>>39 遠方で行けなかった方などもいるでしょうから、覚えている限りのことを箇条書きしますね。
といってもメモを取ったり音声を録音したりなどはしていませんので、記憶は正確ではないので
「こんなニュアンスのことをお話していた」くらいに読んでください。
・幼少時代に広島で被爆した時のはなし(爆心地から3KM離れていたそうです)
・先生が通っていた己斐小学校が花山第二小学校のモデル
・ジュンクの店員さんに「ねぇxxxx(タイトル失念)持ってきて〜」と、多分先生の「絵で読む 広島の原爆」
だったと思いますが、この本を店員さんに持ってきてもらい
「これが己斐小学校の絵なんですよ」とページを開いて見せてくれる。校庭で遺体を(被爆者の)
焼却している絵。。。
先生「みなさんもズッコケばかり読まずにこの本も買ってください(笑)
でもこれ英語版なんだよねぇ・・・英語読めない人は・・・(笑)」
・子供時代は本なんかちっとも読まず、手塚治虫のマンガが大好きだった。
・手塚さんが虫が好きだそうで、自分も虫好きになった。それで大学は農林学部・・・?に入った。
・卒業後は東京の会社に就職しセールス(何のセールスか忘れちゃいました)の仕事をしていた。
・2年で辞めて広島に戻ってきた。
・父親に「じゃぁ書道塾手伝え」と言われ、10年間書道塾で教えた。
先生「本当はぼく書道なんか全然出来なかったんだけどね・・・(笑)」
・お姉さんが児童文学の同人会に入り、自分も誘われて物語を書いてみた。
児童文学なんか全然知らなくて、シンデレラくらいは知ってたけど、(なんて言ってたかなぁ・・・)
奇跡的?な出来事が起こったりするくらいの話だと思っていた。そんな物語を書いて同人会で発表した。
題名は「ヒバリになったもぐら」。
・そしたら「あのね那須さん。この会は新しい児童文学を目指してるんだよ」と言われてしまった・・・。
・先生「つまり自分の書いた物語は古かったんです」
・で、、、最近の児童文学を読んでみた。。。と言っていたかな?そしたら、なにも奇跡的?な話の物語で
なくても良いんだと分かった(←ウロ覚え)。
長くなったので分けます。