【尊敬?】じいさん&ばあさんの伝説【オイボレ?】

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1おさかなくわえた名無しさん
明治・大正・昭和・・・激動の時代を生き抜いてきた人々。
今の私たちの価値観では理解しがたい物語もあるはず。
生き字引か、一世一代の伝説か?
ホラかもしれない??
あなたは尊敬しますか?それともクソジジイorクソババア??
そんなじいさん、ばあさんを語り継ぐスレ。

 じいさん・ばあさんの名前ネタはここで。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1015344797/
2おさかなくわえた名無しさん:02/03/06 23:33 ID:+/Q7O13b
じいさんはラストエンペラーと話しをしたことがある
3おさかなくわえた名無しさん:02/03/06 23:33 ID:k0kZ2h5S
うちのじいさんは1日に何度もご飯を食べます。
4おさかなくわえた名無しさん:02/03/06 23:34 ID:UwE+eFVc
>>2
うちのじいちゃんなんて日本のエンペラーと話したぞ。
昭和天皇から紫綬褒章(?)とかいうのをもらったらしい。
何でもらえたのかはよーしらん。もう死んでるし。二人とも。
5おさかなくわえた名無しさん:02/03/06 23:45 ID:iGXtBGiP
うちのおばーちゃんはキツネ憑きだったよ(マジ
6おさかなくわえた名無しさん:02/03/06 23:49 ID:bnsK/Wp5
うちのじーちゃんはエンペラー吉田と話したぞ。
7おさかなくわえた名無しさん:02/03/06 23:50 ID:47ihdm1j
うちのおばーちゃんは何でも食べようとします(泣
8おさかなくわえた名無しさん:02/03/06 23:54 ID:UwE+eFVc
>>5
そ・・それは精神が病んでいたのでは?
9おさかなくわえた名無しさん:02/03/06 23:59 ID:kmEVQqkO
エンペラって食いもんなかった?
10おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 00:01 ID:iLkaWouW
最初は騎兵隊かなにかで皇居警備していたじいちゃん。
戦状悪化のためか、南方に配属になり
赴いたじいちゃんは、あっという間にマラリヤにかかり
一個隊ぜんぶ亡くなったにもかかわらず
命拾いで帰国できたそうでありますっ!
11-:02/03/07 00:04 ID:873VqvSc
そういえばうちのばあちゃんは死ぬ一ヶ月ぐらい前に、普段話さなかった
先祖の話しを延々と私に話し始めたぞ。
うちのかあちゃんは、年寄りが昔のことを話し始めたら先が短いとかいってた
けど本当だったな。
12おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 00:18 ID:NsH9KFAC
>>11
舅は10年間同じ昔話を私に聞かせ続けます。
お迎えはいつ・・・。
13おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 00:19 ID:CSmJGorJ
必ず来ますので、はやまらぬよう>>12
14おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 00:22 ID:nKcmk2UR
数年前104歳で亡くなったひいおばあちゃん。
102歳ぐらいのときに、わたしおなか空いてたんで、近所のコンビニで
かっぱえびせん買ってひいおばあちゃんのそばでぼりぼり食ってたら
ひいおばあちゃん「それは、ぽてとちっぷす ていうやつか?」
わたし「ちがうよー。これはかっぱえびせん」
ひいおばあちゃん「ひとつおくれ」
わたし「はい」
ひいおばあちゃん「・・・・」
わたし「・・・・」

どうやら、100歳超えて生まれて初めて「かっぱえびせん」を食べたらしい。
しかもあまりおいしくなかったらしい・・・。
15おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 00:23 ID:CSmJGorJ
カラムーチョ、食べて欲しかったナ
16おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 00:25 ID:tCRjT5OV
名前スレの1です。
うちのばーさんは、関東大震災と大東亜戦争を生き延びただけでもスゴイと思う。
地震は関東地方だったけど直撃ではなかったし、当時はヤングだからまあいいとしても(?)、
戦争では空襲で家が燃えちゃった!しかもその時点ですでに寡婦(じーさんは10年程前に没)、
子供が4人!ひー。
17:02/03/07 01:14 ID:ULyW+pVg
 >2よ
 そのじいさんは溥儀(ラスエン)と何を話したかきいてないか?




 オレダケ?
182:02/03/07 01:17 ID:vy7L8Xvs
職務上の秘密で教えてくれませんでした。>>17
19おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 01:22 ID:rjJyqQUi
ウチの爺ちゃんは、真珠湾攻撃の頃東京湾上で
通信士をしていたそうだ。
下士官程度の身分だったから多くは知らなかったけど、
近々大変なことになるらしい…ってのは肌で感じてたとか。

老人に戦争体験を聞くのは、過去の嫌な記憶を呼び覚ますからやめた方がいいって
言う人がいるから、私はあまり聞かなかったんだけど、
爺ちゃんが死んでから、彼が17で志願して入隊し、
国のために戦ったことを最後まで誇りに思ってた事を知った。
もっと、色々聞いておけば良かったなーと思う。
爺ちゃんが健在な人は、いっぱい話をした方がいいよ。
20おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 01:25 ID:nKcmk2UR
>>19
うちのおじいちゃんは、戦争のはなしをよくするし、「戦争のことでわからんことが
あったら、なんでも聞け」っていうけど、身近で大好きなおじいちゃんだから
「何人ぐらい殺したの」なんて絶対聞けない。知りたくない。人を殺したんだろうなって
思っただけで泣きそうになる。
21おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 01:26 ID:p+Loq6iz
うちのばあちゃんは、山菜・キノコ採りが趣味で
山に入ると25歳のわたしよりも高速に移動できます。
山をおりると普通のばあちゃんです。
22おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 01:27 ID:vy7L8Xvs
そうなんだよ。戦争で生き残ってるって事は
殺してるって事だから、仕方なかったとはいえ、聞けないね。
23おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 01:28 ID:T3hNf+jV
うちの婆さんは戦争前にドイツ人と文通で不倫をしていたことが自慢
24おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 01:30 ID:p+Loq6iz

婆ちゃんの話を聞いていたら
『だれそれは100まで生きて、その人の刀をさしたら長くて
地面にずるびった(ひきずった)。だれそれは背が高かったから』

などというのでいつの話か聞いたら明治維新の前の話だった。
婆ちゃんの婆ちゃんぐらいの時代の話らしいけれど、そんな話を
急にされても分からないよ…。
25-:02/03/07 01:32 ID:BVn4w3CK
戦争っていうのは殺し合いなんだから、ナマ言ってんじゃあねえよ、>>20>>22
もよう。殺さなきゃ殺されるんだよ。
26おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 01:33 ID:p+Loq6iz
葬式がえりに提灯が近寄ってきて、親戚の人だと思って
葬式饅頭を分けてあげたけれどそれが本当はキツネで
化かされて饅頭とられたという話を聞いた。

婆ちゃんの話。
2719:02/03/07 01:33 ID:rjJyqQUi
>20
何人殺したか…ってハナシは複雑ですよね。
ウチの爺ちゃんも、入隊して8年はアジアの方で
所謂「侵略」をしてたようです。

何人殺したかは聞けなくても、
今の爺ちゃん達の世代が居なくなったら風化してしまうモノが
あるんだから、ソレをちょっとでも語り継げたらいいなーって
思うんですよね…
28おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 01:34 ID:p+Loq6iz
名スレ。

敬老あげ。
29おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 01:35 ID:Bxaa2VRT
でもさ〜孫には優しいじいちゃんが
戦争中にひとを殺してる姿、やだよ。
じいちゃん殺されなかったから自分が存在してるんだけどね。
30おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 01:48 ID:qV1zffCM
明治生まれのじーちゃんは「刃物」を手にもったときだけ手が震えていた。
戦争中のことを思い出すからだと言ってた。
いったい何をしたのか、もうこの世の人ではないから聞くことはできない。

