頑張れ応援してます
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/29(日) 13:43:24.40 ID:05Lscg4G
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/29(日) 13:43:54.72 ID:05Lscg4G
今日から中村選手が頑張れ応援してます
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/29(日) 19:29:33.64 ID:cAHVk4sh
屑だわ
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/29(日) 19:38:40.00 ID:w7Qo+7Mp
1回戦負けじゃ話にならん。
しかもチョンなんかに負けやがって。
泣くなよな。次はもっと強くなり金メダルを取れ!
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/29(日) 19:43:50.59 ID:gd0vpstr
美里ははっきりいって持ってないね。
大舞台で輝けない負のオーラが漂ってる
切腹しろ、切腹!
ふざけやがってチョン選手許さないぞ
ふざけやがってアンクメ選手許さないぞ
みつみ美里の方が好きだからいいよ
中村選手敗れたの悔しいな悲しいなショックだよ
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/31(火) 13:01:16.23 ID:6hWvXKdC
48キロ級の福見友子(了徳寺学園職)、52キロ級の中村美里(三井住友海上)が相次いで敗れ、これまで女子柔道はメダルゼロという厳しい状況の中で、57キロ級の松本薫(フォーリーフジャパン)は2人の悔しさを見事に晴らしてくれた。
常に前へ出続ける
常に前に出続けていたことが良かった。休まずに前進し、まず相手と組んでから一息つく。
外国人は相手と組まずに技を掛けるのが得意だが、日本人は逆。外国人にとっては、
日本人に組まれるだけで大きなプレッシャーになる。
外国人と戦うときは恐れずに前に出て、まず組むことが大前提。福見、中村が相手を見過ぎてしまって、
できなかった部分をしっかり実行してくれた。
試合前の顔を見てもすぐ分かるように、松本は野性味あふれる勝負師だ。日本の女性であんなに
闘志あふれる表情を出せる選手は少ない。
どんなにテレビカメラが近づこうが、全く動じない。だから、五輪独特の雰囲気や、女子柔道でメダルが
取れていないという重圧にも負けず、自分の世界に入っていくことができた。凡人にはできない芸当だ。
引くことも覚え、心技体が調和
福見、中村が本来の柔道をできず、見ていて切なくなるような試合に終わってしまったことも、
「五輪はやっぱり勝たなくては意味がない」という思いを強くすることにつながったのだろう。
昔はその熱い気持ちが空回りしすぎて、負けてしまうことも多かった。しかし、今は闘志を保ちながらも、
角が取れて洗練された柔道家になってきた。本能だけで戦っていた選手が、引くことも覚え、心技体が
調和している。
金1号…勝負師・松本が見せた外国人封じ
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO44356740R30C12A7000000/
金メダル獲得オメデトウ御座います松本選手
NHK総合で30日夜に放送され、松本薫選手が女子57キロ級で金メダル、中矢力選手が
男子73キロ級で銀メダルを獲得したロンドン五輪の柔道決勝の平均視聴率(関東地区)が
22・0%だったことが31日、ビデオリサーチ社の調べで分かった。
瞬間最高視聴率は、中矢選手が出場した男子73キロ級準決勝終了時の午後11時28分で、
29・4%だった。
谷亮子参院議員(36)が7月31日、ロンドン五輪女子柔道57キロ級で、今大会初となる金メダルを
獲得した松本薫(24)を「常に攻め続ける姿勢をみせていた」と絶賛した。「柔道家は息が上がっても、
常に凜(りん)とした立ち姿で試合に臨め」。松本は自分と同じ帝京大出身。自分と同じ稲田明・元監督(66)
の指導を受けた松本が、その教えを守ったことがうれしかったという。
「本当に躍動感あふれる試合展開。一瞬たりとも休まず、前に出続ける試合を1回戦から決勝戦まで
見せてくれた。チャンピオンにふさわしい」。谷氏は松本の戦いぶりを絶賛。帝京大の後輩で一緒に練習した
こともある。「当時はジュニアの選手でしたが、研究熱心で、私のところにもいろんな助言を求めにやってきた。
柔道に真摯(しんし)に向き合う選手。いつか世界一になれると思っていた」という。
松本は、畳に上がった時の鋭い目つきが強烈な印象を与えた。ところが谷氏には、眼光の鋭さより、
試合中の振る舞いが目に留まった。柔道家の原点を、松本が最後の一瞬まで体現していたからだ。
それは、かつて自分も師事し、松本も大学時代に指導を受けた稲田氏の「柔道家はきつくても息が上がっても、
絶対にそれを相手に見せてはいけない」という教えだった。
実は、今大会をテレビで見て、肩で息をしたりひざに手をつく選手を多く目にした。「私たちの時代、柔道家は
そんな姿勢をしてはいけないと教えられた」と違和感を覚えたという。松本は「待て」の時も戦う構えを崩さず、
教えを実践した。「私はまだ戦えると相手にぐっと圧力をかける姿勢が、チャンピオンになる条件。松本さんは
教えを守り抜いてくれた」。自分も信じる「柔の道」を受け継ぐ後輩だからこそ、金を射止めたと感じている。
松本の金メダルは、今大会の日本選手で第1号。「特に柔道は、日本選手なら誰もが金を取りたい。
今大会で銀、銅メダルを取った選手も、途中で負けた選手もいるが、インタビューでは必ず、金メダルを
取りたかったと話していた。五輪の金メダルを勝ち取ることは非常に難しいですが、素晴らしいことなんです」。
松本の試合を通じて、「やっぱり金メダルは格別」と実感したという。国会議員になった今、「日本の国力を
世界に発信してもらえた」と、後輩に感謝していた。
亮子議員 後輩松本絶賛「教え守った」
http://london2012.nikkansports.com/judo/news/p-sp-tp0-20120801-993254.html
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/02(木) 19:25:08.04 ID:pWAJfAz4
松本の精神的な強さだけが目立ったオリンピックだった
悲しいよ悲しいよ悲しいよ応援したのに期待を裏切りやがって
アンタ達外国人柔道選手が大怪我を負わせたせいで俺がどれだけ傷ついたと思ってるんだ
棟飛選手にボッシュ選手達許さないぞ謝れ
ロンドン五輪の柔道女子57kg級で金メダルを取った松本薫選手(フォーリーフジャパン)は、石川・岩井塾で
柔道をやっていた時、全国少年少女レスリング選手権へ出場したことのある選手だ。
1995年大会(東京・駒沢体育館)の小学2年生22kg級の部に出場して2位、1996年大会(富山・黒部市総合
センター)の小学校女子3年生24kg級で3位、1997年大会(三重・四日市中央緑地体育館)の小学校女子4年生
27kg級に出場して3位という記録が残っている。
岩井塾は柔道のクラブだが、強化の一環としてレスリングの大会にも参加していた。松本選手が参加していた
当時の全国少年少女連盟の今泉雄策理事長(現会長)は、協会機関誌にて、岩井塾の選手のマナーと礼儀の
よさを絶賛していた。
松本選手と同期の全国チャンピオンには、2009・10年世界チャンピオンの西牧未央(当時吹田市民教室)や、
72kg級で活躍している鈴木博恵(当時宇治教室)らがいる。
柔道金メダリストの松本薫選手は、全国少年少女レスリング選手権の出場経験者
http://www.japan-wrestling.jp/2012/08/01/17421/
宮崎県柔道選手権
後藤雅人(都城泉ヶ丘高校) vs 三井彰(宮崎日大)
井上正志 (都農高校) vs 村松成司(高千穂)
佐藤勇太(宮崎工業)vs 後藤田(門川高校)
延岡市旭町の向陽倶楽部で開かれ、同部を支援 するJSC(柔道サポーターズクラブ)の会員、門川柔道部OBらが多数出席、
各種大会で活躍 した部員を囲んでにぎやかに懇談した。暴力男などから女性を守るための護身術も教えました。
宮崎県柔道選手権
後藤雅人(都城泉ヶ丘高校) vs 三井彰(宮崎日大)
井上正志 (都農高校) vs 村松成司(高千穂)
佐藤勇太(宮崎工業)vs 後藤田(門川高校)
延岡市旭町の向陽倶楽部で開かれ、同部を支援 するJSC(柔道サポーターズクラブ)の会員、門川柔道部OBらが多数出席、
各種大会で活躍 した部員を囲んでにぎやかに懇談した。暴力男などから女性を守るための護身術も教えました。
宮崎県柔道選手権
↑これうざいよクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズクズ。
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宮崎県柔道選手権
後藤雅人(都城泉ヶ丘高校) vs 三井彰(宮崎日大)
井上正志 (都農高校) vs 村松成司(高千穂)
佐藤勇太(宮崎工業)vs 後藤田(門川高校)
延岡市旭町の向陽倶楽部で開かれ、同部を支援 するJSC(柔道サポーターズクラブ)の会員、門川柔道部OBらが多数出席、
各種大会で活躍 した部員を囲んでにぎやかに懇談した。暴力男などから女性を守るための護身術も教えました。
宮崎県柔道選手権
後藤雅人(都城泉ヶ丘高校) vs 三井彰(宮崎日大)
井上正志 (都農高校) vs 村松成司(高千穂)
佐藤勇太(宮崎工業)vs 後藤田(門川高校)
延岡市旭町の向陽倶楽部で開かれ、同部を支援 するJSC(柔道サポーターズクラブ)の会員、門川柔道部OBらが多数出席、
各種大会で活躍 した部員を囲んでにぎやかに懇談した。暴力男などから女性を守るための護身術も教えました。
宮崎県柔道選手権
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日本の“お家芸”である柔道で唯一の金メダルを獲得した女子57キロ級の松本薫選手が、
海外でモテモテのようだ。
試合中の気迫みなぎる表情とは間逆に、プライベートでは“不思議ちゃん”と評される松本選手。
「もののけ姫と呼んで欲しい」とリクエストしたり、大学の道場でクーラーボックスを開けたら緑色の
妖精が顔を出して飛んでいったと語るなど、数々の天然エピソードで知られている。
海外メディアから取材依頼が殺到!
