975 :TEAM風 ◆Ht/6HzPXjo :03/02/10 16:24
96年10月、自身が選手生命をも危ぶまれた頚椎椎間板ヘルニアである事を初めて公にした鈴木みのるにとって、
その後に幾度にも行われた「復帰戦」は、
格闘家・鈴木を綴る上で避けては通れない代名詞的事項となっていると言っても大袈裟ではないだろう。
97年5月、UFCの常連であったジョエル・サトゥンを秒殺後、「帰ってきたぜ〜!」のマイクアピールとともに
今も我々の脳裏に色濃く記憶される事となった神戸での最初の復帰戦。
99年12月、最後の掌底ルールに惜別の念を持って臨んだかのように見えた菊田早苗戦。
00年4月、その後にヒクソン戦へと臨む船木誠勝へ贈る壮行歌にも聞こえた、
ショーン・タグディとの5ヶ月振りの復帰戦。
鈴木みのるは様々な苦境に立たされようとも困難を乗り越え、
その都度不死鳥の如く戦いのリングへと舞い戻ってきたのである。
数ある鈴木の「復帰戦」の中で、俺の脳裏に最も色濃く記憶されている「復帰戦」とは
98年1月に行われたセーム・シュルト戦を置いて他ならない。
976 :TEAM風 ◆Ht/6HzPXjo :03/02/10 16:25
当時のシュルトはUFC12でヴァリッジ・イズマイウを一蹴し凱旋してきた高橋義生を完全KOし、
当時KOPに君臨していた近藤有己をも僅差の判定戦へともつれさせていた程の実力の持ち主。
大道塾北斗旗無差別級を連覇し、まさにモンスターへの進化の道程の真っ只中にいる時期でもあった。
鈴木は自身のおよそ四ヶ月振りの復帰戦の相手に、当時では最も危険な相手シュルトを指名したのである。
マッチメイクの編成会議の席上、自らの復帰戦の相手をシュルトと提案する鈴木に、
尾崎社長を始めとする周囲の人々は、その考えを改めさせるよう鈴木に取り入ったそうである。
「復帰戦の相手には危険過ぎる」「シュルトとやるには時期尚早」「もっと楽な相手で様子を見ても…」
鈴木はこれらの妥協案にも決して首を縦に振ることはなかった。
「最も危険な相手である事はわかっている。シュルトの打撃を貰ったら今度こそ俺の腰はダメになってしまうかもしれない。
しかし俺は今度こそ復帰したいんだ。本当の復帰をしたいからこそ楽な相手ではなく、俺はシュルトと戦いたいんだ。」
力説する鈴木を見た船木は、「鈴木のこんな顔を見たのはスミスとやりたいと言っていた以来」と語っていた。
遂に鈴木VSシュルトは雪の降りしきる後楽園ホールにて行われた。
シュルト必殺の打撃が飛び交う制空権を鈴木は巧に詰め、
怪我によるブランクを感じさせない高速タックルによりシュルトからテイクダウンを奪う。
常にポジションをキープし腕関節にも足関節にも伏線を散らす鈴木にシュルトはディフェンスを取るのが精一杯。
「寝かせてしまえば身長差なんて関係ない。寝かせれば2メートルも同じ。」鈴木自らの戦前の言葉とおりの展開となった。
977 :TEAM風 ◆Ht/6HzPXjo :03/02/10 16:25
グラウンドで主導権を握った鈴木は電光石火の早さで伝家の宝刀・腕十字の態勢に入る。
完全に腕を伸ばされタップしかけるシュルトであったが、なんとか身を捩りロープエスケープに成功する。
勝負に「たら・れば」はタブーではあるが、この頃のパンクラスは今だ「エスケープ制」が敷かれていたのであった。
現在のようにエスケープさへなければ鈴木はシュルトから一本を奪っていたというのに…。
しかもこれは後日談と判明した事実なのだが、この日のリングは日頃パンで使用されていたものとは違っていたのである。
前日から降り続いた雪の影響による交通事情等を鑑みて、前日後楽園にて興行のあったアルシオンのリングを
そのまま借用しこの日の興行にて使用していたのである。
このアルシオンのリングは通常パンで使用しているものよりも一回り小さい。
この点の事情からも日頃より小さいリングで試合が行われたという事実が
シュルトのエスケープにも手を貸した結果となったのであった。
あれが通常のパンのリングであったら鈴木はシュルトから一本を奪っていたというのに…。
その後、勝利の女神から見放される格好となった鈴木はカウンターの膝蹴りを貰い逆転のKO負け。
モロに側頭部にシュルト必殺の膝蹴りを被弾しながらも、
尚も笑みを浮かべながらファイティングポーズを取ろうとする鈴木の姿に、俺は鬼神の姿を見た。
この試合を観戦していた船木が一言だけ呟いた。
「今度こそ本当に鈴木は帰ってきましたね。」
鈴木は死ぬまで闘い続けるだろう。
つまりは闘いを止めた時、それが鈴木が死ぬ時でもある。
俺はそんな鈴木に付いていきたい。
お前らも乗り遅れるな。
そんな鈴木の心熱くなるエピソードなのでした。
おしまい。
978 :TEAM風 ◆Ht/6HzPXjo :03/02/10 16:26
>>974 船木は整合性を保ったというより、単に淡白なだけだよ。
過去レスでも説いたが、奴は格闘家ではなく芸術家だ。
鈴木の「追いつかせないもん」には俺も痺れた口だ。
よくぞ思い出させてくれた。
うんうん、今度「追いつかせないもんTシャツ」を作ろうっと。
話を本題に戻すと、若い頃のコメントなんてコロコロ変わる方が健全だよ。
それこそが人間として成長している証拠だ。
経験値の乏しい若い時代に好き勝手言うのは当然だ。
その好き勝手言ってたことに対して整合性を保たせる方が不純極まりないね。
だってそうだろ?今生きているのは「若い時代」の自分ではなく、「今」の自分なのだからな。
そういう意味では鈴木は常に若い世代の「壁」となっているのだよ。
風になれ。