1 :
スレ立て請負 ◆quZ9LG4B2E :04/03/11 13:12 ID:iHIkMO7L
2
4 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/11 14:31 ID:8F8ugWnE
2月14日に私の兄が亡くなった(享年38歳)
厨房の頃から腎臓が悪くて食事制限なんかもしてた。
(30くらいまでは)ガキの頃は喧嘩ばっかしてたけど
二十歳過ぎ位からつるんで行動するようになった。
酒も女もギャンブルも教えてくれた。
俺は結婚して妻子もいるが、独身のまま逝ってしまう兄が
不憫でたまらなかった。
兄の最期の言葉は、「おまえチョコもらえたのか?
俺はこんなに貰ったぞ、食えねーから子供にやれ」
と言って病室のテーブルに置かれたチョコを指指したんだ。
その5時間後に亡くなった。慢性腎炎でした。
5 :
:04/03/11 14:33 ID:KmQeiEvS
最近、校閲さんがスレに出現しているようですが、2chではキリがないと思いますよ。
7 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 04:33 ID:4WlNWDf7
てめぇらくだらねえことばっかかいてんじゃねぇ。
不快だ。
くだらなさすぎてディスプレイが壊れてきたじゃねえか。
10 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 22:26 ID:ntFlOPn2
保全
11 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/14 13:08 ID:SMSEXlrP
せつないな
思い出が無いことがホローリくる家族との思い出
今でもはっきりと憶えているなぁ。
幼稚園に通っている頃、俺が何か屁理屈をこねたらしく母が物凄い勢いで俺を叱った。
「よーし、それならこの家を出ていけ!二度と戻ってくるな!」
と言って余りの剣幕に泣きじゃくる俺を玄関まで引きずっていき、
外にほっぽり出そうとした。玄関の建具に掴まって必死に抵抗する俺。
その時、いつもはおっとりしていて大人しい姉が、
「○○は私の弟なのー!どこにも行かせないー!そんなことさせないー!」
と号泣しながら母に飛びついていった。
俺への怒りよりも小さいながらも弟をかばう姉の気持ちが嬉しかったのか、
母は俺をほっぽり出すことをやめ、声をあげずに涙を流した。
そして3人、特に寄り添うこともなく、涙が止まるまでただ立っていた。
俺は恐ろしさに、姉は悲しさに、母は嬉しさに泣いた一夜だった。
多分、姉は憶えていないだろう。なんかポーっとした人だから。
今はもうあまり会わないけど、感謝してんだぜ俺。
ちょっといろいろ話が複雑でどこに投下していいか分からなかったんだけど
一番ここかなあと思ったので言わせてください。
前もって言いますがちと長めで人間関係が複雑なんで分かりにくかったらごめんなさい
今の祖父の話です。
祖母は若かりしころ一人娘でしたので遠縁に当たる家の方から婿養子をもらいそして父が生まれました。
しかしその後徴兵によって彼は出征、怪我を負って戻ってきましたが戦後すぐ怪我が元で亡くなりました。
まだ若かった祖母はその後赤ん坊の父を曾祖母に預けて曽祖父と一緒に北海道の開拓事業に参加
そこで今の祖父と出会いました。
すでに父が生まれていたので苗字を父が継ぐことになり、祖母は無事祖父と結婚。
そして祖父はマスオさんの形で祖母と一緒に家へとやってきてその後妹(叔母)と弟(叔父)が生まれました。
父は最初曾祖母に育てられていて何も事情は知らされず曾祖母の事を「お母さん」
祖母の事を「お姉さん」と呼んでいたそうです。
中学のころになって何かで戸籍謄本が必要になってそれでやっと事実を知ったといいます。
ただその当時左官屋の棟梁をしていた曽祖父の家は徒弟さんたちの出入りの激しい大家族だったので
あまりその辺はショックも受けなかったそうです。
そんなわけで改めて父はお母さんとお義父さんとして向き合う事になったそうです。
「お義父さん」と呼ばれるようになった祖父は自分の子供である叔父、叔母と訳隔てなく
父と接してくれました。
高校の成績が優秀だった父のために何とか大学へやれないかと曽祖父に必死で
掛け合ってくれたりもしたそうです
(結局曽祖父が余りに屈強な職人だったのでそれは叶いませんでしたが)
そして今では私の大切なおじいちゃんです。
続きます
私たちの実の祖父にも気を使ってくれているので面と向かっては言いにくいのから
ここで言わせてもらいます。
おじいちゃん、大きくなって私も本当のことを知るまでは本当のおじいちゃんだと
信じて疑いませんでした。
それは父との関係がごくごく普通の「親子」だったからです。
そして本当のことを知った今でもやっぱりあなたは大切な私のおじいちゃんです。
男孫が弟しか居ないので本当の孫そっちのけで弟の事一番可愛がってくれましたね
当時家族の中で誰にも似てなかった弟の事を「弟はじいちゃん似だね」といった私の言葉を
どう受け止めていたんでしょうか?
