私は、数多くの外国人と接したことがあるが、
日本人ほど勤勉な民族はいないよ。
韓国人、フィリピン人、中南米系の人、
みんなイイカゲンで、ダラシガナイ人々ばかりだった。
アメリカ人は色々なタイプの人々がいた。
だが、外国人はみんな自国を愛していた。
日本は在日韓国人にマインドコントロールされて、
すっかり愛国心が無くなってしまったように思う。
まあ、未だにマインドコントロールか覚めていない
日本人は極一部だと信じたいが、
いいかげんに日本人も愛国心を復活させないと、
韓国や中国に国を乗っ取られるよ。
193 :
専守防衛さん:2008/12/18(木) 22:33:12
空自、セクハラの空将補を停職 具体的内容伏せる
防衛省は25日、部下の女性からセクハラ(性的嫌がらせ)を訴えられ、航空自衛隊第1術科学校(浜松市)の
校長職を更迭された宮下今朝芳空将補(55)を停職3日の懲戒処分にしたと発表した。宮下空将補は事実関係を
認め、依願退職の意向を伝えており、同省が手続きを進めている。
防衛省航空幕僚監部は「被害に遭った女性隊員の強い意向」を理由に、宮下空将補が行ったとされるセクハラ行為の
具体的内容を明らかにせず、「8月下旬、宮下空将補が女性隊員に(業務外の)余暇活動の練習相手をさせて体に接触し、
著しい精神的不快感を与えた」とだけ説明している。
女性は9月上旬に部隊の相談員にセクハラを訴え、防衛省は同月18日付で宮下空将補を校長職から航空幕僚監部付に
異動した。通常、1佐以上の幹部の人事異動は報道発表するが、同省は公表していなかった。
空自では北海道内の女性自衛官が「同僚からわいせつ行為を受け、相談した上司にも退職を強要された」として国に約
1100万円の損害賠償を求めて札幌地裁で係争中。同僚の男性自衛官は空自の警務隊に強制わいせつ容疑で書類送検された。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2008112590201351.html
194 :
専守防衛さん:2008/12/18(木) 22:40:27
お兄ちゃん、仕事大丈夫?
195 :
専守防衛さん:2008/12/18(木) 22:44:25
196 :
専守防衛さん:2008/12/18(木) 22:48:18
空幕付きの某将官は本年中に勧奨退職だそうです。
黙して語らず。出勤してますか?
離任式なし、あいさつなし、部下を置き去りで遁走です。
何のけじめもない。幕長はいかがお考えでしょうか
空自の歴史に残る不祥事案です。百年先まで語り続けられるでしょう
まことにご同慶に堪えません。合掌礼拝
197 :
専守防衛さん:2008/12/18(木) 23:33:00
過去の日本の侵略を声高に批判する人ほど、現在の中国の侵略に沈黙する。
過去の日本の虐殺を声高に批判する人ほど、現在の中国の虐殺に沈黙する。
過去の日本の人権問題を声高に批判する人ほど、現在の中国の人権問題に沈黙する。
過去の日本の言論弾圧を声高に批判する人ほど、現在の中国の言論弾圧に沈黙する。
日本の高価な地雷を批判する人ほど、中国の安価な地雷に沈黙する。
アメリカの核を批判する人ほど、中国の核に沈黙する。
中国の方が圧倒的長期間に渡って、圧倒的多数の犠牲者を生み出している。
日本は 「遅れてきた帝国主義」 などと言われるが、
中国は 「時代錯誤も甚だしい帝国主義」 を邁進している。
日本の 「過去の侵略・帝国主義」 を声高に非難するなら、
中国の 「現在の侵略・帝国主義」 はそれ以上に声高に非難されなければ理屈に合わない。
198 :
専守防衛さん:2008/12/19(金) 21:18:18
国家観には二種類ある。
ひとつは、国家を、一人ひとりの人間の共存と福祉のための公共財である機械装置と考えるものである。国家は水道や電気や医療や交通網のように、人びとの生存にとってきわめて重要なものだ。
しかし、いかに国家が重要であるとはいえ、それを「愛する」などというのは、水道管や電線をぺろぺろ舐めまわし、女性の靴や下着のにおいを嗅ぐのと同様、変態である。
この第一の国家観からいえば、愛国心はフェテシズムの一種である。国家が愛国心などという変態心性を万人に要求する制度は、日本国装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。
それに対して、国家を一人ひとりの人間の生命を超えた、より高次の崇高なる集合的生命とする国家観がある。このようなリアリティを生きる人びとにとって、国家装置の防衛メンテナンスのための危険業務組織(軍隊)は、集合的生命の男根のように感じられる。
アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱の体験である。そして日本は、自由だの人権だの民主主義だの甘ったるい白粉をぺたぺた塗られて、女にされてしまったと、彼らは感じる。
第一の国家観は、人びとの安全と生命を守りながら繁栄をもたらそうとするリアリズム政治のための、基本の基本である。国益の計算や戦略的思考も、この国家観を前提としなければ、何の意味もない。
第二の国家観は、非常時に短期間「だけ」、ひとびとを狂わせるための興奮剤である。必要がないときに使ってはならない。
そして二一世紀の世界でそれが必要になる時は、もうない。いまではこういったドラッグは、貧しい国々で誤用され、悲惨な流血や国土の荒廃をもたらす廃棄すべき毒物でしかない。