外国人の人権

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584船虫Jr ◆.Tg2yBtH66
国籍主義を排除すれば「おかしなこと」は生じない(「Xは自由に決めていいわけじゃなく、適切に指定すべし」なら問題ない)
ということはさんざん述べてきたので、ここでは、文言説又は無適用説を否定する愚、
つまり、性質説を採用することの愚を論じる。
何を言いたいかと言えば、「外国人の人権」や「外国人の参政権」についての現在の論調である。
言うまでもなく、オレは、これらに関して肯定派のなかに入る。
しかし、オレは、反対派以上に、肯定派の主張が気に入らない。
ハッキリ言って、この対立においては、反対派の方が正しい(肯定派は間違っている)。
その理由は、まさに、現在、肯定派の多くが性質説を主張していることに他ならない。
肯定派は、「“在日は外国人だが”、性質として、日本人と同じだから……」と主張する。
“在日は外国人だが”、と。
これでは国民主権を踏みにじってるという批判は逃れられない。
性質説ってのは、国民主権を踏みにじるかのように、憲法を曲解して、
無理矢理在日の人権を主張してるかのようなもの。
これじゃあ、何時までたっても肯定派が勝利することはない。
実は、現在の肯定派は、反対派の工作員であって、肯定派を勝たせないために、
議論の論点をすり替えているとさえ思える。