戦争が始まった明治10年3月
官軍は横平山に布陣したが、敵との距離は僅か20メートル たちまち鉄砲の撃ち合いやじっと耐える日々が続いた
すると味方の後方兵站部から大福餅が届けられた 味方の士気は大いに上がる
敵にも大福を見せびらかすと、向こうもヨダレを垂らさんばかり
少し分けてやろうと山田という兵隊が二、三十を抱えて敵陣へ行った
えらい歓待ぶりで、酒も出して飲ませてくれた
それから敵味方が妙に親しげな気分になってしまった
そのうち山麓の陣地では猛烈な斬り合いが始まった
ところがこちらは敵味方が仲良く見物しておったと
死に物狂いの殺し合いの間にも、いくさも何も忘れてしまう瞬間があった
出典「日本の民話」12巻
赤紙が来たら醤油を一升一気のみして高熱をだして凌いだらしい
402 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/28 13:33 ID:IaFwxmYO
>>400 紀元前ローマの内乱でもそんなのあったらしい。
お互いの陣地から親戚や友人の名を呼び合って、中間地点で再会。
夜は招待しあって、酒を飲んで盛り上がり、敵の陣地に泊まる者も。
そのうちお互いの装備、作戦も教えあうようになり、
「うちの司令官の方がイイ人だよ。お前もこっち来い」なんてことになり、大勢の兵士が片方に移ったらしい。
>>400 >>402 いいなあー。やっぱりそれが人間の通常の性だよね
うまいもんは世の中を平和にする!w
404 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/28 14:58 ID:jLojOqRY
うちの父の話、今なら笑えるかな?
空襲になると空から焼夷弾が落ちて来るけどその飛行機に向かって
からかっていたらしい、飛行機の方は急降下して来てまた浮上しよう
とする時にするらしいけど、怒ったパイロットが旋回して戻って来るけど
その間に逃げたりする遊びをしていただってー
まだ小学校1年生くらいの小さい子供だった頃に父の話でした。
不粋と思いつつちょっとツッコミを。
>>竹槍
あれは「撃墜された」爆撃機から「脱出した乗員」を刺すものです。
ちなみに英国は普通の戦闘で使うための鉄槍を作ってました。使われなかったけど。
>>地雷犬
>>398の通りだけど補足すると、
ドイツ戦車はガソリンエンジン、ソ連戦車はディーゼルエンジン。
ガソリンエンジンの燃料はガソリンでディーゼルエンジンは軽油。
犬は慣れ親しんだ軽油の臭いに飛びついた、と。
このため地雷犬プロジェクトの責任者は処刑されるという、
どっかの悪の組織みたいなオチがついています。
>>404 焼夷弾落とす飛行機(爆撃機)は急降下しません。そこは記憶違いでしょう。
多分小型の飛行機(恐らく艦上爆撃機)ですな。
この手の飛行機は後ろにしか機銃がないから、地上への掃射は難しい。
だから爆弾落としたあとは怖くない。
>>404のパイロットは子供の遊びに付き合っただけでしょう。
これが戦闘機でしかもパイロットが大人げなかったりすると、大変なことになります。
406 :
グノタ:04/07/28 19:30 ID:Od2vH2AZ
ホントに不粋だな
無粋な軍ヲタは( ´Д`)p カエレ!!
笑える話を!!
408 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/28 20:03 ID:pTMUn7V7
シベリヤ出兵当時 松山歩兵第二十二連隊 大正6年ごろの話
「シベリヤの零下40℃の寒気はジクジク骨を刺す寒さなので、ちょっと便所に行くにも
毛皮の胴着 防寒手套 防寒靴をつけないと、たちまち凍傷にかかる
便所では大便小便も皆凍っている
凍った大小便が尖って槍のようになってることが多く、それを知らずにいきなりしゃがみこみ
尻や玉に怪我した者も少なくなかった 皆シベリヤは大嫌いであった」
村上順市曹長手記「御国の為に」より
「皆シベリヤは大嫌いであった」
物書きでない普通の人の正直な感想なんだろうが、
まとめのフレーズとしては強引で、そこがなんか笑える。
行きたくもない北の果てに派遣された人たちはたまったもんじゃなかったろうけどさ。
410 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/28 20:13 ID:pTMUn7V7
神奈川県横須賀市 昭和15年ごろ
市内バスの停留所で5,6人後から一人の兵隊が、天皇陛下万歳と叫びながら降りていった
無賃乗車
「現代民話考」より
満州あたりに行ったり、シベリアに抑留されたりした人たちの証言にはよくあるよね、
便所での苦労。
汲み取りだから、
>>408にもあるように糞便が凍結してしまう。
ンコのシャーベットが便器から盛り上がってしまうので
当番がスコップで突き崩して便槽に落とすんだけど、
飛び散った氷片が衣服に付いて……宿舎に戻ると臭気を放ち始める。
笑うに笑えんな。
413 :
377:04/07/28 20:33 ID:XFxzgGR8
>>400 隣町に住んでますw
ちなみに田原坂公園は小学校の時の遠足で行ってましたw
俺が何かで読んだ話。
空襲があったそうな、どこかで。
で、町は瓦礫だらけ、で、燃えるものは燃やそうってことになったそうな。
そして、バケツリレーの要領で次から次へとゴミや燃える瓦礫を燃やしていたそうな。
最前列で炎にゴミを放り込んでいたのが出産間もない奥さんでして。
奥さんなかなか仕事熱心、次から次へとゴミを焼く。
そんなところに泣き出す赤子。
親切おばさん赤子を抱いてあやしていたけど泣き止みもせず。
しょうがないから赤子を母へ。
母は気付かず火の中へ・・・。
ま、笑える話なんて無いってことさね。
415 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/28 21:39 ID:pTMUn7V7
それはただの人為的ミスな気がするが
416 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/29 00:34 ID:t6rom1At
臭気戦闘
日露戦争で動物の排泄物を燃焼させて臭気で敵を燻りだす作戦が実行された
部隊名は伏せられている
トーチカに爆破で穴を穿ち濡れ手ぬぐいでマスクした決死隊が藁と油と動物の排泄物
で作った特別燻し剤を焚き、団扇で敵陣に送り込むのである
この攻撃に対してロシア軍は直ちに反応、濡れ毛布で防護スクリーンを展開
トタン板を引っぺがして扇ぎ帰したという
その悲劇の裏で、笑い話もあったはず。
>>414 その本読んだことある。死体の文化史だったかな。
戦争ネタで印象深い・・・・でも笑えない話多かったなあ。
第一次大戦時にイタリア軍が、
毎回昼食のために大量のお湯でパスタをゆでるので
割り当てられた水が足りなくなり、喉の乾きに耐えられず
投降したって話をどっかで聞いた。
どっかでというかこのスレでも聞けるよ。
近所のお爺さんがしてくれた話。
南方へ行く船に玉砕覚悟で乗り込んだ。
船がどんどん南下を続け、もう本土も見えなくなりかけた頃、終戦。
「うわー、よかったね、助かって」と言うと
「ええことあるかい!ワシらはブーブー文句垂れとったがな。
戦争終ったって関係あるかい!南方行かんかい!って言うてゴネたんや。
ワシら(下っ端兵隊)は10代で血気盛んやし、もう行く気満々やったさかいなー。
もうちょっと上の、上役は結婚して家族もおったさかい
『もうええねん戦争終ってん、帰ろ、なっ?』
ってオタオタしとったなぁ」
親に「戦時中の笑える話なんかしらんか」と聞いたら、
1.当時天草に住んでいた自分の親は、長崎のキノコ雲を目撃した。
2.気のふれたよそのばあさんが、アメリカの芋(じゃがいもかな?)を
竹槍に突き刺して、「アメリカ兵を討ち取ったー!!」と騒いでいた。
以上の話をしてくれた。
笑えなかった。
2番怖いよ〜・・・
424 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/29 19:08 ID:t6rom1At
カメラクラブの知り合いの元海軍兵学校出身の海軍士官だったじいさんの話
戦争中、老朽戦艦扶桑は速力が遅いのと防御力不足とで、内地で訓練任務についていた
乗組みの士官は、肺病上がりだったり能力に問題ありだったりの余り役に立ちそうも無い人ばかり当てられていた
海軍兵学校時代、じいさんたちは「あんな所に配属されるようになったらおしまいやな」と笑っていたが
そのじいさんが卒業後真っ先に配属されたのがその扶桑だった
その後、戦艦扶桑は出撃が決まり、スリガオ海峡夜戦で魚雷二本を受け火薬庫爆発で轟沈 生存者ゼロという悲劇にあったが
その出撃前に乗組員の入れ替えがあり、じいさんは外され、やはりダメ士官優先勤務だった海防艦にまわされた
在学中に何かやらかしたのか、それとも成績が余程悪かったのか・・・
>>424 そのポンコツ戦艦と海防艦の位置関係は?
やっぱ三菱扶桑>海防艦なのか?
427 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/29 21:37 ID:t6rom1At
徳島県阿南市長生町 昭和20年の話
鎮守天満宮が高射砲部隊の分隊の駐屯地となった
たった一門の高射砲には木製の模擬砲弾しかなく、それをぴかぴかに磨いて
毎日何回も撃て撃て!と繰り返していた
その真剣さが、機敏でない老兵だけになんともユーモラスであった
はるか高い空には白銀のケシツブばかりの米軍機が、下界に見向きもせず大阪へ一直線に向かっていく
それを見つつ隊員は高射砲を懸命に磨き続けていた
「現代民話考」より
日本軍が保有していた並の高射砲じゃ、
超高空を飛ぶB29には届かなかったらしいね。
撃つだけ無駄、と。
特別製の高射砲なら何とかB29を落とせたんだけど、
その高性能型高射砲は当時の情勢では量産できなくて
あんまし意味がなかったそうだ。
430 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/29 22:09 ID:pzGjHQei
家の爺さんの話。
小学生の時、学校で「床屋貯金」なるものがあって、
先生達が髪の毛を切って、浮いた床屋代で
慰問袋を作ったり、現金を送金していたそうだ。
しかしバリカンの使い方が下手な先生が多く、
相当痛い思いをしたという。
「あれで俺は髪が薄くなって、ハゲになってしまった…」
と嘆いている爺さん(68歳)だが、うちは代々ハゲ家系なので
それは全然関係ないと思う。
>>429 >その高性能型高射砲は当時の情勢では量産できなくて
>あんまし意味がなかったそうだ。
高性能型高射砲配備!(`・ω・´)シャキーン
↓
米軍迂回しちゃたよ(´・ω・`)ショボーン
>>422 自分の祖母は呉で広島のきのこ雲を見たって言ってた。
もともと父親と兄が満鉄に勤務してたんで家族で大連に住んでたんだけど
昭和20年の春頃に兄が事故を起こしたかなんかで内地勤務になって
家族で実家のある呉に戻ってきたんだけど、もし何も起こらず
終戦まで大連に住んでたらと思うと・・・
433 :
ハヤマン:04/07/29 23:09 ID:yWsHVREL
たいしてわらえないけれどもう死んでしまった祖父が生前笑いながら聞かせてくれた話
今では祖父の家は町に成長したが当時は村でした。
戦争が開戦しても村はあまり戦争マンセーイになってなくいつもどうりの日常だったらしい。(もちろん全員ではなかったと言っていたけど)
そんなある日珍しく空中で戦闘機が空中戦を展開していた。
上空でよく見えないけど村民みんなで応援していた。そしてとうとう敵機と思われる飛行機が撃墜されて落ちてきたそうだ。
村人達は万歳三唱おじいさんもみんなといっしょに敵機の残骸をろ見に行ったんだと
そこで見た物は田んぼにつきささった0戦だったんだとさ。プ
幸い運転手?は生きててみんな笑うしかなかったと言ってた。
じいちゃんのリップサービスも含まれてるんだろうけど学校とかで当時教えられてた事より随分のんびりしてんなと思ったよ。
ちなみに場所は鹿児島某所
う、運転手……パイロットとか操縦士とか言うから覚えといてくれ。
本土上空の空中戦なら戦争末期の話かな
夏休みだ、作文練習してね。
でもこのスレでやるのはいかんよ。
0戦って…
運転手ワロタ
>>437 いいんじゃない?
