【憲法】無効論に乗り換えよう【無効確認】

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256法の下の名無し
>>239

>民主化および人権尊重の要求、さらには非軍備化の要求は、天皇と国民の間の君臣関
係を前提とし、軍の存在を当然のごとく認める帝国憲法の維持とは相容れないのでは?<

これらの価値の判断をする主体について述べられている部分を引用する。

*   *   *

問題はポツダム宣言は条約であるにも拘らず、連合国は何故にポツダム宣言に拘束されないのか、という
点である。ポツダム宣言を条約だと解する以上、これには締約国双方が拘束されるわけだから、連合国と
いえども、ポツダム宣言に定められた範囲以上のことを日本に強要してはならない国際法上の義務が存す
る筈である。

しかるに、事実は、ポツダム宣言に定められた範囲をこえて、それ以上のことを占領軍の権力を背景に日
本に強要した。米国製憲法の押し付けは、その最たるものである。私見によれば、米国製憲法の押し付け
というこのおおうべからざる事実は、かの広島・長崎における原子爆弾投下と共に、米国の国際法違反の
行為として、大いに糾弾されなければならない性質のものであると信ずる。

ところが、芦部教授は、ポツダム宣言が一種の実質的意味における条約であることを認めながら、これに
拘束されるべき連合国の立場については一言もふれられないばかりか、今日国際法上の重要な原則とし
て一般に承認されている内政自己決定の原則に関しても

「国際社会の利益を防御するため、一国の憲法の自立性を制約する条約、それにもとづく干渉は合法だ
といっていい」(芦部論文、45-46頁)

と述べて、憲法改正に際してとられた連合国側の強圧的行為を全面的に弁護されている。

 しかし、ここでも「何が国際社会の利益であるか」ということを、いかなる人・いかなる国・いかなる機関が
判断し、認定するのかが問題であって、芦部教授の説かれる如く、その判断を連合国(戦勝国)側が一方的
になしうるというのであれば、そこには、法の問題はもはや最初から問題ではなく、唯「勝てば官軍」式の現
実の力関係のみが支配する法以前の問題だけが問題である、といわざるをえない。

もっとも、論者は、ポツダム宣言受諾の際に交わされた日本に対する連合国側の回答の中に「降伏ノ時ヨリ
天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ降伏条項ノ実施ノ為其ノ必要ト認ムル措置ヲ執ル連合国最高司令
官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」とあったことを根拠として、ポツダム宣言の有権解釈が連合国側にあった
ことを主張するであろう。しかし、ポツダム宣言の有権解釈権があるからといって、不当・不法なる解釈まで
も許されてよいものではない。法の有権解釈権の問題と法の客観的正当性の問題とは、厳に区別されるべ
きである。