第九条 「国際紛争を解決する手段としては」の意味

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124法の下の名無し
今朝の日曜討論で大原康男氏(国学院大学教授)がまた東京裁判、特に「平和に対する犯罪」が
事後法だから無効だという趣旨の発言をしていましたね。

それを説明するのに1948年12月10日国連総会採択の「世界人権宣言」を引用して、
遡及処罰の禁止(第11条)は国際法の原則だと主張してました。

矛盾してますね。まず解釈を認めず、条文の字義通りの法適用だけを認めるという、
ユスティニアン法典的な狭隘な立場をとるならば、国際法の条文としては1948年12月に
史上初めて現れる「遡及処罰の禁止」が1948年11月4−12日の東京裁判判決を拘束する
ことはない、というのは小学生にもわかる理屈です。

さらに、この「世界人権宣言」を採択した国連総会は、それ以前、1946年12月11日の
決議95(I)で、「ニュルンベルク裁判条約により認知された国際法の原則」を満場一致
で確認すると表明しています。現在日本では事後法と呼ばれてるものを「国際法の原則」に
含めた上で、事後法を禁止しているのですね。

1)「平和に対する罪」はそれに対する条文上の処罰規程が無い
2)これは罪刑法定主義に違反していない
3)国際法は「平和に対する罪」を事件以前から含んでいる(裁判所条約6(a)条)
を確認した上で世界人権宣言を出しているわけです。

この論理の道筋をどう考えるかですね。大原教授的な「日本の常識」だと、国連は矛盾
している、だし、まともに法学を学ぶと、「日本の常識」はユスティニアン法典的硬直を
特徴とし、世界の常識とは大きくかけ離れているということでしょうか。