海軍じゃ「ゼロセン」で通ってたし、
「○戦」って記述は当時の海軍関係者の日記とかにも割に出てくるし。
無粋なツッコミが多いな。意味は十分通じただろうに
軍ヲタってこんなのばっかなの?
441 :
ハヤマン:04/07/30 01:21 ID:lD/bkYjc
すみませんド忘れってヤツでした。パイロットって言葉が出てこんかった。
あと作文とか言わないでね。まあでも確かに文章下手だね、今見てみたら
442 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/30 01:21 ID:GSkgbeE3
じゃぁ何か。
「零式戦闘機」(れいしきせんとうき)と書けとでも?
ゼロは敵性言語だったから使える訳がなかったと、そう言いたいのか?
当時海軍は敵性言語に寛容だったから
公の場でなければ使い放題だったのを、知ってて言ってるのか?
とウザレスをしてみるテスト
443 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/30 01:34 ID:O+HXz98d
昭和14年 中国戦線
敵が山頂にいた
中隊長が突然「突撃!」と叫んで抜刀 山に駆け上ってゆく
砲兵隊なのだが。
兵隊たちはあっけにとられる しかし中隊長が前に進むので撃てと言われても撃てない
零式艦上戦闘機
447 :
437:04/07/30 07:59 ID:NHYz26yK
>>439-440,442
スマソ
"ゼロ戦"という呼称が一般的だったのは知っていましたが、
"0戦"という表記に絶句したので思わず書き込んでしまいました。
普通は"零戦"だろ。
>>430 太平洋戦争中に小学校があったのかよ、初耳だな。
どっかの本読んで仕入れてきたようなネタはイラネェよ。
スレタイ通りに「聞いてきた」お話を聞かせてホスィ。
時期的にもアレだから、田舎にでも帰ってじいちゃんばぁちゃん
の話し相手にでもなってやれって。
俺のジジババはもうアレだから、話を聞くことも出来んのだが(-_-;)
お願いですから知識ひけらかしたいだけの
無粋な軍ヲタは( ´Д`)p カエレ!!
454 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/30 19:44 ID:O+HXz98d
>>450 やっぱりダメですか・・・
ほんでもうちの祖父ちゃんは両方亡くなってるし、ばあちゃんの話はあんまり笑えないようなのが多いし・・・
難しいもんだ
455 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/30 20:04 ID:O+HXz98d
では、小学校の頃校長に聞いた話
昭和20年のある日、関東地方全域が艦載機の襲撃を受けた
日本の航空隊も全力で迎え撃ち、関東上空のあちこちで壮絶な大空中戦が行われた
が、うちの町は軍事施設が無かったため大規模な襲撃は受けず、遠くで響く爆発音や機銃音
飛行機が急旋回する金切り音を聞いたり、上空を通過していく敵味方の編隊を眺めるだけだった
いい加減敵機が引揚げ始めたその日の夕方、当時生徒だった校長は、校庭全面を改造した芋畑で作業していた
すると紛れもない味方戦闘機の爆音が 見れば一機がよろめくようにこっちにやって来る
生徒も先生も大喜びで、全員芋畑の真ん中に集まって手を振りだし 飛行機も上空をぐるぐる旋回しだした
が、飛行機はふらふらと上空から離れていくと、いきなり超低空で学校の隣の農家の畑めがけて突っ込んできた
飛行機はそのままバリバリバリと轟音と共に不時着した
行ってみると操縦席で搭乗員が血まみれになって気絶している 機体全面には無数の弾痕が
先生たちが大慌てて搭乗員を校舎に運び、近隣住民と手厚く看護 そのおかげで搭乗員は息を吹き返した
その搭乗員曰く
「空中戦で被弾して、どうせなら畑や田んぼより広いところに不時着したいと思って、見えた国民学校に来た
が、校庭でみんなが集まって手を振ってるもんだから危なくて不時着できない 上空で待っていてもどく気配が無い
そうこうするうちに頭がフラフラしてきて、燃料ももう無い 仕方なく隣の畑に不時着した
やっぱり畑は狭く、止まりきれず垣根に突っ込んで頭を打った」と
せっかくの好意が仇になった例
456 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/30 21:05 ID:tMl32qBX
うちのじぃさんの話。
妻と息子を田舎に残し出征。
すぐに終戦を迎えたが、田舎は焼け野原と知る。
「妻と息子は死んじゃったんだろう」と
新たに妻を娶る。
3年程して新妻を連れて田舎に帰る。
「おっ!我が家が焼けずに残ってる。」
家に入ると旧妻とちょっと大きくなった息子、
ちっちゃい子供を抱いた知らない男が団欒中。
どうやら旧妻も「どうせ旦那は死んでるだろう」と
結婚したらしい。
とりあえずその場にいた皆で自己紹介し、
おのおの新家族で暮らしていくことに決定。
間もなく新妻に子供ができた。これがオレの父ちゃん。
旧妻側は付き合いないからわかんないや。
>456
上手くまとまって良かったな(w
片方だけ新しい相手見つけてたら面倒なことに。
実際そういうこと(片方だけ)も多かったんだろうけど。
>>455 ふーん、戦時中に小学校がうわなにをするやめせxdcfgvhb
>>456 不謹慎だけど笑った。
パイロットが命を落とさなくて良かったね。
間違えた。
>>459は
>>455宛て。
>>456も揉めなくて良かったな。
うちの祖母の周りにも、奥さんが新しい旦那とひっついて
帰ってきた前の旦那と揉めたという話があったらしい。
母方のばぁさんの話。
当時、女学生、
戦争も激しくなり、一家で山へ避難。
適当な洞窟&小川見つける。
「防空壕と飲み水確保!」
ばぁさんのサバイバル生活スタート。
ヘビ出現(猛毒あり)
「あたま踏んじゃえ!!」
鳥発見(天然記念物)
「食っちゃえ!!」
麓に畑(もち他人の)
「盗んでも怒んないよね?」
ばぁさん曰く
「戦争はいけない事だ。しかし、
あの緊張感のある生活をもう一度
味わいたいなぁ〜」
うちのばぁさんは恐ろしく元気です。
ヒリついた状況で生きたいのか・・・カイジみてえだ。
ちょっと前の高射砲の話ですが、
当たらなかった弾丸は落下して地上の人や物に命中!
なんて事はないのですか?
結構気になっています。
高射砲弾は基本的に当たらなくても、空中で爆発するようにできてるけど
不発弾とか相当落ちてるんだろな。
465 :
おさかなくわえた名無しさん:04/07/31 01:41 ID:ROmmPVWD
>>463 戦時中の米艦隊で、外れた対空砲火が味方艦に直撃して損傷!っていう事故は多かった
真珠湾の民間人の死傷者の殆どが、外れ対空砲火によるものだったそうだし・・・
>>463 当たった場合でも利息が付いて地上の人や物に命中!
なわけだが。
学校の先生が話してくれた。
先生の母上が女学生で、工場に勤労奉仕(でいいの?)していた時のこと。
空襲警報が鳴り響いてみんな防空壕に逃げ込んだけど、その母上とその仲間
10人ほどが逃げ遅れた。
「逃げ惑って死ぬのも嫌だし、屋上へ行って、戦闘を見よう」
「もしこっちに来たら、竹槍で応戦しよう」
ということになり、建物の屋上に登った。
屋上に登ると、日本軍の飛行機とアメリカ軍の飛行機が。
日本軍の飛行機はバタバタ撃墜されている。
『日本軍は連日快勝』のニュースしか聞かされていなかった母上達は呆気にとられて
戦闘を見ていた。
その日の報道ももちろん、『日本軍、今日も快勝!』
「日本は負けるんだなあ」とシミジミ思ったそうです。
笑える話でなくてゴメソ。
>>467 そういう人達もいたのかもしれないけど、本土に足の短い敵戦闘機が来ている時点で、
すでに日本は制海権も制空権もなくなっていることに気付かないものか?
>>468 情報操作されてんだから無理っしょ
うちらだってネットが広まる前は新聞やテレビ
割と鵜のみだったこと考えれば
>>467 それに近い話で、当時祖父は東北の基地(どこかは忘れた)の近くに住んでいた。
ノモンハンで日本軍が大敗したのを国民が知るのは戦後だったが、
帰ってくる兵士たちの表情をみて基地の近くに住んでいるものは
うすうす負けたというのを感じ取っていた。
>>443 激しく胡散臭いね。
話の展開があの「百人斬り競争」と同じだ
>>463 ドイツが米軍の爆撃機落とすのに一機あたり数百発の対空砲弾使ったって記録がある。
計算するととんでもない量の鉄の塊が空に打ち出されてたわけだよなあ…
>461
ばあちゃんスゲー。ワロタヨ。
そんな体験してる人には逆らえないなあ。大事にしてあげてください。
なにげに萌える女学生だな。
うちのじぃちゃんから聞いた話。
戦後間もない頃街に食料を調達しに行くため駅で汽車を待ってると
向こうの方から凄い怒鳴り声みたいなのが聞こえてきて
行ってみると戦争から帰って来た兵隊達が一人の男を袋叩きに
してたらしい。
あとで近くに居た大人に話を聞いてみると
殴ってる方は一般兵で殴られてる方は身分の高い上官
だったそうで。
じぃちゃん曰く戦争中は上官から殴られ続けてた兵隊達が
上下関係の無くなった今仕返ししてただろうなぁ。
だそうです。
笑えないけど自分の中でインパクト強い話だったので
爺さんの友人?の話だが、
海軍=スマートと言うイメージがあったので
海軍に入れば殴られることは少ないだろう。
と思って海軍に入ったが、
朝から晩まで殴られっぱなしだったそうだ。
陸軍の方が殴る回数は少ない。と言うのを
終戦後知ったそうだ。
うちのママンにこのスレの話をしたけど
うつろな笑いだった。
悲しいことばかり思い出したみたい。
ごめんねママン。
>>475 海軍はエリート意識丸出しなので、下っ端の扱いは酷い。
戦後、ある旧海軍出身の空自パイロット(士官)が整備員(下士官)に
戦中と同じような酷い扱いをしたため、整備員からリンチされるという事件があった。
一方の陸軍では、殴る蹴るが日常茶飯事の部隊もあれば、体罰なんぞとんでもない、という部隊もあったそうだ。
戦争末期、近隣の軍需工場や繁華街を爆撃した米軍機が帰還するときに
水田に余った焼夷弾を捨てて行くので、家の近くの田んぼには焼夷弾が
いっぱい突き刺さってる状態だったそうです。
ある日、当時小学生だった父は近所の子供達と田んぼで不発の焼夷弾から
発火用の火薬を抜き出して、浅い缶(一斗缶を切った物?)に集めていた。
それまでも少量に火をつけては遊んでいたがその日は量がいつもより沢山集まった。
年上のガキ大将の子が「きっと花火みたいになるだろう」と言うので、
みんな「わーいわーい、花火だー」と大喜びで火薬持ってガキ大将の家の庭へ。
しかし焼夷弾から取った導火線はすごく短くて、缶の縁までしか届かない。
これでいきなり火をつけるとヤバそうだなと子供の頭でも思った。
父は家からマッチを持ち出してiiiiiiiiiiiiiiiiiこんな風にマッチの頭を上にして
地面に刺して並べ、導火線の延長にして着火。
火はマッチを次々と燃やして最後に短い導火線を伝って缶の火薬へ。
離れて見守ってたのに目の前が(閃光で)真っ白になり、物凄い煙に包まれた。
警戒の消防の櫓からも光と煙が見え、爆弾が落ちたのかと町内中騒然となり、
加わった子供は父含め全員こっぴどく叱られましたとさ。
>>478 楽しさに気を取られて工夫しなかったら
「あなたが聞いた戦時中の悲惨な話」に収録されてたな。
技術者だった俺の祖父ちゃん。ある日、海軍が拿捕した米軍の飛行機が工場に運ばれてきた。
同僚と解体して、中を調べると、楽しくって仕事が止まらなくなってしまった。
丸二日その米軍機に集中していると、気づいた時にはどうやら空襲に遭っていたらしく、
自分たちの工場の棟以外、殆ど更地になっていたらしい。
また、ある日、空襲警報が鳴り響き、防空壕へ入ると、やることもないので同僚が麻雀でもしようと祖父ちゃんを誘った。
ろうそく一本の明かりでゲームを開始する。しばらくすると上官が防空壕へ怒鳴り込んできて、祖父ちゃんはじめ、同僚はぼこぼこに殴られた。