思い出したくない過去は誰でもあるとはいえ、それが「人殺し」だなんて
辛かっただろうなぁ。戦争中は「人殺し」とは言わないのだろうけど。
31おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 01:50 ID:Bxaa2VRT
強姦や虐殺や、おぞましい過去、あるんだろなぁ
32おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 02:05 ID:Bi5gFDeZ
祖母は三姉妹。
戦時中、まだ15〜20歳位の少女達だった三姉妹は
疎開先でど〜しても甘いものが食べたくなり、
相談した結果、曽祖父が使ってる枕に入っていた
小豆を煮て食べよう!!という事になったらしい。
もちろん枕の中身に使っていた小豆でキレイじゃないから、
何度も何度も水を替えて煮たそうだ。
しかし、一生懸命煮たけれど結局その小豆は
とても食べられるような代物ではなかったらしく
泣く泣く捨てたらしい。

この頃の、三姉妹次女(当時16歳くらい)の名言:
「戦争が終わったら、どんなに年をとって
"モダンババァ"って陰口叩かれても、
私は一番にパーラー(喫茶店)に行ってケーキを食べる!!」
モダンババァって・・・幾つになるまで
戦争を続けるつもりだったんだ・・・と今では笑い話になっていますが。
33おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 02:06 ID:3mxQfVVp
母方のひいおじいちゃんは海軍のお偉いさんだったらしい。
開成→東大で顔もそこそこだったので港港に女がいた。
戦後、裁判にかけるために捕まって獄中にいたそんな浮気者なじいさんに
ひいおばあちゃんは、面会の際に黒蜜をつめておいた歯磨き粉の
チューブを差し入れてあげた。
34おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 02:10 ID:0ewzNzpF
私の祖父母は全滅しちゃったからわからないけど、舅、姑はもろ戦争時代
を生きた人だから、戦争の話を聞くとすごいリアルです。

姑は女学生時代鹿児島で空襲に遭い、皆、弾をよけながら必死に逃げまわる中、
すぐそばの女性が横腹に弾が直撃、血だらけになりながら姑に「助けて〜!」と
叫んでいたらしい。けれども怖さが勝って人を助けてあげられる余裕もなく、
固く目をつぶって逃げた。
今でもすごくそれを後悔している姑。あのときの女性の顔、叫び声が忘れられないそう。
けれども私はその話を聞いてもそれを決して責めることはできない。
自分の命を守るのに必死だった時代だものね。むしろ姑もつらかっただろうなぁと
思う。舅はごはんに何かをかけて食べるということが大嫌い。どんぶり、お茶漬け、
カレー類などを嫌う。かぼちゃもあまり食べない。これも戦争時代のトラウマなんだろう
なぁと思うよ。
戦争の話をしたときに最後に必ず二人が言う言葉。
「戦争は二度と繰り返してはならない」

ホント、そうだよね。
35おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 02:31 ID:0zY226Iz
今では完全にボケて会話できないうちのおばーちゃん。
5年くらい前はかろうじて喋る事ができた。当時も世話してる娘の顔すら分からない状態。
しかし、テレビで明石家さんまがでると
「この人は昔うちの近所に住んでた、よく知ってる」と語っていた。

勿論おばあちゃんとさんまの接点はまったくないのだが。
36おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 02:36 ID:AsY1DMTY
昔、曽祖父が祖母に出兵時(日露戦争)の話を色々してくれたそうだ。

日本海を渡る際に海が荒れて船内で軍馬が暴れて大変だった話
(カタギの者には暴れ馬を静める事が出来ず、ヤクザ方面出身者が活躍したらしい)、
行軍中に飲み水に事欠き、軍馬の蹄跡にできた水溜りの上に
ハンカチを置いてその水溜りの上澄みを飲んだ話、
お風呂に入りたくても入れないので夜中に抜け出して街の噴水に入った話(因みに冬)、
日本軍は綿のゲートルなのに米軍は暖かそうなウールのゲートルなのが羨ましくて
皆でコソーリ米軍宿舎に忍び込んでゲートル盗んだ話・・・などなど。

曽祖父はいろんなエピソードを聞かせてくれたみたいだが
殺す殺されるという生々しい話はあまりなかったらしい。
でも、長い間、曽祖父は夜中や朝方うなされて大声出してたんだって。
昔の記憶が夢に出てきていたのかもしれないね。
37:02/03/07 22:25 ID:r7wczYKH
 アル中のジイが、とある日防寒対策してバッグ肩にさげてなんだか半身を
ひきずった格好で自分の部屋から居間へやってきた。引き戸を開ける手も
おぼつかない上になんか挙動がおかしい。そこで親父がジイに一言・・・。

「アタッテンじゃねーのか!?(;゚д゚)」

・・1人で病院(数キロ先)へ行こうとしていた。
その他伝説多数。
38おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 22:49 ID:95W3iit/
うちの死んだジジイは99式艦爆に乗ってたことと
「君が金子二飛曹かネ」と
一度だけ山本五十六長官に声を掛けられたことがエラくご自慢で、
予科練の歌と共に百万回くらい聞かされました。
39おさかなくわえた名無しさん:02/03/08 04:40 ID:0L7bpB+8
この前ばあちゃんが寝言で「学校に遅れてしまう」とあせってた。
ばあちゃんが女学校に通ってたのは70年前。
ちょっと可愛かった。
40おさかなくわえた名無しさん:02/03/08 05:21 ID:GyGU+Snf
もう死んじゃったんだけどお祖父ちゃんは戦前から学校の校長先生だった。
戦争中は教え子がたくさん死んでいってとても辛かったと言ってた。
本来なら自分のような大人が行くべきなのに
若者達が自分より先に死んでいくのが悲しかったって。
戦後は戦争孤児の為の施設を作って子供達を受け入れてた。
お金が無くてお祖母ちゃんは大変だったとぼやいてたな。
41おさかなくわえた名無しさん:02/03/08 07:31 ID:fhdxA1zs
うちのばあさんは満州生まれで、日本に引き上げる途中に船が爆撃された。
二隻あったうちの一隻は沈没して、残った一隻に載っていて助かった。
帰国してからも身を寄せる場所もなく、肩身の狭い思いをしたらしい。
食べ物なんか何もなくて、民家の川下で、お百姓さんが洗ってる野菜のクズが
上流から流れてくるのを食べたりしてたそうだ。
学校でもお弁当の時間は、いっつも校庭の隅で膝をかかえてたと。
42おさかなくわえた名無しさん:02/03/08 21:32 ID:y3rV/sMx
ひいじいちゃんが、明治時代に東大が招聘したイギリス人教授の
カバン持ちをしていたので、じいちゃんちには珍しい外国の
おみやげなんかがたくさんあった。

で、その先生はイギリスに帰っちゃったんだけど、どうしても
日本製じゃないと我慢できなくなってしまったあるモノがあって、
ひいじいちゃんは先生が死ぬまでそれをイギリスに送り続けて
いたそうだ。

そのあるモノとは落とし紙(トイレットペーパー)。向こうのは
固くてダメなんだそうで。
43おさかなくわえた名無しさん :02/03/08 22:11 ID:6wFyhOq0
うちのおばあちゃん(80歳)女学生時代にテニスをやっていたらしい。
まずしい農家の出でそんなハイカラなことしてたなんて・・・
最近思い出してぼそっと言ったんだけど、父も「初めて聞いたぞ」って
びっくりしてた。
44おさかなくわえた名無しさん:02/03/08 22:26 ID:2CA7afvw
伝説ってほど古い話でもないが。
その昔ばあさんはウチの妹が食べようとしていたラーメソに入れ歯乗っけた。
なんでだ?
ちなみに古い話だと、
じいさんは戦前にアルコールで身体を壊して「あいつはダメだ」と言われて赤紙が来なかったそうな。
いいんだか悪いんだか。
45hh:02/03/08 22:27 ID:mRrLdOvb
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46おさかなくわえた名無しさん:02/03/08 23:18 ID:IyAyvMTo
祖父の首には弾丸がかすった痕があったよ。
ヒーー!輸送隊(っていうの?)スマトラ島で救援物資を運んでいる時に
捕虜にされて、いろいろ辛い事もあったみたいだけど最後は畳の上で
孫に囲まれて大往生・・・最高だよね。
関係ないけど曾祖父は通訳だったらしく、家に雇い主の犬養毅が書いた掛け軸がある。
いっぺん「なんでも鑑定団」にだしてみたいなあ。
47おさかなくわえた名無しさん:02/03/08 23:30 ID:FGUhPjq1
1度だけ、自分がリアル消防時代に祖父に戦時の話を聞いた事がある。
祖父が子供時代の写真をなにげなく見ていた時に
いつも祖父と一緒に写っている男の子がいた。
祖父に尋ねると、その男の子は祖父の弟で特攻のパイロットとして戦死したとか。

