富田「これは文脈で判断するしかないですね」発言 5
富田の〈英語長文問題〉解法のルール144 (下) [単行本]
富田 一彦 (著)
出版社: 大和書房
より
※3分割。まずは1/3
(P48〜)
(前略)
冷静になりなさい。書かれていないものは存在しない。たとえば、誰かが「ああ、おなかが減ったなぁ」と言ったとする。その言葉は、「その人が空腹を感じている」ということを示しはするが、それ以上でもそれ以下でもない。
その言葉を聞いたあなたが「こいつは俺と食事をしたがっているな」と感じようが「あたしに何か作ってくれって言ってるわね」と思おうがそれはあなたの自由だが、それはすべて「あなたの感想」に過ぎない。
「ああ、お腹が減ったなぁ」という言葉に「一緒に食事をしよう」「何かつくってほしい」という意味があるとあなたが考えるなら、それは単なる「誤読」である。
もしかしたら、相手の意図は当初から、あなたが気を回して何か食事を作ったら、「俺はそんなことを頼んだ覚えはない。そういう気の回し方をするのはやめてくれ」と言ってあなたをいじめることにあるかもしれないのだ。
そうでない、と否定する根拠などどこにもないのだ。ではどうすれば相手の「意図」が分かるのかって? 簡単なことだ。相手に尋ねてみればいいのさ。
(中略)
ついでに(また脱線するが)もう1つ言っておけば、前にも書いたようにこの「相手に理解させたいことはすべて言葉にする。言わないことは存在しない」という姿勢は、異文化間のコミュニケーションが必要な現代では、時代の趨勢になりつつある。
(中略)
話を本題に戻そう。内容一致問題を解答するときに心がけるべきことは、徹底的に書かれたことにこだわることである。書かれていないことは存在しないのだから、一切類推してはいけないのだ。
ここで大切なのは、書かれていないことは実は「間違ってさえいない」ということである。
ここで私がこういう話をするのは、最近の内容一致問題には「正しいものに○、間違いには×、本文からは判断できないものは△をつけよ」という問題がよく見られるからだ。
正しいものを選ぶ、というだけの問題の場合は、本文に書かれていないものは「間違い」に分類されるが、これはあくまでも「正しくない」というだけのことである。
だが、「本文から判断できないもの」を答えることを要求された場合、「書かれていない」ものは書かれていない以上実は正誤を判断することさえできないのだ。
ただ、「書かれていない」とはどういうことなのか、はきちんと考えなくてはならない。たとえば、選択肢にある語句が本文に全く出てこないからといって、単純に「判断ができない」とは言い切れない場合もある。
一例を挙げよう。次の文章を読んで、下の選択肢が「誤り」なのか「判断不能」なのかを見分けてほしい。
「私は昨日、駅前で一人の少女に会った。その少女は赤い服を着て黄色い傘をさし、バス停の前に立っていた。」
1.私は昨日駅前で一人の少年にあった。
2.私があった少女は白い靴を履いていた。
3.筆者は「私があった少女は白い靴を履いていた」と言っている。
正解は2のみ「判断不能」で、1と3は「誤り」である。2が「判断不能」であることはとても分かりやすい。何しろ本文ではその少女の「靴」について何も言っていないのだから、その色が白だったかどうかは全く分からない。
ところが、3は似ているように見えても明らかに「誤り」である。3の選択肢では「筆者は…と言っている」かどうかが問題なのだ。先程述べたように筆者は少女の靴については「何も言っていない」。
「何も言っていない」という事実は選択肢の「…と言っている」とは明らかに食い違っている。したがって3は「判断不能」なのではなく「誤りだ」と判断できるのだ。
1についても、「少年」が本文に出ていない以上、「会ったかどうか分からない」ではないか、という学生が必ず出てくる。ところが、この文の筆者は「私が少女に出会った」と言っており、その「少女」という言葉と「少年」という言葉は、明らかに食い違う。
本文と「食い違い」のある選択肢は「判断不能」ではなく「誤り」なのである。
※2/3
ところで、もし今例示した文章で「筆者の言いたいこと」は何か、と問われたら諸君はどうするだろう。正解は「分からない」である。
諸君の中には「少女に会った」ことが言いたいに決まっている、という人もいるだろうが、そういう人は、自分の症状が重傷であると認識してもらいたい。
これだけの文章では、この筆者の言いたいことが「少女に会った」ことなのか「少女が赤い服を着ていた」ことなのか、「少女に会ったのが駅前であった」ことなのかは判然としない。
唯一言えることといえば、「この筆者は少女の靴の色のことは言いたくないらしい」ということだけである。もちろん、この文章がもっと長い文章の一部だとすれば、ほかの箇所を読むことによって筆者の発言の主眼は分かるかもしれないが、それも保証の限りではない。
筆者の「言いたいこと」が分かることがあるとすれば、それは筆者が自分で、何らかの表現を使って「私はこれが一番言いたい」と書いた場合だけなのだ。
内容一致問題で「誤り」とされる選択肢は、そのほとんどが、「言葉の意味を取り違えて」いたり、「事実関係が本文と食い違って」いたりする。
そのあたりをしっかり把握するために、選択肢と本文の対応箇所をしっかし見比べてもらいたいものである。
しかも、最近は選択肢自体が文法的に複雑な文で書かれていることがかなりあるので、選択肢を誤読しないように、選択肢だからといっていい加減に見るのではなく、ちゃんと構文をとって正確に読まなくてはならない。
(後略)
(P78〜)
(前略)
She did not come home because it began to rain.
