938 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/21 02:03 ID:aCSauPvW
漏れが高校の時。
親父は毎日夜の八時半に仕事から帰ってきて、晩飯食って、風呂に入って、ちょっとテレビ見て、
それから寝るというサイクルで生活してた。
その日も親父が仕事から帰ってきて晩飯食ってる間、漏れは自分の部屋にいたのね。
ほんで親父が風呂に入った頃、茶の間に戻ったのさ。そん時おかんは台所で洗い物をしてた。
そしたらコタツの上に何か紙が置いてあったのよ。手にとって何の気なしに広げてみるわけさ。
その紙は病院がくれるヤツで、薬の効能とかが書いてある説明書だったのね。
患者の氏名の欄には親父の名前があって、ずーっと読み進めていくと「パーキンソン病」って病名が出てきた。
どんな病気か詳しくは知らなかったけど、なんか難しい病気だってことは知ってたのよ。
そうしてるうちにおかんが洗い物片付けて戻ってきた。
「パーキンソン病って、やばい病気ちゃうん?」
漏れがそんだけ言うと、おかんはちょっと悲しいような顔をして
「やっぱり、アンタにも言うとかんといけんねぇ」
んで、親父の病気の話を始めて親の口から聞いたわけさ。
ゆっくり進行する病気だってこと、薬を飲んでれば治ることもあること、死に至る病気ではないこととか聞いたんだけど、
「ぢ」で入院したくらいしか病気しなかった親父が急に病気になったもんだから、やっぱショックで。
おかん真っ赤な顔して泣き出すし、漏れもなんか涙が止まらなかった。
二人でぼろぼろ泣いてるところに丁度親父が風呂から上がってきてさ。
何にも言わなかったけど、病気の話してるってことを察知したみたいで。
「すまんなあ」って一言ぽろっと言って。
「苦労かけるなあ」って言って泣いてるおかん抱き締めたりなんかして。
普段口下手な親父だから、その言葉で余計に涙が出ちゃって。
その晩は三人でおんおん泣いてた。
939 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/21 02:13 ID:fHM19ep2
今日、二人のビックショーで氷川きよしが
お母さんを思い出してボロ泣きしてたけど、
このスレを氷川が読んだら
号泣ものだろうなあ・・・
とふと思いました。
両親が健在な事に感謝しつつ、
じぃさま、ばぁさまの墓参りに行ってこよう・・・。
941 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/22 02:24 ID:ofCg6IIX
私と妹が二十歳を過ぎた頃から厳格な父が「お前達は結婚したら家を出ていくんだから」
と時々言うようになりました。
私と父はしょっちゅうケンカばかりしていたのでその時は私が結婚して出ていったら
ケンカもしなくて済むしいいだろうと思っていました。
お正月に親戚が来た時のことでした、みんなで楽しくお酒を飲んでいる時に
私と妹の話になって父が「こんなデカイ娘2人も家にいたらうるさくてたまらないよ」と言うと
おじさんが冗談で父に「うちは上が男の子だからいいけど、お兄さん(父)はかわいい娘さん2人
だから結婚して2人とも家を出ちゃったらどうします?淋しくなるでしょう?」と言いました。
すると今まで一度も涙を見せたことのない父が「そんなことないよ」と言いながら
目を真っ赤にして涙ぐんでいました、驚きました。
台所で母に「お父さんねいつも怒ってばかりいるけど本当はかわいくてたまらないんだよ」
と言われ泣きました!!
それから父の友達のおじさんに「お父さんいつも飲み屋で娘さんの自慢ばーっかりしてるよ、
かわいくて仕方ないみたいだねぇ」と言われました。
いつも厳しい父なのでそんなこと全然知りませんでした。
こんなにデキが悪くて親不孝な娘なのに・・・(泣
私が結婚するかもしれないのはまだまだずーっと先です、これからも迷惑をかけることもあるかもしれないけど
こんなに思ってくれている両親をこれからも大切にしていきたいと思います。
942 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/22 05:44 ID:JGryeQZy
おまえら、しょうもないこと書いてんじゃねえよ
ホローリしまくりで涙が止まらんウワーン
943 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/22 15:47 ID:XePvhdoo
ホローリage
944 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/23 02:16 ID:HAk2gSMs
親にとっちゃ娘が嫁に行く事は喜ばしくもあるが寂しいんだろうな
941もその日が来るまではケンカしつつ自慢の娘でいてやれよ
>931
兄ちゃんず(・∀・)イイ!