その話をしていた時の祖父の、遠くを見つめるような、悲しそうな目が今でも忘れられない。
48おさかなくわえた名無しさん:02/03/09 00:30 ID:Or0wctl7
ウチのおばーちゃんは若い頃潜水夫の助手をしてた。
グランブルーなんかに出てくるけど、舟の上からホースでつながって
潜ってる潜水夫に、手動送風機で空気を送る役ね。
あれは当然、地上の空気をそのまま送るんだけど・・・
ばーちゃんうっかりオナラしちゃって、潜水夫さんクサーで
窒息しそうになったんだそうです。
75年も前の話だけど、親戚集まると必ず出てくる。
49おさかなくわえた名無しさん:02/03/11 09:35 ID:jAOgG4jh
もっと聞かせろage
5014:02/03/11 09:42 ID:iu9v6zwK
ひいおばあちゃん、明治生まれ。
お正月とかに、いい着物着せてもらってのおでかけの時、心斎橋を通るときには
橋のまんなかを歩くように言い聞かせられたらしい。
なぜかというと、橋の両側にこ○きの人がたくさんいて、着物をねたんでツバや
汚物をぶつけたりするかもしれないので、とのこと。
明治の心斎橋なんか想像がつかんぞ。
51おさかなくわえた名無しさん:02/03/11 10:51 ID:lTeSUf5g
満州に行ってた父方の祖母は
残留孤児のニュースあってたときに
ぼそっと一言
「私の子供が出てきたら、と思うと・・・」
実は父と叔母以外に、満州に残してきた子供がいるらしい。
父は50年間その事実を知らずにいたので
相当ビックリしていた。そりゃそーだ。
満州話はいつ聞いても凄い。
52おさかなくわえた名無しさん:02/03/11 11:30 ID:IqV40F3B
私の父は今年で76歳。
こちらに登場された、おじいちゃん、おばあちゃんに比べると5歳〜10歳下の
年代になるのでしょう。
そのため私の父は戦地へ赴くこともなく、東京の下町の工場で丁稚奉公をしていた
そうです。
しかし、少年なちゃら隊とかいう軍直下の組織に入れられたりしたそうです。

東京大空襲の時は、吉原のアンマ池に女工さんの死体が累々。隅田川も死体
が累々。公衆便所の中は灼熱地獄の苦しみから逃れようと、死体の中にもぐり
こんだためか、上から下までビッシリとイワシの缶詰のように、死体が埋まって
いたそうです。
当時のほとんどの大人たちは戦争へ行っているので、12歳〜15歳ぐらいの
子供たちが、空襲後の死体をトラックへ積み、野焼きしたりしたとのこと。

食べ物が無かったので野良犬を食べた話とか、猫を食べようと鍋にしたら泡が
出てきて猫のたたりと思った話とか、生きるのに必死と言う感じでした。

しかし戦後は消防ホースで回しを作って相撲を取ったり、白井義男と同じボクシング
ジムへ通ったり、日本人女性のパンスケを連れて、浅草をデカイ面で歩いていた
アメリカ兵と喧嘩をしたりと、結構楽しく暮らしていたようです。

こんな経験をして来たのですから、明治、大正、昭和一桁生まれの日本人は
強いはずです。
元機械工なので腕っ節が強く、父61歳、私25歳(ベンチプレス100kg)の頃に、腕相撲
をしたら、父は笑いながら相手をして全く歯が立ちませんでした。
70歳の頃には、オヤジ狩を得意のボクシングで撃退し、地元の警察署(父は町内会役員)
から、「そろそろ良いお年ですからいい加減になさってください」と呆れられてました。

私も含めてですが、この下の年代の60代、50代、40代が日本をダメにしている気がします。
53おさかなくわえた名無しさん:02/03/11 15:24 ID:rn0mklUH
戦争を潜り抜けてきた人達って超人的だよな・・・
違う次元で生きてる感じ
541:02/03/12 22:10 ID:2lW+ohUR
 戦争の話って聞いてて痛快。面白い。
悲惨話にしろ自慢話にしろ、何でもいいからじいさんばあさんは後世に語り
継いで欲しいな。そういう祖父、祖母を持った世代も語り継ぐ土台を据えて
やらないと世の中の風潮等が邪魔して自分からしゃべろうとしない人もいるよ。
 我が家がそのクチで、たまたま俺が戦争に関する本を読んだ後、俺のばあさん
に戦争当時の話を聞こうとしたんだけど、お互い普段戦争話なんてすることないから、
「なんで戦争の話なんて聞きたがる?」
って聞かれる。俺が「戦争関係の本よんだのさ」って言い返したら、
「そりゃ、本当の話を書いた本なのか?」
って怪訝そうな顔されたよ・・。
 現代と当時の戦争の語られ方の差に相当不信感抱いてる感じだったな。

 戦争話じゃなくてもいいからその他伝説きぼんぬ。
 
55おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 23:13 ID:hbLYHKuI
うちのじいちゃんは身体が弱かったために戦争に行かなかったんだが
90まで生きたよ。
南の島のジャングルの中をさまよった経験は無いけど、亡くなる寸前には
都会のコンクリートジャングルを夜中にさまよって帰って来なかった事多数(w
56おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 23:17 ID:Ss7BxdvV
痛快かどうかは知らんけど、興味深いよ>戦争話
正直自分たちってじいさんたちの半分も「生きて」ないよな
名実ともに。
57おさかなくわえた名無しさん:02/03/13 17:10 ID:8Zold1mH
戦争以外の話も聞きたいな
58おさかなくわえた名無しさん:02/03/14 00:39 ID:u9vLxAqd
祖母(70代後半)の女学校時代の修学旅行の行先は
東京だったらしい。
福岡から東京まで汽車で移動・・・
(途中伊勢神社等にも寄ったらしいが)

