大好きラブホテル(東京編)

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663奥さん、名無しです
元々鶯谷界隈、(根岸、入谷付近)てなぁ震災にも戦災にも耐えたお江戸からの風情を残した
そりゃぁいい景色の下町で明治、大正の御世にゃ文豪、学者がうろうろしていたってぇ土地柄さあね。
近頃は連れ込み宿なんてぇ下種な店が増えちまって見る影もねぇけどよ。
今も省電のぐるりの内側にゃ昔名残の町並みが残ってらぁな。
やい、若い衆、色事ばかりに精出してねぇでちったぁ昔を偲んでスケとそぞろ歩きでもして見ねぇ、
スケの見る目も変わろうってぇもんだい。
664奥さん、名無しです:2001/05/18(金) 12:53 ID:???
>>663
うん、そりゃぁな、駅前だけ見れば百花繚乱の華やかさ(笑)だが、ウチ側の落
ち着いた雰囲気の場所も良いわな。
因みに駅前のあのエリアってのは、江戸→明治大正→昭和初期と、どんなエリア
だったんだろ?例えば新宿は宿場町の馬子相手の女郎屋が青線になってラブホ街
になったし、湯島は陰間茶屋で名を馳せたところ。じゃあ鶯谷は?ここのその手
の話に関する記述って読んだ覚えがないのよ。ご存知だったら是非。
665奥さん、名無しです:2001/05/18(金) 17:39 ID:???
お、ちったぁ物のわかった玄人さんも居なさんだぁねぇ。嬉しいじゃあないの。
江戸の昔は本郷もかねやすまではえどのうちってぇくれぇで鶯谷界隈は
江戸市中の端っこだったんでぇ。

新吉原が日本堤に越してきてから湯島の茶屋やら深川の岡場所からちょいと上品に
吉原見物としゃれ込んで脚を伸ばす好き物の客が寂しくなった懐をあっためるために
谷中感応寺の富くじに人が集ってたんだが、この素通りしていく客を引きつけてぇっ
てんで入谷の七福神めぐりを流行してあの界隈に欲の皮のつっぱらかった衆を呼んで
富くじ当たるにゃ神頼みってんで不忍池の弁天様から根岸の寿老人まで総動員しようっ
てんだ。面白いじゃァないか。

とはいえ、江戸の頃この界隈で面白いのはここまでで普段は静かな寺町だったてぇ話だねぇ。

明治の頃になると箪笥町ってえくらいで家具屋が10軒ばかりも軒を連ねてたってえ言う話で、
この頃まではマットウな商売の街だったらしぃねぇ。

色町になるのは大正10年を過ぎてからの話で矢野なにがしってぇ商売人が根岸の花柳界を
あれよあれよという間に立ち上げちまったってぇから大したもんだ。
昭和の初めには鶯谷の坂下に料亭が軒を連ね、芸者が人力に乗ってひきも切らさなかった
てぇから相当繁盛していたらしいねぇ。

戦後の世知辛い世の中になるにつれ、伝統も格式も一段下がる根岸の花柳界は落ち目に
なって、芸者も呼べねぇってんじゃ座敷も張れねぇ、部屋だけは有り余ってるってんで、
連れ込み宿に商売替えしていったってぇ話しだねぇ。

講釈が長くなっちまったが、ちったぁ薀蓄あったほうがスケの覚えも目出てぇてぇもんだ。
666664:2001/05/19(土) 06:19 ID:???
おお、これは珍しい話だ。
ココのこういう話って本当に出てこないものだから、マジでありがたい。「蟻が
鯛ならメダカは鯨」なんて返しは勘弁しとくんなせぇよ(笑)

今度女の子と行くときのピロゥトークに使わせて頂きます。
667奥さん、名無しです:2001/05/19(土) 16:54 ID:???
応、兄さんいなせだねぇ。大川で尻を洗ったようだね。
668奥さん、名無しです:2001/05/20(日) 18:19 ID:???
いえいえ、田舎モノでござい。

そういえばオレの地元の話なんだけど、そこは昔からの寺町で、寺町といえば参
拝に託けて遊びにくる客相手の遊郭・色町があるもので、そこも数年前までは丸
い窓のある古い家とかあって風情のある町並みだったんだけど、某国家的な御祭
があった所為でそこは町ごと潰されて下らない道路になっちまった。

文化的な遺産だとか、情緒有る町並みの保存だとかいうお題目なんかクワバラク
ワバラだが、何て言うか「こんな場所なんか潰して道路にしても構わないよね」
的な発想が見え隠れして、実に不愉快。