ありえないシチュエーション

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436ホイコーロー ◆keaywjpauo

                      (1)

 探偵をやっている俺の元に、今日も依頼人が訪れた。ハードボイルド小説なら「どこか翳りのある美女」
と来るところだが、俺の前に腰掛けているのは憔悴しきった中年男だ。
「相当お悩みのようだが、お断りしよう。浮気の調査なら興信所へ行くといい」
 このセリフを言い放つ時の快感。これが味わいたくて、俺は探偵をやっているのだ。
「そうおっしゃらず、まずはこちらを」
 男が俺に名刺を投げる。手裏剣のように回転しながら飛んできた名刺を、俺は指二本でキャッチした。前世
紀末に世界を救ったとかいう拳闘屋に教えてもらった技だが、実生活で役立ったのは初めてである。
「ほぅ、『内閣御庭番衆』ねぇ」
 国内はもちろん、諸外国とのトラブルにも暗躍するという、我が国最高の国家機密である。このへんで政界
に恩を売って、パイプを作っておくのも悪くない。
「OK。で、用件は?庭師が足りなくなったのかね?」
 気の利いたジョークで依頼人の緊張をほぐすのも、探偵の仕事のひとつだ。しかし反応は薄い。3ワロタは固
いと思っていた俺は、戸惑いを隠すためタバコをくわえた。火をつける前に息を吹き込む。顔面へ吹き矢のよ
うに飛んでいくブイトーニ(1.6mm)を、男は事もなげにキャッチした。指二本。彼も「二指真空把」の遣
い手だったようだ。挨拶は済んだ。
437ホイコーロー ◆keaywjpauo :04/04/01 19:58 ID:BjGKxJNs

「政府の、いえ日本の存亡が懸かっているお話です。くれぐれもご内密に」
 ブイトーニをポリポリかじりながら男が続ける。
「実は、総理大臣の愛犬が行方不明になりました。今から12時間ほど前のことです」
「・・・」
 俺は言葉を失った。確かにこれ以上の危機は考えられない。
「あの犬に対しては、要人以上の警護態勢が敷かれていたはずじゃないか」
「まさに一瞬の隙だったとしか考えられません。ところで」
「何だ?」
「おかわりはありませんか?このパスタはひどくおいしい」
 俺はデスクの引き出しからブイトーニを袋ごと取り出し、男に投げてやった。こんな大盤振る舞いは滅多に
ないことだ。私の気も動転しているのだろう。
「・・・で、誘拐の可能性は?」
「あり得ない話ではありません」
「なんということだ・・・」
 ほとんどの国民は夢にも思わないだろうが、この国の政治、経済、国交などの重要な決定は、すべて総理の
愛犬が行なっているのである。ワンと吠えれば可決、そっぽを向けば否決、首を傾げれば保留。それでこの
10年、日本はデフレからの脱出、景気回復、雇用促進、国際協力などといった難問を次々に解決し、世界に
おける地位をじわじわと向上させてきたのだ。この犬が最もなついた議員が総理大臣になるというシステムも
政界では当たり前のことになっている。
 その犬が消えたというのだ。
438ホイコーロー ◆keaywjpauo :04/04/01 19:59 ID:BjGKxJNs