ちなみに、祖母の妹達は戦争が始まってしまい
修学旅行がなかったそうで、今でも残念がっているらしい。
59おさかなくわえた名無しさん:02/03/15 23:23 ID:30o0xhkY
じいさん蛇を唐age
60おさかなくわえた名無しさん:02/03/15 23:49 ID:wJt13dqI
うちの父方のじいちゃんは35歳で自殺しちゃったけど、彫りの深いすごい美男子
だったよ、自慢自慢。うちの父親がおじいちゃんにそっくりで、私はさらにその
父親似なんだけど、私はそう美人じゃないから不思議だよな(w
もともとからだが弱い人だったけど、終戦近くなったころはそういう人も行かなきゃ
いけないらしくて、まあそれでも無事に帰ってきたらしい。なんで自殺したのか、
多分お婿さんで気のやさしい人だったから、気苦労があったんだと思うけど、戦争
のこともあったんだろうね。
母方のおじいちゃんは、ハイカラな人で戦争時にはすでに徴兵年齢をとっくにすぎて
いたので、戦争にはいかなかった。当時、バイクのハーレーをとても大事に持っていた
らしいけど、日本軍が鉄を家庭から徴収していたので持ってかれてしまったそうな。
時計屋をやっていたので、戦争が終わった後は、GHQの人が時計を直しにきて、現金
じゃなくてパイナップルのかんづめやコンビーフなんかを置いていったらしい。なので
母親は戦争前に生まれたといっても、食べ物にも困らず、実家自体が金持ちだったので
たいそう裕福な暮らしで、あまり苦労はしてないそうだ。結婚した後にばあちゃんに
いびられてそっちが大変だったけどね・・・。
ちなみに7人兄弟だよ、うちの母。
61おさかなくわえた名無しさん:02/03/19 23:06 ID:xcmMr3IY
うちのじいちゃんは90近いとき、県内最高年齢ドライバーということで
新聞の地方版に載ったことがある。
でも目も耳もほとんどきかなくて、補聴器はウザいから嫌いで、
ボコボコの軽乗用車で、時速30キロくらいでセンターラインの上をフラフラ走る
恐怖の車として近所では有名だった。
追突、接触、違法駐車はしょっちゅう(ノロノロ運転だから事故の被害は少なかったが)。
そんな運転で高速に入り通報されたりしたので、怒った父が車を取り上げたら
今度は老人パスでバスに乗り、遠くまで行ってしまい迷子になって、
見知らぬ人に送り届けてもらったり、
他の家族に「ドライブ連れてけ」とうるさい。
とうとう老人パスも取り上げたら、近所を徘徊。とにかくじっとしてられない人だった。
行動半径が狭くなったせいか急に弱って、寝たきりになったと思ったら
1ヶ月くらいでコロリと逝っちゃった。享年95歳。
62おさかなくわえた名無しさん :02/03/19 23:36 ID:/cXCFrlQ
うちのじいさん何故か黒人の晒し首の写真持ってる・・・。
63おさかなくわえた名無しさん:02/03/19 23:38 ID:cwuz.Po2
どこで撮ったやつ?>62
64おさかなくわえた名無しさん:02/03/19 23:39 ID:ww/pTeM6
じーさん、私が卒業していらなくなった厨房制服の夏用スカート
2枚使用して自作のパジャマ作って着てた・・
6562:02/03/19 23:39 ID:/cXCFrlQ
>63
なんかよくわかんなかった。
子供の時見せてもらったのであんまり覚えてないや。
今更、見せてというのも何だしなあ・・・。
66おさかなくわえた名無しさん:02/03/19 23:42 ID:cwuz.Po2
うん、見ない方が身のためかも。>62
67おさかなくわえた名無しさん:02/03/19 23:43 ID:???
見せてもらってデジカメで撮影してネットでアップするのだ
68おさかなくわえた名無しさん:02/03/24 02:32 ID:GTHqgvGw
関連スレ
〜ジイチャン・バアチャンの怖い話〜
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/occult/1015252434/
69おさかなくわえた名無しさん:02/03/24 21:42 ID:FCy10C26
じいちゃんとばあちゃんは若いとき満州の開拓民として入植したが、
南の満州鉄道にいい働き口があると聞いて、もともと冒険心の強かったばあちゃんが乗り気に。
「でもお上からの預かりもの(開拓地)を勝手に離れちゃ…。」
とじいちゃんは及び腰だったが、「なに、こったらもん捨てて行くべ!」
と、ばあちゃんは強引に夜逃げを決行したという。
その土地はその後、結構戦闘の混乱に巻き込まれて農民が殺されたところだったらしい。
戦争の時代は大変だったろうと思うんだけど(初めの子供を亡くしたり)
田舎の農村生まれのおばあちゃんにとっては、広い大陸を列車で自由に旅したりして、
青春の一番楽しい思い出でもあったらしい。
70おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 17:21 ID:???
あげちゃびん
71おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 17:34 ID:fo1pEIZI
ウチの爺さんは戦争に行ったが、
殺すのも殺されるのも恐ろしくなり、
わざと除隊させられるように自分の指を切ったそうだ。

この話を思い出すと何とも言えない気持ちになる。
72 :02/03/28 20:49 ID:lj0eKO/I
うちのじいちゃん、日中戦争で片足を失って日本に帰ってきたんだけど、
その後じいちゃんのいた部隊は移動中に急襲されてほとんど全滅状態
だったらしい。 片足とひきかえに命が助かったってカンジ。

うちのばあちゃん、DQNが車の窓から火のついたタバコを投げ捨てたときに
拾って車の中に投げ返したらしい。最近の話。。。
もう年なんだから自分を大切にしてよ・・・。
73おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 20:55 ID:7ENKOiW6
神戸に住んでいた、祖父の叔父
(叔父といっても歳が近い)は
酒に酔った勢いで、線路伝いに
三重の祖父が住む家まで、一升瓶抱えて
歩いていったらしい。
そんな叔父も晩年は、自転車を乗り回し
目が合えば「バナナ食うか?」と言ってばかりいた。
74おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 21:02 ID:UJBCzyE2
婆ちゃんが小さい頃の話。
その頃赤ちゃんの面倒は子供がみるのが当然だったそうで、
子供たちは赤ちゃんをおんぶしながら遊んでたそうです。

ある日かくれんぼしてたら、〜どんのとこの〜すけ(〜の部分にはお好きな言葉を・・・)
がぶてきた赤のクビが折れて真後ろに垂れてた。
どうも、寺の境内の下に隠れてた時、夢中になってしもて
軒にぶつけたの気づかんかったらしい
よーそんげ事あったれや
と、サラッと話してくれた・・・ひいいい
75おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 21:04 ID:nmU3kRxg
、、、、、、、、、
76おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 21:37 ID:???
祖母(当時80歳)の誕生日に母親がくすんだ緑色で丈が長めの
ベストをプレゼントした。手にとって見た祖母は「まあ、これ
年寄りが着るようなデザインじゃない?」と一言。
普通なら(゚Д゚)ハァ?って感じだと思うけど。これを聞いてさすが
おばあちゃん!と思ったよ。
大正生まれなのに身長が160センチで体重が45キロくらい、
背筋がまっすぐで手足が長くいつも颯爽としていて、服装も
紺のジャケットに花柄スカートみたいな感じでいつもかなり
若く見えた自慢のおばあちゃんだったから。
本人も年寄りの自覚があまりなかったみたい。
人柄もさっぱりしていて話しも面白くておばあちゃんの家に
行くのが楽しみでした。
下の世話にはなりたくないが口癖だったけど、85歳でその
通り旅立ちました。
もし、一人だけ神様が生き返らせてくれるなら、私は絶対に
おばあちゃんをお願いするな。
いつも作ってくれたチーズケーキのレシピ聞きそびれているし、
おばあちゃんの少女時代の話しもう一度聞きたいから。

長くなってスマソ。
77おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 21:41 ID:X7zayMzU
>>76
なんかエ〜話やなぁ。
78おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 21:44 ID:???
>>74
こどもが子守りするから
おんぶしたまま井戸覗きこんで、
背中の赤ちゃんだけスポーンと井戸に・・なんて事もよくある話しだったみたいね
79おさかなくわえた名無しさ:02/03/28 23:06 ID:zMvpFaZg
祖父は日中戦争で亡くなりました。母が生後6ヵ月のときでした。
当然会ったことはないですが、なんだかとても親近感を持っています。

先日母方の実家に行ったおり、物置きに放置されていた行李から
戦時中祖父が書いた手紙や写真などを発掘し、数点持って帰りました。
かなり保存状態が悪かったので、このまま放っておいたら
いずれ朽ちてしまうだろうと思ったからです。
亡くなる直前に書かれた上海からの手紙や、戦死者として
祖父の顔写真の載った新聞の切り抜きに胸がつまりました。

未亡人となった祖母は三人の子供を立派に育てあげ、今も元気です。
働き者で勉強家で、かわいいおばあちゃんです。リスペクトしてます。
80おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 23:20 ID:z/FBtLKc
家の婆ちゃんは、よく自分の家の所から原爆のきのこ雲が、見えたとか
とても大きかったそおな、、、、それとひい爺さんが南米へ、一発あてるためいって
婆ちゃん1人で苦労したとか、、自分は婆ちゃん子なので色んな話を聞いて
育ったよ、、それにしても昔の人は、働き者でがまんつよいね、自分にはやろうと
したって、できないよね、なかなか、、、
81おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 23:32 ID:N0Bb4d7o
うちのじいちゃんの病院嫌いには困る。
足の甲の骨、骨折したのにもかかわらず病院行かなかった。
82おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 23:36 ID:???
うちのじいちゃん90歳まで車の運転していたけど
40歳くらいの時うっかり流してから無免許だったんだって。
83おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 23:40 ID:6WEB4irc
じーちゃんの、ラバウルでの写真
戦友と肩を組んでとても楽しそうな軍服の男3人
バックには南洋の花が咲き乱れて....