ところが、全柔連の広報特別委員でバルセロナ五輪・52キロ級銀メダリストの溝口紀子氏が『週刊文春』に
明かしたところによると、松本選手の不思議ちゃんキャラは「日本向けのキャラ」なのだという。外国では
インビューの受け答えも非常にしっかりとしており、しつこいような質問にも丁寧に自分の言葉で答えている
のだそうだ。
そんな松本選手、海外のメディアからは「エキゾチックな美人選手」としてとにかく人気が高いとか。
もちろん実力もあるため、連盟には取材依頼が殺到しているという。
ちなみに松本選手の好みのタイプは、俳優の小泉孝太郎。2010年の東京世界選手権で取材を受けた際に
「優勝したらデート」という約束をかわしたそうだが、今のところ実現していないとのことだ。
【ロンドン五輪】 柔道金の松本薫選手、海外でモテモテ! 「エキゾチックな美人」と評判
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0806&f=column_0806_030.shtml
大関琴奨菊(28=佐渡ヶ嶽)が柔道女子57キロ級の松本薫(24)に“弟子入り志願”だ。小学校3年時に
相撲を始めるまで福岡・柳川の柔道クラブに所属した琴奨菊は、今でも柔道の国際大会は欠かさず
チェックするなど角界きっての柔道ファンとしても知られている。
琴奨菊は「松本選手の金メダル? もちろん見てましたよ。あの相手に向かっていく気迫はすごい。
『攻撃は最大の防御』と言うけれど、そのことを身をもって示していた。とても刺激になりました」と
興奮覚めやらぬ様子。さらに「本人から話を聴く? 機会があればぜひ」と直接“野獣イズム”を
吸収することにも興味を示した。
くしくも、琴奨菊の公式テーマ曲の曲名は「気迫」。相手を闘志で圧倒する相撲を理想としている。
柔道も相撲も同じ格闘技で、共通点も多い。悲願の初優勝を目指すうえでも、松本のスタイルは
格好の手本ということのようだ。
琴奨菊が柔道金・松本に弟子入り志願
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/sumou/27542/
ロンドン五輪の柔道のメダリストが15日、東日本大震災の被災地を訪れて被災者らと交流した。
「自慢したい」「かっこいい」。ヒーローやヒロインを前に子どもたちから笑みがこぼれた。
宮城県東松島市の会場には数百人が集まり、ホールに入りきれない状態。女子57キロ級金の松本薫選手(24)は
「(私は)野獣とか言われているが、そう思う人は拍手を」と会場に質問。憧れの選手を聞かれると
「目指しているのはドラゴンボールの孫悟空」と人気漫画の主人公と明かし、笑いを誘った。
子どもたちは、一緒に訪れた男子66キロ級銅の海老沼匡選手(22)と
握手をしたり、2人のメダルに触れて感触を確かめたりしていた。
同県石巻市の小学5年、渡辺花菜さん(10)は柔道を習っている。
「かっこよかった。握手をしたら、手が大きかった」とうれしそうだった。
【柔道】五輪金メダルの松本薫選手「目指しているのはドラゴンボールの孫悟空」…ロンドン五輪の柔道のメダリストが被災地に
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120815/trd12081519540015-n1.htm
ロンドン五輪柔道女子57キロ級で金メダルを獲得した金沢市出身の松本薫選手(24)=フォーリーフジャパン=が
17日、石川県庁を訪れ、谷本正憲知事に優勝を報告した。松本選手は「多くの人が応援してくれたのを力にして、
金メダルを石川県に持ち帰ることができて誇りに思う」とあいさつした。
報告を受けた谷本知事は「県民は大きな感動をもらった」とした上で、松本選手が、五輪の個人競技では
県内出身者で初めて金メダルを獲得したことを踏まえ、「県民栄誉賞を贈呈する準備を進めている」と語った。
柔道金メダルの松本選手に県民栄誉賞贈呈へ=石川県庁を訪問
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012081700605
ロンドン五輪柔道女子57キロ級で金メダルを獲得した松本薫(24)=フォーリーフジャパン=に
米大リーグの前レイズ・松井秀喜外野手(38)以来、史上2人目の石川県民栄誉賞が贈呈されることが17日、
内定した。松本はこの日、出身地の石川県内をあいさつ回り。表敬訪問先の石川県庁で谷本正憲県知事(67)
から同賞を贈る意向を伝えられた。また、地元の金沢市からも新設のスポーツ栄誉賞を受賞することになった。
「ゴジラ以来」の勲章が「野性児」に与えられる。文化人も対象の同賞は過去、巨人時代の2000年に受賞した
松井のみ。他県に比べ圧倒的にハードルが高いとされる栄誉とあって、「賞にふさわしい人間になれるよう、
精進します」と表情を引き締めた。その後は金沢市役所が大好物のフルーツパフェを用意。おいしそうに
ほお張りご満悦だった。
[柔道]金メダリスト・松本、石川県民栄誉賞贈呈が内定…松井秀喜以来2人目
http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/sports/article/news/20120818-OHO1T00146.htm
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/20(月) 23:50:04.73 ID:1j1hgY0/
ロンドン五輪の体操男子個人総合で金メダルに輝いた内村航平(コナミ)らメダリスト4人が20日、銀座での
凱旋パレード後に東京都内で取材に応じた。
レスリング女子55キロ級で3連覇を果たした吉田沙保里(ALSOK)は「すごく気持ち良かった。
たくさんの方に応援していただいたんだなと思って、うれしく思った」と感謝。
道路工事の手を休めて声援を送った人もいたそうで、柔道でただ一人の金メダリスト、女子57キロ級の
松本薫(フォーリーフジャパン)は「工事現場のおじちゃんは仕事しなくていいのかなと思った」と言って笑いを誘った。
【凱旋パレード】柔道女子57キロ級金メダルの松本薫「工事現場のおじちゃんは仕事しなくていいのかな」
http://m.sponichi.co.jp/sports/news/2012/08/20/kiji/K20120820003943240.html
214 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/08/21(火) 01:03:14.44 ID:T1QER3RR
ロンドン五輪柔道女子57キロ級で金メダルを獲得した金沢市出身の松本薫(かおり)選手(24)
(フォーリーフジャパン)が18日、同市内で報道各社のインタビューに応じ、これまでの柔道人生や、
今後の目標などについて語った。
県内でスポーツを頑張っている子どもたちにメッセージがあれば、お願いします。
「楽しんでほしい。幼い頃は、楽しい方が続けられます。子どもだったら、楽しむことが大事」
ご自身は小さい頃から楽しんで柔道していましたか。
「厳しかったので、楽しんではいなかったです。でも、普通の子たちは厳しいと、なかなか続かないと思う。
私はちょっと、人と違うので……」
小さい頃に、骨折しても涙を見せなかったと聞きました。泣かないのは、精神的に強いからですか。
「小さい時の骨折は、泣いたら怒られると思っていたから泣かなかった。『骨折して、すみません』と思っていた。
それだけ、指導は厳しかった。自分のことを精神的に強いとは思っていません。でも、けがをするたびに、
『なぜ、けがをするのか』を考えると、自分に原因があることが分かります。けがは、逆にチャンスだとも
思っているんです」
金メダルをとって、世界の頂点に立ちました。今後の目標は。
「柔道を続けてきて、まだ満足いく内容はない。いずれは、満足してみたいと思っています。理想とするのは、
一本をとる柔道です」
一本をとる柔道を実現するために努力していることとは。
「技を磨くこと。私は、比較的に全ての技をこなせるので、一つひとつ磨いていきたい」
今のような積極的に前に出るスタイルは変えないのですか。
「このスタイルは変わらない。多分、変えようと思っても変えられないと思います」
24歳の女性として、同年代の一般女性をうらやましく思いますか。
「思います。やっぱり、夏休みと正月も全部、練習していたから。してみたかったことはいっぱいある。
大学に入っても、柔道以外の人とはかかわりがなかった。行ったことのないディズニーランドにも
行ってみたいです」
柔道をやめたいと思ったことはありますか。
「もちろん、あります。もう常にです」
それでも、続けられたのはなぜですか。
「負けず嫌いだからですね。あと、中学生の頃に、親に、オリンピックに連れて行くと約束していたので。
7人家族の私の家では、両親はいつも働きづめだった。旅行なんてなかった。連れて行くとしたら、
柔道しかないと思っていた。それで、『オリンピックに連れて行く』と約束をしました」
結婚を考えることはありますか。
「結婚できたら、したいですね。30歳くらいまでには」
どんな人が好みですか。
「草食でも肉食でもないです。雑食です。強い人も弱い人も怖いです。怖くない人がいい。
優しい人がいいです」
理想、一本とる柔道 金・松本選手インタビュー
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ishikawa/news/20120819-OYT8T01000.htm
ロンドン五輪の柔道女子57キロ級金メダリスト、松本薫(フォーリーフジャパン)と、女子サッカー、なでしこジャパンの岩清水梓、
阪口夢穂(ともに日テレ・ベレーザ)、新体操の畠山愛理(大原学園高)が、縁のある東京・多摩市の五輪感謝イベントに出席した。
