東洋医学って科学なの?

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580名無しさん@お腹いっぱい。
年末ひまなんで、駄文を連ねるけど、
<古典>
・黄帝内経(成立2世紀)
・傷寒論(同2世紀)
これが、今に続く(今の鍼灸学校教科書にも続く)鍼という手法の骨組み。
これをたたき台に、注釈を以後2000年以上繰り返してるのよ。
注釈というのは東洋の面白い作法で、元になる昔の文に、解釈を加えて、違う本にしていくのね。
その時代時代の知見をこうやって盛り込んできたんです。
だから、今使われる「黄帝内経」って本は、定説となる「注釈:読み方」込みで、「黄帝内経」なわけ。
中国本土に、2世紀以後もいろんな「古典」は出てくるけど、これらもほとんど、上の二冊の「編」を組み替えたり、注釈を本文にしたりしたもん。
・・この辺は異論を挟まれると思うが、大まかにはそういうこと。

で、この解釈を通じた技法の進化は、中国本土では元末から明初(14世紀)くらいで止まってしまい、後は目ぼしい発展が無かった。これは他の領域の文化と大体同じ感じ。
しかし、この室町あたりから、日本の文化の独自性というのはすごい勢いで発展し、医学の面でも南蛮文化も取り入れたし、発展に拍車がかかった。
江戸時代には、今に劣らぬ識字率を誇った高い民度の支えを受けて、学問の発展はついに本家を超えたのよ。

ちょっと本見ればお分かりだろうけど、鍼灸漢方(体表刺激を介する治療法や生薬活用法)の領域の研究も、停滞の続くアジアの中では突出したものになったのね。
これが東洋医学と呼ばれる手法の生い立ち(東洋医学というのは、中国人が付けた日本医学に対する呼び名)。

ここ50〜60年くらいは、逆に日本で鍼灸は停滞気味だけどね。
でも、戦前に帝大でやられていた研究や(ちょっと前に無くなった東大物療内科って、実は鍼灸研究部みたいなもんだったのよ)、
それを引き継いだというか、脇に寄り添ってきた盲学校(教育大を経て今の筑波大に残る系譜)が、堅い研究を積んでくれてたのは、大きな財産。
ちょっと前の中医学院の教科書なんて、この頃の盲学校教科書を、挿絵までパクったもん使ったりしてたのよ。

本家を名乗って、意地を見せてもばちは当たらないよ。
鍼灸の先生方はもちろん、他の領域の方々も、日本医学としての東洋医学の価値は、はっきり見つめてほしいね。
今のような、リラクゼーションだの〜療法だの、気持ちの悪い馬鹿な商売に成り下がったのは最近なのね。

この国のお医者さんが、千年近く精錬し、ここ200〜300年は、世界最高の生薬活用学、物理療法学として、病気に対して来た貴重な財産なんですよ。
失くしちゃならんし、もともとうちのもんだったのを、中国や欧米から逆輸入するような羽目には、落ちたくないでしょう。