戦争中だって、笑える話は沢山あったはず。
そしてその中には、戦時中ならではの体験もあったことでしょう。
難しいことはとりあえず抜きにして、祖父・祖母・両親・知り合いの年寄りなどから聞いた笑える話を聞かせて
下さい。
2 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/18 01:53 ID:+0o6CPOf
日本人の捕虜は尋問を受けたら死ぬまで黙り込むか、聞いてもないことをベラベラ喋りだす奴と真っ二つに割れたそうだ。
3 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/18 01:54 ID:1D+beT6Q
人
(_≡ ウンコー
(__≡ (´⌒(´
(・∀・ ,,)∩∩ (´⌒;;;≡≡≡ズザザー
⊆⊂´ ̄ ソ (´⌒(´⌒;;
2げっとならず
4 :
1:04/02/18 01:58 ID:TB6HvvcD
私の祖父は、訓練中、皆と集まっている部屋に睡眠ガス(?)を巻かれてたことがあるらしい(寝付きが
悪かったのか?)。
で、そのうち叩き起こされたんだけど、眼を開けたら部屋にいるのは祖父が最後。
慌てて身支度を整え外に出て整列した祖父は、何故か周りの人たちがじろじろと視線を投げかけてくる
ことに気付く。
で、そういえばなんだか腰が軽い事に気付くと……軍刀を普通とは逆に持っていたため、途中で落として
しまったらしい(藁
上官に怒られ周りに大笑いされながら走って取りに戻るときは、かなり恥ずかしかったそうです。
なんかスレ立てた奴のくせに、不鮮明な話ですみません。
5 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/18 12:38 ID:RFP9Snsh
旧日本兵は、ダッチワイフの
代用品として、鶏の穴や山羊の穴に
ぶちこんでいた
6 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/18 12:41 ID:YmC96KlH
イスラムじゃないんだから。
7 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/18 13:27 ID:LzvoZ5Vd
ヤギなら聞いたことがある。鳴き声が女のあえぎ声だと思いやすいらしい。
明治時代に欧米に渡るときもヤギ連れてったらしいね。
食物としても性欲処理としても
昔から日本を長期離れるときの必需品みたいな感じ。
8 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/18 13:31 ID:WahrDlBg
従軍慰安婦がいただろう
>>5 西洋の船乗りは代用品として羊を装備していたそうだ。
支那の山奥3日3晩かけて目的の駐屯地まで真空管を運ぶ折、
仲間内では一体何本の真空管が割られず無事に送り先まで届けられたであろうかと、
上官の目を盗んで大々的なトトカルチョが、連日連夜行われていたそうな。
どっとはらい。
11 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/18 13:42 ID:iZLnkZOZ
うちのジーサマは衛生兵で戦地へ行って
昼間暇な時には看護婦さんと草むらで
良い事をしていたらしい。
晩年ややボケかかった時にうわごとで
「みよちゃん、あそこいこ、あそこ!」
とニヤニヤ言っているのを見て、戦地が
ジーサマの青春だったんだなとニヤリ。
ウチの爺ちゃんは「ダイナマイトは甘くて旨い」と言っていた。
「じいちゃん、そんな物食ったんだ!」って言ったら
「おう。他にもクモとかヘビとかも食ったぞ。カタツムリは絶品だった」
って言ってた。
よく考えると、そんな物を食べるほど、食料が不足してたって事だな。
ちなみに行ったのは南方の島だとしか聞いてない。
13 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/18 13:48 ID:a8O+IZqi
私の父親は何か重要な放送があるらしいとみんながわらわら集まる中
マンドクセーシラネーヨと近所の淵に泳ぎに行ってしまったそうな。
帰ってみたら戦争が終わってたんでびっくりしたとか。
>>12 ニトログリセリンって甘いはずだ。
舐めた人って貴重だなぁ。
爆発しねぇの?(((´`)))
シベリア抑留から生還した爺さん。
だいぶ辛い思いもしたらしいが
「ロシアの女は本当に奇麗だ、でも年を取ると風船のように膨れてなあ…」と
何度も何度も言っていた。
女見る余裕があったのかよ!
だから生還できたんだろうな…。
>13
すげー(藁
アナーキストというかなんというか……。
とにかくそりゃビックリするわな。
18 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/18 18:16 ID:QfJAOF0M
笑える話じゃないんだけど、昔ビートたけしが言った話は今でも思い出す。
たしか、たけしが飲み屋かどこかで居合わせたおっちゃんとの会話なんだけど、
たけし 「おっちゃん、煙草止めた方がいいよ。」
オッチャン 「たけちゃん、俺はシベリアの極寒で吸った煙草の味が忘れられないんだよ。」
って話。
俺は煙草は吸ったことないけれど、その美味さがわかる気がした話。
20 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/18 19:20 ID:OQsGm1WM
戦争の話じゃないけど…
おばあちゃんが小学校のとき、遅刻したらみんなの前で理由を言うことになっていた。
ある男の子が遅刻してその時にこう言ったそう。
「うんこしてて遅れましたー」
21 :
ながぐつ:04/02/18 23:17 ID:FwRvqQv7
唐沢俊一の本に載っていた話だが、
太平洋戦争開戦時、”勇ましい曲を流せ”と言われて、
『星条旗よ永遠なれ』を放送したNHK職員がいたそうだ。
ちなみにうちの爺さんは戦争に行ったことは行ったのだが、
1週間もしないうちに敗戦になったため、何もせずに帰ってきたらしい。
22 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/18 23:28 ID:YmC96KlH
面白くなくて、なんだか・・・な話だけど、
神風特別攻撃隊、いわゆる特攻隊に在籍していないのに
パイロットでもないのに、『自分は特攻隊だった』って言うおじいさんは
以外に多いらしいね・・。
うちのおばあちゃん達は隣町が大空襲に遭った時、
防空壕に隠れないで屋根に昇り、
「おー、燃えてる燃えてるー!」と火事場見物をしてたそうです。
以外と余裕だな。
24 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/19 00:34 ID:O539xz1o
みんな逞しいよね。戦後復興するわけだ。
>>24 TVや授業では戦争で不幸になった人しか扱わないからね
俺の母親(沖縄人)も、兵隊さんは良い人の方が多かったって言うよ
やっぱり、日本人は戦時下にあっても日本人であって欲しいと思うよ
でも今の日本人は明らかに50年前より危険なんだろうな・・・
26 :
うしろの名無し太郎@オカ板にも書いたけど:04/02/19 02:52 ID:D2JrvGON
先生が子供の頃空襲に合い川まで逃げ来て、街を見たら火の海だったらしい。真っ赤に染まった街を見てたら夕日のように見え思わず「お母さん、綺麗だね」と言ったら殴られたらしい。先生曰く「真っ赤に燃えてて、べらぼうに綺麗だったよ」 街が燃えてるっつーのに…。
27 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/19 04:59 ID:Fph4eoEa
うちのばあちゃんは「焼夷弾を箒で落とす訓練してた。馬鹿でしょ。」と笑ってた。
じいちゃん・ばあちゃんっ子だった自分は、そんな話を良く聞いて育った結果、
昭和の戦時中=「暗黒」という単純な図式に理解できなかった。
んま、いろいろあったけど普通の日本人が、慎ましい幸せを感じながら生きていたんだろうなぁと思う。
28 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/19 05:16 ID:ExqZrlxW
うちのおばあちゃんの話です。
近くに米軍の飛行機が落ちて、見に行くと、米軍パイロットが死んでた。
おばあちゃんはそれを見て「あ〜産毛まで金髪だ」と思ったそうです。
かわいそうとか怖いとかはまったくなく、それだけ。
むしろ「ざまあみろ」くらいに思ったんだそう。
しかも、生存者がいたのに地元の農民がリンチして殺してしまったらしい。
↑下三行がなければ笑えたんだけど…
ついでに俺の親父が中4だった時の話。昭和20年9月。
授業中、GHQの人と通訳が入ってきたそうな。
で、なにやら教科書を指しながら、英語でまくしたてる。
その後通訳の人が
「戦争は終わった。だから、こんな教科書(墨塗りの奴ね)を
使う必要はない!今日は授業は終わり!皆帰ってよし!!」と言ったので
「うぉっしゃー!!GHQ様様だぜーー!」と
クラス全員で速攻映画を見に行ったそうだ。
時代が変わっても、子供は同じようなものw
>>12 ニトログリセリンがおろか、革靴まで煮て食べたそうです。
南方の島々では、米軍が「飛び石作戦」
(列島を順々に攻略して行くのではなく、飛ばして何個おきかに攻略する)
をとったため、敵の姿を見ないで飢え死にする兵士も多かったとか。
ちなみに、ニトログリセリンを安全に運用する方法を発明した
ノーベル博士は、晩年、心臓病の薬としてニトログリセリンを投与されました。
>>28 笑える話ではないのですが、似たような話が他にあります。
本土空襲のさなか、一機のB-29が不時着。
搭乗員は捕虜となり、「民間人に対する無差別攻撃」の罪で処刑される事に。
最後にその搭乗員はこう言ったそうです。
「私はあなた方を恨まない。あなた方も私達と同じように、国を守るという志を持っているのだから」
軍板からコピペ。
3 名前:名無し三等兵 投稿日:03/11/26 06:34 ID:+3HMZSv/
うちの祖母の親戚が、子供のころ(もちろん戦時中)新聞で「侵入せる英機を撃墜!大戦果!」という新聞の見出しを見て、
当時の首相が反乱によって撃ち殺されたと思ったらしい。
>31
やくざいし
おしょくじけん
ひできげきつい
31の英機って「えいき」でいいんだよね?
>>32 「えいき」であってると思います。
イギリス軍の軍用機、という意味で。
34 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/19 12:55 ID:nEE4VYvn
>>30 >「私はあなた方を恨まない。あなた方も私達と同じように、国を守るという志を持っているのだから」
非戦闘員である民間人を殺害した戦争犯罪人の言い残す言葉としては違和感の有るものだな。。同列ではないだろう。
>>34 まぁいまだに「国を守るという志を持って」あちこちで誤爆かましてる
国の人ですから、そんなもんじゃないの?
うちのじーちゃん諜報部員でアフリカまで行ったそうな
ウホウホ言ってる奴ばかりと思っていたら、いきなりフランス語で話されてビックリしたと言っていた
ライオンやキリンを見たかったが一匹も歩いていなかったと戦後ばーちゃんに語ったらしい
戦時中、敵を一人も見なかったとも
はははゾマホンが聞いたら怒るぞう。
アフリカはフランスの植民地時代が長かったので
フランス語を話す人は多いし
ライオンやキリンがそこらへんを歩き回ってると
思ったら大間違いだって、それこそ事あるごとに語っていたものね。
>19
たけしと言えば、終戦間近、戦力が残ってるように見せかけるため戦闘機のハリボテ作るってんで
父親がかり出された話もあったなあ。
「そんなことやってて勝てるわけがねえ」っつーのは、ほんともっとも(藁
>>37 > アフリカはフランスの植民地時代が長かったので
> フランス語を話す人は多いし
戦時中は植民地時代だったわけだが。
食糧難の時、ザリガニとか毛虫を食ったらしい。
ザリガニは美味で毛虫は苦かったとか。
うちは千葉の九十九里沿いだけど、東京大空襲の時は西の空がはっきり明るく
なってて、ゴミ燃やした時に出るような燃えかすや燃え残ったお札が飛んできた
そうだ。
別に笑えなくてごめんなさい。
うちのじいさんの話でも。
終戦の一ヶ月前、大規模な空襲があったんですよ。
で、当時我が家は空襲の目的地の途中にあるドイナカで牛飼いやってたわけ。
田舎とはいえ、空の上をわんわんとB29の大編隊が飛んでいる。
家族一同牧場の裏山に避難したんだが、ふと気がつくとじいさんが
牧場をつっきって放牧している牛たちの方にとことこ歩いている。
いつもと違う気配におびえる牛たちをちゃっちゃとまとめて
牛舎までひきつれて帰っていった。
牧場のどまんなか。空から丸見え。
B29が去ったあとでばあさんは
「なんて危ないことをするんだ」と泣いて怒ったそうだが
じいさんけろっとして言ったそうな。
「なーに、ヤツらカウボーイの国の人間だ。牛は撃たないべよ」
>41
うわ〜じぃちゃんハイカラだなぁ〜
祖父の話なんだが、学校で天皇陛下はうんこするの?って先生に聞いて
警察沙汰になったって言ってた。親と一緒に警察まで行って、警官と
うんこする、しないで大揉めだったらしい。
>>44 それはあのコピペを貼って下さいと言っているのか?
>>44 学生の言うことぐらい大目に見てやれよ警察w
>>44 お・・・・おおおお面白い(笑)
凄いなあ・・本当に「天皇は神」だったんだ。
>>45 あのコピペ?
>>47 石川ってウンコするの?
のまとめ表みたいなやつだと思う。
天皇陛下ってウンコするの?
しないよ派 ─┬─ 肛門ないよ派 (急進的皇道派)
│
├─ 肛門あるよ派
│ │
│ ├─ 肛門からは何も出ないよ派 (穏健的皇道派)
│ │
│ ├─ 肛門から出るものはウンコではないよ派
│ │ │
│ │ └─ 天皇陛下の排泄物は本質的にウンコなどではない派
│ │
│ └─ 肛門から食べ物を出すよ派(建国神話派)
│
└─肛門ではない穴があるよ派
│
└─そこから出るものはウンコとは呼ばない派
するよ派 ─┬─ 人並みにするよ派 (人間宣言派)
│
├─ 他の人より大量にするよ派
│
├─ 肛門は無いがウンコはする(天皇機関説派)
│ │
│ └─ 肛門じゃない第4の穴からウンコするよ派
│
├─ 皇太子時代はするけど即位してからはしないよ派(あなた、交替してんか派)
│
│
├─ 陛下ご自身がその見えざる左手により何処へと運び去るんだよ派 (インド人派)
│
└─ ウンコをした10^-36秒後に虚数時間の量子宇宙に転移するから「実質的には」しないこととおんなじ派
第4の穴?ってことは天皇は(以下自粛
うちの叔母は疎開先で野糞をする場所を芋畑の一角に定めていたらしい
そいでもって収穫時期に特大の芋をMy芋として貰ったそうな
53 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/26 18:42 ID:MRhONdB3
あげてみる
54 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/26 19:10 ID:z+NkBYDm
まぁ なんだ 戦争はもう起こすなってことだな。ブッシュ
55 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/26 19:31 ID:YHAtmRYl
うちのじーさん軍需工場の技術者で戦争にはいかず、
軍からお金もらったり接待うけまくり。砂糖や米などたくさんもらってきては働きにきている女学生にわけていたらすい
ばあちゃんが死ぬ間際まで『あんたは若いムスメに甘い』と言ってた
……小学校の先生にこの話したら激怒されたっけ
いい男
>>28 うちのばーちゃんも、まったく同じこと言ってた。
刑事訴訟法の教授の話。
教授は終戦後数年してから司法試験を受けた。
面接試験で、憲法(もちろん現行と同じ憲法)の科目で「天皇」について出題されたので、
いろいろ答えていたら、
突然、3人の出題者のうちのメインの先生が立ち上がって
「貴様、天皇陛下を「天皇」と呼ぶとは何事だ!!土下座してあやまれっ!!」
と、多分皇居の方と思われる方角を指さして怒鳴ったそうな。
固まる教授。
結局隣の先生が、激怒するメインの先生を取りなして、それから教授に
「このままではあなたも辛いでしょう」と、
2,3優しく質問をしてフォローしてくれたそうだ。
教授は絶対落ちると思ったけど、結局受かっていたそうです。
50年前この国は北朝鮮だったんですね。
うちの爺さん、徴兵されてすぐに結核にかかってることがわかって、
すぐに戻ってきたらしい。涙を流して見送ってもらった近所の手前
かなり肩身のせまい思いをしたらしいw
元々「クソ」がつくほど頑丈な身体だったので
結核はすぐに自然治癒して、完治したことをひたすら隠し通し、
大地主だったこともあって有り余る金を使いまくって
混乱してる世の中を尻目に戦中戦後を通じて芸者あげて遊び倒してたそうな。
爺さん曰く「婆さんに女関係を追及される事がわしの戦争だった。」
インフルエンザで死んだ81歳のその歳まであっちのほうは健在で
葬式のときに29歳の愛人が挨拶に来たのには驚いた。
61 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/27 15:24 ID:yPDSdTuP
以前ベストセラーになった野村進氏著『コリアン世界の旅』にこんなエピソードが
書かれていた。
ベトナム戦争中、韓国軍の大虐殺があった旧南ベトナムの村を野村氏が取材に
訪れた時のこと。
同氏が村に入って行くと、同氏を見る村人たちの目つきがおかしい。
遠巻きに同氏を疑わしげな目で見ながら、「ダイハン(大韓)…、ダイハン…。」と
囁き合っている。
通訳の人が、「この人はダイハンじゃない。ニャッバーン(日本)だ。」と言っても、
「日本人なんて言ってるけど、本当は韓国人じゃないのか?」と始めのうち怪しん
でいたが、本当に日本人と分かると急に村人たちの表情が明るくなり、村人たち
は笑いながら「おしん」の話に花を咲かせたという。
62 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/27 15:59 ID:szSZES+s
曾祖母の話。
空襲警報が出たので、当時4〜5歳だった祖母の手をひいて
慌てて家を飛び出した。
避難場所に到着すると、自分と手をつないでたはずの娘が
なぜか隣の家のおじさんに抱かれて泣いてるので、
あら?と思って手元を見ると、ブサイクな猫のぬいぐるみだったらしい。
26と似たような話ですが。
名古屋に住んでたじいさんの弟(最近亡くなりました。合唱。)が
死ぬ前に話してくれた事。
名古屋空襲の時に名古屋城が炎上したのを目の当たりにした当時
学生だったじいさま(家族のなかではこう呼んでた)は、体がうち
震えるほどきれいだな〜と思い、かつその美しさに圧倒されたそうだ。
でも周りの大人達は城が炎上する様を見て「日本は終わりだ…」
と泣き崩れてる姿を見ると何か悪い気がして、とりあえずウソ泣き
しとこ、と思ってたそうだ。
64 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/27 16:19 ID:PMNyUrsK
なくなったうちの祖父は敵国の兵の後ろの茂みに隠れていて
我慢しきれず豪快な屁をこいたとんでもない奴だ
いいスレだな。上の世代から直接に歴史を語り継いでもらうのは
とても大事なことだと思うんだよなぁ。
俺も聞いてみたいけど祖父母とも戦争に悲観的なんだよね。
爺ちゃんは赤紙が来ると醤油を飲み、体調不良で徴兵免除されてたらしい。
66 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/27 16:56 ID:WYc3M6ct
爺さんが徴兵されたときの話し。
体格テストで甲乙丙をつけられた。
横一列に並んで、各自「甲、合格!」「乙、合格!」と合格した級?を大声で言うんだけど、体格がしょぼかった爺さんは「丙、合格!」というのが恥ずかしくて「へ・・・へい合格!」と少し小さめの声で言ったら、お偉いさんに怒られたそうだ。
67 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/27 18:18 ID:lQy5F2Le
>>66 これにまつわるちょっと面白い話.
徴兵検査に不合格はないんですよね.
兵役に適さないという判断=実質不合格でも
丁種合格っていうのね.
ちなみにいくつかネタが入(ry
うちの爺さんはノモンハンに出征したが、すぐにケツが凍って極度の痔になり、
軍医に戦闘不能と判断されるほど悪化して野戦病院に収容されてそのまま終戦をむかえた。
結局亡くなるまで痔主(軽快したけど)だったが、「痔のおかげで助かった」とずっと言っていた。
70 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/27 19:11 ID:XA+akFDq
名前忘れたけどある画家の話。
軍から、兵の士気を高めるために、
米機を日本が撃墜するような感じの絵を描くよう依頼された。
しかし、資料にもらった米の戦闘機を見て思わず
「かっこいいー!」
と言ってしまい、敵国味方発言としてこっぴどく叱られたらしい。
禿しく良スレのヨカーン。
自分も何か笑える話を仕入れて来よう。
小学校時代の校長は戦時中、ろくな食べ物も食べれなかった時期
道端で干し芋が落ちているのをハケーンしてこれ幸いと喜んで拾い口に入れようとしたら
干し芋に見えたそれは、夏の日差しでパリパリに乾いた犬のウンコだったそうな。
>>58 そりゃ今のイギリスでもHer Majestyって呼ばなきゃ怒るひともいるよ。
その先生の反応はおかしいけど、教授の常識のなさにもあきれますな。
>>73 いや、司法試験で出されるんだから、天皇個人ではなく
憲法上の『天皇』についてだろ。
教授だって戦中育ちならその辺の常識がないはずもないし。
75 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/28 15:40 ID:NUxJRqDp
知り合いのおじいちゃんは山菜が大嫌い。
戦時中いつもおなかを空かしてた時でも
山菜だけは絶対食べなかったそうだ。
好き嫌いもここまで徹底されると凄いな…
うちの親父は特攻隊に志願していたが、次が自分の番だというところで終戦を迎えた。
親父と派手な喧嘩をするたびに、母親がいまいましそうに「悪運の強い奴」と言ってる。
自分の母親の好物は「干しバナナ」。
子供の頃(戦時中)は好きな時に欲しいだけ貰えていたそうだ。
近所の手前「くだもの」でなく「けだもの」と呼んでいたそうだ。
(どうやら軍需物資の横流ししてたらしい)
78 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/29 03:19 ID:aQ3Dpa9y
事実かどうかわからないコピペだが
パンはその体積の25〜30%程度がウンコになるに過ぎないが、
米は50%近くがウンコとなる。このため日本人のウンコは世界一量が多い。
パスタ類は40%程度であるため、これに次ぐのはイタリアである。
太平洋戦争の最中、ある小島に450名の日本兵が立てこもった。
これを偵察に来たアメリカ兵はトイレを調べ(人数把握の基本である)、
その量から2000人はいるはずと報告。この情報を元に米軍は必要以上の
猛烈な総攻撃を開始、日本軍はあえなく玉砕の憂き目を見ることとなった。
79 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/29 03:32 ID:H/dg3Pjw
>>78 事実。
純和食は食物繊維が豊富で、当時の日本人はめちゃくちゃ快便だったそうな。
良スレ上げ(´∀`)
俺の爺さん減反が気に入らず酒に溺れて死んじゃったからなぁ。
81 :
おさかなくわえた名無しさん:04/02/29 04:41 ID:diKAbEbD
とか言いながら上がってない
うちのじいさんは南方で捕虜の監視にあたったそうだ。
で捕虜に「縄がきついので緩めてくれ、逃げないから」と言われ
緩めたらあっさり逃げられたそうな。
勿論上官に死ぬほど殴られたらしい。
あと知り合いの親父さんなんだど、高雄の師範学校の学生ながら兵隊に入隊(正式にはなんと
いうのか知らないけど)して、配属されたのは砲兵。数学を専攻していたその人は、着弾点を
三角関数で計算して、「仰角○○度」と叫ぶ任務だったらしい。そして爆音で耳が遠くなって
電話すると「私は戦争中〜(と長々と説明) お蔭で耳が遠いんで大声で話してくださらんか」
というのはなんか微笑ましい。
>>78 おれが聞いた似たような話では、日本の便所は個室だが
アメリカでは横に渡した板に穴が並んでいる形なので
(電車に座るように、横に並んでウンコする)
便所のスペースから割り出される人数がかなりちがう。
偵察にきたアメリカ兵は、便所の大きさから実際以上の
人数を算出した。。。てやつ。
結構米軍も間抜けだったんだな。
有名な話としては、
戦時中、街中に貼られていた「ぜいたくは敵だ」のポスターに、
だれかが「<素」を書き加えて回り、
「ぜいたくは素敵だ」
にしたとか。
なんかマターリしてて微笑ましい話ですね。
誰から漏出したかが判ると身内にいじめられるので、続柄は書かない。
場所は中国、北京のちょい南。
その兵隊さんは、占領地の哨戒と治安維持……というのは名目で(実際にゲリラが多いんだが)、
ありていに言えば、難民化して逃げてしまった中国人の家から、食料や資材を接収(略奪)すること。
で、その街んなかの割合大きな家で、紐のかかった朱塗の重箱のようなものを見つけたそうな。
結構な重さで、なかなか良い具合の塗り物の箱だったので、きっと、値の張る宝物が入っていると、
ワクワクしながら持ち帰り、小隊長に戦果報告し、開けたそうな。
開けると、砂が入っている。砂を掘ってみると……肥やし臭いと、しなびた漬物みたいなものが
出てきたそうな。その部隊は、九州の農村地帯からの徴兵だったから、肥やしの匂いを間違うはず無い。
金持ちのォマルだったそうな。
日本軍って北京攻めていたっけ。
うちのじいさんが戦時中の話をしてくれてるときに
「オオサンショウウオは捕まえやすくて、焼いたら白身魚みたいで美味かった」
とか言っとりまして
「ほ〜。オオサンショウウオ食ってもよかったんか〜」と言ったら
「まぁ、もう天然記念物やったんやけどな」と、あっさりと言ってた。
>>85 他にも「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」の立て看板の工夫の工を消して
「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」にしたとか。
ある潜水艦の艦長の話。
当時、その潜水艦はアリューシャン列島の辺りで活動していた。
この辺りは海水温が低く、一度海に落ちればまず助からなかったそうだ。
実際、酒によって海に落ちた兵士が死亡する事故が多かったとか。
その話を聞いた艦長は「酒は危険だから処分する」と言う名目で
部下の士官と一緒に酒盛りを始めた。
で、程よく回ってきた頃、小便をするために甲板に上がった…のは
いいんだが、足が滑って海にドボン。
幸いすぐに引き上げられ、部下の必死の心臓マッサージで
一命を取り留めたそうな。
当然、この事が上官にばれてお咎めを喰らいそうになったが
「心臓マッサージの実習をした」と言い訳をして逃れたらしい。
90 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/01 08:04 ID:PhSj1AEL
よく知らないが、海軍かなんかの技術屋だったウチのじいさんが
「戦争末期は木造の零戦つくってとばした」
とか言ってたけど、木造じゃ勝てないわな
91 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/01 09:31 ID:KFCmiuax
>>90 それは特攻隊用の戦闘機ですよ。
燃えやすく作るために木材使用・・・
92 :
おさかなくわえた名無しさん :04/03/01 09:48 ID:kuILgR98
うちのじーちゃん20代の初めに支那事変で戦地に行って、敵の陣地を
攻める時に壁を上っていったら中から手榴弾みたいなのが飛んできて、
足元で爆発したらしい。でもじーちゃんに全くダメージはなくてなんか花火
みたいだったて笑ってたよw。その後、なんとか生きて帰って来たけど、
三ヶ月もしたらまた呼ばれてw、今度はビルマに行って、その後敗戦で
捕虜になった。かれこれ20代の全部を戦争で費やしたらしい。
でも今現在も生きてるw。じーちゃんあんたすごすぎだよw。
詳しくは聞かなかったんだが、俺のじいさんは戦時中満州で騎兵隊をやっていたそうで
開戦直後に速攻で捕虜になり、そのまま昭和20年の春くらいまで捕虜。
どうにか帰ってきてゴタゴタしてるうちに終戦。
ろくに戦争らしい戦争はしなかったそうな。
>>90 ゼロ戦じゃなくて「剣」っていう飛行機だな。
軽量化と、金属が不足していたために木製になったらしい。
ちなみに木製の軍用機ってのは結構あった。
イギリス軍が木製の爆撃機でドイツを爆撃して結構戦果を挙げてる。
まあ日本には主翼が紙でできた飛行機もあったわけですが。
>>90 ウチの地元では陸軍の木製飛行機を作っていた記録がありました。
「隼」の木製版らしかったけど、初飛行の際に、着陸する時に機体の重さ
に耐えられずに主脚が折れたらしい。
結局5機生産したところで終戦となり実戦では使われなかったそうだ。
>>95 ググッてみたら「隼」でなくて「疾風」だった・・・。
キ106と言う名前で、かなり高い技術水準でつくられていたらしい。
ウチの実家(文京区某所)は、空襲に備えて延焼防止に
家を間引くとかで、半月後の8月16日に役所がお宅を潰しまーすと
近所じゅう言われたらしい。
それで、留守を守ってる祖母は、うちは実家が両方とも都内で
疎開する所も家財預けるとこも荷車とかもないから、
ええい、潰すぐらいならみんな売っちゃいましょ!(江戸っ子)と、
床の間の柱も庭木も箪笥も畳も梁も襖も瓦も、
ちょっと売れるいい物はみんな売りさばいたそう。
そうしたら、15日に終戦して、家は無事w
軍の技術者で、九州で働いてた祖父が帰ってきて大喧嘩w
ちなみに戦争末期にもかかわらず、家財一式は婆様が結構高値で
売りさばいたので、戦後は家はからっぽで壁しかない状態だけど、
お金には余り困らなかったらすぃ。屋根はトタンで急場を凌いだそうw
>>97 間引き疎開って集中的にやってたんかね。
九州でも似た時期に間引きやる予定があって、
悔し紛れに前日に自分で壊したら翌日終戦、という話あり。
ちなみにその話し手は行くあてがないので玉砕覚悟で間引き断って事なきを得たとか。
99 :
97:04/03/01 19:06 ID:Qp58I3hu
>>98 自分で壊したのは惜しい・・・でも気持ち分かる_| ̄|○
長谷川町子さんの「サザエさんうちあけ話」でも、
隣のオジサンが床の間自分でボコボコにしたら翌日終戦、てあったよ〜
戦争末期で、空襲すごかったのかな。
ちなみにうちの祖母は、家が間引きされた後、
自分の身柄は鎌倉の親戚宅に疎開するはずだったらしいけど、
鎌倉の親戚も男手は徴兵されてて婆・奥・子2人だから
手伝ってもらうのも無理で、車とかも無いし
手荷物以外は持っていけないから、いっそ景気よくw売りさばいたらすぃ。
数年前に亡くなるまで、竹を割ったような江戸っ子婆様ですたw
渋谷で戦前から不動産屋をやっているおじいさんから直接聞いた話です。
終戦直後、そのおじいさんは中学生だったそうですが、渋谷駅前の土地を
韓国人が不法占拠して、地主である日本人が明け渡しを求めても無視。
で、困った日本人地主らはGHQに相談。
土地の明け渡しを求めにきたGHQと韓国人たちとの間で撃ち合いにまで
発展したそうです。
結局、日本人地主は泣き寝入りした人がほとんどだったとか。
こんな話、あちこちの駅近辺でごろごろしてるんだしょうな。
笑えなくてごめんなさい。
101 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/04 22:59 ID:7+T8hY7b
油age
直接聴いたハナシではないけど……。
作家の星新一は現東京大学を受験する際、「ああ、そろそろ戦争始まるだろうから、そうすると英語は
出なくなるな」と考え、英語を全く勉強せず他の科目に集中、結果見事合格したらしい(藁
この発想力はさすがだなー。
104 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/05 01:37 ID:G9lBsJYv
水木しげるは見張りで寝てしまって、
その間に陣地(飛行場だったかな)を強襲されて仲間大量戦死。
しげる先生は「しょーがねーなー」と笑っていたそうな。
笑えねー。
105 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/05 01:40 ID:uyFAr1vv
祖母は当時酒屋。
空襲で何もかもなくなったけど、宮内庁の米酒しょうゆを扱ってたせいで
二階建てを立てたそうです。回りはまだ焼け野原。
>>104 そうじゃなくて、寝ている所をたたき起こされてムリヤリ遠くで歩哨に立たされてたら、
その間に陣地が急襲されて全滅、遠くにいたしげる先生だけ偶然助かったんじゃなかったか。
ちなみにその後はヤリ持った原住民に追われて12時間くらい海につかってたり、崖にぶらさがったり
ぬり壁と遭遇したりしてさんざんな目に遭い、命からがら本陣に逃げ帰った、と自伝の漫画に書いてあった。
>>104,
>>106 それで、傷が化膿したか何かで片腕になっちゃったんだよねん。
漫画家なのに。でも水木センセは「いや〜しゃあないねハハハ」と笑ってた。
108 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/05 02:30 ID:zEIkyToO
別に笑える話ではないけれど…
うちの死んだじいさんは鉄路警護軍とかで満州にいたが、満州ではヨーロッパ風の
集合住宅で結構いい暮らしをしていたようだ。
集中暖房で、ゴミもダストシュートみたいな設備で各部屋から捨てられるし、
中国人のお手伝いさんを雇っていろんな中華料理をつくってもらったり。
終戦時には治安が急速に悪化して、中国人による略奪行為なんかがいっぱいあって、
そんな中で小さい子供だった親父や叔父&叔母を連れての引き揚げて結構大変だったみたい。
>>107 しげる先生の腕はその後、マラリアかなんかにかかって熱で動けなくなって
寝てた所を爆撃されて、重傷。でも、輸血すれば切断しなくても助かるレベルだったらしい。
しかししげる先生はこの人生の一大事に、自分の血液型をど忘れ。
軍医はしかたなく十徳ナイフ(ヒィ・・・)で切断したらしい。
でも左手だったのが不幸中の幸いかな。右だったら鬼太郎とか読めなかったかもね。
ABO方式検査薬が無い時はコレ!