飢え死にしそうになるとは知らなかった上陸直後の写真の様子でした
84おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 23:52 ID:GR45Sncw
うちの祖母が赤ん坊の時、関東大震災が起きました。
祖母のお母さん(俺からしてみたらひいばあちゃん)
が急いで祖母を抱いて外に飛び出した瞬間
家がドカーンと音を立ててペシャンコに潰れたそうです。
今でも祖母の家には真っ黒焦げの焼死体が写った写真があります。
85おさかなくわえた名無しさん:02/03/29 13:11 ID:ApLaCzVY
5年前に95で死んだじいちゃんは家具の職人だったんだけど、
無口で何でも黙って1人で黙々とやる人で、私はほとんど声を聞いたことがなかった。
仕事はとっくに引退して、裏庭にある作業場で趣味程度にイスや箱などを作ってたんだけど、
ある日私がフロに入ろうとフタをあけたら、お湯が真っ赤。血の海。
びっくりして親に言い、もしやと思っておじいちゃんの部屋に行くと、
タオルで手をグルグル巻きにして寝てた。問い詰めると、作業に使う電気ノコギリで指先を切り落としてた。
でも病院には行かず、こんなもんほっときゃ治るといって、ほんとにほっといた。
1年くらいたってからふと見たら、少し短くなった指先に、爪が覆い被さるように
曲って生えてた。
年寄りって病院通い好きな人多いみたいだけど、行かない人はテコでも逝かないよな。
痛かったろうに…
86おさかなくわえた名無しさん:02/03/29 13:14 ID:???
うちのじーちゃんは衛生兵として戦場へ行き、そこで看護婦さんといいなかになって
草むらでいいことしていたらしい。最後ボケたとき毎日その話だった(w
楽しかったんだろうなー。
87 :02/03/29 13:45 ID:???
爺婆の話は今では信じられない非日常的な体験が多いな
今のどんなネタでも霞みそうだYO!
88おさかなくわえた名無しさん:02/03/29 14:06 ID:???
毎年地元で花火大会が開催されるのだが、何故か祖母だけは会場に行かない。
毎回誘うが頑なに断られるので、子供の頃から不思議だった。
大人になった今、母にそれとなく尋ねてみると、花火のシュルシュル〜とい
音が焼夷弾を、赤く染まる夜空が空襲を思い出させてしまうようだ。
57年まえの東京大空襲の夜、赤ん坊だった母を背負って、焼け落ちた橋の欄干
を這って渡り逃げた、恐ろしい記憶が蘇ってしまうのだろうと思ったら、
私の花火への心象が少し物悲しい物になりました。
戦争の記憶はこうして引き継がれています。一日もはやく世界中から戦争がな
くなりますように心から願ってやみません。
89おさかなくわえた名無しさん:02/03/30 00:58 ID:???
私の父から空襲の話聞いた事がある。
空き地みたいに広いところを友達と歩いてたら、
上から機銃掃射でダダダダーとやられたらしい。
走っても隠れる所が無かったので、伏せて地面に腹這いになったら、
体の真横に弾がダダダダーっと撃ち込んで来て、土ぼこりがかかったと。
友達と並んで伏せてたので、「ああ、殺られたなぁ」と思ったら、
並んで伏せてた二人の間に弾の跡が残ってたって。
こともなげにそういう話をしてくれた。
すごい時代に生きてたんだなぁと思う。
90おさかなくわえた名無しさん:02/03/31 04:18 ID:DzUbXxbA
平和祈願age
91おさかなくわえた名無しさん:02/03/31 05:27 ID:rlzhgINM
18の時に亡くなった、私の曾祖父母夫婦のお話。
亡くなる1年程前に、本人達から直接聞きました。

曾祖父母がまだ若かりし頃、夜中にふと目が覚めると、
母屋の脇にある小屋が燃えていたそうな。
二人は慌てて飛び起きて、二人で必死に消火活動し、
小屋は全焼したものの、母屋への延焼は食い止めたそうな。

ほっとして、お互いを見ると、なんと曾祖父母はすっぽんぽん!
火事の前の夜、夫婦のイトナミをした後、そのまま寝たらしい。

ちなみに、曾祖父母は9人の子宝に恵まれました。
92おさかなくわえた名無しさん:02/03/31 05:35 ID:Nx/6zxq.
うちの祖母は自宅の前からバスに載りたいと
バス停を引っ張ってきました。
93おさかなくわえた名無しさん:02/03/31 11:18 ID:???
迷惑だ。
94おさかなくわえた名無しさん:02/04/03 12:46 ID:KLvfNd2M
あげよう。
95おさかなくわえた名無しさん:02/04/04 00:45 ID:EP7Kx0mE
ばあちゃんだいすき@あげ
96おさかなくわえた名無しさん:02/04/04 01:16 ID:yFlZIkGw
上の方にテニスしてた婆ちゃんの話があったけど、
ウチの婆ちゃんは、女学校で体育の時間にバスケをしてたそうだ。
袴のスソをたくし上げて走ってたらしいが、
当時としては、カナリはしたないんじゃないかと。

そんな婆ちゃんは卒業後看護婦になり、非番の日に近所の公園を散歩中
いつも顔をあわせる若い男を逆ナン(w
それが、兵役中に負傷して故郷に帰された>19の我が祖父。
97おさかなくわえた名無しさん:02/04/04 01:17 ID:7rV7Z/is
母のほうのじいちゃんは、自分が用房前に亡くなったけど戦時中
沖縄に物資を運ぶ潜水艦に乗ってた。
ある時それが撃墜されたらしい。ヤバい!とおもたじいちゃんは
普段飲めないビールをグイっとラッパ飲みし、脱出して
泳いで逃げた。無人島に泳ぎ着いてどのくらいかは
分からんけどそこで過ごし、別の船に助けられたらしい。
ばあちゃんがそのことをよく話している。
98おさかなくわえた名無しさん:02/04/04 01:20 ID:???
×撃墜
○撃沈
だった。スマソ
99おさかなくわえた名無しさん:02/04/05 16:25 ID:???
あげぇ
100100:02/04/05 23:01 ID:???
100歳
101おさかなくわえた名無しさん:02/04/05 23:57 ID:enWam1Ao
わたしの勤める会社には80、90代のじいさんがたくさん出入りしてます。
商工会議所系なところなのですが。(で、ほとんどの方が戦争に行った経験がある)

若い女性(事務員)を見かけると無理やり手を取ったり、自分の横に座らせようとしたり
実はもっとヒドイ光景も目にします
腰や胸を触る、帰宅時に待ち伏せて車に乗せようとする等、女性蔑視な行いや
セクハラは日常茶飯事といってもよいです(そして腕力がミョーに強いのも特徴)
穏やかに注意するのですが、聞く耳を持ちません。悪いことをしているとも
思ってないようです。
わたしも同世代の祖父がいるので、カナリいやな感じがします。

同じ日本の女性にさえこんなことをするなんて、
戦争中占領地で現地のお嬢サンたちにいったい何をしたのと小1時間・・・

いい人もいるんだけどなぁ。もっと尊敬させて欲しい・・・・
102おさかなくわえた名無しさん:02/04/06 00:11 ID:???
この間、電車の中で入れ歯を出している老人(男)を発見。
あの手であちこち触っているのか…。
その日から手の洗い方が激しくなりました。
103おさかなくわえた名無しさん:02/04/06 15:26 ID:RezVIcOw
もう市んじゃったけど、気に入らないものは絶対に食べなかったじいちゃん。明治30年代生まれ。
何を食べるかっていうと、おかゆ、味噌汁、漬物、そばがき、もち、
根ショウガに味噌つけたもの、煮豆、くらい。肉も魚も嫌い。甘いものもめったに食べない。
ある日母と食器棚の整理をしてたら、祖父の椅子の後ろにある棚に入ってる小皿の中に、
すげえでっかい白い芋虫が(カブトムシの幼虫?)。私がギャーギャー騒いでいると
祖父が来て、虫をつまんでどっかにいっちゃった。
飼うつもりだったのかな?と思っていたら、別の日、祖父が同じ虫をハシでつまんで
ガスの火であぶっているところを見てしまった。
小皿にはほんのり焦げ目がついた白い虫が数匹…そしてその横に、お醤油の小ビン。
食うところは見なかった。見ないようにした。
104おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 12:59 ID:.lvZPpZs
ウチの爺さん(5年前に89才で他界)の話。
近所の婆さんが山菜取りに山に入ったところ、遭難して
亡くなるという事件があった。
夜中に沢で足を滑らせて頭を打ったのが死因なのだが、
ウチの爺さんは「山に勝手に入ってきたのに怒った猿達
にさらわれた」との説を主張、当然家族全員から否定さ
れた。
自説が通らなかったことに怒った爺さんは、半日間の家出
を決行、警察に捜索願いを出す騒動を起こしやがった。
105おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 14:06 ID:???
両親は共働きで、幼い頃から祖父母とずっと一緒だった。
その祖父母も鬼籍の人となってしまったけど、
今でもお年寄って好き。

