>>933 じゃあお前さんが面白い本当の話をしてくれよ。
ところでお前さんの言う「あの時代」ってのは江戸時代の事か?
煽り厨うざい。折角話してくれた人の話に
茶々いれるヤツもうざい。
そういうのが許せないと、2ちゃんには居辛いでしょう。
次スレに行けそうなのが純粋に嬉しい。
スレタイ考える?
スレタイは変えなくてもいいんじゃないかな。
結構目につきやすいタイトルだし。
>>933 食料なんかあるところにはありましたさ.
参考になるかどうか,内田百間の「東京焼尽」(旧字がでない)とか近頃文庫で出たので
みてみるよろし.著者は都市生活者であんまり産がなくって文筆の徒で爺という
食糧難直撃の境遇だったけど,昭和二十年になって焼け出されるまでは何だかんだいって
酒をとぎらせることもなく過ごしている.となりの軍需大臣用邸に至っては…
餓死者が特筆するほど大量に出たのは戦後の混乱期,都市部の下層生活者だけだ.
>>933 うちの祖母は姫路に疎開していて、ときどき祖父がシメたての牛肉を持って帰ってきてたらしい。
牛肉ってシメてから一週間ぐらい経たないと固くて食えないらしいっすが、普通の家でそういうふうに
食べられる状態にもっていくのは難しいらしく、その固い肉を仕方なく食べていたとのことです。
田舎のじいちゃんの家では、飼ってた牛を軍に取り上げられそうに
なって、くれてやるくらいなら、とシメて家族で食べたらしいが。
何の物的根拠もなく他人の話を否定するってのが困るな
なんかうちのばあちゃんは戦車の製図書いてたらしい
じーちゃんは車で偉い人送る係で偉い人にうまく取り入って
シナで楽していられたようだ むしろ戦後に苦労したらしい
牛を〆て で思い出したが、筒井康隆の父親は動物園の園長をしていて
空襲の際、猛獣が逃げて暴れるのを防ぐためにあぼーんする措置を
行った(上野動物園の像の話は有名ですよね)。
それでビステキならぬ象テキを持って帰ってきて食べたらしい。
947 :
944:04/04/26 01:52 ID:pXK9JJtq
>945
>ビステキ
ビフテキだよね?
それはともかく、食用にするなら毒殺した訳じゃなかったのかな。
像のステーキって食べてみたいような気もするけど、肉は固そう。
あ、間違えた。象、でした。
うちの家族はアルゼンチンに移民してきたんだけど
お父さんは徳島、お母さんは広島で両方とも地主だったらしい。
んで、いつか「何でアルゼンチンに来たの?」って親父に聞いたら
「もっと良い生活が出来ると思って来た」と。
一世一代の大博打を豪快にはずしましたようで…
ちなみに母の方は父(俺の祖父)が元軍人だったので
「日本から一番遠い所へ行きたい」が理由でした。
豪快な愛の逃避行でしたね
>>940 元生徒、別居中の実子、同僚、同郷の先輩、はては部屋付きの店童にまで、
色々と尽してもらってた百間先生と、市中の一般人を比べるのはどうだろう?
953 :
950:04/04/26 14:54 ID:Il7UIxu7
前のは戦時中でなかったから、もうひとつ。
軍人だったほうのじいちゃんは戦時中、満州に行ってて
そこで取れる魚は川の魚なもんで微生物とかやらのせいで
刺身に出来ないとか言うのを現地人と話してたら、
そのおっさんが怒って
「そんなことは無い!刺身にしても旨い!」
と怒鳴ったそうな。
で次の日、部下を使って川の魚を取って、刺身にして
例のおっさんを招待して軍人特有のジェントルメン精神ですすめたら
泣きながら謝ったそうな。
その後はちゃんと普通の料理でもてなしたらしい。
こっちのおじいちゃんは自分が生まれてくるずっと前に死んだから
生きてたらこういう話を沢山聞けただろうな〜って時々思う。
日本の魚も淡水で採れる魚は生で食わない方がいいと聞いた。
寄生虫が居るとか。
養殖物はどうなんだろう。
川魚は生で食わないのは基本。
>945
ビフテキならぬエレテキですな
帯電してそうだな。
祖母から聞いた話。
田舎の山村に住んでいたため、空襲も無く比較的平和だったらしい。
そんなある日、爆撃機が飛来して爆弾投下!