自分の血液型がわかっている人の血液と
わからない人の血液を小皿等で混ぜ合わせてみる。
凝固が起こらなければ血液型は等しく、結果的に血液型を知ることができる!
本当かよ!
ごめん、手塚治虫さんの漫画「ブッダ」からです。信じちゃ危ないかも。
でも実のところは、実際にその方法で見分けることが可能なのか
実験したことがある人(いるか?)から話を募集中!
111 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/05 11:23 ID:SxqF5WfY
>>102 あなたにとって何か不都合なことが書いてありましたか。
112 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/05 11:34 ID:ucv9iw2m
父は田舎の出なので、疎開者を受け入れる側だった。
当時小学生の父は、疎開してきておなかをすかせた子供達によく
弁当を盗まれたそうだ。地元はさほど食料が逼迫していなかったので
注意を払うということに気付かなかったらしい。昔からマヌケだったのね。
113 :
112:04/03/05 11:39 ID:ucv9iw2m
↑続き
母は鉄道の駅から30キロ以上離れたさらに不便な山奥に住んでいたので
疎開してくる人もいなかったとのこと。
燃料不足でバスもろくに走らないから、まともな情報など入らず
村民どうしの口コミ情報にどんどん尾ひれがつくため
相当密度の濃い軍国チックな状態になっていたという。
114 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/05 12:28 ID:WEN/Vp7l
一昨年永眠した叔父さんの話。
山奥の、そのまた山奥だったからか、戦争の緊迫感もあまりなく、
暇さえあれば防空壕に女を連れ込んで楽しみに耽っていたとか。
ところが或る日、勤しみ中に見回り連中に見つかり、引きづり出され
「お国の大変な時に、おまえは一体何をしとるんじゃ!!!この馬鹿者が!!!」と
ボコボコに殴られ、あまりの痛さにそのまま気絶、目が覚めた時には服や
下着も全部持っていかれてた。
しかたなく全身裸で家まで帰ってきたら、既に服や下着が届けられていて、
連中から状況を聞かされていた婆さんからは「この非国民が!!!」と、
またこっぴとく怒鳴られ、素っ裸のまま庭の木に縛り付けられた。
で、婆さんは、まだ幼かった母に「兄ちゃんが逃げ出さんように、見張っとれ。
おかしな真似したらこれで殴れ」と木っ端を渡し、何も判ってない母も
調子に乗ってペタペタと叩きまくったとか。
叔父さん「日本が負けた云々より、俺はアレが1番辛かった」と言ってた。
116 :
104:04/03/05 13:15 ID:G9lBsJYv
117 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/05 13:26 ID:jYVOUUX8
うちのばあちゃんは白鳥をつかまえて食べたそうだw
ひょえええ
119 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/05 13:38 ID:IpqOAu72
高校教師・談
「研究室で椅子に座って本を読んでたら空襲警報が鳴った。
めんどくせーなーと思ってそのまま本読んでたんだけど、
そのうち校内の他の施設に焼夷弾が落ちて、消火に駆り出された。
研究室に戻ってきたら、不発の焼夷弾が一発屋根を突き抜けてきて、
さっきまで自分が座っていた椅子に刺さって煙を上げてた」
うちの母親・談
「猫は煮てもアブクばっかり出てまずい」
「水牛は噛んでもゴムみたいで噛み切れない」
>>110 多分ムリだと思う。俺もブッダ読んだけどあれはおかしいと思った。
違う血液型混ぜても固まることはないはず。
ドイツ軍なんかは将校には重傷負っても助かるように体に血液型を入れ墨しておいた
らしいけどね。日本ではそんなことしなかっただろうし。
まあドイツ軍の血液型入れ墨は戦後のナチ狩りに役立ったわけだが・・・・
(血液型の入れ墨ハケーン→こいつナチスの将校だ→捕まえろ と)
>>110 その方法で判別した血液型と実際の血液型が違って、結果的に間違った
血液を輸血されてしぼんした事故が戦時中・直後は多かったらしい。
特に、O型は他の血液型の血に混ぜても凝固しないけど、の血液型の血を
輸血するとヤヴァイからね。
>>120 日本兵の場合、戦闘服に大きな名札(体操着の真ん中のアレをイメージして
もらうとよろし)が縫い付けてあって、そこに名前と住所と血液型が書いてあった。
ただ、やっぱりそれも大分間違いが多かったらしいけどね。
アメ兵はそのころからドッグタグがあったし、
住所ってやっぱアレですか、遺骨用ですか・・・・
日本軍って死ぬこと前提にしたもの多いよね。
124 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/05 14:57 ID:IpqOAu72
そうね。
ドッグタグ(米兵認識票)なんて、名前・所属部隊・血液型の他に
信仰宗教まで書いてあるっぺ。
どこで死んでもその場で弔い可能(w
他の国ではどうか知らんが、米軍では
死んでしまって、顔や身元の判別が困難な場合に備えて
全ての兵士のDNAサンプルを軍側で保管してるそうな。
ベトナム戦争で死んでしまった兵士の
遺骨集め・身元の確認にあまりに苦労したかららしい。
だったら戦争避けろよと思った
128 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/05 20:38 ID:scEFXUNI
でも必死で探してくれるのも評価したいよな
129 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/05 22:00 ID:aWjlyFSP
俺の祖父は呉で従軍していた。原爆当日、呉から
広島市内に向かう予定だったが、なぜか中止になったらしい。
それが中止にならなかったら・・・(((((;゚Д゚))))))ガクガクブルブル
ちなみにキノコ雲も見たとさ。全然わらえねえー
130 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/06 05:05 ID:CxSAhwoi
爆撃されてる中
不発の焼夷弾をしゃべるですくって自分地の地所じゃない所に移動させる
するとそこの土地の餅ぬ素が出てきてまたよそへ・・・
リレーのようになって川に行き着くようだ
131 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/06 09:10 ID:aeaKG2Lz
>2
いい加減なことを言うな。
ほとんどの日本兵は捕虜になると聞かれもしないことまでベラベラと喋ったんだよ。
133 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/06 09:37 ID:V+eX8Doe
猛烈に亀で恐縮です。
>>78 私が読んだその話のオチは
「日本兵の数が想像以上だったのでアメリカ兵は攻撃をやめた」
というものだった。
読んだ時には
「もう絶対にこれからはパンじゃなくて米を食べよう。主食は米!!」
と思ったわけだが。
>>78読んだら米食べてちゃダメじゃんかYO!!と。
俺んちのじいちゃん、二人とも戦争に行ってないんだよね。年で言えば徴集されてる年なのに。
母方は身長が足らなかったのと、目が悪かったので徴集されなかったらしく、
父方は教師やってたんだけど、思想犯で投獄されたりしてたらしい。
なんで、面白い話が聞けん‥‥。
父はギブミーチョコレートをかろうじて覚えてるらしいが。
こんどちょっと突っ込んで聞いてみるかな。
135 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/06 11:00 ID:gb1eY6hp
親戚のじいさまは徴兵されて配属先が毒ガス戦部隊だったらしい。
オウムのサリン事件の時、TVに映る防護服を一緒に見てて、
「自分たちの防護服はウエットスーツみたいにゴム引きで通気性が無くて
暑くて暑くて」とか、「オウムが使ったのは”あか弾”(くしゃみガス)か
”きい弾”(糜爛性)か?」と言い出したので、おれが「いや、じいちゃん
サリンっていう神経性ガスだよ」「なに、あんなもん使ったのか」などと
傍から聞くとマニアックな会話をしてました。(ここまでは笑えないので・・・)
その後、上官が同郷だったのと勉強ができたおかげで憲兵になり
終戦まで戦地に行かなくて済んだそうです。当時はモテモテで
(当時の写真を見せてもらったけどほんとに「ウホッ、いい男」だった)
3つ又かけていてばれて修羅場になったりとか、なかなかお盛んだった
ようですが終戦になったとたんみんな逃げられて、今では奥さんの尻に敷かれて
「ワシはホントは結婚したかったおなごは別におったんじゃ・・・」
と酒が入るとぼやいてます。
でも、たとえ人生の一時期でもモテモテだったからいいじゃん。
俺なんか・・・。_| ̄|○
病院の患者さんで、もと軍人だった人が結構いる。
その中の1人は中国へ行っていて、軍事に疎い私が聞いていてもわかるほど
かなり上の地位についていたようだ。
自活するために駐屯地の周囲に畑を作って野菜の栽培をしたそうだけど
中国人が栽培を教えてくれと言ってきたので、色々と指導したらしい。
そこは寒かったので、苗の保温の方法とか、中国に無い野菜の栽培法や種の採取、
肥料のやり方など。できた野菜を中国人が持ってきてくれたことも。
でも「全部食べてしまってはいけない、次の種を取る分は必ず残して置け」と
何度言ってもわからず、必ず全部食べてしまって、日本軍に「種をください」と
しょっちゅうやってきた。「だから駄目だって言ったろ!」と怒りながらも
種や苗を分けていたそうです。
その人は物静かで穏やかに話すやさしいおじいさんで、痛みを伴う検査でも
「あー、またあれかー。痛いんだよね」と言いながらも頑張っていました。
でも「俺は軍人だったんだぞー!」と威張りちらすような人は、根性無しが多かった。
137 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/06 15:07 ID:UOATmdbQ
食糧難回避の為か父の小学校では校庭を潰し農作物を栽培していたそうです。
のんびりした土地柄なのか最初のうちは監視も緩かったそうですが、
配給も切迫してきた頃になると、勝手に引っこ抜いて持っていてしまう人や、
腹を空かせた悪童がやはり勝手にもいで食べてしまったりして、それを防ぐ為に、
男の先生が見回りや監視をする為に宿直をするようになったとか。
で、うちの父もその悪童の1人だったようで、よく仲間と示し合わせて学校に
忍び込み、芋とか野菜を食べてたとか。
1度運悪く当直だった先生にみつかり、「こんなことじゃ立派な兵隊さんには
なれんぞ!」としこたま怒られたそうです。
が、そのまま素直に怒られていればいいものを、父は「腹が空いてたら立派な
兵隊さんにはなれません」と言い、先生を余計に怒らせて、顔の造詣が変わる程に
殴られたそうです。
この話を婆さんから聞いた時、「あの子は昔から1言多かった」と
言ってました。
>>136 いいなあこういうの。またーりと笑った。
139 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/06 19:15 ID:j1DVxPJJ
なにげに覗いてみれば、良スレじゃないか
140 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/06 19:23 ID:zvSYCUjP
私のおじいさんは炊事兵だったらしい
141 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/06 20:28 ID:xJtrbav9
俺の叔父さんは戦争当時鹿児島に住んでた子供だったんだけど
沖縄に物資を運ぶ輸送船が米軍に沈められると、我先に
流れ着く缶詰などの食料を泳いで取りにいったそうだ
飢えた子供心に早く船が沈んでくれないかな〜と期待してた
罰当たりだと苦笑いしてたよ(笑)
142 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/06 20:35 ID:ZtpAYF1t
学校で髪についたシラミの数当てっこが流行っていたと父は言う
旦那(中国人)の祖父 毛沢東と蒋介石の戦争で 結構土地持ちだったので
土地を守る意味で自腹で軍隊をつくっていたそうですけど 蒋介石が追い詰められて
最後の方になったら 一緒に台湾に逃げようってお誘いを受けたそうで。
ただじいさんは 家族がいっぱいいたんで 台湾には行けなかった為
戦後18年間投獄されて 指1本ないです。
この為義母は結婚が遅かったし 叔父さんは中国の大学に行けなかった。
しかしもっとすごいのは 歴史上の人と友達の爺さんがピンピンしてる事。
もうかなり前から危ない危ないと言われているけど
昔の人だから 頭はボケてるけど 体はしっかりしてる。
>>144 投獄されたって、中国政府(毛沢東側)に?
すごい人生だな…
自腹で軍隊ってのもすごい。
おれの叔父さんは南方に行ってたらしいのだが、ジャングルでたまに
敵機が飛んでくると38式で地上から応戦してたらしい。でもあたりゃしないし
あとの掃除がめんどくさいので、撃ったふりだけしてたって言ってた。
148 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/07 18:19 ID:RXkbvDFI
精神科相談 引きこもりになった兄
○相談者:
26歳の兄は、学校での再三のいじめがきっかけで人が恐くなり、引きこもるるようになりました。
もう12年程になります。家では、昼夜逆転の生活で、マンガ、アニメ、ゲーム、パソコンに夢中で、
家事も全くせず、文句だけは言い、一番いばっています。今は、一日中自分の部屋に引きこもって
パソコンに向かって、インターネットの掲示板に何か書き込んでいることが多いようです。兄が
パソコンから離れたすきにのぞいて見たら、「非国民!」、「売国奴!」、「ブサヨク死ね!」、
「チョン死ね!」とか、兄はネット上の見ず知らぬ人に対して罵倒ばかりの文章を掲示板に沢山
書き込んでいました。兄が戻ってきて、私がのぞき見していたのがばれると、「お前はブサヨクの
スパイか?」、「売国奴は出てけ!」とか、兄は意味不明の言葉を叫んびながら、私を責めつづけ
ました。ある日、兄が右翼団体に入会したと家族に告げました。兄は無職なので、右翼の会費を
支払えと家族に命令しますが、断ると、激怒して、「国賊め!お前らがブサヨだから、日本が
駄目になるんだ!日本再生こそが日本人としての義務だ!協力しろ!」とか、おかしなことを
口に出して、両親や私を責めつづけ、食器などの物を家族に向けて投げたり、「殺される!」かと
恐怖を感じ、結局、毎月、払うはめになってしまいました。「これじゃいけない」と何度も家族で
話し合ったりもしましたが、両親は、「もし動いてみて、これ以上悪くなったらいやだから」と、
どこにも相談にいこうともしません。兄は、音に病的に敏感な面など、ちょっとしたものは多々
あり、ささいなことで激怒し、怒りだすと何時間も家族を責めつづけ、暴力も有ります。
兄は、ただの対人恐怖のある引きこもりでしょうか? それとも精神病でしょうか?
○精神科医:
12年間も引き籠もっている事と、ネット中毒の事と、些細なことで暴力をふるう事を合わせると、
あなたのお兄様は精神分裂病(統合失調症)と診断致します。
放置している御両親の姿勢は、問題を先延ばしにしているに過ぎず、最悪の結果に繋がるでしょう。
一日も早く受診して治療を始める必要があります。
149 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/07 18:53 ID:erMDwrOC
シンガポールに行った祖父。クサイ果物で有名なドリアンがうまかったそうだ。他にマンゴーや果物をよく食べてたらしい(W 88歳、目は悪いが元気です!
死んだ祖父の話。
当時珍しかった車の免許を持っていたので、軍隊に入って中国に送られた後もわりと優遇されていた。
ある日チーズが支給されたが、日本では見たことすらなかったので、
石鹸だと思ってそれで体を洗ってしまった。
いろいろ楽しかったらしく、「もう一回戦争行きたい」とよく言っていた。
一方、国内の軍需工場で看護婦していた祖母の戦争話がグロイのばかり。
腐った足をのこぎりで麻酔かけずに切ったとか。
不調を訴え駆け込んできた近所の子供に虫下し飲ませたらうどん一玉分出たとか。
のこぎりの話を聞いたときは子供だったのでこわくて泣きました。
かなりのすれちがいだが
戦後○○年たってやっと出てきた男の話がききたい
152 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/07 21:03 ID:/SAH7tRr
爺ちゃんが「わしの教え子が会いに来る」とかよく言っていたので、爺ちゃんは
学校の先生だとずーと思っていたが、実は陸軍のスパイ学校の教官だった。
>152
中野学校かよ!
どっかの山奥から出てきた奴か
155 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/07 21:24 ID:i+29kNau
156 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/07 21:30 ID:i+29kNau
>>78 ひぃぃぃぃ。笑えるような笑えないような…
第二次大戦中のドイツにて
A「良い知らせと、悪い知らせがある。どちらを先に聞きたい?」
B「良い方を先に聞かせてくれ。」
A「実は、アドルフ・ヒットラー が死んだ。」
B「本当!?。ところで悪い知らせのほうは何だね?」
A「今の良い知らせが、実はデマだと言う事だ。」
158 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/07 22:43 ID:+oLWz+kD
>>114 叔父さん、そりゃぁ辛かっただろうな。
ありがとう、笑わしてもらったよ。
159 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/07 23:31 ID:DLK6MQCg
私の亡くなったおばあちゃんは、戦時中、空襲警報が鳴っても、
まだ赤ちゃんの母を抱っこして飛んできた飛行機を眺めていたそう。
(「死ぬときは死ぬんだろうから」、ってw)
それで私が聞いた生前のおばあちゃんの発言、
「最近の飛行機は小さいねぇ。戦争の時飛んで来た飛行機はもっと大きいなんやったよ。」
そりゃ、空襲に来たB29は頭すれすれを飛んでたからやろー、
最近のジェット機はもっと高いところ飛んでるからやん、と母につっ込まれ、
「ほんになぁ」て感心してましたw
おっとりした京女のおばあちゃんでした
160 :
159:04/03/07 23:35 ID:DLK6MQCg
「大きいなんやったえ」って言ってたかな。
もう亡くなって20年たつので、おばあちゃんの京都弁忘れてる…
161 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/08 04:04 ID:GsjLSSsL
でもB29もかなり大きな機体で
それなりに高い高度を飛んでたのさ
>>162 「国民学校だろ?」と言いたいのだろうが、そんなことどうでも良くないか?
164 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/08 09:19 ID:y8W9MJgM
うちの爺ちゃんは、料亭の調理人をしていたので、
陸軍部隊の料理人として従軍したらしい。
戦時中だというのに、つまみ食いばかりしていて
戦争が終わって帰ってきたら、
前よりも太っていてびっくりしたと婆ちゃんがよく言ってました。
165 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/08 10:16 ID:lZpQp3Sz
>150
うちの爺様も自動車免許持ってたから補給部隊っていうのか?
そういう後方にいてあんまり戦争らしいことをしなかったみたいよ。
上官と南方の王宮に行ったらもぬけのカラで便所がスゲーきれいだったっていってた。
余裕だな・・・w
うちのじーちゃんは、戦車の運転免許を持ってたんだけど、
戦車の数が足りなかったのか、ほとんど歩兵として戦ってたらしい。
銃剣の突っつき合いで13人殺したと言ってた。
大陸へ出征したんだけど、飢えも酷く、動くものは何でも、果てはベルトや革靴まで食べたらしい
シベリアにも抑留された。でも機械の技術を持ってたので、
かなり大切には扱われたんだけど、とにかく寒かったそうな。
戦争には酷い思い出しかなく、あまり話してくれなかった。
俺が趣味のサバゲーで兵隊の格好をしているのをみると、複雑な表情をしてた。
ベルトで思い出したが、学校の先生のしてくれた話によると、
ベルトは海に浸して食べると塩味が染みておいしいらしい。
神戸で空襲に遭った爺さんに聞いたんだけど
焼夷弾の誤爆で山から焼け出されたイノシシが
ちょうど頃合に焼けてて美味かったそうな。
あと焼け跡からすごいいい匂いが流れてきて
よく見てみれば味噌屋が全焼してて、焼き味噌ができてたとか。
そのへんに転がってた鍋に入れて持ってかえって
しばらくは飯のオカズに困らなかったそうな。
兵隊さんとして台湾に行っていたおじいちゃんの話。
住まわせてもらったのは砂糖工場のおうち。食べ物といえばバナナばかり。日本に帰ってから、彼はほとんどバナナを食べることは無かった。
しかし、「あるある大辞典」そして「思いっきりテレビ」でバナナがとりあげられると、彼は熱に浮かされたように「サトミ(my母)さんバナナは無いんかのぅ」とバナナを求めるようになった。
ちなみに彼のお昼のテレビは「思いっきりテレビ」と決まっているのです。
170 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/09 09:17 ID:8uSNeS1J
股間のバナナでサトミさんを(ry
171 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/09 10:36 ID:eWVSlRUn
>168
火事場泥棒の孫はっけん。
172 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/09 21:47 ID:j01U+Pij
長崎・広島に原爆が落とされたあと
メディア(新聞)が新型爆弾が落とされたら白い布で身を覆うとを進めて
それを知ったある兵士たちが「新型おばけだ〜」と白いシーツをかぶって兵舎を走りまわったそうだ
173 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/09 23:00 ID:9M2LkN9e
うちのじいちゃんはロシアの捕虜になったそうなんだけど、
ロシアの兵隊と仲良くなって毎日麻雀したり遊んで過ごしてたそうだ。
うろ覚えだけど、うちのばあちゃんの弟の話。(つまり私の大叔父さんだけど)
南の方の国だったけかな?
そこの戦地に兵士として駆り出された弟は数ヵ月後、
戦死したと実家に通告が・・・。
おばあちゃんたちは、勿論のこととても悲しがっていた。
そして、また数ヶ月たって庭にいたら、
何と死んだはずの弟がそこに立っていて、幽霊だと腰を抜かした。
・・・と思ったら足があった。
本当に生きているのかと疑ったが、そこに立っていたのは元気な弟。
その弟・・・つまり大叔父さんは今もご健在。
・・・とここまでは笑える話かな?
戦地では、カエルも食べてしまうほど餓えていたり、
命乞いする相手を命令で仕方なく撃ったり・・・とかなりキツイ経験をしたらしいけど、
生き延びた後も奥さんに逃げられたりと大変だったけど、
今は子供に大事にされて平穏な生活を送っているよ。
段々笑えるというより、せつない話になってしまったけど、
この戦時中の経験から二度と戦争はしてはいけないと思ったって。
マジスレすまん
O型の血液は別の血液型の人間に輸血しても凝固しないと言うのは
ABO形式の血液判定では AA、AO、BB、BO、OO、AB(RH−はちょっと脇に置いときます)と種類がありまして
その内AO、BOの場合O型の因子を持っているために固まりずらいと言うわけでございます
AA、BB、ABの場合は赤血球が集まり凝固してしまいますDEATH
ABO形式の血液判定って
種類としてはA型、B型、O型、AB型しか無いと思うのだが。
>>175 O型血液を輸血しても凝集しないのは
O型の赤血球にはA抗原もB抗原もないからだよ。
正直、他所でやれ。
181 :
:04/03/10 02:37 ID:Ouvl2B4Z
散歩で検索して出なかったので多分既出ではないと思って書く。
伊集院のラジオで聞いた話だけど、
ある戦時中の日、おじいちゃんが散歩に出かけたそうな。
しかしそのおじいちゃん何を思ったかいきなり漁船に乗り沖へ。
そしてソ連のシベリア海軍に拿捕され抑留をくらい強制労働。
そして終戦数年後、開放され日本に帰還。
長い散歩を終えたそうな。
伊集院も言ってたけど本当生きて帰ってきてよかったね。
まぁネタの可能性も捨てきれてはないけど。
母方のじーさんはむちゃくちゃリベラルな人だった。
戦時中は天津に入植して工場やってたんだけど、
敗戦で帰国する時、優しくて金払いのいいじーさんとの
別れを惜しんだ中国人雇用者たちに泣いて見送られたそうだ。
親父は縁故疎開してたんだけど、そのせいか
「田舎で虫とったりして遊んでばっかだった。天国だった」
と悲愴感ゼロの話しかしてくれない。
うちの母方の婆ちゃんも、ど田舎の農家(曾婆ちゃんの実家)にいたので
食べ物の心配も無く呑気に暮らしてたらしい。
仙台の空襲の時も、遥か遠い空が赤く焼けるのを見物してたそうだ。
玉音放送も緊張感無く聞いてたらしく
今もふざけて「耐え難きを耐え〜」をよくギャグに使う国辱者の婆ちゃんです。
━━━━━台湾沖航空戦は笑えた!
航空母艦撃沈1隻ごとにカウントしてたのってオレだけ?
(よっしゃー10隻突破!よーし次は20隻突破しろーって)
でも結局は巡洋艦2隻しか撃破してねえんだよね。。全然、騒ぐほどじゃないし。
台湾沖航空戦は笑えた。まじで
大本営発表で知って、手を叩いてわらったなぁ。
おまえらが撃墜されてる間、家でみかん食ってた
アホだなーこいつらって思いながら
わざわざ台湾沖まで行って記念撮影しようかと思ったよ。
でも台湾沖航空戦のおかげで何かしらの利益を得た人だっている訳だし
結果的には良かったんじゃないかな。
たしか軍司令部が敵機動部隊健在の情報を無視してたけどさ、
あそこらへんって大本営発表を疑う奴が多いからそのまま全滅させたかったんだよね。
ところで航空部隊が全滅して、あいつらって米艦隊にどう立ち向かったの?
もしかして戦艦だけでレイテへ特攻?神風吹かねえかなぁー。
どちらにしろ敵機からの映像はまさに友軍機がゴミのようで壮観だった!
気持ちの良い夕刻でした
内容がマニアックすぎてわかりません
>184
元ネタ知っている人いなさそうだぞ。
もう誰も関心してくれないよ…
187 :
187-1:04/03/10 14:45 ID:KRilA1id
私の父は、戦時中に群馬に疎開していました。
しかし、父はその間のことを殊更語るでもなく、
私達子供もわざわざ聞くことがなかったので、
その詳細を知ることはありませんでした。
「群馬にいた」ということも、私が旅行先で「群馬総社」という
変わった駅名(失礼)を見た、と話した所、「懐かしいな」と言って
初めて知ったくらいでした。
さて、5年程前の私は、「芋ようかん」を食べたことがありませんでした。
TVでその存在を知り、「食べたい」と言うと、父は何とも言えない表情で
「おれの子供の頃は、おやつといえば芋ようかんだったものだ」と言いました。
私は「懐かしい→久し振りに食べたい!」ということだな、と思い、
大きなパックの芋ようかんを、ある日のお土産にしました。
「お父さん、芋ようかんだよ!」とまだ温かい包みを手渡すと、
やはりこの間のような何とも表現しがたい顔をします。
188 :
187-2:04/03/10 14:46 ID:KRilA1id
「?嬉しくないんだろうか?」とも思いましたが、
渋茶と一緒に出すと「うん、こういう味だったな」
と言いながらもぐもぐと食べています。
妙な違和感がありましたが、それが何だかは分かりませんでした。
後日、会話の中で「また芋ようかん買ってくるよ」と言うと、
父はしばらく躊躇した後で、「実は芋ようかんが好きではない」と言い出しました。
唖然とする私に、
「戦時中にそればっかり食べてたから、もう一生分食べ終わっちゃったんだ」
「そのせいで、大人になってからは芋そのものも嫌いで・・・」
という父の告白。
父が積極的に戦時中の体験談を語らないので、
私は彼が辛い日々を過ごしたのかと思い込んでいました。
今でもその真実は聞き出していませんが、この芋ようかんの件で、
彼が教科書やドラマに見るような「清く正しく貧しく辛く」ではなく、
「もー芋ばっかりヤダ(゚听)」という(ある意味フツーの)子供時代を
過ごしていたのが垣間見られ、何やら今までにない親近感を覚えました。
ちなみに、今の父の好物はチョコレート。
タイムマシンがあったら、少年の日の父に届けてみたいものです。
>>188 最後の一行と同じ話を以前なんかで読んだ気が
.__
ヽ|・∀・|ノ 嫌われ者のようかんマン参上
|__|
| |
>>189 ドラえもんの、のび太が髪の長い白百合のような少女になって
疎開中のパパにチョコを届ける話だと思われ。
>>25 うちの爺さんは軍施設勤務のお陰で生活できたというてたが
婆さんの住んでたとこは夕暮れになると米兵が「ムスメイルカ」と
各家を周るので姉と一緒に軒下で寝てたらしい
194 :
1:04/03/11 01:55 ID:DgWwgs5w
ああ、育っていてウレシイ……。
どのお話も、なんだか味わいがあって素晴らしいですね。
こういう話って殆ど本にならないし、テレビとか新聞でも特集されないだろうから、自分で言うのもなんですが
とても有意義な感じがします。
うちのじいちゃん戦時中、川崎重工の工場で働いてますた。
工場で働いてる挺身隊の女学生が働きすぎでかわいそうだと工場長に言ったところ、次の日特高の人が来たそうでつ。
共産主義者じゃないかと疑われたらすいでつ。
むかついたんでその日に辞職したそうでつ。
このあいだ亡くなりますた、かっこいいじいちゃんですた(´・ω・`)
196 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/11 16:55 ID:HjDf6vEV
婆さんから聞いた話。
空襲がある時は何時間か前から、情報が回ってきてたそうです。
(爺さんが武器工場で働いていたからかな?)
実際には空襲が無かった事もあったのですが、「今夜はかなり危険」と聞いていたので
その晩は防空壕ではなく山まで家族で逃げていたら大空襲だったらしい。
この前、聞き出した話では
米軍飛行機が落ちてくると、乗っていた米兵が生きていても皆でリンチして殺してしまった事も
あったそうな。
28さんも同じような内容レスされていたので、これって当たり前の事だったんですね(ー_ー;)
他にも親父の姉、つまり婆さんの長女が戦時中に赤ん坊だったのですが、病気と栄養失調で亡くなった
話とか出てきたんで、さすがにそれ以上は色々聞けなくなってしまった。
197 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/11 19:15 ID:lgTq82xm
去年亡くなったうちのおじいちゃん、おいらが子供の頃に
よく戦争の話をしてくれた。
いつも目を輝かせて嬉しそうに日本は凄かったんだぞって
よく聞いた。
そういう中で育ったおいらにとってあの戦争はとても
ポジティブな印象がある。
>>197 一応、最初は日本軍が連戦連勝でしたしなぁ
進撃しすぎて補給路が途絶えてからは悲惨そのもの
内地でも日本軍の制海・制空権が取られてからは、物資の不足に空襲の連続で・゚・(ノД`)・゚・。
199 :
R:04/03/11 23:55 ID:rTZyGCci
>>196 手塚治虫氏のマンガにも、
空襲の時、落ちてきた敵機のパイロットがリンチされているところを見たと言う話がありましたね。
当時のB−29搭乗員の記録だと
無差別爆撃やってるのは自覚していたみたいで
日本国内に不時着したら多分リンチされて殺されると思い
パラシュート無しで出撃した搭乗員も結構いたらしいね
あと蛇足ながら、大戦末期にはB−29搭乗員がもし不時着して日本軍に捕まった場合は
自分の知っている情報は隠さず話して構わないという命令が出ていたそうな
まあ、戦争の行方が見えて来た時期でむしろ兵士の身の安全の方を優先し始めたせいだろうけど
201 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 00:36 ID:HtAYwwrC
笑える話キボン
昔、近所に『ロスケじじい』と言う仇名の爺さんがいた
目の前が海で漁船等が通る度に「ロスケが攻めて来るぞ〜!」と叫んでいた
お祭の日になると将軍だか元帥だかの制服を着てご満悦だった
実はこの爺さんは唯の下っ端の兵隊で(かなり虐められていたらしい)
着ていた制服や勲章は戦死した上司のものだった事が判明し
俺の爺ちゃんに怒られてた…!