前日の首相官邸でのパーティーで、なでしこの選手達を次々と投げている場面がテレビで流れていたことを問われた松本は
「売られたケンカは買う方なので」と、ニヤリ。一方、投げられていた阪口は「果敢に攻めていったんですけど、一撃でした。
さすが金メダリストはちゃうなと思いました」と話し、爆笑を誘っていた。
また、“緑の妖精”を見たことがあるという逸話を持つ松本。会場の子供から妖精を見る方法を聞かれると「普通に飛んでくるので、
それをジッと見ていれば、見られます」と、力説していた。
松本薫が“妖精見る方法”を説明
http://www.daily.co.jp/newsflash/olympic/2012/08/21/0005318800.shtml
2日続けて、女子柔道が五輪ならではの落とし穴にはまり込んでしまった。ただし、52キロ級の中村美里
(三井住友海上)は、初の五輪という重圧に押しつぶされた前日の48キロ級・福見友子(了徳寺学園職)とは
違う形だった。
アン、狙っていた奇襲技
初戦の相手、アン・グムエ(北朝鮮)は、開始20秒のあの一発を初めから狙っていたのだろう。1試合戦っている
自分と違い、中村は体が温まっておらず、反応が鈍いはずという計算からだ。
中村はそんなに緊張しているようには見えなかったし、油断もなかったと思う。しかし、試合の入りが
やや不用心だったこともあり、奇襲技を見事に食らってしまった。
その後のアンは下がりながら組み手争いをしているように見せかけるだけ。指導によるポイントを避けながら、
最後まで逃げ切った。まさに“策士”と呼べる相手だった。
先手とるべきだった中村
そもそも、外国人選手は技ありを取ると、もう前に出てこない。日本人のように一本を取りに来ない。
アンがあれだけ出てこないのなら主審の指導がもっと早く出るべきだったと思うし、日本選手にそれを
見習ってほしいとは思わない。
ただ、中村が勝つためには絶対に先手を取る必要があったし、最初の1分は特に慎重にいくべきだった。
これは日本人が外国人選手と戦うときの「鉄則」ともいえる。
アンに見習うべき部分があるとすれば、技への執念だ。日本人は相手とのタイミングを見て技を掛けるからか、
外から見ていて一発の技が軽いと感じることがある。
今大会も相手が腹ばいになって技を防ぐ場面が多い。外国人は思いきりで技を掛けるので、うまくいくときれいに
きまる。ここは日本人選手にない長所だ。
もちろん、この1大会だけに出て優勝するアンの力は恐るべしといえる。金メダルだけを狙っていた中村に
とっては、どこかで勝たなければいけない相手でもあった。北京に続けて同じ相手に負けたのだから、
「壁を越えられなかった」といわれても仕方がない。
1度でも手合わせする機会があったら…
しかし、この舞台での金メダルだけを目指して取り組んできた中村の4年間を見てきただけに、やりきれない
思いもある。
これだけ完全に相手の思惑通りにやられたのは、アンが国際舞台にあまり出ていない選手だったことが
大きいからだ。中村は国際大会に出て勝ち続けることで、研究もされ尽くした。一方のアンはランキングは
低いのに、アジア大陸枠で出場が可能となった。
もし、この4年間で中村とアンが手合わせする機会がもっとあったなら……と思わずにはいられない。国の事情で
アンが国際試合に出にくいのは分かるが、こういう形での金メダルが許されるのなら、現在の国際柔道連盟の
ランキング制度が本当にフェアなのかと思ってしまう。
男子は精いっぱいの戦い
男子は精いっぱいの戦いを見せている。100%の力を出して銀メダルを取った60キロ級の平岡拓晃
(了徳寺学園職)に加え、66キロ級の海老沼匡(パーク24)も精根尽き果てる柔道で銅メダルを確保した。
海老沼は恐らく、翌日の朝はぴくりとも体が動かないほどの疲労度だろう。
逆に、女子はこれまでの強化を考えさせられる2日間になった。ランキング制の導入、世界選手権の
代表2人制……。北京五輪後、大きく変わった柔道界にうまく対応していたように見えたが、実はそうでは
なかったということだ。
五輪ではランキングだけで測れない彼我の力の差や選手の人間性なども表れる。陸上や水泳でも「今季何番目
のタイム」というのが五輪になるとあまり意味をなさないが、柔道は相手との相性もある。事前の計算はさらに
無意味なものになってしまう。
強化策について検証する必要
代表2人制による弊害としては、ある日本の代表が倒したことがない選手でも、もう一方の代表が国際大会で
勝ったことがあると、自分より力が下だと思ってしまうことが挙げられる。
このあたりを中心に、日本の強化策について今後、大きく検証する必要があるだろう。しかし、まだ今大会の
戦いは始まったばかり。試合序盤の入り方や、ランキングが下の選手への戦い方など、今からでも修正できる
部分はまず手をつけた方がいい。
57キロ級の松本薫(フォーリーフジャパン)には金メダルを期待したかったが、女子は48キロ級と52キロ級、
どちらのメダルを逃すのも史上初めてという厳しい状況。松本にはまず、どんなに悪くてもメダルに
絡んでもらいたい。
中村も敗退…女子柔道がはまった落とし穴
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO44312040Q2A730C1000000/
日本柔道の命綱は、近すぎず遠すぎずの適度な間合い。中村美里がこの4年間、組み手に執心したのは、
得意技を生かすも殺すも手さばきひとつで決まるからだ。
しかし、北朝鮮から送られたアン・グムエは手順を踏まず、勢い任せの接近戦を挑んできた。これに中村が
面食らう。「距離を詰められて、回されたという感じ」。開始17秒。差し手に脇をこじ空けられ、危険を察知した
ときには体が裏返っていた。早々の技ありに金メダルが遠のく。
好機はその1分後、左足をはね上げ、大内刈りで取った有効だけ。持てば強いのは中村だが、持たせてくれない。
心の内を見透かすように防御と掛け逃げでしのがれ、4年に1度の舞台がタイムアップを迎えた。
アンは年来の宿敵。初陣と勇んだ北京五輪の準決勝で力負けし、銅メダルに涙した。「北京の悔しさがあったから、
ここまで来た」と4年間の“燃料”になった相手でもある。ロンドンまでの過程は2戦して2勝。「この4年で技も
増えた。組み手も鍛えた」と立ち場を入れ替えての雪辱戦が、こうもあえなく終わるとは。
48キロ級の福見に続く“鉄板”の階級を落とし、園田隆二監督は「ちょっとしたミス。それが致命傷になっている」と
首をひねる。前夜、他の選手にメールでこう伝えている。「失敗することもあるが、勝負に出なきゃ勝てないんだ」。
だが、女子代表の中で唯一、五輪の怖さを知る中村でさえ、勝負どころを作りきれずにこの夏を終えた。
それが五輪の怖さなのかもしれない。
中村美里、接近戦に散る
http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120730/jdo12073005190005-n1.htm 中村美里の話「北京の借りを返すいいチャンスと思っていたが、組み手(封じ)を徹底された。
まだまだ強さが足りないということだと思う。すごく悔しいけど、試合は楽しめた」
「まだまだ強さが足りない」 雪辱戦で敗れた中村
http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120729/jdo12072920250016-n1.htm 「まさか」は2日続けて起こった。女子52キロ級の中村が初戦となる2回戦で、アン・グムエに惜敗。時折、
声を震わせながら、必死に涙をこらえた中村は「凄く悔しいけど、試合は楽しめました」と強がってみせるのが
精いっぱい。48キロ級の福見に続き、日本の鉄板階級と言われた52キロ級でも、メダルなしに終わった。
最大の難所となることは分かっていた。「アップもしっかりやったし、調子も良かった」。だが、試合開始から
10秒すぎ。アン・グムエの谷落としで、技ありを奪われる。大内刈りで一度は追い付いたが、有効に訂正され、
2度の相手指導を引き出したところで、ブザー。北京五輪で敗れたあと、2連勝してきた相手だが「過去2試合より、
持たせてくれない、組み手を徹底されたな、という感じでした」と振り返った。
初出場した北京五輪で、平成生まれ初のメダリストになった。だが、銅の輝きは、天才少女の名をほしいままにした
19歳を満足させることはできなかった。「自分の柔道が何も出せないまま終わった」。畳の上で笑うためだけに、
自分を磨いた4年間。だが、今回も笑うことはできなかった。
世界選手権を2度制覇して臨んだロンドンでの黒星。「今は4年後は考えられない。これから整理して考えたい」と
ショックを隠しきれなかった23歳。園田隆二監督は「これ以上ない実績を積んできたのに、もっと強くなれ、と
言われているのかもしれない」と、さらなる成長を促すように話していた。
女子の園田隆二監督 誤算というか大誤算。順調にいけば2日間で(金メダルが)2つ、最低でも1つと思っていた。
ここでメダルがないのはかなり厳しい。美里は最初に投げられたのが本当に不用意だった。
中村美里まさかの初戦敗退 福見に続き女子まだメダルなし
http://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2012/07/30/kiji/K20120730003790991.html
赤とオレンジの畳にすみ着く魔物に、52キロ級の大本命、中村美里までも餌食となった。まさかの初戦敗退で、
敗者復活戦にも回れなかった。瞳に涙を浮かべ、引き揚げてきた中村は「まだ強さが足りないということだと思う」と、
唇をかんだ。
北京五輪準決勝で敗れたアンとの因縁の初戦。開始20秒、序盤の一瞬のスキを突かれた。相手の小外刈りから
の流れの中で、裏投げを食らい、技ありを奪われた。