945 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/23 02:30 ID:/BWkkEAY
眠れないので読破しようと思いましたが、
26まで読んだところでホローリどころかボロボロになってしまいました。
ちくしょー、なんで夜中にこんなに泣いてんだ。うぅっ…
>>935 ばあちゃんってイイよねぇ・・・
思い出すわ、2年前に死んじゃったけど・・・
親が共働きだったから、小さい時は弟と2人でよくばあちゃん家に泊まってた。
大阪に住んでたけど、石川県まで。
夏休みとか冬休みなんかの長期休みでね。
毎年、それも1年に何回も来てるのに毎回、車に手振りながら泣いてんだよね・・・
もうね、何とも言えないな。
思い出すと書けなくなってきたよ・・・
またすぐ会えんのに、もう2度と会えないような泣き方するんだもん。
泣かれてもいいからまた会いたい。
947 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/23 13:54 ID:vdfKHLOd
この3連休で前スレからここまで読んできました。
ずーっと泣きっぱなしです。
機会を改めて私のところのことも書こうと思っています。
948 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/24 01:51 ID:2IjYe3tj
親は大切にしましょ。
949 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/24 13:05 ID:eLvtfDv6
この連休、妻と1歳4ヶ月になる長男をつれて帰省しました。歩けるようになった
長男を見て母の喜んだことといったら。父は体が不自由になって施設に短期入所
していたので、孫を見せに行きました。帰ってくるのを知らせていなかったので
突然の訪問に驚いていた様子。ヨチヨチ歩く孫の姿を見て涙を流していたよ。
車イスを押しながら息子のあとを追いかけて、生まれたばかりの命と老いという
現実に複雑な気持ちになりました。1時間くらいでたいした話しもせず帰ったん
だけど、部屋の窓からずーっと手を振ってた親父を見て、つらくなってしまった。
東京に戻る日、渋滞をさけるために朝の7時には出発しました。母が1人で見送って
くれた。息子がちっちゃい手で母にバイバイをしてた。いつもながら、この帰る
ときってすっごくつらいんだよね。あと何回こうして会えるんだろうか。
「気をつけて・・・」そういう母は寂しそうだった。母ちゃん来年も来るからね。
950 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/24 13:17 ID:FdMuoEmf
>949
じいちゃんが言ってたよ。「○○(叔父)はロクでもないやつだけど、
(本当にロクでもない部分が多い人)孫を見せてくれたから、
最高の親孝行だ」って。だから、最高の親孝行が出来たんじゃない?