どうやら警報解除に気づかず、徹マンしてしまったからだそうです。
>>480 すげー集中力…てか豪気な祖父ちゃんやねw
徹マンに没頭するのは今も昔も同じなんだなー。
483 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/01 19:25 ID:AMv6QNHb
うちのじいちゃんは体が弱く手先が器用だったので軍需工場にいた。
普段は仲間内でも一番とろくさかったらしいのだが、
防空壕に逃げ込むスピードだけは別人のように速かったらしい。
「学年で1番の奴の徒競走より速かった」と工場でも一緒だった
じいちゃんの友人が言ってた。
その火事場の馬鹿力(?)のお陰で今俺がいるんだけどな。
のび太のモデルじゃねーのか?w
486 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/03 14:28 ID:ZHK/CVYn
>51
この話は「二十四の瞳」にのっています。
あなた、パクリましたね。
じいさんから聞いた話
じいさんは、満州の自動車部隊?に徴兵されたそうな。
そこで二等兵として勤務したしたらしいが、訛りの強い一等兵に
1「○○連隊の宿舎に行きたいのだが・・」
2「?????」じいさん、理解不能な顔をしたらしい
3「くそう、田舎者だと馬鹿にしやがって」って殴られたらしい。
一等兵は、東北出身でズーズ弁で喋られたものだから、じいさんは理解出来なかったらしい。
後日談でじいさんは名古屋に、技術者としてすぐに戻らされたそうな。
じいさんが言うには、上等兵たちには悪いことをしたそうな。
ばあさんも学徒動員で、名古屋の三菱兵器工廠で飛行機作ってたそうな。
空襲警報が出てみんな避難する中、用をもようしたばあさんはトイレに行ったそうな。
爆撃が始まって自分が死ぬかもしれんと覚悟決めてたら、爆撃がやんだそうな。
トイレから出てみると、トイレ以外は焼け野原だったそうな。
お便所は柱多くて頑丈・・・・・と思ったけど、空襲の前では関係ないか。
きっと超合金でできたトイレだったんだよ。
490 :
487:04/08/04 13:01 ID:bjdaPEtc
>>488 よくは知らんが、そう言って笑ってた。
前半のじいちゃんは、自分が生き残れたが上等兵は・・・・
ちなみに終戦後、芋を抱えて田舎にかえったそうな。
いつもいうのが、名古屋にすめば良かった・・・・
うちのじいさんの話
大陸で衛生兵をやってた。倉庫の医薬品を管理する仕事だったらしい。
大量の在庫を抱えたまま終戦。日本に持って帰ることはできないので、
薬を欲しがってた中国人に分け与えた。
おかげで町を歩けば「大人(たいれん)」と呼ばれちやほやされたらしい。
だが、日本に戻ると母親の手によって戦中に稼いだ給料は全て貯金されていた。
銀行は終戦後に潰れたため、一転して貧乏暮らしになったそうな。
他にも国民党からうちの衛生兵にならないかと誘われたという話を聞いたが、どこまで本当なのやら。
関係ないけど、親父の戸籍には「中華民国江蘇省生まれ」と記載されてて、なんだか歴史を感じたな。
492 :
B29:04/08/05 00:02 ID:lM8R4IdB
うちのばあさんに聞いた話。
うちのばあさんは神戸の山側の田舎に住んでいるんだが、
神戸大空襲か何かの時にB29がやってきて、
乗員が落下傘降下したらしい。
近所の親父どもがそいつらを捕まえて鎌やら何やらで
何人かぶち殺して残りは憲兵に引き渡したらしい。
ばあちゃん・・・そんなの笑顔でいうなよ・・・
笑えない話スマソ
>492
しかし、当時は英雄行為だったんだろうね。
それこそ竹やりでそういう時のための練習してたんだから。
でも何故田舎に落下傘降下?
494 :
B29:04/08/05 01:07 ID:lM8R4IdB
>493
たぶん対空砲火かなにかで
損傷を受けていたのだと思われ
近くの田んぼに落ちたらしい。
495 :
B29:04/08/05 01:13 ID:lM8R4IdB
そういえば、
ばあさんがその中に女性がいたと言っていたけど、
当時の米軍の爆撃機に女性なんか乗ってたのかな?
>>491 国民党軍に入り国共内戦に参加した旧日本軍人はある程度います
>>495 ちょっと信じがたいなあ
米軍の女性搭乗員は後方のフェリー任務だけだったと思うんだが
第二次大戦で女性搭乗員が第一線に出た例はソ連軍しか知りません
>>496 >
>>491 > 国民党軍に入り国共内戦に参加した旧日本軍人はある程度います
そうなんだ。その人たちはその後どうなんったんだろう?
>>497 >>496じゃないが…
国民党軍だけじゃなく、共産党軍にも多くの日本人が参加してたはず。
特にパイロットの教官なんかは有名で、現在の中国空軍の基礎は日本人がつくったと言われるほど。
>>495 長髪の人を女性と勘違いしたのかも。
当時の日本に長髪の男はいなかった(と思う)し。
長髪のアメリカ兵もいないんじゃないか?w
502 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/05 21:37 ID:quaPu5Oh
>>499 白人で、小柄な香具師なら遠目に女性と見間違える、かな?
「戦空の魂」と言う漫画に似たような話があったが・・・。
>>501 なんで、ってそりゃ思うところあったんだろう。
理念に共感したとか。
中国だけじゃなく、東南アジアでも現地に止まって
現地人の独立闘争に力を貸した人はいっぱいいますよ。
504 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/06 00:35 ID:FNUol4u7
1942年7月、上海に近い近い地域。
ここにおいて日本陸軍第731部隊は中国軍に対し大規模な生物兵器攻撃を実施した。
コレラ、チフス、炭そ菌… これを飛行機からまくというものである。
99式双軽3機により実施された作戦は、1万人以上の被害者を出し1700人以上が死亡した。
本来ならば大成果である。
しかし、これによって殊勲を受けた者はいなかった。
……被害者の全てが日本兵だったからだ。
笑えねえ
いつの戦争も味方撃ちは絶えないね
>>501 日本に帰っても食うあてがない、とか
日本に帰っても飛行機に乗れないから、とかじゃないの?
パイロットの教官ともなればそれなりの待遇も受けられるだろうし。
そういや数年前、朝鮮戦争の時に北朝鮮側として参戦した
日本人がいた事がわかったってニュースでやってたね。
他には、戦後ベトナムに"現地人として"残り、ベトナム戦争に
参加した元日本兵もいたとか。
笑える話?でもないけど、
俺の実家の柱や梁には、今でも機銃掃射された時の跡があるよ。
(犯人は釜石製鉄所攻撃部隊の艦載機だそうです)
戦後、母屋を改築したり増築したりなんで、母屋の弾痕はそのまま。
その時に柱にささった弾も実家の何処かにしまってあると思う。
ヤフオクに出したら売れるのかな?
もうすぐ、また8月15日が来るわけですが、その柱は今も健在。
ビックリマンシールが貼ってあります。
>507
危険物扱いで、オクでは削除対象じゃないかなあ?
>508のところじゃなくても、戦争関連のもの募集してる所がありそうだけどね。
戦争特集も頻繁にやってるね。
戦争を語れる世代が年々少なくなってる事だし、いっちょ笑える話特集も
頼みますよテレビ局さん。
>510
戦争を笑い話にするとは何事か!とのクレームが炸裂するヨカーン。
戦時中、小学生だったおばーちゃん。
疎開で奈良の山奥へ行った。とても寂しいところで
狼が毎晩遠ぼえしていた…
って、おばーちゃん、日本狼はその頃までには絶滅してたのでは?
先生達はみんな厳しくて辛い思いをしていたそうですが、
一人とてもやさしい女の先生がいて、毎晩、生徒一人ずつを
自分の布団にいれて一緒に寝てくれたそうです。
みんな自分の番を待ちわびてたと言ってました。
>511
戦争を笑い話にするといえば
スピルバーグの最高傑作「1941」で決まりだ!
515 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/07 22:01 ID:X9uaAJsu
うちのじいちゃんの兄は非軍人で、仕事だか事業だかで大陸に行ってたが
終戦後のドサクサで妻子は何とか引揚げたものの、じいちゃんの兄はそのまま行方不明になった
そこで住職だったじいちゃんはあらゆる人脈を使って裏工作を行い、書類をでっち上げ
(檀家に主計科高級軍人や役人、議員がいた)
そしてじいちゃんの兄はいつのまにか、陸軍上等兵として戦死したことになっており
そのおかげで妻子には遺族恩給が入り、安泰に暮らせたと
>515
そこに死んだはずの兄さんが…とまでは上手くいかないか。
>>513 個人的に好きなのは別にいいけど
最高傑作ちゃうし。
520 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/08 13:11 ID:WLBM//VA
かーちゃんに聞いた話
かーちゃんのとーちゃん(私から見てじーちゃん)が新婚のころ、じーちゃんの親が
近所の海からドラム缶を拾ってきました。
で、家であけたところプシュ〜〜〜〜〜〜と毒ガスが出てきたらしい。
そばにいたじーちゃんとばーちゃん二人が毒ガスをすっちゃって、ばーちゃんは
鼻がおかしくなって以後ずっとにおいがわからなくなったって。
場所は広島なので、大久野島(通称毒ガス島)から流れてきたんだろうとの話でした。
ちなみに今の大久野島は、野うさぎだらけです。
↑笑えないよママーン
522 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/09 07:08 ID:JuxjYh+U
友達のじいちゃんから聞いた話。
戦時中、学生だったじいちゃんたちに、学徒動員の召集が来るのも
秒読み段階。学業どころじゃなく、いつばらばらになるか分からない。
夏休みに入ったその日、とにかく学生寮のみんなで集まって青春の夏
の一夜を楽しもう!となった。これが最後の宴かもしれないし。
当然、酒などはないが、誰かが田舎から大量の冷麦を調達してきたところ。
しかし、ゆであがった冷麦を入れるガラスの大きな器がない。すると、他の
誰かがアルマイトの洗面器を持ってきた。それは、風呂にも下着の洗濯など
にも使ってる万能洗面器。
「汚くないか?」と、当然の疑問も出たが、冷麦は今にも茹で上がらんと
してる。「こういうときは打撃消毒だ!叩け!」と、一番人望の厚かった
優等生が言ったので、みんなでその洗面器をガンガン叩いて水を張り、水で
冷やした冷麦を投入、わっと食べ始めた。
その後全員が食あたりになったとのこと。とんだ別れの宴になっちゃったね。
ワロタ。
俺の友達のじいちゃんは子供のとき、空襲が来たので竹やりを空に向かって投げたら
飛んでいた戦闘機にあたって、近所の人に誉められた、とずっと自慢気に語っていたらしい。
>524
じいちゃんマサイ族?
戦時中の話じゃないけど
じいちゃんは薬剤軍曹だったんだが、特に笑えるエピソードは無いんで割愛
で、問題なのが戦時中中国戦線で従軍看護婦やってたばあちゃん
従軍看護婦ってのは、前線の殺伐とした雰囲気でスレる上
兵隊たちにちやほやされるもんで、大抵古兵や下士官、将校も恐れる鬼看護婦になる場合が多い(じいちゃん談)
親父が小学生の頃の話だが、ただでさえばあちゃんに頭が上がらないじいちゃんなのに
あろうことかコソーリやってた浮気がバレた
・・・ばあちゃんがブチ切れて、床の間に架けてあったじいちゃんの軍刀を抜き払い
「この前線も知らん軟弱軍曹風情がぁ!性根を叩き直してくれる!」とじいちゃんを追い掛け回した
じいちゃんは堪らず家を逃げ出し、親父がばあちゃんを必死でなだめた後探しに行った所
河原の橋の下でひざを抱え、子犬のように震えていたと
ばあちゃん怖い
ばあちゃん恐すぎだよばあちゃん
528 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/09 11:28 ID:R5BPim1a
ばあちゃん素敵!