そして遠方から嫁いできた母の事も祖母との間に入って気遣ってくれてありがとう。
おじいちゃんが居なかったら父と母は一緒になれなかったでしょう。
本当のところ、私も母も(そして多分父も)父方の親族の中では貴方が一番好きです。
若くして子供の成長する姿も見れずに亡くなった実の祖父には大変申し訳ないんですが、
どっちも私にとって大切な人です。
最近思い出話をするようになった父が先日もぼそりと「いい親父だよ」と言ってました。
父も照れ屋だしやっぱり実の親とのこともあるんで言えないだろうけど……
最近はあまり会いに行けなくってごめんなさい。
就職の事とか色々心配させてしまってごめんなさい。
今度行った時は久々に肩の一つも叩かせてもらいます。
結婚は多分無理だけど(する気がないんで)その代わり弟がとても良いお嫁さんもらったから
それで帳消しにしておいてください。
ではいつまでもお元気で
>>14 おじいさん自身も難しい立場にいながら、立派におじいさんをつとめあげられましたよね。
本当にものすごく気遣いの人なんでしょう。尊敬に値する人ですなあ。
気遣いの方とは言え、面と向かって素直な気持ちでお礼を言っても、おじいさんは素直に喜んでくれるんじゃないですかねえ。
さしでがましい意見ですいません。
18 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/20 22:12 ID:+wIWElPq
あげ
19 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/25 23:10 ID:a5exsAMJ
俺がガキだった時、祖母が入院した
癌センターに入院していたので癌なのだろうとは思っていたが
いつも元気な人で、絶対死ぬことは無いと思っていた。
しばらく学校休んで祖母の家にいたのだが、(今思うと、死期が近かったのだろう)
さすがにいつまでも休めないので、家に帰ることになった日の夜
家族でお見舞いに行ったとき祖母が「また一緒に寝ような」と言ってきた。
まだガキだった俺は、返答しなかった(つか嫌がった)
それ以降の会話は覚えていないが、とりあえず、その晩に家に帰った。
家に帰る車のラジオから「虹とスニーカーの頃」がかかっていたのを覚えている。
そして、次の日の朝、学校に行く準備をしていると電話がかかってきて
祖母が亡くなったことを知らされた。
今でも「虹とスニーカーの頃」を聞くと祖母を思い出す。
そして、何故あのとき、一緒に寝ると言わなかったのかと後悔する。
いつも、一緒に買い物にいったらお菓子を買ってくれた、ばあちゃん。
風邪ひいたときに、病院連れて行ってくれて看病してくれた、ばあちゃん。
あのときは本当にごめんなさい。
あぼーん
21 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/27 09:23 ID:tC33hgEX
思い出ではないんだけど、なかなか子供ができず、ようやく授かった子供が
お腹の中ですくすく育ち、ぴくぴく動く心臓をモニター越しに見た時はほろりと
きました。
22 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/29 03:23 ID:Krdl0jtU
私の家は昔父親の会社が倒産して、借金がたくさん残った貧乏な家だった。
だけど両親は私に惨めな思いさせまいと、人並みに物も買ってくれた。
高校だって行かせてくれた。
だけど私はそんな苦労も知らないで、
「こんな貧乏嫌や!金持ちに生まれたかったわ!」ってほざいてたような馬鹿だった。
そんなある日父親の再就職先がまた倒産した。
私は当時大学受験生。
ちょうど合格発表前で、すごいイライラしてた時期だった。
父親のことを馬鹿な親父だって思った。
母親はいつも汚い服ばっか着てウザイと思った。
そしてとうとう合格発表の日。
絶対落ちたと思ってた大学に合格してた。両親共すっごい喜んでた。
急に母親がカードを出してきた。
「合格おめでとう。大学入ったらお金いっぱいいるやろ?これ持っとき。」って…
10万入ってた…
まだ借金も残ってる…父親がこれからどうなるのかわからない…
ただでさえ貧乏なのにこんな馬鹿娘のために
自分のもの買うの惜しんでお金貯めててくれたんだね…
借金もあと二年で返せる。私ももうすぐ社会人になる。
初給料は両親に何か買ってあげようと思う。
10万円はまだとってあるよ。ありがとう。
23 :
