【煽り禁止】三崎の最後のキック11【マジメに】

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759実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:07:37 ID:jbLqsKOP0
Originally concentrating exclusively upon extensional fragments of
language, and later feeling able to lay aside non-extensional
contexts as special or abnormal (i.e. as contexts in which
expressions do not have their normal semantic value), Frege was
drawn to the identification of the Meaning (semantic value) of a
singular term with what would normally be regarded as that term's
referent. The idea that the semantic power of a singular term
consists in its being associated with an object in the world
as its referent makes evident good sense, once the decision to
lay aside non-extensional contexts for special treatment has been
made, since, given that decision, any two co-referring expressions
can be intersubstituted anywhere salva veritate. However, this
consideration by no means force the identification of a singular
term's semantic value with its referent; and the consequence that
all empty singular terms have no semantic value, and hence no
semantic power, is not one which is obviously acceptable. Frege's
later willingness to ascribe sense to terms with no semantic value
is only dubiously coherent...
(Gareth Evans, The Varieties of Reference, p.8f.)
760実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:13:55 ID:jbLqsKOP0
「なるほど実体は、どの属性からも認識されるのであるが、しかしおのおのの
実体には一つの主なる性質があって、これがその実体の本性および本質を
構成し、他の全ての属性はこれに帰着せしめられるようになっている。 即ち、
長さ幅および深さある延長は、物体的実体の本性を構成し、思惟は思惟実体
の本性を構成する。 というのは、物体に認められる他の一切のものは延長を
前提にし、延長しているものの或る様態であるに過ぎないし、同様に、精神の内
に見出される一切のことは、様々な思惟の様態に過ぎないからである。」
761実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:15:14 ID:jbLqsKOP0
「識別できない二つの個物はありません。 私の友人に才気煥発な一人の貴族がいて、
ヘレンハウゼンの庭の中、選帝侯婦人の御前で私と話をしていたときのことであります
が、そのとき彼は全く同じ二つの葉を見つけられると思っていました。 選帝侯婦人は
そんなことは出来ないとおっしゃいました。 そこで彼は長い間駆けずり回って探したの
ですが無駄でした。 顕微鏡で見られれば二つの水滴とか乳滴も識別され得るでしょう。」
(1716年6月2日クラーク宛第4書簡)
762チョンは世界最低の劣等民族:2008/01/11(金) 02:25:23 ID:CPgJdFmz0
                                 ┌- 、._
                                |    7
                 _,,.. -──- 、.._     |   ./
               ,.‐'"´           `` ‐、|   / /
            /                  ///
      ,,.. -─- 、/                    /      おい、チョン
    ,.‐'´ _                         ゙i、
 ∠ ‐ '"´/                          i     顔面を蹴ってないことも証明され、
     ./                                 |
    ./    ,.イ                        |     4点ポジションでないことも証明され
   .l    //      ,イ ,1    |ヽ     ト、      !
   i   ./  i  ,   /l / l.l !  、 ト、゙i ,ヘへ、l ヽ.ト、|、 /    全ての論争に負けてザマーミロ
   l.  /  .|  /|  /-|←┼‐l、 ヽ ト、!, -─ヽ|─!-l、i /
    ! l   l | ! |、`';:‐-_、._ ヽ、l\l-i'   _,_-='、"~! i"ヽ    
.    ヽ!     ヽ|,/l゙、! l(  (80j` l──|. イ80)  l l.  | )|    ヴァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜カ
          l.(l  l ー-‐'   ,!   l、`゙‐--‐' l  /"ノ    
          ヽ ヽ、._l_   _,.ノ  〈>  ヽ、._   _.l_//   
             ヽ、.__,l  ̄    ______     ̄ /、‐'´ 
               `‐ 、  \ /   , ‐'´‐-ヽ
                _ ./l` ‐ 、. _,. ‐''"!\ 
            _,,.. -‐'ヽ ̄ヽ,-、シ ̄//  |`‐- 、.._
           / i  / /_ 7`‐゙\__.\.  |     i ヽ、
             / l  /   | /||\ / ̄   !   |  !
763実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:25:54 ID:jbLqsKOP0
決定論を否定するために、偶然などを持ち出して批判する事があるけども、このような批判は成立しない。
自由意志とは自己決定権の事であり、自分の意志で結果を決定できるという事である。
自分の意志が及ばない偶然に翻弄されて、結果が決まるとすると、自由意志は否定される。
因果性を否定して、結果が偶然に翻弄されて決まる、とすることを運命論といい、決定論とはいわない。