たまにしか会えないけど、手紙とか電話とかでも異常に感激してくれるんだよね。ジジババって。
951 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/25 11:31 ID:ImxwA9v2
age
952 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/26 15:06 ID:otCinDbI
母が週に1回音楽会に行ってしまう日は,父と渋谷で待ち合わせて,
夕ご飯を外で食べて,レゴを1つ買ってもらうというのが,
幼稚園のころの定番だった。待ち合わせ場所は今は無きの井の頭線から
銀座線に上っていく階段。
階下の雑踏を行き交う人々を長めながら父を待ってた。口数の少ない父で,
毎回同じお店でご飯だったけど,すごく楽しみだった。高いレゴも買って
くれちゃって,帰宅した母に怒られたりしていた。
今はもう遠くに離れてしまって,会いたくても会えない両親のことを,
そして約束しないでも会えた日々を懐かしく愛しく思います。
時間の流れはみんなに一個ずつあってとまらない。
953 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/26 16:22 ID:56WVow/+
共働きだったからいつも朝一番に保育園に登園、お迎えは一番最後だった。
友達が親と手をつないで帰っていくのを見送り、その後長時間門扉につかまって
母の姿が見えるのを待ってた。このまま夜になっちゃうよな〜、と思う頃夕闇の
中に母の姿が見えた。寒い中、母と手をつないで歌いながら帰った。途中、屋台の
おでんやで食べた醤油色のタマゴの味が忘れられない。
954 :
:02/09/26 17:01 ID:D+v+Q5Uu
家族は自分の命より尊い。
改めて思わされるスレです。
来月第一子を出産しますが、16年前に他界した
父の名前から一字もらい、子供に付けるつもりです。
ささやかながら、できなかった親孝行をさせてもらいます。
皆さん、お願いがあります。もっとご家族のお話を聞かせてください。
私も折をみてカキコいたします。
このスレに出会えて良かった。
955 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/27 00:17 ID:oa0QxwkI
ageましょう。
956 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/27 09:50 ID:CuSflsq0
家は、自営業で小さな食品店をしている。
小学校の頃男の子によくからかわれた。
その子達に大人になってその話をすると別に意味もなく
なんとなくからかってた。と言われたそれどころか、家に帰ると
毎日両親が居て羨ましとも言ってた。
しかし子供の頃の私はそんなこと
知るはずもなく、ある日父とけんかした時、
家は店屋で恥ずかしい、
もう少しきれいな格好で仕事してよ!
お父さん見られるの恥ずかしくていやっ!
と言ってしまいました。母はものすごく怒ったが父の方を見ると
腕をくみ、一点を見つめたまま涙がこぼれそうになっていた。
それから11年がたち、私はお嫁に行く日が来た。
入場の待合室で父と二人になったとき、
その時の事を心から謝った。
父は驚いていたようだがその時のことはやはり、覚えていた。
そして気にするなと言い、いつもの笑顔で私の頭をなで、
恥ずかしい思いをさせて悪かったと言った。
涙が止まらなくなった。
あの日11年間後悔してたことをうち明ける
事が出来良かったと思う。
今も父は元気に毎日家族のために頑張って
働いてくれている。そんな父を私は誇りに思っている
先天性の病気を持つ妹がいた。
当時は私も小さかったし、両親に構ってもらえない事はとても寂しかった・・・
矛先は当然妹に向かうわけで、可愛がったり労ったりの記憶はない。
それでも、彼女が4歳で逝ってしまった時は悲しくて悲しくて、本当に後悔した。
もっと優しくしてやればよかった・・・ごめんね、って。
今、私には娘がいる。この子が妹にそっくり。
性格もどことなく似ていて 生まれ変わりなのかなあと考えてみたり。
小学校入学前の検診で臓器の異常(治療の必要のない軽度のもの)が見つかったが
その臓器というのが妹の病気の元凶だった。
妹にしてやれなかった分、この子を大事に育てていこうと思う。
958 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/28 18:07 ID:BPW06wu0
