>>501 直接的な返レスではないけど。
判例に普遍性を持たせるのもどうかと思うが、
例えば、
http://www.crnjapan.com/japan_law/ja/20050413-asa-cannot_refuse_citizenship.html これの判決(2005)は、「国籍法の規定を違憲として男児に日本国籍を認めた」なんだが、
その論拠として、
A「彼(男児)は日本国籍を有していないが(事実)、彼は憲法論的な国民概念に含まれるから」
B「彼(男児)は日本国籍を有していないが(事実)、憲法上は、国民と認めるべき者であるから」
C「彼(男児)は日本国籍を有していないが(事実)、憲法上は、国籍を認めるべき者であるから」
ってなものが想定できる。
ここで、例の最高裁判決(1995)をもってくる。
X「憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有するものを意味することは明らかである」
これって、矛盾か?
つまり、東京地裁が最高裁の判例を否定したのか?
まず、Aだが、これはどうにも矛盾にしか見えないだろう?
Xは「憲法論上の国民は国籍保持者である(国籍を持ってない者は国民ではない)」と読めるのに、
Aは国籍を持ってない者を指して、「法論上の国民だ」と言ってる。
では、Bはどうか?「国民と認めるべきである」とはいったい何なのか?
普通はここで、Aの「彼は憲法論的な国民概念に含まれるから」がBの根拠として述べられるし、
そもそも、「彼は憲法論的な国民概念に含まれる」の実質的な意味は「国民と認めるべき者」であり、
後者(B)さえ言えれば、前者(A)を言わなくてもかまわないものである。
だったら、言わなければよいではないかということになるかもしれんが、
前者のような話は憲法論をする上で意義があるし、それを否定するのは言葉狩りか、思想抑圧にしかならない。
はっきり言って、「彼は憲法論的な国民概念に含まれないが、国民とすべき」では意味が分からない。
じゃあ、Cはどうか?「国民」という言葉を使ってないので、否定してると断定できないかもしれないが、
「国籍を認める」ってことは、国籍法1条により、「国民と認める」ということになるわけで、
「国民と認める」がNGなら、「国籍は認めるが国民とは認めない」となり、国籍法の趣旨そのものを否定する。
地裁が妥当で、また、判決は普遍的だとすると、この時点で、
Xはどうにも不適切な日本語であることはほぼ確定なんだが、まったくの暴論というにはまだ救いようがある。
1)、Xは「国籍保持者は日本国民である」と言ってるだけで、「国籍非保持者でも日本国民である」を排除していない(国民の集合の方が大きい)。
2)、Xは単に国籍制度の趣旨を言ってるだけで、実際の国籍保持者と国民が一致してることを主張してない。
3)、Xの「我が国の国籍を有するもの」とは、「我が国の国籍を有すべきもの」という憲法論上の理想であり、実際の国籍保持者ではない(同上)
4)、Xは単に一般論を述べているだけで、例外の存在は否定してない(誰か具体的な者に対して非国民認定するものではない)。
5)、そもそも、日本の裁判制度では判決文(しかも、結論に直接影響しない文章)に普遍性を求めることは無理。
これらのいずれかであれば、上のAとでさえ両立する(矛盾しない)。
しかし、いずれにしても、意味不明というか無意味な傍論になるわけで、不適切であるのは否定できない。
また、通説かって話だが、地裁の審議そのものを否定するようなものが通説だって話は聞いたことがない。
それと、もう了解してると思うが、これは何を否定し、何を肯定してるのか明確にしないで、
「単に通説だ」と言っても意味がない。