偶然の介在を認め、偶然性が存在するとすると、「偶然とは自由意志の及ばない要素」という意味であるから、
自由意志は否定されるのである。結果が自由意志とは無関係の要素によって決まるというのだから。
因果性を認める決定論は、不可知と両立し、この限りにおいて相対的に自由意志が認められるのである。

この指摘は数年前に西脇与作の論考で読んだ覚えがあるのだが、参考文献を幾つか挙げていたので、
同様の指摘をしている哲学者は他にもいると思われ、それほど特異な見解でもない。
764実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:27:19 ID:jbLqsKOP0
カントを見れば判るように、純粋哲学と応用哲学(実践哲学)との間で齟齬があってもかまわない。
法哲学などの応用哲学で、刑法上の理由を挙げて自由意志を肯定する意見もあるが、
「法学上の範囲で自由意志の存在が要請される」と規定すればいいだけであり、
純粋哲学上の結論を、応用哲学に持ち込む必要も無く、両者が矛盾していても差し支えない。
従って、法学の要請を持ち出して、純粋哲学を論難しても無効であるし、応用哲学に純哲が翻弄されるいわれも無い。
ましてや、俗流人生論を持ち出して、感情的に反発する行為は言語道断であり、不当な要求は否定される。
決定論を、キリスト教神学の「予定説」と同一視するのも間違いだ。どちらかといえば仏教の縁起論に近い。
決定論を否定すれば縁起も否定され、龍樹も否定されるのである。

そもそも人生論など、哲学の範疇ではないのだ。純粋哲学だけが哲学である。
純哲は事実解明する営為であり、人生などに言及する応用哲学(実践哲学)ではない。
もちろん存在論たる唯物論や機械論、決定論も世俗から離れた存在論的考察であり、
人生や日常生活などに言及するものではないし、援用するのものでもない。
応用哲学たる法哲学や、俗流人生論などを振りかざして感情的反発しても、批判に成らないのである。
765実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:30:03 ID:jbLqsKOP0
「私」を世界と身体から切り離し、さらにその「私」をも「現在の瞬間の」
所与(現象)に解消してしまう。そのときに到達された「私」は、「時間と
空間の中での見方」を突き抜けて、「時間(と空間)の外に」生きる、
つまり「現在性即無時間性即永遠性」に生きる「私」である。
その意味で「死は生における出来事ではない。
人は死を体験しないのである」という表現は、「死は(比喩的な意味で)
『現在のこの瞬間の』生における出来事ではない。人は死を『現在のこの
瞬間において』体験しないのである」と解釈して初めて了解可能なものとなる。
以下の文も、以上を踏まえて理解すべきである。
766実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:31:23 ID:jbLqsKOP0
我々は物理的世界での現在の出来事、過去の出来事、未来の出来事に
ついて語ることはできるが、現在の表象、過去の表象、未来の表象に
ついて語ることはできない。
所与の世界が無時間的であるとすれば、どうしてそれについて語りう
るのだろうか。生の流れ、あるいは世界の流れは、流れ続ける。そして
我々の命題は、いわば瞬間においてのみ検証される。我々の命題は、
現在によってのみ検証されるのである。
767実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:37:42 ID:JctaYoMh0
それでも削除依頼は出さないしageよう
768実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:38:13 ID:JctaYoMh0
おっと
769実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:42:29 ID:7AdTWWONO
>>677