>>957 妹も娘も尊い家族なんだね。
これからも可愛がってあげてください。
親の居ない子供時代を送った者より。
959 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/28 18:21 ID:6wjDULOP
960 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/28 23:11 ID:rSD3V30f
去年の5月、祖母が他界した。
心筋梗塞で倒れてから7年、病院に入り施設に移り、
最後にはすっかりぼけて、ベッドに縛り付けられていた。
もう誰の顔も分からず、まともに言葉すら話せない祖母の顔をまともに見れなかったわたしは
ほとんど見舞いにもいかないまま、訃報を聞いた。
きれいに死に化粧を施され、眠っているような祖母を見て
死の実感がわかぬまま、わたしはあることを思い出した。
それはまだ小学生くらいのわたしに、祖母は
「ばあちゃんが死んだら、紋付きの着物をお棺に入れてくれよ」
と言い聞かせていたこと。
慌ててもう廃墟となっていた祖母の家を探すと、確かに
きれいに畳まれた紋付きが出てきた。
いままでずっと着物のことなんか忘れていたのに、今になってこうして唐突に思い出すなんて、
まるで祖母に「忘れないでね」と言われたようだと思い、すこし泣いた。
961 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/29 02:37 ID:TIa3aZd1
私が20才の記念に初めて友達と海外旅行に行った時のこと。
日本を発つ前に空港ロビーで母に電話しました。
現地に着いて、海外からの電話のかけかたがわからなかったのと、
真夜中に着いたし疲れたのでそのまま寝てしまいました。
それから無事4日のツアーを終えて日本に帰国した時、母が
「アンタなんで現地に着いた時電話しなかったのよ!」と怒っていました。
「国際電話のかけかたがわからなかったんだけらしょうがないじゃん!」私も怒りましたが、
あとで妹に聞くと、父と母は次の日早朝から仕事があるにもかかわらず
私のことが心配で寝ないで朝まで電話の前で毛布にくるまって電話がくるのを待っていたそうなんです。
ツアーのしおりに書いてある「到着日本時間午前3時」を過ぎても一行に電話がないので
現地で事故にでもあったんじゃないかとテレビのニュースをずっと見て
今まで泣いたことがない父なのに海外のニュースのたびに涙ぐんでいたそうです。
電話のかけかたを知らなかったとはいえ、心配をかけてしまったなぁと泣きました。
962 :
おさかなくわえた名無しさん:02/09/29 13:02 ID:t15GUYwS
>>961 いい親御さんだ・・・。うらやましいなぁ。・゚・(ノД‘)・゚・。
親じゃなくて、ペットだけど。
むかし上京で実家をはじめて出るってときに、
それはそれは大好きだったペットの犬がいて
私はいざ行くぞって時にそのこと別れたくなくて(はずかしいが)泣いたりしたんだけど
犬は「どうでもいいよ」って風にあんまりなついてこなかった。
(あぁ、いなくなるって分からないのかな、どうでもいいんだろうな)
って思いながら家を出たんだけど。
そのあと二週間後くらいに電話したら
犬は、私が上京した日から一週間くらいごはんもろくに食べないで散歩にも行こうとしない
クーンクーンってあんたの事を探してるんだよって母親に言われて
すっごい愛おしくなった。・゚・(ノД`)・゚・。
もしそれが母親の気休めのひとことであったとしても
感動したんだよ。・゚・(ノД`)・゚・。
半年前の事。
携帯を持つようになった家族の中でやっぱり母だけはメールが送れなかった。
機種変するときに「どうせメール機能なんか使えんのやから金の無駄や」って言った時
ちょっとショボーンとする母の姿が。
数ヵ月後、一人鼻歌を歌いながら自転車こいで帰宅中の漏れの携帯にメールが。
「きおつけてかえっておいで」
必死で妹に習って長い時間かけて文章を打ってくれたと思うと涙が・゚・(ノД`)・゚・。
今でこそ平仮名と漢字を使えるようになった母のメールだが、あのメールだけは一生忘れないと思う。
私が大学1年生だったときのこと。
父親の仕事の都合で、両親はドイツに住んでいた。
ある日、朝からテストだというのに寝坊した私は、小雨の中全力疾走、
バランスを崩して足をひねった。途端激痛、走れなくなる足。
なんとか学校について保健館でレントゲンを撮ってもらったところ、骨折。
明日ちゃんとした病院に行くようにと言われた。