「早い段階だったので、焦ってはいなかった」。しかし、流れは傾かない。1分20秒過ぎに大内刈りを浴びせ、
一度は技ありの判定だったが、訂正されて有効に。その後も必死の攻勢で相手に指導2つを与えたが、
あと一歩及ばなかった。直近では2戦2勝だった宿敵に五輪の舞台で再び敗戦。悔いだけが残った。
表彰台の頂上で笑うつもりだった。北京五輪で銅メダル。平成生まれ初のメダルを獲得した。胸を張っても
いい結果でも、中村に笑顔はなかった。「金メダル以外に価値はないです」。ロンドンにも大好きなお笑い
コンビ“COWCOW”のDVDを持ち込むなど、笑うことが大好きな23歳は、あの日から試合に勝っても
笑うことを封じた。
その後、09、10年と世界選手権を連覇しても、笑わなかった。「次に笑うのは五輪で金メダルをとったとき」。
しかし、その誓いがかなうことはなかった。
前日、48キロ級の福見に続き、金メダルを確実視された2人が、まさかのメダルなしに終わった。4年後に
ついて問われた中村は「今はまだ…。これから整理して考えたい」。自戒するように話す姿が、敗戦の重さを
際立たせた。
中村美里、大本命まさか…初戦で散る
http://daily.co.jp/olympic/2012/07/30/0005252765.shtml 金メダル候補で北京五輪銅メダルの中村美里(23=三井住友海上)が、初戦で北京五輪準決勝で敗れた
アン・グムエ(北朝鮮)に技ありを奪われ、敗れた。敗者復活戦にも回れず、メダルを失った。「まだ強さが
足りないということだと思います」。北京の借りを返すことはできず、涙声で言葉をしぼり出した。
事実上の決勝戦ともいえる強敵だった。組み合わせが決まったとき「最初はびっくりしたけど、北京での借りを
返せるすごい良いチャンス。うれしいと思った」。北京で負けて以降、10年アジア大会、11年世界選手権と
2連勝した。苦手意識はなかったが、過去2回と違って「(組み手を)持たせてくれなかった」。
相手は初戦を勝ち抜いてきた。一方の中村は初戦。開始早々、まだ試合に入れていないスキを狙われ、
回されて技ありを奪われた。大内刈り有効を奪い返すなど懸命に攻め返したが、あと少し、届かなかった。
北京の借りをロンドンで−。強い思いで上がった畳で、跳ね返された。「すごい悔しいですけど…試合は
楽しめました」。精いっぱいの強がりだった。今後については「今はまだ…。これから整理して考えたい」と話した。
中村美里、初戦●「強さ足りない」/柔道
http://london2012.nikkansports.com/judo/news/f-sp-tp0-20120729-991589.html
「北京の借りを返すと言っていたのに」。観客席から声援を送っていた中村美里選手(23)の両親は、
信じがたい娘の初戦敗退に肩を落とした。
2008年の北京五輪。「平成生まれ初のメダリスト」は表彰台に立っても笑顔をみせなかった。メダルの色は銅。
「金メダル以外は同じ」と悔しさをあらわに、中村選手は今回、柔道女子代表7人のうち唯一の連続出場で
雪辱を期していた。
試合後の笑顔を“封印”したのは03年、中学2年の時に全国中学校大会で優勝した帰り道。父親の一夫さん(49)が
「おまえ、五輪に出るんだろ。ここでへらへらしてんじゃないぞ」とくぎを刺すと、中村選手は「分かった」と一言。
道場に凱旋し祝福を受けても、表情を引き締めたという。
一夫さんは「満足したら先はない。自分も喜怒哀楽を見せないようにしている」と説明。その言葉を裏付けるように、
中村選手の目標もいつしか「五輪出場」から「金メダル」へと進んでいた。
「自分では感じていないけどプレッシャーがあったかもしれない」などと北京五輪後に漏らした中村選手。
帰国直後からストイックに練習に打ち込み続けた姿に、渋谷教育学園渋谷高柔道部で指導した古矢彰浩監督(42)は
「前回は何となく出た五輪だったが、今回は意気込みが違う」と手応えを感じていた。
試合直前まで仲間内でにこやかに話すのがリラックス方法で、いったん柔道を離れると、お菓子作りが趣味という
一面も持つ中村選手。今年6月には、東京都八王子市で開かれた地元壮行会で、自ら「北京の悔しさをロンドンで
晴らしたい」と宣言した。
一夫さんは「勝ち続けることが最良ではない。負けた悔しさから前へ進む力強さも出る。結果は後からついてくるものだ」
と北京での娘の善戦をねぎらった。
銅メダルに終わった北京の悔しさを抱え続けた4年間だった。ところが、ロンドンでは雪辱をはらすどころか1勝すら
できなかった。盤石とみられていた48キロ級の福見友子選手に続いて「ダブル金」で弾みを付けるはずの
柔道女子・軽量級だった。ところが、ともに表彰台を逃して序盤からつまずいてしまった。
負けた相手は北京の準決勝で敗れた北朝鮮のアン・グムエ選手。宿敵に再び屈し、「すごく悔しい。まだ強さが
足りないということだと思います」と声を落とした。4年越しの夢は5分で打ち砕かれた。
中村美里、4年越しの夢はわずか5分
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFV01006_X00C12A8000000/ 悔しかった北京の思いを吹っ切るように、当時より髪を短くして臨んだ。柔道女子52キロ級の中村美里(23)は
4年前、「金メダル以外は同じ」と言い放ち、笑顔を封印、「笑わない女王」「負けず嫌い」と評された。ロンドンでの
初戦の相手は北京で敗れた北朝鮮のアン・グムエ(32)。雪辱を期したが、敗退、メダルを逃した。
中村が保育園に通っていたころ。父、一夫さん(49)はテレビゲームでも相撲でも一切手を抜かず、はねつけた。
「小学校に入ると周囲に負けることがある。負けたら悔しいという純粋な思いを鍛えたかった」
そんな父が、初めて負けた。小学6年の親子柔道教室での寝技対決。中村の押さえ込みから、一夫さんは
逃れられなかった。「2人だけ必死。まわりが『なんだあの親子』って、笑ってました」と、母の美智代さん(46)は
懐かしむ。
柔道に明け暮れ、疲れ果てて眠る中村。その耳がはれていると、父はそっと氷で冷やした。柔道着に芳香剤を
かけて、洗剤にも気を使った。「やっぱり女の子だから」と、娘を思う父は笑う。
北京からの4年間、実家で過ごしたのは10時間にも満たない中村だが、2カ月に1回ほど、東京都八王子市で
美容院を経営する丹下洋介さん(44)の店を訪れる。渡英直前の今月14日、来店した中村に「とにかく短くして
ください」と頼まれた。気合を感じたという。
相手に、指導があと1回でも入れば、勝敗の行方は逆になるぐらい勝負はもつれた。大きな歓声がこだまする中、
一夫さんは観客席から娘の「負けん気」を見守り続けた。及ばなかったが、娘が最後まで攻め続けたことを誇りに
思っている。
髪短くし臨んだ雪辱戦「負けん気」及ばず 中村美里
http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120730/jdo12073010250012-n1.htm
柔道女子57キロ級で全競技を通じて日本人金メダル1号となった松本薫(フォーリーフジャパン)と
柔道男子73キロ級で銀メダルを獲得した中矢力(ALSOK)が31日にロンドン市内で記者会見を行った。
以下は、松本・中矢のコメント。
松本「選手村にないビックパフェが食べたい」
松本:今は、ホッとした気持ちでいっぱいです。
ご家族とは話しましたか。
松本:まだしゃべっていないです
電話もまだですか。
松本:はい。してないです。
1番食べたいものは何ですか。
松本:ビッグパフェが食べたいのですが、選手村にはないのでまだ食べてないです。
中矢「調子がよかった寝技でピンチになって負けたのは反省点」
中矢:試合が終わった後は、すごく悔しい気持ちでいっぱいだったのですが、一夜明けて、銀メダルでも
メダルを獲得できたのは素晴らしいことだと思って、今は銀メダルになったことを受け止めるしかないと思っています。
(家族とは)あまり話す時間もなかったので、またゆっくり時間が空いたときに話せればいいなと思います。
お2人に質問です。30日の調子と試合を振り返っての感想を教えてください。
松本:昨日の調子は良くもなく悪くもなく、平常心で戦えました。良かった点は体力が最後まであったので、
戦い切ることができたことです。悪かった点は日本の柔道である“一本を取る柔道”が自分はできていなかったことです。
中矢:1回戦から自分が得意な寝技で勝つことができて、すごく調子が良かったです。ただ、決勝戦で少し
気が抜けたのか、得意の寝技で逆にピンチになってしまって、相手にペースを握られて負けてしまったのは
すごく反省する部分だと思います。
お2人に。メダルを首から下げた重みをどのように感じていますか。
松本:すごい重みを感じます。ずっとオリンピックで金メダルを取ることだけを目標にしてやってきたので、
今、それをこうやって首に掛けているのは自分でも誇らしいと思います。
中矢:目標としていた色とは違うのですが、メダルが取れたことはうれしいことですし、このメダルで終わるわけ
にはいかないので、次の目標に向かって頑張っていきたいと思います。
松本「まだ内容に納得していないので引退はありません」
4年後にはリオデジャネイロ五輪が。そして、その次には東京が招致活動をしていますが、8年後もチャレンジして
みたいとお考えですか。
松本:正直に言って(2020年には)肉体的にも限界がきていると思うので、次の世代に託そうと思います。
中矢:まずは今回の借りを返すために、リオに出場するための権利を得て、リオでリベンジを目指したいと思います。
東京は自分の体力が続く限り、チャレンジしていきたいと思います。
松本選手に質問です。試合前に柔道が金メダルを取れていなかったことへのプレッシャーはありましたか。
今回のオリンピックで引退なさるのですか?