乗っていた船が爆撃で沈没した時にドサクサに盗んできたらしい。
203 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 01:12 ID:Cbipo13W
獣医だったウチのじいちゃん。
戦争にも獣医として赴いたので(中国かな?)
人を殺めたり、負傷したりはなかったらしいが
南九州出のバカほど酒好きな人で、焼酎呑めないのが辛くて辛くて…
辛抱たまらなくなりエタノールだか何だか消毒用のアルコールを
薄めて、夜な夜な呑んでいたそうでつ。
終戦後25年たって、肝硬変でなくなりました。
そんなじいちゃんの遺伝子は、しっかり私にも受け継がれてるみたいです。
>202
すげえ、ロスケジジイ最高(藁
平野耕太の漫画とかに出てきそうな感じだ。
>204
ロスケと聞いて弘兼憲史「ハローハリネズミ」を思い出した漏れッテ・・・
206 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 08:59 ID:NH03HK9e
>>198 つーか、今思われてるほどの暗黒時代でも無かったらしいよ。
むしろ終戦翌年頃のほうが悲惨で、餓死者も戦争中より多かったほど。
実家が中国地方(広島)なんだけど、ここらは終戦後に英連邦軍が進駐してきて
ターバン巻いたインド兵がいて驚いたと死んだばあちゃんがいってた。
家の土蔵が接収されて物資倉庫になったら、オーストラリア兵が
それを盗もうとして、大暴れしたので憲兵隊に文句言いにいったら
ライフル持った警備兵をつけてくれたとか。撤収する時に残った缶詰
をたくさんくれたらしく、この間中を片付けてたら錆びたでかい缶詰が
10個ほど出てきた。中をあけるとジャガイモの粉末(チョットなめた)。
水で溶かしてマッシュポテトにするもののようでした。
親父に聞くと「これ不味かったから」と申しておりました。
終戦後の話で、スマソ。
207 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 09:20 ID:wMxWcTu1
うちの母親も田舎の商家だったから、めったに空襲警報も出なくて、
戦後は進駐軍が買い物にくるとお金の代わりにかんづめとか食べ物とかを
たくさんおいてってくれるから全然困らなかったって言ってた。
近所に俗に言うパンパンさん(さんづけもおかしいが)がいて、ハーフの娘さんを
生んですごく可愛い子だったが、すぐにどこかへ行ってしまったとか、ディープ名話を聞けますた。
208 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 09:52 ID:YesdJ7Xd
うちのじいちゃんが言うには、戦争が起こる前から三国人の犯罪は多かったらしい。
8月15日を境に、奴らは戦勝国のごとく、略奪や強姦、放火を繰り返していったという。
209 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 10:53 ID:NH03HK9e
>>208 当時は裕福な層と貧しい層の両極端だったから、三国人でも陸軍将校になった人
や旧帝大に入った人もいればそうでない人もいたわけですな。
210 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 11:33 ID:7dDK4pQA
俺の爺さん、ドラゴンボールのナッパにそっくり。
上官にしてみれば、
身長が185センチ以上あるナッパに常に睨まれる訳で、
最初は理不尽な命令とかイジメとかしていたらしいけど、
爺さんのあまりのコワモテ具合に怖くなって、
「頼むから、君はあっちの方で芋でも作っててくれ」って
戦闘なんかには全然参加せず、芋作りしていたんだって。
ちなみに爺さんから遺伝したのは、眉毛だけ。
俺の身長、168センチしかないでつ・・・。
うちの親父は空襲で機上掃射があったら、飛行機が飛び去るのを
待って弾を拾って遊んでたそうだ。
母方の祖父(故人)の話。
昭和18年、祖父に招集礼状が来た。
そこで祖父の父親が「戦地に赴く前に、結婚させてやろう。」と思い、祖父にこう尋ねた。
「誰か結婚したい相手はいないか?」
祖父に彼女等の意中の相手がいたわけではない。
祖父は「○○さんちのA子さんか、△△さんちのB子さんがいい。」と、近郊で評判の美人の名前を2人挙げた。
祖父の父親は、「○○さんちは知り合いではないが、△△さんちなら知り合いだ。」と△△さんちに結婚話を持ち掛け、
双方の親が同意して、祖父はB子さん(つまり祖母)と結婚し、2ヶ月後戦地へ向かった。
適当に言ってみて、評判の美人と結婚できた祖父はもーけモノだっただろう。
戦争が無ければ、祖父があんな美人とは結婚できなかっただろうね。
でも、知らんヤシと結婚させられた20歳の祖母はチト可哀相だったかも。
仲良し夫婦だったから、まあ、良しとするべw
>>212 まぁ大恋愛を経て結婚した夫婦がうまく行かないこともあるし
親同士が勝手に決めた結婚でも上手く行く事もあるし・・・
214 :
212:04/03/12 14:19 ID:Pp46pdEd
ついでに父方の祖父(健在)の話。
昭和18年、祖父が仕事をしていると、父親に呼ばれた。
「おい、午後からお前の結婚式をやるから、今から仕度しろ。」
祖父ポカーン。
こんなご時世、いつ戦地に行くかわからん。行く前に結婚させてやろう、とこっちの祖父の父も思ったらしい。
そんなわけで、相手の事を何も知らないまま、いきなり結婚してしまいました。
その時の結婚相手の祖母も、家長命令に逆らう事もできず、急ピッチで縁談が進められ、
あまりにも急な話で、結婚相手の写真すら見た事が無いまま結婚式となり、
いざ結婚式で、祖父&祖父の弟×2と若い男が3人並んでるのを見て、
「私と結婚するのは、この中の誰なんだろう…?」と考えていたそうな。
215 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 14:53 ID:B+fs89vN
戦争っていいな。
そういう時代だったら、今モテない板でくすぶってるような男も
ほとんどが結婚できたんだろうなあ。
戦争中、小学校に通っていた大叔母(祖母の末妹なので祖母よりだいぶん年下)は、
「皇后陛下からのお菓子」というのを学校でもらった。
全部自分で食べちゃえばいいのに、めいにあたるうちの母親にも食べさせてあげなきゃ、と
思って家に持ち帰り、分け与えたらしい。
が、母親は全然そのときのことを覚えていなかった。
戦争がひどくなって、祖母は母を連れて疎開。疎開先は祖父の実家だったが、祖父の実母は
すでになく、実父は再婚していた。つまり祖母にとっては他人同然の家となってしまっていた。
そこでその新しい妻にいじめられたりしながら慣れない畑仕事をしたり、急に環境が変わった
せいでおねしょが直らなくなったうちの母親に手を焼いたりしてたらしい。
そのことを50年以上経った今、祖母はよくわたしにぐちる。
>217
214の場合は、それなりの財力やら権力があったんじゃないの?
別に金でひっぱたいたというまで言うつもりはないが。
220 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 15:12 ID:wBbL1leF
>>212 >>214 戦争未亡人にならなくてよかったね。
でも戦後まで待っていたら男の数は激減していたから
行かず後家サンになってしまった可能性もある。
ある意味お嫁サンも幸せだったかも。
>>219 下々でも普通に親が知り合いどうしだからハイ結婚ってのばっかだったらしいよ。
うちの曾祖父・母なんかもそう。
>>219 当時の祖父家に財産はありませんでした。(今も無いがw)
昔はあったらしいけど、祖父の父とその兄弟が若い頃に遊びすぎ、その頃にはありませんでした。
>>220 父方祖父は戦後すぐに帰ってきたし、
母方祖父はシベリアに抑留されたけど何とか帰って来れました。
運が良かったと思う。
戦争中の話ではないんですが
実家は北九州にあり、うちの曾祖父は毎年8月15日になると東京の靖国神社に出掛けていた
私は東京に行くのがすごく羨ましくて、高校生の頃に無理矢理連れていってもらった事があった
そして靖国参拝の日
私はホテルで綺麗な服に着替えさせられ、祖父や祖母、親戚一同も同じように着替えをすませ曾祖父を待った
曾祖父が来ると私は目を丸くした
杖は突いているが背筋を真っ直ぐに延ばし、真っ白な軍服に着替えた曾祖父がいた
私はこれから何が起こるんだろうとガクブルしていたけど、普通に参拝して終わりだった
靖国を歩いている人が私たちの集団を見て、何事かという表情をしていた
その中で何人かのお年寄りが曾祖父を見て敬礼をしていたのが印象に残っている
その人たちに敬礼を返す曾祖父は最高にかっこよかった
もう5年も前の話
今でも曾祖父はその日になると靖国に出掛けています
>>223 結婚式のお話を思い出したよ。
=======================================================
泣ける話ではないかもしれませんが… 私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。
ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
=======================================================
曾祖父ちゃんをお大事に。
225 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 16:47 ID:ETu6xXx5
うーん。凄い話age
>224
答礼、なんて単語が出てくるって事は軍板あたりが出典なのかな?
海自の人達が慌てる光景が想像できてちょっと笑ってしまった。
228 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 19:01 ID:hXAy3aqz
軍ヲタの自慰的妄想ではないのか?
229 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 21:25 ID:XaEvk/gB
だとしても凄い話だ…。
自分は軍や戦争モノには、からきし弱いのだが(でも「大和」の名は知ってる)、
やはり「大和」と云うのは、海事の人の中で、それだけ偉大だたということだろうか…。
230 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 21:58 ID:c+TrIkId
自分の母方の祖父は軍医だった。南方の島に従軍した。
ある夜敵の奇襲があり、祖父ももちろん逃げ出した。
しかし極度の近眼だった祖父はあろうことか敵の方向に向かって走り出し、
中隊長に「軍医殿! 反対です!」と止められたそうだ。
ものすごく極端に言ってしまえば
陸軍はとりあえず玉砕型
海軍は敗戦後のことを見越して、できるだけ有能な人材を生かしておこうと色々手を打ったそうだ
232 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 22:00 ID:8j18d7Ay
いや、たぶん大和じゃなくても同じ対応だったと思うよ。
233 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 22:02 ID:Pzl6a9ga
コレは、とある方から聞いたお話。
ある北方方面の部隊に、家族や恋人からの手紙が届きました。
皆、喜んでお守り代わりに胸ポケットに入れて、大事にしてたそうです。
で、いざ戦闘になった時、敵戦車群のあまりの猛攻に、ビビリまくった兵士達は
見つからない様に塹壕の中で這い蹲り、一ミリでも身体を低くする為に、大事な
ハズの胸の手紙をそこら中におっぽり出したそうです。
人間いざとなったら、大事な手紙もへったくれも無いもんですナァw
235 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 22:13 ID:h2hH4Pwj
戦争話はドラマティックですな。
日本人が侍でいた最後の時代なのかもな。
俺の爺チャンは終戦後、戦中の給料が全部入る1ヶ月前だかに
マッカーサーの命令で給料パーになって本気で泣いたそうな(笑)
どんな命令があったんだろうな
237 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/12 22:24 ID:QVugt/Y5
父の郷里の船頭さんは日露戦争に従軍していた。
その人の話。
夜中、便意を催し、野糞にいったところ、
夜襲しようとしていた露兵を発見、
返り討ちをしたそうな。
やったじゃんw
野糞かっ!w
>229
凄い話ったって自衛隊員の間では
戦艦大和は尊敬の対象かもしれないけど
それを見ていた一般人にとっては(゚д゚)ハァ?じゃないの?
結婚披露宴なのに主役への祝辞もそこそこにして
参列している上司やOBにゴマすってるダメリーマンみたいで
幻滅ですな
あっ、ひょっとして今まで自衛官は正義感あふれる男の中の男だと思ってたのに
上の者に逆らえない有触れた人間だと知ってショックだってこと?→凄い話
>240
「輸送船にのってました」とか言ったらぷっって笑われるのかね。
>240
私、元陸上自衛官ですが、少なくとも自分の周りでは冠婚葬祭のような場は特に
「身内のノリを色々と敏感な娑婆に持ち出す」ということがなかったんで、
224の話は228の言うように創作か、海の人たちはそういう習慣があるのかな、と不思議に思いました。
そもそも同僚のものとはいえ結婚式に制服で参加する自衛隊員てあまりいないかと。
いや、まあ、そういう習慣の部隊はあるのかもしれませんが。
現職海自です
昔は知らないけど、今は上司、同僚、部下の結婚式に制服着て出ませんよ
新郎本人は着ますけど。
大和って聞いて敬礼ですか…?
しないしない!!
作り話なのかもしれないが、よく理解できる話だ。皆さん『戦艦大和ノ最期』
は読んでおられますか?
うちのバーちゃんは横須賀の施設育ちで、ハーフ
まっ、理由は判るよね
鼻の穴なんて縦だし、瞳も緑がかってる。若いときはそーと苦労した話を
よく聞いた。
けどそんな過去も、妹に掛かれば「もっと、お婆ちゃんに似たかった〜。」
で片付けられる。そんな時バーちゃん「ご免ねー」と笑いながら答えてたなー
強い女性だと思った。
>>243 制服着ないんですか!
冠婚葬祭板で,”礼装の新郎友人が整列してお見送り”に
感涙したって書き込み読んだ記憶があるんだけど・・・
警察官だったかな?
247 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 10:29 ID:k7f8WrGl
>>217 出征前の駆け込み結婚って別の意味もあったらしい。
前線で危険な任務が割り当てられるのは、大概独身の兵隊。
家庭もちは比較的大事にされたからだそうな。
非モテはいつでも虐げられる。。。
249 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 11:32 ID:SKaK0u5m
>>241 そうなのか・・・
うちのじいちゃんは元々船乗りで戦時中は輸送船に乗っていた。
4回撃沈させられたらしい。
「乗るんだったらやっぱり軍艦やぞ、輸送船は真っ先に沈められる」
ってよく言ってた。
250 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 11:37 ID:cAZf4TQW
徴兵されて教育団での成績がいいとメジャーな軍艦に配属され
寄港したときの地元の人の受けもいいが、規律が厳しく大変。
成績が悪いとマイナーあるいは小さな船に配属されるが
あまり上官も厳しくなくのんきに暮らせたそうだ。
251 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 12:32 ID:bbEv5EwE
>>249 4回も沈められて無事なじいちゃんにw
うちのじいちゃんはめちゃくちゃ気が短く一番乗りが大好き
内地に出向いた最初の作戦で一番に敵地に飛び込んで
一番最初に狙撃され一番で野戦病院に逝き一番に負傷兵で引き上げてきたらすい
いまだに一番風呂で飯を最初に盛らないと怒ります…
>251
死ぬのは一番じゃなかったのかよ
>>246 制服着用での結婚式は普通にあります
その時の時勢にもよりますが
自衛隊パッシングが強い頃、一つの意志を表明する
意味合いを込めて制服着用を行った方もいらっしゃいます
今とは隔絶の感があります。
>>251 なんかいつでも全力投球! って感じで良いな、じいちゃん(藁
>>218 戦争中に小学校があったの?
もしかして日露戦争のときのはなし?
>>247 何が怪しいか分からないけど…!?
>それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
↑右手を翳す敬礼をしたのでしょうか?(ちなみに挙手の敬礼と言います)
258 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 15:42 ID:mpjwgZsH
259 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 16:06 ID:i+G+fHLJ
>>256 >>255が言いたいのは、
小学校が国民学校になったのは昭和16年4月だから、アメリカと戦争している時は
小学校ではなく国民学校ってことでは?
260 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 16:13 ID:7LTr2781
父から聞いた話ですが
小学校の時下駄を履いていたらしいのですが
あまりにボロになっても買ってもらえないので
田んぼに捨てて「無くなった」といったら新しいのを買ってくれたらしい
しかし数日後稲刈りで 捨てた下駄が発見され
こっぴどく叱られたそうな
うちの爺様は獣医さんだったのに、
従軍の医者が足りないとかで軍医に駆り出されて
兵隊さんたちに「獣医のセンセ・・・」と怖がられたらしい。
昔の獣医さんって、牛馬を治す職業だからねw
よく、「軍医殿、こいつは出血が凄いです先にお願いします・・・!」と
担ぎこまれてきた兵隊さんを見て、「(む、このぐらいは出血に
入らないから大丈夫・・・じゃない、人間だ!!)」と慌てたそうです。
その爺様は小柄で運動音痴で足もトロく、
中国に行ってて、明け方敵襲に会って負傷兵がたくさん出たときに
まだ寝てたら「軍医殿ぉーーーー!!」と怒鳴って呼び出され、
慌てて準備して走ってたら、あまりの足の遅さに見かねた
兵隊さんに鞄ごとぽいっと持ち上げられ、みんなに次々パスされて
すごい速さでテントまで放り投げられ、「車酔い」みたいになったそうです。
>>261 やっぱり獣医が人医としてかりだされた話は本当だったんだ。
近所の医者(もう引退)は獣医だったのが、戦争で軍医として
かりだされ戦地に。戦後はもちろん人医の免許がないので、
学校に行きなおして医者になったと聞いたことがあったのだが
本当の話かどうか疑っていたんだ。
でも正直牛馬のほうが人に近いと思う。でかいし。
これが現代で、犬猫ならまだいいが、
イグアナだの小鳥だのの専門医が狩り出された日にゃ…。
まあ医者余りまくってるし大丈夫か。
264 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 18:48 ID:TNSU8vEv
大和より長門に乗ってた方が俺的には萌える
265 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 19:40 ID:gyh63ZR8
266 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 19:45 ID:Tw5Ntxz8
朝鮮半島や満州で鬼畜な行為をしていた爺さん達の話も聞きたいな。
267 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 19:52 ID:v7+CAJjq
神戸・・
空襲警報が鳴ると塀の上に芋を並べておく。
焼け跡に行くと、焼き芋ができている。
それと、爆撃中に逃げるとき、爆弾が落ちた穴の中に入って
休憩する。「一度落ちた跡にもう一度落ちる確率はほとんど無い。」だって。
>>266 ベトナム戦争で韓国軍の行った鬼畜行為も聞きたい
269 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 19:57 ID:LJdYYwij
朝鮮半島では敵国じゃないから鬼畜な行為なんて出来ないんじゃ。
満州や台湾ならわかるけど。
じいさんは悪いことをしてがっぽり儲けて女遊びも相当激しかったようだ。
もう死んだけど。
そんなじいさんと金がなかったばかりに結婚できなかったうちのばあさんは
当時女学生で飛行機を作っていた、と言っていた。
さぼって南座でお芝居を見ていたとも言っていた。
満州といえば、父の一家は戦前から満州の大連にいたんだが、
終戦後祖母と父達子供ら五人で引き揚げる事になった際(祖父は兵隊に取られてた)
船に乗り込む順番が中々まわって来なくて、手持ちの金がつきかけた時、
周りの引き揚げ者から『お召し』(昔の訪問着の着物。大概絹織り)とミシンを買い込み、
(手荷物制限があるので、船に持ち込めない荷物を売っている人が一杯いたそうで)
『お召し』をほどいてドレスに仕立て直してロシアの女兵士に売り付けて金を稼ぎ、
見事子供ら一人も欠ける事無く日本に戻ってこれたそうだ。
その頃の『お召し』は生地も上等でたっぷり布を使っていたので、一枚の『お召し』から
三枚のドレスが作れたそうで、今まで『絹のドレス』など手にした事も無い女兵士達に
それはもうひっぱりだこだったそうで…
ちなみに材料の仕入れと、裁断としつけは祖母。ミシンをかけるのと売りに行くのは父(13才)。
おかげで父は今でもミシンを扱えるし、カタコトだがロシア語が話せる。
もしかしたら今もロシアのどこかの家に、祖母と父作のドレス(微妙にアジアンテイスト)が
眠ってたりするんだろうか。
>246
私の旦那さん(海自)と結婚した時、式には皆さん礼服(制服)着用でしたよ。
それに他の人の結婚式にも礼服として着ていっています。
全員がそうとは言いませんが、着ていく人は少なくないと思います。
>243の方が、騙りでは無い場合、自衛官職に就きながらの反応だとすると
公務員になりたかったものの試験に受からなかったので仕方なく自衛官に
なった人にありがちな反応だと思います。
あと、式とは別ですが戦時中に船に乗られていたという方に会うと
(その方が申告されて気付いた時にですが)制服着用時などの時は
姿勢を正して敬礼しますよ。
それは媚び諂うのではなく、先輩に対しての礼を尽くすという対応です。
まぁ自称乗組員というか、>202さんのご近所のロスケ爺さんのような人には
その限りではないのですが(そういう人は話しているとボロばっかり出て嘘とわかるので)
>224のお話、もし私の式で来賓にそういうお爺さんが来られたら
ありがちな話だなとは思いましたが、ただそうした場合、全員で式の最中ではなく
式が終わり、そのお爺さんが式場を出たところで「どの艦に乗艦されていたか」と
尋ねて敬礼する流れになったろうなぁと思いました。
これだけではなんなので、似たようなうちの祖父の話。
祖父が海軍の士官の頃、上陸して街に出るとそれはそれはもてたそうで
若さゆえに大騒ぎをしたり、乱闘騒ぎになりかけたりとしたそうです。
あるとき、一つの店で祖父の乗艦している船のライバル状態に競い合っている別艦の
乗組員とがかち合ってしまい、あわやの喧嘩騒ぎになりかけたとき1人の店の近所に住む
老人が、棍棒片手に真中に割って入り説教を始めたそうです。
血気盛んな若い軍人の1人が、その老人を邪魔だとばかりにはじき出そうとした所
その老人に打ち据えられ、皆がその老人に寄り詰めても老人はまったく
引きもせず、祖父が老人に以前の職を尋ねるとその老人は勤皇の士であったことが
判った瞬間、周りの騒ぎの中心にいた軍人どころか、野次馬に集まってきた
軍人共々、店の中や外にいた全員がその中心に居る老人に対し、姿勢を正して敬礼をして
騒ぎはあっという間に収まったそうです。
母方の祖父は特高だった。自宅が警察のすぐそばにあり、
母はよく遊びに行っていたらしい。母は、父の上司や同僚に
とても可愛がられていて、遊びに行くといつもニコニコして
バナナや干し芋やチョコレートをもらっていたらしい。
アカと思われる容疑者が連れられてくると、さっと顔つきが
変わって取調室に向かう同僚の人たちを見たり、
聞こえてくる叫び声や罵声に怯えたらしいが、それでも
普段お目にかかれないおやつに目がくらんで、母はちょくちょく
顔を出していたらしい。
もうひとつ。
父が子供の頃、祖父(父の父)から手榴弾を持たされていた。
もしアメリカ兵に捕まって捕虜になったら、それは日本男児の
恥であるのでそれで自決しろ、という事だった。
当時7歳かそこらだった父は、恐ろしくて、空襲のあった日
逃げながらどさくさにまぎれて、その手榴弾をほり投げて捨
てたらしい。
壊滅状態にあった東京の中でも、比較的被害の少ない地域で
家族全員が生き残っているが、父は爆撃を間近に受けて
右耳が聞こえなくなった。しかし、それよりも「あの時自分が
捨てた手榴弾で、近所の家を壊してしまったことは誰にも
言えなかった」と酔った時によく語っている。
って笑えない話だな・・・
275 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 21:00 ID:cHnCm0lP
>>269 おいおい、台湾も当時日本の領土で今でも親日的な人が多いぞ。
満州国は実質日本のようなもの(日本が傀儡政権を樹立して操ってた)。
まあ、こっちはいろいろあったようだが・・・。
で、その満州あたりで戦車兵をしていたじいさんは終戦後ソ連に投降して
シベリア送りとなり収容所に5年いた。ソ連兵は掛け算という概念が
無く、収容所の点呼は寒い中いちいち一人づつ確認するので時間が
かかってしかたなかったらしい。(逃げようも無いんだが・・・)
食べ物も少ないので作業の行き帰りに道端の野草(野生の大蒜があったらしい)
を見つけて貪り食ったとか。「ロスケが制止してもみんな止めないんだよ
機関銃で撃たれるかもしれないけど腹が減ってたからなあ」と懐かしそうに
話してました。また、手に職を持っている人(各種職人さん)は優遇された
そうです。じいさんは、大工だったが分かると待遇がよくなったそうです。
ただ、収容所内での赤化教育は「ロスケの言いなりになんかなれるかい!!」
と言っていたため、結局5年もいる破目になったとのこと。ばあちゃんは
再婚話を断りつつ必死で三人の子供(うち一人が俺の親父)を育てて家庭を
守っていた。死んだかもしれないと思っていたじいさんがひょっこり帰って
きたときは玄関先で抱き合って泣き崩れたそうな。今でも、仲のよい
老夫婦です。
>272
ぼくも勤皇の士が前職なんですが、敬礼してもらえますか?
277 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 21:56 ID:kTRI3I1X
278 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 22:03 ID:kTRI3I1X
>278
ロシア人の蔑称
>277
パンパンは米兵相手の売春婦
ロスケはソ連人に対する別称
日本人のことをジャップというようなもの
っていうか検索したら出るよ
3人でケコーン
283 :
277、278:04/03/13 22:18 ID:kTRI3I1X
284 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/13 22:18 ID:ai2GF+fy
結婚式だろうがなんだろうが
街中で制服着る自衛隊員なんざ ただの D Q N
では町中で制服着る警察官はどうですか?
スレの趣旨に合ったこと書き込んでよ
式場で着替えるんじゃないの??
にしても粘着だね。
大和と聞いていきなり敬礼、つくり話ぽいね。映画かなんかの見すぎ。
旧軍にそれなりに敬意は払うけど、そんな軍ヲタのノリを外に持ち出したりしませんよ。
制服着用は有りうること。
笑えるかわかんないけど小ネタ。
母方のばあちゃんの遺品整理してたら、若き日のじいちゃんが
いろんなポーズでキメキメに気取った姿で写ってる
謎のじいちゃんブロマイドが何枚か出て来た。
何じゃこりゃ!と思って笑って見てたんだけど、
当時は戦争行く前にこうやって写真撮ったんだよ〜と
伯母さんが話しててちょっとしんみり。
にしてもじいちゃん調子乗り過ぎてて笑える。でも泣ける。
ちなみにじいちゃんは無事生還しました。ヨカタヨカタ
大和で敬礼うんぬんが本当かどうかはともかく、
>>285は相当の馬鹿。
>>290 釣られてるのか釣ってるのか、気持ち悪くてムズムズするレスだなw
>289
なんかいいなー(藁
国語の教科書とかに載ってるような小説とかだと必ずそういう写真は「引きつった顔をした家族写真」とかに
なってるが、実際はこういう興奮してちょっとテンパっちゃったような写真も多いんだろうなあ。
ほんと、生還出来てなによりですね。
でもじいちゃん今そのブロマイド見たら、顔から火が出る思いだろうな。
昔撮ったプリクラ
昔の写真撮ったアルバムを見た。
祖父の小さな頃の写真とかもあった。
なんか、写真館で決めすぎているのがやっぱりあったw
写真好き一族だったんだろうか
296 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/14 21:29 ID:l/qBFcwi
カメラが高級品で今のように普及していなかった当時は
町の写真館で写真を撮るというのは一大イベント
だったのですよ。
297 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/14 22:41 ID:iZNRRk0v
にしても290は折角の楽しい雰囲気を台無しだな
どっか行け、シッシッ
>296
戦地に赴く前に家族が大奮発して一大イベント、かぁ・・・。なるほど〜。
俺が母ちゃんに「爺ちゃんは戦争の話しなかったの?」と聞いたら、
ほとんど聞いたことが無いって言ってた。
ただ1つ覚えてるのが、じーちゃんが戦時中に基地かどっかで夜眠りにつき、
朝になったら回りで寝ていた仲間の兵士が死んでいたってことだけだとか。
当時は状況も状況だったから衛生管理が徹底されておらず
伝染病で沢山の人が死んでいたそうな。
スレ違いでごめん
301 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/15 01:51 ID:Rhw9Hksb
うちの母方の爺ちゃんが戦争に行ってたらしいんだが、
残念なことに俺が生まれる数ヶ月前に癌で亡くなった。
んで祖母からの又聞きになるんだが、
祖父はラバウルらへんの前線に歩兵として従軍していたらしい。
経緯はよくわからんが米軍と戦闘になったが、
祖父は友軍の死体の下に隠れて「ヒーヒー」
と震えとったんだと。
でその後戦傷かどうかは聞いてないが足を怪我をして病院に送られた。
祖父は怪我が治ると前線に戻されるから、怪我が治りかけると夜中に足だけ
寝ていた建物から出して蛆虫を湧かせて戦場復帰できないようにしてたんだと。
でそのうち「こいつは使い物にならん!」ってんで内地に送り返された。
終戦間際に上官から「お前は今まで役にたたんかったんやから、
国家危急の時の今ぐらい役に立て!」ってんで、
機雷?(竹やりの先に爆弾つけたものらしい)をもって海で浮き輪に乗って
米艦船を待ち伏せしてたらしいが、結局敵は来なかったんだと。
後で祖父は「あれは上官のただの嫌がらせやったな」といってたらしい。
んでなんやかんやで終戦を迎えたらしい。
やっぱ大阪の人間に戦争は向いてないつう見本みたいな祖父だったらしい。
ただ俺自身この祖母の話を聞いて「病院?内地への輸送?ほんまかいな?」と思っとります。
あまり話したがらないけど今度祖母に詳しく聞いときます。
要らん突っ込みでネタを数個つぶすハメになるかも知れんのだが一応。
>>301 詳しく話したがらないのならそっとしといたほうが良いんじゃ。
何か嫌な事あったのかも知れないし。
聞いておいたほうがいいよ・・・だって、今しか聞けないじゃん。
304 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/15 10:10 ID:GR64/KLJ
非国民の孫は非国民
間違いないッ
>304
「カレー屋の店長の職業は?」みたいな事を言うな。
それに、孫さんだってがんばってるんだよ。
地球人が死んだら、神龍で生き返らせたらいいなんて言ってた時もあるけど。
孫さん、役員報酬5割カットだっけ?