前スレの6:04/03/31 12:21 ID:5pJUDjEp
泣ける2ちゃんねる見てたら一昨年書いたレスが載っててびっくり。
このスレが好きだけど新スレ立ったばかりでレス付かなくて、自分には
家族との良い思い出がないのでスレ違いかなぁと思いつつ書いたレスだった。
あのレスを書いた時、まだ自分も気付いてなかったけどお腹に子供がいたんだ。
今は6ヶ月になってやんちゃぶりを発揮中。
貧乏で何を楽しみに暮らしてたのかさっぱりわからない暮らしぶりだったから
きっと孫の顔見れていたらものすごい喜びだったんだろうな。
24 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/31 20:04 ID:hTBLs2Bl
未来の思い出ということで、スレ違いご容赦のほど。
ごめんな。TとK。
もうすぐ、父ちゃんはおまえたちと別々に暮らすことになるんだ。
これまでだって、平日会えるのは朝の小一時間程度だったから、
おまえたちにとっては、そう変わりがないのかも知れない。
でも、父ちゃんは夜帰ってきて、おまえたちとお母さんの寝顔を
見ると、気持ちがほわーっと安らいで。毎日、その時間が楽しみ
だったんだ。
おい、T。来月小学校に上がるおまえには、まだ早いかも知れな
いけど、引っ越すときにおまえのお気に入りのギブソンSGをくれ
てやろう。数年後、おまえの手がギターを弾けるほど大きくなる
まで、壊さずにいろよ。メインのフェンダーテレキャスは、絶対
やらないけど。
家族じゃなくなっても、おまえたちの父ちゃんであることに変わ
りはない。おまえたちとお母さんの幸せを、心底願っているぞ。
大きくなれ。いまのまま真っ直ぐ、いまよりも強く育て。父ちゃ
んは、お母さんを幸せにできなかった。そのツケを払わせるつも
りはないが、これからのお母さんの人生にできるだけ喜びをもた
らせてくれ。
悪い。頼んだぞ。
>>24 うわあ…未来かあ…。それも近い未来のような…。
子供が立派に育つといいね。
余談だが、俺だったらテレキャスよりSGの方が有難い。
26 :
:04/03/31 20:18 ID:QqSyXXv4
27 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/01 03:36 ID:ONfATjku
私の父は昔から妹ばっかりかわいがってた。
私はというと父からは叱られてばかりだったから父は私のこと嫌いなんじゃないかと思ってた。
それが数年前父方の叔父が亡くなった時に父の友達も葬儀に来ててその人に
「あなたが上のお嬢さん!?お父さんいつも飲み屋で上の娘さんのこと自慢してるよ〜
いつもいつも同じこと言うもんだから“ごちそうさま”って言ってるよ(笑)
お父さんの言う通り礼儀正しくてかわいいねぇ、○○さん(父)、いい娘さんじゃない〜(笑)」
すると父は恥ずかしそうに「いやぁロクでもない娘ですよ」と言った。
本当、私は親孝行もしないロクでもない娘です。
父が私のことをよそでそんなことを言ってたなんて知らなかったから涙が出た。
家で私と話すの照れくさかったのかなぁ。
>27
照れ屋さんなだよね、あなたのお父様は。
本当は可愛がってやりたいけど、どうやっていいかわからないのかも。
親孝行してあげてください。
私の父も厳格で口を開けばお小言ばかりの人でした。
自営でしたから、子供の悪いところが目について仕方なかったみたいで
本当に父が口をひらくと「ああ、また説教される」って憂鬱でした。
それに田舎だったから、跡取の弟のほうが可愛いのは隠さなかったし。
でも私が大学も卒業しないまま結婚して、子供もできて、
たまに里帰りすると、それはもう大喜びで待っていてくれる。
父の友人も知り合いも、私や子供のこと本当によく知ってて
こっちがなんで知ってるかって驚くくらい。
実家にあるカレンダーを見ると、私が帰省すると言った日付に書き込みがしてあって
「○○(私の名)来る」って、何日も前から待ってる様子がわかる。
電話だって全部母にさせて、自分はかけてこないんだけど
私の知らないところでこんなにも大事にしててくれたと思うと、涙が出てきます。
出来る限りの親孝行はしたいといつも思っています。
29 :
おさかなくわえた名無しさん:
>>21 私もです。1年半ほど前に1度妊娠したのだけれど、9週くらいで
お腹の中でだめになってしまって・・・
先月行った検診、14週目。くにくにぴくぴく動く我が子をモニター
で見て「よかった、元気そう・・・」と思ったらぽろぽろっと涙が・・・