村中パニックになったらしいが、一向に火の手が上がらないので
落ちた爆弾を見に行くと、なんとただのドラム缶だったらしい
不法投棄ですな
昭和ひと桁生まれのうちの母の体験談。
大阪のど真ん中の商家の娘だった母。食糧が配給制になっても、祖父(遊び人で家を潰した
人だけど、要領はいい)の才覚で食うには困らず。
それでも、食い意地の張る年ごろだけに、よその家で食べてる配給の「海草麺」なるものが、
すごーくおいしそうに見えたとか。で、祖母にワガママを言って、貴重な配給切符使って
入手してもらったが、食べてみたら死ぬほどマズかったそうな。その話、今年98歳になる
祖母がいまだに語る。海草麺がマズかったことより、98にもなってそんなことを覚えてる
ばあちゃんが笑えるかも。
ちなみに、調子乗りで要領のいい祖父は、町の人々に旗降られて出征してみたら、配属
されるはずの部隊がなくて(?)、1週間でのこのこ帰ってきたとか。夫婦揃ってもう……。
>129
激亀なのだが
私の父親も呉の海軍工廠にいて同じく投下の日に広島市内に向かう予定だった。
が、129の祖父と違うのは、その予定が中止にならずに行かされたことなんだ・・・
・・・もっと笑えないよ・・・ウチュ
>>959で思い出したが、確かベトナム戦争の時に
米軍機が爆弾の代わりに便器を投下した事があったらしい。
その画像(翼の下の爆弾架に便器を釣り下げてるとこ)を見た事があるので
多分ガセではないと思われ。
>>964 ジョーク…じゃないとしたら爆弾が不足していたため、
バランスをとるためにカウンターウェイトとして付けたとか。
966 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/27 20:29 ID:dTOFAyPF
>>965 単に戦略じゃない?
ベトナムのジャングルだから
疫病に罹った兵士の便を
敵地に撒く。
人道上は公にできないだろうけど
ありえるかもよ。
>966
便器であって、肥溜めとかではないんじゃない?
便器が落下してくるってどんな感じだろう
(・∀・)・゜フワァ
でも便器に当たって死ぬのは嫌だな
洋式か和式かが問題だ。
和式なら文金高島田ですむもんな。
>>959 うちの祖母も同じようなこと言ってたよ。
こちらも同じく田舎の山村。
(゚Д゚)ハァ?って感じだったらしい。
973 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/27 22:28 ID:Q2YaiX42
ここ良スレだな
ちなみに俺んちは新潟で隣の隣に山本五十六の出身の長岡って町があるんだが
戦時中山本五十六の出身地だってことでアメ公のB29に大爆撃されたんよ
うちのじいちゃんは山に登って見たのがすっげえ迫力だったとか言ってた。
あんまおもしろくなくてごめん
あとうちには何故か蔵にボロボロに赤錆びた金色の菊の紋章のでかい置物がある。1・5メートルくらいのやつ
どこから持ってきたんだか・・・・なんだろうな?
今度じいちゃんに聞いてみよう
>>963 朝鮮戦争の時のはず。
パイロットだか飛行機のメーカーだかが、「こいつはどんな物でも落とせる!」とか言って
実際に基地の便所から便器取り外して爆弾に縛り付けて落としたんじゃなかったかな。
余談だけど湾岸戦争のとき米兵はトマホークとか爆弾に
「サダムへのプレゼント」とか落書きして発射したそうな。
戦時は白バイは赤バイだったらしい
>>974 リトルボーイにもファットマンにも米兵がさんざん落書きした写真がありますわな。
977 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/27 23:05 ID:dTOFAyPF
>>976 女子供が阿鼻叫喚の地獄絵図になろうとは
思ってもいなかったと信じたいよなあ・・・
978 :
963:04/04/27 23:07 ID:R93PD8BN
>>974 ああ、朝鮮戦争の時だったか。
ベトナム戦争の時に落としたのは台所一式だったかな。
これだけじゃ何なので俺の爺さんの話を。
爺さんは戦時中、今の高校生ぐらいの年で、戦況が悪化してくると
軍需工場で航空機の製造に当たらされていた。
その工場では女子工員の方が先に動員されていたため、
彼女らの方がより高度な技術を要する工程を担っていたそうな。
違う工程を担当しているので、当然、女子工員とお知り合いになれる機会はあまりないのだが、
うちの爺さんは旋盤加工の技術が認められ、女子工員の工程に回される事になった。
ところが、爺さんの知り合いの男子工員が、仕事の合間に爺さんに
(と言うのは言い訳で、目当ては女子工員だろうけれど)
ちょくちょく会いにくるので、上司に目を付けられて元の部署に戻されてしまった、との事。
もう80であろう祖父が、随分と口惜しそうに話しておりました。
長岡空襲で思い出したけど、
仕事先の爺さんの叔父は、
長岡空襲後、様子を見に行き落ちてた長細い爆弾(多分焼夷弾?)
を何本かお土産に持って帰ってきたそうだ。
もちろん火薬が入っていないものですよ。
空港で爆発しなくてよかったでつね。
次スレキボン
982 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/28 20:38 ID:Tvz3aRrk
984 :
1:
おお、ついに次スレが……みなさん、貴重なお話をありがとうございます。
米兵に捕らえられて野球をした話が特に好きでした。
出しゃばってすみません、もう名無しに戻ります。