実際に殺しても罪にならないのに、自首…?
770実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:46:44 ID:jbLqsKOP0
「現在の経験のみが実在性(Realitat)を持つという命題は独我論の
最終的帰結を含むと思われる。ある意味ではその通りでもある」
これは「現在の瞬間の経験」即「実在」と見なす「急進的な現象主義」
であると言ってもよい。
一方この「急進的な現象主義」と結びつけて唱えられた「検証原理」の
枠組みにおいて「本来の命題(完全検証命題)」と呼ばれたものは、
『論考』の「要素命題」が発展したものである。
771実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:47:38 ID:jbLqsKOP0
「要素命題」には「P」つまり場所(位置)と、「T」つまり時間という
概念が含まれている。
『論考』では「時間、空間、そして色(有色性)、これが対象の形式である」
という発言がある。「本来の命題」と呼ばれたものは、「無時間的所与」に
よって検証されると言われているのである。
ここでの「P」は「視野内の斑点の色や形の位置」を表示するものなの
であるから、いわば「視覚空間」の内部における場所(位置)としての
「現象的場所(印象空間)」を表わしている概念である。
「本来の命題」においてはかかる意味での「現象的時間」が表現されて
いなければならない。それを敢えて日常言語的表現を用いて表わそうとすれ
ば、「現在のこの瞬間(一瞬)における」とでも表現せざるをえないもの
である。けれども現象の領域には「過去―現在―未来」の日常的時間系列
は元来存在しないのだから、その表現は「文字通りには」無意味である筈
である。仮にその表現に何らかの意味を担わせようとすれば、「比喩的な
表現」としてのみ可能であろう。その辺の事情を彼は『哲学的考察』で次
のように述べている。
772実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 02:51:45 ID:AWT3EYZpO
なんなのコイツ?うざいな
773実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 03:00:55 ID:jbLqsKOP0
『論考』においては「序文」で述べられた課題に従って、「語りうるもの
の限界」を確定するという作業が遂行されたが、それは「言語の本質(論理)」
を解明するという形で企てられた。その結果要請されたのが、先に考察した
「要素命題」と「対象」即「不変の形式」の存在であった。

この作業のもう一つ重要な成果は、要素命題の一般形式(“Es verhalt
sich so und so”)と、命題の一般形式の確立である。
かかる命題の一般形式の確立によって、対象のストックと、諸要素命題が
与えられれば、あらゆる可能な命題が与えられ、それによって
「語りうるものの限界」が確定されうるというのがその言語論の骨子であった。
774実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 03:03:45 ID:K2VtPgOs0
そんな基本的なことをここで書いてどうする。
775実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 03:14:11 ID:jbLqsKOP0
他方『論考』には、表層としての「日常言語」と深層としての「理想言語」
という言語の二重構造説が存在すると述べた。それに関連して重要なことは、
「日常言語」の表層(「見掛けの論理形式」)に囚われた世界の見方は、
『草稿』では「永遠の相のもとでの見方」と対比されて「日常的考察の仕方」
と呼ばれ、それは「時間・空間の中にある対象(=物体)を見る」見方である
とされているという事実である。

このことを考慮するとき、上記の「語りうるもの(思考)の限界」=「要素
命題の一般形式で描出可能なもの」という規定は、実は「日常言語の深層部分
(論理的構文法、現象学的言語)」に関する論点であると見なすべきことになろう。
776実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 03:16:37 ID:jbLqsKOP0
「物自体」というのは、抽象によって実在から切り離された属性であり、
観念的な存在である。「物自体」は存在という属性だけを切り離して、
存在だけを属性として持っているものになる。だから、それは他に何の
属性も持っていないので、人間の側がいろいろと属性を与えないと、
現実の存在にならなくなる。
しかし、これは抽象的にそう「空想」することが出来ると言うだけの
ことであって、現実に「物自体」だけを切り離すことは出来ない。
「物自体」というのは空想の産物なのだ。だから、それが存在しないことは
何も不思議なことではない。実際には現実のものというのは、それが人の
手によって作り出されたり、役に立てられたりする「実践」と関わって、
その実在も証明される。
「実践」が「物自体」という空想を粉砕するのだ。
「植物や動物の中に生じる科学的諸物質も、有機化学がこれらの物質を
次から次にと説明し始めるまでは、かかる『物自体』たるにとどまっていた。
それが有機化学によって説明されるにいたって、この『物自体』は我々に
対する物となった。例えば、あかね草の色素アリザリンのごときがそうである。」
777実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 03:23:53 ID:jbLqsKOP0
物自体という概念も心的主体という概念も、一見対立しているように
見えはするものの、結局のところ共に説明のつかない形而上の原理を
目指していることに代わりはない。
モナドならば、客観的実在としての物自体つまり素粒子という概念を
満たしつつ、同時に心的なものの最小単位としての主体という性質を
持たせることが出来る。
つまりモナドは素粒子であると同時に心的なものの特異点でもある。
そして、それらモナドの複合体がある特定の配置を取ったときに、
主客の分離つまり「私→外界」「外界→私」という見方を可能にする
集光器のような機能が複合体の機能として発生する。ということ。
つまり一つ一つのモナドは最初から心的なものの中心としての主体なの
であるが、それらが「脳」という複合体を形成するとそれぞれのモナド
自体は複合体の単なる一機能に引き下げられてその表象が無意識に埋没
し、代わりに複合体が全体の総意として表象を代表するようになる。
つまり複合体の総意として代表された表象こそが「この私」の感覚、
知覚、意識に他ならないということ。
778実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 03:46:57 ID:JctaYoMh0
顔を蹴ってないのが証明された?
へーいつどこで誰の認定?