308 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/15 11:15 ID:Vc8evsWZ
親戚のおじさん(既に他界)は戦争が嫌で
足が動かないことにして地元に帰ってきた。
誰かに見られて嘘がバレたら殺されそうなので
戦地からず〜と這って帰ってきたそうだ。
戦後すぐ亡くなった祖父は肺結核で出征していない。
戦中に彼が書いた日記を読むと
「私には確実な死が待っている。
臆病者で戦争に行くのが嫌な私にとって、肺病みになったのはむしろ幸福なのかも知れない。
弟も友もみな戦場に行った。
彼らは帰ってくるのだろうか。それまで私は生きていられるのだろうか。
もし帰ってくる彼らを迎えられるとしたら、私はどんな顔をしていたらいいのだろう。」
といったような意味のことがポエム調で書いてあって、
「ワタシハ眞實ノデクノボウダ」なんて書いてあるの見たら不謹慎ながらその酔いっぷりに笑ってしまう。
こんなものを会ったこともない孫に読まれてると知ったら、もの凄く恥ずかしいんだろうなきっと。
310 :
おさかなくわえた名無しさん :04/03/15 11:55 ID:DqKj7Mx3
かえる食った
>>311 同意。当時の肺結核の状況や病気で戦争に行けない人をとりまく状況…
もろもろわかって言ってんのかなあ。
313 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/15 12:21 ID:9c2M11g+
テッコウ弾?を夜見ると流れ星みたいで綺麗だったなぁ。と、
しみじみと爺さんが言ってた。
>>309 今見たらポエム調に見えるかもしんないけど、
昔はそういうの普通だったんじゃないかなぁ。
うちの父(戦後生まれだけど)
の中学生時代の日記もやけに文学調で笑ったことがある。
徹甲弾だね。戦車等の装甲を打ち抜くための弾種だ。
うちの爺さんは満鉄の職員で、一家総出で満州とロシアの国境近くの虎林というところに
いたらしいが、終戦後日本に戻ってくるのに数ヶ月は要したらしい。
帰路で曽祖父と曾祖母を亡くし、やっとのことで稚内にたどりついたみたいだ。
そのとき父は4歳で、一歩間違えれば俺は存在してなかっただろうな。
あ、戦時中でも笑える話でもないや。
流れ星って事は、曳光弾かもしんないよ
なんかマシンガンの弾に混ぜといて、どこに飛んでるか確認する為の弾
317 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/15 13:17 ID:eehqKAMn
私の大叔母の旦那さんが外交官で戦時中、中国の大使館に務めていたんだけど
スパイ容疑を掛けられトンズラしました。
妻である大叔母さんは上海まで探しに行きましたが結局見つからず…。
年が年なのでもう存命ではないと思いますがどこかで幸せに暮らせていたのかなぁ
とたまーに思い出します。
笑い話じゃなくてゴメン。
全然関係無いけど、うちの爺ちゃんは焼夷弾を避けたと言い張ってた。
その後出兵して衛生兵になった。
んで、ある日戦地で兵隊と麻雀してたら、一人の慰安婦が駆け込んできたそうだ。
聞くと、なんと赤ん坊が生まれそうだという。
それで急遽、その場で出産する事になったらしい。
見事に生まれたらしく、その慰安婦と赤ん坊は帰国した。
後は、哨戒してる兵隊のところに行き、一緒に花札をやった。
その後見つかって、兵隊ともども文字通り吊るされてた。
>>309 なんというか・・・
泣ける話ですね。
309殿はおいくつかわかりませんが、
もう少し歳を重ねてから、もう一度、読んでみてください。
酔っていると笑えるかどうか。
320 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/15 13:49 ID:34LH8MBY
309はまだ若い人なんだろうな。
うちの爺ちゃんはとても運がいい。
44年の冬まで満州国境に配備されてたんだけど
南方戦線が危なくなって日本の前哨基地として台湾に
配属されたらしい。
もし満州に夏までいたら抑留されただろうし
もし米軍が沖縄じゃなく台湾に上陸してたら
死んでただろうし・・・運がいい。
322 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/15 14:01 ID:3kelhQtD
うちの祖父は広島駅から列車で当時3時間近くかかった山の中で
暮らしていた。年がいっていたので徴兵はされなかったが
広島市内に原爆が落ちてすぐ、援助活動に行かされた。
そのため原爆手帳の交付を受けている。その後医療費はほとんどタダ。
「ええことはしとくもんじゃのう」と言い残して95歳の天寿をまっとうしました。
爺ちゃん昔神風特攻隊だったんだけど特攻する前に
捕虜になってりうんたらかんたらで戦争終わってしまったらしい
詳しいこと小さかったから全然覚えてなくてあいまいだったけど
その日LEGOの船爺ちゃんが誤って潰して壊してしまった
自分の宝物であまりにショックだったので
爺ちゃん死んじゃえ と言ってしまった。
爺ちゃんはとっくに他界してるけど
ランドセル姿ぐらいは見せたかったです
笑える話はないけど捕虜だったとき食料があたらなくて雑草ばかり
食べてて腹壊してたらしいが食べてもなんとか大丈夫な雑草とか
見分けれるようになっていたらしい
婆ちゃん引いてた
うちの母は満州生まれなんだけど、終戦時に自宅にロシア兵が入り込んできたんだって。
略奪というにはやたらフレンドリーだったらしいが、金目のものはほとんど取られたらしい。
そのとき一人の兵隊が腕時計を見つけて
「心臓の音がするから、これは生きてる!」とおびえまくったそうだ。
(ばーちゃんはロシア語がちょっとわかる)
面白いので蓄音機を回してやったら、頭抱えて泣き出した奴までいたらしい。
結局、最終的には機械だってことがわかったらしく
全部風呂敷に包んでお持ち帰りになったそうだ。
当時幼女だった母の記憶には、そのとき足にまで腕時計を巻きつけ、馬鹿でかい蓄音機を担いで
意気揚々と帰っていく熊のようなロシア兵の後姿が焼きついているそうな。
今でも母がロシアを語るとき、「あそこは熊の国だからねえ」が枕詞になっている。
325 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/15 15:20 ID:2oQH6fBE
みな、人間ってたくましいと心強い気持ちになるね。
そうか、ロシアは熊の国かあ。
うちのじいちゃんは所謂アカで、全国飛び回っていたらしい。
先日、ちょっと好きな昔からの友人と喋ってて、その人のじいちゃんは特高だったと聞いた。
時が時なら、道ならぬ恋になったかもと夢想した私には801の素質充分なのかもしれない。
じいちゃんもすごいけど、留守を守ったばあちゃんもすごいと思う。
とても仲のいい2人でした。
スレ違いなんでスマソだが
昨日「スターリングラード攻防戦」のドキュメンタリーやってて、追い詰められた
ドイツ軍は飢えと寒さで死者が続出して、生き残った兵士は仲間の死体を食べて
飢えを凌いだらしい。生き残ったドイツ人のじーさんが嗚咽しながら話してた。
都市の名前が「スターリン」だけに、ヒトラーは降伏も撤退も許さなかったんだって。
きっとおれらのじーさん達も南方やシベリアで辛い思いしたんだろなとおもた。
>>324 ちょっと待て。 ロシア兵可愛すぎるじゃないか…。
>>327 なんか母はロシア兵に「高い高い」してもらったり、頬擦りされたりしたらしい。
怖くはなかったけど、くさかったって言ってたよ。
きっと満州にいた人たちのなかには大変な思いをした人が多いと思うけど
幸い母は運が良くて、大変は大変だったけど地獄を見るほどではなかったんだって。
でも、列車で内陸部から港へ出るときに
騎馬盗賊に列車を止められてそんときはすげー怖かったそうだ。
(数年前に無くなった)ウチの祖父は祖母によると若い頃から頑固者で融通が
きかなかったらしい。
戦時中は南方のどこかに行ったらしいけど奇跡的にも帰還。
もっとも別人のようにやせ細っていたらしい。
何か折に祖母が戦場での事を尋ねても何も言わない。
当然、孫の自分が聞いても黙秘。あまりしつこく聞いても
怒られた。戦後50年経っても沈黙守ったまま鬼籍に。
でも終戦記念日には一日中、お経を唱えたり、黙祷していた姿が印象に残っている。
あと中曽根首相在任時は「主計出のくせに」とか「口先だけ勇ましいヤツ」とか
大嫌いだったらしいのを憶えている。
最近、祖母からきいた話によると
元兵隊さんだけが受け取れる年金だか恩給の受け取りを断固拒否していたらしい。
「でも勿体無いので」と祖母が勝手に手続きして受給を受けても
「そんな金、受け取れない」と諸々の団体に勝手に寄付してしまい
生活も「戦後の高度成長横目にずーっと貧乏」でよく夫婦喧嘩になっていた、と。
関係有るのか、無いのか3代目の自分まで貧乏継続中(w
全然笑えない。
辛気臭い話だね
>329
何か浅田次郎小説的な過去がありそうなお祖父様ですな。
332 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 01:23 ID:ejbBg1D6
全然笑えない。
333 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 01:30 ID:SimAuEYP
Θ Θ
ω 戦時中の話は、何を聞いても怖いや。
本当に怖い…
どっかで
戦時中は70越えた老人が、160キロはある屑鉄を持ち上げて金を稼いだ。とか言って
た。
ボブ・サップでさえ160キロ弱だよな。美化するにしてもやり過ぎと笑った。
335 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 02:24 ID:ejbBg1D6
何イッテンノ
最初おもしろかった
でも
なんか軍ヲタみたいなのが現れだしたあたりから
つまんなくなった
もうどうでもいい
このスレこないことにする
337 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 02:52 ID:G+HOdbHb
父は戦時中に防空壕の中で産まれたのだが爺さんは南方に出兵中。
終戦を迎え、爺さんは足を悪くしながらも無事帰還した。
婆さんは幼子の父を抱き駅に爺さんを迎えに行った。
その幼子を見て爺さんは「誰に孕まされたー!!」と怒りだし
周りの人が説明し納得させるのに大変だったらしい。
うちのばーちゃんは住んでるところが山深すぎて
玉音放送が何言ってるのかちっともわからなっかたってさ。
戦時中の笑える話と言ったら、「お父さんは心配性」の最終巻にあった
岡田あーみんのエッセイ漫画?の岡田あーみんの祖母だか曾祖母の話だな。
あれは笑い転げた記憶がある。
>>339 覚えてる覚えてる。かなりヤバイ話だった。
敵機から照らされる光を神のお導きだーとか言って村人を扇動し
光のほうへ行った人は(自粛 みたいな。
>>334 わたしの父親でさえスクワットで120`持ち上げられるのだから、
すこし力があって、技術があればできると思う。
こないだ探偵ナイトスクープで70超えてトレーニングしてて
200キロ持ち上げてる人を探し回っていたが、結局見つからなかったってのあったよ。
70過ぎて100キロの人はいたかな。
343 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 08:55 ID:n8XRMX62
>>340 んで、誰もが死んだと思ってたら自分一人だけ
ひょっこり帰ってきたって奴ね。(w
344 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 09:08 ID:l9OPo08y
戦争いってたじじぃが言ってたが
敵のけつの穴ナメさせられたって言ってた。
345 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 09:42 ID:v8hc438W
関西の老漫才師のいとしこいし師匠の弟さんの方がある番組で話していた話なんだが。
この人は戦時中は重機関銃を扱ってたらしいのだがその時の話を語っていた。
「敵戦闘機から機銃掃射された時、この小さい鉄兜(ヘルメット)にどうすれば体全体をすっぽり隠す事が出来るかという様な事を敵機が過ぎ去るまでの短い時間の中で真剣に考えた」
その時は大笑いしてしまったが気持ちはわかる。
>>341 体重と持てる荷物の重さの区別さえついていないバカなんて相手にするなよ。
347 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 14:16 ID:VFf6IlAg
うちのじいさんは朝鮮で銀行員やってた。
結構、高給取りで愛人が何人もいた。
「朝鮮の女はいいぞ」と話してくれた。
一人、朝鮮から連れてきた女の人がいて、
俺が幼稚園の頃、その女の人(といっても結構なばあさんだが)
のアパートに行ったことがある。
勿論じいさんには正妻(つまり俺の祖母さん)がいた。
じいさんと祖母さんは愛人問題でよく離婚しなかったものだと
大人になった今、不思議に思う。
ちなみにもうみんな死んでしまった。
当時は地位…というか金がある人は、正妻以外に
2号さんを持つのが、普通にあったと聞いた事がある。
お見合い世話するオバチャンみたいに、
そういうお世話をする人も普通にいたそうだ。
349 :
202:04/03/16 15:36 ID:oP9QpJjQ
ロスケ爺さんは近所に住んでて朝から叫ぶので困ってます
3年前に脳卒中で倒れて以来聞いていませんが…
身内ネタを一つ!
私の祖母はラムネが好きで買い物篭の下に常にラムネを隠していて
空襲で死ぬ時があったらラムネを飲みながら死のうと思っていたそうです
ある日艦載機の爆撃が近くであり、祖母は今だ!とばかりに一気飲みしたら
咽て鼻からラムネが噴き出したそうです
爆撃は迫って来るわ、息が出来ずに苦しいわで大変だったと今でも話します
祖母曰く「アメリカも憎いが、あの時のグラマンが憎い!!」
350 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 15:37 ID:n8XRMX62
>>348 そういうのが「男の甲斐性」といわれた時代だったからね。
うちの親戚のじいさんも若い頃から正妻とお妾さんがいてしかも
仲良く同居してた。じいさんは他界したけど今でも仲良く2人で
子供と孫に囲まれて暮らしてる。
若い頃はさぞかし萌えるシチュエーションもあったろうなあ、と
そのじいさんがチョトうらやましい。もっとも、逆のパターンだったら
最悪だが・・・。
351 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 16:06 ID:NjxUaUQk
小さいころに聞いたからうろ覚えだけど。
うちの爺さん、心臓病か何かで徴兵されなかった。
ところが共産主義者の容疑でしょっ引かれて拷問攻めの憂き目に。
(冤罪では無かったようだが)
ギザギザの石の上に正座されられて上から重しを載せられたとか、
希少性のある体験はしなかったみたい。
そういう話を聞かしてくれたのはいいんだけど…
鉛筆攻め(?)を孫に実演するのは如何なものかと。
352 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 16:09 ID:GIJzmbqV
爆弾が漬物の桶に落ちた
ひいジイサンが屋根に上がって竹槍をかざし
「こりゃ!アメ公!かかって来い!」
と叫んだ
353 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 16:42 ID:VFf6IlAg
>>348 なるほど。そういう時代だったのですね。
ちなみにそのじいさんは朝鮮での銀行員時代、
人力車で通勤していたそうです。
埼京線の俺とは違いすぎる。
不倫がどうこうと騒ぐ現代の貧乏臭さに比べると
愛人の一人二人は「男の甲斐性」と言われた時代って
なかなか成熟しているような気もする。
>>353 でも、甲斐性無しには今以上に行き辛かった時代でもあるな。
>>353 現代はいかに金を使わずに女とやれるか
みたいな男が多いからでは?
昔は女を『囲う』=家や店の一軒くれてやる
だったから『甲斐性』だったんでしょう。
356 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 16:48 ID:HdZWaQRa
どっかのスレで見たが、戦時中軍艦で
飲用でないアルコールで酒盛りしてたら
中の一人が酔っ払ってその容器に躓いてぶちまけ、
詳細は忘れたがそれに引火し、
結局戦艦が沈没したというのが出てたな。
笑えない話かな・・・。
>>349 想像してワラタ。
スレタイに相応しい話だ。
358 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 17:18 ID:VFf6IlAg
>>354 甲斐性無し...か。
会社のPCで2チャンやってる俺のことか。
おじいちゃんごめん。
俺、あんたみたいに生きられないと思う。
359 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 17:36 ID:xGMhwnrI
吉田茂にも妾はいたが、当時のマスコミはそれを
好意的に扱っていたし本人も隠すこともなかったらしい。
宇野さんとは大違い。
>>359 「宇野さんは月30万でどうだ?」と持ち掛けて、相手がぶち切れて暴露されちゃったんだよね。
確か。微妙にセコイのが徒になったというか…
361 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 20:50 ID:lK9QE2WR
戦時中の話ではなく、あの時代のお話として笑えたので。
麻生太郎氏の平成15年5月31日の東大における講演会においての質疑応答
質問
中国や韓国と外交をするうえで、歴史問題をどうすればいいと思うか。
【麻生氏】
歴史認識を一緒にしようといっても、隣の国と一緒になるわけがない。
たとえば朝鮮人の創氏改名の話。日本が満州国をやる前に創氏改名の話が
出たことは一回もない。しかし、当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートを
もらうと名前のところにキンとかアンとか書いてあり、「朝鮮人だな」と言われた。
仕事がしにくかった。だから名字をくれ、といったのがそもそもの始まりだ。
これを韓国でやりあったら灰皿が飛んできた。
そのときに「若い者じゃ話にならない、年寄りを呼んでこい」と言ったら、
おじいさんが現れて「あなたのおっしゃる通りです」と。
ついでに、「ハングル文字は日本人が教えた。うちは平仮名を開発したが、
おたくらにそういう言葉はないのか、と言ってハングル文字が出てきた」と言ったら
もっとすごい騒ぎになった。その時もそのおじいさんが「よく勉強しておられる。
あなたのおっしゃる通りです」と言って、その場は収まった。
やっぱり、きちんと正しいことは歴史的事実として述べた方がいい。
http://www2.odn.ne.jp/~ccq47810/asou15.5.31.html
>>356 ひょっとして戦艦「陸奥」はそれが原因で・・・
>361
、「ハングル文字は日本人が教えた。うちは平仮名を開発したが、
おたくらにそういう言葉はないのか、と言ってハングル文字が出てきた」
意味がよく分からんので、翻訳お願い。
>>363 ひらがなカタカナは表音文字。だから漢字が無い言葉…外来語なんかを使ったりする時に
大変便利なのよ。だからおたくにそういうの無いの?って聞いたら、凄い昔に「民衆用に」って
作ったハングル文字が出てきたと。
ちなみにそれまではハングル文字は全く使用されていなかった。
エリートはみんな漢文で書いてた。
>364
> エリートはみんな漢文で書いてた。
ひらがなが平民用だった日本と同じってことですね。
近所のじいさんは台湾の塩の専売公社にいたらしいが、
その人が言うには公社のエライ人は輿で出勤していたそうだ。
367 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/16 23:11 ID:H8fd11T8
>公社のエライ人は輿で出勤していたそうだ
そこまで逝ったらアホかキチガイだな ゲラ
368 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/17 04:19 ID:dujR4UOv
笑える話…と言えば、ウチのじいさんから聞いた話が笑えた。
あるソ連の落下傘部隊が「下は雪だからパラシュートなんか無くても平気だ!!」
といって、パラシュートも着けずにそのまま降下。
全員死亡したらしい。
いくらなんでも間抜け過ぎる…。
>368
さすがクマの国だ。人智の及ぶ所ではない。
>>368 確か実話らしいな、それ
未だに信じられないけど
>>368 雪に慣れてるのか、慣れてないのか、分からない発想だな、それ。
>>362 >>356の話は戦艦三笠(今、横須賀にあるアレ)。
三笠は日露戦争で、東郷平八郎が乗った旗艦で、よく知られてるように
大活躍をした船なんだけど、日露戦争が終結して帰国するや、その夜に爆沈
(この時の原因が
>>356)
だから、戦勝の直接的な原因と言われる日本海海戦などで旗艦として大活躍したのに
戦勝記念の観艦式には参加できず。
で、まぁ、その後さすがに「あの国民的人気の三笠」を沈めておくわけにはいかん、
と言うわけで、引き上げて修理したのに、また原因不明の爆沈(w
再度引き上げて、一部修理して、現在の横須賀に至る、と。
戦艦陸奥は乗組員の放火説が有力。
三笠の爆沈の原因だが、
当時の水兵は発光信号用のアルコールをギンバイして飲用するのが流行っていたらしい。
この工業用アルコールを洗面器に入れ、先ず火をつけて臭いをとり、吹き消して水で割った飲んだのだそうだ。
三笠の場合、弾薬通路でこれをやり、こぼれだしたアルコールの火をあわてて消そうとして、洗面器をひっくり返し、
通路全体に火災が起こった、ということらしい。
そして爆沈。殉職者339名・・・合掌。
いやぁ、興味深くタメになるスレだ。
要するに、兵隊はバカが多かった、と・・・
いつでもどこでも下っ端の兵隊にはDQNが多いのは事実だ。
でも父が憤っていたんだけど、少佐以上の将校だったおっさんが、
戦後の知り合いで話す会に出た時、酔うと祖母か誰か親族の女性に卑猥な
ことを言ってからかったらしい。
父はそれまで「高級将校」と呼ばれるような人は下っ端のようにだらしない
ところは少ないと思っていたらしいが、考えを改めたそうだ。
378 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/17 16:34 ID:ATLVCP+n
まあ、高級将校でも品性下劣な奴も居れば
兵士で人格者もいるってことですな。
379 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/17 16:52 ID:C6PXjwqL
大学の教授がよく語ってた戦時中話。
(教授はそのころエリートの神道系大学に在学中)
友達(男)が紅顔の美少年だったので、
先輩(男)に誘われたことが何回かあったらしい。
寝所に入ってこられたこともあったと。
「当時はホモが普通だったんですよ。あいにく私はモテませんでしたが」
あと、射撃大会で優勝して優勝商品いっぱいもらったって言ってた。
「戦争中は大好きなスキーができませんでした」と語る教授。
悲惨なイメージが強い戦時中だけど、
一部の上流階級はこんなにのんびりした生活を送ってたんだなと思った。
もう死んじゃった爺ちゃんが話してた話。
陸軍に配属されて、日本海の方に行ってたらしいんだけど、
夜に海岸で野糞をたれた時に見た、ホタルイカ(?)がぴかぴか光るのが綺麗だったと
しみじみ言っていた。海がぱーっと光るんだって。
あとは穴を掘っていたとか、そういうのんきそうな話しか聞いてない。
それを聞いたころ、何となく戦争中の軍隊って南方とか海外にしかいないような気でいたから
なんだか不思議な感じだったなあ。ちなみに二等兵だったそうな。
>>379 の話聞いて思い出したけど
東大とかエリート階級の学生は学徒出陣ってあったけど
実際ほとんどは安全な基地とかに配属なったらしい
382 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/17 19:35 ID:qPLAABfB
うちのおふくろが鹿児島大空襲の火の海の中、
バーサンに手をひかれて必死に逃げてる最中、
焼け焦げた柱かなんかと思って踏んだら、焼死体で、
踏んだ部分の皮がベロってめくれて、ピンク色の肉が見えたとか。
あと空襲後、焼け跡から不発の焼夷弾見つけてくると、
風呂とかの燃料に使えたから、バーサンにほめられたとか。
>>368 ドイツでも似たような話があって、
誤ってパラシュートで降りられる高度より
相当低い高度で飛び降りて全員木っ端微塵。
逆に撃墜された英爆撃機のクルーが機体から放り出されたものの、
下が積雪した森林地帯で助かったって話もある。高度は8km程で。
父が聞いた話。ある人の前に焼夷弾が落ちた。
死ぬ!と思って身を伏せて暫く。幸いにも死ななかった。
顔をあげると地面に焼夷弾の破片(?)が落ちていた。
やめときゃいいのに、その人は何気にそれを拾い上げ、
手に大火傷を負ったとか。
385 :
・・・:04/03/17 20:28 ID:mN2VRI/C
父親の話。
子供の頃、米軍がチョコレートを持っていた。
父親は、饅頭を持っていた。
米軍が、チェンジ・チェンジと言っていたので
饅頭とチョコレートを交換した。
でも、饅頭は丸くて大きいのに、チョコレートは一枚じゃ不公平だ
みたいなことを父親が言って、(おそらく日本語)
チョコレートを数枚貰った
と言ってました。
うちの会社、日本兵の幽霊が出るっていう話なんだよな。
もう収まったけど、出始めた頃はノイローゼになって
入院した香具師とかいて大変だったよ。
どれもこれも笑えない話が多杉…
ガクブル
とーちゃん中学の頃戦争にみまわれた。他に喰うもんなくて毎日ひじき喰ってたら
真っ黒なうんちしかでなくなったって言ってた。
389 :
362:04/03/17 21:36 ID:wFmykC0/
>>372>>373 レスサンクス
そっか、日露戦争までさかのぼるんだ。
さすがに太平洋戦争時の戦艦がその程度の火災では沈まないだろうから、
多分駆逐艦か何かの間違いかな、とは思ってました。
(火薬庫でやったらわからんがw)
画家志望だったうちの爺さん、徴兵されて中国のどこかに行ったはいいが暇で暇で
日本から絵の具取り寄せて絵ばっか描いてたそうだ…
うちの爺さまがいた部隊には某隣の国の出身者がいたんだが、爺さまとは
何故か仲が良かったらしい。
戦争が終わって彼は海を渡って帰ったんだが、一枚のハガキが届いた。
一言「貴国の敗北を誠に遺憾に思います。」
ちょうど日本人にとっては負けた事実が一番ショックな時期で、爺さまは
馬鹿にされたと激昂して、庭で燃やしてしまった。
そっから50年近くたって、爺さまは自分にこの話をしながらこう言った。
「今思うとな、わざわざ貴国と敬称を使うあたり、やつは少なくともワシに
対しては真面目にそう思っていると伝えたかったんだよな…。」
実際のところどうだったのか確認しようにも、唯一の手がかり燃やしちゃった
以上、確認不可能。
392 :
368:04/03/18 06:51 ID:Gv+bcDLr
このスレを見てると、どの時代どこの国でもアホな奴等がいるもんだと納得できる。
そういえば、コレもじいさんから聞いた話だけど、じいさんが出征した時、お守りを渡されたそうだ。
戦地でそのお守りを開けたら、縮れ毛が数本入っていたそうだ。
俺のじいさん、終戦後に結婚したので、その時は何の毛だったか分からなかったそうだ。
終戦後、復員した時に分かったんだが、その毛は曾じいさん。
つまり、俺のじいさんの父ちゃんの陰毛だったそうだ。
どこかで間違って伝えられたらしい…。
今は亡きウチのじいさんに乾杯。
369、370、371、383のみなさん、レスありがとう。
>392
寅年生れの女性の陰毛を出征のお守りにするって話は聞いたことがある。
虎は千里を行って千里を帰るからね。
だから寅年生れなら男でもお守りになるのかもしれない。
けどやだなあ、おっさんの陰毛…
394 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/18 08:15 ID:iZ01eDq6
父方の爺さんは、浮気する元気はあったのに病気で出征しなかった。
空襲時には腰が抜けて、婆さんに引きずられて避難したそうな。
おぎやはぎのおぎ似の爺さん。
母方の爺さんは、海軍で出征。帰国後に刀を海に投げ捨て。飛行機には二度と乗らなかったそうな。菅原文太似の渋かった爺さん。
あまりに対照的で、微妙な気持ちになる私の先祖でした。
395 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/18 09:56 ID:iMsWKJ+O
>>392 『魁!!男塾』みたいな話だな。
>>393 千人針でも、寅年の女性は年の数だけ
縫ってよかった。
>>392 でも生還している訳だから所期の目的は達成されたわけだ
ご利益はちゃんとあるのね
有名なジョーク
イタリア軍の兵士が夜中に目を覚ますと小隊の隊長がどこかに行こうとした。
部下の兵士はどこに行くのかと訊ねた。
すると隊長はこう答える。
「俺は国のためには命をかけない。俺は奴隷じゃないからな」
荷物を整えながらその隊長は歯をキラリと光らせ、
「俺が命を賭けるときは惚れた女を守るときだけだ!アディオス!」
と、笑顔でさわやかに言うと戦線から離脱していった。
部下は引きとめた。
「隊長!待ってください!」
そして振り向いた隊長に部下はこう言った。
「俺も一緒に行きます!」
と。
かくして朝になり、他の隊員が目を覚ますと隊員の数は減っていた。
日が経つに連れ、一人減り、二人減り・・・・そして、イギリス兵と戦う前にその小隊は姿を消した・・・・
お祖母ちゃんは終戦の年に20歳になった。女学校の卒業パーティは、
毎年、T國ホテルでフレンチのフルコースを食べることになっていたの
だが(礼儀作法の総マトメの意味らしい)、祖母の卒業の年は食糧難で、
フルコースではなくなったらしい。
それがとっっっ…(略)…っっても悔しかった! と未だに言う。あの話を
するときは、お祖母ちゃんの目が非常に怖い。( ;´D`;)クスンクスン
戦争の哀しみも、食い物の怨みも、60年経ってもなくならないのですな。
>397
アディオスはスペイン語だよ…
まあ、イタリアでもスペインでもよさそうな話だが。
>>401 というか、むしろスペインの方がいい、個人的に。
冗談にマジレス
>>397 >「俺は国のためには命をかけない。俺は奴隷じゃないからな」
>荷物を整えながらその隊長は歯をキラリと光らせ、
>「俺が命を賭けるときは惚れた女を守るときだけだ!アディオス!」
日本で出征した人も、本音じゃ「国のため」なんて思ってなかったよ。
叔父が学徒動員で、終戦間際に特攻で命を落とし、
生き残った叔父の友人が家族(祖母と母)にあてて書いた
手紙を持ち帰ってきたんだよ。
内容はうろ覚えだけど、「明日出陣です。私の命がわずかながら
でも、日本にいるお母さんと妹を守るための楯になると信じて
います。そう考えると、死に行く恐怖を耐えることができます」
といった意味のことが書いてあった。
この手紙は祖母の希望で、祖母がが亡くなった時お棺に一緒に
入れたよ。
>>399 いや、北朝鮮は戦前戦中の日本の国民統御の方法を、色々な形で模造しているよ。
まあ劣化コピーだがね。
スレ違いなのでsage
家族のため=祖国のためだよな・・・
俺のじいさんのいた部隊では、
「こんな目に遭わせやがって、国に帰ったら東条も天皇も絶対殺す」
という台詞が吐かれるくらいだったらしい。
>>405 つか、国のためじゃなく家族のためだったら赤紙無視して家族護衛するだろうな。
笑うよ?
出征した兵士なんてゴマンといるのに、ひとくくりできるわけなかろう。
兵士の数だけ家族が居る、そしてそのご近所も
有名だろうけど、こんな話は知ってるか?
戦時中、米兵も日本兵もロシア兵もどこの兵隊も60%ぐらいが
わざと照準外して撃ってたそうだ。
戦争とはいえ、何の恨みもない人を殺すのが嫌だったんだと。
ちなみにうちの爺ちゃん狙撃兵だったらしく、わざとギリギリで外して
相手に警告して逃げさせた事もあったらしい。
心優しいスナイパー・・・。
軍事板にURL貼り付けたバカのせいで、軍ヲタどもの出来の悪い妄想垂れ流しスレと化して
しまったか、、、やれやれ(呆
俺もじいちゃんからいろいろな話聞きたかったが、俺が物心付く前に逝ってしまわれた
>>413 てー事はこれから伝聞の話に対して「違う、この頃の軍は云々・・・」
って鬱陶しいレスが付きまくる訳か
416 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/19 12:01 ID:rqcDMyX4
まあ、マターリと行こうや、皆の衆。
敵と銃撃戦になっても仲間が負傷するまでは割とマターリしてるそうな
そんで負傷したら仁義無き戦いに突入(´・ω・`)
げに恐ろしきは人よのぉ・・・
身内・知り合いから聞いた笑える話が減ったね。
もう50年も前の話なんだから、数が出ないのは当然だろう。
むしろ400まで伸びたのが奇跡ともいえる。
爺ちゃん・婆ちゃんって、その当時の話あんまりしたがらないよね。
やっぱ人には言えない苦労もいっぱい有ったんだと思うよ。
ちなみにうちの婆さんは土地開放政策で小作から開放されたとGHQにえらく
感謝してる。90を過ぎた今でも、その田んぼと畑を耕しつづけてるよ。
>>382見て思い出した。
親戚の家に行ったら
妙な形の花瓶があった。
何かと尋ねたら、焼夷弾のカラだった。
焼け野原で遊んでたら見つけて、宝物にしたらしい。
親戚のオッサン妙に得意気だったよ。
母親の話
戦時中、配給でりんごを配られたが7人家族にリンゴ一個。
母親は当時6才。
そのりんごが魅力的でどうにもこうにも我慢できず
抱えて家の中を逃げまわり、母親に兄弟、隣のおばさんまで巻き込んで追いかけられたもののそこは子供のすること、
すぐにつかまって激しく叱られたそう。
「あんなおいしそうなりんご、今までも見たことなかった」とか。
他にも終戦後
アメリカ兵がチョコレートやガムを配りにきた時のこと。
ガキ大将だった母親だが、恐くて近寄れずモヤモヤしていたとき
子分の男の子に「お菓子もらってきて」と取りに行かせたとか。
たまにその男の子を思い出しては
悪いことをしたなあと思うそうです。
>>420 うちは田んぼをぶん取られたほうだw
地主だったらしい。
隣町で敵の爆撃機が撃ち落されて、めったに見られるものじゃないからと
町の人総出で30km離れた隣町まで徒歩で見に行ったとじいちゃんが言ってた。
町民総出で戦果見物か。おめでてーな
チョコやるからその道空けろと?