確かに、単純にこの文を見ると、2通りの意味にとることができる。それは「雨が降り始めたので、彼女は帰宅しなかった」と「彼女が帰宅したのは雨が降り出したからではない」である。
前者はnotを単純にcome homeにかけたもの、後者はnot…because…という表現と考えてbecause以下に書かれた理由を否定したものである。そして多くの文法書の場合、この例文とともに、次のような注意書きが添えられている。
「このように、1つの文だけではどちらにもとれるものがあるので、前後の文脈を考えることが必要だ。」一見なるほどと思わせられる説明であるが、実はここには重大な誤謬が隠されている。
つまり、はじめに挙げた例文は、もしそれが単独で使われるとすれば、
意味が1つに確定できないという点で明らかに「誤文」ないしは「悪文」なのである。
もし単独で書くに当たってほかの表記方法がないというなら、それでも仕方がない、ということになるが、
実は、単独で書いてもどちらの意味であるかを明確にする方法があるのだ。具体的には、前者の意味にしたければBecause it began to rain,she did not come home.
とすればよい(notは後ろしか否定しないので、Because節が前にあればそれを否定してしまう心配はない)。
一方後者の意味にしたければ
She came home not because it began to rain.
とか
It was not because it began to rain that she came home.
とすればいいだけのことなのだ。
そういう「よりよい表記方法」があるにもかかわらず、
あえてそれを使わずに2つの意味にとりうる文を書いてしまうとすれば、
その書き方自体が「下手だ」ということになる。
もう一度断っておくが、はじめに挙げた例文が「悪文」なのはそれが「単独で使われた場合」である。
最初に書いたようにnotの位置がどこでもいいのはあくまで「誤解の無い範囲」であって、
はじめに挙げた例文が誤解を招いてしまう以上、これを単独で書くのは明らかに「誤り」なのである。
だが、実際にははじめに挙げた文は文章中に登場することがある。
それはなぜだろうか。その理由は少し考えてみれば明らかである。筆者がその表現でも「誤解のない範囲」に収まっていると考えているからに他ならない。
(ここでは、「書く人が下手で…」というような愚かしい可能性は考えないことにする)。
考えてもみたまえ。どこの著者が、
自分の伝えようとする内容を読者に分かりにくいように書こうとするというのだろうか。自分が誤解されても何のメリットもないというのに。わざわざ読者を惑わせるような書き方は(特定の効果をねらっている場合を除けば)あり得ないのだ。
(後略)
※3/3
(P86)
(前略)
「書かれてない」ことは書かれていないがゆえに「嘘」なのだが、
いわゆる「勝手な思いこみ」で文章を読むタイプの学生は、
ありもしないことをあると思いこんだり、
その文章を読んで「自分が思ったこと」が文章に書かれていると誤解しやすい
(たとえば、富田が衛星放送の授業で、
「ねぇ田舎のみなさん。マクドナルドって知ってる?」と言ったとする。
それに対して、「富田は田舎を馬鹿にしている」と言い出す手合いがいるが、
そういうのが「思いこみの激しい人」の代表例である。
富田はただ「マクドナルドを知っているか」という質問をしただけである。
田舎のことなど知らないので、そういうところもあるのかなぁと思ったにすぎない)
ので、そういう人が思いこみそうなことを「誤答」として用意しておく。
(後略)