ねー教えてクルーさん
779実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 03:50:04 ID:FQ/xgboNO
秋山なんか氏ねばよかったのに
いらないだろ?誰からも必要とされてないんだし
780実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 06:10:44 ID:88rtBccpO
まだやってるw


在日コピペ貼り乙w
781実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 08:49:23 ID:fuYi+E6/0
さぁ
782実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 08:55:56 ID:QpzcVvM1O
紙プロ

三崎
故意ではないが反則なら謝らないと
でも再戦は違うのでは
783実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 09:03:50 ID:ktnG+T4EO
>>782なんかヌルヌル騒動の時の秋山のコメントのパロディーになりつつある悪寒。
784実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 09:10:48 ID:5550o2Wh0
もういい加減いいだろ。
どう頑張っても三崎は反則してねーよ。
秋山の完敗。
785実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 10:00:48 ID:w0pLQ5SvO
>>779
誰からもって…w
少なくともお前よりは多いような気がする
786実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 10:34:42 ID:8KXiXPRCO
カーンが秋山戦の八百暴露されてるね。
真偽は知らんが、名を落としたな。
桜庭は負け惜しみよばわり、三崎も粘着されてるし・・・
ヌル山と関わると本当にロクなことがないなw
787実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 10:44:20 ID:jbLqsKOP0
世界各地の実在論や認識論はいつもモナドロジー的な発想のところで
ピタッと止まってしまうのが分かる。つまりそのつど情報量としては
増加してゆくものの、肝心要の基本的な部分では延々と焼き直しの
繰り返しなのである。
そしてモナドロジー的な発想は同時に人類全体に共通する宗教的発想
の源泉であるアニミズムへと解消されてしまう。そして幼児の認知発
達過程の段階において、子供は人形や身の回りの道具などにも自分と
同じように意識や感情があると思うアニミズム的な時期を一度は必ず
経験する。
モナドロジー的な発想は人類史の幼児段階や個人としての人間の幼児段階、
つまり自我による認識の最初の形態へと必然的に回帰する性質を持っている。
モナドロジー的な発想は後から発生したのではなく実は先ににあった
「人間的認識の共通の源泉」なのだ。
788実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 10:47:37 ID:xXpTIu3v0
昨日は嫌韓厨(実はピット・クルー)怒ったんでびっくりしたよ、こんなこと初めてだからな

678 :チョンは世界最低の劣等民族:2008/01/10(木) 23:42:30 ID:NB4oKa5Y0
                                          
 スレが伸びると報酬もらえる2chのバイトがあるのかよ

人にそんな言いがかりを付けているレスがあるじゃねえか

テメーが泥棒やったら他人を泥棒呼ばわりし

テメーが人殺しやったら他人を人殺し呼ばわり
789実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 10:51:31 ID:tcdn2dJP0
ダナホワイト