祖母の話
空襲警報発令、防空壕に退避。
しかしその防空壕は少々出来が悪かった。
焼夷弾が屋根を貫通、
祖母の目の前の人の頭部にHit!
防空壕の中の人も大変ですな
笑えないじゃんかよー>425
427 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/19 21:42 ID:u5+OpYYU
戦時中の悲惨な話は掃いて捨てる程あるが
笑える話は玉数が少ない、みんなリサーチ
頑張ろうぜ!
こんな面白いスレは見たこと無いからよ、
俺も2件目探してる最中よ!
週末実家に帰るので、聞き込んできます。
俺が小学校の頃は(現在35歳)従軍していた教師がごろごろいたが、
今は絶対いないよな。ある従軍経験した先生に話を聞くのが好きだったが
内容は全然覚えてないや、少尉だったっていうんでスゲーと思ったくらいかな。
でも代用教員上がりのババァはどうしようもない香具師が多かったな。
終戦直後の日本で子供が米兵に菓子をたかってた頃、
ジープの排煙を吸うと頭が良くなるというデマが流れた。
それを聞いた子供達は必死にジープを追いかけながら排煙を思いっきり吸いこんでいたそうな。
頭痛も頭が良くなる証拠だと信じ毎日続けた子もいたらしい。
小学校の頃に中年の先生から聞いた話でした。ホントかどうかはわかりません。
戦時中でなくてスマソ。
431 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/19 23:15 ID:MvRfEIZB
>>420 あ、うちと逆だ(笑)
祖父の家は地主だったんだけど、戦後の農地解放の時にGHQにほとんど
持っていかれた。死んだじいちゃんは酔っ払うと『空襲で倉焼いただけ
では飽きたらず、戦争が終わったらみーんな持っていかれた。許すまじ
マッカーサー』つていきまいてたなあ。
そんなじいちゃんの自慢は、出征先の南方戦線で司馬遼太郎と同じ部隊
にいたこと。…でもまあそれも戦後何十年もたってから『坂の上の雲』
読んで気づいたらしいんだが。
そんなじいちゃんも数年前の8月15日に亡くなった。生前「自分だけ
生き残ってフィリピンで死んだ仲間に申し訳ない」ってよく言ってたらしい
から、日にちが終戦記念日だけに仲間がお迎えにきたんだろうなって思って
る。
長くなったな。自己ネタでスマソ
432 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/19 23:44 ID:FHpHT1tH
戦争が終わってから、面識の無い戦争帰りの方から
父宛にお礼の手紙が来たり、わざわざ家まで訪ねて
来てくれた方が居たそうです、理由は慰問の手紙のお礼。
当時戦地で頑張る兵隊さんに子供が慰問の手紙を出す
事があったそうですが、皆内容は同じで
「打ちてし止まん大和魂!天皇万歳!銃後の守りは堅いです
から心置きなく戦って下さい!」
というようなモノだったらしいのですが、唯一父の手紙だけが
「今日目が覚めたら、障子にハエがとまっていて、それを猫が
捕まえようとして後ろ足で跳ねていた。母が芋をふかしてくれた
妹がもっと欲しいと言うので自分はしっぽだけで我慢した。
それで腹が鳴ったら妹に笑われたので腹がたった・・・」
というような内容だったそうです、よく検閲されてハネら
れなかったもんだと思いましたが、父ちゃん、あんたって
人は昔から・・・
どの人も「君の慰問の手紙とても嬉しかった、君の
手紙を戦争中何回も読んだんだよ」
と言っていて、話によると部隊で廻し読みされていた
そうです。
433 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/19 23:50 ID:D2JrvGON
>>383 >逆に撃墜された英爆撃機のクルーが機体から放り出されたものの、
>下が積雪した森林地帯で助かったって話もある。高度は8km程で。
とても信じられないが、これが運というものなのか。
>434
積雪って堅いだろ?
ってのが北海道でしばらく暮らした人間の感想なんだがな…
うちも農地改革で取られた口だけど今となってはどうでもいい。
でもひいじいさんが戦後、占領軍の刀狩に先祖伝来の刀剣を
すべて渡したのがくれぐれも残念。
あ、それとうちは代々酒を造っているのだが、
戦争が激化して燃料が不足すると、酒のアルコール分を
上げて燃料化しようとしたらしい。
それで酒を製造しると軍が言ってきたので、今(じいさんは)出征してるので
人手がないと言ったら、軍がじゃあ戻してやると言ったそうだ。んでどこに
出征してるんだと聞かれたので、南方戦線と言ったら ・・・そりゃ無理だよと
言われたらしい。まあ餓死しかけてマラリアに侵されながらなんとか生還してきました。
>>432 ええ話や・・・
>>435 そんなに硬くもないと思うがな。雪の深いところに2階の屋根から飛び降りても平気だし。
家にじいさんの話。
家のじいさんは、九十九里浜のある街で風船爆彈を毎日のように見ていたそうな。
なんでも、風船爆弾を数えると、スパイとして、憲兵さんに連行されるらしい。
その話をし終えた後、じいさんが、「結局被害は無かったみたいだが」
と言ったので、俺は、、、
「6人死んだんだよ」って言っちまった。。。
傷ついただろうなぁ。まだガキだった頃の俺を恨むよ。
なにせ自分が見ていたかもしれない爆弾が人を頃すんだもんな。
今でも、イラク戦争や、アフガン空爆とかのニュースみると、「戦争はイカン」「戦争は駄目だ」
て呟いてるよ。
440 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/20 00:46 ID:YfaGEJYa
>>266 確か本が出てる。数年前nステで見た。因みに爺さま達は中国に居たようで。ヤラセかワカランが聞いてて涙出た(婆さんと孫が逃げていたのを捕まえて幼女をレイpしようとしたら婆さんが「孫は子供だから自分をやれ」と懇願したのを殺し幼女を大勢で林間したとか)。
朝日系でその手のニュースはなぁ・・・間に受け無い方がいいよ
442 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/20 00:54 ID:rb7NF0oW
近所に明治45年=大正元年生まれの爺さまが住んでる。
さすがに足腰は弱ってるが杖突きながらも歩いて、自宅前で日向ぼっこしてる。
おなじくよぼよぼの年寄りが通りかかると無理やり隣に座らせ、戦争の話をしてる。
第2次世界大戦中は大陸にいて、陸軍の聴音機というのの係だったようだ。
すごく楽しそうで、戦争が青春と若さの象徴だったんだろうなあと思う。
母は落ちた飛行機の窓の破片をよく拾ってきたそうだ
(燃えるので)そしてそれを磨くと「ベッコウ飴のような
イイ匂い」がしたと言うのだが、何の素材だったんだろう・・・
母はハーシーのチョコレートが好き。戦争から帰ってきた叔父さんに
土産でもらったチョコと味が同じなんだって。
>>443 たぶん風防の材料だったアクリルだと思う。
匂いガラスとも呼ばれてたしね。
>>444 そうだったんですか。レスありがとうございました。
自分はその話を聞く度に「ヘンゼルとグレーテル」のお菓子の
家の窓を連想してました。
446 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/20 05:30 ID:Xin2tLzh
うちの死んだじーちゃん、陸軍、広島市の暁部隊(原爆投下後すぐ、
看護部隊として活動した隊)に居たらしいので、笑える話はおろか
戦時中の話を直接聞いたことが無い。
戦後すぐ、船会社の社員としてアメリカに渡って、高速道路はあるは、
テレビはあるはで何でこんな国と戦争したかなー、と思ったっていうのが
唯一その当時のことを直接話してくれたことですた。
んで大叔父は、大戦中スイスでずっと和平交渉をCIAと行ってたた藤村義郎
さんという方と知己で、政府がもっとしっかりしてたら原爆の投下はなかった、と。
丸山真男などを勧められたり。政府は当時から進歩してんのかなー(´・ω・`)
スレ違い澄まそ。
447 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/20 05:58 ID:ilcMdK87
祖父母から戦時中の話ってぜんぜん聞いたことない!死んだ祖母なんて戦争前の
楽しい話しかしなかった。
448 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/20 10:00 ID:DhCN+YKg
>>440 Nステで紹介されたあの本は、年数が合わない点が数多くあった。
例えば証言している人の年齢でいくとその人が小学生の年齢で
兵隊として南京に行っていたことになったり、小学生が戦場でレイプ
していたことになったりなど。
あと、当時の日本軍の軍規から見ると有り得ない話のオンパレード
だった。そんなことを実際にしたらレイプする前に自分が殺される
ような。当たり前だけど軍隊で自分勝手な行動は許されない。
と聞きました。
私が生まれる前に亡くなったじーちゃんは、
お坊さまで科学評論家でフランス語ペラペラの
共産主義者で特高に拷問されたこともあって、
でも軍人向けの講演をしたり、戦争物の児童文学を書いたりもした人らしい。
生きてたら面白い話聞けただろうなあ。
その奥さんのばーちゃんは健在だけど、
いいとこのお嬢さんだったらしくて、
昔の話といえば自慢しか出てこないw
おかげでやたらと暗い時代って気はしないけど。
450 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/20 12:11 ID:3SaJaUko
うちの祖父は若い(70歳すぎ)なので、戦争に行ってない世代。
農家育ちだったので、
「ワシが子供の頃はごはんを3杯食べてた」
「麦飯の弁当の子供がいて、バカにしてた。ワシのは米だけの弁当」
「都会もんが米を分けてくれというので、着物と交換した。田舎では手に入らない上等品がイパーイ」
「戦争のせいで、小学校までしか出ていない(いまだに天皇は神の子孫だと信じてる)」
・・・だからそんなにDQNなのかヨ。
父(祖父の実の息子)がよく憎憎しげに「いっぺん戦争行ってきたらよかったんや」
と言ってたなぁ・・・。
父の同級生くらいだと、戦争に行って苦労して帰国した父を持つ人が多かったようで、
人格者とDQNがくっきり分かれてたんだろうな。
歴史を見れば、「戦争は百害あって一利無し」ってわかるのに、2度も大戦起こしてるっていうのが最大の笑い話だな。
人間の歴史って、戦争の歴史だろう
カーナビの便利さを享受したり、インターネットでこうやって遊んでると
戦争が一利なしとは思えないなぁ。
こんなんゆったら、マジ怒られるかもしれんけど、
北朝鮮みたいだったよね。昔の日本って。ホントに。
戦争がソレを変えてくれたんだと思うよ。やっぱり。
もちろん、戦争がいいことだとは思ってはいないんだけど
(関係ある人もない人も死んでしまうし、
心に傷を残すことのほうが多いだろうから。)
あの戦争がなければ、日本は今でも北朝鮮状態だったと思う。
もし、戦争が起こって、北朝鮮が負けたりしたら
それこそ戦後の日本のように「高度成長期」ってのがきて
日本の戦後の歴史をなぞって変わっていくと思うよ。
みんなもそう思ってるとは思うけどね。スレ違いなので、サゲ。
>>432 向田邦子さんのエッセイにも同じような話がありました。
なんてことない手紙を書いて送ったら、
戦後兵隊さんが何人かお礼に見えたそうです。
じいちゃんに戦争中の笑える話なんか教えて、と電話で
聞いたらめたくそ怒られた。
俺が聞いた話といえば・・。
爺ちゃんが拾ってきた焼夷弾をくべて焚き火をしてて、
家が三軒延焼したとか?
あとは、崖の上から米兵の頭に立小便をかけたとか。
で、怒った米兵が拳銃撃ちながら追いかけてきて、脇腹をかすめたらしい。
459 :
440:04/03/20 14:30 ID:YfaGEJYa
>>454 昔の日本が「北朝鮮状態」だったと本気で思ってたらアフォだろ。
ついでに、今戦争が起こって北朝鮮がボコボコにされても、奴らには
「高度成長期」など決して訪れない。永遠の貧乏国だ。
奴らには近所で朝鮮戦争もベトナム戦争も起きないだろうし、
自国の防衛はタダ同然でアメリカが肩代わりしてくれるようなことはないだろうからな。
>>450 それに日本は戦前もそれなりに工業力も技術力もあったからね。
俺の親父は旧制中学(最後の入学生)に入学したとき、
その校長は生徒に飛行機のエンジンを埋めさせたかどで
公職追放になってしまい、1年間校長が空席だったそうだ。
>>461 >その校長は生徒に飛行機のエンジンを埋めさせたかどで
なんで埋めさせたの。反戦の意思表示?
>>456 いくらなんでもストレートすぎるから(笑)
直接会って普通の話でもして酒を酌み交わしながら・・・ってのが
実は一番いい聞き出し方なんだよ
戦前の日本が暗くて怖い国ってイメージを持つことは、戦後教育を受けてきた奴(俺も含め)には
ある程度仕方の無い事かも知れないが、いきなり今の「北朝鮮」と一緒はないやね。
戦前の日本と今の北朝鮮にどんな共通点があるのか、知らないで言っているとしか思えない。
日本ってのは、経済も技術も人材も駄目だった状態が、戦後急成長したわけじゃないよ。
今も当時も、きっちり仕事やって世界に追いつこう追い越そうと必死な国だったんだろうな。
それとも最近は変って来たのかな。
言ってる事は分かるが、蒸し返すんじゃない。
>>451 一利って誰から見てだ?
アメリカなんかは戦争で利がありまくりなんだけど。
ってか戦争がなけりゃあの国ないしな。
>>454 ちゃんと調べようね。北朝鮮は日本のインフラで最初裕福だったんだけど、
今じゃ韓国の足元にも及ばない。日本は富国強兵で軍事大国にのし上がったわけだけど、
別に国民を搾取してそうなったわけではない。どうしてこの差が現れてるのか?
調べなさいね。
>>463 ID:nXpkXK3Jだけどよく分からない。親父に聞いてもはっきりとは
分からなかったようで、軍に頼まれたんじゃないかなと言っていた。
まあそれから推測すると、軍が占領軍からエンジンを隠匿しようとしたんじゃないかな?
でも結局、日本の軍事技術は全部接収されたんでしょ。
そういや俺の家の裏山に旧日本軍の珍しい戦闘機が埋まってるようで
研究者だのマニアさんだのが血まなこになって探してるみたいだ。
こんな田舎にそんな物が埋まっているとは・・・
まあ仮に出てきてもボロボロなんだろうけどね。
471 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/20 19:48 ID:b+tSTN2Z
いいじゃないか、誰の話でも聞いてやればよ。
理屈っぽくゴチャゴチャ言うもんじゃないよ。
472 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/20 19:58 ID:wrJsMNpx
473 :
472:04/03/20 20:08 ID:wrJsMNpx
戦前って日本よりアルゼンチンの方が
経済力あったらしいよ
>473
戦勝国でなくとも、漁夫の利っていうのがあるでしょ。
朝鮮戦争やベトナム戦争で日本が稼いじゃったのも、それなわけだし。
決してよいことではないけど、捕虜が人体実験された結果が、医療の発展に
繋がったということもあるだろうし。
戦争はないほうがいいと思う。もちろん。
でもその恩恵に浴しているというのも事実だな、と。
476 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/20 21:35 ID:IswqUSzE
>>435 いきなり積もった雪の上に落っこちたんじゃなくて
雪の積もった針葉樹林だったので、密集した枝が
クッションになって落下速度が落ちたため助かったようです。
リアル消防の頃、NHKのTV番組に実際に助かったクルーが
出演しているのを見た。
戦争さえなければ今でも弥生時代のままで平和だったのに。
弥生時代も戦争あったと思う
むしろ今の人間は旧人を滅ぼしたとか・・・
480 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/20 21:44 ID:b+tSTN2Z
なら、縄文時代の笑える戦争秘話聞かせてくれ。(笑)
縄文時代から生きてるおじいちゃんをお持ちのお客様
はいらっしゃいませんかー
∀・)ノシ
∀・)ノシ
484 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/21 00:13 ID:GYU0Mj6l
>>468 はいはい、朝鮮のエキスパート様の御高説はもう結構。
巣に戻って出てこないでね。
親父が小学生のとき、すげーいやな教師がいたそうだ。
威張っていていわゆる軍国教育を強力に推し進めていた暴力教師。
でもへたれで地震が起こった際は、生徒を置き去りに真っ先に逃げて
しまうような香具師。でその教師が戦争が押し迫った折には「本土決戦、
1億玉砕だ、お前ら気合が足りん」などとのたまっていたのに、
終戦を迎えたら「え〜私は元々民主主義者で〜」と話し始めたときには、
生徒全員、空いた口がふさがらなかったとか。
そんな恥知らず教師もなぜかのこのこと同窓会に出席してきて
酔ったかっての教え子から吊るし上げを食らったらしい。でその教師は
「そういう時代だったんだ」といいわけしたが、「いや、他の先生に比べて
お前は酷すぎ」ととうとう全員が参加しての糾弾大会になってしまったそう。
勿論その教師は二度と同窓会に参加することはなかったということでした。
485ワラタ。
うちの父は戦後生まれで銀行員の子だったんだけど、社会主義者だかの
女教師に「君たちのお父さんは資本主義のなんたらかんたら」と農家出身の
生徒たち大勢の前で言われ、肩身の狭い思いをさせられたらしい;
このあいだ見た文革時代を舞台にした中国映画を思い出しちゃったよ。
>>485 >生徒を置き去りに真っ先に逃げて
池田小の男性教師みたいね。
スレ違いスマソ…
>>485 >親父が小学生
戦争中に小学校があったの?
もしかしてベトナム戦争の話?
↑
その手の突っ込みは散々がいしゅつ。
過去ログ見直して出直して来い。
ひょっとして釣られてしまったかな?
違った過去ログでなくて、前レスだった(鬱
>491
これがFirst Threadですが。
>>473 明治時代の外交官とかはみんな海外の大学に留学してたりするからね。
欧米からの植民地支配の危機を感じる分度量が無ければならなかった。
ただ、今のアメリカの技術、レーザーとかITとかも戦争を前提に研究されてきたわけだけど、
イラク戦争でもどの戦争でも前線にいく兵士のこと考えたら、
戦場で効果を発揮することを前提としての技術発展でも可能な限り前提を
前提として留められるように努力をすべきだとは思いまつ。
人間が知恵を絞るときなんて、金と権力とエロと戦争くらいなもん
それ以外で知恵を絞って発明したものなんて、たかが知れてる訳で
特に戦争は金と権力、下手すりゃ命も掛かってるから一生懸命になるさね
>>434 >逆に撃墜された英爆撃機のクルーが機体から放り出されたものの、
>下が積雪した森林地帯で助かったって話もある。高度は8km程で。
下が積雪した森林地帯で「雪と枝がクッションになって」助かった、ですな。
亀レススマソ
ところで戦争末期には木製の張りぼて戦闘機作らされた、って話をよく聞くけど、
実はユーラシア大陸の反対側にも似たよな話がある。
国名は失念したが、英伊独のどれかだったと思う。
敵の偵察機を欺くため木製の嘘戦闘機を並べた嘘飛行場に敵機襲来。
まんまと引っかかりやがて阿呆が、とか思ってたら
木製の爆弾を投下された、と。
497 :
496:04/03/21 05:19 ID:eqhBYQ7O
よく見たら
>>476で概出ですね。
吊ってきます。
>その手の突っ込みは散々がいしゅつ。
それではなぜ、いまだに「国民学校」と書かずに
「小学校」と書くバカモンがいるのか?
今の若い者に「国民学校」なんて書いたってわからないから。
そんなツマランことにこだわる人は日本史板や世界史板に行ってくれ。
ここはあくまで生活一般板です。
生活一般板だろうが関係ないよ。
「国民学校」と「小学校」は完全に別物。
そんなツマランことにこだわる?
そういうことが戦時の偽造につながっていくんだろうが。
じゃあ
「国民学校(今で言うところの小学校。ただし完全にイコールでは
ないのは自明の理である)」
とかいちいち書けと?
>>500 じゃあ、お前が日教組にそこらへんをちゃんと教えるように直訴しろよ。
私は「国民学校…あ、今で言う小学校のことか」って
脳内変換して読んでるけど
みんなもそうなんじゃないの?
それに尋常小学校、国民学校、小学校をちゃんと区別出来る香具師が
どれだけいるのかと。勿論俺も35になるがよく分からんぞ。
>>503 うん
>「国民学校」と「小学校」は完全に別物。
どう別物なのかよく分からない。国民学校は軍事教練ばかりして算数は教えなかった
のかもしれんw
>日教組にそこらへんをちゃんと教えるように直訴しろよ。
文部省じゃないの?だいたい歴史の教科書にはそのような記述はありますが。
完全に別物とはいいすぎました、というより間違いです。
それでも昭和十六年から二十二年まで、日本に小学校は存在しません。
ウザイからもういいよ。
508 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/21 10:06 ID:TzlI/Y3b
ま、一部のヲタ意外にとっては、一部でしか通じない方言みたいなもんで、現代風表記に直してもかまわないかと。
国民学校と尋常小学校との違いなんかが重要なネタ以外ではね
祖父母や両親からきいた戦中の話を書いてるわけで。
そういう話をするときは、
「祖父さんが『小学生』だったときはなぁ・・・」ではじまったり、
「祖父さんが『国民学校』にいってたとき・・・」ではじまったり、
で両方あると思う。
でもさ、『国民学校』って単語を使ったあとは大抵、
「今で言う『小学校』のことだけどな」
と注釈がつくんじゃないかぁ。
その場合、内容が国民学校と小学校の違いに重点を
特に置いたものでなければ、両者が混同されるのは仕方ないと思う。
このスレが文献や史実を元にしたんではなく、<それを書いてもかまわんけんど
人から聞いた話を書く主旨のものである以上、
両者の違いがつかなかったり、曖昧になったりするのは
仕方の無いことじゃないかなぁ。
それとなく訂正するならともかく、鬼の首を取ったような煽りはちょっとね
そうだね、ネタも提供せずに一方的にバカモノ呼ばわりするのは
どうかと思うよ。素直に
>>485は面白いと思ったがね。
俺の母親は「国民学校」に通っていたが、「国民学生」ではなく「小学生」だったそうだよ。
これ、ホント。
軍ヲタとか来るようになってからつまらなくなったね
513 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/21 14:57 ID:6RHJpg1g
個人的には軍オタの情報もおもろいけどな。
自己顕示のために、些細なことで騒ぎ立てたがる奴は
いただけないが。
514 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/21 15:48 ID:R0zLGCJx
516 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/21 18:00 ID:lwCuQdb/
戦前の日本は国際連盟の五大国だったというのは
なんだか凄いね。
517 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/21 19:37 ID:SSg/bQE4
爺ちゃんのお兄さんは馬鈴薯がだいっきらいだった
そうですが、戦時中に前線近くに送られて補給物資が
止まり、餓死寸前のとこにやっと来たトラックに乗っていたのは
馬鈴薯だけだったそうです。ショックでお兄さんはへたり込み
ましたが周りの皆は大喜び、危険を顧みず運んできた人にも
悪いし、こんな時好き嫌いなんて言ったら絶対鬼の上官にボコボコ
にされると思って一緒になって喜んでる演技をしたそうです。
これほどお腹が減ってればおいしいかなと思ったが、やっぱり
まずくて、つらくて泣きながら馬鈴薯を食べたそうです、顔は
笑顔で・・・
私が好き嫌いをすると必ず聞かされたもんです。
爺ちゃんの兄さんは終戦から死ぬまで、一度も馬鈴薯を食べな
かったらしいです。
518 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/21 19:55 ID:wEwTeJby
>>509 ↑の書き込み良く読んどけよ、それで全て終わり。
さあ話もついたとこだし次々行こうぜ
519 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/21 19:57 ID:9Fsu/P1v
決戦下のユートピアでも読めばよいのでは?
餓死寸前でそこまで好き嫌いがあるとは凄いな。
ゆでで食べれば美味そうだが。
コロッケにすれば更にウマーだが戦地に卵、小麦粉、パン粉、食用油等は
無かっただろうな。
521 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/21 21:14 ID:R6UV7oES
死にそうに腹が減ってても嫌いなもんは不味いのか。
俺のじいさんがいた部隊では食うものがなくなって銃で鳥を撃って食ってたらしい。鳩、雀はうまいが烏は食えたもんじゃない、らしい。
>>522 雀なんか銃で撃ったら食えるところなくなりそうだが。
ろうそく焼きとか、手間をかけた調理法をすれば食べられるらしいけど、
戦場じゃそんな余裕ないわなあ
525 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/21 21:53 ID:N05N91La
もう亡くなってしまって話は聞けないけど、内のジー様や叔父さんなんかは
モレらの年頃が戦争時代で、そん中で『青春』してかなきゃならんだ訳か。
2ちゃんやってネトゲやって、ポーっと過ごしてるモレ。
何が幸せなのやら。
亀レスだが…
>>368 俺の聞いた話では「下が雪原だから大丈夫だろう」という事で、
高度10000mから落下傘を着けずに降下。
部隊の半数が死んだそうな。
もちろん訓練での話。
>>496 確かイギリスの話ですな。
ドイツにはこんな話もある。
イギリス軍とドイツ軍の対峙するとある前線。
ドイツ兵が木の板に戦車の絵を書いたものを持ち出してきた。
当然イギリス兵はそれを見破り、ドイツ兵を嘲笑う。
翌日、今度は紙で作った戦車のハリボテが出てきた。
イギリス兵は再びそれを見抜き、ドイツ兵を嘲笑った。
日に日にドイツ兵の「ニセ戦車」はリアルになってゆく。
始めは馬鹿にしていたイギリス兵だが、次第にその精巧さに感心するようになった。
そんなある日。ドイツ兵が本物と全く変わらないような「戦車」を持ち出してきた。
「あいつらの腕も上がったもんだ」イギリス兵の一人が呟いたが、何か様子がおかしい。
その「戦車」は、キャタピラ音を響かせながら、こちらに向かってきていたのだ。
結果、そのイギリスの部隊は全滅した。
>>522 ばあさんが烏は臭いと言っていた。
親父と話していて、俺が『小学生』のときに温厚な教師がいて
結構人気があったのだが、その教師が元憲兵だったと知って驚いたよ。
憲兵ってあんまりいいイメージがないもんで。
そういえば岸辺シローの父親は特高警察にいたらしいね。
>>509まあそうですね。
車にくわしくない人にとってはカローラとシビックは同じ車です。
なぜならおなじくらいの排気量、購買層もかぶっていて、
値段もちかい。
洋楽をきかないひとはPearl JamとStone Temple Pilotsは同じバンドです。
おなじような音楽をやって、声も似ていて、デビューした年もちかく、
ファン層もかぶっています。
>528
すげー例えだw>PJとSTP
でも、声似てないしファン層もそんなにかぶってないし音楽性全く違う!!と
声を大にして叫びたくなる洋ヲタの私……
Σ(゚Д゚)これが細かいことに絡んでる人の心境なのか……
前半の方で父が玉音放送をすっぽかしたと書いたものですが
その父によると戦後、砂糖の配給がはじまったら
祖母が戸棚の奥から昔の紅茶を出してきたらしい。
戦前はうちのような田舎でも砂糖の入った紅茶を飲む
意外に「ハイカラ」な暮らしをしてたもんだ と父。
私は麦飯に漬物のような生活を想像してたんでちょっと驚いた。
じいさんが南方(ビーゲンビルだったと思う)で食料難で苦労した
というのが子供の頃よく分からなかった。
鉄砲持ってるんだから、獲物を撃って食べればいじゃん。
そこらにバナナが生えてるだろうから、それを食べればいいじゃん。と
>>512 まあ待て。零戦五二型甲と五二型乙の違いにこだわる軍ヲタならいるが、
小学校と国民学校の違いにこだわる軍ヲタなんて聞いた事がないぞ。
>512はこう言うべきだったんだ。
事実オタが来るようになってからつまらなくなったね
さんまのからくりテレビのご長寿早押しクイズに出てくるご老人で、戦争の
話をする人たちもいた。
一人は「ハリマオ」という現地語がトラを意味する南方(マレー?)に出征
してジャングルに分け入ったという人。弁当持参だったらしい。
バナナも椰子もなかったらしい。でも太いつる植物を切ると水のようなものが
出て飲めたらしい。
もう一人は少年兵として入隊し、どこか山の中に半分埋まるようにして作られた
基地のことをよく覚えていて、長々と説明していたようだ(途中カット)
何でも鑑定団では満州で慰問活動を行っていたという元歌手の女性が、入手
場所・時期ともにはっきりと分かる「石」を持ってきていて、結構いい値が
ついていた。ちなみに「こわかったわ〜」で終わる当時のエピソードをまた
丁寧に話してくれたようなのだが、全部早送りされていた(ダメじゃん)
高校の友人のお爺さんの兄(大伯父さん)は、いまだに独身を謳歌してる。
たまに『俺は戦時中陸軍で少尉にまでなった』と話していたそうだ。
しかし2年前、15年ぶりにブラジルから帰ってきた
大伯父さんの兄(つまり長男)により、大伯父さんの話は嘘であることが発覚!
本当は下っ端兵士で、特になにをするでもなく帰ってきたらしい。
友人はショック。当時生まれたばかりで、兄の話を信じていたお爺さんもショック。
しかも、ご近所の年配の人たちはみんな知ってたらしい。
まさか彼が弟とその孫に嘘をついているとは夢にも思わず。
大伯父さんはしばらく肩身の狭い思いをしたそうだ。しかし3日間だけ。
よくもまあそれまでバレなかったもんだと思った。
>532
>小学校と国民学校の違いにこだわる軍ヲタ
思わずワロタw
>>537 さすがに分かりますよ。
阿川佐和子のエッセーで、佐和子の結婚話で出て、それが披露宴のお色直し
まで話が及んだとき、父君の弘之氏が「俺も海軍少尉の制服にお色直しを
する」と言い出したそうだ。幸か不幸がその機会は未だ訪れていないが。
>>532 軍ヲタ「とか」の部分が、細かいことにこだわる人の総称なのかもしれない
うちの親戚は、戦時中に幼児だった世代より上の人は、皆死んでしまったからなぁ
生きてるうちになんか聞いときゃ良かった
>>383 スレとはあまり関係ないが、巡航中のジェット旅客機(たぶん高度10〜13km程度)から
機外に投げ出されて落下したものの、生還した女性が存在する。
>>526で思い出した。スレの趣旨とはずれるかも知れないけど。
ドイツ軍がある町で戦車を並べてパレードを実施した。
延々と続く戦車の列は途切れない。
それを見ていた英軍のスパイは腰を抜かした。
予想より遥かに多くの戦車があったからだ。
まあ実際には先頭の戦車が町の外を一周して再びパレードの最後尾に加わってただけであるが。
ところで三国志で董卓が洛陽に入場する際に全く同じ事をやっている。
それぞれ20世紀半ばと2世紀末のお話。
>>541 上昇気流によって落下速度が緩やかになってたってヤツでしょう?
