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凶気の桜:
ポツダム宣言・降伏文書を一種の休戦条約だと考えた場合、では果たしてそれが
明治憲法の改正を要求するものであったどうか、という問題が残る。つまり、日本が
ポツダム宣言の条項を実施すべき立場に置かれる以上、その基本となっている民主主義の
徹底、基本的人権保障の強化の要請は、明治憲法の再検討の契機を必然的に包蔵していた
ということができたとしても、そこに改正の要求まで当然含まれていたと解すべきかどうか、
ということである。
この点については見解が相違すると思われるが、ポツダム宣言を見ていくと、6項には
ポツダム宣言の言うところの軍国主義者の権力および影響力の排除、7項、11項に戦争
遂行能力の破砕、10項に、民主主義的傾向の復活強化、言論・宗教・思想ならびに基本的人権の
尊重、12項に日本国国民の自由に表明せる意思にしたがい平和的傾向を有し、かつ責任ある政府が
樹立されるまで占領が行われる旨がそれぞれ記されており、確かに直接改正まで要求する明文上の規定は
存在しないものの、憲法調査会の指摘する如く、これら条項は、「明治憲法をそのままにしておいて
できることではないことは明白」であり、憲法改正の要求は当然にポツダム宣言に包含されていたと解すべき
との解釈は十分に成立しえ、事実かかる解釈が一般的ともなっている。
というように、ポツダム宣言・降伏文書が一種の条約であり、そこに宣言の趣旨に沿う明治憲法改正の要求が含まれて
いたとするならば、連合国は日本の憲法が宣言の諸条項に合致することを要求する権利を当然に持つことになる。