祖父はカレーが好きだったんだけど、ジャガイモだけは食べなかった。
シベリア抑留時代を思い出すらしい・・・。
ジャガイモだけしか食べさせてもらえなかったのかな?
想像も出来ない世界なんだけどね。
天国で美味しいもの食べてるかな〜。
夢に出てきてくれないかなぁ・・・。
106おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 16:18 ID:hgP6z69s
素手で公園の鳩を捕まえるのが得意だったよ、うちのじーさん。
で、一言。
「この鳥はうまいんだぞ」
107おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 16:26 ID:???
家のじーちゃんも鳩とかスズメとか今でもさばいて食わせてくれるよ。
108おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 16:37 ID:aziKZG1A
母なんだけど戦争中が子供時代で、空襲の経験があるので
テレビで戦争モノなんかをやってると
そばで音を聞いてるだけでB29だけは聞き分ける。
109おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 16:42 ID:???
家の爺ちゃんは小隊ひきいてシナで戦争やってた。
岐阜出身の爺ちゃんは岐阜人を率いてたけど、岐阜人は純粋でまっすぐ、
死を恐れず突っ込んでくるからシナ軍から恐れられてたらしい。
そのとき、関西の隊もいたらしいけど、関西人はしたたかで死を恐れ
士気が低かったらしい(w
110おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 16:45 ID:???
あー、そういえば日本軍はシナに化学兵器持ちこんでたとか言ってたな。
111おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 16:49 ID:???
あと、武器は銃剣。馬乗りになって殺し合ったとか言ってたな。
打ち合いの時も頭にかぶってるメットに銃弾が当たって、メットがくるくる
回ってたらしい。人がコロコロ死んでったらしいな。
112おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 16:52 ID:???
それから自分の隊員が死んだときは、死体を持ちかえるわけにいかないから
手首を切って焼き、肉をとかして、手の骨だけ缶に入れて、それを首から
ぶら下げて戦ったらしい。
113おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 16:57 ID:???
それに何十キロとある装備を背負いながら3、4日一睡もせず、歩いたらしいな。
体力もすげー。

そういうことをケラケラ笑って喋るし俺もアヒャヒャヒャ聞いてるけど、
やっぱり戦争は二度とするもんじゃないっていっってる。
114おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 17:04 ID:???
つい最近集英社からハードカバーで出た古処誠二「ルール」て小説そういう話。
敗戦間近のフィリピンで、兵隊が飢えてぼろぼろになるそんな感じの。
蛭すらうまそうです……
115おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 17:11 ID:aziKZG1A
フィリピンて死の行進ってのが・・・
116おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 17:17 ID:???
>>96
うちのばあちゃん(大正2年生まれ)は女学校で籠球部だったそうな。
数年前に癌で死んじゃったんだけど、病院がいやで家で療養していた。
まだ元気な頃に母と「家で死ぬと検屍云々で大変」という趣旨の話を
話していたらしい。(変死扱いになっちゃうとかいってたような気がする)
ふだんは妹が医者に連れて行っていたんだけれど、ある日「救急車を
呼んでくれ」とばあちゃんが言ったそうだ。
で、病院に着いて30分後にあの世に逝っちゃった。
人に迷惑をかけるのが一番嫌いなうちのばあちゃんらしい死に方だって
葬式の時話題になったYO!
117おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 17:35 ID:kB6ARsJw
越冬のため我が家に来ていたばあちゃん88歳。
一緒に買い物に行くとバナナを大量に買い付ける。
戦前のバナナイメージが払拭できていないため安くて嬉しいらしい。
「そんなに食べられないよー」というと激しく悲しむので購入を止められなかった。
私、一週間三食バナナオンリー。
(他の家族はバナナ嫌い。ばあちゃんもバナナ嫌い(w)

春の訪れがこんなに嬉しかったことは無い。
118おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 17:54 ID:???
>>117
おもひでぽろぽろと似てる
119おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 20:52 ID:LjWSVtiA
うちの死んだじいさん、画家だったんだけど、
若い頃、岡本一平(岡本太郎の父)とよくスケッチ旅行に
逝ってたって言ってたなぁ。
戦後はGHQのそばに住んでいたという事もあり、
食事には困らなかったらしい(米兵から缶詰めを貰ってた)。
120おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 21:12 ID:???
>119
なんて人?
121おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 21:20 ID:???
名取春仙、仲田勝之助、近藤日出造、杉浦幸雄、矢崎茂四
横山隆一、
この中に119のじいさんいる?
122おさかなくわえた名無しさん:02/04/14 01:38 ID:5ZpMd3vA
うちのばあちゃん超巨乳(70歳)
age
123おさかなくわえた名無しさん:02/04/14 01:48 ID:uaKKUf5E
うちのばあさまも超巨乳。
昔はその乳でぶいぶいいわしていたらしく、
娘時代にマドロスさん(!)からもらった鼈甲のネックレスは
今や私の宝物。
戦中に事故死したじいさまも船乗りだったが(↑とは別人)
船乗りにもてたハイカラな娘さんだったらしく。

もう鬼籍の人ですが。墓参り、行ったげないとなー。
124おさかなくわえた名無しさん:02/04/14 02:21 ID:6weIWakY
ウチの祖父母は、震災で家と財産を焼失、隣家の火事でも焼失、
おまけに台湾にも住んでいたから、そこを追い出されて、また財産消失!
3度も持ち金ゼロになりながらも、ちゃんと元通りに財産をためたのはすごい!

二人ともかつては英語が得意だったらしく、
俺が卒業旅行にイタリアへ行く!と言ったら
「そうか、イタリーへ行くのか」と答えた(w。
どうやら、和製英語は使えないらしい(w
125おさかなくわえた名無しさん:02/04/14 11:21 ID:???
おばあちゃんはゴキを素手で叩き殺します
手も洗いません
126おさかなくわえた名無しさん:02/04/15 14:39 ID:???
私が小学生くらいのころ、ばあちゃんは寝たきりで、
無口なじいちゃんは元気で暮らしてた。
家に親戚が集まってたときに震度4くらいの地震があって、
私たち子供は恐怖で縁側から外へ飛び出した。親や親戚たちはオロオロとテレビをつけたり
おばあちゃんは大丈夫か?と部屋に行ったりしたが、
おばあちゃんは我々の慌てようにゲラゲラ笑ってて、おじいちゃんは相変わらず無言だった。
さすが関東大震災経験者
127おさかなくわえた名無しさん:02/04/15 14:51 ID:gz/jLVqg
祖母は字が綺麗。そんだけ。
128おさかなくわえた名無しさん:02/04/15 15:10 ID:lNjqs4IQ
うちのじーさんは無免許医だった。
戦後は制度が厳しくなって医者できなくなったので大学教授になった。
戦争中は長崎にいて、さぼって酒飲んで昼寝してたところに原爆が。
落ちてくるのが見えたって。
被爆はしたけど、重傷ではなく、死体の片付けなんかやってたって。
かなりアバウトでいいかげんなじーさんだった。
最後は昔勤めてた病院で医療ミスで死んだ。
どのみち長くなかったんだから何も言うなと大叔父に言われた。
医療ミスでいきなり逝っちゃったから最後会えなかったのが心残り。
たいしたことないからって入院中見舞いにいかなかったんだよ。
内孫で一番かわいがってもらったのにな。
129おさかなくわえた名無しさん:02/04/15 15:14 ID:???
祖母は、元●●藩の落延び御姫様が自慢。
幼稚の私には自害の方法教えるは、人は使う物と考えて
何でも召使扱い・・・。
 手を上げ一般の車両をヒッチハイク。婆様だけど美人だったので
殆どの男は遠方までガキ連れの婆様に無料奉仕。
 最後には、ドアまで開けさせて御礼も言わずサヨウナラ。
 店に入っても自分で勝手に値段を決める。
 ただし、サッチーのような下品さは全く無い。 
 なんか、圧倒的にかなりの美貌と雰囲気におされちゃう感じかなー。

