格ヲタはちょいとしたキモ男  

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8名無しの格闘家
日本でのプは格闘技をモチーフとした演劇ではない。
オール演技の作り物であることが公言されていないプは、客がどう捉えていようと、演劇でなく競技スポーツとして行われているものである。
選手たちが競い合い、その末のルールに沿った勝敗があり、反則も定義されているあの形式は、何も独特なジャンルではなく競技(格闘技)そのものだ。
しかしプは競技の理念に著しく反する。
「勝負事で、真剣に争っているように見せながら、前もって示し合わせたとおりに勝負をつけること」という八百長の概念に、プがそのまま当て嵌まるからだ。
実際には演技であるにも関わらず競技として行われているプは、フィクションではなくフェイクであり、八百長なのである。

八百長に加え、プの演技者は、劇中での優れた競技者のポーズを、劇中以外においても意図的に維持する風習がある。
プからフィクションである前提をなくすことにより、”プ芸人のガチでの強さというありもしない虚構”を、見る側に対し、よりリアルにアピールするためだ。
現実的には子供騙しとは言え、実際に、この虚構を虚構として認識できず、騙された馬鹿が多くいる。
これは「他人をあざむいて錯誤に陥らせる行為」であり、詐欺とも言えよう。
プは八百長であり、そして公言詐欺なのである。
9名無しの格闘家:03/11/28 23:43 ID:u8KOb13T
どうしてプ劇団は八百長などの社会通念に反する行為を未だに続けるのか。
その最もたる”病理”は、固定支持層であるプヲタとの相互依存だろう。
プの詐欺演出に著しく感化され、フィクションに対し現実性を主に期待し、その願望から幻想をそうとしてきちんと割り切れない痛い”狂信者”たち。
その心理はまるで、下手なアダルトビデオの中の非現実的なシチュエーションが、自分の生きる現実世界でも起こり得ると思い込む性的欲求が肥大した精神疾患者のそれのよう。
こういったニーズの現実を深く考慮して、プは「似非格闘技」の興行体系から未だ脱け出せないでいるわけだ。

ちなみに、上での”狂信者”とは、プの中でのプ芸人の動き・痛み・感情等をワンシーンでも”ガチ”だと履き違えているプヲタ(俗にいうガチ信者)だけを指したものではない。
格闘技のイベントでプ芸人が勝利することを期待し、出場を後押しするようなプヲタもそう。
その試合での勝敗が、プ芸人の評価に結び付くようなプヲタもそう。
要するに、”プ芸人のガチでの強さというありもしない虚構”を盲信し、僅かにでもそれを「外界」に求める発想がカルトであり、狂信である。
前述のガチ信者も合わすと、恐らく大多数のプヲタがこの”狂信者”に該当するであろう。
「プロレス@LOVE」、愛とは人をこれほどまでも盲目にさせるものなのだろうか。
それとも天性の才能によるものか。
10名無しの格闘家:03/11/28 23:49 ID:u8KOb13T
盲目プヲタたちが生み落とす「うまみ」が惜しいが故に、公言詐欺によるカムフラージュを未だ女々しくも続けるプ興行という舞台。
芸のみでの説得力では客を満足に魅了しきれない、現状の妥協した芸風に甘んじるサラリーマン気質のプ芸人という表現者。
多くのプヲタたちが、プの魅力を芸の中から見出せず、プ芸人を純粋な演技者としてリスペクトできないのも無理はない。
似非格闘技で八百長のプという表現は、普遍的な美学に反した実に低俗な文化なのだから。
11名無しの格闘家:03/11/28 23:55 ID:u8KOb13T
http://sports3.2ch.net/test/read.cgi/wres/1069035933/l50

こっちも責任もって埋めて来い
はなしはそれからだ