本件で問題となっているのは、公立学校の教諭(以下「本件教諭」という。)に対する、
入学式・卒業式等の学校行事において、国歌である「君が代」斉唱の際に起立をすることを
要求する、校長の職務上の命令(以下「本件職務命令」という。)の合憲性である。
まず、本件職務命令が、本件教諭の職務に関する事項であるか否かが、問題となる。
入学式・卒業式は、公立学校における教育過程の一部として実施されるものであり、学校
が実施する教育活動ということができる。教育活動の主体は、原則として個々の教師である
といえるが、児童・生徒の側に、教育の内容を批判する能力がなく、教師が児童・生徒に対
して強い影響力、支配力を有すること、学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均
等を図る上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があることからすれば、普通教
育における教師に完全な教授の自由を認めることはできない。
学校教育法は、「校務」すなわち、学校教育の事業を遂行するため必要とされる一切の事
務をつかさどるのは校長であると規定しており、教育課程の計画及び実施についての責務と
権限は、校長にあると解するのが相当であるから、入学式・卒業式の式次第については、校
長が、その裁量の範囲においてこれを決定する権限を有し、校長は、その実施のために、各
教員に対して、職務命令を発することができると解される。入学式・卒業式は、公立学校に
おける教育課程の一部として実施されるものであるから、その式次第に従い、運営に協力す
ることは、学校における具体的職務の内容にかかわらず、式に参加する以上は、学校に勤務
する職員としての当然の職務と言うべきである。
したがって、国歌斉唱時に起立することは、本件教諭の職務であって、入学式・卒業式に
おいて、国歌を斉唱をするという式次第を前提として、国歌斉唱時に起立することを要求す
る本件職務命令は、本件教諭の職務に関する事項であるといえる。
次に、本件職務命令の根拠について検討する。公立学校の校長は、学校教育法に基づき、
校務をつかさどり、所属職員を監督する権限を有しており、所属職員に対して、職務命令を
発することができる。そして、所属教職員は、地方公務員法32条に基づき、校長の職務命令
に従う義務を負う。なお、国旗国歌法2条1項は、「国歌は、君が代とする。」と規定するに
とどまり、直ちに本件職務命令の根拠にはなり得ない。
ただ、職務命令に重大かつ明白な瑕疵がある場合には,これに従う義務がないものと解さ
れる(最三小判昭和53年11月14日判タ375号73頁)から、本件職務命令に重大かつ明白な瑕
疵があれば、本件教諭は、これに従う義務はないといえる。そこで、本件職務命令の合憲性
が問題となる。以下、本件職務命令の合憲性に限定して検討する。
思想・良心の自由は、「外部に向って表現されるに至るときは『表現の自由』の問題とな
り、内面的精神作用にとどまる場合でも、宗教的方面に向えば『信教の自由』の問題となり、
論理的・体系的知識の方面に向えば『学問の自由』の問題となる(佐藤幸治『憲法』〔初版〕
332頁)。ただ、人の内面の精神的活動は外部的行為と密接な関係を有するから、外部的行
為(国歌斉唱時に起立すること)を要求する本件職務命令が、本件教諭の内心の自由を侵害
するかについて、「思想・良心の自由」との関係で問題となる。
本件教諭のような公務員であっても「思想・良心の自由」はあるから、本件教諭が内心に
おいて、どのような「思想・良心」を抱いていても自由であり、その自由は尊重されなけれ
ばならないことは言うまでも無い。
しかしながら、憲法15条2項は、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉
仕者ではない。」と定めており、本件教諭のような地方公務員は、地方公共団体の住民全体
の奉仕者としての地位を有するものである。こうした地位の特殊性及び職務の公共性にかん
がみ、地方公務員法30条は、地方公務員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務
し、かつ、職務の遂行に当たっては全力を挙げてこれに専念しなければならない旨規定し、
同法32条は、上記の地方公務員がその職務を遂行するに当たって、法令等に従い、かつ、