>「この前線も知らん軟弱軍曹風情がぁ!性根を叩き直してくれる!」
古参の鬼下士官の発言としか思えないw
怖ヒ…
ソンナ女トハ、結婚シタクナヰナア。
>>532 こんなところうろついてないでいい加減成仏しなさいな。
8/6の原爆記念日までに鶴だけで1000目指すスレ で見かけました。
http://life5.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1091634895/140 140 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:04/08/09 13:23 ID:z64Gfluf
i
、 i!
i,`ヽ、 i |
i 丶、 ,i :|
i;::_,、-、`1_ | .:|
-'‐'"1i !、'i゛ヽ:;、__
ヽ:::|| | /' _,、‐'" '`‐、
ヽ|i!r'/ \
W'" ̄''‐-、_. \
`''‐-―一
おじさんが二人、二十歳前後で死んでいます。
一人の方は、8月15日の終戦を知らずに、
16日に敵に突っ込んで死んでしまいました。
その日のその時刻、家に残っていた家族全員が「ガッチャーン!!」
というガラスが割れるような大きな音を聞いたそうです。
しかし、どこのガラスも割れておらず・・。
そういうことって、多分あるんだよね…。
安らかにお休み下さい。
536 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/09 18:23 ID:wVMouVro
>>534 ((((゚д゚)))ガクガクブルブル
>>526 すげーわろた。
親父さん、幼いながらにGJですね。
当時の政治家だか学者だかで、ルーズベルト大統領を「ゆるふん」って評したのがいたそうな。
「ル−ズ」=ゆるい
「ベルト」=ふんどし
で、「ゆるふん」。
「敵の首魁はゆるふんです。ゆるふんなんかに負ける道理はございません」ってな感じ。
確かに「ゆるふん」には負けなかったけど、開戦前からこんなんじゃもう駄目ぽ
なんか、2ちゃんの伏字に通じるね>ゆるふん
今度使わせてもらおうと思ったけど、
ルーズベルトの話題なんてどこで出るだろうw
武双山とルーズベルトは同じあだ名なのか…
これは幾である。
近々ルーズベルトの話題は出るであろう、と予言しておこう
日本陸軍には軍用コンドームがあった
その名も「突撃一番」
もっとも当時のはゴムが厚く、感度が落ちるから兵隊には好かれてなかったようだけど
他にも遺族や出征軍人の奥さんのためのこけし(バイブ機能のないアレ)や
軍人向けのオナホール、電熱線入りダッチワイフもあった
突撃一番は戦後も出回ってたよーな気がする。
陸軍で何でそんなもの必要なわけ?
>>544 渡河作戦のときに浮き袋に使うんだよ。
つか、慰安婦関係で荒れるの期待してるなら無駄だぞ。
宿題やってから昆虫採集にでも行って来い。
遊郭で病気移されないように
コピペで笑える話でもありませんが ドゾ
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。
ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
数レス分私がやっときますね。
「イイ!(・∀・)」
「過去スレからのコピペかよ」
「結婚式に制服云々〜」
>>548 「現役海自ですが、そんなことありえません」
が抜けてる
「高砂の席って何?」
漏れからのレスです。
552 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/10 23:55 ID:imUQfY+u
>>551 新郎新婦の席でなかったか?
しかし、それでは
>高砂の席の一人が
って変だよな。
爺ちゃんに聞いた話。
山の方に住んでいたじいちゃんのお父さん(俺の曾爺ちゃん)、ある日米軍の飛行機?が落ちたのを目撃。
山火事にでもなったら大変だ。ちょっと見てくる。そう言って、曾爺ちゃんは鉈を片手に出かけた。
落ちたあたりに行ってみると、米兵さんが大怪我をしてうめいていた。
爺ちゃんはその米兵さんを家に連れて帰って出来る限りの手当をしてみたが、薬も何も無い。
看病したものの何日か苦しんだあと、とうとう亡くなってしまった。
近所の人に「首に縄付けて死ぬまで引きずってやれ」みたいな事言われたりもしたし、
亡くなった後も犬に喰わせてやれとかそんな感じでかなり批判されたようだけど、
「死んじまったらみんな仏さんだ。」と火葬して、簡単にだけど葬った。
戦争が終わって、占領軍(と、爺ちゃんは言った)がやってくるようになると、
米軍の偉い人が来る、どうもあんたを捜していると言う話を聞かされた。
何があるかわからないと言うんで曾爺ちゃんは爺ちゃんや曾婆ちゃんを山に隠して自分だけで働いていた。
ほどなくして偉い人が曾爺ちゃんの家にやってきた。プロレスラーのようなでっかい体した人だったらしい。
彼は「戦闘機が落ちただろう。それは何処だ。」と聞いてきた。
曾爺ちゃんが飛行機の場所を地図で示して、「乗ってた人は亡くなった。墓が山にある。」と告げると、
そのでっかい怖い人はすぐ連れて行ってくれと言い、「弟だ」とお墓を前にしてボロボロ泣いていたと。
捕まってなぶり殺しにされて捨てられてるくらいに思ってたらしく、
手当を受けてお墓まで建てて貰っていたと言う事に凄く感謝され、
その後曾爺ちゃんの住んでいた一帯は物凄く優遇されてたらしい。
なんでも山ほどくれるので食べるものに全然困らず、当時本当に助かったそうだ。
「甘いのが欲しいつったら、チョコレートが木の箱にいっぱい来たよ。」と、爺ちゃんは言う。
んでその曾爺ちゃんだが、米兵さんが残した時計を大事に持っていた。
「つい、もらっちまってもいいかと思ってよぅ。…返しそびれてさぁ。悪いことしちまったなぁ…。」
そんな事を、亡くなるまで言ってたらしい。今もうちの仏壇の中にある。
ええ話や
>>554 兄に時計かえしてやれよー、とも思ったが、兄にとってはどうでもいいことだろうな。
弟の死が惨めで悲惨なものでなかったことがわかっただけで十分だったろうな。
ひいじいちゃんGJだなぁ
しんみりした
感動
>>548 >「結婚式に制服云々〜」
自衛隊員の結婚式って制服で出席していなかったっけ?
たしかそれ用の礼服みたいなものがある。
警察官や消防士も同じ。
それ用って訳じゃくて、大抵の軍隊では礼装と軍装の違いはあるな。
自衛隊での正式名称は知らないけど。
漏れの同級生だった自衛官は、民間人の結婚式にはスーツか礼服で来る。
>>554 木箱一杯のチョコレート…宝の山に見えただろうな
えらい話だなあ。
当時近所の人にさからってそんなことするって
大変だと思うけど、
のどかな山だから、お咎めなく済んだのかなあ。
>>260 オヤジが終戦直後に、伯母の子が産まれたときに乳母車を
買いに行ったら、そのときも米一斗でしか売ってくれなかったそうです。
そのころの百姓の家にはいくらでもお米はありましたから困らなかったそうですが。
遅レススマソ
米兵が日本の子供達にチョコ配ってたのは、軍から支給された食料の中にあった
チョコレートが彼らにとってまずくて食べたくなかったからだという話を聞いた事がある。
それでも飢えていた子供達にとっては美味しかったんだろうなあ…
昔しばしば当たった変質したチョコの味…
あんな感じだったのかなあ。。げっそり、、
>>554 おおおお、なんか映画一本作れそうないい話だ・・・
来年のお盆に、日テレ辺りで二時間ドラマにしてもらおうぜ
その時はオムニバス形式で頼むよ。ジャングルで連合軍に連れ去られて
終戦まで野球やった話は是非とも入れてくれ。
つか前スレのログ消しちゃった・・・_| ̄|○
html化するまで待つか・・。
南方で激しい銃撃戦の最中、俺のじいちゃんはびびってウンコを漏らしたと言っていた。
で、銃撃戦のさなか、他の兵隊達に大笑いされたそうだ。銃撃戦が収まってから、
その話が色々な所に漏洩して「肥やし丸」とか言われたそうだ。「いやぁ、戦闘が収まって
から他の連中に笑われて、悲しかったなぁ。学校でウンコ漏らしてみんなに笑われる
って、気分と同じだなぁ・・・。」と、そのときの心境を静かに語ってくれた。じいちゃん、
俺は小学生の時ウンコ漏らしてみんなに笑われたけど、これは遺伝とかですか?
こないだ東北の海沿いの旅館に泊まったのね。本館からお風呂に続く
階段の脇に、古びた石の滑り台があったの。幅30センチくらい、長さは
7メートルくらい。改築したばっかりみたいな新しい建物なのに、滑る
ところはつるつるでした。
不思議に思って旅館の人に聞いてみたら「亡くなった先々代が、東京から
疎開に来ていた子供たちを慰めるために作ったんですよ」だって。
疎開してた人たちは、今も懐かしんで泊まりに来るんだそうです。
>>572 きっと優しい人だったんだろうな・・・。
実験中、誘導弾のくせして何に反応したのか
女風呂に突っ込んだえろ爆弾はガイシュツ?
>>575 戦時中、帝国陸軍は飛行機から発射する無線誘導のミサイルを
開発しようとした。
で、試作品ができたので何をトチ狂ったか真鶴岬の三ツ石を目標に
試射してみた。
ところが、ミサイルは制御不能になり、大きく曲がって熱海の温泉旅館の
女風呂を直撃。ちょうど入浴中の女中さんたちが裸で逃げまどうという
騒ぎになり、「エロ爆弾」と呼ばれるようになった。
という話のことを言っているのだと思う。
頑張って読んでみると、新兵器の誘導弾実験中に標的では無く女風呂に
爆弾がつっこんだらしい。風呂場の熱に誘導されたと勝手に解釈するが、
それを当時の人たちは
ハ ( .', | l::|二二l | ハ 好 .|
( /ィ h , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ | ハ 色 │
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ', l.l ,' r──―‐tl. | ハ 爆 │
 ̄ ', fllJ. { r' ー-、ノ ,r‐l | ! 弾 │
ヾ ル'ノ |ll ,-l l ´~~ ‐ l~`ト, l め |
〉vw'レハノ llll ヽl l ', ,_ ! ,'ノ ヽ ____/
l_,,, =====、_ !lll ハ. l r'"__゙,,`l| )ノ
とでも言ったんだろう。
うちのじいちゃんは背も小さく、華奢だった。いい年ぶっこいてもまるで少年のような童顔でもあった。
小さいあまりに徴兵検査ではねられ、戦争にはいかずじまいになってしまった。
終戦後、隣町に駐屯してた米軍の手伝いをしてたんだけど、
仕事が終って家に帰ろうとすると、いつも決まった米兵に呼び止められた。
仕事でもらうお給金とは別に、大量のお菓子や缶詰、色んな食料をくれたそうだ。
米兵が本土に上陸したら、女は皆犯されて男は皆去勢される、と信じていたじいちゃんは
米兵の親切さにとても驚いたそうだ。
で、ある日その米兵がいつものようにじいちゃんを呼び止めて、
車の運転はできるか?と聞いてきた。
できない、と答えると、「そうか、せっかく戦車あげようと思ったのに……。」と
ひどく落胆したそうだ。
戦車ってくれていいもんなのか?
じいちゃんは80歳になるまで懐かしく振り返って、あの米兵はとってもいい人だった、と
言っていた。
このスレでアナルファック弾カキコを読んで、なんであの米兵がじいちゃんだけに
とても親切にしてくれたのか、分かった気がする。
じいちゃんは一人のアメリカ男の純情を弄んだんだな……。
戦車あげるワロタ
…車の運転出来ても戦車は運転出来ねーよな。
アメリカ兵、じいちゃんに惚れてたの。。
じいちゃんの画像見てみたい。
できないの?
戦車のアクセルとかどうなってるんだろう。
ロボみたいにレバーを下げると発進?