 我侭いっぱいで自分勝手で、浜崎●●をTVで見ると何故か思い出す。

婆様の因果が巡ってか、私は超ブス。人に仕えるだけの下僕の生活。
130おさかなくわえた名無しさん:02/04/17 03:15 ID:Nvrpjo3Q
おお!そんな因果がめぐるとは・・・
131おさかなくわえた名無しさん:02/04/17 04:05 ID:???
子供の頃怪我をして痛がって泣くと
「おじいちゃんは戦争に行った時盲腸になってしまって
 麻酔なしでお腹切って手術したのよ、それくらい我慢しなさい」
と母にいつも言われました。
想像しただけで痛いー。
そんな祖父は無口で厳格な人なのであまり話したことはありませんが
戦争後財を築き、世界中を旅行したらしいです。
お茶を運ぶ時にしか入ったことない書斎には
世界中の怪しい置物がいっぱい。
すごく尊敬してるし戦争の話や旅の話を聞きたいけれど怖くて話せません。
優しいおじいちゃんおばあちゃんいる人がうらやましいよー。
132おさかなくわえた名無しさん:02/04/17 07:50 ID:vD7Qkbpk
うちのじいちゃんは、無免許軍医もどきだったらしい。
人出不足ゆえ器用だというだけでかなりの外科手術をこなしたらしく、
数年前じいちゃんちに戦友7〜8人が集まった時、皆が服をめくって
「ここはこいつが縫ったんだ」「ほら、きれいに縫えてるべ」
と言い出したのにはびっくりした。
それよりじいちゃんが自分の下腹を出して
「ここ縫うときはつらかったなー、首伸ばしても見えねぇからー」
…じいちゃんは、ブラックジャック並にすごかった。
133おさかなくわえた名無しさん:02/04/17 09:03 ID:???
母方の祖父母は、かなり病弱?で
祖母は何かあるとすぐ寝こむし、祖父はいればを作ろうとしても
なかなか合わないで、口の中だけで何百万とかけているらしい
父方の祖父母は、ハイパーな人達で
祖母は、入れ歯はテキトーに作ったものがあってしまったらしく
もぐもぐおいしく食べているし、更年期障害もなかったというし
もういい年なのに、背中も曲がっていないし、元気そのもの。
祖父はなくなってしまったけれども、かなりの男前で(身内が言うかな)
職人さんだったから、よくコマを作ってくれたり,竹馬を作ってくれたりしたよ。
今、思い出そうとしても、思い出せないよ
もっと沢山甘えておくんだったって最近思う。
134おさかなくわえた名無しさん:02/04/17 09:10 ID:RCcJnfIs
うちの会社にいるおじいさんは、陸軍に入隊後いきなり
化学戦部隊(毒ガスを使う部隊ね)に配属されたらしい。
その話を、ちょうど地下鉄サリン事件の時に聞いた。
昔の防護服はゴム引きのウエットスーツみたいな奴で
暑くて大変だったそうな。
その後、同郷の上官に可愛がられて頭もよかったので
前線には行かずにすみ、憲兵になって終戦時は曹長まで昇進。
憲兵の時の写真は凛々しくて、「モテたんでしょう」と
聞くと、同時に3、4人の女性と付き合っていたらしい。
終戦後は兵隊、しかも元憲兵というのが仇になり
女性にみんな逃げられて仕方なく故郷で見合い結婚、
その奥さんがきつい人で尻にしかれてもはや昔日の面影はなし。
135おさかなくわえた名無しさん:02/04/17 09:16 ID:2avCUBn.
うちのばあちゃん今年88歳。
ン十年前、ばあちゃんの通ってた学校のお昼時。
ばあちゃんはお弁当を持ってたんだけど、時代柄お弁当なんて
持たせてもらえない貧乏な子もたくさんいて、いたたまれなくなった
ばあちゃんは庭で食べようと外に出たんだって。
その瞬間地面がドカーンと揺れて、振り返ると木造校舎は完全崩壊。

関東大震災の思い出話です。多少脚色はしてあるとは思うけど
生き残りには違いないので面白い話でした。
136おさかなくわえた名無しさん:02/04/17 10:02 ID:???
日露戦争に行った故人の爺チャン。
 銃剣もって塹壕から飛び出して、何気なし横を見たら
 首が無くなっている兵隊が走り抜けた。そうだ。
 爺チャンは百姓の出なので鶏を思い出したんだって。

 風呂に入ると必ず
 隣にいた兵隊サンのチソコに玉が当りチソコがなくなった話をした。
 お蔭で、ガキのうちからチソコに興味新進になってしまった。
 
爺チャンは、百姓のでなので武家出身のおぜう様の婆チャンから
いつも苛められてた。
 飯も作り、腰巻も洗い、肩までもまされ文句は言えない人だった。
 
137おさかなくわえた名無しさん:02/04/17 23:30 ID:???
今朝祖父が亡くなったばかりなので、このスレ見てなんかしみじみした。
明日の通夜では祖母と色々話してみようかと思う。
月並みだけど、もっと話すればよかったな。
138おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 01:06 ID:xSQ5FWCQ
いいスレなのになんでみんなサゲてんの?
139おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 01:20 ID:w8p6wqUU
うちの祖母から聞いた、戦中・戦後の悲しい話。当時、長男である
私の父は2歳くらい、その下に生まれたばかりの女の子を抱えていた。
戦争が終わる前の年の冬。当時はまだ満州に住んでおり、しかし日本の
情勢は悪く、段々生活も苦しくなったという。そして大雪が降ったその日、
まだ赤ん坊の娘の容態が悪くなり、必死で医者の元へ行こうとしていたが
雪のためなかなか道を進むことができず、やっと着いたと思ったら
背中で娘が死んでいた…。何十年たっても、あの背中の赤ん坊の
ぬくもりが忘れられないと言っていた。もしもっと栄養を与えていたら、
もしもっと早く気付いていたら、もし戦争がなかったら…。
140おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 01:29 ID:???
糞ジジイババアは年金泥棒。臭いしキモイしエラそうでムカつく。
市んじまえ
141おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 01:35 ID:???
>>140は若いうちに自殺してくれる地球にやさしい人間です
142140:02/04/18 01:38 ID:???
>>141
もちろんそのつもりですが何か?
143おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 02:32 ID:???
満州で中国人レイプしたとか、ソ連の満州侵攻時に
軍人なのに自分だけ逃げてきたって話はないですか。
144おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 02:41 ID:???
厨房の時のガッコの先生の友達のじいさんは、731部隊にいたって
話してたな。
先生自身のじいさんは、中国か朝鮮か分からないけどレイプした
ことあるらしい。戦後おばあさんに話す時「お前に似た人を
つい探したよ」て言ったって。
145おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 02:47 ID:???
>>2
>>4
夫のじいちゃんにはラストエンペラーの弟さんからずっと年賀状が来ていた。
日本のエンペラー(昭和天皇)から紫綬褒章をもらった。
そして最後はばあちゃんとほぼ同時に自然死で死んだ。
夜のうちにふとんの中で眠るように。

グレイトと言えばグレイトだけれども、同居していた義父が
1日警察で事情聴取されていた。
(義父がまた酔って何日も意識がはっきりしてなかったんで
最後にいつ見かけたか覚えてないとか言うから余計にコロシを疑われた)
そんなこんなだったので勲章までもらった人なのに
ついひっそりと密葬という形で弔うことになってしまった。
146おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 03:03 ID:???
>145 えっ、じいさんばあさん同時に死んだの??なんかすげー。
147おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 03:21 ID:???
母方の祖父は画家で、祖母や母と共に満州で暮らしていた。
母のためにねえやも雇っていたと言うから割と裕福な暮らしぶりだったのかも。

当時、満州では中国人車夫のひく人力車に乗っては
料金を支払わずに殴る蹴るをして立ち去る外国人(日本人含む)が多かった。
祖父は近所でそういった光景を見かけると家に飛んで帰り、祖母に
「握れるだけ大きい握り飯を握り、ねぎに味噌をつけたものと一緒に持ってこい」
と言って救急箱を持って飛び出していったそうだ。
祖父が怪我をした車夫の手当てをし、祖母が握り飯とオカズがわりのねぎを食べさせ
慰めて送りだすということをしていたんだそうだ。