「依頼は、あの犬の捜索及び保護ということだな?」
「まさにそれが理想ではありますが、恐らく不可能でしょう。特に誘拐されたのであれば」
「そう決めつけるのは早い気もするが」
「いえ、我々は最悪の事態を想定して動かざるを得ません。こんな時のために、あの犬には時限爆弾が仕掛け
てあります。毎日決まった時間に起爆する仕組みで、世話をするSPが毎日解除しておりました」
「今日の起爆時刻は?」
「8時間と26分後ですが、GPS発信機を使えば即刻起爆することもできます」
「それはあまりにも残酷じゃないのかね?」
「犬一匹の命より、国家機密の漏洩を防ぐ方が優先です」
「しかし、仮に誘拐だったとしてだ。そう簡単に犬から情報が引き出せるかね?」
「バウリンガル」
 最後のブイトーニを齧りながら、男がボソリとつぶやく。俺は天を仰いだ。
「あなたに依頼したいのは、あの犬とそっくりな犬を見つけ、我々にお譲りいただくことです」
「その場しのぎに過ぎんじゃないか。第一、似てるってだけであの犬の重責が果たせるとでも思ってるの
か?」
「そう。その場しのぎ」
 男は立ち上がり、力無く笑いながらこう言った。
「それがこの国の政治の、本来の姿なんですよ」
 男はパスタでふくれ上がった腹を抱えるようにして事務所を出て行った。
 俺に残されたのは、そっくり犬探しという奇妙な仕事とあの犬の写真、そして、お気に入りのおやつを喰い
つくされたという喪失感だった。
439ホイコーロー ◆keaywjpauo :04/04/01 19:59 ID:BjGKxJNs

                      (2)

 しかし、ぐずぐずしてはいられない。俺は早速ペットショップを通じて、交配用の成犬を扱うという店を教
えてもらうことに成功した。これが三毛猫だったら気の遠くなる仕事だろうが、俺が探さなければならないの
はごく普通のラブラドール・レトリーバーだ。
 運良く似た犬がいた。
「この犬がほしいんだが」
 店の奥で椅子に腰掛けている老人は、黙ったまま俺を見ている。
「20万くらいで足りるかね?」
 老人は何も言わない。しかし売らないとも言わない。
「金はここに置くよ」
 老人はやはり黙ったまま。身動きすらしない。ボケてでもいるかのようだ。8万にした。
「連れて行くが、構わんね?」
 俺は勝手にケージを開け、犬に首輪と散歩用のロープを着けた。出口へ向かう俺に、大人しくついてくる。
老人は相変わらずで、ありがとうございますのひと言も言う気はないらしい。頭にきて、ほねっこを3本ポ
ケットに突っ込んでみたが、やはり老人は何も言わない。ついでにあと2本手に持って俺は店を出ると、スー
パーへ寄ってブイトーニ(1.6mm)を買い、のんびり事務所へ戻った。
440ホイコーロー ◆keaywjpauo :04/04/01 20:00 ID:BjGKxJNs

「あぁ、依頼は完了した。急ぐなら事務所へ来たまえ」
 仕事を終え、依頼人に報告しながら齧るブイトーニの味はまた格別だ。
「にぃさん、ワァシもこのパスタもらうでぇ」
 驚いて声のした方を見ると、レトリーバーが袋から器用に5〜6本かき出し、小気味良い音をたてて齧って
いる。なぜだ!なぜみんな俺のブイトーニばかり狙う?
 いや、目下のクエスチョンはそれではない。
「おまえは・・・ヒトの言葉が喋れるのか?」
「今喋ったばっかやないか」
「バカな・・・信じられん・・・」
「なんでもエエけど、アレや。ワァシを認めんゆうことは、おどれのアタマがおかしゅうなったのを認めるっ
ちゅうこっちゃで?」
「・・・そうだな」
「ところで、エラい殺風景なとこに連れてきよったもんやが、あんさんがワァシの飼い主か?」
「ちゃうんや」
 いかん、どうして大阪弁というのは伝染るんだろうか?
「ワ、いや俺は仲介をするだけでね。君の飼い主はもうすぐここに来る」
「君やて、かなわんなァ。あのな、ワシにも『ラァブちゃん』いう名前があるんやで」
「ラブちゃん・・・」
「せや。ラブラドールのラァブちゃんや」
「そのちっちゃい『ァ』は要るのかね?」
「そのへんはどっちゃでもエエでぇ。しかしあんさん」
「何だ?」
「この1.6mmゆうチョイスは絶妙やな。歯ごたえがたまらんわホンマ」
「ちょっ、ちょっとラァブちゃん」
 俺は慌ててポケットからほねっこを取り出した。
「ホラ、こっちの方が好みだろ?」
 ラァブちゃんは一瞥をくれただけで、再びブイトーニ(俺の)を齧りながらこう言った。
「アホゥ。そんなもん、そこらの犬っころにでもくれたらんかい!それからな」
「・・・」
「ワァシをナメとったらなァ・・・ガブゥっといくでぇ?」
441ホイコーロー ◆keaywjpauo :04/04/01 20:01 ID:BjGKxJNs