>>582 普通にアクセルとブレーキとクラッチとシフトレバーがあると聞いた気がする。
最近のはオートマになったらしいけど。
ハンドルはないから方向転換は左右の速度調整でなんとか。
ただ、上から顔出してる人と運転してる人は別の人なので、
普通の車でも窓全部鉄板でふさがれて覗き穴から運転できる人じゃないと難しいと思う。
普通にアクセルペダルがあって、ブレーキがあったと思う。
左右の旋回はクラッチで操作だっけ?教えてエロい人。
第二次大戦のドイツの重戦車ティーガーはハンドル(パワーステアリングなんですよ)操作
でしたが、他はどうなんだろうなー。
ジャズドラマーだったジョージ川口も進駐軍の前で演奏して
高級将校に気に入られたらしい。
将校「お前に何でも欲しいものをやるぞ」
川口「戦闘機がほしい」
将校「OK」と即答されたらしいが、家に持って帰れないので
諦めたらしい。
>583
ジブリの宮崎監督が昔「戦車の運転ってどんな気持ちだろ?」と
全部の窓ガラスが曇った愛車シトロエン2CVの運転席前に
指で一本の線を引いて、そのわずかな透明部分から
外を見ながらゆっくりと運転してたら職務質問されたらしい。
戦車やら戦闘機の扱いがあまりに軽々しくてワロタ。
簡単にプレゼントするなよう。
>>578 多分その米兵は、あの戦争を「勝ったら戦車が貰えるゲーム」だと思ってたんだろうな。
このスレいいね。
戦争中という極限状況でも、頑張って普通に、人間らしく生きようとする雰囲気が伝わってくる。
勿論戦争は悲惨なものだけど、こういう話も紹介していった方が子供にもリアリティを伝えやすいと思うなあ。
>587
魔女の宅急便を作った時は街で女子学生のスカートのはためきを子細に観察したとどこかで読んだ記憶がある。
やっぱ、凄いモノ作る人は常人には躊躇われるような経験を積んでいるんだな。
どっちも一歩間違えば犯罪だが(藁
うちのじいちゃんは、軍刀持って突撃してるとき、立木か何かに軍刀を引っかけて
しまい軍刀を折ってしまった。ただ折れただけなら良かったが、折れた方が運悪く
自分に飛んできて、左腕を20針も縫う大けがをしたそうだ。当たって、その辺で
痛くてのたうち回ってる間に戦闘は収束して、死ぬのは免れた。でも、その後
みんなからは、いい笑いのネタにされるわ、上官からは「陛下から頂いた軍刀云々・・」
と言われ大変だったらしい。今でも、その生々しい名誉の負傷?の後が残っている。
軍刀って致命的な欠陥があるって聞いた事あるんだけど。本当かな
軍刀なんてただの飾りですよ。偉い人にはそれがわからんのですよ!!
マッカーサーは進駐軍の個人的な復讐や残虐行為をさせないために
占領軍の先発隊は日本軍と戦った兵士は除外して、
戦闘経験皆無の若い新兵などを多めに派遣したと聞いたことがあったが、
だとしたら
>>578の米兵はそのクチだったんだろうか…?
>593
軍刀っていうか明治時代以降に量産された刀は西洋伝来の近代的製鉄法で
量産された鉄を材料にしているので性能が低いという話なら聞いた。
砂鉄を使った日本古来の製鉄法で刀鍛冶が鍛えた刀とは別物だそうだ。
「陛下から頂いた軍刀云々・・」 って…軍刀って自分で誂えるもんじゃないの?
>597
基本的に支給されるんだけど、もし自前の刀を持ってるんなら
それを使っても良かったらしい。
で、士官ともなると家柄が良い人が多かったもんだから先祖伝来の
名刀なんかを携えてたんだそうだ。
戦地では軍刀はすぐ壊れて使いものにならなかった、とか
そういう話を聞いた覚えがあるけど武器の事はワカンネ
578だが、もうじいちゃんは他界してて詳しい話を聞き出す事は出来ないんだけど、
じいちゃんの話によると、その隣町の米兵はみんな親切だったそうだ。
仕事が途中でも、時間がくれば「帰っていいよ〜」と言われたそうな。
あとちょっとだから片付ける、と言うと、
「日本人はなんて真面目なんだ!すごい!」と心の底から感心してたそうな。
あと、平気で銃を逆さにして顎のっけて居眠りしてる米兵を見て、
「これが日本軍だったら、陛下から頂いたものに何さらすかゴルァ!」って殴られるのに!と
それにもじいちゃんは驚いたそうだ。
言っとくがじいちゃんは童顔で小柄なだけで、ちっともいい男じゃない。
切れ長な目はカコイイかもしれないが、唇ぼってりだったし、およそ色男じゃない。
ただ、異様に若く幼く見えるので、例の米兵は
じいちゃんが4人の子持ちのおっさんだったとは思ってなかったのかもしれない。
例の米兵がどんな人だったか詳しく聞いてないんだけど、そう若くも無いと
じいちゃんは言ってた。
ほのぼの米兵
ウホッじゃなくて、「故郷の弟に似ている」とかだったのかもね。
ウホッ
>>602 あー、それあるかもな。
息子とか兄弟と似てたとか。
日本人には白人の子どもが天使みたいに見えるけど
白人は白人の子どもよりアジアの子どもの方が可愛く見えるらしいし、
普通に「あー、可愛いなあ」だったかも。
まあ、ウホッじゃなくて良かったな。
606 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/16 12:31 ID:RYpviEkF
>それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
大和に乗っていたのは本当かもしれないが、↑は大うそ。
607 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/16 12:44 ID:8nPxPiVs
だからその話はもうやめろと
>605
北ヨーロッパ人の知り合いが「東洋人の赤ちゃんは可愛い」
って言うから理由を聞いたら
「ちゃんと髪の毛があるように見えるから。
白人の子供は髪の色が薄すぎて禿げてるように見える。」
と言われたのを思い出した。
>>597 >>598 下士官は一応、官給品の軍刀が支給される(つまり陛下から戴いた大切な兵器)
でも私物の刀を持っている場合は、それを使っても構わない
将校の軍刀の場合は完全に自腹の私物品
ちょっとこだわる人はいい刀を軍刀に仕立てたり
刀に興味が無い人は、マスプロの量産刀を持っていったり
半端に知識がある人は、名前が良かったり先祖伝来というだけで、刀身のチェックをせず
到底実用に耐えないような欠陥刀を戦場で使って折ってしまい
「日本刀は斬れない」「簡単に折れる」と吹聴した人もいる
で、今日前述の戦艦扶桑乗り組だったカメラクラブのじいさんから
例会で話を聞いたが、その中で出た話題を一つ
当時日本海軍では、士官の間で使われる「隠語」があった
例を挙げると
KA(ケーエー)=妻 かかあの頭文字より
BU(ビーユー)=ブス
BA(ビーエー)=ババア
ヘル=スケベ
ヘルピク=エロ写真
スプリング=春画
R(アール)=淋病
モーニングスタン=朝勃ち
ラ=ペニス
マリる=結婚する
マウス=フェラ
・・・もうアホかと(ry
軍は英語使っちゃってよかったの?
>611
適性語狩りは民間が熱心にやってたことで、特に海軍なんかはまったくお付き合いしなかった。
>>612 なんてこった一つ賢くなったよ、ありがもう。
取りあえず、フィリッピンの穴蔵の中で寝ていた。気づいたら誰もいなくなっていた。
仕方なくその周辺で、一週間くらい煮炊きして生活していた。そしたら、米兵がやってきて
、「コウフクシテクダサイ、ギュウニクモヤサイモアルヨ」と、言われあっさり降伏したと言っていた。で、トラックに乗ってる途中、うまく釣られた自分を悔やんだらしいが、収容所?に
着いたら、本当にどでかい靴みたいなギュウニクと、サラダを食べさせてもらったらしい。
それから、ビール、本、取りあえず何でもくれたそうだ。「これからは、欧米生活だな」と
思ったそうだ。「取りあえず、食い物見たら天皇だの愛国だのはどうでも良くなったww」
と、大笑いしてた。
人間飢えさえしなければ
逆しまな政治でもある程度目をつぶるもんだと習ったことはあるが
正にその通りだな。
マッカーサーは日本を占領したとき「食料を、でなければもっと軍隊を。」って
アメリカに打電したって話だし。
飢えないってのは重要だ。
ペリーも、「カイコクシテクダサイヨー、ギュウニクモヤサイモアルヨ」って言ったのかな
むしろペリーの時代は捕鯨とかするときに補給基地にしたくて
開国をせまったんじゃなかったっけ?
メリケンの捕鯨は油と髭だけが目的で喰わないからなぁ…
勿体無い。美味しいのにね、たった揚げ
それをいうなら竜田(たつた)揚げ。
なんつうかその・・・まあ良いや
そうだな、まぁいいや。
325 名前:名無し三等兵[] 投稿日:02/09/24 20:39 ID:GAisAQsM
昭和17年、クリスマス島に艦砲射撃を加えた戦艦「榛名」。
だが、艦砲による陸上射撃をやったことがなく、
まずは主砲、副砲のどちらで砲撃するかも、ひと悶着。
さて、副砲でいこうということになり、
数発を発射した時点で、白旗を掲げた高速艇が。
そうなると艦砲射撃も続けられず、
島に上陸して占領するだけの兵員も、陸戦兵器もない。
結果、「榛名」の取った行動は”避退”、要するに始末に困って逃げた。
626 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/19 22:44 ID:Bb6mNNna
結構歴史が学べるスレって聞いてたんだけど
作り話ばっかりなんて辛いなあ。。。
627 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/19 22:47 ID:LCS//sTN
日本軍の攻撃で、イギリスは1週間、オランダは1日で降伏した
>>625 出来たばっかのまとめサイトからコピペかよ!
>>626 そうだね。来なくていいよ。
( ´Д`)p カエレ!!
私の祖父は背が小さかったので
海外派兵?はされなかったと聞きました
地元で地味に兵隊さんをやっていたらしい
兵隊さんですらなかったのかな...
よくわからないけど
ちょっと笑いました
でも母の兄弟達も私も兄も背が高いです
祖父の遺伝子っていったい...
日本のIWC(国 際捕鯨委員会)脱退及び捕鯨大国への
復活を討論するスレはここですか?
どこ読んでんだ?
>>630 うちの祖父は背が小さかったけど
砲兵隊に配属されてビルマに出征したぞ。
>>634 そうなんですか
身体はすごく丈夫なんですけどね
頭が悪かったからかな
それはそれで笑えるけど...
>>634 でもうちの祖父もうちの家系の中で一人だけ小さい
(曽祖父180代後半、母163、自分187、弟183、叔父178、祖父158)
でも体力だけは抜群で自慢は「腕立てと懸垂なら一日中続けられること」だったよ。
前にシベリアに日本人抑留者の遺骨収集の手伝いに行ったことがあるんだが、
掘り出した遺骨を並べてみたら推定190cmになっちゃったことがあって、
抑留経験者の元帝国陸軍軍人の爺様に、「そんな日本の兵隊さんがいるわけないよ」って言われて
ガクガクブルブル。
ドイツ軍人の遺骨が混ざっていた、ということはないのだろうか?
シベリアへは、日本兵だけでなくドイツ兵も抑留されていたようですが。
>>638 帝国軍人とドイツ軍人を同じところで抑留、というケースは聞いたことないですね。
他のところで「掘ったら子供の骨が出ちゃってさぁ」ということがあったとかなかったとか
聞いたおぼえもあるので、たぶんロシア人の墓(ry
ここは良く出来てるホラばっかりで
面白いね (^^))((^^)v
あげまする
642 :
おさかなくわえた名無しさん:04/08/22 23:55 ID:IaJP6bFY
村上信夫氏がシベリアに抑留されていた頃。
1回の食事が小さいジャガイモ3個だけだったんだと。
それで氷点下40℃のシベリアで重労働させられる。
これじゃ体がもたないと、死を賭してロシア兵の所に直談判に行ってみた。
で、そのロシア兵たちが食べていたのもジャガイモ3個だったらしい。
のちにデンプンが配給された際にはそのデンプンで団子を作り、
それがまた好評だったらしい。
米軍からかっぱらった物資の中にうどん粉らしき物があって
それで団子を作ってみたらやたら泡が出る
でも気にせず食い終わってから英語の読める士官のところに持っていったところ
うどん粉ではなく、「粉石鹸」だった
それは無理だろう……
>>643 要するに、固形石鹸を作って食べたのか。
昔の100%天然動物性油脂石鹸ならねずみに齧られたと
いう話を聞いた事があるよ。
うちの家、猫飼ってないときねずみ出たけど
石鹸かじられたよ。
牛○石鹸もかじられてたけど、
ハーブ入りの石鹸が大人気。
違いの分る奴らでした。
ていうか俺の家でも現在進行形で石鹸は種類問わずねずみにかじられてる。
カップめんをお湯以外で食べる某有名HPでも石鹸でカップめんを食べたアホがいたぞ。
>648
石鹸で食ったのは管理人本人。
あと、彼に「アホ」というのは最大級の賛辞だ。
ひさしぶりに覗いてみたら復活してるし!