松本:自分が(金メダルを)取らなきゃと思うことはありました。だけど、福見(友子=了徳寺学園職)選手と
中村(美里=三井住友海上)選手が負けたときに、二人とも悔しい気持ちでいっぱいのはずなのに、自分に
すぐに駆け寄ってくれて、「がんばれ」とか「金メダル1号は松本さんだね」と言ってくれました。このおかげで、
変な重圧が吹っ切れて自由に戦えました。
引退の話ですが、まだまだ柔道の内容に納得していないので、引退はありません。
メダル獲得の実感はいつ感じられましたか。また30日の夜はどんなお気持ちで過ごしましたか。
中矢:表彰式でメダルをもらった時は、この色でいいのかなというのがあって、すごく悔しくて、30日の夜は悔しい
気持ちでいっぱいでしたが、日が明けてからは「自分の実力はまだ銀メダルまでしか届いていない」ということが
実感できたので、くよくよしても仕方ないし、次の目標を立てて、次につなげないといけないなと思いました。
松本:30日の夜は、そのままバタバタしたまま寝ました。(金メダルの実感は)判定が下された瞬間に、
そのためにやってきたので勝手に涙がこみ上げてくるぐらい実感はありました。
メダルはどういうふうに保管されていましたか
松本:バタバタして寝たので、なにかの袋に入った状態でした。
中矢:自分も普通に机の上において、とられる心配もないので寝ました。
中矢「銀メダルは自分にも家族にも大切なものになる」
ご自分にとって、あるいはご家族にとってのメダルの重みというのはどういうものでしょうか。
中矢:金メダルじゃなかったけど、メダルの重みは十分に感じています。家族も金メダルが欲しくてここまで
一緒に戦ってきたのですが、銀メダルを持って帰ることができたので「最後まで一生懸命がんばった」と
ほめてくれました。自分にも家族にも大切なものになると思います。
松本:私が24年、生きてきた中のすべてです。それがメダルに詰まっています。
そのメダルは日本にとって、どういう意味があったと感じていますか。
松本:私にはまだ分からないのですが、まだまだ日本選手が登場するので、これをきっかけに、いい流れに
なればと思います。
中矢:日本代表としてメダルを獲得できたのはすごく誇りに思います。
中矢選手に質問です。試合後、ご家族と話したことを教えてください。
中矢:少しだけ電話する時間があって「金を取れなくてごめんね」と伝えて、母からは「最後まで一生懸命戦った
ので、銀でもよかった。この借りは今度返せばいい」と言われて、落ち込んでいましたが立ち直ることができました。
松本「納得していないので引退はしません」=柔道メダリスト、一夜明け会見 - スポーツナビ
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/special/london/judo/text/201207310013-spnavi.html
ロンドンオリンピック48kg級代表になった了徳寺学園の福見友子は
2008年の北京オリンピック以降、出場した20の国際大会のうち2010年
の広州アジア大会で地元の選手に疑惑の判定負けを喫した以外
(2010年アジア競技大会#問題の項を参照のこと)外国選手には一度も負けた
ことがなく、対外国選手の戦績は72勝1敗を記録していた。福見と最後まで
代表の座を争っていた浅見八瑠奈もまた北京オリンピック以降、出場した
19の国際大会のうち2010年のグランドスラム・モスクワで地元の選手に敗れた
以外は一度も外国選手に負けたことがなく、対外国選手の戦績は72勝1敗を
記録していた。さらに、48kg級という階級は北京オリンピック以降、2009年の
世界選手権では福見が優勝、2010年と2011年の世界選手権は浅見が優勝、福見が2位、
ワールドマスターズでは2010年は日本選手が1位から3位まで表彰台を独占、2011年と
2012年も1位2位を独占、グランドスラム大会は2009年に始まって以来出場した13大会
のうち、12大会で日本選手が優勝(残り1大会も決勝で1−2の微妙な判定で敗れて2位)と、
IJFの主要国際大会をほぼ完全に制覇している状況にあった。52kg級は48kg級ほど
圧倒的ではないにしても、ロンドンオリンピック52kg級代表となった三井住友海上の
中村美里は2009年と2011年の世界選手権で優勝、2010年は2位、2009年から2011年に
かけて外国選手に43連勝を記録していた。中村と最後まで代表の座を争っていた了徳寺学園
の西田優香も2010年の世界選手権で優勝、2011年は2位、2010年から2011年にかけて外国選手
に36連勝を記録していた。さらに、ワールドマスターズで中村は2010年と2011年が優勝、
2012年は2位、西田は2011年が2位、2012年は優勝、グランドスラム大会でも中村と西田が
出場した12大会のうち9大会で優勝を飾っていた。
2012年12月30日にBSジャパンで放映された「激論!よみがえれ日本柔道〜今こそ 強い、日本になる。〜」
という番組内で、北京オリンピックではメダルを1つも獲得できなかったロシアチームにロンドンオリンピックでは
金メダル3個を含む5個のメダルをもたらしたイタリア出身の監督であるエツィオ・ガンバが、ロンドンオリンピック
における日本チームの結果について尋ねられると、「男子が金メダルを獲得できなかったのは妥当な結果である」
と述べる一方で、女子に関しては「あれほど強いチームが金メダルを1つしか獲得できなかったのは信じられない、
何か大きなミスがあったとしか考えられないものの、この不可解な結果は説明が付かない」と述べた。
笹谷です。
先日の研修会で講師の川口先生が『かけ逃げ』に対する見解を具体例を挙げてお話しておりました。
具体例とは女子52kg級の中村美里選手(三井住友海上)と西田優香選手(了得寺学園)が対戦した
嘉納杯とフランス国際の試合のことです。
昨年の嘉納杯の決勝戦。
かけ逃げまがいな西田選手の背負投の連発が『かけ数』と認められ、
かけ逃げられた中村選手は負けてしまいました。
今年のフランス国際。
かけ逃げまがいな西田選手の背負投の連発が『かけ逃げ』と認められ、
かけ逃げられた中村選手は指導2で優勢勝ち。
川口先生いわく…
嘉納杯の西田選手の攻めかたは明らかに罰則を適用しなければいけない『かけ逃げ』だった。
しかしその試合の審判員が日本で開催された日本人同士の決勝戦であるということで
「大目」に見てしまったのでは?
その結果西田選手は優勝。
それに気をよくした西田選手は同じ攻め方をフランス国際で中村選手に試みます。
しかし公平?な目で見た審判員は容赦なく西田選手に「指導」を与えます。
西田選手はフランス国際で入賞することすらできませんでした。
もし嘉納杯の決勝戦で西田選手が「かけ逃げ」を与えられていたならフランス国際では
戦いかたを工夫していたかもしれません。
情けは人のためならず…
「かけ数ではなく技の質を見てください」
「質の高い技をかけた数を数えてください」
「攻めなかったら早めの「指導」(消極的な)を与えてください」
「故意だろうが故意でなかろうが「かけ逃げ」は厳しく罰してください」
と、西田−中村戦を引き合いに出して川口先生が受講者へ語りかけていました。
僕は競技者として「かけ逃げ」には寛容的に見て審判を務めていたのでその辺の
ブレはなくなりました。
同時に消極柔道にも審判員が早めの「指導」を与えて【試合を動かすよう促す】ことを
推奨されていました。
どのステージの試合においても積極的に各々の『技』を展開する試合を作る義務が
審判員にあることを、
今回の研修会であらためて自覚いたしました(・∀・)
情けは人のためならず - 札幌大学柔道部
http://blogs.yahoo.co.jp/goldentigar_v3/24547654.html
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/22(火) 01:44:05.14 ID:T+l5exWw
俺が嫌いなのは松本ではなく必要以上に熱狂するファンなのだ
結局奴らは学校や仕事先でがんばれてなかったり、勝ててなかったりする奴らの
集まりで、それをひいきの松本に託し、松本が頑張れば自分も頑張った気になるし、
それで成功すれば自分も成功したような気になるのだ
俺の様に毎日2chで戦ってる人間なら人を応援する余裕なんてある訳がない
金メダリストの歓喜と感涙。予選敗退した選手の屈辱と無念。
北京オリンピックの試合直後のインタビューで、
私たちは、沢山の勝者と敗者の涙を目撃しました。
そんな中、柔道女子52キロ級の3位決定戦で、
韓国の(金京玉=キム・ギョンオク)選手を合わせ技で破り、
初めての平成生まれのメダリストになった(中村美里)選手。19歳。
そのインタビューは、あまりにも印象的でした。
まるで敗れた選手のようにボソボソと低く暗い声。
「くやしいです・・・」「・・・金以外は、同じです」
けれども、そこから伝わってくる彼女の一途な想いを汲み取り、
胸を熱くした方も少なくなかったでしょう。
(中村美里)選手は今年の春、渋谷教育渋谷高校を卒業したばかり。
高校1年生で、すでに講道館杯と福岡国際女子柔道選手権で優勝。
昨年暮れの講道館杯、加納杯、今年春の全日本選抜などでも優勝。
けれども、喜びの涙を一度も見せることはありませんでした。
「自分の中の本当の目的を果たすまで、美里は泣かないでしょう」
こう語るのは、中村美里選手を小学校時代から中学にかけて育てた
相模原市の「相武館=そうぶかん 吉田道場」の吉田勝 師範、31歳。
吉田道場はこの夏も、石川県で行われた中学生の全国大会で、
女子の団体戦と男女個人戦の3階級で優勝をおさめた名門です。
格闘技のK1に憧れて、小学校3年生から高尾の警察で柔道を始めた
中村選手が、吉田道場の4人部屋の寮に入ったのは、中学に入った時。
朝、6時半からの練習。朝食を済ませ、吉田師範のお母さんが作った
お弁当を持って学校へ。帰ってくると5時から8時まで、また練習。
その頃の中村選手の体重は30キロ台。
中学女子の最軽量である44ロ級の試合にも出られない体でした。
何せ、ご飯を食べられない。食堂にいつも最後まで残っている。
見るに見かねた吉田師範は言いました。
「飯を食べない選手は、強くなれないんだぞ!」
次の日から、中村選手は箸を握りしめ、目にいっぱい涙をためて、
ご飯をほおばっていたといいます。
吉田道場の子どもたちの目標は、ただ一つ「全国制覇」でした!
ですから、中学2年ころからメキメキと力をつけた中村選手は、
県大会で初優勝したときも関東大会で初優勝したときも、
顔色ひとつ変えず、ケロリとしていました。
そして、中学2年生の夏に全国制覇、3年では団体戦で全国制覇。
そのときに初めて、中村美里選手は、泣き崩れたといいます。
試合直後の控え室で、吉田師範は言いました。
「美里・・・お前は精神的にも技術的にも、世界を狙える器だと思う」
この瞬間から、彼女の胸の中には「オリンピックで金メダル」という
新しい目標が生まれたのです。だから・・・何があっても泣かない!