                      (3)

 依頼人がやって来たのは、ラァブちゃんが楊枝がわりにしていた最後の一本を齧っている時だった。俺は、
デスクの下でベレッタM92FSのグリップを握りしめながら、怒りに打ち震えていた。日本では持っていては
いけないシロモノだが、俺はこれをアメリカで万引きし、密かに日本へ持ち帰った。俺は悪くない。
「くそぅ、間に合わなかったか・・・」
 ブイトーニの空袋をうつろな目で眺めながら、依頼人が床に膝をつく。
「あぁ、おっちゃんがワァシの飼い主になる人やな?せやろ?」
 そこから依頼人が驚く、俺が説明にならない説明をする、半信半疑の依頼人にラァブちゃんが自己紹介を
するといった、まぁお決まりのトークが展開された。
「という訳で、だ」
 俺はまとめに入った。
「依頼は完了だ。あんたはさっさと報酬を置いて、そのラァブちゃんを連れて行きたまえ」
 早くスーパーへ行かなければ閉まってしまう。
「いや、それは困ります。こんな犬を連れて帰ったら、官邸は大パニックに陥ることでしょう」
「おぅ!こんな犬とは挨拶やないか!やんのかコラ!」
 そこからなおも依頼人が言い募る、ラァブちゃんがガブゥっといく、依頼人のスネから骨が露出、俺が笑う
といったコメディーな一幕が展開された。
「あんさんが悪いんやでぇ。なんぼなんでも失礼やん?」
「あぁ、済まなかったよラブちゃん」
「エエわエエわ。ところで、官邸っちゅうことは、あんさんは議員サン関係か?」
「そうです」
 依頼人はラァブちゃんに、あの犬のことを語った。ラァブちゃんも神妙に聞き入っている。俺はこの二人(
?)に、奇妙な親近感を抱いていることに気付いた
442ホイコーロー ◆keaywjpauo :04/04/01 20:02 ID:BjGKxJNs

「とにかく、このままでは我が国は破滅します。それこそ、目の見えない人がクルマの運転をするようなもの
で・・・」
「よっしゃ!ほならワァシがひと肌脱ごうやないか!」
「いや、ですから」
「分かっとるがな。喋らんかったらエエんやろ?で、ワンとそっぽと首傾げや。せやな?」
「そうですそうです。もう、政治的な判断力なんてどうでもいいですから」
「いや、そんな訳にはいけへん。任せてもろたからには、前任者以上にキッチリやるでぇ」
「ありがとうございます。さぁ、そうと決まったら急ぎましょうか」
「ラァブちゃんよ、そんな大風呂敷広げて大丈夫か?」
 心配半分からかい半分で聞く俺に、ヤツはこう答えた。
「全盲同然の日本を導けるのはワァシしかおれへん。忘れたんか?ワァシは盲導犬として名高いラブラドール
のラァブちゃんやでぇ」
 振り返りざま、器用にウインクまでして見せて、ラァブちゃんと依頼人は出ていった。
 俺に残されたのは、ゼロが6個並んだ小切手とブイトーニの空袋(2袋)、そして直径1.6mmほどの政界と
のパイプだった。
 これからラァブちゃんがどんな国を作るかは知らないが、何しろ俺は悪くない。
 俺は留守番電話をセットして事務所を閉め、ちょっと急ぎ足でスーパーへ向かった。

                                        (fin)