顔がビロビロビロビロってなったんだろうな。
>>545 Thanks
そしてスレ違いかもと思いつつ書き込み
中国軍に潜入した日本軍のスパイは結構簡単に摘発されていた。
実は中国軍では日本のスパイ用のマニュアルがあったのだ。
例えば、「朝食にご飯と生卵を同時に出す」
中国人は別々に食べるが日本人はご飯に生卵をかける。
他にも、洗顔の際は中国人は手を固定して顔を動かすが、
日本人は顔を固定して手を動かす、とか。
また独軍のスパイは一時米軍大混乱に陥れたが、
ジープの後部座席に座っていたことで発覚した。
米軍では助手席に座るのがデフォルト。
しかしスパイを見分けるための質問が
「ミッキーマウスの恋人の名は?」
「ミッキーマウスの飼い犬の名は?」
「ミッキーマウスの(ry」
というものであったため、サブカルに興味のない本物の将校が多数拘束された。
スレ違いだがオモロイ。
面白い。
以外と戦時中には間抜けな話があるものなんだなぁ。
>546のレスで思い出した
私の出身大学は第二次大戦中に大量のスパイを輩出したところです。
そのためか、スパイに関する逸話がちらほら聞かれます。
>545に出てくるような、中国軍の「スパイ発見マニュアル」には
「日本人はヒマワリの種を上手に食べられない」と書いてあったのだそうです。
高齢の人だけなのかも知れませんが、確かに中国人はヒマワリの種を食べるのが上手です。
裸のままポケットに入れておいた種を鷲掴みにして口に放り込み、
殻だけ上手に出すのです。
そこで、日本のスパイは語学や風習を学ぶと同時に、大量のヒマワリの種を用意して
上手に食べる練習をしたのだそうです。
私たちも教授の用意した種で練習してみたのですが、相当難しかったです。
あと、ヒマワリは別においしくない。
551 :
550:04/03/23 00:56 ID:Ht5vsdJX
× >545に出てくるような
○ >546に出てくるような
スレ汚しスマソ
身内から聞いた話は種が尽きたので、よそから引っ張ってきた話
第二次大戦中、アメリカはインディアンのナホバ族の言語を暗号に使用していた。
ほとんどの人に判読不明だが文法が確立されていたので便利だった。
勿論、日本は解読出来なかった。
似たような例では、日本軍が使用した暗号の中では、薩摩弁でそのまま喋ると言う物
が一番解読しにくかったらしい。
逆に、これを試せば日本人じゃないのがわかる!みたいなのってあるんかな。
日本人ならみなできること…箸じゃだめだしなあ。
スレ違いかもしれんが
戦地で、敵に向かって銃を構えていたら
敵の撃った銃弾が銃口に入ってきた。
とか
敵の小銃弾がヘルメットに斜め方向から命中、弾はヘルの中を2.3回
周り進入口から出て行った。
などの話は世界中の軍隊で戦争があるたびに出てくるらしい。
一種の都市伝説(戦地伝説?)なのかなぁ?
お爺さんから子供の頃聞いた話
戦後の話なんだけど爺さんがアメリカ軍の基地で
生まれて初めてヘリコプターを見て凄いなと思い
その場でスケッチして家に帰り、婆さんにその絵をみせた。
婆さん「これは何の絵?」
爺さん「アメリカのヘリコプターっていうものだ。」
婆さん「アメリカの豚は骨ばかりで食べるところが少ないね。」
>553
とりあえず納豆を食わせてみる。
>553
中国人は「ひゃひゅひょ」が言えないので
そこで区別できるかもしれません。
>>553 50音を順に言わせる、
有名な唱歌をうたわせる、とか。
関東大震災の時にあったらしいが。
「朝鮮人が井戸に毒を撒く」とデマが流れて、
(ちなみにデマの大元は朝日新聞ね)
自警団が警備に当たった。
で、不審人物をハケーンしたら上記の方法で審査。
ごめん、全然笑えないや
>553
熱湯をかける。
反射的にその人の母国語が出るらしい。
日本人なら「あち!」or「あつぅ!」
>>558 それは大韓航空機爆破事件で、当初日本人を名乗っていた
キム ヒョンヒにやった方法だね。
>>558-559 ( ・∀・)つ〃∩ヘェーヘェーヘェー
コロンブスの卵でした
米軍は実は富士山を空襲する計画を立てていた。
但し投下するのは爆弾ではなく赤ペンキ。
朝起きたら富士山真っ赤!→日本人(´・ω・`)ショボーン、となるはずだった。
この計画は上の人にも承認され、米軍は作戦発動に向けて動き出した。
この段階で初めて「必要なペンキ量」が算出されて、
作戦は物理的に実施不可能ということが判明した。
561 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/23 02:31 ID:Lp7LZpkG
>>557 でね、日本人だけど障害者で話すことが出来ない人が、それを言えなくて間違えられて殺されていったらしい。
政府はその人が話せない人だという証明書を発行したけど混乱の最中のこと、行き届かなかったそうだよ。
笑えなくてスマソ。
なんとかのオーケストラ、って本に出てた。
>>561 更に笑えなくなりました
空襲がらみでもうひとつ。
法隆寺には「ウォーナー塔」という記念碑がある。
これはラングドン・ウォーナー博士(1881〜1953)を讃えたもの。
彼はローズヴェルトに
「奈良、京都、鎌倉、日光の各都市は爆撃するな。
ことに奈良、京都には一発の爆弾も落としてはいけない」
と、直訴して奈良と京都を空襲から護った。
ということになっているが、
当のウォーナー博士はこのエピソードを完全に否定している。
何の為の記念碑なんだか。
実際の理由は奈良には戦略価値がないから。
京都は…原爆投下用に温存(っていうのも変だが)されてた。
563 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/23 03:11 ID:igEktG5S
>>560 どこでその話知りました?
漏れもその話知ってるんだけど、どこで知ったか思い出せなくて。
>>564 560じゃないけど、俺はそれをトリビアの泉で知ったよ
本家で既出だったとは… ○| ̄|_
回線切ってペンキ被ってきます
568 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/23 06:21 ID:Yr+pdywi
「スレ違いかもしれないが」を枕にすれば、許してもらえると考えている
馬鹿が続出だな。
みんな面白いこと聞いてるなー。俺ほとんどないや。
戦時中とーちゃんは子供で九州の田舎に住んでた。
やっぱり食料がなくていつもひじきばかりたべてたら
真っ黒なうんちしかでなくなったって言ってた。
うちのおじいちゃんは毎年同じ話をします
軍隊の訓練中にやった運動会の話
かけっこぶっちぎりで一位だったって楽しそうに
おじいちゃんの義理のお兄さんは戦争に反対して拷問を受けていたっていうのに
なんでそんなにエンジョイしてるんだ?
苦しい思い出は思い出さないようにしているんだろうか
>>570 スレタイちょっとくらい読んでから書こうな。 ココ最近の流れとかもそうだが。
日本人の見分け方に関連して、
中国人は顔を洗うときに、顔の方を動かしてゴシゴシする(日本人は手を動かす)んで、ばれると聞いた。
それを聞いてから、顔を洗うときに手と顔を反対方向に円を描くように動かして、いざという時に国籍不明を装えるように訓練してる私です。
>>571 読んでから書いたんだよ
能天気に話するおじいちゃんが面白くてさ
でもその話をするおじいちゃんっていう今が面白いんであって
戦時中にあった面白いことではないね
ちょっと解釈まちがってたのかもしれないね
ごめんな
見分け方と言えば、箸の置き方ってのもあったよな。
日本人は食べ終わったら、箸を茶碗の上に置き、
中国人はテーブルの上に直接置く、とか。
で、スレと関係ないけど、仕事で中国に行くようになって
気付いたんだけど、中国人ってテーブルと食器の概念の境界が
日本人と全然違う。
例えば魚料理が出たら、日本人なら骨とか皮とか頭の部分とかのガラを
空いた小鉢とか、あるいはその魚料理の載っていた皿の上とかに置く(捨てる)。
ところが、中国人はガラをテーブルの上に直接置く、みたいな…。
バーサンの実家は、多少金があったのか、
闇屋が出入りしていた。
おかげで物資にはあまり困らなかったわけだが、
闇屋との関係を維持するためには、
闇屋が持って来た物資を、
必要、不必要に関わらず、全部買わなければならなかった。
もし断ると、次から闇屋は来てくれない、と脅されていたらしい。
ある日、闇屋がやって来て、樽いっぱいの何かを引き取って欲しい、と言う。
しょうがないので引き取って中身をみると、それは樽一杯の鱈子の塩漬けだった。
家で食べるにも限度があるが、近所に配るにしても村全部に行き渡らなければ
憲兵や特高警察に報告されてしまう。
そんな時、バーサンは、以前聞きかじった事を思い出した。
「畑の肥料に少量の鱈子を混ぜると良い」(真偽不明)
で、バーサンは残った鱈子(腐りかけ)を全部畑に撒いた。
2日後、畑の作物は全滅していた。
塩分が効いたな(ノ∀`)
578 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/23 13:06 ID:UEJ4lQ25
従軍カメラマンで戦場に行っていた小父が夜中に家に辿り着き、
家族はみんな寝静まっていたがあまりの空腹に耐え切れず
台所をあさっていたら泥棒と勘違いした祖父が箒でぼこぼこにしたそうだ。
小父は「父さん、俺だよ、俺!」と、叫んだらしいがあまりにやせこけていたために誰も気付かなかったらしい・・・。
>578
> 「俺だよ、俺!」
みんな警戒してるからねえ。
>>578 そんな昔からオレオレ詐欺に対して対策をしていたお父様すごいw
オレオレ詐欺のきっかけか。
582 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/23 14:51 ID:T5nb2qVz
前にもどこかで書いたけどもう一回
第2次世界大戦中にアメリカがドイツに進撃してた時の話
アメリカは猛烈に勝ちまくってたせいで困ったことになった。
欧州派遣軍最高司令官
「敵の捕虜多数捕獲。トイレットペーパー不足になったため
至急補給を本国政府に要請する」
ところで本国政府はなんて回答したと思う?
そんなにたくさん捕虜を捕まえてどうする、とツッコミをいれた?
>>582 トイレットペーパーがないならウォシュレットを使えばいいじゃない。
もしくは
「飯を食わさなきゃうんこもしないだろう」
587 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/23 16:55 ID:MDFKOIvV
>>582 ユーのディックでスレイヴのアナールをふさぎたまへ
588 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/23 16:56 ID:T5nb2qVz
本国政府の回答
「要請は却下。
他国人の臀部の衛生まで面倒見切れません。」
590 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/23 17:55 ID:igEktG5S
>>588 戦時中の日本ははっきりしてたんだな。
ちょっと見直した。
>591
読み直せ。
ワロタ
595 :
長文スマソ:04/03/24 14:39 ID:CpLk7UTG
うちの祖父の話。
祖父の内務班の軍曹がもの凄く威張りんぼうで、兵隊全員に嫌われていた。
てめえも召集兵のくせに階級をカサに着やがって、というわけで。
軍曹を特に気に入ってなかった古参兵(軍曹より古い)である祖父が先頭に立って
班内の兵隊全員で軍曹に「フリカケ」をして日頃の鬱憤をはらしていたそうだ。
「フリカケ」とは頭のフケを飯にかける報復のことを言うらしい。
祖父達の小隊に新任の少尉が来て数日後のある日、祖父が軍曹に呼び出された。
軍曹の個室で勧められるままに酒を飲み、何事かと思いながら話を聞くと、
「今度来た少尉、気に入らねえと思わないか? セイガクのくせに生意気に威張りやがって。
…だからよ俺、あのガキにフリカケやってんだ。」と話し始めた。祖父はドキリとしながらも、
「野郎ちっとも気付かねえでワシワシ旨そうに喰ってやがる」
なんて、ものすごく楽しそうに打ち明け話をする軍曹を見ながら、
「オマエモナー(このへんちょっと脚色)」と思ったそうな。
「ワシワシ」っていいな。
ごめん、あんまり笑えなかった。。
598 :
595:04/03/24 18:48 ID:CpLk7UTG
599 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/25 01:01 ID:XcWDpiy1
スマトラ 天国
ビルマ 地獄
ニューギニアには死にに行く
父はインパール作戦にいってたのだが。
暇なときもあれば(麻雀しまくる、押収したジープでドライブする、など)
餓死しそうになったこともあったそうな。
>595
「ふりかけ」は自衛隊でもやってるみたいです。
元自衛隊員に聞いたことあります。
祖父は南方(国名は失念)へ出征したいた頃・・・
祖母は不倫をしていたらしい・・・
ばーちゃん、間男かい。
>601
えーっと、それは君が祖父といっている人は実は祖父ではない可能性
もあるということだね。
>>601 法律上の祖父と遺伝上の祖父に不一致が見られかねないと。
戦時中の(本人にとっては)笑えない話ですな
604 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/25 15:20 ID:6d6F2ZH5
>>601 少なくとも不倫をするような女の血を受け継いでいるのは確かです。
終戦の時10歳だった親父に聞いた。
戦後の食糧難の頃食べるものが無くなってきて
困ったばあちゃんが、久しぶりに手に入れた白米に
ナメクジを入れて炊いたそうだ。
少しでも子供達の栄養になれば・・・と思ったのだそうだが
知らずにご飯をぱくついたオヤジは後で泣いたそうだ。
吐きたかったけど、勿体無くて無理やり食べたらしい。
あれ以来、怖い物なしのオヤジが唯一触れないのがナメクジ・・・
あの歯触りと味を思い出してしまうそうだ。
>605
そのうちエスカルゴをご馳走してやりなさい。
食べる前に生きたままのを見せてからね。
607 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/25 15:44 ID:QTkAf/qe
近所のお爺ちゃん(もう亡くなった)が戦争でジャングルっぽい所をさまよっていた時、いきなりアメリカ兵に拉致られたんだって。
それで殺されると思っていたら野球場に連れていかれて、終戦までひたすらアメリカ兵と野球やったらしい。
>>607 何か想像してみると凄くアホっぽくてワラタ。
610 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/25 15:54 ID:QTkAf/qe
↑改行忘れてスマソ
そんで、帰る時にお金までくれたらしくて(多分食料代?)見せてもらった。
笑えるつーか感動した
>>609 アホっぽい感じが漫画になりそうだよね。
いい話だ。
>>607 一番笑った。何なんだ、アメリカ兵。そいつらやる気ないなあ。
そういえば、「現代民話考」(ちくま文庫)という本に、戦争の笑える話も
含まれてるよ。
戦争時の話は二巻あったはず。
614 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/25 16:10 ID:QTkAf/qe
>>612 爺ちゃんの他にも何人かいたらしいです。
日本VSアメリカって感じじゃなくて、みんな混ざって試合したそうです。
615 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/25 16:13 ID:yWEziTac
>>605 白米が食べられたなんて凄いですね。
うちの父はサツマイモとかカボチャしかなかったそうですよ。
お父さんに「贅沢ヤロー!(w」と言ってあげて下さい。
第一次大戦中、クリスマス休戦の時にドイツ対イギリスでサッカーやったなんて話もあるしな。
617 :
605:04/03/25 16:19 ID:5hXLSPqy
>>606 昔言いました。殴られました(w
>>615 オヤジの兄が(20歳年上)仕事場で
貰ったそうです。それ以外は芋ばっかり・・・
前に出てきたけど、今だにサツマイモと芋羊羹は
食べません。一生分食べたからって。
618 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/25 16:22 ID:QTkAf/qe
実際はアメリカ兵の手作りの野球場だったそうです。
南の島での出来事だったらしく、「とにかく暑かったんだよ」といつも言ってました。
>607
肩にひょいと担ぎ上げられて、もってかれるとこを想像したら
ワラタ
ええ話じゃのう
>>606 道端にいるナメクジとかカタツムリ食うと、寄生虫関係の病気になるぞ。
>>621 ゆでれば無問題。
マジレスすると、捕まえてから一週間餌を与えずに生かしておくと
体内から老廃物が全部なくなるので食べられる。でも食べたくないな。
うちのじい様はカエルを食べたらしい。鶏肉っぽいって。
これはけっこうメジャーかな?
>607
戦場の混成草野球チームか。
なんだか映画になりそうな話だね。
>607
何だか和んだ ( ´∀`)
家の近所に住んでいるダンディーなお爺ちゃん(以下Aさん)から聞いた話。
Aさんは戦時中は特攻隊員として訓練を受けていた。
順番からするとあと5〜6回の出撃で自分の番がまわってくるはずだった。
しかし運良く終戦を迎えた。そのときはほっとするやら気が抜けるやら。
その後Aさんは英語が非常に堪能だったので、
終戦後はすぐにGHQの通訳として働いたそうな。
ある日のこと、初めて基地内のトイレを使うことになったのだが
今まで洋式のトイレを使ったことがなく、使い方が全くわからなかった。
けっきょく便座の上に乗って和式スタイルできばっていた。
ところがバランスを崩して転倒してウンコまみれになってしまった。
「あんなに情けない事は生まれてはじめてだった。がははは!!」と
酔っ払うといつもその話を僕にしてくれる。
余談だがAさんが特攻隊の生き残りだと知った米兵は、
Aさんの事を「サムライ」と呼んで非常に尊敬していたそうな。
それにしてもすぐに通訳が務まるほどの人材を
特攻に使わなければならなかった当事の逼迫した状況ってのは・・・
当然特攻で亡くなられた方々の中にも同等かそれ以上の人材はいただろうから
考えてみると凄まじい人的損失だったんだろなぁ・・・
「戦時中」の話でなくてスマソ
>>627 というより、
>それにしてもすぐに通訳が務まるほどの人材を
と、軍部は考えていなかった。
軍部のえらいさんの多くは英語ができたところで、何の役にも立たないと考えていた。
本来なら、あなたの考え方が正しいんだけど…アホ軍部。
>>627 しかし戦闘機に乗られるのはエリートだけだからな。
そう簡単にアホといえないとおもうが。
いや特攻という攻撃方法をつかう時点でとんでもないアホか。
629 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/26 11:00 ID:4I7PRxOf
… 春だな。
どうせ勝っちゃうし、勝っちゃったら英語なんて要らなくなるんだからいいやってことかな。
まるでノストラダムスの予言を理由に勉強しない小学生みたいだな。
>>631 >どうせ勝っちゃうし、勝っちゃったら英語なんて要らなくなるんだからいいや
そう学生に言われた海軍兵学校の校長、井上成美は
「勝っても負けてもアメリカ人と話をせにゃならんのだ!」
と一喝し、英語教育を続けましたが、彼は海軍の中で変人扱いされていました。
二大戦争神話
文部省は英語教育を禁止などしていた。
ストライク、ボールのかわりによし、だめをつかった。
これってふたつとも嘘なんだよな。
二大戦争神話
文部省は英語教育を禁止していた。
ストライク、ボールのかわりによし、だめをつかった。
これってふたつとも嘘なんだよな。
んじゃぁ、、、うちの死んだ爺ちゃんの話。
農家の長男の爺ちゃんは、生まれた時から親の畑を継ぐと決められ
爺ちゃんの父(曾爺)が、「農家に学問はいらん」と言い張り
他の兄弟(次男達)は畑を継げないからと、爺ちゃん以外全員大学に行かせてた
それにブチ切れた爺ちゃんは、日本軍に入り、戦闘機乗りとして結構出世したそうな
しかし、だんだん戦局が悪化していくと特攻隊員に選ばれ、終戦が後一日遅ければ片道飛行に行かされそうになったとか
終戦に伴い日本軍が解体された後は実家に帰って農作業をしてたものの
警察予備隊(後の航空自衛隊)が発足されると、農作業が嫌だからと入隊。
俺が赤ん坊の頃に死んでしまい、母や祖母からの伝聞でしか聞けませんでしたが
若い頃は怒りっぽく、それが原因で上官から怒られ、それでまた怒り出す人だったそうです
遺影やアルバムでは温厚な面しか写ってなかったので、中々信じられないのですが・・・
爺ちゃん、空自じゃないが俺も同じ仕事に就きます。
これも何かの縁なのでしょうかね (苦笑
>>625を読んで思い出した。
知る人ぞ知る「大空のサムライ」の著者にして、零戦エースの坂井三郎という人がいます。
その人が南方戦線にいた頃の話。
その日、坂井氏は退屈していた。というのも、大した空戦がなかったからである。
そこで彼は、かねてより考えていたある作戦を実行する事にした。
坂井氏の零戦は部下の2機とともに編隊を外れ、あらぬ方向に向かって行った。
向かった先は連合国側の航空基地。
「敵に一泡吹かせてやろう」彼は敵の基地の上空で、部下の2機と編隊を組んだまま3回宙返りをした。
(編隊を組んだまま宙返りするってのは相当難しいのです)
不思議な事に、一発の対空砲火もなかった。
味方の基地に戻った彼は、当然ながら上官に「どこに行っていたのか」と訪ねられた。
流石に「敵基地上空で宙返りしてました」なんて答えられるはずもなく
何とかごまかしたとか。
後日、敵基地から電信が入る。
「先日の宙返りは見事だった。今度来る時は緑のマフラーを着けて来い」
この電信が原因でばれてしまい、上官から大目玉を食らったそうな。
>>633 >ストライク、ボールのかわりによし、だめをつかった。
これは本当。
といっても上からの通達があったわけではなく、人気取りのために変えただけだが。
アメリカ軍は近眼の日本人が戦闘機のパイロットなんか出来るわけが
ないと思っていたらしい。それでドイツからパイトットを借りているのだと
初期の頃は思っていたそうだ。
>635
身体に気をつけてガンガッテね
>638
パイトットにワロタ
だけど一瞬ドイツ語ではそういうのかと思った自分に_| ̄|○
641 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/26 14:45 ID:vjeN4OPC
642 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/26 21:13 ID:WCRrROXS
ここは笑うスレじゃなかったか?
>>641 泣かすんじゃねえよ・・・
なんか、頭がいいからこそ特攻できたんだろうなと思うよ。
頭が悪かったら、きっと国や家族を守るための自己犠牲なんてできないと思う。
644 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/26 21:51 ID:WCRrROXS
643はいい事言うなあ、さっきから涙で画面が見えにくくて
仕方ねえや。
>>643 本当に頭が良かったら特攻なんてバカなまねはやらんでしょ。
今も昔も、頭が良い事と賢い事はイコールではない様で。
特攻に志願したり、あるいは狂信的な愛国的行動をとる人々は
意外に高学歴が多かった。
オウム幹部に一流大学卒が多かったのと同じだね。
もちろん、高学歴ながら冷静だった人もいるし、高学歴ではないが
特攻に志願した人も大勢いる事も追記しとく。
特攻をバカなまねで片付けてしまっては散って行った英霊に失礼な気がする・・
これ以上はすれ違いにつきsage
>646
> 特攻をバカなまねで片付けてしまっては散って行った英霊に失礼な気がする・・
パレスチナやイラクだと、「自爆テロ」。
特攻した人達の愛国心は尊敬に値するけど、それが間違った方向に向けられた以上
その行動を讃える事は出来ないな。
もちろん、辱める事もしないけどさ。
スレ違いかも知れんが言わせてくれ。
何と言うか、特攻を過去に起こった事として理解してる人は少ないんじゃないかな。
映画や小説なんかの、現実とはかけ離れたファンタジーの出来事として認識しているような。
俺の祖父は戦中、海軍予科練に志願してた。もちろん特攻隊員としてね。
幸い訓練すら行う前に終戦を迎えたんだけど、もし祖父が特攻していたら
俺の親も俺も、将来生まれてくるかもしれない俺の子供もいなかったわけだ。
そう考えるとゾッとするよ。
父親は海軍兵学校に入っていたが(現在78歳)、教官の中には「この戦争で
日本は負けるから、無駄に死なないように」と言う人もいたそうだ。
海軍はルックスも重視していたそうで、母は夫が海軍兵学校にいたと話した
ら、かなり年上の人に「ご主人男前だったでしょ」と言われたそうだ。
父が20代の頃の写真を見たが、実際かなりいい男だった。
652 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/26 22:42 ID:2YGj3GtW
本で読んだことなのだが
戦時中の女学生が、ルーズベルトの死んだ日に日直となり
学級日誌を読み上げた内容
「ルーズベルトが死んでも油断しないようにしましょう」
クラス中大爆笑だったらしい。
>652
当時、ルーズベルトが死んだ日(翌日でも)、学校レベルに情報が
入るんですかね?。
654 :
642.644:04/03/26 23:06 ID:WCRrROXS
>ここは笑うスレじゃなかったか?
俺はこんな事書いてるが、一つだけ言わせてくれ。
>パレスチナやイラクだと、「自爆テロ」。
そうだよ、やられる側からみたら自爆テロだよ
でもな、やる側からしたら必死なんだよ
懸命なんだよ、そいつらの気持ち考えてみてくれ
俺らも自爆テロで米国と戦った国民の子孫じゃねえか
生まれた国の歴史じゃねえか。
当時の特攻隊員の純粋な「守る」気持ちを馬鹿にするなよ。
悪いな
さあ笑える話すすめてくれ。
655 :
647:04/03/26 23:13 ID:x45LZ0qO
>654
おれは皮肉で書いてるよ。
馬鹿にしてるのは「テロ」呼ばわりしてる人間だろ。
代表は「小泉純一郎」な(w
>>653 普通に新聞にも載ったはず。
なお、大日本帝国政府はルーズベルト大統領の死去に際し、哀悼の意を表明した。
>>654 特攻は断じて「自爆テロ」ではない。正規軍対正規軍のフェアな戦闘行為だ。
分かったから他所でやれ。 これ以上は春房と一緒だ。
予科練で思い出した。予科練出身のおじさんが仕事関係にいた。
今は半分隠居して、軽飛行機飛ばしたりギターを弾いたりして
悠々自適だ。今度会ったら話を聞いてみよう。
659 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/27 01:06 ID:GFobLSEq
そのときまではウブだったウチのおじいちゃん。精通を訓練用ロープの荒々しい手ほどきで覚える。
660 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/27 01:30 ID:2wpJzboR
母親は陸地に間近い島育ち。
戦中でも海の幸山の幸に恵まれ全く不自由なかった。
戦後、陸の高校に入学したら、皆栄養不足でガリガリなのに、
母親だけ丸々しており、乙女心に恥じらっていたらしい。
呑気すぎ。
そのせいか、母の子供の自分も体格が良い。
母は東京に来ると「東京の人間は皆小さい」と言う。
爺さんは徴兵されて船で移動中に撃沈されたが、島っ子で泳ぎが達者な為生き延びた。
陸出身者は皆力尽きて沈んだそうな。
島育ちは得だよなあという話。
661 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/27 01:37 ID:2wpJzboR
追記
その爺さんも戦地では飢え、若くしてつるっぱげになったのはそのせいらしい。
他のスレに書いた話題で恐縮ですが・・
義父の一家は戦時中、職を求めて秋田県から
東京の亀有に移り住んでいたことがあるそうですが、
当時旧制中学生の義父は亀有に来て生まれて初めて
「菜の花畑」を見たそうです。秋田から来てるのに
逆なのでは?と思ったのですが、義父達は某港町の街中に住んでいた
そうで、当時の亀有は田園風景の広がるのどかな片田舎だったそうなのです。
義父はその菜の花畑の中を、曾祖母の手を引いて帝釈天まで
よくつきそってお参りに行ったと話しておりました。
故に空襲にも会わずに過ごしていたそうですが、東京大空襲の折、
やはり罹災は免れたものの下町方面から非難してきた人達の
あまりの惨状に「次はここも危ない」と危惧した義父の父の判断で
義父一家は早々に秋田に引き上げていったそうです。
言っておきたいが、ゲリラと正規兵を一緒にするのは、正規兵に対して失礼な話
珍走族を、プロのバイクレーサーやバイク便と一緒にするようなもん
たとえ特攻のような自爆でも、前者は馬鹿としか思えんが
後者はプロ根性を持った人間だと尊敬したい。 (民間人を殺めるかどうかで微妙に違ってくるが)
特攻が馬鹿だ〜 の点に関しては、発案・命令する上層部が馬鹿
それを実行した下の人等は、むしろ尊敬の念を感じえずには居られない。
さて笑える話をば
戦争末期のB29撃墜の任に当たった迎撃機パイロットがある日
爆撃機のノーズアートを見て、自分もやろうと自機に「のらくろ」の絵をかく
・・・それを上官に見つかり大目玉を喰らったのは言わずもがな
お茶目な人もいるんですよ
軍板でもないんだから、あまりこだわるなよ
666 :
663:04/03/27 09:38 ID:V+eTSbD+
>>664 正規兵と非正規兵(民兵・テロリスト等)を区別する意味で、「ゲリラ」と言ってしまった・・・すまんで
個人的に、都合のいい時だけ一般市民に紛れ、都合のいい時だけ暴れる奴がむかつく。
>666
都合のいいときだけ自国の基地にこもっていて、都合のいいときだけ
他の国で暴れる正規軍がむかつく(w
やめろおまいら。スレ違いだ。見苦しい。
tu-ka、板違いも甚だしい
>>656 同意。テロはやっぱりテロなのよ。あいつら汚い。
あ、流れ見ずに書き込んじまった。
670は放置で
>>667 意味不明
>656 >670
はどっかの国に占領されたら、「正規兵」がくるまで占領兵の
靴でも舐めてなさいってことだ(w
だからおまいら、やめれ。そういう議論がしたいなら他でやれ。
せっかくの良スレを荒らすな。
674 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/27 21:06 ID:dTOFAyPF
最近ネタを仕入れようと遠い親戚まで
電話かけまくってる俺は一族の不審人物に
指定されているらしい(笑)
>>672 国際法ってのがあるんだよ。それを守らなければどんなに可哀相だろうが同情できないね。
インドを見習うとかすればいいのにね。アルカイダは無駄に金があるから調子に乗ってるんだよ。
これはアラブ系全部に言えることだけどね。
実力以上に金を持つとおかしくなるんだな。
>675
> インドを見習うとかすればいいのにね。
これは、ガンジーのことを言ってるですよね。
スレタイに沿って笑うポイントですか?