中村選手の得意技は「小外刈り」と言われていますが、吉田師範は、
彼女の得意技は「どんな相手と向き合っても動じないこと」と言います。
そして、強さの次に求めるもの、柔道とは何かを考えること、
それが、これからの彼女にとって大切なことと語ります。
『感謝の気持ちを行動で示せる人間 感謝の気持ちを素直に言える人間
強さだけを求めるのではなく、人から慕われる選手・社会人になって
ほしい。それがロンドンの金メダルへの近道だと、私は思っています』
吉田師範があの日、ブログで中村美里選手に贈っている言葉です。
上柳昌彦のお早うGood Day!「金以外は同じです」と悔し涙のメダリスト 女子柔道52キロ級の銅メダリスト中村美里選手
http://www.1242.com/goodday/?id=3&YMD=2008-08-28
今大会で私が感心したのは、66kg級で日本の森下純平選手と決勝戦を戦って敗れたブラジルのL.クーニャ選手の試合態度です。
試合を始めると、道着が乱れます。すぐに帯からはみ出してだらりと垂れます。これは仕方のないことですが、選手によって
対応が異なります。クーニャ選手は、「待て」で離れて位置を正す際に、必ず道着をあらためていました。これは試合に臨んでの
あるべき姿勢です。
下図の白い道着がクーニャ選手です。青い日本人は、乱れた道着を決して直しません。
道着が帯に収まっていると、技を効かせやすくなります。効果は僅かな違いでしょうが、その小さな差が勝負の明暗を分けたりします。
下図でも、クーニャ選手が掴んだ襟は、森下選手の身体から離れてしまっています。こんなのフェアじゃないですね。
相撲でも、回しを緩く締めて吊りや投げを効かせ難くする輩がいます。後で審判部から注意を受けたところで、勝星に変わりは
ないでしょうからやり得です。
クーニャ選手の振る舞いに比べ、森下選手は卑怯でした。相手が道着をきちんと直すのを知りながら、自分は垂らしたままで
再開していました。私は見ていて恥ずかしかったです。こんな選手が勝っても嬉しくありません。
さて、女子52Kg級でも、同様に対照的な試合態度を見せられました。優勝した西田優香選手と敗れた中村美里選手の対戦です。
私はこの試合を見ながら、敗れても中村選手こそが女王だと思いました。中村選手は指導を取られて不利になりながらも、道着を
常に正しく直し、試合に臨んでいました。対する西田選手は上の森下選手と同じで、乱れた道着で戦い続けました。
下図を見ると、両者の道着の違いが分かるでしょう。
判定“白”の瞬間です。おいおい、西田さんよ、まずは礼だろう。
試合の礼もせずにガッツポーズ連発です。韓国の選手じゃあるまいし。
西田を見つめる元女王の中村選手。
で、印象的なシーンです。敗北を受け入れるが如き表情がたまりません。
私はTVの前で、あんたが本当の女王だよと慰めました。ランキングは西田に与えられても、柔道の女王は中村でしょう。
柔道を武道と位置づける日本ならば、この中村選手やブラジルのクーニャ選手をこそ称揚すべきです。私は勝ち負けよりも
大切なことがあると考える古い人間です。
52kg級中村美里こそが女王(2010柔道世界選手権)
http://wwwa.pikara.ne.jp/htaka/gekiken/back/16.htm
日本の柔道はこんなに強かったんだっけと思わせる世界柔道2010・東京大会である。テレビはあまり見ないのだが、
スポーツ中継となるとつい見てしまう。どうして、こんなに金メダルをとれるのだろうか。一昨日は、男子66キロ級の森下純平、
女子48キロ級の浅見八瑠奈、女子52キロ級の西田優香の3人が金メダルで、昨日も男女無差別級で上川大樹と杉本美香が
優勝した。
しかも、日本人同士の決勝戦も少なくない。やはり、地元日本での開催ということと出場選手数が多いことがこうしたメダル
ラッシュになっていると思う。日本は選手層が厚いからこういうことになる。それと、代表一人ではないのでプレッシャーが
分散するので気楽にやれたことが大きい。オリンピックでも同じようにやれよと思うがそれはちがうようだ。
ところで、ぼくが注目したのは以前からのファンである女子52キロ級の中村美里選手である。前回の世界大会で金メダルを
とって、今回はディフェンディングチャンピオンとして望んだ今大会であったが、残念ながら決勝で同じ日本人の西田優香選手に
僅差の判定で敗れた。
この選手が好きなのは、その姿勢や試合態度である。何といっても試合中にほとんど道着が乱れないことである。普通の選手は
道着が帯からはだけてひらひらさせて戦っている。しかも待てで再立会のときでも直さないでひらひらのまま組み合う。
ところが、中村選手は再立会では必ず相手より早く戻り、帯の中に道着をきちんとしまうのである。なんと気持ちいいのだ。道着が
乱れないのは、姿勢のよさから来ているのだと思う。しかも、試合中に表情を変えないのだ。女の子に言うのも何なのだが、
どこか古武士然とした風格がある。
一昨日の西田選手との決勝戦でもその堂々たる戦い方は絶対に勝ったと思った。しかし、判定は逆だったのだ。一見、かけ逃げと
思われるようなワザを繰り出す西田選手に戸惑ったふうであったが、そのワザの数が勝敗を分けたのだろうか。
柔道もレスリングまがいのタックルが禁止になったのはよいことだが手数だけではない評価もあってもいいように思う。だから、
中村選手は武道としての“柔道”では勝っていたが、スポーツとしての“JUDO”では負けたということなのだろう。
柔道で勝って、JUDOで負けた
http://kamawada.com/~masanori/blog/2010/09/judo.html
柔道の仁川アジア大会(19日開幕)女子日本代表は4日、東京都町田市の国士舘大で強化合宿を公開し、
52キロ級で連覇が懸かる中村美里(三井住友海上)らが乱取りや打ち込みに取り組んだ。
中村は初戦で敗れたロンドン五輪後に左膝を手術し、復帰後の昨年12月に再手術。8月の世界選手権代表も逃したが、
7月にグランドスラムを制し、「自信が付いた」と復調ぶりを示している。
世界選手権では同じ階級の橋本優貴(コマツ)がメダルを逃した。2年後のリオデジャネイロ五輪に向け、代表争いを
激しくするには、アジア大会の結果が必要。中村は7月に痛めた左肩も回復に向かっており、「ここでしっかり自分の柔道
をして、アピールしていきたい」と抱負を話した。
中村「アピールしたい」=アジア大会に向け合宿−柔道女子
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2014090400593 仁川アジア大会(9月19日〜10月4日)に出場する柔道女子日本代表が4日、都内の国士舘大学での強化合宿を公開し、
52キロ級代表で16年リオデジャネイロ大会で3大会連続の五輪出場を狙う中村美里(25=三井住友海上)らが、寝技などの
強化に取り組んだ。
「いつのまにか年下が増えましたね」。08年北京五輪で銅メダルを獲得し、平成生まれの日本人初メダリストになった第一人者も、
12年ロンドン五輪出場を経て、25歳になった。昨年末にはロンドン後の長期休養の原因となった左膝に水がたまり、ボルト摘出
手術を受けた。完全復活へ向けて7月の国際大会では優勝を飾っており、「ひざも気にしなくなって、徐々に良くなってきている」と
手応えを口にした。
中村美里アジア大会へ寝技強化
http://www.nikkansports.com/sports/asia/2014/news/f-sp-tp0-20140904-1361543.html 今秋のアジア大会(韓国・仁川)柔道女子代表が4日、東京・町田市の国士大町田キャンパスで練習を公開した。連覇を
目指す52キロ級の中村美里(25)=三井住友海上=は、「今年の一番大きい大会。結果を残したい」と意気込んだ。
8月の世界選手権(ロシア)で、同級の橋本優貴(25)=コマツ=がメダルを逃した。「海外勢も力をつけてきている。
その上にいけるように研究していきたい」と警戒心を強めた。
7月のグランドスラム・チュメニ大会で優勝を遂げるなど、左膝のケガから復活を遂げている。北京五輪は銅メダル、
ロンドン五輪は初戦敗退の屈辱を味わった。「目標としてはある。アジア大会で金メダルを取って、内容が良い形にしたい」と
2年後のリオデジャネイロ五輪をみすえた。
中村美里、連覇へ意気込み「結果を残したい」/柔道
http://www.sanspo.com/sports/news/20140904/jud14090414260001-n1.html
柔道女子のアジア大会(19日開幕、韓国・インチョン)代表選手が都内で合宿を公開した。左肩を負傷している48キロ級代表の
山岸絵美(28=三井住友海上)を除く6選手が順調な調整をアピール。52キロ級で連覇を狙う中村美里(25=三井住友海上)は
「リオ五輪を目指すためには優勝したい」と話した。12年ロンドン五輪後に手術した左膝はほぼ万全。6月の欧州遠征で左肩
を痛めたが「試合には影響はない」。南條充寿監督は「目標は全階級メダル。韓国はこの大会に懸けており厳しい戦いとなるが
金3個は獲りたい」と話した。
女子52キロ級中村 リオ見据え「連覇」狙う…アジア大会柔道
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/09/05/kiji/K20140905008873610.html アジア大会を前に、柔道女子の日本代表が合宿を公開し、本格的な復活を目指す北京オリンピック銅メダルの中村美里選手が
順調な調整ぶりを示しました。
3日から始まった合宿には、アジア大会代表の各階級の7人が参加し、4日は東京・町田市の国士舘大学で練習の様子が
公開されました。
中村選手は、おととしのロンドンオリンピックで2回戦で敗退したあと、左ひざの手術などで長期にわたり休養し、去年11月に
国内の試合で復帰しました。
4日は実戦形式の練習で得意の足技を次々と決めるなど、国際舞台での本格的な復活に向けて順調な調整ぶりを示していました。
中村選手は「リオデジャネイロオリンピックに向けてアジア大会で自分の柔道をアピールしたいです。まずは結果ですが内容も
大事だと思います」と話しました。
また女子70キロ級で20歳のホープ、新井千鶴選手は、アジア大会でのパワーのある選手との対戦を想定し、自分より体重の
