精神疾患は甘えか否かを議論する 26
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http://peace.2ch.net/test/read.cgi/utu/1352170725/63-64 講談社『「超」勉強法』(野口悠紀雄)69ページ コーヒーブレイクより。「ドイツ語とフランス語」
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ノーベル平和賞の受賞者、アルベルト・シュバイツァーは、アルザス・ロレーヌ(ドイツ名、エルザス・ロートリンゲン)地方の生まれである。ここはドイツとフランスの国境地帯なので、両方が母国語になる。
シュバイツァーは、この二つの言語を比較して、面白いことをいっている。フランス語は論理的で、ドイツ語は音楽的だというのだ。
フランスは平野の国であるから、人は危険が近づくのを目でみる。このため、目が発達し、美術が発達した。そして、フランス語は、見晴らしのよい平野のように明晰な言葉になった。
外交文書でフランス語版を正本とするのは、誤読のしようがないためである。
これに対してドイツは、森の国である。南ドイツの黒森(Schwarzwald)で木に登ったリスは、そのまま地上に降りることなく北海まで行けたほどだ。
見通しのきかない森で危険を察知するのは、音による。そこで、ドイツ人は耳が発達し、音楽に秀でた民族となった。ドイツ語は、森の中の迷路のように不明解である。しかし、音楽的な響きは素晴らしい。
まったくその通りだと思う。ドイツ語では、接頭語や接尾語が加わると、元の言葉と随分違う意味になったりする。森の妖精のようだ。
半面で(あるいは、それゆえに)、特に女性の話すドイツ語は、非常に美しい。
それを堪能するには、モーツァルトの「魔笛」を聞くとよい。ここでは、台詞がドイツ語で語られている。「夜の女王」の台詞を始めとして、実に素晴らしい。
講談社『「超」勉強法』(野口悠紀雄)130〜131ページ コーヒーブレイクより。「一読・難解、二読・誤解、三読・不可解」
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悪文の代表として、しばしば『日本国憲法』の前文が引き合いにだされる。例えば、つぎの文章を見よう。
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」
いきなり主語が二つ出てくるので、混乱する。「無視してはならないのであって」などと唐突に言われると、なぜ? と問い返したくなる。英語の原文を見ると、「信じる」は、@ここと、A「普遍的なものであり」と、B「責務であると」の3箇所に掛かっていることが、
thatの使い方でわかる。しかし、日本語では、なかなかそうは読めない。「政治道徳の法則」とは何を指すのであろう? 「無視してはならない」ことか? 英語では、laws of political moralityと、複数・定冠詞なしになっているので、そうではないことがわかる。
残念ながら、やはり英語は日本語より正確なのか?
もっとも、何となく雰囲気はわかる(要するに、国際協調が大切ということだろう)。また、わからなくとも、日常生活に支障はない。
しかし、税法となると、そうはゆかない。間違って解釈したら大変だ。例えば、つぎの文章を見よ。
「法人(公益法人等及び人格のない社団等を除く。以下この条において同じ)の株主等である内国法人が当該法人から次に掲げる金銭その他の資産の交付を受けた場合において、その金銭の額及び金銭以外の資産の価値の合計額が
その交付の起因となった当該法人の株式(出資等も含む)の帳簿価額をこえるときは、この法律の規定の適用については、そのこえる部分の金額のうち、当該法人の資本等の金額から成る部分の金額以外の金額は、
利益の配当又は剰余金の分配の額とみなす」(『法人税法』第23条第2項)
こういう文章がすっと頭に入る人は、頭がよいというより、少しおかしいのではないかと思う。『法人税法』が「一読・難解、二読・誤解、三読・不可解」といわれる理由がわかるだろう。
なぜ、「法人の資本金=C、交付を受けた金額=Mとすると、……」と式で書いてくれないのか。