>>674 自分もネタを探してじいちゃんに電話して怒られたクチだ。
悪いことはいわん。
ストレートに聞くんじゃなく、次の休みにでも会いに行って
酒を一緒に酌み交わしながらさりげなく聞き出すことだ。
仕事で、「満州でソ連軍と戦って結局シベリアに抑留されたが生還して今でも元気」
という不死身な爺様に会ったことがあるんだが、
「ソ連の狙撃兵がこっち狙っていやがってよ。撃ち落としてやろうと思ったんだが、
軽機ってのは引き金引いて撃つから、2、3発出ちまうんだよ。それじゃ弾がモッタイナイんで、
重機ってのはボタンだから1発だけ撃てるんだ。それで狙ったらよ、当たって落っこちて
きやがったよ。ワッハッハ。」
という話を聞かされた。
重機関銃で人撃ったらいかんだろ、と思わなくもないが、爺様元気かな。
う〜ん、俺はじいさんとあまり仲が良くないんだよなあ。
戦争の話をしたら喜んで話してくれそうだが。
というか2、3時間くらい離して貰えないだろうな。
親父とは結構話は弾むのだが、その時はまだ少年で
もうそのネタは書き尽くしてしまったよ(;´Д`)
ちなみにうちは祖父母の兄弟が合わせて5人出征して
3人戦死してます。でも戦闘で亡くなったというより
南方戦線で補給線が途絶えての餓死や戦地に向かう途中の
輸送船を撃沈されての戦死だそうです。
あ、ちなみにじいさんは負け戦の色が濃くなっての臨時召集で
ブーゲンビルに行ったのですが、思い出話は戦闘そのものの話でなく
ほとんど食うものに苦労したという話ばかりです。
今思い出したんだけど、じいさんの所属していた班の1人が亡くなって
補充してやろうという話になったときに、補充要員として衛生兵を
指名したそうです。じいさん他はマラリアで苦しんでいて
衛生兵はマラリアの薬を持っていたので指名したそうです。
あのとき衛生兵の補充がなかったら死んでいただろうと言ってました。
>>678 旧日本軍の重機関銃なら7.7mm仕様だったはずだから、人狙っても無問題。
ワケワカランという人のために解説すると、国際法では
『戦争時に、大口径の銃弾で人を狙ってはいけない』
という決まりがあるのです。理由は「残酷だから」。
まあ実際にはほぼ無視されてるらしいですが。
そういやアクリルで思い出したんだが、うちの婆ちゃんもアクリルについて話してたなぁ・・・
なんでも、戦争が終わってすぐは作りかけの戦闘機がしばらく放置されてたから風防のガラスを貰ってったって。
あのガラスは割れなかったから不思議だ。っていうから、それってアクリルでしょ?っていってもガラスと言い張る。
軍ヲタじゃないんでガラスかアクリルか知らんけど、いまでもよく言い合いをしてます。
あとは岐阜の町が空襲されてるのを見てたけど、綺麗だった、って言ってた。
まぁ、他には空襲警報がなるたびに防空壕に逃げてて学校なんてほとんど行けなかったとか
いろいろとスポーツをやってて、しかも上手かったとか、自慢話が多いです。
まぁ、当時小さかったらしいので抵抗無く話してくれますよ、戦時中のこと。
聞いても無いのに教えてくれたり。。。
爺ちゃんから聞いた話では焼夷弾関係の話がありますね。
近所の人が不発弾拾ってきて、中に入ってる燃料みたいなのを取り出そうとしたら
信管が反応しちゃったらしくてドカン。その時、その人は親子で焼夷弾をなぶってたらしいけど二人とも死んじゃったそうで。。。
あと、うちの裏にも焼夷弾が落ちたらしいですが、不発弾だったので助かった。と話してます。
爺ちゃんは夜勤で軍需工場に勤めてたらしいけど、戦闘機の質はホントに悪かったらしいですね
加工する時に使うオイルも松やにで薄めたそうな。
そのせいで部品の形はまちまち。当然まともに飛ぶはずもなく、
新品の飛行機が各務原から九州まで飛べばぼろぼろだと言ってました。
高射砲もあるだけでちっとも撃ってなかったそうですね。
最初にちょっと撃つだけで、あとは位置がばれるのをおそれて撃たなかったとか何とか。
・・・とは言ってもうちの爺ちゃん、当時は今でいう小6〜中学生ぐらいだったらしいので正しい情報かは分かりませんが。
いずれにせよ、二人とも戦争の話をし始めると止まりませんね。
683 :
682:04/03/28 01:09 ID:fyRQB1hz
>>680 そういや、アンパンマンの原作者、やなせたかしさんも
「お腹がすいた時に食べ物を分けてくれるのが本当のヒーロー」
ってことでアンパンマンを書いたらしいですね。
悪を叩きのめすよりもまず、弱者を救えと。
スレ違いすまん
締めはいつも殴り飛ばすよな。アイツ
>>685 ちょっとワラタ
「最後は暴力で解決するんですか!」なんて文句たれるDQNがいたりしてなw
ぶった切って爆発させるよりはマシと思われ。
アソパソマソって当初は
「戦時下の飢えた子供達にアンパンを届けるおじさん」って設定だった。
顔は換装できないし、てか普通の人間の顔だし、戦闘能力もない。
つまり単なる飛行仕様のジャムおじさんだった。
つーかアンパンマンって名前自体がヤバめだと思う
アンパン マン と シャブおじさんだな。
アンパンを理解できるやつは通
ヒロポンマン
じゃぱゆきマン
終戦直後、爺さんが満州にいた。
ソ連軍が町にいた成年の日本人男子を大学に集めて捕虜にした。
大学がそのまま収容所になった。
何か所かに移動しつつ労働を続けるうち、
うちの爺さんは仮病を使って病院を兼ねる収容所に移された。
爺さんは症状が軽いということで(仮病だし)、
看護係のような仕事をした。
ある時水を汲みに町に出かけなければならなくなった。
見張のソ連兵はあっさりと収容所の外に出してくれた。
出かけた町で脱出経路や隠れ場所をチェック、
その時は脱出せず収容所に戻った。
その数日後にまた水汲みに出かけることになった。
警備してたソ連兵は顔パスで通してくれた。
その後爺さんは二度と収容所に戻ることはなく、
その結果おれがいる。
競馬雑誌に載っていたんだが、有名な血統評論家(故人)は
中国(満州か?)に駐留していたとき、ロシア人少女にひとめぼれ。
その子と仲良くなろうとして奮起してロシア語マスターした。
しかし恋が実る前に敗戦し、なまじロシア語が出来るためにスパイと
疑われて散々な目にあったそうだが、後には通訳として重宝がられた。
というのがあった。
ロシア人の少女はこの世のものとは思えないぐらい綺麗だが、
20歳すぎると水風船みたいになるからな。
>699
つきたての餅を重ねたようでもある。
髭まで生えるらしいからね…
現実ってのは往々にして皮肉だ…。
703 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/29 07:49 ID:T9wtUZc1
皆さんロシアの女性にお詳しいですな。
704 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/29 10:58 ID:ByPyEYke
>>691 あと、バター犬モナー(w
>>699 まあ、ピロシキとかボルシチなんて油ギトギトの料理食ってたら
ビヤ樽みたいになるわなあ。
ってことは若いうちに日本に連れてくればいいのか
706 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/29 14:59 ID:ByPyEYke
いや、子供の頃から連れてきて日本食に慣らして日本語を教え込む。
これ最強。(w
人種的特徴だからあまり変わらん気もするが。
708 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/29 15:35 ID:0U80pNIN
やっぱ寒いとこに住んでるから脂肪がないとつらいんだろうな。。
(そんなこといったら南米とかよく分からんが。)
うちのお婆ちゃんは諸事情あって、戦時中一人で両親を養ってました
とにかく食べ物がなくて今でも電車で30分はかかる場所に
畑を作って毎週末徒歩で通ってもの凄く美味しくないカボチャなどを作ってしのいでいたらしい
終戦を迎えてGHQがやってきて、食べ物の配給があるというので
喜んで貰ってきたのは、一斗缶ぐらいある大きな缶詰
ワクワクしながら開けてみたら中には大量のシロップ漬けのパイナップル・・・
「一度には食べきれないし、おかずにもなりゃしないし、どうしろっての!!!」
と怒ってましたが私はワラタ
一斗缶大の缶詰って凄いな。
>>710 業務用だと結構そういうのがあるよ。多分、元は軍の補給物資だろうね。
何百・何千人分の食事を作るときに、小さい缶詰だと面倒だろうし。
>>712 パイナップルばっかりの酢豚、辛いっす(w
じん○くを…
人徳?
人格?
720 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/29 19:23 ID:QpkV2fRF
人脈
戦時中の話じゃなくて終戦直後の話なんだけど、
血の気が多かったうちの祖父は、終戦で満州から家族と一緒に、曾祖父の家に帰ってきた。
帰ってきた直後は毎日、「アメリカ人みな殺しにしてやる!」と
日本刀をぶんぶん振り回していたが、1年後には
ご近所さんを読んで毎週ゴーゴーパーティを開いて踊りまくっていたそうだ。
その祖父は定年になってから通信で大学を卒業し
得意になって中学生の私にカタカナ発音で英語を教えようとした。
「おじいちゃんの後に読め。アーイ ドント ノー はいっ」
もっと戦時中の話を聞いとけば良かった
もの凄く柔軟性と適応能力に秀でた爺様だと思います
日本が共産化してたら「スターリン∩( ・ω・)∩ ばんじゃーい」とか言ってそう
今もご存命だったら2chにも手を出していたんじゃないかと
>>721 自分がジジイになったらそういう人になりたいよな。 何時までも向上心があるというか。
>>724 これは紹介所を装った人身売買するところですか?
>ご近所さんを読んで毎週ゴーゴーパーティを開いて踊りまくっていたそうだ
楽しそう…
終戦直後にゴーゴーとは、随分時代を先取りしたもんだな。先取りしすぎ。
戦後直後の流行はしらんが(・・・今も)
日本刀ぶん回し、殺すだの言った一年後にゴーゴーか・・・
まさか米兵を踊り殺す気だったのでは?
戦争中に、いつ赤紙が来るかわからないからと結婚した祖父母。
新婚旅行は芦原温泉だったが、その理由が
「当時はどこに旅行するのでも、宿泊費のほかに自分たちが食べるお米を持っていかないと
いけなかったが、北陸ではすべてお金でまかなうことができたから」
というものだったらしい。おそらく、北陸が米どころだからだと思われ。
んで、そこでうちのおかんを作成し、3ヵ月後に祖父は出征、2年後に帰ってきたとき、
うちのおかんは誰も教えてないのに祖父と同じものすごいにぎりばしになっていたらしい・・・。
>>729 面白い、っというよりはむしろ興味深いなぁ
誰も教えてないのに握り箸か・・・遺伝か?
北陸の話よりも握り箸遺伝にがぜん興味が。
当然おばあちゃんは握り箸じゃないのに…ってことだよね。
732 :
729:04/03/31 11:36 ID:jI6vbocx
>>730-731 今でもふたりしてどうやってモノをつかめるのか理解できない握り箸です。
母親は人前ではちゃんと持ちますが。
祖父が生還したから笑い話になるようなもんの、不思議な話ですよね。
そのほかにも、祖父も母も伯父もガニマタなのですが、祖父は「戦争でずっと馬に
乗ってたからこうなった」と言い張っています(w
>635
亀レスですが、国防頑張ってください。
友人の曽祖父にあたる人物は、南方某所の施政長官だった。
そこの人々を長きに渡る西洋の植民地支配から解放し、大いに感謝された。
聞くところによればよい統治をし、愛国心を育てたそうだ。
しかし終戦後、独立戦争を戦うために現地の人々に秘密裏に武器を渡したと
いうことで蘭軍に捕らえられ、一方的な裁判と不衛生な監獄・虐待のせいで
わずか二年で亡くなった。
直接的に恨みのある白人は今のところいないが、小林よしのりの戦争論に
あった西洋人らの所業が、にわかに現実味を帯びた瞬間だった。
真剣に以下のことを思った。
日本人(人種の違いなく、人格や行いによって人が判断されるように)が世界から尊敬されるようにしなければと思った。
六十年前には戦争の勝敗のみで正邪が決されてしまうようなことになったが、そんなものには公正さのかけらもないと真剣に思った。
人の手柄を横取りしたり、貶めたりするような真似はできるだけしたくないと思った。
マジレススマソ
・・・軍ヲタうざ
最後の一行だけよく解った
>736
> 最後の一行だけよく解った
> マジレススマソ
か
亡くなった祖父の話。
当時、「葉書一枚で戦地に来る貴様らよりも、馬の方が貴重」と言われて
いた。
言うことを聞かない気の荒い馬の小屋に、夜中にそっと忍んで行
って、暴れる馬のケツを血が滲むほどびしばし叩きまくった挙句、馬に顔
を近づけて、
「俺の顔を覚えておけ。俺に逆らったら、また同じ目に遭わせるからな」
と言ったら、翌日から、その馬は祖父にだけ従順になった。
祖父がどうやって馬を手なずけたのか全く知らない上官は、馬の世話係
を任せた。
「この馬は余り水を飲まないので、青草を食べさせます」と言って馬を連
れて出かけ、毎日呑気に川原で昼寝していたそうだ。
他にも、根っからの酒好きだったせいか、徴発に連れて行けば、必ず隠
してある酒を見つけるという特技もあったらしい。
特に手柄を立てたわけではないが、そういうところが重宝され、可愛が
られたらしい。
他の仲間たちと一緒に一列に並ばされ、端から順に、上官にスパイクで
殴られていて、もうすぐ自分の番が来るというときに、隊の責任者だかに
呼ばれて行くと、
「君は、酒が好きだそうだが、甘い物はどうだ?」
と聞かれ、大好物ですと答えると、お汁粉を振舞ってくれた。
その後も、羊羹や饅頭などが手に入ると呼ばれ、文字通り美味しい思い
をしたそうだ。
食べ物にはそれほど不自由していなかったが、流石に砂糖は貴重で、
そうそう口に入るものではなかったので、とても嬉しかった、とよく話して
いた。
>>738 ごめん、なんか嫌なやつだと思うんだけど…。
/ノ和ヽ ooh!!
_|___|_ スウィート!!
Σ( ; ゚Д゚))) ,,,,....,,、 不肖、ハートマン
れ_个|\ |__| 和菓子の繊細な味に感激した・・
と,|__)___)旦 | |
それは置いといて
>>739 俺も俺も
742 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/31 21:24 ID:2/azL94d
南京占領中の日本陸軍部隊が神社を建設中に石棺を発見して掘り出した。
碑文を解読してみると「三蔵法師」の遺骨が埋葬されていたことが判明した。
日本軍は直ちにその遺骨を南京国民党中国政府に返還した。
中国政府は日中の仏教関係者を招き、三蔵法師の1200年祈念法会を盛大におこなった。
そのとき中国政府、中国仏教界代表から日本に三蔵法師の遺骨の分骨することを申し出されたので日本側仏教代表は有り難く拝領して日本に持ち帰って
慈恩寺に奉納された。
終戦後、日本の仏教界では「三蔵法師の遺骨は中国に返還せにゃいかんのでは?」という話が持ち上がった。
蒋介石総統に問い合わせたとこと、総統は「高徳な仏教伝承者である法師の偉業を広く顕彰することはむしろ望ましいことであり、日本で法師の遺骨が祭られていることは望むことである」と返答がきた。
法師の遺骨はその後、薬師寺において厚く祭られいる。
>>741 マジですか。
笑える話じゃないけど面白い。
744 :
おさかなくわえた名無しさん:04/03/31 22:19 ID:LLlodKpK
745 :
743:04/03/31 22:39 ID:mYK+etcd
>>746 軍ヲタ=コヴァと勘違いしてる人が多いけど、軍板じゃコヴァは
サヨと同じく最下層のカーストとされています。
もっとも、コヴァ兼軍ヲタがいるのは確かだけれど。
「戦争論」と聞いて
軍事板住人:クラウゼヴィッツ?
コヴァ :小林よしのりっ! (;゚∀゚)=3
軍事に対する着眼点が軍オタは兵器・戦術・戦略なのに対し、コヴァは思想と戦争の(より精神的な面での)意義
コヴァの安住の地は極東版だけ
まあ、せっかくなので1つ話を・・・
自衛隊では「 ス テ テ コ 」を支給される、、、、トリビアになっちまった・・・
749 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/01 08:20 ID:nD2dD9IH
東京が燃えるのが、遠く離れた群馬からも見えたって聞いた
ことがある。
ウチの祖父は東京とは知らずホースとポンプをリヤカーに
乗せて歩いて消火に行ったらしい。
ただ、ボケてて空襲なんだか関東大震災なんだか、いまいち
ハッキリしない・・・。
戦後の話になるけど。
戦争が終わって祖父が戦地(か派遣地か知らない)から帰ってくる時、
祖母は家の前でずっと待ってたわけですよ。駅の方角を見て。
んでとっくに着いてもいいはずの時間になっても帰ってこない。
不安でずっと待っていたら
家の裏の山から降りてきたそうです。理由は「ボロボロの汚い姿を人に見られたくなかった」と。
という、とてもオシャレな祖父でした。7年前に亡くなるまでずっとオシャレでした。一昨日が命日でした。
あと、敗戦後すぐ、進駐軍がやってきたとき、民家にある酒を全部出せと言われてて、
醤油の一升瓶を酒と疑われて、説明しても言葉も通じないので祖母は湯飲みについで米兵に出した。
米兵のその時の「うえっ」という顔がおかしくて忘れられない、と大笑いで話してくれました。
祖母の話は戦中戦後の話なのにすごく面白かったです。
>750
「関東大震災(1923)」
「東京大空襲(1945)」
幾ら老いたとは言え、22年の差は家族のほうで解かるだろ。
>>252 当時生きてた家族がみんな亡くなってたら、分からんよ。
>>753
お祖父さんの今の年齢でわかるんでない?
リヤカー引けるのならいい年だろう。
やってることは子供っぽいけどw
755 :
252:04/04/01 21:42 ID:QZuIwMJl
>753
ありゃ、おれあてだ。
話は繋がってるようだが?w
ゆうべこのスレ見つけたばかりで、ようやく今読み終わったところなのですごい亀レスなんですが、
>>78に似たような話を聞いたことがあります。硫黄島から生きて帰ってきた3人のうちの
おひとりだとおっしゃってた方でした。トイレじゃなくて、いわゆる野糞で人数を割り出したとか。
>757
>硫黄島から生きて帰ってきた3人のうちのおひとり
って、硫黄島からの生還者はたった3人しかいなかったの?
それとも日本兵じゃなくて米兵のことですか?
ちょっと気になったので…。
759 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/02 08:04 ID:fLlLbWhm
758
3人しかかえってきてないわけではありません戦死者20129名で生還者はは1033名
です。硫黄島の戦いはこの世のものとは思えないほどえげつない激戦だったと思います。
760 :
750:04/04/02 08:27 ID:gGEDMyTb
昨日、仕事が終わってから実家に電話して聞いてみたところ
関東大震災と東京大空襲の問題が解決しました。
正しい情報はひいおじいさんが関東大震災へ出動したそうです。それを祖父から聞いたため、俺が勘違いをして。。。
おじいちゃん、ボケてるなんて言ってごめん・・・。俺が間違ってた。
俺の実家は白鳥飛来地の近くなんだが、
戦時中、食料が足りなくて食べちゃったりしてたらしい。
757さんは聞いた話ってことだから
話し手が話の節に誇張がつけちゃっただけじゃないかな。
>757>762
部隊のうちの3人、とかじゃない?
764 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/02 14:31 ID:mIj+BKRw
>>759 生還者のほとんどは朝鮮人の飛行場設営の労務者だと聞いたような、、、
日本軍将兵の生還者は100名とか200名だったような、、、
>>761 まぁ白鳥ってカモの親戚だしね、ウマイかも知れん。
デカイ分だけお腹いっぱい食べられそう。
>>765 今は食べてはいけないらしいけど昔は白鳥食べてたらしいよ。
戦国時代くらいの文献にレシピが載ってたとテレビでやってた。
767 :
761:04/04/02 17:55 ID:9zyD5fi5
>766
らしいね。
父親から「今はダメだけど俺の親父の時代にはこっそり食べちゃってたらしいぞ」
と白鳥にえさをやりながら言われて鬱になったリア消の俺。
戦争がおわった時、うちの家族はもう金儲けのことを考えてたらしい。
まぁどうやって儲けたのかは知らないが祖父は悠々自適な生活を送ってます。
祖父曰く、「愛国心は金の次」だそうで。
>750
関東大震災なら、亡くなったうちのじいちゃんも
群馬の山の上から、東京が燃えるのを見たって言ってた。
地震が来たときに大黒柱にしがみついてたら
ぐるぐる回ったって言ってたのは、流石に誇張だろうと思ってたけど
もしかしたら、ほんとに回ったのかもなあ
スレ違いスマソ
実際、見たことが無いんで分からんが、
昔ってなんかノンビリしてていいなぁ…
>>770 そうかね。。なんかいろいろ不便そうだし、
漏れは食いしん坊だから、毎日の食事にも
ことかくような生活はつらいなあ。
芋ばっかりとか、マジでかわいそうだ。
漏れは今貧乏だけど、自炊すればたいていのものは
食べられて幸せだ〜。
>771
食べ物もそうだけど、ネットがないのも辛いなあ。
主な情報源がマスコミだけ、というのには
もう耐えられなさそうな気がするよ。
773 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/04 17:26 ID:zFs7sgn/
戦時中、竹やり訓練っていうのがあったんだけど
うちの村ではその竹は各自で用意しなければいけなかったらしい。
で、俺のおばあちゃんは竹取ってくるのが面倒くさいから訓練をさぼってたらしい。
しかし、さぼりっぱなしだと近所から文句言われるので
ある日夜明け前に山に竹を取りに行ったらしい。
家族とか親戚の分の竹も背負って帰ってきたら近所の人にこう言われたらしい。
「あんた、今日、日本負けたで。」
その日1945年8月15日。
それを聞いておばあちゃんは
「こんな重たいモン背負ってられるか!!」
と、その場に投げ捨てて帰ったそうな・・・
>>773 てことはおばあちゃん、七時間以上かかって竹を取りに行ったんだな。
それか近所の人が、正午前に敗戦を知っている立場にあって、つい口を滑らせたか。
戦争後になるが、満州で終戦を迎えソ連の捕虜になった爺さん。
初めのウチはまじめに働いていたが、そのうちソ連兵は2桁の計算が出来ないことが判明。
そして工事に必要な資材を水増し請求し、浮いた資材は食料品と交換。
それでも見積もり以下の資材だったらしい。
「勉強しないと露助のようなバカになるぞ」が口癖だった。
>>775 すごいな。でもインド人は2桁*2桁のかけ算を暗記してるぞ。
>>776 そのインドを支配していたイギリスは、ロシア対策に自分だけでは
不安だから、日本と同盟を結んだんだよな。掛け算って何?
何かの本に書いてあったシベリア抑留日本人のロシア人の話としては、
1、時計のねじを回すことを知らないため、腕に沢山奪った時計を付けまくり、止まった物から捨てる。
2、「シベリアには太陽が一つしか昇らないが、日本は二つ昇るから暖かい」と言われ信じて「日本に行きたい」と言う。
3、大まかなロシアの地図を書いて「今自分たちはどこにいるのか」と聞くと、
「ロシアで地図を書けるのは大学教授だけ。おまえも教授か」と言われた。
なんてのがあった。
因みに、80年代のソ連ではKGBのメンバーでも腕時計を持ってるものは少なかったとか。
70年代だかに亡命してきたミグ戦闘機を西側が
「どんな最新装備を持ってるのか」と調査してみたら
未だに真空管使っててズッコケた、ってな話あったよね。
>>778 今まで特にロシアなんて考えたことなかったけど、その話を
聞いたら、なんかロシアが少し好きになった。。。
俺も
でもそのロシアに負けた日本ってバカ以下の存在だな。
やっぱり白人たちが言うように、日本人は猿なのかもな。
軍ヲタスルーの構え
>>779 真空管は当時の西側諸国の戦闘機でも普通に使われている。
時代遅れというわけではない。
(真空管が使われたのはレーダー関係)
それは大統領だろ
ノジュンユン?
また露助の話だけど
アフガニスタンに派兵されたロシア兵の中には
生まれて初めて山を見た者もいたらしい。
もう露助にハート鷲掴み
日露戦争に出征した人の話では、
ロシア兵の動作は通常の日本兵の1/3くらいって云うのもあった
露伴がどうしたって?
>>792 ノジュンヨンとアンジョンファンが混ざってると思われ
で
>>788はノモンハンが何のことかわかったのか?
しかしノモンハンが韓国人名みたいだ、というのは新しい発見だったよ。
ありがとう788.
うちの親戚は田舎に住んでいたので
父は毎日芋ばっかり食べていたらしい。
もう芋は食べたくないと思っていたそうな。
うちの祖母は芋が嫌いだったので
芋は食べられたかったが芋のツルばかり食べさせられたと
叔母がぼやいてたな。
うちのいなかは農家で、末っ子の母親は当時としては食い物に困ってなかったそうだ(白い飯なんてこともあったそうだ)。
「疎開してきた子は、弁当を半分隠して食べたり、弁当の時間になるとすっと教室を出て行って校庭の隅で時間を潰していたのよ。
食べるものがなかったのねえ。可哀想にね」と言ってたので、母親はどうしてたのか聞いたら、
「そりゃ、堂々と、がしがし食ってたわよ。お母さんの所はなぁーんにも困ってなかったもの」
貧しい世の中でも意地悪な人は意地悪。
それは意地悪と言うのか
至極当然の事だと思うが…。
意地悪っつーより気が利かない、ってとこだろうね。
うちは祖父がもう亡くなったからなぁ…。
聞ける人は是非聞いて欲しいよ。
それに加えて、親戚が多い+母が親戚付き合いが良いので
誰が誰だかさっぱりな状態。
まあ、お前らは爺ちゃん婆ちゃんを大事にしなさいってこった。
>>804 あなたのレスが悲しくて涙が出そうです。
今はそういう子が多いんだろうなあ。
(お弁当の件のお母さんには、悪気なかったんだろうけど。)
>>806 802の母親はどうするべきだったと思うんだ?
「弁当を分けてやればよかった」とか考えてるんだったらアフォだぞ。
>807
…とりあえず、自分も少し隠し気味に食べるとかじゃないだろうか。
(今の感覚から見ても、周りが粗末な物食べてる時自分だけごちそう食べてたら
何か気が引けるというか、気まずいと思う)
国語の先生のじいちゃんは特攻隊だった。
当然、敵の軍艦に突っ込んで死ぬのが役目だったので、
帰りの分の燃料は入っていない。
そんで戦地に向かう途中、ちょうど日本と戦地の半分ぐらいまで行ったところで
終戦の知らせが入り、Uターンしてギリギリ帰れたんだと。
飛行中に「終戦の知らせ」を受けられるような飛行機で
特攻に行ってたんだろうか。
>>810 たしかに・・・言われてみればそうですな
終戦の翌日に特攻に狩り出されたなんて話もあるしな。
まあパイロットが気付いたのか、米軍駐屯地ではなく近くの砂浜に突っ込んで
事なきを得たらしいけど。
>>809 じいちゃん間に合って良かったね。
それにしても特攻隊に出る時というのはどういう気持ちになるんだろう。
死ぬのが怖い私にとって想像を絶する。
>>813 完全に志願制だから、一応、嬉しかったのでは・・・?
実際の気持ちは知りませんが。
>>814 志願制ではあるけど、志願せざるを得ないような空気を作ってから、
「一歩前へ」とやるんじゃなかったっけ。
最近流行の自爆テロと同じだよね。
(って言ったら怒られそうだけど)
宗教観とか大儀とかを後ろ盾にして、一種のトランス状態になるんでない?
同じ考えの人からは賞賛され
違う考えの人からみればただのカルト、と。
この手の話題は荒れそうなので中断しないか?
>>813 「きけ、わだつみのこえ」って本を読んで映画もビデオで
借りて観た。どっちも、気づいたら途中で正座しちゃってたよ・・
819 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/08 21:45 ID:V2puBGqm
特攻関連の話題はよそうや。
どうしたって冷めた目で見たら自爆テロなんだからよ。
よし、次行こうや次!
>>819 テロって言葉の意味を間違って憶えてるぞ
特攻→戦時において軍事目標へ飛行機や潜航艇などを使って突撃する自爆攻撃
民間人を標的にしたり巻き込んでない。
わかったわかった。
だからその話題はよそうよ。荒れてしまう
↓はい次
母の里はかなり山奥の田舎なんだけど、
あるとき、米軍の飛行機が通過するとき
一機が故障だか日本軍の攻撃だかで近所に不時着したらしい。
大人たちは竹槍持って鼻息荒く現場に向かったが
パイロットは生きてたらしい。
で、その先は「よう覚えとらん」と母。
そこが話の山場なのに。
たぶん「縛り上げて晒し首に・・・」とかではなくて
憲兵に引き渡して以上終わり、だったんだろうけど。
でも、お年よりの話には誇張や美化も多分に含まれてるんだろうなぁって気もする。
真実を残すことが必ずしもいいとは限らないからね。。。
悲しい事を二度と起こさないように、楽しかったあの日のような
ことがまた訪れるように、そんな願いを込めながら子供や孫に
お年よりは自分の思い出を話しているんだろうから、多少の美
化や脚色は、お年寄りの愛だと思って素直に聞くのがいいと思う。
戦後の話だけど、うちのおかんは進駐軍の兵隊は足が長くて尻が小さくて
なんてカコイイんだろうと思ったそうだ。
827 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/09 11:04 ID:h2KmV0d6
個人的には、加東大介著の「南の島に雪が降る」が好き。
学校の図書館で読んで、思わず文庫本買っちゃった。
♪ おてて〜 つないで 反日を行けば 〜 ♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
<=(´∀`) <丶`∀´> ( -@∀@) (毎∀毎)
⊂ つ⊂ つ⊂ つ⊂ つ))
.人 Y 人 Y .人 Y .人 Y
((レ'(_フ レ'(_フ (__(__) (__(__)
♪ み〜んな赤い ブサヨになって ♪
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
(´∀`)=> <`∀´ > ( @∀@-) (毎∀毎)
⊂ つ⊂ つ⊂ つ⊂ つ
Y 人 Y 人 Y 人 Y 人
<_)'J)) <_)'J)) (__)'J)) (__)'J))
♪ 反日 謳えば 靴が鳴る 〜 ♪
∧_∧? ∧_∧ ? ∧_∧? ∧_∧ ? カツ・・・カツ・・・
<(´∀`)> < `∀´ > ( @∀@-) (毎∀毎)
((( つ⊂ ) ( つ⊂ ) ( つ⊂ ) ( つ⊂ )))
ヽ ( ノ ヽ ( ノ ヽ ( ノ ヽ ( ノ
(_フレ' (_フレ' (_)レ' (_)レ'
♪ イカれた頭に 軍靴が鳴る 〜 ♪ カツカツ
∧_∧l|l ∧_∧l|l ∧_∧l|l ∧_∧l|l カツカツ カツカツ
((∩(´∀`)∩∩|l `Д´>∩∩|l@Д@)∩∩毎Д毎)∩)) カツカツ カツカツ
〉 _ノ 〉 _ノ 〉 _ノ 〉 _ノ カツカツ カツカツ
ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ ノ
レ´(_フ レ´(_フ レ´(_) レ´(_)
美化と言えば、私が高校生の時じいちゃんに一冊の雑誌を渡された
「じいちゃんが体験をもとに小説を書いた。読んで感想を聞かしてくれ」と言うので
読んだら、
きれいなロシア人の娘が河に落ちた時、一人の日本兵に助けられた
娘が日本兵を改めて見ると、精悍な顔にたくましい体つきりりしい表情で
一目で恋に落ちた
というストーリーだった。どんなにその日本兵が魅力的かがつらつらと描写されていた。
じいちゃんナルシーかよ…と思って全部読まなかったけど、今思えば
すごいすごいって言ってあげれば良かった。
じいちゃんが主人公とは限らんだろ
同じ部隊の人の体験を客観的に書いたのかもしれんし
>>830 いやいやいやいや、そうなると
>どんなにその日本兵が魅力的かがつらつらと描写されていた。
このあたりがもう、なんていうか
や ら な い か
>>830 いや、そのじいちゃんが主人公だよ。
ただしロシア娘の方な。
うちの祖父は出征したが、こつこつ落とし穴を掘っているうちに
戦争が終わってしまったらしい。
また、銃や刀に付いている菊の御紋を
米兵に辱められないように自分たちで削っていたらしい。
自分で削るのはいいのか?
>833
ロケット団みたいなじいさんだな
去年他界したうちの爺様、家具屋で修行してたから、隊の皆が訓練してるときも
上官の命令ですずり箱とか棚とか作って堂々とサボれるわ、上官には気に入られるわ、
手に職つけといてよかったと申しておりました。
海軍の航空隊整備兵曹として台湾にいたときは、バナナやら砂糖やら、たんまりあって
太ってしまったとのこと。
ドラム缶風呂沸かして皆で入ってた時、敵機の機銃掃射にびびって裸で逃げ回った
こともあったそうな。
そんな爺様、復員して木工業をはじめたのだが、工場の機械の事あんまり詳しく
なかったなあ。軽トラもシリンダー焼きつかせたらしいし。
でも脳卒中起こしてほぼ寝たきり&軽度の脳障害になってても、テレビで戦時中の
飛行機見たら「あ、あ、あれ直した。栄エンジン…あのコードは…電気…」とか言いながら
目を輝かせてたよ。そこはさすが元整備兵だとオモタ。
>835
ウチのじいちゃんと少し似てますね。
小さい頃から機械いじり好きだったから、「軍に行けば戦車も軍艦もいじり放題!」
と志願入隊。何故か整備兵にはなれなかったらしいけど、とりあえず戦車部隊には
入れたもんだからヒマを見ては戦車いじりたおしてたってさ。
今でもボルトの位置とか一つ残らず覚えてるらしい。靖国に飾ってある当時の戦車、
5分もあればバラせるぞって豪語してた。(まぁこれは話半分としても…)
一体何をしに戦地に行ってたのかと小一時(ry
まぁ結局はその時手にしたスキルが役立って?終戦後は利き腕の電気工になって一財産築いたよ。
837に釣られてもいいですか?