重い相手との練習を重ねていました。
新井選手は先月の世界選手権で同じ階級のヌンイラ華蓮選手が銀メダルを獲得したことについて、「競っている人が決勝までに
行ったのは刺激になります。
アジア大会で結果を残して次につなげていきたい」と意気込みを語りました。
柔道女子 中村がアジア大会へ調整順調
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140904/k10014354951000.html
9月19日から、韓国・仁川でアジア大会が行なわれる。4年に1度開かれる同大会は、幅広い競技が実施されることもあり、
アジアのオリンピックとも言われる。
アジアでの大会とは言え、侮れないレベルにある競技も少なくない。また、今後へ向けての足がかりとする重要な場と捉えて臨む
選手たちも多い。
柔道52kg級の中村美里も、その1人かもしれない。苦しい時期も長かったが、前を向いて少しずつ進み、今日まで辿りついた。
2008年の北京五輪には19歳で出場し、銅メダルを獲得した。成績もさることながら「金メダルを狙っていたので」と、メダル獲得にも
一切喜ばない姿が強烈な印象を与えた。
その後、'09、'11年の世界選手権で優勝するなど、着実に結果を残した中村が、雪辱を期して臨んだのがロンドン五輪だった。
北京で手にすることはできなかった金メダルをかけた大会だったが、初戦となった2回戦で姿を消すことになった。
相手は、金メダルを獲得することになったアン・グムエ(北朝鮮)。北京五輪の準決勝でも敗れ、最大のライバルと目していた
相手と初戦で当たる組み合わせとなったのは抽選の綾だった。
中村「膝が治ったらどれだけ強くなるんだ、とか」
その年の10月、中村は左膝の手術に踏み切った。2カ月後、中村に話を聞く機会があった。
「まだ先のことは考えていないです。今は膝を治すことだけを考えています」と語った中村だが、意外にも明るい展望を口にした。
「膝が不安定でそこまで出来たので、治ったらどれだけ強くなるんだ、とか思ったりもします」
左膝はかねてから痛めていたところだった。万全でない中で、常に世界のトップクラスの位置を保ち、ロンドン五輪にも出場した。
そのロンドンでの初戦敗退はもちろん、悔しかった。しかしその一方で、実は手ごたえを得ていたのだ。
アンには北京五輪で敗れ、その後は2度勝利したものの、内容的には決して納得いくものではなかった。
ロンドンでは、試合開始早々に技ありを取られた。しかしその後中村は有効を奪い返し、猛攻を仕掛けた。アンに指導2つが
与えられたことも中村が優勢にあったことを物語る。
結果は敗北に終わったが、アンを相手にそこまで出来たことは、まぎれもない進歩を示していた。中村も自身の進化を
実感したのだろう。
「金メダルがどうこうじゃなくて、もっと柔道がしたかったです」
その言葉にも思いが表れていた。
中村が久しぶりに大会に姿を見せたのは、'13年11月の講道館杯。練習を再開して数カ月という状態でも優勝を飾り、復帰を
印象づけた。
「納得できない試合でも、結果を残せたのはよかったです」「4年に1度のアジアのオリンピック」
その後、膝に水がたまるなどして大会を欠場することもあったが、今年2月にはロンドン五輪以来の国際大会となる
グランドスラム・パリにも出場している。
4月の全日本選抜体重別選手権では準優勝し、8月の世界選手権代表からは漏れたものの、アジア大会の代表には選出された。
「4年に1度のアジアのオリンピックなので、ものすごく大事です。自分の柔道をして1つ1つ勝って、金メダルを獲りたいです」
その後、7月のグランドスラム・チュメニ(ロシア)では優勝。2011年のパリ世界選手権以来、約3年ぶりとなる国際大会優勝を
果たした。
そして今、アジア大会を間近にしている。
ロンドン五輪で金メダルを手にすることができなかったこと、1試合で大会を終えたことは確かに挫折と呼ぶべき体験だった。
しかし、常に神経を払わなければいけない膝の状態でも成長することができたのを体感した大会でもあった。
それから不安を消すために手術に踏み切り、そこから復帰し、少しずつ実戦の感覚を取り戻し、積み上げてきた。
今は膝の状態はいいという。その中で、どれだけ自分の柔道をすることができるのか。どのような結果を残せるのか。
アジア大会は、静かに見据える先へつながっている。
柔道・中村美里、アジア大会へ出陣。 ロンドンの挫折、膝の手術を超えて。
http://number.bunshun.jp/articles/-/821653
柔道はロンドン五輪代表で、2連覇を目指す女子52キロ級の中村美里(三井住友海上)が「ことし一番大きな大会なので、
自分の柔道を出し切って勝ちたい」と意欲を示した。
開幕を2日後に控えた17日、柔道や競泳などの代表団が到着した。柔道女子52キロ級代表で連覇を狙う中村美里(25)=
三井住友海上=は、アジア勢の“けんか殺法”に警戒した。競泳陣は会場の文鶴水泳場でさっそく練習した。既に到着して
いる日本勢も調整に励んだ。
韓国に到着した中村は“アジアの流儀”を思い出した。「前回は上野先輩がひどい目に遭った。そういうことがあっても、
動揺してはいけない。最後まで攻め抜く」と警戒心を隠さなかった。
前回の広州アジア大会、女子63キロ級準決勝で上野順恵は北朝鮮のキム・スギュンに組み手争いの最中、顔面に
“右フック”を3発くらい、左目を大きく腫らした。8月下旬に行われた世界柔道では韓国、北朝鮮、中国はエース級を温存。
アジア大会に懸ける思いの強さがラフファイトにつながる可能性がある。
中村も3度目の五輪出場に向け、負けてはいられない。「リオ五輪への大きなステップになるはず。結果を残したい」と
必勝を誓った。
【柔道】中村美里、ラフファイト警戒「上野先輩がひどい目に」
http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20140917-OHT1T50365.html 北朝鮮は世界選手権でベストメンバー出してたんだが
最近の実績を見れば中国と韓国の女子はベストメンバー出したって世界でメダル取れるレベルじゃない。
そこんとこ勘違いするな。
「やっぱりリオデジャネイロ五輪を目指すには、ここでしっかり自分の柔道をアピールしたい」。19日に開幕するアジア大会(韓国・
仁川)に女子52キロ級で出場する中村美里(三井住友海上)の穏やかな表情には、ようやく再始動できるという喜びが満ちている。
けがによるブランクを経た25歳の元世界女王が、3度目の五輪に向けて踏み出す第一歩だ。
今大会の柔道日本代表は、8月末に行われた世界選手権(ロシア・チェリャビンスク)の代表入りを逃した選手が中心となる。
北京五輪銅メダリストにとって「2番手」の立場は居心地が良くないはずだが、「大きな大会という意味では同じ。いつも通りに
調整して、最高のパフォーマンスが出せるようにするだけ」。長期離脱から復帰後初となる大舞台で、4年前の中国・広州大会に
続く連覇を狙っている。
膨らんだ意欲の先の再手術
ここに至るまでの2年間で経験したのは、柔道人生で初めて味わう迷いと苦闘だ。ロンドン五輪後の2012年10月、長年に
わたり悩まされてきた古傷の左ひざの前十字じん帯再建手術に踏み切った。この決断は当然、4年後のリオ五輪に向けた
準備のスタートと思われたが、「その時点では五輪は考えていなかった」と本人は振り返る。
19歳で銅メダルを獲得した北京五輪の後、すぐさま4年後の金メダルに照準を定めて走り続けてきた。世界選手権を2度制し、
優勝候補として勇躍挑んだロンドン五輪で待っていたのが、よもやの初戦敗退。心身のダメージは察するに余りある。さあ4年後、
という意欲がすぐに湧いてこないのも無理からぬところだ。
ロンドンから帰国後、リオ五輪への意気込みを問われるたびに周囲との温度差を感じていた。「『あ、頑張ります』と笑顔で
対応しながら、まだ目指すと決めていないのにな、と」。応援してくれる人々の期待を裏切るわけにもいかず、かといって
自分自身のスイッチはオフのまま。複雑な心境だった。
ようやく気持ちが五輪へ向き始めたのは、本格的に練習を再開した昨年9月頃。体が思った通りに動くようになるにつれて、
「よし、いける」と意欲が膨らみ始めた。しかし、再起の道はすんなりとはいかなかった。練習の強度を上げると、手術で埋めた
ボルトがずれてひざに炎症が起き、水がたまるようになった。
復帰戦となった同年11月の講道館杯では何とか優勝を飾ったものの、翌12月には再手術を受けてボルトを除去。またしばらく
畳を離れることになる。
アクセルとブレーキを交互に踏むような、かみ合わない日々が続いたが、「苦しくはなかったですよ。逆に考える時間が
あったから良かった」。国立スポーツ科学センター(JISS)で出会ったリハビリ仲間との触れ合いが、多くの刺激を与えてくれた。
アルペンスキー、ハンドボール、カバディ……。それまで柔道一筋で過ごす中では接点のなかった他競技のアスリートと
一緒に過ごし、ときには試合を観戦する中で、「視野が広がったというか、いろんなことが見えるようになった」
五輪でメダルを量産してきた柔道とは違い、アマチュア競技の多くは資金面で苦労が絶えない。自腹を切って海外遠征に
出ているなど、さまざまな苦労話を耳にしながら「柔道は恵まれているなと思ったし、そういうのを考えながらやらないといけないと
思った」。自分の置かれた立場や環境を客観的に見られるようになったことで、あらためて競技に打ち込む意欲が湧いてきたのだ。
久々の優勝で復活に手応え
そんな精神的な変化に加えて、技術面でも着実に成長を実感している。以前は国際大会と代表合宿でスケジュールが埋まり、
調整に追われる中で腰を据えて技を磨く時間も取れなかった。まさにケガの功名というべきか、日本代表から離れたことでその
余裕が生まれた。「今はやりたいことができている。所属でしっかり練習したり、技をつくったり」。得意の足技の切れは増している。
その成果は日を追うごとに現れてきた。2月のグランドスラム・パリ大会はひざが本調子でなかったこともあり2回戦敗退に終わったが、
4月の全日本選抜体重別選手権では準優勝。そして7月のグランドスラム・チュメニ大会(ロシア)で久々の国際大会優勝。