たまたまその日母から国際電話があったので、骨折した旨伝えると、
「明日ちゃんと病院に行きなさいよ」と。
分かってるよー、と言いながら面倒くさがりな私、歩かなきゃ痛くないしな、
とか思っていた。
次の日の朝10時くらいに、母から再び電話。
思いっきり寝ていた私が寝起きの声で電話を取ると、
「ごめんね、起こしちゃったみたいだね」
「いやいいけど別に」
「ちゃんと病院に行きなね」
「はいはい行きます、今日行って来ます」
適当に答えて電話を切って、次の瞬間にようやく気付いた。
「ドイツは今夜中の2時だ」
早寝早起きの人なのに。
日本の時間を見計らって真夜中に電話に向かう、母の小さな背中が見えた気がした。
ごめんね、起こしちゃったみたいだね、と言った母の優しい声を頭の中で再生しながら、
なんか涙が止まらなくなった。
俺も涙が止まらない
967 :
おさかなくわえた名無しさん:02/10/02 19:16 ID:R7/91oxo
。・゚・(ノД‘)・゚・。。・゚・(ノД‘)・゚・。。・゚・(ノД‘)・゚・。。・゚・(ノД‘)・゚・。。・゚・(ノД‘)・゚・。。・゚・(ノД‘)・゚・。。・゚・(ノД‘)・゚・。。・゚・(ノД‘)・゚・。。・゚・(ノД‘)・゚・。。・゚・(ノД‘)・゚・。
思い出じゃ無くて進行形だけど。
今年の夏の終わりから自分の力に自信が持てなくなり、日ごとにヤル気が失せてきた。
高校三年。受験直前だ。
自堕落な生活が続き、ひきこもり予備軍といっても過言は無い。
今勤めているバイトを辞めればすぐ、だ。
死ぬ事も考えた。だけどその気持ちは外に出て母に伝わっていた。
日増しに増える白髪。痛々しい。
そんな母を見て死ねるわけが無い。
母は自分が不幸になる事を顧みず、子供の幸せを優先させるような親ばかだ。
世界で一番誇れる子供達だ、と俺たちに言う。
涙が出るくらい親ばかだ。
絶対立ち直って、絶対楽にしてやる。
そう思って、やっとこさ推薦入試を受けるところまで気持ちを持ってきた。
そしてついさっき。
昼ごはんのために居間に行くと母がすごく涙目になっていた。
「どうしたん?」と聞くと、作文用紙を差し出した。
それは妹が書いた詩だった。掃除をしていたら落ちていたそうな。
題名は『お兄ちゃんへ』。
書き出しの部分を読んで、読んじゃいけないと思った。
これはちゃんと妹から俺に宛てられるまで絶対に読んじゃいけない、と。
母に「うわ、これあるから俺こんなんなったんちゃうん?M(妹)お得意の呪いの文書やで!」と言った。
母は「そうやな」と笑った。
俺は部屋に戻り泣いた。
これを書いてる今も涙が止まらない。
ごめんな。来年お前も受験やんな。見本見せたらなあかんのに情けない姿見せてほんまごめん。
他の妹弟以上に心配してくれてんのにな。
お兄ちゃん頑張るからな。
だけど、お前もちゃんと自分の物はキチっとしときや。そこらへんに置いといてええもんと悪いもんあるぞ。
いてもたってもいられずに書きなぐったんでゴチャゴチャしてますが・・・
願わくば良き思い出として再びここに書き込めるように。
いいなぁいいよなぁ
>965
いいお母様と妹さんをお持ちだ。そして、きっと一緒に心配して
くださってるだろうお父さんも…。
そしてその思いを受け止めて、ここに書き込めるあなたは、あなた
自身が思っているほど自堕落でも、情けなくもないですよ、きっと。
入試、いい結果が出るように祈ってます。いい話を聞かせて
くださってありがとう。
972 :
おさかなくわえた名無しさん:02/10/04 00:18 ID:7e2/MQkS
思い出じゃないんだけど、
母と二人で車に乗っていた時、あたしがふと
「最近金木犀のいい香りがするね」と言ったら母が
「そうだね、幸せの香りだね」と言った。
わたしは忘れられない思い出が増えちゃったな、と思った。
973 :
おさかなくわえた名無しさん:02/10/05 16:18 ID:VPSl2H8d
↑スレ違いでスマソ…。
ホローリではなくてシンミリでつた。ハヅカシ。
974 :
おさかなくわえた名無しさん:02/10/05 17:10 ID:JzIHxwPi
数年前に定年退職した父が今日町内会の人たちとハイキングに行きました。
父が「おにぎり持っていくんだけどコンビニで買うから」と言っていましたが
母が「何でコンビニなんかで買うのよもったいない!私が握る」と怒っていました。
たまには私が作ってあげようと思い、早朝4時に起きて具
鮭を焼いたり
コンブを用意したりしていた時、私が遠足とかで持っていったおにぎりには
鮭がごはんにまぶしてあったことを思い出し、焼いた鮭を箸でほぐすとこれがなかなか大変!