あれは何て言うサーカスだ?
クレイジーロシアンが巨人と戯れ、
頭をシュートして観客が大喜びしている。
我々のものとは最早カテゴリーさえ異なる。

790実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 11:05:00 ID:jbLqsKOP0
帰納の正当化
科学に特徴的な方法とは何かを探っていくと、
科学は帰納という推論をよく使っていることがわかります。
仮説を立てるときにも、仮説を検証・確証するときにも帰納を使っています。
科学にとって帰納は信頼できる推論でなくてはならないはずですが、
帰納に対する懐疑論も昔からあります。
広い意味での帰納とは何種類もの推論の総称ですが、
枚挙的帰納法と呼ばれるものは「これまでは全てこうだったのだから
これからもこうだろう」という風に経験から原理を導く推論法です。
しかし、このような「これまでそうだったから、これからもそう」という推論は
論理的には出てこないという事が問題にされてきました。
以下のような問題点が指摘されています。
まず、帰納的推論を論理的に正当化することができないこと。
そして、「科学がこれまで帰納を使って大きな成果を挙げてきたことは
事実なのだから、これからも帰納を使って良い」という風に、帰納を経験的に
正当化することもできない(帰納を使って帰納を正当化しようとしても循環する)ということです。
科学が帰納的推論を使うことの合理性を正当化しようとする試みはあるのですが、
帰納に対する懐疑論は根の深い問題として残されたままで、完全には解決されていません。
791実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 11:06:18 ID:jbLqsKOP0
新しく論理記号を導入する。
「多」:「〜が多い」
「少」:「〜が少ない」
・¬多x=少x,(多いの反対は少ない、あるいは無いである)
・¬少x=多x,(略)
・多x,少x→∃x(多い、少ないは存在するという概念を含む)
・多(∃x)=多x(存在が多い=多いである)
・少(∃x)=少x(略)
帰納法の定義:多x→∀x(多ければ全てにあてはまる)
・¬∀x→¬多x(上の対偶)
・¬多x=少x
・¬∀x=¬多=少x(当てはまるものがわずかしかなければ帰納は反証される)
当てはまる事例の数が多いか少ないかで帰納が成立するかどうかが決まる。
直感的には十分と思われる個数(例:カラス100万羽で黒いかどうかを確かめる)でも
ごり押しでまだ少ないと言えるのでごり押しで帰納が成立していないともいえる。
多寡の基準が決まっていなければ正誤の判定(検証・反証)のしようがない。
またカラスを見つけて黒いかどうかを確かめていくとき、
はじめの一羽を見つけようとする段階では見つかった黒いカラスは0羽である。
カラス0羽は直感的に少ないと思われるので見つけようとする段階では帰納は成立していない。
これは帰納はデフォールトでは命題を偽とみなすことを意味する。
792実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 11:09:11 ID:jbLqsKOP0
反復可能性という力
数字というシニフィアンがもつ力とは同一性と反復によって情報を縮減する力である。数字によって
縮減された外部に関する情報は、高速伝達され、共有しあい、反復され、体系化されることで客観
化された。神話でしか語られなかった外部は、予測可能で、コントロール可能な機械論的内部環境
となる。
これはまさにポパーの反復可能性に対応します。
科学とは反復可能性があるものであるのでなく、反復可能性が科学の力なのです。
それが正しいと限らなくても、高速の反復可能性が近似的に、現
実に近づいてていきます。古典力学が相対性理論、量子力学の近似値であったように。
それでも科学が「ものそのもの」を記述しているとは言えません。カントのいうように人は「ものそのも
の」には到達できず、「客観的」な「現象」を見いだすのみです。ゲーテルの不可能性が示すのはこ
のことでしょう。内部にいる私たちは内部の正しさを内部の論理でのみしか示し得ない。
793実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 11:18:22 ID:jbLqsKOP0
帰納の擁護
人間は日常的に帰納的推論を使っていて、それでだいたいうまくいっているとしても
帰納の正当化はできないことなのでしょうか。
ファイグルという人にならって「正当化(justification)」を
「妥当化(validation)」と「擁護(vindication)」に分けて考えてみましょう。
帰納を、より根本的な原理から導き出して妥当化するということは、
やはりできそうにありません。
「今まで帰納を使ってうまくいってきたのだから、帰納は使っても良い」という風に
帰納を帰納的に擁護するとどうなるでしょう。……循環しています。
「AならばAである」というような、結論がすでに前提に含まれているような推論の場合は
「前提における循環(premise-circularity)」という循環があり、何も論証できていません。
しかし、帰納を使って帰納を擁護しようとする時に見られる循環は
「規則における循環(rule-circularity)」というもので、これを禁止する根拠はありません。
ある推論規則を擁護する時には、その推論規則を使ってはならないと考えると、
演繹も擁護することができなくなります。
帰納の正当化を考えた場合、妥当化はできなくても擁護ならできなくはありません。
794実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 12:05:51 ID:ezChZ9ce0
三崎、故意ではないって?
何それ?
倒れた相手の顔面じゃなかったら何を蹴ろうとしたわけ?