「内容はまだまだなんですけど、優勝できたということで自信がつきました」と語る通り、復調の階段を一歩ずつ上がってきた。
視線の先にあるのは3度目の五輪
再び日の丸を背負って戦う今大会。全7階級で金メダル3つ以上という目標を掲げる女子代表の南條充寿監督は「ここで一発
勝負してやろうという意気込みをみんなが持っていると思う。この結果がどこにつながっているかは分かっているはず」と、各選手
に奮起を促す。
8月の世界選手権で金2つを含むメダル5つと復権の足がかりをつかんだ日本女子の中で、序列を覆すには結果と内容の両方で
アピールするしかない。その競争がリオ五輪での勝利につながると説く南條監督は、実績のある中村について「あらゆる経験
をしている選手だし、ここに懸ける思いはものすごく強い。力を出してくれると思うし、7割方、力は戻ったんじゃないかと思う」と
期待感を隠さない。
中村が不在の間に、52キロ級では同い年の橋本優貴(コマツ)が台頭。2年連続で世界選手権代表に選ばれ、昨年の大会では
銅メダルを獲得している。とはいえ、ひざの状態が万全ならば自分こそが第一人者であるというプライドが中村にはある。「気持ちも
含めて全部がそろえば勝てると思いますけど、まだそれには到達していないので。あと2年でそれをつくっていけたらいいと思う」
あくまで視線の先にあるのは3度目の五輪の舞台。「焦りは特にないです。自分のペースで、チャンスをもらった今回のアジア
大会のように一つ一つの試合で結果を出していけばいいと思う」。遠回りした分だけ、今自分がやるべきことは明確に見えている。
柔道・中村美里、リオへと踏み出す第一歩 手術を乗り越え、アジア大会連覇へ
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/other/all/2014/columndtl/201409180003-spnavi
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/20(土) 19:29:00.06 ID:w1OtnSmS
中村のかーちゃん美人だな
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/20(土) 21:42:57.54 ID:RIuddBZN
猿の一人芝居
第17回アジア大会は19日、韓国・仁川の仁川競技場で開会式を行い、10月4日まで16日間にわたるスポーツの祭典が開幕した。
競技が本格スタートする20日に登場する柔道女子52キロ級の中村美里(25)=三井住友海上=らは当地の練習会場で最終調整。
狭い練習場、短い練習時間などの“アウェーの洗礼”を乗り越え、2大会連続の金メダルを目指す。
非公開で行われた直前調整。本格的競技開始日の20日に出陣する女子52キロ級の中村がキッパリと言い切った。
「ここで結果を出す。攻め抜けば大丈夫」
2012年ロンドン五輪で初戦敗退した後、同年の秋に左膝を手術。長期離脱から初の主要国際大会で、元世界女王が復活をかける。
自信に満ちた言葉の裏で、柔道ニッポンが思わぬ“アウェーの洗礼”を浴びていた。
女子代表の南條充寿監督によると、大会側から割り振られた練習場は、試合場の半分以下の約20畳分。この日調整したのは
(男女)11選手だが、「はっきりいって(練習)できない」(南條監督)というほど、柔道の調整には明らかに手狭だ。しかも練習時間は
ウオームアップ込みで2時間弱。別の場所に広々と使える練習マットが用意されている地元韓国とは大違いだ。
また、通常前日に行われるはずの計量が試合当日になるという提案を突然、受けたという。これに関しては途中で撤回されたため
事なきを得たが、ドタバタしたことには変わりない。それでも南條監督はむしろ困難を力に変えての奮起を促した。「(選手には)思うようには
いかないと言ってきましたし、こんなことに一喜一憂していたら、話にならない。若手にはいい経験」。
中村が勝てば他競技との兼ね合い次第だが、日本選手団金メダル1号になる可能性もある。再起をかける25歳。逆境を乗り越えて、
第一線へと返り咲く。
中村、アウェーの洗礼なんの!金1号へ出陣!!/柔道
http://www.sanspo.com/sports/news/20140920/jud14092005040001-n1.html 柔道は20日、男女4階級が行われ、女子52キロ級の中村美里(三井住友海上)が決勝でグルバダム・ババムラトワ(トルクメニスタン)を破り、
2大会連続の金メダルを獲得した。全競技を通じて日本勢初の金メダル。
女子48キロ級の山岸絵美(三井住友海上)は決勝で昨年の世界選手権覇者ウランツェツェグ・モンフバット(モンゴル)に敗れて銀メダル。
男子66キロ級の高上智史(旭化成)もツモルフレグ・ダワドルジ(モンゴル)に敗れて銀メダルだった。男子60キロ級の志々目徹(了徳寺学園職)は
3位決定戦に勝って銅メダル。
中村が2大会連続金メダル=アジア大会・柔道
http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2014092000263 元世界女王の中村美里(25=三井住友海上)が、アジア大会連覇を果たした。決勝でトルクメニスタンのババムラトウに小外刈りで一本勝ち。
「仁川金1号」も手にした。昨年12月の左膝手術を乗り越えて優勝し「金メダルがとれてうれしいです。まず何よりもアジア大会でしっかり結果を、
と思ってやってきた」と喜んだ。
中村の試合前には、日本勢が決勝で連敗。最後のとりでとして登場して見事に勝利。「(会場の)後ろの控室で待機していて(日本が)
負けたかどうかわからなかった。畳にいく直前に分かったけど、プレッシャーはなく、自分の戦いをしようと思った」と話した。
中村美里V2「自分の戦いしようと思った」
http://www.nikkansports.com/sports/asia/2014/news/f-sp-tp0-20140920-1370200.html
仁川アジア大会を戦った柔道の男女日本代表が24日、羽田空港に帰国した。
女子52キロ級2連覇の中村美里(25=三井住友海上)は「アジアで勝てた。世界へ向けてやりたい」と視線は次に。
ロンドン五輪後に苦しんだひざの故障から完全復活し、16年リオデジャネイロ五輪に向けて「出る試合1つ1つを大切にして、
リオで金メダルを取りたい」と弾んだ声で答えた。
女子57キロ級で金メダルを獲得した山本杏(20=国士舘大)は、「体のことを気にせずに、結構動き回れた」と大きな
手応えを得た。世界ジュニアを2連覇したころのような軽快な動きが復活。大学入学後は力を付けるための身体の変化に
戸惑う時期もあったが、ようやくスピードとのバランスが取れてきたよう。「秋の大会に向けてやっていきたい」と話した。
柔道中村美里ら帰国「リオで金メダルを」
http://www.nikkansports.com/sports/asia/2014/news/f-sp-tp0-20140924-1372204.html
土曜日、アジア大会の柔道52キロ級と団体で金メダルを獲得した中村美里選手が、『かねいし』に来てくれました。
高校生のころから、国際大会でメダルを獲ると必ず店に来て、メダルを見せてくれるのが恒例になっていて、
私たち夫婦もいつも楽しみにしていました。
それが、12年のロンドン・オリンピックでは、まさかの初戦敗退。北京オリンピックで銅メダルを獲得したにも関わらず、
金メダルだけを目ざしていた彼女に笑顔はありませんでした。それだけに、ロンドンでの敗退は、自分がこれまでやって
きた柔道を全否定されたような喪失感もあったと思います。失意のまま、五輪のあと痛めていた左ヒザを手術しました。
そんな時にリハビリをしているトレーニングセンターで、アルペンの清澤恵美子選手、フリースタイルの伊藤みき選手ら、
他競技の選手との多くの出会いがあったそうです。バドミントンの藤井瑞希選手もその1人。それまでの中村選手は、
他競技の知人は多くなかったのですが、彼女らと、互いに励まし合い、刺激し合いながら大いに前向きになったといいます。
復帰したのは昨年の11月。そしてアジア大会で、見事に2連覇を果たしました。柔道界だけではなく、新しい知人から届く激励や
祝福のメールも、大きなモチベーションになったようですね。久しぶりに、アジア大会の金メダルを見せてくれた中村選手は、
とてもいい顔してました。ケガや故障は、しないのが一番いいのですが、何か試練があったとき、その試練を乗り越えるのに、
仲間の存在って大きいですよね。
さてバドミントンでは、デンマークOPで高橋礼華/松友美佐紀組が準優勝。準決勝の相手は前田美順/垣岩令佳組で、
日本代表は好調のようです。今週は、12年に三谷美菜津選手が優勝するなど、日本勢にゲンのいいフランスOP。期待しましょう。
アスリート仲間がモチベーション
http://www.jsports.co.jp/bad/jinnai/diary/post-239/
ことし1年に撮影されたスクープ写真などを集めた「報道写真展」が東京・日本橋のデパートで始まりました。
「報道写真展」は新聞社やNHKなどが加盟する東京写真記者協会が毎年、開いています。
13日はサッカー女子の日本代表なでしこジャパンの佐々木則夫監督と仁川アジア大会の柔道女子で金メダルを獲得した
中村美里選手も参加してテープカットが行われました。
会場の日本橋のデパートにはこの1年間に撮影されたスクープ写真などおよそ280点が展示されています。
このうち協会賞に選ばれた写真はことし9月の御嶽山の噴火の翌日にヘリコプターから超望遠レンズを使って撮影されたもので
女性が積まれた石に寄りかかって救助を待つ様子を捉えています。
またスポーツの写真も数多く展示されソチオリンピックのフィギュアスケート男子で優勝した羽生結弦選手が金メダルを手に満面の
笑みを浮かべている写真などもあります。
写真を見た60代の男性は「オリンピックの写真などを見ると改めて勇気づけられますね」と話していました。
「報道写真展」は今月24日まで東京・日本橋の三越本店で開かれています。
「報道写真展」始まる 東京
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141213/k10013941941000.html