母がしてくれたように細かくできませんでした。
小骨を取ったりこんなに手間がかかるのに母はわざわざ具を中に入れずにまぶしてくれたんです(そのほうがおいしい)
私があまり握ったことのないおにぎりを悪戦苦闘して握っていると父が起きてきて
私のほうを見て「こんな朝早くからなにしてるんだ?」と言うので
「今日おにぎり持って行くんでしょ?今作ってるの」と言うと父は黙って洗面所に行くと
洗面所から父のすすり泣きが聞こえてきました。
洗面所から戻った父は目を真っ赤にして私に「ありがとな」と言いました。
今まで私にそんなことを言ったことがなかったので涙が出ました。
最初「3つでいい」と言っていたおにぎりも「やっぱり4つ持って行くよ」と4つも持って行き、
父はとてもご機嫌でハイキングに出かけて行きました。
今はまだ親不幸ばかりだけどこれからどんどん親孝行したいと思います。
975 :
おさかなくわえた名無しさん:02/10/05 20:07 ID:Yo1bLoC3
あんたええ子や…。
976 :
おさかなくわえた名無しさん:02/10/05 21:11 ID:fWts+Ezo
前実家帰って、帰る時のこと。
俺は母子家庭で仕送りもらってるくせに
冗談めかしに帰りのタクシー代と電車賃ちょうだいと母にせがんだら
「何言ってんの!うちもキツキツで生活してるのに、自分で払いなさい!」
と怒鳴られた。
俺も腹立って、電話でタクシー呼んでそのあとは一言も母とは口聞かなかった。
しばらくしたらタクシーが来て、俺は何も言わずに家を出てってタクシーに乗り込んだ。
ちょうどその時、母が財布もって慌てて外に出てきたけど、
その時ちょうどタクシー発進。
俺は自分の情けなさと母ヘの申し訳なさと感謝の気持ちと後ろめたさに
振り向くことができなかった。
タクシーの中で涙こらえるのに必死だった。
後味の悪い帰省だった。
977 :
おさかなくわえた名無しさん:02/10/07 21:00 ID:wjAc18HJ
俺はいい年こいて(40過ぎてる)母親の顔を知らないことが凄いコンプレックスで
このスレ読むまで、俺は産みの親の顔も知らない可哀想な奴なんだと思い込んでた。
でも、ほんとにいろんな境遇の人がいるんだね。
今自分の戯言が恥ずかしいです。
現在は子供もいて細々ながら生活してるけど、幸せって奴は身近に居るほど
解らないものなんだね。
皆の話読んでて、それがよくわかりました。
良い話、ほんとにどうもありがとう。
978 :
おさかなくわえた名無しさん:02/10/08 20:08 ID:jsFy+3Se
974が好きだーっ
お父さんのためにおにぎり作ってあげたら
お母さんの思いやりに自分が気付いて
お父さんは自分の思いやりに感動してくれた
いい家族だなー
そんな家庭を作りたい。
979 :
おさかなくわえた名無しさん:02/10/12 00:59 ID:WVK8xxmW
今年の六月に結婚しました
相手は俺の父ちゃんの兄ちゃんの娘、つまり従妹
5年ぐらい秘密で付き合ってきたもんだから結婚の報告をした時は全員がビックリしてた(あたりまえ
新年会で親戚が集まってた時だったから一同に反対されたよ
でもばーちゃんが一緒に説得してくれて何とか結婚できました
披露宴の時、ばーちゃんに泣きながらおめでとうと言われて
嫁と二人でばーちゃんにしがみついて泣いてしまったよ
ありがとな、ばーちゃん
長生きしろよ
981 :
おさかなくわえた名無しさん:02/10/12 01:46 ID:b1YCemsk
昔、貧乏だったから滅多に洋服なんて買ってもらえなかった。
でも一度11〜12才の頃、ブーツを買ってもらった。
当時で五千円だったような記憶があるから、母にしたら
清水の舞台から飛び降りるような価格だったと思う。
ジャスコで買った赤いブーツ。
帰りに母が「お母さん、むっちゃ嬉しいねん」と言ったのが
すごく印象的だった。
私が履くのになんでお母さんが嬉しいの?
