政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であつて、信教の自由そのものを直接保障す
るものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の
自由の保障を確保しようとするものである。ところが、宗教は、信仰という個人の内心的
な事象としての側面を有するにとどまらず、同時に極めて多方面にわたる外部的な社会事
象としての側面を伴うのが常であつて、この側面においては、教育、福祉、文化、民俗風
習など広汎な場面で社会生活と接触することになり、そのことからくる当然の帰結として、
国家が、社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の
諸施策を実施するにあたつて、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れえないこととな
る。したがつて、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、
実際上不可能に近いものといわなければならない。更にまた、政教分離原則を完全に貫こ
うとすれば、かえつて社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないのであつ
て、例えば、特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成をしたり、
文化財である神社、寺院の建築物や仏像等の維持保存のため国が宗教団体に補助金を支出
したりすることも疑問とされるに至り、それが許されないということになれば、そこには、
宗教との関係があることによる不利益な取扱い、すなわち宗教による差別が生ずることに
なりかねず、また例えば、刑務所等における教誨活動も、それがなんらかの宗教的色彩を
帯びる限り一切許されないということになれば、かえつて受刑者の信教の自由は著しく制
約される結果を招くことにもなりかねないのである。これらの点にかんがみると、政教分
離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があることを免
れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的・
文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いをもたざるをえない
ことを前提としたうえで、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根
本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが、問題とな
らざるをえないのである。右のような見地から考えると、わが憲法の前記政教分離規定の
基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であること
を要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとす
るものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、その
かかわり合いが右の諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこ
れを許さないとするものであると解すべきである。(
>>626の多数意見より引用)