つーか、三崎ってこういう性格のヤツだったのかな。
フィリオに負けて優勝したときも妙なこと言ってたからな。
795実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 12:20:04 ID:AxENeAx60
>>794
膝が上がって立ち上がる瞬間を狙って蹴った。

この事実認定が出来ない奴は話しにならない。
796実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 13:21:10 ID:8KXiXPRCO
>>794
工作員はいちいち白々しいからすぐわかるな
797実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 13:26:15 ID:qD9qV+tfO
ダウンしてからすぐ手足をついた状態は四点ポジションじゃないよ。そんなことを認めたら格闘技自体、
攻め手を減らしてつまらなくなる。何でこれで揉めてるのか俺にはさっぱりわからない。
798実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 13:31:40 ID:ezChZ9ce0
>>795
蹴りに行こうとしたときは明らかに膝もついたグラウンド状態(もちろん4点)じゃん。
何を見てるの?蹴りを出してから蹴りを出す判断をしたってか?w
799実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 13:33:49 ID:ezChZ9ce0
>>797
どこの世界にそんな基準がある?
許されるのはせいぜい蹴りを出す判断をしたときにまだスタンドだって場合くらい。
800実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 13:34:07 ID:4RMYFzFQ0
>>797
別に蹴らなくても、パンチはおろか膝かましてもOKなのに何言ってんだか・・・・
つーか、おまえが勝手にルールつくる理由のが、さっぱり分からない
801AAAZZZ ◆ua1DoAIoHA :2008/01/11(金) 13:39:43 ID:49blCZdfO
>>271で全ての説明がつく。 スタンド状態の人間がグラウンド状態の人間の顔・頭部を蹴ることは禁止されている。

三崎に殴られて>>271の3(グラウンド直後の状態)になった秋山は4(スタンド直後の状態)を目指している最中にスタンド状態の三崎に蹴られた。
つまり秋山は3(グラウンド直後)→グラウンドルールが適用時に
蹴られているので
三崎の反則
802実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 13:41:29 ID:sYqlUjNEO
顔面狙って蹴ったら
・鼻骨骨折
・下顎骨折
・右頬骨骨折
・右眼か底骨折
・右眼球失明
・鼻チューブ流動食・再起不能

803実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 13:46:21 ID:KL4bNuKG0
804AAAZZZ ◆ua1DoAIoHA :2008/01/11(金) 13:49:01 ID:49blCZdfO
余談だが、グラウンド状態への膝蹴りおkなら
>>271で【選手の安全】【公平性】【MMAのクオリティー】が高い水準で保たれる。
805実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 13:49:18 ID:4Qc3UsGw0
ま〜だ反則とか言いがかりつけてる馬鹿がいるのか?

顔面蹴ってないし、
グラウンド状態じゃないし、
4点ポジションじゃないし、
サッカーボールキックじゃないし、

1つも確認出来てないくせに何言ってんだか
806実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 13:51:59 ID:4RMYFzFQ0
秋山側もそろそろ提訴するだろうな
完全にだんまり決め込むつもりか、それともグローブの件みたいに内内で処理してるのか
オレには分からんが
807実況厳禁@名無しの格闘家:2008/01/11(金) 14:01:07 ID:sYqlUjNEO
提訴するかどうか谷川と相談中
あの時のブーイングを考えると禊の為にこれ以上のマイナスは避けたい
損得の天秤状態

808実況厳禁@名無しの格闘家
提訴したとこで勝敗の結果は変わらないんだから、提訴しないに1票。