651 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/25 17:03 ID:X0Bgwosn
あげ
652 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/27 01:49 ID:m983h1Hn
戦後の話だが、作家の光瀬龍氏の体験談。
当時大学生だった氏は、横浜で進駐軍のpx(購買部)で清掃のバイトをしていた。
ある日出勤すると、詰所の伝言板に「本日午後一時、豊道夫人来店」とあった。
その伝言板は、主に進駐軍のエライ人が来る時に使われるもの(その場合、念入りに掃除する。
日本人が来ることにはまず無いし、そもそも豊道なんて人は知らない。
結局、悪戯だろうという結論に落ち着き、いつも通りいい加減に掃除することにした。
---果たして午後一時、「豊道夫人」はやってきた。
その正体はGHQ最高司令官リッヂウェイ将軍夫人だった。
(注:リッヂウェイはマッカーサーの後釜、任期は1951年4月〜1952年4月)
当時の日本人にとって外国人の名はあまりにも覚えにくかった。
そこで、適当な漢字を当てるという習慣があった。
「豊道」は間抜けな誰かがそのまま書いたものだろう。
氏は大目玉を喰らい、日給は半額とされたそうな。
なお、リッヂウェイはRidgwayであってRichwayではないが、これはご愛嬌であろう
現在でも台湾球界では親しみをこめる為なのか、公式リーグでは漢字しか
登録できない決まりなのかは知らないが、外国人選手は漢字で登録されてるね。
元ダイエーのトラックスラーは『威力強』。(現在はたぶん在籍していないと思います)
654 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/27 03:03 ID:5rOGkpJc
俺のじい様は南洋庁に勤めていた、いわばエリートみたいなもんだったらしく
オーストラリアの真上あたりの島に第一陣でついていったらしい
しかし、すぐに攻撃にあい退散しようと本艦へ行くボートに乗りこんだら、じい様一人しかたまたま乗らず漂流
バカみたいな話だが大パニック状態でじい様は忘れられ、運よくオーストラリアまで流れついた
英語が話せた為に、華僑のフリをしそのままぐだぐだしながら滞在→オーストラリア人と結婚→父誕生
戦後、純日本人の母と結婚しクウォーターの俺が産まれた笑
>>653 ひらがなとかカタカナに該当する文字が無いからでは?
>>654 映画つくれそうだw
運良くオーストラリアまで流れつかなければ
アナタはこうして存在してなかったと....
スケールが凄いな
>>654 そんな人生送ってみたい…とは思わないけどカッコいい。
>>658なんて
生まれてこなければよかったのに...
水を差すやつは昔からバカと相場は決まってら
>>654 かっこよすぎる・・・・・・
それに自分オーストラリア大好きなんだ!
じいちゃんGJ!
∩___∩ |
| ノ _, ,_ ヽ |
/ ● ● | |
| ( _●_) ミ 658
彡、 |∪| ノ −3
⊂⌒ヽ / ヽノ ヽ /⌒つ
\ ヽ / ヽ /
\_,,ノ |、_ノ
このスレは多少脚色されていても最低限事実に
基づいた話を語るんじゃないの?
654みたいなフィクションやそれ読んで
はしゃいでる馬鹿ども見てると引いちゃうな
∩___∩ |
| ノ _, ,_ ヽ |
/ ● ● | |
| ( _●_) ミ 664
彡、 |∪| ノ =3
⊂⌒ヽ / ヽノ ヽ /⌒つ
\ ヽ / ヽ /
\_,,ノ |、_ノ
>>654がフィクションかどうかは知らねぇが…、
お前は
>>664はほんとに野暮なヤツだよ。
>>664 おまいは一生映画もマンガもドラマも小説も見るな。
それはそれは美しい家族の神話だべ。
それ以上でもそれ以下でもない。
うちのじい様は台風で吹き飛ぶほど小柄だったが、
戦争の話はついぞ聞くことが無く亡くなってしまったよ。
台風で吹き飛んだのか?
それだけでも凄いな。
669 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/28 16:50 ID:2EO+hVZ7
>>654 >南洋庁
第一次世界大戦で日本海軍が占領した旧ドイツ領南洋群島を,
ヴェルサイユ条約に基づき日本を受任国とする委任統治領として統治するために設置された行政機構。
行政区域は,パラオ・ヤップ・サイパン・トラック・ポナペおよびヤルートの6区域に分けられ,
それぞれの行政区域に支庁が設置された。
(
ttp://www.tabiken.com/history/doc/N/N317C100.HTMより抜粋)
占領地域は軍政だから南洋庁はお門違い。
>オーストラリアの真上あたりの島に第一陣でついていったらしい
普通上陸作戦には足手まといとしかならない文官は連れて行かない。
>すぐに攻撃にあい退散しようと
敵の攻撃中にそんなことしたら余計被害が拡大する。
そもそも軍事作戦とは敵の反撃と味方の損害を織り込んだ上で計画するもの。
>運よくオーストラリアまで流れついた
そもそも「オーストラリアの真上あたりの島」がどこだかわからんけど、一回地図見たら?
最もオーストラリア大陸に近いニューギニア島は南部には侵攻出来なかったし、
インドネシアからオーストラリア大陸は近くても数百キロはある。
>じい様一人しかたまたま乗らず漂流
普通上陸用舟艇に十分な食糧と水を積んだりはしない。
歴史の授業を睡眠時間に充ててた人が多いみたいだけど、嘘を嘘と(ry
会社のおじいちゃんから聞いた話だが、捕虜になるときには
鉄砲に入った菊のご紋をヤスリで削ったそうだ。
天皇を汚されてはなるまいとのことだったらしい。
>>669 うそでもほんとでも素直に楽しむことができるならそれでいいんじゃない?
何が楽しくて人の揚げ足を取るようなことするのかわからんけど、
荒れる原因になるからどっかいってくれ。
民話として楽しむのだ とっつぱれっこ
>>669 無粋な軍ヲタは( ´Д`)p カエレ!!
まあまあ。
笑える話じゃないけど、京都のナントカって庭園に行ったときに
資料として寺に寝泊りしてた外国人捕虜(アメリカじゃなかった。どこだっけな?)と
日本の民間人の集合写真があった。
あと捕虜手作りの楽器の数々。
捕虜が木と道具もらって楽器作って、演奏会とかしてくれたんだって。
何しに来てるんだかさっぱり分からんけど、まったりしてて良いね。
675 :
667:04/08/28 20:15 ID:rwVcB1RM
>674
東福寺のロシア人捕虜?テレビで見たような気がする。
>668
さすがに小さい頃の話らしいですけども。
676 :
669:04/08/28 20:21 ID:2EO+hVZ7
>>676 どっちにしろ軍ヲタのキモいトリビア自慢は板違いです。帰れ。
678 :
669:04/08/28 20:32 ID:2EO+hVZ7
>>674 演奏会といえば、年末恒例の第九を日本で最初に演奏したのは
徳島の収容所に居たドイツ兵なんだってね。(※一次大戦中)
太平洋戦争中でも当時の雰囲気が残ってたのかな。
>>677 トリビアと常識の区別くらいつかないかな?
>>どっちにしろ、とか言って逃げを打つ人間に期待するほうが無理か。
常識の意味も知らないとは・・・
とりあえず669はつまらんから消えろ
681 :
669:04/08/28 20:47 ID:2EO+hVZ7
>>679 「常識」とは普通の社会人が持ってる「知識」と「判断力」の総称な。
東南アジアから碌な準備も無い小舟でオーストラリアに漂着できるのが貴方の常識?
>>680 一度我が身を振り返ることをお勧めする。
世の中って不公平だね。明らかにルールを破ったり常識に反した行動をしても
誰にも咎められずにむしろ褒め称えられる人もいれば、
間違ったことを何一つしてないのに、周囲の人間から白い目で見られて蔑まれる人もいるもんね。
常識的に考えれば、
>>654はネタなのかも知れないが…
どうも
>>669の嫌味ったらしい態度のせいで、素直に賛同する気になれない。
しかしまあネタだったとして、どうして
>>654はこんな話をつくったんだ?
>>669の"知識"も、我々にしてみたら創作かどうかの判断がつけられないよ。
文官を連れて行かなければならない様な、特別な理由があったのかもしれないし、
それに伴って、通常とは違うカタチで作戦行動が練られたのかもしれない。
流れ着いたのはオーストラリア"大陸"だったか?
>>654ではオーストラリアとしか述べられていない。
じぃ様が勝手にオーストラリアと考えていただけで、オーストラリア領の島だったの
かもね。
実際の状況を全く知らずに、よくその様なことをつらつらと書き下せるものだw
「本当の事に勝る一つの綺麗な嘘を」
669は無粋な奴だ。
人間的に優れているってのは知識が必要不可欠だが、知識があるからといって…
という事を669が教えてくれたな。
>>669 はいはいオタの知識自慢はわかったからさっさと空気を呼んで
回線切って首吊って死んでね。
687 :
669:04/08/28 23:45 ID:2EO+hVZ7
下らない嘘を崇めるのが「粋」なのであれば、不粋で野暮の方が良い。
正直
>>654自体はどうでもいいんだが、
>>654があまり賛美されると、
また作り話をでっち上げる人が出てきそうなのが嫌だ。
いい加減な作り話が良いなら、創作文芸板に適当なスレがあるんじゃないか?
>>683 嫌味なのは御互い様でないか?
>>683以外も含めて。
>>684 >
>>669の"知識"も、我々にしてみたら創作かどうかの判断がつけられないよ。
だからわざわざ適当なサイトのurlを貼ってる訳で。
>文官を連れて行かなければならない様な、特別な理由
例えば「財務省の役人が、職務として火災現場に突入する」くらいにありえない話。
>流れ着いたのはオーストラリア"大陸"だったか?
大陸でも島でもいいから、一回地図見なさいって。
>>685 そのまま幻想の世界で一生を終えてください。
>>686 たまには自分の言葉で話してもいいんだよ?
ウザー
>下らない嘘を崇めるのが「粋」なのであれば、不粋で野暮の方が良い。
だからどうしてその行為が、他人に対する「自分の価値観の押し付けである」と気づけないんだろうかね。
馬鹿はどこまで行っても馬鹿だなぁ。
真実を押し付ける「自称」啓蒙活動はリアルの世界でやってくれよ。
名前もなにも隠して、日頃溜め込んだ知識の見せ付け合いなんてくだらない人間のやる事だ。
でもま、そうは思えない人なんだろうな。
ちょっと可哀想だ。
色んな人がいるねぇ…
>>嫌味なのは御互い様でないか?
>>683以外も含めて
なぜ君が集中攻撃されてると思う?
みんなやめとけ。鼻息荒くするのもいいけどスレが荒れてしまう。
勝利宣言させとけ。
俺は
>>669のやってることは間違ってないと思うけどな……
>>669 >>嫌味なのは御互い様でないか?
>>683以外も含めて
嫌味な発言にいちいち厨返ししないでもよろしい。わかってる人はちゃんとわかってるから、これからもあからさまな嘘話があったときは指摘してくれ。
何だか作り話だかフィクションだか荒れてるけど
俺の爺様から聞いた戦時中の話を書きます。
俺の爺様は自前の日本刀を戦争に持って行ってた
んだけどその刀でガダルカナルで米兵千人斬りを
やってのけた後、泳いでサイパンに行き日本本土
空襲に向け飛び立った直後のB29をハイジャックし
刀で機長を脅して米国本土へ向かわせ、ワシントン
に空襲を仕掛けた後、泳いで日本に帰って来た
くらいしかエピソードが無い平凡な爺様です。
695 :
669:04/08/29 00:12 ID:jOKrkdMg
>>690 >「自分の価値観の押し付けである」
「祖父・祖母・両親・知り合いのお年寄りなどから聞いた
笑える話を聞かせてください。 」
というスレに「でっち上げた話を書くな」というのは私個人の特殊な価値観なのか?
>日頃溜め込んだ知識の見せ付け合い
これはちょっと過大評価入ってると思うが、
「
>>654は嘘である」とだけ言って何ら具体的なことを言わない方が無責任だろう。
私が言いたいのは、ここは「あなたが聞いた戦時中の笑える話」のスレであって、
「あなたが考えた戦時中っぽい笑える話」は他所でやってくれということ。
>>694 あんまり活躍しなかった爺様だったんだね。
でも、人間平凡が一番だと思ふよ。
697 :
669:04/08/29 00:18 ID:jOKrkdMg
言いたいことは
>>695までで書いたから、
669での書き込みはこれで最後にして名無しさんに戻ります。
それと
>>693 ありがとう。
ではID:jOKrkdMgをNGワードに指定します。
>>697 コテハンになってくれよ。
フィルタで消すからさ。
何この荒れ具合
空気の読めないand空気を壊す指摘厨は帰れ
jOKrkdMgさんって素敵!