上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨規定する。
そして、学習指導要領において、「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,
国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定し、それは「国
旗・国歌を尊重する態度を育てる」という教育目的によるものと解される。
これを本件についてみると、本件職務命令は、公務員である本件教諭に対して、国歌斉唱
時に起立するという外部的行為を要求するにすぎないことは明らかであるから、それ自体は、
本件教諭の内心における精神的活動を否定するものではない。そして、人の内心における精
神的活動は、外部的行為と密接な関係を有するものといえるが、本件職務命令は、公立学校
の教諭の入学式・卒業式における言動や態度が児童・生徒(特に年少の児童)に与える影響
は大きく、本件教諭が、国歌斉唱の際に起立をしないで座ったままでいるという行為であっ
ても、児童・生徒に国旗・国歌に対する疑念、不信感、警戒感等の否定的な感情や見方を引
き起こすおそれがあることは否定できないから、「国旗・国歌を尊重する態度を育てる」と
いう教育目的のために、国歌である「君が代」斉唱の際に起立をすることを要求しているも
のである。それは、「踏み絵」とは違って、本件教諭に対し、特定の思想を持つことを「強
制」するものではなく、「君が代」についての一定の見解を前提として、特定内容の道徳や
イデオロギーを児童・生徒に対して、教え込ませるものともいえないから、それ自体が本件
教諭の思想・良心(本件教諭の有する「歴史観ないし世界観」、すなわち、「君が代」が過
去において果たして来た役割に対する否定的評価)に反する精神的活動を「強制」するもの
でもないことは明らかである。また、歌を歌う際に起立をすること自体は一般的なことであ
り、国歌斉唱が、「国歌を尊重する態度を育てる」という教育目的のために行われるもので
あることからすれば、児童・生徒に対して範を示すという観点に照らし、入学式・卒業式に
参加する教員に起立を要求する本件職務命令は、その目的及び内容において不合理であると
いうことはできないというべきである。
そうすると、本件職務命令は、本件教諭のもつ特定の思想、すなわち「君が代」が過去に
おいて果たして来た役割に対する否定的評価自体を否定させるものではないことは明らか
であるから、「思想・良心の自由」を侵害するものではなく、本件教諭が本件において「思
想・良心」と主張するところは、結局のところ本件職務命令に対する「誤解」ないし「曲解」
に基づく「嫌悪感ないし不快感」にすぎない。このような「嫌悪感ないし不快感」を理由に
一般的法義務を拒否する自由を一般的に承認するならば、おそらく社会は成り立たないと考
えられるから、仮に「嫌悪感ないし不快感」を「思想・良心」とした場合でも、その「思想・
良心(嫌悪感ないし不快感)の自由」は、公共の福祉の見地から、公務員の職務の公共性に
由来する内在的制約を受けるものと解するのが相当である(憲法12条、13条)。
したがって、本件教諭(公立学校の教諭)に対する、本件職務命令(入学式・卒業式等の
学校行事において、国歌である「君が代」斉唱の際に起立をすることを要求する、校長の職
務上の命令)は、「思想・良心の自由」を定めた憲法19条に違反せず「合憲」である。
適法に存在した(
>>154-156)本件職務命令(国歌斉唱時に起立)を遵守しなかった本件
教諭(公立学校の教諭)の行為は、その職務を遂行するに当たって、法令等に従い、かつ、
上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない旨規定する地方公務員法32条に違反する。
また、本件教諭が、校長が決定した式次第に従わないことによって、児童・生徒のみならず、
参列する保護者、地域住民その他の来賓に対して、学校の運営についての不安を抱かせ、学校
教育に対する信頼感を損なうことも考えられるから、教育公務員の職に対する信用を傷つける
行為にあたり、同法33条に違反する。
したがって、懲戒事由を定めた同法29条1項1号、2号に該当し、懲戒処分を受けるのは
当然である。