女性パイロットってどうよ?2機目

このエントリーをはてなブックマークに追加
10専守防衛さん
あと、もう一つ>>8の流れで言っておかなければならない大事なこととは、パイロットという人命を預かる上で非常に「公的な使命感」がなければならない仕事が、女性の参入により非常に「私的な仕事」になってしまうということ。
女性自身がそういう気持ちで最初から臨むということの他に、男性しかいなかった、即ち女性という空白をも担っていた「公」な場に、「やりたいからやる」「やりたいのにやれないのはおかしい」という女性たちが「私」の空気を持ち込んでしまうということ。
今までパイロットをしてきた先人たち、あるいは同期の人たち、後輩たちに、「所詮人命を預かると言えど、私的な欲求により成り立つ世界」という意識を永世植え付けてしまうということ。
これはパイロットになりたいという女性個人の問題よりも、実は重大な問題なんだよね。
女性が参入することを、先人や同期や後輩の人間がどう考えて容認しようとするのか。
それは「所詮、この業界も公ではなく私ありきなんだな」と考え、決着づけようとするということ。
操縦業界・客室接待業界・整備業界含めて、人命を預かる世界全体がそういう空気に包まれてしまった時、それは危険な状況になるのではないかね。
昨今の整備ミス、航空トラブル等は、このような「自由主義(私的主義)」がもたらしたものであると思う。それをもたらしている原因の一つが「女性」だと思う。
また、女性にはじき出された男性(それは出産できない。女として生きる選択肢がない!)が、どう考えてその結果(女性>男性)を納得しようとするのか。
それは「社会とは公ではなく私が勝るのだから仕方がない」と考えるということ。
この後の人生もその男性は「公」ではなく「私」に基づいて歩むことになるだろう。
「やりたいからやる」「やりたくないからやらない」、それが正しいのだ、と。
「公」を忘れ(させられ)た男性が、次に女性にどう接するか、彼が作る家庭は子どもはどう育つか。
いや、「公」的な思想・裏づけなしに男女関係は成り立たないし、家庭も成り立たないし、教育関係も成り立たないだろう。
女性なら、そういうことを本来は考えなければならない。
女性自ら男性が「公」から離れる道筋を作っておいて、後から起こる事態に男性に「公的な態度」を求めるのは虫が良すぎる。
11専守防衛さん:2006/05/31(水) 14:13:17
昨今の医療業界における医療ミス、教育界における破廉恥行為、は実は女性が社会に「私」を持ち込んでしまったためではないのかね。
自分の「私」が容認されることを求めるということは、他の人の「私」も認めなければならないことなんだけど、この事を当の女性たち自身はどこまで分かっているのだろう?
「果」の「因」を見ずに、「果」の批判ばかり求めるから女性は男性に馬鹿にされるいうことを自覚した方がいい。