常識のない奴らの暴言をものともせず自分の主張を貫いたjOKrkdMgさんの姿に惚れました!!
どうか、僕と結婚して下さい!!!
>>697 このスレは史実を語るスレじゃないんだよ。
「あなたが聞いた戦時中の笑える話」というスレタイなんだから
実際に戦争を経験した爺さんや婆さんからの体験談や伝聞が主。
だとしたら、何十年も前の出来事を人間が語るわけだから
そこに事実とは違う話が入ってても不思議ではない。
でも、スレの趣旨からしてそれでもいいからマターリと笑えれば良いのだよ。
ここは矛盾を突付いて大騒ぎするスレではないということを理解しろ。
>>693 指摘なんぞいらない。
>>654へのマンセーレスがつくのに間があったろ?
マンセー、指摘する以外の反応もある事に何故気付かない?
昔を知れるスレだったので勉強のために読んでたけど
個人的には嘘話だと証明できるならちゃんと指摘されたほうがいいなー
何でも信じちゃうタイプなのでどんどん歴史認識が変わっちゃう
嘘だとわかってもそれはそれで楽しいですし
>>704 本当の話かどうかなんて結局のところ
語っている本人以外誰にもわからない。
追跡調査でもしない限りはね。
平時ではあり得ないことも起こっただろうし、
記憶の改竄もあったかもしれないし、
伏せておきたいこともあるがゆえの
作り話もあったりするだろうし。
スレタイからして「聞いた話」なんだから
虚実ないまぜ(その割合すら定かではない)の
現代の民話と思って読んでるけどね。
>>704 歴史認識どんどん変わって結構、
疑問に感じたら自分で調べ、考えればいい。
人任せにしないように。
>>705-706がとてもいい事を言った(゚∀゚)人(゚∀゚)
次からテンプレに
・あくまで「聞いた話」です。無粋なツッコミ不要です。
・軍ヲタさんの知識披露は専門の板で宜しくお願いします。
・不快なレスは専用ブラウザのフィルタ機能などを活用しましょう。
入れましょうか。
自分はROM専ですがこのスレ好きです。
作り話だろうが楽しければいいのにさぁ……。
うちのじいちゃんの話。
うちには江戸時代あたりにお偉いさんからもらったかぶとと槍がある。
でも、戦時中に金属あつめるぞ〜ってことで槍の先とか金属類は没収。
いまでも槍は家にあるけど、じいちゃんは「何でも鑑定段に出せない!」と悔しがっている。
あ、戦時中じゃないか。でも戦争関連だから堪忍して;
709 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 17:12 ID:sVeOLfbw
全くだ。次スレは
>>707をちゃんと入れて欲しい。
で、この前祖母の葬式で、母方の叔母の旦那の姉の旦那から聞いた、
母方の叔母の旦那の姉の旦那の父の話。
(ややこしいので以下「爺さん」と表記します)
爺さんは三鷹って軍艦に乗ってて、それが夜中に潜水艦に沈められた。
相手が潜水艦だから撃たれるまで皆気付かなくて、
不寝番をしてた爺さんとその他数人は慌ててボート降ろして脱出したそうな。
急いで沈みかけてる船から離れたが(後で戻って生存者を拾うつもりだったそうだが)、
火薬庫に火が回ったらしく、爆発してしまった。結局生存者は爺さんを含めた数人のみ。
手ぶらで脱出したもんだから何のしようもなくて、
夜が明けるまでそのまま浮かんでたらしい。途方に暮れてると、遠くに船影が見える。
皆で精一杯手を振ってると、気付いたらしくこっちに寄ってくる。
助かった、と思ったものの、近くで見ると星条旗を掲げてる。
ボートの傍まで来ると、その船(多分輸送船らしい)から船員が「降伏するなら助けてやるぞ」と言う。
爺さんたちは軍人の意地で降伏なんぞもってのほか、ということで、
英語の話せる人が「我々は大日本帝(ry!降伏よりは死を選ぶ!」と大見得を切った。
すると船員は引っ込んだが、しばらくすると再び現れて、
真水と食料と海図をコンパスを投げてくれた。で、一言「Good Luck!」。
(後に爺さん曰く「あれが軍艦だったらその場で殺されてただろうな」とのこと)
710 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 17:12 ID:sVeOLfbw
続き
九死に一生の爺さん一行、海図を頼りに最も近い基地を目指すことにした。
その航海も相当苦労して(途中で一人亡くなったらしい)、
全滅を覚悟した頃に基地に辿り着いた。が、米兵がわらわら寄ってきて、「Hold Up!」
場所を間違えたか!?と臍を噛んだが、
体力気力が限界に達してた爺さんたちは軍人の意地とかどうでも良くなったらしく、
おとなしく捕虜収容所に連れてかれた。
収容所で先輩捕虜から聞いた話によると、航海中にその基地は米軍に占領されたとのこと。
別に地図を読み違えたわけで、爺さんはこれも天命と思ったらしい。
そのまま終戦まで収容所ライフを満喫したそうな。
ただ、飯は日本軍より格段に上等だったため、帰宅する頃には爺さん相当太ってしまった。
帰宅すると、別人のように太ったのと戦死通知が来ていたため、
家の敷居を跨ぐのに一週間かかったらしい。
>>709 場をなごませてくれてありがとう。
君の想像力には頭が下がるよ。
・あくまで「聞いた話」です。無粋なツッコミ不要です。
・軍ヲタさんの知識披露は専門の板で宜しくお願いします。
・不快なレスは専用ブラウザのフィルタ機能などを活用しましょう。
713 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 18:36 ID:sVeOLfbw
>>711 また昨日のキモイ軍ヲタかよ。
もう十分ヲタの知識自慢はわかったからさ、
さっさと空気を呼んで回線切って首吊って死ねって言ったろ。
何でまだ生きてんだよ。
>>705-707を百回読み直せ。
そうすればどんなチキンヘッドでもこのスレの趣旨が理解できるだろ。
そして十分に理解できたら今度こそ死ね。
と言うかこの世のありとあらゆる軍ヲタは死ね。
まぁあれだ。
史実がどうとか言いたいならそれ相応の場所で語ってくれ。
ここは生活板なんだから一般人向けとでも思ってのほほ〜んと見とけよ。
戦時中の事を学びたくて見てるんじゃなくて、楽しく聞きたいからここを見るんだから。
伝聞だからこそ楽しめるモノだってあるだろ?
>>713 669は地獄の業火に焼かれるべきだけど
ありとあらゆる軍ヲタ死ねってのはどうかと・・・
削除依頼出てるよ
717 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 19:32 ID:3uy2rIKs
その神経がわからん!スレから来ました。、
えーと、ここまで読みました。
>>669 お前氏んでくれないかな。話はそれからだ。
じゃ、さよなら。
>>709 すげー面白かった。
たった2レスで繰り返しはらはらさせられたぞ。
一週間も疑う家族はすごいよ。てか、爺ちゃん太りすぎ!
>709
別人のように太った爺さんが元の状態に戻るのにきっと一週間かかったんだよw
でも残された家族としては「こっちが苦労してた時にオマエなにやっとんねん」て感じだったろうな。
爺さんだって苦労したんだけどね。
しかし話題を提供しにくいスレになっちゃったなあ。
あと2日で夏休みも終わりだし、元の雰囲気に戻るかなあ。
720 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 20:50 ID:we7S/CRF
悪貨は良貨を駆逐する・・・か
とりあえず
>>669さんGJだ。
史実を書いているのはあなただけだ。
まともな奴はここには何十人に一人、いやもっと少ないかな。
そういう場所だから、便所のハエのようにバカがわらわら
湧いてくるのは仕方ない。
事実よりも、嘘でも創作でも何でもありの世界だから、
バカに説いても疲れるだけだよ。
俺は
>>669を指示する数少ない一人だ。
まあ、そういう奴もいるってことで。
722 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 20:57 ID:bINhvApW
ワシが禿げているのは
戦争中にヘルメットかぶって蒸れたからだ
って言い訳してる
723 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 20:58 ID:exOPOhAW
724 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 21:02 ID:dc5sVn2m
俺も読ませてもらったが
>>669支持派
正確な歴史認識と圧倒的情報量の前に何も反論できずに無粋だのヲタだのしか
反論できない厨に笑わせてもらった
だからここは歴史の勉強スレじゃないですよっと。
正しい間違い以前に雰囲気を壊す奴はイラネって話。
俺も読ませてもらったが333円の買い物で千円札を出してきたやつにつり銭777円をソッコー渡してやったら、
俺の暗算の能力とそのスピードに、何も反論できずにすげえビックリ
してた客に笑わせてもらった。
>>669のいってることは間違ってないんだが
ただ自分の知識に自信たっぷりで空気を読もうとしない
>>669の人格が問題だと思われ
本当に賢い奴なら嫌味ったらしい突っ込みはいれんだろ?
>>669さんには是非ともこのスレに常駐してもらいたいわけだが・・・。
軍事板にこのスレのリンク貼っておいたからな。嘘ばっかりの体験談にはもうウンザリ。
確かに
>>669の言ってることが正解なのかもしれないが、
だからといって
>>654がネタを書いてるとは限らないだろう。
年寄りのが孫に戦時中の武勇伝を大げさに語るのはよくあること。
>>654の爺さんが
>>654に対して語ってたことを信じて
そのままスレに書いてるのかもしれないし。
>難しいことはとりあえず抜きにして、
>祖父・祖母・両親・知り合いのお年寄りなどから聞いた
>笑える話を聞かせてください。
あくまでお年寄りから聞いた戦時中の話。
それが本当だったかどうかを検証する必要はなし。
もういいじゃんか
669ムカつく奴はもう許してやれよ。
669と669支持する奴は正しい事言ってるんだと納得しているなら自分から引くべきだよ。
どちらも出来ないなら後100レスくらいまだこれ続くの?
もういいよ、十分だ。
どうも軍事板以外の軍事関係のスレにはキモオタがよってくるようだな。
嘘ばっか書かれるとむかつくんですけどー?いい加減やめてもらえますかー?
それじゃ、ちゃんとした体験談よろしく。
733 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 21:32 ID:we7S/CRF
俺は何が何でも事実だけを書けというつもりは無い。
事実にある程度、脚色?したほうが話しとしては面白いし、
巷にあふれる軍事物体験記は殆どが脚色していると思っている。
しかし、客観的な事実を捻じ曲げてでも話しを作り上げるのは
返って興ざめなんだよな。
俺も昔、じいさんに○○師団にいた時に、どこそこを攻略した時はと
血脇肉踊る話しを聞かされたものだが、その後に本で読んで
その師団が作戦には参加してなかった事実を知ってがっかりした。
>>669は確かに言い方が唐突だったのだろうが、あまりにも
あからさまな創作話しが嫌だったんじゃないかな。
>>732 なら来るなヴォケ。
正確な史実が読みたいなら日本史板でも逝け。
釣りだってのw
お前ら顔真っ赤だぞ?