ドゾー
それじゃぁお言葉に甘えて。
>837よ。
"ヒ マ" ぐ ら い 漢 字 に 変 換 し ろ よ 。
突っ込むべきところはそこではない
利 き 腕 じ ゃ な く て 、 腕 利 き だ 。
841に一本
「ひと財産築けるような電気工」ってどんなんだ(w
自分で開発して特許とるとかならともかく。
どさくさに紛れていろいろやったんだろうな。
うちの爺ちゃんも、トンネル掘りの土木工から
戦後、建設省のそこそこお偉いになったしw
(どんな裏工作したか聞いときゃよかった)
戦争が激しくなって、漏れのじーちゃんも出征することになった。
来る時が来たか・・・・・と周囲は覚悟を決め、
いよいよじーちゃんを送り出そうかという頃のこと。
じーちゃんが参加する連隊が敵地に赴くために乗っていくはずだった船が、
どういう事情だか忘れたが、なんと沈没してしまったのだそうだ。
そんなわけで、じーちゃんの出征は延期が決定。
家族共々拍子抜けしている内に、戦争も終了。
結局、じーちゃんは戦争に行かなかった。
まあ、戦争なんて行かない方が当人にとって幸せだったかもしれんが、
何十年たっても近所の人にこの話をされるというので、相当迷惑がってた。
847 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/13 11:25 ID:bznOkfBn
age
うちのじーさん、満州までかりだされたんだが
軍艦(?)で満州に向かっているとき、所属していた隊の中で
「もしもこの船が攻撃に遭って沈んだらどうするか」
という話になり、
「海に投げ出されると、フカ(=鮫)に食われるかもしれない」
と誰かが言い出したらしい。
すると隊長が、
「フカは自分より大きいものを見たら襲わない、
だから海に投げ出されたときは、ふんどしを長く伸ばして
フカよりも長くなれ!」
と言ったそうだ。
そしてその船は本当に攻撃され、
うちのじーさんはふんどしをほどき、海を漂っているところを
味方の別の軍艦に助けられた。
じーさんは今でも
「海で泳ぐときは長いものを持っておけ」と言う。
もうふんどしの時代じゃないしなぁ……
友達の親父さん、いわゆる天才児というやつだった。それで資格魔という
やつか?なんか色々資格もってた。それも弁護士とか医師免許とか凡人
なら一つとるだけで十分なやつをいくつも。
で親父さんが少年の頃に戦争が起こったんだがまだ徴兵にも学徒出陣
にも年齢が満たないのに「戦争を経験したい」という理由で年齢詐称して
志願入隊して戦地に赴いたそうだ。功があったか何か知らんが尉官クラス
まで昇進したらしい。このあたりは本当のことはよくわからん。
今その親父さんは某所で研究所を営んでいる。息子はもちろん、妻にも
なんの研究しているのかわからんらしい。俺は来るべき日に備えて人型
兵器を造ってると信じて疑わないが。
秘宝館だったりして。
>>849 くー羨ましいぜぇ Drワイリーみたいなのを想像した
>849
生産コストに10001円かかるニセ札を開発してるんだよきっと
854 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/15 03:56 ID:jky1QjlP
>>848 うちの死んだじいちゃんも同じことを言っていた!<フンドシ
じいちゃんは空母「飛龍」というのにのっていたらしいのだが、
その船がアボーンしたときに恐らくフンドシが活躍したんだと思う。
じいちゃんも海を漂っていたところを味方の船に拾われたらしいが、
ばあちゃんはじいちゃんの部下が「船沈没(だけどじいちゃんは無事)」という
知らせを持ってきたとき、じいちゃんが死んじゃったと勘違いして泣き崩れたらしい。
でも、じいちゃんの晩年には味噌汁の具でケンカをする夫婦だった…
>>854 おお、ミッドウェーで沈んだ飛竜ですか。よくご無事で。
飛竜は航行不能による自沈なので、他の船の乗船時に撃沈されたか艦名を勘違いしているかどちらかでしょう。
あれ自沈は赤城だっけな。すんません、私の勘違いかも。
>>21さんと同じネタ元の唐沢俊一さんの本で読んだんだけど、
日本沈没等で知られるSFの巨匠、小松左京さんは
戦時中、食べるものに困って、
自分の精液を炒めて食べたそうです。
うぇぇぇぇ
う〜ん・・・自分の体から出たもの食ってもなぁ・・・
何か食べた、という気分にはなるだろうけど。
それ以前に、精液って炒められるのか?
ネタだろうな。 腹減りまくってんのに自分のナニをゴシゴシするなんて考えられん。 先ず、立たないだろ。
疲れマラって言葉もあるし、立つことは立つんじゃなかろうか
・・・しかしよく思いつくよな(;´Д`)
抜くだけの体力と、出たものを食って得られるカロリーだったら前者のほうが明らかに
多いと思うんだが。
きっと早漏だったんだよ
俺は小4の時にじいちゃん他界しちまって、
直接本人から戦争の話を聞いたことは無い。
でも、ばあちゃん曰く「じいちゃんは叢の中にずっと隠れてた」らしいけど
本当の所は今も分からないし、これからも分からない。
なんでもっと長く生きてくれなかったんだよ…聞きたいことは沢山あるのに…。
866 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/15 21:23 ID:vuiiyc6H
俺のひい爺さんは、衛生兵として日露戦争に出兵したらしいんだけど、
大陸の方から帰ってくるとき、自分の医療道具を入れてる鞄が泥だらけになってしまったんで、
仲間のあまり汚れてない綺麗な鞄をパクって帰ってきたらしい
家に帰って鞄をあけて見たら、医療道具は入っておらず、綺麗な外見とは裏腹に
何かの肉の塊と血がドロッと入っていてガクガクブルブルだったらしい
と言う話をばあさんに聞いた
行ったのはひいひい爺さんだったかな。どっちかは忘れた
うちのじいちゃんの話。
「オレは満州でカレーと八宝菜と餃子の作り方をおそわって帰ってきたよ」
どうも手先が小器用なのを買われて料理ばっかさせられてたらしい。
それがまた中途半端に上手いもんだからあんまし危険なところにもやらされなかったんだって。
でもねじいちゃん。
私も妹ももう昔通りにはメシ食わないんです。
大皿3枚分もてんぷら(つうかフリッターに近い…)作ったって、食いきれないよ〜〜!
じいちゃんのカレーも八宝菜も好物なんだけどさ、量多すぎますよホント。
868 :
854:04/04/16 02:51 ID:KKfXkT+x
>>857 ググって見たら、砲撃を受けて被弾⇒火災となったので味方の船の砲撃で葬られたという
記述がありました。
なんか、ただ被弾を受けて沈没っていう表記もあったから、
ここら辺曖昧なのかな?
だから、じいちゃんはどっかの時点で海に飛び込んだのかと。
ちなみに、死ぬまでじいちゃんフンドシを愛用していたよ。
ていうか、よく生きて帰ってきたなぁ…
>>854 飛龍は米軍機の攻撃を受けて炎上
↓
総員退艦、放棄決定
↓
味方駆逐艦が魚雷発射(1本命中も沈まず)
↓
そのまま漂流
(実際は連絡が取れなくなっただけで、機関部は無事だった)
↓
結局浸水で沈没
お祖父様は総員退艦の時点で船を離れて助かったんでしょうね。
機関室に取り残されて漂流した船員は、米軍の捕虜になりました。
今日このスレハッケソしますた。一気に読んだ。
漏れはあまし笑える話仕入れてないけど…似たような話出てるみたいだけど…
「焼夷弾ってキレイだったのよー、ねー?」
「そうそう、ながーく尾をひいてね!!」
「ほんとキレイだったわねぇー(遠い目」
ばあ様方ウットリ回想にふけってるので、花火大会じゃないんだし…と心の中でつっこんだ漏れ。
これは戦後の話だけど、教科書にスミ塗った話聞いた。
「でさぁ〜塗るトコだらけでしょお〜、乾かないうちにページめくっちゃうとくっついちゃうのよね〜、大変だったのよアハハハハ」
日本史の時間に聞いた話を体験した人がいるんだ〜、となんか感動した。
歴史を生きてるんだ〜、って感じ。
871 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/17 04:16 ID:TrQo543I
ハワイの戦争記念館の前に、太平洋戦争当時の日米、各軽戦車の実物が展示されてるが、
米製のはほぼ現代のモノと変わらないのに比べ、日本製軽戦車のちゃちい事ちゃちい事。
チハタンをバカにするな!
戦時中に作ろうとしていたという
「こんにゃく爆弾」の話を誰か知りませんか?
戦後生まれのうちのおかんが、今は亡きばあちゃんから
聞き齧った話であいまいなんだが、ものすごく気になる……
>>873 「風船爆弾」のことじゃないだろうか。
国技館みたいな広いところで和紙を蒟蒻を糊にして貼り合わせて、水素気球にして
爆弾(焼夷弾)ぶら下げて千葉あたりの海岸から「行ってこーい」って飛ばすの。
風船はジェット気流に乗ってアメリカまで届いて、時限装置で爆弾がリリースされ、
森林地帯で大規模山火事、アメちゃん大迷惑、ってのが目的。
で、実際にやってみたところ、
・戦果確認が不十分(実際には何件か原因不明の山火事があったが、報道管制で
日本には情報が届かなかった)
・ジェット気流は季節によって日本の上空を通らない
ということで計画アボーン、という結果に。
でも風船爆弾で何人か死んでるよね。
風船爆弾のおかげで原爆投下が遅れたという話は聞いたことがある
でも結局投下されちったんじゃなあ
オレゴンで六人死んだりしてるね。
www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/hondo-huusen.htm
878 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/17 16:20 ID:pFbp4KJk
母が6歳くらいの頃、戦争真っ只中。防空壕に逃げ込んだが、至近距離に焼夷弾
が落ちた。直撃じゃなかったので中の人は無事。しかし防空壕のドアが吹っ飛び、
母の祖母の眼鏡と入れ歯が吹っ飛んだそうな。
非常時の怖さより、そんなこと覚えている母って・・・
漏れの母方の爺さんは、サイパン島で玉砕。
所謂白木の箱に石ころとなって帰ってきたそうな。
当時漏れの母ちゃんは小さすぎて爺さんの顔覚えてなくて、
戦後も生活が逼迫して、母ちゃんが高校出るまで国から扶助
もらってた。
これが平均的な当時の日本人。明るい話なんてそうそう転がって
ないぞ。
>>879 そうそう転がってないから多くの人が集まる巨大掲示板で話を求めてるんでしょ。
俺のじいちゃんも戦争で死んでて、
ばあちゃんとかには戦争の頃の話とかは聞きづらいのでこのスレの話は興味深いよ。
881 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/17 19:35 ID:J8o078FC
うちの爺さんは潜水艦でドイツに行って何かの設計図もらってきたって言ってた。
で、ドイツ語しゃべってみてって頼んだら、
「イッヒふんばると出るとウンコ」
だってよ。
俺が生まれる前に死んだじーさんの古いアルバムが一杯出てきた。
その中でも立派な、一枚しか写真の飾れないアルバムに収められていた写真。
兵隊っぽい格好した若きじーさんと同じくそれっぽい格好した兵隊数人。
そして真ん中にいる、いかにも「上官」、いや「将軍」とでも呼べそうな格好の男。
ちなみにそいつ↓
http://a340.oops.jp/mao/mao_photo03.jpg じいさん、あんた何やってたんだ(゚д゚lll)
ていうか、何者だ?
婆さんが生きてるうちに聞いときゃよかった。
883 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/17 19:57 ID:eaEtyDSF
アメリカから石油を買ってた日本が、アメリカを相手に戦争を始めたことが笑える話だと思う。
>>879 一番生活が困窮していたはずの、昭和21〜27年(3月まで)の間は、
戦没者の遺族に国からの恩給・年金の類は1円たりとも給付されなかった。
GHQが禁じたからだが。
日窒(現在のチッソと旭化成)は戦前は世界3大化学メーカーの地位に
あって資産の70%は現在の北朝鮮にあった。そこには巨大なダムを造り
電力を得ていた。太平洋戦争なのか朝鮮動乱なのかははっきりしないが、
アメリカ軍の空爆にもビクともしなかったらしい。
現在でも現役らしいが、送電設備がダメダメで上手く機能してないらしい。
889 :
884:04/04/17 23:03 ID:ejOhQl8U
>>887 え、毛沢東じゃねぇの?
じいさんとこの人と並んだ写真って書いてあったから
オッサン一人しか写ってないもんで
話の流れがよくわかんなかったんだけど…
回線切って逝ってきます
∧|∧
>>881 イッヒふんばると出るウンコ
おもろいなw何て意味?
>>881 ジェットエンジンの設計図か何かかな?
ドイツじゃ第二次大戦中にジェット戦闘機を実用化していた。
日本もジェット機の実用化を目指していたんだが、作ろうとしたのは
ジェット 特 攻 機 。笑えるようで笑えない話。
ちなみに、ヒトラーとその愛人を潜水艦で日本に亡命させるという計画があって
実際にそのために日本から潜水艦が出港したそうだ。
行く途中で沈められたらしいけど。
>>890 でたらめドイツ語だろw
892 :
882:04/04/18 01:52 ID:94dX+UAl
>>882 ゴメソ
「ちなみにそいつ」じゃなくて「その男」って書けばよかったね。
50半ばで死んじゃったけど、会社起したり、株を的確に運用したりでばーさんと子供3人が困らないだけの資産を遺した人らしいんで、
きょーさんとーの親玉との記念撮影(かどうか知らんが)を大事にしてたギャップにチョット笑っちゃった、ってお話でした。
>>891 いや、俺の友達で曾じいちゃんが捕虜になった香具師がいるんだけど、同じことを教えられたって親父さんが言ってたらしい。
>>893 当時から有名な各国ギャグなのでは?
自分も以前どこかで聞いたことあったし
今で言うフンダラハランダみたいなもんではないかと
895 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/18 14:30 ID:k/LAj4az
>>894 掘った芋いじるな(what time is it now)
揚げ豆腐(I get off)
のような類じゃないの?
ロシア語版ならいくつか知ってる。
店で「抱いてみなちゃい」って言ったら、お茶が出てくるとか。
抱いてみなちゃい、はロシアじゃないかも。
ヨーロッパのどっかだったかな?
斉藤寝具
タイ虫、タイ虫、何の虫かと思ったら
雑誌Times
>>893 有名なでたらめドイツ語だよ。
ドイツ語っぽく聞こえるってだけで意味はなさないらしい。
スレ違いだが言語ネタで1つ。
ある海軍武官がロシアの日本大使館に派遣されていた。
そこで主催されたパーティに部下と共に出席したのだが、
途中で部下とはぐれてしまう。
やむを得ず彼は部下の名前を大声で叫んだ。
「海老原少尉!海老原少尉!」
が、どうも周りのロシア人達の様子がおかしい。
ゴホン、とわざとらしく咳をする紳士、顔を赤らめる御婦人。
それもそのはず。
エビとはロシア語で女性器を意味し、ハラショーはご存じの通り
素晴らしいという意味である。
つまり彼は「マ○コ素晴らしい!マ○コ素晴らしい!」と叫んでいたのだ。
笑える話じゃないし戦時中でもないんだけど
カナダでカナダ人夫婦ん家に招待された時に、日本刀を見せてくれた。
奥さんのお父さんがイギリス人で、マレーシアがどっかに戦争に行った時に
日本敗戦の印として日本兵から没収したものだそうだ。
証明書がついていて、内容はもう忘れたけれど書類に元持ち主の名前が
日本語で書いてあった。
「持ち主かその家族に返した方がいいんじゃないかって話してるんだけど…」と
その夫婦は言ってました。
その持ち主について思いを馳せました。その人今どうしてるかなあ。。。
小学校で、「おじいさん・おばあさんから戦争体験を聞いて
作文を書きなさい」という宿題が出た時、母方の祖母と父方の祖父に話を聞いた。
おばあちゃんは、学校の先生をしていた祖父と一緒に朝鮮にいたんだけど、
毎日ヒマで、アイスばっかり食べてたそうだ。
いつも近所に買いに行くのが恥ずかしいから、
隣の町、さらに隣の隣の町、と日々アイスを求めて旅していたらしい。
これじゃあ作文書けねーと思ったので、おじいちゃんに聞いたら、
「なに、戦争?日清か日露か、それともベトナムか?」と聞き返された。
なぜ、普通の日本人なら真っ先に思い浮かべるであろう
第二次大戦を見事にハズしてたんだろう。
まぁ、うちのおじいさんはかなりの変わり者だったから。
姿が見えないと思ったら、「今、ハワイにいます」というハガキが来たり。
家族は彼の奇行に慣れっこだったので、もう驚かなかったらしい。
私が高校生の頃、某バンドのライブに「一緒に連れてけ!」と
駄々をこねられたときは困ったけど、ファンキーで憎めない人でした。
書いてておじーちゃん思い出してちょっと泣いた。笑えなくてごめん。
ギャハハハ、それおもろい。
903 :
新たな客釣り目的で:04/04/20 20:11 ID:b+tSTN2Z
age
じーさんの家に、戦争に行ってたときに、仲間と撮った写真が飾ってある。
俺のじーさんだけ、左足に包帯を巻いている。
無邪気な子供だった俺は、じーさんに
「うわっこの包帯どうしたの? 敵にやられたの?」
と聞くと、じーさんは
「いや、これは水虫。あっちはいい薬がなくてのー」
と答えた。
こんなじーさんだが、近所の小学校から先生がやってきて
戦争の話をしてくださいと言われて出かけたことがある。
大蛇を食った話とか、自分のミスで所属してる小隊が道に迷い
そのおかげで助かったことなど、話し方一つでシリアスになのに、
おもしろおかしく話したばかりに
子供達を爆笑の渦に巻き込んでしまったらしい。
先生方は、真面目に戦争は(・A・)イクナイ!!
ということを語ってもらいたかったんだと思うのだが……
もちろん次の年からは呼ばれなかった。
ちなみに今は小倉優子が大好きなエロじーさんでもある。
>904
おじいさん、子供たちの間では人気者になったんじゃないかなw
私も聞いてみたいなあ。
俺もきいてみたい。
908 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/21 10:20 ID:PVrThfHX
整備兵してたうちのじーさま。終戦時、エンジンオイルパクって帰ってきて、
そのオイルで天ぷらあげて食べたそうな。
>>899 そういやロシア人ボクサーのユーリ海老原も、
リングネームをユーリ・アルバチャコフに改名してたな。
ならエビアンやエビータも駄目だなと思ってたら音が違うのか。
ebiとevi
そういえば教授が前に「カルピス」なんて英語圏の人間は誰も飲まない。
向こうの人には「カウピス(牛のしょんべん)」って聞こえるからって言ってたよ。
ポカリスウェットも、「汗」が入ってるみたいで評判が悪いのは有名な話
ロシアにはマンコスキーという姓が実在する
と聞いた事がある。真偽のほどは確かではない。
戦時中と全然関係ないじゃん。
915 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/22 19:03 ID:MAJjiPP9
>>915 20年ぐらい前から言われてる自虐ネタだよ。
正確にはそんなふうには聞こえないらしい。
>>552 超亀で御免なさい。
その話、山崎豊子の「二つの祖国」で読んだことある。
・・・でも鹿児島で生活したことのある日系二世の語学将校に解読されちゃってた。゚(゚´Д`゚)゚。
>>918 私が聞いた話では東北出身の下士官を集めて
東北訛りの英語で喋らせてた。
920 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/23 02:51 ID:5yMWioli
うちの祖父から聞いた絶対大嘘の話。
神風特攻隊だったそうで、行きの燃料だけ積んだ飛行機に
乗り込むのを他の特攻隊員たちと列を作って待っていたそうです。
自分の番が来るちょっと前、尿意を覚えたので、
ささっと列から離れてトイレ(というかどこかの茂み)に
行ったそうです。
戻ってきてから列に割り込むのも悪いので、列の最後に
並んだそうです。
列の真ん中くらいまで進んだ時、終戦の連絡が入ったそうです。
>>919 帝国軍最強の暗号は薩摩弁だったって話を聞いた。
>>916 北米在住なので経験を書くけどそう聞こえるんだって。
自分んとこの大学教授、英語の言語学の専門だから
たぶんそう聞こえるんだと思う。
その教授は、英語よりも日本人の発音やイントネーションを
ハッキリ聞き分けられるような勉強をするのが先だね。
薩摩弁は江戸時代にお庭番から幕府への情報漏れを防ぐために
わざと難解にしたという話があるからね。
927 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/23 22:30 ID:et5JYcL8
母に聞いた話。空襲警報が鳴ると、家のかまどなどの火を消して防空壕に入った
らしいのだが、5歳くらいだった母はかなり警報を恐れ、鳴ったとたん逃げよう
と祖母に言っていた。その日もかまどでごはんの仕度をしていたら警報が鳴った
のだが、母はまだかまどの前に祖母がしゃがんでいたのに、背後からバケツで水を
ぶっかけて火を消そうとしたらしい。火は消えたが、祖母はびしょ濡れのまま防空
壕に入るはめになったとか。笑えたけど、5歳くらいじゃ無理ないとも思えた
928 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/23 22:32 ID:mhmtIRM5
うちの死んだじーちゃんは
「歯が痛い」と言ったら徴兵免除されたらしい。
↑ウケる
徴兵逃れのために醤油を飲む、ってのはポピュラーでさんざんガイシュツだが、
尻に牛肉(生のスライス)を挟んでおいて「ぢ」に見せかける、ってのを聞いたことがある。
>>930 そんな度胸があるなら戦場でも活躍できただろうに。
自分にはできん。
932 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/24 21:03 ID:lhDYZ5P0
>>931 戦場で死ぬかもしれない目に遭うよりは、
尻に牛肉挟むぐらいどうってことないだろう。
・・・牛肉なんかあったの、あの時代に?
なんか軍事板にリンク貼り付けたやつのせいで、何のおもしろみもない作り話をトクトクと語るバカが
やってきて迷惑なんだけど。
まあ、うちのじいちゃんなんかは醤油の飲みすぎで病院に担ぎ込まれて戦争行く前に死にかけたが
>>933 じゃあお前さんが面白い本当の話をしてくれよ。
ところでお前さんの言う「あの時代」ってのは江戸時代の事か?
煽り厨うざい。折角話してくれた人の話に
茶々いれるヤツもうざい。
そういうのが許せないと、2ちゃんには居辛いでしょう。
次スレに行けそうなのが純粋に嬉しい。
スレタイ考える?
スレタイは変えなくてもいいんじゃないかな。
結構目につきやすいタイトルだし。
>>933 食料なんかあるところにはありましたさ.
参考になるかどうか,内田百間の「東京焼尽」(旧字がでない)とか近頃文庫で出たので
みてみるよろし.著者は都市生活者であんまり産がなくって文筆の徒で爺という
食糧難直撃の境遇だったけど,昭和二十年になって焼け出されるまでは何だかんだいって
酒をとぎらせることもなく過ごしている.となりの軍需大臣用邸に至っては…
餓死者が特筆するほど大量に出たのは戦後の混乱期,都市部の下層生活者だけだ.
>>933 うちの祖母は姫路に疎開していて、ときどき祖父がシメたての牛肉を持って帰ってきてたらしい。
牛肉ってシメてから一週間ぐらい経たないと固くて食えないらしいっすが、普通の家でそういうふうに
食べられる状態にもっていくのは難しいらしく、その固い肉を仕方なく食べていたとのことです。
田舎のじいちゃんの家では、飼ってた牛を軍に取り上げられそうに
なって、くれてやるくらいなら、とシメて家族で食べたらしいが。
何の物的根拠もなく他人の話を否定するってのが困るな
なんかうちのばあちゃんは戦車の製図書いてたらしい
じーちゃんは車で偉い人送る係で偉い人にうまく取り入って
シナで楽していられたようだ むしろ戦後に苦労したらしい
牛を〆て で思い出したが、筒井康隆の父親は動物園の園長をしていて
空襲の際、猛獣が逃げて暴れるのを防ぐためにあぼーんする措置を
行った(上野動物園の像の話は有名ですよね)。
それでビステキならぬ象テキを持って帰ってきて食べたらしい。
947 :
944:04/04/26 01:52 ID:pXK9JJtq
>945
>ビステキ
ビフテキだよね?
それはともかく、食用にするなら毒殺した訳じゃなかったのかな。
像のステーキって食べてみたいような気もするけど、肉は固そう。
あ、間違えた。象、でした。
うちの家族はアルゼンチンに移民してきたんだけど
お父さんは徳島、お母さんは広島で両方とも地主だったらしい。
んで、いつか「何でアルゼンチンに来たの?」って親父に聞いたら
「もっと良い生活が出来ると思って来た」と。
一世一代の大博打を豪快にはずしましたようで…
ちなみに母の方は父(俺の祖父)が元軍人だったので
「日本から一番遠い所へ行きたい」が理由でした。
豪快な愛の逃避行でしたね
>>940 元生徒、別居中の実子、同僚、同郷の先輩、はては部屋付きの店童にまで、
色々と尽してもらってた百間先生と、市中の一般人を比べるのはどうだろう?
953 :
950:04/04/26 14:54 ID:Il7UIxu7
前のは戦時中でなかったから、もうひとつ。
軍人だったほうのじいちゃんは戦時中、満州に行ってて
そこで取れる魚は川の魚なもんで微生物とかやらのせいで
刺身に出来ないとか言うのを現地人と話してたら、
そのおっさんが怒って
「そんなことは無い!刺身にしても旨い!」
と怒鳴ったそうな。
で次の日、部下を使って川の魚を取って、刺身にして
例のおっさんを招待して軍人特有のジェントルメン精神ですすめたら
泣きながら謝ったそうな。
その後はちゃんと普通の料理でもてなしたらしい。
こっちのおじいちゃんは自分が生まれてくるずっと前に死んだから
生きてたらこういう話を沢山聞けただろうな〜って時々思う。
日本の魚も淡水で採れる魚は生で食わない方がいいと聞いた。
寄生虫が居るとか。
養殖物はどうなんだろう。
川魚は生で食わないのは基本。
>945
ビフテキならぬエレテキですな
帯電してそうだな。
祖母から聞いた話。
田舎の山村に住んでいたため、空襲も無く比較的平和だったらしい。
そんなある日、爆撃機が飛来して爆弾投下!
村中パニックになったらしいが、一向に火の手が上がらないので
落ちた爆弾を見に行くと、なんとただのドラム缶だったらしい
不法投棄ですな
昭和ひと桁生まれのうちの母の体験談。
大阪のど真ん中の商家の娘だった母。食糧が配給制になっても、祖父(遊び人で家を潰した
人だけど、要領はいい)の才覚で食うには困らず。
それでも、食い意地の張る年ごろだけに、よその家で食べてる配給の「海草麺」なるものが、
すごーくおいしそうに見えたとか。で、祖母にワガママを言って、貴重な配給切符使って
入手してもらったが、食べてみたら死ぬほどマズかったそうな。その話、今年98歳になる
祖母がいまだに語る。海草麺がマズかったことより、98にもなってそんなことを覚えてる
ばあちゃんが笑えるかも。
ちなみに、調子乗りで要領のいい祖父は、町の人々に旗降られて出征してみたら、配属
されるはずの部隊がなくて(?)、1週間でのこのこ帰ってきたとか。夫婦揃ってもう……。
>129
激亀なのだが
私の父親も呉の海軍工廠にいて同じく投下の日に広島市内に向かう予定だった。
が、129の祖父と違うのは、その予定が中止にならずに行かされたことなんだ・・・
・・・もっと笑えないよ・・・ウチュ
>>959で思い出したが、確かベトナム戦争の時に
米軍機が爆弾の代わりに便器を投下した事があったらしい。
その画像(翼の下の爆弾架に便器を釣り下げてるとこ)を見た事があるので
多分ガセではないと思われ。
>>964 ジョーク…じゃないとしたら爆弾が不足していたため、
バランスをとるためにカウンターウェイトとして付けたとか。
966 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/27 20:29 ID:dTOFAyPF
>>965 単に戦略じゃない?
ベトナムのジャングルだから
疫病に罹った兵士の便を
敵地に撒く。
人道上は公にできないだろうけど
ありえるかもよ。
>966
便器であって、肥溜めとかではないんじゃない?
便器が落下してくるってどんな感じだろう
(・∀・)・゜フワァ
でも便器に当たって死ぬのは嫌だな
洋式か和式かが問題だ。
和式なら文金高島田ですむもんな。
>>959 うちの祖母も同じようなこと言ってたよ。
こちらも同じく田舎の山村。
(゚Д゚)ハァ?って感じだったらしい。
973 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/27 22:28 ID:Q2YaiX42
ここ良スレだな
ちなみに俺んちは新潟で隣の隣に山本五十六の出身の長岡って町があるんだが
戦時中山本五十六の出身地だってことでアメ公のB29に大爆撃されたんよ
うちのじいちゃんは山に登って見たのがすっげえ迫力だったとか言ってた。
あんまおもしろくなくてごめん
あとうちには何故か蔵にボロボロに赤錆びた金色の菊の紋章のでかい置物がある。1・5メートルくらいのやつ
どこから持ってきたんだか・・・・なんだろうな?
今度じいちゃんに聞いてみよう
>>963 朝鮮戦争の時のはず。
パイロットだか飛行機のメーカーだかが、「こいつはどんな物でも落とせる!」とか言って
実際に基地の便所から便器取り外して爆弾に縛り付けて落としたんじゃなかったかな。
余談だけど湾岸戦争のとき米兵はトマホークとか爆弾に
「サダムへのプレゼント」とか落書きして発射したそうな。
戦時は白バイは赤バイだったらしい
>>974 リトルボーイにもファットマンにも米兵がさんざん落書きした写真がありますわな。
977 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/27 23:05 ID:dTOFAyPF
>>976 女子供が阿鼻叫喚の地獄絵図になろうとは
思ってもいなかったと信じたいよなあ・・・
978 :
963:04/04/27 23:07 ID:R93PD8BN
>>974 ああ、朝鮮戦争の時だったか。
ベトナム戦争の時に落としたのは台所一式だったかな。
これだけじゃ何なので俺の爺さんの話を。
爺さんは戦時中、今の高校生ぐらいの年で、戦況が悪化してくると
軍需工場で航空機の製造に当たらされていた。
その工場では女子工員の方が先に動員されていたため、
彼女らの方がより高度な技術を要する工程を担っていたそうな。
違う工程を担当しているので、当然、女子工員とお知り合いになれる機会はあまりないのだが、
うちの爺さんは旋盤加工の技術が認められ、女子工員の工程に回される事になった。
ところが、爺さんの知り合いの男子工員が、仕事の合間に爺さんに
(と言うのは言い訳で、目当ては女子工員だろうけれど)
ちょくちょく会いにくるので、上司に目を付けられて元の部署に戻されてしまった、との事。
もう80であろう祖父が、随分と口惜しそうに話しておりました。
長岡空襲で思い出したけど、
仕事先の爺さんの叔父は、
長岡空襲後、様子を見に行き落ちてた長細い爆弾(多分焼夷弾?)
を何本かお土産に持って帰ってきたそうだ。
もちろん火薬が入っていないものですよ。
空港で爆発しなくてよかったでつね。
次スレキボン
982 :
おさかなくわえた名無しさん:04/04/28 20:38 ID:Tvz3aRrk
984 :
1:
おお、ついに次スレが……みなさん、貴重なお話をありがとうございます。
米兵に捕らえられて野球をした話が特に好きでした。
出しゃばってすみません、もう名無しに戻ります。