【一般】予備自衛官補のお部屋パート40【技能】

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639専守防衛さん
江戸時代は、天皇のことを京都では「天ちゃん」「天ちゃん」呼んでいたと、
幕府に金をねだってたわけだが、
新政府は、潮流に乗ってたが、実力はまだまだだったから、
不平士族などを抑えるために 神話を協調し天皇絶対で権威付け、
陰から事実上実権を握り叛乱を抑える手段にしただけ、
それが天皇神権説。

蛤御門とかあれは、慶喜が水戸学にかぶれていたからだよ。
天皇という考え方はかなり新しい、庶民にとっては天皇は実権のないひな人形のようなもの。
ペリー以降、攘夷の核として、水戸学尊皇派が徐々に広まってきた。

大体日本の歴史で、ほとんどの時代は天皇は象徴であって、
実権は摂関、上皇、平氏、源氏、北条、足利、豊臣、徳川と
神輿の飾りみたいなものだ。

明治から天皇は一世一元となり、明朝以降の皇帝の独裁制を模して、天皇の権威付けが強化された。
640専守防衛さん:2011/05/01(日) 23:24:12.69
 終戦後、彼は「人間宣言」のあと、全国を巡幸して歩いた。その映像は今も残る。
敗戦で打ちひしがれた国民を激励すると称して(膨大な予算を使って)行幸したときの姿は、
わざと古着にすり減ったクツを履いて、軍部に騙された気の毒な天皇という哀愁を演出してみせたのだった。
彼は1901年生まれだから、巡幸のころはまだ40代後半なのに、わざと猫背にして60歳くらいの老人のように見せているように、
映像や写真からは伺える。
何を説明しても「あ、そう」と答えたことは有名になったが、これも自分は戦争を指揮したりしない、
言われるがままの人間だったという印象を与えるためだろう。
戦前には絶対に大衆の前に姿を晒さなかった彼が、大衆に向けてソフト帽子をふりふり、
愛想笑いを浮かべて「平和天皇」を演じてみせたことは、戦犯から除外してもらうための進駐軍へのポーズでもあったし、
見事に国民をも騙すことにも成功したのであった。
 戦後もついにマッカーサーをも騙しきって、
資産を守った天皇が、なんで古着にボロ靴なのか。
その心根の深奥をわれわれ国民は知るべきであろう。
641あぼーん:あぼーん
あぼーん