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西尾論文、お見事!:
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たとえ表向き遠慮して言い方を変える場面があっても、彼らの意識は変わらない。自分の内部に閉じこもって
外が見えない可哀そうな民族である。日本人が彼らに謝罪すればやり過ごせると思うのは、実に愚かである。
謝罪しても終わりがない。いつ果てるともキリがない。彼らの反日感情は、日本人が儒教朱子学の序列・秩序に
黙って従うことを要求したものである。
湯澤甲雄氏が書いた次のような分析もある。
過去に為した「日本人の行為」のために、反日意識を持つと考える日本人が多い。
しかし、韓国人の心情はそうではなくて、絶対的に優越する韓国人が、絶対的に劣位の日本人に支配されたと
いう儒教朱子学上あってはならない現実が起きてしまい、自らを許し難いと慙愧反省しつつ、日本人はもっと
許し難いというジレンマが反日となって噴出するのである。
儒教的世界観を転覆させてしまった自らが刻んだ歴史の汚点が、如何にやむを得ない事情で起きてしまった
ものであるかの免罪(エクスキューズ)を得るために、日本人による非道性、残虐性を殊更に唱えて安らぎを
得る心情が、俗に韓国人の「反日感情」と言われるものである。
誰しも日本人名を名乗ったこと、韓国の戦争記念館の展示物、我が国の教科書への注文、学校教育への介入
等に見る如く韓国・朝鮮人優位説の強調と日本人暴虐・強制等による免罪強調とを、何事に寄らず臆面も無く
訴えてくるのである。しかし、これでは真の反省になっていないことを自覚しないところが宗教信心と言える
ところであって、宗教信心なるが故に免罪追及範囲が領域的・時間的にエンドレスに広がり、そこまでやるの
かと日本人の悩みや不安も広がるのである。 (『明日への選択』 平成15年3月号)
こういう社会では身内の恥を外部に晒す者は、社会の敵として始末されるのを常とする。
湯澤氏は、開明的・実証的記事を書いたがために命を落とした新聞記者の例を話してくれた。韓国人の恥辱行為
について外部に語った場合、通例あの国では、その当人と家族及び近親の一族は、多くは連座制をとらされて
職業を奪われ、村八分にされ、ときに杖殺される。
それが、韓国=儒教朱子学社会の掟だそうである。