母が語る祖父の思い出はこれだけ。
私が父や、他の人から聞いたその後の話を総合すると次のようになる。
148147:02/04/18 03:22 ID:???
戦争で雲行きが怪しくなった時、祖父は祖母と母を連れて一旦は故郷に帰ったが
その後、「荷物などの整理に戻る」と言ってまた満州に戻りそのまま何年も行方知れずになった。
後に戻ってきた時、女性を連れてきていたそうだ。
祖母はそれを許さず家の敷き居をまたがせなかった。
(妻妾同居でもさせるつもりだったのだろうか、祖父は)
母もまた、そんな父親を許せなかったらしい。

私が高校の頃、写真の整理などをしていたらなにも書いてない封筒がまぎれていた。
開けてみると、名刺が入っていた。
「日本芸術会会員」という肩書きと母の旧姓と同じ男性の名前。
名刺は古くても数年前のという感じがした。封筒も同様。

母は祖父と会っていたのかもしれない。でもそれを私達には一切語らなかった。
私も聞いてはいけない気がして、母に聞かなかった。
今も祖父は生きているのかもしれない。わからない。

満州にいた、画家だった、加賀田さん。
あなたの孫のひとりは元気で幸せにしてます。
149おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 03:33 ID:???
>>148妄想ご苦労さん。読んでないけど
150おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 03:50 ID:???
>>149
うむ、初等教育しか受けてないと読めないかもね。
151おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 04:10 ID:???
南方戦線の防空壕の中で泣く赤ん坊を殺した話も聞きたいなぁ。
152おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 04:14 ID:???
瀬島龍三の話は興味深いが、
お前の参謀としての戦争責任を小一時間問いたい。
153おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 04:30 ID:???
女の腹でもさばいた話聞きたいなぁ
154おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 04:33 ID:???
>>149>>153のような話にしか興味ないので
それ以外の話だと思ったらもう読まないわけね。
155おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 04:35 ID:???
あと偽善者ぶってる奴の話もね
156おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 04:37 ID:dfm10asQ
ウチのじいちゃんは、現在年金で勝手に事業を始め東南アジア諸国を
飛びまわっており、各国に「タイの花子」「インドの花子」
「ミャンマーの花子」がいる。
(花子は、うちのばあちゃんの仮名です)

もう五年は日本に帰ってきていない。親族家族も忘れ去っている。
157おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 04:39 ID:???
>>155
自分と同じコンプレックス持ってる奴にだけはガンバレとか励ましレスつけるのも
偽善かもしれんなあ。

>>156
なんか雄大でカコイイじいちゃんだな。
158おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 04:49 ID:Yh80uPXI
うちの糞じじいは、九州に一週間逝って
帰って来た次の日、バイク(1100ccだったかな)で
四国に出発。途中、高速道路で居眠り運転して、
故障で駐車してたトラックに激突、生死の境を彷徨いましたが
復帰してしまいました。
この間、その事故で悪くなった脚の手術をするために
病院に入院しましたが、看護婦にストーカーまがいの
セクハラをし、病院の注意もきかなかったので、
手術後、即病院から追い出されました。

祖母はすでに他界していますが、
今おばあさんを二股かけていて、生涯大学に通いながら
更に新しい出会いを探しているようです
159おさかなくわえた名無しさん:02/04/18 05:54 ID:???
>>157
前半の意味が分からん。
160おさかなくわえた名無しさん:02/04/22 18:55 ID:kIDjNHPA
どっこいしょっと。
161おさかなくわえた名無しさん:02/04/22 19:49 ID:gPXXvYLQ
うちのじいさん、小学校しか出てないけど、独学で資格とって、満州電力の電気技師してたんだよ。
162おさかなくわえた名無しさん:02/04/22 20:00 ID:???
>>155
偽善者は多いが、偽善者「ぶる」やつはあんまりいない。
163おさかなくわえた名無しさん:02/04/22 20:14 ID:???
>>162
子供にマジに突っ込まないでやれよ。
164おさかなくわえた名無しさん:02/04/22 20:54 ID:???
爺さんは木こりをやってて劇的貧乏人だったらしい。
人の3倍は働いて一等地に3000坪の土地を買い、郊外にも膨大な土地を買った。
戦争のため、大勢いた子供9人の半分は死んだが、残ったのはクズが多かった。
残ったクズの長男とクズの末っ子(私の母)を溺愛したため
私が人の3倍は苦労した。。。
そのクズ(母親)に甘やかされて育った長女と長男は粗大ゴミになっている。
田舎の貧乏人だった人なので刺激的話しはないが
優秀な人程早く死ぬんだと。身に詰まされる親戚関係。
 
165おさかなくわえた名無しさん:02/04/22 21:01 ID:N5YYwF5s
知り合いのじじ。
フィリピンで駐屯しているときにジモティからドリアンの差し入れを
たくさんもらい、食ってたらぶつぶつできたって。
栄養いっぱい。
166おさかなくわえた名無しさん:02/04/23 23:21 ID:???
>>162
俺もいつツッコもうか悩みに悩んでいた。
167おさかなくわえた名無しさん:02/04/25 13:46 ID:???
隣のうちのじじいの話。
第二次大戦後、シベリヤに抑留されていたけど、
どう、うまくやったのかは解らないが、
とにかくたくさんのカンヅメを持って帰ってきたらしい。
中身はカニだのほたてだの、北の海の幸だったらしい。
戦後すぐの埼玉県では、だれも食べたことのないものばかりで
近所の人に分けたりすることナシに
その家の家族だけが、いつまでも、ちびりちびり
食っていたらしい。
食ったことは、かなり自慢していたようだ。
おかげで、家族がみんな中毒死したもよう。
土葬にできずに火葬にしたけど
油をかけてもキレイに焼けなかったという話は
田舎のちょっとした伝説。
以来、うちの家族は北の海の幸は
だれも食べれません。
168おさかなくわえた名無しさん:02/04/25 14:53 ID:???
どーせ年寄りなんて社会のお荷物だろ?実際
169おさかなくわえた名無しさん:02/04/25 14:57 ID:???
隣のじいさんは欲張りと昔から決まっておる。
170おさかなくわえた名無しさん:02/04/25 15:02 ID:???
>>169ばーさんもだろ
171おさかなくわえた名無しさん:02/04/25 15:05 ID:???
ですね〜
172おさかなくわえた名無しさん:02/04/26 12:19 ID:???
隣の家のじいさんがボケて夜中呼び鈴ならされて困るよ。
ボケてるくせに、金とオンナのことは忘れないの。
ドロボウに金を盗まれたとか
ばあさんが男とやってるとか。
いちいち我が家に報告&緊急避難せんでよい。
こうなると、本当にいらない。
爺捨て、婆捨て制度の復活で、日本の景気も回復だぜ
173おさかなくわえた名無しさん:02/04/27 22:28 ID:FEnlR89o
 俺はモノゴコロついた時からじい対家族のケソカを毎日のように見てたなー。
俺もそのケソカに家族側で荷担していた。いつの間にか。消防低学年頃からの記憶
があるよ。ケソカというか、家庭内イジメという言葉の方ががふさわしいかも。
特に母のじいに対するアタリ方がすごかった。今はじいも体弱ってきてケソカ
とかはほとんどないんだけど、半身チョイ麻痺と耳が不自由の体で外に出て欲し
くない。車に轢かれそうになること複数回。もう面倒を掛けないでくれ。

 しかし今考えると、小さい頃に見た家族間の亀裂は、俺の人生に少なか
らず影響されるものがあったな・・、と回想する今日コノゴロ。子供持つ親
に告げるが、家族間のケンカを子供の見える(聞こえる)ところで頻繁にするのは
やめたほうがいい。俺のように性格のひねくれた子が育つYO。
174おさかなくわえた名無しさん:02/04/28 05:54 ID:???
もう生きたくない年寄りは安楽死出来る法律が出来れば景気は良くなるだろうに
175おさかなくわえた名無しさん:02/04/29 18:58 ID:K/khy6h2
長寿スレの予感
176おさかなくわえた名無しさん:02/04/29 19:01 ID:???
>>175

さよう
177おさかなくわえた名無しさん
「白州次郎」級のジッ様もどこかにいるはずだよー