853 :
名無しなのに合格:
私立大学現代文・・・・
馬鹿田大学の教育学部などの国語問題が、「悪問・奇問の類である」と予備校から批判されることが多く、
実際に河合塾・世ゼミ・駿台が、毎年公開している解答速報で、答えが割れている(=違っている)ものが散見される。
が、実は馬鹿田大学以外の大学の現代文も、かなり難しく、適正な能力選抜と呼べないのではないか、と思われる難しすぎる問題が出ることはある。
そのような問題はやはり正答率が低く、多めに出題されれば合格ボーダーラインも下がることになる。
ワーチム上位の立教大の現代文も、内容理解に関する設問で、非常に難しい問題が出てくることがある。
しかし、基本的にはそのような難しい問題は正解できずとも、他の標準的な設問を着実に抑えることで、合格への道は開けてくる。
ただ、上位学部上位学科などで、競争率がとても高くなっているときは、どうしても非常に難しい問題を取れたかという、勝負運まで要求されることがある。
またこの大学は、漢字に関して、「カタカナを記述する」「センター試験評論漢字設問と同じ形式」に加えて、「漢字の読み」が問われる。
この漢字の読みは、大抵は一般的な高等学校国語の知識で読めるが、
中には漢字書き取りを得意とする受験生にも、とても読めないような難しいものが出題されることもある。これは対策は難しく、英文法などのカルトクイズ系問題と同様に、諦めるのが得策である。
このように、センター試験現代文が、一般的には(ある程度は)安定した難易度とされるのに対して、
たまに、とても難しい問題が出たり、一方ではセンター試験現代文よりも簡単な問題が出ることもある。
この点は、英語長文と同じである。
私立大学現代文に関しては、私は志望校の過去問のみをやることを推奨する。
特に、「出口のシステム現代文」に関しては、ほとんど何の役にも立ちはしない。
私は、出口は“現代文講師”などではなく、“現代文詐欺師”であると確信している。
さきに述べたように、現代文は英語長文と同じく、勉強に関して、消費エネルギー及び時間の大きな科目である。
そのくせ、英語長文ほどの、努力に対しての見返りが得られる科目ではない。
このため、現代文を多く勉強したことで疲れ、他の科目の勉強時間がなくなってしまうというのは、非常に望ましくない。
実際に、現代文は、入試本番では、点差は開く科目である。合否のカギを握っていることもあるが、(馬鹿田は英語社会ではなく国語で決まるとよく言われる)
その点差は、実力というよりは、運(クリティカルヒットの深度)の度合いによるものが大きい。
だから、英語社会や古典を堅実に積み上げて、現代文はなんとか及第点を取れるようにする戦略を、私は推奨する。
英語社会がうまくいっても現代文でコケて落ちてしまうことがある反面、
英語社会で少々失敗したが、現代文で深度の深いクリティカルヒットが炸裂して、合格を勝ち取れるケースも存在する。
勿論、強運が得点を上積みするのは、全科目に共通していることであるが。
854 :
名無しなのに合格:2011/11/29(火) 03:14:51.32 ID:E+tJSsJ/0
そもそも現代文というのは、一般受験生が日常的に読み書きしている日本語より、いくらか高度な日本語の運用能力を試す試験である。
このため、日本人として日常生活で日本語を使ってきていれば、正解できる問題がある程度存在する。むろん、相当高度な日本語運用能力を試す設問もある。
ということで、他科目が“サイテー”な偏差値の受験生でも、現代文だけは運がよければ高得点/高偏差値を取れるケースが多数存在する。
これが、Eランク大・Fランク大・短大で、“現代文一科目入試”を設けている根拠でもある。
英語や社会は勉強していなければ全く点数にならないが、現代文は受験初級においてもある程度の得点は取れるし、受験初級から受験中級に上がると、大体合格点ぐらい取れる可能性が発生する。
では、受験初級者でも得点できる問題が何割かある現代文で、英語社会同様に平均点を6割5分〜8割程度とするには、運への依存度の高い高難度の問題を多く出すことになる。
そういうわけで、現代文は努力しても結果の信頼性が乏しいので、最低限の過去問のみで、余力を他科目へ回した方がよいということになる。
過去問だけは最低限やっておこう。
どうしても、過去問以外の現代文をやってみたいというなら、古文の傑作修練書を出版した 「ゴロゴ板野の現代文解法565パターン集」を推しておく。
これはお得な知識だが、世界史Bなどの歴史科目は、一つの事象を色々な切り口から当たるので、(特にセンター世界史Bは正誤問題や地図問題、グラフ問題に関して、知識と共に日本語運用能力、論理力などが要求される)
実は、世界史Bをやり込んでいれば、現代文の能力は結構向上する。
世界史Bに登場する漢字名の部首にも、現代文の漢字書き取りに要求されるものと同一の部首が、少数ではあるが散見される。