そんな素朴な疑問を胸に抱きつつ、家に戻った。
自分が親になった今ならわかるなぁ
私が気に入った子供の洋服をgetした時ってすんごく嬉しいんだよね
あのブーツ、母もきっとすんごく気に入ってたんだよね。
やりくりして買ってくれたのに、あんまり履いた記憶がないなぁ・・・
982 :
おさかなくわえた名無しさん:02/10/14 14:40 ID:ESwJQ5gg
age
小2の娘がいる。
最近になってからは「大きくなったから」とか「恥ずかしいから」といった理由で
抱っこしてやることもなくなった。
昨夜眠たそうなのに頑張って起きて好きなテレビ番組を見て居た娘は
私や旦那から「眠いんだったらもう寝なさい」という言葉にも必死に対抗して
むっつりした眠そうな顔してまだ起きてた。
小さい時は寝る前に必ず抱っこしてたから、そうやったら寝るかな?と思って
「おいで、抱っこしたげるから」と言うとなんとも嬉しそうに腕の中にやってきた。
「おかあさん、ふかふかー。」と嬉しそうな娘の声。
満足したのと丁度テレビの方もキリがいいのか、その後さっさと「おやすみー」と寝にいきました。
いつかこんなことがあったと、温かい思い出に変わるといいです。
とりあえず今はダイエットに励んでいます。
>>983 「ふかふか」だからダイエット?(w ほのぼのしていていいね。
983の読んで思い出したけど、私は小3か小4くらいまで
時々母親に抱っこしてもらってテレビ見たよ。
いつも夜遅くまで働いてる母親が午後7時や8時に家に居るのが嬉しくてね。
いい思い出になってる。
小学校低学年のとき、2階の部屋で両親と一緒に洗濯物を畳んでいるとき、
毛布に「みのむし〜」と言ってゴロゴロと転がって体に巻いたら両親が大笑い。
今思うと大笑いするほど面白いか?と思うんだけどね。
そのときの両親の笑った顔が楽しそうで忘れられない。
先月から鬱気味で生活にハキがない状態が続いていた。
このままではまずいと思い、精神科へ行き抗鬱剤やら抗不安定剤を飲むようになった。
そんな前夜に母から電話があり、「元気か?ちゃんとご飯たべてるか?」と、
最初は普段の会話をしていたんだけど、不意に「やる気がでなくなって困ってないか?
こんな頼りない母親だけど、あんたの母親なんだから何でも相談してほしい」と言ってくれた。
いきなり一番悩んでいることを聞かれ、逆にあせってしまった。
とりあえずは「”気付け薬”みたいなのを飲んでいるぐらいで、別になんてことないよ」と答えておいた。
頼りないのは俺のほうだよ。
でも、こういう話だけは親には言わずにいようと思っていることを
逆に聞かれるのは複雑な気持ちだった。
ホローリするような話ではないのでsageで。
私がうまれたとき、あまりにも小さかったので
母方の(亡くなっちゃたけど)祖父母は
『あのこは、体温調節できないで、成長が
難しいかも知れない』と母から聞いて
当時高価なエアコンを私の実家につけてくれた。
もう亡くなっちゃったけど父方の祖父、親戚は私の体の弱さを心配して、
『この子は、世界中のどんな子よりも、護って
育てていかなくちゃ!』と育ててくれた。
父方のじっじ、逢ったことはないけど、見守ってくれてるばっば、
母方のじーじ、ばぁば、ありがとう。
それから、私の両親と一緒に私の成長を喜んでくれる
親戚の叔父サン、叔母サン、ありがとう。
私のハンディは固定することは無いと思うけれど
頑張って生きるからね。
ホローリとはちょっと違うかもなのでsage.
987 :
おさかなくわえた名無しさん:
保守age