>>735 自分から「釣りだった」って宣言するのは
「僕の負けです」って土下座するより恥ずかしい行為だぞ糞ガキ。
軍板の似たようなスレを覗いてきたがさすが]
>>669みたいな厨が出てきても
華麗にスルーしてるんだな参考にせねば。
うちの爺さんは飯を食うのが遅く、後かたづけを最後までやっていたらしい。(自分で後かたづけをするようになっていたらしい)
ある日連隊長に呼び出しを喰らい、間違いなくどやされると思い、縮こまって入室したそうな。
すると連隊長の机の上には巨大な饅頭が2つおいてあり、連隊長が
「喰え。貴様はいつも食後の片づけを率先して最後までやっているようだな。儂の部屋からよく見える」
と言ったらしい。確かに連隊長室の窓から流し場が遙か遠くの方に見えたらしい。
で、別に偉くも何ともなく、ただ飯を食うのが遅いだけの爺さんはもらっていいものかどうか悩んだらしいが、
ありがたく平らげておいたらしい。
それにしても、遙か遠くの流し場で最後まで食器を洗う爺さんを、何百人からの部下の中から
判別した連隊長は大した人物だ、ちゃんと見てる人は見てるんだねぇ、と爺さんが申しておりました。
・・・笑えねぇ話だった
738 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 21:42 ID:XEINz3UE
>736
負け犬が何ほざいてんだよW
『体験談』を書き込めということは、最低70歳以上くらいじゃないと
書き込む資格がないな、このスレ
>>738 もう釣れねーよアホw
以降は釣り禁止ってことでよろしく
>>737 笑えるとは違うけど面白い。
いい上官だなぁ。
742 :
737:04/08/29 21:46 ID:E+FwjQiF
ヽ(;´Д`)ノ 流れ読んでなかった
なんかほかにも朝鮮人参栽培に挑戦したとか、子ネタがあるので
軍役中の爺さんの日記から発掘します
743 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 21:52 ID:h1AM2501
>>742 いいや、ここ100レスの中ではもっともGJだ。
じいさんの日記あんの?
いーなー羨ましい。
なんか戦前から終戦にかけての部隊配置だとか、飛行場の長さがどうの位置がどうの
行ったことのある駐屯地がどうのとか、軍歌のテープ(しかも自分で吹き込んでるw)とか、
がらくたがいっぱいあるw
きちんと整理すればそれなりに価値が出るかもしれないけど、
いかんせん古くて汚いので触りたくない・・・
引っ越しのごたごたで捨てられかけたけど、たぶんきちんととってあると思う。
今度実家に帰ったときに探しまつ(;´Д`)
こういう事実があるから嘘だよと言うだけなら良かったのにね。
>>669は一言二言多いやつだな。
>>654の内容が嘘であれ、親や爺様からネタでもそういう風に聞かされていたなら
書くことはあるだろうことは充分ありうる。
折角の生活板らしい流れが・・・ハァ・・・ダイナシ
嘘八百擁護派の連中は見苦しいねえ
お前らこそ「お花畑板」でも作って
蝶々を追っかけてろよ(ゲラ
もしその話をそのまま祖父から聞いたのであれば、
嘘であれ事実であれこのスレに書いても問題ないのでは?
少なくとも、「事実かどうか確かめてから〜」なんて書かれてはいないし。
例え、話が嘘だとしても大事なのはその話が誰の創作か、と言うこと。
>>731 軍事板で通用せずタコ殴りの目に遭ったような半端者が
こういうところで偉そうに長々と講釈垂れる黄金のパターン
POMってばっかりのオレだけど、オレの考え。
・ 祖父母等から聞いた体験談であり、事実の話を書く
… 「○」
・ 祖父母等の体験談だが、昔のことなので、祖父母等から聞いた時点で既に多少の脚色が入っている
… 「○」
・ 祖父母等の体験談だが、話を面白くするため(もしくは功名心?)、体験談を話す時点で祖父母等が意識して脚色した
… 「△」(ここに書き込む人の責任じゃないから)
・ 祖父母等の体験談だが、聞いた後、ここに書き込むまでの間に、覚え間違い・勘違い等の脚色が入った
… まぁ「○」
・ 祖父母等の体験談だが、話を面白くするために、意識して脚色した
… 「×」だが程度により「△」
・ 誰かから体験談を聞くわけでもなく、自分で話を作って、まるで聞いた体験談であるかのように書いた
… たとえ史実に照らして正確だったとしても「×」
751 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 23:10 ID:we7S/CRF
>>750 戦時中じゃないけど今のお前に笑ったよ。
どうしてROMとPOMって打ち間違えるんだ?
PとRのキーの位置はそうとう離れているぞ?
>>751 >どうしてROMとPOMって打ち間違えるんだ?
>PとRのキーの位置はそうとう離れているぞ?
うっ・・・
_
○| |_ なぜだ、なぜなんだ?????
753 :
名無しさん@自治スレ参加募集中:04/08/29 23:32 ID:DLO8FjGd
殺伐とした雰囲気を一気に変えてくれた750GJ!
いつもPOMってばかりだけどはじめてカキコしたくなったよ。
>>752 ROM
○| ̄|_
次からはこれをコピペしてお使い。な。
・あくまで「聞いた話」です。無粋なツッコミ不要です。
・軍ヲタさんの知識披露は専門の板で宜しくお願いします。
・不快なレスは専用ブラウザのフィルタ機能などを活用しましょう。
面白い話は危険です。一人歩きしはじめる。アサピの百人斬り報道→戦犯訴追→死刑の例もあり。
というわけでつまらない話を一つ。
--
おふくろ経由で聞いたじいさんの話を再構成。
じいさんは終戦直後、中国にいたらしい。
情勢不穏のおり、隣に住んでいた中国人が来て言うには
「旦那さん、うちの倅が腹痛おこしたよなんか薬ないか?」
あげたいのは山々なれど家には薬なんか無い。
といって追い返して騒がれでもしたら結構気まずい。
万事窮した挙げ句、歯磨き粉を紙に包んで「一日三回,食後に呑め」
とか適当なことをいって運を天に任せた。
…数日後,快気祝いにいろいろもらったらしい。
・プラセボ効果? スッキリ成分の薬効か??
・おれも今度腹痛おこしたらヤニ取りザクトで治療するつもり也。
たいした話じゃないけど、戦争末期まだ幼女だったかあちゃんの話。
空襲も激しくなっって来た頃、隣組に一個「とび口」が支給されたんだそうな。
今で言う、フックとかクリップみたいな物らしい。それを竿の先につけ、濡らしたムシロをひっかけて
焼夷弾の消火をしろ、ということだったそうな。(無茶な話だ)
4歳児のかあちゃんがそれで遊んでいて、井戸の中に落としてしまった。
そんな物でも天皇陛下から下された物だから、ちゃんとしとかないと隣組まとめて、憲兵に怒られる。
じいさんが、青くなって近所に頭を下げ、井戸さらいをすることになった。
重労働だから近所からは文句がいっぱい出たそうだが、途中で皆の文句はねぎらいの言葉に変った。
なぜか、でっかいウナギが4匹出てきたそうな。当時の食糧事情からしたら、相当なごちそうだったらしい。
最初は怖い顔して怒ってたおじちゃんがニコニコして頭なでてくれたと、かあちゃんが言ってた。
で、その後、あたり一帯の井戸が用もないのに井戸さらいされたらしい。
埼玉の田舎にすんでるんだが
戦時中に家の畑に不発弾が落ちてきて、近所のおじさんの家に持っていって解体した。ってばあちゃんが言ってた。
あと終戦間近の三月に東京のほう見たら空が真っ赤になってた・・・とも聞いたな。
ヨカタこのスレまだ残ってる
がんがって続けて
「陸軍より給料が高いから」と海軍に志願して中国に渡っていたうちのじいさん。
日本から持って行った10円の現金を現地で軍票と交換して、その軍票で何か(何だったか
忘れた)を買って、さらに日本円に交換すると、換金の綾で12円になったそう。
儲かるので次々それを買ってたら、陸軍の人は「海軍さんはお金持ってるなあ〜」と驚いたが、「儲かるからなんだけど…」と思いつつ黙っていたとのこと。
「でも結局お金が増えても使う場所がないから、10円札で煙草を巻いて吸ってみたりしてた」と笑っていた。
当時の10円って、今のどれくらいなんだろう? 教えてエロいひと。
>>761の今の大卒初任給は技術系なので、銀行や証券会社だと違ってくるかも
だいたい3万円くらいってことで
エロいひと補完ヨロ
>761,762
なるほど〜、それは確かに高い煙草だ。
ちなみにこれはちょっと切ない話だが、じいさん含め3人の兄弟が海軍に志願して得た
お金が二千数百円。
「それで田んぼを買ってくれ」と言う息子達を、ひいじいさんは「お前達の命を売った
金を、土地なんかに変えられるか」 とはねつけて貯めておいた。
だけど結局失った息子は2人。二千数百円は、戦後の大インフレ時に木製のリヤカーを
一台買ったらなくなってしまった。
恐ろしく要領がよくて、戦難を殆ど受けずたった1人無事帰ってきた次男が、うちのじいさん。
削除以来済みです。
>>763 神風特攻第一号の敷島隊の隊長だった関大尉にも似たエピソードがある
神風を最初にやった軍神ということで、大尉の母の元には官民からの弔慰金8000円が集まった
大尉の母は「いつか落ち着いたら立派な墓を作ってやる」と大事に使わずとっておいたが
戦後の大インフレで殆ど無価値になってしまった
悲しい話になってしまってスマソ
親父がまだ髪の毛に不自由しなかった頃、会社の上司に聞いたという話。
当時は戦争を生き延びた人がまだ普通に会社にいたが(当たり前だが)、
飲み会では戦場の手柄話や軍歌が当たり前だった。
しかしその上司(仮に佐藤氏としよう)だけはは戦争絡みの話は一切しなかった。
話を振られてもお茶を濁すばかり。
だから普段接触のない部署だったにもかかわらず、親父は佐藤氏のことが気になってた。
やがて佐藤氏は定年退職するが、数年後のある日親父は偶然佐藤氏に再会した。
佐藤氏の方でも出来の悪い(本人談)親父を覚えており、二人で赤提灯の店に入った。
しばらく二人は酒を酌み交わしながら取りとめもない話に興じていた。
やがて親父が「先日家内が洋式の朝飯を用意したが、肌に合わない」「矢張り米と味噌汁と卵がないと…」
といった話を始めると、佐藤氏は「卵と言えばな…」と初めて戦時中の話を始めた。
前置きが長くなったけど以下本文。
関係ないが
>>756の人よ。
朝日嫌いはお互い様のようだが、ありゃ毎日の仕業だ。(これは本文ではない)
かつて佐藤氏が所属していたのは諜報部。早い話がスパイだ。
佐藤氏は中国方面の担当で、中国人の農民を装って共産党に潜入したらしい。
もちろん中国語(しかも方言)はもとより、文化・習慣を身につけた上で。
一週間くらいが経過すると普通に周囲に溶け込んだと思ったそうだが、
ある日の朝、朝食中にいきなり逮捕された。罪状は「スパイ容疑」。
その時点では味方と連絡は取っていなかったし、身分の露呈するものは持ち込んでいない。
文化・習慣は完璧に叩き込まれたし、中国語の能力には絶対の自信があった。
(「熱湯をかけられても日本語ではなく、中国語で反応するほど」とのこと。本人談、らしい)
幸い首尾よく脱走し本部に帰り着いくことは出来たが、何故ばれたのかはわからないまま。
しばらくして憲兵隊が中国人のスパイを捕らえたという話を耳に挟んだ。
そこで佐藤氏は諜報部の特権か何かでスパイの身柄を憲兵隊から奪い、彼に取引を持ちかけた。
すなわち、助命してやるから自分の正体がばれた理由を教えろ、と。
取引に応じたスパイを数時間尋問し、その結果判明した真相は…
その日の朝、初めて朝食に生卵が出てきた。
佐藤氏は何気なく飯に生卵をかけたが、実はこれは日本独自の習慣だったらしい。
つまり「ご飯に生卵をかける=日本人」という、非常にわかり易い判別法だったわけだ。
諜報部の教育もアテにならんなぁ、と佐藤氏は一気に鼻白んだそうな。
親父が聞いたのはここまでだが、本人が生きてるのだから無事生還したのは間違いない。
しかし自身の体験を一切話さなかったのは、諜報部員としての矜持以上の何かがあったのだろう。
次に親父が佐藤氏と対面した時は、佐藤氏は物言わぬ骸となって棺に収まっていた。
葬列には中国人らしい人もいたそうだが、
親父が言うには「佐藤氏が助けたスパイの子供だろう」とのこと。そりゃ飛躍しすぎだろ。
こういう人間が
>>654みたいな話を作るのだろな、とちょっと蒸し返してみたり。
次スレからスレタイを「戦争中の笑える話・良い話」にしないか?
創作アリとまでは言わないが、>766-767も言ってるように(以下略
別にDONQが何をほざこうと俺はどうでも良いんだが、ここが削除されるのはなんとも忍びない。
ただでさえ今生活板が削除旋風の真っ只中なのに、下らない事で荒れるなよ。
ここはひどいインターネッティングなんだから。
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