ゲド戦記とアーシュラ・K・ル=グウィン 第4章

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20前スレ993
清水真砂子さんの寄稿(生協ネタ)についての者です。
前スレで著作権について気になってたのですが
批評目的で出典明示なら大丈夫らしいとのことですので、
長文ですが載せてみます。改行しないほうがよさそうなので
ズラズラと何回かにわけます。(読みにくい結果だったらすいません)
「生活クラブ生協」注文チラシ「本の花束」9月配達号より。

21前スレ993:2006/08/22(火) 22:20:44 ID:veVk+DF5
 訳者は映画化をどのように受けとめているのか。この半年あまり、私は公的
な場でも、私的な場でも、幾度となく、この質問を浴びせられてきました。
あきらかに非難がこめられている場合もあれば、言葉どおり、ただ知りたいと
いう場合もあり、私の返事を待って、自分の態度を決めようとしていることが
うかがわれる場合もありました。
 『ゲド戦記』の映画化に至るいきさつは、映画を制作しているスタジオジブ
リのホームページに載っていますし、私が宮崎吾朗という新人監督にどんな思
い、どんな期待を抱いているかも、スタジオジブリ発行の月刊誌『熱風』に寄
稿した文章をお読みになれば、おわかりいただけると思いますが(これも同ホ
ームページにあります)、それでもなお冒頭の質問は発せられ続け、とうとう
私も一度どこかで書いておくべき、とこの場をお借りすることにいたしました。
22前スレ993:2006/08/22(火) 22:22:05 ID:veVk+DF5
 まず私は、文学作品が映像化されることに対しては特に反対する気持ちもな
ければ賛成する気持ちもありません。無頓着というのではありません。それは
詩人にむかってどうこういうのと同じで、お節介以外の何ものでもないと考え
ているからです。詩人が何かにつき動かされて表現にむかったとき、問題は詩
人をつき動かした何かがその詩にそのまま忠実にうたわれているか否かではあ
りますまい。大事なのは出来上がった詩がいいかどうか、詩として自立してい
るか否かです。
 映画が原作に忠実であるかどうかなど、問題ではありません。もし、出来上
がった映画が不評だとすれば−ただし、世間の評判は、いえ、プロといわれる
人の批評も、必ずしもあてにはなりませんが−それはその映画に、観る者に我
を忘れさせるだけの力がなかったからにほかなりません。つまらなくて、醒め
たままとり残されると、人はどうでもいいことが気になりだすものです。

23前スレ993:2006/08/22(火) 22:24:45 ID:veVk+DF5
 それに、そもそも原作に忠実とは何でしょう。私の訳は原作に忠実か。いい
え。私は黒衣に徹し、作者のことばをできるかぎりそのまま読者に届けたいと
努めはしましたが、そこに出てくるのはどうしたって私の読みです。それなし
には文章は文章として成立しないのです。もし『ゲド戦記』を日本語版でお読
みくださったとすれば、それは訳者・清水の原書の解釈をお読みになったとい
うことになります。そしてその読みには読者それぞれの読みがまた加わります。
Aさんの読みとBさんの読みが全く一致することはあり得ないでしょう。そし
てそれをこそ私は豊かさと呼びたいと思っています。ここには好悪の問題は出
てきましょうが、正しいか否かという見方はなじまないのではないでしょうか。
それに、作者なら、自分の書いたものはすべて把握しているかというと、そう
ばかりでもありません。作者の気づかない作品の豊かさが読み手によって初め
て発見されることもある。今はただ出来上がった映画を観るのが楽しみです。


・・・以上全文でした。名無しに戻ります。